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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1325件 |
No.16 | 6点 | まだらの紐 ドイル傑作集1- アーサー・コナン・ドイル | 2020/12/17 18:11 |
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この項は創元推理文庫のホームズのいわゆる「外典」を収録した本の感想を書く場であって、決して「冒険」収録の短編「まだらの紐」の感想を書く場ではないと思うんだがね....この本に収録されているのは、
「王冠のダイヤモンド」事件簿の「マザリンの宝石」の原型の一幕物の戯曲。事件簿「マザリンの宝石」は本当にこの戯曲を手直しただけのもので、かなり手抜き作業だったのがうかがわれる。戯曲の方は悪役はモラン大佐で、こっちのがまっとうな作品だと思う。この戯曲を「空き家の冒険」に流用したから、変則的なことになったようだ。 「まだらの紐」同題短編を膨らませて戯曲化したもの。三幕あって長めの作品だから、短編にはない場面も追加されている。姉娘の死を巡る検死審問やら、ホームズの部屋に妹娘以外の三人の面会人がいて、そのうち一人は恐喝王ミルヴァートン! だから追加部分もなかなか楽しいし、クライマックスも盛り上がる。ナイスな舞台劇だと思う。 いやだからさ、ドイルは本作を「密室トリック」物だとは、絶対思ってないと思うんだよ。暗闇で待機して、思いもかけないところから侵入してくる殺人者...というあたりのサスペンスをドイルは「面白い!」と思って書いているのが、この戯曲化でも窺われるんだけどなあ.... 「競技場バザー」「ワトソンの推理法修行」この2作はホームズの特徴的な推理法だけを抽出して書いたショートショート。「競技場バザー」はメタな仕掛けになっていて洒落ている。 「消えた臨時急行」「時計だらけの男」の2作は鉄道ミステリだが、ホームズは出ずに、犯人の告白で真相判明。ちょっとした不可能興味みたいなものがある。「消えた臨急」の方は犯行がなかなか大掛かりで、マンガチックな陽気さがあって、場面を想像すると面白い。映像にすると映えると思う。 「田園の恐怖」は田舎村の連続殺人事件の話。意外性が少しある犯人だが、露見は偶然。ホラー味を狙ったか。 「ジェレミー伯父の家」はワトソン博士みたいな経歴の勉強中の医者が友人の招待を受けて伯父一家の元で暮らすが、インド人の家庭教師と、伯父の秘書の奇妙な関係に気づく....インドを巡るロマン味が読みどころ。 「シャーロック・ホームズのプロット」は遺稿から発見された未作品化作品の梗概。出来は良くない。 「シャーロック・ホームズの真相」は、ホームズ復活前に受けたインタビューの内容。ドイルはホームズは気に入ってなくて..というその通りの内容。 というわけで、コレクターズ・アイテムだけど、「まだらの紐」と「競技場バザー」が面白い。一応「消えた臨急」は非ホームズのドイルのミステリでは有名作なので読んでおかないと...もあるし。新潮文庫の「ドイル傑作選」とダブるのは「消えた臨急」「時計だらけの男」だけだから、読む価値はある。 |
No.15 | 4点 | マラコット深海- アーサー・コナン・ドイル | 2020/12/06 15:25 |
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ドイルの死の前年に出版された海洋SFで、実質中編くらいの規模だ。本作の中心人物はマラコット博士で、チャレンジャー教授ではない。まあ、いくら俺様気質のチャレンジャー教授でも、「チャレンジャー海溝はオレの名前から命名されたんだ!」とは言えないもんねえ(苦笑)太平洋はマリアナ海溝ではなくて、大西洋のカナリア群島のそばに、マラコット深海(海溝だろう)はあるようだ。
船から吊り下げた潜水函にマラコット博士、アメリカ人動物学者ヘッドリー(ワトソン)、それにアメリカ人の技術者スキャンランの3人が乗り込み、海溝を探検するが....巨大ザリガニのハサミで命綱を切られて、さらに海溝の最深部に潜水函は落ち込んでいってしまった! しかしそこにあったのは、アトランチス人の海底都市だった。 という話。なんで海底都市がそんなに海溝の中にあるの...とか、水圧とか、あるいはイギリスからのラジオ放送を受信するとか、科学的ツッコミをしたくはなるけど無意味だと思う。このアトランチス人の社会は、思考をそのまま映画にして見せる機械とか、もちろん水中生活を可能にする酸素や動力の供給、元素変換で海中にもかかわらずコーヒー(みたいなもの)を飲ませてもくれたりするくらいに、強烈に科学が発達している一方、フェニキアの人身御供で有名なモーロックの神殿があったり、風俗はエジプト風。しかも、主人公たちの面倒を見てくれるリーダーの名前が...マンダ。 円谷「海底軍艦」!? 評者くらいのトシの人だったら、こっちのツッコミの方が確実。唐沢なをき氏も同じツッコミをしているのを見つけた。ただし、ラスボスは龍じゃなくて、邪神バアル・シーバ、晩年のドイルらしく最後はオカルトのノリ(幸福の科学みたい)で、ハッピーエンド。 というわけで、科学に弱くてオカルトなドイルのSFで、ドイルの最後の小説みたい。 とりあえずドイル年代順に、ホームズ・チャレンジャー・ジェラール関連はコンプ。歴史小説までは手が回らないが、ミステリ系単発短編は別途やろうと思う。 |
