クリスティ再読さんの登録情報 | |
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平均点:6.39点 | 書評数:1457件 |
No.1457 | 7点 | 鳥(早川書房ポケット・ミステリ版) ダフネ・デュ・モーリア |
(2025/08/17 19:28登録) さてポケミス版「鳥」を選んでしまったが、実はこの収録作は創元文庫の「鳥―デュ・モーリア傑作集」のサブセットだ。ポケミスでは読まずに創元で読んだ方がよかろう。 書誌的なことを言えば、最初の短編集(英版) "Apple Tree" (Gollancz、1952)には「瞬間の破片」「動機なし」は収録されてなくて、この米版"Kiss Me Again, Stranger"(Doubleday, 1953)で追加された2作になるから、これが底本ということなる。英版ではこの2作は"The Rendezvous and Other Stories" (Gollancz, 1980)に収録されている。ややこしいな。 「鳥」"The birds" 言わずと知れたヒッチの神映画の原作。とはいえ、ある農夫の一家の視点で描かれる。一家の鳥たちとの攻防が描かれるわけで、雰囲気は戦争小説、とくに核戦争を匂わせているようにも読める。だから核戦争後に生き残った家族の孤立の話みたいな印象。映画にあったロマンス要素はないし、出エジプトを思わせる聖書的な結末もない。かなりシンプルで、ヒッチが大きく内容を膨らませていることがわかるし、映画での追加部分が効果的にもなっている。 「瞬間の破片」(「裂けた時間」)"The split Second" 家に帰ってみれば、見知らぬ人々が自分の家を占拠しており、困った主人公は警察に訴えるのだが、正気を疑われてしまう... 確かに納得の仕掛け。「世の中どんどん悪くなる」。娘が気がつかないのが、とても悲しいなあ。 「動機なし」(「動機」)"No Motive" 突然理由不明の自殺を遂げた男爵夫人。男爵は私立探偵を雇ってその動機を追及した...しだいに暴かれていく夫人の過去。「聖母マリアさまに起こった出来事は、この世でもっともすばらしいことだと言ってお説教しているくせに、なぜあたしは叱られるのだろう」の哀切。 というわけで、粒ぞろいの面白さ。でもどうしようもなく「悲しい」話ばかりだなあ。 |
No.1456 | 5点 | 五十万年の死角 伴野朗 |
(2025/08/17 09:06登録) 永瀬三吾「売国奴」をやったから、同じ背景の本作やってみよう。いや実際「売国奴」で扱われる関東軍御用達新聞の社長が2人連続で射殺される天津の事件は、本作でも言及がある。主人公は軍属の通訳だから、軍隊の階級からはちょっと外れたところで、個人的に中将からの密命を受けて、日米開戦直後に接収を逃れて消えた北京原人の化石の行方を追及する。ロックフェラー系財団が運営する医大では秘密裏に化石をアメリカに輸送する計画だったが、その途中で行方が分からなくなる。この化石を巡って、日本軍では特務の松村機関(いわゆる土肥原機関か?)の凄腕エージェント佐々木月心、また国民党のテロ組織として有名な藍衣社では「児女英雄伝」のキャラの名をコードネームとする冷酷な女スパイ「十三妹(シーサンメイ)」、中国共産党からは大人の風格もある国志宏(クオチホン)がこの争奪戦に加わる。 舞台は北京・天津などの華北が主。実在人物としては、ホーチミンが一瞬顔を出すとか、テイヤール・ド・シャルダンにも話を聞きに行く。まあそんな感じで特に後ろ盾のない主人公が、徒手空拳で三つ巴の争奪戦に介入するわけだ。ハードボイルドっぽいという評をされている方はここらへんに反応されたかな。達者に書けているし、歴史デテールはちゃんとしている。その分、飛躍みたいなものはなくて、題材のわりに地味という印象。まあでも特務の佐々木月心と十三妹の直接対決とか、カッコイイ。名前がいいな。ひょっとしたら武田泰淳の「十三妹」で紹介された白玉堂のイメージがあるのかも。 ミステリ的な謎としてダイイングメッセージがあるけど、これネタが有名だから、知っている人多いんじゃないかな。というわけで、謎解き的な興味は比較的薄い。ロマンス要素はちょっとだけあるが、どうでもいいくらいの比重。 ...とはいえ、本作でデビューした伴野朗って、やはり戦時中の中国を舞台にした映画「落陽」で、歴史と伝統ある日活を潰したことでもヘンに有名でもある。まあ原作と名義だけとは言われているが、そのうちにやろうかな。 |
No.1455 | 7点 | 蘭の肉体 ハドリー・チェイス |
(2025/08/16 09:34登録) 前編にあたる「ミス・ブランディッシの蘭」とは全然「面白さ」の傾向が違うタイプの作品だね。前作だと将棋のコマのように、無法者たちの間で流転するヒロインは気の毒ではあるけども、あまり感情移入とかしなかったな。でも本作のその娘は、キレると爪で目をひっかいて悪党をやっつけてしまう。容赦ないから何人も視力を失っているよ。精神病院から脱走した狂人とかいうのは、不当なレッテル貼りみたいなもので、しっかりと「立った」ヒロイン像になっている。 なおかつ、前半は脱走後6日間確保されなければ、祖父の遺産が全部手に入るとかあって、周囲はヒロイン・キャロルを確保して精神病院に返さないように画策もする。前作の「奪いあい」とはちょっとニュアンスが違うし、しっかり好青年との恋愛もある。スリラーとしての達者さは従前どおりだから、いろいろと変化に富んでいるし、全体的な敵役になる「鴉のような黒づくめ」の殺し屋サリヴァン兄弟の造型もいい(人並さんご指摘のように、泊まった宿の正面で絞首台を組み立てている音を聞くエピソードがいいなあ)。