| 人並由真さんの登録情報 | |
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| 平均点:6.35点 | 書評数:2280件 |
| No.2020 | 6点 | 恋愛ゲーム殺人通信 風見潤 |
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(2024/04/15 07:23登録) (ネタバレなし) 1990年代の初め(たぶん)。編集プロダクション「UTAプロダクション」に勤務する26歳の女性編集者・宝生敦子は、同い年の翻訳家・加賀淳平の原稿を受け取る仕事の最中に、かつての勤務先「武蔵火災海上」の後輩で友人だった高瀬知美が急死したことを知る。知美は縊死による自殺と見なされた。だが敦子は、知美は機械にまったく弱かったはずなのに、当人の住居にワープロやパソコン通信用のモデムがあることに不審を抱いた。アマチュア探偵として動く敦子は淳平とも連携し、やがて意外な事件の真実が暴かれていく。 文庫書き下ろし作品。『死んでも死ねない殺人事件』に続く、翻訳家探偵・加賀淳平シリーズの第二弾。ただし主人公は敦子の方で、作者はあとがきで彼女をシリーズキャラクターにする気がある旨、語っている。 とはいえ実際にどうなったかは、評者はよく知らない。なんせ風見ミステリは、本書が初読みのハズなので(笑・汗)。 (もしかしたら大昔にソノラマ文庫の方の風見作品は、何か読んでいたかもしれないが、もし読んでいたとしたら、すっかり忘れている。) 本作作中の記述が正確なら、刊行当時にパソコン通信の利用者は60万人。ネット文化がこれほど浸透した2020年代の現在ならお笑い種の参加者数だが、当時は急速成長する過渡期の文化で、関心を抱く初心者の数も、上向きに流動的だった。本書はそういう時代の一般読者に向けた技術ハウツーもの、という側面も大きかった、そんな長編ミステリのようである。 当然、今となっては、そういう30年ちょっと前の文化事情を覗く意味で、面白さも感じる一冊となっている。 (評者も一応、当時からパソ通は利用していたが、ここで初めて知った&当時は知らずに通過した、機能や技術などもいくつか紹介されている。) ミステリとしては一応はフーダニットだが、犯人を隠す気はほとんどないような作り。むしろ、どのように犯行が形成されたかの謎解きの方が面白く、パソ通という作品の主題をちゃんと活かしてあるあたりには好感が持てる。 赤川次郎風のライト級ミステリだが、その辺の練り込みようは大半の赤川作品の比ではないだろう(まあ、そういう評者も、引き合いに出した赤川作品は、たぶん100冊も読んでないけれど・汗)。 早逝された水玉螢之丞先生のジャケットカバーのイラストが懐かしい。表紙の女性はヒロインの敦子なんだろうけど、設定では髪がショートカットなので、作者と編集者と水玉先生のコミュニケーション不足orミス? と思いきや、本文の挿し絵の敦子はちゃんとショートヘアである。表紙の方はカラー印刷なので入稿の締め切りが早くて齟齬が生じ、中味の方はちゃんと整合させられたんだね。 冒頭から敦子の仕事の苦労ぶりを語る描写として、いかに短期間で一冊の本を作るかという逸話が語られるが、この作品自体、かなりピーキーな日程で本になったことが窺えた。 |
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| No.2019 | 8点 | 審判の日 ポール・アンダースン |
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(2024/04/15 05:06登録) (ネタバレなし) 地球人が外宇宙モンワイング星系などの友好的な異星人と接触し、授かった宇宙テクノロジーによって星間航行の技術を飛躍的に発展させた時代。男性クルーのみ300名の乗員とモンワイング星系からの使節タング人のラムリを乗せた宇宙探査船「ベンジャミン・フランクリン号」は、地球時間で3年ぶりに太陽系に帰還した。だが安息なはずの故郷=地球は人為的な謎の超大型破壊兵器の影響で壊滅し、死の星となっていた。月面や宇宙衛星の地球人も死滅し、フランクリン号のクルー、カール・ドンナンたちは、既存の銀河文明のなかに仮寓の居場所を求めながら<地球殺し>の犯人の真実を探ろうとする。一方、宇宙の別の場では、フランクリン号の一年後に地球を出発した女性クルーのみの宇宙船「オイローバ号」がやはり銀河文明のなかで生存の道を求めていた。 1961年のアメリカ作品。 日本人にも口当たりの良い本格SFを著することで知られる(という感じの印象が評者などにはある)作家ポール・アンダースンの、有名なSFミステリの名作。 誰(銀河のどういう属性の異星人)が地球を滅ぼしたのか? また、それはなぜ? という壮大なフーダニット、ホワイダニットがセールスの、短めの長編(ハヤカワSFの銀背で本文190ページちょっと)。だが中身は濃い(叙述は旧作なので、ハイテンポで重厚さはあまりないが)。 『スタートレック』みたいに亜人種のヒューマノイド宇宙人が広大な銀河を席巻し、各自の母星や星系に独自の文明を築いている世界観(宇宙観)はオハナシの舞台としてわかりやすいが、そのなかで前述のスケールの大きいフーダニットの興味とは別に、宇宙の孤児となった二組の地球人たちがどう生きのびるか、そのあれこれの苦闘や異星人との駆け引きも眼目となる。 その辺のSF的なバランスもかなり多めで、悪い意味でミステリ要素だけに寄りかかったSFミステリではない。ちゃんとSFであり、同時に変化球の設定の本格的なミステリになっている。 真相については、あれこれここで言うのはもちろん控えるが、全体の4分の3あたりのところで「(中略)」との想念が湧き、そして本当のクライマックスで「ああ……!」と軽く息を呑んだ。そこに持っていくまでの伏線というか、読み手にちゃんと思考が動く布石を張ってあるのもお見事。確かに、そうなんだよな。 そして真相の発覚のあと、物語世界がやがて迎える未来に向けてその暴かれた真実から連鎖してゆくあたりは、SF文明論の醍醐味(それも結構な風刺の効いた)であって、なるほどこの中身のつまったコンデンス感は並々ならぬものがある。連続テレビドラマ化したら「画」になりそうな名場面も多く、これは噂通りの優秀作、といっていいであろう。 若干、思っていたよりずっと多層的な構造の作品だったので、そのことに戸惑いを感じないでもないけれど、作者の着地点がこれで正しかったことは納得できる。 実を言うとアンダースン作品、これが初読みなんだけれど、あのキャラクターが客演の『タイム・パトロール』ほか面白そうな作品が題名を知っているだけでも数作あるんだよな(すでにちょっとは購入してあるが)。 50~60年代の旧作海外SF好きとしては、少しずつ楽しませていただくことにしましょう。 |
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| No.2018 | 7点 | 明日こそ鳥は羽ばたく 河野典生 |
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(2024/04/14 06:58登録) (ネタバレなし) 1974年の後半。ジャズミュージシャンの鷹取幹夫は、インドから帰国した画家・林が現地で撮影して録音した記録映像に接して驚く。その映像のなかでは現地の少年が、鷹取の忘れじのメロディ「鳥」を楽器で演奏していた。それは、4年の間、消息不明な、現在は24歳になっているはずの異才の若手トランぺッター「ジョー」こと混血児の澤村丈治が作曲した旋律だった。鷹取はインドに向かい、現地の人々の証言からジョーの行方を追うが、そんな彼の前には多くの人々との出会いとそして現在のインドの現実が待っていた。 第二回角川小説賞受賞作。初出は「野性時代」の1975年3月号での長編一挙掲載だが、その後、クライマックスを相応に改稿・増量されてハードカバーで同年の秋に書籍化された。評者は今回、その元版のハードカバーで読了。 主人公の鷹取が出会う人々の芋づる式の証言を主な頼りに失踪したジョーの行方を追う物語は、まさしく私立探偵小説の定法に近しいが、追いかけるキーパーソンのジョー自身には直接の事件性や犯罪性などは皆無で、もちろん狭義のミステリではまったくない。 ただし先に書いたように手法的、作劇的に失踪人捜しのミステリを思わせる形質の作品で、劇中で鷹取は異国の地で知り合った英国女性のヒロインから「フィリップ・マーロウ」に二度もなぞえられる。真っ当なミステリでは決してないが、その程度にはミステリというカテゴリと接点のある作品として、本サイトで拙い感想を語らせていただく。 結局、作品のカテゴリとして確実にそういえるのは音楽小説(ジャズ小説)であり、インドを舞台にしたロードムービー風の紀行小説であるし、さらに当時のインドそのものと日本を含む諸国との対比までを視野に入れた文明論ノヴェルといえる。 ああ、あと重要な側面として、何より、ジャズを愛する河野典生流の完全なハードボイルド小説。ジョーを追う鷹取の執着は執拗で強靭だが、ジョーの音楽性、そしてメロディ「鳥」の中にどういう情感やサムシングが潜むのかは、実はほとんど明確な言葉では語られない。それを読み取るのも、受け手それぞれの音楽的素養の中からイメージを組み立てるのも、無言で読者に託される。