パメルさんの登録情報 | |
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平均点:6.12点 | 書評数:647件 |
No.507 | 7点 | マザー・マーダー 矢樹純 |
(2023/07/10 06:10登録) 母という存在をテーマとした5つの物語からなる連作短編集。 冒頭の「永い祈り」は、ローンのある一軒家で夫と一歳の娘・陽菜と暮らす専業主婦の佐保瑞希が主人公。娘の誕生をきっかけに中古住宅で夫と三人で暮らし始めたが、隣人が厄介だった。隣家の梶原美里から、陽菜の泣き声がうるさいとクレームを受ける。クレーマーに悩む若い母親という構図に始まるが、予想もしない方向に転がり、その果てに待つ結果も予想外。ミステリの焦点はそこだったのかと納得した後、見事な騙しのテクニックに感心。 第二話の「忘れられた果実」は、病院で看護助手として働く相馬が、離婚した後に亡くなった元夫の隠し子と、遺産にまつわる騒動に巻き込まれる。後半で意外な事実が明らかになる。しかも二段構えで。どんでん返しの連続を堪能できる。 第三話の「崖っぷちの涙」から一気に、梶原家の物語に突入する。監禁された男の脱出劇やロジカルな謎解きなど、各話で読み味を変えながら、第五話「Mother Marder」で衝撃的な真実が明らかになる。ダメ押しともいうべき、ラストのブラックな一撃も凄まじい。 その一方で、母と子というテーマが、五つの物語を通じて多角的に浮かび上がるようになっている。子供を愛するがゆえに、どんな醜悪な行為も辞さない。全体を通した梶原家の物語としてのピリオドが、見事に一体化する。各編に仕込まれた毒を味わえ、巧みな構成を堪能することが出来る作品。 |
No.506 | 6点 | 時空犯 潮谷験 |
(2023/07/04 06:37登録) ある日、私立探偵の姫崎智弘を含む八人の男女の元に、成功報酬一千万円という破格の依頼が舞い込んできた。情報工学の天才である依頼主の北神伊織博士によると、時間遡行を体験しており、何と依頼日である今日、2018年6月1日を、すでに千回近く繰り返しているという。 招集された八人は巻き戻しを認識することが出来るという薬剤を服用して、博士同様に6月1日の巻き戻し体験直後、博士は何者かに殺害されてしまう。繰り返される日付の中、謎は深まっていく。 怪しげな会場に集められた男女、莫大な報酬、発見された死体。博士殺害までは予想の範囲だろうが、時間遡行により事態が刻一刻と変化し、姫崎たちがそれに対して迫られる対処法も目まぐるしく変化を余儀なくされるあたりで、先が読めなくなる。 個性的なキャラクター揃いで、それぞれのキャラクターたちが存分に映える台詞、特に中盤の犯人を出し抜こうとしたある人物の提案には背筋が凍る。タイムリープという突飛な設定ではあるが、規則性や制限が開示されており、それを活かしたパズラーとしての謎解きが緻密で、現実的な推論を積み重ねて正体に迫っていくところが読みどころで説得力がある。 主人公の関係者を集めて謎を解く定番のシーンのシチュエーションにも、あまり類を見ない趣向が用意されている。SFでありながら、時にバイオレンス・アクション、時にラブストーリーと様々な側面を持つが、ラストは緻密に計算されたロジックの正統派本格ミステリに仕上がっている。ただし、派手な展開の割に仕掛けが小粒な点は評価が分かれるかもしれない。 |
No.505 | 6点 | 幻視時代 西澤保彦 |
(2023/06/30 06:30登録) 文芸評論家の矢渡利悠人、小説家のオークラ、編集者の長廻の三人は、立ち寄った写真展で恐ろしい事実に気付く。 本書のメインの謎として、写真が撮られていた時点で四年前に亡くなっていた同級生の少女・風祭飛鳥が写り込んでいたという不可解な謎が提示されるが、その謎自体の不可能性に力点はない。なぜ、このような状況が生じたのかという動機の謎こそがメインとなる。この写真が生まれるまでに、様々な人間の様々な行動が関わっており、それら一つ一つの行動がなぜなされたのか、という部分が無理がないように描かれている。 