このサリヴァン兄弟を、人里離れた館で迎え撃つあたりなど、やはり盛り上がる。でもね、 背が高くすらっといいからだをした、見たこともないようなはでな赤毛の別嬪。服は黒づくめで、長い黒マントを肩から羽織り、その衿を金ぐさりで止めている。 と描写される後半のキャロルがいいんだな。まさに「女囚さそり」を彷彿とする。そういう期待も実はあったりする。このラストシーンに関わる「ひげ女」ロリ―もいい味だしてるしねえ。まあちょっとした二部構成というったところもあるけども、これが話としての起伏となっているし、「さそり」みたいなカタルシスにもつながっている。 「ミス・ブランディッシの蘭」よりも面白いと思うよ。あ、ひょっとしてマンシェットの「愚者が出てくる、城塞が見える」は本作リスペクトか? |
No.1454 | 7点 | 空白との契約 スタンリイ・エリン |
(2025/08/15 13:08登録) 本作面白い。評者はエリンって、ハードボイルドとは別な流れの私立探偵小説の元祖だと思っているけど、その「第八の地獄」を彷彿とさせる作品。 いやミステリとしても私立探偵小説としてもかなりの破格。保険調査員ならたとえばデイヴ・ブランドステッターとかあるし、笹沢左保でもあるしね。別に珍しい設定ではないのだが、成功報酬のみの完全請負の自営業者が主人公。会社の看板に頼らず、全部自前。しかも事件は事故死を主張して保険金を得ようとするのを、「恐喝が原因での自殺」という構図で拒もうとする。もちろん真相が「自殺に見せかけた殺人」というわけでもない...いやこんな設定で「ミステリしちゃう?」となるのだが、これがこれで十分にサスペンスフルな話。「第八の地獄」も警官の汚職の話であり、安易に「殺人」を持ってこないリアリズムがエリンの根底にあるわけだ。 主人公ジェイクは冷徹なプロだが、その冷徹さはハードボイルドというよりも、リアルなビジネスマンとしてのもの。だったら話に潤いが欠けることにもなりかねないが、それをもつれさせるのが、男女で動いた方が何かと便利ということで急遽タッグを組んだパートナー、エリナの存在である。初対面でジェイクと組むことになる売れない女優のエリナ。それなりに舞台度胸もあるのだが....残念、ジェイクに惚れてしまう。ハードボイルドじゃないんだ。もちろんジェイクは情報収集のためには女と寝ることもあり、これをエリナは嫉妬しだしてしまう。そりゃあさあ、こんなオトコ、かっこいいじゃん?無理ないや(苦笑)無害なデラ・ストリートとはいかないよ。 だからジェイクとエリナの関係が、事件とは別ベクトルの軸となって小説としての面白みになってくる。どんどんとビジネスの上では想定外の「重たい女」となってくるエリナ。この厄介な重荷というハンデのもとに、ジェイクは恐喝のネタと恐喝者に迫っていく...警察にバラしたら事件は解決しても、それがジェイクの手柄にはならないから報酬はない。こんなジレンマの果てにジェイクは何を見るのか? というわけで少しづつ事件の背景に迫っていくサスペンスと、悪意があるわけではないのに機嫌を損じたら売られるかも?と完全に信用しきれないエリナの存在、恐喝者の背後にいるギャングの策動など、ポケミス310ページとなかなか長い作品なんだけども、飽きさせずに引っ張っていく。 「第八の地獄」の方向をさらに深く探り直したようなことになっているよ。エリンというからには、ホント、こんなん書いて欲しかった。 |
No.1453 | 5点 | 無限がいっぱい ロバート・シェクリイ |
(2025/08/13 17:29登録) シェクリイとフレドリック・ブラウンは「双璧」だったわけだけど、今でもそれなりに読者がいると思われるブラウンに対して、シェクリイは「忘れられた」作家に近い扱いだったりする。両者とも50年代のオールドスクールなSFで、雑誌全盛期らしい「雑誌うけ」しやすい作風というのはよくわかるんだけども... いややはり、ブラウンという人の一種の「意地の悪さ」「リドルストーリー風」といったあたりが、作者個人の「独自の個性」になってたんだね。 シェクリイももちろん、いろいろと技巧を凝らして読者のゴキゲンをうかがうわけだが、なんというか「安全」なところがある。そこらへんがもう一つ食い足りない部分につながっているのかなあ。ある意味「SFじゃない」というか、SFガジェットが50年代のアメリカ人のありふれた属性を誇張して描く手段にしかなってないのが見えるところもあって、そこらへんに今の評者がシラけているかも。 要するにすごく寓意的なんだよね。そういう寓意性というかメッセージ性にモヤモヤした感情しか湧き起こらないというのは、同時代人ならそれを素直に面白がれたのにな、という残念さなのかもしれない。 異色作家というには、「微妙」感のある人かもしれない。いやマンガ的な楽しさはあるんだよ。でもさ漱石にかこつけて語られる「I Love You」は「月がとっても綺麗ですね」と訳せ!とした話って、「愛の語学」にネタにしてもらいたいな(苦笑) |
No.1452 | 7点 | 高層の死角 森村誠一 |