この突き放しようがハードボイルドでなくて、なんであろう。じわじわと効いてくる。 ストーリーテリングの面白さとしては、いくつか読み手を飽きさせない工夫があるような気もするが、その辺も実はエンターテインメント的なサービスで用意したツイストというより、鷹取のジョー捜索の行状の上で、作者がしかるべき試練を主人公に与えた感じ。小説の文芸としての必然の方を感じたりする。 ちなみに評者はジャズがまったくわからない人間で(というかロクな音感があまりない)、何回か名前が出て来るジョー・コルトレーンくらいはさすがに知ってるが、実のところソレも80年代のとり・みきの漫画を介してとかの知識だよ。もちろん、マトモに音楽として楽曲を聴かせてもらったことなんか一度もない。 ただしそれでも自分なりに、心に響く重さは(ちょっと以上は)確実にあったとは実感できる一冊なので、それは純粋に、作中で語る主題の如何を超えた<作品の力>だと思う。 もちろんどこまでも昭和、1980年代という時代性はついて回ってる中身だとは思うものの(インド国内の文明度や産業力って、このあとの20世紀の内から、大分変ってると思うし)。 2020年代の現在、ジャズファンが本作をどのように読んでどのように捉えるかまったくわからないけれど、もしもジャンルの素養がある人が本作を手にとったとき、良い手ごたえの接点を感じてくれればいい、とは思う。 |
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| No.2017 | 6点 | 殺人は競売で カーター・ブラウン |
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(2024/04/13 11:04登録) (ネタバレなし) 二年前に北京博物館から盗まれた、7世紀(唐時代)の美術工芸品の瓶子(へいし=酒を入れる容器)。鳳凰の装飾がある何万ドルものその品は、現在はロンドンの美術商ビル・ドナヴァンの元にあった。ドナヴァンは世界各地の美術コレクターにひそかな案内を送り、オークションでの高額落札者に品物を譲ろうとする。だが謎の人物がその参加者たちを脅迫し、品物への入札から手を引かせるよう暗躍していた。「僕」こと私立探偵ダニー・ボイドは「オバーン美術品店」の二代目社長で若い美人のシャロン・オバーンの依頼を受け、彼女の身の警護と落札が叶った暁の際の、品物の護送の任務を請け負った。ボイドは依頼人とともに、ロンドンに向かうが。 1965年のクレジット作品。ミステリ書誌サイト「aga-search」によればダニー・ボイドものの15番目の長編。未訳のものを含めれば長編だけで32冊あるらしいボイドの事件簿だが、日本に紹介された中ではこれがいちばん最後の登場長編となった。ちなみに原題は「CATCH me A PHOENIX!」で、「不死鳥を捕まえて」。キーアイテムの装飾の鳳凰を、不死鳥とごっちゃにしてるらしい。厳密には別ものだよね? ボイドものでは珍しい海外への出張編だが、荒事師とやり合う活劇場面も従来より多い感じで、今回の作劇はアクション主体(とキーアイテムの争奪戦)に舵を切ったか? と思いきや、中盤で、ちょっと読み手のスキを突く感じで殺人事件が発生。例によっての一応以上のフーダニットの趣向が用意されている。 お宝の奪い合いというメインプロットに関して、誰が最後に笑うか? のシーソーゲームがなかなか面白い(刊行当時としては、まだ、たぶんちょっと目新しかった? お宝の盗難予防策が登場している)。その一方、終盤の真相に向けてサプライズのネタもいくつか盛り込まれ、その意味でもそれなりに良い出来。ただ、評者の印象としては、前面に出た争奪戦の活劇の興味がいちばん大きかった。ゲストヒロインでは素直な正統派の美人キャラじゃないんだけど、ドナヴァンの実妹でクセの強いグラマー美女ローラの存在感が大きい。ボイドと成り行きから妙な連携を見せて、味のある芝居を見せる。 翻訳家はカーター・ブラウンの担当としては珍しい方の尾坂力だが、ボイドの一人称「僕」は似合わないな~という思いが強い。ボイドもの定番の「おれ」にしてほしかった。ボイドものの中では、中の中くらいの出来。 あと、ボイドが美人秘書のフランとしばらく寝てない(これまでは時たま、同衾している)、という主旨の述懐を胸中でするのは、ちょっと興味深かった。こういうあからさまな叙述って、実は私立探偵小説の中でも、意外に少ないんじゃないかい。 |
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| No.2016 | 8点 | 大空港 アーサー・ヘイリー |
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(2024/04/12 20:05登録) (ネタバレなし) 1968年1月。その夜、イリノイ州のリンカーン国際空港は雪嵐に見舞われていた。記録的な降雪の影響で、空港最長の滑走路「スリー・ゼロ」に旅客機が停車し、動かなくなるというトラブルのなか、44歳の空港長メル・ベーカスフェルドは当該の件を含む複数の難事に対応。だがそんなメル自身も実は、妻シンディや義兄で「トランス・アメリカ航空」の旅客機機長ヴァーノン・デマンストとの間に、悩みの種を抱えていた。そんななか、メルたち空港のスタッフは空港を離陸した欧州行きの旅客機内に、爆弾が積み込まれている可能性を認めた。 1968年のアメリカ作品。 いうまでもなく、20世紀アメリカ・エンターテインメント小説作家界の巨匠アーサー・ヘイリーの代表作。文庫版の上下二冊で二日かけて読了。元版は1970年のハヤカワ・ノヴェルズ版。 悪天候による旅客機離着陸の不順とその対処、巨大旅客機の整備と保全、航空管制、タダ乗りとその対策、空港スタッフの抱える種々のストレス、騒音公害、その被害に関してカネを儲けようとする弁護士、JFK暗殺事件の後日譚、航空保険、恋愛と不倫と妊娠、墜落事故、そして爆弾騒ぎ、機内の医者先生……と、正に<航空業界を舞台と主題にした社会派&ヒューマンドラマ娯楽小説>の、その関連ネタのデパートのような内容。 そしてその上でスゴいのは、そういった大量のネタの相互の錯綜、絡ませて有機的に発酵させる書き手の作劇や構成の手際である。 いやまあ、たしかに執筆から半世紀経った現在としては、もはや「王道!」と言い切れるものも大半ではあるのだが(クライマックスの一大サスペンスのシチュエーションの組み立て方など)、たぶんこの手の作品の源流となったものも、本作の中にはいくつかあるんじゃないかと思う。そのくらい、てんこ盛りで特上上乗せのサービス精神がすごい。 (主要キャラは魅力的な連中が多いが、中でも、無賃飛行常習犯の「ネコ婆」クォンセット夫人と、作品後半に意外なもうけ役となる、デマレストの脇のあのキャラが特にスキ!) で、十二分に面白い一大エンターテインメント絵巻ではあったが、ネットで知ったところによると(←今風に言う「聞くところによると」じゃ)、この早川の翻訳本(元版とその文庫版~他にはないはず)は悪訳・誤訳の見本市で、何千何万という翻訳小説本の中でも最高級にえーかげんな、翻訳&編集仕事の中身だという(え~!?)。 とはいえ評者は鈍いのか、ところどころ引っかかったものの<ソコまで>ヒドい翻訳だとは思わなかった? まあ、原書と比較して読んだわけではないので、その辺はね(日本語の国語としてもおかしい箇所も、いくつか指摘されてるが)。 気になったのは訳者あとがきが、上下巻の二冊ものなら通例下巻の巻末にあるところ、上巻の巻末に据えられていたりしたことだが、これに関しては二人の訳者が上下巻でほぼ分担して(厳密にはきっちり上と下の分業ではないようだけど)翻訳作業を実働し、中盤で訳者が交代する旨、読者に向けて上巻の最後で断ったということだから、まあ、そういうのもアリかな? 程度のもの。 かたや、悪い意味で「アレ」と思ったのは、実質的な主人公のメルが下巻の会話文のなかでいきなり一人称に「わし」を使い出したりすることで、なんじゃこれは? であった。こーゆーのは訳者の連携もそうだけど、いわゆる「編集者不在」もいいとこだと思う。 (どーも常盤&太田時代のハヤカワって、今の目から見るとダメさが目につくな。少年時代の信奉の念が21世紀になってから、逐次、揺らいでいく。) ネットでもちょっと検索すれば識者の方が、具体例を丁寧にあげて悪訳ぶりを指摘・説明しており、素人のこちらはその見識に異論を挟む余地はない。 ただしソレでも、作品そのものはべらぼうに面白かったという自分の評価に揺らぎはない。 80年代のジャンルミックス型作品<ネオ・エンターテインメント>の源流のひとつは、まちがいなく本作だと思う。筒井康隆も「みだれ撃ち涜書ノート」の書評のなかで、アーサー・ヘイリー作品のなかの「面白い」部類に入れていたのを思い出す(雑誌「(新)奇想天外」の連載時に読んだのみだから、記憶違いかもしれんが)。 だからできるなら今からでも、信頼のおける翻訳家に新訳を出してもらえばイチバンよいと思うんだよね。20世紀の新古典エンターテインメントとして、今後も読み継ぐ価値は十分にある作品だと思うぞ。 |
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| No.2015 | 6点 | ニャロメ、アニメーター殺人事件 辻真先 |
