人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.33点 | 書評数:2109件 |
No.1189 | 6点 | トロイの木馬 ハモンド・イネス |
(2021/06/01 20:09登録) (ネタバレなし) 1939年のロンドン。「私」こと、42歳の独身の刑事弁護士アンドリュー(アンディ)・キルマーチンは、ドイツから亡命してきたユダヤ系の技術者ポール・セヴァリーン(フランツ・シュミット)から接触を受ける。シュミットは義兄で恩人の英国人エヴァン・ルーエリン殺害の嫌疑を受けて逃亡中の身だが、それはシュミットが開発したさる技術に目をつけた、英国に潜むナチス工作員による冤罪だった。シュミットから真実に至る手がかりを託されたアンドリューは、親類かつ年下の親友デイヴィッド・シール、そしてシュミットの美しい娘フレイアとともに、ひそかに進行するナチスの陰謀に介入してゆく。 1940年の英国作品。作者イネスの第6長編。 純粋な英国人の要人を抱き込んで英国国内で暗躍するナチス工作員という明確な悪役が登場。 イネス自身が戦後に著した自然派冒険小説の諸作とは大きく異なる作風だし、このひとつ前の『海底のUボート基地』でも、もうちょっと大自然のロケーションを活かした筋立てだったぞと、結構な違和感を覚える内容。 そういう意味ではイネス作品を読んでいる感じが、やや~かなり希薄だったのだが、お話そのものは、敵に捕まった主人公アンドリューの中盤の脱出劇など、いかにもイネスらしい重厚な書き込みでフツーに楽しめる。なんかバグリィかマクリーン、キャリスンみたいな感じでもあったが。 クライマックスの洋上の活劇図もかなり派手で、もしも該当部だけ抜き出されて読まされていたら、絶対にイネスの作品とはわからないだろう。まあそんな感じ。 サブキャラクター、ルーエリンの文芸設定(実は……)があまり生きなかったり、フレイアをめぐるアンドリューとデイヴィッドの三角関係が……(以下略)とか、ツメの甘さや計算違いを感じさせる部分もないではないが、これはまあ、初期作品ならではのものか。作家デビューは早かった(活躍期間も長かった)イネスだが、これをとにもかくにも27歳の若さで書いているという事実には驚かされる。 ところで本作の執筆~刊行された時期の英国は、恣意的にナチス・ドイツに対して宥和政策をとっており、前作『海底のUボート基地』などでは「ドイツ軍人でもマトモな連中はいるのだ」という一種の忖度が窺えたのだが、本作ではおおむねナチス=悪の原理で書かれていて、わずかな期間の間での情勢の推移が見えるような気がしないでもない。 しかし戦後のイネスって、第二次世界大戦をリアルタイムで舞台にした作品ってあんまりないように思うのだけれど。これってやっぱり、当時を振り返って、何か感じるものがあったのであろうか。 トータルとしてはフツーに面白い。前述の脱出劇のくだりなど、ちょっとガーヴのよくできたものあたりを想起させるテンションの高さでもある。ただしやっぱりこれって、ぼくらの知ってるイネスのスタンダードじゃないよね、ということで、ちょっと評点は辛めに。 |
No.1188 | 8点 | 水の墓碑銘 パトリシア・ハイスミス |
(2021/05/30 17:40登録) (ネタバレなし) 1950年代のニューイングランド。祖父の代からの財産を受け継ぎ、遊民的な生活を送る36歳のヴィクター・ヴァン・アレンは、道楽の延長でマイナーな作家や趣味的な企画の書籍を製作する印刷会社を経営していた。そんなヴィクターには美人の妻メリンダと愛娘のベアトリス(トリクシー)がいたが、当初は恋愛結婚だった夫婦の間にはいつしかひずみが発生。メリンダは半ば公然と愛人を夫に見せつけるようになっていた。憤怒の念を覚えながらも、自制できる理性的な夫というキャラクターを自己演出し続けるヴィクター。だがメリンダが新たな愛人をヴィクターの視界に引き込んだときに……。 1957年のアメリカ作品。ハイスミスの第五長編。 リプレー(リプリー)のデビュー作『太陽がいっぱい』の次に書かれた作品であり、それだけに結末もどのような方向に行くかわからない。いつものようにゾクゾクしながら読む。 主人公ヴィクターは浮気妻に愛憎の念を抱き、しかし社交上の対面もふまえて「みじめな負け犬のコキュ」の立場を甘受することをよしとしない。それ自体はまあ、ご当人の勝手だし、オトコの心情として理解できないこともないのだが、彼はそうやって設けた自分の仮面を最後まで……(以下略)。 読後にAmazonのレビューなどを拝見するに、主人公の気持ちがよくわからない、という声もあるようだが、とんでもない。人間、いかに自分を持ち前のモラルで律していても、誰の目にも見られていない、ここがチャンス、という機会がたまたま回ってくれば……(以下略)。 これはそういう、大方の人間の誰の内側にも潜む、普遍的な心の動き、それを共通言語として作者と読者が低い声でひそひそささやきあうかなり隠微な小説である。 さすがハイスミス、着想も小説の仕上がりも一級だ。 中盤からの展開はこれ以上のネタバレを警戒して触れないが、「人の心は(中略)」という主題は、作劇上での巧妙なリフレインをもってスリリングなストーリーに具現。主人公ヴィクターと読者との強烈な一体感を維持したまま、クライマックスに突き進んでいく。ラストのふりきった決着と、そこから生じる余韻もまた鮮烈。 ずっと読んでいけば、どっかでいつか凡作や失敗作にも出会うのだろうが、今のところはおそろしく打率が高いハイスミスの諸作。 また近いうちにどんどん読んでいきましょう。 実のところ<面白さを約束された実力派作家の作品>って、いまいち心のトキメキもワクワク感もなくて(面白いものを当たり前に面白く読んでもツマラナイよね?)、食指が動かないところがあるんだけれど、しかしハイスミスの場合は、こちら読む側が各作品とつきあう際に、多かれ少なかれイヤ~ンな気分になるという対価を払っているせいか、一冊一冊が新鮮な気分で楽しめる。これは案外、大事なことかもしれない。 |
No.1187 | 7点 | 落陽曠野に燃ゆ 伴野朗 |