(2025/08/11 12:18登録) 森村誠一ってハッキリ言って苦手作家だ。いや70年代あたりのパズラー作家を論じるなら、絶対外せない作家であることは重々承知。社会派転向して角川映画化で売れまくる前は、「新本格の旗手」といった評価があった。まあそういうあたりが「裏切者」風にマニア層に嫌われる原因になったようにも思うよ。 要するに鮎哲アリバイ崩しが、国鉄の夜行特急ベースだったのに対して、森村誠一は飛行機の乗り継ぎトリックであり、近代化されたホテルでの業務である、というあたりでの「革新」があったわけである。まさに新しい風が吹いたという印象だ。森村氏自身ホテルマン経験があるわけで、それを存分に生かしたトリックが本作でも披露されている。 とはいえ、ある意味本作の「斬新な」トリックは、そういう新しい要素がその後の50年のなかで陳腐化していったことによって、「斬新さ」が埋もれることにもつながった。鮎哲さんみたいにまだノスタルジアで語られる世界にはなっていないから、世慣れた読者なら当然トリックに気が付いたりもするわけで、どっちかいえば鈍重な印象を受けるのかもしれない。 今読むと密室トリックはつまらない。飛行機のアリバイトリックは当然の証拠が残るから危険性が高すぎる...と心配してしまうかな。だとすると、やはりフロントでのチェックインに関するあたりが一番精緻で面白い。まあそれが最終盤になるから、やはり盛り上がるな。 じゃあ評者が「嫌い」なのは何かというと、一つは一応主人公な平賀刑事の女性関係。森村誠一って冷たい復讐心みたいなものを不必要に強調する傾向があり、評者は昔からこれがどうにも気持ち悪い。エンタメに収まらないヌメっとした悪意を感じてしまう。それから講評で高木彬光が「難は文章のまずさ」と指摘しているように、この人の文章は私も大嫌い。分かりやすいところで言うと 彼女の心理にもそのような可能性があったと分かった今、"村川説"は最もハイファイに現場の状況に符合する。 という「ハイファイ」という比喩。確かにこの頃オーディオのハイファイブームがあり、「高忠実性」という意味で使っている意味はよくわかる。この人の漢語多用傾向と、それに横文字のルビを振るスタイルとか、要するに軽薄な「気取りすぎ」というイヤな感じを評者は強く受ける。 だから作品としては歴史的意義も認めるし、作品自体もよくできている。だけど森村誠一、嫌い。本サイトではなるべく扱いたくない... |
No.1451 | 6点 | 伯林-一八八八年 海渡英祐 |
(2025/08/10 11:16登録) 70年代を回想すると、実は本作は乱歩賞受賞作の中でもとくに「傑作」という評価が高い作品だった。そこらへんの時代状況が面白いとも思う。 実際、乱歩賞も60年代には社会派が多かったんだよね。西村京太郎の「天使の傷痕」でもそうだし、パズラー寄りではあっても斉藤栄の「殺人の棋譜」でも将棋棋士という珍しい背景と子供の誘拐事件を扱ったわけだ。とはいえそういう流行も60年代後半には峠を越してきて、そこに本作のようなロマン的雰囲気の強いパズラーが登場したことになる。それがやはりマニア層に歓迎されたという印象がある。 この翌年は受賞作はないが、このあたりの年というと草野唯雄や大谷羊太郎が頻繁に最終選考に残っていた頃。翌翌年には森村誠一でパズラー的興味の強い「高層の死角」が入選する。60年代末から70年代初頭にちょっとした「本格復興」の流れがあったと評者は捉えているよ。本作の高評価はそういう面だ。 ドイツ留学中の若き日の森鴎外を主人公にして、その悲恋に絡めて晩年のビスマルクが絡んだ密室殺人を扱ったというのは、企画の勝利というものだ。大時代的な背景があるからこそ、密室殺人という「絵空事」にリアリティが生まれてしまってもいる。「ビギナーズラック」に近いようなラッキーが、作者に訪れているというべきだろう。ミステリとしては...共犯者が多いからねえ。密室トリックとしては納得度はあるけども、その分理に落ちすぎているかな。精緻になればなるほど、「なんで密室なんて作るの?」という疑問もね。 それでもロマン味の勝った歴史推理とか海外舞台でリアリティを晦ますとか、イイ着眼点を示したことは間違いない。そうしてみればたとえば笠井潔だってこういう作風の影響を受けているとも言えるかもしれないんだ。 |
No.1450 | 6点 | 女王蜂 横溝正史 |
(2025/08/09 10:25登録) なぜか好きな作品(苦笑)一番最初に読んだのは、朝日ソノラマから出てた子供向けリライトだと思う。けっこう何度も読んでいるなあ。 というのもやはり、本作って横溝正史流のハーレクインだからだろう。島の旧家の過去の事件と、現代の修善寺と東京で起きる連続殺人の中心には、絶世の美女「女王蜂」、大道寺智子がいる。彼女の周囲の男たちが次々と殺されていくが、見え隠れする謎の求婚者「黒馬の王子」多門連太郎。いやこれは、萌える。 「三つ首塔」の上品バージョンでもあるが、実は同じ構図で「犬神家の一族」が先行しているんだな。面白いことに初出の雑誌「キング」では、本作が「犬神家」の後継連載だったようだ。大衆小説の枠組みの中で、ミステリをどう取り扱うか?という作者の試行錯誤の一つだと思うんだよ。 本作ではミステリ要素が小粒だし、やや無理も多い。過去の密室の解明場面はとても印象的なのに「どういうトリックだったか?」は評者もすぐに忘れてしまう(苦笑)この密室の提示と解明が最終盤100ページないくらいで片付くのは、構成上問題大きいなあ。ミステリで印象的なのは「蝙蝠」だけど、これはチェスタートンの某作のアレンジだから、ミステリマニアの印象に残るんだろう。 逆にハーレクイン要素は実に見栄えがする。絶世の美女に旬の美人女優を当てて、神尾先生に貫目のある大女優を当てて、多門連太郎に色男を当ててやれば、映画でもドラマでも作りたい放題。だからこそ本作の映像作品での成功があるわけだ。というわけで、本作はミステリというよりも、横溝ハーレクインの成功作だと思う。まあ、多門連太郎がボンクラとか、現代の事件が演出優先で空疎とか、欠陥はあるんだけどもね。 (ちなみに、横溝ミステリのメタ推理で有名なのは「キラキラネームのキャラはどんなに怪しくても犯人ではなく、すっきりしたいい名前のキャラが犯人」というものだ。多門連太郎とか九十九龍馬とか名前だけでワクワクする。大道寺知世は果たして意識しているのかな?) |
