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ミステリの祭典

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平均点:6.39点 書評数:1431件

プロフィール| 書評

No.1391 9点 ハリー・ポッターと炎のゴブレット
J・K・ローリング
(2025/05/03 16:50登録)
さすがに予約まではしなかったが、出版すぐに平積みを購入して読んだ。ハリポタ第4作というわけで今までと違い上下二巻、2冊セット販売。それでも飛ぶように売れていた。当時も一気読み、今回も事実上一気読み。

話が長くなったけども、構成に緩みがないのが凄いあたり。いろいろと前振りをしながら、たとえば三大魔法学校対抗試合の正式発表の、わざと腰を折る格好で新任のマッドアイ・ムーディの不気味な姿を紹介するとか、カーかいなという技巧を使っていたりもする。さらにはウィーズリー一家で唯一あまり好意的に描かれないパーシーをうまく使って、クラウチの挙動を印象付けるとか、小説技巧として感心する読みどころが多い。

で、本作といえばシリーズ中一番うまいミスディレクションを絡めた大トリック。某チートグッズの性質を突いたきわめて印象的なもの。ミステリファンならこれを読んでびっくりすること請け合い。過去作での魔法薬材料盗難事件をひっかけたミスディレクションもあるし、シリーズ作品での細かい過去でさえミスディレクションに使ってやろうという仕掛けの妙味が楽しめる。

それだけではなく、本作がシリーズの中での屈曲点に当たることもしっかり意識させる。それまでの3作では「子どもたちの冒険」のカラーが強く出ていたが、本作からはこのシリーズのテーマが「戦後処理」であることが強調されてくる。市民を2つに引き裂く「市民戦争」の後で対立が燻りつつも抑え込まれている世界。そこで「過去の亡霊」が復活して対立が再燃したときに、社会統合は再度可能なのか?という大テーマが扱われることが示唆されてくる。

いや子供向けじゃないな(苦笑)たとえばサラザール・スリザリンの名が、ポルトガルの独裁者サラザールから取られている話もあるわけだ。次の巻からは事実上「内戦」と呼んでいいレベルで話が進行していくわけで、本作はそのプロローグに当たる。

(あと、本作でハーマイオニーが「屋敷しもべ妖精解放戦線」と嘲られるほどの wokeっぷりを披露するあたり、後年のエマ・ワトソンとの対立を予告していたりするなあ...「みんなは、魔法使いとまったく同じように、不幸になる権利があるの!」まさに迷惑でしかない)


No.1390 6点 もっとも危険なゲーム
ギャビン・ライアル
(2025/05/02 13:23登録)
大昔に読んだ時って「深夜プラス1」は大好きだったが、本作ってピンとこなかったなあ...で改めて再読。うん、ストーリーラインに余計な雑味が多くて、そこらへんがゴチャゴチャと煩雑になっている。しかしね、改めて読むと本作って「日本人好みだね~」というのも感じる。

天才アマチュア vs 二流のプロの対決!

この時にどっちを応援するのか?というのはかなり国民性が出ると思うんだ。
エンタメの王道はたぶん天才アマチュアだろう。けど日本人ではかなり二流プロを応援するんじゃないかとも思う。
華麗な「閃き」より頑固な「職人技」。
だからこそ本作って「日本人好み」と感じる。

まあ、この互いに好意を持ちあうケアリとホーマーの対決というのも、「善悪」「正邪」の争いではなく「もっとも危険なゲーム」でしかない。こういうライバル関係に日本人って昔から萌えてきた。小次郎vs武蔵、平手造酒vs座頭市、三船vs仲代、旭vs錠...今のマンガにまで繰り返し繰り返し描かれる「ラスボス対決」。
まあだからライアルってナニワブシだね。

(う~んでも、ケアリのワイズクラックは少々うるさい。それよりホーマーの妹アリスの西部女風の自立性が好き)


No.1389 6点 テロリストのパラソル
藤原伊織
(2025/04/30 21:01登録)
達者な小説。よく書けている。

昔買って読んだんだ。しかしどうにも気に入らなくて、すぐに古本屋に叩き売った記憶がある。そんな作品の再読。

どうやら今年は世界的にリベラル崩壊の年になりそうだ。そんな年に現在ではリベラル長老世代に当たる、全共闘の後始末のような本作を読むというのも何かの因縁かな。評者だとその後の「新人類」世代になるから、基本的に全共闘は鬱陶しくて嫌いである。これはもう世代対立みたいなものだなあ。
だから、誤爆事件を起こして逃亡中(でも現在は時効)の主人公が、新宿西口の中央公園での大規模な爆発事件の目撃者となり、それが過去の事件の因縁が絡んでおり...という展開の「ロマン」に反発もしてしまう。でもそれはいいか。

一番「気に入らない」面というのは、本作が「長いお別れ」のプロットを大きくオマージュ的に採用しているあたり。いや、作品としてオマージュするのにはそれほど反発するわけではない。オマージュの部分が大きい作品が、コンペの受賞作になるというのに、評者はどうも抵抗感を抱く。

乱歩賞&直木賞W受賞作として有名なんだけども、選者がどう思って選んだのか、ずっと首をかしげている。
(こういう犯人の経歴って、全共闘崩れ作家のヘンなロマンを反映してか、登場しがちなんだよね...笠井潔にもあるじゃん?評者がシラけてる部分というのも、まさに世代の反映だとも感じる)