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(2024/04/10 05:57登録) (ネタバレなし) 20世紀末(たぶん)の東京。食うに困って、意に沿わないアダルトアニメの作画仕事を受けていた若手アニメーター・五十嵐玄也は、発注先のアニメ製作会社が倒産し、途方にくれる。そんな彼に声をかけたのは中堅アニメ製作会社「早見企画」の社長・早見三樹雄だった。早見の娘で美人の安芸朝夜(あき あさよ)にトキメキを覚えながら、玄也は早見の指示するままに新作アニメの企画書で、往年の人気アニメキャラクターたちをダミーのメインキャラに据えた「探偵王ニャロメ」を完成させた。自由な形式で書かれたその企画書は、一本のマトモな、しかしいささかぶっとんだ謎解きミステリでもあった。企画書「探偵王ニャロメ」の作中で殺人事件を追うニャロメ。だがその一方で、現実の世界でも殺人事件が!? 二十年近く前に古本で買っておいて(426円の値札がついてる。消費税の過渡期とはいえ、中途半端な値付けだ?)そのうち読もう読もうと思いつつ、月日が経ってしまった一冊(毎度おなじみのパターン)を、このたび一念発起して読了。 メタ的な側面で「探偵王ニャロメ」作中のニャロメは、おなじく既成のアニメキャラたちが客演する辻作品の旧作『アリスの国の殺人』の世界観と、今回の物語世界がリンクしているという主旨のことを口にする。そういう路線の作品という属性もある。 2000年の作品で、すでに日本のアニメ界には『エヴァ』も『ポケモン』も『もののけ姫』も登場している時節であり、あとの二つのタイトルは本書の作中にも実際に出て来るが、あくまでメインとなるのは辻先生本人がシナリオの執筆に関わった、60~70年代の旧作アニメばかり。その辺は、意識的に、しっかりとした縛りになっている。 メタ的な趣向はてんこ盛りの作品で、正直、読んでいて感想(これはオモシロイと思ったり、なんだ生煮えだと嘆いたり、ときに腹立ったり)のゲージが、メチャクチャ上がったり下がったり、であった。 随所で、あー、狙いは面白いのにこなれは悪い、いつもの辻ミステリ……との感想が喉まで出かかったが、最後まで読んで、まあまあ悪くなかった……佳作? くらいには評価が上がる。作者がいろいろ好き勝手やりまくったことは、ほぼ全面的に肯定したい。 なお自著において「~殺人事件」のタイトリングは基本的にスーパー&ポテトものでしかやらない作者だが、今回はあえてその禁を破った。しかしそのことについてしっかりあとがきでエクスキューズしている律義さに笑って、微笑む(←今回はこのふたつはちょっとニュアンスの異なる行為)。 この時点ですでに辻先生、自分をもう老人だのいい年だのと自嘲していた。それから24年、我らの巨匠はいまもご壮健である。 怪物作家、どうぞいつまでもお元気で(←池田宣政リライト翻訳版『八点鐘』のオルタンス風に)。 |
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| No.2014 | 6点 | 地獄のハマーヘッド ジェイムズ・メイオ |
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(2024/04/09 21:41登録) (ネタバレなし) 複数のスパイ組織を遍歴し、現在は英国の特別諜報局の海外支部の任務を請け負う諜報員チャールズ・フッドは、その夜、いわくありげな50歳がらみの男「トゥーキー・テイト」ことアーサー・テイトと関わり合う。何やら機密を秘めて具合の悪そうなテイトをフッドは気に掛けるが、彼はいつの間にか姿を消した。その直後、フッドは任務で、斯界で有名な富豪で絵画コレクターのエスプリトゥ・ロバールに接触。フッドは美術画のディーラーを装い、何やら陰謀の匂いがするロバールの大型ヨット「トライトン号」に潜入するが、やがて彼は自身の生命の危機のなかで、突拍子もない敵の奸計を認めた。 1964年の英国作品。 ポケミスの解説によると、諜報員チャールズ・フッドのシリーズ第四作だそうである。 ポケミスの表紙のタイトルの上に<チャールズ・フッド・シリーズ>と書かれながら、日本で紹介されたのはあとにも先にもこれ一冊のみ(……)。シリーズも何もあったもんじゃない。ネットにもマトモな書評などまったくないし、じゃあどんなんだろう? と、例によって、いささかもの好きな興味が湧いて、100~200円の古書を入手して読んでみる(ちなみに気が付かないうちに、同じ本を二冊買っていた・汗)。 ポケミスの解説では当時のハヤカワの編集者H(太田博=各務三郎?)が、その作風をフレミングやスピレインになぞらえているが、実作を読んでみると、まあ確かにその辺の名前が出てくるのは理解できる。 上流家庭・中流家庭、の意味で、フッドのどこか品格を感じさせる上流性はフレミングっぽいし、一方でカラッとしたしかし相応の残酷バイオレンス活劇の描写などはスピレインのある側面に通じる。 で、肝心のストーリーだが、本作に関してはなかなか悪役ロバールの陰謀の実体が明かされず、敵陣営の周辺をフッドが動き回るなかで美女に出会い、次第に本性を見せてきた敵側がフッドの命を狙う。コアの部分はなかなか見えないものの、物語自体にはほどよく動きがあるので、飽きることはない。 (一方で、とんがったものや新しいものもそうはなかったが。) 敵の陰謀がほぼ判明し、本部の方になんとか通信をはかり、ひと段落したフッドが、ここで一息とばかりに、事件のなかでたまたま出会った美人に連絡をとってデートをするくだりはちょっと笑った。事件がまだ完全解決しないなか、とにもかくにも時間の余裕がいっときできたので、余暇をムダにせずにアバンチュール、という合理的な思考にちょっとだけフッドのキャラクターの個性がのぞける。 悪役ロバールの考えていた陰謀の中身はここではもちろん言わないが、はあ、1960年代の半ば、こういうネタでスパイスリラー一本仕立てたんだね、という意味でそこそこ面白かった。大時代でもしかしたら、マンガチックと切って捨てる人もいるかもしれんが、個人的にはエンターテインメントとしてのセーフライン。 2020年代のいま、60年代のシリーズ活劇スパイもののひとつ、として読むならば、全体としてはそれなりに面白かった。ただまあ、当時のスパイヒーローの売り手市場のなかで、これが日本で特化した反響を得られなかったのもまた仕方がないだろう、とも思う。 シリーズの翻訳の数がドバドバ出ていたら(原書が総数何冊あるのかはまったく知らないが)、マルコ・リンゲくらいのファン層は日本でも築けたかもしれないレベルだとは思うけどね。 なお今回は名前しか出てこなかったけど、フッドには21歳の元女優でアメリカ娘のおきゃんそうな? 秘書ジャッキー・プリーズというのがいるそうで、どうせならその彼女の活躍するハナシ(フッドの事件簿)を先に翻訳紹介してほしかった。そっちが先に紹介されていたら、なんか日本でのウケも違ったかもな~と、当のヒロインに会いもしないうちから、実にテキトーなことを言ってみる(笑)。 評点は6点。まあ悪くはないです。それなりに楽しめた。 最後にタイトルロールの「ハマーヘッド」とは、頭がカナヅチ状のシュモクザメの意味。一応は、暗黒街? でのロバールの別名・異名だと、どっかでちょっとだけ説明されていたような気もするけれど、実際にはこの呼称(コードネーム)は、本文中にほとんど出てこない。地の文での悪役当人の表記は、フツーにみんなロバールである。 この辺のハッタリがハッタリにならないハズしぶりは、もしかしたら本邦でのウケに、悪い方に響いたかも? |
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| No.2013 | 9点 | 地球移動作戦 山本弘 |
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(2024/04/08 22:38登録) (ネタバレなし) 21世紀後半。人類は、不世出の天才科学者・結城ぴあのが考案した革新的な科学技術「ピアノ・ドライブ」の恩恵を受け、さらには世界的な宗教戦争の激減、AI技術の発展などにより、新たな未来に向けて進んでいた。そんななか、2083年、ピアノ・ドライブで外宇宙を航行する宇宙探査船「ファルケ」が観測目標の天体「2075A」の驚くべき実態を認めた。そしてその、のちに全地球人から「シーヴェル」の名で認知される2075Aは、24年後に太陽系に到達~地球との直接衝突はないものの、全人類の破滅を導く大災害を誘発する危険が確認される。人類の未来を案じたシーヴェルの3名の乗員科学者の献身的な研究をもとに、国連宇宙局(UNSA)は種々の対策をはかるが、全人類の意志統一は困難で、さらに多くの障害が続発する。 先日3月29日に68歳(いまの時代ならまだまだお若い……)で逝去された作者・山本弘氏が、東宝黄金期の特撮映画の名作『妖星ゴラス』へのオマージュを込めておよそ今から15年前に執筆した、地球全体規模の一大クライシスを描くSF長編。 評者は今回、文庫版の上下巻で読んだが、その上巻の巻頭に、『ゴラス』の原案原作者・丘美丈二郎ほか関係者への献辞が捧げられている。 