home

ミステリの祭典

login
パメルさんの登録情報
平均点:6.13点 書評数:622件

プロフィール| 書評

No.442 5点 いくさの底
古処誠二
(2022/08/20 07:51登録)
ビルマを平定した日本だが、治安を乱す重慶軍に悩まされていた。閑職にあった賀川少尉は、急造された舞台を率いてヤムオイ村に向かう。少尉は7カ月前まで村にいて、村長を補佐する助役に清水次郎長一家から名を借りた渾名を付けていた。しかも現地で実戦も経験したらしい。村に到着した夜、少尉が首を大きく切られて殺された。その死は村人に伏せられたが2日後、村長が同じ手口で殺されてしまう。
犯人は日本兵か、村人かそれとも重慶軍か。外部との連絡が難しい閉鎖空間の村で、日本兵と村人が互いに疑うことで生まれる息苦しいまでのサスペンスは圧倒的。さらに戦時下の、ビルマ奥地の小村でしか成立しないトリックを使っているので、意外な犯人にも衝撃の動機にも驚かされるのではないか。
そして謎が解かれるにつれて、目の前の勝ちにこだわらず大局を見ず、現実より体面や建前を重視し、個人の良心を圧殺する日本軍の問題点も浮き彫りになってくる。これらの指摘は、現在の日本の組織が直面する課題とも無縁ではないだろう。


No.441 6点 友罪
薬丸岳
(2022/08/17 07:51登録)
ある町工場に益田と鈴木という2人の若者が同時入社する。鈴木には独特の近づきにくさがあり、誰も彼とは打ち解けない。だが一人、益田だけは鈴木との距離を縮め、鈴木もまたそんな益田に心を開くようになる。そして2人の間では友情が育まれていくのだが、しかしふとしたことで、益田に恐ろしい疑念が沸き上がる。鈴木はメディアを騒がせた、あの少年犯罪の犯人なのではないか。考えてみるといくつもの不審な証拠が思い出された。そしてどうも事件の犯人は、実社会に復帰しているらしい。疑いを深めた益田は、疑念を打ち消したい一心で独自の調査を開始する。
この作品が、あの神戸で起きた猟奇的児童殺人をモチーフにしていることは明らか。過去に苦しむ事件の犯人。同時に他の登場人物たちも彼の苦悩と共振する、消してしまいたい過去を抱えている。中学時代の同級生の自殺が今も重くのしかかる主人公。そして流れ着くように工場の事務員に収まった元AV女優。
過去と今が激しく交錯し物語は突き進む。互いの過去を隠したまま、かけがえのない友となり恋人となった今。しかし、ひた隠しにしてきた忌まわしい過去を許すことが出来るのか。友の罪はあなたにとっても罪なのか。
伏線や謎の配置によって読ませる物語ではない。登場人物に己を重ねることで共感し、自分がほのかに抱える暗部をのぞき見するような気持ちで読み進め、そして切っ先の砥がれたような鋭い問いを突き付けられ身震いせざるを得なくなる。
人間は過去から逃れることはできない。しかし友なら理解することができるはず。それでも赦すことができないのはなぜか。ラストの言葉が心に響いた。


No.440 7点 密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック
鴨崎暖炉
(2022/08/11 08:27登録)
「僕」こと葛白香澄は、高校二年生のミステリマニア。幼なじみの女子大生、朝比奈夜月の雪男捜しに同行することになった「僕」らが、宿泊予定の雪白館は、密室ものを得意とする推理作家、雪城白夜のかつての邸宅だった。
誰も解けない密室での殺人なら無罪となる時代。10年前に館の主が密室の謎を遺した「雪白館」で、連続密室殺人が起こる。すべての密室を解き、犯人を有罪にできるのか。この設定、世界観がなんとも魅力的。
登場人物は、それぞれ名前や性格が記号的で分かりやすくなっている。例えば、探偵が探岡エイジ、マネージャーが真似井、支配人が詩葉井など。まるで、人物を把握する労力を減らしたので、密室トリックにだけに集中して欲しいと、作者が言っているかのようだ。
一見、典型的な雪の山荘ものと思われるが、とにかくあの手この手の密室殺人の仕掛けが凝っていて、推理する側も個性派ぞろい。一問一答式で密室の謎を解いていき、少しずつ密室の難易度が上がっていく。無罪になるために、わざわざ密室を作るので、リアリティは薄いが、論理的に解かれ納得できる。また、実際の情景を考えると、シュールで笑ってしまうトリックもあって楽しい。
クローズド・サークル、殺人現場にトランプ、怪しい宗教団体など、古典的要素は押さえつつもライトな雰囲気。殺人事件が起きていても、モノポリーをやるなど緊迫感が皆無なところは好みがわかれるでしょう。


