home

ミステリの祭典

login
クリスティ再読さんの登録情報
平均点:6.39点 書評数:1395件

プロフィール| 書評

No.635 6点 ブラウン神父の知恵
G・K・チェスタトン
(2020/01/15 17:21登録)
評者「童心」に1点なんて点を勢いでつけちゃったこともあって、ブラウン神父連作をやりづらくしちゃったのは自業自得と思います(苦笑)。作品自体はもちろん凄いのだけど、ニッポンでの受容がかなり偏頗なものだから、ついイラっとしたんだよね。
そうしてみると第二短編集のこれは、バラエティ豊かな「童心」と比較して、二番煎じが目立つことになるし、チェスタートンが「書きやすい」シチュエーションがあるみたいで、それを繰り返している感じが強い。延々と風景描写が続いてフランボウと問答する「銅鑼の神」とかホント「折れた剣」って感覚だしねえ。逆説も「逆説がある」と分かってたら、逆説の効果は薄いわけだ。
弾十六さんによるとチェスタートンって反ドレフェスだったのか。「銅鑼の神」の黒人に対する偏見てんこ盛りとか、あと「ジョン・ブルノワの珍犯罪」で少し触れられる進化論でもこの人チョンボしてるしね。とはいえ、イギリスでのカトリック派というマイノリティ論客としての独自ポジションがあったわけで、これを今の政治意識で無下に馬鹿にするのは、評者は賛成できないな。
そういうあたりでは、ドレフェス事件に想を得た「ヒルシュ博士の決闘」は、政治上の右も左も、俗ウケを狙ったが最後どっちがどっちだか区別がつかなくなる、という結論も、何か今のアベ政権とか連合=民主党の姿を見るみたいで、アクチュアルな部分があると思うんだよ。
あとそうだね「泥棒天国」は、バイロン・ロセッティといったイギリスでのイタリアンなロマンというものを、その最後の継承者みたいな格好になったチェスタートンが、一種皮肉な目で眺めているのを面白いと思う。チェスタートンの時代だと、もうダヌンツィオやら未来派やらにイタリアの文芸も移っているわけで、ダヌンツィオが映画「カビリア」で名前貸して大もうけした話のように、

「小生は未来派でござると言っておいたはずだよ。おれは新しいものを心から信じているんだ。それをおれが信じていないとしたら、おれはなにも信じちゃいないことになる。変化、競争、前の人はうってかわった新しいものがなければ一日も明けぬという進歩主義、それがおれの信ずるものなのだ。おれは出かけるのさ、マンチェスターへ、リヴァプールへ、リーズへ、ハルへ、ハダスフィールドへ、グラスゴウへ、シカゴへ。つまり、啓蒙開化された活動的な社会なら、どこへでもおれは行く」
「なるほど」とムスカリは言った「まことの泥棒天国へか」

と自らを「泥棒」と自己定義しながらも、時代に乗り出すようなこの高揚感がチェスタートンとその時代が共犯となった時代精神を象徴するものだと思うのだ。


No.634 6点 血の伯爵夫人 エリザベート・バートリ
桐生操
(2020/01/14 00:34登録)
「本当は恐ろしいグリム童話」で一山アテた桐生操が、キャリアの出発に近いあたりで書いていたエリザベート・バートリ(バートリ・エルジェーベト)の小説仕立ての評伝である。「彼方」でジル・ド・レーを扱ったばっかりだから、いいじゃないか、中世~近世初頭の快楽殺人の双璧である。ハンガリーの由緒ある大貴族の家に生まれ、ハンガリーの独立のために戦った英雄の未亡人であるが、その領地の若い女性の生き血を絞って、美容のためにまだ温かい生き血のお風呂に浸かった「女吸血鬼」である。
で、本作なかなかいい。意外な儲けもの、というのが評者の感想。ネタ本はあるようだけど、遠藤周作がほめた、というのがなかなか頷ける。作者(たち)の「若さ」が、ちょっとした客気になっていて、エリザベートの荒涼とした内面に踏み込めば踏み込むほど、それがロマンに昇華するよさがある。エリザベートは老いに追われて残虐行為に踏み切ったのであろうけども、作者たちの若さが、怪物を怪物ではなくて、自身の内面に忠実であろうとし続けた一人の女性の像を描くことになった。

乱れに乱れ、打ちに打って、この意識を息をつく間もない錯乱に導くこと。こうして自分を使い尽くし失い尽くして、破滅へと向かって急ぎながら、やがては解脱へ、そのぼろ布のようになった肉体から抜け出して、軽やかな精神として高く高く飛翔すること。

まあ、バタイユなんだけどね、ただの悪女大残虐物語ではなくて、怪物であることを選んだ女性の物語になっている。作者(たち)、明白にエリザベートの虚無と暗黒に共感しているのである。それが、いい。