(2021/05/28 07:02登録) (ネタバレなし) 昭和6年の満州。現在31歳の賀屋(かや)達馬は、さる事情から3年前に関東軍を追われ、日本に帰国していた元大尉だった。だがそんな賀屋を石原莞爾が内地から呼び戻し、財政的に困窮する関東軍のために、その持ち前の実行力と才気で軍費を稼ぐように協力を求める。恩人である石原の要請に、なんとか応えようとする賀屋。しかし激動する時代と現地の複雑な情勢は、そんな賀屋の前で風雲、急を告げようとしていた。 やがて大戦の時代に向かう満州を舞台に、関東軍にどのような資金調達が行われていたかを主題にした歴史もので、史実の裏面を語る冒険小説だが、物語のスパンがかなり長い。後半の展開のネタバレになるのでここでは詳しくは語らないが、まあ読んでいけば、どういう流れでどういう時局に着地するかは、大方すぐ見えてくる? とは思う。 ちなみに元版のカドカワノベルズ版で読んだが、表紙周りには「書き下し大河歴史冒険小説」と銘打ってあり、うん、おおむね納得。 (ところでこのカドカワノベルズ版、いきなり表紙折り返しのあらすじ部分で主人公の名前を「加屋」とか間違えており、これはいけない。) 主人公の賀屋は当初こそ資金調達がそれなりにうまくいっていたものの、関東軍のためというか、世界情勢の中で逆境に向かう祖国のために、次第にあえてダーティな手段をとらざるをえなくなる(別の事情もからむが)。 だが賀屋自身が足踏みしていたら物語が進まないし、歴史が動かないので、本来なら賀屋が抱える葛藤(良心ゆえの苦しみ)を賀屋当人ではなく、副主人公に近いポジションの若手満鉄社員・間宮精一郎が引き取るあたりとか、それぞれの人物がおのおのの役割をこなす群像ドラマらしい、正しい作りをしている。 一方で途中の小規模なサプライズ(ミステリ味)の見せ方などは、ほかの先行する伴野作品とおんなじ手癖で綴っているところもあって、そのあたりはちょっとファン目線で引っかかった。まあ自然にやっちゃったんだろうね? 関東軍のセクト争い(みたいなもの)、共産党、暗黒街組織などの組織の入り乱れが、そのまま多数の劇中人物の錯綜につながってゆく。 結果としてドラマというかお話としては、これでよいのだと納得できるキャラ同士の相関もあれば、かなり強引だなあと思わざるを得ない箇所もあって、その辺は玉石混淆。 それでも物語にはほぼ全域、エネルギッシュさを感じるので、あっという間に読める。本文そのものは二段組で250ページもないから紙幅は少なめなのだが、作中での時間の経過を考えると、よく、ほぼ3時間ちょっとで読了したなと、我ながら軽く驚いた。 前述のようにキャラの関係性で力づくなとこがあり、それゆえラストもなんか無理に「さあここで(中略)!」と言われてるみたいなところもなきにしもあらずなんだけれど、それでもまあね、こういう作品はこれでいいや、という気分。 久々に伴野長編作品を読んで、予期していたものの7~8割くらい……? は得られた感触はあるので、評点はこれくらいに。 作者のマイベスト作品、その上位に入るかはやや微妙だけど、伴野作品はクロージングの余韻で評価を稼ぐと思うので、そういう意味では期待に応えているし。 |
No.1186 | 5点 | 泣き声は聞こえない シーリア・フレムリン |
(2021/05/27 15:31登録) (ネタバレなし) その年の5月。15歳の女子ミランダ・フィールドは憧れの先輩トレバ-・マークスに処女を捧げて、そのまま妊娠した。意気軒昂としてそのままシングルマザーになるつもりでいたミランダだが、彼女は両親の手配で、半ば強引に堕胎させられる。学友たちに対して面子を潰されて怒ったミランダは家出し、訳ありの若者が集うコミューン「スクワット」の一員となるが……。 1980年の英国作品。 フレムリンの作品は『夜明け前の時』の元版(当時の創元の翻訳ミステリには珍しい、ハードカバー仕様だった)を大昔に古書で購入。そちらから読みたい気もしたが、例によって本が見つからない(汗・涙)。 こっち(『泣き声』)も21世紀の初めか前世紀の終わりに、200円の古本で買っていた。 現状、公私ともにちょっと忙しいので、短め&文字の級数も大きめ作品をというつもりで、深夜から読み始め、数時間で読了。 前半はやや屈折した平凡な少女の普通の青春小説みたいな流れで、これがどこでどうミステリに転調するのか、やはり……かな、と思っていたら、中盤で案の定の展開になる。 さらに終盤の(中略)もまた、大枠ではこちらの読みどおり。 だが一方で、その上で斜め上に(ナナメ下かも)ぶっとんでいて、軽く驚かされた。 とはいえこれって、いろんな意味でかなり強引では、という感じ。もしかしたら、こちらが何か伏線やら布石やらを見落としていたのかもしれないが。 わたしゃてっきり……(攻略)。 全体に作品の仕上げが荒っぽい印象もなくもないが、嫌いなタイプの作風ではない。ほかの邦訳分もいずれ機会を見ながら、手にしてみたい。 |
No.1185 | 6点 | 幻の島 笹沢左保 |
(2021/05/26 18:14登録) (ネタバレなし) 昭和39年。東京の遥か南方の孤島、瓜島。そこで島の若い恋人たちが惨殺されるという事件が起きた。さらに東京の本庁からベテラン刑事が捜査に向かうが、その刑事もまた射殺死体で見つかる。瓜島は交通事情がよくない島で、逆に言えば余人の目を盗んで島を出たり入ったりするのはかなり困難であった。3人を殺した真犯人はまだ島にいる? と考えた警視庁は、厳密な人選の上で神奈川県警の35歳の警部補・保瀬敏(ほせ びん)を秘密捜査官として瓜島に派遣するが。 1965年の書き下ろし長編。 広義の密室空間といえる孤島を舞台に起きた殺人事件だが、実際の物語の興味は、いったいどういう事件が起きて(ホワットダニット)、それがどういう動機で殺人に結びついたのが(ホワイダニット)が主眼となる。もちろん真犯人は終盤まで明かされないので、フーダニットともいえるが、まあちょっと純粋な犯人当てとは言い難い面も……(あまり詳しくは言えないが)。 古参刑事を出張先で殺されて、メンツがかかった警視庁の思惑で瓜島に派遣される秘密刑事・保瀬が本作の主役だが、彼は設定の面でも描写の面でもかなりクセのあるキャラクターとして造形されている。神奈川県警の上司などに「感情がない」と評されながら、一方で表向きは捜査や表層の人間関係を円滑にするために自分を演出できるしたたかさもある。 途中で島で出会った某登場人物に告げる酷薄な物言いなども含めて、まさに笹沢流のハードボイルド探偵(刑事)であり、この作品はミステリ要素にくわえて、そういったこわもてな感覚も賞味部分となっている。 資源もそうない、しかし歴史だけはある、貧しい島の将来を巡る開発の行方もまた本作のテーマで、保守派と革新派の対立などもしっかり語られるが、それがミステリのなかでどのように機能するかはとりあえずは内緒。まあうまく和えてある、とは思う。 惜しいのは終盤の謎解きが、ほとんど保瀬の仮説の組み立てと、それをあとから親切に補強するような犯人側の行動で済まされてしまうこと。なんか言いたいことだけ言って説明してしまうとする、主人公と作者双方の力技にはぐらかされたような気がする。 最後の2行は、本当はもうちょっとさらにキャラを立てたかった保瀬について、作者が食い下がった感じ。マジメというか不器用というか、個人的には、ちょっと微笑ましく思えた。 |