No.439 6点 アリバイ崩し承ります
大山誠一郎
(2022/08/06 08:17登録)
県警本部捜査一課の「僕」は、腕時計の電池が切れていることに気づき、美谷時計店に入る。そこで「僕」は、店内に「アリバイ崩しを承ります」という張り紙を見つける。「時計にまつわる依頼はなんでも受ける」という祖父の遺志を受け継ぎ、孫娘の美谷時乃が、「時を戻すことができました」という決め台詞のあと、推理を披露する7編からなる連作短編集。
「時計屋探偵とストーカーのアリバイ」大学教授が殺害された事件の容疑者は、被害者の胃の内容物から特定された時刻にはアリバイがあった。
「時計屋探偵と凶器のアリバイ」死体よりも先に凶器の拳銃がポストから発見された殺人事件。現場で発見された銃弾から凶器はこの拳銃と判明。被害者の上司が容疑者として浮上するがアリバイがあった。
「時計屋探偵と死者のアリバイ」交通事故に遭ったミステリ作家が、自分は殺人を犯したと告白して死んでしまう。しかし死亡時刻を考えると、アリバイが成立してしまう。
「時計屋探偵と失われたアリバイ」ピアノ教師が殺害され、バーに勤める妹が殺人の容疑者となる。しかし「僕」は妹が犯人とは思えない。
「時計屋探偵とお祖父さんのアリバイ」時乃は小学四年生の時に、祖父から出題されたアリバイ崩しの問題を「僕」に出す。
「時計屋探偵と山荘のアリバイ」「僕」が訪れた山荘で殺人事件が起こる。雪上に残された足跡から、中学生の少年以外のアリバイが成立してしまう。
「時計屋探偵とダウンロードのアリバイ」元会社経営者の男性が、自宅で死体となって発見される。犯行当日のみダウンロードすることが出来た楽曲を容疑者は、友人の前でダウンロードしていた。
たったそれだけの情報でアリバイを崩すなんてありえない、ロジックよりインスピレーションで解決するタイプの安楽椅子探偵もの。犯行そのものも、現実的ではないもの、ご都合主義的なものも確かにあるが、アリバイ崩しに特化した作品集なので、そこには目を瞑れば、盲点を突き、固定観念を覆すアイデア溢れた、奇想なアリバイ工作に驚くことができるのではないか。


No.438 7点 検察側の罪人
雫井脩介
(2022/08/01 08:21登録)
主人公はベテラン検事の最上と、若手検事の沖野。ある殺人事件の調書を読む最上は、かつて知り合いの少女を殺し最重要容疑者でありながら、証拠不十分で釈放され時効となった男が容疑者の一人であることを知る。最上の支持のもと事件を担当していた沖野は、捜査の偏りに違和感を覚え、尊敬する最上と対立することになる。
「時効」がテーマのひとつで、2010年に改正刑事訴訟法が執行されて、死刑に相当する殺人罪の公訴時効が廃止されたが、執行前に時効を迎えていた事件は、改正前の期間が適用されるため、犯行を行った時期によっては罪科に処されずに済んでしまう。そのような現実や、検事一人の裁量で事件の流れを決めることが出来てしまう司法制度の問題点が描かれている。
冤罪かそうでないかという謎だけでも引き込まれるが、それについては、途中で明らかになる。沖野検事の取り調べ場面には、綿密な取材を裏打ちされた圧倒的なリアリティがあり、冤罪はこうして作り上げられるのだと納得させるだけの臨場感と説得力がある。そして罪の償いとは何かという問いに突入する。法律には穴がある。その穴によって正しく裁かれなかった場合、それを人間の手で正してはいけないのか。
これは本来あり得ない話。あってはならない物語である。しかし、二人の検事が正義の信念や自身の現状に対する葛藤がぶつかり合うことで、迫力ある人間ドラマとして読ませる。また時効、冤罪など考えさせられる社会的な問題を二人の検事の関係の絶対性として共感を誘う熱い小説でもある。


