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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2037件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.597 6点 危険な森- ベンジャミン・M・シュッツ 2019/07/17 00:39
(ネタバレなし)
 「わたし」こと、先の猟奇的な連続殺人事件で功績をあげて勇名を馳せたワシントンの私立探偵レオ・ハガティーは、上流家庭ベンソン家の奥方から、失踪した13歳の娘ミランダ(ランディ)の捜索を依頼された。だが打ち合わせの最中で主人のベンソンが依頼を一方的にキャンセル。しかし後刻、ベンソンは改めて娘の捜索を願い出た。ハガティーは情報をもとに関係者を訪ねて回るが、事件の陰に危険な気配を認めて、荒事用の頼れる相棒アーニー・ケンダルの応援を求めた。実際に、調査を続けるハガティーの前に事件から手を引くようにとの脅しが入るが、彼とアーニーは相手を撃退。そして事件はさらに深い闇を見せていく。

 1985年のアメリカ作品。レオ・ハガティーシリーズの第二長編で、本作の作中でも何回も話題になる事件=シリーズ第一作の『狼を庇う羊飼い』はネオハードボイルドの熟成期に登場した秀作という感じでとても良かった。同作の事件は相応にグルーミーで犯人像も苛烈だったが、そのキツさに見合う満足感は充分にあった。特に、主人公ハガティーと自分の娘の復讐に走るもうひとりの主人公といえる被害者の父親、そしてメインヒロインの女子大生ウェンディー・サリバン、この主要人物3人それぞれのキャラクターと互いの相関が今でも印象的だ(自分が前作を読んだのはかなり前なのだが)。

 それで今回は、少し前に家の中から読まずに楽しみにとっておいた本作が出てきたので、期待してページをめくった……が、こっちはまあ、悪くはないが、物語の結構も、登場人物の描き分けも、他のネオハードボイルド作品の、よくもわるくもパッチワークのようでイマイチであった(汗)。
 巻末で黒井玄一郎という方(すみません。よく知りません)が当時のネオハードボイルド分野の流れを大系的に俯瞰しながらかなり丁寧な解説を書いていてなかなか参考になるが、そこで指摘されるまでもなくハガティーとアーニーの関係はスペンサーとホークの相似形だし(アーニーは本長編が実質的なデビュー。もちろんこのコンビと先輩コンビとを比較すれば、微妙な部分での異同はいくつかあるが)、物語の中盤以降で暴かれていく現代的な病巣はほかのネオハードボイルド作家たちもごく自然に作品の材にしているし、終盤の葛藤の末の私立探偵の決裁も、あのシリーズのかの作品……のごとき、だし。

 まあ前作は若い時に、翻訳書をほぼリアルタイムで読んだから新鮮だったのかもしれないけれど、今では当時の尖鋭的なテーマや主人公探偵の立ち位置が、時代の中でありふれたものになってしまっている部分は否定はできまい。
 そもそも前述の黒井氏の解説でも、すでに、このハガティーシリーズはネオハードボイルドというジャンルがスペンサーやらモウゼズ・ワインやら名無しのオプやらサムスンやらタナーやらの有名キャラクターの輩出を経て円熟した中での後記ネオハードボイルド、第二世代である、旨の物言いをしており、その辺はまったく同感。
 つまり評者も、このハガティーシリーズは良い意味で、後出しの利の中から書かれた作品だと思うのだが(これに対し、意図的にネオハードボイルドの中で30~40年代正統派ハードボイルドへの先祖返りを図ったのはジョナサン・ヴェイリンあたりだと見る)、さすがにそこから20年も経つと、ああ、これはもう80年代ネオハードボイルドという名の新世代クラシックだな、という感慨が今回あらためて強かった。
 もちろんこの辺の気分(ネオハードボイルドだってもはや時代の中の里程だ)は、かねてよりなんとなく抱いていた思いではあるが、こういうかなり具体的な実感を伴ってこっちに訴えてくるとは予想していなかった? 

 まあこれはそういう時代のそういうスタイルの作品だ、という認識から始めるなら決して悪い作品でなかったんだけどな。前作がとても自分の思い入れのある作品だったので、なんとなく期待値のハードルが高すぎたのは事実であった。

No.596 7点 殉霊- 谺健二 2019/07/15 22:27
(ネタバレなし)
 1994年11月20日の夜。デビューしてまだ1年ちょっとだが、独特の個性で若者たちからカリスマ的な支持を集めつつある20歳の歌手・矢貫馬遥(やぬまはるか)は、所属する都内の芸能プロの建物の屋上から身を投げた!? だが地上に墜落死体はなく、それどころか遙の体は少し時間が経ったのち、首のない無惨なバラバラ死体となって離れた場所で巨大なクリスマスツリーを飾るかのような状態で見つかった。だがさしたる手がかりは得られず、捜査は暗礁に乗り上げる。そんな頃、関西の民間調査機関「中山リサーチセンター」のスタッフである20代半ばの娘・緋色翔子は、自殺しかけた冬木絵梨と名のる十代末の少女に遭遇。かつて姉の亜樹を、歌手・岡田有希子の自死の後追い自殺で失っている翔子は絵梨を放っておけず、親身に面倒を見るが……。

 小さめの級数の活字で二段組み、500頁以上の大作。
 評者はこの作者の作品はこれまで処女作と現状の最新作『ケムール・ミステリー』しか読んでなかったが、先日届いたミステリファンサークル<SRの会>の正会誌「SRマンスリー」の最新号が平成作品の総括みたいな特集内容で、そこでは結構この人の作品の評価が高い(その年の国産ベストワンになってる長編もある)。それで気になって、どうせならまだ本サイトでレビューのないこの作品を……と思って取り寄せてみたが、思わぬぶ厚さに驚いた。
 しかし読み出すと存外にリーダビリティは高く、ほとんど二日くらいで読み終えた。文章はけっこうくどい感じで、作中のリアルの事項を拾う筆致も細かいんだけれど、なぜかあまりストレスがない。文章のテンポが良いのであろう。
 物語の主題は「生と死」「自殺」「後追い自殺の連鎖」などに始まる陰鬱で重いものがメインだが、主人公の翔子は凄惨な過去と辛い現実を抱えながら、それでもくじけない一貫した精神的なタフネスさがあり、大部の物語を牽引するに相応しい。そんな彼女の行く道は当然ながら必ずしもなだらかではないが、その辺はネタバレになるのでここでは言えない。
 ミステリとしては最初の大きな仕掛けはまあ予想がつくのだが、大小の手数の多いテクニックが駆使されて長丁場を支える。終盤に明らかになる事件の真相というか実態はある意味でミステリの通常のコードを踏み外したものだが、それだけにインパクトは大きい、とは思う。ただし読者が3~4人いたらそのうちの一人はけっこう早く見抜いてしまうかもしれない危うさもあり、現状のAmazonの唯一のレビューで酷評しているヒトは、それに該当したのかもしれない。
(ちなみに参考までに、本作はTwitterの場などでは、好評な反応がいくつか確認されている。その辺の温度差の観測をまとめるなら、主題もミステリの作りも、どうにも人を選ぶ作品、ということか。)
 
 評者なんかも長く生きている以上、辛いこと、慟哭することは何度もあったが、それでも幸か不幸かあまり自死や自傷などは考えないタイプの人間として齢を重ねてきた。その意味では本書の主題を介して、あまり考えの及ぶ機会のなかったテーマを覗かせてもらった感慨もある。まあ本書を読む以前から、愚直に棒読みで生きてさえいればいいことがあるよ、と無責任なことをホイホイ言えない程度の節度はあるつもりだが、それでも改めてぐるりと回って、それ(自殺するくらいなら生きていた方がいい)は<おおむねは>事実だな、とは思うのだ。
 ラストはドラマとしてキレイにまとめすぎた感じもないではないが、かといって作者が作劇的に逆張りをしていたら、それは絶対に間違っていたと思う。だからこれでいいんでないの。

No.595 8点 オニオン・フィールド―ある警官殺害事件- ジョゼフ・ウォンボー 2019/07/14 12:49
(ネタバレなし)
 1963年3月9日の夜。ハリウッド周辺の市街で、ロスアンジェルス市警の青年パトロール警官二人が、拳銃を持ったまだ若い二人組の強盗に誘拐された。警官の一人は郊外のタマネギ畑で射殺される。武装した強行犯による警官の拉致は決して珍しい事件ではなかった。だが……。