No.1184 | 8点 | 黄金の檻 カトリーヌ・アルレー |
(2021/05/24 05:31登録) (ネタバレなし) パリ。医学生崩れでナイトクラブのサックスフォン吹き、30歳の美青年リヨネル・モレルは、22歳の美しいアメリカ娘エヴァ・ダグラスから好意を寄せられ、恋人関係になる。実はエヴァは、アメリカの石油王で大統領候補者トマス・ルイス=メイランドの令嬢だった。リヨネルはエヴァを本気で愛する一方で、富豪の娘婿となる打算も抱きながら彼女と結婚。だが結婚直後の旅行中、ひと気のない海岸で、モーターボートの暴走に巻き込まれたエヴァは事故死。ボートを操縦していた若い娘が大やけどで重傷を負った。リヨネルは事故を起こした加害者の、そして大やけどで顔の見分けがつかなくなった女性を生きているエヴァに偽装し、アメリカの妻の実家に向かうが。 1961年のフランス作品。 不測の事態を経ての妻(ヒロイン)の入れ替わりという、ちょっとアイリッシュの『死者との結婚』を思わせる序章。リヨネルと大やけどを負った娘シュザーヌ・バランティエがアメリカに渡ってから、物語が本格的に動き出す。そこで、ある意味で本作のもう一人の主人公といえるキーパーソンが登場。 旧作だから、このドラマティックな趣向の設定だけに寄り掛かった作品だろう? とか軽く甘く見ていたら、お話は半ばから二転三転。コアとなる主要キャラクターはとんがった人物描写も、強烈な印象を与える。 後半~ラストのまとめ方も鮮やかなストーリーテリングと、作者の意地悪かつ冷めた、でもどこかしたたかでしぶとい人間観が渾然一体となり、実に味わい深い作品であった。 最後の主張は、ちょっと中二病っぽい感じもしないでもないが、それでも十二分に力強い。いや残酷だとか切ないとか言ってもいいけれど、これはアルレーが語り紡いだダークでビターな(中略)ロマン。堪能しました。 『わらの女』はフツーに秀作~優秀作と思う評者だけど、これはそれとは別の意味で、これまで読んだアルレーの中で一番スキかもしれない。 シムノン+クリスチアナ・ブランド(の意地悪部分)+ハイスミス÷3かなあ。 引用したい名セリフは4~5くらいあったよ。大体がその、前述したキーパーソンのものだけど。 |
No.1183 | 6点 | 凶悪 ビル・プロンジーニ |
(2021/05/22 16:53登録) (ネタバレなし) 1990年代半ばのサン・フランシスコ。60歳代を目前に控えた私立探偵の「わたし」は長年の恋人ケリーとついに結婚。仕事もまあ順調で、さすがに時代に合わせて、パソコンの扱いに長けた若い助手の雇用を考えていた。それと前後して、23歳の娘メアリー・アン・オルドリッチが、死別した両親が実は養父母だとわかったので、本当の親を探してほしいと依頼にきた。場合によっては、メアリー当人のことを考えて、あまりつらい情報は秘匿したいと思いながら「わたし」は調査を進めるが。 1995年のアメリカ作品。「名無しの探偵」オプ・シリーズの第23弾。 Wikipediaを見ると2011年までに40冊近い冊数を重ねた「名無しの探偵」オプ・シリーズだが、日本では中盤から翻訳刊行がそぞろになる。この作品『凶悪』は、初めて講談社から、当時10年ぶりにシリーズが翻訳された。 ちなみにこの前のシリーズの第18~22弾はまだ未訳。本書のあとに2つとばしてシリーズ第26弾の『幻影』がやはり講談社文庫から出ている。現状ではシリーズの紹介はそれで打ち止め。 本作も、謎解きの興味はほとんどない私立探偵の捜査小説。評者はもともとこのシリーズはミステリとしてはそんなに買ってないし、メンタル的な意味での「ハードボイルド」としては失笑ものなのだが、等身大の青臭い中年男オプのキャラにそれなりの魅力は感じるので、タマに読みたくなる。 というわけで、これは数か月前にブックオフの100円棚で購入した一冊。訳者の木村二郎さんの解説を読むと、もはやシリーズ紹介の順番もバラバラみたい。ということで、探偵の事件簿の流れも気にしないで気楽に読んだ。 物語の方向がどういう方向に行くかは、いろんな意味で早期からバレバレ。ただし小説としてはこのシリーズの70~80年代の諸作より、さすがに練度を高めた感じがあり、サクサク読める(まあもともとこのシリーズは翻訳家に恵まれたこともあり、よかれあしかれ、リーダビリティは高かったが)。 とはいえなんか手放しで褒められないのは、シンプルさに居直ったような作劇はスペンサーものを、人間の病巣めいたものへの接近はスカダーものを、それぞれ横目にそれを取り込んだような、当時の人気同時代作家たちの真似事で作品を仕上げたっぽい、作者の頼りなさを感じるからで。 さらに犯人というか悪役の文芸設定も、ある種のリアリティを感じるというか、それとも、いや、これってまずありえないだろ、と思うか、その紙一重。 終盤のテンションの高さはなかなかいいんだけれど、これもどっかで見たような読んだような、なんだよな。 単純に一冊の読み物ミステリとして賞味するなら、それなり。 もちろんこれまで評者が読んできたオプ・シリーズのなかでは、上位の方です。 |
No.1182 | 5点 | ハニーよ銃をとれ G・G・フィックリング |