No.14 | 6点 | シャーロック・ホームズの事件簿- アーサー・コナン・ドイル | 2020/11/29 09:28 |
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ホームズ最後の短編集。何か皆さん評判よろしくないな...いや、「這う人」のトンデモ、「三人ガリデブ」「隠居絵具師」の自己模倣とか、ツッコミどころが多いのは先刻ご承知の上なんだけどもね。(「ライオンのたてがみ」は一時実在しない、と言われてたのを信じてたが、間違ってたみたいだ)
こうやって改めてホームズを時系列で通読すると、評者はこう感じるんだ。「冒険」で確立したいわゆる「ホームズのパターン」を、後の本格史観で「聖典」として崇めることになるのだけど、意外にドイルの「やりたいこと」とこれがズレていたんだろう。だから「回想」以降のホームズは、ときおり「冒険」パターンを採用することもあるんだけど、実際には多様な方向に展開していくことになる。個別の作品でうまくいったものもあれば、失敗したものもあるのだけど、総じてのちの本格読者の期待する方向をドイルは決して向いていなかった.... だからね、「ソア橋」だけを褒める(あるいはグロースにある、と批判する)のは、「ホームズを楽しむ」読み方じゃない、と評者は思う。小説的な力量が落ちているのは否めないし、あくまでホームズがヴィクトリア朝の人間で、第一次大戦後の世界に根差すことができない「懐メロ」なキャラになってしまったのも、大きな弱点ではあるんだけどもね。 そういう意味だと、評判が悪い作品だから褒めるのがなんなんだが、「マザリンの宝石」が、舞台劇風の三人称小説で、ハードボイルド風の味わいがあるのが、逆に評者は面白い。いや実はこの作、「帰還」でホームズが復活する前に、オリジナル舞台劇「王冠のダイヤモンド」を書いたのがずっと埋もれていて、この着想を流用して「空家の冒険」を書いてしまった。それをまたこの時期に改めて小説に仕立て直した、という経緯があるらしい。あまり戯曲と変わっていないんじゃないかな。読んでいて舞台効果が目に見えるよう。小説の人の出入りのさせ方など、戯曲のまんま、という印象。 こういう推理もトリックもない、騙しあいに主眼を置いた暗黒街小説としてのホームズが、第一次世界大戦での「世界の崩壊」によって、ハードボイルドに転化した、と改めてコンチネンタル・オプにホームズを直結したいように感じるのだ。 (「三人ガリデブ」で負傷したワトスンを気遣うホームズに、萌える。すまん) |
No.13 | 3点 | 霧の国- アーサー・コナン・ドイル | 2020/11/21 23:42 |
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チャレンジャー教授最終作。今回の探検の行き先は....心霊の世界、霧の国。ドイルは晩年スピリチュアリズムに凝ったことでも有名なのだけど、本作はそのスピリチュアリズム普及のためのパンフレットみたいな本。だから最初は猛烈に敵対するチャレンジャー教授が、最後には心霊主義の軍門に下って、それを手引きした「失われた世界」からの仲間である新聞記者のマローンと冒険家の貴族ロクストン卿、それに今回登場のチャレンジャーの娘イーニッドと一緒にハッピーエンド、という話。
第一次世界大戦でドイルの息子や縁者も多く戦死したそうで、ガチガチの愛国主義者のドイルも相当こたえたようだ。だからその「一千万の若者の死」を容認できなくて、彼らの別次元での「生」を望む気持ちと、その死が「物質主義への神の懲罰」だとする理由付けのあいだで、ドイルの考えがスピリチュアリズムに傾くのは...分からなくもないんだよ。まあだけど、こうなると本当に何でも受け入れてしまうようで、疑似科学の部類も、幽霊譚の部類も、既成教団的な宗教観念も、新宗教的な狭い意味でのスピリチュアリズムも、何か全部ごっちゃになってしまっている。批判精神をどこかに置き忘れたかのようである。それでもねドイルの心中を察すると、非難するのは忍びないので、これ以上は追求しない。 