クリスティ再読さんの登録情報 | |
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平均点:6.39点 | 書評数:1396件 |
No.696 | 7点 | 殺意の演奏 大谷羊太郎 |
(2020/04/28 21:48登録) あれ、皆さん点がカラいなあ。本作あたり、いわゆる「新本格」のハシりみたいな作品だと評者、思ってるんだがな。だから本作も「虚無への供物」を相当、意識している作品で、上田敏「海潮音」の象徴詩論に触発されて、 一編の物語に対する解釈が、読者の好みに従って、少なくとも二つに分かれる、しかし、どちらのケースをとっても、作者が訴えたいテーマは読者に伝わる。 というリドル・ストーリー風の狙いを秘めた、密室&多重解釈モノなんだもの。明白に「匣の中の失楽」の先輩に当たる作品なんだが...乱歩賞を獲ったわりに、今の知名度がないみたいだ。残念だねえ。 まあもちろん、「虚無」の風格も「奇書度」も及ばないのはそうだけど、それ言うなら「匣」だって本作と似たり寄ったりの出来のようにも思う。ハッタリが薄くてシンプルな「匣」くらいに思って読むんなら、十分に楽しめると思うんだがねえ。それなりに良くできたメタ・ミステリというか「準奇書」だと評者は思うよ。というわけで、もう少し知名度が欲しいと思うので、「匣」よりイイ点にします。 あとどうでもいいバレで、本作は乱歩賞の選考に関するメタなお遊びがあるのでお楽しみに! |
No.695 | 5点 | 赤いキャデラック ジョー・ゴアズ |
(2020/04/27 13:10登録) 子供の頃「帝国探偵社」って社名を新聞で見て、それこそホームズとかポアロが勤務するような「探偵会社」だと思ったことがあるが...興信所だから「企業信用調査」やせいぜい「浮気調査」がメインで、決算書とかカネの流れには強くても、アリバイとか密室とかにはまったくご縁のない会社であることは言うまでもない。「ダン・カーニイ・アソシエイツ」略称DKAも、「探偵事務所」だがメイン業務はローンの支払いの滞った車を、銀行の依頼を受けて回収する仕事だったりするわけで、リアルな探偵社なんて業務はこんなもの。それでもね、所属のベテラン探偵がダン・カーニイに間違えられて襲撃されて大ケガしたなら、おとなしく引っ込んだりはしない。何が何でも、落とし前だけはつける... というのが本作。ネオ・ハードボイルドのシリーズの一つだが、アンチ・ヒーロー調のヒーロー小説かロスマク調か、という傾向がネオ・ハードボイルドにはあるんだけど、このシリーズはDKAという会社の話で、探偵も10人くらいいて集団戦である。で、三人称カメラアイ度もかなり高い。特に誰、にフォーカスしないから、ヒーロー小説度はゼロで、感情を切り捨てた本来のハードボイルドっぽさがある。 とはいえねえ、探偵も関係者も多く、カメラアイで、かなり頻繁に場面が変わる。読んでいて「あれ、誰だったけこいつ?」となりがち。エンタメとしては、比較的不親切な傾向の強い小説なので、短いわりに読むのに時間がかかる。警察小説に近いところもあるけど、本来の意味でのハードボイルドっぽさが強く出ているので、まあ、警察小説というわけでもない。アリバイ崩しみたいなものはあるが、トリックメインの作品ではない。まあ、普通?くらいの評価。 |
No.694 | 7点 | 歯と爪 ビル・S・バリンジャー |
(2020/04/25 16:45登録) 有名な袋とじ本。戸川安宣氏の解説によるとカーの「雷鳴の中でも」とかエリンの「鏡よ、鏡」を引き合いに出しているが、評者どっちもイマイチだった...カーのはそもそも処女作の「夜歩く」が最初結末袋とじだった話があるから、作家生活30年記念作の「雷鳴の中でも」はそれに倣っただけだんだろうね。 で内容的にはサスペンス小説として読む miniさんのご意見に賛成。「クールなウールリッチ」という雰囲気で、ウールリッチがそうであるような「ノワール色」が出てると思う。なかなか雰囲気いいと思うんだよ。この雰囲気に引っ張られて、裁判シーンとのカットバックで、話がどう落ち着いていくかを見守ることになる。手品師の日常とキャリアも物珍しい話題になるし、少ない登場人物を丁寧に描写しているのが好感が持てる。 まあだから「ここまで主人公の人生に付き合ったからには、結末知りたいよね」で、評者は封を破ることになる....いいじゃないか、大したどんでん返しでなくても。パズラーだと思って本作を手に取るパズラーマニアは、作者じゃなくて出版社のトリックにひっかかった、のかもよ。 |
No.693 | 7点 | 上を見るな 島田一男 |
