皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1419件 |
No.559 | 9点 | 山猫の夏- 船戸与一 | 2019/08/14 09:15 |
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夏だ!舞台では11月だけど、夏である。ブラジルだからね。
80年代というと、日本でも冒険小説が流行った時代なんだが、評者の好みじゃ本作が頂点。ブラジル北東部の片田舎を舞台の「血の収穫」ベースの一大バイオレンス絵巻である。 ビースフェルテルト、アンドラーデの二名家が抗争を繰り返す町、エクルウ。この町で小さな酒場を営む「おれ」のもとに、「山猫」が現れた。山猫はおれを強引に助手にして、山猫の仕事に連れまわすことになる。「山猫」は日系人の弓削一徳、皇道派将校を父に持ち、都市ゲリラに身を投じたのち、一転して裏社会で悪名を馳せるようになった「プロ」である。「おれ」は日本から脛に傷をもって逃れてきた元過激派だった。周囲にわからないように日本語で会話できるのを見込んでの採用である。手始めはビースフェルテルトの令嬢が、アンドラーデの若様と手をとって駆け落ちしたのを追跡する仕事だった。荒涼とした砂漠での追跡、カンガセイロ(山賊)との交戦、バッタの大群との遭遇、そして、山猫とは因縁の敵手であるアラブ人バブーフとのさや当て。さらに山猫は両家の抗争をあおりつつ、この抗争を利用して漁夫の利を得ていた駐屯軍と警察の介入を策謀する。山猫の狙いはこの両家の資産を分捕ることだった!山猫の計略に踊らされて、死体の山が築かれていく.... とまあ、とにかく、熱い。ブラジルの片田舎、で風土風習があまりなじみのない地域なのだが、マカロニ・ウェスタンみたいに感じればいいのだろう。日本人にとって西部劇というものが、なかなか消化しづらいエンタメだったのを、戦前の時代伝奇や剣豪ものなんかで、間接的にアダプトしていたことを思うと、本作は真正面の「日本人によるウェスタン」という画期的なものである。本場の西部劇だといろいろ突っ込まれかもしれないから、ブラジルにもっていったあたりの着眼点がいい。「血の収穫」だって、実質ウェスタンみたいなものだからねえ。 あというと、この世界はグラウベル・ローシャの「アントニオ・ダス・モルテス」に影響を受けているんだと思う。土俗的で時代劇みたいに思っていると、実はこれが「今」の話だ、という奇妙にタイムスリップしたような時代がごちゃまぜになったようなマジック・リアリズム的な感覚は、ブラジルが抱える多種多様な民族と生活のクレオールなリアリティだ、ということにあるんだろうけどね。本作だと「ロメオとジュリエット」風の前半の話と、山猫が財産を分捕るのにヘリコプターで弁護士を呼ぶ今、さらに呼ぶ手段が伝書鳩...など時間軸が奇妙にねじれた面白さがある。 まあエンタメとしては、読者の視点人物になる「おれ」が山猫の影響を受けてハードボイルドに変貌していくのが、常套手段とはいえ、よろしい。その昔やくざ映画を見終わって出てくる観客が、みんな肩怒らせて....って、あれ。 本サイトは冒険小説弱めだけどね、本作とかぜひぜひのおすすめ。暑い夏の読書にいかが。 |
No.558 | 6点 | 皇帝のいない八月- 小林久三 | 2019/08/13 11:28 |
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映画見たんだったな。山本薩夫監督で渡瀬恒彦とか吉永小百合の出てるやつ。70年代の邦画では例外的な、自衛隊のクーデターを取り上げた大がかりなポリティカル・スリラー。山薩だもん(結構ヒイキ)骨太な群像劇に仕上げてあって、一見の価値があるよ。クーデター部隊によるブルートレイン・ジャックにフォーカスされる題材が題材なだけに、映画には自衛隊も国鉄も一切協力なし。セット&ミニチュアで頑張った!原作だとそこまで描いてないけど、映画はホントに誰も幸せにならない辛口エンド。クーデター陰謀を追い続けた三国連太郎の陸将補が口封じにロボトミー受けて廃人化してるのが辛い。
