home

ミステリの祭典

login
ガラ

作家 赤江瀑
出版日1989年11月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 クリスティ再読
(2021/11/20 20:29登録)
創元の「赤江瀑アラベスク」も11月末に3が出て完結、その前祝いで本作。どうやら「赤江瀑アラベスク3」でも有名作ガン無視で東雅夫の好きな作品だけのセレクトのよう。目玉は「阿修羅花伝」なんだけども、その前編に当たる有名作「禽獣の門」は収録しない....ホントに光文社の3巻の傑作集と内容がカブらなすぎ。評者はウレシいんだけど、営業的に大丈夫か?

で本作は短めの長編。画家夫婦と探検家の夫を追う妻、それに主人公の画家(妻)のアルターエゴのような謎めいた女性「ガラ」、ほぼこの5人しか登場しない。赤江瀑らしい屈折しまくった人間関係だけで読ませる話だから、どこが「ミステリか?」と言われると困る部分もあるけども、ムリに寄せれば「ウィリアム・ウィルソン」。でもこの作家独特の「人工的な美意識」が微妙に「純文学」になる「シリアスな感じ」から逸脱してしまう... 章立ても「芙蓉の睡り」「迦陵頻伽の巣」とかね~赤江美学優先しすぎ、作り過ぎてキッチュな味わいが出てしまうからなのか? まあそれでも初期の凝りに凝った美文と、後期の語りの面白味と、バランスよく読める作品ではある。

美術教師をしつつ絵を描く夫と、絵に共通点があることで知り合って結婚した妻恭子。しかし、妻が公募展の大賞を受賞したことで、アーチスト同士の対抗心と屈折から夫婦関係がおかしくなり、その修復を兼ねて旅立ったイースター島で、探検家の夫を追いかけて島を訪れた女性藤子と出会う。夫は恭子を捨てて藤子と暮らすようになる...しかしそれは不倫という関係でもなく、探検家の夫の帰りを待ち続ける藤子を支えるための、夫の「優しみ」であることを恭子は理解していた...

という人間関係がタダの欲望ではなくて、より抽象化された宿命めいたものとして扱われるのは赤江瀑の通例。リアルじゃなくて思考実験みたいな人間関係に、どこまでノれるか?というのが赤江瀑にハマれるか否かを分けるんじゃないかな。で今回の特色はやはり謎めいたイースター島という背景。

あそこはあなた、淋しみ属の首魁たちが棲んでいる島。でしょ?そうでしょう?モアイ。あの巨大な石像。世の眷属どもがさ、渇仰して、淋しさの魔をまのあたりにできる島。淋しさの魔の虜になって、身を顫わせて感動する島。

すれ違う二組の夫婦に、それぞれモアイのように孤立して天を仰ぐ姿にダブルイメージ。恭子のイメージの世界に棲む「ガラ」は恭子を批判しつつも、「人の優しみ」やら「人と暮らした賑やかな思い出」の化身のような存在として、恭子の「救い」でもあったりする....
まあだから、話の枠組みだけ紹介すると純文学。でも読んだ印象がそうでもなくて、その昔の「中間小説」というあたりのジャンル感で活躍した作家らしさ。今回はとくに女性心理探究なテイストが強いから、「女性小説」とでも呼ぶべきかも。

これが赤江瀑。

1レコード表示中です 書評