(2020/04/23 22:53登録) 昔買った春陽文庫で。この本文庫本のクセに二段組だ。でこのサイトだと、家モノで結構盲点でナイスなアリバイトリックとかあって...だから本格になるけど、読み心地としては会話の軽妙な軽ハードボイルドという感覚。泥臭くなくていい。でしかも、自衛隊の演習地に収容する脇筋が、結末に向かって効いている。 短めの長編だが、家モノのこともあって、登場人物がかなり多い。まあ手が回らないキャラもいるが、主要キャラだと三輪子の現代娘っぷりとか、けんか相手の南部刑事とかナイスキャラ。評者あまり島田一男は読んだことないが、なかなか達者な作家だったんだなあ、と思わせる。本作は作劇も佳くてこってりとした味わいで楽しめる。 春陽文庫って時代小説とユーモア青春ものが多いけど、ミステリも結構出してたんだけどね、今はどうかしら....昔は乱歩とか横溝は春陽か角川だったし、乱歩賞受賞作とか結構あったし。けどここのカタログはアテにならないことで有名。漱石芥川だってここから本を出していた、明治11年創業の老舗出版社である。 |
No.692 | 6点 | ドラゴン殺人事件 S・S・ヴァン・ダイン |
(2020/04/22 21:47登録) なぜか評者本作初読。犯人トリックとも的中だけど、あまり自慢にならない。ヴァン・ダインって「僧正」をホラーと思って読むと面白いんだが、「僧正」と違って本作はホラーとしてベタ。それでもスタム夫人の役回りとか、なかなか面白いものがあるが、ネタとしてはシンプル過ぎる話のように思う。 「別名S.S.ヴァン・ダイン」によると、「甲虫」でエジプトブームをアテ込んだ後は、目まぐるしく趣味を「犬」「熱帯魚」「カジノ」「競馬」ととっかえひっかえして、それまでの儲けを蕩尽するのがヴァン・ダインの暮らしぶりで、バブリーな消費生活の申し子みたいなセレブだったらしい。本作で披露される熱帯魚の知識とか、そういう中で手に入れたものらしいね。本作中で「ドラゴン・フィッシュ」とされているのは深海魚の一種のようで、アロワナじゃないようだ。 しかも龍に関するウンチクはなかなかマトモに楽しめる。日本に関するあたりはどうかな、田原藤太と竜王の件とかひょっとしたら熊楠か?竜王の玉の話は謡曲の「海人」。何かネタ本があるのかもしれないが、トンチンカンなものの多いエラリイのウンチクとは比較にならない。まあ、こういうネタ披露と死体発見が、単調な尋問を切り替えるかたちで目先を変えるので、結構読みやすい。 結構皆さん、「私」であるヴァン・ダインが不評なんだけど、ちょっと読みようを変えると、一人称固定のために、登場人物たちをすべて外面と発言だけで描写することになるわけだ。これはこれで、外面描写に徹したということになるから、意外なくらいに即物的なアメリカンの味わいだ。そもそもヴァン・ダインのスタイルの出発点には「セミドキュメンタリ」な狙いがあったようにも思うから、叙述スタイルからしてもハメットとの距離感はさほど遠いわけでもないように思うんだ。 |
No.691 | 6点 | 時間の習俗 松本清張 |
(2020/04/19 23:12登録) 先日カーの「緑のカプセルの謎」の評を書いたんだが、作中で登場する16ミリ映画のことを、「ヴィデオ」と書いている評を見て、評者なんてショックを受けていたよ。まあ昭和なメディアの知識はどんどん時の彼方に忘れ去られていくもので、「知らない」世代を責めるわけにはいかないのだが、本作のトリックも、極端な話「なぜアリバイトリックとして成立するのか」さえ、そのうちに理解できない人が出てきそうだ。 トリックに使われた写真が白黒、というのさえ、実は最後になるまでちゃんと書いてない。まあ個人が撮るのが白黒が普通、という時代だから書いてないんだが、評者に言わせれば犯人の写真がカラーだったらたぶんトリックが見破られると思うんだ。メディアの特性を利用したトリックというのは、いろいろ取り扱いが難しい。でも、年寄りの評者に言わせれば、このトリック、実践するにあたって研究は必要だけど、かなり通用しそう...と感じているよ。 だからどっちかいうと、評者はこの作品、清張の俳諧趣味と、古代史への関心が出てて、そういう面に魅かれるのを感じる。こういうアリバイ崩しの地味系ミステリなんだけど、和布刈神社とか大宰府とか盛り込んで、ロマン味を出しているのが大衆小説としてのアピールポイントになっているように思う。まあ「点と線」の続編だから、九州ネタなんだよね(出身そうだし)。 |
No.690 | 8点 | 怪人二十面相 江戸川乱歩 |