No.1449 | 6点 | 素晴らしき愚か娘 シャルル・エクスブライヤ |
(2025/08/08 16:03登録) 女スパイ、ペネロープ.... って言ったら「サンダーバード」のレディ・ペネロープなんだけども、本書のヒロインもペネロープ・ライトフェザー嬢。レストランで知り合った男に一目ぼれされる。 このペネロープは美人だけどお針子。海軍省のD局局長のダンフリー卿夫人のお気に入りで、お屋敷に出入りしている。男はピオトル・セルゲイエヴィッチ・ミルーキン...父は白系ロシア人亡命者でソ連への義理はないはずなんだども、ヘンな逆恨みからソ連のスパイで殺し屋のアルメニア人テル=バグダッサリアンにスパイとしてスカウトされてしまった!ハリー・コンプトンと名乗ってこのダンフリー卿が持つ「なだれ」と呼ばれる秘密レポートを奪取するよう命じられるが、偶然知り合ったペネロープがダンフリー卿の屋敷に出入りしていることを知る。実はペネロープは共産党員であり、ピオトル(ハリー)はペネロープに適当な話をして、ダンフリー卿の屋敷で開催されるパーティに潜入することになった! けどね、このパーティも「なだれ」情報も罠であり、ソ連スパイをおびき寄せて内部に潜む二重スパイを暴き出そうという計画だったんだ。はたしてペネロープとハリーは「なだれ」情報をゲットできるか?と言ってもさあ...ペネロープ自身「アタマの弱い」娘として、思い付きのように共産党に入党したわけだしね。清楚な美人のクセにけたたましいバカ笑いと素っ頓狂な言動にハリーもヘキエキしつつ、陰謀と罠と暴力の世界に足を踏み入れてしまう。 でもこれ全部、吉本新喜劇。アカラサマに安易に「なだれ」情報も金庫から盗み出せてしまうクセに、何度も金庫に舞い戻ってしまうw。ソ連大物スパイを行きがかり上殺してしまい、その死体を運搬中に検問に逢うけども、ペネロープが「死体を運んでます~」なんて言うたびに冷や汗をかきつつも警官たちは大爆笑。 いやエクスブライヤってパロディじゃないんだ。軽演劇というか、マンガ的なキャラたちが右往左往する群像的なコメディというべきなんだよね。「死体をどうぞ」で示されたように、エクスブライヤが大人数のマンガ的キャラを捌ききる手腕というのは、なかなか大したもの。有能な舞台演出家というイメージがあるが、やはりキャリアの出発点で演劇や映画とかかわりが多かったようだ。 コメディだから「めでたしめでたし」で終わらなきゃホントじゃない。だからめでたし、めでたし。いいじゃないか。 |
No.1448 | 8点 | ちびの聖者 ジョルジュ・シムノン |
(2025/08/07 10:02登録) いろいろと面白い(架空の)自伝小説。 確かにシムノンの「観察眼」というものには、並外れたものを感じているよ。だから自分を「画家」に仮託して描いてみるというやり方に説得力がある。そして、この小説が、「画家の成功譚」というものではない、というのが大変面白い。実際、この小説なら主人公が長らく成功せずに、晩年とか没後に評価された、という設定でも成功したりするのかもしれない。おそらく「ちびの聖者」というキャラ付け、すべてを受け入れる観察者という立場から、自身の成功に無関心な「ちびの聖者」だからこそ、作者は成功させてみることにしたんじゃないかな。 もちろんシムノン自身は「ちびの聖者」というような人物じゃないや(苦笑)出自だって貧民層ではないし、女遊びと放蕩が大好きで、身近な人間と不倫することが多くて結婚生活は破綻しがち、苦にした娘が自殺するとか、プライベートが混乱続きで、本書の主人公ルイみたいな平静な親子関係を営んだわけではない。いやだからこそ、本書で描かれるルイとその母親・祖母・異父兄弟たちとの関係が心にしみるのかな。穏やかにそれぞれがそれぞれの人生を歩みつつ、たまに交差する。 パリの市場で仕入れた野菜を街頭で売ることで生計を立て、頻繁に男を取り換えて6人の子を産んだ末に、再婚した男と安定した生活を得た母。社会に反抗的だがルイをそれとなく庇護してくれた長兄は、兵役などを経て裏社会の顔役になる。仲が良かった姉はクリーニング店で働いて出産、そして戦争未亡人に、しかし、小商人と結婚して資産を築く。兄になる双子の一方は囚人部隊に入って戦死、一方はエクアドルへ渡りそこで珍獣ハンターに...末の妹は幼くして病死。 一見バラバラかもしれないが、こんな家族の肖像こそが、明治生まれの祖父母世代の庶民のエートスというべきものをしっかりと思い出させる。家族というものが「群れ」であり、家は「巣」であったような、動物としての人間家族の本質めいたものを開示しているかのようだ。 まあだからこの本はホームドラマだよ。家族を「印象主義」的に描いたホームドラマだ。 |
No.1447 | 9点 | 短篇集Ⅱ 日本推理作家協会賞受賞作全集8 アンソロジー(出版社編) |