評者は作者の実作(小説)は本作を含めてまだ数作しか読んでいないし、いろいろと人間的に個性の強い方というのは見知っていたが、実はなにより80年代に雑誌「ふぁんろーど」の常連投稿者として、一番身近に感じていた(あくまでこっちは同誌の一読者、向こうはすでにSF界そのほかのビッグネームファンとして、だが。もちろん面識などもまったくない)。 さらに言えば、亡くなられたばかりの作家の著作を供養として儀式的に読む習慣もあまりないので(そういうことをなさる方を否定する気は、毫もないが)、本当に今回は深夜に衝動として読みたくなった積読の本のなかから、本作を手にとらせてもらった。 (とはいえ潜在的に、やはり、逝去された故人への自分なりのケジメ? の気持ちが心のどっかにあったかもしれず、それは自分でも未詳だが。) 前述の通り、大枠は地球(太陽系)に外宇宙から迫る超質量の巨大天体のクライシス、そしてそんな人類未曽有の危機を脱するための<地球移動作戦>だが、もちろん原典であるほぼ半世紀前の映画『ゴラス』のまんまの科学観ではない。 アップトゥデイトされた21世紀の豊富な科学観(まあ当方は素人なので、疑義も挟めず黙って説明を見聞きするばかりだが)で、本作なりの地球移動作戦を説得にかかる。 ちなみにどう移動作戦を原典から現代風にアレンジしてるかは大きな興味で、ある種の発想の転換といえるポイント部分は非常にシンプルなもの。正直「あっ!?」と声が出た。たぶん本作の、一番大きなキモである。 さらに亜人種としてのAI(人工知性体)という要素の取り込み方、『さよならジュピター』やニーヴン&パーネルの『悪魔のハンマー』を想起させる<人類内の敵>というファクターの組み入れで、物語は多層的な厚みを増し、正直、中盤のヒネリ部分も、後半のクライマックスもいずれにしろ、破格に面白い。中盤の<対決>の描写がひとつの大きなヤマ場で、ここで読み手としては居住まいを正した。 例えて語るなら、原作小説版『日本沈没』を映画『ゴラス』の規模で語り、そこに80年代以降のネオエンターテインメント的というか20世紀末の『エヴァンゲリオン』以降の総合エンターテインメント的というか、あっちの方向からも、こっちの角度からも楽しめるまとめ方をして、かくのように仕上げたという大長編。 ただし物語後半のベクトルは、天体シーヴェルとの最大接近の前後「ゼロアワー」という収束点が当初から明確なので、散漫な作劇の印象はまるでない。ハイテンションのなかで作者の熱い筆致に心地よく身をゆだねられる一大スペクタクルSFになっている。 登場人物ももちろんそれなりに多いが、一方で物語のパースペクティブの広がりを勘案するなら、非常にコンパクトに、キャラクターの頭数が相対的に整理されている面もあり、そこら辺にも作者の筆の達者さを感じさせる。 二冊いっき読みで深夜から朝までかけて通読し、読書の快感を満喫。 あえて文句を言うなら……特にないんだけど、どっか頭のいい人の書いた器用さが小癪に見える点かな。ただ、作者はそんな才気以上に、ナマ汗を流しながら著した大作という感は確実にあり、結局はそんな手ごたえの前に一介の読者は、楽しませていただきました、いろいろ考えさせていただきました、と口をつぐむ。 晩年は脳梗塞という重病にかかり、執筆活動なんかとてもできないお体だったそうだけど、才能のある方が病魔に活動の機会と本来はそれに費やせる歳月を奪われたのは、余人にはとうてい理解できない悔しさがあったと思う。 まだまだ読んでない著作も多いけれど、長い間、いろいろな形でありがとうございました。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。 |
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| No.2012 | 8点 | 欲望の石 マイクル・アレグレット |
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(2024/04/07 21:39登録) (ネタバレなし) コロラド州のデンバー。そこで「わたし」こと、秘書もいない個人経営の私立探偵ジェイコブ(ジェイク)・ロマックスは、年配の同業者ロイド・フォンティーンからもうけ話を持ち掛けられる。フォンティーンの話とは、殺人まで招いた20年前の宝石店からの強盗事件で奪われ、その後も現在まで行方不明の500万ドルの宝石の発見と回収の実働。彼は見つけた宝石を担当の保険会社に返却し、賞金の50万ドルを得るつもだりという。半信半疑でまずは20年前の事件の資料だけ預かったロマックスだが、その直後にフォンティーンが何者かに拷問の末に殺された。その死に心の呵責を覚えるロマックスは、依頼人のいないままに事件に介入。20年前の事件の関係者で、つい最近出所したばかりの人物に接触するが。 1988年のアメリカ作品。 英語の書誌サイトによると1987~1995年までに4本の長編作品に登場した私立探偵ジェイコブ・ロマックス、シリーズの第二弾。日本では第1作『岩場の死』と本作のみ紹介され、2020年代の今ではほとんど忘れられたシリーズのようである。ちなみに評者も今回が、この作者の作品を初読み。 半年~1年前くらいに出先のブックオフの100円棚コーナーで見つけてフリで買った本書(ポケミス)だが、なんかあまり知られてないアメリカの私立探偵小説が読みたくなって、積読の山の中から引っ張り出した。 前述のとおり、かなりマイナーな作品でシリーズで主人公の探偵だが、これが予想以上に拾いもので面白かった。 訳者あとがきで『マルタの鷹』を想起させる宝探しの興味を盛り込んだハードボイルド私立小説とあるが、まさにその通り。良い意味で(お話に勢いを感じるという意味合いで)主人公ロマックスはしょっちゅう殴られるしピンチに陥るし、死体は続々と転がる。過去の因縁がある不仲な警官との駆け引きもある。 そして登場人物のほぼ大半が、地味にキャラクターが立って面白い。 同じく訳者あとがきでロマックスはどちらかというと薄味のキャラクター(並みいるネオハードボイルド時代の私立探偵のなかで、特に記号的な設定や文芸をもたない)と謙遜してあるが、そうでもない。 日本の某・私立探偵(評者の大好きな)を一瞬で想起させる、重い辛い過去は背負っているし、ワイズクラックの連発ぶりは心地よいし、何より一人称一視点の主人公として思考の筋道が非常に円滑に了解できる。とにかくこれが大きく、とても魅力的なキャラクター。 そもそも冒頭、面倒くさそうな年輩の同業者に関わりたくないとホンネを内心で抱きながら、その直後にその惨死が生じると自責を覚えるあたりで、良い意味でわかりやすい、人間臭さとモラルのありようがバランスをとっている。 連続殺人が止まない一方で、目的の宝石に接近してゆく話の転がし方はとても好テンポだったが(後半には、軽い冒険小説というかスリラー的な方向にも向かう)、終盤で明かされる犯人の意外性も少なくとも評者などにはなかなか響いた(まあこの辺は、人によってムニャムニャ……かもしれないが)。ロマックスと某キャラでの、最終章でのやりとりなどもとてもいい。 今さらながらに二冊で翻訳が止まったのは惜しかったな……というのは、あまりに無責任だよな(汗)。30年以上、読まずに放っておいて話題にもしない、注目も留意もしなくて、ここで実作を読んで現物はオモシロイと騒ぐんだから。俺が本作の翻訳者や担当の編集者だったら、そんなこともっと早く言ってくれ! とボヤキたくなるだろう。 ちなみに手元に、1980年代の当時の現在形の海外もの翻訳ミステリの<レギュラー探偵>たちのガイドブック「現代の探偵・スパイ名鑑」(吉田友美著・廣済堂・1991年)という地味に良書があるが、名探偵たちやスパイエージェントたちが名字の五十音順に並べられているので、ロマックスもちゃんと最後の方に紹介されている。日本でのまとまったロマックスの記述って、せいぜいこの二ページくらい? 逆に言えば、マイナーな未読の翻訳ミステリのなかで、まだまだ未知の面白い作品や魅力的なレギュラーキャラクターに出会える可能性が潜在するわけだ。ただしまあ、そんなマイナーな作家&探偵なので、シリーズ刊行が打ち止めになってフラストレーションを覚える率も高いわけだが(汗・涙)。 うん、やっぱり海外ミステリの大海は、どこまでも限りなく広い。 |
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| No.2011 | 6点 | 小鼠 ニューヨークを侵略 レナード・ウイバーリー |