 1973年のアメリカ作品。処女作『センチュリアン』でロス市警の現職警官作家としてデビューしたウォンボーの第三長編で、本書は作者が初めて現実の事件に材を取ったドキュメントフィクションノベル。
 当時の現実の若手警官が殉職した事実はもちろん不条理な悲劇だが、事件そのものにはほとんどまったくといって良いほどドラマチックな意味での物語性はない。だがウォンボーの並々ならぬ筆力はそれぞれ二人組の強盗と警官コンビ(特に後者の生き残った方)に対し、彼らの事件のビフォーアフターの迫力あるドラマを絶大なボリュームで描き出していく。その筆勢は、材料となる木柱の中から精緻な芸術品を現実の世界に彫り出す天才のある彫刻家のごとぎだ。
 主要人物4人のみならず作中に登場する人物名は細かい者も含めれば200人に及ぶ総数だろうし(いつも登場人物の一覧リストをかなりマジメに作る筆者も本書では特例的に一部、これは一過性のモブキャラだろうと当りをつけたものはスルーしたほど)、そんな彼らの行状の要所も手を抜かず押さえ込んでいくドキュメント小説の精緻さは、言い様もない迫力で読み手を揺さぶる。
 小説(あえてそう呼ぶが)本文とは別に、冒頭から意味ありげに挿入されていた奇妙な? 叙述パートが作品の中盤でするりと本筋の方に流れ込んでくる構成上の技巧もさながら、事件後に逮捕され、収監された犯人たち、そして生き残った警官の去就を機軸にこの事件に関する壮大な叙事録を紡いでいく作者の執拗なまでの情念に圧倒される。特に小説後半の、繰り返され、長引いて、そしてひとりの若手警官の死という悲劇を形骸化、空洞化させていく裁判審理の停滞ぶり、現地の死刑制度のゆらぎなどは、読み手の焦燥と緊張をこの上なく高める。
 ハードカバー二段組み、小さめの級数で430頁という大部の作品を二日で一気に読み終えたが、ページを開いてから読了までに個人的には『月長石』『バーナビー・ラッジ』に匹敵するレベルのエネルギーを使った。まちがいなく優秀作~傑作。MWA特別賞受賞も納得の内容である。

 ちなみに本作はミステリファンサークル<SRの会>の会員が読後の評価による採点の平均点で選出した、1975年度の翻訳ミステリ部門ベスト1作品である。その年の2位以下が、②『オスターマンの週末』(ラドラム)、③『戦争の犬たち』(フォーサイス)、④『マラソン・マン』(ゴールドマン)、⑤『ロゼアンナ』(シューヴァル&ヴァール)、⑥『強盗プロフェッショナル』(ウェストレイク)、⑦『カーテン』(クリスティー)、⑦『転倒』(フランシス)⑨『シャーロック・ホームズの素敵な冒険』(メイヤー)⑩『ジョーズ』(ベンチリー)……と当時の話題作揃い(今では時代に埋もれた作品もいくつかあるかも)。
 私的に、大昔の割と早いうちに2~10位までは読んだが、本作『オニオン・フィールド』だけは、読めば絶対に手応えのあるスゴイ作品なんだろうな、と思いつつも、ドキュメントフィクションノベルという通常のミステリでない形質、さらに何よりその重量感から腰が重かったが、ようやく今回、積年の思いを果たした。

 ただ個人的にはウォンボーっていったら『デルタ・スター刑事』『ハリー・ブライトの秘密』みたいな、「警察小説というジャンルで、こんなアクロバティックなミステリをやるのか!?」という、あのぶっとんだ資質の異能の作家なんだよね。またそのうち、あっちの路線の作品も読んでみたくなった。

No.594 6点 樹海の殺人- 岡田鯱彦 2019/07/13 00:26
(ネタバレなし)
 昭和32年10月。富士の樹海を分け入った奥地に建つ施設「富士研究所」。そこは、T大出身の理系学者・坂巻久が所長を務めていた。かつて20年前にこの土地の神官の家系の美少女・小林千鶴と結ばれた坂巻はそのまま小林家の入り婿となって神官職に就き、さらに本職の傍らで、15年ほど前に設立した研究所で学問の探究を続けていた。だが3年前に千鶴が病死したことから坂巻は神官職を辞して苗字を旧姓に戻し、神官を務めていた地元の「浅間神社」も縁者に託して、今は研究所の所長に専念していた。そんな中、坂巻は、今はT大で物理学の教授を務める元学友の田島亮(あきら)を研究所に迎え、久々の再会を果たした。田島はかつての憧れの君であった千鶴にそっくりな美少女、坂巻の娘の久美子に出会い、目を瞠る。実際、研究所の周囲には、久美子の美貌に心惹かれるものは多かった。だが田島が到着して三日目のその夜、坂巻の不在中に研究所の実験室で不測の爆発が生じ、田島が爆死した。事故か他殺かの確証がないまま、樹海の中の研究所は、その周辺でさらなる惨劇を迎える……。

 昭和32年、春陽堂のミステリ叢書「長編探偵小説全集」の一冊として刊行された書下ろし長編作品。同叢書の全14冊の中では楠田匡介の『いつ殺される』、鷲尾三郎の『屍の記録』(短編がオマケ)と、本作の三冊のみが書下ろしの完全新作であった。
 評者は今回、1978年に刊行された「別冊幻影城・岡田鯱彦編」で本作を読んだが、山野辺進の雰囲気もたっぷりのイラストの効果もあり、これぞ昭和の1.5線級の謎解きパズラーという感じで大部の長編を満喫した。

 ……いや正直、事件の真相に直結するキーワードの正体が見え見えだったり(初版刊行当時ならともかく、21世紀にこのミスディレクションにひっかかかる人はいないだろう……)、登場人物の配置がくっきりしすぎて容疑者が絞り込め過ぎたり……などの苦言は湧き出てくる。
 さらに、章立ての見出しも後半の方なんかもろネタバレだよね、とか、土地の警察の上層部がここまで一巡査に、民間人といっしょの行動を許可するはずねーだろとか、言いたいことは山のようにあるのだが(そもそもこの作品というか、犯罪と事件が、同世代の某作家のあれやあれなどの作品群の影響を確実に受けているだろうし)。

 それでもまあ実は、そもそもあんまり期待値も高くなかったので(汗)、これだけ雰囲気たっぷりに外連味豊かならいいや、という気分も大きい(笑)。
 最後のトンデモトリックは完全にバカミスの領域だが、これも作者があんまりドヤ顔で書かず(小説の章の見出しでトリックを暗示したりせず)、本当にごくそっと読者の前に出していたなら、この作品は佳作のパズラー(しかしトリックは特筆もの)という定まった評価に落ち着いたかもしれないんだけどね。ただしまあ、いろいろとややこしい事を考え、そんな自分の心のゆらぎに振り回された某登場人物の内面描写は良かった。ミステリの結構としては補完的な部分かもしれないけれど、そんなポイントに作者が力を込めたであろう感じはよくわかる。

 webなんかでは「ゆるい本格派」という評判なんかも聞えてくるし、事実そういう面もあるんだけれど、読み終わった瞬間にはかなりの満足感があったし、ちょっと時間が経って頭が冷えた今でもそれなりにキライにはなれない作品であった。

No.593 6点 青い闇の記録- 畑正憲 2019/07/12 15:22
(ネタバレなし)
 高度成長時代の昭和期。知床の自然林の中で五人の大学生が羆に襲われて、三人が死亡。一人が行方不明になり、残る一人・尾崎則雄のみが生還した。則雄の恋人で、行方不明の若者・江間昭良(あきら)の妹の信子は、高校卒業後3年間勤めていた玩具会社を退社し、自ら北海道に兄の捜索に向かう。そんな信子は、利潤目当ての開発に反対する民間組織「知市連」こと「知床の自然を守る市民連合」のメンバーと接触。羆が本来は臆病な動物で、今回の惨劇の背後には何か事情があった可能性を聞かされる。知市連は今回の惨事を記録に残して教訓を得ようと、道内外の関係者の述懐を募った文集を作成するが、なぜか肝心の生き残りである則雄の筆は<ある部分>において重かった。そんな中、昭良では? と思われる焼死体が、知市連のメンバーの所有する家屋内から見つかり……。

「サンデー毎日」の1972年9月10日号から翌年7月29日号にかけて連載された長編作品。
 かつてミステリ雑誌「幻影城」で、各大学ミステリの研究会がそれぞれのサークル毎のオールタイム国内ベスト10を提示する連載コラムが一時期あったが、その際にどっかの大学が、本作をベストテン枠のひとつに入れていたのを近年、改めて意識した。それでこちらも気になって、数年前からその内読もうと思っていた一作である。