(2021/05/20 06:26登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと28歳の女私立探偵ハニー・ウェストは、引退した映画監督で50代初めのロート・コリヤーの依頼を受けて、彼の屋敷があるカリフォルニアの沿岸シャーク・ビーチに来た。ロートの依頼の内容は、接吻で女性を窒息死させる殺人者が同地で凶行を重ねており、ロートの若い後妻ヘレナと娘のフォーンが狙われている予兆があるので護衛して欲しいというものだった。ハニーは、知人や友人を集めてパーティを開催しているコリヤー家に赴くが、彼女が着いて間もなく、意外な場所から死体が発見された。 1958年のアメリカ作品。ハニー・ウェストシリーズ第二弾で、邦訳では一冊目。 評者はこれでシリーズ3冊目(『貸します』『連続殺人』を以前に読了)だが、残念ながらコレは、その3作のなかで一番オチる。 簡単に言えば、意外性のために作者が用意した大技が ・丁寧な伏線の張りすぎで、見え見え ・この時代のミステリとしては確かに読者を驚かせるような ネタを仕込んであるのだが、悲しいかな、もうそれで 驚愕させるには、現代ではすでに賞味期限切れ ・似たような後続の諸作もかなり多そうで、 その意味でも新鮮味が薄い ……などなどで、ほとんど、サプライズとして機能しなくなってるからだ。 正直、本作の半分も行かないうちに、読者の大半が大ネタと犯人に気づくだろ、と観測する。 さらに本作については、もしかしたら、あの<本書と同時代の、欧米の某・有名作品>のアイデアのパクリか? とも疑った(だって……)。 が、再確認してみると実は意外にも、本作『ハニーよ銃をとれ』の方が、くだんの「該当作」よりも原書の刊行が早かった。 いや、となるとコレは、のちのちに、あまた出てくる<その手の作品>の先駆といえる作品? かもしれない。そうなると、ちょっと評価は上がるかな。前述のとおり、伏線の類は豊富で丁寧ではあるし。リアルタイムでは、けっこう読者を驚かせたりした一冊だったかもしれない。 ただまあ、そういう歴史的価値の意義がある可能性は認めるにしろ、今となっては「とにかくわかっちゃう」のが、惜しいかな悔しいかな、本作の弱点。 一方で見え見えなのを承知で読んでいる間は、それなりに見せ場も起伏も多いサービスぶりで、そこそこは楽しめたりもする。 メンタル的にハニーが、自分から何かの事情でこの事件に深入りしている訳でもなく、その意味ではあんまり「ハードボイルド」らしからぬハニーの事件簿、そのひとつという感じの内容。 ただしハニーは、探偵として自分の力が及ばなかったとある状況について、ちゃんと依頼人のロートに謝罪している。その辺はプライベート・アイのプロの矜持として評価できるし、好感を抱くけどね。 とにかくハニーシリーズはこれまで読んだ3冊とも、21世紀にそのまま楽しめるかどうかは一律には言えないにせよ、ミステリ的なサプライズと伏線などには相応の重きを置いているので、中にはこういう結果的に古くなってしまったものもある、まあそれは仕方ないよね、という感じ。 シリーズの残りも、おいおい、このまま読んでいきましょう。 【投稿日同日14時・追記】 上でこのミステリのネタの先駆? と書いているが、すでに1950年代前半に、本作と同じアイデアを用いたアメリカの長編があるのを思い出した。そちらとは演出も見せ方も違うので、本作そのものがパクリというわけでは決してないが、少なくとも斬新な発想のネタではない。 そしてさらに視野を広げるなら、この2冊のさらに先駆で、先に登場していたバリエーションともいえる長編も「ホームズのライバル」時代のイギリス作品にあった。 そういう意味では本作品は、騒ぐほどのことでもなかった。 まあ本書は他の作品との比較などせず、これ一冊の評価で、あれこれものを言った方がいいかも? |
No.1181 | 5点 | 月蝕姫のキス 芦辺拓 |
(2021/05/19 05:19登録) (ネタバレなし) 探偵エラリー・クイーンを尊敬して、突き詰めた論理思考を得意とする「ぼく」こと、高校二年生の暮林一樹。彼は通学の最中に、不可思議な状況の殺人事件に遭遇した。やがて成り行きから事件に深入りし、さらなる惨劇にも立ち会う一樹。そんな彼の視界には、不審を抱く対象として、とある人物の存在が浮かび上がってきた。 序盤の屋外での殺人事件はぱっと見には平凡なれど、ちょっと状況を整理してゆくと不可思議な謎が浮かび上がる、という趣向。 これって都筑道夫がホックの短編パズラーを(本書と同じような謎の提示の仕方をしているという意味で)「モダーン・ディテクティブ」だと、ホメていたのを思い出した。 そんな序盤がなかなか蠱惑的だったので、これはジュブナイルなれど、ちょっとトリッキィな&小気味よくロジカルなパズラーを賞味させてくれるのかと期待した。が、残念ながら、途中からおとぎ話っぽい探偵ロマン劇の方向にいってしまった。 ただまあ、それはそれでまったく悪いというものでもなく、たとえば評者が大昔の少年時代に、晶文社版のハードカバーで小林信彦の『オヨヨ島の冒険』を読んだ際のワクワク感を21世紀のヤングアダルト作品に再生させるなら、こうなるだろうな、という感じ。ああ、そういえば朝日ソノラマのサンヤングとかあっちの系列の作品みたいな、昭和レトロ感も漂う。 もしかしたら芦辺センセの<ミステリジャンルへのオマージュもの>のなかでは、結構上位クラスにスキかもしれない。 おっさんがマジメに読むのはちょっと恥ずかしいところもあるが、親戚の小学校高学年くらいの、ふだんはあまり活字を読まず、しかしミステリに関心を持ちそうな雰囲気がある子供に勧めてみたいような一冊だ。、 ちなみにいかにも続編が書かれそうな内容だけれど、この作品はいまだ文庫にもならず、13年間、続きも書かれていないよね? まあ永遠のプロローグ編のままにしておくのも意味はあるとも思うけれど、主人公たちをもう一度、再会させてあげたい思いも湧かないでもない。 |
No.1180 | 5点 | 殺人鬼を追え 黒い追跡 ウェイド・ミラー |
