人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.35点 | 書評数:2257件 |
No.1477 | 6点 | 陽だまりに至る病 天祢涼 |
(2022/04/25 15:22登録) (ネタバレなし) コロナ禍で各方面に影響が出る現代。登戸北小学校の五年生の女子・上坂咲陽(さよ)は、レストラン経営の父、小児科の看護師の母の双方の仕事がコロナのために鈍化しているのを察し、家計に不安を抱く。そんななか、咲陽は、同じクラス内ではみ出し者の女子で、隣のアパートの住人でもある「ノラヨコ」こと野原小夜子を、とある事情から秘密裏に自室に匿うようになった。コロナの罹病を警戒する両親の目を盗んで、小夜子が潜む自室に食事を運び続ける咲陽。だがやがて小夜子の父、虎生が若い女性殺人の嫌疑で、警察に追われているらしいことが分かってくる。 神奈川県警の真壁巧警部補と、多摩署生活安全課の婦警・仲田蛍という所属の異なる警官同士が、所轄の域を超えて(その時その時の流れから)連携しあう「仲田・真壁シリーズ」の第三弾。 評者はシリーズ前作の『あの子の殺人計画』は未読なので、シリーズ第一弾『希望が死んだ夜に』以来の、仲田&真壁コンビとの再会になる。 とはいえ、本作の実質的な主人公はまず第一に小五の児童・咲陽で、それと対峙されるポジションのもうひとりのメインキャラが小夜子。 『希望が~』もメインゲストの少女の描写に比重を置いた作品だったと記憶しているが、今回はさらに、21世紀のコロナ禍の状況下にアレンジされた、仁木悦子の児童主人公ものみたいな雰囲気だ。 (そういえば、これは特に作者が意識したわけでもないだろうけど、本作の伏線の張り方には、ちょっと仁木作品っぽいところもある。詳しくはもちろん書かないが。) 活字も大きく、スラスラと読める。一方で社会派ミステリを謳うように、コロナ禍で生活にひずみが出る人々の苦渋にさまざまな形で焦点が当てられており、内容はその意味で重い。 物語の奥にあるメインテーマは、第一作と同様、貧困。ただし逆境に陥っていくメインキャラの中には、普遍的にコロナ禍の被害にあったと同時に、当人自身のいびつさが原因となった部分もあり、ここはちょっと微妙だ。 まあ読者に息苦しさを感じさせ過ぎないエンターテインメントとしては、問題の根源は(普遍的に読者にも相通ずる部分ばかりでなく)作中人物の特異な個性にあったのだ(ヒトゴトだ)、とする方が良いという計算もあるのだろうか? それは嫌らしい見方か。 そんな一方、コロナ禍で経済的に苦しくなっていく作中の人々に、小説的な(安易な?)救済の道が与えられないのは、ある種の作者の誠実さを感じたりもした。 なおミステリとしては、結構なサプライズを体験させてくれた『希望が』に比して、まあ(中略)。正直、素で物足りなさを覚える人も多いと思う。 ただし小説としては終盤に結構なツイストがあり、読みごたえがあった。とはいえこれも、ある意味でシリーズものの枠組みという制約に関わってきてしまっている面もある。詳しくはここでは言えないが。 小説として佳作、ミステリとしては水準作、というところ。 |
No.1476 | 6点 | 完全殺人事件 クリストファー・ブッシュ |
(2022/04/24 14:55登録) (ネタバレなし) 1930年代のイギリス。その年の10月7日。「デイリー・レコード」ほか、いくつかの新聞社に「マリウス」なる人物から、自分はしかるべき理由から今月の11日にロンドンのテムズ川周辺で、決して罪科を問われることのない「完全殺人」を行なうという主旨の手紙が届く。英国中の市民がこの怪事に関心を抱くなか、殺人は現実に発生し、理髪店ほかを経営する資産家トマス・リッチレイが殺される。リッチレイの周辺で容疑者が浮かび、なかでも被害者の甥である4人の兄弟は特に疑念を呼ぶが、彼らにはそれぞれ明確なアリバイがあった。 1929年の英国作品。ルドヴィック・トラヴァースシリーズ第二弾。 数年前からそろそろ読もうと思って、少年時代に購入した創元文庫の旧版(洒落た素晴らしいジャケットアートだと思っていたら、粟津潔という大家の仕事だったようで。クリスティ再読さんのレビューで知った。ありがとです)を家のなかで探していたが、例によって見つからない。 そのうちにツヅキの『やぶにらみの時計』の中で、本作の大ネタをポロっとバラされてしまう(怒)。 そこで思いついて、近所の図書館の蔵書を検索したら創元の「大系」版があるので、それを借りてきて読んだ。 大昔のミステリ初心者時代に、この大仰なタイトルにどんな傑作だろうと胸をときめかした思いはなんとなく記憶にあるが、さすがに今となっては「そこそこの作品」なのであろうという予見を抱く。 しかも先の通りに大ネタのトリックも教えられてしまっているので、悔しい反面、その分、気楽に読み始める。すると、冒頭のいわくありげな先出しの断片描写、外連味に富んだ殺人予告と、掴みは結構面白い。 作品そのものは、本サイトの先のレビューでみなさん書かれるようにクロフツでありガーヴである。クリスティ再読さんの『闇からの声』を想起というのも、ああなるほどね、ではあった。 で、たまによくあるパターンだが、この作品の場合は先に大ネタをツヅキに教えられていた分、じゃあその条件に合致するのは? 的に頭が動いて良かった面もあった。もちろん、ネタバレ・ネタバラシという行為そのものは首肯しないが。 後半までぎりぎりフーダニットの枠が守られるバランスも悪くないとは思う。 今回の実質的な探偵はトラヴァースよりフランクリンという感じだ。しかし、物語の舞台があちこちに飛ぶ分、登場人物は多い。名前のあるキャラクターだけで70~80人。しかも翻訳のせいか、原文の雰囲気の再現かは知らないが、いきなり先に固有名詞が出てきて、そのあとから該当人物の素性を語るパターンも多いのには閉口した。 中村能三の訳文そのものは、古いながら、けっこう読みやすかったけれどね。 一回、全体の5分の3くらいのところで中断し、二日に分けて読んだのでテンションがやや下がってしまったところはあるが、トータルとしてみれば、期待値がそんなに高くなかったこともあって、まあまあ悪くない。 ちなみに例の冒頭のジグソー描写が本筋にハメこまれる辺りは、やや微妙。着想はすごく良かったのに、小説の演出の悪さでソンをしてる感じだ。 読後、寝る前に気になって井上良夫の『探偵小説のぷろふぃる』を手に取り、本作の原書を読んでの同人のレビューを拝見すると、すごい大激賞。とはいえ、井上御当人が面白いと思ったポイントにはさほど異論はないので、現時点で評者などが抱く感想とかつての井上の称賛の深さとの温度差などは、当時までのミステリ文化の蓄積と受け手の距離感とかの問題もあるのだろう。 とにもかくにもミステリファンとしての人生の宿題をまたひとつ終えた。今はそれが一番かな(笑)。 【2022年11月19日追記】 今年の秋、埋もれて見えにくい自宅の本の山の中で、本作収録の「大系」(わざわざ図書館から借りて読んだやつ)が見つかった。いろいろとダメである(汗)。 |
No.1475 | 6点 | 復讐クラブ ジェニイ・サヴェージ |