No.633 7点 大暗室
江戸川乱歩
(2020/01/12 18:31登録)
ニッポンを代表する腐男子たる江戸川乱歩が書いた先駆的なボーイズラブ小説である。BLなのがわからないと、読む意味のない小説だよ。ちなみに乱歩の最大長編のようだが、リーダビリティ絶大。
悪の帝王大曾根龍次×白馬の王子有明友之助。まあネーミングが野暮なのは仕方ない。有明友之助に至っては、本当に白馬に乗って(一応)ヒロインの元を訪れる(苦笑)。この星野真弓嬢、BLだから扱いはきわめてなおざりで、どうでもいい。
龍次くんは、例によって天才型アーチスト体質で、世間の常識を反転させた反世界、耽美の王国「大暗室」を帝都東京の地下に築き上げる。それを事あるごとにチョッカイを出す正義で努力家、しかも異父兄弟の友之助くん。初対面で落下する飛行機からともに脱出して、無事着陸すると握手をしあう。そこで友之助くんは龍次くんの遠大な野望を聞いて、ドン引く..というのがプロローグみたいなもの。これぞ萌えいでんか! 直接対決が何回もあるからこれが毎回お楽しみ、である。
もちろん両者美形。とくに龍次くんは少女歌劇のスターに変装してステージが務まるスーパースター。女装っ子趣味まで充実で小悪魔的魅力あり。でお約束だから仕方ないけど、龍次くんは本拠地「大暗室」まで攻め込まれて、最後に龍次くん主演の「血と命で描く俺の一世一代の美術」を友之助くんも見物。オケ伴奏・照明美術・共演者(裸女6名殉死)完備。
まあだから、乱歩のレビュー趣味も満開。バスビー・バークレー演出ならいかが。明智くんも名前だけ登場するが、要らない(乱歩の判断は正しい。明智vs二十面相に書き換えたポプラ社が不見識)。


No.632 8点 マルタの鷹
ダシール・ハメット
(2020/01/11 22:00登録)
さてハメットのレジェンド。いや実に味がある。映画的に会話と客観描写だけで綴られる小説なのだが、心理描写を完璧に欠いているために、逆に会話に読者が読み込むような「読み」を誘うことになり、これがため心理的な綾がたっぷりとノることになる。スペイドとブリジッドの会話なんて、ブリジッドの大ウソをスペイドはからっきしも信じてなくて、喋らせてうまく誘導しようというのがよく見えるんだよね。ここらへんの「化かしあい」がコミカルでもあり、シリアスでもある。
というか、ブリジッドもそうだが、「血の収穫」のダイナ、「影なき男」のミミといったハメット特有の「嘘つき女」は、チャンドラーもロスマクも真似しようってマネできる代物ではない。オプやスペイド以上に、ハメットは「ワルい女」を描かせたら天下一品なのだと思うよ。
だからね、「マルタの鷹」の奪い合いなんてタダのマクガフィンのワケなのさ。ガッドマンやらカイロやらが右往左往するのはタダの煙幕なので、どうでもいい。実のところ事件はアーチャー殺しなのだし、スペイドとブリジッドの関係に話が絞られて、話はそっちに収束することになる。愛するがゆえに互いに騙しあい、裏切りあう皮肉な「アンチ・メロドラマ」として本作は読むといいんだろうね。
ま、なんか最近皆さんエフィ萌えが多いようなんだが、実のところ話の決着はバカ女のアイヴァが着けるんだろう。マルタの鷹事件の後でアーチャー未亡人アイヴァがトチ狂ってスペイドを撃ち殺す...そんなオチを何かで読んだんだけど、忘れた。何だっけ。

追記:おっさん様のご教示によると、アイヴァがスペイドを射殺した話はエスカイヤー誌の「ハードボイルド探偵比較表」のヨタ記事で、それを『推理小説雑学事典』(広済堂 1976年)が採用して...という経緯を各務三郎氏の『赤い鰊のいる海』(読売新聞社 1977年)や小鷹信光氏の「サム・スペードに乾杯」(1988年、東京書籍)で解明しているようです。もう一度言いますが、でっち上げの嘘記事です。さすがのおっさん様です。私の記事で「犠牲者」をさらに出さないように追記します。みなさま、ありがとうございます。
(中原行夫氏のメールマガジン「海外ミステリを読む(25)」でこの話をやはり扱っていて、いろいろ考察してます。ありえない結末ではないとは思いますよ)


No.631 9点 不連続殺人事件
坂口安吾
(2020/01/09 22:31登録)
皆さんの評を読むと、本作「読みづらい」という声があるようだが、本作の一番の読みどころはこの軽薄で無頼で俗っぽい文体にあるようにも思うんだ。「終戦直後のポップ」だと思えばいいんだよ。独特のリズム感があって、いいな。評者読んでてニヤニヤが止まらず。安吾はそりゃブンガクシャって奴だが、高尚低廻なんてもんじゃないからね。ゲタゲタ笑って読んでも何が悪いんだ。
ミステリとしてはねえ、ミスディレクションって何となく目立たないように埋め込んで...と思うあたりを、わざわざ露悪的に面白く演出しているあたりが、さすがと思わせる。そりゃあさあ、手がかりをちょろっとわからないように仕込むよりも、派手に衣を着せて提示する方が、いかにも手品ってもんじゃないか。「面白過ぎる」あたりが全部ミスディレクションになるのが、素晴らしいと思うよ。
キャラで言えば、そうだね、「以ての外の不美人で、目がヤブニラミでソバカスだらけ、豚のように太っている」千草の扱いがなかなか面白い。ミステリでの振られた役割が、ヒネクレ心理を穿ってる。千草をキーになるキャラと思って読むと、オモムキ深い。

