| クリスティ再読さんの登録情報 | |
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| 平均点:6.38点 | 書評数:1636件 |
| No.1616 | 7点 | ママは何でも知っている ジェームズ・ヤッフェ |
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(2026/07/19 08:42登録) よく「安楽椅子探偵」と呼ばれる短編連作でも代表的なものの一つ。 ママは刑事の息子夫婦が金曜夜に訪れてくるのをもてなすが、息子が語る事件の相談を受けたら、いくつかの質問を挟みつつ、身近な人の例を引いて人間性について語りつつ、鮮やかに事件を解明してみせる.. そんな枠組みの物語。個人的には「ママが泣いた」「ママ、アリアを唱う」「ママは憶えている」辺りがいいかな。 興味深いのはこれがユダヤ系移民の話だということ。ママはイディッシュ語丸出しで、ママのさらにママが活躍した思い出話も含む「ママは憶えている」では、ポグロムをやり過ごすために戸棚に隠れていた、なんて話も出てくる。語り手の息子の妻は名門バッサ―女子大出身で心理学専攻だそうだが、ママの人生経験と観察眼には手も足も出ない。「ママは憶えている」がそんな家族の物語として、妙に心にしみるところもあるんだ。 で思うんだが、こういう「安楽椅子」系作品を書いて名を馳せた作家、ケメルマン・アシモフ・ヤッフェといった人たちは、すべてユダヤ系であり、発表舞台となったものEQMMで、仕掛人であるクイーンもユダヤ系、というのが興味深いところだ。クイーン自身も同趣向で「パズル・クラブ」作品を書いていたりするからねえ。とくにこの「ブロンクスのママ」は親子の親密さみたいなもの、家族の感情が大きなテーマになっていて、狭いコミュニティの感情みたいなものが、謎解きを越えた共通点になっているのかな?というような気がしなくもないんだ。 まあだから、安楽椅子探偵の元祖が「隅の老人」だザレスキー公爵だ、といったあたりは頭から追い出して、クイーンが仕掛人になったEQMMというコミュニティで育ったジャンルと捉えても面白いのかもしれないな。 |
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| No.1615 | 5点 | 殺人の棋譜 斎藤栄 |
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(2026/07/17 14:35登録) 将棋のタイトル戦と誘拐事件を並行して描き、容疑者追跡の中で巻き起こる殺人..とエンタメとしては決して悪くない。どうしても比較することになりがちな西村京太郎「天使の傷痕」よりも、派手なエンタメとして堂に入っているといえばそう。 身代金受け渡しでのセスナとVHF無線など、アウトドアな良さがある。 とはいえ、ミステリとして読むときには、登場人物が少なすぎることもあって、収まるところの予定調和に収まったようなある意味「詰まらない」ところがある。殺人の動機の推測はムリだよなあ。まあだから、本作の良いところは純粋にスリラーとしての面白さであり、狭義のミステリの面白さとはちょっと違う気がするんだ。 まあでもタイトル戦で三番勝負か。ミステリの背景で七番勝負したらダレるからね。 |
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| No.1614 | 7点 | アウターレック 小室孝太郎 |
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(2026/07/17 11:53登録) これ評者は思い出の作品なんだ。だから復刊ドットコムへの復刊リクエストもした結果、めでたく復刊..ではなく、少年ジャンプ連載でも本にしてもらえなかった因縁の作品。初の書籍化の近未来ディストピアSFである。 すでに書評がある「ワースト」は、10年に一度くらい復刊があったイメージもあるから、実はそうレアではなかったが、こっちはそもそも本になったことがない。だから評者も少年ジャンプで読んだキリ。それでも鮮明に覚えているもんだ。 今日は学校で認識番号を与えられる特別な日。やんちゃな少年タクロウが遭遇したのはこの国を統治する独裁者による洗脳教育だった...洗脳に抵抗したタクロウたちの前に現われたのは、反政府組織「地下党」の闘士アウターレックだった。このアウターレックに救われた少年たちは「地下党」に合流して地下のアジトに潜伏するが、地上では「地下党」をあぶり出すための罠が仕掛けられていた... という話。でこの洗脳教育では、独裁者が縛られたレジスタンス女性の眼を杖で引き抜くなどサイケな洗脳映画を見せられる。またアウターレックは仕込み杖をメインウェポンとして警備兵などを斬り殺していく。そんなゴア描写は少年ジャンプの域を越えて手を抜いていない。アウターレックのデザインのモデルは明白に「時計仕掛けのオレンジ」のアレックス。「時計仕掛けのオレンジ」も暴力と暴力衝動の国家管理をテーマとしたディストピアSFだからねえ。まだ学生運動の余韻が残る1973年だから、独裁国家vs反政府ゲリラとの闘争の構図で描くのは時代のなせる業でもある。 本作は人気はあったんだが、編集部との対立で打ち切り。作者の小室孝太郎はそれに強く不満をもっていたことが、晩年の「つっぱりアナーキー王」でのインタビューにも窺われる。そこで小室が述べた対立内容への疑義も本書の編者解題では示唆していたりする。 まあそれでも、大団円とはいかないながらも一応の結末には到達して物語は終わっているか。 (ひょっとして高橋葉介の「クレイジーピエロ」は本作に影響を受けているのかな?) |