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(2024/04/06 16:11登録) (ネタバレなし) 世界が、核兵器を用いた第三次世界大戦の到来を危惧する時代。わずか人口6000人弱の小国で北アルプス山中にあるグランド・フェンウィック大公国は、国の名産でほぼ唯一の外貨獲得の手段であるワインの不作にあえいでいた。弱冠22歳の若き女王グロリアナ十二世は、大国アメリカから財政援助を得るため、我が国内に共産主義者がいるとデッチあげる案を採択。自由主義を信奉する大国から、共産主義者を弾圧しますとの名目で、援助を求めようとした。グロリアナは、偽の共産主義者となる役を28歳の森林レインジャー隊隊長タリイ・バスコムに任せようとするが、そのタリイはいっそアメリカを侵略すればと突拍子もないことを言い出した。タリイの侵略案は議会内でさらに発展。世界各地の、第二次大戦国を経た敗戦国がアメリカから復興支援の形で多額の経済援助を受けた事例に倣い、わざとアメリカにケンカを売って敗退し、援助を得ようということになる。かくして貧弱な14世紀当時の武具に身を包んだタリイたちの一団がチャーターした帆船でニューヨークに乗り込むが、そのころアメリカはアメリカで、人類史でも未曽有の事態を迎えていた。 1955年のアメリカ作品。作者L・ウイバーリーによる「小鼠(またはグランド・フェンウィック大公国)」シリーズの第一弾。 1962年のキューバ危機などをしばらく先に控え、世界中が核戦争の可能性という悪夢と東西両陣営の対立の深化、アメリカ自由主義経済の拡張などで騒がしかった時代のど真ん中で書かれた、風刺色全開の作品。 大国の経済援助を得るため奇策に走る大公国のドバタを描く一方、アメリカ側でも異才の科学者フレデリック・コーキン博士が水爆を超える威力の新爆弾「Q爆弾」を発明。二条の物語はやがて絡み合い、さらなる大騒ぎに発展してゆく。 評者は本書のことは、たしか一番最初は1970年代に、石上三登志の名著「地球のための紳士録」の本文記事の雑誌連載時に知った。設定のサワリだけ聞いてもスットンキョウで面白そうな作品だと当時から思ってはいたが、実作を読むのは今回がようやっと初めて。とはいえ当然のこと? ながら、世の読書人・世代人の中では相応に人気があった一冊のようである。 核戦争におびえる1950年代という時代に密着した作品なのでそういう意味ではいま読むとさすがにいろいろと隔世の感はあるが、一方でこの種の寓意性を語る作品ならではのある種の普遍性も感じさせ、そんな意味ではいま読んでもフツーに面白い。たぶんそうなるんだろうな、という読み手の期待に応えた、主要人物たちの明朗でどこかユルいラブコメ模様も味わいどころのひとつ。 お話の展開はリアルに考えれば都合よすぎるというか、やっぱりユルめなところもあるが、要はおとぎ話みたいなストーリーなので、その辺はまあまあ許容範囲。というか、こういう作品の場合、こういうノリが似合っているでしょ。 2020年代のいまはじめて素で読むと、話の進め方に良くも悪くもお約束の部分も目につき、本当にわずかばかり弛緩した筋運びの部分もないではないが、全体としては愉快でスパイスの効いた戯作風のポリティカル・フィクション (といっていいのか)。 当初から、読み手が当時の時代の空気と付き合う心構えで読めば、十分に楽しめる。 なお作者にはレナード・ホールトン名義で、ロサンゼルス在住の聖職者ジョゼフ・ブリダー神父を主人公にしたミステリも10冊以上、あるらしい(まったく未訳)。この作風と作家的な手腕なら、そっちも相応に面白そうなので、シリーズの一冊めか、あるいは評判のいい作品を今からでも発掘翻訳してくれないものだろうか。 |
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| No.2010 | 8点 | 法と秩序 ドロシー・ユーナック |
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(2024/04/05 07:45登録) (ネタバレなし) 1937年のニューヨーク。その夜、アイルランド系の巡査部長で39歳の警官ブライアン・オマリーが、パトロール中に命を落とした。ブライアンには妻マーガレットとの間に5人の息子と2人の娘がおり、そのなかで18歳の長男で父と同じ名前のブライアン二世はしばらく前から家を出ていたが、父の葬儀のために急遽、実家に戻った。彼は父のあとを継ごうと、3年後にニューヨーク市警が行なう予定の警察官の公募試験に向けて、その準備と努力を始めた。ブライアン二世、そして彼の息子のパトリック・ブライアン・オマリー。ニューヨーク市警の清濁の現実のなかで30年の歳月を歩んだオマリー家、その三代にわたる物語は、ここから始まった。 1973年のアメリカ作品。現実の婦警出身の作家ユーナックが著した、ドキュメント自伝『ニューヨーク女刑事』、婦警クリスティ・オパラ三部作に続く著作の第五弾で、ノンシリーズの長編。 二段組、本文500ページ以上という、ハヤカワノヴェルズでもたぶん十指に入る厚さの大冊で、内容の方も、リアルタイムで1937年の第一~第二部、ブライアン二世が警官の就職試験を受験する1940年の第三部、そして時が流れて三代目主人公パトリックがベトナムから帰還するシーンで始まる1970年の第四部と、30年の歳月をかけてニューヨーク市警、オマリー家、そしてその二つに関わり合う人々やニューヨーク市民たちの群像劇を描く。 ちなみに評者はスチュワート・ウッズのやはり大冊警察小説『警察署長』は未読だが、聞くところによるとそちらもやはり三代ものの地域密着ポリス・ストーリーというので、何らかのリレーションはあるのかもしれない(後発ウッズの方が本作に影響を受けたとか)。その辺はいずれそちらの実作を読んで確認したいとも思う。 大河ドラマの物語の大きな主題のひとつは、シドニー・ルメットの映画『セルピコ』を思わせる「警察組織の腐敗(主に収賄と犯罪の隠蔽、さらにそれを正当化し、秘匿するための凶行と蛮行)」で、この手の作品らしくリアルな人間(警官)の性根の闇の部分のダークさと、一方でドラマチックな正義やヒューマニズムへの(やはり警官の)傾斜、その二極の対比が主体となる。 謎解き要素の折り込みぶりやその濃淡についてはここでは書かないが、さすがは、書き手当人がその警察職の現場にいた作者ユーナック。 警察組織周辺の書き込みの、圧倒的なリアリティと臨場感、その質感、量感の双方で読み手を圧倒した。 例によって登場人物メモを作りながら読んだが、メモ用紙は通常の長編ミステリの3~5倍の枚数を消費。 さらに実際のアイルランド系の特徴なのかもしれないが、ひとつふたつ前の世代の親族と同じ名前をつけるネーミングも頻繁で、ちょっとだけその辺で苦労した。 とはいえこの質と量を考えるなら、編年型警察小説としては、歴史のなかで順々に語られるエピソードの配列のうまさ、そしてその歴代エピソードの中身自体の訴求力も相乗し、ページをめくらせる物語の加速感はすごい。実際、この厚さながら3分の2(クライマックスの第四部直前まで)を最初の一日目、残りを翌日、で二日であっという間に読んでしまった。 うむ、まさに、読みやすい上に読みごたえも十分。 ただし良くも悪くも剛球で直球のタマ筋、という印象も強く、たとえばこれが1980年代以降に劉生する<ネオエンターテインメント>の波を真っ向から受けた時期に書かれていた作品だったら、もうちょっとこの厚さを縦横に活用した<ジャンルミックス感>も出せたんじゃないか……とも感じたりした。 帯には、本作の原書版に向けられた米国ジャーナリズムの賛辞「まさに『ゴッドファザー』の警察官版である!」が引用されており、(まだ『ゴッドファザー』を未読の評者ながら~汗~)「うん、そうなんでしょうね」とも思いはするが、そういった<あくまでワンジャンルの裡の作品>的な点では、70年代の警察小説ジャンルの新古典、的な趣があるかもしれない。 とはいえ、そういった刊行当時の時代っぽさはとにもかくにも感じるものの、一冊読んでお腹いっぱいになれる充実の力作なのはまったく掛け値なし。 現状はひたすら完走感が心地よい。 警察小説というひとつのミステリジャンルの進化の歩みに関心があり、さらに70年代の<ナマの警察小説>、そういうものを実感してみたいという人なら、読んでおいた方がよい一冊なのは、間違いない。 |
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| No.2009 | 7点 | 翻訳万華鏡 評論・エッセイ |
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(2024/04/03 18:49登録) (ネタバレなし) 昨年の秋に逝去された巨匠翻訳家・池央耿氏が、自分の翻訳業務全般、およびその関連事項や担当した作家の作品の思い出などを書き連ねたエッセイ集。 最近、文庫化されたが、評者は今回、元版の単行本版の方で読了。 約50編ほどのエッセイが収録されており、こういう本だから著者がどこかの雑誌に連載した定期エッセイを一冊にまとめたものかと思ったが、エッセイひとつひとつの中には2ページで終わるものもあれば10ページ以上のものもあり、どうやら書きおろしで一冊分の中小の長さのエッセイを書いたらしい。 広義のミステリ作家やSF作家関連の話題では、著書が担当したハモンド・イネスやネヴィル・シュート、ウェテリンク、メルキオー、アシモフ、ホーガンなどの話題が続出。それら全部の作家に接点がある評者としては、非常に楽しかった(とはいえもちろん、ピーター・メイルとかハロルド・アダムズとかまったく手付かずの作家も少なくないが)。 変わったところではマフィアブームの70年代前半「マフィアへの挑戦」の翻訳メイキング的な話題にも、(そんなに深い細かい話ではないが)ちょっとふれられている。 あわせて翻訳家としての心構えや、翻訳の実務の礎となる言語文化そのほかのアカデミックな話題など、中味は相応に広い裾野を見せるが、語り口は平易で、かつ書き手の素養も豊潤なので、それはそれで興味深く読ませていただく。 (読んだ内容が、のちのち、最終的にどのくらい身に染みこむかは、微妙だが・汗。) 単行本巻末の翻訳業務のリストを拝見するに、その長大なお仕事の実績にため息が出るばかり。ああ、『ウィンブルドン』とか『コンドルの六日間』とか『雲の死角』とかもこの方の訳書だったんだっけ、カーの後期作ななんかにもご縁があったんだっけ、としみじみした思いに浸る(当然ながら、文庫版のリストは、さらに数が増えてるだろう)。 長い間、ありがとうございました。改めましてご冥福をお祈り申し上げます。 |