 読む前はなんとなく<闇の中を徘徊する謎の殺人者の正体は? ……人間じゃない、ヒグマだー!>パターンのスリラー作品(別の作家の某長編ミステリのような)ものかと思っていたが、物語の1ページ目からこの作品の主題として、いきなりちゃんと羆が出てくる。そういう意味ではきちんとカードを晒しながら、その上ではたしてこの惨劇の奥に犯罪といえる実態は? 何か人間の負の思惟はあったのか? に焦点を少しずつ絞り込んでいく作劇。
 うん、ムツゴロウ先生、人間文明の闇の部分も、人間と自然動物の距離感も語りたいだけ語りながら、その上でまっとうなミステリに仕立ててあるのは、ご立派。
 まあかなりの大部の作品で、その紙幅の全部がミステリの要素に奉仕しているわけでは決してないが、さすがに大作家だけあって文章は平明。登場人物にも時にやさしく、しかしそれ以上に随時きびしく容赦なく役割を与えて、最後まで一気に読ませる。
 ヒロインの逞しさも、大半の登場人物の雑草みたいなしぶとさ(それこそ単純に善とも悪とも、好人物とも嫌なヤツとも割り切れない連中がほとんど)も、カメラアイみたいな醒めた叙述で書き紡いでいく感覚はなかなか……。
 まあたまには、こういうのもいいですな。

 ちなみに題名の意味は作品の後半で、動物学を学ぶ大学生・菊川京太が語る、地球上の動物たちの進化の流れにおいて、原初的に生き物たちの本能に宿っているある種の記憶の場のこと。

No.592 7点 レベッカの誇り- ドナルド・M・ダグラス 2019/07/12 14:04
(ネタバレなし)
 1950年代。カリブ海のリーウォード諸島。その年の1月末から2月初頭にかけて、アメリカ政財界の大物である白人の実業家フォーダイス・ウェールズが同地で失踪。やがて黒焦げになった焼死体が見つかる。若き日に現地との縁故ができたウェールズは、この島のかつての大地主だが、今は権勢と財力を弱めた女丈夫の白人、未亡人レイチェル・フォン・スホークから、フォン・スホーク家の代々の象徴であった大邸宅「レベッカのプライド」を買い取った過去の経緯があった。それでなお島の有力者であるレイチェルとその家族は島の新勢力となったウェールズと表面上は友人づきあいをしていたが、一家の内心には複雑な思いが渦巻いていた。そんな中、「私」こと、フォン・スホーク家と幼少時から家族同様の付き合いをしていた黒人で、今は島の警察長官となったポリーヴァー・マンチェニルは、警察官としての公正な職務に準じながら、同時に可能な限りに恩義あるレイチェルとその家族のために尽力しようとする。だが、フォン・スホーク家の面々と事件の捜査陣はそれぞれの思いで行動し、そんな中から意外な事実が次々と浮かび上がってくる。

 1956年のアメリカ作品。同年度のMWA新人賞を受賞した長編で、作者ドナルド・M・ダグラスは本邦ではこれが唯一の翻訳。1950年代から創作を開始したが、著作の数はそう多くないまま文壇を去ったらしい旨の記述が、本書巻末の実に丁寧な訳者あとがき(解説)にある。
 あらすじを一読願えば歴然のように、デュ・モーリアの『レベッカ』とは何の関係もない題名で、その意味は物語の主要人物となるフォン・スホーク家のかつての屋敷の呼称に由来する。
 財政的な事情から成り上がり者に先祖伝来の屋敷を譲らざるを得なかった地主の苦渋と、その周辺で起こる殺人劇? といえばクリスティーの『死者のあやまち』(またはその原型作品『ポアロとグリーンショアの阿房宮』)だが、本作の方では金持ちウェールズの方からも旧家フォン・スホーク家にさらなるある重大なアプローチを現在形でしており、人間関係の錯綜ぶりと情念の交錯の点では負けていない。ウェールズが大物だけにアメリカ本土からも多数の政府関係者や捜査官が来訪し、島が相応の喧噪で包まれるのも本書の厚みを増す部分だ。主要人物の要の未亡人レイチェル自身が清濁あわせた(それでも全体としてみるなら人間的な魅力のある)人物として描かれる一方、その子女や嫁なども個々のキャラクターを発揮し、かなり多数の登場人物を配しながらその書き分けはすこぶる鮮やかではある(本書の巻頭に、とても丁寧な人物紹介があるのはありがたい)。
 その上でとりわけ重要なのは、主人公=「私」のマンチェニルのポジションで、彼の実母はレイチェルの息子たちの乳母でもあったことから人種を越えた兄弟のように育った反面、地主の息子と使用人の息子という主従関係を意識する面も当然あり、これがそのまま1950年代当時のカリブ諸島の視点での人種問題の投影であり、集約にもなっている。つまり黒人はもう奴隷じゃないよ、白人と同等だよ、と建前的に唱え、実際に時代もそのように推移しながら、それでも……の部分が特に色濃く残る物語世界だ。そんな枠の中で、(フォン・スホーク家の後援もあり)主人公マンチェルはかなり高い教育を受けて、捜査官としても大成(現在51歳)したのだが、それだけに多重的なまなざしをもって事態を見つめ、物語の中の謎と真相に切り込んでいく。

 謎解きミステリとしては、起伏豊かな群像劇の中から終盤に意外な真相が覗いてくる流れで、日本で言う社会派的な部分もあるエキゾチック作品かと思いきや、予想以上にまっとうな推理小説になっているのが嬉しかった。クライマックスの派手な展開も外連味に富んでいていい。
(ちなみに、ずっとのちの、同じ(中略)作品に、本作とよく似たアイデアを核とした長編ミステリが登場しているが、実は「あっち」は、本作の影響を受けていたのだろうか)。
 なおこの作品を最後に引き締めたのは余韻のあるエピローグで、そのなんともいえない文芸味……。これこそが作家の、作品の誇る個性の輝きということであろう。ずっと印象に残りそうなラストであった。
 
 最後に、この時期(70年代末~80年代半ば)の講談社文庫の海外ミステリ路線には翻訳がアレなものが多いのだが、本作はおそらくは渋い感じの原文であろうに、日本語として読みやすい上にすごく丁寧で感銘した。特に本文の中で<原書の時点から作者の誤記らしい、登場人物の間違った名前の記述が出てくるが、あえてそのままにしておく>旨の割註があり、この誠実で透明な仕事ぶりにはマジで感動した。
 前述のように巻末の解説(訳者あとがき)も実に精緻で、webで検索すると訳者の人は実作の創作も為した方らしい。
 本作はとても良い翻訳者を得たと思う。

No.591 6点 殺意の設計- 西村京太郎 2019/07/08 03:04
(ネタバレなし)
 世評の高い31歳の新鋭画家・田島幸平。その妻で27歳の麻里子は、匿名の密告状を契機に、夫が20歳の美人モデル・桑原ユミと浮気している秘密を知った。親族がいない麻里子は、仙台在住の旅館の若主人・井関一彦を手紙で東京に呼び出し、苦しい胸の内を打ち明ける。井関は幸平の親友で、かつては東京で同じように画家を志した身であり、そして麻里子と幸平と三角関係にあった。麻里子の訴えを聞いた井関は幸平とも対面し、良い結果を求めて尽力するが、やがてある夜、田島家の中で突然の死が……。

 作者の(比較的)初期長編。
 途中で、いかにも、これ見よがしっぽい仕掛けが覗くので、この時期の西村作品はこんなレベルで読者を引っかけようとしていたのか? と一瞬興が醒めた。しかしそのまま読み進めると、作者はしっかりと物語のその奥まで読み手に晒し、そんな上でさらに謎解きミステリとしての興味を煽ってくる。
 安易にプロの作家を舐めてはいけないと、少し反省。

 とはいえ事実上、物語の中盤には、犯人は絞られてしまうのでフーダニットとしてはそこで崩壊。あとに残る最大の興味は、動機の謎のホワイダニットとなる。
 それでこちら読者としてもミステリファンの欲目があるので、ここはひとつ連城の「花葬シリーズ」レベルのスゴイのが来ればいいな、と期待したが、残念ながら結末は意外に地味な感じであった。
 ただし容疑者が中盤で狭まった分、探偵役である警視庁の矢部警部補(十津川シリーズや左文字シリーズにも客演する、作者の地味な? レギュラーキャラクター)と犯人役の対決の構図は際立ったけれど。

 それでも犯罪計画の組み立てを暴いていく流れは全体的に丁寧で、その辺は好感。物語の後半、脇役として登場して矢部警部補を支援する雑誌ライター(記者)・伊集院晋吉の妙に人間臭いキャラクターも、ちょっと印象に残る。

 西村作品の初期の単発ものには結構面白いものがあるので期待したのだが、これはそこまでの思いには応えてくれなかったものの、それなりには楽しめた一冊であった。佳作。

No.590 5点 危険な女に背を向けろ- 生島治郎 2019/07/07 16:08
(ネタバレなし)
 クライムものや捜査ものなどのノンシリーズ作品、それもショートショートでも中編でもない、まさに「短編」という長さの作品ばかりを11本集めた一冊。たぶん作者が当時の「小説推理」とかあちこちの中間小説誌とかに書いた(一部書き飛ばした)作品を集成したものであろう。

