| おっさんさんの登録情報 | |
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| 平均点:6.33点 | 書評数:230件 |
| No.190 | 7点 | 推理小説雑学事典 事典・ガイド |
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(2020/01/13 15:26登録) 懐かしい本。 慶應義塾大学推理小説同好会のメンバーが分担して執筆し、同会の顧問だった中村勝彦教授が監修した――といっても、同人誌のたぐいではありません。 筆者が子供の頃、町の小さな本屋さんを覗くと、趣味や実用の新書本が、結構、棚を占めていた記憶があります。 KOSAIDO BOOKS のコーナーで、『鉄道雑学事典』や『プロ野球雑学事典』と並んでいたのを見つけた本書は、背伸びして大人向けの推理小説に手を出し始めていた小学生には、格好のガイドブックになってくれました。 昭和51年、といっても、いまではもう、ピンときませんかね。西暦1976年のことです。 章立ては、こんな感じ。 第一章 推理小説の創られ方=作家の秘密 第二章 本格推理アラカルト=何をどう読むか 第三章 完全犯罪学講座=裏から読むトリック 第四章 魅力の名探偵解剖=人物を捜査法を 第五章 マニアの読み方、楽しみ方=知恵の遊び トリックのネタバラシのオンパレードでありながら、具体的な作品名には言及せず、完全犯罪を目指す読者への実用講座という体裁をとった第三章も楽しいのですが(「補講」として、もし完全犯罪が失敗し、逮捕されたときのために、脱獄トリックをまとめた「脱獄の手引き」が最後に用意されているあたりのユーモア・センス)、ませた子供だった筆者をいちばん刺激したのは、第五章のなかの「入手困難な推理小説」という絶版本ガイドでしたw どんな時代だったかを端的にしめす文章があるので、引いておきましょう。 ミステリーの女王クリスティーには四作絶版のものがある。『ホロー館の殺人』『チムニーズ館の秘密』の他、ポアロ登場の中期名作『白昼の悪魔』、ミス・マープル最初の事件『牧師館の殺人』はマニアには見逃せない。クリスティーには八〇作以上の作品があり、その全部が訳出されているわりには、簡単に手に入らないのがたった四作。非常に恵まれた作家だ。(引用終わり) まあ、そんなわけですから―― ガイドブックとしての歴史的使命(?)は終えた本です。 本サイトの掲示板で物議を醸した、エスカイヤー誌のわけありの「ハードボイルド探偵比較表」を、よく調べもせず、出典も明記しないまま、勝手に転用したような「罪」の部分もあります。 しかし、推理小説に興味を持ち出した小学生を、次なるステージに誘い、マニアへの一歩を踏み出させる、そんな「功」もあったことは、証言しておきたいと思います(それも「罪」だというキミは、外へでなさい)。 採点は、そうした感謝の意味を込めて、です。 願わくは、いまの子供たちにとって、そうした存在となりえる本があってくれますように。 |
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| No.189 | 6点 | オトラント城綺譚 ホレス・ウォルポール |
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(2019/12/03 12:33登録) マンフレッドの目をまず第一に射たものは、なんだか黒い鳥毛のように見えるものを、下人(げにん)どもの群れがエイヤエイヤと懸命になって持ち上げている姿であった。目をこらしてよく見たものの、自分の目が信じられなかったので、マンフレッドは怒気をふくんでどなりつけた。「ヤイヤイ、きさまら、何をしてさらす! 和子(わこ)はどこにおるのじゃ?」 / すると、異口(いく)同音の声がいっせいに答えた。「おお上(うえ)様! 若君様は! 若君様は! このお兜が! お兜が!」/ 涙まじりのその声に、あるじはギックリ。なんのことやらわからぬまま、こわごわ前にすすみ出てみると、こはそもいかに、わが子はグッシャリ、木っ葉みじん。さながら尋常の人間のためにつくられた兜の百層倍もあるような大兜の下にうち敷かれて、その上を、大兜にふさわしい山のごとき黒い大きい鳥毛が、くろぐろと蔽っていたのである。(平井呈一訳『オトラント城奇譚』第一套より) ――むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす (゜o゜) 古典的な作品の翻訳を「新訳」に移し変える風潮が強まるなか、逆に往年の「名訳」を復刊する試みも目につくようになり、たとえば、さきごろ創元推理文庫からは、藤原編集室の企画で『幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成』が刊行されました。 平井翁の怪奇小説方面での業績に関しては、他言を要さないでしょうが、狭義のミステリの翻訳に限っても、カー(ディクスン)の『黒死荘殺人事件』やクイーンの『Yの悲劇』あたりの個性的な訳業は異彩を放っています。 ただ個人的には、文章表現の凝りっぷりが、ときに演出過剰に感じられ、敬して遠ざけるようなところのある訳者でした。 思えば学生時代、元祖ゴシック・ロマンスの誉れ高いホレス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』(1764)を、氏の訳文で読もうとして(恐ろしいことに、擬古文で訳してみせた思潮社版『おとらんと城奇譚』というヴァージョンも存在するようですが、筆者が齧ろうとしたのは、もちろん現代語訳のほう、であるにもかかわらず……)大仰なノリについていけず挫折したのが、トラウマになったのかもしれません。 しかし、前掲の『幽霊島』のページをペラペラめくり、付録の、生田耕作とのゴシック小説対談の気炎――「オトラント」を巡る部分だけでも相当に熱い――に当てられているうちに、平井訳の「オトラント」は、やはり一度、ちゃんと読んでおくべきだな、という気にさせられました。筆者は基本的に、古典の読みなおしは新訳に依るようにしているのですが、そういうわけで、今回は例外となります。 幸い本サイトには、最新訳の研究社版(千葉康樹訳)を読まれた人並由真さんの、まことに行き届いた書評が投稿されていますから、万一、未読の向きがあれば、合わせてそちらも是非、ご高覧いただきたいと思います。 さて。 覚悟していたとは言え、読みやすくはありません。1764年という原作の発表年は、我国では明和1年、江戸時代の後期(ちなみに上田秋成の『雨月物語』が本になったのが、1776年の安永5年)のことですし、しかも舞台が中世ということで、作者のウォルポール(初版は匿名出版)が古語を駆使した怪奇時代小説(初版は実話めかした序文を付した“偽書”)を、凝り性の平井翁が腕によりをかけて訳しているわけですから、灰汁(あく)の強さは半端じゃなく、さながら読む歌舞伎か人形浄瑠璃といった趣。 単純に、エンタテインメントとしての怖い小説を期待していた、学生時代の筆者が、???となったのも、やむなしですが、さすがに今回は、覚悟ができていたので、ウォルポールの原作をもとにした再現芸術として、平井演出を受けとめることができました。いまさらながら、語彙の豊かさは凄い。そして、その豊富な語彙を武器にして、原作を日本語で語りなおしていく。平井呈一以外には、誰も平井呈一のように訳さない。訳せない。好き嫌いは別にして、これはやはり偉業と言っていいでしょう。 ただ、ひとつ、どうしても気になる“意訳”箇所があるのですが、それについては、あとで触れることにします。 肝心のお話は―― 天から降ってきたとしか思えない、巨大な兜が人を押しつぶす、冒頭のシュールな(ギャグと紙一重な)シーンに象徴される、“巨人幻想”のユニークネス(日本の本格ミステリ・ファンなら、その“奇想”が島田荘司ばりに合理化されることを期待してしまうかもしれませんが、これはガチの超常現象なので悪しからず)を除けば、怪奇小説としてはとうに賞味期限を切れています。 自宅をゴシック様式に改築するほど、中世を愛したオタク貴族ウォルポールが、ある晩に見た夢(「(……)夢の中でわたしは古城の中におり、大階段のてっぺんの柱から甲冑の中に巨大な手がのぞいているのを見たように思います」作者の書簡より)からインスピレーションを受け、憑かれたように書きあげた、できそこないのシェイクスピアのような(実際、作者の真意はシェイクスピア史劇をもじったノンセンスな茶番劇を書くことだったのでは、という解釈もあるようです)、短めの長編。しかしそれが、当時のイギリスの、リアリズム路線の長大な小説に飽きていた読者に受けたと。 そして、刺激された後続の作家たちによって“ゴシック・ロマンス“として確立されることになる、ジャンル小説の基本フォーマット(中世、異国、城、超自然、悪漢、迫害される乙女etc.)がここに用意されたと。 そして近代に入り――いったんは廃れたそのゴシック・ロマンスのアメリカン・ルネッサンスとして、かのエドガー・アラン・ポーが登場してくると。 歴史的価値で評価するなら、「オトラント」は満点ですよ。 ただまあ、いま読んで面白いかとなると、ちょっとキビシイ。 ましてや「ホラー」を期待するとね。 前述の“巨人幻想”と、オトラント城主マンフレッドの、不思議な魅力――後続の多くのゴシック・ロマンスにおける、ヒロインを迫害する“悪漢”のモデルになった存在でしょうが、でも「オトラント」における彼は、じつは悲劇の主人公なのです――を勘案して、6点としましたが……「新訳」で読むと、また変わってくるかもしれません。 最後にまた、翻訳の話。 作中、オトラントの城には、代々ある予言が伝えられています。 平井訳では、こう。「オトラントの城およびその主権は、まことの城主成人して入城の時節到来しなば、当主一門よりこれを返上すべし」。でもこれって、ネタバラシじゃね(笑)。 そして、“巨人幻想”の暗示がまったく消されてしまっています。 原文はこう。 The castle and lordship of Otranto“should pass from the present family, whenever the real owner should be grown too large to inhabit it.” 最新の研究社版、千葉訳をネットでチラ見してみると、ここは、こう。「真の城主、容(い)れ能わざるほど巨大になりしとき、偽りの城主とその同胞(はらから)オトラントの城を去らん」。 うん、謎の予言っぽい。でも present family を「偽りの城主とその同胞」って、ネタバラシじゃね(笑)。 まこと翻訳は難しい、というお話でした。 |
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| No.188 | 7点 | ノーサンガー・アビー ジェーン・オースティン |
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(2019/10/14 14:07登録) A「おっさんが文学づいて、オースティンに手を出したって聞いたんだけど、ホントかい?」 B「大げさだなあ。そりゃあ、読書傾向がミステリに偏っているのは認めるよ。でも、イギリス・ミステリに親しむ者の嗜みとして、オースティンやディケンズなら、過去に多少は、かじってきたさ。今回は、たまたま「ミステリの祭典」への作品登録に刺激されて、老後の楽しみにとっておいた『ノーサンガー・アビー』に、目を通す気になっただけで」 A「ゴシック・ロマンスのパロディ、だっけ? (用意のメモを取り出して)発表はオースティン没後の1817年だけど、執筆されたのは1798年か。いずれにせよ、ポオの「モルグ街の殺人」の1841年より、早い早い(苦笑)。なんでもかんでもミステリ扱いするのは、どうなんだろう」 B「18世紀末に流行したゴシック・ロマンスを、ミステリの源流とする見方があるわけで、そのパターンを踏まえたうえで、愛情をもって揶揄した『ノーサンガー・アビー』――田舎育ちの平凡な女の子が町へ出て社交デビューするけど、ゴシック・ロマンスの読みすぎがもとで迷走していく話――には、いってみれば、元祖ユーモア・ミステリの趣きがあるんだ。ロナルド・ノックスの『陸橋殺人事件』なんかにつながる流れだね。昔読んだ、同じ作者の『エマ』や『高慢と偏見』の、円熟した印象にくらべたら、どうしたって若書きの習作感は否めないけど、そのぶんここには、かけがえのない“新人の輝き”がある。読めて良かったし、作品を登録してくれた弾十六さんには、感謝しているよ」 A「サイトに、書評も投稿されてたね」 B「弾さんのあの書評は、ちょっと脱線気味だけど(笑)。でも作品のポイントは、きちんと押さえられていて、とりわけ『立派な謎が登場して最後までとても楽しめました』というくだりには、膝を打った」 A「(準備のメモで作品の粗筋を確認しながら)お話は後半、舞台を温泉行楽地のバースから、ヒロインが招待された由緒あるカントリーハウス「ノーサンガー・アビー」に移す、と。そこで何か、一見、超自然現象みたいな謎が提示されるのかな?」 B「まあ、そのへんは読んでみてのお楽しみ、なんだけど……率直にいって、「解明される超自然」みたいなタイプの謎物語を期待すると、裏切られる。俺が感心したのは、もっと別な“謎”でね。表面的なゴシック・パロディが一段落したあとで、終盤、ヒロインはある“迫害”を受けるんだ。それはいったい何故? という部分」 A「おお、まさかのホワイダニット!?」 B「“真相”自体は、作者が最後に地の文で種明かしするわけで、弾さんが『最後がとても慌ただしい』と書かれているのは、ホント、その通り。だけど、照応する伏線が、前半のバースでの社交場面のなかに、きちんと埋め込まれているあたり、その構成力は充分、ミステリ・ファンにも訴求すると思う」 A「わかった、わかった。気になる本として『ノーサンガー・アビー』のタイトルは、頭にとどめておくよ」 B「先行する訳書のことは分からないけど、中野康司訳のちくま文庫版は、きわめて読みやすい。古めかしいはずの、作者の視点による注釈も、弾さん曰く『ぶっちゃけた語り口』で気にならないし、文学とか意識せずに、昔のイギリスを舞台にした新作のラブコメを読むような気分で、楽しめるはずだ。それだけに――」 A「ん?」 B「「ミステリの祭典」で、作者名がジェーン・オースティンで登録されてるのが、ちょっと残念。どうせなら、ファースト・ネームの Jane は、ちくま文庫版の「ジェイン」を採用してほしかったなあ」 A「どっちでもいいよ(笑)」 |