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| No.1613 | 6点 | 天使の傷痕 西村京太郎 |
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(2026/07/16 22:49登録) 西村京太郎の出世作だけど、本作の乱歩賞以前にも新聞記者を主人公にした短編を書いてコンペに入賞している。それらは「報道被害」を扱ったものだから、本作のテーマとやはり連続しているんだよね。 ミステリとしてはハウダニットからホワイダニットに移る構成で、なんやかんや言って構成力とリーダビリティは完成されていると見ていい。ハウダニットの部分はあっさり。ミステリ的な仕掛けの部分はやや粗い印象。だからホワイダニットがキモの作品。 本作の動機、といっても狭い意味での動機は恐喝者の排除でしかないよ。その背景について、社会派的な問題意識がある、というタイプ。しかしね、その社会派的な問題以上に、先行する短篇と同じく「報道の倫理」の方が、今となってはずっと重要だ。woke の偽善と同じような問題で、当事者ではない、報道を含む「傍観者」が「正義感」を発揮して問題を利用する偽善に本来の焦点がある。 とはいえ、本作ではそれが追及しきれずにやや腰砕けている。「病める心」「美談崩れ」といった先行短篇の方がこの点ではよく書けていると思うよ。 (バレ) そういや「典子は、今」の主人公は評者と同い年だよ。典子さんは熊本市役所に就職してその後も活躍されているそうである。同世代の災難には違いなく、評者にも世代的に他人事ではない想いもある。 |
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| No.1612 | 8点 | パルプ チャールズ・ブコウスキー |
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(2026/07/16 15:10登録) ニック・ビレーンは史上最低の私立探偵である。 本人はスーパー探偵と称しているが、これほどいい加減な探偵は探偵小説史上類がない。 と訳者あとがきに書かれている(苦笑)一時間6ドルの格安で雇えるよwでも依頼はひっきりなし。死の貴婦人(Lady Death)は、本屋に出没するセリーヌのそっくりさんを「なしくずしの死」のセリーヌかどうかの調査を依頼するし、わけのわからない「赤い雀」を探す依頼は入るし、ビデオカメラ片手に勇んで突撃した浮気妻の現場で失敗も繰り返せば、美人の宇宙人に付きまとわれる葬儀社社員の代わりに宇宙人を引き受けたり、とやる気ない一方実は実はの大活躍(笑)をしていたりする。まさにまさに私立探偵稼業に懐疑的なフィリップ・マーロウの後継者(大笑)。 歯。まったくなんてシロモノだ。人間、食わなくちゃならん。食って、食って、また食って。みんなそれぞれチャチで汚い仕事をしょいこんで、みじめったらありゃしない。食って、屁をこいて、ボリボリ掻いて、にこにこ笑って、祝日を祝って。 とシマらないことおびただしい(ホントはもっとオゲレツな卑語連発だが、ここでは自主規制)。確かに無頼を気取ったとしても、ハードボイルド探偵なんて大昔からパロディの対象にしかならない。そんなウンザリするような現実。アメリカの無頼派代表選手たるブコウスキーの遺作となった、まさに冗談で書いたようなハードボイルド私立探偵小説である。 まあだから、プロットはあってないようなもの。ハードボイルドで私立探偵小説であることはマギレもないが、ミステリかといえば大いに疑問(大苦笑)でも読んでいて抜群に面白いのは間違いない。 「お前、いったいどういう探偵だ?」セリーヌが言った。 「LA一の名探偵」 「そうなのか?LAってなんの略だ?」 「どうしようもないケツの穴(Lost Assholes)」 |
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| No.1611 | 7点 | シシリアン オーギュスト・ル・ブルトン |
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(2026/07/14 16:01登録) 映画「シシリアン」というと、1969年のドロン・ギャバン・ヴァンチュラのフレンチ・ノワールと、1987年のチミノ監督の「ゴッドファーザー」番外編みたいなシチリアの義賊を扱ったハリウッド映画があるけど、古い方の映画原作。でこれが、セリ・ノワールの大物作家でありながら翻訳困難が災いして訳書のやたら少ないル・ブルトンの数少ない翻訳書。 ブルトンだからね、当然主人公ロジェ・サルテは、二つ名は「五月の蠅(ムーシュ)」あるいは「金曜日のプチ・グロ」と呼ばれる暗黒街(ミリュー)で名を売ったギャングである。このムーシュはあえなくギャング特捜隊を指揮するル・ゴフ警部に逮捕されるが、取り調べの最中に護送車から脱走した。手引きをしたのはムーシュと以前組んで仕事をしたことのある「シチリア人」のアルド・マナレーゼだった。アルドは自身の一家総出でムーシュを匿うが、ムーシュの高額切手コレクションがその対価だった。表向きは家長のサルヴァトーレに率いられるイタリア人食料品店一家。妻マリア、長男アルドとその嫁ジャンヌ、長女テレーザと夫のルイス・ボルダン、次男セルジオ...彼らは鉄の掟のマフィアの一家なのだった。コレクションが惜しいムーシュは新しい仕事をマナレーゼ一家に持ちかける。