だから映画は原作に結構忠実だけど、かなりいろいろ補完している。原作だと季節も不明で「皇帝のいない八月」の意味は説明されないけど、映画はちゃんと八月に起きるクーデターの作戦名で、映画の中に登場するレコードの曲から取られていた。作曲が佐藤勝の重厚なオケ曲。原作はシンプルにブルートレインさくらに乗り合わせた記者と元恋人、クーデター指導者の三角関係がベースで、それに記者の上司とその友人の大新聞のデスク、裏で鎮圧を指揮する内調室長(映画では高橋悦史)くらいに絞られている。そもそもクーデターという規模の大き過ぎる事件を、列車パニック物に落とし込むのがこの作品のキモのアイデアだから、小説はこれはこれでいいんだろう。映画は客観的だから内閣の動きとか並行して描いた方がずっといい。だから、そうしている。 そんな具合だと映画の方のがどうしても「完全版」みたいなことになるのは仕方がないな。うん、まあ映画を見たまえ。 |
No.557 | 6点 | 姑獲鳥の夏- 京極夏彦 | 2019/08/12 19:59 |
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夏!特集である。けどね、本作看板に偽りあり。事件が終わってやっと夏がくる(苦笑)。
人気作家、ということで少し読んでたんだが、3本目で「狂骨の夢」を読んでバカバカしくなって読むのをやめた。本作はまあ、意欲はあるからね、とりあえず次も読もうか、という気にはなった。改めて再読。本の厚さははっきりダテで、サクサク読める。事件密度が低くて冗長なんだよね。最初の病室訪問までで半分使ってるんだもの。京極堂のご高説は、まあ当たってるのが多いんだが、元ネタもあるなあ。宗教関連の話は理解不足と思う。よく勉強して書きました、感が強くて、それを超える狂気とかはない。奇説珍説に見えて、実のところ衒ってはいるが、穏当な範囲だと思う。 だから京極堂がウンチクるご高説をカッコイイと思うのは、評者はカッコ悪いように感じるな。まあ評者、解離性同一性障害とか大嫌いだしね。それよりも、憑き物落としに出陣する京極堂のファッションの決め具合の方が、ずっとナイスである。薔薇十字探偵もそうだけど、キャラのビジュアル設定にやたらとカッコよさがある。そういう小説だと思う。 で、問題の密室は、フェアとかフェアじゃないとか、って話ではないと思う。この趣向を実現するために、小説1冊を捧げてるわけだから、既存の物差しで合格・落第を判定するような読み方は、つまらないと評者は思うんだ。覇気があって、いいじゃないか。ただ、事件後の真相の解説はくだくだしいし、読者もイヤ~な気分になるような陰々滅々。やりたいんだろうけど、ここはサクッとまとめたら評者は評価のいいあたり。 というわけで、覇気を買うけど、小説としては無意味にクダクダしくて冗長かつ悪趣味。どうも評者嫌いなタイプの本なのを、以前は無理にでも評価して読んでた気がするな。まあ、いいさ。 |
No.556 | 6点 | 料理長が多すぎる- レックス・スタウト | 2019/08/12 13:11 |
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評者あまりネロ・ウルフは得意じゃない...これって一種のキャラ小説なんだと思う。ペリー・メイスンが苦手なのと同じようなものじゃないかな。アーチ―とウルフの掛け合って、考えてみればローレル&ハーディみたいなコンビのわけで、単純に楽しめばいいんだろう。気楽に読めばいいじゃないか。
