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ミステリの祭典

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スローターハウス5
旧題『屠殺場5号』/カート・ヴォネガット・ジュニア名義

作家 カート・ヴォネガット
出版日1973年02月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 クリスティ再読
(2025/06/21 09:01登録)
11セント綿 40セント肉
余震はまだ続く
こころが崩れるまでは

揺れる揺れる揺れる揺れる揺れる

しんがりはお前だ
時が経つまで待て
行き着く先には
スローターハウス

ガールズバンドの草分けの一つのZELDAの名曲「スローターハウス」の元ネタだ。この頃のNW/PUNKって「アタマとセンスが抜群にイイ連中が、バカなフリしてやってる音楽」なんて思ってたくらい。ZELDAならバンド名からしてスコット・フィッツジェラルドの奥さんの名前からだし、歌詞に小栗虫太郎や山田正紀からの引用があったりと、「文学少女バンド」の代名詞みたいなものだったな。

この歌は主人公の(強制的)時間旅行者の結婚記念日パーティの余興で唄われた歌。結構歌詞を追加していて、引用したのは追加部分が主体になる。元ネタの方が貧乏を嘆くようなカラーが強いが、ZELDAの方は実存的不安っぽい(苦笑)

いやだからさ、本作の時間旅行って主人公が遭遇したトラウマティックな体験(ドイツ軍に捕虜となりドレスデン空襲に遭遇・戦争の後遺症で精神病院に入院・飛行機事故に遭い自分だけ生き残り、病院に駆けつけて来た妻が別な事故で死ぬ)が、本人の意識の中で脈絡もなくカットバックされていくようなもの。その原因としてUFOに誘拐されて彼らの母星の動物園で飼育されたアブダクション体験があるのかも?という設定。

このアブダクション体験が「SF」としての枠組みを提供しているだけで、事実上PTSDによる辛いフラッシュバック体験を「小説」として提供しているようにも感じる。作者の本人の実体験にも大きく取材しているようだ。大量死を背景に「生きることの意味」が、絶え間ないカットバックによって希薄化され、諦念にによってそれを受け入れる「実存」を描いているとするのならば、ZELDAの歌詞というのもなかなか原作の精神を衝いているようにも感じるのだ。

(印象的なのは人の死に触れる際に、決まり文句のように「そういうものだ(So it goes)」と述べられること。そういうものなのだよ)

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