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| No.187 | 7点 | 読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100 事典・ガイド |
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(2019/09/13 22:18登録) 今回は、雑談ふうに。 という書き出しで、NHKカルチャーラジオのテキスト(風間賢二『怪奇幻想ミステリーはお好き?』)を採り上げたことがありました。もう五年も前になりますか。 で、まあ、今回もそういうことでw 見るべきほどのものは見つ――という心境になって久しいので、あまり新しい、ミステリのガイドブックのたぐいには心を動かされなくなった、おっさんですが、それでもたまに、著者のユニークな視点に啓発され、読書意欲を掻き立てられることがあり、2015年に出たこれは、そんな貴重な一冊。 さきに日本経済文芸文庫から刊行されている、『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』(杉江松恋著)および『読み出したら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』(千街晶之著)の続編となるわけですが、「どうしてコージーミステリーやロマンティック・サスペンスは、こういうランキングに入ってこないんだろう? 一世を風靡した女性私立探偵小説やゴシック・ロマンスのほとんどが、どうしてガイドに収録されてないんだろう?」という、著者の疑問・不満からスタートした、「女子ミステリー」の案内書であり、ミステリ・マニアの目から、鱗がボロボロ落ちるラインナップは壮観というしかありません。こちらの読んでる本がほとんど無いww そりゃあ、個々の作品の選択については、いろいろ言いたい事もありますよ。栗本薫は、このテーマなら『ぼくらの時代』より『優しい密室』でしょう、とか、横溝正史なら『犬神家の一族』より『三つ首塔』がよろしくなくって、とかwww しかしともかく、アガサ・クリスティーからミス・マープルものの『ポケットにライ麦を』をチョイスし、さらにコメンタリーのなかで、代表作を挙げたあと「女子ミステリー的お勧めは、ノンシリーズ長編の『春にして君を離れ』と『終りなき夜に生れつく』」と書いているだけで、大矢博子女史の本読みとしてのセンスは本物だと、実感できます。 書店で見かけたら、是非手にとってみて下さい。 最初の一冊め、その紹介だけでも、読む価値ありです。 え、誰の、何という本か、ですって? それは―― ジェイン・オースティン『ノーサンガー・アビー』 |
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| No.186 | 7点 | 白い僧院の殺人 カーター・ディクスン |
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(2019/08/27 12:57登録) 残暑が厳しかったおり、“雪の密室”で納涼気分を味わおうと、今年6月に創元推理文庫の「名作ミステリ新訳プロジェクト」第6弾として出た、高沢治訳の本書を手にとってみました(しかし、ハヤカワの『三つの棺』新訳版の刊行直後のレヴューでも書きましたが、版元はホント、もう少し作中の季節と出版時期を合わせたほうが良くはないかい?)。 『黒死荘(プレーグ・コート)の殺人』(レヴュー済。乞併読)と同じ1934年に刊行された、ヘンリ・メリヴェール卿シリーズの2作目で、前作を彩っていた、おどろおどろしいオカルト色は、演出意図のつかめぬ不可能犯罪という、ホワイダニットを打ち出すため意識的に排され(H・Mいわく「誰も幽霊の仕業だとは口にしておらんし、人を殺して回る物騒な幽霊が別館に出るとほのめかした者もおらん」)、狂言回しとなる若者のキャラも変更されているものの、援助者としての名探偵を後半に投入する、小説の基本フォーマットは『黒死荘』を踏襲しており、訳題的にも「黒」を受けての「白」というわけで、好一対となっています(次作が『赤後家の殺人』で色(カラー)三部作、というのは冗談w). 中学時代に同じ創元推理文庫で、厚木淳の手になる旧訳(とはいえ当時は「新訳」)を読んで以来の再読ですから……四十年以上経ってて、溜息。 当時を振り返ると、事前に『修道院殺人事件』という旧題から、勝手な妄想をたくましくしていたので、ちょっと期待はずれ(あれ、エロいシスターとか、出てこんのかい ^_^;)、だったように思います。さすがに最終的な解決は良く出来ていると感心しながらも、そこに到るまで、正直、退屈しながら読み進めた印象のほうが強く残っており、その後、カー/ディクスンの他の代表作は、あらかた再読、ものによっては再々読を果たしながら、メインの〈足跡のない殺人〉の顛末以外、ほぼ忘却の彼方に去った『白い僧院』をずっと放置してきたのも、そのへんのマイナス評価があとを引いていたからですね。 「新カー問答」のなかで、松田道弘が本作について、つむじまがりのカーファンの口を借りて「しかし登場人物の描きわけが十分でないので読みかえすのは正直いってかなり苦痛だったね。会話がまずいせいだろうな。クリスティーとの人気の差はここにもあると思う」と述べていたのも頭にこびりつき、心理的なブレーキになっていたかもしれません。 さて。 そんな『白い僧院』を、再訪した感想は―― アハハハ、やっぱ読みづらいわ。松田道弘は正しかったw ともかく分かりやすい文章表現が重視されているとおぼしい、いまどきの「新訳」(まあ、読みやすさくらいしか取柄がない訳書も、目につきますが)の流れのなかで、このリーダビリティの低さとなると、やはり原因はテクスト自体にあるわけで。 もともとこの頃のカーは、良く言ってストーリーテリングに磨きをかけている段階、悪く言ってしまえば小説技術が発展途上の時代なのですが、今回は、なまじドラマ性が必要なストーリーの骨組みを作ってしまったばかりに、それを支えるキャラクターの肉づけの未熟さという弱点が、あらわに出る結果となりました。深刻な作品だからといって、最初から深刻ぶった連中が深刻な芝居をしても――努力のあとは窺がえますが――落差が無くて単調なんですよ。第13節「キルケーの夫」とかねえ、本当は爆発的な印象を与えるはずのところが、ああ、そうですかに終わっているのは勿体無さすぎる。 せめて、被害者となるバンプ女優(名をマーシャ・テイトと言います。そこから、のちのち、現実に惨殺事件の犠牲者となった女優「シャロン・テート」を連想して、と書くのは不謹慎の謗りを免れないでしょうが……“暗合“が妙なザワザワ感を醸します)だけでも、回想シーンを通して、もう少し生前のキャラを印象づけておければ良かったのになあ。導入部のフラッシュバックを「説明」ですませたツケは、大きいなと。 あ、原作には無い、現場周辺の地形図(原案=高沢治 作成=TSスタジオ)がこの新訳版では巻頭に載っているので、作品の情景は『黒死荘』より、視覚的に格段に理解しやすくなっています。ここを褒められても、地下の作者はあまり嬉しくないでしょうけどねww と、ここまで、小説としてはサイテー、みたいな評価を綴ってきましたが、再読して改めて感じさせられたのは、じつはミステリとしてサイコー、ということなんです。 このプロットづくり、まさに天才的。「カーの発明したトリックの内で最も優れたものの一つ」(江戸川乱歩)が使われているから、本作は優れている? 否。カーは、当時流行の推理クイズ本から本作のトリックの着想を得たと言われていますが(森英俊氏の行き届いた巻末解説「〈密室の巨匠〉のもうひとつのクラシック」を参照のこと。出典は、ダグラス・G・グリーンの評伝『ジョン・ディクスン・カー〈奇跡を解く男〉』)、じつは筆者、問題のクイズ本よりずっとまえに発表されている、R・オースティン・フリーマンの(我国では戦前訳しかない)ソーンダイク博士ものの短編*で、似た着想の、砂上の足跡トリックに接しています。 カーが、これを読んでいないはずが無い。ただしこの短編、不可能犯罪ものではありません(なので、〈足跡のない殺人〉の歴史を概観した、前掲の森解説では触れられていない)。それを、巧妙に“雪の密室”に応用したのではないかと思うのですが、作者の天才は、そこにさらに、E・C・ベントリー『トレント最後の事件』以来の、「分離」という趣向を持ち込みました。それをカモフラージュするために、名探偵を使って、一見もっともらしいプレ「密室講義」(犯人が不可能状況を作り出した動機の大別)をさせるというあたり、舌を巻く巧さです。 ディクスン・カー名義の『帽子収集狂事件』から一歩進んで(『帽子』で希薄だった解明の論理にも、留意されています)、本作で作者は、都筑道夫のいうモダン・ディテクティヴ・ストーリイを考えるうえで、無視できない存在になったと断言できます。長編評論『黄色い部屋はいかに改装されたか?』で、この『白い僧院』をスルーしてカーを批判した都筑氏――必然性の重視という観点からクレイトン・ロースンを推称するにあたり、わざわざ『赤後家の殺人』を持ち出して斬ったりしているんだよなあ――は、もしそれが意図的なものだとすれば、アンフェアと言われても仕方ないでしょう。 そして、もうひとり、本作との絡みで挙げておきたい日本人作家がいます。他ならぬ、ヨコセイです。カーから受けた影響に言及するとき、最初に原書で読んだ『黒死荘の殺人』や『帽子収集狂事件』を引き合いにだすことが多かった横溝正史ですが、いやいや、『本陣殺人事件』といい『蝶々殺人事件』といい『獄門島』といい、影響がモロなのは、この『白い僧院』でしょう。そして前述の「分離」という趣向を受け継ぎ、発展させ、それがのちの都筑道夫にも、多大の影響を与えています。 というわけで、これは本格ミステリ・ファンなら必読の一冊なのでした。まあ、読み物としての出来を考え、点数は泣く泣く低めにしましたが……限りなく9点に近い7点ですwww * フリーマンの当該短編は、幸い、2020年9月刊の『ソーンダイク博士短篇全集1 歌う骨』(国書刊行会)に、渕上痩平氏の新訳で収録されました。(2012.12.15 追記) |
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| No.185 | 4点 | オペラ座館・新たなる殺人 天樹征丸 |