ただし、小説というのは、こういうプロパガンダに一番向いていないメディアだ、というを露呈してしまうのが、評者はヘンな意味で面白い。中盤にマローンとロクストン卿、それに国教会から破門された元聖職者が幽霊屋敷を祓う話があるのだけども、いや本当に「普通のオカルト小説」なんだよね。世の中にいくらでもある「オハナシ」に回収されてしまうわけである。作中の心霊主義の「証拠」としていろいろな実験や体験が語られるわけだけども、この「霧の国」という本が「小説である」という、まさにそのことによって、ドイルがいかに大真面目に読者を説得しようとしても、読者は「いやそれタダの小説でしょ」でフィクションとしか受け取ってもらえない......恐竜と遭遇する「失われた世界」、この世の終わりを体験する「毒ガス帯」、地球が生物であるの証明する「地球の悲鳴」などの奇想天外なサイエンス・フィクションのヒーローであるチャレンジャー教授の話だからこそ、逆にその「事実性」は絶対に信じてはもらえないのだ。ドイルがいかに真面目に取り組んだとしても(まあ、小説としても成功していないのだが)、ドイルが「有名な小説家である」という業績に裏切られて、この企ては最初から失敗するしかない.... ドイルがなぜこの逆説に気が付かないのか、それが本当に評者は不思議で仕方ない。 |
No.12 | 6点 | シャーロック・ホームズ最後の挨拶- アーサー・コナン・ドイル | 2020/11/08 20:30 |
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第四短編集。何か皆さん評判悪いけど、評者嫌いじゃない。「ブルース・パティントン」は推理もなかなか冴えていて、職業スパイを絞り込むくだりや、本当のスパイを巡る心理的な辻褄なども、よくできていると思うし、「ウィスタリア荘」で「堅物のエクルズ氏に近づいた理由」というのも、なかなか皮肉(というかイギリス人の自惚れ?)。この短編集では、国際的な広がりの中で事件が起きている、という印象を強く受ける。大概の事件が海外に絡んでいるんじゃないかな。
今回評者がとくに面白い、と特に思ったのは「フランシス・カーファックス姫の失踪」。海外のリゾート地で過ごす、金持ちで身よりの少ない独身女性をターゲットにして、うまく「失踪」させてその財産を奪取する「犯罪ビジネス」をホームズが暴く話で、この狙いのリアリティ、死体の始末の仕方など、ほぼ社会派的な面白さのように感じる。まあだからいかにも「市井の事件」の感覚の「ボール箱」だって、「リアルな事件」としての取り柄はありそうだ。 で「最後の挨拶」だけど、皆さんご指摘の様に客観三人称の叙述で、あたかも舞台劇を見ているかのよう。三人称が徹底しているので、心理描写は皆無。だから「マルタの鷹」みたいな三人称ハードボイルドに通じる面白さも感じるところがある。言うまでもないことだけど「ワトスン」の発明が、ホームズ以上のドイルの大発明なのだろうけども、この「ワトスン」なしで何ができるか?ということでもあるのだろう。「事件簿」はホームズ一人称作品もあるしね。 まあだから、ホームズ=「冒険」で確立した「ホームズっぽさ」だと思い込んでしまうと、その後の展開を詰らなく感じるのかもしれない。それよりも、その後もそれぞれにそれぞれの面白さを見つけて楽しむのことお勧めする。 |
No.11 | 7点 | 恐怖の谷- アーサー・コナン・ドイル | 2020/11/06 09:26 |
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1915年のホームズ最終長編。例によって二部構成で、第一部はいわゆる「バールストン・ギャンビット」の話。とはいえ「ノーウッドの建築業者」をひねったもの、みたいにも読めるようにも思うんだ。ドイルという人は、トリック面ではいろいろとバリエーションを試みる傾向が強いから、短編+モリアーティを再登場させてその影を投影する...という狙いで見た方が適切じゃないかな、なんて思う。
で、問題は第二部。ピンカートン探偵の話で、ギャング秘密結社が支配するアメリカの炭鉱町が舞台。だから「赤い収穫」みたいなもの。評者は前から書いているように、ホームズとコンチネンタル・オプを直結して理解した方がずっと有益だと思っているわけだけども、一番それを強く感じさせるのがやはり本作なんだよね。ちなみに本作が出版された1915年は、ハメットがピンカートン探偵社に就職した年だ。 ハメットはその後第一次大戦の兵役による中断があるけど、戦後に探偵に復帰して体を悪くして作家に転身する。探偵稼業の経験を生かして書いた最初の作品は1922年。「恐怖の谷」のたった7年後である。それこそ、「「恐怖の谷」を読んでピンカートンに就職しました!」