(2022/04/22 14:35登録) (ネタバレなし) イギリス中部地方のハラートンの町。そこで12歳の少女、ジャニス・クレイトンの凌辱された上に体を切り刻まれた、凄惨な死体が見つかる。謎の犯人は殺される直前の被害者の声を録音し、それを関係者にこっそり届けるというサイコ犯罪者だった。市民は事件の再発を恐れて警戒するが、大人の愚かな油断のなかで第二、第三の少女が犠牲となった。スコットランドヤード、さらにはFBIからも応援が呼ばれ、広域捜査が進むが、一方で三人目の被害者ヒラリー・デンハムの葬儀の場で、三人の被害者の母親が対面。やがて彼女たちの中に、自らの手で犯人に報復しようという気運が生まれる。中でも最大に積極的になったのはヒラリーの母で美貌の未亡人アイリーンだが、彼女の心は次第に平衡を失っていく。そんなアイリーンを、FBI捜査官のダン(ダニエル)・ハーデスティは気に掛け、やがて二人の間には予期せぬ関係が生じていった。 1977年の英国作品。作者ジェニイ・サヴェージは本書の刊行時に31歳だった新人作家で、日本での翻訳もこれひとつ。 物語は作者サヴェージの分身らしい? 名前の出ない女性ライター「わたし」が地方の町で起きた凄惨な猟奇殺人事件の顛末を、後に関係者から取材し、まとめていくというスタイルで語られる。 一時期の文春文庫の海外ミステリによくあった、小味なトリッキィな作品を読まされる感じで、最後に「何か」があるのを明確に予見させながら、ドライなタッチの警察捜査小説、被害者側の人間模様が綴られていく流れは、なかなかの好テンション。 事件そのものは残忍で痛ましいことこの上ないが、恣意的にどぎつい書き方をする気は作者にほとんどないようで、そういう意味ではストレスはない。その分、地味だともいえるが、ポイントの絞られた登場人物のその後の動きが気になる書き方なので、退屈はまったくしない。 本文180ページちょっと、一晩で確実にいっきに読めるが、良い意味で佳作。ああ、やっぱり文春文庫系だった、という読後感であった。 安い古書でほかの作品といっしょに思い付きで買ったポケミスだが、お値段を考えればなかなかの拾い物。 |
No.1474 | 7点 | 午前零時のサンドリヨン 相沢沙呼 |
(2022/04/21 06:10登録) (ネタバレなし) 全4編の中短編のうち、最初の2中編の完成度が高いのでそこでいったん、満足感を覚えて読むのをストップ。 本が手元から離れたのち、久々に短めの第3話とクライマックスの第4話をほとんど続けて読んだら、前半の2本の内容もしっかり布石になっていた。前半の細部を忘れてしまったところもあるので、これならまるまる一冊、一気呵成に読めばヨカッタね。 これから本書を読む人は、その辺、参考にしてもらえますといいかも? 全体的によく出来た連作ミステリとは思うが、青春ラブストーリーとしてはあまりに王道な仕上げに、おじさん、いささか赤面。でも気持ちの悪い感触ではない。良い意味でストレートに受け取れる世代の読者の方が、ちょっとうらやましい。 シリーズ2冊目はどうなるんだろうね。なんとなく方向が窺えるような、そうでないような。 本シリーズはその現状の2冊目だけで止まっており、ほかの方の『ロートケプシェン』のレビューをちょっと覗くとまだまだ継続できる余地はありそうだが、これだけ時間が空いちゃうと、もう再開は難しいのだろうか。 |
No.1473 | 7点 | 死の舞踏 ヘレン・マクロイ |
(2022/04/19 06:42登録) (ネタバレなし) 中盤から20章に至るまで、マイペースな関係者たちに振り回される捜査陣の描写がすこぶる愉快。ライスかグルーバーみたいな20世紀前半のユーモアミステリに通じる楽しさを感じた。 で、たまたま20~21章の狭間でいちど小休止してからまた読み始めたら、なんか急に空気感が変わっていた思いで、アレレ、であった。まあこれはきっと、こちらの読み方が悪かったのであろう? 犯人に関しては伏線の張り方が露骨なので、そのポイントの場でピーンと来て見事に正解であったが、動機についてはなるほどね、となかなか感心。 わたしゃ(中略)は(中略)あたりかと思っていた。当時とすれば、かなり洗練された文芸だと思う。その上でどこかクリスティーっぽい。 やや盛り込み過ぎてこなれが悪くなった部分も感じたりしたし、肝心の<雪中の熱い死体>の真相というのは、みなさんおっしゃるようにアレだ。 しかしまあ、いびつでちょっとばかし凸凹感はあるが、なかなか悪くないシリーズ第一作ではあった。もしかしたらこの内容なら、2~3作目くらいに書いた方が、もっと良かったようなタイプの作品だった気もするが。 評点は6点……じゃキビシイな。0.25点ほどオマケして、この点数で。 何より、大好きなウィリングをデビューさせてくれた作品だしね。 |
No.1472 | 6点 | 突然の明日 笹沢左保 |
(2022/04/18 06:38登録) (ネタバレなし) たぶん昭和30年代のその年の2月15日。銀行の本店課長である小山田義久は、妻の雅子、そして上は28歳の長男から下は19歳の次女まで6人の家族で食卓を囲んでいた。その場で、長男で保健所に勤務する晴光が、今日の昼間、銀座の路上でかつて同僚だった女性を見かけたが、相手はほんの一瞬の間に目前から消失したと家族に語った。半信半疑の一家だが、やがて翌日の夜、その晴光が都内のマンションから転落死。しかも晴光には死の直前に、同じマンション内の人物を殺害していた容疑がかけられた。殺人者の家族という汚名をかぶって分解しかける小山田家。だが兄の容疑に疑惑を抱いた次女の凉子は、父の義久、晴光の友人だった瀬田大二郎に協力を求めながら、独自に事件の再調査を開始するが。 今年刊行された、徳間文庫の新版で読了。 本サイトの斎藤警部さんも、そしてその徳間文庫での巻末の解説で有栖川先生もともに書かれているが、自分も本作との最初の接点は、たぶんミステリ・トリック・クイズ本「トリック・ゲーム」だったと思う。 (あるいはもしかしたら、同じように、ミステリ実作のトリックを引用もしくはパクってネタバレさせた、トリック・クイズ系のまた別の類書だったかもしれないが。) ただし今回、実際にこの作品『突然の明日(あした)』を読むまでは ・その笹沢左保の該当作品では、印象的な人間消失の謎とそれにからむトリックが設けられている ・しかしそのトリック・クイズ本を読んでおきながら、長い歳月が経つうちに、それが具体的にはどんなトリック だったのかは、まったく忘れた(その作品名すら一時期はおぼろげになった) ・なんとなく、そのトリックそのものは(中略)というか(中略)系だったような印象がある ……という、評者の立場であった(汗・笑)。 実は、ひと昔前までは、この路上人間消失ネタの笹沢作品は『空白の起点』だと勘違いしていた。そんなこともあったので(実際はまったく違います。そもそも『空白~』には、通例の人間消失事件なんか、出てこない)、その疑いが晴れたこの数年に至っては「じゃあやっぱり、都会の路上で人が消えるのは『突然の明日』なんだな、改めてちょっと読みたい」とは思っていた。 ただまあ、これについてはそんなに高い古書価を払う気もなかったので、評者の欲求に応えて適当な頃合いで実現された、今回の復刊はありがたかった。 で、くだんの人間消失トリックは、妙にキー要素として最後まで引っ張られるものの、メインの謎解きのポイントは別のところにあるし、犯人の意外性も(中略)で割と早々と見当がついてしまう。あと中盤からは全体的に、トラベルミステリっぽいね。 犯人の犯行事情というか動機に関しては、なるほどちょっと感じるものはあったが、まあ全体的には笹沢初期作品の中での、Bの中~下クラスというところか。 案の定(中略)ぽかった消失トリックは、ほほえましい。フラットにホメられはしないけど。 なお作中人物の推理のロジックが一部、強引なのは、いかにもこの作者らしいが、実は同じ理屈で、この感想を書いている評者自身もそのロジック通りのことをしているのに気づいて苦笑した。文句は言えない。 今回の徳間文庫版の裏表紙の作品紹介で、締めの言葉は「ヒューマニズム溢れる佳作」。 とはいえ正直、ヒューマニズム溢れるとはあんまり感じないし、一方で、物語の後半で調査にいった義久が捜査の不順でストレスを感じ、証人になってくれた人の飼い猫に八つ当たりしかける描写にも腹が立った(怒)。こういう人間の弱い(というよりダメダメな)部分で、ヒューマンさを見せられてもねえ。 だから1~2点減点してやろうかと思ったが、まあ笑える人間消失トリックに免じて、その辺には目を瞑ってあえてこの点数で。 21世紀でのホメ言葉としては、確かに「佳作」でいいんじゃね。 |