そして本書は、ミステリとしてだけでなく、苦みのある青春小説としても読ませる。飛鳥という奥の深いキャラクター、主人公の恋心、教師である白洲と飛鳥の関係など、その時代特有の人間関係、飛鳥にしても矢渡利にしても、創作の苦しみが描かれ青春している。 目先の重圧を先延ばしし、罪悪感はありながらも、そこまで気負ってやったわけではない行動の積み重ねが、最終的に不幸を呼び寄せてしまうことになるという流れはよく出来ている。 合理的に解き明かすのが困難だろうと思われる謎を、メイン部分に仕込まれた伏線が二転三転する当事者の心理と推理を支えつつ、動機の謎を解き明かす論理展開が見事。 |
No.504 | 6点 | 看守の流儀 城山真一 |
(2023/06/24 06:38登録) 金沢の刑務所を舞台に、刑務官と受刑者たちを主人公とした5編からなる連作短編集。 「ヨンピン」仮出所した模範囚の失踪と、薬を誤飲し重体となった認知症気味の受刑者の事案が相次ぎ、波紋を広げていく。 「Gとれ」所内の工場で印刷された大学入試問題の漏洩容疑で、署内が警察によるガサ入れの危機に陥る。 「レッドゾーン」受刑者の健康診断記録と胸部レントゲンフィルムの紛失が判明する。 「ガラ受け」重篤な病で数カ月の余命を宣告された模範囚に対し、刑の執行停止を実現しようと奮闘する看守。 「お礼参り」再犯リスクが高い満期釈放犯の処遇を巡り、さまざまな思惑が交錯する。 受刑者が絡む事件だけではなく、所員の対立が原因と思える作品もあり、バラエティに富んでいる。日本の刑務所は、受刑者の「更生」よりも「懲罰」の要素が高いという批判に晒されることも多いが、本書に登場する所員たちは受刑者に対し、皆が真摯に向き合っている。意外性のあるミステリとしても優れているが、謎解きと同時に所員たちの職務に対する矜持が浮かび上がるなど、人間ドラマとしても優れていて、横山秀夫作品を想起させる。 陰で謎を見通す探偵役の役割を負っているのが、警備指導官・火石司である。最終話の「お礼参り」では謎めいたこの人物に関する詳細が描かれるとともに、全編を通したある仕掛けが炸裂している。 最後に、それぞれのタイトルが刑務所内での隠語を使っているのでその意味を。 「ヨンピン」服役期間の残り4分の1を残して仮出所する模範囚。 「Gとれ」暴力団から足を洗うこと。 「レッドゾーン」刑務所内でまともな日常生活が送れない受刑者が大半を占めている場所。 「ガラ受け」受刑者が仮出所するときに、家族や後見人が身柄を引き受けること。 「お礼参り」仕返し、報復、復讐などの意。 |
No.503 | 5点 | 時計屋探偵の冒険 アリバイ崩し承ります2 大山誠一郎 |
(2023/06/19 06:45登録) 前作「アリバイ崩し承ります」に続く第二弾で、那野県警捜査一課の新人刑事「僕」が、美谷時計店の女性店主・時乃に捜査中の事件について相談し、容疑者のアリバイを崩して事件を解決に導くというスタイルが貫かれている5編からなる短編集。 「時計屋探偵と沈める車のアリバイ」一人の男性が自動車ごと湖に落ちて亡くなった。甥に容疑がかかったが、防犯カメラに残った画像からアリバイが確認される。 「時計屋探偵と多すぎる証人のアリバイ」県会議員のパーティーの最中、秘書が殺された。議員は秘書を殺す動機があったことが分かったが、彼には完璧のアリバイがあった。 「時計屋探偵と一族のアリバイ」資産家の男性が刺殺された。彼の甥と姪の三人が容疑者になるが、三人にはそれぞれアリバイがあった。 「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」主婦が自宅で殺害され夫が容疑者として浮上するが、彼には同時刻に別の女性を殺害した容疑がかかっていた。片方の事件で彼が犯人と立証されれば、もう片方の犯行は出来ない。 「時計屋探偵と夏休みのアリバイ」祖父からアリバイ崩しを学んでいた時乃の高校時代の話。夏休みのある日、美術部員が作った石膏像が壊されていた。事件当時、茶道部の先輩が現場近くで目撃されていたが、犯行する時間はなくそのアリバイは時乃自身が確認していた。 凝った設定を駆使して、謎解きを提示している。