評者の持ってるのは中学生の時に入院したことがあって、その時にお見舞いに貰った角川文庫だった。だから表紙は映画のシーン(諸井看護婦を拷問する...)で、看護婦はロマンポルノを代表する宮下順子だ。ATGが商業主義に堕落した、なんて言われた頃の話。久々の再読だが、とっても懐かしい(映画は残念、観てないが、この頃「本陣」もATGだ)。
追記:映画見た。逐語的映画化といっていい。これほどまでに原作に忠実な映画化、もないものだ。だけど、多すぎる登場人物で原作読まずに映画だけ見たら、わけがわからないだろうな。評者原作何度読んでるかわからないくらいだから、やたらと楽しめる。メタというか企画的に実験的(苦笑)

追記:もうもめるのはイヤなので、ご指摘にあった個所は消します。別に誰か攻撃しようという意図はまったくないのだけど...そもそもの文意は tider-tiger さんがまとめたそのものです。


No.630 6点 メグレ激怒する
ジョルジュ・シムノン
(2020/01/08 22:59登録)
メグレはパリ司法警察勤めの設定なのだが、「第一号水門」だと引退間近の姿が描かれ、さらにいくつか引退後のメグレを主人公にした作品が少しある。第一期最終作の「メグレ再出馬」('33)、第二期の中編たち、第三期開始の本作('45)、次の「メグレ氏ニューヨークへ行く」('46) と、あたかも第三期は引退後のメグレで行こうか?なんて悩んでいたみたいだ。とするとパリ司法警察のメグレが復活するのはその次の「メグレのバカンス」 になるけども、これも休暇中の事件だったりするしね。ホントの「現役復帰」は「メグレと殺人者たち」になるんだろう。まあだから、第三期メグレは時代設定がいつなのか、よくわからないといえばわからない。けどメグレの事件は時代を超えてるから、気にはならない。
本作は権高い老婦人に鼻面を引き回されるように導かれた家には、メグレのかつての同級生が婿入りしていた...けして親しかったわけではないが、今になって顔を合わせると、ブルジョアに成りあがった同級生は実に嫌な奴になっていた。この家の娘が溺死した事件の調査を老婦人に命じられたのだが、かつての同級生はメグレに手を引かせようとする...
と、同級生でも「友情」とかそういう話ではない。この同級生は父親が税務署勤めだったために「税金屋」のあだ名で呼ばれていたような功利的な男である。で、メグレがこの旧友に「激怒」するのか、というと、実はそういうシーンはない。ただラストはある人物が「激怒」して話が収束するようなものである。メグレはこの家族でまずい立場にあった人物を救う活躍をするのだが、事件の結末には関与しない。それでもメグレが「サン・フィアクルの殺人」みたいに手をこまいて...という印象ではない。
なんか評者書いていて「はない」が続きすぎているな(苦笑)。そういう変則的でオフビートな話だが、ちゃんと話が収まるところに収まっている。


No.629 6点 メグレと首無し死体
ジョルジュ・シムノン
(2020/01/08 01:04登録)
皆さんのおっしゃるように、狭義のミステリの観点だと「何だこれ」になるタイプの作品である。他のメグレ物だと「火曜の朝の訪問者」とか近いかなあ。それより意外性の方向がトンデモない方を向ている感じ。
ビストロの女将として火の消えたような生活を続けるカラ夫人の、特異なキャラクターがすべての作品である。メグレは第一印象で奇妙な違和感を感じて、まるでカラ夫人に恋するかのように、カラ夫人の元に通い詰めるのだが、妙な転調の気配が見えるのは、やはりカラ夫人がしっかり身なりを整えて別人のように参考人として連行される場面だろうか。
メグレ夫人がこのメグレの心の揺れを敏感に感じるのがさすが。

「お前がおれを面白がっているみたいだ。それほどおれが滑稽かい?」
「滑稽ではないわ、ジュール」
彼女が《ジュール》と呼ぶのはまれだった。彼に同情したときしか、こういういい方をしない。

そして本作では宿敵コメリオ判事との軋轢を、一種の「階級対立」みたいに描いているのだけど、メグレというのは「庶民の名探偵」なのは言うまでもない。本作は、若い日のメグレが「運命の修理人」になりたい、と思った、と直接書かれたという点でも重要な作品なんだけど、そうしてみるとこの「運命の修理人」に、あまり形而上的な神秘性を求めない方がいいような気がするのだ。水道のパイプを、時計を修理するかのように、「運命」を修理する職人、という味わいでメグレを見たら、それらしいように思う。