No.1471 | 6点 | 仮面 伊岡瞬 |
(2022/04/17 07:37登録) (ネタバレなし) テレビトークでも活躍するハンサムな作家・評論家、三条公彦。だが彼が読者から支持を得る最大のポイントは、同人が「読字障害」というハンディキャップを抱えながらも文筆家として活動する、その独特な属性にあった。そんななか、三条の秘書として働くジャーナリスト志望で28歳の女性・菊井早紀は、三条が出演するテレビ局のプロデューサー、堤彰久から、さりげなく今後の活躍の場と引き換えの枕営業の話を持ち掛けられる。一方で東京と埼玉の県境では、白骨化した身元不明の女性の他殺らしい死体が発見されていた。 2016年の『痣』で、主人公の刑事、真壁修のパートナーとして初登場。その後『悪寒』でまた真壁と組んだのち、2018年の『本性』では別の先輩刑事、安井と、さらに今回は女性刑事・小野田静と相棒になる青年刑事、宮下真人。 彼が登場する作品シリーズの第四弾。 (このカウントで間違ってないだろーな。実言うと評者はまだ『本性』だけ読んでないが。) ちなみに本シリーズの次作『水脈』(これから本になる)の噂も聞こえているが、詳しくはナイショ。 事件の主題はこの作者お得意のモンスター的なサイコ犯罪者の凶行だが、一方で主人公の刑事コンビ(今回は小野田&宮下)の描写が軸になっているのも、いつもの通り。 異常犯罪者のキャラクターについては、本の帯を含めて序盤から読者の前に小出しにされていくが、まあ、悪い言い方をすればこれまでも似たようなモンスター異常者を輩出してきた作者なので、さほど新鮮味はない。 それでも終盤に至るまで、いろいろトリッキィな仕込みをしてあるのはさすがだが、その分、全体的にお話が冗長になってしまった印象もある。 作者の著作のなかでは、Bの下か、Cの上クラスといったところ。ちゃんと、直球での主人公っぽい、今回の宮下の扱いはいいんだけどね。 |
No.1470 | 6点 | 階段の家 バーバラ・ヴァイン |
(2022/04/15 15:35登録) (ネタバレなし) 1980年代。「私」こと39歳の中堅女流作家エリザベス(リジー)・ヴェッチは、長い刑務所暮らしの末に出所した、かつては美貌だった友人ベル(クリスタベル)・サンガーに再会する。ベルは、少女時代に母ローズマリーを失ったエリザベスが、本当の母親のように接していた未亡人コゼットの屋敷「階段の家」に集う若者の一人だった。エリザベスの胸中に、長い歳月を経た1960年前後の日々、あの当時の記憶が甦る。 1988年の英国作品。 レンデルのバーバラ・ヴァイン名義の長編第三弾。 ……猥雑で重厚な叙述の積み重ねには、もちろん意味があるとは思うのだが、事件らしい事件が生じずに日常のなかでの人間模様が連綿と継続し、そして登場人物は名前があるものだけで、最終的に70人近く。 何より1960年代の回想と80年代リアルタイムの記述(ともにエリザベスの一人称、本書の60年代パートは彼女が書き記している小説、という設定のようである)が縦横に錯綜するので、読み進むのに相当にカロリーを使う。 いや決して読んでいる間はつまらない訳ではなく、あー、小説らしい小説に付合っているという歯応えが、ある種の快感になっているのだが、一方で粘度の高い水でいっぱいのプールの中を果てしなく泳いでいるような疲労感が次第に溜まってくるというか。 (主人公エリザベスのとある肉体上の事情にも、かなり重い設定が用意されている。ここでは詳しく書かないが。) まあすべては終盤にドラマが爆発するための「タメ」であることもわかっているので、そのつもりでとにかく付き合う。一時期の主人公が耐えて耐えて最後に敵陣に殴り込み、カタルシス昇華という高倉健映画みたいじゃ(実は健さんのヤクザ映画はよく知らんのだけど、なんかのミステリのレビューでそういうレトリックがあってオモシロかったので、今回ここで、マネしてみる・笑)。 で、お話は、終盤3分の1ほどで、キーパーソンのひとり、売れない美男俳優の青年マークが出てきてからいっきに加速。最後のミステリ的なサプライズはいかにもヴァイン(レンデル)っぽい感じで、ある種のミステリの定型に彼女なりの挑戦をした趣がある。細かいものを含めれば、三重四重の驚きがあり、さすがにクライマックスは十分に面白かった。 クロージングの、いかにもボワロー&ナルスジャックの諸作に通じるような余韻ある締め方も、色々なことを思わせてくれて○(マル)。 それにしてもとにかく読むのに疲れた。しかしよくあることだが、読み終わるとその疲労感に苛まれていた時間がなんとなく懐かしくなってくるタイプの作品。本当にツラかったときは、あーもう評点4点でもいいや、とも思ったが、最後まで読むと、そして読み終えて半日経った今となってはそれはない。 こういう作品を読むのも、ある種の贅沢ではあるな。 |
No.1469 | 6点 | こだま446号の死者 沼五月 |
(2022/04/11 19:50登録) (ネタバレなし) その年の4月22日。東京に向かう新幹線「こだま446号」のトイレで、刺殺された男の死体が見つかる。だが当日の乗客の証言をまとめると、死体は静岡駅周辺で一度トイレに出現。その後、一度消失し、新横浜周辺でまたトイレに現れたようであった!? 二度目の死体の発見者で都立高校の日本史教師、足立敬介は、大学時代の友人・武田とともに、また別の学友・芝川直哉の結婚式に出た帰りだった。さらにこだま446号には、足立の同僚である若い美人の体育教師・香島菜々子も乗り込んでおり、足立は彼女とともにこの事件の謎に関わっていく。 沼五月は1986年に『松本城殺人事件』でデビューしたミステリ作家で、基本的のノンシリーズのフーダニットパズラーを執筆。本作は作者の第三長編となる。新書判での書き下ろし。 作者・沼は、ともに劇画や漫画の原作などを手掛ける男性作家・沼礼一と女性作家・五月祥子との、合作ペンネームという。 たとえば、新幹線内で刺殺された被害者で、大手デパート従業員だった岸本功一があざといほどにイヤな狡猾な性格の人物として描かれ、その悪辣な奔放さゆえ、多くの容疑者が周囲に浮き上がっていく展開など、なるほど、とにかく見せ場で読者の興味をひっぱる書き手らしい雰囲気はある。 序盤からの消えてまた出現した死体の謎、さらに進展してゆく殺人事件など、ミステリ的な趣向もそれなりだが、終盤の謎解きと意外性の演出はなかなか良く出来ている感触。ただまあ、死体出没のトリック? 真相? など、まあこんなものだろという面もある。あと、フーダニットパズラーの謎解きで(中略)は禁じ手にしてほしいとするタイプの読者が読んだら、評価はキビシイかも? それでも個人的には、思っていた以上に歯ごたえを感じた一冊。一読すると、物語の流れに絡んでくる(1980年代当時の)デパート業界などの妙な耳知識が増えるあたりも、ちょっと楽しい。 |
No.1468 | 7点 | 嘆きの探偵 バート・スパイサー |
