“文学少女”と慟哭の巡礼者(パルミエーレ) |
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作家 | 野村美月 |
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出版日 | 2011年01月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 4人 |
No.4 | 5点 | ボナンザ | |
(2021/03/10 23:11登録) 個人的にはシリーズはここで最高潮だったと思う。 |
No.3 | 6点 | じきる | |
(2020/12/10 11:58登録) 心葉の過去が語られるシリーズの山場。 |
No.2 | 6点 | メルカトル | |
(2020/09/21 22:12登録) もうすぐ遠子は卒業する。それを寂しく思う一方で、ななせとは初詣に行ったりと、ほんの少し距離を縮める心葉。だが、突然ななせが入院したと聞き、見舞いに行った心葉は、片時も忘れたことのなかったひとりの少女と再会する!過去と変わらず微笑む少女。しかし彼女を中心として、心葉と周囲の人達との絆は大きく軋み始める。一体何が真実なのか。彼女は何を願っているのか―。“文学少女”が“想像”する、少女の本当の想いとは!?待望の第5弾。 『BOOK』データベースより。 今回は宮沢賢治『銀河鉄道の夜』。これを読んでいないとやや不利だと思われます。ジョバンニとカムパネルラの関係性を理解していないと、分かりづらい点がありそうです。『銀河鉄道の夜』と作中の心葉の書いた小説と、実際の心葉と美羽の関係が最終章でちょっとごちゃごちゃした感じで語られるのが、感動に水を差している気がしてなりません。 第一作からここまで引っ張ってきた、美羽の自殺未遂の謎。そして何故心葉は小説を書いたのかというホワイダニットは予定調和と言うか、あまりに呆気なさ過ぎて拍子抜けの感が否めません。まあ美羽の揺れ動く気持ちには心が痛みますし、心葉の抜き差しならない状況にも同情は禁じ得ませんけど。 ただ、全ての登場人物にしっかりとした役割が与えられており、単なるキャラの魅力だけでは終わらない物語が紡がれている辺りは流石だと思います。 それにしても、いきなり心葉くんと琴吹さんがいつのまにこんな雰囲気になっていたのか、ちょっと解せません。まあ、それを書く枚数が足りなかったと思いたいですね。 |
No.1 | 7点 | おっさん | |
(2017/01/28 10:31登録) 初恋の少女は、なぜ死を選び、彼の目の前で、校舎の屋上から身を投げたのか? 聖条学園・文芸部の部長、天野遠子(あまの とおこ)と、文芸部の後輩、「ぼく」こと 井上心葉(いのうえ このは)のコンビを主役に据え、毎回、彼らの周辺で発生する“事件”に、内外の文芸作品の本歌取りともいうべき趣向を凝らしてきた、野村美月の人気ライトノベル“文学少女”シリーズ(ファミ通文庫)。 遅まきながら読みはじめて、年甲斐もなくハマってしまい、発表順に、 ①“文学少女”と死にたがりの道化(ピエロ)2006.5 ②“文学少女”と飢え渇く幽霊(ゴースト)2006.9 ③“文学少女”と繋がれた愚者(フール)2007.1 ④“文学少女”と穢名の天使(アンジュ)2007.5 とレヴューを済ませてきました。 筆者の読書・レヴューのペースは亀の歩みですが、あらためて発行年月を振り返るってみると、シリーズものとして、作品の刊行ペースの安定性は凄いですね。 第五弾にあたる本書(2007.9)は、遠子先輩の卒業が迫るなか、心葉くんが、自身のトラウマになった過去の体験と向き合わざるを得なくなり、隠された真実を知ろうと動き出す――これまでのシリーズの総決算的エピソードです(マイクル・コナリーでいったら、ボッシュものの第四作『ラスト・コヨーテ』ポジション)。 今回、モチーフになっているのは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』です。中学時代の心葉と、彼が憧れた少女・美羽(みう)の関係性が、『銀河鉄道の夜』の孤独なジョバンニと、その幼馴染カムパネルラの関係性(銀河鉄道に乗った二人は、星座から星座へ宇宙を旅するけれども、最後にカムパネルラは、ジョバンニを置いて遠くへいってしまう……)と重ね合わされているわけです。 お話は、これまで通り、語り手である「ぼく」の一人称と、別な人物によるナレーションが併置されるスタイルで進行します。ワンパターンのようでいて、毎回、そこにどんな新しい趣向が凝らされているのか? というのが、このシリーズの読みどころのひとつでもあります。本書の場合、心葉くんの「ぼく」に対する、もうひとりの語り手、正体不明の「僕」が何者なのか――は、早い段階でほぼ自明となります。そこに叙述トリック的な意外性はありません(過去作には、かなりトリッキーな仕掛けが施されたものもあります)。しかし、「僕」パートの持つ、真の意味が明らかになる中盤の展開は、やはり衝撃的です。 絶望的な状況を綺麗に終息させ、希望の光を灯してくれる遠子先輩は、もはや“探偵役”ではなく、“運命の修理人”でしょう。 舌を巻くのは、作者・野村美月のしたたかなシリーズ構成力で、これまでの巻がすべて、パズルのピースのように機能し、あて嵌まっていく。オーバーな言いかたであるのは承知していますが、それはたとえば、ジョンル・カレのスマイリー三部作を読んで来て、『スマイリーと仲間たち』に至ったときの感銘、あるいは、ジェイムズ・エルロイのLA四部作で、ついに『ホワイト・ジャズ』を迎えたときの感嘆と変わらないものです。 問題は――“文学少女”シリーズを順番に読んでこないと、この凄みが分からないことで、本作を単体で、読め、読め、読めと絶賛するのは(過去作のネタバラシという意味からも)躊躇せざるを得ません。 このサイトが「ミステリの祭典」でなく「ライトノベルの祭典」だったら、それでも、ドラマ的な要素と感動で9点は付けていたと思います。“ミステリ”としては、お話が動き出すきっかけとなる、病院内での転落事件(心葉のクラスメイトであり、前作「穢名の天使」で親密度が増した、ななせを巡る出来事)にやや無理がある。 さて。 心葉自身の問題には、ひとつの区切りがつきました。 このあとシリーズは、通子先輩の卒業というイベントへ向けて、クライマックスを盛り上げていくのでしょうが…… 例によって、最終ページに強烈な“引き”が用意されていました。 あざとい。野村美月、本当にあざとい。 続きを読まさずにおくものか――という、この気迫にはシャッポを脱ぎます。 |