No.628 6点 シーザーの埋葬
レックス・スタウト
(2020/01/07 08:53登録)
スタウトってどう評価すればいい作家なのか、がなかなか難しいと思うんだ。キャラ小説だから、そのキャラに愛着を持てばどの作品もそれなりに面白いけど、パズラーとしては小粒、フェアさは薄いことも多い。本作は「いつものウルフ」じゃないアウェーな事件で、レギュラーもいろいろ登場しない。その代わり、アーチーの恋人リリー・ローワン初登場。シリーズ的にもポイント作である。
ウルフが本格派安楽椅子探偵、アーチーがソフト・ハードボイルド探偵でその合体、とかよく言われるのだけど、評者はウルフの言動も、よく言われるようにパズラー名探偵風の「エキセントリック」というよりも、結構「ビジネスマンとしての仕事へのシビアさ」みたなものの方を感じたりする。ウルフって社会正義とかお題目で動かない探偵だもんねえ。今回の依頼人は「田舎の公爵」と呼ばれるくらいの名家の当主、尊大不愉快な人物に、依頼時点でも逆ねじをくらわす。依頼にグズグズいうのはウルフの十八番かもしれないが、結構これがウルフの「探偵としての自尊心とビジネス」に直結しているから、ないがしろにすることじゃない。そう見てみると、ウルフの対応も、実のところハードボイルド的でもあって、ネロ・ウルフのシリーズ自体、パズラーというよりもハードボイルドの影響を受けた「アメリカ的な行動派探偵小説」くらいの位置に置いた方がいいようにも思うんだ。
たとえば「処刑六日前」に密室とか犯人指摘のロジックがちゃんとあるように、本作もちょいとしたロジックがあって、これがなかなか冴えている。ウルフが真相を明かすと、実のところ真犯人との攻防みたいなものが蔭ではあったこともわかるから、そこらへんよくできている。なんだけど、依頼を受ける前から真相の分かってるウルフなら、そんなに持って回った展開にしなくても...とは思っちゃう。レギュラー以外のキャラはあまり魅力がないもんなあ。中盤やや冗長。


No.627 6点 殺しの報酬
エド・マクベイン
(2020/01/06 13:07登録)
87でも標準的、くらいの出来栄えだと思う。恐喝屋殺しの犯人は..を追う主人公は今回コットン・ホース。妻帯者のキャレラとかマイヤーと違って、海軍上がりのムキムキ独身男だから、捜査の途中でもガールハントに精を出す(苦笑)。赤毛なのにナイフで切られた傷跡から白髪が...という描写は、実のところホースのセックス・アピールみたいなもんだろうよ。
犯人とか少し工夫があるけども、これはそう大した話じゃない。それよりもクライマックスが結構コミカルな場面になったと思う。もし評者が演出するなら、絶対笑えるようにしたいと思うくらい。ホースくんお疲れさま。


No.626 7点 怪人オヨヨ大統領
小林信彦
(2020/01/06 09:27登録)
評者の都合で、夏休みに「オヨヨ島の冒険」をやって、冬休みに「怪人オヨヨ大統領」をやるのは「キチガイじゃが仕方ない」。ジュブナイルのオヨヨ大統領シリーズの第二弾で、大沢ルミちゃん(小6)の夏休みの大冒険。初出は伝説の「サン・ヤング・シリーズ」。
今回はズビズバ国からの亡命者・ジャンジャン姫の依頼で、パパがノリで銀行から姫の絵画を盗み出すのに成功するのだが、これはオヨヨ大統領の大沢親子への復讐の陰謀だった!大沢親子とジャンジャン姫は、私立探偵サム・グルニヨンに助けを求めて、メイ探偵グルニヨンとオヨヨ大統領、それにズビズバ国の独裁者ワル・ノリの三つ巴の戦いが始まった!
という話。鬼面警部と旦那刑事は本作が初登場。鬼面はグルメでそばが大好き。グルニヨンはマルクス兄弟がモデルだが、子どもにゃモデルはわからんよ。でも評者とかしっかりマルクス兄弟、って名前は刷り込まれたなあ。ジャンジャン姫のネーミングは三島由紀夫の「暁の寺」に登場するタイの王女で転生者のジン・ジャン姫が由来。これだって子供は知るもんか。でワル・ノリはカンボジアの陥落時の首相ロン・ノル。

「そうか。....しかし、物語の登場人物が一堂に会するというのは、古風で、よきものだな。ロマネスクですらある」
オヨヨは皮肉な笑いを浮かべた。
「むかしのフランスの小説なら舞踏会、いまはジャンボジェットか」

と敵味方呉越同舟で飛行機に乗って、オヨヨがなかなか知的でシックな感想を言うと、当時流行中のハイジャックに...

ニッポン名物 とっても シックなハイジャック
拳銃(はじき)はつかわず 刀がひとふり
ゆかいじゃないか
ぼくの好きな あの赤軍派
きょうは まだ こないけど
きっと かれらは きてくれる
雨の降る日も 風の日も...