(2020/04/18 15:09登録) その頃、東京中の町という町、家という家では、二人以上の人が顔を合わせさえすれば、まるでお天気の挨拶でもするように、怪人「二十面相」の噂をしていました。 この書き出しからして、すでにレジェンドだ。「二銭銅貨」の冒頭と似ている、という話もあるが、完成された乱歩の語り口とは比較にならないな。もちろんルパンに想を得て、少年向けに書かれたわけで、トリックにフィージビリティがないとかリアリティがないとか、そういうことを言うのは野暮だ。怪盗対名探偵のガチ対決に込められた、乱歩の夢の熱量にアテられないなら、本作を読む意味なんて、なかろうよ。 木造の観音さまの右手が、グーッと前に伸びたではありませんか。しかも、その指には、お定まりの蓮の茎ではなくて一挺のピストルが、ピッタリと賊の胸に狙いを定めて、握られていたではありませんか。 乱歩節、全開である。しかも「拳銃観音」というシュールな奇想までついてくる! 乱歩のアイデアって、絵として実にファンタジックなんだよね。語り口よし、絵にしてよし、簡潔にしてスリリング。場面場面のすばらしさに、終始圧倒された再読でした。 |
No.689 | 7点 | 青い鷹 ピーター・ディキンスン |
(2020/04/17 21:37登録) ディキンスンだと本サイトで「どこまでやるか?」が問題なんだけど、さすがに「魔術師マーリンの夢」とか「聖書伝説物語」とか絵本の「時計ネズミの謎」とかは、外れすぎかなあ...なんて思う。とりあえず本作でキリにしておこうか。 古代エジプトっぽい宗教国家で、少年神官として神殿に仕える主人公タロン。王のよみがえりを象徴する儀式は、神の化身である青い鷹が殺されてその血を王が受けることで完成するのだが、儀式の中で何をやってもいい、トリックスターの役割「神の羊」を振られたタロンは、神の声を聴いたと思い、鷹を奪って連れ出してしまう。このため王のよみがえりの儀式が完結せずに、神官たちは王を殺さないわけにはいかなくなる。タロンは自身の力でその青い鷹を馴らすことを命じられて、砂漠の荒廃した神殿に放逐される。その旧神殿でタロンは新しく選ばれた王に出会う。この王との友情をきっかけに、タロンは王と神官たちの争い、騎馬の異民族の侵攻、新しい儀礼と神々の支配からの脱却...といった身体的かつ形而上的な冒険に導かれていく。 「エヴァが目ざめるとき」がSFのかたちを借りた思想小説だったのと同じように、本書もとてもじゃないが児童向けじゃない。古代エジプトに舞台を取っても登場人物の思考や感受性が現代人そのままで、評者なんぞ「コスプレじゃん!」てシラける作品が多いのだが、ディキンスンだからそんなことない。神が自分の肌と隣り合わせにいるような、そういう時代の宗教的思考と感受性を、可能な限り本書は伝えようとする。儀式や儀礼が、単なるかたちでも一方的な祈りでもなくて、世界の意味を捉えなおし、まさに世界を作り変える行為なのだ。だからファンタジー・歴史小説と言うよりも、ほぼハードSFである。しかも歴史上で最初の「魔術からの解放」の瞬間を叙述しようとする小説でもある... 読み応えのある小説になっているのだが、読み込めばそれだけ難解なものになるタイプ。児童向けで描写は平明でも、一切手抜きなしのディキンスン、である。 |
No.688 | 8点 | 華氏451度 レイ・ブラッドベリ |
(2020/04/14 22:13登録) トリュフォーの映画ともども有名作。映像文化の発達した未来、本を読むことも所有することも禁止された世界で、禁制の本を焼くファイヤーマンを職業とするモンターグは、クラリスという少女と出会ったことをきっかけに、本に魅せられていくようになる...という話。 「1984年」のブラッドベリ版みたいなところがある。本が禁止されるのは、 人間は、憲法に書いてあるように、自由平等に生れてくるものじゃない。それでいて、けっきょくは平等にさせられてしまう。だれものが、ほかのものとおなじ形をとって、はじめてみんなが幸福になれるのだ。高い山がポツンとひとつそびえていたんでは、大多数の人間がおじけずく。(略)考える人間なんて存在させてはならん。本を読む人間は、いつ、どのようなことを考えだすかわからんじゃないか。 という理由。「1984年」のニヒリズム独裁ではなく、大衆社会の悪平等から来る反知性主義をうまく名指している。イマのポピュリズムの傾向を予言したようなもので、「1984年」の問題よりもアクチュアルなところがあるのが手柄である。しかし、本が禁止される代わりにテレビのショーや、マンガ、 そして、同時に、政府当局は考えだしたんですよ。国民には情熱的な唇とか、拳骨で腹を殴りあう物語とか読ませておくにかぎるとね。 とエンタメに特化した娯楽だけを提供するようにしたわけだ。としてみると、この「華氏451度」という本の存在自体が、かなり両義的な問題を含んでしまう。