No.437 6点 カササギたちの四季
道尾秀介
(2022/07/26 08:36登録)
「リサイクルショップ・カササギ」は、赤字続きの小さな店。店長の華沙々木は推理マニアで、事件があると商売そっちのけで首を突っ込みたがる。副店長で修復担当の日暮は、売り物にならないガラクタばかり買い入れてくる。中学生の菜美は名探偵華沙々木のファンで、いつも店に入り浸っている。
彼らの周囲で起きるのは、店の倉庫に誰かが忍び込んで鳥のブロンズ像を燃やそうとした放火未遂事件とか、山奥の木工所で原木が傷つけられた器物損壊事件といった軽微なものばかり。血なまぐさい事件は一つも出てこない。
華沙々木がホームズ、日暮がワトソンという役割になっているが、このホームズは実は自称だけの名探偵。菜美を落胆させないために、日暮が秘かに現場を修復してホームズの手柄に作り替えるところが、アンチ・ミステリとしての読みどころになっている。
ミステリとしては弱いが、軽妙でしかもイメージ喚起力のある文章、魅力的な登場人物、捻りの効いたプロットなど、さすがと思わせる面もある。


No.436 7点 アルバトロスは羽ばたかない
七河迦南
(2022/07/21 08:46登録)
児童養護施設・七海学園を舞台にした「七つの海を照らす星」の続編。前作を読んでいなくても十分楽しめるが、読んでいないと最後の衝撃度は半減されると思う。本作は「冬の章」の合間に「春の章」「夏の章」「初秋の章」「晩秋の章」がカットバック的に挟み込まれた構成となっている。一つ一つの短編に伏線を散りばめ、全体を貫く仕掛けが用意されている。
「春の章」母親に殺されそうになったと思っている一ノ瀬少年の話。真相は見えやすいので、ミステリとしての面白味はないが、伏線がしっかり描かれ説得力がある。
「夏の章」城青学園の生徒がサッカーの試合で会場から姿を消す話。話としては面白いが、それは気付くだろうと思ってしまった。
「初秋の章」鷲宮瞭が織裳利映にCD-Rをもらう。しかし再生できない。また樹里亜という七海学園の新入生が転校前にもらった寄せ書きが無くなるという二つの謎が描かれる、日常の謎的ミステリ。胸に苦いものが残る。
「晩秋の章」望という少女が七海学園に預けられる。刑務所に入っていた望の父が出所し、望を連れ戻そうとする話。海王さんのある言葉が伏線になっている叙述トリック。完全に騙された。
そして「冬の章」では、校舎屋上からの転落事件を中心に、それまでに登場した人々を巻き込んだ物語が展開される。
最後の最後で、それまで頭で思い描いていた構造が一変する構成は、見事としか言いようがない。このどんでん返しには、かなりのインパクトがある。伏線も十二分に張られている。納得のサプライズ。