とか「ピンカートンは「恐怖の谷」みたいなヒーローじゃないって書きたかった」とかハメットが言ったとしても(言ってないが)、全然不思議じゃない時間間隔だ、ということが、どうも皆さんの理解から抜け落ちているようだ。 つまりね、いわゆる「ミステリ史」というものは、特に「日本でのミステリ受容の歴史」を暗に密輸した、イデオロギッシュな「概念史」であって、時系列を反映したものではほとんど、ないというのが見過ごされていると評者は思っているんだ。 1920年代って実は混沌である。ドイルはまだホームズを書いているし、チェスタートンはブラウン神父を書いている。1920年にはクロフツとクリスティがデビューしているし、「ブラック・マスク」創刊は1922年で、その初期からハメットは活躍して「ハードボイルド」を確立し、その総仕上げが1929年の「赤い収穫」ということになる。「ホームズ→短編黄金期→長編パズラー黄金期→ハードボイルド」の時系列で捉えていては、実態を把握し損ねるだけだろう。現実は「すべて同時に起きている」に近い混沌である。 ただし、「恐怖の谷」と「赤い収穫」を直接比較した印象に強い「断絶」があるのは確かである。それは第一次大戦で起きた大きな変化に起因するものだと捉えた方がいいようだ。ヨーロッパ世界の根底が崩れるような惨禍によって、それまでの「正義」や「秩序」も崩壊して、ピンカートン探偵は「正義の騎士」ではなくて、ポイズンヴィルの毒に当たったアンチヒーローに成り代わり、鉱山を乗っ取ろうとするギャングたちは、そもそも労働運動を弾圧するために経営者たちによって導入されたのが、「軒を貸して母屋を取られる」ハメに陥った自業自得。警察は完全に腐敗して、ピンカートン探偵に協力して街の浄化を助けるどころか、そのギャングの勢力の一つみたいなものである...と、この「恐怖の谷」と「赤い収穫」の違いには、第一次世界大戦が引き裂いた世界の現実と、それによって変化した「世界の捉え方」の違いである。かくも短い期間に、これほどにまで「世界の見え方」が変化したことに、驚きの目を瞠るべきなのだろう。 |
No.10 | 5点 | 毒ガス帯- アーサー・コナン・ドイル | 2020/10/24 20:54 |
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チャレンジャー教授モノの中編「毒ガス帯」に、短編「地球の悲鳴」「分解機」を収録した短編集。「失われた世界」よりもSFらしさは高いけど、科学考証はダメダメなのがドイルらしい。
「毒ガス帯」は地球が宇宙空間で有毒ガスが漂う地帯に突入し、人類全滅か?という話。スペクトルのフラウンホーファー線に異常が起きたのを知ったチャレンジャー教授は、毒ガス帯突入を予測して酸素ボンベを仲間に持ってこさせて、「失われた世界」のクルーと妻の5人で突入に備える。バタバタと毒ガスを吸って倒れる人々。翌朝毒ガス帯を抜けたらしく、生き延びたチャレンジャーたちは、死体だらけのロンドンを行く.... まあ、フラウンホーファー線のにじみから、なぜ毒ガス帯突入を推測できるか、とか説明しないしね、「エーテルが有毒になる」は設定、でいいんだけど、酸素を吸ったら生き延びれるのはレベルが違うから、なんでそんなことが推測できるのか意味不明。科学性が薄いのはそうなんだけど、この毒ガス、実は致死性がなくてみな次の日には復活してしまう.....う~ん、ドイルさん、何かあったの?次のチャレンジャー物は心霊学を扱った「霧の国」だからねえ。オカルト志向の方がSFよりも強いんじゃないかな、なんて思う。 「地球の悲鳴」はガイア説みたいに、地球が生命体で...という設定で、地殻に深く穴を穿ったチャレンジャーが、地球に針を刺してみて「地球に人類がいることを知らせてみる」という話。ホラ話みたいな面白さがある。この本ではこれがベスト。 「分解機」は内容的にはショートショートと言われても仕方ないくらいの話。科学を悪用する科学者をチャレンジャーがお仕置きする話で、つまらない。 |
No.9 | 7点 | 勇将ジェラールの冒険- アーサー・コナン・ドイル | 2020/10/22 14:27 |
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さて、ジェラール准将短編集は2冊あって、その2冊目。「冒険」「回想」はホームズの専売特許ではなくて....なんだけど、ジェラール准将が「冒険」で「回想」なのは、とくに「回想」が東京創元社がわざと仕掛けたか?となるような強引な訳題だからである。'the Exploits of Brigadier Gerard' が「勇将ジェラールの回想」になるには作為が必要だからねえ....素直に訳せば「功績」とか「手柄話」くらいなものなんだから。ちなみに Brigadier はよく「准将」と訳されるけど、ナポレオン麾下だと「旅団将軍」になる。ワーテルローの後に旅団長=准将にしてもらえたみたいだ。なので将官なのは間違いないから、「深夜プラス1」で将官扱いされなくて不満なフェイ将軍の Brigadier とは名称は同じでも、扱いは歴史の上で揺れている。