フランスからアメリカに空輸される、展示会用の宝石装飾品輸送を襲おうという計画だった。サルヴァトーレはアメリカのマフィアとも深いつながりがあり、そして、マナレーゼ一家・アメリカのマフィアのビットリオ一家・フランス人ギャングのムーシェが組んだ大仕事が幕を開ける。ジャンボ・ジェットをハイジャックして工事中のハイウェイに着陸させて逃れようという計画だった! こんな話。だから部外者ムーシュから見たマフィア、というのが作品価値。ホントに家族経営で、男も女も家長の権威とシシリアンの誇りと掟によって、強烈な団結心で動く「部族(クラン)」なのが興味深い。脱走囚ムーシュを追求するル・ゴフ警部らギャング特捜隊の追及と、進行するハイジャック計画を巡って話が進んでいく。まあ、ハイジャックも日本赤軍とか流行前だから、セキュリティ・チェックが甘々だったんだなあ(苦笑)。 言うまでもなく読みどころは、極端に短いマシンガン調の文章。 ル・ゴフとサルバトーレの視線が合った。ル・ゴフ。ブルターニュの生まれだった。神と神の教えは、生まれ落ちた時からの糧だった。石の柱に背をもたせかける。何世紀も、尖塔を支えつづけた石の円柱。背をもたせかけて、サルバトーレとマリアの姿を見送った。二人。進んで行く。老いたるシチリアの夫と妻。 これが「しっとりとした」最終場面。そういうあたりがセリ・ノワールという文芸のエクストリームな面白さになっている。前衛小説と呼んでもいいくらい。 (アラン・ドロンくらいサングラスの似合う俳優っていないな) |
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| No.1610 | 6点 | 消しゴム アラン・ロブ=グリエ |
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(2026/07/10 10:38登録) ヌーヴォーロマン、ということなんだけどもね。「嫉妬」と比べたら断然読みやすい小説。定型的なミステリのパロディと理解した方がいい。 というか、古典的なミステリの形式で探偵役の視線というのは、当然だけど登場人物たちの心理を透視するわけにはいかない。透視できたら一瞬で事件は解決だ(苦笑)だから、登場人物の外面も「もの」も視線に対して不透明な「もの」として現象せざるをえない。「もの」の表層に留まる視線の物語として、ミステリを再構成してみた、ハイブリッド小説と読むべきなんだろうな。「嫉妬」だと事実上の読み心地は三人称ハードボイルドなんだけども、本作は一人称ハードボイルドの世界だと思うんだ。 いや三人称で他の人物の心理描写もあるじゃん?という反論はあるだろうね。でもさあ、評者はあくまでヴァラスの固定視点で、その他の人物の主観描写は一部の例外(序幕と終幕のカフェ主人描写)を別にして、ヴァラスの想像に近いものとも感じるんだ。だからあれほどまでに首尾一貫していない。雰囲気的には90年代に流行ったサイコスリラー映画で空想妄想がいちいちリアルな絵で描写されるような感覚かな? そして、まさに最初の探偵かつ最初の犯人であるオイディプスへの示唆が繰り返される。フィアリングの「大時計」みたいな小説じゃないのかな? |
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| No.1609 | 8点 | 就眠儀式 福島正実 |
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(2026/07/07 18:14登録) さて「就眠儀式」は木々高太郎・須永朝彦の他にもう2冊本がある。1冊は草野比佐男という農民歌人の歌集だが、もう1冊はお馴染み福島正実のショートショート集。でもこれ、ただのショートショート集ではない。福島正実の遺作集というかたちで死後に角川文庫で出版されたのと同時に、福島正実の葬儀の香典返しとして配られた非売品が存在する。内容は、冒頭の表題作は入院直前に書きあげて「ある社内誌」に掲載されたもの。それに続く24本は生前に作者自身が選んだ自選ショートショート集。後半25本の大部分は老人向け雑誌「ケア・ライフ」に発表されたものだそうだ。 心して読むべきショートショート集だ。評者ももう若くない(というか、福島正実は47歳で亡くなっている)。まさに「死の陰の谷を歩む」が如き作品集である。 一読して感じるのは、やはり星新一との資質の違いである。おなじSFショートショートでこれほど肌触りが違うか?というほどの違いがある。星新一は一種のモラリストであり、人間心理のアヤを突き放して、科学者的と言っていいほどに価値判断を離れて「非人情」に徹して描いている。福島正実は違う。より主観的であり、モラルに対して「でも!」という控えめな抗議の声を聞き取るべきだろう。そして星が世相に超然としているのに対して、福島は世相に対するひそやかな抗議の声としてショートショートが書かれている。オチとなるSF設定はその抗議の具現化というべきだろう。 星新一も何度も終末絵図を描いたものだが、福島だと終末の日の狂宴が実は つい最近までの幻覚剤は、ありきたり他愛のないユートピア風の幻想ばかり見せるのでたちまち飽きがきてしまった。(中略)そうしたみなの要望に応えて出て来たのがいまの終末幻覚剤なのだ。 と「終末幻想は、きびしい現実が心に鬱積させた潜在意識」を解放するために働くという逆説をまさに示している。現実問題として、SFが志向する「未来学」の対蹠物は「終末論」に他ならない。だからこそ、SFと終末論はひとまわりして重なり合う。 しかし、そのSF世界の「終末論」とは、まさに死に向かう者の「自己の終末論」に反転する。冒頭の遺作「就眠儀式」はまさに自己の終末を「就眠儀式」として繰り返す話。「きれいに死ぬ」思いでこまごまとした身の回りを片付け、ガスホースを抱くことを自身の就眠儀式とする女、そしてそれを見抜くかのように「お願い、死なないでくれ」と詫びるように金を渡す男は、それを男自身の「就眠儀式」と捉える。 死んだ人は、生き残った者を軽蔑しているわ。 これがまさに終末論が作り出す透視図法なのである。 |