で、ウルフの料理のウンチク全開の本作だ。お楽しみで来ているイベントだから、でなかなか事件に介入したがらないのが面白い。商売第一、なあたりが変にリアル。パズラーとしてはあまり手がかりがはっきりしないものだから、それを重視しすぎてもね、という印象。 しかしね、評者本作は一か所感動したんだよ。それは、料理長イベントの裏方である黒人スタッフを集めて、ウルフが重要な手がかりを得るシーンなんだけど、ウルフが黒人たちを完全に対等に扱い、黒人たちの知性と理解力をきっちり認めた上で協力を要請しているあたり。戦前のエンタメだと「黒人はいない」ような扱いを受けることが多いのだけども、このシーンはナイスにしてフェア。まあウルフって真相を解明して犯人を指摘した後でも、呼び捨てにしない傾向があって、そこらも「意識高い」良さがある。 |
No.555 | 5点 | 007/サンダーボール作戦- イアン・フレミング | 2019/08/12 12:47 |
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miniさんが要領よく事情をまとめているので省くけど、本作の原型は映画用シナリオである。しかも状況によっては映画第1作になるかも..という可能性もあったわけで、犯罪計画は大規模で、しかも結構リアルに「起こりうる?」なんて懸念された「核ジャック」である。キャッチーなんだけど、話はあまり無理せずにまとめて「守ってる」印象。
フレミングはジャマイカに別荘を持ってる縁もあって、舞台はおなじみカリブ海。「死ぬのは奴らだ」「ドクターノオ」本作「黄金銃」に短編集の3/5 だから、評者は食傷気味だ。映画シナリオっぽさは、核ジャックが起きてMがボンドを呼び出して任務を与えたあとに、核ジャックの手口を敵方視点で長々と叙述しているあたりで窺われる。けどちょっとバランスを失ってる気もする...もう少しカットバックするとか、ないのかな。 まあ本作、「今ひとつ」の最大の理由は、スペクターと言えばブロフェルドなのに、本作のメインの「敵」は実質No.2のエミリオ・ラルゴで今一つ「悪竜」ぽさに欠けること。タダのプレイボーイで、カリスマとか憎々しいワルさとか、今一つ。またイントロでボンドが無頼の生活を改善するために、業務命令で自然食療養所に入れられて...のナイスなエピソードがあるのに、そこでのワルのリッピ伯爵が小物過ぎ、しかもスペクターの犯罪計画に強く絡まないあたり。 総じてあまりプロットは上出来とは言いかねるし、評者「死ぬのは奴らだ」と続けて読んだせいもあるけども、水中戦が「またかよ」になってしまった。フレミングってプロットのバリエーションが少ない作家だ。 |
No.554 | 6点 | トレント最後の事件- E・C・ベントリー | 2019/08/06 21:54 |
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本作だと第一次世界大戦直前の作品なんだもんね...ミステリとしてどうこう、というのをあまり気にせずに読むと、甘ったるいのもいいじゃないか。軽妙でユーモアもあって、しかもトレント、紳士というかイイ奴だよ。さっくり読めるヒネリの効いた話を楽しもうか。
作者はチェスタートンの仲間で、マジメに探偵小説を文学的に向上させようと..との狙いで書いたものだから、教養も不足なくって、背景とかキャラとか類型的でないリアルで描く能力がある。冒頭での被害者マスタートンの経歴だって、経済的背景をしっかり押さえて描けてるわけで、ミステリ離れしてるな。それでも黄金期以降の基準だとミステリとしてはフェアじゃないし、恋愛で道草するし..でもお育ちの良さみたいなものを感じて、なんとなく許せる気分になるんだ。 そうは言っても、一応トリックもあってどんでん返しもキッチリ決まる。そのクセに、ミステリを読んだような気が少しもしないのが、不思議な読後感である。別にこれは恋愛要素を取り込んだ云々、という話じゃないんだよ。まあ要するにこの人、ミステリ書くのが性格的に向いてないんだろうね。書かれた時期がタイムリーだったから、有名古典になっているのだけど、外れてたら埋没してたんじゃないかなあ。古典かどうか、ミステリかどうか、とかあまり関係なくて、余裕を持って何でも読める読者なら楽しめるタイプの作品である。 |