(2022/04/11 05:28登録) (ネタバレなし) 「おれ」ことカーニー・ワイルドは、フィラデルフィア在住の33歳の私立探偵。実績を重ねて事業を拡張し、現在では12人の所員を雇用する探偵事務所の所長となった。だが事務所の大口の顧客である、百貨店協会の会長イーライ・ジョナスのゆかりの銀行で強盗事件が発生。ワイルドはその犯人で元銀行の出納員チャールズ・アレクサンダー・スチュワートに撃たれて重傷を負い、さらに当のスチュワートをとり逃がしてしまう。百貨店協会から半ば役立たずと烙印を押されて次期の契約を打ち切られかけるワイルドは、退院後すぐさま、今も逃亡中のスチュワートを捕らえて汚名をすすがねばならない。フィラデルフィア警察の警部で、懇意にしているジョン・グロドニックから情報をもらったワイルドは、警察の捜査を支援する形で、スチュワートが乗船、もしくは何らかの接触を見せそうなミシシッピ川縦断の客船「ディキシー・ダンディー号」に乗り込むが。 1954年のアメリカ作品。私立探偵カーニー・ワイルドものの長編第6弾。 本邦初紹介作品でシリーズ第一弾の『ダークライト』以来、数年ぶりの登場。それ自体はと・て・も嬉しいが(論創のハードボイルド私立小説の紹介そのものが久しぶりだしねえ……)、なんでいきなり2~5作目をすっとばして第6作なのか? 物語の序盤でグロドニックの娘ジェーンというのが登場し、この彼女がワイルドと付き合ってたのどーのと語られるが、くだんの経緯もこの辺の未訳分の中でのことだったらしい。 まあそれはまだいいとして、第1作では個人営業だったはずのワイルドの事務所はいつのまにか事業拡張し、十人以上の所員の大所帯になっている。まるでピート・チェンバースか、ネロ・ウルフのとこ、あるいはエリンの『第八の地獄』みたいな賑わいだ(まあウルフのとこは外注メンバーが多いけどね)。 これって1950年代私立探偵小説としては、ヘンリイ・ケインなどと並んでそれなりに珍しい設定のように思えるので、本来なら、ワイルドの事務所が商売繁盛してくるまでの流れを、シリーズの順番どおりに21世紀に追体験したかったな~と強く思ったりした。 (ちなみに訳者あとがきでも、解説を担当の二階堂センセの原稿でも、この大所帯設定についてほとんど言及してないのは何故? 繰り返すが、結構、当時としてはユニークな文芸設定だったと思うんだけれど。) ということで思うのは、なんで二冊目の翻訳(いや、重ねて言うけど、出してくれたこと自体は本当に大感謝なのヨ)に、このシリーズ第6弾を選んだかということ。 ミシシッピ川船上での捜査がドラマの主体というのは確かに印象的な趣向だけど、そういうのがセールスに繋がるのか? と思ったりもした。 特に50年代私立探偵ハードボイルド小説というジャンルの場合。 で、中身そのものの話だけど、ストーリーはテンポいいし、登場人物は色鮮やかに描き分けられているし、何より今回は天中殺(古い)みたいに、次から次へと、やることなすことが裏目になってしまうワイルドの悲喜劇ぶりが実に小説として面白い。特に、所員の今後の給料を払い続けるため、今回の捜査を絶対に失敗できないという文芸が泣かせる。 ただまあミステリとしては最後にどんでん返しがあるにせよ、そんなに入り組んだ謎解きではなく、良くも悪くも佳作クラスか。伏線とフーダニットの興味を踏まえたミステリとしては『ダークライト』の方が数段面白かったとは思う。まあその分、今回は、変化球の主人公ポジションについたワイルドの設定やキャラ描写など、別の面白さが増した感じではあるのだが。 それで前述のとおり、今回の解説は論創の編集部が何を考えたか、二階堂センセを起用。フツーの意味でのハードボイルドファンではないことを前提に、かなり挑発的なものを言いまくっているが、個人的にはまあうなずけるところとそうでないところ、それぞれ。 例のジョン・ロードの『プレード街の殺人』の件以来、実作者としてはともかく、ミステリファンとしての二階堂センセって、どーも眉唾ものだしね(詳しくは本サイトでの『プレード街の殺人』の当方のレビュー、さらにそれに関連される、掲示板でのおっさん様のコメントをお読みください。ネタバレにはご注意。) ただまあ、日本のハードボイルドファンが、実作者を含めて悪い意味で『長いお別れ』に影響を受けすぎていると言いたげな発言があり、そこらへんは完全に同意。ここだけは少なくとも、今回よく言ってくださった、という感じである。私なんか「あー、これは『長いお別れ』のインフルエンスから生まれたな」という国産作品なんか、三つどころかたぶん五つ以上言えるわ。 (正確な数は、数えたことないけれど。) いずれにしろ、一冊の作品としての本書は、ミステリとしてはまあまあ、ハードボイルド私立探偵小説としては結構、面白い。その上で、重ね重ね、順番通り訳してほしかったというところ。 (まあ、一時期のネオハードボイルド作品なんか、律儀に順番通り訳しすぎて、シリーズが面白くなる前に翻訳刊行が打ち切られちゃったシリーズなんかもあるみたいだから、難しいところではあるんだろうけれど。) |
No.1467 | 6点 | 裏六甲異人館の惨劇 梶龍雄 |
(2022/04/09 08:08登録) (ネタバレなし) 映画の助監督(雑用係)である20台の青年・吉田隼人は、とある仕事で神戸に来ていた。吉田は深酒の果てに地元のタクシーを利用するが、酔って朦朧とした頭で、近隣に建つ異人館の周辺で殺人前後の光景を見たような気がする。その直後、地元の大学教授・真隅重弘の屋敷の異人館で、来客である外国人の老人ウッドリッチの死体が実際に発見された。吉田が目撃したのはこの殺人の現場だったのか? だが殺人の状況は、吉田の記憶と相応の異同があった。映画業界で吉田と名コンビを組む監督の五城秀樹は、かつて奥秩父での殺人事件を解決したアマチュア名探偵で、今回もこの怪事件に乗り出すが。 『奥秩父狐火殺人事件』に続く、映画監督でアマチュア名探偵・五城のシリーズ第二弾。とはいっても登場作品はこの2つしかないみたいだし、しかも前作で「五城賀津雄」という設定名だったはずの五城監督は、今回はなぜか名前が「五城秀樹」に変わっている。本作の作中では前作の内容に則った奥秩父での殺人事件の話題も登場するので、大枠としては同一シリーズのハズだが、厳密にはニアイコール世界のパラレルワールド、近似の存在の別の主人公として書かれているかもしれん? なんでそんなややこしいことになったか知らんけど。 (『奥秩父』は10年くらい前に、当時としては珍しく人物メモまで作りながら読了したはずだが、もう細部はトリックも犯人もふくめてまったく忘れてる。まさか、前作のラストで某EQの長編の終盤みたいに、メインキャラクターが改名していたってことはないと思うが?) 事実上のメインヒロインといえる異人館の女主人=重弘の美人の奥さん・絹子の名前が中盤になるまで登場しない(本人は序盤から登場しながら、しばらく「真隅夫人」と地の文でも呼ばれてた)。 特にそのことに小説やミステリとしての意味なんかなく、この辺りもふくめて全体的に雑な文章で小説だという感慨も生じたが、量産期の梶作品ならこういうものもあるか、とも思ったり。 それで裏表紙には「恐るべき真相が明らかになる!」とあるが、最後まで読んでああ、そういうことね、という感じ。正直、大山鳴動して鼠一匹のパターンだが、しつこくしつこく張ってあった伏線を回収しまくる作者の執着は、ちょっとトキメいた。 前半から怪しい人が本当に(中略)だったのは困ったもんだけど、トータルとしてのキャラクター描写は、グレイゾーンでまあまあ良い仕上がりになっている気もする。 しかし読みやすい割に、クライマックスに至るまでの部分では「ワクワク面白いからリーダビリティが高い」という感覚などとはまるで無縁で、なんだかな、である。 例によってAmazonでとんでもない古書価がついているけど、もちろんそんな大枚払う作品ではないです。自分は、15~20年くらい前にブックオフで105円で買っておいて、ずっと放っておいた蔵書を気が向いて読んだけど。 興味がある人は図書館か人からか借りるか、安い古書に出会えるのを待つか、あるいは、また動きのあるみたいな梶作品復刊の波に乗るのを期待するか、その辺がよろしいかと。 |
No.1466 | 7点 | ビスケーン湾の殺人 ブレット・ハリデイ |