だが毎回アリバイを崩して一件落着という流れでは単調になってしまう。これに対してアリバイを崩すことによって、さらに事件の様相が複雑になったり、状況の工夫によって展開の幅を広げてみせている。 白眉は、第75回日本推理作家協会賞短編部門を受賞した「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」で、狡猾で周到なアリバイ工作の真相には驚かされた。最終話の「時計屋探偵の夏休みのアリバイ」も、犯人が用いたトリックが効果的に機能している。その上で、時乃や祖父が見抜くロジックが美しく、アリバイが崩れた先に心地よい温かさが優しく訪れる忘れ難い作品となった。 |
No.502 | 5点 | 欺瞞の殺意 深木章子 |
(2023/06/14 07:11登録) 昭和四十一年の夏、県内で名を馳せる資産家だった楡伊一郎の法要で事件が起きる。家族と関係者がダイニングルームでお茶の時間を過ごしていた最中、故人の長女である澤子と孫の芳雄が毒物によって亡くなったのだ。澤子の飲んだコーヒーカップと芳雄が食べたチョコレートからは砒素が入っていたことが分かる。チョコレートを包んだ紙の破片が、ある人物の喪服のポケットに入っていたことが判明し、自首するに至り事件は収束を迎えたかに見えた。 無期懲役となり四十年を経て、仮釈放の身となった人物から事件関係者の一人に手紙が届くことで、本書は謎解きミステリの方向性を露にする。物語は受刑者と手紙を受け取った人物の間で交わされる書簡によって仮説の構築と否定が繰り返されるかたちで進んでいく。 この作品の中核を占めるのが、往復書簡である。この書簡から、伊一郎という独裁者によって歪められた楡家の人々の関係や、隠されていた愛憎を知ることになる。さらに推理合戦が繰り広げられ、真相に近づいていく過程に寄り添うことになる。 展開は目まぐるしく、終始息つく暇もない。限定された容疑者によるフーダニット、被害者のコーヒーだけに毒を混入させる手管とポケットの包み紙の謎を巡るハウダニット、旧家の複雑な人間関係に端を発するホワイダニット、それらのすべてが、手紙の文中に潜んだ大胆かつ巧妙な伏線とともに複数の推理となって、次々と現れる。シンプルに見えた状況が見え方を変え、多様な推理が導かれ、そして消えていく様は異様の一言に尽きる。仮説を否定する伏線までもが美しい。書簡という形態を逆手に取った仕掛けが炸裂する、最後まで油断できない作品。 |
No.501 | 6点 | 完全犯罪に猫は何匹必要か? 東川篤哉 |
(2023/06/10 06:54登録) 烏賊川市を代表する回転寿司チェーンの社長、豪徳寺から成功報酬120万円という破格の仕事を請け負った鵜飼探偵事務所。その仕事は、家からいなくなった三毛猫を探し出すというもの。三毛猫探しに奔走する鵜飼たちであったが、当の依頼主が何者かによって殺害される。犯行現場には巨大な招き猫が鎮座し、不気味な様相に華を添える。 刑事と探偵の二つの視点で物語は進行し、絶妙に関わり合い、邪魔をし合っていく。本書は、猫に始まり猫で終わる、正確に言うと招き猫尽くしである。そして、気の抜けるギャグは本書でも健在である。猫を探して「ニャーゴ」と猫の真似をする探偵の姿は、ただでさえ冴えない中年探偵なのに、それに追い打ちをかけて笑いを誘う。それ以外にも漫才の掛け合いのような笑えるポイントはいくつかあり、ユーモアミステリ作家の本領が発揮されている。 また、作者お得意の大技的なバカトリックも炸裂している。木の葉を隠すならば、森の中へと言わんばかりに痕跡を隠蔽するという奇想に脱帽。猫尽くしなのは、こういう理由なのかと感嘆させられる。招き猫と三毛猫を鮮やかに結びつける解決はお見事。とにかく猫好きにはたまらない作品となっている。 |
No.500 | 6点 | うるはしみにくし あなたのともだち 澤村伊智 |