No.1388 7点 キュラソー島から来た女
ヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンク
(2025/04/29 16:02登録)
いいよ、これ。
今となっては埋もれてしまったオランダ産警察小説。警察小説の「事件を介して描かれる人間模様」というあたりに忠実で、しっかり描かれた小説という印象。主人公の漫才コンビのフライプストラ警部補とデ・ヒール巡査部長とがど~でもいいことを、87分署どころではないくらいにずっとずっと喋り続けている。それが、いい。さらに言えばその上司で脚の痛みに悩まされる退職目前の「名無し」の警視がいい味出している。

殺された被害者は、自前の豪華ハウスボートで客を取る高級娼婦。この女はベネズエラの沖合にあるオランダ領植民地キュラソーの出身で、島の呪術師の弟子として魔術を使うという評判の女。警視がこの女の身元をキュラソーまで出張して調査。これが中盤でもなかなかの読みどころ。A.H.Z.カーの「妖術師の島」とかストリブリングの「カリブ諸島の手がかり」を思わせる。

リアリズムが売り物の警察小説にオカルト。コリン・ウィルソンの「スクールガール殺人事件」もそういう設定のわけだが、ミスマッチを狙った面白味が本作でも発揮されている。リアル・現実的に解釈された「呪術」というものの微妙な性質が、リアルに描かれた本作でも発揮されている。たとえばクイーンの大好きな「操り」だって、本質は「呪術」なんだよ。パズラーだったら呪術の曖昧さは許容されないけども、警察小説ではこの曖昧さが作品の幅になりうる。そこらへんも興味深い。

そしてオランダ最北端の島スヒールモニコッホでの、バードウオッチングから展開する銃撃戦の流れなど、意外な展開で楽しませてくれる。アムステルダムの運河に浮かぶ豪華ハウスボート・南米キュラソー島・湿原の島スヒールモニコッホとロケーションの妙もあって飽きさせない。

まあとはいえ「地味」。でもこの地味さがたまらない味わい。拾い物の秀作。


No.1387 7点 異星の客
ロバート・A・ハインライン
(2025/04/27 08:43登録)
今でこそ長いエンタメは全然珍しくもないが、70年代くらいまでは「長いと読むのが面倒だし定価が高くなって売れない」こともあって、珍しかったわけだ。そんな中で創元の「自立本」として有名だったのが、「月長石」と本作になる。SF三大作家の一人ハインラインの超大作、「ヒッピーの聖書」とまで呼ばれたサブカル面でも重要な作品。最近X社(旧twitter)のAIが「Grok」と名付けられたわけだけど、この元ネタが本作の火星語「理解する」の意味。

とかいうとビビるよな、うん。

ハインラインというと変に「思想的」だったりするが、その思想というのもアメリカ〜ンなリバタリアニズム風のものだったりするが、しかし本作で描かれる火星人の思想というのは、自他境界の曖昧な「汝は神なり」が象徴的スローガンになるような、汎神論的ななものだったりする。そこはかとなく東洋趣味があり、そういうあたりがヒッピーにウケたわけである。
実践的には全てを共有する共産趣味なコミューン形成とフリーセックスであり、例のマンソン・ファミリーを地で行ったようなもの。実際にマンソンが本作を愛読していたというデマが流れていたくらい(マンソンは文盲に近い)。

まあだけど話自体はハインライン自身の代弁者でもあるスーパーマン的な小説家ジュバルが狂言回し。かつての火星旅行者の生き残りマイク・スミスが火星人に育てられたのが、改めて発見されて地球に帰還。その身は法律上火星の全権利を一手に握るような立場であると捉えられ、地球連邦との間で陰謀が渦巻く。ジュバルとその美女秘書たち、収容された病院の看護婦ジルなどはマイクの立場に立って頑迷固陋で貪欲な地球連邦の鼻をあかす。
しかし、このジュバルの周囲の人々はマイクが持つ「火星人の思想」に徐々に影響を受けていく...流行の宗教フォスタライト(新啓示派)教に誘われたマイクはその最高司教に会いに行くが?

大騒ぎのごちゃ混ぜ感が強い小説。まさに「ヘルタースケルター」かもよ(苦笑)そんな中で読者と作者を代弁するジュバルがパラドキシカルで皮肉な論評を長々と繰り広げるなど、「ガリヴァー旅行記」の現代版といったカラーもある。でも作者自身が前に出過ぎているし、やや散漫な部分も多いなあ。

で「ジーザス・クライスト・スーパースター」がオチになる。変な小説。

(どうもミステリって60年代末〜70年代初頭のアメリカの混乱をちゃんと描けている作品が少ないと思うんだ。SFの方がそこらへんに対処できているとも思う。あと亡くなった方の遺体を食べる、という葬礼習慣が広まらなかったのは、感染症などのリスクが高すぎるのが理由だと思うよ。人間ってのは人間にとって最大の「敵」ということでもあるか)