No.553 | 6点 | 赤後家の殺人- カーター・ディクスン | 2019/08/04 23:45 |
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本書の冒頭がスティーヴンソンの「新アラビアンナイト」なことは憶えていたんだけども、改めて読むとホントに「新アラビアンナイト」になぞらえて設定してたんだなあ。でこの冒頭とか中盤のサンソン一家の話(15年くらい前に新書でベストセラーがあったね)とか、カーの厄介なところは元ネタのある話に生彩が出るあたり...この人結構「本から本を作る」タイプの作家だからねえ。
皆さん結構評価が割れてる作品になるようだ。評者一番?なのは、細部細部は結構辻褄が合っているのだけど、全体で見ると事件の全体像が掴みづらいあたりかな。犯人の全体的な狙いが分かりづらいものだし、プランの途中変更がいろいろあって、結果的に迷彩がかかったようというか、何がどうなっている?が本当に掴みづらい。読了直後でも他人に真相を説明して!と要求されたとして、説明しきれる自信がないや。凝りすぎて全体的な構成に失敗しているような印象がある。 それでも導入から殺人に至る流れとか、フランス革命下のパリでのロマンスとか、印象に残る場面が多い作品であることも確かである。良い部分もある失敗作、くらいの位置が相応だろう。 |
No.552 | 7点 | サマー・アポカリプス- 笠井潔 | 2019/08/04 23:06 |
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夏だ!アポカリプスだ!なんてのは評者だけだろう(苦笑)。去年は「寒い」方で特集したけども、今年は「夏」でまとめようか。前作「バイバイ・エンジエル」は真冬だったけど、本作は南仏ラングドックの暑い夏の話である。黙示録殺人事件とまあ、大上段に出たもので、だから四人の騎手になぞらえての連続殺人...カーか横溝正史かってくらいのおどろおどろしい怪奇趣味。
が、パズラー的にも準密室1,密室1,アリバイ工作など結構充実している....のだが、探偵役のヤブキカケルに謎を解明するヤル気がないのが奇観というものだ。前作だと「現象学的探偵術」が非常に効果的だったのだが、今回は標準的なパズラーのごく平均的で常識的な解決。前作のショックには程遠いし、前作は想定外状況からの「モダン・ディテクティヴ」になってた良さがあるんだけど、本作は犯人プランが無意味に凝りすぎている。カケルのヤル気はシモーヌ・ヴェイユを仮託したキャラとの思想的対決に振っていて、ここに作者のリキが入っているのが見て取れるのだが、評者はこの議論は買えないな。結構イイ気なテロリズムの是非についての議論だよあれはね。しかもこの議論がミステリの側と噛み合っているように思えないんだなあ。あの議論、この本作じゃなくて前作への注釈みたいなもので、ヴェイユなら「バイバイ・エンジェル」のテロ思想をどう克服するか?と聞いてみました、というノリのものだよ。だから前作の犯人バレしてるからどうこう以前に、前作読んでないとまったく「お話にならない」。 どうせ黙示録というのなら、イエスの再臨で携挙された真のクリスチャンが、滅亡する地上を眺めても神と一体化する喜びの中で少しも心を傷めない..なんてあたりを突っ込んだ方がいいんじゃない?なんて思うのだよ。まあそもそも「黙示録殺人事件」なんて発想自体が、キリスト教をファッションで誤魔化せる日本人らしいものだと思う。 なので本作、ハッタリは大変見事だと思うけど、ハッタリほどには内容が伴っていないように思う。たぶん本作と次の「薔薇の女」を書いて、こんなことがしたいなら、伝奇アクションの方がいいんじゃない?と作者は思って「ヴァンパイアー戦争」にしたと思うんだ。バタイユ神話をベースにした霊的闘争史観なんだから、本作+次作、ということでしょう? いろいろイチャモン付けたくなる作品だけど、客観的にはエンタメとして力作である。甘目に7点。カタリ派ウンチクがヘヴィとか皆さん言うけどさ、怪奇派スリラーくらいで読めばいいんだよ。この人太田竜みたいにかなりオカルト入ってるから、真に受けないようにね。 |