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(2019/07/23 15:09登録) 作 天樹征丸 画 さとうふみや ――というわけで、小説版『金田一少年の事件簿』です。 メディア・ミックスの一環として、1994年から2001年にかけて、マガジン・ノベルスというレーベルで計8作が刊行され(一部が講談社ノベルスや講談社文庫にも編入され)た、「漫画では読めないオリジナル・ストーリー」のシリーズ第一弾にあたります。 蔵書を整理していたら、象の墓場から出てきました。そうだ、こんなの買ってた買ってた、忘れてたw 妙な郷愁に突き動かされ――すっかり黄ばんでしまったマガジン・ノベルス版(紙質が悪い)を、購入からほぼ四半世紀を経て、卒読。 漫画版の第一作『オペラ座館殺人事件』(本サイトでレヴュー済です。乞併読)で惨劇の舞台となった、孤島の劇場が取り壊され、新築された劇場の内々の記念公演に、ハジメと美雪が招待されることになるが、そこで再び、漫画版と二重写しになるような見立て殺人が発生し、新たな怪人「ファントム」が跳梁する――という、典型的なパート2仕様で、ベタではありますが、漫画版の(あまり小説を読まないような)読者を活字の本格ミステリの世界へ誘う試みとしては、マルが付けられると思います。 では、本格ミステリ・ファンが読むとどうか? うん、そんなに悪く無いですよ。といって、「いいね」と言うほどでもないんですけどww なぜ犯人は、「オペラ座の怪人」のストーリーに見立てて、犯行をおこなったのか? 漫画『オペラ座館殺人事件』で描かれた見立ての理由、ホワイダニットの答えがもっぱら心情的なものだったのに対して、こちらはそこに、論理的な必然性をもたせています。 ハジメいわく「(……)すべての出来事に、なんらかの意味があるはずだ。『密室』や(……)あのシャンデリアの演出にもね」。 あ、個人的には、シャンデリアの落としかたを、ちゃんと説明してくれたのは、ポイント高いです。漫画版もそうですが、原典たるガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』(レヴュー済。以下略)からして、その点、大雑把にすぎますから。ミステリなら、そこは当然、押さえるべき。 ただ。 ホワイダニットに目配せしたはずのストーリーが、蓋を開けるとトリック小説で終わってしまっていて、結局、「「新本格」をやろうとしたけど、旧本格になってしまったでござるの巻」といった読後感に落ち着くのは、漫画『オペラ座館殺人事件』と大差ありません。 確かにメイン・トリック自体は、漫画版より工夫されています。カーと正史の悪魔合体。パクリと言われないだけのアレンジは施されていますし、作中の犯人は、いちおう事前にリハーサルもしていたようで、そのへんも作者が、漫画版の反省を踏まえてのことかもしれません。 ですが、トリックの肝心かなめの部分は、前もって試してみるわけにはいかない。現物を使っての実験は無理で、どうしても、ぶっつけ本番です。果たして計算通りうまくいくか? 現場に致命的な痕跡が残ってしまう可能性は、否定できないでしょう。もし駄目で、トリックから犯行が露見したらそのときはそのとき、そこまでの運だった、と諦めきれる犯人ではないはずです。だって、まだそのあとに、本当にやらなければならないことが残っているんですから……。 そう、犯人には、最後までやらなければならないことがあった。この人物が仮面を脱いで、ハジメたちの前で心情を吐露するクライマックスは印象的です。漫画『金田一少年の事件簿』シリーズで、お馴染みのパターンではありますが、ヒネリを利かせて意外性を演出しています。ただ、ジュブナイルとしては、ちょっとエグい内容が盛り込まれているので、好き嫌いで言ったら嫌い、かな。逆に、少年漫画だと(普通なら)却下されるようなダークな部分を、小説版に盛り込んだ点を評価される向きもあるでしょう。 漫画では表現できない、活字ならではの、ちょっと面白いミスリードもあったりして、公式の二次創作とはいえ、作者がクリエーターとして、漫画版との違いを念頭に置いて仕事をしていたのは、間違いありません。 新人作家の第一作であり、まずは敢闘賞、といっていいと思います。 あ、ハジメ君のキャラはそれなりに立っているのに、ヒロイン美雪ちゃんの役どころが弱いのは、一考の余地あり、だなあ。さとうふみやさんの絵に、頼りすぎ。次作以降、もう少し頑張って欲しいな、うん(って、追いかけるつもりか、自分?)。 |
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| No.184 | 8点 | 13・67 陳浩基 |
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(2019/03/14 10:07登録) A「おっさんがこの前、「ミステリの祭典」で陳浩基の「青髭公の密室」って短編を紹介してたのが印象に残ってたから、掲載号の『オール讀物』を図書館で借りて、読んでみたよ」 B「そりゃまたどうも。今年はアジア・ミステリに力を入れる気配の早川書房が、陳さんの短編集を出してくれるようだけど、事前の告知を見る限り、その本に「青髭公」は入ってないっぽいね。文藝春秋社のほうでも何か、動きがあるからかもしれないけど。で――どうだった?」 A「ああ、面白かったよ。でも、やっぱり『13・67』で一皮剥ける前の習作って感じかな」 B「ぶっちゃけちゃうと、俺は話題になった『13・67』の、あの大作感はあんまり好みじゃないから、作者にはもう少し、このテの遊びに徹した軽い路線も、続けて欲しいって気持ちがあるんだ」 A「へえ。『13・67』のことは、評価してるんだと思ってたけど」 B「作者の意欲は認めるさ。警察小説の皮をかぶった名探偵ものの連作として、2013年の“現在”から1967年まで、ヴァラエティに富んだ六つのエピソードを通して香港の歴史を振り返りながら、主人公クワンの生涯を遡っていく、あの「逆・年代記」の構想は斬新だしね」 A「病床の、瀕死のクワンと弟子のロー警部のやりとりで展開していく、第一話「黒と白のあいだの真実」は、アームチェア・ディテクティヴ史上に残るだろ」 B「そうなんだけど、なまじリアルに寄せてるぶん、設定の無理がなあ。読んでて「ダウト」って言いたくなった。でも、黄金時代ふうのパズラーでありながら、一発ネタといっていい趣向のこの話を、連作の発端に化けさせた、陳さんのミステリ・センスは本物だね。孤島ものの『十角館の殺人』を館シリーズに発展させた、綾辻行人に通じるものがある。で、最後のエピソード、テロ活動の阻止を描いた「借りた時間に」が、じつは『○○館の殺人』というオチなんだ」 A「え? 最後のほう、よく聞こえなかった」 B「ただの冗談だから、気にするな(笑)。でもねえ、この本はやっぱり……」 B「なんだい」 A「蛇。――長すぎる」 A「って、ルナールかよ」 B「香港返還の年である1997年、警察からの引退か嘱託としての残留か、と自身の進路を巡って気持ちが揺らぐなか、同時多発的な事件を捌く羽目になる、モジュラー型の第三話「クワンのいちばん長い日」、あれが長いのは、そのタイトルもあって許せるけどさ」 A「個々の作品の出来でいえば、あの話が一番かもね。あまり話題にのぼらないところでは、誘拐事件を扱って連城三紀彦ばりにトリッキーな、第五話「借りた場所に」がマイ・フェイヴァリットだよ」 B「ただねえ、やっぱり、物語るのに言葉を費やしすぎ。『13・67』全体を通して、香港警察に対する作者の熱い思いが、強力なエネルギーになっている反面、随所の背景描写のくどさにつながって、島田荘司推理小説賞を取った前作『世界を売った男』の、軽快なリーダビリティは失われてしまっている」 A「う~ん、言ってることは分からなくもないけど、前作より、出来はこっちが格段に上だろ」 B「あくまで好みの問題、と断っておくよ。高得点は付けるにしても、渾身の力作ってのは、この年齢(トシ)になると受け止めるのに疲れてね。もともと俺は、ドロシー・L・セイヤーズなんかでも、後期の『学寮祭の夜』みたいに野心的なテーマを内包した傑作より、気楽に読める初期作のほうが好きな男だから」 A「はいはい(お前だって、無駄に言葉を費やして話が長いじゃんと思いながら)。好き嫌いと、出来の良し悪しの判定は別という事で了解した」 B「あと、どの話にも律儀にどんでん返しを用意してて、その工夫たるや大したものなんだけど、普通に終わるエピソードが途中、ひとつくらいあっても、よかったかな。意外な結末ありきという前提で、構えて読み進めていく読者をそらす意味でもね」 A「ホント、注文の多いおっさんだ(笑)」 |
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| No.183 | 6点 | オール讀物 2018年8月号 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 |
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(2019/01/18 19:52登録) 本当言って、陳浩基の「青髭公の密室」(稲村文吾訳)を取り上げたいだけなんですけどw いやあ、惰性で買い続けている早川書房の『ミステリマガジン』を別にすれば――特定の掲載作が読みたさに、小説雑誌を買い求めるなんて何年ぶりか。 にもかかわらず、買ったまま放置していた、くだんの『オール讀物』2018年8月号を、病院の待合室での読書に適当だろうと持ち出し、年末年始に、夏向けの「怪異短篇競作」で暇をつぶした筆者なのでしたw 表紙に刷り込まれたコピーでは、『13・67』でブレイクし華文ミステリの旗手となった陳浩基は別枠扱いですが(でも「最新短篇」という売り文句は嘘。ブレイク前の旧作です)、目次を見ると『青髭公の密室』も、恩田陸、朱川湊人、彩瀬まる、石持浅海、武川佑、村山由佳らの作品と一緒に「怪異短篇競作」の企画に組み込まれています。 なるほど、合理的な謎解きの用意された、名探偵もののパズラー短篇(というか、分量的には中篇)ではありますが、中世ヨーロッパを舞台に、童話の「青ひげ」を下敷きにして、そこに死体消失の不可能興味を盛り込んだストーリーは、まんざら特集企画のキーワード「妖(あや)し」と無縁ではありません(少なくとも石持浅海の、ひねくれた殺し屋探偵もの「死者を殺せ」よりはww いやあ、「怪異短編」の依頼を受けてこれを書く石持さん、さすがですwww、)。 旅の途中、法学博士にして作家のホフマン先生と、「僕」こと従者のハンスが、森の中で出くわしたパニック状態の女性。「あの恐ろしい場所には帰りたくありません……殺されてしまいます……お願いです! 私を助けてください! どうか!」。聞けばこの男爵夫人、夫の留守中に好奇心にかられ、預かった鍵束を使って立ち入り禁止の地下室に入ったところ、壁にくくりつけられた二人の女性の死体を見てしまい、男爵の先妻が二人とも姿を消しているという使用人の話を思い出し、命からがら城を飛び出してきたらしい。ホフマン先生は夫人を説き伏せ、「僕」ともども、彼女の故郷から来た義兄という触れ込みで、一緒に城へ赴き、帰還していた男爵を欺き客人となる。その夜。閉ざされていた地下室の扉を開いてみると―― 童話をミステリに改変する趣向は、面白い。 怠慢な『オール讀物』編集部は、なんのコメントも付していませんが、本作は、公募の推理短篇を対象とした「台湾推理作家協会賞」の、第7回(2009年度)大賞受賞作です。陳浩基はこの前年にも、同じシリーズ・キャラクターを探偵役に配した童話ミステリを同賞に投じ、最終候補に残っています。そして2011年に『遺忘・刑警』(邦題『世界を売った男』)で島田荘司推理小説賞を受賞、2014年に渾身の力作『13・67』を発表、という流れですね。 このお話、作者が都筑道夫やE・D・ホックだったら、もっと短い枚数で小味にまとめたろうな、と思わせますが、新人のコンテスト応募作としては、その悠々たる筆致がプロ顔負けです。 異様な「密室」の設定と、そのシンプルな解法。そして真相へ至る糸口が、原典の「青ひげ」のストーリーが内包する論理的な矛盾を突いたものであること。 これで、終盤の「黒」から「白」への反転が、もう少し鮮やかに演出できていたら、と、つい欲が出ます。 筆者の愛する、かの巨匠の言葉を借りましょうか。 「作中の人物たちの会話もまた、この意味で必然的なものであらねばならぬ。ストーリーを謎めかすためとか、特定の人物を怪しく思わせるためとかであってはならぬのだ。(……)要は読者が読了後に、もう一度ページを繰って――このような殊勝な読者に恵まれるのはめったになかろうが――なるほど、あのときのあの人物の会話には、そうした気持ちが潜んでいたのかと頷くだけの意味が含まれていなければならぬのである」(ジョン・ディクスン・カー「地上最高のゲーム」) それでも、ホフマン先生の謎解きが一段落したあと、ドラマを締めくくる、語り手ハンスの最後の一言。これはうまいなあ。陰惨な「青ひげ」を下敷きにしていたはずの本作が、最後の最後で、まったく別な童話へクルリとその様相を変える。陳浩基、やはり、なかなかどうして侮りがたしと思わせます。 「怪異短篇競作」のほかの諸作は、石持浅海の一作を除いて、おそらく一年もしないうちに筆者の記憶からこぼれ落ちていくでしょうが、「青髭公の密室」は間違いなく残ります。 いずれなんらかの形で本にまとめられるかとは思いますが、ひとまずこれを読むためだけに雑誌のバックナンバーに当たる価値あり、です。 |
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| No.182 | 7点 | ミステリマガジン2018年7月号 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 |