No.1386 5点 マンハッタンの哀愁
ジョルジュ・シムノン
(2025/04/24 18:17登録)
シムノンのメグレ物以外の小説って、本当にバラエティ豊かだからバルザックとかになぞらえられるくらいでもある。河出の「シムノン本格小説集」もその「一端」くらいが覗けるくらいのものと捉えるべきなんだろうけども、結構ミステリ的手法とか趣向があったりもするのだが....本作はどうみてもミステリじゃない。自伝的な恋愛小説(苦笑)ごめん。

シムノンは戦争中に対独協力者の疑惑を持たれて、それもあって戦後すぐにアメリカに渡っている。アメリカで書いた最初の小説の一つが本作だ。だから舞台はタイトルどおりニューヨークのマンハッタン。主人公はシムノン自身を投影した一流半の俳優フランソワ。女優志望の妻を業界に紹介したら妻の方がスーパースターに出世。妻の不倫から結婚を解消し、フランソワは失意の中ハリウッドで一旗あげようとするが、どうもうまくいかずにニューヨークで役探しの日々。こんな中でバーで出会った女、ケイ。

午前三時の女なのだ、ベッドに入る決心がつかず、どんな犠牲を払っても刺激を求める必要があるので、酒を飲み、たばこを吸い、しゃべりまくり、しまいには極度に興奮して、男の腕の中に身を投げるのだ

と形容される30過ぎ、離婚歴のある女性。そのままフランソワはケイと同棲を始める....しかし、ケイが前夫との間に儲けた娘の重病の知らせを受け、ケイはメキシコへ旅立つ。ケイは戻ってくるのか?

全体的には虚無的、といえばそうだけど、ほのかな明るさがある。シムノンがアメリカで出会った女性デニーズと恋愛関係になり、妻とも離婚してという自伝的な内容が反映しているといえばそうだろう。夜の街をケイと共にさまようのが何ともムードがある。原題は「マンハッタンの三つの部屋」という意味だそうだが「マンハッタンの哀愁」でマルセル・カルネが監督して映画になっている。1965年の作品で、主演がルイ・マルの代名詞みたいなモーリス・ロネ。晩年のカルネがヌーヴェルヴァーグに対抗意識を燃やして作ったそうだ。この映画の評がまさに小説の評としてもふさわしいかもしれない。

ほとんどがバーや安宿にいる2人が登場するシーンばかりかな。
酒と煙草燻らすばかりで、かなり退屈なのが正直な感想。

こんな小説。


No.1385 7点 観光旅行
デイヴィッド・イーリイ
(2025/04/23 15:57登録)
「奇妙な味」短編名手イーリイだけど、長編もいくつかあって、翻訳のある初期二作はすでに取り上げている。そのほかに翻訳された長編がこれで、これもまあ何というか「奇妙な味」の長編作品ということになるだろう(苦笑)

形式的にはアンブラーの「武器の道」っぽい巻き込まれスパイということになるんだけど、シニカルなテイストからグリーンの「おとなしいアメリカ人」とか「ハバナの男」といった雰囲気もある...さらにはイーリイ自身の代名詞短編である「ヨットクラブ」みたいな話でもあれば、奇抜な状況に反撃して自滅した「蒸発」みたいな雰囲気も。さらには中南米の「バナナ共和国」と自嘲される某国への「観光旅行」ツアーを舞台に、夜間のイグアナの襲撃事件やらカーニバルの乱痴気騒ぎやらが幻想的な筆致で描かれて、マジック・リアリズム風の「一枚フィルターの入った」幻覚的なイメージの連なりで描かれていく。

一応主人公として、観光旅行団の参加者フロレインタンが中心的に描かれるが、その周囲の人々が悪趣味かつ突き放した筆致で描かれて、あたかもブニュエルの映画を見るかのようなシュールだけど現実的な、とでもいったような印象。奇書っぽいカラーも出ているかな。ここらへん奇書っぽくはならないダールと大きく違うあたりだろうか。

でまあ、中盤でバレるから書いちゃうが、この汚職買収が横行する破綻国家バナナ共和国で、軍部とアメリカ政府が結託して、対ゲリラ戦ロボット兵器の実地検証を行おうという計画があり、フロレインタンがこれに巻き込まれることになる...でもさあ、国際謀略小説という雰囲気は少しも出ない。幻想的で不穏な雰囲気のまま話が進み、とんでもない結末が訪れる。

この「観光旅行」自体、意図的に起こしたアクシデントによって、参加者に「冒険」させることで、普通でない「観光」をおこなわせるという、金に飽かせたアメリカの大金持ちの背徳的な「娯楽」として行われているものであり、「ヨットクラブ」とも共通する。そんなアメリカ人の悪気のない悪徳っぷりが、風刺というよりも悪夢的なものとして描かれている。

まあ期待どおりのヘンな小説。


No.1384 1点 インターセックス
帚木蓬生
(2025/04/17 21:55登録)
久々に筆誅。2025年になって海外では行き過ぎたトランスジェンダー問題についての正常化が進行し、woke思想とともに導入されてきた「トランス女性は女性」というスローガンが公的に否定されるようになってきた。前年のパリ五輪での性分化疾患の女子ボクシング選手の問題が物議を醸すなど、本作のテーマがいろいろと取りざたされる状況である。
「インターセックス」という言葉は、実は現在では「差別的だ」としてとくに当事者からの強い反発を受け、さらには医学的にも誤解を招く役に立たない概念として、現在では忌避される言葉になっている。この本が拠って立っている議論は実はすでに否定された議論である。