No.435 6点 七つの海を照らす星
七河迦南
(2022/07/17 08:41登録)
様々な事情を抱えた子供たちが暮らす児童養護施設・七海学園で起きる、不可思議な事件の数々。七海学園に勤めて2年目になる北沢春奈の視点から描かれる7編からなる連作短編集。
「今は亡き星の光も」七海学園の葉子が、以前いた児童施設での不思議な体験について語る。急死したはずの玲弥という少女が自分の窮地を救ってくれたのだという。玲弥の人物像が、児童福祉士の海王の視点でがらりと変わるどんでん返しのお手本のようなミステリ。
「滅びの指輪」七海学園の浅田優姫は、かつて戸籍が無かった。廃屋で生活しているところを保護されたのだった。しかし優姫は思わぬ貯金を持っていた。不思議な謎、思いもよらない真相、なんとも言えない後半などインパクトが高い。
「血文字の短冊」沙羅と健人の父親・秋本譲二は、母親が家を出て育児ができないので施設に入れている。沙羅は父から嫌われているという話を春奈にする。春奈の話を聞いて大学時代の同級生・野中佳音が謎解きをする。いわゆる叙述トリックだが、意外性はなく驚くことはない。
「夏期転住」俊樹は12年前に夏期転住として田舎に行った時、小松崎直と出会い、一緒に生活し思い出を作る。しかし直の父が直を探しにきて、直は姿を消してしまう。最終的に明らかになる真相は、ある古典ミステリを想起させる。そこに加えられた捻りが興味深い。
「裏庭」七海学園の裏にある開かずの門。「開かずの門の浮姫」という七不思議をめぐる話。ミステリとしては弱い。恋愛話としては悪くない。
「暗闇の天使」女の子6人で通ると幽霊が出るというトンネルの話。ミステリとしては、真相にやや釈然としないところがある。
「七つの海を照らす星」最後の話で6つの話の「謎」が繋がる。完全な脇役かと思われていた野中佳音の過去が描かれ、物語の中心人物にすり替わる展開はかなり衝撃的。
北沢春奈をはじめとする七海学園の生徒や関係者など、魅力的なキャラクターに溢れている。個々の短編の謎に目新しさや驚きは少ないが、散りばめられた伏線を最終話で一気に回収し、各短編で残された謎がわかりスッキリする。


No.434 7点 W県警の悲劇
葉真中顕
(2022/07/13 08:08登録)
W県警の特徴は、日本の県警の中でも旧態依然をもって知られ、男尊女卑がまかり通っていること。当然ながら松永警視を始め、女性警官への風当たりも強くなる。
W県警では月に二度、「円卓会議」が開かれる。出席者はお飾りである本部長を除いた県警幹部たちで、ここで合意されたことが県警の決定事項となるのだ。松永警視は一刻も早くこの会議に出席できるよう、出世を目指していた。女性警察官を低く見るW県警の古い体質を刷新することに意欲を燃やしているからだ。しかし...。
本書は全六編からなる連作短編集で、各編でW県警に勤務する女性たちがフィーチャーされるのが特徴。同時に彼女たちに支持されている松永警視の存在も、ストーリーに影響を及ぼしていく。
極秘任務を与えた警部の不審死に隠された二重三重の仕掛けとは「洞の奥」。
女子小学生殺害事件を捜査しながらも、コンビを組んだ先輩刑事への想いを断ち切れない女性刑事が登場する。騙りの倒叙を交え翻弄してみせる「交換日記」。
家宅捜索で特技を見せる。極上の仕掛けを凝らしている「ガサ入れの朝」。
痴漢容疑で逮捕され黙秘を続ける男を取り調べながら、かつて自分が受けた痴漢被害を思い起こす。組織内部の戦いを描いた「私の戦い」。
実父を殺したと自白した神父の真意を探っていく。悲哀の構図「破戒」。
ついに警視正に昇進し幹部になった松永が、山で姿を消した少女の捜索のため現地に赴く。真相はかなりブラックな「消えた少女」。
警察小説の意匠を隠れ蓑に、さまざまなテクニックを駆使した仕掛けが爆発するどんでん返しミステリ。さらに最後の一撃というべき驚きも待っている。