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| No.1608 | 5点 | 音楽 三島由紀夫 |
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(2026/07/06 20:47登録) 評者は精神分析嫌いを自認しているわけだけど、本作は三島が精神分析をネタにして書いた(というか組み立てた)エンタメ。そういや昔、荻野恒一「現存在分析」とか読んだことあったなあ。 「音楽が聞こえない」と不感症を訴える女性と精神分析医の攻防を描くわけだから、若干のミステリ的な興味があるのは間違いない。二転三転するから、プロット的にはアヤがついていてエンタメとしてはそう悪くはない。まあだけど、三島由紀夫的には「多分、できる」と思って抽象的に組み立ててみて、そこそこの出来で、「なるほど」とそこで興味を失って放り出したような印象。 要するに精神分析とか偉そうなことを言っても、セックスカウンセラーみたいなものなんだよ。ヒロインの男遍歴を、精神分析医が追いかけていくようなものだ。 これが増村保造監督で映画になっている。72年のATG。要するに「天使の恍惚」とか「曼荼羅」の頃だから、成人映画で事実上は文芸ポルノ。巨大なハサミに豊満なヌードの女性が悶える。そんな映画だけど、精神科医が細川俊之で明智小五郎っぽい。上から目線でなんか偉そうに追求するあたりに共通点がある、ということにならないかな?駄作は承知の上、大爆笑しながら鑑賞。増村保造っていろいろとヘンタイな趣味がある監督だなあ(苦笑) |
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| No.1607 | 7点 | 花のない葬礼 レックス・スタウト |
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(2026/07/06 09:59登録) 論創社中編集「黒い蘭」をしたついで。「黒い蘭」には「献花無用」のタイトルで旧訳の「花のない葬礼」が収録されているのだが、この電子書籍では「イースター・パレード」との合本。で、「イースター・パレード」は論創社中編集では出ていないので、電子書籍でも取り上げる意味があるか。まあ評者が今回読んだのは「EQ No.57」なんだが、同じ大村美根子訳である。なので表題に反してここでは「イースター・パレード」だけの書評となる。 イースター・パレードといえばさあ、 On the avenue, Fifth Avenue, the photographers will snap us ガーランド&アステアのMGMミュージカル映画だ。この映画のラストシーンで描かれるように、復活祭の日に華やかな帽子をかぶり盛装した紳士淑女が練り歩くイベントが背景となる。この歌詞がまさにその通りで、5番街には見物や写真を撮ろうとするカメラマンも押し寄せる...ウルフのライバルの蘭愛好家、バイノーが新たに作出した「ピンクフラミンゴ色のヴァンダ」という珍しいランの花を、バイノー夫人がつけてイースター・パレードに参加することを許した。ウルフはこれが羨ましくてどうしようもない。 グッドウィンさん、わたしはきみの好意にすがりたい とランの奪取という内緒の悪事(笑)をウルフはアーチーに頼み込む。しかし、そのイースターパレードの最中に、バイノー夫人は毒針に刺されて殺された!毒針はカメラから発射されたのでは? というなかなか派手な話。やや長めの短編、といったくらいのもので、中編かというと微妙。それでも関係者全員を集めた中で写真を使った謎解き。手がかり開示という面でフェアというわけではないが、それでもウルフ&アーチーらしい楽しさ全開のお話。まあウルフ&アーチーに今回は後ろ暗い経緯があるから、殺人事件捜査の依頼を受けても、内心四苦八苦するあたりが今回のギミックといった感覚で楽しい。蘭がらみの話なんだから、「黒い蘭」に入っていてもよかったのになあ。 |
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| No.1606 | 8点 | 須永朝彦小説選 須永朝彦 |
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(2026/07/05 22:35登録) 鳥兜、闘牛、熟眠(うまい)、インヘルノ、呪ひ、皮膚、笛、エヴァ、ヴァムパイア... これが就眠儀式の呪文。 ミステリマニアにとって「就眠儀式」というと、木々高太郎のフロイト丸出しの短編だけども、別の「就眠儀式」、それも「耽美小説の聖典」とまで呼ばれるものがある。 60年代末〜70年代初頭に、ハマープロ「吸血鬼ドラキュラ」がきっかけとはなったけども、世界的な「吸血鬼ブーム」があった。日本ではそれがハイブラウな方向に逸走して、三島由紀夫・澁澤龍彦・種村季弘・平井呈一など錚々たる人々による「血と薔薇」などに結実した動きがあり、これが幻想文学の大きな分水嶺となっている。その一方で、幻想文学のもう一つの流れもこれに棹さしている。