No.551 | 6点 | 蜃気楼博士- 都筑道夫 | 2019/07/31 08:44 |
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夏休みこども劇場の締めは本作。児童向けミステリの金字塔である。
今回は本の雑誌社の都筑道夫少年小説コレクションで読んだので、その昔のサン・ヤング・シリーズの「蜃気楼博士」に1968~72年に「中一時代」に連載されたフォト・ミステリ12本を収録。これも「オヨヨ島の冒険」「仮題・中学殺人事件」などと同様にサン・ヤング・シリーズの1冊だったわけで、シリーズの伝説っぷりが窺われるというものだ。たぶんサンヤングシリーズではなくて、その新装版の少年少女傑作小説集の方だと思うんだが、評者こどものときに読んだ記憶があるよ。 このシリーズだとパズラー枠は「仮題・中学殺人事件」の方がメタミステリ方面で話題になりがちなのだが、特に表題作の「蜃気楼博士」は「読者よ欺かるることなかれ」風のハッタリの効いた、ガチのパズラーなのである。しかもね児童向け、ということも影響しているんだろうけども、「フェア」にポイントがある。 児童向け、というと大正年間からの「赤い鳥」から来ているんだけども、「純真な子供だからこそ、オトナの都合の欺瞞はすぐにバレるから、真剣に向き合わなくては」という理想主義の伝統があったわけで、実のところ70年代の子供向けとして作られたTV番組なんかにも、評者はその残響を感じることがある。だから都筑道夫が児童向けミステリとして「真剣に子供に向き合う」とすると、やはり「フェア」ということが譲れない部分になってくる。本作の児童向けミステリは、すべてロジカルで、フェアであろうとする都筑の真摯さが伝わってくるのだ(まあ無理筋はあるけどね...)。 このロジカルでフェア、という都筑の美点はもちろん本来の大人向けでも発揮される特徴なんだけども、逆に言うと「蜃気楼博士」みたいなカー風のハッタリは、大人向けじゃあ大時代的すぎてやりづらい...となるのが、「モダン」を極めた都筑道夫らしいあたりだと思う。そういう意味では、フォトミステリの最後の作品である「赤い道化師」がいかにもの乱歩スリラー風なのを、極めて合理的にひっくり返してみせるあたりに、都筑の乱歩に対する愛憎みたいなものを感じるのも面白い。 (そのうち「黄色い部屋はいかに改装されたか」やんなきゃなあ) |
No.550 | 10点 | エヴァが目ざめるとき- ピーター・ディキンスン | 2019/07/28 11:02 |
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夏休みこども劇場その3。
一応本書児童書になるのだけど、1988年の作品なので評者も初読。けどね、児童書なんて枠をはみ出してるし、SFのジャンルもはみ出した普遍的傑作である。本書を読んで感銘を受けたこどもが、どういうオトナになるのか興味深く思うくらいの、人によってはトラウマになるかもしれないくらいの傑作。児童書扱いが冗談としか思えない... 交通事故の遭った少女エヴァが目覚めたとき、その肉体はチンパンジーのものになっていた。ニューロン記憶理論に基づいて、エヴァの記憶も人格も、そっくりそのままチンパンジーの脳に移転されたのである。人類が地球に犇めきあうように暮らす未来社会。人類は科学技術の恩恵を享受しながらも、それがために徐々に衰亡の翳を深めていた時代だった。エヴァは自らの中にチンパンジーのケリーの無意識が生き延びていることを気づく...この二重のアイデンティティの中で、エヴァは未来の超管理社会から、チンパンジーの群れを率いて脱出しようとする。 