評者自身、これらの問題について関りもあり、ネクスDSDジャパンという当事者団体とも交流がある。そんな立場からの書評として読んでいただきたい。あ、ミステリとしては何のヒネリもない「そうだろうね」という真相。比較的厚めの本だが、ミステリや小説としての内容は薄い。最悪の意味での「社会派ミステリ」。

1. インターセックスという概念は現在では医学的な意味を持っていない。現在では男女中間の性器の状態を持って生まれる子供たちの症例研究が進み、それらがさまざまな原因によって起きることが解明され、包括的に「男女の中間」と捉えることに意味がない。それどころか、男女という二つの性の発達上のバリエーションと捉えるのが適切であるとさえ言える。同時に疾患ごとに現在では「どのようなgender identityを持つ可能性が高いか」についても、標準となる知見が得られている。
このため現在では「性分化疾患」disorders of sex development、略して DSDs と呼ばれるのがふつうである。さまざまな原因によりさまざまな症状を示す疾患であるために、包括的な用語がふさわしくないことが、複数形として使われる理由でもある。
2. 現実の当事者には自らを「男女の中間」「第三の性別」といった捉え方をする人はごく少数であり、「男女の中間である」と決めつける表現でもある「インターセックス」という言葉に、当事者自身が傷ついているという状況がある。当事者の大部分は、gender identity の揺れがあるわけでもないのである。ただ性器の状態が一般と異なるということに過ぎないのにもかかわらず、「男女両性具有」「男女両方の気持ちがわかる」と誤ったイメージを押しつけられることに対する反発が、当事者であるからこそ強い。
3. いわゆるLGBT運動の中で、性分化疾患当事者に対する「アイデンティティ政治」として「インターセックス」という言葉が使われてきた経緯がある。この問題を政治・社会問題として捉えようとするLGBT運動には、当事者は否定的な感情を持つ人がほとんどであり、当事者から拒絶されて完全に失敗している。またLGBT運動の中で「身体的性別はグラデーション」として宣伝を行う傾向があり、この例として「インターセックス」が引き合いに出されることにも、当事者は強い反発を示している。

結論すれば「インターセックス」は、医学的でもなく、当事者に拒絶され、社会運動としても批判の的になっているのが現状だ。

男性と女性の区分を超越した人間存在、先生の輝くばかりの美しい身体はそれを具現したものでした

と本作のクライマックスでのべられるが、このような、一見人道的で「意識高い」態度が、現実には無意味どころか社会的な混乱と対立を導いてしまうだけなのならば、「社会派ミステリ」というものの「影の部分」を、ミステリ読者として強く批判していくべきであると思う。
ジャーナリズムならば誤りを認めれば終わるかもしれない。
しかし文芸として発表してしまったものならば、社会的な責任はどう取るのだろうか?


No.1383 7点 エイレングラフ弁護士の事件簿
ローレンス・ブロック
(2025/04/15 17:12登録)
ネイビーブルーの地に半インチ幅のロイヤルブルーのストライプ、その片側に金色、もう一方の側に若草色の細かい縁取りが入ったネクタイ

これがエイレングラフ弁護士の「勝利」のネクタイ。
エイレングラフの「推定」は、自分の依頼人はすべて無実。どんなに決定的な有罪の証拠があったとしても。依頼料は常識外れの額だがすべてコミコミの成功報酬のみ...悪徳弁護士という言葉では足りない「悪魔の弁護士」エイレングラフの活躍を描く連作シリーズ!

その昔のミステリ雑誌でお馴染みだったエイレングラフ弁護士シリーズがようやく本としてまとまった。いや~大好きでした。エイレングラフが取るエゲツない対抗措置が見ものだけど、いや、実はこれってシリーズ化するのが大変なんだよね。ネタ自体は「なるほど」とはなるんだけど一発ネタに近いから、全12作と言うことで、「マンネリ」をどう回避するのか?が一番の注目ポイントだと思う。これをうまく変化を付けて処理できているからこそ、シリーズとして成立していると思う。力業と言えばまさに力業。

だけど、ブロックってマット・スカダーや泥棒バーニーで有名になった人で、長編の日本紹介は1980年くらいからだから最近の作家というイメージがあるんだけども、実は実はの早熟かつ長期間活躍した作家のわけで、デビューは22歳・1960年のこと。同姓のロバート・ブロックとも近い早熟っぷりでもあるな。シリーズ第一作はダネイが気に入ってEQMMに採用したというくらい。

色々な意味で、すごい。


No.1382 6点 夜の熱気の中で
チェスター・ハイムズ
(2025/04/09 22:06登録)
さてジョン・ボールの「夜の熱気の中で」に引き続いて本作。ジョン・ボールの原題は In the Heat of the Night で、本作は The Heat's on なので、後発でもある本作が「わざと」訳題をカブせたわけだ。そうしたくなる気持ち、わかるよ。続けて読んだからね(苦笑)

火災報知機を押して消防車を呼び寄せた黒人少年ピンキー。やや頭がヨワいとされる白子の巨人である。なぜピンキーは偽の火事を通報したのか?この件で棺桶エドと墓掘りジョーンズのコンビは、どさくさでピンキーに踏み殺された売人の死の責任を取らされて、職務停止にされてしまう...アフリカに向けて旅立つ準備をするピンキーの養父とその若い後妻、秘かな愛人である「アフリカ人」を巡るトラブル...それは詳細不明な「宝」を巡るもののようで、ピンキーの伯母で祈祷師兼バイニンのシスター・ヘブンリー、そのヒモのアンクル・セイントといった怪人物が争奪戦に加わり、苛烈な殺し合いが始まる...この中で撃たれた墓掘りの命は?