(2021/05/18 15:42登録) (ネタバレなし) 1958年のナイロビ。凄腕のプロハンターで狩猟ガイドでもある中年の白人ジェイコブ・ファーロウは、下手なガイド客に便宜をはかって禁猟地域で狩猟をさせたため、年内いっぱい狩猟免許停止中の身だった。そこに年上の友人かつ狩猟仲間で、ファーロウの長年の顧客でもある大物実業家ウォルター・ステニスの使いが来訪。使者の要請に応じてファーロウはステニスの自宅があるオルバニーに向かう。だがそこでファーロウを待っていたのは、30代の跡取り息子スティ-ヴンを2週間前に武装強盗に殺害されて悲嘆にくれるステニスだった。ステニスはファーロウに、アメリカ各地を逃走中の青年ギャングで息子の仇であるマックレル(クレル)・ボコックを、自分のかわりにハンターとして射殺してほしいと依頼する。ファーロウは自分の流儀でやっていいならと、この依頼に応じるが。 1951年のアメリカ作品。 日本ではホイット・マスタスン名義の方が若干有名? な合作作家ウェイド・ミラー、そのミラー名義の長編の数少ない翻訳のひとつ。たしかこの本は、大昔にSRの会の例会での会員同士のオークションの場で安く入手した。数十年めに、はじめて中身を読む。 それで現在から数えて十数年前にその事実が初めて公表されたと思うが、実は本書は、訳者の三条美穗こと片岡義男が終盤部分のストーリーを翻訳の際に大きく改変、当人がこの方が原作より面白いと思った内容に、事実上の創作をしているらしい。 情報の出典に関しては、Twitterで「ミラー 殺人鬼を追え」とか検索すると、2010代の前半に「ミステリマガジン」や「ミステリーズ」などで話題になったのが分かる。ミステリーズの66号で評論家の川出正樹が本書をラインナップに入れた久保書店のQTブックスについて書き、この件について語っているようだ(評者はその号は買ったような気もするが、すぐに出てこない)。詳しいことはまたいずれ。詳細をご存じの方、教えてください。 評者などは、特に原作原理主義を謳わなくても、翻訳者(と編集者)が原書の内容を担当者の意向(独断)で改変するのはもちろん大反対で、ほとんど活字文化、広義の文学ジャンルの毀損ではないか! ぐらいにまで考えている(原書の内容を尊重した上での、日本語的な演出を適宜に織り込んだ翻訳なら了解するが)。 だから本書の秘めた逸話を21世紀になってから最初に知った時には、軽いショックであった。せっかくの数少ないミラー作品の翻訳のひとつなのに何をするのか、と。 (いやまあ、デュマの「あの名言」ぐらいは知ってますけどね。) とはいえ現状では、終盤(後半?)のどっからラストまでが片岡義男の創作翻訳かわからないので、黙って日本語の訳書を通読するしかなかったわけだが……むむむ、クヤシイかな、とにもかくにも出来上がったものは、なかなか面白い(苦笑)。 そもそもの前半からのストーリー(さすがにここは原作通りだろう?)は、自分のハンティングの流儀でファーロウが標的クレルとその一味を追撃。そのための準備段階として、獲物の野生動物の習性を探るように、ギャングたちの情報を集めてアメリカの各地を飛び回る彼の姿が描かれる。そのなかでクレルの家族(若い美人妻マーガレットふくむ)や、クレルが強奪した金品の横取りもしくはそこからの利益を狙う別の悪党などとファーロウが出会い、スリリングな展開が続いていく。 25歳の極道息子クレルがしでかした凶悪犯罪などどこ吹く風の態度をとる地方の名士ボコック家の奥方(クレルの老母)の描写など、どこかロス・マク風だ。 そういう訳でこれは原作の原書そのままラストまで訳しても普通以上に楽しめたのではないかなあ、という思いも湧くが、一方でとにもかくにも日本語の「翻訳」ミステリ『殺人鬼を追え』は、これはこれでマンハントもののスリラーノベルとしても、ハードボイルド作品としてもちゃんとポイントを押さえて着地している感慨を抱かされたので、ある意味で始末が悪い。 まさに夢想でムシのいい話だとは我ながら思うが、どなたか翻訳ができてこの手のハードボイルド、ノワールっぽい活劇スリラーに興味のある方、ブログか同人誌などで、その改変された部分だけオリジナルのままに日本語にしていただけませんかね(やっぱり、かなりズーズーしいが)。 評点は素直に読めば十分に7点。ただしやっぱりコレはやってはいけない実例だと思うので、マイナス2点。 【追記】 本サイトに掲示後に改めて気がついたが、やはり、いきなり前半から、翻訳の潤色がいっぱい? くさい。1951年の作品なのに、時代設定が1958年というのも違和感があるし。 (主人公が1938年のできごとを、ちょうど20年前、とその年の8月に回想してるので、1958年という設定はほぼ確実)。 やはり全体的に多かれ少なかれ、リライトしているのかしらね? |
No.1179 | 7点 | 時間島 椙本孝思 |
(2021/05/17 15:24登録) (ネタバレなし) その年の8月3日。深夜枠の低予算番組『オススメ! 廃墟探訪!』のロケ撮影のため、出演者とスタッフ総勢9人は「浦島太郎」風の逸話が残る無人の島「矢郷島」に到着した。だがそこで大学生でバイトADの佐倉準は、自分の携帯に奇妙な動画メールを受け取る。それは「5年後の未来」に存在すると称する全身包帯の怪人からだった。正体を語らない怪人は、自分は5年前の9人のロケ隊の一人だったが当時の記憶が欠損、しかしその島で(佐倉視点で)今から8人の人間が殺されるはずだ、と語る。怪人の請願は、佐倉自身がその殺人者かもしれない可能性を承知で、惨劇を食い止めてほしいというものだった。やがて未来からの通信ということを実証するように、怪人の予言通りに地震が発生。そして犠牲者が次々と生じてゆく。 文庫版で読了。特殊設定のもとに展開する『そして誰もいなくなった』パターンのクローズド・サークルもので、フーダニット。文庫版の裏表紙には「異色ホラーミステリー」と謳われている。 2時間ほどで読めてリーダビリティ的には最高の作品で、登場人物も頭数の少ない分、明確に書きわけられている。 安い予算で番組を作る制作側の事情、いつ発注を切られるかおびえる外注スタッフの苦労、それなりに人気俳優になったため出演料のランクがあがってかえって仕事がとりにくくなったベテラン俳優などといった、生々しいTV業界のネタもいっぱい。 特殊設定部分の叙述にはやや大ざっぱなところを感じたし、何より真犯人の思惑については、いろいろ乱暴だなあとかツッコミたくもなるが、それでもこの作品は最後に明かされる真相の意外性がなかなか。作者の着想を得点的に評価するなら、結構なものだとは思う(部分的に察しがつく人は少なくないと思うが、たぶん細部まで見通すのは難しい?)。評者などは、特に劇中のとある人物の行動は、ミスディレクションにまんま引っかかった。 最後に語られる動機に関しては、かなり(中略)という思いも湧くが、こういう作品ならアリというか、むしろこういうものでないとこの物語を支えられないだろう。 コミカライズもされてるようなので、機会があったら覗いてみようかとも思う。 |
No.1178 | 5点 | 夕焼けの少年 加納一朗 |