人間はいろいろな動物を「家畜化」したわけだが、人間が最も強烈に家畜化した動物はほかならぬ「ヒト」なのである。家畜化=社会化することでヒトは文明を築き上げたのだが、その文明がヒトの「生きるチカラ」を奪っていったのもまた事実である。エヴァはチンパンジーになったというよりも、ヒトの知性とチンパンジーの野性を両立させた、新しい「始祖=イヴ」としての役割を割り振られることになる。 「人類全体がどんどん短絡的にものを考えるようになっている」とはまさに今の世相そのままのようにも感じる。人間は便利さにかまけて、どんどんとかつての能力を失ってきつつあるのだろう。しかし「文化」が悪いのか?というとそういうわけでもない。チンパンジーならば(ニホンザルだって芋洗いの話とかねえ)、獲得した行動を伝承していく「文化」というべき能力を見せるわけである。だからここにエヴァが期待を寄せる余地がある。エヴァは「文化」の再建者として、ヒトからの脱出を試みるのである。 最良の哲学書。ディキンスン最高傑作は本作で決まり。愛の10点を捧げる。 (そういえば本作のテーマはかなり「ドグラ・マグラ」とも重複するよ。だから評者、「ドグラ・マグラ」の科学理論が一回り回って異端奇説じゃない示唆的なものになってる、と言ったでしょ) |
No.549 | 5点 | オヨヨ島の冒険- 小林信彦 | 2019/07/24 20:21 |
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夏休みこども劇場No.2。
今はなき朝日ソノラマが1969~72年まで刊行したサン・ヤング・シリーズのサブカル的影響力は凄まじいものがあった。このサイトで言えば「仮題・中学殺人事件」もそうだし、SFなら「暁はただ銀色」、それにラノベの元祖とも言われる「超革命的中学生集団」などなど、それまでの児童書の「良書」概念を覆すような面白本を立て続けに出したのだった。これもその一つで、続編の「怪人オヨヨ大統領」もこのシリーズ。 後にオトナ向けオヨヨ大統領の「SRの会」での高評価でも分かるように、ギャグ・ミステリとして人気のシリーズとなったのだが、最初は子供向けの冒険小説だった。けどね、 きのう、あたしの「ハレンチ学園」をとりあげたせいか、ヒゲゴジラこと、うちのパパは、新しいクリスマス・ツリーを買ってきた。おこったあとで、必ず、なにか買ってくるパパの心理が、あたしにはわからない。初めからおこらなきゃ、なにも買ってこなくてすむのに。 昼間、パパの書斎にはいってみると、川端康成の「雪国」と「ディラン・トマス詩集」の間に、「ハレンチ学園」がうしろ向きにさしてあった。愛読のほどがしのばれる。 あれで、かくしたつもりなのだから、パパの単純さにはあきれて、ものが言えない。 と当時のコマーシャルから映画からTV番組からサブカル全部を何もかもブチマケたような、情報量の多さがショッキングな小説だったのだ。子供向けの良識だの情操だの彼方に吹っ飛んだ、他ならぬ「今」に居直った強烈な「悪書」として、である。子供に元ネタのわからない話もあるけども、ギャグとサブカルの暴風のような過激な冒険物語を、評者とかも堪能させてもらったわけである。 がだ、この評点の低さは、実のところちくま文庫と角川文庫のリバイバルコレクションに入っている、今普通に手に入る「オヨヨ島の冒険」が、「69年のリアル」だったコマーシャルやTVのネタを「もう意味がわからないから」で割愛しちゃったバージョンなことへの抗議である(あと挿絵の割愛も痛い...作者の実弟小林泰彦のイラストじゃないとね)「わからない」と思うなら、せいぜい脚注にでもしてくれよ。そりゃ脚注だとカッコ悪いさ、けどそのカッコ悪さに耐えなきゃいけないんだ。 ああ、情けない。このイッパチも、これが、最期とおぼしめせ。...さらば、辞世を一首-敷島のやまと心を人問わば、アジのヒモノはおあずけだよーん → ああ、情けない。このイッパチも、これが、最期とおぼしめせ。...さらば、辞世を一首-敷島のやまと心を人問わば、いずこも同じ秋の夕暮れ こりゃ、センスがナマってるというものだ。「アジのヒモノ」は1969年のヒット曲「黒ネコのタンゴ」の一節なんだけど、この軽薄さじゃないと勢いなんて出るものか。本書は何としてでもソノラマか晶文社か角川文庫の旧版で読みたいものである。 |