こんな話。重態の墓掘りの分も担おうと棺桶が、コンビの代名詞でもある墓掘り愛用の38口径リボルバーを借りて、単身命をマトに「ヘロイン中毒者の巣」を巡り歩くあたりなど、ちょいと泣かせる。そのために棺桶が自分の武装を整えるシーンが、言うまでもないがハードボイルドな良さがあってシビれるな。

ショルダー・スリングは、衣装箪笥の扉の裏のクギにかけたあった。銀メッキした特製の、銃身の長い、38口径のリボルバー、ハーレムでだれ知らぬ者のないこの銃が、スリングにおさまっている。彼はそれを抜き出して、真鍮をかぶせた五発の弾を手速くはじき出しながら、弾巣を回転させた。そしてきれいに拭って油をさし、ふたたび弾をこめた。五発目は、アメリカ陸軍規格の曳光弾と交換した。そして撃鉄と向かいあった薬室は、悪党を銃把でなぐったときなど、そのはずみで暴発しないように、わざと空にしておいた。

引用が長くなったが、こういう描写がカッコいい。まあ、いろいろな悪党たちがそれぞれの思惑で動きまわるし、ハードボイルドに心理描写を排して客観描写でいろいろな視点に飛び回って描写するために、全体の把握がかなり難しかったりする。これが難かな。


No.1381 5点 夜の熱気の中で
ジョン・ボール
(2025/04/07 16:55登録)
黒人探偵といえば、60年代後半から何人か登場したわけで、タイディマンの「黒いジャガー」シャフト、ハイムズの棺桶エドと墓掘りジョーンズ、そして本作のヴァージル・ティップスということになるのだが....やはり今のサブカル的影響力という面では、ブラック・ムーヴィーと連動するかたちで、シャフトが一頭地抜いていると思われる。
まあ棺桶墓掘りコンビでも「ロールスロイスと銀の銃」が映画になっているし、本作なら「夜の大捜査線」というわけで、黒人探偵モノ自体が、公民権運動・ブラックパワーとの関連でこの時期に出てきたことになる。

とはいえね、棺桶墓掘りならフランス在住の黒人作家であり、シャフトなら名義が脚本家で白人だが、事実上黒人監督との白黒合作と呼ぶべきだろう。としてみると白人作家・監督・脚本家の本作が「白人に都合のいい黒人ヒーロー」として顧みられなくなったのもむべなるかな。さらにイマドキ「意識高いw」で「代表性」とか言い出したら、話がヤヤコしくって仕方がないや....

というわけで、日本での「黒人探偵」の決定打として本作の名前が挙がるのは、他の2組の扱いがハードボイルドになるにもかかわらず、本作は「本格」カテゴリーに入るという、日本の特殊な状況があるということも考えにいれておくべきだ。とはいえ...う~ん、「黒いホームズ」的なことをしようと頑張ってはいるのだが、さほど成功しているとも思えないあたりが、困ったところだろう。
偏見と友情という無難なラインでまとめているわけで、そういう「微温性」が、やはりサブカル的な面白さとして生命を保つというわけにもいかなかったと見るべきか。


No.1380 6点 飛石を渡れば
一色さゆり
(2025/04/05 09:38登録)
「嘘をつく器」が茶道ミステリとして優秀だったこともあって、読んでみようか。
だけどね、本作は裏千家のギョーカイ誌「淡交」に1年間連載されたあと、中編「飛石を渡れば」を追加した短編集。茶道小説なのは間違いないが、ミステリかどうか最初から?ではある。

冒頭の中編「飛石を渡れば」は不動産会社勤務の主人公星那が、祖母の中川修子の茶室付きの家を片付けようと考えつつ、新しく祖母が嗜んでいた茶道を習いだす話。いやだからこの中編を読み終えた時点では、「ミステリの祭典」的には扱うのはどうか?と思っていたんだ。

しかしその後に続く12の短めの短編(連載分)を読んで、気が変わった。要するに、この中川修子の周囲を描いた12の短編の後に、「修子没後」の話として中編を構成し、おそらくは12の短編もそれに合わせて調整しなおしたというような経緯なのだと思う。というわけで、単なる「人物再登場」ではなくて、それぞれの人物の関わり合いが「謎解き」といった印象で絡み合って、ミステリ的興味というものがちゃんと、あるという結論になったのだ。

中編でのキーアイテムになるのが、中川家の女性に伝わる金継をした柔和な印象の茶碗。この茶碗が割れた経緯や金継をした陶芸家夫婦の縁が、そして干支を離れた虎の絵が正月に掛けられた暗示から何組かの夫婦の微妙な関係が描かれて、アクセントとして機能している。