これが面白い。 実際、ブラッドベリも娯楽本位のパルプ・マガジン出身者のわけだし、この本も典型的な「ジャンル小説」のSFということになる。まあ今評者が書いているのもエンタメの大ジャンルの一つの「ミステリ」の専門書評サイトだ(苦笑)。「エンタメであることを否定するエンタメ」という自己否定的な本、という読み方もできるのだけど、まあそこまで考えなくてもいい。 本というものは、確かに商業的に書かれてビジネスとして書店に並べられ、買われて消費される。そういう意味ではタダの消費財にすぎない。しかしね、本書が指摘するように、「本の背後には人間がいる」。本に「著者」がついている限り、書店でも本というものは「商品のフリ」をしているに過ぎない。人間はそれ自身、売り物にはならない。 同様にSFやミステリといった「ジャンル小説」であっても、そのジャンルのルールに忠実であることがすべてではなく、そのルールに反逆したり、逸脱したりといった作者の創意と自意識によるジャンルとのせめぎあいに、一番の面白味があると評者は思っている。だからこそ、その本固有の面白味があり、その作者の独自の味わいがあり、そういうことを見つけていくのが書評である、と思うんだけどね。 もちろんブラッドベリなんていえば、SFでもジャンルから逸脱気味の作風であることは言うまでもないし、けして読みやすく消費しやすい文章でもなくて、商品としての価値が低いか...というと、そんなことはあるもんか。しかしね、ブラッドベリはさらにもう一つ奥に、両義性を抱え込んでさえもいる。「火星年代記」でも感じることだが、アメリカ特有の野人的価値観というか、もちろん反知性主義ともかなり重なって、本書の焚書を肯定するような感受性に、ブラッドベリのある部分は明白に魅せられている。文化を燃やし尽くす炎は美しい、 およそこの世界に、炎ほどうつくしいものはないだろうな。 トリュフォーの映画はこのポイントをきっちり押さえている。映画では燃やされる本の捲れて燃え上がりながらページを繰っていくさま、紙が褐色になり黒ずみ、黒い印字が逆に白く反転して見えるようになるさま、厚紙の表紙に気泡が膨れ上がるさま..を執拗に撮影している。この側面が否定できないからこそ、実のところ本書のどんな結末も、仮の結末にしかならないのだろうね。 |
No.687 | 7点 | 新宿鮫 大沢在昌 |
(2020/04/12 22:00登録) 90~00年代あたり評者ミステリから結構離れてた時期があるんだけど、なぜか鮫の旦那だけは読んでたな。その理由を考えるとね、評者が指摘すると嫌がる方はいるだろうけど、このシリーズはゲイ小説として読めるんだよね。シリーズの始まりからしてインラン旅館の場面だし。まあだからシリーズ的にも鮫島と晶が結ばれる、なんて全然思ってもいなかったさ(苦笑)。で、正規の英題か知らないが、光文社文庫だと「The Saint in Sodom」って載ってるから、海外に売る時には当然そういうウリになるに決まってるよ、違うかい? でシリーズ第1作は改造銃職人がゲイで、危うく鮫島まで貞操のピンチに陥る(ま、ピンチは貞操だけじゃないが)のが一番の見せ場な気がする。この職人が作った改造銃は何に仕掛けられているか?がミステリ的なポイントなので、ミステリ色が薄いわけじゃない。まあだけど、今はもうないもの(あるんだけどね)だから、読者が推理してアタるものじゃない。評者的には懐かしいけどね。 あと評者的な読みどころはオタクのエドくん。いかにもな脇筋をどう絡めるか?がこの作者らしい。襲撃犯の正体と動機に関する伏線も含め、手際よく捌いている印象。まあガンマニア、制服マニアってのも、マッチョなゲイ臭さが漂うものでね、二丁目のネエちゃんたちだけでなくて、全体に「Sodomな新宿」の小説という印象が強い。 まあこのシリーズもまったり楽しんでいこうか。評者は奇数番が好きな傾向がある。 (このシリーズ、意外に「ゲイ」って単語を使わないな。ホモとかオカマは出るけど、最低限にする配慮はある。ブランドステッター物はポリシーで「ホモセクシャル」だけどねえ) |
No.686 | 6点 | 大統領の晩餐 小林信彦 |