No.433 6点 微笑む人
貫井徳郎
(2022/07/08 07:47登録)
エリート銀行員の仁藤俊実が、蔵書を置く場所を確保するために妻と娘を殺害した。異様な動機で世間の注目を集めた仁藤に興味を持った小説家の「私」は、事件をノンフィクションにまとめたる関係者を訪ね、証言を集めていく。やがて「私」は、仁藤の同僚や大学の同級生が不可解な死を遂げていた事実を知る。
常識では理解できない猟奇事件が発生すると、マスコミではすぐに幼少期のトラウマや、不況が生み出す閉塞感といった分かりやすい動機を探し出そうとする。ところが本書は、物語が進めば進むほど、仁藤の人物像や動機が見えにくくなる迷宮のような構造になっている。
作者が、実際に起きた事件をモデルにしたようなエピソードや、仁藤を取材する「私」に、知人が「あんな良い人」と答えるなど、どこかで見たことのある場面を並べながらも、ラストに意表を突くどんでん返しを用意したのは、週刊誌やワイドショーが報じる分かりやすい動機は、犯人や社会の闇に到達していないとの想いがあったからではないだろうか。
本書は、一般的なミステリとは異なる展開をたどるため、モヤモヤが溜まるかもしれない。だがミステリのお約束を拒否したことが、逆に現代の不条理な犯罪をどのように向き合うべきかを考えるきっかけになっている。
この作品は、いわゆるミステリ的な解決がない。人は誰も不可解なものに無理やり理屈をつけ、納得しようとする。それが事実かどうかは、誰にも分らない。作者は、そうした人の心の闇に目を向けようと訴えかけいるかのようだ。


No.432 6点 教室が、ひとりになるまで
浅倉秋成
(2022/07/03 08:10登録)
私立高校で三人の生徒が立て続けに自殺した。死ぬ動機もなく、後追い自殺の理由もないにもかかわらず、三人とも同じ文面の遺書を残して死んだのだ。クラスメイトの白瀬美月から「死神」に命を狙われていると聞いた垣内友弘は、その直後、人の噓を見抜く不思議な力を与えられ、連続死の謎に挑むことになった。
校内には特殊な能力を持つ人間が四人いるが、本人がその秘密を他人に明かすと能力は失われてしまう。しかも、一人一人に与えられた能力は異なっているので、友弘は誰がどんな能力を持っているのかもわからぬまま真相に迫らなければならない。
三人の連続死には誰かの能力が関係しているのか。書きようによっては何でもありになりそうな設定だが、異能バトルをロジカルに組み合わせた展開はとても興奮させられるし、登場人物たちが自らの置かれた環境への違和感をぶつけ合うクライマックスの重苦しい絶望とわずかな希望が交錯する悲痛さは、学校という独特の閉塞感や居心地の悪さを感じたことのある人には突き刺さるのではないだろうか。


No.431 5点 名もなき毒
宮部みゆき
(2022/06/28 08:30登録)
物語は、首都圏で発生した連続無差別毒殺事件を、主人公・杉村の会社から解雇された女性アルバイトの巻き起こす騒動が絡み合う形で織りなされる。他者との関係を無化したうえで成り立つ無差別の凶悪犯罪と、人と人が接触を持つがゆえに起こる人間関係のトラブル。対照的な二本の縦糸は、根底に怒りがあるという点で共通する。自分だけが幸せになれないことへの怒り、自分を受け入れてくれない周囲に対する怒り、理想と現実とのギャップが生んだ怒り。
もちろん、それらは客観的には理不尽極まりないもので、身勝手で自己中心な言い分だと切り捨てることはたやすそうに見える。だが、この作品は紋切り型の正義や正論を上から安易に振りかざすことを許さない。
怒りはやがて毒になり、他者をそして自分自身をも侵す。だが作者は、喜びも悲しみも噛みしめてきた年長者の姿を、幼い子供のあどけなさを、生きることへの確かな「敬意」を持って描く。
だからこそ、負の諸相が手加減なしに描かれた怖い作品なのに、読後には人間や人生や社会に対する前向きな思いが胸に残る。


No.430 4点 月と蟹
道尾秀介
(2022/06/23 08:09登録)
舞台は鎌倉市に近い海辺の田舎町。父親の会社の倒産がきっかけで、2年前にこの町に転居してきた小学5年生の慎一は、その後癌で逝った父の親である祖父と、寡婦となった母親との3人暮らし。慎一の親友の春也は無口な少年で、父親からの暴力をひた隠しにしている。ある日彼らは2人だけの秘密の場所で、ある儀式を始める。ヤドカリをヤドカミ様と呼んで、貝から抜け出たヤドカリを焼きながら祈りを捧げると、願いが叶うというのだ。それは思い付きで始めた他愛のない暇つぶしだったはずなのに、クラスメイトの少女、鳴海がその儀式に加わったことから少しずつ暗い様相を見せてゆく。
誰もが心の奥に隠し持っている弱さの連鎖が因果となって、悲劇的な出来事を引き起こす。だが同時に、決して捨て去ることのできない弱さ、打ち勝つことなど到底不可能に思える弱さと、どう向き合って生きてゆけばよいのか、という難問についてこの作品は語っている。
寓話めいた筋立てを用いつつ、運命に翻弄されながらも何とか押し流されないと懸命に喘ぐ少年の姿を繊細に活写している点は作者らしい。しかし、直木賞受賞作ということで読んではみたものの、その良さは伝わってこなかった。