中井英夫・塚本邦雄といった方向性の俊英として登場したのが、この須永朝彦で、日本の吸血鬼小説の一つの典型となっているのが、このアンソロにも大部分を収録した「就眠儀式」である。 要するに「耽美」な方向性である。まさに「ポーの一族」の世界。この吸血鬼は、退治されるモンスターではなく、同性愛的に美青年を犠牲にしつつ時を超えて旅をする不死人である。 この須永朝彦の小説世界というのは、かなり極端なものである。濃密な文章の文庫3ページほどの掌編が多数を占めている。そして頻繁に和歌が添えられていたりして、あたかも「伊勢物語」のような歌物語を読むかのようである。しかし登場するのは古城・チェンバロ・金髪碧眼の美青年・吸血鬼・闘牛・天使といったバタくさいにも程があるロマンの華。吸血鬼をテーマとする「就眠儀式」、天使を主題とする「天使」も確かに「耽美の聖典」と呼ばれるに十分な内容である。 しかし、70年代中盤に書かれたが、独立の単行本にはならなかった「聖家族」のシリーズがやはり一等地抜けている。 白系露西亜亡命貴族の息子だが宝石専門の盗賊となった父。その面影を子はバットマンに求める...いやこれは空想。現実の父は落雁が好物の俗っぽい俳人。母はいい年をして雛祭りに執着し、桃の花の淫蕩さに子は顔を顰める。そんな「聖家族」。このリアルと幻想の近親相姦劇。 この作家の描くものは、全てどこかしら「ありえなかった自伝」の面影がある。 (赤江瀑がアリならこの人オーケーじゃないかな?蘭をテーマにした「蘭の祝福」ではネロ・ウルフとか「大いなる眠り」が参照されるし、この本の最後「青い箱と銀色のお化け」は、あの世で乱歩生誕百年祭を、乱歩が谷崎潤一郎と佐藤春夫に祝ってもらう席に、稲垣足穂が乱入する戯作。皮肉な味に大笑いだが、乱歩の新進時代の先輩作家に対する愛憎が見えてミステリ史的にも面白い) |
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| No.1605 | 5点 | 22世紀の酔っぱらい フレデリック・ポール |
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(2026/07/04 17:59登録) 長く活躍したSF作家&編集者だそうだ(評者はあまり明るくない)。 22世紀。少数の大学人と多数の都市人が分離して暮らす世界。その大学で数学を教えるコーナットは理由不明の自殺衝動に悩まされていたが、間一髪で助かるのが続く。大学に蔓延する「自殺病」に感染したかのようなこの流行のさ中、学術調査隊が南海の孤島から原住民を連れ帰る企画にコーナットは参加する。しかし、その原住民たちが感染源となったと思しい天然痘が流行しはじめる.... いやいや、こんな筋書きだと、世界終末SFにしかならないんだけども、実は「軽妙なタッチで描くユーモアSF」ということになっている。確かに筆致は深刻ではないし、そのスリラー仕立ての異常現象の「謎」の解明も一応あったりする。 たとえばこの22世紀の大学で教えられている数学が、高校レベルの話(二項定理とかねえ)だったり、それを暗記用の歌で覚えるとか、何かバカみたいだ(苦笑)そして南海の原住民は、第二次大戦の日本兵の末裔とかそういう話で、家柄と立場によって、大尉・兵長・上等兵といった階級名がついている。また精神攻撃への対抗手段がとにかく酒を飲んで酔っ払うこととか、酔歩(ランダム・ウォーク)がちょっとしたキーになっているとか、そういう仕掛けがあったりする。 う~ん、マジメかお笑いかよく分からない奇妙な芸風。タイトルはソソるんだがなあ。こんな評価で勘弁して。 |
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| No.1604 | 6点 | 黒い蘭―ネロ・ウルフの事件簿 レックス・スタウト |
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(2026/07/03 16:16登録) その昔「EQ」みたいな海外ミステリ雑誌だと、巻末ビッグボーナスと銘打って、ネロ・ウルフの中編がよく載っていたものだよ。適当な長さと貫目があって、お馴染みキャラでクオリティも一定しているわけだから、編集者はホント重宝したろうなあ。評者とかはネロ・ウルフ中編って親しみがあるよ。 だからネロ・ウルフ長編は未訳が山のようにあっても、実は中編の未訳はそんなになかったわけだ。ここにきて論創社で中編集が立て続けに出たことで、ほぼ未訳はなくなってきているんじゃないのかな。でその論創社の中編集第一弾である。 「黒い蘭」。フラワーショーに出展されたライバル蘭栽培家が出展した「黒い蘭」を、そのフラワーショーの余興舞台で起きた殺人事件解決にからめて、ウルフがせしめる話(苦笑)。どうしても「黒い蘭」が見たいウルフは、重い腰をあげてフラワーショーにまで光臨するのがギミック。150ページほどでやや長め。 「献花無用」。ウルフの親友でシェフのマルコの恩人にかかった殺人容疑を晴らすために、「友情の還付」としてマルコの依頼を受ける。チェーンレストランの未亡人経営者の夫に居座った男と家族の対立が、この事件の背景にあった... 「ニセモノは殺人のはじまり」。役者たちのために気前よく下宿を運営するハッティーが巻き込まれたニセ札事件は殺人に発展。ニセ札を追う財務省秘密検察局・クレイマー警部との三つ巴に介入するウルフ。 というあたりで、ウルフ&アーチ―の活躍を存分に楽しめる3作。長編だとさらに二波瀾くらいあるのだけど、中編はシンプルに事件に集中できる良さがある。ウルフものの良さはやはり中編に凝縮されているようにも感じるな。事件はシンプルでも、ウルフがやる駆け引きの妙が主眼になるから、その分「らしさ」はじっくり楽しめるというものだ。 今回どうかな、ハッティ―のキャラの楽しさが一番印象に残るから「ニセモノは殺人のはじまり」が一番いいかな。出来不出来の少ないシリーズではあるし、中編は特にそう。ならば、当時の読者が歓迎したのも当然というものだよ。 |
