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ミステリの祭典

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太陽と砂

作家 西村京太郎
出版日1986年01月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2021/09/16 15:27登録)
(ネタバレなし)
 21世紀を直前に控えた時代の日本。26歳の才能ある技師・沢木哲也は、アフリカの砂漠に大規模な太陽発電所を建造する国連のプロジェクトに参加した。沢木は、恋人の女子大生・井崎加代子と大学時代からの友人で若手能楽師の前島世良(セーラ)に送り出される。高名な能楽師・前島徳太郎(観世新栄)の息子で、亡き母ヴェラがアメリカ人だった出自の前島は21世紀が迫る時代にあって能のありようを模索して苦悩。一方で沢木は前島には友情の絆を感じながら能はもはや衰退する文化だと諦観していた。やがて3人の若者は、20世紀の最後の日々のなか、おのおのの現実に向かい合う。

 1967年作品。西村京太郎の第四長編で、当時の総理府が主催した懸賞企画「二十一世紀の日本」の作品募集(創作の部)で総理大臣賞(最優秀賞)を受賞した作品。
 すでに『四つの終止符』『天使の傷痕』などごく初期の秀作ミステリを刊行していた作者だが、懸賞の趣旨は21世紀の日本を展望した内容の小説ということだったようで、特にミステリ要素を意識しないまったくの普通小説(当時の時点での近未来設定)ではある。
 ただしこのあとさらに加速的にミステリ界で大成してゆく西村の作家性はすでに随所に感じられ、その意味では西村ファンや作者の名前を意識して諸作に接するミステリ好きの読者にも、やはり重要な作品といえるだろう。
 評者は今回、昭和46年8月に刊行の春陽文庫の初版で読了。この版は現状のAmazonの登録にない。

 アフリカに渡り大自然の脅威と葛藤、その一方で母国の文化を鑑みる沢木の描写は悪い意味で余裕がありすぎる気もしないでもないが、読んでいる間はこれがそんなに気にならない。加代子が外地で読んでくださいと託した松尾芭蕉の俳句集も小道具として効果を上げている。現地で沢木が接する技師仲間たちの言動を介して語られる、諸国と日本文化の比較も意味がある。
 とはいえ本当に切実なのは、日本人の能楽への関心が薄れて観客が外人(外国人)ばかり、しかも表層の物珍しさでしか接していないことに危機感を覚えるもう一人の主人公・前島の方で、彼の見せる苦闘と逆境からの反転のドラマはかなり読み手の心を捉える。本作の軸のドラマは前島の方に比重がある。
 そして沢木の恋人ながら、日本で彼氏の友人として縁ができた前島に接するうちに、次第に彼にも惹かれていき、そんな心の分断に純粋に苦悩する加代子の描写はやや図式的だが、のちのちの諸作のなかで広がりを見せていく西村の女性観の原石のひとつをうかがうようで興味深い。

 沢木と前島の学友で今は新聞紙の学芸記者のレズ女性・市橋雅子や、日本の文化を相対化しながら見やる役割で登場するサブヒロインたちなどの脇役の使い方もうまく、(昭和風俗的な意味もこめて)すらすら読めるが、後半で予想を外れた展開が生じる。そこでその現実に対するある主要人物の内面の叙述は、いささかショッキングだ(というか、ある種のハードボイルドといっていい)。さらにそれをまた相対化し、緩和するアフリカ現地の無名の警部がいい味の芝居を見せている。

 ラストは非常に絵になる感じで、しかもこれ以上なく余韻のある終わり方を見せる。良い意味で、よくまとめた、という感慨が湧き上がる。
 一部の登場人物のものの考え方が20世紀とか昭和的というのではなく(いや、そういう面もやはりあるかもしれないが)、あまりに古風なところもあり、それに21世紀の今接すると摩擦感を覚えないでもない。だがそれはそういう選択肢を取った当該の人物の心の決着でもあろう。
 いずれにしろ、のちの量産作家という印象を改めて初期化させる、創作者としての黎明期の力作ではある。

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