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ミステリの祭典

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郵便配達は二度ベルを鳴らす
別題『郵便屋はいつも二度ベルを鳴らす』『郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす』『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』

作家 ジェームス・ケイン
出版日1954年01月
平均点6.62点
書評数13人

No.13 7点 人並由真
(2022/03/14 21:21登録)
(ネタバレなし)
 ケインの4冊目にして、ようやく本命を読んだ(笑・汗)。
 書庫から見つかった、小鷹訳版(HM文庫)で読了。
 なお歴代の映画版はまったく観ていない。
 ラストのオチ(?)は、前もってどこかで聞き及んでいた。
 
 紙幅は短め、その分、プロットはシンプルであろう、しかしそれにも関わらずそれなりにヘビーな内容であろう、とかアレコレ予期しながらページをめくり始める。

 主人公2人とご主人パパダキスの存在感は当然として、弁護士カッツ、地方検事サケット、私立探偵パット・ケネディなどのサブキャラクターたちも、いい味を出していた。
 HM文庫版132ページのコーラのセリフなど、あまりに詩文的な言葉の使い方にホレボレ。こんな文句を即興で口にできるヒロインが、なんで女優志望だった時代に芝居がヘタとかで大成できなかったんだろ。なんかキャラクターの造形が、別の意味で整合していない気がする。まあ、即妙に言葉を操れるのと、演技の表現はまた別の才能だということかね。

 (中略)に向かって進むのは(中略)ながら、少し意外な形でやってきたソレ。
 クライマックスからエピローグにかけての潮が引いていくような幕引きは、なんともいえないペーソス感を抱かされる。
 HM文庫版の訳者あとがきで小鷹信光が書いているように、これはまぎれもない青春小説。それもほんのり明かるく、その明暗が推移するグラデーションが、読み手をイラつかせる。
そんな闇色の、若者たちのストーリー。

No.12 7点 虫暮部
(2020/12/18 13:31登録)
 えっ、郵便配達夫と不倫する話じゃないの?

 ――まぁ貴方、一体どこから部屋に入って来たの?
 ――おぉマダム、何を隠そう僕は透明人間なんですよ!
 みたいなのを期待していたのに……。

 それはともかく。この手の作品のパターンが定まる以前に、手探りで話を導いて、作者自身がびっくりしているような瑞々しさを感じた。
 裁判の茶番ぶりは笑っていいところ? コーラが意気込んで食堂経営に乗り出すところが可笑しい。(見当は付くけれど)アンモニア・コークって何?

No.11 7点 Kingscorss
(2020/11/12 17:02登録)
映画化もされてて超有名このタイトルをな2014年版の新訳で読了。とても読みやすかったです。

ミステリー要素的には倒叙ミステリーであるのも手伝ってかなり薄め。どこにでもいる男と女のありふれた犯罪小説として、本作はリアリティーもあり質は高い。

どこがすごいとか言われると言葉に困るのだが、なんとなくスラスラ読めてなんとなく面白かったみたいな読了感… 最後の終り方も好き。なので刺激を求めるミステリーファンにはあまり面白くないかも…

一番の謎であるタイトルの”郵便配達員”が最後まで全く出てこないのでどうなっているかと思った(もしかして印刷ミスとかで抜けてる?とかも思った)が、あとがきにその辺の事情が書いてあったので興味深かったです。まさかそんな理由でタイトルがこれになったとか… 正直本作の内容よりもこのタイトルがつけられたバックストーリーのほうが衝撃だった。

No.10 7点 ◇・・
(2020/04/12 19:33登録)
ミステリの枠にとどまらず、暴力と性を主題にしたことで、本作品はアメリカ文学全体にも大きな影響を与えた。
文体においても、浮浪者である主人公の一人称、つまり、日常の言葉で綴られるという画期的なスタイルになっている。今日では珍しくもないが、当時は衝撃的だった。このような文学史上の価値は別にしても、ミステリとしても優れている。
二百頁足らずの中編だが、いわゆる倒叙形式で、完全犯罪が実行され、それが意外な形で破綻していくまでが描かれ楽しめる。