だったら「日常の謎」とでもいうべき作品なのかな、と「本サイトでも扱っていい」という結論になった。

やはり「ミステリ作家はミステリ作家」というべきなんだろう。
(そういや去年はみうらじゅんが連載持ってた...「淡交」おそるべし)


No.1379 7点 ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
J・K・ローリング
(2025/04/04 11:52登録)
さてハリポタ3作目。この頃にはブームが到来していたことになる。
前2作は確か漫喫で読んだのだが、これは買った記憶がある。当時に買ったハリポタ単行本は場所塞ぎなので、全部図書館に寄贈してしまった。お役に立っていることだろう。

当時はあまり印象がよくなかったな。やはり終盤の大逆転を可能したグッズがチート過ぎてアンフェアに感じたのと、スネイプ視点だと「いじめ」と呼ばれても仕方のないくらいのことを親世代がしていたせいだろう。まあだからこの印象がどこまで再読で変わるか?というのが興味深かった。あのチートグッズは確かに「矛盾がでざるを得ないし、ゲームバランスを崩す」と皆がツッコむものであることは否定できない。

再読の印象としては、なかなか緻密に組み立てられていて、矛盾の悪印象は薄れた。この話のキーワードは「保護者」なんだ。「エクスペクト・パトローナム」ってまさにそういう意味であり、だからこそ「賢者の石」で「みぞの鏡」にハリーがハマりかけたことも一種の伏線みたいに機能しているんだと思うよ。そういう情感をいいところで仕込んであるのが、児童文学にも謎解きにも収まらない「作品の幅」みたいなものになっていると思う。

(「忍びの地図」のチート度もすさまじいことにも気づく(苦笑)がこのチートグッズっぷりは次の「炎のゴブレット」で真価を発揮するんだ。そういえば過去の事件の真相って「テ〇〇〇〇のパ〇〇〇」だよね...)


No.1378 5点 法廷外裁判
ヘンリー・セシル
(2025/04/01 21:18登録)
苦手感の強いヘンリー・セシル。でも昔読んだこともあるから、再読リストに載っている。終身刑の判決を受けた主人公が、脱獄して判事の家を占拠して、関係者をすべて招集して裁判をやり直す話。クイーンの「ガラスの村」に近いけど、あれほど無茶苦茶裁判ではない(クイーンはいろいろ狙ってムチャしているのが凄い)。

で評者の苦手感の理由は、やはりこの人のユーモアセンスが評者にはまったく合わないんだな。笑わせるところで全然おかしくない。だからか戦前派作家だと思ってたのだが、実は戦後デビュー。本作も1959年作品。まあ、生まれは1902年で弁護士生活を経て40代なかばに「メルトン先生」で作家デビュー。1977年まで作品を出しているよ。

でミステリとしては、この私的裁判でのポイントは細かいものだが、これはまあまあか。しかし、大枠の真相は何か馬鹿にされたような気にもなる。「嘘アレルギー」というお笑い込みのポイントを生かしている、といえばそうなのかもしれないが...

まああと「判事に保釈なし」はやる予定。


No.1377 6点 メランコリイの妙薬
レイ・ブラッドベリ
(2025/04/01 15:21登録)
ブラッドベリって「すごい!」とは思うけど、評者は「好き」とはならない作家だったりする。少数派かな。何となくその理由というのも了解しかけてきた。

いやある意味ブラッドベリって「異色作家」らしい切れ味の作家ではないんだよね。「切れ味」のシンプルさではなく、矛盾する方向に引き裂かれて読後ハタと当惑しつつ「じわじわと感じる」タイプの作家だろう。

一年中雨が降り続く惑星金星の子供たち。七年ぶりに晴れ間が見え太陽が見えるという予報があり、子どもたちは太陽を見るのを待ちわびていた。

太陽は花だとわたしは思います。
一時間だけ、ひらく花です。

この詩を書いて太陽を待ちわびた少女マーゴウ。しかし、最近金星に移民してきたマーゴウは同級生から孤立しており、やっかみから貴重な「太陽の時間」のあいだじゅう、戸棚に閉じ込められてしまう....

「すべての夏をこの一日に」はこんな話。この短編集ではベストと思う。
センチメントを超えた感覚の「爆発」、絵画的な描写力が凄すぎて圧倒されるのだが、これをイジメを背景にした「こころの痛み」と一緒に語る。この矛盾がやはりブラッドベリなんだろう。太陽による束の間の解放とそれを奪われた少女の痛み。感覚と感情が矛盾する中間で宙ぶらりんに立ち尽くす姿。これがブラッドベリ独特の「ムード」とでも呼ぶべきものなのだろうか。
都会的なポオ的な幻想には、周到なまでにトムソーヤー的な野人が異を唱えるべく待ち構えている。火星に圧倒される開拓者地球人は、知らず知らずのうちに「火星人」に自身が「侵略」されていく「金色の目」の逆説。

こんなムードの「矛盾」がブラッドベリらしさのように感じる。

(まあ素直に宇宙旅行をクリスマスストーリーにした「贈りもの」みたいな作品もあるんだけどもねえ。あ、あと砂浜で無心に砂絵を描くピカソに遭遇する「穏やかな一日」はいいな)


No.1376 7点 メグレの財布を掏った男
ジョルジュ・シムノン
(2025/03/31 10:59登録)
通勤途中のメグレは、バスの中で尻ポケットの財布を若い男にスリ取られた...「プロの仕業ではない」とメグレは諦めていたが、財布はメグレの元に郵送で送り返された。そして犯人からの電話。誘い出されたメグレは、その男と同行してその妻の他殺死体に遭遇する...