No.548 | 8点 | 宝島- ロバート・ルイス・スティーヴンソン | 2019/07/23 22:52 |
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夏休みだ!夏休みこども劇場だよ!第一弾は「宝島」。
うん、誰でも知ってるね。けど、大人になってから読み直した人は意外に少ないんじゃないかとも思われる。今回は光文社古典新訳文庫で読んだから、訳者はル・カレやらユリシーズ号やらでお馴染みの村上博基。海賊時代に使われていた特殊な海事用語が多くて、訳に苦労したことをあとがきに書いている。ほぼ主人公のジム少年の視点だが、戦闘を語る際にはドクターの視点で客観的に語らせたりと、作者は連れ子のために書いたものなんだが、児童文学とは言い切れない技がある。大人が読んでも立派に面白い...というか、イギリスでも原文は子供じゃ難しすぎるらしい。 やはりね、本作といえばジョン・シルヴァーに尽きる。シルヴァー中心で見たときには、実にハードボイルド、なんである。主人公の一行と対立する海賊たちのリーダーでありながら、上陸時に高まった船員たちの不満を抑えるにはシルヴァーを使わなくては、とボスなのを承知で信用されることから始まり、捕虜になったジム少年と秘密同盟を結んで、自分を信用しない他の海賊たちに見切りをつけて、自分の安全を図るなど、力関係を利用する「力学」の視点を備えた、クレバーな男なのである。集団的な抗争の中で、自分の利害のために賢明に立ち回る男の姿を、これくらいイキイキ描いた小説もないものだ。シルヴァーは正しく打算のできる男だから、状況によっては確実に信用できるのである。 そういう意味で実にオトナ向き。素晴らしい。集団抗争の「血の収穫」も宝物争奪戦の「マルタの鷹」もこの「宝島」のリライトみたいなものなのである。オプやスペイドに20世紀のジョン・シルヴァーの後ろ姿を見るのも一興というものだ。 |
No.547 | 6点 | マーロウ最後の事件- レイモンド・チャンドラー | 2019/07/21 23:28 |
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さて、評者のチャンドラー短編も本短編集でコンプとしよう。「イギリスの夏」「バックファイア」「二人の作家」あたりは戦後の作品で、とくにハードボイルドというわけでもない。「チャンドラーらしい」短編は要するにこれでコンプである。本短編集は「湖中の女」「女を裁け」「翡翠」「マーロウ最後の事件」の4篇を収録。すべて稲葉明雄訳で、「湖中の女」は同題の長編の原型、「女を裁け」は創元「雨の殺人者」所収の「女で試せ」でタイトル変えた理由はなぜだろう(「女を裁け」の方が明快と思うが)。訳文はほぼ変わらない。言うまでもなく「さらば~」の元ネタ。「翡翠」は解説で「高い窓」に使われて..と書いているが勘違いで「さらば~」の中盤。アン・リアーダンが出るあたり。
「湖中の女」は長編のダイジェストみたいな雰囲気。これはこれでシンプルな良さはあるのだが、長編読んでりゃ読む理由は薄い。 「翡翠」は翡翠の買い戻しに同行して、殴られてリアーダンに会って、臭いインディアンに拉致されて監禁されて、といったあたり。これはこれでまとまりがいい。というか、「女を裁け」「犬が好きだった男」もそれぞれちゃんと辻褄が合った作品だったのに、「さらば愛しき女よ」に合体したら、わけがわからなくなったわけで、長編化ははっきり改悪だと思う。「さらば~」名作説は評者は疑問である。マロイが好きなら「女を裁け」を読むべきだ。 「マーロウ最後の事件」別名「ペンシル」は長編とは無関係の作品。マフィアから足抜けしようとする男の逃亡を、依頼されてマーロウが助けるが...