(2025/08/06 12:15登録) 「売国奴」やりたくってね。 しかし、永瀬三吾はマイナー作家だから、大陸書館の「売国奴」みたいな個人別短編集はなかなかお目にかからない。というわけで「狐の鶏」も河出の「日影丈吉傑作館」でやり漏らしているし、「笛を吹けば人が死ぬ」も好きな作品だし...でこの協会賞短編集でやることにした。 「売国奴」はこの時期では珍しい本格スパイ小説。というか、敗戦で日本人は萎縮して内向きになっていた部分があるから、外地を舞台としたエンタメって書きづらい側面があったんだろうな。戦時中に天津で新聞社を経営した作者が、実体験を生かして書いたスパイ小説である。まさに天津が舞台で、この街に蠢く怪しい人々の相克の物語。日本出身だがバルカンの中立国であるC連邦の国籍を持つコスモポリタンとして、レストラン「コスモ」を経営するマダム・チェリー(桜子)、チェリーともワケアリで東洋美術研究家の触れ込みで策動するやはりC連邦籍のラムンソン、大陸浪人の典型のような楢橋、戦争の行く末を静観しつつ陰で怪しい動きをする資産家の馬、シガラミありでチェリーを追う憲兵の森原、主人公のジャーナリストはこれらの怪しい人々の陰謀にしだいに巻き込まれていく...「売国奴」とは誰のことだったのか? でこの陰謀のスケールがバカみたいに大きい。戦争の先行きが危うくなって、和平派の一部が天皇を推戴して中国に蒙塵し、紫禁城に入って「国土なき日本人」の国家を作るという構想や、そのための資金として「最古の勾玉(八尺瓊勾玉?)」を密かに売りさばく...こんな怪しい話とかつて天津で起きた新聞社社長の二重暗殺事件を絡めて描いている。いやとにかくスケールの大きさに圧倒される作品。日本人もこういうアナーキーでコスモポリタンなスケール感をかつてはもっていたんだよね...武田泰淳の「風媒花」のミステリ版というべきか。 で日影丈吉「狐の鶏」。千葉?の海沿いの寒村で、折り合いの悪い妻の他殺体に出くわして「自分が夢の中で殺したのでは?」と疑う農夫の話。イエ制度のなかで「オジモン」として疎外される主人公の悲哀を描き、日影丈吉らしい土俗的な生活のリアリズムが、幻想的なあたりにするりと滑り込んでいく。ここらへんの呼吸感が絶妙。そして根底にはしっかりしたミステリの骨格がある。永瀬三吾は「文学派」の旗頭の一人だったわけだけど、最上の「文学派」って実は日影だったようにも思うんだ。ストーリーテリングとミステリがオリジナルなかたちで融合していることでは、松本清張に匹敵する唯一の作家だと思うよ。 角田の大名作「笛を吹けば人が死ぬ」。これはもうヒロインの名犯人、三井絵奈の肖像が傑出。ホントは「笛を吹けば人が死ぬよ」と作中で絵奈が嘯くその言い方でタイトルにしたいくらい。ミステリ論的には「操り」テーマになるわけだけど、下品で知能も低い?しかし、悪知恵と悪意だけは天才的なこのアンチヒロインの肖像がどうにもこうにも魅力的。今回読み直して、実は本作はシムノンの「男の首」の角田版じゃないかと思ったんだ。ラストシーンでハイヒールにつまづく絵奈の姿と、「失敗したな」と処刑台に登る姿をメグレに評されるラデックとがどうしても重なるのだ。たしかに「男の首」にも「操り」要素は存在するわけだからね。 というわけで、どれもこれも大名作。戦後の探偵文壇の百花斉放な盛り上がりっぷりが窺われる。 |
No.1446 | 8点 | 地球の長い午後 ブライアン・W・オールディス |
(2025/08/04 11:00登録) 「SFの祭典」ならたぶん10点。本サイトの趣旨から2点マイナスするけど議論の余地のない大傑作。 地球が自転を停止し、地球の片面では永遠の昼が続き、一方は永遠の夜に沈む未来。永遠の昼の国では太陽からの過酷な放射による暴政が続き、それに適応した植物たちが、動物の地位を奪って、奇想天外な適応放散をしていた....人類は1/5のサイズに縮み、社会も退化した原始的な生活の中で、危険な植物たちから身を守るのが精いっぱい。人類の末裔である部族の少年の、この未来世界での彷徨と冒険。 というわけで、「食獣植物」レベルで人間を捉えて食べちゃおうとする狂暴で危険極まりない植物たちに留まらず、静止した地球と月を蜘蛛のように渡り歩くツナワタリやら、退化した人間に「しっぽ」を付けて操って魚を取らせるポンポンの木、人間に寄生して知識を与えるアミガサタケといった圧倒的な植物のイメージが、悪夢的であると同時に説得力がすさまじい。退化をテーマとした終末イメージも「タイムマシン」に匹敵するレベル。SFというよりもかなり「奇書」に足を突っ込んでいるタイプの作品。たぶん、サイケデリックな界隈からもイメージを補給しているんじゃないのかなあ。良い意味で「洗練」せずに、泥臭い土俗的な雰囲気が生かされていて、小説版「マッドメン」といった趣き。素晴らしい。 (庭の手入れとかしていると、人間が「こうしたい」と思うなんて意志は全然通用しなくて、植物が地下で互いに争いあっているのにうまく介入して、なだめすかして誘導しつつ育てているような気持になる。ドクダミやらクワクサやら手を焼いているよ。植物って時間スケールがスローモーションなだけで、頑固かつ狂暴なイキモノだよ) |
No.1445 | 5点 | 墓場貸します カーター・ディクスン |
(2025/07/31 15:43登録) 後期のHMものって、HMのキャラ小説化が進んでいて、楽しいけどもミステリとしては薄味、という傾向が強いわけだ。で本作はクレイトン・ロースンに捧げちゃっているくらいに手品趣味。確かにこのプールからの消失トリックって、ステージマジックでいかにもありそうなトリックだしなあ。まあだけど、逆に問題の家族の人間関係があまりちゃんと描けているとも思えなくて、トリックと絡んでももうひとつ疑問なところでもある。とくに動機にあたるあたりでの人間関係の縺れ方にどうも説得力がない。 いやそれでもHMのギャグっぷりは上出来。いきなりニューヨーク地下鉄で大騒ぎを巻き起こすあたり、そのトボけっぷりがまさに「手品をするオースン・ウェルズ」といった趣で絶妙。でもプールのトリックには比喩的な関係くらいにしか感じないな....さらには元プロ野球選手が(手加減ありだが)投げた球を、小太り中年のオッサンであるHMがホームランしてのけるとか抱腹絶倒。ギャグは実に快調で愉快な作品なだけに、残念感も目立つ。 元々イギリス伝統文化大好きなアメリカ人のカーだけど、本作でもイギリス労働党政府をディスっているあたりからも伺われるように、「旧き良きイギリス」が戦後失われつつあるあたりで、歴史モノへの傾倒と同時にアメリカ回帰へとカーの心情が移っていく流れの中で、本作は読むべきなんだろうな。 |