とハイジャッカーのCMソングだって、ある。このマルクス兄弟チックな能天気コメディミュージカルな世界がすばらしい。子どもも細かいことはわからんくてもノリよく楽しめて、オトナは細かいクスグリに爆笑しつつ童心に帰れる素晴らしい小説。世界はかくも冒険に満ち溢れている!


No.625 8点 團十郎切腹事件
戸板康二
(2020/01/05 22:12登録)
パズラーだったら、作中で提示された手がかりを読者が評価して、正しく推論できるものでなければ...という理想はあるにはあるのだけど、それが必須か、というとそうでもないように思う。この連作で提示される手がかりから推理するためには、歌舞伎に相当通暁していないと無理だ(苦笑)。しかしそれが弱みになっているか、というと全然そうじゃない。「読者がわからなく」ても、そこで明かされる知識が独りよがりなものでなくて、作品とうまく整合したものだったら、十分オトナの読む小説として成立するのである。
そういう意味じゃ、この中村雅楽を主人公とするシリーズは、半七の香りがするかなり貴重なシリーズのようにも感じる。まあ綺堂も作者同様に演劇記者を勤めて、歌舞伎の作者にもなった人のわけで、江戸趣味のバックグラウンドも共通するし、また直接に半七捕物帖をかなり意識したようでもある。候文の手紙を書く中村雅楽の姿に半七老人を重ねるものいいだろう。半七の明かす真相によって幕末の人々の生活が身に迫って理解されるのと同様に、雅楽の明かす真相は歌舞伎の世界の伝統や慣わしを読者に実感させるのだ。モデルとしたドルリー・レーンの演劇知識は評者はハッタリだと思うけども、雅楽はそうじゃない。地に足のついた名探偵の造形として、模範となるようなものだと評者は思うよ。
まあそういう評価なので、この短編集に収められた作品のどれも、過不足なく面白い。個別の作品の良し悪し、というよりも、短編集として名作、という印象である。


No.624 5点 製材所の秘密
F・W・クロフツ
(2020/01/05 14:47登録)
評者クロフツ苦手だ...黄金期作家なんだけどね、アリバイ崩し嫌いじゃないんだけどね、地味作品好きなんだけどね...
でサンデー・タイムズ紙ベスト99でクロフツで唯一選に入っているのが本作、しかも長いこと未訳(大昔に抄訳があるんだ!創元での完訳初版は1979年)というわけで、「ピット・プロップ・シンジケート」の原題そのままで「幻の名作」みたいな印象を持ってたから、訳がでたら期待して即刻購入した覚えがあるよ。でも本作パズラーじゃないし...
今回再読して思うのは、「ガーヴってクロフツの後継者だったんだね」ということである。ガーヴって一見奇想天外に見えるけど、実のところ健全なリアリズムに則った「小市民のスリラー」が大得意。本作の作品内容なんて、本当にガーヴっぽいんだな。実際の事件にヒントを得たんじゃないか、と思うようなデテールのエッジが効いた犯罪ビジネスが事件の背後にあって、それを恋愛感情に突き動かされた主人公が、ちょっとした違和感から出発して猪突猛進(少なくとも前半はね)。とシリーズ主人公なんて絶対立てないガーヴそのものな話なんだが....
うん、言いたいのはさ、本作の犯罪ビジネスは大変見事なもの(加点1)なんだけど、クロフツの小説技術が下手すぎる、ということになっちゃうんだ。語り口に工夫のあとなんてまったく見受けられないような、ただ叙述をダラダラ時系列で続けているだけ...デテール描写が重要な作品なんだから、細かく描写するのは必要なんだけど、本当にタダの描写で人物のアクションとかとうまく絡めて説明すればいいのに..とか思い続けで歯がゆいったらありゃしない。キャラ描写に生彩があればまだいいんだが、これがクロフツの大苦手で「類型的」という言葉しか当てはまらないキャラだらけ。メリマンの一人称で語らせるとか工夫するだけでも、ずっと印象の違う作品になると思うんだよ。
というわけで本作の最大の感想は「ガーヴ、偉い!」ということ。いかにガーヴが、クロフツやクリスティのイギリス伝統的なスリラーというものを、モダンに裁ち直したのかに、改めて感じ入ることになった。


No.623 7点 メグレと奇妙な女中の謎
ジョルジュ・シムノン
(2020/01/04 17:53登録)
「謎のピクピュス」同様「EQ」に掲載されたまま未刊行の第二期の長編である。いやこれ、別に名作でも何でもないが、実に小洒落た話。大好き! メグレの父性っぽい魅力がキラキラする作品である。
事件はパリ郊外の新興住宅地で起きた引退した勤め人「義足のラピィー」老人殺しを巡る話なんだが、実質この老人の女中のフェリシイとメグレとの奇妙な関係がすべて。フェリシイはちょいと天然さんの「夢見る乙女」。ファッションもヘンにズレているし、行動も思い込みが強くて頓狂。老人の生活について一番よく知る女なのだが、メグレに妙な敵意を抱いちゃったから、話がコジれるばかり。メグレはフェリシイが事件に何も関わってないことは最初からお見通しなのだが、フェリシイは気が付かないうちに事件の大きなカギを握っていたのだ...