(2021/05/15 06:01登録) (ネタバレなし) 1975年。東京の西南。中学1年生の賀屋登志子は、隣に越してきたフランス帰りという同世代の少年、寺山亘(わたる)と友人になる。そのまま登志子の同級生にもなった亘だが、実は彼と彼の両親には大きな秘密があった。そんななか、登志子たちの同級生で母子家庭の不良少年、小野崎次郎が亘にからんでくるが。 1975年に初版が刊行された、ソノラマ文庫版で読了。 最初の元版は同じ朝日ソノラマの叢書「サンヤング」シリーズの一冊で、webでデータを調べるとそちらは1969年7月の初版。「サンヤング」版ではたぶん物語の時勢の設定も、そちらのリアルタイムの1969年だったと思われるが、本の現物を持ってないので正確なことは未確認。 内容は昭和のジュブナイルらしくシンプルなものだし、寺山一家の正体もここで明かしてもいいような気もするが、一応はネタバレ回避でナイショにしておく。まあ要は活字で読む「少年ドラマシリーズ」(懐かしの)です。 特殊な設定ゆえに非日常的な能力を秘める亘だが、中盤からストーリーの実質的なメインキャラは、最初は不良だが、やがて心を入れ替えてゆく小野崎次郎の方に移行。彼が結構、長いスパンでのピンチに見舞われたのち、亘とヒロインの登志子が……という大筋になっている。 くだんの次郎少年の苦闘の連続部分はいかにも昭和の読み物だが、この時代らしい奇妙なパワフルさがあって、なかなかテンションが高い。なんか脚本家の名前で視聴率を稼げた時代の、話題のテレビドラマみたいな味わいだ。 かたや寺山一家の持つ特殊な力には、一定の法則性が設定されており、一見、万能そうに見える機動力にもそれなりの制限がかかる。このあたりは、良い意味で定石を踏まえている感じ。 ただし終盤の勧善懲悪のくだりでは、結構ドラスティックな裁きを悪人に下していて、きわどい方向にも筆を切り替えられる作者の黒さがにじんでいるような。いや、そういう意味では、いま読んでもなかなかショッキングであった。 お話のクロージングも結末そのものはきわめて王道なんだけど、妙に余韻を感じさせるのは良い。 ジュブナイルだから一時間ちょっとで読める一冊で、オトナになっている今だからこそ冷えた頭でアレコレ思いながらモノを言うけれど、もしも69~75年のリアルタイムに子供の目線で読んでいたら、けっこう思い入れていたかもしれない、そんな気配もある。 disる意図は皆無、シンプルかつ正統派の昭和ジュブナイルをホメる意味で、この評点。 |
No.1177 | 5点 | 猫女 泡坂妻夫 |
(2021/05/13 07:11登録) (ネタバレなし) 海外にまで市場を広げる西洋磁器会社「音澄陶磁」。だがその会社の栄華は、過日の陶工・自勝院如虎(じしょういんゆきとら)男爵が復活させた平安時代からの技術「作良焼」に基づく実績を、現在87歳の会長・音澄甲六がぶんどる形で築いたものだった。そんな音澄家に対して、如虎の孫である老女・奈江は猫を使役しての呪詛をかけるが、やがて音澄家の周辺には惨劇が続発して……? 元版のフタバノベルズで読了。3時間かけずに読み終えられる長さで内容だが、途中で、とある海外の長編ミステリが頭をよぎり(たぶんkanamoriさんがモチーフの原典だといっているのと同じ作品だと思う?)、結局は……。 かなり強引に、大ネタの着地点だけ最初から決めて書いた感じで、ミステリとしてはあまりホメられた完成度ではない(伏線をいくつも張ろうと、苦労のあとは感じるが)。 陶芸についての専門的な描写は、読み応えがあった。脇役の登場人物の一部のおかしなキャラづけ(主人公の同僚で友人である真野の離婚の経緯など)は、なんか泡坂妻夫作品っぽい。 まあ読んでる間はそこそこ楽しめた。 |
No.1176 | 5点 | 黒い時刻表 鉄道公安官・海堂次郎 島田一男 |
(2021/05/12 17:26登録) (ネタバレなし) 東京駅を本拠とする国鉄の鉄道公安官、海堂次郎を主人公にした全6話の連作中編集。本来は鉄道管内、および車輌内でしか捜査権限はないのだが、事件の枠が在野に広がっていくので、そこら辺は馴染みの刑事や土地の私鉄などとも連携して調査を進める。 1980年刊行の春陽文庫版が家の中から出てきた(買った覚えはないのだが、たぶん亡き父の蔵書?)ので、たまにはこういうものもいいかな、と思って手に取ったが、全体的に凡庸な事件ものという感じで、う~ん。改めて、似たようなものを書いてもちゃんと読ませる、生島治郎あたりの上手さを思い知った。 いやキャラクターそのものは主人公もお色気担当の各編のメインゲストヒロインたちも悪くはないし、昭和の風俗描写や地方ローカルの点描なども、これはこれで味はあるのだが、それらがまとまって実にならない話が続くというか。中では、お嬢様学校の女子高校生の裏の顔が実はズベ公で……という『新婚特急の死神』、スリの婆ちゃんがスった財布の中にあった遺書から、事件の裾野が広がっていく『牝豹の軌道』がちょっと面白かったか。 しかし「(この時代の)日本のエロ映画の半分以上が徳島県で撮影」されていた(『蠢く遺言』)というのはホントだろうか。 |
No.1175 | 6点 | シスコの女豹 ジェラール・ド・ヴィリエ |
(2021/05/12 02:14登録) (ネタバレなし) 1960年代半ば。アメリカの西海岸エリアで、それまでは保守派で愛国者の一般市民がなぜか突然、中共のコミュニスト支持者に転向するという事態が続発する。CIAは現状の裏に市民の洗脳を促す「疫病」を蔓延させる何者かの意志を察知し、サンフランシスコのチャイナタウンに住む65歳のジャック・リンクスが情報を得たらしいと知る。だがリンクスは情報を暗号として秘めたまま変死した。CIAは外注エージェントの「プリンス」マルコ・リンゲに調査を求めるが。 1966年のフランス作品。SAS「プリンス」マルコ、シリーズの第五弾。 一般市民を巻き込む残酷描写は苛烈だわ、猫はひどい目にあうわ、で、正直、あんまりいい点はやりたくないのだが、うー、くやしいかな、通俗スパイアクションスリラーとして予想以上に面白かった(笑・汗)。 そもそも本シリーズの日本への翻訳紹介が始まったのが1970年代の後半からなので、なんとなくこのSASシリーズは、60年代の007人気に牽引されたスパイスリラーブームからは遅れて出てきた次の世代ヒーローのような印象があった。 が、実はシリーズ開幕はフレミングが逝去した翌年の65年からで、そんなに離れているわけではない。 改めてそういうタイムテーブルを意識しながらまだシリーズ初期の本書などを読むと、エロティシズムやサディズムなどの描写もどっか本家? 