(2022/04/08 07:12登録) (ネタバレなし) 世界大戦が終焉した1945年11月。ニュー・オルリンズに新たな事務所を開いていた私立探偵マイケル・シェーンは、秘書のルーシイ・ハミルトンに留守を任せて古巣のマイアミに息抜きにきていた。亡き妻フィリスとの思い出が残るアパートを一時的に借りうけていたシェーンはルーシイから電報を受け取り、世間を騒がしているベルトン夫人殺人事件の捜査のため、ニュー・オルリンズへの帰還を求められた。だがそんなシェーンのもとを、3年前にフィリスが親しい友人として紹介した女性クリスティン・ティルベットが来訪。今は青年実業家レスリー・P・ハドスンの新妻となっているクリスティンは、シェーンにある秘密の相談事を訴える。だがこの依頼は、思わぬ局面を経て、若い女性の死体がビスケーン湾に浮かぶ殺人事件へと繋がっていく? 1946年のアメリカ作品。マイケル・シェーン、シリーズの長編第13弾。 シリーズの流れの上では、この前が未訳の第12弾「Marked for Murder」で、さらにその前がメキシコ出張編の第11弾『殺人稼業』。 フィリスとの死別を経た「ニュー・オルリンズ」編もそろそろ終わりそうな気配があるが、実際のところは次作『シェーン贋札を追う』を読まなければ、わからない。 本作は冒頭でシェーンが、ニュー・オルリンズに残してきたルーシイへの恋心を意識する叙述に始まり、その直後にフィリスの大学時代からの親友でシェーン夫妻の幸福な結婚生活もずっと見守ってきたという、メインゲストヒロインのクリスティンが登場。第一作『死の配当』以降のフィリスとの思い出も続々とシェーンの記憶のなかに甦り、まさに本シリーズファン感涙の一冊。なに、このサービスぶり? まあ、たぶんこれって『長いお別れ』を経て『プレイバック』と『ペンシル』をほぼ同時に? 書いて、リンダ・ローリングとアン・リアードンというマーロウにとっての二大ダブルヒロインを見つめ直したチャンドラーに近しい気分だったんだろうね。この当時のハリデイは(その際のチャンドラーより、こっちの方がずっと先だが)。 ということで本作のラストは、このシリーズのファンである評者などにとってはすんごく腑に落ちるクロージングであった。もちろん具体的には、ココでは書かないけど。ただなんというか「ああ、すべてはここに至るための物語だったのね」という気分である。 でもって肝心の現在形メインヒロインのルーシイが最後までドラマの表舞台には不在なのも、この作品のミソだ。たぶん。 クリスティンが陥ったさるトラブルを打開するためにシェーンが動くうちに、どういう事情で生じたのかなかなかわからない(仮説や推理は立てられる)若い美女の殺人事件が発生。登場人物の多くもそれぞれ秘密を抱えたり嘘をついている気配もあり、錯綜する物語だが、ミステリとしての着想はクリスティとかの一部の作品にありそうな雰囲気のもの(特に具体的な作品をさすのではなく、あくまでそんなイメージとして)。なかなかトリッキィな仕掛けがある。まあ気づいちゃう人は気づいてしまうかもしれないが。 終盤に関係者一同を集めて、の謎解きは本シリーズの半ばお約束(例外のときもあるが)でいつもの外連味がたっぷりだ。 レギュラーキャラであるシェーンの友人の新聞記者ティモシイ・ラークも、普段の良い意味で無色透明な彼のキャラクターに似合わないダーティプレイをしているのでは? という疑惑も生じ、その辺もなかなかスリリング。シリーズが完全に軌道に乗った段階での一冊という余裕を感じさせた。 (ちなみに本作での登場時点からラークは銃に撃たれた傷が回復とかなんとかあるんだけど、これがその未訳の第12弾「Marked for Murder」でのことなんだろね? 本作はほかにも、シェーンがベッドで死体とともに朝を迎えたとか、たぶんまだ未訳の長編で語られているのであろう、そんな過去の事件のエピソードも作中で話題になっている。で、ソレはなんという作品なんですか?) 本作に話題を戻すと、謎解きとして、ちょっとネタが後出しの部分があるのは、やや減点。ただ「ああ、あの話題はやっぱり伏線だったんだね」という感じでの作劇の設け方は、ガードナーやスタウトあたりの雰囲気に近いものを感じたりする。 でもってこの作品は、シェーンがルーシイから電報を受け取り、明日の夜までは帰るから、と期限を自らきった中で、わずか二日のうちに解決する設定の物語である。そしてこの趣向そのもの(先のヒロイン、フィリスとの関係性から始まった事件を解決し、現在のヒロイン、ルーシイのもとにきちんと戻る)が、もう何をいわんかや、であり、うん、やっぱりこれはハリデイ=シェーンシリーズ版『ペンシル』だな、コレ。 できるなら一見さんよりも、シェーンシリーズの流れになんとなくでも通じたファンにこそ読んでほしい一作。 思いのほか、心の弾む作品ではあった。シェーンシリーズのファンには。 |
No.1465 | 6点 | 改訂新版 真夜中のミステリー読本 事典・ガイド |
(2022/04/07 07:11登録) (ネタバレなし) 1990年9月にKKベストセラーズワニ文庫から刊行された旧版をベースに、著者の藤原宰太郎がほぼ30年ぶりに改訂。しかしこの新版の刊行の少し前、2019年5月に藤原宰太郎が逝去したため(ご冥福をお祈りいたします)、セミプロ文筆家である娘の藤原遊子さんが補遺執筆・編集して発刊された一冊だそうである。 ちなみに評者は旧版は持ってないし読んだこともないが、Amazonでのこの改訂版でのレビューで、新旧版の内容の詳しい比較をされている方がいるので、とても参考になる。 内容はいつもおなじみの藤原宰太郎の著作っぽい、ミステリ雑学コラム集&トリックの類別分類本。 ただしネタバレについてのクレームがうるさくなった21世紀の本らしく、トリックの概要を先に本文中で語る場合でも、文中ではなるべく具体名を出さずに作者の名前までに控えて、それぞれに註としてつけた索引ナンバーから、興味がある人のみ自己責任で該当作品のタイトルを、ずっと後のまとめたページで、リファレンスできるようになっている。この編集・配慮はとてもいい。 (ただしこういう工夫をしながらも、ごく一部の記事で、いきなりネタバレをしてしまう記述があるのは、なんだかな、だが。) 雑学コラムはテーマそのものはベーシックなものを並べた感じだが、具体例として紹介される作品のタイトル(とりあえずネタバレなしを主体に)が幅広い感じで、未読のミステリへの見識や関心が広がっていくようで楽しい。一方で浅く広く、そしてその広さについても中途半端な印象もあるが、まあそれは個人(親子にせよ)の読者・研究家の視座によるものとしての限界であろう。それを考えるなら、確かに豊富な作品タイトルの羅列で楽しませてくれる。 なお後半のトリックカタログの記事は、直接具体的な作品名のネタバレに直結しなくても、未読の作品のいろんなトリックそのものを先に教えられてしまう怖さがあるのでスルー。 いや、読んでみれば「そんなスゴイ着想の作品があるのか!? 読みてっ~!」となるパターンも十分に想像できるし、実際の自分はそういう経路を実践して現在のようなミステリファンの末席に着いたのだが、とにもかくにも今回は読むのはヤメにした(汗)。そういう意味では、本レビューは真部分的に中途半端な感想であることをお断りしてお詫びしたい。 (基本的には、書籍のレビューって一冊全部、ちゃんと読まなきゃダメだと思うけどね。) 事前に予期していたよりは浅い薄い感じもしないでもないが、おおむねは期待通りに楽しい一冊ではあった。 ただひとつ重箱の隅を楊枝でほじくるようだが、P57「大統領はミステリーがお好き」の項目。ここで例のルーズベルト原案『大統領のミステリ』に触れて「(そのルーズベルトは)有名な推理作家ヴァン・ダインやE・S・ガードナーなど六人の作家にストーリーを話して代作してもらった(原文ママ)」とあるが、これはもちろんマチガイ。 周知の通り『大統領のミステリ』の終盤部にガードナーが執筆参加したのは、元版の1935年の時点ではなく、後年の1967年に改訂新版が刊行された際の書き足し追加での形なので、「(1945年に死んだ)ルーズベルトが、(60年代の)ガードナーにストーリーを話して」というのは絶対にありえない。 論創の編集部もさながら、巻末を見ると飯城だの北原だの錚々たる? メンバーが本書の協力者として名を連ねているが、みんな校正に参加しなかったり、あるいは見落としたりしたのだろうか? この辺はいささか素人臭いケアレスミスで、ちょっと残念であった。 (いや、あのガードナーの追加部分は、あれでメイスンチームとヴァンスが同じ世界にいることになったという意味でウレシクて、印象深いのよ・笑。) もし本書の文庫化とかの機会でもあったら、ご確認の上で改修の検討をお願いします。 |