No.1444 | 6点 | ピラミッドの秘密 南洋一郎 |
(2025/07/29 09:50登録) 夏休み、というわけで童心に帰ってハッチャケたいな(苦笑) というわけで南洋一郎ルパンの問題作「ピラミッドの秘密」。そりゃ南ルパンには子供の頃にお世話になったよ。ポプラ社の乱歩・ホームズに並ぶ超人気シリーズ。けどねえ、乱歩・ホームズ以上におさな心に「無理多い...」とも思ってたwヤなガキだなあ。 この「ピラミッドの秘密」はルパンが中部アフリカで冒険する話。ルパンと言えば、北アフリカのモーリタニアの皇帝に即位して、フランスに割譲するという太っ腹な愛国者だったりするんだが...まあ本作は南洋一郎のパステーシュとして有名で、正史というわけではない。そりゃ南洋一郎だもの。南洋の冒険はお手のもの。黒人の王子、緑のピラミッド、地下迷路、忠実なペットのチーター、邪悪な神官と道具立ては完備。さらにはルパンらしい謎言葉の解読とお宝探し...少女とその母を義侠心で助け出し、と「美少女を守るオジサマ」として恋バナをカットする南洋一郎らしいあたり。あたかも絵物語を読むかのような波乱万丈の冒険物語である。いいじゃないか。今更差別だ何だ言っても仕方ない。 あと人並さん同様に、ラストシーンのパリの街をオープンカーで助手席にはチーターという絵面がホント素敵。憧れる。 で本作と言えば...おさな心をギュッとワシ掴みにするのは表紙絵。スフィンクスをバックにサファリルックで腕クロスするこのポーズ。ヤられる。腕クロスって意味ない(小林正樹「切腹」でも一瞬だったね)けど、カッコイイ。総じて南ルパンの表紙絵って、乱歩ホームズ以上にモノクルやら外人らしいヌメっとした肌の質感とか、ウッドの「アメリカン・ゴシック」を連想させるバタ臭さ満開で強烈だったなあ。 |
No.1443 | 6点 | メグレの失態 ジョルジュ・シムノン |
(2025/07/28 16:20登録) 「失態」とはいえ、そういうほどの手ひどい失敗というわけでもないなんだがねえ。確かにメグレ自身の感じた「ダメージ感」は強めなんだけども、客観的にみれば大したことではない。だって被害者のキャラがホントにイヤな奴だから、たとえ政治勢力があったとしても、「殺されて、ほっとした」と周囲の人々が皆考えるような男。メグレが感じた「ダメージ感」とは、この男が幼馴染だったことでもある。 とはいえ、メグレ物で「幼馴染」「旧友」って扱いが良くないんだよね。「幼な友達」のリセの同級生、「途中下車」の大学の同級生、そして「サン・フィアクルの殺人」の伯爵などなど、メグレが旧知の人々の「今」に反発する姿が頻繁に描かれていたりする。さらに言えば、この男の父親が伯爵の管理人であるメグレの父に、賄賂を渡そうとしたのを目撃して、気持ちが引っ掛かり続けてもいる...「自分の進む道に立ちはだかる人たちや、彼に不安を生じさせる人たちを破滅させるだけではすまずに、ただ自分の力を見せつけ、それを自分で納得するために、誰かれの見さかいもなく人を破滅させていまうのだ」。そういう人間こそが、社会で成功したりするというやるせない矛盾。 しかしこの同級生フェマルの肖像は、あまり褒められた人間とは言えないシムノン自身を露悪的に投影したようにも思えるのだ。社会的に成功を得ながらも、その成功に対して居心地悪く感じる男の肖像を、シムノンは憑かれたように描き続けたのだけど、フェマルだってその一人である。だからもう一人の自己投影でもあるメグレから見た場合に、自己嫌悪の感情が漂っていると見るべきだ。そしてそれを補強するのが、やはり同郷の出身者である、密猟者上がりのヴィクトールということになる。ヴィクトールは過去の「野性」といったものを象徴していると読むべきだろうね。 まあミステリとしては捉えどころのない作品にはなってしまう。とはいえ、シムノンがノッていた時期の中期作。キャラ造形は冷徹な女秘書に「脱げ!」と命じる姿や、愛人の立場に甘んじる「食道楽の娘」やら、印象的なキャラの描写が目立つあたりにも、冴えをうかがわせる。まあ、冒頭からして準レギュラーの「司法警察局の衛司ジョセフはごく軽くドアをノックしたが、それは小刻みに駆け回るハツカネズミの軽い足音ほどにも感じられなかった」と印象的な描写で始めたりするくらい。 成功作とは言い難い出来だが、シムノンという異常な作家の特異性を今更ながらに感じてしまう。 |
No.1442 | 5点 | 大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう 抹茶の香る密室草庵 山本巧次 |