伊勢えびを背中に隠しながら、
「ねえフェリシイ....重要な問題がある....」
彼女はすでに警戒しはじめている。
「マヨネーズ・ソースを作れるかね?」
傲慢な笑み。
「それじゃ、すぐに作って、このムッシュウをゆでてほしい」

とメグレも反抗期の娘に対する父親みたいに、フェリシイに伊勢エビを御馳走するのだ。御馳走を食べて、フェリシイが目覚めたとき、事件はすべて解決し、メグレはフェリシイにカフェ・オ・レを作って持って行って、そして去っていく。
何という洒落た話だろう!こんなのも書けるシムノン素敵。今一つ目立たない第二期メグレもなかなか隅におけない。


No.622 6点 ミステリアーナ
評論・エッセイ
(2020/01/03 22:21登録)
長沼弘毅というと、創元のクリスティの翻訳とか、シャーロキアンの草分けとか、このギョーカイのオールドネームの一人なんだけど、大蔵官僚としても実のところ相当の大物だったわけで、ミステリ関連がまったくの余技だったのを見るとスゴイものがある。で本作はとくにシャーロキアンなものではなくて、広くミステリ全般を一種の「ミステリアーナ=ミステリ学」として捉えた短い雑学的エッセイ集である。古い人だから、パズラー中心か、というとそうでもなくて、作品としてはハメットやらチャンドラーやらガードナーも触れていれば、Dr.No を「短い題名」の例に挙げるくらい、1964年の本書で広くミステリ全般に目配りした内容になっている。
「作家の名前」はペンネーム・別名などの話、「探偵の名前」だったら偶然探偵の名前がかぶったマイナー作品の例、「動物犯人」ならそのいろいろな例、「連続題名」なら作家ごとの国名シリーズやら悲劇やら殺人事件やらオベリストやらで揃える例の一覧、「短い題名」「数字入り題名」「色の題名」「動物題名」などなど、どうでもいい話が満載である。このどうでも良さに遊び心を見なきゃね。
ただ、今読んで感心するのは、この長沼氏などの世代が「海外翻訳ミステリ」を読んでた世代じゃない、ということなのだ。海外ミステリは、丸善とかで取り寄せて、原書を読んでるのがアタリマエ、な世代なんだね。戦後の読者が戦前からの翻訳紹介の流れの中で、翻訳紹介された作品ベースにミステリの「流れ」を把握しているのとは全くの別枠で、そんな制限に縛られない海外リアルタイムな視野の広さがあるのである。それこそ最近までなかなかちゃんと紹介されなかったジョン・ロードだってフィリップ・マクドナルドだってセイヤーズだって、この人リアルタイムでちゃんと読んでいるわけである。昔のマニアの「凄さ」と教養の深み、というものだ。
あと、本人が役人というのもあってか、現実の事件や法律の話などを、フィクションと並んで紹介しているのも見逃せないあたりだ。フィクションと現実の微妙な関係性について、さまざまな切り口で考察しているのも、一種の創作論として読むべきなんだろう。
大昔古本で買った本だけど、amazonとか見ると古本出品が多少あるみたいだね。とりあえずご紹介まで。ただし昔のことでネタバレ多数。初心者は避けた方がいいだろう。


No.621 4点 殺人をもう一度
アガサ・クリスティー
(2020/01/03 17:39登録)
「EQ」掲載の翻訳が実家にあったので「しなくてもいいか」と放置していたのだが、やることにしよう。言うまでもなく「五匹の子豚」のクリスティ自身の戯曲化である。数藤康雄氏のカラムで少し解説しているのだが、クリスティは「アクロイド」を戯曲化した「アリバイ」が気に入らなくて、その理由は原作に忠実に演劇にしたことで「必要なのは単純化だ」と反省した(「自伝」)。だからクリスティ自身による自作戯曲化は、すべて原作を「単純化」して芝居にしているわけだ。原作がパズラーでも、戯曲はパズラーであるとはまったく言えなくなり、芝居としての分かりやすさ・面白さの方を優先することになる。ポアロ登場作でもポアロを出さないケースも結構あるし、自作戯曲化であっても、原作とは別物と思った方がいいだろう。
本作も原作はポアロ登場なのだが、戯曲では若い弁護士にしてヒロインと結ばれるようにアレンジしてある。当初母の有罪を確信していた弁護士も、ヒロインの婚約者の無神経さに義憤を感じて、ヒロインに協力するようになる...というアレンジがナイス。本人ペースで調査が進む前半は原作よりも自然といっていい。
ただし、後半のオールダーベリーでの過去最現は、どうかなあ。舞台で演じられることはある意味「客観そのもの」だから、それをある個人の主観イメージ、とされたとしても、見る側は客観描写と区別がつかないや。「起きたかもしれないこと」「起きたと信じられていること」「本当に起きたこと」は小説の中では語り手を工夫するなど、叙述に気を付ければ区別ができるけども、舞台で実演しちゃったらどう区別すればいいのだろう?
本作だとある人が述べたことをそのまま舞台で演じて、あとでそれをひっくり返している。これは舞台のミステリとしては評者はアンフェアだと思うんだ。本作は「単純化」したのだけども、単純化が悪い結果を生んでいるように思う。ミステリとしても演劇としても、評者はあまり評価できないなあ。
あと、原作は幾何学的な構成の美があるのだが、この戯曲では構成美は切り捨てられている。これも残念なところ。クリスティの自作戯曲化では駄作の方だと思う。余計な心配だが、本作演じるとなると、俳優さん結構大変だ...早変わりとか回想と今との演じ分けとか、演じ甲斐はあるんだろうけど、負担は大きいよ。