(2023/06/05 07:07登録) 四ツ角高校の三年二組で、クラスでナンバー1の美少女だった羽村更紗が自殺し、続いてナンバー2の野島夕菜が授業中に顔から血膿を噴き出すという凄まじい異変の連続から始まる。どうやら、人の顔を美しくも醜くも出来る「ユアフレンド」なる呪いを何者かがかけているらしく、更紗もそのせいで顔が老婆のようになり、悲観して自殺したようだった。担任の小谷舞香は、「ユアフレンド」にまつわる噂を聞き、事態を止めるべく奔走するが。 学校という狭い世界での、美醜価値観に基づく人間模様、教師たちの悪趣味のメタ推理。少女たちの美醜が、惨劇を引き起こすホラーの伝統を踏まえながら、そこに現代的な批評性を加えている。それは、女性が男性から顔の美醜で格付けされたり、女性自身がそれに基づいてスクールカーストを形成したりするようなルッキズムの呪縛に対しての批判である。ルッキズムの問題は、「人は見た目ではない」というところに単純に落としがちだが、そうならないところが、この作品の良いところ。 呪いの法則を解き明かすミステリ的興味の果てに浮かび上がる真犯人の像は、あまりにも悲哀に満ちていて切実だ。「美醜とは何か」という問題を突き付ける苦い後味が印象に残るホラーミステリ。 |
No.499 | 7点 | 黙過 下村敦史 |
(2023/05/31 06:35登録) タイトルの「黙過」とは、知らないふりをして見逃すの意。移植手術、安楽死、動物愛護など生命の現場を舞台にした5編からなる短編集だが、通して読むと一つの主題が姿を現すような構成となっている。最終章以外は、どこから読んでも構わないが最終章の「究極の選択」は最後に読むようにしてください。 「優先順位」轢き逃げ事故によって病院に運ばれた、肝不全で意識不明の患者が病室から消えてしまう。臓器移植を巡る医局の抗争物語。 「詐病」パーキンソン病で自宅介護を受けていた父親の病気が実は詐病ではないかと疑惑を持つ。安楽死を乞う父親を前に懊悩する家族。 「命の天秤」養豚場である朝、出産を控えた母豚十頭の胎内から、全ての子豚が盗まれる。過激な動物愛護団体が突き付けた狂気な正義。 「不正疑惑」細胞研究所の有名な研究者で学術調査官だった友人の自殺が、ある不正疑惑が原因かもしれないと知った精神神経医療研究センターの副センター長である小野田が、情報をもたらした医療ジャーナリストと共に真相に迫る。 「究極の選択」ここまでの4編は難しい命題が出てきて、それぞれ独立したかたちで結末まで描かれている。しかしこれら4つの作品を繋ぎ合わせるように一つに収束していく。それぞれ全く関係のない話だと思っていたから驚き。ここまでの4編が、読み終わった後もなぜかモヤモヤした感が残り、釈然としなかったが最後の1編で理由がわかってくる。最後に明かされる真実は、温かく包み込まれた感じになる。命の重さについて考えさせられる作品である。 |
No.498 | 6点 | ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人 東野圭吾 |
(2023/05/24 06:51登録) コロナ禍の日本の地方都市で起きる殺人件が題材となっており、当時の世相を反映している作品。 神尾真世はコロナ禍で自粛が広がる最中、故郷で開かれる同窓会に出るか出ないか迷っていた。恩師が父・英一だったから、何ともばつが悪い。だが翌日、その父は自宅で他殺死体で発見される。真世は、翌日現場検証に立ち会うべく生家に行くと、警察相手に横柄な物言いをする男が現れる。父方の叔父・武史であった。 イリュージョニストである彼は、真世に警察より先に自分の手で真相を突き止めたいと言い、あの手この手で手掛かりを集め始めるが、警察の強面たちをも煙に巻く探偵術には恐れ入るばかり。観客相手に鍛えた洞察力といい、アメリカ仕込みの対話術といい、まさに現代版シャーロック・ホームズというべきか。本書の読みどころも、「謎を解くためなら、手段を選ばない」その名探偵ぶりにある。 表題の「名もなき町」は伊豆周辺の温泉町を想定しているのだろうが、もちろん架空のもの。真世の同級生をはじめ地元民は寂れてゆく町の復興に懸命だが、コロナ禍のために風前の灯。その意味では、本書はコロナ禍を正面から取り込んだミステリ初の町興しものではあるまいか。 また被害者の神尾英一はなぜ殺されなければならなかったのか。真世の同級生たちもその中に容疑者がいるかもしれないと平静ではいられない。同窓会ものとしても今風な趣向が凝らされている辺りはさすが。 ラストで突然明かされる真世のあることに関する鬱屈には驚かされた。武史と真世のコンビはよかったが、武史のキャラクターはもう少し掘り下げて欲しかった。シリーズ化はするのだろうか。今後の二人の活躍を見たいものだ。 |