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| No.2008 | 7点 | 戒厳令の夜 五木寛之 |
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(2024/04/03 06:56登録) (ネタバレなし) 1973年。かつて現代美術研究者の道を志しながら学生運動にからんで夢を挫折し、今は雑誌「映画旬報」の編集者として活動する37歳の江間隆之は、九州のバーの店内で一枚の絵画に出会う。それは1930年代にごく限られた相手のみを対象に創作を続け、しかしその芸術性の真価はパブロ・ピカソほか偉人たちから高い評価を受けた、チリの異才の画家パブロ・ロペスの作品に間違いなかった。だがロペスの限られた実作は1940年にナチスに奪い去られ、その後行方不明になっているはずである。江間は6年前のスペイン旅行時に知己になった「九州浪人」(純粋右翼の大物)・鳴海望洋老人に支援を求めて事態を探る一方、恩師である美術学者・秋沢敬之助助教授から、改めてロペスの情報を授かろうとするが……。 「小説新潮」の昭和50年1~12月号にかけて連載された、作者の代表作のひとつの現代伝奇ロマン&国際冒険スリラー。 元版刊行当時のSRの会の年度ベスト投票の国内部門で、たしかかなり良い順位をとったはずだが(その年度の1位だったかもしれない?)、その時点でのコドモの自分は、上下巻二冊のハードカバーなんか読むこともなかった。 (というか、当時の自分は何となく五木寛之がキライであったような気がする。たしかその理由は『幻の女』なんて、アイリッシュファンの少年を小馬鹿にしたような題名の著作があったからである・汗←だったら横溝正史も怒れよ。) とはいえそーゆー(当時のSRで)高い評価を得た作品、それはそれで心に引っかかり、いつか読もうとは思っていた。 が、適当な値段の古書に出会えず(図書館のボロボロの本はあまり読む気になれなかった)、昨年になってブックオフで講談社の「五木寛之小説全集」版の上下巻を、箱付き&それなりの美本(当時の特製シオリも残ってる~月報の類はなかったが)で、各220円で入手。 で、ようやく購入から半年以上経った今夜、いっきに約4~5時間かけて読む。 ちなみに上下巻あわせてたしか原稿用紙1200枚ほどの大長編のハズで、それをこの比較的短時間でいっきに読めたのだから、作品全体の求心力だけは、確かにあったということになる。 もちろん登場人物たちの思考のありよう、作中の事象の描写など昭和的な部分はいっぱいあるが、それは織り込み済みで了解……というか、そういう時代性も旧作の味わいとして楽しもうという心構えもこっちには元からあったので全然気にならない、というか、ある意味で歓迎。 で、お話の方も、キャラが立った人物たち(特に、生前の夢野久作とその父とも面識があったという設定の鳴海老人がステキ。まあ、いささか一部の人間が、お話のコマ的に都合よく動くところはあるが)が、<突如、日本に現れた幻の絵画の謎>を探っていく前半はメチャクチャ面白い。途中までなら評点9点あげようかと考えたところ。 が、しかし、中盤から小説的な厚みを作者が求めて叙述の対象の画角を広げすぎ、日本という国家やサンカなどの文明論を組み込むあたりから、作品の毛色が良くも悪くも変わっていく。 正直、後半からの、超人的な登場人物が複数出て来るあたりは、良くも悪くも、イカれ出した時期以降の西村寿行の長編みたいな味わいであった。 まあ100%否定はできず、そこら辺も文芸としての賞味ポイントにしているのはたぶん間違いないんだろうけど。 三人称描写の叙述ながら、基本、主人公の江間のほとんど一視点で話が進み、設定上は数十年単位で日本にも世界の各地にも広がる物語が、基本的にその江間を軸に語られる構成だったのは良かった面とそうでない面が混ぜこぜ。 たしかに話の流れにまとまりがあって読みやすかったけれど、設定の裾野が自在に広がるくせに、追いかける叙述のカメラがそれに付き合えずモタモタしている感もあった。特に後半の某メインキャラの退場のくだりは、あれで良かったのだろうか? それでも山場のシークエンスは最後まで読者をハラハラドキドキさせるネタを用意し、その上でうまく着地させた実感は大きい。 途中はアレっぽいけど、終わりよければ……ではある。 あー、ウン十年目にして、ようやっと読んだわ(笑)。 なんとなく思っていたものとは4割くらい違ったけど、それなりには良かった、とは思う。 |
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| No.2007 | 5点 | 密会 笹沢左保 |
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(2024/04/02 08:08登録) (ネタバレなし) 「昭和海上火災」の美人OLで23歳の沖本奈美子は、ある目的を秘めて一人の男に近づく。だがその計画は相手との繰り返させる密会のなかで、次第に当初の意味と最終到達点を変えていった。そんななか、彼女たちの周囲で殺人事件が起きる。 「オール読物」の昭和56年2月号~翌年1月号に連載され、1982年に文芸春秋から書籍化された長編。評者は文庫版で読了。 例によっての若いヒロインが主役の不倫官能サスペンス。呼び方はエロでもポルノでもいいが、例によって妙にマジメな筆致の性愛描写なので、やはり官能小説ミステリという言葉が一番しっくりくる。 扇情的ないやらしさをさほど感じさせずにイッキに読ませてしまう筆力はもはや円熟の名人芸で、それはそれで評価。 ミステリとしては小味だが、最後に明かされる事件の真相にはちょっと意外性はある(勘のいいヒトは先読み可能かもしれないが)。 ただし最後のサプライズは、正にそのサプライズのためのサプライズという感じで、劇中のリアリティとか当該人物の思考の成り行きとか慮ると、おいおい……それはないんじゃないの? という思いであった。 もう二時間、短めの長編が一本読みたい、というワガママな希求に応えてくれた有難い作品で、読んでるうちはそれなりに楽しめた。 ただまあ、笹沢作品のなかで優先的にこれを読む必要はないだろう。評判の良い未読のものがあるなら、そちらからどうぞ。 (といいつつ、ミステリって秀作~優秀作ばっか選んで読むものじゃ決してないと思うけどね。常にイージーゴーイング&おのれのスタイル~ただし他の方へのネタバレは注意で~で読めばよいと思う。) 「まあ、楽しめ」ました。 |
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| No.2006 | 7点 | フィッツジェラルドをめざした男 デイヴィッド・ハンドラー |
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(2024/04/02 04:24登録) (ネタバレなし) その年の春のニューヨーク。「僕」こと30代末の文筆家スチュワート・ホーグ(ホーギー)は、かつて処女長編が好評でベストセラーになったものの、二作目が不発、愛妻だった女優のメリリー・ナッシュとも離婚し、いまはバセットハウンドの愛犬ルルを脇に、ゴーストライターとして著名人の「自伝」を執筆する仕事をしている。そんなホーギーは今回、文壇で<フィッツジェラルドの再来>との異名をとる、23歳のハンサムな若手人気作家キャメロン(キャム)・ノイエスの半生をまとめるように依頼された。キャムは先輩作家のホーギーにひとかたならぬ敬意をはらい、ホーギーも彼に友情めいた思いを感じ始めるものの、ことあらば才人としての? 奇矯に走るキャムの言動に驚かされることになる。やがてそんな彼らの周囲で出版関係者の命が失われた。 1991年のアメリカ作品。 作家探偵ホーギーと愛犬ルル・シリーズの第3弾。 同年度のMWAペーパーバック・オリジナル長編作品賞の受賞作。 作者ハンドラーはこれが初読み。 Amazonのデータをざっと確認すると、我が国でも90~2012年までに十数冊の翻訳が出ており、評者も日本で(の正確な反響や刊行数は把握していないものの)それなり~それ以上に人気があるらしいことはなんとなく感じてはいた。 とはいえ本サイトではこの作者の作品の評は、猫サーカスさんの6年前のレビューがひとつあるだけ。そして、本作を含めて数冊以上翻訳が出ている、日本でもそれなりに人気がある(あった)らしいホーギーシリーズの書評は、まだひとつもない!? ……じゃあ、ということで、ブックオフの100円棚で出会った本作を「MWAオリジナルペーパーバック大賞受賞」作品という、裏表紙の煽り文句にも背中を押されて読んでみる。 本文430ページ以上の紙幅はそれなりにボリューム感があり、さすがに一日では読めなかったが、それでもお話は小気味よく進み、ネットでの作者のウワサ通り、確かにキャラクターの人物造形はメインキャラから脇役に至るまでかなりうまい。 