No.1464 | 5点 | 犬の首 草野唯雄 |
(2022/04/07 06:18登録) (ネタバレなし) 都内の所轄・坂下署に勤務する、45歳の柴田与三郎部長刑事、そして27歳で身長190㎝、体重105kgの高見茂作刑事。この両人に彼らの上司、木下吉之助警部を加えた同署の問題刑事トリオは、常日頃から行き過ぎた捜査で上層部を悩ませていた。現在は資料整理の閑職に追いやられている柴田と高見だが、そんな二人は近所のスーパーマーケット「富士ストア」が商業法に抵触する豪華景品つきの抽選セールをやっているということで、調査を命じられる。高見は店内のレジスター・ガール、新田利恵に接触して内偵の協力を願うが、やがて思わぬ事件が発生。事態は、大規模な惨劇へと繋がっていく。 作者のユーモア・ミステリと謳った「ハラハラ刑事」シリーズ第一弾。元版は1975年8月に、祥伝社のノン・ノベルスシリーズとして書き下ろしで刊行。 評者は本シリーズは第二弾『警視泥棒』を大昔に先に読んだが、なんで順番通りに第一弾のこっちから読まなかったかというと、本作のタイトルに、なんか動物虐待的な気配を感じたから。昔からそういうものを売りにする? 作品はキライなのだった。 今回は少し前に、出先のブックオフで角川文庫版(帯付き)を100円棚から購入。まあそういうイヤンな気分で敬遠しなくてもそろそろいいか、程度の興味で読んでみた。 話が進むにつれて悪い意味で劇画チックな、かつ大規模な犯罪計画が明らかになっていき、そのぶっとんだ内容に若干引く。 しかし何より問題なのは、ユーモアミステリと公称しているのに、ほぼ全編ニコリともできなかったこと。いや、ああ、ここで作者は笑わせようとしているのだな、と冷えた頭で思わせる箇所は随所にあるのだが。 むしろ、ゆがんだ犯罪者側の情念というか、シリアスな事情の方がそのグルーミーさゆえに、こちらの内なる感性を刺激した。ブラックユーモアとして受け取るならば、こっちの妙味の方がまだ笑えるかもしれない。 途中、本当にロー・テンションで読んでいる間は、コレは4点の評点でもいいかと思ったりもしたが、後半、最後まで付き合って、まあ5点はあげてもいいかとも思い直す。ピンチを救われた高見が、恩人のじいちゃんにちゃんとしっかりお礼を言って別れる描写は良かった。あと、作者なりに最後の方で、事件(犯罪)に奥行きを出そうとしている努力のほども感じた。肝心の? タイトルの意味も、予想どおりに? 良くも悪くもインプレッシブ。 とはいえ、草野唯雄作品で笑うのって、当人がそのつもりで書いたとかいうユーモアミステリで、じゃないよね。ご本人がマジメに著して滑った天然もののときの方が1000倍オモシロイ(その最高傑作が、あの『死霊鉱山』であろう)。 まあそれでも本作もあれやこれやで作者らしさは感じたが。 |
No.1463 | 8点 | 金髪女は若死にする ウィリアム・P・マッギヴァーン |
(2022/04/06 22:05登録) (ネタバレなし) その年の4月のシカゴ。「私」ことフィラデルフィア在住の38歳の独身の私立探偵ビル・カナリは、以前に故郷の町で10日ばかり付き合ったブロンドの美女ジェーン(ジェニイ)・ネルスンに会いに、シカゴに来ていた。先方から再会の約束をもらっていたカナリはジェーンのアパートに向かうが彼女は不在で、そこに別の男「フィリー」が現れる。当惑するカナリのもとにジェーン当人から電話があり、仔細はあとで説明するということで場所を指定されたカナリはジェーンのもとに向かうが。 1952年のアメリカ作品。 ポケミス巻末の都筑解説を読むと当時の出版界全般が「ポスト・スピレーン」の流れを狙う中で企画刊行された一冊とあり、事実その通りなのだと思うが、個人的にはとても手ごたえのあった作品で、あえて通俗ハードボイルドだのどうだののレッテルを貼らなくてもいいような中身だった。 というか、こういう作品を読むと改めて「ハードボイルド」の定義がわからなくなるし、さらに正統派ハードボイルドと通俗ハードボイルドのカテゴライズ分類ってなんぞや? セックス(お色気)描写があり、アクションに比重を置いていても、一級のハードボイルド私立探偵小説というのが登場したっていいよね、という思いに駆られる。 本作はまさにそんな内容で、プロット、キャラクター描写、テーマ性、そして主人公の立ち位置とメンタリティの在り方、そのすべてを踏まえた上で、ある意味では個人的にこれまで出逢ってきた1950年代・ハードボイルド私立探偵小説のひとつの理想形。 思うところあってミステリとしての部分は、ここであまり語りたくないが、十分に楽しめた。そしてその上で、先に並べたような、評者が50年代の私立探偵小説ハードボイルドミステリに求める、あるいはバランスよく取り揃えてほしいと思った多くの賞味要素が、十二分以上に詰め込まれている。 作者の正体がマッギヴァーンだと知って納得。というか、これってかなり(シャレではない)マッギヴァーンらしい作品だろ。 最後の一行が胸に染みた。このまとめ方、ああ、間違いなく「ハードボイルドミステリ」で「ハードボイルド私立探偵小説」。こういうのもれっきとした、フィニッシング・ストロークだな。 |
No.1462 | 8点 | 夕日と拳銃 檀一雄 |
(2022/04/05 05:49登録) (ネタバレなし) 大正3年(1914年)。伊達政宗の末裔・時宗伯の孫息子で幼少時を九州で過ごした13歳の少年・伊達麟之介は、祖父の後見を受けて学習院に入学する。だが純朴で不器用な心根の主ながら、幼少時から山中で狩猟に勤しみ、銃器に慣れ親しんできた麟之介の最大の親友は人間ではなく、九州の母・鶴子が授けた拳銃であった。いびつな生き方ながら周囲の何人もの心を掴み、成長していく麟之介。そんな彼には広大なユーラシア大陸で、波乱万丈の人生が待っていた。 昭和30~31年にかけて「読売新聞」夕刊に連載され、のちに『夕日と拳銃』『続夕日と拳銃』『完結夕日の拳銃』の三分冊で書籍化された、国産戦争冒険小説の名作。 大昔(80~90年代だったと思う)に「本の雑誌」で、誰かがオールタイム国産冒険小説のベスト作品を羅列した際に、短いコメントとともにこれがセレクトされていた時から、数十年間、この作品が気になっていた。 とはいえ本作を「国産冒険小説」として広義のミステリファンの視座から語った文章というのは、その後ほとんどお目にかかった記憶がない(評者の不勉強なら申し訳ないが)。 だったら、自分で読んで拙いレビューのひとつもしてやれと以前から思っており、このたび一念発起し、最初に関心を抱いてから数十年目にしてようやっと通読する。 なお今回は、前述の元版三冊分をまとめた正編、それを二分冊に編集した河出文庫版の上下巻で読了。 