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| No.1603 | 5点 | マークスの山 高村薫 |
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(2026/07/01 15:32登録) 大変な力作だとは思うんだ。 でもねえ、複数の小説を無理に合体したような不思議なところがどうにも気になる。直木賞の選評でも「選考委員が異口同音に言ったように、欠点の多い作品だった」と実際言われている。連続殺人を行ったマークスの活躍っぷりが超人的でもあるし、また動機も今一つ納得いかない。いや評者、異常心理ものにリアリティを感じない傾向もあるよ。 あと、捜査陣の仲の悪さ!こんなチーム、ホントにあったら、空中分解するよ...というか、合田雄一郎が神経質になり過ぎていて、被害妄想に陥っているんじゃなかろうか(苦笑)実際の捜査が複数の組織の寄り合い所帯で行われているんであろうことは、確かに本作の描写の通りなんだろう。普通のミステリではそこらへんを余計なノイズとして切り捨てて、シンプルに機能ベースで抽象化して描いているのであろうことは、「小説のウソ」として許容すべきなんだと思うんだ。事件の背景には、宮家との縁もある名家からの圧力がかかったり、作中であまりツッコまれない建設会社の不正行為を巡る地検特捜部との対立やらがあるようだけども、これがこの小説内で機能しているか、というと違う。 社会派、というにはどうも焦点が絞り切れていないんだな。だから、刑務所と精神病院を行ったり来たりする異常者マークスの、わけのわからない犯罪に警察が振り回される小説、という印象が掛値のないあたりではないか。いやマークスがしたいのは復讐?いやいやタダの恐喝?目的も絞られていないが、妙に「ツイて」いてこれだけの捜査を掻い潜って逃亡してしまう。狡猾というわけでもない。だから直木賞の選評で井上ひさしが この作品で作者は、真知子という善悪をはるかに超えた「人生の泥と涙にまみれて人を愛する女」を創造し、読者との関係をしっかりと付けた。彼女の愛は、推理小説だの警察小説だのといった狭い枠を越えて、はるか普遍の愛にまで達している。 というのは、何かピントのハズレた感想のように感じるんだ。いや、全体的にヘンな迫力があるのは事実で、キャラの書き込みが鬱陶しいくらいに細かい。だから「人間が描けている」という決まり文句を介して、批評家が食いつきやすいんだ。 ドライサーとヘミングウェイ、どっちが人間が描けているか、といえば評者は断固ヘミングウェイだと思う。だから本作を「ハードボイルド化」したあたりに、新しい警察小説が登場してくるのかもしれないな。 |
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| No.1602 | 6点 | 離愁 ジョルジュ・シムノン |
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(2026/06/28 14:04登録) さてシムノン未読も少なくなってきたが、本作は映画はトランティニャンとロミー・シュナイダーで有名作。評判がいいので思わずDVDをゲットしたので、のちに追記することにする。ミステリ色はかなり薄いけど、ラストシーンを深読みすると、ひょっとしてミステリかもしれない。 1940年5月、ドイツ軍はオランダとベルギーの国境を越えて、フランス国内に殺到した。ベルギー国境近くの町フュメイに住むラジオ商マルセルは、妻のジャンヌと娘のソフィーを連れてフランス南部への脱出を図る。しかし、妻子は女性用の客車に、マルセルは有蓋家畜車両に分乗することになる。軍事輸送をやり過ごす待機や敵機の空襲などを経て、車両は繋ぎ変えられて、マルセルは妻子とはぐれてしまう。マルセルが乗る車両に後で乗り込んできた女性、アンナとマルセルは男女の仲になってしまい、逃避行を共にする。フランス中西部のラ・ロシェルに到着した二人は.... シムノンはこの開戦の段階でラ・ロシェル近辺でベルギー難民の受け入れの公職についていたりするから、シムノンの実際の見聞ベースの話である。とはいえ、戦争小説であるか、というとずいぶん違って、たまたま同じ車両に乗り合わせて極限状態を共にした男女の結びつきの話。あえて「恋」とか呼びたくない。マルセルには逃避行で生き別れた妻子があり、それをラ・ロシェルでは探すのが仕事。アンナはユダヤ系チェコ人亡命者のようで、侵攻までは監獄にいたらしい。そんな男女のたまたまの遭遇と関係をえがく、けっこう機微の微妙な小説。まあシムノン、こういうあたりは親切に説明したりしない作家だからねえ。 恋でもない、不倫でもない、アヴァンチュールでもない、買春でもない、運命でもない、苦難を乗り越えた者の同志的結合でもない、憐みでもない、そういう説明しがたい男女関係だ。だから小説のラストシーンはある残酷な真相をそれとなく示している。映画は結末が違うようなので、それを楽しみにしよう。 追記:映画見た。反戦メロドラマという結末。映画だったらこれが正解だというのはよくわかる。余計なことだが、小説では主人公の母は第一次大戦の対独協力者として坊主頭にさせられた描写があるんだ。シムノンの戦時中の行動が、戦後の一時期アメリカ移住した原因にもなっているわけで、シムノンは相当屈折しているよ。 |