で、この後の方の短編集だけど、「回想」よりも歴史小説度が高まっている。「回想」は「歴史の裏で、ナポレオンのために戦うジェラールの冒険」という感覚だったが、「冒険」は逆に「歴史の中でナポレオンのもとで戦うジェラールの戦記」。マッセナ元帥の下で「トレズ=ヴェドラス防衛線」から友軍を無事撤退(半島戦争)させるために命懸けの潜入をするとか、ロシア遠征でネー元帥の下で撤退する遠征軍の殿軍を務める話とか、ワーテルローではグルーシー元帥への伝令として派遣されるがグルーシーを見つけられずに...(これワーテルローの敗因に挙げられる有名な話だ)で、おしまいはセントヘレナのナポレオンの臨終に立ち会う。とまあ、お話だからね、「この現場に居たら、ホント凄いよね」という花形のシーンが連続する。 まあだから、「回想」以上に、ナポレオンの戦記に詳しければ詳しいほど、楽しい小説になる。こっちは「歴史・時代ミステリ」にカテゴライズ。 とはいえ、友軍に撤退を知らせるために、狼煙を上げる任務を仰せつかったジェラールは、ゲリラに捕まって任務を果たすどころじゃない...が一発逆転の秘策が!なんて話とか、ヒネリもあってなかなかナイスでドイルらしさも十分発揮。 それでも歴史小説度が高くなってしまう分、ミステリマニア向けからは離れるかもしれない。しかし考証ばっちりでケチがつけれない歴史小説だそうである。ドイルの凝り性が発揮されている。 |
No.8 | 7点 | 勇将ジェラールの回想- アーサー・コナン・ドイル | 2020/10/09 21:19 |
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ドイルの三大シリーズ・キャラクターは、ホームズ、チャレンジャー教授、それにジェラール准将、ということになるんだけど、ジェラールの人気は日本じゃ他の二人に大きく後塵を拝して...ということになってしまう。戦前の昔から翻訳されてはいるんだけどねえ。
「大奈翁」で通じた時代なら、それなりの読者層があったんでは、とも思うんだが、逆に今はね藤本ひとみとか長谷川ナポレオンとか読まれるようになってきたから、本作だって「ナポレオニック」の一つとして読まれていいんじゃないかな? この短編集だと8話収録、1807年のナポレオン絶頂期に中尉だったころから、1814年の退位直前にジェラールは准将、というナポレオンの転落の激動の中での、軽騎兵ジェラールの活躍を描いている。 中尉時代の上官は「30までに死なない軽騎兵はクズだ!」で有名なラサール大佐、大佐時代の司令官がマッセナ元帥、皇帝ナポレオンからの直々のご指名で役目を与えられることもこの本の中で3回、タレーランや参謀長ベルティエ元帥も登場...ミュラ元帥やらネイ元帥、マクドナル元帥の寸評など、ナポレオニックというか、ここらの元帥たちのキャラに馴染みがあると、3倍おいしい作品だったりするのである。 で、このジェラール准将、 「考える!おまえが!」陛下は大声を発せられた。「わたしがおまえを選んだのは考えてもらうため、とでも思っているのか?」 と、オツムの方はホームズどころか、大幅に足りない方なんだが、ナポレオンには誠忠無比、命知らずの楽天的な行動家で、生一本の快男児である。逆にそれが、作劇的に先が読めない方向に転がって行って、これはこれでドイルらしい良さにつながってくる。敵や味方が仕掛ける手の込んだ「罠」を、何も考えずにパワフルに突破してしまい、「結果よければすべてよし」になる話だから、結構な爽快感がある。いやホント、主人公が何も考えないイノシシ武者だからこそ、凝った陰謀でもコミカルに見えてしまうほどである。 いやいや、評者チャレンジャー教授より、ジェラール准将の方に、好感、である。歴史小説好きなら、SFよりおすすめだと思う。 |
No.7 | 6点 | 失われた世界- アーサー・コナン・ドイル | 2020/09/25 21:44 |
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とりあえずドイル年代順、で読んでいるので「帰還」の次は「失われた世界」になる。ホームズからチャレンジャー教授、そういう流れでドイルのヒーローを見ると、やはりドイルはキャラの「誇張」みたいなものをうまく使って造形しているという風にも感じられる。