昭和史上の実在人物(伊達政宗の子孫・伊達順之介)をモデルにした、彼の馬賊としての活躍を語る長編小説ということぐらいは前知識としてあり、日頃、評者が読みなれている作品群とは毛色の違う作風だろうなと警戒したが、実際には会話も多く、思いのほか読みやすかった。 文体に少し癖があり、場面場面がポンポン弾んでいくような感じもあるが、これは毎日の連載に小規模な見せ場や引きを必要とする新聞小説ならではの形質だろう。最初はやや戸惑うが、テンポに慣れてくると、このリズム感が心地よくなってもくる。 明治天皇崩御の直後、学習院周辺で起きたかの参事を経て、話に相応の転換が発生。その後は本作のメインヒロインである出戻りの年上の貴族令嬢・綾子と麟之介のロマンスなども絡めながら、話のベクトルが作品の主舞台となる大陸へと少しずつ向かっていく。 最後まで思想はほとんど持たず、あくまで拳銃を友とする戦士として、そして一介の不器用な人間として生き抜く麟之介の叙述が物語前編の主軸なのは間違いないが、周辺の多様な登場人物たちもそれぞれ魅力的に描かれる。 昭和30年台初頭の作品という本作の出自を思えば、直接的、間接的に、後年の広範なジャンルの作品に及ぼした影響も少なくないだろう。 (えらく敷居の低い言い方をするが、サブヒロインのひとりの設定が、今風の深夜アニメか美少女ラノベに出てきそうな×××ネタだったのには、ぶっとんだ。) 戦争冒険小説としては、河出文庫版下巻の後半からが頭がヒートするくらい加速度的に面白くなり、強敵ライバルキャラ、腐れ外道、裏切り者などの悪役、敵役の配置も万全。でも何より、麟之介の周囲の人間関係というか主要キャラたちとの絶妙な距離感がいい。 (中略)の時世の中で迎えるクロージングは、熱い万感の思いとともに読了した。 実在のモデルを基盤とし、作者の壇自身も満州従軍、さらには放浪の経験があるというから当然であろうが、昭和裏面史の臨場感もたっぷりである(もちろん評者としては、あくまで疑似体験させてもらったに過ぎないが)。 国産冒険小説の系譜に関心のある人なら、戦後の古典として一度は読んでおいて損はない作品。 (たぶん実際に通読すると、あら、こういう内容だったの?、と思うような部分もあると思えるが、そこもまたこの作品の広がりであり、個性で魅力だと信じる。) 「じゃ、今度は何所で会おうかな?」 「やっぱり、弾丸の中でしょう」 「よし」 |
No.1461 | 8点 | 死刑台のエレベーター ノエル・カレフ |
(2022/04/03 01:27登録) (ネタバレなし・途中まで) カレフ作品はこれが初読み。3冊ある既訳のうち、最初に読むならまあこれからだろうと以前から思っていたが、例によって大昔に購入した創元文庫の旧カバー版が見つからない。それで半年~1年ほど前に、21世紀の新カバー版(新作邦画のスチールを用いた幅広の帯がついてる)をブックオフの100円棚で見つけて買ってきた。 それで思い付きで、昨夜のうちに一気に読んだ。 読後に本サイトのみなさんのレビューを拝見すると、創元文庫の巻頭のあらすじに物言いがつけられているようだが、自分は該当の本を読もうと決めた、あるいはそう思ったら、もうあらすじは、なるべく目にしないようにしているので(ネタバレ回避のため)、くだんの禍根はまっやく問題なく回避できた。実を言うと、現時点でもマトモに、創元文庫巻頭のあらすじは(少なくともこの数十年以上)読んでおりません。 で、本作に関して感想を言えば、話の骨格が見えてくるにつれて読み手のテンションもじわじわと高まっていくタイプの作品。 少しずつ増えていく主要な登場人物の面々をジヴラル刑事を除いて、男女二人で一組のユニット単位にしている構成もうまい。最終的に物語がそこにいく、主人公ジュリアンの(中略)を浮き出させる演出の一環だろう。 読んでいるこちらとしてはちょっとずつ新たな男女コンビが出てくるたびに、話が弾み、ドラマが螺旋状に降りていく感覚で、このあたりがとても面白かった。 しかし…… (以下、多少ネタバレ?) 主人公が犯罪を企てて実行したものの、その悪事の実態の方で罰を受けるのではなく、皮肉で残酷な運命、あるいは他人の意志によって、思わぬ方向から足をすくわれる、というのは、本作の最初の訳書の叢書である「創元・旧クライムクラブ」のあの名作まんまではないか? その辺が見えてきたあたりから、読んでいて、当時の植草甚一は何を考えて、こんな<似たようなもの>を同じ叢書にセレクトしたんだろとも一瞬だけ、思ったりもした。 ちなみに今回、手に取った創元文庫の21世紀新装版の巻末では小森収が解説を書き、本作のクロージングをやはり同じ旧クライムクラブの『〇〇〇』に例えている。 でまあ、個人的には、その旧クライムクラブの別作品に比べるなら『〇〇〇』でなく『◎◎◎(または『●●●●』)』だろう、と思う訳で。 とはいっても、趣向や主題、主人公を(中略)、(中略)な演出が近しいと確信・実感しつつも、作劇のひねりなどはあくまで本作独自のものであり、1950年代の新古典作品として普通に十分に面白かった。 もしも21世紀の現行作家の完全新作で、まんまこのストーリーを読むことになったらさすがに古いとは思うが、50年代だったら、まだその技巧ぶりの新鮮さを主張できた一作であろう。そんな熱気は、そのまま今回も読むこちらに伝わってきた。 末筆ながら、本作の映画はいまだ観てない。中学生のころから厨二的にカッコイイ題名だとは思っており、興味もフツーの世代人程度にはあったのだが、なんか鑑賞の機会を逃し続けていた。 miniさんのおっしゃる通り、小説を先に読んで良かったと思う。 |
No.1460 | 7点 | クラウドの城 大谷睦 |
(2022/04/01 15:20登録) (ネタバレなし) 2021年6月。北海道の大沼周辺。「私」こと、かつて警察官を経て海外で民間軍事会社(傭兵職)に従事していた現在39歳の鹿島丈(たけし)は、愛する内縁の妻、29歳の古寺可奈の紹介で警備会社「GSS」の一員として働いていた。出向する職場は、外資企業「S社」ことソラリス社の詳細不明の施設だが、勤務初日に施設内で厳重なセキュリティーシステムにも関わらず、決して生じえないはずの不可能犯罪=密室殺人が発生した。かつて警察学校で同期だった道警本部の警部・大嶽英次に過去の事情も踏まえて助勢を頼まれた鹿島は、捜査に協力するが。 第25回「日本ミステリー文学大賞新人賞」受賞作品。 先日読んだ、旧作『サイレント・ナイト』(高野裕美子)が同賞3回目の受賞作。そちらがなかなか面白かったので、同賞のリアルタイムの新作というのはどんなものなのか? という興味で、今年の該当の新刊(本作)を手にとってみた。 帯で有栖川先生が、ハードボイルドに本格ミステリの要素をからめてエンターテインメントにしようとした作者の熱気、云々の物言いで賞賛。 まさにその通りの内容で、さらに題名からも察せられるように、21世紀のネット文化のクラウドシステムを題材にした、社会派的な興味も盛り込まれる。本賞でなくても、乱歩賞でも似合いそうな感じ。 巻頭の作者の言葉や巻末の経歴を読むと、著者はそれなりの年齢のよう(1962年生まれ)だが、そのせいか、こなれた文章のリーダビリティは、かなり高い。登場人物も、サブキャラに至るまでかなりくっきり描かれており、やや猥雑な内容の作劇を手際よく整理している。 一方でいわゆる優等生的な作品にしばしありがちな、どこかで読んだような感触も無きにしも非ず。特にセキュリティー上のデータ記録から、起りえなかったはずの密室殺人の処理は、微妙かもしれない。それと犯人の設定は(中略)。 不満を言えばいくつか出てくるが、読んでいる間はそれなりに惹きこまれたし、読後の現在も軽い余韻を覚える作品ではある。佳作~秀作というところ。主人公の鹿島をはじめ、何人かのキャラクターの造形にも好感を抱いた(ちょっと当初から、映画化、ドラマ化を狙っているような戦略を感じたりもしたが)。 評点は0.25点くらいオマケ。 この作者の次作が出たら、気に留めることにしょう。 |