No.429 6点 影踏み
横山秀夫
(2022/06/18 08:37登録)
主人公はノビ師。ノビ師とは、空き巣の一種で家人が寝静まった夜に忍び込み、盗みを働くといういことで、通称「ノビ師」。ノビ師である真壁修一は、名前から刑事の間で「ノビカベ」と呼ばれていた。修一の頭の中には、死んだ弟・啓二の魂が住み着いていて、意識の存在として二人は会話をし、事件を共に追うというSFチックな設定。以前、取り合った女性・久子を交え織りなす7編からなる連作短編集。
「消息」修一が忍び込みで捕まった日。寝ずに起きていた女性に見つかるも、何の反応も示さなかった。あの女性は、夫を殺そうとしていたのでは。修一の頭の良さと啓二の記憶力の良さがわかる。
「刻印」幼馴染の刑事が死んでいるのが見つかった。修一は「終息」で出てきた、夫を殺そうとしていた女性が関係しているはずだと踏むが、女性にはアリバイがあった。ここでも啓二の記憶力が際立っている。
「抱擁」久子が勤める保育園で現金盗難騒ぎの話を知る。久子が疑われているらしい。修一は、犯人を探そうと調べていく。久子の揺れる思い。啓二にも決断が迫られる。
「業火」盗人狩りが立て続けに起きているという話を聞いた途端、修一も襲われた。修一は自分を曲げない、芯の強さがうかがえる。
「使途」刑務所にいた時の約束。サンタクロースをやってくれないかと頼まれた。ノビ師にしかできないと。筋を通す男の優しさが滲み出ている。
「遺言」一度会っただけの同業者が死んだ。「真壁を呼べ」と何度も口走ったと言う。真壁修一という男の複雑さが見え隠れする。
「行方」久子がストーカーされていると相談にくる。修一と啓二と久子。三人の抱えるものが、ここで終結する。啓二の告白する16年前の真相は痛切。
修一は泥棒から足を洗ったのか、久子と新たな生活を始めたのかは書かれずに終わっている。啓二の最後の願いが叶うことを願うばかり。


No.428 7点 蟬かえる
櫻田智也
(2022/06/14 07:58登録)
とぼけた感じの昆虫好きの青年・魞沢が一度事件に遭遇すると、たちまち鋭い推理力を発揮する5編からなる連作短編集。
災害ボランティアの青年が目撃したのは、行方不明の少女の幽霊だったのか。魞沢が意外な真相を語る表題作「蝉かえる」。交差点での交通事故と団地で起きた負傷事件。それらのつながりを解き明かす「コマチグモ」。大自然のペンションを訪れた外人の不審死をめぐる「彼方の甲虫」、失踪したライターを探していく過程で明らかになるホタルの謎と、静かな感動を呼ぶ「ホタル計画」、帰国した友人を訪れた探偵がその挙措から潜行する計画を喝破する「サブラサハラの蠅」。と、何が起こっていたのかわからない不思議な事件が5つ起こる。誰も事件の全容がつかめない中、魞沢だけは些細な手掛かりから真実にたどり着くその鮮やかさには目を見張る。
物理的事象や謎の様態のメカニズムを人間心理の解析によって明かしていき、隠された登場人物の背景を間接的な描写によって見せていくところが素晴らしい。
彼が解く事件の真相は、いつも人間の悲しみや愛おしさを秘めている。犯人や事件関係者が抱える切実について、魞沢は優しい眼差しを忘れない。推理の後に彼が語る言葉のひとつひとつには胸を打たれる。
本作では、なぜそのような優しい探偵になったのかを描いたエピソードも収録されており、魞沢の過去を知った時、彼に対する愛おしさが増すことでしょう。派手な事件はなくとも、巧みな構成と文体によって描かれる物語は、泡坂妻夫ファンはもちろんのこと、多くのミステリファンに楽しめる一冊といえるのではないか。