 基本的にオチをつけてまとめる作品が主体だが、早々に結末が読めてしまうものもいくつかあり、はは、昭和っぽいこの種のライトミステリの、のんきな作風だね、という感じでほぼ一色。
 異色? なのは巻末の自伝風作品『浪漫渡世』で、これは作者がかつて早川書房に入社し、日本版EQMMの二代目編集長に就任した際の回顧譚。実在人物は変名で登場するが、世代人ミステリファンなら大方の見当はつくはず。生島から見た先輩・田村隆一への深い敬愛と親愛の念、早川清への悪態(? 笑)、日本ミステリオヲタクの先駆・田中潤司へのなんともいえない視線など、それぞれ興味深いし楽しい。

No.589 6点 ファラオ発掘- ジョン・ラング 2019/07/07 15:36
(ネタバレなし)
 シカゴ大学に在籍の考古学助教授で、41歳になるハロルド・バ―ナビーは、古代パピルスを独自に解読。定説となっている学識が誤りで、実はまだ未発見のかなり大規模なファラオの古墳がエジプトの砂漠のとある地域内に確実に埋もれていると探り当てる。新発見を大学に正直に申告しても正教授の待遇を得るのみで、さらに自分を社交性もない本の虫と蔑んだ大学の名をあげるばかりと思ったバーナビーは、独自に非公式な発掘チームを組織し、本来はエジプト政府の国庫に入るべき古墳内の財宝を盗掘する計画を企てた。スカウトしたル青年ポライターのロバート・ピアスが人脈を駆使し、スポンサーとなる好事家の大富豪、プロの盗賊、さらには考古学を少しは齧った肉体派の男……たちのチームが編成され、古墳の秘密の捜索が開始される。だが作業は随時エジプト公営博物館の遺物局の査察を受け、チームは金銭的な価値のないあくまで学術的な探求を装いながら発掘を続けるが……。

 1968年のアメリカ作品。マイクル(マイケル)・クライトンがジョン・ラング名義で書いた初期の長編(これとジェフリイ・ハドスン名義で執筆のあの『緊急の場合は』が68年作品で、どちらかが通算3冊目でまた4冊目)。ラング名義の作品としては3冊目にあたる。

 評者が以前に読んだラング名義の作品では初期の某長編がとんでもないボルテージのセックス描写のポルノ・ミステリーだったので、今回もそういうのを少なからず期待したが(笑)、意外にも本作では実質的な主人公となるピアスとスポンサーの大富豪グローバー卿の秘書リザ・バレットとの間に芽生える、昭和40~50年代の日本の少女漫画風の不器用な恋愛模様が描かれるだけ。
 昭和の父親が女子中学生の娘に読ませても全然問題がないような内容で、その極端さに驚いた。クライトンってアメリカの笹沢佐保か。

 クライトン名義の作品はA級ランクの重量級作品、ラング名義のものは軽スリラーといった認識が自分をふくめて一般的にあると思うが、少なくともこれはそれなりにエンターテインメントとしての読みごたえがあった。
 エジプト現地の観光的な描写、かなり資料を読み込んだのであろう考古学的な蘊蓄(21世紀現在の時点でいまもどれくらい正確で的確な叙述かはわからないが)、そして犯罪・ミステリ的な要素はほとんどうっちゃって(物語の主な事件的な要素といえば、主人公チームがエジプト政府の目を欺いて盗掘することくらい)ひたすら発掘の作業を丁寧に描くだけ……なのだが、これが実に面白い。クライトン(ラング)って、やっぱり本物の職人作家だったのだなあ、と改めて感入った。大きく四部に分かれた小説本文の筋立ても巧妙で、そこそこの長さの作品ながら中断できず、一気に一日で読み終えた。
 主人公チームの挫けない奮闘ぶりは本気で応援したくなるのだが、一方で確かな犯罪でもあり、どう決着するか……はもちろんここでは言えないが、最後にはすごく気持ちよくページを閉じ終えられた。筆の達者な創作家が才気で書いた作品って必ずしもスキになれないこともよくあるが、今回の場合はその職人的な手際そのものにある種の感興を覚える。とてもよくできた、ちょっとハモンド・イネスみたいな作風に限りなく接近しながら、それでもギリギリの部分でどこか違う、どんな一冊。

No.588 5点 月光の大死角- 志茂田景樹 2019/07/06 14:02
(ネタバレなし)
 蓼科高原で土建業、観光ホテル業、タクシー業を成功させて、個人の資産だけで100億円以上と噂される大実業家・岩本大作。彼は自分が率いる岩本財閥の威信を示すべく、蓼科高原に約24メートルの大観音像を新規建立した。そのお披露目の式典の前夜、大作は、若い愛人でもある秘書の香田やよいを観音像の内部の空洞にある展望台に誘う。だがそこに待っていた不審な男が大作を刺殺し、事態を驚きながら見守っていたやよいの前から犯人は消えた。さらにやよいが人を呼びに行って戻ってくると、いつのまにか部屋は施錠されている。しかもその中に大作の死体は無かった。鍵は厳重に管理された、密室状況の中での犯人の出現とそこからの逃亡、さらに死体の消失と、謎が謎を呼ぶ事件はさらに新たな展開へと……。

 Twitterで話題のバカミス(抱腹絶倒のトリックらしい)ということで興味を惹かれて読んでみたが、う~ん……。個人的には、まあ、読んで騒ぎたくなる人がいるのはわかりますね、と冷めた頭で呟きたくなってしまいそうな、そんな仕掛けであった。
 いや現実にそんなにうまくいくかどうかは別として、このアイデアというか力業の着想そのものは悪くないと思うんだけど、手掛かりの出し方やら読者側が抱く疑問の捌き方やらのミステリとしての演出が悉くヘタで、面白がるより先に、もったいないな……という気分が優先してしまった。

 あと志茂田先生のミステリはこれで二冊目だが、話が途切れかけると新規の登場人物をぶっこんでいく(そのくせあまり、創造したキャラクターのアフターフォローもない~終盤の某登場人物の、彼氏が死んだあとの反応の薄さはなんなのだ)作劇も素人くさく、その流れで真犯人の設定もダメダメであった。かつて某英国の大作家が似たようなことをやっていたともいえるが、あっちは確信行為で放った変化球、こっちはただのダメミステリであろう。
 まあ話のタネに読んでおくのはいいかも。

No.587 6点 箱の中の書類- ドロシー・L・セイヤーズ 2019/07/05 20:24
(ネタバレなし)
 1928年9月のロンドン。中年の電気技師ジョージ・ハリソンとその年の離れた後妻マーガレットが暮らす共同住宅「ウィッテントン・テラス」は、若い2人の入居者を迎える。彼らは二十代半ばのハンサムな画家ハーウッド・レイザムと、その友人で三十代の初めの文筆家ジョン・マンティング。同じ部屋に暮らす二人組は、ハリソン夫妻や夫妻の雇う中年のメイド、アガサ・ミルサムとも日々顔を合わせるが、ある日思わぬセクハラ事件が生じて、その関係は破綻した。やがてそれぞれの生活を始めた面々だが、ウィッテントン・テラスの周辺である変死事件が勃発する。

 1930年の英国作品。ウィムジー卿が登場しない唯一のセイヤーズの長編作品で、さらに原書などでは別の英国作家ロバート・ユ-スタス(ロバート・ユースティス表記もあり。(広義の)密室ものの古典名作短編『茶の葉』などで有名)との合作として表記される一編。ただし主筆はあくまでセイヤーズで、ユースタスは化学考証などの協力実務らしいと巻末の解説にはある。

 小説全体の9割以上が主要登場人物(特にメインとなるのはマーガレットと、アガサ、それにジョージと前妻との間の息子で成人して別居しているポールなど数人)が特定の相手に書き送る書簡の形式で綴られ、そのスタイルはやはり(全編が)日記手記形式のコリンズの『月長石』などを思わせる。言うまでもないが、日本でも井上ひさしだの湊かなえだの、この手の手法の作品は少なくない。
 なんとなく普通の小説と違う形質がシンドそうだなと読む前は思っていたが、実際に読むとまとまった情報を手紙の文面の中で消化しなければならないという前提がかえって物語のこなれを促進し、かなりリーダビリティの高い作品であった。