(2020/04/12 11:29登録) 本作面白いけど、この頃の大人向けオヨヨだと、一番ミステリ色は薄いと思う。ほぼ剣豪小説、とくに「師匠と弟子」のパロディを軸に話が組み立てられている印象。ミステリ読者としては、料理人の高学林と矢野源三郎の関係よりも、現在は「千面鬼」と名乗る、引退した怪人二十面相とオヨヨ、年老いた明智と大人になった小林少年..の中盤のエピソードが好きだ。 むしろ、悪事を考えまい、考えまい、としている。すると、おのずから、透明な悪の世界がひらけるのだな いやいや千面鬼が到達した枯淡の境地、透明な悪の世界がひらけても、そのなんだ、困る(苦笑)。しかしこの境地も果て無き夢への執着の果てなのだ。 だって、きみは、怪人二十面相が好きだからさ。奴が死ねば、きみは、別な二十面相を創り上げるにちがいない。それで、夜も昼も、赤い夢を見て暮らすんじゃないかな... と明智先生の指摘は、もちろんこれ読者に向けられたものなんだ。戦後ニッポンの理想も現実もすべてひっくるめて、昭和元禄花見踊りに踊り狂った時代の、夢の総決算みたいなものである。けどね、本書に出てくるさまざまな料理は、この本が書かれた時代には「高級レストランでしか食べれない料理」だったんだけど、オヨヨがとくにピザに所望したモッツァレラだって、今はスーパーで買えてしまう。昭和ヒトケタが夢見た70年代の食の夢も、平凡な日常に還元されてしまった今となっては、兵どもが夢の跡、といった感慨を感じるね。そういえば渋谷のムルギーってこの本で名前覚えて食べに行ったんだったなあ。ちなみに今もある名店ですな。そのうちまた行きたいです。 料理道を極める矢野にならって、ミステリ道を評者も... (面白い?ミステリは面白いものとでもいうのか。いな、それは苦しいものでなければならぬ) 嘘うそ、ジョークです。求道小説じゃないからね(笑)楽しくやっていきましょう。 |
No.685 | 6点 | 四つの署名 アーサー・コナン・ドイル |
(2020/04/11 22:41登録) 事件がなくて暇なホームズがコカイン注射で気を紛らす有名なシーンで始まる長編2作目。「緋色の研究」は事件が起きた後に警察に応援を頼まれて現場に行ったわけだが、本作ではホームズ一行が殺人現場にでくわす。そして犯人の後を追う追跡劇。「緋色の研究」よりもダイナミックな冒険色を強めた印象がある。 まあ本作だといわゆる「謎」は大したことはないので、ほぼこの追跡劇の面白味で作品ができているようにも思うんだ。ジャンル的には「スリラー」が適切なんだが...うん、だから「本格」というのはね、30年代にヴァン・ダインとクイーンが完成した、形式的は捜査プロセス小説で、フェアプレイに基づくパズル小説である「パズラー」が成立したあとで、そのルーツを辿って逆照射した系譜を「本格」として特別視しただけのことのように、評者は思っているんだよ。「本格」はジャンルじゃなくて、ミステリ史の概念だと思うんだ。 本作はホームズ聖典だから、当然歴史概念としての「本格」になるのだけど、内容は全然パズラーじゃなくて、ジャンルとしては伝奇スリラーだったとしても、何の不思議もあるものか。 |
No.684 | 8点 | 緑のカプセルの謎 ジョン・ディクスン・カー |
(2020/04/11 22:19登録) 「目の前に起きた事実を、正確に証言できるやつはひとりだっておらぬ」というテーゼのもとに、罠だらけの実験をする...という趣向にカーらしい手品趣味が横溢していてこれが本作の最大の魅力。その実験がすべてムーヴィーカメラで撮影されていて、クライマックスではそれを殺人現場で上映して犯人を指摘する...なんだから、まあこれくらい「映像的な」ミステリもないものだ。ぜひぜひ映像で見てみたい。透明人間みたいな仮装をした殺人者が、3人の観客の面前で実験の主催者に公然と毒を飲ませた殺害する、まさにその映像が、ありあわせの揺れる白い布に投影されて、ドイツ表現主義映画さながらの効果をあげたに違いない...と思うんだよ。 それに比べると、やや謎の構成に不自然なあたりもないわけじゃない。それでも実験に仕掛けられた謎がきわめて魅力的なために、そこらの瑕瑾が気にならない。まあこの映像性に比べたら、毒殺講義なんてどうでもいいくらい。「三つの棺」の密室講義は密室の「改め」みたいな側面があったから、これはこれで必要要素だと思うけど、本書の毒殺講義はただのペダントリの部類。 何といっても、本作は「魅力的な謎」でうまくカーが押し切れた成功作だと思う。心理の間隙を突く手品の原理をうまく使い切ったトリックなので、ミステリ固有の味わいもよく効いているうえに、映像の使い方にやはり憧れるし...名作じゃないかな。 |
No.683 | 6点 | スペイドという男 ハメット短編全集2 ダシール・ハメット |