No.427 6点 怒り
吉田修一
(2022/06/02 09:33登録)
冒頭で、凄惨な殺人現場の報告がある。八王子郊外の新興住宅地で夫婦が殺され、血まみれの室内に「怒」という血文字が残されていた。
その一年後、三つの場所で三つの物語が始まる。房総半島の漁師町、東京、沖縄の小さな島。家出を繰り返す娘を見守る漁師、大企業に勤める青年、夜逃げ同然に島に移住してきた女子高生。異なる土地の風土と暮らしが生き生きと描き分けられ、秘密を抱えて生きる優しい人々が丁寧に造形されている。
三つの場所のそれぞれに素性の知らない若い男が出現する。彼らはみな穏やかな若者だが、報告された犯人像に類似した特徴を持っている。三人のうち誰かが犯人ではないか。その誰かが凶悪な闇を噴出させたら、彼を信じて受け入れたこの善意の人々はどうなるのか。作者は読者の心理にサスペンスを仕掛けている。ユニークなスタイルの犯罪小説だが、作者の狙いは犯人捜しでも「心の闇」の解明でもない。
ますます流動化する社会にあって、人々は互いに秘密を隠し持つ孤独な他人同士として現れる。他人に闇の深さは誰にも測れない。共に生きることは、闇を抱えた相手をそのまま受け入れることだ。その究極の受け入れが「愛」や「信頼」と呼ばれる。読後に静かに立ち上がってくるのは、人間の信じる能力、愛する能力について深い問いかけのようだ。


No.426 6点 消えたタンカー
西村京太郎
(2022/05/28 07:55登録)
大型タンカー・第一日本丸がインド洋沖合で炎上し沈没した。乗員32名のうち船長ら6名は救命ボートで脱出、偶然近くを通りかかった漁船に救助されるが、残りの乗組員は行方不明となった。だが帰国した生存者を狙って連続殺人が勃発する。十津川警部はとんでもない策略に気付く。
前半は、警察と犯罪者の対決とサスペンス風で緊張感に満ちあふれている。十津川警部と犯人の視点が交互に入れ替わり、両者で心理戦を繰り広げ、相手の裏をかこうとする手に汗握る展開。後半にはいると、捜査の方向性に疑問を持ち、一転して謎解きになるという構成で、事態が意外なところに進んでいくところが読みどころ。
日本各地とスリランカ、ブラジル、南アフリカ共和国など世界を股に掛けるダイナミックな犯罪劇に魅了される。ただし、トリックはあまりにもリアリティが無い、ある意味バカミスなので真相は少し残念。それでも夢中になって読んだのも確か。同じ作者の海洋ものだったら「赤い帆船」の方が個人的には好み。


No.425 5点 依頼人は死んだ
若竹七海
(2022/05/23 08:21登録)
私立探偵葉村晶シリーズ第1作目で、4つの季節を2巡する間に出会った8つの事件と1つの「闘い」を描いた連作短編集。ホワイダニットあり、叙述トリックありと多彩だが、それぞれの作品に共通しているのは作者らしい「毒」が感じられること。
「濃紺の悪魔」探偵稼業に復帰した最初の仕事は、アイドル松島詩織の警護。究極の善意が操られる時、考えられない真相が告げられる。評価が分かれるでしょう。個人的には今ひとつ。
「詩人の死」詩人として華々しいデビューを飾り、私生活では結婚を目前にしていた青年の自殺の動機を探る。謎のバランスが見事。ラストの視覚効果も効いている。
「たぶん、暑かったから」平凡なOLが人事課長をドライバーで刺した事件の真相とは。いくつもの仮説が一瞬にして背筋が凍る感覚。インパクト大。
「鉄格子の女」自殺した挿絵画家が残した1枚の絵画。夜と女をリアリズムに封じ込めたその作品に惹かれた私が見た青い地獄とは。依頼人姉弟の設定が笑いを誘う一方で、主題たる狂気と悪意が戦慄させられる。
「アヴェ・マリア」ふたつでひとつの聖母像の盗難事件の奏でるリフレイン。演出者の謎を解体する時、陰惨なクリスマスストーリーは、微笑の中に封印される。途中で先が読めてしまったのが残念。
「依頼人は死んだ」莫大な財産を巡る修羅たちの争いの中、密かな悪意は殺意に変わり、自ら墓穴を掘る。幕切れは鮮やかだが、プロットは平凡。
「わたしの調査に手加減はない」何不自由ないお嬢様育ちの離婚妻は飛び降り自殺した。2年も前の自殺者が旧友の夢の中に現れて訴えたのは。わかりにくいのが難点。
「都合のいい地獄」白い霧の向こうから、濃紺の悪魔は帰ってくる。ある自殺の真相を巡り、命と謎を天秤にかけたゲームは始まる。辿り着いた結末とは。この終わり方は何だろう。謎は終わらなという解釈でいいのかな。