チャレンジャー教授はホームズと比べたらずっとマンガっぽいキャラではあるけども、猿人たちの王様と瓜二つとか、ドイルが楽しんで書いてるようにも思えてニヤリ。こんな破天荒な野人のチャレンジャー教授に対して、その論敵である、冷静だが皮肉屋の科学者サマリー教授を配し、さらに理想的な冒険家でいざという時に頼りになるロクストン卿、ワトスン的なニュートラルさを持つ「わたし」。このチームのキャラ付けにドイルらしい大衆作家的な達者さをみるのがいいのだろう。「わたし」は新聞記者で、旅行中に書いた記事が届くかどうか?をいろいろ弁解してみせるのが、リアリティを醸し出すうまいギミックになっている。 話としては、舞台となるメイプル・ホワイト台地の自然が博物学的に面白い、というのがもちろんなのだが、後半猿人vsインディアンの戦争みたいな話になってしまって、評者はやや興覚めした。自然描写と恐竜の脅威で押し通してもらいたかったなあ...なんていうのは、ちょっと無理な相談だろうか。SFと冒険のバランスの問題なんだろうけども、やはりドイルなので冒険の方が比重が高いことになるんだろう、仕方ないなあ。 |
No.6 | 7点 | シャーロック・ホームズの帰還- アーサー・コナン・ドイル | 2020/09/23 13:26 |
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評者は半七と並行して読んでいるせいか、「半七ってホームズ、だなあ」なんて思わせるものがある。たとえばこの短編集だと「金縁の鼻眼鏡」が半七の「お化け師匠」に「化ける」わけで、古典ってそういう普遍性なんだな、なんて思う。「鼻眼鏡」今でも皆さん評判がいいようだから、綺堂の眼のつけどころが、優れているわけでもある。
だからね、ホームズの遺伝子というのは、いわゆるパズラーの名探偵以上に、半七もそうだけど、たとえばコンチネンタル・オプなんかにも強く流れているようにも感じるわけだ。たとえば、「恐喝王ミルヴァートン」とか推理とか特にないけども、名悪役を巡るアクション中心に皮肉な結末に終わる話で、書き方を変えたらハードボイルド?という気がしなくもないんだよ。あとたとえば「ブラック・ピーター」で犯人を呼び寄せる「逆トリック」とか、どっちかいえばパズラーでは廃れて警察小説で復活した手法になるわけだ。ホームズの遺伝子の広がり、みたいな視点でミステリを大きく捉えるのが、評者は好きだ。 あというと「踊る人形」。ポオの「黄金虫」が文字出現頻度+連結出現傾向から換字表を割り出す解読法だから、これは本当にコンピュータを使って解読するのと同じやり方なんだよね。でも「踊る人形」は暗号文が短すぎてとてもじゃないけどシステマティックな数理的解読法が適用できないから、宛先の名前からうまく解読してみせる、というヒューリスティックな解読法を示している。ドイルは模倣じゃなくて、ちゃんと新機軸を示していると思うんだ。ポオがこのシステマティックなやり方を示したのはもちろん凄いけど、小説での応用は「踊る人形」の方がいろいろできて面白いんじゃないかな、なんて思う。 やはりね、100年以上前の短編1つでも、その後のいろいろな小説の萌芽を豊富に含んでいる...と見ると、さらに趣が深いように感じられる。 |
No.5 | 8点 | バスカヴィル家の犬- アーサー・コナン・ドイル | 2020/06/14 13:31 |
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ホームズ失踪中に思い出話スペシャルみたいに書かれた作品、ということになる。ドイル本人はたぶん自分を「冒険小説家」だと思ってたんじゃないかな..となるくらいに、ホームズ長編はアドヴェンチャー色が強いんだが、本作だと、冒険+ゴシック怪奇+メロドラマ+推理少々、という配分だと思う。それはそれで大衆小説のツボを押さえまくった作品なんだから、面白く読めるのは間違いないところ。舞台となるダートムアの荒涼とした荒野の描写が何より、いい。この舞台装置さえ魅力的なら、小説の成功も約束されたようなものだと思う。そういえばクリスティでも「シタフォードの謎」が同じ地域だし、クリスティ自身の出身もあのあたりの港町。
そういう「荒野」が舞台だから、脱獄囚、先住民の史跡、底なし沼、魔犬伝説..と冒険小説的なガジェットを満載した小説だと見た方がいい。それこそ、ホームズも冒険小説の狂言回しだった先行2長編からもう一歩踏み込んで、冒険小説のヒーローにチャレンジした、というのが、本作の人気の根底あるのでは...なんて思ってた。 まあ今回はワトソンも単独行動が多いから、ワトソンも単なる相方・記録係の域じゃない生彩もある。頑張るワトソン、奇怪な人影を目撃、追跡....と真打ちホームズ再登場に至る流れとか、小説としては、文句のつけようがないといえばその通り。 子供の頃学年誌の付録で本作のマンガ化作品を読んだ記憶があるんだけど、Wikipedia によると漫画家は「ワースト」の小室孝太郎だったみたいだ。もし取ってあったら本当にお宝の部類だったなあ。最後に犯人がズブズブと底なし沼に落ち込んで果てる...なんて原作では描いてないシーンがあった記憶がある。底なし沼が怖くて覚えてるんだろうね。 |