No.497 | 6点 | 政治的に正しい警察小説 葉真中顕 |
(2023/05/19 06:44登録) 多彩なテーマをブラックユーモアたっぷりで描く6編からなる短編集。 「秘密の海」親から虐待されて育った人は、自分の子供にも同じことをするのか。絶妙なミスリードに唸らされた。 「神を殺した男」天才棋士の紅藤は、ライバルの黒縞に殺される。あまりにも身勝手な動機には驚かされた。AI将棋が進化した故の悲劇。 「推定冤罪」警察による自白の強要。昔はまかり通っていたらしいが。人が脳内で真実を捻じ曲げた記憶を作ることの怖さが印象的。 「リビング・ウィル」松山千鶴は、母から祖父が意識不明の重体だと連絡を受けて病院に向かう。終末治療における尊厳死に関して考えさせられる作品。感動するお話かと思えば、皮肉な結末に唖然。 「カレーの女王様」主人公が幼い頃に食べた母親のカレーの隠し味の真相。トラウマになるぐらい衝撃的な結末。まさかのホラー。味覚が信じられない。 「政治的に正しい警察小説」小説から差別的な用語を排除していくとどうなるのか。主人公がそのような描写を排除することに取り憑かれていく様が狂気的。表現を突き詰めることの怖さが伝わってくる。 |
No.496 | 6点 | 殺人鬼フジコの衝動 真梨幸子 |
(2023/05/15 07:24登録) 全編に渡り、イヤミス要素満載。不快な気持ちになるにはもってこいの作品。 両親と姉を惨殺され、たった一人生き残った11歳のフジコは、その後の人生をどう歩んだのか。幸福を何より望んでいたはずの彼女は、運命の残酷な導きにより、あれよあれよという間に残忍極まりない連続殺人犯へと化してゆく。この作品は、そんな「殺人鬼フジコ」の生涯を追った未発表原稿が、亡くなった執筆者の関係者の手によって世に出たという、いささか凝った構成になっている。 とにかくフジコの幼少期の境遇の酷さといったら、筆舌には尽くし難い。何も持っていない彼女から、さらに人生は容赦なくすべてを奪い去ろうとする。そこには同情や憐憫さえ寄せ付けないほどの、強烈な悲惨さがある。彼女を取り巻く登場人物たちも、かけらほども共感できない。非道で悪辣な者だらけ。だが同時に、ここまで極めると妙な痛快さが漂ってくるのも確か。あまりにネガティブな展開の連続とフジコの犯行のあっけなさ加減には、ついつい笑ってしまう。終盤、腑に落ちないことが残ったまま、突然あとがきのページになるので、面食らったがそこからがこの作品の真骨頂。 この作品には巧妙なトリックが仕掛けられている。最後のページまで読めば、この小説の魅力が単に「人の不幸は蜜の味」だけではないことがわかるでしょう。 |
No.495 | 8点 | 花束は毒 織守きょうや |
(2023/05/10 07:36登録) 木瀬は、かつて中学生の頃に家庭教師をしてもらっていた真壁が脅迫状を送られていることを知り、犯人を突き止めようと中学時代の先輩・北見理花が所属している探偵事務所を訪ねる。偶然再会した真壁が、彼と婚約者との関係を揺るがす脅迫者に悩まされていることを知り、真壁を助けたい一心で理花の元を訪れたのである。 主に理花の視点による物語は私立探偵小説の形式で淡々と進んでいく。かつて医大生だった真壁は、目下インテリアショップの雇われ店長をしている。脅迫の原因となっていると思われる過去の事件は真壁にとっても、そして木瀬にとっても掘り起こすことが現在の状況を好転させるとは思えないものだ。 事件の背後にあるものを探偵が追っていく過程が丁寧に描かれている。探偵と依頼者が直面する不都合な真実が、やがて脅迫者にたどり着くのだが、本書の真骨頂はその人物の真意が明かされたその先にある。 予期せぬ謎が突如解明され、総毛立つ感覚に見舞われる。恐るべき執念・狂気を明かし、推理へ回帰する構成が素晴らしい。作者の人間に対する透徹した眼差しが生んだトリッキーなサスペンスに背筋が凍る。 正義があれば真実を暴いていいのか。ラストに残る深い問い掛けに考えさせられる。一連の真相を知った主人公の決断は、どちらに傾いたのかを読者の想像に委ねたところに評価が分かれるかもしれない。個人的にはこれでよかったと思ったが。 |