 名探偵ウィムジー卿も不在で終盤の謎解きがいささか破格なため、ポケミスの裏表紙に書かれたジャンル分けではサスペンスに分類されているが、本質的にはフーダニットとハウダニットの興味が最後まで守り抜かれるパズラーの枠内の作品だろう。ただし前者の興味については、登場人物の少なさとその配置ポジションの関係もあってほとんど意外性はないが。
 もう一方のハウダニットの求心力も21世紀の今ならなんとなくわかるものの、実際には20世紀序盤の専門的な? 化学知識で作者が読者を言いくるめた感じで、サプライズやロジックを含むミステリ的なセンスで上策かというと、あまりその意味でも良い点はやれない。
 むしろ本作で感じ入ったのは、最後まで読んで物語の上の点と点を結んで見えてくる犯人のかなり独特なものの考え方で、これがなかなか印象深い(ちょっとフィルポッツの諸作に似通うものがある~ネタバレにはまったくなってないと思うけど)。
 さらに言うならその犯人役と対峙する終盤の探偵? 役のポジションも中期以降の(探偵の方の)エラリイ・クイーンの葛藤みたいで、妙に心に染みた。本作の後半は、登場人物のひとり、ジム・ペリー司祭の言動を介して神学の主題にも接近するが、作品そのものと劇中の犯罪の構図にも神と人間の距離感の投影みたいな文芸が覗くような感触もあり、たぶんその辺もセイヤーズがこの作品で語りたかったことのひとつだろう。
 シンプルにミステリとして読むといろいろアレなところもないではないが、小説としては普通にお腹がいっぱいになった。
 
 なお208ページで「ベヴァリー・ニコルズ」の表記で、作中人物が話題にする作家として『消えた街頭』『ムーンフラワー』のビヴァリイ・ニコルズ(Beverley Nichols)のことが話題にのぼる。よく世代人ミステリファンの間で、未訳作品の発掘が望まれる作家ですな。

No.586 6点 さらば友よ- セバスチアン・ジャプリゾ 2019/07/05 19:05
(ネタバレなし)
 ある年の冬のパリ。外地の戦場から戻った職業軍医の美青年ディノ・バランは、中年の外人兵フランツ・プロップから次の仕事(戦場)に誘われるが、バランはそれを辞退。かなり無碍にあしらい、相手の不興を買う。そんなバランに接触したのは「モーツァルト」なる名前の軍医を探す妙齢の美女イザベル・モロオだった。イザベルと男女の仲になったバランは、彼女が元恋人で医者のモーツァルトを頼りにある犯罪行為を企てていることを知り、同じ医者の立場でその代役を買って出た。だが計画が決行されるクリスマスの時期、バランが狙うビルの地下、そこの金庫に大金があるという情報を得て強奪を図るプロップもたまたま現場に現れた。やがて成り行きから地下の密閉空間にいっしょに閉じ込められた二人は、いがみ合い、騙しあいながらも一応の協力体制を結ぶが、事態は二転三転の思わぬ展開を見せていく。

 1968年のフランス作品。同年公開の同じ題名(邦題)のクライムサスペンス映画、その台本を著した(監督ジャン・エルマンと共同執筆)作者セバスチアン・ジャプリゾ(ポケミスは「セバスチャン」表記)が、シナリオを脱稿後(たぶん映画の撮影後)に書いた自家製ノベライズ。作者自身、この書籍は通常の小説ではなく、台本に毛が生えたようなものだという主旨の文言を巻頭の前説で述べているが、実際に大筋は映画とほとんど変わらない。
 端役の登場人物が登場したり、情事のあと映画では服を着ている場面のヒロインがオールヌードで描かれるとか、いくつかの細部の違いはあるが(なお映画はアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンという当時の二大大物スターの共演が売りなため、地下の犯行現場の場面もほとんど常時、煌々と照らし出されて主役2人をカメラが映し続けるが、小説の方は緊迫感を煽る意味も込めてか照明の落ちた暗い現場の中で物語が継続する)。
 もちろん小説版独自の読みどころとして、映画ではなかなか踏み込めない各登場人物たちの内面描写や各キャラの過去の文芸設定なども開陳されるが、これはまあ、この映画に思い入れたファンが公式設定を探る程度の興味として捉えればいいもののような。
 
 ただラスト、映画本編のあとの時勢にあたる、小説独自に追加されたエピローグはちょっと驚いた。エルマン監督や主演の2人までこれと同じ意向で映画のラストシーンを撮り終えたのかどうかはもちろん知らないが、少なくともジャプリゾがこういうエピローグを想定してシナリオを書いていたのだとしたら、評者なんかが映画のラストを観て感じたクロージングの解釈も大幅に変わってしまう。自分はもっとあの最後の(中略)は(中略)なものだと思っていたので。そうなると結構(中略)だよね。

 まあ映画を先に観ていなければ、読んでもあまり意味はない一冊かもしれない。逆に言えば映画を観てなんか引っかかった人は、一読してもいいかも(評者も今回、久々に映画本編を再見してから読んだ。もともと好きな映画だったけどね)。
 なおAmazonの現状のデータでは翻訳書(ポケミス)は、なぜか1980年の刊行になってるが、実際には1969年5月に初版発売。

No.585 7点 - ロザリンド・アッシュ 2019/07/03 20:26
(ネタバレなし)
 ロンドン周辺の田舎町サットンハムデン。当地の、数世紀前に建てられた屋敷「ダワー・ハウス」は、かつてゴールドスミスやボズウェルのような18世紀の大物作家、それに当時の美人女優サラ・ムーアなども滞在した由緒ある旧邸宅だったが、今は一般向けの賃貸物件となっていた。「私」こと経済学の大学研究員で独身のハリー・ハリスは同邸宅を借りようか検討するが、結局、たまたま同じ大学に新任教授として着任したばかりの40代のジェイムズ・ボイス博士と、その妻で30代初めの美人ネモジーニ(ネモ)に先に契約されてしまう。同じ物件を取り合った縁でボイス夫妻と友人になったハリーだが、いつしかその心は魅力的なネモへの劣情に傾いていった。だがそんな中、ハリーはくだんのダワー・ハウスに何か魔性のものが取り付いていることを察知する。それは美貌の若妻ネモの心身に憑依した、150年前の女優サラの死霊であった。

 1976年の英国作品。サンリオSF文庫の中では<本書の巻末のあのトピックス>で頗る有名な一冊だが、評者がくだんの事実を初めて知ったのは確か1990年代の「本の雑誌」誌上の記事だったような。それから20年以上経ったいまではTwitterを初めとするwebのあちこちでもういいかげん耳タコのネタで、笑うのにもとっくに飽きた。じゃあ肝心の作品の中身の方はどうなんだ、と本文を読んでみた。
(なおこの本についてまったく初耳で、どこがどうヘンで笑えるのか興味がある人は「ロザリンド・アッシュ」「蛾」「川本三郎」とかのキーワードを並べてWEBを検索してみましょう)。

 それで本作がオーソドックスなゴーストストーリーという情報は以前から見知っていたが、実際に読んでみても、いい感じに70年台っぽい当時のモダンホラー的な雰囲気に、正統派の幽霊屋敷譚が組み込まれた一編であった。巻末の訳者あとがきではデ・ラ・メアやM・R・ジェイムズの技法に倣い、といった趣旨の指摘が語られているが、評者はそちらの方にはあまり詳しくないので、何とも言えない。ただしまあ、古色豊かなゴシック・ロマンをモダンホラーに新生させるという狙いの上では、成功しているのではないか、と思う。
(ちなみに物故した女優の死霊が現世のメインヒロインに憑依してと言うと、まんまジャック・フィニイの『マリオンの壁』だが、もちろん向こうみたいなノスタルジア・ファンタジーの情感の類は皆無だ。好事家は、双方を読み比べても面白いかもしれない。)
 
 前半、ハリーの前にサラの亡霊が初めて出現するここぞというタイミングの絶妙さ(地味で古い手法かもしれないが、それだけになかなかコワイ)も、後半、魔性のものが引き起こす連続殺人に地方警察の捜査陣が介入してくるローカル・ミステリ風の筋運びなどもそれぞれかなり手慣れた筆致で、最後までぐいぐい読ませる。主人公ハリー自身が(中略)叙述も、一人称という形式だからこそ、独特の効果をあげている。
 なおダワー・ハウスにあだなす死霊サラの行動は、ネモへの憑依が主体だが、一方で相応に気まぐれにも見えなくもない。不条理な魔性のものだからこそ、呪いや悪行に何らかのロジックが覗いた方がかえって怖いのでは、と評者などは思うのだが、まあこの辺は感覚的なものかもしれない。冥界の死霊に行動の規範の類を求めても仕方がないだろうし。
 ラストはやや唐突な感じだが、たぶんその展開はサラが(中略)という暗示であろうし、そう受け取るならじわじわ来る余韻がある。
 英国産の70年代クラシック風モダンホラー&ゴーストストーリーとして佳作の上。

