気狂いピエロ |
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作家 | ライオネル・ホワイト |
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出版日 | 2022年04月 |
平均点 | 6.67点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 6点 | クリスティ再読 | |
(2025/07/01 15:40登録) ゴダールの「気狂いピエロ」の原作....ということにはなっているんだけどもね。 評者の若い頃は「ストーリーなんて映画を作るための口実に過ぎない」とウソぶくのが映画青年の定番だった。本作だって原作というよりも、おおまかに人間関係と流れを規定するためにとりあえず設定された「筋書き」というくらいのものだ。映画が求めるのはストーリーではなく、映画それ自身の「映画的肉体」と呼ぶべきものだ...評者たちはそんな風に信じてきたわけである。 まあだからゴダールの「ピエロ」で、真の原作と呼ぶべきものは、ゴダール自身の「勝手にしやがれ」なのだし「勝手にしやがれ」のカラー版リメイクと見るのが適切なのだ。マンガの中から飛び出てきたようなカラフルで行き当たりばったりの男女の逃避行であり、ホントかウソか分からないような気まぐれな韜晦と引用の数々。あたかも「原作」は俳優たちが嘘くさく引用する身振りそのものに還元されているようなものである。 そうは言っても本サイトじゃ原作について述べなきゃね。ストレートな悪女クライム物である。中産階級の生活にうんざりした男が、犯罪と冒険の世界に嬉々として巻き込まれ、望んだのかのように破滅する話。主観描写も多いから、ハードボイルドかというとそこまでドライな話でなくて、原題「Obsession(妄執)」そのままに、主人公の悪縁とでもいうべき女に訳も分からずに引きずり回される話。だから愛だの恋だのではなく、セックスだけで結びついていて、「なぜそこまで?」と疑うほどに不条理に主人公が翻弄される。ここらへんクールと言えばそうか。 だから原作にはホワイトらしい銀行強盗はあっても、海岸で顔を青く塗ってダイナマイトで自爆もしない。 すれ違いのまま「永遠」だけは見つからない。そんなもんさ。 (でもさ、山田宏一の解説で「気狂いピエロ」と呼ばれた実在のギャング、ピエール・ルートレルの話が紹介されていて、ジョゼ・ジョバンニの「気ちがいピエロ」はこの男がモデルだそうだ。評者もこれがゴダールの原作だと誤解していた。比較してみるしかないね) |
No.2 | 7点 | 蟷螂の斧 | |
(2022/06/08 13:22登録) 映画の原作を読むというマイ・シリーズで「さらば友よ」(アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソン主演)を取り上げたとき、ジャン・ポール・ベルモンド主演の「気狂いピエロ」(1965)を読もうと思いました。しかし、その時点では、まだ原作が翻訳されていませんでした。映画自体は、絵画で言えばピカソ風でよくわからなかったのですが、ラストだけは記憶に残っていました。ただ小説とは違っていましたね。小説の方は、ボニーとクライドや「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1934)を彷彿させるもので、読み易く楽しめました。(敬称略) |
No.1 | 7点 | 人並由真 | |
(2022/06/03 05:53登録) (ネタバレなし) 「おれ」こと30台末のコンラッド・マッデンは、この半年前からの日々を振り返る。もともと3年以上前に一発屋のシナリオライターとして当てたマッデンは文筆業に憧れていたが、気が付くと2ケ月も失業中の身だった。元学友で一つ年上、そして現在も美貌を保つ妻マータは真っ向から夫を責めはしないが、一方で着実にプレッシャーをかけてくる。そんななか、神経をすり減らしたマッデンは、自分たちの十代の子供たちのベビーシッターとして雇われた美少女アリスン(アリー)・オコナーに出会うが。 1962年のアメリカ作品。 本作を原作とするジャン=リュック・ゴダール監督の映画が最近、高画質の映像ソフトとして新規リリースされたのに合わせ、初めて発掘翻訳されたクライムノワール作品。 (ちなみに評者は、映画版はまだ一度も観たことはない。) 作者ホワイトの長編としては『ある死刑囚のファイル』以来、半世紀~それ以上? ぶりの邦訳である。拍手パチパチパチ。 主人公マッデンの一人称で綴られる物語は、ガチガチの<ファム・ファタールもの>。 この手の作品は、主人公の性格的なだらしなさ(ある程度は読者とも共有される種類の)ゆえに蟻地獄にはまっていくパターンが多いが、本作の場合は悪女との肉欲にのめりこんでいくし、悪徳への欲求に身をゆだねる一方、細部では随所で人間としてのタブーを避けようとする冷静さや小心さもあり、その辺のキャラクター描写のさじ加減が、なかなか面白かった。 大枠のベクトルはかなり固定された作品だが、ストーリーそのものは二転三転し、最初から最後までほぼいっきに読ませてしまう。 ちなみに全体の紙幅は文庫版で本文約270ページと短めだが、作品の熱量はそれなりにあるので読み手のカロリーは消費され、軽重の相応の疲労感は覚えるかもしれない。 前述の通りに映画の方はよく知らないので比較はできないが、原作小説の方に限れば本当に直球のクライムノワールで、全体に乾いた情感が漂うのもソレっぽい。 一番近いイメージは、文章にクセのない(主観である)ジェイムズ・M・ケインというところか。他にもいろんな作家と、あれこれ接点が見出せそうな気配もあるけれど。 作者ライオネル・ホワイトはもともと翻訳が少ない上、評者はやはりクライムサスペンスの名作とされる『逃走と死と』を未読、毛色の違う(?)作風の『ある死刑囚のファイル』しか読んでないので作家性の俯瞰などはまったくできないが、本書巻末の丁寧な解説によると、こういう傾向のクライムノワールものを主流とするとのこと。 故・小鷹信光は、ホワイトの著作はどの作品も似たようなものだと憎まれ口を叩き、本書の解説氏がそれに異論を唱えているのが興味深い。いずれにしても、もうちょっと未訳の作品を紹介してほしいところだ。 で、本作のラストは、ああ……(中略)という感じで、ちょっとある種の感慨を覚えた。 うん、この最後の1ページで、この作品なりに「ハードボイルド」としてまとまったね。 発掘翻訳されたことで大騒ぎまではしなくてもいい作品だとは思うけれど、とにもかくにもこれが日本語で読めたことはとても有難い、ウレシイ。 |