No.494 | 6点 | 救国ゲーム 結城真一郎 |
(2023/05/04 06:44登録) 過疎問題や地域再生を扱った作品。少子高齢化の加速で国家の経営が危機に瀕していた。その対策として全国民を大都市圏への集住をネット動画で訴えていた謎の仮面人物・パトリシアが、自分の計画通りにしなければ地方をドローンで無差別テロを決行すると告げる。 ドローンや自動運転車両を用いて限界集落を活性化しようと地方創生のスターとして活躍してきた神楽零士が殺される。遺体は首が切り離され、胴体だけが自動運転車両に乗せられ、山中へ送られていた。事件のあった集落の住人・晴山陽菜子は真相解明のため、旧知の中で死神の異名を持つ官僚・雨宮に協力を要請する。 出だしは謀略パニックものだが、話の興味は謎解きに一転する。現代の社会問題をYouTubeやドローンといったメディアやツールを駆使しているところが新しく、個人の訴えが広く伝わるソーシャルメディアの感覚などが、巧みに物語に取り込まれているのが上手く魅了される。ドローンの特有の動きが盲点となり、アリバイを成立させているところや、ある証言が最後のどんでん返しの有効な手掛かりへと翻る展開などが工夫されている。 フーダニットに関しては、早い段階で明かされてしまうが本作は、緻密なアリバイ崩しの過程と犯行計画に至った経緯が読みどころなので問題はないだろう。 真相が明らかになり事件が収束する終盤には、そうまでしなければならなかった切実さが胸に突き刺さる。社会問題を突き付けられ考えさせられる作品。 |
No.493 | 7点 | 俺ではない炎上 浅倉秋成 |
(2023/04/29 07:53登録) 大学生の住吉初羽馬は友達が引用したTwitterを見て、リツイートする。それに付された写真は本物の殺人現場を撮影したようで、瞬く間に拡散される。程なくその写真は精査され、投稿したアカウントの持ち主も特定される。その男、大帝ハウス大善支社営業部長の山縣泰介は、支店長からの緊急電話で帰社するとTwitterがとんでもないことになっていると言われる。読めば読むほど、本人としか思えない巧妙な手口に、誰もが山縣の無実を信じようとはしない。犯人は一体何者なのか。 彼がオフィスに届いていた郵便物を調べてみると、唯一助かる可能性があるとすれば、選ぶべき道は逃げ続けるだけ、と諭す見知らぬ人物からの封書があった。文末には謎の数字の羅列が。自分が悪いわけではないのに、なぜこんな目に遭うのか。ネット上で「女子大生殺害犯」の濡れ衣を着せられ、職場や自宅から必死の逃走を続ける中、幾度となくそんな思いに駆られる。物語は山縣の逃走譚を軸に展開、彼視点だけでも十分謎めいていてスリリングなのだが、視点人物は初羽馬を始め、複数存在する。泰介も初羽馬も彼らなりの信条に従って、人生上手くやってきた。だが事件の真相に近づくにつれ、彼らがほとんど意識せず、踏みにじってきたものの正体が明らかになる。 やり手の会社員で誠実な家庭人であるかのような山縣の人物像には、主観と客観でずれがあって、それが次第に露になるにつれて、彼の悲劇も、より深刻さを増していくという次第。しかもそうしたずれは、更なるずれとも呼応している。本書はただ彼が追い詰められていくだけではない。人間ドラマの面白さがある。ページをめくる手が止まらないのは、真犯人が誰なのか気になるからだけではない。彼らの生き方が、今の社会の映し鏡でもあるからだ。終盤、二人がそれぞれ一方的な被害者意識を脱して自己を見つめ直す描写に、わずかな希望が託される。ネットにあふれる言葉への言及に大きく膝を打ち、真相に胸を強く締め付けられる。 |
No.492 | 6点 | 刑事のまなざし 薬丸岳 |