No.584 7点 鉄条網を越えてきた女- 浦山翔 2019/07/01 15:36
(ネタバレなし)
 1984年8月10日。ニューオリンズで、ポーランド系ユダヤ人の老女コルク・ヘレナが68歳で病死した。小規模な実業家として成功したヘレナだったが、しかし彼女はそんな素性にしても尋常ではない250万ドル前後という莫大な遺産を遺しており、その内の150万ドルをアウシュビッツ博物館、そして残りの100万ドルを渋沢栄一の秘書だった日本人・黒岩喜一もしくはその遺族に贈与すると遺言状にあった。ヘレナの遺言を託された弁護士・細川悦造から故人の背後事情を調べてほしいと請われたのは、細川の友人で大新聞「全国日日新聞」の国際ドキュメント記事担当の記者・清瀬徹準。清瀬は上司の了解のもとに会社の機動力を使い、自らも欧州に赴いて調査を進めるが、それと前後してヘレナの部屋からは、ヨゼフ・メンゲレほかナチス党員への復讐・殺人計画のメモが見つかった。やがてそのメモに名前の書かれていた元SS党員が本当に最近、死亡している事実が明らかになる。

 第6回(1986年度)横溝正史賞の佳作入賞作品(同年の本賞は、服部まゆみの『時のアラベスク』)。
 第二次大戦時のナチスの非道告発、さらにはロシア革命時の戦災孤児たちの逸話にまで遡る現代史ミステリで、主人公・清瀬が物語のキーパーソンであるヘレナの過去の軌跡を追うのと並行して、変死? した二人の元SS隊員の謎、さらには分不相応すぎる巨額の遺産の謎という現在形のミステリ要素がストーリーに絡んでくる。
 推理要素はあまりなく、主人公の綿密な調査のなかで現代史の悲劇、そして同一人物でありながら人生のある局面においては時には神、時には悪魔にもなる人間の恐ろしさと悲しさが浮かび上がってくる筋立て。それでも最後にはちゃんと事件の真相が暴かれる流れではあり、その辺はぎりぎり殺人が主題のミステリらしい。

 本作の特筆事項は、あの杉原千畝の晩年にきちんとご本人に取材した作品ということ。おそらく本書の執筆中にご当人が亡くなっている(1986年7月31日)タイミングだから、ミステリ分野ではその意味でも、かなり稀少な一冊となろう。ご当人も奥様ともども「杉山千里」(とその夫人)という名前で劇中に登場し、主人公の清瀬に情報を与えている。
 なお、本書刊行時の読者との仲介を果たすため、主人公が無知になるのは便宜的に仕方がないのだが、2010年代の今なら小学生でもその名を知っている現代史の偉人・杉原千畝の名前を、海外記事担当の全国紙の中堅記者が対面するまでほぼ知らなかった、というのは……時代である。

 情報量の多い物語を捌くため、話が潤滑に進みすぎることに若干の違和感もないではないが、その分、さすがにリーダビリティは高く、一息に読める。
 分類すればガーヴの『ヒルダ』や湊かなえの『リバース』のような、冒頭の物語開幕の時点でキーパーソンがすでに死んでいる<故人もの>ということになろうが、その辺の切り口から賞味しても悪くはない。
(ただ、ちょっと小うるさいことを言えば、某キャラクターの行動というか決定で、作者も主人公も何も言わず看過したまま終わっちゃう部分で、これはどうなんだろう…という所も一か所、あるのだが…。)

 作者はミステリは結局この一本だけしか残さなかったようだが、先に書いた<80年代における、杉原千畝という偉人の功績の受容史、そのひとつの資料>という面も含めて、古本屋とかで安く買えたら購入しておいてもいいかも。

No.583 7点 わが名はユダ- E・R・ジョンスン 2019/06/29 03:51
(ネタバレなし)
「おれ」ことジェリコ・ジョーンズは自分の情婦を寝取った弟分を処罰し、その結果5年間の刑に服して釈放された男。だが当年34歳のジョーンズの正体は「ユダ」と呼ばれるマフィアの殺し屋で、当局は現在もなおその事実を知らなかった。つい今しがた自由の身になったばかりのユダは、余命ひと月の重病であるマフィアの老ボス、トニー・カンドリに呼び出され、ある用向きを頼まれる。それは縄張り争いで揉めている町カンザス・シティで、少し前に行方不明になったカンドリの息子の若きマフィア、ジョニーの捜索だった。先に同じ町でユダの幼なじみブラッキー・ショウが何者かに殺されたこともあり、ユダはそちらの調査もかねてカンザス・シティに乗り込む。そこで彼を待っていたのは、硝煙と裏切りの連続だった。

 1971年のアメリカ作品。作者E・R・ジョンスンは1937年生まれ。27歳の時に殺人強盗(第一級殺人罪)で懲役40年の刑罰を受けながら、獄中で小説を執筆。1968年の処女作『シルバー・ストリート』が同年度のMWA新人賞に輝いた。日本でも数冊の翻訳があるが、当人は60歳ですでに逝去している(釈放後の死亡が獄死かは、英語wikiを読んでも読み切れなかった)。いずれにしろ相応の服役歴のあるチェスター・ハイムズやジョセ・ジョバンニを上回る、異色の経歴の作家だったことは間違いない。
 
 それで本作の設定&ジャンル分類はノワールもので間違いないのだが、筋立てそのものは(巻末の訳者あとがきで翻訳担当の隅田たけ子が語る通り)カンザス・シティに乗り込んだ一人称視点のユダが、行方不明の青年ジョニーの行動の軌跡を探り、関係者から情報を得ていく正にハードボイルド私立探偵小説の定石。アクションやサスペンスも相応にあるが、全体的に良い意味で地に足のついた作風である。
 この物語の流れに加えて、そもそも主人公自体が暗黒街や地元の警察にとって危険度100%の存在なので、本編の流れには常に一定の緊張感が宿っている。ドライで抑制の効いた文体も、物語が安い情感に流れそうなところで随時手綱を引き締め、ノワール・ハードボイルドとして実にいい味を出している。特に主人公ユダと、彼が成り行きから窮地を救うことになった売春婦の娘コニー・ハントとの距離感は鮮烈な印象を残した。
 ミステリとしての決着も練られたものであり、終盤のツイストが鮮やかに決まっている。

 必ずしも敷居の低い作品ではないが、小説を読む楽しみを改めて実感させ、翻訳ミステリファンとしても二年に一冊くらいはこういう長編に触れておきたいと思うような、そんな秀作。この作者のほかの翻訳作品も、そのうち手にとってみたい。

No.582 6点 ちょっと一杯のはずだったのに- 志駕晃 2019/06/28 02:28
(ネタバレなし)
 累計1000万部に及ぶ大人気ミステリ漫画「名探偵・西園寺沙也加の事件簿」の作者で36歳の美女・西園寺沙也加(本名・西山紗綾)が、秋葉原のマンションの自室で半裸状態の絞殺死体で発見される。沙也加はしばらく前から秋葉原のFMラジオ番組でパーソナリティを務めてそちら方面でも人気を呼び、そんな彼女は同番組のディレクターで7歳年下の矢嶋直弥とひそかな恋人関係にあった。しかも事件現場は密室であり、警察は死体の第一発見者でもあった矢嶋に嫌疑をかける。そして当の矢嶋は酒に酔うと記憶を失う傾向にあり、もしかしたら自分が本当に何らかの弾みで恋人を殺し、その際の記憶を失っているのでは……と案じ始めるが。

 現在もニッポン放送に勤務の作者が見知った業界を舞台に著した、かなりフツーのフーダニット&ハウダニット・パズラー。
 ちなみに本書の裏表紙には真相にたどり着けない警察が、主人公の矢嶋に無理矢理殺人事件の謎を解けと強要するブラックコメディミステリっぽい筋立てのように書いてあるが、これは盛りすぎ。そういうニュアンスが100%皆無とは言わないが、実際には本作の警察はそこまで無責任でアホな態度に出てはいない。たぶんこのあらすじ、出版社の編集が強権で勝手に(?)センセーショナルさを狙って、書いたんだろうね?