No.4 | 8点 | シャーロック・ホームズの回想- アーサー・コナン・ドイル | 2020/05/27 09:35 |
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皆さん点がカラいなあ(苦笑)。「冒険」がベーカー街221Bに腰を据えたホームズの元に持ち込まれる事件を、見事に推理して解決する、いわば「ホームゲーム」な話でほぼ統一しているのに対して、「回想」はそうじゃない「アウェイ」な話でまとめた印象を受けた。
巻頭の「シルヴァー・ブレイズ」だっていきなりダートムア旅行で始まるわけだね。普通にベーカー街で始まる次の「黄色い顔」はホームズ失敗譚だし、ホームズの回想を書き留める「グロリア・スコット号」「マスグレーヴの儀式」、ホームズが健康を害して休暇旅行した先の「ライゲートの大地主」、マイクロフトとディオゲネス・クラブで会う「ギリシャ語通訳」、で締めはホームズと同行してヨーロッパに舞台を移す「最後の事件」...と、「冒険」が作った話のパターンを「回想」は突き崩してやり直したような印象を受けるんだ。 ホームズがみごとな分析的推理の腕をふるって、その独特の調査方法の価値を示した事件でも、事件そのものがひどくつまらかったり、平凡だったりして、世間に発表するほどのものでもないと思えることもよくあったからである。また一方では、きわめて驚くべき、劇的な性格の事件の捜査に関係していても、その事件の解決にホームズが果たした役割が、彼の伝記作者として私が望むほど大きくはないということもしばしばあった。 とワトソン君が悩むのが、この「回想」の本音みたいなものなのか。まあだから、「回想」読んでいると、実のところファイロ・ヴァンスよりも、コンチネンタル・オプの方がホームズの直系の子孫のような気がしてくるのだよ。ホームズだって探偵商売を通じて、奇妙な人々の繰り広げるヘンな事件の狂言回しとして立ち会うこともあるわけで、悪党とカモの入り組んだ事件を裁き分ける「機械仕掛けの神」だとしても、十分エンタメとして成立するわけだ。 まあだから「回想」はあまりホームズが「推理」しないんだよね。皆さんが評価下げたがるのも分かるんだけど、評者は逆に「冒険」だけだったら「名探偵シャーロック・ホームズ」がここまで代名詞にならなかったんじゃないかと思うんだ。「回想」は「冒険」が作ったパターンを壊して、新たに「名探偵ヒーロー」の活躍の幅を広げる大きな役割を果たした、と思う。どうだろうか? |
No.3 | 10点 | シャーロック・ホームズの冒険- アーサー・コナン・ドイル | 2020/05/04 17:34 |
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10点三連発になるのはご愛敬。まあそんなこともあるさ(苦笑)。10点付けんで何点つける?という作品でもあるからね。
先行する長編2つでキャラの固まったホームズ&ワトソンなので、あとはアイデアの赴くまま、楽しみながらストーリーテラーの腕を振るってる、と感じる。まあ何度読んだか知らないけど、今回はストーリーテラーとしてのうまさ、に感動する。ホームズの性格付けになる観察やら人生観やら、うまく事件に挟み込んで印象付けているし、記録者としてのワトソンが同時期の未執筆事件に触れながら...というあたりのギミックも最初から堂に入ったものだ。 今回とくに印象的だったのは「唇のねじれた男」。これ、紳士の堕落話なんだよね...だから前振りの紳士がアヘン中毒になって人生棒に振って~アヘン窟探訪というあたりが、実は謎には直接かかわらないのだけど、話として「効いて」いる。で、子供の時はよく分からなくても、大人になるとこの話の風刺性というか、アイロニカルなあたりが実感できて大変面白い。 そうしてみると「赤毛連盟」あたりも、実のところホラ話のようなユーモア譚にリアルなオチがついている話みたいに見た方がいいのかもしれない。明治時代に翻訳されたときには、赤毛じゃなくて禿頭組合だったらしい(苦笑)。「赤毛のアン」も「にんじん」そうだけど、赤毛、って欧米じゃ妙な色眼鏡で見られる色らしいからね。赤毛の人々が群れをなして応募会場に詰め掛けているようすを想像するだに笑えない?(禿頭組合だったらさらに...w) で「青い紅玉」。これ定型的なクリスマス・ストーリーで、悔悛してハッピーエンド、というあたりをきっちり押さえて読むと、ユーモラスでファンタジックな味を感じれると思うんだ。犯人抜けてるけどさ、それが素敵。「六つのナポレオン」が本作のバージョンアップだろうねけど、あっちはシリアスになるからねえ。 