(2023/04/25 07:35登録) 身近で起きた殺人事件を一般市民を中心にして、事件前後の物語が綴られる七編からなる連作短編集。 「オムライス」看護師の前田恵子は、息子の裕馬と内縁の夫である英明と暮らしていた。次第に暴力を振るうようになった英明は、ある日室内で死亡していた。母子の愛の強さと脆さを描いている。真相は衝撃的。 「黒い履歴」小出伸一は、育ての親を殺し少年院に入っていた過去があった。ある日、彼の住むアパートの大家が殺害された。真相はやるせない。 「ハートレス」松下雅之は、他のホームレス仲間と生活していた。ある日、暴走族上がりのホームレスであるショウが殺される。犯罪の被害者家族は、加害者家族を許せるのかという難しいテーマ。夏目の過去が徐々に明らかになっていく。 「傷跡」田中久美子は、不登校でリストカットしてしまう仲村有香のカウンセリングをしていた。ある日、マンションで沢村という男が殺害される。人間の弱さを描いている。ある人物の行動には胸を打たれた。 「プライド」警視庁捜査一課の刑事である長峰亘は、首を絞められ殺害された桜井綾乃の事件に迫る。真相は分かりやすく驚きは少ない。 「休日」吉沢篤郎は、息子の隆太が連続窃盗事件に関わっているのではと、夏目に捜査を頼む。ありきたりの展開と結末。 「刑事のまなざし」塚本聖治は、家庭環境の悪さから万引きなど犯罪を繰り返し少年院に入る。夏目から面接を受けていたが、逆に夏目の娘である絵美をハンマーで殴ってしまう。登場人物たちの様々な感情が入り乱れ、読み応えがある。 それぞれの話で中心となる人物は、社会的な問題に直面している。その部分が事件とも大きく結びついているので、重苦しい展開になっていく。この連作短編の主人公を務める夏目は、通り魔に襲われた娘が植物状態になったことが切っ掛けで、法務技官から警察官に鞍替えしたという風変わりな経歴を持つ刑事だ。刑事らしくない柔らかな物腰と元法務技官ならではの視点、そしてほかの刑事とは違う鋭い推理で事件の真相を追っていく。夏目は犯罪を弾劾する警官という立場だけではなく、犯罪の背景を理解し更生への道を示すことの出来る人間として描かれるのだ。家庭内暴力、児童虐待、ホームレス、思春期の自傷行為。これら社会の澱みに相対する時の夏目のまなざしは、常に真摯で温かい。 |
No.491 | 4点 | 慈雨 柚月裕子 |
(2023/04/19 07:27登録) 定年退職後まもなく、妻と四国八十八カ所の寺をめぐる遍路に出た元警察官。かつて捜査に関わった、幼女殺害事件の被害者の供養のためという。DNA鑑定を決め手に逮捕された犯人には懲役二十年の判決が下った。しかしなぜか以来、男の心は休まるどころか悔恨の念が増すばかり。 遍路一日目。男は投宿先で別の幼女殺害事件のニュースを目にし、たまらず元部下に電話する。遺体が発見されたのは群馬県の山中。その現場や展開は四十二年の警察官人生を否定しかねない。終わったはずの事件と酷似していた。 二つの事件を重ねつつ、部下と捜査に関わる電話をしながらの夫婦二人旅は続くが、遍路の描写はやや淡白だ。夏場にかけての遍路は歩き通すには相当な体力と集中力が必要なはず。あっけなく過ぎる難所の記述に拍子抜けの感がある。 とはいえ、妻にいぶかしがられつつ独白を繰り返す道中、男は内省を深めてゆく。台詞に強度が増し、舞台としての四国遍路が小説と絡み合ってくる。被害者と家族、保身に走る組織、凶刃に倒れた同僚など、人間模様の回想を尽くした終盤、胸のすくような展開が待っている。 想像した通りの展開、結末とミステリ小説としての驚きはなく読みどころは少ない。家族や同僚との絆の小説としてはまずまず。 |
No.490 | 6点 | すみれ屋敷の罪人 降田天 |