No.620 7点 メグレと謎のピクピュス
ジョルジュ・シムノン
(2020/01/03 11:55登録)
年末年始で帰省して大掃除とかしてたら、大昔の「EQ」が出てきたよ。で見たらねえ、おいしい作品が実に山盛りになっていた。シムノンでも本作、「奇妙な女中の謎」、クリスティの戯曲「殺人をもう一度」、スタウトでも「ネロ・ウルフ対FBI」「シーザーの埋葬」など、ちょっとここらで寄り道したくなる作品多数発掘。「メグレ激怒する」の文庫も買うことなかったな...で一番手は本作。メグレ第二期の長編で、単行本としては未刊行。
殺人予告を見つけて通報した男は自殺を図る、その殺人予告通りに女占い師が殺される。その現場には耄碌した老人が閉じ込められていた...この老人は資産家の妻と娘に虐待されているようだった。事件を見つけたのは「三文酒場」みたいなパリ郊外の船宿のおかみ。その船宿にメグレは赴くが、そこで何かが?
と、話が実に多岐に広がっていって、「話、畳めるの?」と読んでて不安になるくらい。
けど、シムノン、これをちゃんと畳んでみせる。犯行予告も老人の謎も船宿の役割もちゃんとつながっていて、メグレはとりとめのない出来ごとの裏にある犯罪組織とけち臭い詐欺行為を暴き出す。お手際お見事の秀作。大名作とまでは思わないが、単行本にしないのは損失の部類。


No.619 6点 匣の中の失楽
竹本健治
(2020/01/02 18:03登録)
ゲーデルによれば「自己言及可能な言語であれば、矛盾する言明が同時に成立する」ことになる。これを小説で言い換えると、「メタな記述を許してしまえば、小説の中の矛盾をあげつらうことに意味がなくなる」なのではないか..と意地悪な評者は思ったりもするのだが、本作の抱えた問題点ってそういうことだと思うんだ。
今回再読してみて、本作、相当に「虚無への供物」のパスティーシュ味が強いなあ、と思う。だからいくつか、本作と「虚無への供物」を比較して、本作が採用できなかったところ、を指摘するのもいいのではないか。まず、1)美少年を出しながら同性愛色は希薄である(苦笑)。エロスは欠いている。ゲイ小説だったアドニス版から滲み出るような「虚無」のエロスと逸脱ここにはないな。それでも5章の謎解きで煙草を吸うシーンは、いい。2)大量死のテーマ。まあこれは荷が重すぎるし、中井の本旨としては戦争による無意味な死とその鎮魂という三島的テーマを共有しているわけで、こんなの担えるわけがない。3)「友情」。「虚無」は謎解きの中で告発はするけども、抱きしめあうような「優しい告発」の良さがある。卑俗なキャラが多い本作は何かギスギスしてるなあ...
と上記の要素が評者に言わせれば、「奇書としては微妙」な「虚無」を奇書たらしてめている根源なんだと思ってるよ。というわけで、本作はアンチ・ミステリではあっても「奇書」とは呼べない。同じ「虚無」のパスティーシュであっても「十二神将変」の方が中井の真意を汲んでいるように思う。
しかしね、本作は「奇書」たりえないことによって、「革命」というか「ぶちこわし」を行ったのだ、とも思う。「三大奇書」なのか「三大アンチ・ミステリ」なのが、今一つよく区別がつかない現状なんだが、本作が示したことは、「アンチ・ミステリは、(いろいろ)書ける」ということなのだ。これを呪縛からの「解放」と取るのか、「堕落」と取るのか、は受け取りようなんだろうけども、「メタ記述」と「推理合戦」によって、「奇書みたいな作品」ってのを、いくらでも書けてしまう、というのを示してしまったのだ。本作が日本のミステリの「ポスト・モダン(あまりイイ印象のない言葉だが)」を開いてしまったのは、間違いない。そういう意味で「メタに画期的」である。