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(2018/11/21 19:29登録) 本当言って、ピエール・ヴェリの「緑の部屋の謎」を取り上げたいだけなんですけどw 本サイトの作品登録ルール(「はじめに」のページ参照)の 1. に 雑誌掲載のみで単行本化されていないもの 長編は書誌情報を注記のうえ登録可。Amazonとリンクしないので、書評の中にあらすじ紹介があるのが望ましい。 短編は、もともと単品での登録を認めていないため、どうしても書評したい場合は雑誌名を登録しその中で書評する。 とありますので、このカタチをとる次第です。 そういえば、過去に筆者、アガサ・クリスティーの戯曲「ナイル河上の殺人」(『宝石』昭和30年6月増刊号)と「ホロー荘の殺人(戯曲版)」(『ミステリマガジン』2010年4月号)も、同様に登録していました。そのときはまだ、「長編は書誌情報を注記のうえ登録可」という条件が出来ていなかったからなあ(遠い目)。 おっと閑話休題。 「ガストン・ルルーを偲び、心から敬愛をこめて」という献辞のある、短編「緑の部屋の謎」(竹若理衣訳)は、原題をLe mystère de la chambre verte といって、1936年に発表された、ピエール・ヴェリによる、『黄色い部屋の謎』(早川書房版の訳題だと『黄色い部屋の秘密』なんですが……)のオマージュ作品です。 屋敷に忍び込んだ泥棒は、こまごました物を盗んだだけで、高価な宝石のしまわれていた寝室はスルーして立ち去った。緑色の壁紙の張られたその部屋は、鍵がかかっていなかったにもかかわらず、なぜ泥棒は中に入りもしなかったのか? マルタン刑事と、保険会社の委託を受けた私立探偵フェルミエのまえに浮かんでくる、密室ならぬ“開かれた部屋”の謎。でもそれって、「そんな、悩むようなことか?」。はてさて真相は―― というお話。 お断りしておきますが、本格ミステリではありません。ユーモア・ミステリ、というか、コントといったほうがピッタリきます。だから、しかつめらしくアンフェアだといって目くじらをたてるのは、大人気ないww 密室ものの古典『黄色い部屋の謎』のオマージュを、密室でない話に仕立てあげ、あべこべの展開で読者の笑いを誘い、うん、その趣向ならこのオチだよね、と納得させてしまう、ヴェリの機知と稚気は、まこと、あらまほしい。 この『ミステリマガジン』2018年7月号には、ほかにも、恋人同士が熱い抱擁の結果、融合してしまった(!)ことから巻き起こる騒動記、マルセル・エイメの「ひと組の男女」(手塚みき訳)と、邪魔な年寄りを排除する算段を、明るく(!)物語る奮闘記、トーマ・ナルスジャックの「爺さんと孫夫婦」(川口明日美訳)が載っていて、前記のヴェリ作品と合わせて、さながらフランス・ミステリ小特集なのですが(3編中のベストは、最後の「爺さんと孫夫婦」かな。シャルル・エクスブライヤのパスティーシュとされていますが、まったくエクスブライヤを読んでいない筆者が問題なく楽しめ、皮肉な結末まで持っていかれて……エクスブライヤが読んでみたくなりましたから)、困った点がひとつ。 本号の、正式な特集は「おしりたんてい&バーフバリ 奇跡のミステリ体験!」ということで、まったく関係のない児童書と映画が抱き合わせで大々的に紹介されています。 それはまあいい。広義のミステリとして、それぞれ、さぞ素晴らしい作品なのでしょう。どちらも未見の筆者には、何を言う資格もありません。 しかし。 本来なら、翻訳ミステリ誌の柱であるべき、上記のような翻訳作品を、「おしりたんてい」特集に組み込んでいいわけがありません。ユーモアつながり? ごめんなさい、そのセンス、笑えない。どころか、むしろ腹立たしい。 採点の7点は、ヴェリほか、不遇のフランス・ミステリの出来を買ってのもので、特集記事へのものではないことを明記しておきます。 早川書房は、罪滅ぼしに、来るべき将来『新フランス・ミステリ傑作選』を企画して、作品を再録すること! 頼むよ、本当に。 |
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| No.181 | 8点 | 黄色い部屋の謎 ガストン・ルルー |
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(2018/11/10 16:43登録) 《司祭館は何も魅力を失わず、庭の輝きもまた失われず》と、かつて幸福な日々を過ごした想い出の場所への郷愁を、手紙にしたためた人がいました。 遠い昔――あれは小3のとき。ポプラ社の、子ども向けのリライト版〈世界名探偵シリーズ〉ではじめて読んだ、ガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』の面白さを、筆者は生涯、忘れることはないでしょう。密室に響きわたる銃声から、少年探偵の登場、大人の刑事との知恵比べ、そして廊下で挟み撃ちにされた怪犯人の瞬間消失! と、目くるめく展開に夢中になり、犯人の正体暴露で驚き、最後の謎解きには、思わず溜息をつきました。それまで読んできた、ドイルやルブランの、そして乱歩の、どの本より面白かったのです。 しかし。 何年か経って――ある程度、大人向けの翻訳小説を読むようになってから、宮崎嶺雄訳の創元推理文庫版で再訪した『黄色い部屋』は……初読時の意外性に欠けるのは、当然のこととしても、文章から何からやたら大仰で(18歳の新聞記者が縦横に活躍する世界観自体がね、もう、児童書以外では、ぶっちゃけありえない)冗長に感じられ(とりわけ後半の森番殺しは蛇足。記憶違いでなければ、前述の、久米元一訳の子ども向けリライト版は、このくだりをカットして編集されていたような)、感心したはずのトリックもアラが目立ち(いろいろ難はあっても、導入部の密室構成の、アイデアの組み合わせは素晴らしい……でもあれだけワクワクさせられた中盤の見せ場、廊下での犯人の消失劇は、子供騙し)、残念ながら、作中の「司祭館」のごとく、往時の想いを喚起してはくれませんでした (T_T)。 ミステリの本場イギリスが、まだ短編主体の、“シャーロック・ホームズのライヴァルたち”の時代だった、1907年という発表年代を考えれば、新聞連載の制約のなかで、不可能犯罪を効果的なイベントとして各所に配し、その解明でクライマックスを向かえる創意に富んだ長編として、歴史的価値は計り知れませんが、なまじ、規定演技的な「本格」の要素が打ち出されているだけに、英米“黄金時代”のそれに親しみはじめた、生意気盛りの筆者には、ことさら達成の未熟さが意識されてしまった、というのは、あるかもしれません(同じ密室ミステリの古典でも、はなからパロディとして受け止めた、さながら自由演技ともいうべき、イズレイル・ザングウィルの『ビッグ・ボウの殺人』には、そうした不満は感じなかったので)。 ともあれ―― サンクスギビングメモリー。 筆者にとって、『黄色い部屋の謎』はそういう作品。通過儀礼。それでいい。 とまあ、ずっと思ってきたわけです。 ただ、このサイトに投稿するようになって、妙に作者ガストン・ルルーの名前を引き合いに出すことが多くなって、でも取り上げるのは決まって――『オペラ座の怪人』なんですよね。これはやはり、片手落ちではないかw そこで、うん十年ぶりに読み返しを決意した次第です。創元推理文庫版は、2008年に改訂新版(巻末解説の書き手が、中島河太郎――長らくお世話になりました――から、同文庫の『黒衣婦人の香り』で解説を担当した、戸川安宣に変更)が出ており、こちらも所持はしていますが、今回は、最新訳ということで、ハヤカワ・ミステリ文庫版の『黄色い部屋の秘密』(高野優監訳・竹若理衣訳)を試してみることにしました。 おや、意外に読みやすいw 訳文についての感想は、後述します。 あれから幾星霜を経て、ストーリーの細部をすっかり忘れていたせいもあるでしょうが、今回は、いろいろ新鮮でした。 大仰で冗長でアラが目立つし、「本格」としての達成も未熟――といった不満は相変わらずですが、でも、もしかしたらこの作品、「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」の第一歩だったんじゃないか!? 意外でしょう。 でも、じつは『黄色い部屋』って、犯人はヘマばかりやっているにもかかわらず、事件がどんどん「不可能犯罪」になっていってしまって、あとから、犯人が懸命にフォローにまわるお話だったんですよね(なので、トリック偏重を正す「モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ」を提唱した、都筑道夫の長編評論が「黄色い部屋はいかに改装されたか?」と題されたのは、あらためて考えると、おかしな話ということに)。 その特徴がハッキリ出ているのが、「不思議な廊下」での消失劇です。「トリック」は「子供騙し」。バレますよ、普通。でも、ルルーは、犯人がそうせざるを得なかった状況設定を用意しています。そのまま黙っていたら破滅、ならば、のるかそるか、やってみるしかないでしょう(この点が、同じような「トリック」を、犯人の積極的なパフォーマンスに用いた、某国産ミステリ漫画との違いです)。あとは、迫真の演技でなんとか誤魔化したとww まあ、あれですね、筆者、五十路をすぎてから視力の低下やら物忘れやらが激しくなって、作中の「状況設定」が他人事とは思えなくなったという事情もありますwww そして、重要な小道具として使われているアレは、老いの象徴ですが、同時に、衰えをカヴァーし、以前のようなパワーをくだんの人物に供給するマジックアイテムのようなものだった――と見れば、その所有者の変更がドラマのターニング・ポイントになる、という流れは、良く出来ているのではないでしょうか。 本書のミステリとしてのクライマックスは、謎解きの開陳されるドラマチックな法廷場面ですが……今回、読み返して、筆者がいちばん『黄色い部屋の秘密』というドラマのクライマックスにふさわしいと思ったのは、書かれざる、名探偵と犯人の対決場面でした。いったいどんな会話がかわされ、火花が散ったのか。そこを、あえて隠したのは、読者の想像力を刺激するテクニックではありましょうが、勿体無い気がします。 続編『黒衣婦人の香り』との絡みでの、“省略”だったのかしらん。『黒衣婦人』は既読とはいえ、つまらなかったという印象だけ残して、内容は完全に忘却の彼方なので、こちらも再読する必要が……あるやなしや。う~む。 あ、ハヤカワ・ミステリ文庫版の、本書の訳者が作中で採用した表現にならえば、「黒い貴婦人の香り」となるわけですが、今後、早川さんからこちらの新訳が出ることは……ないだろうなあ。 新訳版『黄色い部屋の秘密』の読みやすさについては、先にちょっと触れました。 一例として、ある証拠物件を見つけた女性のセリフを、創元推理文庫版と比較してみましょう。 「お嬢さまの寝室の床の羽目板の隙間にはさまるようにしてありました。掃除をしたときに見つけたんです」(本書) 「床のへりの溝ぐりのところに!」(創元推理文庫版) 問題点もお分かりですね。訳者が、分かりやすく丁寧に補ってくれています。監訳者の高野優は「あとがき」で、主に原作の、細部の矛盾箇所を修整すべく訳文をつくったため「――原文とは違う情報が含まれたり、原文にはない情報が補足されていることをお断りしておく(したがって、本書は作品研究には向かない。作品研究をするのであれば、原書や既訳も参照していただきたい)」と断わっています。 ここまで、大胆かつ率直に書かれると、これはこれで意義のある試みに、思えなくもない。原文のどこを、どう変えたかの一覧を、資料として付けるべきではなかったか、という思いは、依然、残るにしても。 「この新訳をきっかけに、とりわけ若い読者の皆さんが、フランス・ミステリの古典である『黄色い部屋の秘密』の魅力を知ってくださることを願ってやまない」という、「あとがき」の結びの一文を、虚心に受け止め、ひとまず老害は口をつぐむことにします。 |
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| No.180 | 7点 | “文学少女”と神に臨む作家(ロマンシエ) 野村美月 |