(2023/04/14 07:37登録) 戦前は名家の一族が住んでいたが、今では廃屋と化している旧紫峰邸の敷地から、二体の白骨死体が発見された。その翌月、かつて紫峰家の使用人だった八十一歳の栗田信子のもとを、県警の刑事という青年・西ノ森が訪れる。彼に問われるまま、信子は六十五年前の思い出を語り始める。昭和十一年、彼女は親戚の紹介で紫峰家の女中となった。西洋風の屋敷には、当主の紫峰太一郎、葵・桜・茜という三人の美しい娘たち、そして執事や女中頭や書生などの使用人がいた。貧しい農家で育った信子にとっては別世界のような豪邸での優雅な暮らしだが、葵の婚約披露パーティーの日に、唐沢七十という新しい女中がやってきた頃から、紫峰家を不吉な暗雲が覆う。 西ノ森は当時を知る元使用人たちを訪ねて廻るが、彼らの証言は遥かな時の流れの中で美化されたり、あるいは故意に事実を伏せた部分もある。早い時点で勤めを辞めた信子の知らないことは、別の人物に訊かなければわからないし、その人物も事態のすべてを知っているわけではないので、西ノ森は彼らから訊いた情報を多角的に検討しなければ事実に行き着けない。 最初は浮世離れした桃源郷めいて紹介される紫峰家だが、使用人や関係者が戦死するなど、彼らを取り巻く環境は悪化し、三姉妹のあいだにも亀裂が生じてゆく。そして戦後、ある人物が紫峰家の関係者のうち三人が行方不明になっていると証言したというが、それと二体の白骨死体の関係は。 複雑に入り組んだ謎が解けてみると、そこに立ち現れるのは戦時中だからこそ成立するトリックであり、現代ではあり得ない関係者の心境である。ゴシック・ロマンス的な道具立てに精妙な謎解きを融合させた作品である。 |
No.489 | 8点 | 後悔と真実の色 貫井徳郎 |
(2023/04/09 07:19登録) 若い女性を襲い、殺して指を切り取るという連続殺人事件が発生。犯人は「指蒐集家」と名乗り、警察の大向こうを張って犯行を重ねていく。この事件の捜査に当たった刑事の中に警視庁の名探偵の異名を持つ西條がいた。西條は独自の視点から「指蒐集家」の正体に迫っていく。 序盤は、事件の発生の報から実際に刑事たちが捜査に着手するまでの段取りが現実に即して丁寧に描かれており、警察小説に改めて真正面から挑もうとする作者の意気込みが感じられる。周囲との軋轢も気にせず、使える手をすべて使って捜査情報を得ようとする西條、西條に反感を覚え周辺で功を焦る同僚たちなど、所属や立場が異なる刑事たちも個性的に描かれている。 警察小説の面白さと本格ミステリとしての面白さが両立しており、作者らしいユニークなアプローチがされている。刑事同士の内紛や足の引っ張り合いのあたりは警察小説的な面白さがあるが、それ以上に面白いのが西條の人物造形。名探偵然としているのだが、その扱いが物語が進むにつれて面白いことになっていく。家庭内別居中で若い愛人がいるなど清廉潔白ではないまでも、中盤以降の西條の転落は想像を超える。ただ、その状況下でも己の矜持を保つ西條の姿は、堕ちたヒーローとして強烈な印象を残す。 劇場型犯罪と捜査小説の演出に隠されているが、真犯人の行動原理や動機には本格ミステリらしい意外性がある。警察小説の常識や自身の作風を含め、様々な予断を裏切る作品となっている。本格ミステリファンが読むべき、警察小説ものと言えるかもしれない。 |
No.488 | 5点 | 神の悪手 芦沢央 |
(2023/04/04 07:10登録) 将棋の名人がAIに敗れて久しい。しかし、天才棋士・藤井聡太が出現し、胸のすくような快進撃により将棋界が何度目かのブームを迎えている。そんな将棋をテーマにした五編からなる短編集。 「弱い者」東日本大震災の復興支援行事における指導対局を描く。覚束ない手つきながら急所を突く指し手に、北上八段は少年の才能を感じ取る。だが最終盤になり、少年は簡単な読み筋を逃し、混沌した局面になっていく。これはいくらなんでも無理がある。 「神の悪手」プロ棋士の養成機関である奨励会が舞台。先輩から教わった棋譜と全く同じように進む奇跡的な展開に直面したことから、ある選択を迫られる。将棋の心理に外れる行為との背反に悩まされる主人公の心情をえぐった犯罪小説である。これがベスト。 変則ルールの詰将棋と投稿した少年の数奇な生い立ちを結び付けた「ミイラ」。タイトル戦を舞台に、対局者の内面を穿つ「盤上の糸」。駒師の矜持と悩みと同時に、ベテラン棋士のそれも浮き彫りにする「恩返し」。 収録された五編の切り口は様々ながら、いずれの物語にも作者ならではの伏線が張り巡らされている。ミステリ要素が将棋の持つ計り知れなさと響き合い、独特の味わい深さがある。将棋という一つの世界を描きながら、叙述ミステリ、暗号解読などバラエティに富んでいる。 |