No.9 8点 蟷螂の斧
(2019/10/22 16:44登録)
(再読)「東西ミステリーベスト100(1985年版)」の56位。かすかな記憶はボニーとクライド(1934年に銃殺)に似ていたような?でした。訳者あとがきによれば、本作(1934)並びに「殺人保険」(1936)は1927年のルース・スナイダー事件(保険金殺人)にインスパイア―されているようですね。題名については、脚本家から郵便配達員がいつも二度ベルを鳴らすという話を聞いて、本作では重要な出来事が必ず二度起きることより、タイトルに相応しいと思ったとのことです。

(ネタバレあり)
二度目の殺人、二度目の裁判、二度目の自動車事故など。 ミステリー的には裁判が一番楽しめました。歪んだ愛情で結ばれた風来坊フランクと人妻コーラ。本物の殺人が過失となり、本当の過失が殺人となる。因果応報。○○メーターでは、恋愛物語などとの評が多いのですが、フランクの”二度の裏切り”(調書での保身、コーラ不在中の浮気)があり、彼に愛を語る資格などない(笑)。

No.8 7点 斎藤警部
(2019/02/17 13:20登録)
この話は手が速いぜ兄弟。訳の古さもぶっ飛ぶ原文力にやられたよ。とにかくこりゃいいぜ間違いねえ! 性欲と食欲は飼いならせ、排便と睡眠のやつにはうまいこと従え、ってな。 訳が古いお蔭でズベ公だの旅がらすだの与太っぱちだの、イカした不良死語のオン・パレードにゃあサスガのオイラもタッチの差でシャッポを脱いだぜ?

そうそう、あのこだまのシーンはグッと来たね。即物描写でスリルを加速させるにゃ最高の自然舞台装置じゃねえか。 巧まざる死の際もどきでの名推理もなかなかだった。

そういや、リンダ&ボール・マッカートニーのバックスィートオヴマイカーを唄いたくなる、いいシーンがあったな。

No.7 7点 tider-tiger
(2017/10/28 15:30登録)
ミステリとしては6点。小説としては8点。
犯罪を枠にした愛と逸脱の物語だと考えております。エンタメとしては殺人保険の方が上だと思いますが、小説としてはこちらの方が好きです。
子供の頃から作品名はしばしば耳にしたことがありましたが、内容はまったく知りませんでした。母は「いやらしい小説」だと言ってました。
高校時代に書店で見かけて手に取ると、裏表紙に~ハードボイルドの名作~とありました。これってハードボイルドだったのか! 当時チャンドラーにかぶれていた私は即購入。
序盤は退屈に感じましたが、徐々に面白くなっていって、ラストでは強い衝撃を受けました。
感動といってもいいかもしれません。ただ、奇妙なインパクトを与えてはくれたものの、これはぜんぜんハードボイルドではないし、全体としてはそれほど面白いとは思いませんでした。
数年後『俺たちに明日はない』という古い映画を観たときに『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』との共通点(テーマが同じだと感じた)に思い至りました。
それから何度か読み返しましたが、若い頃は退屈だと感じた序盤が年を経るごとにどんどん好きになっていきました。最初の二十頁ほどで人物の性格がほぼ描かれ、物語の先行き、テーマも暗示されています。会話も素晴らしい。怖ろしいくらいニュアンスに富んだ書き出しで、この序盤は理想的な一人称文体の一つだとさえ思えてしまいます。

私の持っている本作の版は巻末に『私の小説作法』なるケインのエッセイが掲載されております。非常に興味深いものでした。一部抜粋します。
~私はタフであるとか冷酷であるとか、ハードボイルドであるだとか、そういった文体を試みたことは一度もない。その登場人物であればそう書くであろう文体で書こうとつとめているだけのことである。~
~物語に関心を持たせる前に、登場人物に関心を持たせなくてはいけない。~

レイモンド・チャンドラーの御言葉
「私はケインが嫌いです。汚いものを書くのはいいんです。ケインはそれを汚く書くのです」
チャンドラーの「嫌い」を自分はあまり真に受けていません。
チャンドラーは「自分もやってみたいけどできない」ことを「嫌い」だと表現しているように思えてならないのです。
「ミステリは馬鹿馬鹿しいから嫌い、ヒッチコックはとにかく嫌い、ケインは汚いから嫌い」
でも、おまえ詳しいじゃん。どう思います?
※私はチャンドラー大好きです。