(2020/04/09 22:51登録) サム・スペイドというと「マルタの鷹」で有名なハードボイルド私立探偵の代表株、というのが通り相場なのだけど、作者のハメット的には自身を投影したコンチネンタル・オプよりも成功した....とは言い難いようにも思う。スペイド主演の3つの短編はハメットで最上の短編、とは言えないからね。やはり三人称ハードボイルド探偵という新境地の試作品みたいに感じることの方が多くて、ハメット流儀が完成しているオプ物の名作短編と比較すると今一つ、と感じる。 創元の本書は言うまでもなく稲葉明雄訳だけど、この人の独特のシャープな甘さがこの短編集だと効果的になっている作品は少ない印象。まあそれでも「夜陰」はいい。「夜陰」がこの本のベストで、三人称で余計なことを言わないハードボイルドだからこそ、で成立する話。すばらしい。 逆に「ああ、兄貴」は一人称の饒舌体が面白い。「おれがああまで阿呆でなかったら」を繰り返して話が変調していくラストの語り口は、小説家ハメットの技巧的な「技」というものでしょう。 ハメットという作家が「どう語るか?」に意識的だったか、というのを今回いろいろと検証していくような面白さを感じていた...で「殺人助手」はあまり大したことが起きずにラストになだれ込むのだけど、話が奇妙な方向に捻じれていくさまがヘンテコである。唖然とするほどにヘンである。これはリアリズム、というよりも予定調和をわざわざ突き崩すような、意地の悪いヒネクレ具合というものだ。ハメットがいかに「オハナシの予定調和」を皮肉に見ていたのか、と評者はそういうあたりに興味を憶える。 |
No.682 | 7点 | 詩人と狂人たち G・K・チェスタトン |
(2020/04/08 23:54登録) チェスタートンというと、ミステリのようでミステリでなくて、ミステリの向こうに何か別な真実を開こうとする、そういう間合いが珍重されるべきなんだろう。「木曜日の男」とか本作とか「童心」とか、そういう志向にマッチした作品になるんだろうけども、本作は「ミステリの彼方」の比重が「童心」よりも大きい。 まあだから、一番ミステリっぽい「鱶の影」の「足跡のない殺人」が腰砕けなトリックなのを怒っても仕方ないや。だけど本作はこの人独特の絵画的描写が冴えているのは、あながち主人公が詩人兼画家だから、というわけでもなかろう。チェスタートンの絵画性には、人間の外側にある宇宙的なセンスが潜んでいるわけで、このシリーズの独特な形而上性を指し示す隠喩が色彩としてほとばしっていると見るべきだ。 誰かが小切手を現金に替えに来たときに、代わりに銅を渡してやって、銅のほうが、鮮やかな夕焼け色をふんだんに帯びていると説明してやったら、どんなものだろう? そういう見方だと、おそらくこのシリーズの白眉は「ガブリエル・ゲイルの犯罪」ということになると思う。まあこの話はミステリというよりも神学的寓話なんだけどね。キリスト教で言う「福音」は「good news」という意味なんだけども、チェスタートンの信仰というか理神論の要石は、どこからか「よき知らせ」を寄せてくる「外部」としての「神」ということになる。「外部」があるからこそ、人間は正気を保つことができるのだ、というまあ正論と言えばこれ以上もない正論が、チェスタートンが大切にした「幼児期に感じていたようなカラフルな幸福感」の中で、逆説めいて見えることがそれこそ最大の逆説なんだろうよ。 つまり、チェスタートンの正論を逆説と、ポエジーを狂気と、そう捉えてしまう一般読者の見方の方が、よほど歪んだ転倒した見地に基づいたものだ、とチェスタートンは言いたげなのである。 やはり「正統とは何か」を読まないと、チェスタートンの真意みたいなものはつかみづらいと思うんだよ。あえて言うけど、チェスタートンには韜晦も逆説も狂気も、これっぽっちもない。 |
No.681 | 7点 | 猟奇王 川崎ゆきお |
(2020/04/04 17:05登録) 二十面相ついでに読みたくなってねえ、評者も猟奇の徒だね。 心の中に怪人二十面相が生き残ったまま大人になった元子供たちの物語である。社会人がロマンを求めてたら、たちまち食べるに困る。これが世知辛く散文的な現実。心の片隅に生き延びた怪人二十面相の末裔、黒マスクの怪人猟奇王は、普段は机に突っ伏して「ダメな怪人」である自分自身に屈託しつつも、それでもあわよくばの劇場犯罪の機会を狙って「走る!」 この猟奇王のアドリブの「走り」に呼応して、「社会人」たちの抑えきれない想いからも、さまざまなバケモノたちが蠢動しだす...「走れ!猟奇王!」 ...猟奇王などフィクションです。現実社会に存在しないものは、問題になどできぬ... 猟奇気球はその後も上空を漂い、それを追いかける群集はどこまでも続き数百万人にものぼります。群集はさらに増え続け、市街は運動会のようなさわぎで、このままでは完全なパニックとなり、都市の機能は完全にマヒ状態に陥るでしょう 猟奇王、君が存在するかぎり社会人を狂わすことになる。やはりほんとうに抹殺しなければならんだろう... 評者も大学生時代にシューショクカツドーなどという恐ろしいものをしたときに、ガロ系漫画とかニューウェーブとか乱歩やら虫太郎やらタルコフスキーやら何やら封印して臨んだものだったな。確かにこんなの読んでたら、シューショクできないや。それでも余計なものを抱え込んだ少数派は、やむにやまれぬ思いで社会人の仮面をかぶることになる。 まあそういう感傷。自意識過剰というものでもあるんだけどね。 もちろん作品的価値としては、怪人二十面相というアイコンをそういうマイナーでオタクな青春に重ねたあたりで不滅の価値があると思う。本サイトを楽しむ皆さまの心の片隅にも、きっと猟奇王が住んでいるよ。 |