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| No.1601 | 6点 | 黒星博士 山中峯太郎 |
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(2026/06/27 11:13登録) 人並さんに便乗して評者もさせていただきます。 いや実に楽しく読んだww 「国事探偵」である。スパイじゃないのが素敵であり、ヴィランの黒星博士に二十面相の面影があって、なかなかの人物だ。「亜細亜の曙」の巌窟城首領も軍人らしいフェアな闘士であり、ヴィランだからとけして貶めない描写が気風のいいあたり。数々の発明から「国宝少佐」と呼ばれる緒方少佐に「アケチくん!」風の対応を取っているのがなかなかカッコイイ。「★」だけのカードを残していくんだなあ。 でこの黒星博士が盗んだ機密は、建造中の「戦艦武蔵の設計図」「電進大汽艇の模型」「磁式水雷の模型」の3つ。いや戦艦武蔵って大和級二番艦で極秘に建造されて...と思ったら、昭和9年の作。まだ史実の戦艦武蔵は建造計画も始まっていない(笑)いかにもの新戦艦のネーミングとして、付けたくなる名前だから、偶然一致したわけだ。「電進大汽艇」は説明を読むと早い話、ウクライナ戦争で大活躍中の自爆型水上ドローンだ。「磁式水雷」は相手の磁気で誘導される「百発百中の水雷」だそうだ。これはちょっと厳しいかなあ。でも設定はリアル。 脱出や追っかけが後半は特に主になるわけで、味方として特高課が出てきたりするよ(苦笑)戦前の警察・軍事・社会の「常識」で書かれたスパイスリラーだから、何というか「高い城の男」みたいなパラレルワールドSFみたいに思える時もあったりもする。そう読むと、なかなか凄い。 「亜細亜の曙」が詰め込み過ぎなのと比較すると、ジュブナイルとしてしっかり整理された読みやすさがある。またいい意味でツッコめる作品でもあるなあ。 人並さんありがとうございます。 |
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| No.1600 | 6点 | 死の競歩 ピーター・ラヴゼイ |
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(2026/06/26 17:19登録) カーでいえば「ハイチムニー荘の醜聞」がヴィクトリア朝というわけで、同じくらいの時代が舞台、というかホームズのデビュー直前期の1879年。この時期に流行した6日間耐久競歩レース「ウォッブルズ」の最中で起きた殺人! 6日間耐久で、延々と競技が続き、農業ホールのトラックをぐるぐる回って歩きぬいた累計距離の勝負。眠ったり休んだりしてもいいが、その分、差が付けられる過酷な競技。優勝候補本命は紳士階級の軍人チャドウィック大尉。対抗は下層庶民からの叩き上げのダレル。競技が始まって、2日目、凄い勢いでスパートしだしたダレルが突然けいれんを起こした...死因はストリキニーネ。この捜査にクリッブ部長刑事とサッカレイ巡査が挑む! こんな話。もちろん近代オリンピック以前のスポーツ、ということで、庶民は賞金目当てのプロとして参加するという、野蛮な部分を隠さない「見世物」の側面もあるスポーツである。だから昔は、ストリキニーネが興奮剤としても使用されていていた、というのも興味深い。ドーピングもやりたい放題だったわけだ(苦笑)もちろん、結果には皆お金を賭けてやっている。ギャンブルでもあるんだよ。イギリスだなあ、でもある。 だから殺人があったくらいでは競技中止にはならないんだ。競技続行のまま捜査は続き、そして第二の殺人も...競技の行方も、犯人探しも並行で動くのが小説として大変面白い。 近代スポーツ以前のスポーツのあり方の実録再現的な興味と、スポーツの結果、犯人探しと興味をそそる小説としての設計が優れている。 ミステリとしての充実感はさほどでもないんだけど、小説としては実に読ませるな。「ミステリの祭典」だから控えめにして6点。でももっと、面白い。 (解説でもマッコイ「彼らは廃馬を撃つ」のマラソンダンスを引き合いに出す。似たようなものだね) |
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| No.1599 | 6点 | 復讐の女神 フレドリック・ブラウン |
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(2026/06/25 20:09登録) 「まっ白な嘘」に続く1963年のミステリ短編集。2023年に「死の10パーセント」が日本オリジナル短篇集で編まれているのを別にして、生前のオリジナル短篇集で言えば、ミステリ短編集は2冊、SF短編集が4冊となってミステリの方が少ないことにはなるかな。 軽く調べたが、SF短編は戦前も戦後もブラウンは盛んに書いているけども、ミステリ短編はほぼ1940年代にしか書いていない。だから1951年に編まれた「まっ白な嘘」は最近作+過去のお気に入りで出来たベスト集みたいなものだろう。それに対してこの1963年に編まれたこの短編集は、過去のパルプ時代1940年代のアンソロという性格のもののようだ。だから明らかに時系列では「まっ白な嘘」よりも前の作品メインということになる。 だから「まっ白な嘘」と比較すると、こっちはオーソドックスにミステリしている感じが強い。その分おとなしいかな。「笑う肉屋」みたいな破天荒な作品とか実験的な作品はない。 本作だと「生命保険と火災保険」「姿なき殺人者」と、ファランクス生命保険の勧誘員ヘンリー・スミス氏活躍作を収録。パルプな味わいがあるなあ。シリーズで書いていたフシもある。「毛むくじゃらの犬」あたりは軽ハードボイルドといった感覚のものだし、中編「踊るサンドイッチ」はまさにウールリッチ調。 だから、パルプ作家ブラウンを把握するにはナイスな短編集ということになろう。才気はもちろんあって、最初からソツなく読ませる技に長けた作家だな。 個人的にはアホっぽい趣のある「すりの名人」が好き。「黒猫の謎」は改訳版の「サタン1.5世」の方がタイトルはいいかな。猫は九つの命を持つ、っていうから、復活したのか子どもなのか?を巡って意外な真相。「象と道化師」はブラウン大好きなサーカス話。エドくん第二作「三人のこびと」が楽しみになった。 |