最後に邦題について
『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』がベストだと思います。

No.6 7点 クリスティ再読
(2017/09/03 22:45登録)
昔ヴィスコンティの映画は見たなぁ。イタリアン・ネオリアリズモのざらついた白黒画面で、記録映画的に感情移入を排した犯罪映画だった。何か皆さん、本作よくわからなくて困ってるみたいだねえ。どんなジャンルでも「ジャンル確立期」はまだそのジャンルの「内容基準」が完全には定まっていないから、結構その後の基準からは逸脱的な作品が「古典」扱いにされることもママあるわけで、本作とハードボイルドの関係はそんなもの。
本作、欲望とルール、がテーマだよ。フランクとコーラは、まさに情欲が情欲だからこそどうしようもなく結びついて、邪魔者である夫ニックを排除するのだが、それもどうしようもなく行き当たりばったりで、殺人計画も杜撰といえば杜撰で、仕掛けて中止するとか保険みたいな予想外の要素も飛び出すような、ズブズブな犯罪しか計画できないわけだ。そりゃそうだ、単に二人とも相互に対する欲望に捉われているばっかりで、その欲望は何のルールも社会性もあるわけはない。本当に不定形なリビドーに過ぎないわけだ。
しかし、いったんそれが犯罪、というかたちで「社会化」されてしまうと、その不定形なリビドーが社会のコトバによって解釈され、再解釈のゲームの中に放り込まれる。そこらへん、もうこの二人の力の及ぶところではない。だから、意外なところから飛び出した保険の利害によって、真相も意図も越えたところで二人の運命は翻弄される。裁判の中で相互に裏切りあいながらも、たまたま保険会社の利害が無罪を選択させるために、二人は釈放される...しかし別なすれ違いがここから始まる。コーラは食堂商売が軌道に乗る「安定」に執着しだして、放浪者フランクとの間にはスキマ風が吹く。二人の関係を社会的な枠に収めようとするコーラは、フランクを結婚で縛ろうとするが、その婚姻という社会的な関係が、あっけないコーラの死の「解釈」としてフランクの首を絞めることになる...
本作のイイところとは、これほど社会的な関係と解釈が変転しても、フランクとコーラの愛が一切揺るぎがないことである。そもそも愛と情欲の肉体は、社会化と解釈の「彼岸」にあるのだ。

「咬んで、あたしを! 咬んで!」咬んでやった。唇に深く歯を立てると、おれの口の中に血がほとばしりでた。あいつを階上に運んで行くとき、血が首すじをつたった。

要するにこういう愛、なのさ。

No.5 5点 E-BANKER
(2014/10/01 21:36登録)
原題“The Postman Aiways Rings Twice”。
1934年発表。映画化されること七回、邦訳も何と六回という不朽の名作。
最近新潮文庫で発刊された新訳版で今回は読了。

~何度も警察のお世話になっている風来坊フランク。そんな彼がふらりと飛び込んだ道路脇の安食堂は、ギリシャ人のオヤジと豊満な人妻が経営していた。ひょんなことからそこで働くことになった彼は、人妻といい仲になる。やがて二人は結託して亭主を殺害する完全犯罪を計画。一度は失敗するものの、二度目には見事成功するのだが・・・~

今さら私ごときが「どうのこうの」と書評するような作品ではないはず。
というわけでThe End・・・でもいいのだが、何となく思った雑感が以下のとおり。

他の方も書かれていたけど、何となく散漫というか、テーマが見えてこないなぁーという気はした。
犯罪小説ほどの緊張感はないし、ハードボイルドほどの雰囲気はない。ラブストーリーと呼ぶには殺伐としているし・・・
(強いて言うなら、まぁジャンルミックスということか?)
文庫版で200頁強の短い作品だけに、行間というか余韻を楽しむべき作品ということなのだろう。
巻末解説では訳者の田口氏が登場人物たちのキャラクター造形を褒めているが、そこは「確かに」と首肯するし、これこそが繰り返し映像化されてきた所以ということに違いない。

前夫殺害に見事成功した二人が決して幸福にはならず、悲劇的な終末を迎える刹那。
こういう因果応報的な考え方は世界の東西を問わず共通ということなのだろうなぁ・・・
解説にはタイトルの由来についても触れられていて興味深い。
(やっぱりストーリーとは全然関係なかったんだね)
最終的には・・・やっぱり映像で楽しむべき作品なのだと感じた次第。
(猛獣を飼育している女って・・・何かを象徴しているのか?)