(2025/07/27 23:57登録) 茶道ミステリかも?と思って読んでみたが... 現代娘が江戸時代にタイムスリップして、女岡っ引きとして活躍するシリーズ。相方がオタクな万能分析屋で、現代と文政期を行き来しながら、江戸時代に科学捜査を持ち込むという特色アリの、ライト感覚の時代劇である。さほど時代デテールに突っ込まないファンタジーだけど、考証はわりとマトモ。まあ科学捜査しちゃうから、そこらへんはあまりツッコむ必要もないのかもしれないが(苦笑) 茶問屋の株仲間に突然課せられた冥加金。これを巡って駿河の茶生産者が江戸へ訴えに上がったが、堀に浮かぶ水死体として発見された。茶問屋と南町奉行所与力が列席する茶事の準備中、主人である茶問屋清水屋が茶室内で殺害された...待合からの目撃証言からすると、茶室は監視型密室だった可能性がある?与力から内々に事件を解決するように命じられて、ミステリマニアのヒロインは大盛り上がり! こんな話。ゆるめの量産型ライト・ミステリくらいにはなっているか。密室の謎も何となく見当もつく(期待しない!)し、「旅行けば~駿河の国に茶の香り」の問題はピンとくる(年寄りだからね、苦笑) とはいえ茶道のデテールはまったくやる気なし。茶事になる前に殺人事件が起きているしね。あと挿入されている見取り図の茶室の間取りがどうもヘンテコ。茶室は設計上の約束事がやたらと多いから、難しいんだよ。 4点でもいいかもだけど、意外に時代考証のボロが出てないから5点でいいか。若者時代の某有名人が登場するのが笑える。 |
No.1441 | 7点 | 誰でもない男の裁判 A・H・Z・カー |
(2025/07/27 09:31登録) 短編名手としてEQMMで名を馳せたA.H.Z.カーの短編集。大雑把にいえばこれも「奇妙な味」系になるのかもしれないけども、そもそも「奇妙な味」というカテゴリー自体乱歩が無理やりヒネリ出したものみたいにも感じたりするのだ。 というか、やはりEQMM・マンハント・ヒチコックマガジンなど50年代・60年代のアメリカの雑誌文化には、広義のミステリ観というのか、ジャンルをクロスオーバーした独自の世界があったようにも思うのだ。その結晶が早川の「異色作家短篇集」でもあるのだけど、これから漏れた異能な雑誌短編作家で惜しい人たちというもの結構いる。イーリイもそうだったし、カーもそうだ。やや後の世代だと、ローレンス・ブロックとかE.D.ホック、ジャック・リッチーといった人たちになるんだろう。評者は70年代にこういうあたりの海外ミステリ翻訳雑誌にヘンな忠誠心みたいなものがあるから、気になってとりあげているという自覚もあるよ。 でカーである。大統領の経済顧問としても著名人であり、小説執筆はホントに余技。だからこそ、専門作家が「アイデア」でさらっと書きとばしてしまうネタを、しっかりと自分の人生経験で発酵させて書いている印象。こういうあたりがEQMMなんかのコンペでは突出するんだろうな。いやホントに「黒い子猫」とか「ミステリ未満」な話なんだけども、頭でっかちな牧師の罪としてこれを「ネタ」でなくしっかりと書ける能力というのは、まさに他人の人生を想像する「小説家」の能力なんだ。同様に「虎よ、虎よ」だって形式的にはミステリとしての結構を備えているのだけども、それがこの小説の本質ではなくて、ブレイクの詩に触発されて核戦争の破滅的なイメージを発酵させている詩人が巻き込まれた事件の「話」として、それを説得力をもって語れているあたりに、カーの異能さがうかがわれると思うのだ。 表題作の「誰でもない男の裁判」も、信仰と政治的思惑に翻弄される「劇場的殺人」を扱うという、政治に深くコミットした作者ならではのバランス感覚が読みどころではないのだろうか。そういうアメリカらしい政治の皮肉は「市庁舎の殺人」にも現れている。人工降雨の専門家殺害の動機と市長選挙の関りは....たしかに今回の参院選挙でもわざと三連休中日に投票日を設定するなんて疑惑の運営があったわけだしね(苦笑) だからこの短編集というのは、カーという「人物を愉しむ」本だと思うのだ。なかなかレアな体験だと思う。 |
No.1440 | 7点 | 吠える犬 E・S・ガードナー |
(2025/07/25 21:46登録) ぺリイ・メイスン4作目。裁判シーンは100ページ弱。 主要登場人物は2組の夫婦とその家政婦というわけで、かなり事件の規模が小さい。略奪婚をして隣人の妻を奪った男が隠れ棲む住宅地に、元夫が追跡してきて...というシチュエーションでの話になる。依頼人は追ってきた元夫で、メイスンに矛盾する遺言を託したり、「犬が吠えるのを止めたい」という依頼をする。例によってメイスンは略奪婚した男の家を訪れるが、そこで死体を発見してしまう。容疑は元妻にかかり、依頼主の遺言にあったとおりに、メイスンはその元妻の弁護を引き受ける。家政婦は犬が吠えたことを否定するが、はたして犬は吠えたのか? 裁判シーンはかなりあざとい策略をメイスンは使い、ドラム検事が気の毒になってくるくらい。メイスンはほぼ検事を焚きつけて、準備が整っていないのに裁判を開始させたんじゃないかしら?というくらいのもので、予定外のことが裁判中に起きまくってメイスンが勝利する(苦笑)はっきり検事お気の毒。不確定要素がまだ決着していないのに、容疑が濃いから裁判するというのが拙速の極みというもの。 とはいえ「犬が吠えたか」というピースの使い方がナイスなのと、真犯人について「なるほど、そういうこともしたいんだよね」と思わせるところがある。雑と言えばそうなのだが、剛腕っぷりがそれでも面白い。ガードナー自身もお気に入り作だそうだが、パターンを確立した思い出作かもね。 |
No.1439 | 6点 | 破局 ダフネ・デュ・モーリア |