No.1459 | 6点 | ただの眠りを ローレンス・オズボーン |
(2022/03/31 17:30登録) (ネタバレなし) 1988年のメキシコの一角。「私」こと72歳の隠居中の私立探偵フィリップ・マーロウは、生命保険株式会社の社員マイケル・D・キャルプとオケインの両人と出会い、久しぶりに仕事の依頼を受ける。その内容は、先日、71歳のアメリカ人の不動産業者ドナルド・ジンが溺死し、その若い未亡人ドロレス・アラヤに多額の保険料を払ったが、疑義が残るので再調査してほしいというものだ。マーロウは、30歳前後の美女ドロレスに対面し、さらに死体発見前後の証言を集めて回るが、やがて意外な事実が浮かび上がってくる。 2018年の英国作品。同年度のMWA最優秀長編賞の候補作のひとつ。 本サイトでも、老人となったマーロウを主人公とするというぶっとんだ趣向に何らかの感慨を覚えたファンは少なくないと思うのだが、なぜか今までレビューがひとつもない。 かくいう評者も原典のチャンドラー作品とは最近はあまり縁がなく、この数年の間には『長いお別れ』『高い窓』の村上訳を読んだ程度だが、それでもそろそろ気になって、今回、手にしてみた。 一読すると、いろいろと微妙な作品。どちらかというと肯定したい面の方が多いのは確かだが、なによりも自分は<本当に>あのマーロウの老境の姿に付合っているのだろうかという違和感がどこかにつきまとい続けた。 とは言え、そんなもの(マーロウの老後)は、チャンドラーの原典をふくめてホンモノなどどこにもないのだから、こういう文芸設定という了解のもとに読むしかない。 そして結局はそんな大前提そのものに好悪さまざまな受け手の反応があるのだろうから、本作に関心を抱く人も多ければ、たぶん絶対に読みたくもない人、も多いのであろうことは容易に想像がつく。 先に、なぜか本サイトにもレビューがないと書いたが、かかるひねった設定のパスティーシュ? なら、実は当然のことであった。 ストーリーの前半は、足で歩いて回る調査の積み重ねで、やや淡々としており、老マーロウの心象と重ね合わされるメキシコの情景描写の比重も多い。 いわゆるチャンドラーらしさはあまり感じられないような、そうでもないような雰囲気だが、1980年代の老境マーロウという大設定なら、これくらい少し違ったものになっても当然だという感触もあり、その意味では独特の世界を獲得した本作の趣向が活きている。繰り返すが、その程度の別物感さえ気になる人は、読まない方がいいかもしれない。 あまり設定についてのネタバレもしたくないが、現在のマーロウは中年家政婦マリアと、拾った捨て犬とメキシコの小さな町に暮らす孤独な老人(そこそこお金はあるようだが)。かつて結婚歴があったことは語られるが、かのリンダと離婚したのか、死別したのかは一切、語られない。 ほかの主要な原典の旧キャラクターについてもまったく名前などは登場せず(ポケミス101ページ目にちょっとそれっぽい名前はあるので、これは要確認)、ただ、ああ、作者はアレについて暗示したいのだな、という思わせぶりな演出は一部の描写に感じられる。 ミステリとしては大ネタが(中略)で明かされ、そこで話にはずみがつくのはいいが、ある意味で後半の展開は異様ではあった。だがそこが、チャンドラー原典の諸作のプロットの悪い意味での錯綜? ぶりや破綻加減を、意図的にトレースしている気配も感じられた。 実際に作者も本編を終えたあとのあとがきで、その主旨の旨を語っている。 マーロウに心惹かれたもの、チャンドラーファンとして読む意味はある作品だとは思うが、決して素直なパスティーシュではない。ただしこの老マーロウがメキシコを舞台に事件の真相を追うという作劇のアプローチの仕方は、この作品の形質として、ちょっと感じるものはある。 ちなみに訳者あとがきで、田口俊樹は、チャンドラーの死後に書かれたマーロウの長編は3冊あると、パーカーが関わった二冊と近作『黒い瞳のブロンド』を挙げているが、実際にはコンテリースの『マーロウもう一つの事件』などもある(評者もまだ未読で脇にツンドクだが、かなりヘンな作品のはず?)。 あと、木村二郎氏のミステリマガジンの連載エッセイのなかで、マーロウが「マロー・フィリップス」の名前のチェス好き、富豪の女性と結婚した老私立探偵として登場し、主人公の後輩探偵を後見する作品もあると読んだ覚えがある。まだ未訳のはず。この辺のことは早川編集部の方で、田口氏のあとがき原稿を受け取った際に、ちゃんとしたフォローが欲しかったところだ。 実際、後進作家の新作ミステリに老境マーロウを登場させるなら、そういう新世代ヒーローの支援役の方が似合うような気もする(まあ、ヒギンズのデヴリンみたいな、誰でも考えるありふれたポジションかもしれないが)。 |
No.1458 | 7点 | 復讐のコラージュ 福本和也 |
(2022/03/30 04:46登録) (ネタバレなし) 昭和の後半。証券会社の辣腕調査員だが、冴えない風体の中年・詫間伊平は、秀才の中学生だった息子・美津夫を、放蕩者の大学生・瀬島博の乱暴な運転でひき殺される。博の父親の瀬島恭三は一流企業の常務で、金の力と弁護士の手腕で息子の失態を丸め込み、さらに伊平を失職に追い込んだ。そして伊平の美人妻だが悪女である美津子も夫を裏切り、恭三の愛人に収まった。厚顔かつ豪胆な恭三は、妙な縁で知り合った伊平の調査能力を高く評価し、自分の野望を果たすための飼い犬として使おうとする。大事な息子・美津夫を殺した若者の父ながら、罪悪感のかけらもない恭三に対し、伊平は恭順するふりをして、最大の打撃を与える機会を狙うが。 主人公・伊平の復讐の冷えた熱い情念、副主人公といえる恭三の野心の驀進などを軸に、色と欲にまみれた昭和クライムノワール。 自分は徳間文庫版で読了。 梶山季之や黒岩重吾、あるいは菊村到あたりの諸作に近い路線だとは思うが、評者はあまり詳しくない(関心はある)ので、正確なことは語れない。いずれにしろ、21世紀のお堅い女性読者などは絶対に手にも取らないであろうピカレスク群像劇である(今ではこういう物言い自体が、よろしくないのかもしれんが・汗)。 ただし<そういうもの>を、(それこそ評者のように)とりあえずウェルカムとして楽しめるのなら、なかなか読み応えのある作品で、正直、予想以上に面白かった。もちろん推理小説でもなんでもないが、広義のミステリには十分なっているとは思う。 (まああえてミステリのレッテルにこだわらず、いわゆる中間小説として読んでいいようなタイプの作品だが。) じわじわと罠や策略をしかけ、周囲の人間をコマとして使う怪しい面白さ、醜く弱く、しかしホンネ剝き出しの各キャラの動静、それらが築き上げていく猥雑な読み物のパワフルさが、なんというか、福本和也ってここまで書けるヒトだったのね、という感じであった。 たぶん周囲の協力を得たり、資料を読み込んだりしたんだろうけど、ストーリーの流れの上で、各種業界や当時の経済状況などにも話題が広がっていく。 この辺、入念な取材の結果が活きた感じで、読み進むこちらの方も、雑学的に妙な知識が増えていく気分でオモシロイ。菊池寛が言ったという「小説とは要は面白くてタメになる本のことなのだ」という至言をひとつの形で具現化したような感触さえある。いや、あくまで通俗小説で通俗ミステリだけれどな。 終盤、まとめ方がちょっと尻切れトンボっぽいが、これはこれで狙った演出で、作品の味なのでもあろう。奇妙な余韻を感じたりもした。 正直、しょちゅう読みたいタイプの作品ではないけれど、自分のような俗人はこういう作品もたまに読むとすごく面白がれたりする。秀作。 |