 本当に全体的に、昭和の二線級パズラーっぽい作品で、嫌疑をかけられた矢嶋に脇キャラの弁護士たちが種々のアドバイスを与え、読者が読んでタメになるような蘊蓄っぽい法律トリヴィアで尺を稼ぐあたりなど、ああ……いかにも昭和40年代っぽい大衆ミステリだなと、ある種の感慨を覚える(笑)。
 そういう意味じゃ決して21世紀の謎解きミステリのAクラス群には入りそうもない作品ではあるが、作者としてはたぶん本気でマジメに練ったのであろう(中略)系の密室トリックとかはすごく微笑ましい、妙に心地よい。
 なんか藤村正太とか西東登とかあの辺の、今は大半のミステリファンに忘れ去られた(でも一部の好事家に愛される)Bクラスの昭和乱歩賞作家の隠れた佳作という感じである(と言いつつ、藤村作品も西東作品もまだまだ未読多いです。すみません~汗~)。
 いや決して馬鹿にするんじゃなく心からマジメに、たまにはこーゆーふた昔、三昔前みたいな昭和風のパズラーっていいな、という正直な感慨なのだ。
 クライマックスの謎解きの演出も、最後の小説のまとめ方もどっか田舎くさいんだけど、とにもかくにも読者を饗応するアイデアを盛り込もうという純朴なサービス精神がふんだんに感じられてスキ。

 なんにしろ『スマホ』の作者が、次にこういう埃臭く、かつ真っ直ぐな球を放ってくるとは、思わなかった。
 チラチラ気にかけていれば、それなりに楽しいものを今後も書いてくれるかもしれないので、これからもそっとマークしていこう。

No.581 6点 地獄の扉を打ち破れ- E・S・ガードナー 2019/06/27 19:38
(ネタバレなし)
 メイスンがデビューする『ビロードの爪』(1933年)の前年、1932年に「ブラック・マスク」に掲載されたガードナーの当時のシリーズキャラクターものの5編を集めた中短編集。ミステリデータサイト「aga-search」の情報によると、日本独自に編纂・集成した一冊らしい。

 収録作は
①「あらごと」(幻の怪盗エド・ジェンキンスもの)
②「ブラック・アンド・ホワイト」(同)
③「二本の足で立て」(秘密機関員ボブ・ラーキンもの)
④「浄い金」(青年弁護士ケン・コーニング&秘書ヘレン・ヴェイルもの)
⑤「地獄の扉を打ち破れ」(同)

①と②は完全な正編&続編の姉妹編。ガードナーのストーリーテラーぶりが短い紙幅の中でも十全に発揮された作品で、特に②の方は通例の義賊ものというかプロフェッショナルによる悪党を罠にはめる作戦ものならモブキャラに終りそうなある種の登場人物を物語の表に出し、ひねった筋立てに仕上げた秀作。前身である犯罪者からの精神的な脱却を望みながら、悪党相手には縦横無尽の機動力を出し惜しみしないジェンキンスのキャラクターもいい。
③は①②同様、一人称の「わたし」で物語が開幕するが、先の説明通り、主人公は別のキャラクターに交代。物語の場も変っているのだが、読む際にその辺の頭の切り替えがしにくくて面白がるペースを掴み損ねた(涙)。④⑤のコーニングものが三人称なので、収録の順番はこの③を一番最後にしてほしかった。最後のオチを読むと、これがこのラーキンものの第一弾だったのかな?
④⑤の主人公コンビは本書の裏表紙などでは、メイスン&デラの前身キャラクターという触れ込みで紹介されているが、評者がここしばらくメイスンものを読んでいないこともあるせいか、とても新鮮な感じで面白かった。特にヘレンのおきゃん(死語か?)なヒロインぶりは、評者がアメリカンミステリの秘書キャラクターに求める魅力が炸裂で、すごく楽しい(笑)。このコンビの未訳の事件簿がもしまだ残っていたら、どんどん訳してほしい。それで⑤の方の、夫のために自分を有罪にしてほしいと願い出てくる依頼人から始まる筋運びは、たしかにメイスンものの先駆っぽいぞ。なおフーダニットのミステリとしてはそれなりに意外な設定の犯人だと思うが、犯行の流れにひとつふたつ疑問が残らないでもないが。あと⑤の事件の内容そのものは、邦題ほど強烈で大袈裟なものではないと思うけど(笑)。 

 なお本書は表紙周りや奥付を見る限り、全部が井上一夫の翻訳のようだが、④のみ実際には平出禾の訳文(本文の最後に小さくそう表記してある)。
 
 んー、ガードナーのシリーズキャラクターものの短編集、今からでも何冊かまとめて発掘刊行されてもいいんじゃないかな。翻訳権ももしかしたらもうフリーになってるかもしれないし。
(もともとの掲載誌が同じだかバラバラだかのどっちかで、翻訳権上の制約がかかるんだっけ。)

No.580 4点 歌と死と空- 大岡昇平 2019/06/27 18:04
(ネタバレなし)
 昭和35年7月18日。27歳の中堅流行歌手の有本晶子(しなこ)が、睡眠薬を呑んで死亡した。過去にヒット曲を続発した晶子だが、最近は活躍の場も減り、人気の衰えを悲観しての自殺と思われた。だがそれからちょうどひと月後の8月18日、さらにまた9月18日。晶子と関わりのあった芸能界の関係者が相次いで殺される。そしてその殺害現場の周辺では、晶子の特徴のある歌声が流れていた……。

 作者の処女ミステリ長編『夜の触手』に続く長編推理小説第二弾で、新聞小説として連載されたのち、カッパ・ノベルスで書籍化された。
 私事になるが、実はこのカッパ・ノベルス版、今は亡き父親の蔵書にあった思い出があり、今回もそれゆえAmazonでこの元版の古書を入手して読んだ。題名自体もなんか昔からロマンチックな感じであり、いろんな意味で相応になんとなく思い入れのあった作品なのだが……うーん、ダメでしたな。
 
 虚飾にまみれた芸能界を舞台に、ウールリッチの二大傑作『黒衣の花嫁』『喪服のランデヴー』を思わせるような連続復讐譚の枠組みの中でフーダニットが進行する……と書けば、まあその趣向自体にウソはなく、すごく面白そうなんだけど、感情移入できる主人公が最後まで不在なくせに、多数の登場人物の叙述は散漫(人格的にいやらしい人間が多い上に、描写上のカメラも悪い意味ですごく奔放に切り替わる)。読みにくいことこの上無かった。
 それで最後に明かされる真相&物語の結末も、いや、通例ならばそういう事態に至る前に、もう少し警察はまともに動くでしょ? 少なくとも捜査線上に名前の挙がっている関係者の面通しの類くらい、何かしらの形でやるよね? という疑問が生じたのだが、その辺にまるで応えていない。
 読者は作者の並べた作中の現実の事象のこまぎれに付き合わされ、最後に実はこんな真相だった、と語られるだけだった。これでは良い評価はあげられないだろう。
 あと、毎回の殺人の現場に犯人が持ち込んだあるガジェットがあまりにチープ。こんなものを事件の関係者の側に持って行って、張り込んでいる警察の捜査陣から職質でも受ければ一発で犯行が露見してしまうと思うのだが、これはそういう危機感以前の問題のような。

 昭和の読み物文化としては、読者のみなさんの憧れる芸能界は実は汚濁にまみれた世界で、女性歌手は枕営業と足の引っ張り合いにかまけ、歌番組やレコード業界の裏方はオンナのつまみ食いと収賄を当たり前にやってるんだと告発小説を書いて、それでことが済んだのかもしれないけど、とても21世紀に残る作品ではなかった。カッパ・ノベルスの裏表紙の結城昌治の推薦文の一節「警察の捜査活動や歌謡曲界の内情なども綿密に調べてあって」というのもどこかむなしい。
 まあ昭和30年代の風俗描写の数々だけは、それなりに楽しかったけれど。

No.579 6点 罪ある傍観者- ウェイド・ミラー 2019/06/26 19:34
(ネタバレなし)
 1946年2月4日の夕方。元警官で私立探偵の経歴もあったが、今はサンディエゴの安宿「ブリッジウェイ・ホテル」で常勤のホテル探偵として働くマックス・サーズディは、4年前に別れた妻ジョージアの突然の訪問を受ける。ジョージアはサーズディとの間にできた息子トミーを連れて開業医のホーマー・メイスと3年前に再婚していたが、そのホーマーが学会に出かけて留守の間に、何者かが当年5歳のトミーを誘拐したのだ。犯人は、追って連絡する、警察には知らせるなとの書き置きのみを残していた。夫ホーマーに連絡が取れないジョージアは、困り果てたあげくに前夫のサーズディを頼ってきたのだ。現在のメイス家は医者と言っても、共同経営者と診療所を開業したばかりで貯金もない。となると謎の犯人の狙いは、何かホーマーの握る情報か? あるいは彼の沈黙か? サーズディは窮地の息子を救うため、メイス家の周辺を調べはじめ、同時に、ブリッジウェイホテルの支配人で地元の裏社会にも通じた老女スミティからも情報を求める。だが事件はトミーの安否とはまた別の所で、予想もしない連続殺人へと発展していった。

 1947年のアメリカ作品。1950年代から日本版「マンハント」の紹介記事などで、その活躍のみ日本のミステリファンに知られながら、実際の翻訳書の刊行は1985年の本書まで待たされた、合作作家(後年に相棒の片方が逝去し、単独で活動)ウェイド・ミラーによる私立探偵マックス・サーズディもののシリーズ第一弾(なおサーズディものの長編は、これ以外に一本だけ「別冊宝石」に一挙掲載の形で先行して邦訳がある)。
 ちなみにウェイド・ミラーの別名義が、数冊の警察小説ジャンルの翻訳があるホイット・マスタースン(マスターソン)なのも世代人ファンには有名。