(2025/07/25 14:08登録) さて早川異色作家短篇集も残りが少なくなってきた。「レベッカ」で有名なデュ・モーリアといえば、短編のキラーコンテンツで「鳥」があるわけで、これはそのうちやることにしたい。なんだけども、本書は異色作家短篇集の中でも、とくにジャンルが不明確というか、ミステリ色の薄さが際立つ印象だ。 いや何というか、要約しづらい。ストーリーテリングは上手なのだが、主観的に歪んだ描写が目について、現実の事件が曖昧模糊とした印象を受ける。なので、読んだ後に突き放されたような気持になる。そんな中でも「アリバイ」が一番ミステリ風というか、一種の殺人欲求によって身元を素人画家と偽って、地下室を借りた男。予定被害者はその貸主の中年女とその子供...だが二重生活の果てに、事態は思わぬ方向に動いてく。まあだから倒叙と見ることができるかもしれないが、ミステリな方向には絶対に話は動いていくわけがない。けども何となく話が落ち着くところに落ち着いてしまう。こんなオフビートな面白さだろうか。 「青いレンズ」は筋立て自体はありふれているというか、眼の手術をした女が仮に目に入れたレンズの副作用?か、周囲の人間すべてが動物の頭を持っているように見えてしまう話。高橋葉介のマンガで突然周囲の人間が全部怪物に見えてしまう話があるが、こういうネタは人間の本質を巡る一種の寓意のあたりを周回しつつどう決着するかが見ものなのだが、オチているのかオチていないのか微妙なあたりで作者は終わらせている。とにかく居心地が悪い。 「美少年」は要するに「ヴェニスに死す」で、金持ちのイギリス人がヴェニスで出会った美少年に食いものにされる話。西欧精神の堕落とかそういうあたりを巡るのかと思うと、そうでもない。簡単に自虐的な悲劇にはしてくれないのだな。 「皇女」はといえば、モナコのようなヨーロッパのミニ公国の革命の話。不老長命の泉を秘蔵し、幸せに生きていた国民がデマゴーグに踊らされて、君主を打倒してしまう話。いやたとえば日本だって、ヨーロッパ人から見て「逝きし世の面影」で描かれたように一種のユートピアに見えていた側面もあるわけだし、昨今のグローバリズムの強要にウンザリしつつある状況も併せみると、さまざまな含意をもった寓話のように読めてしまう。とはいえ、それも作者の「手」なのかもしれないのだが。 だからまあ何というか、どれもこれも「収まりの悪い話」で手におえない。どうみてもこの「収まりの悪さ」が作者の悪意みたいなものだから、読んだ後に困惑してしまう。これが持ち味か。ちなみに「破局」という作品は収録されていない(オリジナル短篇集"The Breakpoint"1959から訳題を取っており、この底本マイナス3作プラス「あおがい」の独自編集のようだ)が、何となく腑に落ちるあたりが、らしいというべきか。 |
No.1438 | 8点 | 久生十蘭短篇選 久生十蘭 |
(2025/07/21 17:56登録) 久生十蘭のアンソロだけど、岩波文庫というのがフルってる。最近では乱歩だって岩波文庫で出てたりするわけだが、教養主義の牙城である岩波から乱歩やら十蘭やら出てしまう21世紀というのは、何なんだろうな。編者はモダニズムの研究者で、戦前の新青年やら宝塚やら調べているとよくお目にかかる川崎賢子。とりあえずこのアンソロは「黒い手帳」以外は戦後作品。秘境小説は外して、ミステリ度は低いけど、奇譚としての豊穣な世界をのぞかせるアンソロとなっている。総じてハズレなし。 編者の好みかもしれないが、比較的ロマンティックな「秘めた恋」の話が多いかな。そう見るとアンソロ最後の作品「春雪」などは、そういう編者の好みが強く出た名編ということになりそうだ。視線を交わすだけで成立する恋と、身代わりでも成立する結婚の話。まあだからか、ペーソスのある話に仕上がっていることが多い。死者の霊が帰ってくるお盆の時期に絡めて、ニューギニアの「雪」を描く「黄泉から」。「鶴鍋」なんてトリッキーな恋の取り持ち話だし、「復活祭」でもそれとない父子の名乗りの話で、「秘するが花」が生み出す興趣というのは、十蘭が男女の別れ話を「三年かけてい・や・だ」と伝えるものだといったという逸話とも結びついてくる。 「I love you」を「月がとても綺麗ですね」と訳すべきだ、という漱石にひっかけた俗説があるように、恋は秘すべきなのが日本人なのだな(苦笑)そういう「恋」が十蘭の「ミステリ」なのかもしれないよ。 個人的には「白雪姫」が好きかな。わがままな妻と軽装で氷河を横断しようとして、妻がクレバスに落ちてしまう話。氷河の描写にシュティフターの「水晶」を連想する。22年かけての「ハナが天然の氷室に包蔵されたまま、幻想的な旅行」というイメージの鮮烈さにヤラレる。年老いた夫が氷の棺に閉ざされた若いままの妻と再会する感慨はどのようなものなのだろうか? アイデアが秀逸と思うのは「蝶の絵」。どうみてもおカイコぐるみで、荒い風浪に耐えそうにもない良家のボンボンが、応召して与えられた秘密任務の話。適材適所、というべきかw あと一応議論の余地なくミステリな「雪間」もイメージが鮮烈。 「長唄は六三郎、踊りは水木。しみったれたことや薄手なことはなによりきらい、好物はかん茂のスジと初茸のつけ焼き。白魚なら生きたままを生海苔で食べるという三代前からの生粋の深川っ子」と描写される老刀自が登場する「ユモレスク」。この老女は十蘭を追いかけてパリに渡り、生花展を成功させた十蘭の母の面影が投影されているそうだ。いや実際、「ユモレスク」だと茶懐石のシーンがあるわけで、十蘭にも茶道の教養を窺わせたりもする。 また全体的に男性作家としては例外的に、女性の登場人物のファッション描写「栗梅の紋お召の衿もとに白茶の半襟を浅くのぞかせ、ぬいのある千草の綴織の帯をすこし高めなお太鼓にしめ...」とか詳細で的確というのも、なかなか凄い。「細雪」かいな... そうして見ると十蘭のキャラの立ち上がりを味わうためには、今時では結構な「教養」が必要になってきているのかもしれない。岩波ってそういうことか(苦笑) |