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(2018/09/28 11:04登録) 終わり良ければすべて良し――かな? ライトノベルというレッテルからは、ちょっと想像できないほど重苦しい、ドロドロの展開(がデフォルトの、このシリーズのなかにあっても、今回はことさら)を見せながら、最後は、綺麗にまとめてくれました。 “文学少女”シリーズの第7巻と第8巻(2008年5月、および同年9月のリリース)は、初の上下巻構成にして、シリーズ完結編です。人気を物語るように、このあとも、短編集や外伝が幾つか刊行されていますが、本編のストーリーは、既存の巻の伏線を回収し、ここできちんと終了しています。 語り手をつとめる井上心葉(いのうえ・このは)は、中学生時代、たまたま女性名義で応募した小説が新人賞をとって、覆面作家としてデビューを飾りながら、それが原因で深く傷つき、過去を封印し二度と小説を書くまい、他人と深いかかわりを持つのも避けようと心に決めて、高校に進学しました。 しかし、そこで“文学少女”を自称する先輩、天野遠子(あまの・とおこ)と出会い、この、明るくて聡明で、食べちゃいたいくらい本が好きで、ホントに紙ごと物語を食べてしまう(!?)謎の彼女に捕獲され、強制的に入部させられた文芸部の部室で、来る日も来る日も彼女のおやつ代わりに、三題噺を書かされる羽目に。 そんななか、周囲で起きたさまざまな事件を、遠子が持ち前の奔放な想像力で、文芸作品と重ね合わせて読み解き、関係者の絶望の物語を、希望の物語へ書き変えていくのに立ち会うなかで、彼の、傍観者的なスタンスも変わっていきます。 そして、第5巻『“文学少女”と慟哭の巡礼者(パルミエーレ)』で、心葉はようやく過去のトラウマを克服し、自分に好意を寄せてくれる、クラスメイトの琴吹ななせと付き合いはじめることになりました。 しかし。 遠子先輩と出会ってから、二年。彼女の卒業を間近にして、心葉は思いがけない事実に直面します。一番信頼していたはずの人に、自分は裏切られていたのか!? 本作『~神に臨む作家(ロマンシエ)』は、心葉が最終的に、自身の進路と向き合う話であり、その過程で、天野遠子とは何者だったのかを理解する、巡礼(探偵経路)の物語でもあります。 浮かび上がる、遠子の出生の秘密。幼い頃、その両親を襲った死にまつわる謎(毒は、本当にあったのか? 誰がそれを使ったのか?)。そして――この二年間、何を考えて、遠子は心葉の側にいたのか? 心の闇に囚われた多くの人を、光射す場所に導いてきた天野遠子も、自身、苛酷な現実という檻に囚われた存在であることが分かってきます。そこから彼女を解放するため、彼女から学んだやりかたで、“探偵役”としてクライマックスのステージに立つ心葉。対峙する、さながら凍てついた氷の壁のような相手に、彼の言葉は届くのか? この、土壇場での探偵役の交代(と書くこと自体、ネタバラシでしょうね、でもこれは、書かずにいられない。お許しを <(_ _)>)という趣向が活きています。謎解き自体はアマいものですが、たとえ蟷螂の斧であっても立ち向かっていく、息詰まるような心理対決の演出がそれをカヴァーしています。 それにしても、野村美月は、どんなミステリを読んできたのかしらん? “文学少女”シリーズのなかで、さまざまな文芸作品を語りつくしてきた遠子先輩が、不思議とミステリに関しては話題にしない(第2作『~飢え渇く幽霊(ゴースト)』で、ギャグ的なセリフの中に、クリスティ、クイーン、赤川次郎の名前が並列されているくらいか。第4作『~穢名の天使(アンジュ)』は、ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』がモチーフになっていて、ルルーに関する言及のなかで『黄色い部屋の謎』は出てくるものの、当の『オペラ座の怪人』はあくまでゴシック小説として扱われている)ので、よく分かりません。 語り(騙り)のテクニックへの関心は、あるいは「新本格」の影響もあるかもしれませんが、信頼できない語り手という、文学方面からのアプローチにも思える(各巻で、心葉の一人称記述と併用されてきた、謎めいたナレーションも、第5作『~慟哭の巡礼者(パルミエーレ)』あたりからは、トリック的な意味合いとは別な性格を帯びてきており、それは本作でも同様です)。 この『~神に臨む作家』を読んで、筆者が思いを馳せたのは、P・D・ジェイムズでした。ちなみに、これまで本サイトに投稿してきた“文学少女”シリーズのレヴューのなかで、筆者が引き合いに出してきたミステリ作家を振り返ってみると――トマス・H・クック、マイクル・コナリー、ジョン・ル・カレ、ジェイムズ・エルロイ……ですね。何か凄いなあw それらの作家たちを、野村美月が読んでいるかどうかは、分かりません。ただ、学園もののライトノベルにミステリ的な方法論を導入するにあたり、野村美月が採用したのが、古典的な本格のギミック(漫画で、そちらを実践したのが、たとえば『金田一少年の事件簿』といえるか)ではなく、上述のような、海外の“現代”作家に接近するような試みであったことは、記憶にとどめておきましょう。 これでもう少し、各巻のプロットを、きちんと練り上げてくれていればなあww さて。 遠子先輩の過去を描くということで、これまで“お約束”として目をつぶってきた、ファンタジー要素とリアルの結びつけにどうしても目がいくことになってしまいますが、そこは正直……微妙です。ただ、後半、岩手県の病院である人物の発する「まあ、遠子ちゃん! 『遠野物語』の遠子ちゃん、そうでしょう?」というセリフには、膝を打ちました。寛容の精神で受け入れるが吉、か。 毎回、内外の文芸作品をモチーフにしてきた本シリーズ、大トリの元ネタは、ノーベル賞作家アンドレ・ジッドの『狭き門』です(うへえ。この歳になって、図書館から世界文学全集を借りてきて、読むことになるとは)。愛を突きつめてバッドエンドに至る、理不尽な(でも、だからこそのブンガク)『狭き門』へのアンサーソングが本作、ということで、ハッピーエンドに至るルートが示されて、『~神に臨む作家』は幕を閉じます。 まさに「綺麗にまとめてくれました」。 あえて難癖をつけるなら、でも綺麗(事)にまとめすぎ、かな? 本当は、もっとグチャグチャになるでしょうwww しかし、ま、前作(仕込み作)『~月花を孕く水妖(ウンデイーネ)』のトホホな出来から、よく持ち直しました。 いちおう7点をつけましたが、これは本来、シリーズ総体で評価すべき作品だと思います。であれば、“文学少女”シリーズとして8点。 うん、楽しい読書体験をさせてもらいました。 |
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| No.179 | 3点 | オペラ座館殺人事件 さとうふみや |
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(2018/08/25 16:42登録) 原作 天樹征丸/金成陽三郎 作画 さとうふみや ――というわけで、はい、漫画です。 1992年に、『週刊少年マガジン』誌上に6回に渡り連載された、『金田一少年の事件簿』シリーズの記念すべき第一作ですね。当初、講談社コミックスの1~2巻にまたがって収録されていて、リアルタイム世代の筆者にはそのヴァージョンの印象が強いのですが、のちのベストセレクションや漫画文庫版では1冊にまとめなおされているので、作品単位の鑑賞という意味では(そして本サイトへの登録という意味でも)そちらがベターでしょう。今回、筆者はコンビニ・コミックの〈講談社プラチナコミックス〉版で読み返しました。 じつはこれ、以前、ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』をレヴューしたさい、関連作品として真っ先に脳裏をよぎり、もしこのサイトでマンガも登録できるのであれば、やっておくのになあ、と思ったタイトルでして…… サイトのルール改正にともない、それが実現可能になったので、じゃあ他の人がケチョンパンにやっつける前に、少しでも擁護しておこうかとw 主人公は――紹介が必要ですかね? 高校2年生で、かの名探偵の孫なる設定の、金田一一(きんだいち・はじめ。以下ハジメと表記)。そのハジメが、幼馴染の七瀬美雪の頼みで、演劇部の合宿の手助けをするため、部員たちとともに訪れたのが、孤島のホテル「オペラ座館」。台風で外界と隔絶した島で引き起こされるのは、ガストン・ルルーの小説をもとにした、ミュージカル「オペラ座の怪人」に見立てた連続殺人。 事件前夜、ホテルにチェックインし、不気味なメッセージを残し姿をくらました謎の男「歌月」が、重要容疑者と見なされるが…… 漫画で「新本格」をやろうとしたけど、旧本格になってしまったでござるの巻、といったところでしょうかww 見立て殺人の心情的な必然性はいちおう認めるとしても――舞台となるホテルの構造を事前に把握して(加えて予行演習して)おかなければ無利な犯行計画という時点で、プロットが破綻しています。個々のトリックがどうこういう以前の問題。 しかし。 そんな批判は、ある程度ミステリに慣れ親しんだ人間のもの。 この第一作では、作者サイドは本格ミステリ・ファンの目など意識していません。むしろ、小説の本格ミステリなど読んだこともない層の読者を対象に、その面白さを伝えようとしているわけで、それを考えれば…… ヤングアダルト向け本格ミステリ漫画の「試作品」としては、プロットの弱さを演出でカバーし、大健闘したという評価もできなくはありません。 連載作品として、6回分のパートがあるわけですが、各パートの“引き”はどれも工夫されています。そして、次のパートの冒頭には、ハジメのナレーションを使った、簡単な「前回までのあらすじ」と、容疑者一覧(各キャラの肖像をまとめて掲載)が付されるという親切設計。 ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』に学んだであろう、そして以後の金田一少年シリーズでも成功の方程式として多用されていくことになる、共感できる“怪人”像の明かされるクライマックス。 正直、本作のクライマックスで犯人の迎える最期は、あまりにお涙頂戴で、筆者はご都合主義のほうを強く感じる(ハジメに、あの“仕掛け”をそのままにさせておくのは、感動的なシーンを作りたい、作者の都合でしかない)のですが、それでも、 こうして・・・・孤島のホテル『オペラ座館』で起きた殺人劇は静かに幕を下ろしたのだ のあと、ある手紙が提示されるエピローグには、心地よい開放感を覚えます。ワトスン役(?)美雪のモノローグではじまったドラマが、最後にまた、ヒロインたる彼女のモノローグで閉じられる構成も良い。この、最終12ページが、本作の最良の部分でしょう。 |
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| No.178 | 10点 | そして誰もいなくなった アガサ・クリスティー |
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(2018/08/04 15:25登録) まるで童話のような。 書架の、退色し手擦れのした、清水俊二訳のポケミス改定版を手にとると、本格的にミステリを読み出した小学校高学年の、ただ無邪気で幸せだった日々が、思い出されます。 新たに創刊された、ハヤカワ・ミステリ文庫の第一回配本のラインナップに選ばれ、その際カバーを飾った、真鍋博の、デフォルメされた島の突端に立つインディアンが印象的な装画もまた、ただただ懐かしい。 お話は――いまさら紹介するまでもありませんね。 第二次世界大戦が勃発した1939年に発表されながら、そうした時代の動きに超然とし――しかし評論家なら、一般市民を巻き込む大量殺戮に、後付けで「象徴」を見出すかも――「娯楽としての殺人」の極みのような趣向に挑んだ、クリスティーのライターズ・スピリットの結晶ともいうべき、型破りにして(なおかつ、それが後世、ひとつの型となった)万古不易の作。 本格ミステリ? 否。その尺度からすれば、これはクリスティー自身の、他の綿密にプロットが計算された秀作群にくらべれば緩いかもしれません。 にもかかわらず、「無敵の人」の夢想した殺人絵図が、まるで何かに後押しされるように完成していくプロセスを、ほかならぬ「神の視点」で語り(騙り)きった、この変格ミステリの迫力は、他を圧しています。 インディアン島、それは筆者にとって、「すべての終り」の地。残酷な運命劇の舞台にふさわしい、ミステリ界の、ダークなネバーランドのような存在なのです。 で終わってもいいのですが……今回、思い立って「クリスティー文庫」の、長年“積ん読“だった青木久惠の新訳版(2010)に目を通したので、いくつか補足をしておきましょう。 現行の原書ペイパーバックでは、差別用語の規制から、‘Indian’が‘Soldier’に改定されているようで、それを翻訳の定本にした新訳では、島の名前が「インディアン島」から「兵隊島」に改まり、作品のモチーフとなる童謡の歌詞に出てくる「インディアンの少年」も、「小さな兵隊さん」に変わっています(原書テクストの改変、そして翻訳テクスト指定の元凶は、おそらくクリスティーの孫にして、本書になくもがなの序文を寄せている「アガサ・クリスティー社」の理事長マシュー・プリチャード。長年の読者の思い出を、どうしてくれる)。それでいて、早川書房では、作者生誕120周年を記念した新訳の文庫入りに合わせ、前述の真鍋博の装画カバーを復活させるという愚挙に出て(嗚呼、兵隊島に屹立する謎のインディアン!)、その定見の無さに、筆者は頭をかかえたことです。 清水俊二の旧訳に、一部、問題箇所があり、作者がフェアプレイに配慮したうえでの読者へのミスリードが、アンフェアな表現に誤訳されているという指摘は、乱視読者こと、読書の達人・若島正の「明るい館の秘密――クリスティ『そして誰もいなくなった』を読む」(初出『創元推理』1996年冬号)で詳細な分析とともになされており、じつは清水訳がハヤカワ文庫の文庫内文庫である「クリスティー文庫」に編入された2003年の時点で、すでにくだんの問題箇所は、臭いものに蓋をするような形で、なんの断りもなく修正されていた(清水氏は1988年に逝去されているので、編集部の一存と思われる)わけですが、最新の青木訳も、ミスリード部分の訳文は、若島教授の指摘に沿ったものになっています。このへんは、「訳者あとがき」をつけて、何か一言、あってしかるべきでした(「永遠の目標」と題された、赤川次郎の巻末エッセイだけでは、本書の「解説」としては不充分)。 そして、どうせ「新訳決定版」を出すのであれば、清水氏の旧訳で、他にアンフェアな表現となっている「意訳」箇所(第十四章、第1節の冒頭)も、原文に即してフェアな表現にすべきだったのに、こちらは清水氏同様の「意訳」でアンフェアなままです。若島氏の指摘した部分だけ、直せばいいというものではないですよ。これは、訳稿をきちんとチェックできない、編集部の問題でもありますが……残念。 |