No.4 6点 mini
(2014/07/14 09:57登録)
先日10日に光文社古典新訳文庫からジェイムズ・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の女性翻訳者による新訳版が刊行された、引き続いて8月にも新潮文庫から同作者の「カクテル・ウェイトレス」と共に刊行が予定されていて、まるでJ・ケインブームでも到来したかのようだ
早川文庫版も有ったように従来からミステリーの枠内でも語られる事の多い作だが結構一般文学的取り扱いもされている

当サイトでのこれまでの各書評者さんの御書評に的確に言い表わされているので私が新たに付け加える部分はあまり無い
いやむしろ私が単なる取りまとめ役に徹するのが適当かも(苦笑)

Tetchyさんの書かれていた”顔の見えない小説”という御指摘はまさに同感、前半はノワール文学の先駆かと思っていると後半に腕利き弁護士が登場してくるあたりから主題が訳分からなくなってくる
内容と全く関係無い題名の由来は超有名だが、作者はわざと主題をあいまいに書いたのか?と疑いたくなってくる
空さんも御指摘されているミステリー要素もかなりあるという面も同感、この作が従来ミステリーの枠内に含められてきたのも当然でしょう
臣さんが一言でジャンルを言い表わしておられる”ハードボイルド風犯罪心理小説”というのも全く同感、たしかにハードボイルド”風”なんですよね、”風(ふう)”
書かれた時代がヘミングウェイと近いし文章だけならハードボイルドなんだけど、内容的には犯罪小説に近い、少なくとも狭い意味での私立探偵小説としてのハードボイルドというジャンルじゃないよねこれ
ガーネットさんも書かれてる”心理描写を省略した”という面も文体だけならハードボイルドという事ですよね
結局のところ、アボカド、いやハードボイルド風とネーミングしただけの得体の知れないピザのようなお話でありました

No.3 6点
(2012/07/03 09:53登録)
ハードボイルド風犯罪心理小説。
フランクとコーラの絆は強いのか、弱いのかよくわかりません。最後には判明しますが、かなり危ういのにはちがいありません。そんな危うさが読者を惹きつけるのでしょう。中途は、これからどうなるんだといったワクワク感でいっぱいでした。
はっきりと分かれているわけではありませんが、概ね三部(もしかして四部)に構成されていて、そんな構成の変遷が読者をさらに楽しませてくれます。ただ、後半に、もうひとつ盛り上がりがほしいところです。ピューマもなんだかわかりませんしね。

通俗小説をヘミングウェイ風のハードボイルド文体で書けば文学に変身するかというと、微妙です。やはり通俗は通俗なのかな。でも決して悪い意味ではなく、似非文学風通俗ミステリーだからこそ楽しめたのだと思います。

No.2 7点
(2012/02/16 17:43登録)
郵便配達なんて登場しませんし、これほど内容と関係ないタイトルの付いた小説もめったにないでしょう。
ジャック・ニコルスンが主演した映画は見たことがあるのですが、それだけでなく、イタリアの巨匠ヴィスコンティ監督も映画化したことがあるそうです。また、カミュの『異邦人』も本作から影響を受けたのではないかと言われていて、影響力の高い作品です。そう言えば、ヴィスコンティは『異邦人』も映画化してましたっけ。
ヘミングウェイ同じく、むしろハードボイルド系純文学と見るべき小説なのでしょうが、ただ殺人者の視点から描かれたというだけでなく、ミステリ的な要素もかなりあります。特にカッツ弁護士の法廷戦術と、その後のしゃれた計らいなど、ペリー・メイスンをも思わせるほど。豹を飼う女マッジの人物像と存在理由が薄い不満はありますが、短いにもかかわらずなかなか読みごたえのある作品でした。

No.1 5点 Tetchy
(2009/10/09 01:23登録)
※ネタバレ含む※

意外にも“顔”の見えない小説だった。ニックとコーラ、そして主人公のフランクの3人で暮らし始める冒頭からニック殺害までは、実に際立っていたのだが、その後の裁判において弁護士や検事が出てくる辺りから、全体像がぼやけて非常に散漫な印象を受けた。
主題が見えないのだ。

結局フランクは捕まり、死刑執行までにも至る。だが、捕まる時の彼は冒頭に現れた時の彼ではなく、女を愛し、共に暮らす事を望む1人の男にしか過ぎない。

そうか、幸福とは掴もうとするとするりと抜けていく皮肉なもの、そう作者は云いたいのか。
もしくは悪行は必ず報いを受けるものだと?
もう一度、数年後に読み返す必要があるのかもしれない。

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