特に、ネタバレにならない(そうしない)つもりで書いておくけど、主人公ホーギーと手のかかる弟分格のメインキャラ、キャムの関係性は、80~90年代のニューヨークの場で描かれる新時代のマーロウとテリー・レノックスみたいな距離感を思わせた。 あとホーギーはそれなり(以上)に複数のヒロインとからむ。最終的に誰がメインヒロインになるかはここでは興を削がないようにヒミツだが、その当該のヒロインがすんごくステキ。ホーギーと彼女との関係はこのあと(シリーズ次作以降)、どうなるんだろうなあ。ああ、作者の手の裡にハメられたかもしれんな(笑)。 しかしサイコーと思ったのは、かなり意外な真犯人の判明と同時に、そこで見えて来る(中略)な文芸性と、あのクラシックミステリの古典的トリック(というかギミック)の延長にある仕掛けで、これにはう~ん、と唸らされた。いや、ペーパーバック賞部門とはいえ、MWA歴代長編賞の一角に座るだけのことはある。純粋に都会派ミステリとして面白い(純粋・緻密なフーダニットと厳密に保証できるかというと心もとないが、少なくともあれこれ伏線も用意はしてあった)。 あと本作では、ゴーストライターで関係者に取材する立場の主人公という設定ゆえ、小説の一部は<録音される対談インタビュー>の形式で語られる。 それゆえ、主人公ホーギーを軸にして段々と変遷してゆくキャラクター間の関係が、メリハリの効いた叙述で描かれるのもステキ。 たった一冊読んだだけでアレコレモノを言うのも誠に不遜だが、これが基調の作風なら、ハンドラー、たしかに達者で、東西で読者の支持を得ておかしくないレベルの作家だとは思う。 ちょっと後悔してるのは、シリーズの第一作目から(現在の時点では)翻訳があったのに、それに気づかず第3作目から読んじゃったこと。 ただまぁつまみ食いでも特にまったく問題はなく、作品そのものは十分にアタリだったので、よしとしよう。またそのうち、このシリーズは読んでみたい(次は第一作目から、ね)。 改めて思うけれど、海外ミステリの大海は、とめどもなく広いよ(笑)。 評点は8点に近いこの点数で。 |
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| No.2005 | 7点 | 狼よさらば ブライアン・ガーフィールド |
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(2024/03/31 07:33登録) (ネタバレなし) その年の6月のニューヨーク。会計事務所「アイブス・グレグソン・アンド・カンパニー」のスタッフである47歳の公認会計士ポール・R・ベンジャミンは、自分の妻エスターと娘のキャロルが強盗に襲われたと、キャロルの夫の若手弁護士ジャック・トービイから電話で知らせを受ける。その日のうちにエスターは死亡。キャロルも全快は困難な心の傷を負った。三人の犯人が身元不明な麻薬中毒らしい若者たちとわかるが、警察の捜査は進まない。町の凶悪な青少年犯罪者への怒りを募らせたポールはひそかに拳銃を入手。闇の謎の「自警団」として、強盗を行なう青少年たちを秘密裏に抹殺してゆく。 1972年のアメリカ作品。 これ以前にも長編小説の著作があるが、本作が出世作になった作者ガーフィールドの社会派ノワール。 1974年にチャールズ・ブロンソンの主演で主人公の名字を変更して映画化され、映画オリジナルで4つも5つも続編が作られる長期シリーズとなった。 一方で、原作小説の主人公ポール・ベンジャミンを主人公にした小説の方も、続編が書かれている(ただし未訳)。 ハヤカワノヴェルズで邦訳された原作(人気で古書価も総じて高額な上、なかなか市場に出ないので、入手に苦労した)は、本文一段組で総ページ数240ページ弱と読み手に負担がまったくないボリューム。会話も多く、実にスラスラ読めた。 はっきり言って、この上なくシンプルな筋立て。とはいえホワイトカラーのお父さんが復讐の念を燃やしながら<闇の自警団>へと転じていく流れは、これぞ、その手のものの王道という感じ。描写の過不足感がない良いコンデンスさで語られ、それなり以上の読みごたえを感じさせる。 例によって邦訳の刊行当時、北上次郎あたりがホメていた気もするが74~75年の新刊ではその記憶も実は微妙で、まだ「小説推理」のレギュラーコーナーが開始されてなかったかもしれない? いずれにしろ本作は、初期の大藪春彦あたりも書きそうな形質の長編で、シンプルな話ながら原初的な、ある種の力の場を感じる作品である。 ラストシーンも印象的。 ベンジャミミンものの原作の続編を読んでみたい、とは思う。 現在の新潮文庫あたりで、発掘翻訳とかしてくれないものだろうか。 |
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| No.2004 | 6点 | 乙女の祈り ジョーン・フレミング |
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(2024/03/30 21:05登録) (ネタバレなし) ロンドンのセント・ジェームズ街で、元軍人の家長を失ったメイドン家の未亡人とその娘「アナスタシア」ことスタッシィ・メイドン嬢は、使用人の夫婦を雇いながら、長年、慎ましく暮らしていた。だがそのメイドン夫人が数週間前に死亡。以前から近所の慈善団体の事務員として働いており、同時に婚期を逃したオールドミスのメイドン嬢は、広すぎる屋敷の売却を考える。そんなメイドン嬢のことを、メイドン夫人が顧客だった近所の仕立て屋の中年男ジョン・トイラーが何となく気にかけていた。メイドン嬢は不動産の周回業者に屋敷の売却の世話を頼みに行くが、そこで彼女はハンサムな混血の中年男「アラディン」ことブライアン・エハーンに遭遇。依頼を受けてメイドン家を訪れたアラディンは、メイドン嬢が予想もしていなかったことを口にした。 1957年の英国作品。 旧クライムクラブの未入手、未読作品が残りあと数冊レベルに迫ったので、ちょっとプレミアだったが、箱付き・帯付きということでタマのゼータクをして、ウン千円でネットで古書を購入した。 で、箱の背表紙部分の帯の背に「アラディン?」とだけ書いてあり、当然、本作のメインキャラの一人となる中年男アラディンことブライアンのことだが、読者視点で言うと「密室の謎!」とか「甦る死者!」とかのミステリファンの心に響くようなキャッチーな文句ならともかく、いきなり「アラディン?」と言われてもなあ……という感じである(汗)。 (さすがクロード・アヴリーヌの『ブロの二重の死』の創元文庫版の帯の背にただひとこと「傑作!」と書いて済ませて、当時のミステリファンを唖然とさせた東京創元社。同社の80年代のトンチンカンな惹句のDNAは、すでに50年代から仕込まれていた・笑) お話のネタはもう、全体のストーリーの4分の1も読めば、大半の海外ミステリファン(ただしちょっとは旧作クラシック全般に関心のあるヒト)なら絶対に「ああ、あの有名な名作短編ミステリの長編版ね……」と気が付くと思うが、ここではソレでもあえて、その当該の短編ミステリの題名は伏せておく。 (ちなみに小林信彦の「地獄の読書録」を読むと、ズバリ、その短編の名を出し、本作がその系譜の作品だと堂々と明かした上で、これは秀作だったとホメてある。ネタバレ書評には基本反対な自分だが、今回に限ってはまあ、よっぽど海外ミステリを知らない人じゃなきゃ、すぐにわかるとも思うので、あんまり小林信彦を責める気にはならない。) 英国のドライユーモア(いささかブラック味込み)に彩られたストーリーがハイテンポで転がり、二百数十ページの本文はあっという間に読了。全体的には面白かったものの、一方でこれがアノ名作短編の今風(1950年代だが)の長編版で、さらにその上で最後はちゃんとエンターテインメントになるんだよね? と思うと、大方の流れは読めてしまうところもあり、で、結果は……ムニャムニャ。 佳作以上にはなっているけれど、旧クライムクラブに執着のある自分みたいな偏向ファンじゃなければ、大枚の古書価は払うことはないでしょう。 図書館で出会ったり、もしも裸本で安く買えるとかの機会に遭遇したなら、手にとってみてもいいかとも思うけれど。 |
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| No.2003 | 5点 | チャーチル・コマンド テッド・ウィリス |