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| No.177 | 3点 | がん消滅の罠 完全寛解の謎 岩木一麻 |
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(2018/06/23 11:18登録) なんつー、ベタなタイトル。思わず「2時間ドラマかよ」と突っ込みたくなる(さきごろTBSテレビで、ズバリ、3時間枠のスペシャルドラマとして放送されたようですが、筆者は未見)本書は、第15回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した、もと国立がん研究センター勤務の著者の手になる、さながら初期のマイクル・クライトン、ロビン・クックばりの医学サスペンスです。 応募時のタイトルは、いかにも謎めいた『救済のネオプラズム』――最後まで読むとその意味するところが分かる――でしたから、変更には、おそらく版元(宝島社)の営業的な判断が働いたのでしょうね。 でもまあ、結果として、正解かな。なんだかんだいって、自分が興味をもって本を手にとったのも、そのベタなタイトルゆえですからw 普通なら治るはずのない、末期がんの患者からがんが「消失」していく、奇跡のような事案が連続する背後には、果たして秘められた治療法が存在するのか、それとも? 余命診断をした患者の、信じがたい完全寛解に直面した、日本がんセンターの医師・夏目は、天才肌の同僚や保険会社の調査部に勤める後輩(「事件」には、生保の生前給付金を狙った詐欺の疑いもある)とともに、この謎を追うことになるが、やがて浮かびあがってきたのは、学会では無名に等しいにもかかわらず、高い治療成績で各界の実力者の支持を得ている、民間病院の存在だった。しかし、この病院には―― さて。 アイデアは面白いが小説がすこぶる下手、とするか、小説は下手だがアイデアがすこぶる面白い、とするか……の二択ですねww まあこのへんは、筆者の読んだ親本のソフトカバーの巻末に収録された、大賞選考委員各氏の「選評」でも、さんざん書かれていることではありますが。 専門知識を、小説のカタチで、分かりやすく伝えようという努力――たとえば「探偵」サイドの討議を、くだけた酒席の場でおこなうなど――は買えます。大人向けの情報マンガのようなものだと思えばいいのかな。文章やキャラクター造形は月並みでも、がん医療をめぐる最新の情報小説としては、それを期待する読者のニーズに応えます。 肝心の「不可能状況下でのがん消失事件」のプロットは、狙いの異なるタイプA(低所得者コースw)とタイプB(高額所得者コースww)が用意されているのですが、それぞれに医学的な情報が伏線として配置されているので、筆者のような門外漢の読者にも、理解できるものになっています。コロンブスの卵的な発想ですから、むしろ医学的な知識のある人ほど、そのアイデアの質には感心するかもしれません。 ただ、作中、その「消失」トリックとはまったく別な文脈で、次のような記述があります。 それでも、世の中に絶対ということはない。ましてや自分たちが扱っているのは人間という生物なのだ。生物には多くの不確定性が存在する。故に医療に絶対はないのだ。(引用終わり) これは本当に、その通りだと思うんですね。タイプAもタイプBも、その手段を使えば、理論上、がんが消えてもおかしくはない。しかし、消えない場合もあるのではないか? その場合、患者は完全にアウトです。そうした失敗例(殺人行為ですよ)をまったく無いものとしては、いけないでしょう。とくにタイプAのほうは、患者を、本人の知らぬまに、がんとは別なきわめて高いリスクにさらしているわけで、行為者の「動機」を考えると、素直に頷けないものがあります。 動機。 うん、それ。終盤、スリリングな展開と意外性を見せながら、逆にこの小説が失速し、あ~あ、になってしまうのは、結局、「犯人」とそのまわりのキャラクターの動機づけに、まったく説得力をもたせられなかったからです。 神を目指しながら、「正義」のために悪をなし堕ちていく――そんなダーティ・ヒーローとしての犯人像が描ければよかったのでしょうがね。ただのマッドサイエンティストじゃん。「マッド」になった経緯を、作者は「運命」にかこつけて、悲劇っぽくしようとしていますが……無理無理。異常のむこうに普遍がないから、理解も共感もできません。 こいつ(犯人)の家族、みんなおかしいよ (T_T) |
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| No.176 | 1点 | “文学少女”と月花を孕く水妖(ウンデイーネ) 野村美月 |
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(2018/03/24 09:11登録) ライトノベル作家・野村美月の“文学少女”シリーズ第六巻。 遠子先輩の卒業へ向けて、時計の針を進めてきた作品世界の時間を、少し巻き戻し(時系列では、第二巻『~飢え渇く幽霊(ゴースト)』の、すぐあとの挿話になります)、舞台を学園から、学園理事長の所有する、いわく因縁のある山あいの別荘――八十年前に妖怪の仕業とされる惨殺事件が発生、その祟りがいまなお続く――に移して、理事長の孫娘の画策により、そこに滞在する羽目になった、語り手の心葉(このは)たちが体験した、忘れがたいひと夏の出来事を描いた番外編、なのですが…… う~ん、これはちょっと。雑すぎる。 “文学少女”シリーズ本編は、このあと上下巻の『~神に臨む作家(ロマンシエ)』で完結するようですが、それを意識した布石――心葉の現在進行形のナレーションと並列される、恒例の、ゴシック体の文章による謎めいた語りも、今回は本題の事件のミスリードとしてはうまく機能しておらず、結局のところ、思わせぶりな、寸断された「次回予告」で終わってしまっている――に気をとられすぎたのでしょう、プロットが、二の次三の次になってしまいました。本末転倒です。 ミステリ的要素を盛り込んだシリーズのなかにあっても、本作は表面上、もっとも(国産の、テンプレ的な)本格ミステリに接近しており、それがかえって、ディテールの詰めの甘さという、作者の弱点をクローズアップする結果にもなっています。 現在の事件(あたかも屋敷の取り壊しを阻むかのように、伝説の妖怪が姿を現す!?)を契機にして、“文学少女”の豊かなイマジネーションが、諸悪の根源たる過去の惨劇に、新たな解釈を施していく。 その、現在の事件をめぐるアレコレのいい加減さも相当なものですが、何よりマズイのが、八十年前の惨劇の真相。謎の提示に誤魔化しがありますし(ある人物の死体が発見され、埋葬された経緯が不明。結局見つからなかった――だって妖怪に食べられてしまったから――でお茶を濁すならともかく、かりにも埋葬されている以上は、事前の検視をスルーするわけにはいきません)、問題の犯行が、指摘される人物に実行可能だったとはとても思えない。屋敷を血の海と化す大量殺人ですよぉ。なんでこんな無謀なシチュエーションを導入したかなあ…… って、理由はハッキリしてますけどね。“文学少女”シリーズを、ほかのラブコメものライトノベルと差別化してきた、ミステリ風味と並ぶもうひとつの特徴が、内外の文芸作品の本歌取り。で、本作のモチーフに選ばれたのが、泉鏡花の戯曲「夜叉ヶ池」なわけです。当該作のクライマックスでは、荒れ狂う竜神・白雪が洪水を起こし、村と人を水底に沈めます。その竜神の怒りを、作者は本作の過去パートにどうしても重ね合わせたかった――となると、その趣向のためには、そりゃあ犠牲者は一人二人じゃ全然足りない、となりますよ。 なりますけどねえ…… あ、筆者は途中で視聴を断念してしまったのですが、アクションもののマンガを原作とする、『文豪ストレイドッグズ』なるアニメがありまして、そこには「マフィアに拾われて、六ヶ月で35人殺した」という、14歳の少女・泉鏡花(!)が登場します。でもって彼女はですね、異能の持主でありまして、「夜叉白雪」という、甲冑武者姿の人外のものを召還できるわけです。こいつが滅茶苦茶強い。本作『~月花を孕く水妖』の過去パートの犯人も、あるいは異能の持主だったのかしらん。以下、ややネタバラシになりますが―― いちおうこの犯人にも、“相棒”が存在したことにはなっています。なっていますが、それは「滅茶苦茶強い」とは真逆で、無理に輪をかけるだけの存在でしかないのです。 これが島田荘司なら、見てきたような嘘を豪腕で畳掛け、読者を力づくでねじ伏せるのでしょうが……さすがに野村美月にそれだけのパワーは無かった。まあ、フツーの作家には、ありません。だからこそ、お話をつくりこみ、意外性に説得力を持たせる必要があるのですが、その点で本作は失格というしかありません。新人作家がこの原稿を持ち込んだら、突き返されるのは必至。しかし人気シリーズということで、編集者のチェックも甘く、四ヶ月に一冊というシリーズの刊行ペースを守ることが第一で、妥協してしまったんだろうなあ。 前作『~慟哭の巡礼者(パルミエーレ)』の「あとがき」で、作者は次回に「(……)番外編が入る予定なので、本編でなかなか書けない人たちのフォローもしてあげられたらいいなと思っています」と記していました。 本作でスポットが当てられている、学園理事長の孫娘・姫倉麻貴は、シリーズのレギュラー陣のひとりで、とりわけ第二作『~飢え渇く幽霊』では面白い役割を演じていました。そんな、魅力的なバイプレイヤーの多面性を描き、一族の血の絆に束縛された麻貴――もまた、水の檻に囚われた「夜叉ヶ池」の白雪のイメージに重なる――が、その呪縛から解放されていくことを示すエピソードは、作者としても、形にして残しておいてあげたかったのでしょう。書き手のパッションは確かに伝わってきます。 ただ、いっぽうで本作は、“探偵役”の天野遠子を、後輩の心葉との関係性に決着をつけるであろう(はずの)、来るべき最終話へ向けて、ラブコメの“ヒロイン”――シリーズ本編では、ひとまず心葉の友人の琴吹ななせが、その位置をゲットしたかに思われるのですが――として見つめなおすエピソードでもあるわけで、そのふたつのエピソードを、ひとつの番外編でいっしょにやろうとしたところに、無理があったように思います。 相変わらず、次作への引きは巧い。 正直、今回はこの「エピローグ」だけで良かったかな (^_^;) |
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| No.175 | 6点 | アントニイ・バークリー書評集Vol.7 評論・エッセイ |
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(2018/02/24 15:31登録) ・・・そういう時代でありましたよ・・・ 木原敏江『夢幻花伝』より 「スパイ・冒険小説その他編」と銘打たれた、2017年11月発行の、『アントニイ・バークリー書評集』最終巻です。 往時は、海の向こうでも“本格冬の時代”だったし、さかんに書かれ、我国へ大量に紹介されたのも、時局(東西冷戦)を反映したスリラー群だったなあ……と、なぜか物心つかないころを回顧しシンミリしてしまうのは、筆者が十代の頃、激動の60年代を背景にした小林信彦の大河ブックガイド『地獄の読書録』(1980)を愛読したからですね。同書の第二部には、「スパイ小説とSFの洪水」という見出しがついていました。 こちらの第7巻は、SFこそ含まれていないものの、これでオシマイ、ということで、1956年から70年までの『ガーディアン』紙の、フランシス・アイルズ名義の書評欄から、編訳者の三門さんが、既刊に取り込めなかった作家・作品(オランダ生まれのファン・ヒューリックのディー判事ものから、北欧の新進作家の翻訳、再評価の機運にあった、アメリカの闇の貴公子ラヴクラフトまで!)も追加投入しており、シリーズの拾遺集的な性格が強い一冊になっています。 豪華ゲストを迎えてきた巻頭エッセイ・コーナーの、トリをつとめるのは、「近年の英国における古典的探偵小説リヴァイヴァル」を寄せた、英米文学者の若島正氏。海外の情勢にきちんと目配りした内容で(翻訳ミステリに関する文章を書いている、プロの評論家諸氏で、いま、これができない人が多すぎるんだよなあ)啓発されます。 では、いつものように、バークリーが俎上に載せた42名の作家を、ラストネームの五十音順に見て行きましょう(カッコ内はレヴューの総数)。 