007を模倣しているような悪くいえば生硬さ、よく言えば一種の骨太さをかんじないでもない。これがシリーズが15冊目を超えたあたりの70年代に入ると、もうちょっとルーティーンの毎回の事件簿っぽくなってゆく感触もあるような。 (まあ厳密に言い切るには、改めてのまともなシリーズの読み込みが必須だが。) タイトルロールの美女悪役のキャラクター設計や、中盤でのマルコがとあるシチュエーションのなかで敵の遠距離狙撃に見舞われるシーンのテンションなど、それぞれなかなか鮮烈だ。 それと謎の「疫病」の正体は21世紀の今ではありふれたもので、もちろんここでは書かないが、現在では科学的・医学的に疑義ももたれているもの。 とはいえ多くのフィクションで物語のネタとして使われてきたある種の技術であり、Wikipediaなどにも独立記事として存在している。そしてそのWikipediaの記事の最後に、くだんの技術を使ったフィクションとして複数の作品が羅列されているが、この作品『シスコの女豹』はそれらのどれよりも早い。つまり多岐にわたるメディアのなかで、かなり早めにそのネタの導入において先鞭をつけた作品のひとつといえそうである。正直、評者自身も軽く驚いた。当時の読者には、相応に革新的でショッキングなアイデアだったであろう。 第一作や先日読んだ『白夜の魔女』にも登場したCIAの正規エージェントで、マルコとよく組むミルトン・ブラベックとクリス・ジョーンズのコンビが大活躍。特に外道な悪役の非道ぶりについ激昂して、我を忘れてしまうジョーンズの人間くさいプロらしからぬ描写なんかいい。 改めて意外に楽しめるな、このシリーズ。 |
No.1174 | 6点 | 砂の碑銘 森村誠一 |
(2021/05/09 15:20登録) (ネタバレなし) 若手OLの貴浦志鶴子は両親の愛情を実感しながらも、幼いころのおぼろげな記憶から、もしや自分は養女では? との疑念をひそかに抱き続けていた。そんな志鶴子はある朝、満員電車のなかで女スリが男性の懐中に手を伸ばす現場を目撃。男性に犯行を気づかれた女スリは痴漢の被害者を装うが、男性は志鶴子の証言で潔白が認められた。男性=露木捨吉は志鶴子にお礼を言うが、その口調のなかの方言は、志鶴子の秘めた記憶に結びつくものだった。露木から改めて情報を得ようとする志鶴子だが、そんな矢先、彼が何者かに殺害される。 角川文庫版で読了。 本作はやや短めの長編で、元版の実業之日本社版の時点から、中編『殺意の航跡』が併録されている。 (のちに角川文庫、飛天文庫、廣済堂文庫、青樹社文庫、集英社文庫と5つの版元から刊行されるが、廣済堂文庫と青樹社文庫は『殺意の航跡』を収録しないで『砂の碑銘』単品のみ。) 新宿署警察の刑事コンビが、捜査に介入したい志鶴子の希望に非公式に融通を利かせたり、遠方の地に赴いての突発的な事件の発生など、いくつか大小の局面において作劇の強引さは感じる。 とはいえフィクションだからいいんじゃない、の一言でギリギリ片付けられる範疇……かもしれない? ジェットコースターのような展開で、最後のまとめ方を含めて、ああやっぱりモリムラ作品だなあ、という印象。好き嫌いをあとから言うのなら当初から手に取らなければいいのだし、少なくとも作者的には、最後までやりきった作品ではあろう。 (まあその上で、強引な力技を随所にやっぱり感じるんだけどね。) 今回いっしょに読んだ『殺意の航跡』は一種の倒叙ものだが、途中でいきなり物語の視点が変わってお話に弾みをつける辺りは、やはりちょっとうまい。日本版ヒッチコックマガジンに掲載されていた、やや長めのオチがある(スレッサー風の)作品という食感で、推理小説要素は薄いが、ミステリとしてはそれなりに面白いかも。 『砂の碑銘』と『殺意の航跡』ともにある主題が似通うようで、元版の時点からその共通項ゆえにいっしょにまとめられたんだろうね。 |
No.1173 | 6点 | ウォルドー レイン・カウフマン |
(2021/05/08 14:55登録) (ネタバレなし) ニューヨークから少し離れた避暑地セント・オールバンズ。当地の富豪の女性リズ・エリオットが開催した上流階級の人々が集うパーティで、女好きと噂される中年の写真家フィリップ・ウェアリングが何者かに殺害される。二代目社長で28歳のトム・モーリイは、2つ年上の美人妻ヘイゼルとともに宴に参加していたが、トムとなじみの初老の警察官ジェンセンは状況を絞り込んだ末にヘイゼルを殺人の容疑者として逮捕。そしてヘイゼルはその嫌疑を認める一方、何も事情を語らなかった。だがリズの兄である71歳の元弁護士で犯罪研究家の「ウォルドー」ことオズワルド・エリオットは、自分の人間観からヘイゼルの無罪を確信。リズの娘アイリス・シェフィールドを助手格に事件の洗い直しにかかる。 1960年のアメリカ作品。 処女長編『完全主義者』でMWA新人賞を取った作者カウフマンの第4長編。ただし作者はミステリ専門作家ではないので、ミステリとしてはこれが2冊目になる。 バウチャーに同年度の収穫のひとつとして賞賛された作品で、あらすじの通りに普通のフーダニットパズラーっぽい長編だが、作者の狙いはちょっと斜めの方向。 眼目は当時の上流階級の社交場に集った人間模様の活写と、そしてさる事情からアマチュア探偵として積極的になる老主人公ウォルドーの行動の軌跡を介して、謎解き作品の様式やミステリ全般の「あるある」的なお約束を風刺すること。 さらにヘイゼルの冤罪? を晴らしたい一方で、嫌疑を認めた妻の心情が理解できないトム、そんな夫婦の距離感や、ほかの多数の登場人物の素描を通じて、男女間のセックスや情痴の主題にも踏み込んでいく。 (ただし濡れ場などの扇情的なシーンは皆無で、全体的にドライでカラッとした仕上げ。) そういうわけなので、早川書房の「ハヤカワ・ミステリ総解説目録 1953年―1998年」でもジャンル分類は「本格」ではなく「異色」である。うん、さもありなん。 それでも「結局、本当の犯人は誰か」という興味は終盤までひっぱるし、小説としてのまとめかたも作者の思惑におさまった感慨は存分にある(ウォルドーがもうちょっと、警察の捜査陣と積極的に関わってもいいのでは? とも思ったが)。 とはいえ60年以上前の作品なので、ミステリジャンル、謎解き作品へのサタイアやエスプリの部分は、今読んでもそのままクスリと笑えるところもあれば、どっか、あちこちで見てきたようなツッコミの類などもあったりする。この辺は仕方がない。 評者としてはそれなりに楽しめた箇所が、「ああ、ここでニヤリとさせようとしているんだな」と冷えた頭で感じる箇所をやや上回ったというところ。 猥雑な物語や人間関係の説明を、全体的に乾いたハイセンスな叙述で語ってゆく小説の作りはけっこう好み。 その意味で最後のミステリ小説としてのオチもきまっている。 評点は7点に近いこの点数で。 |