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(2024/03/29 22:41登録) (ネタバレなし) 英国で起きた、卑劣で無慈悲な少女誘拐事件。その悲劇を契機に、愛妻をかつてテロリストに無差別爆殺された、退役した元将軍で56歳のヒュー・ウィルコックスは傭兵たちを組織し、有志の秘密組織「チャーチル・コマンド」として行動を起こした。未検挙の誘拐犯、そして暴走族、ポルノ産業の大物、破廉恥な行為にふけるミュージシャンなどを対象にしたチャーチル・コマンドの世直し活動は世間の賛否を集めるが、それでも彼らはいかに処罰の対象が悪党でも、直接はその命を奪わないという一線だけは守っていた。だがそんな組織のなかにやがてひずみが生じていく。 1977年の英国作品。日本に一冊だけ紹介され、そのまま21世紀の現在は完全に忘れられた作家テッド・ウィルスの長編。当人は英国の映画テレビ界では、それなりに有名なシナリオ作家だったらしい。 実質的な主人公はウィルコックス元将軍にスカウトされ、チャーチル・コマンドの活動にやや消極的に関わっていく38歳の独身の傭兵トム(トミイ)・バァで、彼を軸に物語が進む一方、三人称視点であちこちに叙述のカメラが切り替わり、群像劇としても物語が紡がれていく。 20世紀の前半まで死刑執行に積極的で、1965年に死刑が廃止された英国の(おおざっぱな)国情だが、本作はそういう現実が背景にあるようで。 冒頭からの誘拐犯など、残忍な方法で若い命を奪っておきながら、逮捕されたら税金で長年メシを食わせ、やがては放免される。でも被害者は帰って来ない、という被害者の遺族や一般市民のナマの憤りがあり、それは日本を含めた法規を守る文明国家の呻吟やある種の不満に通じるものである。 とはいえ、組織のリーダーのウィルッコクス将軍も決して「悪は殺して報復しちゃえ」まで言うようなヒトではないので、結局は日本の『ハングマン』みたいに<悪事を暴き、恥をかかせて社会的に抹殺>という着地点になり、殺生は避ける訳だが、しかしながら秘密組織の機密を守るために、現場のメンバーたちはそんな理想ばっか言っていられなくなる。そこにひずみが出て来る。 どっちかというと作家の主張や政治・文明的な思弁を幹にした、地味で渋い社会派スリラーという趣。80年代前半の創元推理文庫でいきなり出るよりは、ハヤカワノヴェルズあたりで(ややひっそりと)翻訳刊行された方がお似合いだったんじゃないかなあ……という雰囲気の一冊。 なんかね、当時の同叢書が、いろいろとジャンルを拡張しようとしていたのだ? とは思うけれど。 終盤、クライマックスの盛り上がりは、そこに事態の流れが行きつくのはむべなるかな、という印象のクロージング。ただ一方で、そこまでの紆余曲折があまりこの山場の叙述に加算されておらず、どこでこのカードを切っても良かったような……という思いも抱いた。余韻のある終わり方そのものは、悪くないけれど。 思索を導かれるところはあったし、つまらなくはなかったけれど、一方でエンターテインメントとしてはもうひとつハジけなかったとも思う。評点はやはり「まあ、楽しめた」のこの点になってしまうのかな。 |
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| No.2002 | 8点 | ウルトラマンF 小林泰三 |
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(2024/03/29 01:33登録) (ネタバレなし……あ、もしノリで、口が滑っていたら、お許しを・汗 ~なるべく気をつけているつもりだけど) 多くの凶悪怪獣や侵略者の宇宙人から人類を守ってくれた光の巨人ウルトラマンが地球を去って、およそ一年。国連の科学機関は各事件時の状況データから、科学特捜隊日本支部の早田進(はやた しん)隊員の肉体にウルトラマンが憑依していた可能性が高いと推定。その秘密を解明しようとしていた。同時に、人工の地球版ウルトラマンを生み出そうとする軍事科学プロジェクトチームの天才科学者インペイシャット博士、そして科特隊の隊員・井出(いで)光弘は、それぞれ人間を巨人化させるテクノロジーを研究。前者は日本に棲息する昆虫モルフォ蝶の特殊な生態因子に、後者は同僚の女性隊員・富士明子(ふじ あきこ)を一時的に巨人化させたメフィラス星人の科学技術に可能性を探ろうとするが。 単行本の書籍版で読了。 わははははははははは。どう受け止めるべきか。コレは。 <ウルトラシリーズヲタクの作家の書いた1000%厨二病作品>なのは間違いないものの、それでも今は亡き作者のとめどもなく深いウルトラ愛に、まずはウハウハ喜ぶばかり。 そういった作品の形質的な前提を了解し、一度その方向性に身を預けてしまえば、これ以上ない心地よい快感に痺れきることのできる<ファン・トゥー・ファン>の公式ウルトラノベル、である。 テレビシリーズ『ウルトラマン(初代)』正編の最終回、その後を起点とする世界線をひとつ設定し、そこから映像上の光の国路線(いわゆる『ウルトラマンメビウス』史観)とはまた違う未来図を覗かせていく(しかし、パラレルワールド的に、後続のウルトラ作品の要素もあれこれふんだんに取り込む)、というのはまんま清水栄一×下口智裕のコミック『ULTRAMAN』と同様だが、こっち(本作)の方はそっちに輪をかけて豪快で、そして面白かった。 (特に第3章での<あの連中>との対決の場で、某メインキャラが叫ぶ 「ウルトラマン(××←あえて中略……)は、アルファにしてオメガ」(書籍版P209) の一言には、興奮と感動で脳みそが沸騰してぶっとんだ!) とはいえ、まあ、アラシとフルハシ、アキコと由利子それぞれの双子ネタなんかとか、何を今さら、昭和の第一次アニメブームのころの、おぼこの中高生特撮ファンかい! と思わずぼやきたくなるような箇所もなきにしもあらず。 この辺を含めて、たとえ21世紀のウルトラファンであっても、受け入れられないオトナな読者が全国に山のようにいるのは、よ~~~くわかる。 ただまあ、それでもその双子ネタの後者なんか、このお約束設定をなかなかうまく活かした描写へとつなげてあって(書籍版P129)、そーゆーのを読まされると……あー、やっぱヨワいのだな、こーゆのに、こっちは(汗・笑)。 合わない人が、悪い意味で敷居の低い厨ニ的二次創作! とかそしってとことん拒否するのも、 一定数の新旧世代のウルトラファンが、最高だ! とウハウハ喜ぶのも、 どっちもよ~くわかる一冊。 つーわけで、こっちは条件付きで、この評点じゃ(笑)。 まあ、まだまだあのネタもこのネタも放り込んで取り込んでほしかったというのは、冗談抜きに何十何百とあるけれど、それでも得点的に見れば、たぶんこれまで日本語で書かれたウルトラシリーズの小説作品の中では最高級のファンサービスぶりだよ、これ。 オリジナル作品を著したミステリ作家・SF作家・ホラー作家としての小林先生に関しては、とてもしっかりした物事を語れるほど著作を読んでない評者(たぶんまだ3~5冊くらいだと思う)だけど、同じウルトラファンとしてはその愛情の深さに素直に脱帽。 改めてご冥福をお祈りいたします。 |
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| No.2001 | 6点 | 自殺じゃない! シリル・ヘアー |
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(2024/03/28 06:14登録) (ネタバレなし) スコットランドヤードの名警部J・マレットは、ロンドンから40数マイル離れた二流ホテル「ペンデルリー・オールド・ホール・ホテル」で休暇を過ごしていたが、そこで60歳前後のレナード・ディキンスンと知り合う。だがその翌日、レナードは急死。検死審問でその死は自殺と判定された。実はレナードは家族のために高額の保険をかけていたが、契約の初期満了がまだで、自殺では大金がもらえなかった。家族のために保険をかけた家長レナードが、それを無為にするような自殺をするわけがない。そう主張した息子のスティーヴンと娘のアン、そしてアンの婚約者のマーティン・ジョンソンは弁護士を通じて探偵と契約。私立探偵ジャズ・エルダスンが調査した、父の死亡時にホテルにいた宿泊客のリストをもとに独自のアマチュア探偵活動を開始した。 1939年の英国作品。 作者のレギュラー探偵マレット警部ものの第3作。 シリーズのうち邦訳があるもののなかではこれが一番若いので、どうせ読むなら本書からと思い、手に取った。(これで噂に高い『法の悲劇』も読める。) 地味といえば地味な筋立てだが、お金欲しさのために、目指す集合体(ホテルの宿泊客)のなかから、警察に突きだせる&保険会社に殺人の事実があったと立証できる真犯人をなんとか探し出そうというメインプロットが明快。 しかも半ばオムニバス短編風に順々に語られる<宿泊客と探偵団の接触エピソード>群がメリハリを利かせて並べられ、ちっとも退屈はしない。 とはいえ実は犯人は途中で大方、これはたぶん……と気づいて、トリック込みで、正解だった。 まあ、一応以上のサプライズにはなっていると思うが。 それでも、中途ではやや曖昧に書かれ、終盤で真犯人判明ののちに明らかになる人間関係の綾など、最後まで気が付かなかったものも細部ではいくつかあった。そういう意味では、やはりよく出来てると思う。 意見を違えた兄妹が、互いに子供時代の思い出を引っ張り出して小学生みたいに悪口を言い合う敷居の低い場面とか、どこかうっすら味? の英国風ユーモアが全編の各所にみなぎり、その辺はステキ。 かたや、世界(人間関係の裾野)が狭すぎるだろ、アマチュア探偵たちの捜査がうまくいきすぎるだろ、との思いも感じないでもなかったが、その辺に関しては読後に目を通した巻末の解説で、要は<これはソウイウものなんです>とのフォローが入れられていた。……まあ、ね。 先に読んだ同じ作者のノンシリーズ編のパズラー『英国風の殺人』と同様に、結構面白かった。邦訳されている分はおいおい読んでいくとして、ヘアーの未訳の長編はいまからでも、翻訳紹介しておいてほしいと思う。 評点は7点に近い、この数字ということで。 |
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