こんな導入。この若い男リカンが属する、映画プロデューサーの取り巻きグループと、彼らが集う元スタントマン経営のビストロが舞台。早い話、映画周辺のボヘミアングループの話で、なかなか男女関係も乱れている(苦笑)このリカン、自称ジャーナリスト、コントやシナリオを書いて持ち込んだり、映画監督になろうと売り込んだりする男。住むアパートといえば、床が黒、壁が赤、家具が白と塗り分けられていて、少なくとも「アーチストを気取っている」というのは伝わる。才能はというと、「天才」と評価する声もあれば、「ただの出世欲だけ」と評する声も。メグレとの遭遇についても「不安定さ」だけは確か。

ミステリは一般に「優れたアーチスト」を登場させるのが難しいジャンルでもある。描くのが難しい上に意味ないからね(苦笑)なんだけども、本作、ミステリ的というよりも、シムノン論的にとても面白い作品なので、バレを厭わずにちょっと書きたい。

(バレるかも)
というのか、本作のリカンって、初期の有名作の有名犯人をリライトしたようなキャラなんだ。その有名作では「若さ」についてのめり込むような熱気があって、青年期の終わりを迎えたシムノンの「青春の決算」とでも言いたいようなパッションが伝わる作品でもある。本作執筆は63歳。メグレ後期というか、末期に入りかかるくらいの時期。ここであえての「青春」を取り上げているわけだ。

奴は理想主義者だったんだな。理想どおりの生活ができなかった哀れな理想主義者だったんだ。

本作がある意味、自己を投影して描いた有名犯人についての、シムノンの人生をかけた最終結論のようにも思われる。
こんな「再論」というべき作品があるというのも、長く続くシリーズものならではの奥深い話だ。


No.1375 7点 マクベス夫人症の男
レックス・スタウト
(2025/03/30 09:45登録)
原著1973年刊、翻訳は1983年。最後から1つ前のネロ・ウルフでも最末期の作品。ヒッピーとかパレスチナ問題とかウーマンリブだとか、そんな単語が出てきたりするし、事件自体、航空会社の社内で副社長のデスクに仕掛けられたブービートラップで爆死するというかなり物騒な事件(スタウトって爆弾が凶器って設定が妙に多い気がする)。そのトラップが仕掛けられた背景にLSDをウィスキーに混入するとかそんな話もある。ウルフだってしっかりと「サザエさん時空」に突入している。依頼者はMLBのファンでアーチーと、トム・シーバーが投げてるTVの中継を一緒に見てたりする。

このところウルフの事務所は依頼が少なくて、経営が四苦八苦になっていて、アーチーが積極的に「お客」を取りに行くところとか、読者を喜ばせるギミックがいろいろあって興味深い。こう問うてみたいだろうだろう?「ウルフものって、マンネリなのか?」末期作だからこそ、振り返ってみたいのだ。

いやいや、作品ごとにそれぞれギミックみたいなものがよく考えられているのが、このシリーズなんだと思う。ウルフの娘が登場したり、ユーゴに潜入したり、FBIと対決したり、などなど作品ごとのギミックの面白さが長期シリーズとしても「マンネリ」にならずに続いてきた証拠のように思うのだ。

訳者あとがきだと「日本では不当に冷遇」と述べているが、このところの論創社からの中編集の出版でも分かるように、海外ミステリ雑誌の「呼び物中編」としてはウルフ物は重宝されてきた、という印象の方が評者は強いんだ。長編の未訳が多いのが不思議だが、中編はほぼすべて訳されている。日本でもファンに愛されたシリーズには違いないと思っている。

しかしなぜ、評論家筋に取り上げられづらいのか、といえば界隈での「トリック至上主義」みたいな「本格」の美学から外れている部分があるためだろう。本作でもそうだが、複数の人物の供述の間での微妙な齟齬・矛盾を突いて、なぜ嘘をついているのか?を追求して真相を炙り出していく経緯が、なかなかシブすぎるところも影響しているのではないか。本作あたり典型的な「ロジック派」と呼ぶべきだと思うんだ。何というのかな、人狼っぽいというのか(ウルフなだけにねw)。

「ここが凄い」と持ち上げるポイントが難しい作家なのだと思う。
でもスタウトって評者にとっては読めば読むほど「すごいな〜」と感じることが多い作家である。


No.1374 7点 日影丈吉傑作館
日影丈吉
(2025/03/26 15:00登録)
河出文庫の傑作選。

考えてみれば、日影丈吉って「戦後派」の中で、ミステリ趣味と文学性を完璧に両立した「文学派」の最上の作家かもしれない。探偵作家クラブの頃から探偵文壇の裏方をいろいろ勤めたり、フランス作品メインで翻訳をやったりと、派手な文壇中心人物でもないのだが、読後の印象ではカテゴリーから外れた「異端作家」というよりも、「文学派」の実力者という評価になりそうだ。