「まだらの紐」は意外に密室を強調していないというか、死因不明だから不可能性を重視していないんだよね。それよりも深夜の室内での待ち伏せの描写がいい。スリラー的な興味の方をずっと重視して書いているように思う。 「ボヘミアの醜聞」はね、依頼人はハプスブルク家関係者、ということになるから、どうやらルドルフ皇太子が有力らしい。「うたかたの恋」のルドルフだから、有名なマイヤーリンク心中事件をした人だ。心中が1889年だから、発表の2年前。まあ、いろいろ浮名を流した人でもあるから、アイリーン・アドラーとの関係も「ありそうな」話なんだろう。そういうロマンチックな「艶っぽさ」をイメージするのがいいと思うんだ。 「ぶな屋敷」はゴシック小説の定形にホームズを絡めたもの。犬の射殺とか考えると、バスカヴィル家の原型になっているのかもね。 ....まあ話し出すと止まらないね。そういう作品集だもん。それだけ個々の話のエッジが立っている、ということでもある。 |
No.2 | 6点 | 四つの署名- アーサー・コナン・ドイル | 2020/04/11 22:41 |
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事件がなくて暇なホームズがコカイン注射で気を紛らす有名なシーンで始まる長編2作目。「緋色の研究」は事件が起きた後に警察に応援を頼まれて現場に行ったわけだが、本作ではホームズ一行が殺人現場にでくわす。そして犯人の後を追う追跡劇。「緋色の研究」よりもダイナミックな冒険色を強めた印象がある。
まあ本作だといわゆる「謎」は大したことはないので、ほぼこの追跡劇の面白味で作品ができているようにも思うんだ。ジャンル的には「スリラー」が適切なんだが...うん、だから「本格」というのはね、30年代にヴァン・ダインとクイーンが完成した、形式的は捜査プロセス小説で、フェアプレイに基づくパズル小説である「パズラー」が成立したあとで、そのルーツを辿って逆照射した系譜を「本格」として特別視しただけのことのように、評者は思っているんだよ。「本格」はジャンルじゃなくて、ミステリ史の概念だと思うんだ。 本作はホームズ聖典だから、当然歴史概念としての「本格」になるのだけど、内容は全然パズラーじゃなくて、ジャンルとしては伝奇スリラーだったとしても、何の不思議もあるものか。 |
No.1 | 8点 | 緋色の研究- アーサー・コナン・ドイル | 2020/03/31 22:00 |
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そろそろドイルもしなきゃね...小学校高学年の頃には大人向けでほぼ全部読んでたな。なんせ子供だったから、本作だと中間部のユタの話が長かった...なんて印象を覚えているよ。大人になってから読んで意外に短いのにびっくりした。まあ子供はモルモン教なんてよくわからないからね、ホームズの出ない中間部は退屈だったんだろう。
久しぶりに読み直したことにはなるのだが、古風ではあってもストレートな面白さがある。初登場のホームズが魅力的に描けているんだもの。地口を言えば「ヒーローの研究」ということか。ミステリとして見たときに本作には「トリック」はないけども、「逆トリック」はあるんだよね。「犯人が仕掛けるトリック」ではなくて、「探偵が仕掛けて犯人をひっかけるトリック」を昔「逆トリック」と呼んでいた覚えがあるんだけど、最近この言葉を聞かないように思うんだ。 いわゆる「本格」概念から見ると、犯人が仕掛けるトリックなら、手がかりをうまく仕込めば「読者も競えるフェアさ」という理念を満たせるんだが、この「逆トリック」はフェアさを満たせない。その代り、名探偵のヒーロー性を際立たせることにはなるわけで、実のところホームズ譚にはこの「逆トリック」が極めて印象的に使われた作品が多いんだよね。これが魅力なんだ。 だからいわゆる「本格」に慣れた読者がホームズを読んで、不満に思ったりするのは、ホームズよりもずいぶん後に成立した「本格」概念のメガネで、逆にホームズを裁いていることが多いように感じるんだ。評者はそういう読み方に強い違和感を感じる。後付けの概念で裁断するのではなくて、ホームズにはホームズの良さを楽しんで見つけていくような読み方を、評者はしていきたいと思うんだ.... まあ、とりあえず第1作。なるべく順番に読んでいく方がいいのかな。ヴィクトリア朝を舞台とした、上は王族から下は貧民街までの、トータルな社会のドラマを楽しんて行くことにしよう。 ぼくは今それを教えてもらったから、こんどはさっそく忘れるように努力しましょう。(中略)熟練した職人は、頭脳の屋根裏部屋に何をつめこむかについて、最新の注意をはらうわけです。 この克己心がダンディズムというものだ。かくありたい、なんて評者だって憧れるんだよ。 |