 評者は今回、本書巻末の小鷹信光の解説を読んではじめて(あるいは改めて)
①マックス・サーズディものの長編は全部で6作あること(つまりそのうちの二作のみ既訳)。
②ただしその6長編は、さらに大きな枠組みのシリーズ「サンディエゴシリーズ」全7作の真部分集合的な括りであり、第一作目にはサーズディが未登場。この第二作『罪ある傍観者』から彼がシリーズの柱になったこと(要はガボリオのルコックみたいなものだな~厳密には向こうは、脇役から主役化だけど)。
③サーズディのシリーズは単にエピソードの数を重ねていく事件簿の形式に止まらず、サブキャラクターとの絡みなどにおいてある種のシリーズ構成的な仕掛けがあったらしいこと。
 ……などなどの情報を知る。特に3の要素は面白そうだが、ナンにしろ翻訳の数が少なすぎるので、その妙味を十全に知ることができないのは実に残念。
 ただまあ、実はそんなサーズディシリーズの完結編である第6本目が、先に書いた、別冊宝石に翻訳掲載された長編『射殺せよ!』であり、つまりコレは読もうと思えば日本語でいつでも読める(評者も本は確実に持ってはいるので、そのうち読んでみよう)。

 それで話を戻して本書『罪ある傍観者』のレビューというか感想だが、作者ミラーのコンビの目線はミステリの創作者としてはそれなりに高い位置にあり、主人公の探偵の息子がさらわれたサスペンスに物語の焦点を絞るかと思いきや、そちらはそちらでもちろん重大な災厄として主人公にも読者にも意識させつつ、その傍らで浮かび上がってきた別の事件の方にストーリーの軸足を少しずつ移していく。このあたりの話の組立ては、なかなか良い。
 犯罪にからむ登場人物のキャラクターがやや弱く、もうちょっと印象的に書き込んでればいいものを、と思う部分もないではないが、いつもの評者のように登場人物のメモを作りながら読めば特に大きな問題も無い。事件の構造のなかでそれなり以上に比重の大きいキャラクターの何人かが、サーズディと出会う前に死んでしまい、読者にも印象を残さない辺りはあまりよろしくないけれど。
 ストーリーはテンポ良く進み、中盤で、仕事を世話してもらっているスミティお婆ちゃんをワトスン役のように見据えながら、サーズディが自分が考えた事件についての推理を語り、整理していくのも、私立探偵小説の枠内で謎解きミステリとしての興味を求めたい作者の狙いに沿っている。
 事件関係者とのディベートの中で、相手の思惟を自分の計算通りに操縦していく(悪事としてではなく、あくまで便宜的な意味でだが)サーズディのキャラクターのしたたかなたのもしさもいい
(しかしサーズディの旧友である地元警察のクラップ警部補とか、本作の警察陣は本当に、サーズディに親身だわ。まあ実はこの人の方が、もともとのシリーズ第一作の主人公だったみたいだが)。

 ただラストは……残念ながら、作者がこの作品を丁寧に、きちんとした謎解きもサプライズも設けたミステリにしようと務めた分だけ、却って、先が読めてしまった(汗・涙)。
 50年代ハードボイルドの少なくない作品は実のところはた目には意外なほど、折り目正しい謎解き&フーダニットの興味を探っているので(その上で伏線が足りなかったり、ロジックが甘かったりすることもままあるが)、残りあと数十頁……この作品がきちんとミステリとして着地するには……というところでクライマックス以前に物語の底、作品の仕掛けが覗いてしまうことがあるが、今回は正にソレだった。実を言うと、この河出の「ザ・アメリカン・ハードボイルド」叢書の中には、他にもそういう作品が……(これはこれ以上言えない)。
 とは言いながら、これはたぶん70年前のリアルタイムで読めばそれなりにインパクトのあった、よく出来た作品だったことも分かる気がする。ある意味ではあまりにも真っ当すぎて、純朴なミステリすぎて、今ではちょっとキツくなった……そんな種類の作品ではある。

 そこで、さっきの話題「マックス・サーズディものは、シリーズ構成そのもので何らかの勝負をしていたらしい」に戻るのだが、もしかしたら作者のミラーたち自身も「私立探偵小説の枠内で、ミステリらしいミステリを書いていてもいつかはきつくなる、ならば……」と早くから気づいて、自作のシリーズ探偵の行方に何かしらの文芸性を与え、シリーズの流れに何らかのギミックを盛りこんだのか……とも仮想した。
 もしも本当にそうならば、正にそういう作者の狙いこそをこちらもしっかりと実感してみたい、と思うんだけどね。
 まずはそのうち、くだんのシリーズ最終作『射殺せよ!』を読もうか。

No.578 7点 ポーラー・スター- マーティン・クルーズ・スミス 2019/06/25 03:18
(ネタバレなし)
 時はソ連国内にペレストロイカの新風が吹き始めた1980年代。シベリアとアラスカの間、ベーリング海峡からアリューシャン列島に及ぶ海域で、乗員300人弱のソ連の大型漁獲加工漁船ポーラ・スターは、米ソの合弁事業としてアメリカの小型トロール船二隻とともに長期漁業に従事していた。だがそんなある日、ポ-ラ・スター号の厨房係で、漁業計画に関わる三隻の漁船の乗員である複数の男性たちと肉体関係を持っていた若い娘ジーナ・パチアシュヴィーリの変死体が発見された。ポーラ・スター号の船長ヴィークトル・マルチューク、そして中央政府から派遣されていた政治士官のフェードル・ヴォロヴォーイ一等航海士は、形式的で作業現場の実状を無視したモスクワの干渉が及ぶ前に、この事件の真相を独自に明らかにしようと決定。捜査役を、魚の加工係である一人の中年男性に任せる。彼の名はアルカージ・レンコ。かつてモスクワ検事局(モスクワ警察)に籍を置きながら、さる事情から中央を追われて流浪の日々につき、いまはこの船上に生きる場を求めた男だった。
 
 1989年のアメリカ作品。翻訳刊行時に日本でも話題を呼んだ大作『ゴーリキー・パーク』に続くアルカージ・レンコシリーズの第二作で、前作のラストで劇的な決着を迎えた彼がその後どうしてこのような境遇になったかは、本作中の回想シーンで語られる(前作を覚えてる人には、結構泣ける描写にもなっていると思う)。
 物語の大半は、ポーラ・スター号を統括する面々から前歴を見込まれ、さらにアメリカ人相手の英会話も可能ということから特別の捜査権限を託されたアルカージ・レンコが被害者の周辺や事件現場を調べて廻る流れ。設定的には警察小説の変種のような感じだが、実際には主要登場人物と主人公とのマンツーマンの接触・対話を積み重ねていく私立探偵小説の趣に近い。
(なお本サイトでのジャンル登録は、一応の公的な捜査権限を与えられた捜査官という意味で「警察小説」に分類しておく。)

 中盤になると何者かにアルカージが襲われる危機や、それなりに派手な窮地からの脱出劇もあるが、紙幅の割には筋運びはおおむね緩やか。それでも退屈しないでほぼ一気に読み終えられたのは、薄暗く、そして湿ったような乾いたような、北方漁業場の大型加工船内という舞台装置が、常に読む側に一定感の緊張を求めているからだった。
 特に被害者ジーナの変死が殺人だと、船の乗員全員が容疑者となり、四ヶ月ぶりの内地への上陸がストップになる危険性も生じ、そんななかでアルカージに下手なことを言うなら殺してやる、という周囲の無言の圧力が高まっていく。この辺りのシチュエーションはめちゃくちゃテンションが高い。古今東西のミステリ史上でも最大級の逆境の中での捜査を強いられた、名探偵キャラクターのひとりではないだろうか。

 ミステリとしてのストーリーはある種のホワイダニットを通じてフーダニットの謎解きに落ち着くが、作品そのもの、小説としての本当の読みどころは、事件の真相が割れたのちのクライマックス、アルカージと某主要キャラの対峙と、双方の思惟の決着にあるだろう。ネタバレになるのでここでの詳述はできないが、その該当キャラに作者なりの造形を盛り込んだ人間ドラマが実に印象深い。決めとなるシーンのビジュアルイメージはかなり鮮烈だ。

 英語Wikipediaを見ると作者スミスは2019年の現在もまだ健在のようで、アルカージ・レンコシリーズもすでに原書で9作を数えているらしいが、日本ではこの後の第三作、第四作のみが既訳。このシリーズもおいおい読んでいこう。特に第三作はサワリを覗いただけで、なかなか面白そうだし。

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人並由真さん
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以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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