No.680 | 6点 | 魔法人形 江戸川乱歩 |
(2020/04/04 16:03登録) 「少年探偵団」シリーズ。言うまでもなく乱歩の児童向けなんだけど、本作の連載は講談社の老舗少女誌「少女クラブ」。それこそ戦前には吉屋信子が人気を博したり、この連載とほぼ同時期に「リボンの騎士」が載ってたりした少女向け名門雑誌である。なのでシリーズの中でも特に「少女向け」に特化した作品になる。「少年探偵団」は今ドキだと「萌え」を求めて読むことになっちゃうんだけど、本作は少女向けなので特に「萌え」要素が強い。気分転換にお楽しみ! 小学五年生の少女ルミ子ちゃんは公園で出会った人形遣いの男に連れらて、その「人形の家」を訪ねる。そこで出会った「魔法をかけられてもかまわないから、一生美しくいたいと思った」紅子人形に、あなたも人形になって美しいままに...と誘われる。ルミ子ちゃんの親に元には、ルミ子の生き人形と誘拐を示す脅迫が届き、小林少年は運送元をたどって潜入する。 となかなかホラー要素の強い幕開け。で、小林少年は女装してこの発送元の人形師赤堀鉄州の家に潜入するわけだ。なぜ女装?よくわからない(苦笑)。少女向けだから? でも小林少年の女装はシリーズ内でも結構頻繁。はっきり、萌えます。 やはり「人形きちがい」と兄の少年探偵団員進一くんにからかわれる少女サナエさんの元に、等身大の「ユリ子人形」が届けられる。美しいユリ子人形を巡って起きる怪現象。この家に秘蔵される「ほのおの王冠」に狙いが...進一くんが慕う明智探偵事務所の少女探偵マユミさんが、男装して少年探偵団とチンピラ別動隊を率いて、「ほのおの王冠」を守るべく出動した。 と今度は少女探偵の男装。そして捕らわれたマユミさんを巡って、地下パノラマ世界でのロボットの動物やら「獣装」やら。明智先生の登場は最後だけ。少年探偵団が主役張ってるタイプの作品で、団員の特技個性が出ててるし、特異な耽美世界を描いた本作は、シリーズの中でも秀作のうちだろう。子供の頃にやはり読んでて、やっぱり本作は他の作品とは区別して評者も記憶してるもの... はい、おなかいっぱいです。ごちそうさま。やっぱり乱歩は「萌え」が解ってる。 いわゆる人形愛とは別タイプの「あなたも人形にならない?と人形に誘惑される」という人気モチーフのオリジネーターかもね。たとえば高橋葉介の「夢幻紳士 怪奇編」の「人形地獄」はこのモチーフの敷衍。こっちも傑作。 |
No.679 | 8点 | ラヴクラフト全集 (1) H・P・ラヴクラフト |
(2020/04/04 12:24登録) どうしようか迷ったけど、コロナ騒ぎで本の調達に困りそうなこともあるから、ラヴクラフトもやろうか。もともと2巻の傑作選だったのが、神話人気で7巻の全集+別巻上下まで膨らんだこともあって、最初の2巻に名作が大体入ってる印象がある。1巻目の目玉はいうまでもなく「インスマウスの影」。評者「チャールズ・ウォード(2巻)」「ダニッチの怪(5巻)」と併せて3大名作だと思ってる。 「インスマウス」は前半と後半と構成が歪になっていることで、狙ったのかどうかよくわからないのだけど、この歪さ自体が本当に怖い。評者の妄想だけど、主人公は実はマーシュ家とは何の関係もなくて、インスマウスの体験の中で脳内に侵入者を許してしまい、徐々に人格転移を起こして...なんて補完して読んじゃうと、さらに怖い。まあそこまで妄想をたくましくしなくてもいい。主人公の立場というのは「怪奇小説愛好家」の姿そのままなんだよね。「怖い!ぞっとする!」に魅かれてわざわざ「怖い小説」を手に取って読み、「怖いけどやめられない...」であっという間に読了し、読み終わった後はその「怖い世界」に心情的に同化して、郷愁とか懐かしさを感じてしまう。そんな「怪奇小説愛好家」の姿がそのまま、この主人公の姿に投影されているようにも思うんだ。だから、この小説は一見ちぐはぐに見えて、実はそうじゃない。奇跡のバランスだと思う。 まあ「インスマウス」と比較すると他は霞んで当然。「闇に囁くもの」はラヴクラフトのSFっぽい面が強く出ているタイプ。