マイケル・アンダーウッド(14)、ジェイムズ・イーストウッド(1)、ジョン・ウェルカム(1) アンドリュウ・ガーヴ(14、うちポール・サマーズ名義2)、ジョン・ガードナー(1)、ヴィクター・カニング(5)、フランシス・クリフォード(6)、E・H・クレメンツ(5)、サラ・ゲイナム(2)、マニング・コールズ(3)、リチャード・コンドン(1) マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー(1) ジェイムズ・ハドリー・チェイス(5)、レン・デイトン(1)、ライオネル・デヴィッドスン(2) ウラジミール・ナボコフ(1) サイモン・ハーヴェスター(11)、ジョナサン・バーク(8)、ジェフリー・ハウスホールド(4)、ウィリアム・ハガード(10)、デズモンド・バグリイ(1)、ジャック・ヒギンズ(5、うちハリー・パタースン名義4)、コーネリアス・ヒルシュバーグ(1)、ジョン・ビンガム(4)、ロバート・ファン・ヒューリック(7)、ジョン・ブラックバーン(6)、アントニイ・プライス(1)、ディック・フランシス(1)、イアン・フレミング(4)、ジョン・ボーランド(5)、アダム・ホール(2) ヘレン・マッキネス(3)、ヘンリー・S・マックスフィールド(1)、アリステア・マクリーン(2)、ハロルド・Q・マスル(2)、ジェイムズ・マンロー(3) ギャビン・ライアル(3)、H・P・ラヴクラフト(3)、マリア・ラング(2)、ジェイムズ・リーサー(2)、ジョン・ル・カレ(3)、ケネス・ロイス(5) 意外に毒舌が影を潜め、フツーに褒めている例が多い。とりわけバークリーの寵愛を受けているのは、アンドリュウ・ガーヴ(いわく「いつでもベストの作品を提供してくれる作家」)とウィリアム・ハガードで、若干の例外を除いて、新刊が出るたびに絶賛の嵐が吹き荒れます。ラッセル大佐シリーズのハガード(いわく「国際謀略スリラーの頂点に位置する作家」)は、結構、邦訳もあるのに読まず嫌いだったのですが……本サイトでも、クリスティ再読さんが興味深い書評を投じられていますし、ちょっと古本を探してみますか。 ただ、バークリーの書評の魅力の、かなりの部分を占める、ディスり芸が減っているということは、本巻の、読み物としての面白さに影響しています。あのバークリーが、マクリーンを、フランシスを、ライアルを、それにル・カレをどう受け止めたのか? という、こちらの(過大な)期待に対して、コメントがそれを上回らない。良く言って妥当。悪く言えば平凡。 やはりバークリーには――「『女王陛下の007号』(ケイプ、16シリング)では、無敵のボンドがスリリングなスキーレースに参加し、見事賞を射とめる。ミスター・フレミングの標準よりも、多少優れた作品といえるだろう」くらいの、皮肉な言い回しが良く似合うと再確認できましたw 本巻の「後記」には、結びとして、『ガーディアン』紙に載ったバークリーの死亡記事が訳載されています。これが、なかなか心打つ追悼文なんですね。よく探してきたなあ。そして、これをここに置くという、センスに感服しました。最終100ページの、最後の1行は、編訳者のメッセージです。――「ありがとう、そしてさようなら、バークリー!」 (以下は、筆者の勝手な独り言です) 有難う、三門さん。そして、お疲れさま。 しかし、さようならは、いいませんよw この『アントニイ・バークリー書評集』は、このまま終わらせていいものではありません。是非とも、編年体の「完訳」を出すべき。もちろん商業出版で(きちんとした編集者の手が加わったもので)、です。そのために、動いて欲しい。 いつの日か、その本のレヴューを本サイトに投稿できる日が来ることを、楽しみに待つことにします。 |
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| No.174 | 8点 | アントニイ・バークリー書評集Vol.6 評論・エッセイ |
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(2018/02/01 17:26登録) 「読者をまごつかせるあからさまな感傷性、絶えざる誇張表現、作品全体に見られる「ありえなさ」、こじつけめいた結論……まあ、アメリカの読者の皆々様におかれましては、これらの要素はさぞや美味しい糖蜜なのかもしれませんが、われわれアングロサクソン系の人間にとっては、エラリイ・クイーン・ディズニー・ランドの「白雪姫と七人の小人」だかなんだか、つまるところそんなものになってしまうのだ」(『アントニイ・バークリー書評集Vol.1』所収、エラリイ・クイーン作『盤面の敵』評より) 2017年春の、文学フリマ東京で頒布された本書は、全七巻で構成される『アントニイ・バークリー書評集』(フランシス・アイルズ名義で、『ガーディアン』紙に1956年から70年まで連載された新刊月評コーナーから、編訳者がテーマ別に条件抽出したもの)の、ラスト前のクライマックスともいうべき、「米国ミステリ作家編」です。 かの国に、いささか ――どころでない―― 偏見を持つバークリー(アメリカ人とイギリス人を、そもそも同じ「アングロサクソン」とは認識してないもんなあ ^_^;)が、批評家として、ミステリの勢力図を書き変えつつある海の向こうの従兄弟(従姉妹)たちと、どう向き合うのか? 過去最長130ページのヴォリュームに、ぎっしり詰め込まれた74作家の顔ぶれを、まずはご覧あれ。例によってラストネームの五十音順、カッコ内はレヴューの総数です。 アイザク・アシモフ(1)、デイヴィッド・アリグザンダー(6)、デイヴィッド・イーリイ(2)、コーネル・ウールリッチ(1)、チャールズ・ウィリアムズ(7)、ドナルド・E・ウェストレイク(3)、ヒラリー・ウォー(14)、トマス・ウォルシュ(3)、デラノ・エイムズ(6)、ミニヨン・G・エバーハート(2)、スタンリイ・エリン(5)、ハリー・オルズカー(2) アーシュラ・カーティス(5)、E・S・ガードナー(9、うちA・A・フェア名義3)、E・V・カニンガム(1)、パトリック・クェンティン(5)、アマンダ・クロス(2)、ヘンリイ・ケイン(7)、ハリー・ケメルマン(2) リチャード・ジェサップ(1)、トマス・スターリング(1)、リチャード・マーティン・スターン(2)、レックス・スタウト(15)、ヘンリー・スレッサー(2)、フランシス・スワン(1) ドナルド・マクナット・ダグラス(2)、ハーバート・ダルマス(1)、ダーウィン・L・ティ-レット(1)、ドロシー・サリスベリー・デイヴィス(2)、リチャード・デミング(2)、トマス・B・デューイ(2)、ロス・トーマス(1)、デイヴィッド・ドッジ(1)、ローレンス・トリート(2) ヘレン・ニールセン(2) イヴリン・バークマン(9)、パトリシア・ハイスミス(7)、ビル・S・バリンジャー(1)、ドロレス・ヒッチェンズ(2)、ジャック・フィニィ(2)、ロバート・L・フィッシュ(2)、エリザベス・フェンウィック(5)、フレドリック・ブラウン(5)、リリアン・ジャクスン・ブラウン(3)、リイ・ブラケット(1)、ロバート・ブロック(2)フレッチャー・フロラ(2)、ベン・ベンスン(1)、ヒュー・ペンティコースト(7、うちジャドスン・フィリップス名義3)、ジョン・ボール(1)、ハリー・ホイッティントン(1)、ジーン・ポッツ(6)、ライオネル・ホワイト(3) ウィリアム・P・マッギヴァーン(3)、パット・マガー(2)、ジョン・D・マクドナルド(2)、ロス・マクドナルド(4)、エド・マクベイン(6)、ヘレン・マクロイ(2)、ホイット・マスタースン(3、うちウェイド・ミラー名義1)、マーガレット・ミラー(5) ドロシー・ユーナック(1)、リチャ-ド・ユネキス(1) クレイグ・ライス(4)、メアリ・ロバーツ・ラインハート(1)、スティーヴン・ランサム(2)、エドウィン・ランハム(4)、ハーパー・リー(1)、エリザベス・リニントン(13、うちレスリー・イーガン名義5、デル・シャノン名義4、アンヌ・ブレイスデイル名義3)、エマ・レイサン(10)、エド・レイシイ(4)、イヴァン・T・ロス(3)、ホリー・ロス(3)、フランセス・&リチャード・ロックリッジ(2) ふう。リストアップしているだけで、お腹いっぱいになりそうw 驚かされるのは、対象作品の邦訳率が四割におよぶことで、既刊の「英国ミステリ編」と比較すれば、我国における欧米ミステリの受容が、戦後はやはりアメリカ優先でなされてきたことが、判然とします。 とまれ、日本語で読める作家・作品が多く取り上げられているという点は、読者個々の評価を、バークリーのそれと比較検討する楽しみもそれだけ増える(また、未読の面白そうな本へ手を伸ばすきっかけにもなる)と、素直に歓迎すべきでしょう。 中身のほうは―― 徹底した毒舌が冴え渡るかと思いきや、第1巻のエラリイ・クイーンへ対するようなメッタ斬りは、あまりなく(皆無ではありませんがw)、褒めるべきところはきちんと褒め、問題点は問題点として厳しく指摘するスタンスです。 E・S・ガードナーやレックス・スタウトのような、気軽に読める職人型のストーリーテラーは、基本的に高評価で、87分署シリーズのエド・マクベインも然り。また同じ警察小説の書き手でも、ヒラリー・ウォーの場合は、その「探偵小説」的方法論にきちんと目を向け、評価しています。 しかし、ウォー同様、捜査小説にミステリらしい仕掛けを盛り込んだロス・マクドナルドの場合は、一転、コメントが辛口に。以下は、そのサンプルです。 アメリカの犯罪小説には、酷くあからさまに組まれた足場と、実際にあり得そうな人間像を書くことへの軽視が頻繁に見られるような気がしているが、これはミスター・ロス・マクドナルドの新作『さむけ』(クライム・クラブ、15シリング)においても同様である。本作は、長く徹底的に力を入れて書かれた(この力の入れぶりがまたアメリカらしいのだが)、しかしユーモアに欠けた作品である。本書は確かに非凡な作品であるが、あまりにも人工的に作りこまれたその作品を読んだ読者は皆、その結末において「こんちくしょう!」と言わざるを得ないだろう。(引用終わり) 冒頭に置いた、EQの『盤面の敵』評にも通じるものがありますね。要するに、不自然なつくりものである、と。 またバークリーは、女流サスペンスの書き手として、パトリシア・ハイスミスとマーガレット・ミラーを高く評価していますが、ハイスミスがほぼ絶賛されているのに対し、ミラーのほうは、常に何かしら不満が表明されている。とりわけ『殺す風』(「絶対の必読である!」)のサプライズ・エンディングについて「彼女が「読者を驚かせたい」という安易な必要性に迎合してしまったのは残念だが……」とマイナス評価をしているのが印象的です。若き日の筆者は、サスペンス小説に人工的なひねりを加え続けるところに、ミラーのミステリ・スピリットを感じ、ロス・マク同様に愛読していたので、バークリーの指摘をそのまま受け入れることは出来ませんが……刺激されて、あらためてミラーを読み返したくなってきたのは事実です。すべてはバークリーの手のひらの上、でしょうか? 書評というキーワードをもとに、実在人物、作中人物(!)のエピソードを効果的に配した巻頭エッセイ「書評家百態――バークリー周辺篇」も、楽しく読めて勉強になる、出色の出来。 あなたが海外ミステリ・ファンをもって任ずるなら、これは絶対、目を通しておくべき一冊です。 あ、エッセイの書き手の名前を落とすところでした。バークリーといえばこの人、そう、真田啓介氏です。 |
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| No.173 | 7点 | アントニイ・バークリー書評集Vol.5 評論・エッセイ |
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(2017/12/30 14:20登録) 第二十三回文学フリマ東京(2016/11/23)で頒布された第五巻は、「英国男性ミステリ作家編」の下巻。『ガーディアン』紙の新刊月評コーナーで、アントニイ・バークリー(フランシス・アイルズ名義)が1963年1月から1970 年10月まで執筆したぶんを対象とし、該当する作家の書評を編訳者の三門優祐氏が抽出したものです。 お楽しみの巻頭エッセイは、評論家・法月綸太郎の読み込みの深さを見せつける(こういうのを読んでしまうと、レヴューと称して薄っぺらな文章を投稿するのが恥ずかしくなる)「晩年のバークリー」。いずれ、同氏の著作に収録される日も来るでしょうから、法月ファンならずとも、バークリーに興味のある向きは、タイトルだけでも覚えておいて下さい。個人的には、「(……)都筑道夫の冷淡な態度が、日本でのバークリー評価の遅れを招く一因となったことは否定できないと思う」というくだりに、いろいろ考えさせられるものがありました。 さて。 取り上げられた59名の作家を、例のごとくラストネームの五十音順に並べてみましょう(カッコ内は今回のレヴューの総数)。 