No.424 6点 マスカレード・イブ
東野圭吾
(2022/05/18 08:53登録)
「マスカレード・ホテル」の続編だと思っていたが、そうではなく前日譚であった。「マスカレード・ホテル」の前日譚なので、新田刑事とホテルのフロントクラークの山岸は、同じ事件に関与しながらも接点はなく、お互いの存在を知らない。その中で新田、山岸の両人が必然性を持って絡んでくる描き方が巧みな4編からなる連作短編集。
「それぞれの仮面」は山岸、「ルーキー登場」は新田、「仮面と覆面」は山岸と交互に主役が交代し、最後の「マスカレード・イブ」のみ新田と山岸の両人が登場する。山岸登場編では、刑事事件ではなく、ホテルに泊まる客にまつわる人間ドラマ的ミステリを山岸が解く。それも真実を暴くためではなく、客の「仮面」を守るため、ホテルマンとしての務めを果たすためという話になっている。それでも、推理ものとしての面白さは十分に味わえる。新田刑事登場編では、刑事事件であり警察捜査の過程を描くミステリで読ませる。
前作「マスカレード・ホテル」を読んでいればこその遊び心ある関連性が散りばめられているなど、シリーズ作品としての読みどころが盛りだくさん。


No.423 9点 硝子の塔の殺人
知念実希人
(2022/05/13 08:22登録)
ミステリを愛する大富豪・神津島太郎は、円錐形のガラスで出来た「硝子館」に六人を招いた。それは、ある重大なことを発表するためだという。パーティーは開かれ、後は神津島太郎を待つばかりとなった。しかし、そのパーティーはある殺人事件により幕を閉じる。反対に血みどろの惨劇の始まりだった。刑事、料理人、医師、名探偵、メイド、霊能力者、小説家、編集者、執事。典型的な登場人物たちが全く新しいミステリを紡ぐ。
プロローグから倒叙形式で語られ、犯人は分かっている。犯人や動機が分かっている中で、どうなるのだろうと思っていたが倒叙から本格っぽい展開に変わり、本格ミステリの要素を贅沢に詰め込んだ作品に仕上がっている。
ミステリ好きの登場人物たちが、ミステリ談義を楽しむ事により古典ミステリから現代ミステリまで多数のミステリが登場し、ミステリ好きにはたまらない描写も多い。作者の本格ミステリ愛を感じることができ、ミステリの歴史や本格ミステリの軌跡を学ぶことができると同時にニヤニヤが止まらない。
魅力的な登場人物、奇妙な形の館、クローズド・サークル、密室殺人、読者への挑戦状など、本格ミステリ好きには嬉しい要素が詰め込まれている。硝子館の立体図と断面図を見ながら推理するのも楽しい。
事件の真相が、ほぼ分かったのかという時点で残り数十ページあり、ラスト数十ページどうなるのかと思っていたが、ここからが熱い。これぞ驚愕のラスト。まさに、帯に書いてある綾辻行人氏の「ああびっくりした」である。謎解きに頭を使う人にも、振り回されることに快感を覚える人にもお薦め出来る。

622中の書評を表示しています 181 - 200