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| No.1598 | 6点 | シカゴ・ブルース フレドリック・ブラウン |
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(2026/06/22 17:18登録) 「死にいたる火星人の扉」「アンブローズ蒐集家」とシリーズ中盤作を先にやってしまい、「しまったな、エドくんストーリーとして最初から追うんだった」と後悔したことで、シリーズ第一作に回帰することにした。 まだ18歳、見習い印刷工で、同じ職場の父ウォレスと一緒に働くエドくんが主人公。その父が夜の路地で撲殺された。この父の死によって、継母のマッジ・マッジの連れ子で生意気盛りの少女ガーティとで成立していた、エドの「家庭」は崩壊していく...いや、マッジとガーティと直接の仲たがいをしたわけではない。それぞれが結びつく理由をただただ失くしてしまったからだけなのだ。エドは父の弟アンブローズ(アム伯父)に逢いに行き、父の若き日の冒険を聞いて、実直な印刷工として働く父の意外な側面を見つける。そして、アム伯父と共にウォレスの死の真相を追求していく... こんな話。エドはナリと頭は大人と言えても、ココロはまだ子供なんだ。これが如実に伝わってくるのがブラウンの筆力。バーに行って酒を飲むのもまだビクビクもののエド君だから、アム伯父はエドにとっての「大人の世界への案内人」でもある。人間関係にしっとりとしたリアルがあって、これが読みどころ。 最後の方にはヤクザの情婦としっぽりと... ここらへん「手斧が首を切りにきた」と共通するテイストだ。あっちが本作のリライトみたいな側面があるんだね。 ミステリとしては特筆するところはないといえばはない。風俗ミステリといえばその通り。でも小説としてはナイスだ。 高層ビル最上階のバーで、アム伯父がエドに、シカゴの街を「でっかい低俗なキャバレー(fabulous clipjoint)」として示すことから原題が来ている。このでっかいが金次第のボッタくり酒場という「世間」に、エド君は乗り出していくのである。 |
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| No.1597 | 6点 | 亜細亜の曙 山中峯太郎 |
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(2026/06/18 22:51登録) なんとなく気になって読んでみた。 三一書房「少年小説体系」なので、余裕があったら人並さんオススメな「黒星博士」もするかもね。 月報に横田順彌氏が一文を寄せていて「現代世界でジェームズ・ボンドがやっていることは、もうとっくのむかしに、本郷義昭がやっているのだ」とまで書いているよ(苦笑)いや本当にやっていることは和製007。潜入して捕えられて、敵の首領との駆け引きの中で脱出の機会を窺う話。敵は⚪︎国が南洋に築いた、恐怖鉄塔を擁する巌窟城に立て籠る怪傑。対する本郷義昭は中国人に化けて潜入するが、その絶大な能力がバレて身元を暴かれる(苦笑)ボンドガールはいないが、同じく恐怖鉄塔に囚われの身のインドの黒人王子ルイカールが相棒。この巌窟城は日本進攻のための軍事拠点であり、毒ガス工場もあったりするが、日本が開発した無限自進機(要するにロケット弾)の図面を奪って研究し試作していたりする。液体空気を推進力として、それが爆発する新兵器。描写はSF度高いが、内容はかなりリアルに第二次世界大戦の新兵器を反映しているね。怪力線という光線が新兵器キーになっていて、これが三種類あるという話からすると、放射線のαβγ線の三種みたいなイメージかな。 でパブリックイメージだと大アジア主義ってイメージ悪いけど、本作あたりは当然、インド人・中国人と一緒にアジアから植民地主義者の白人を追い出そう、というのがベース。中国人は⚪︎国人側についているのもいるけど、白人でもドイツ人は味方。なかなか現金に情勢を反映している。派手な活劇が続き、最後は大爆発で巌窟城は崩壊。 そりゃ本郷義昭、スーパーマンだけど嫌味がないな。北辰一刀流の皆伝で剣侠児の異名があって、「本郷剣侠児」と呼ばれたり、「わが本郷は」とか地の文で贔屓されたりとか、講談調の語り口は古臭いが、筋目の通った胆力ベースの駆け引きで絶体絶命のピンチを切り抜けていく。チートと感じるようなことはない。 だから本郷はなかなかヒーローとしてカッコいい。ご都合主義は仕方ないが、意外に危機の連続が過ぎてメリハリが薄い。語り口が過剰なのでやや疲れるところがある。 まあそれでも、完全に007だよ。そう見ると、なかなか凄い。 |
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