アーサー・アップフィールド(2)、マイクル・イネス(5)、クリフォード・ウィッティング(1)、ジョン・ウェイクフィールド(1)、ジョン・ウェインライト(3) グリン・カー(2)、ヘロン・カーヴィック(2)、ハリー・カーマイケル(1)、マーティン・カンバーランド(3)、H・R・F・キーティング(5)、ヴァル・ギールグッド(4)、マイクル・ギルバート(4)、ダグラス・クラーク(1)、ジョン・クリーシー(7、うちJ・J・マリック名義6)、V・C・クリントンーバデリー(4)、モーリス・クルパン(4)、ブルース・グレアム(1)、S・H・コーティア(2)、ベルトン・コッブ(5) ロジャー・サイモンズ(2)、ルイス・サウスワース(1)、サイモン・ジェイ(1)、ロデリック・ジェフリーズ(14、うちジェフリー・アシュフォード名義6、ピーター・アルディング名義3)、ハミルトン・ジョブソン(1)、ジュリアン・シモンズ(4)、ヘンリ・セシル(2) D・M・ディヴァイン(6、うちドミニック・ディヴァイン名義2)、ウィリアム・クロフト・ディキンスン(1)、ピーター・ディキンスン(3)、ジョセリン・デイヴィー(1)、L・P・デイヴィス(2)、サイモン・トロイ(3) サイモン・ナッシュ(1) コンラッド・ヴォス・バーク(5)、スタンリイ・ハイランド(2)、S・B・ハウ(2)、デンジル・バチェラー(1)、ジェラルド・ハモンド(2)、バーナード・ピクトン(1)、ジョン・ファウルズ(1)、ナイジェル・フィッツジェラルド(2)、クリストファー・ブッシュ(3)、レオ・ブルース(8)、ジョージ・ブレアズ(7)、ニコラス・ブレイク(3)、モーリス・プロクター(5)、ヴァーノン・ベスト(1)、キース・ヘンショー(2)、ジェレミー・ポッター(2) マーク・マクシェーン(1)、フィリップ・マクドナルド(1)、ジョージ・ミルナー(1)、ローレンス・メイネル(3)、ビル・モートロック(1)、 ピーター・ラヴゼイ(1)、ダグラス・ラザフォード(3)、アントニイ・レジューン(3) ダグラス・ワーナー(2)、コリン・ワトスン(3) “黄金時代”を担った書き手が、じょじょに退場していき(前巻に見られた、F・W・クロフツ、ヘンリー・ウエイド、ジョン・ロードらの名前は、もうありません)、昔ながらの探偵小説をレオ・ブルースやベルトン・コッブ、ジョージ・ブレアズ――求む邦訳、論創社さん!――といった書き手がほそぼそと書きついではいるものの、同時代の、スリラーや犯罪小説の質的変化を前にすると、物足りなさは否めない。そんななか、パズルのプロッティングとキャラクタライゼーションを高いレベルで両立させたD・M・ディヴァイン(「もはや現代推理小説の頂点を占めていると言っても過言ではない存在」)が、当然のように評価を高めています。 そして、本書の書評のなかでも、ジョン・ファウルズの傑作『コレクター』(誘拐・監禁事件を素材にしているとはいえ、発表当時、この長編は、おそらく文学枠だったはず。しかし、これを「フランシス・アイルズ」がミステリ・サイドに取り込んで評価する気持ちは、凄くよく分かる)に対する、それと並んで、白眉と言えるのが――前掲の法月エッセイで指摘されていることの、繰り返しでしかなく、恐縮至極なのですが――新星ピーター・ラヴゼイのデビュー作『死の競歩』(1970)への絶賛でしょう。この翌年に、バークリーは世を去っているんだよなあ。バトンが、灯火が受け継がれる瞬間を、さながら目撃したかのような感慨があります。 本巻をもって、「英国ミステリ編」は終了なのですが…… じつは英国のミステリ作家でも、冒険小説、スパイ小説のジャンルで活躍した面々は、別枠となっています。そちらはまた、来年2018年の投稿でご紹介することにしましょう。 それでは皆様、良いお年を! |
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| No.172 | 7点 | アントニイ・バークリー書評集Vol.4 評論・エッセイ |
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(2017/11/24 10:44登録) 2016年の、春の文学フリマ(東京)で頒布された第四巻は、「英国男性ミステリ作家編」の上巻。抽出すべき作家・作品が多いため、第5巻との分冊になっており、本巻では、バークリーが『ガーディアン』紙に連載した新刊月評のうち、1956年11月から1962年11月までのぶんを対象としています。 英国ミステリ通の、小林晋氏の巻頭エッセイ「バークリー好み」は、示唆に富みつつユーモアが光る好内容。これだけでも一読の価値はあります。 では例によって、取り上げられた51名の作家を、ラストネームの五十音順に並べてみましょう(カッコ内は今回のレヴューの総数)。 アーサー・アップフィールド(6)、マイクル・イネス(5)、クリフォード・ウィッティング(1)、コリン・ウィロック(2)、ヘンリー・ウエイド(1) グリン・カー(4)、ハリー・カーマイケル(3)、マーティン・カンバーランド(2)、H・R・F・キーティング(2)、マイクル・ギルバート(1)、ジョン・クリーシー(5、うちJ・J・マリック名義3)、ブルース・グレアム(2)、F・W・クロフツ(1)、S・H・コーティア(4)、ベルトン・コッブ(6) ロジャー・サイモンズ(3)、ロデリック・ジェフリーズ(3、うちジェフリー・アシュフォード名義1)、ジュリアン・シモンズ(4)、フィリップ・スペンサー(1)、ヘンリ・セシル(1) D・M・ディヴァイン(2) ビヴァリーニコルズ(2) コンラッド・ヴォス・バーク(1)、スタンリイ・ハイランド(1)、ジェイムズ・バイロン(1)、ブルース・ハミルトン(1)、E・R・パンション(1)、バーナード・J・ファーマー(2)、スチュアート・ファラー(2)、ナイジェル・フィッツジェラルド(5)、クリストファー・ブッシュ(6)、マイケル・ブライアン(1)、ダグラス・G・ブラウン(1)、レオ・ブルース(6)、ジョージ・ブレアズ(11)、ニコラス・ブレイク(4)、スチュアート・フレイザー(1)、モーリス・プロクター(5)、シリル・ヘアー(1) シェーン・マーティン(5)、マーク・マクシェーン(2)、フィリップ・マクドナルド(1)、J・C・マスターマン(1)、ウィリアム・モール(1) ダグラス・ラザフォード(3)、クリストファー・ランドン(1)、アントニイ・レジューン(3)、ジョン・ロード(1) アーサー・ワイズ(1)、コリン・ワトスン(3)、サーマン・ワリナー(5、うちサイモン・トロイ名義4) 馴染みの薄い名前も、多いですね。収録作品の翻訳率は(本巻の刊行後に訳出された、イネス『ソニア・ウェイワードの帰還』、ワトスン『浴室には誰もいない』を合わせても)、第三巻の「英国女性ミステリ作家編」同様、20%程度です。 その点に、とっつきにくさを感じる向きもあるでしょう。バークリー書評集で人気投票をすれば、まずぶっちぎりで「英米三大巨匠編(クイーン / カー/ クリスティー)」の第1巻がトップになるでしょうし、もしもう1冊、試しに読んでみて、と一般のミステリ・ファンに薦めるなら、「米国嫌い」のバークリーがあのロス・マクを、マーガレット・ミラーをどう読むか、といったワクワク感が半端でない、第六巻「米国ミステリ作家編」かな、と思います。 しかし、未訳作品の情報に飢えた、筆者のような病膏肓の人間には、ポスト黄金時代の、英国ミステリの推移を浮かび上がらせるリアル・ドキュメントとして、第三巻以降、本巻、そして第五巻と続く流れが、最高に面白い。 犯罪小説が台頭し(その旗手ともいうべきジュリアン・シモンズを、高く評価しつつ、しかし一作一作、批評家としてガチで向き合うバークリーは、なるほど「フランシス・アイルズ」なんだなあ)、いまや「絶滅の危機に瀕している」探偵小説を、どんな作家たちが支えていたのか? その答えがここにあります。 そして、1961年には、ついにD・M・ディヴァインが登場。『兄の殺人者』にコメントする、バークリーの先見の名をご覧あれ。 複数の意図が入り混じりそれぞれ隠された事実が、捜査の中で少しずつ暴かれていく過程を描いたこの作品は、まさに本物の探偵小説だ。残念ながら、警察捜査の在り方が本来あるべきものと違ってしまっている部分があるかもしれないけれど、そういった留保はあるにせよ本作は、もっとも約束された、ずば抜けた処女作である。(引用終わり) 「もっとも」何が「約束され」ているのか、この訳文だけだとチト心もとないのですがねw こういう、文章や表記の揚げ足取りは、バークリー先生の十八番で、ほとんどビョーキ、もとい芸の域に達していますが……翻訳がところどころ明晰さを欠くため、悪文をあげつらう文章が悪文になっている嫌いもあります。 書評集の完結は偉業ですが、来るべき「総集編」のためにも、訳文のリファインに取り組んでくださいね、三門さん。 |
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| No.171 | 7点 | アントニイ・バークリー書評集Vol.3 評論・エッセイ |
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(2017/10/26 09:41登録) 2015年以降、おもに春秋の文学フリマ(東京)で頒布されてきた『アントニイ・バークリー書評集』が、今年2017年11月発行の第7巻で、ひとまず完結を迎えるようです。貴重な資料をコツコツと出し続けてこられた、編訳者の三門優祐さんの努力には、素直に頭が下がります。 既刊分をとりあえず全部押さえながら、本サイトには最初の2冊の感想を投下したきりだった、己が怠惰さを反省。遅まきながら、後続の巻を順次、取り上げていくことにしましょう。 『ガーデイアン』紙に1956年から70年までのあいだ、月イチのペースで連載された、フランシス・アイルズ名義の書評コーナーから、第1巻に収録されたアガサ・クリスティーを除く「英国女性ミステリ作家」の作品評を抽出し、年代順に並べたのが、この第3巻。バークリーを「日本で一番多く手掛けてきた」編集者・藤原義也氏による、編集裏話が満載の巻頭エッセイ付きです。 本文のレヴューで俎上に上った、総勢30名に及ぶレディーたちを五十音順に紹介すると、以下のようになります(カッコ内はレヴューの総数)。 マージェリー・アリンガム(4)、ドロシー・イーデン(2)、パトリシア・ウェントワース(1)、サラ・ウッズ(11)、キャサリン・エアード(4) パトリシア・カーロン(2)、ガイ・カリンフォード(5)、アントニイ・ギルバート(8)、スーザン・ギルラス(3) シャーロット・ジェイ(2)、P・D・ジェイムズ(3)、メアリ・スチュアート(4)、エリザベス・ソルター(3) マーゴット・ネヴィル(1) グウェンドリン・バトラー(11、うちジェニー・メルヴィル名義4)、エリス・ピーターズ(3、うちイーディス・パージェター名義1)、エリザベス・フェラーズ(13)、パメラ・ブランチ(1)、ジョーン・フレミング(11)、シーリア・フレムリン(7)、マーゴット・ベネット(1)、ジョセフィン・ベル(10)、ジョイス・ポーター(5) ナイオ・マーシュ(5)、グラディス・ミッチェル(11)、パトリシア・モイーズ(7) エリザベス・ルマーチャンド(1)、ルース・レンデル(6)、ヘレン・ロバートソン(2)、E・C・R・ロラック(2、うちキャロル・カーナック名義1) 英国女流のミステリが好物な筆者は、こうして収録作家名を書き写しているだけで、胸がドキドキしてきます。同時に、取り上げられた作品の邦訳率が20%でしかないという事実に、憤懣やるかたない思いを抱くわけですが(60年代のポケミスには、もう少し頑張って欲しかったぞぉ)、そのぶん未知の作家・未訳作品の読書ガイドとして有益な一冊に仕上がっているので、マニアのみならず翻訳レーベルの編集者諸氏には、是非、目を通し、刺激を受けていただきたい。 たとえば、以下のようなバークリーの書評に触れてしまったら、これを読まず(訳さず)にどうするんだ、という気になりますよ。 クライム・クラブがサラ・ウッズの才能を発掘したことに対して称賛を贈りたい。彼女の処女作 Blood Instructions(クライム・クラブ、12シリング6ペンス)はまったく完成された傑作である。古典的な筋書きを現代に甦らせた正真正銘の探偵小説である本作は、非常に人間的な登場人物を擁しつつ、ある種驚かされる超然とした語り口の魅力も兼ね備えている。熱く推薦する次第である。(引用終わり) バークリー先生、いつもこれくらい素直に褒めればいいのにw 過去の巻で苦言を呈してきた、訳文のふつつかさも大分解消されてきて、まだところどころ、原文を参照したくなるような表現はあるにせよ、継続は力なり――を感じさせる一冊になっています。 この第3巻に関しては、すでに kanamori さん(お元気であらせられましょうか)が行き届いた紹介をしてくださっており、筆者もその内容には全面的に同感なので、これ以上、屋上屋を架する必要はないのですが……最後にひとつだけ。 バークリーは、お気に入りの作家は、基本、コンスタントに取り上げているのですが、必ずしもすべての新刊を紹介しているわけではなく、ときどきポンと抜けている場合がある。編訳者の三門氏や kanamori さんが挙げていらっしゃる、ジョイス・ポーターの『切断』は代表的な例です。個人的に残念に思っているのは、パトリシア・モイーズの『殺人ファンタスティック』(1967)が無いことですね。バークリーが敬愛してやまなかった、かのナイオ・マーシュでいえば、代表作のひとつ『ランプリイ家の殺人』にも通じる佳品(筆者がとりわけ気に入っているモイーズ作品)で、あのファースっぷりが、バークリー先生の嗜好に合わなかったわけはないのに。なぜ取り上げなかったのかな。私、気になります! |
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