まあ当然「かむなぎうた」とか「狐の鶏」とかは読んでいて実力のあたりは把握しているんだけど、まとめて読んでミステリ趣向を小説にする力が傑出していると思う。「かむなぎうた」でも主人公の少年の幻想と奇抜な凶器の組み合わせの妙が、土俗的な背景の上で融合しあって「名品」と呼ぶべきものに昇華している。すごいな。

秋成で有名な「吉備津の釜」をヒネって使った同題作も、久々の水上バスから子供の頃のふしぎな記憶を介在させて間一髪で犯罪の犠牲になるのを回避する、サスペンスフルな話。文学的な元ネタを背景に少年時のイメージを重ねて膨らませて..という丁寧なプロセスに敬服する。

だから確かに凄いけど、職人的なうまさ、が前面に出過ぎるのかもしれない。
そうしてみると真正面のファンタジーになる「泥列車」あたりは、「うまさ」が必ずしも作品としての独自性として花開かない恨みがあるようにも感じる。
いやいやそれでも、この人評判のいい長編がいくつもある。ちょっと気を付けて読むようにしたいなあ。

収録「かむなぎうた」「東天紅」「彼岸まいり」「ねじれた輪」「食人鬼」「吉備津の釜」「消えた家」「天王寺」「夢ばか」「人形つかい」「ひこばえ」「泥列車」「明治吸血鬼」
「彼岸参り」は月を墓地として使うアイデアのSF。「食人鬼」は戦争末期の南方で、飢餓からの食人の噂に追い詰められる話。「天王寺」「夢ばか」はショートショート。「人形つかい」「ひこばえ」はモダンな怪談。「明治吸血鬼」はハイカラ右京の一編。
傑作選だけあって、バラエティ豊か。それぞれ高レベル。


No.1373 6点 九人と死で十人だ
カーター・ディクスン
(2025/03/25 16:30登録)
カーの第3期でまとまりよくリーダビリティのいい作品。戦時中の灯火管制輸送船でのクローズトサークルもので、設定の特異さが楽しい。ミステリとしては、たしかに犯人の予定通りにいかずに謎が謎を呼ぶモダン・ディティクティヴだよね。

指紋の謎については、どこかで読んだ覚えもあって「これ?」と疑いながらは読んでた。まあだけど、本当に見逃すかなあ、というのは昔から感じていた疑問ではある。そして、この指紋が引き起こす矛盾が気にはなっていたから、それがすっきり解決するのがいいあたり。本作を高く評価する人がいるのは頷ける。

そういえばさあ、タイトルがちょっとしたヒッカケにはなっているよね(苦笑、9人と4人なら13人、かもよw)

(本作ではHMのドタバタっぷりは控えめ。ヴァレリーくんのツンデレっぷりはやや不発かな。でもエステル・ジサ・ベイ夫人の蓮っ葉でも愛嬌のあるキャラは好き)


No.1372 6点 怒りっぽい女
E・S・ガードナー
(2025/03/24 17:37登録)
そういえば「E. S. ガードナーの「ペリー・メイスン」 絶滅の謎」という論文をネットで見つけたよ。ある意味「読めば、分かる(面白い)」を体現したシリーズであるにもかかわらず、現在日米ともに電子書籍以外では現役本がほぼ絶滅している状況にあることについて考察したものなんだ。
いやミステリマニアの立場では、「当世流ペリー・メイスンの読み方」というようなことを、しっかり考え直すことの方が、大事なのではないのかとか思うのだ。

というわけで第二作。初の法廷場面あり。ハヤカワでは「怒りっぽい女」だが、「すねた娘」の創元が訳題では圧勝。ヒロインで依頼人のフランセスの甘え切った「すねた娘」っぷりが、まさに「まんま」。それをかばって嘘自白をしたがるロミオとか、今じゃ阿呆呼ばわりされても仕方ないが、昭和エンタメ感を盛り上げる(苦笑)
でなんだが、一応「ミステリらしい」仕掛けもある。しかし、ぺリイ・メイスンの「読み方」は、揃ったデータから静的に推理するのを楽しむものではなくて、ダイナミックな法廷駆け引きの中で推理内容をどう「武器化」するのか、というあたりを想像しながら読むということだろう。メイスンが「何を狙っているか」がホントに大事で、これを割ってしまうとつまらない。だからこそ、ポイントを際立てるためにメイスンの意図を探る「質問役」が要るわけだ。今回これが見習い弁護士フランク・エヴァリーくん。しかし、ちょっとばかり役者が不足。実際、デラくんとかドレイクくんとかで十分な気もするから、フランクくんはフェードアウトしたのだろう。

勿論ペリーメイスンで描かれる「ボクシングみたいな」アメリカの刑事裁判という日本の常識からやや外れた「珍しい」話の興味と、メイスンが活用して見せる特殊なルールに対する「あこがれ」みたいなものが、日本の読者にはあったんだろう。メイスンが勝つに決まってるんだもん、無責任に楽しめるちょっとした「背のび感」を持った読書体験だったともおもうのだ。
まあだけど本作はミステリっぽいと言えば大変ミステリっぽい話。仕掛けがメイスンの法廷闘争に噛み合っているのがナイス。

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