No.1172 | 7点 | 館島 東川篤哉 |
(2021/05/06 15:40登録) (ネタバレなし・ただし他の方のレビューを参照するときは注意) 新本格「館もの」の典型のような作品。 楽しかった感慨と同時に、読み終えた時点でこの手のものにいささか食傷している自分に気づいた。いやきっと、まだまだ未読のこの系譜の作品はあるのだろうが。 ちょっぴり社会派の風味が匂う過去の時代設定を謎解きの要素に活かし、最後の真相で細部をツメていくあたりは得点的に評価。 ただし先行レビューでmediocrityさんや名探偵ジャパンさんがおっしゃっている疑問はまったく同感。でもまあ、その辺は見て見ぬふりをしてもギリギリ、いい……のかな? 主人公の探偵コンビ(トリオ?)はシリーズ化してもいいんじゃないかと思ったが、過去設定に意味をもたせるのがシンドイのだろうか。その意味ではこの作品はよくできてるし、同じかあるいは近いレベルのものを書けないなら、あえてシリーズ化したくないというのなら、作者の心情はなんとなく察せられる。こっちの勝手な思い込みに一分の理でもあるというのなら、送り手にとっても大事にされて愛されている作品なんでしょう。 |
No.1171 | 7点 | 天狗の面 土屋隆夫 |
(2021/05/05 21:27登録) (ネタバレなし) 数年前からそろそろ読みたいと思っていたが、蔵書の「別冊幻影城」版が見つからない。そこで2002年の光文社文庫版の美本の古書を半年ほど前に100円で買って、このたび読んだ。 ごく正統派のフーダニットパズラーでありながら、戦後の民主化と怪しい宗教への依存、その双方の狭間で狂奔する寒村という当時ならではの主題がくっきりしているのが印象深い。 もともとは、創作長編の新人賞(のようなもの)に切り替わった乱歩賞、その最初期の応募作品だったようだが、となるとこの長編は、はからずも、この後に続く乱歩賞受賞作諸作の<パズラー+何か特化した主題>という方向性に先鞭をつけていたことになる。 終盤の謎解きは感心する箇所が多い反面、いくつかのポイントでかなり強引で荒っぽい。しかしそれもまた、この作品の味だろう(無理筋ぎりぎりの部分で、ちょっと、のちの新本格的なティストも感じた)。 真犯人がトリックを成立させるために行ったとある作業(行為)、そのビジュアルイメージもかなり鮮烈で、そこらへんもかなり好み。自分はこの手のシチュエーションに心のツボを押されるようだ。 後年の土屋作品群に連なっていく人間観、女性観などの萌芽がこの時点から透けているのにも気づいた。決して作者の代表作にはなりえないだろうけれど、ファンならやっぱり読んでおいたほうがいい一編。評点は0.5点オマケ。 |
No.1170 | 8点 | 三人のこびと フレドリック・ブラウン |
(2021/05/04 04:25登録) (ネタバレなし) 一年前に実父ウォリイと死別した「わたし」こと19歳のエド(エドワード)・ハンター。エドは芸人の伯父アム(アンブローズ)とともに、巡業サーカス「J・C・ホバート・カーニバル」一座の旅に加わっていた。だがその年の8月半ば、サーカスの周辺で素性不明の小人が殺害される事件が起きた。ついで今度は団員が飼っていたチンパンジーが、そして7歳の黒人の児童ダンサーが殺される。<三名の被害者>はみな、広義の「こびと」といえる存在で、さらにエドは殺害されたチンパンジーの幽霊まで目撃した。エドとアムのコンビは、懇意になったアーミン・ワイス警部とともに、事件の謎に迫るが。 1948年のアメリカ作品。エド・ハンターシリーズの第二弾。 大昔に読んでいたはずだが、事件の真相も犯人もほとんど失念。しかし終盤のあるポイントで、やっぱり読んでいた! と思い出す(汗)。 サーカスの団員仲間で、エドと同世代の美少女が2人登場。その双方と三角関係になるエドくんの青春ドラマの行方が、サブストーリーとしてなかなか読ませるが、やはり最大の興味は<三人のこびと>がなぜ次々と殺されたかという<ミッシング・リンクの謎>。この魅力的な謎の提示と、真相の開示はなかなかイケる。 実は伏線は結構目立つように張られており、こちらも当該の箇所はちゃんと一度はメモしていたのだが、そのあとの筋立てが起伏に富んで楽しいので、いつのまにか念頭から薄れていた(ああ、情けない)。 しかし解決で事件のパズルのピースが綺麗に収まっていく流れはすこぶる快感で、特に第三の事件の意外な経緯はハタと膝を打つ。 ところでこの数年、ブラウンのミステリ諸作を何冊も読んで、この作家が地方巡業サーカス興業に独特の思い入れを抱いているのはよくわかっていたつもり。 それだけに本作はそういう系譜の作品群の真骨頂だろうと予期していたが、いざ実物に触れなおすと、サーカスそのものの熱狂に関しては意外にあっさりな感じであった(もちろんそれなりには描写されているが)。 同じブラウンのサーカスものなら、前に読んだ『現金を捜せ!』の方が、ずっと作家のサーカスに抱くくすぶった情念を、実感させる。 それでもとにもかくにもミステリとして秀作で、青春探偵エド・ハンターシリーズの重要な過渡期編であることは間違いない! エドに対し、君は探偵に向いていると背中を押してくれたワイス警部もいい人だ(マイ・脳内イメージは、手塚マンガの下田警部みたいなキャラだね)。 【以下:余談ですが】 最後に、実にワタクシ事ながら<本サイトに、まだ登録&レビューがない作品ばかり、しばらく続けて読んで、投稿してやろう>と、実は数か月前から考えて実行しておりまして、本書でめでたく、ひとくぎりの100冊目とあいなった。ジャンジャン。 だからどうした、というお話(笑・汗)ですが、その記念に大好きな本シリーズの、そしてもう一度読み返してみたいこの作品をセレクトしたというワケで。 また明日からもイージーゴーイングにミステリ(&SF、ホラー、ファンタジーそのほか)を読み続けますので、みなさま、どうぞよろしくお願いします。 |