No.618 8点 薔薇の名前
ウンベルト・エーコ
(2019/12/31 21:46登録)
今年の〆には貫目のある作品を....と記号学の大家エーコの、中世の秋に舞台を取った「黙示録殺人事件」である。80年に書かれて評者とか「すごい!」という噂ばっかり聞かされ続けて、86年の映画も行ったけどフツーのアクションミステリで(アノーって変な大作が多いなあ)...でようやく90年に日本語訳。もちろん出たらすぐに購入。じらし続けられて、との思いでも懐かしい。
今回の再読では、筋立て以上に、本作が「中世にもし推理小説があったら?」という一種の思考実験なことが面白かった。実際、本作の文体は極めて読みづらいものなんだけど、この読みづらさが実のところ、本当の中世とか近世初頭の文章「らしさ」をかなり忠実に出していて、中世人の皮をかぶった現代人のコスプレ、といったものじゃないのが、いい。バスカヴィルのウィリアムはもちろんしていることはホームズなのだが、その理屈付けは極めてスコラ的で堅苦しい。行動が同じでも、その「思考」は時代によってもまとう姿が千変万化。これは実のところ、本作の背景になる庶民の反抗と、そのイデオロギーである神学的思考の関係とも、同じなのだ。「虚偽の意識」みたいなものをテーマに評者は感じていた...
思うことは行うことを正確に反映したものではなくて、その「行い」を歴史的に主観的に歪めた形(異端審問での告白と同様に)でしか認知しないのである。この歪みはニーチェ的なテーマでもある。そうしてみると、本作で明らかになるユダヤ的僧侶思考とか、「笑うキリスト」といったテーマには、ニーチェという隠し題が潜んでいるのでは...なんて勘繰りたくもなる。まあ「哄笑するキリスト」というのは、ニーチェのディオニュソスなんだけどね。
まあ評者だから、こんな「読み」もしちゃうのだけど、実際本作の「読み」は本作が「書物の書物」なことからも窺われるように、多様でいいはずだが...キリスト教伝統の薄い日本だと、本作のデテールや綾は、どうしても読み飛ばされがちなんだろう。それこそただのアクション・ミステリになっちゃった映画みたいにね。奇書とまでは思わないが、それでも本作の魅力はそのデテールにある。ウィリアムの政治的な企図は挫折するし、推理は外れまくる。直線的に事件を追っていくと、「何だ」ということになりかねない。

一場の夢は一巻の書物なのだ。そして書物の多くは夢にほかならない

...夢に見たまえ。夢こそまこと。


No.617 5点 煙に消えた男
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー
(2019/12/28 22:25登録)
マルティン・ベック第二作だが、今回ベックはハンガリー出張。いきなりの番外編みたいなもの。冷戦たけなわな時期でもあって「鉄のカーテンの向こう側」なんて言い回しがポピュラーだった時代だよ。まだから、ハンガリーに到着したベックが何者かの監視を受けている?となると、「秘密警察??」と疑心暗鬼するのをうまく補完して読まないと、「らしさ」が出ないだろう。東欧ネタはアンブラーもライオネル・デヴィッドスンもお得意なのだが、ここらの本格エスピオナージュと比較しちゃうとライトな味わい。ハンガリー警察のスルカ少佐も何かイイ奴だしね。どっちかいうと、国も体制も超えた「サツカン」同士の連帯感みたいなものが香るから、「警察小説」なのは間違いないか。
まあ一応トリックめいたものがあったりもするが、事件はリアルな手口と背景。意外性とか期待するわけじゃないが、全体に軽めの仕上がり。それにしても外務省の緊急の要請でバカンス中断→ハンガリー出張で、妻と気まずくなるベックが気の毒。バカンス台無し。


No.616 5点 メグレと火曜の朝の訪問者
ジョルジュ・シムノン
(2019/12/28 00:59登録)
本作は結構変化球だ。初メグレで本作を読んだら??になるに違いない。
メグレの元を別々に踵を接して訪れた夫婦の話である。だから何がどうして...がはっきりしないこともあり、メグレも読者もどうもすっきりしない。メグレは気になりながらも、民事不介入というか、事件が起きているわけでもないので正面切っての介入もできず、不安な気持ちで事態を見守るばかりである。そして悲劇が起きる。メグレも犯人を推理するというよりも、なりゆきの結末をつけるために真相を引き出すだけのことだ。

責任と無責任の間には、あえて踏み込んでいくことが危険な領域、不分明で暗い領域があるものだ

とこの夫婦の「戦い」にメグレは踏み込むことができなかったのだ。ある意味、「メグレの失敗」を描いた、珍しい作品になるように思う。
なので事件の顛末以上にメグレの描写にウェイトがある。メグレ物というよりも同時期の一般小説側に近いテイストを感じる。
(ううん、評者どっちかいうと、男の方に問題が多いように感じるなあ...こういう男、結婚しちゃいけないような気がする。何となく、の思い出だけど、評者河出の50巻のメグレシリーズが出たときに、確か本作を真っ先に読んじゃって??になったような気がするんだ。そのせいか、実は手持ちにはビニールのかかった版が一冊もない。当時ハマらなかった責任は本作にあるのかも)

1395中の書評を表示しています 761 - 780