まあこれはラヴクラフトのねちっこい語り口で恐怖を先送りしつつ期待を高める名人芸を楽しむべきなんだろう。まだひっぱる?とか思いながら読むと怖くなくなるのが難点。「壁のなかの鼠」は単体で見たらまとまりのいい佳作だと思う。「死体安置所にて」はまあ、ブラックユーモアでしょこれ。 でクトゥルフ神話の神名など固有名詞は、そもそも「人間に発音不可能」という設定なので、統一の取りようもないのだが、第1巻の訳者の大西尹明は 原語に表記された文字に基づいて発音されると考えられる許容範囲内で、その最も不自然かつ佶屈たる発音を選んだがためである という方針。だからクトゥルフとかヨグ・ソトホートとかになる。ドイツ語っぽい味があって、好きだ。 |
No.678 | 6点 | 天国は遠すぎる 土屋隆夫 |
(2020/04/01 22:17登録) 土屋隆夫というとねえ、昔風の文芸味と、リアリティのあるトリックで70年代くらいには鮎哲と並ぶパズラー愛好家の押し作家だったんだが、作品数が少ないのもあって、イマのプレゼンスは結構落ちている印象が寂しい。パズラーとは言っても、新本格の遊戯性とはまったく逆方向と見ていい。鮎哲だと遊戯性に徹した「りら荘」もあり新本格との相性がいいのと対照的に、リアリティ重視のパズラーと捉えれば、初期の松本清張に近い..という見方をしてもいいんじゃない?と評者は思ってるよ。 まあ、トリックのリアリティを保証するために、自分でやってみて確認する、で有名な作家だしね。本作だと結構な大技といえば大技なんだけど、やはり「実現可能」と思わせるリアリティがある。汚職事件や、地方有力者が政界に関わることで捜査に圧力をかけるとかね、あるいは刑事の家庭生活や犯人夫婦の夫婦愛、となかなか清張っぽい。どうも皆さん「社会派」を毛嫌いする人が多いようだけど、同じ作家でもバランスが作品によっても違うし、かなりグラデーションを持って捉えて、レッテル貼りしないようにした方がいいように思うんだがね。 しかしこの人らしさ、というのはセンチメンタルに流れやすい文芸味になる。背景に流れる「天国は遠すぎる」という「自殺の聖歌」が前半魅力的なのだが、後半どうもフェードアウトするのが残念。文芸味とトリックがちゃんと融合したらいいんだがねえ(「危険な童話」はその融合がナイス)。 |
No.677 | 8点 | 緋色の研究 アーサー・コナン・ドイル |
(2020/03/31 22:00登録) そろそろドイルもしなきゃね...小学校高学年の頃には大人向けでほぼ全部読んでたな。なんせ子供だったから、本作だと中間部のユタの話が長かった...なんて印象を覚えているよ。大人になってから読んで意外に短いのにびっくりした。まあ子供はモルモン教なんてよくわからないからね、ホームズの出ない中間部は退屈だったんだろう。 久しぶりに読み直したことにはなるのだが、古風ではあってもストレートな面白さがある。初登場のホームズが魅力的に描けているんだもの。地口を言えば「ヒーローの研究」ということか。ミステリとして見たときに本作には「トリック」はないけども、「逆トリック」はあるんだよね。「犯人が仕掛けるトリック」ではなくて、「探偵が仕掛けて犯人をひっかけるトリック」を昔「逆トリック」と呼んでいた覚えがあるんだけど、最近この言葉を聞かないように思うんだ。 いわゆる「本格」概念から見ると、犯人が仕掛けるトリックなら、手がかりをうまく仕込めば「読者も競えるフェアさ」という理念を満たせるんだが、この「逆トリック」はフェアさを満たせない。その代り、名探偵のヒーロー性を際立たせることにはなるわけで、実のところホームズ譚にはこの「逆トリック」が極めて印象的に使われた作品が多いんだよね。これが魅力なんだ。 だからいわゆる「本格」に慣れた読者がホームズを読んで、不満に思ったりするのは、ホームズよりもずいぶん後に成立した「本格」概念のメガネで、逆にホームズを裁いていることが多いように感じるんだ。評者はそういう読み方に強い違和感を感じる。後付けの概念で裁断するのではなくて、ホームズにはホームズの良さを楽しんで見つけていくような読み方を、評者はしていきたいと思うんだ.... まあ、とりあえず第1作。なるべく順番に読んでいく方がいいのかな。ヴィクトリア朝を舞台とした、上は王族から下は貧民街までの、トータルな社会のドラマを楽しんて行くことにしよう。 ぼくは今それを教えてもらったから、こんどはさっそく忘れるように努力しましょう。(中略)熟練した職人は、頭脳の屋根裏部屋に何をつめこむかについて、最新の注意をはらうわけです。 この克己心がダンディズムというものだ。かくありたい、なんて評者だって憧れるんだよ。 |