という話。マーロウの協力者でアン・リアーダンが出演。スタイルが完全に戦後のマーロウになっていて、かなり貴重な作品に思う。「長いお別れ」が好きなら本作読むのが一番満足感が高いんじゃないかな。マフィアの殺人予告の「ペンシル郵送」を、マーロウがあまり真に受けない辺りがナイス。 というわけでチャンドラー短編をコンプ、としよう。ベスト5は順不同。 「ネヴァダ・ガス」「シラノの拳銃」「ヌーン街で拾ったもの」「金魚」「女で試せ」。この評価だとハヤカワ版だと「トライ・ザ・ガール」を読むと断然お買い得、ということになる(苦笑)。 |
No.546 | 6点 | 贋学生- 島尾敏雄 | 2019/07/21 22:24 |
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島尾敏雄と言うと、夢を題材にした短編が幻想文学では大変重要な作品になるのだけども、エンタメとは呼び難いので本サイトで取り上げるには躊躇する。けど、唯一の長編小説である本作は、ギリギリ守備範囲だろう。取り上げる。
戦時下の九大の学生である主人公は、戦争の成り行きと自身に待つ運命の予感に怯えながらも、奇妙なモラトリアムの時間を過ごしていた。そんな中、医学部の学生を名乗る木乃伊之吉という男と知り合い、木乃の誘いで、同じ文学部の学生の毛利と共に雲仙長崎を旅行する。この旅行をきっかけに主人公は名家の坊っちゃんを自称する木乃との交流が生まれるのだが、主人公の妹に木乃の従兄弟にあたる医者との縁談話を持ってきたり、木乃の妹が宝塚のスターの砂丘ルナで、彼女と主人公の仲を取り持とうとする....が、どの話も偶然邪魔が入って中絶する。主人公は最初から木乃のことを女形めいた「紫のかげ」とうさん臭く思っていたのだが、魅入られたように木乃に引き回されてしまう....果たして木乃の正体と、主人公に寄せる好意の真実は? という話。病的な嘘つきの巻き起こす騒動を扱った夢野久作の「少女地獄~何んでも無い」がオッケーなら本作もオッケーだろう。タイトルがバラしてるから仕方ないのだが、実在の医学部学生の木乃とは別に、主人公につきまとう木乃は逃亡中のお尋ね者の贋学生らしいのだ。主人公につきまとった理由は不明だが、男色的な興味と取れる振る舞いもあった...とはなはだ曖昧なことしかわからない。木乃が取り持つ話がいつもいつも、いつしか事故に遭って途絶するさまが、何か悪夢のようである。ブニュエルっぽいな。ここらへんで島尾の夢小説に似た肌触りを感じることもある。 まあ筋を要約しようと思えば上記のようにできる小説なんだけども、これがホントにあったことなのか、主人公が無意識的な悪意で解釈した妄想なのか、どっちにせよ奇妙に収まりが悪く、なんとも納得のいかない不条理味が持ち味。「奇妙な味」といえば本当にその通りの小説。島尾敏雄は純文学系の人だけど、本作だと純文学かどうかも、かなり怪しい。分類不能な面白さである。 |
No.545 | 6点 | 完全殺人事件- クリストファー・ブッシュ | 2019/07/21 21:40 |
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本作最大の難点は、パズラーしか読まない人にしか読まれない作品なことである、なんてね。
大昔読んだときには「何て月並みな...」と思って読み返しなんてしたことなかったのだが、本作はガーヴ風のスリラーとして読むべきだ、というのが今回読み返しての印象だ。パズラーだと思うと密室もアリバイも犯行予告も全部納得いかないだろうね。だからそっちに重点を置いちゃダメなんだ。 本作のうまい辺りは、例えば探偵像にもある。広告代理店の宣伝として注目を集めた犯罪に介入する、というのはなかなか秀逸だと思うのだよ。小説としてのオチをこれがうまく決めているしね。マッギヴァーンの「虚栄の女」が広告代理店勤務の主人公が、広報担当としてクライアントにかかった容疑を晴らす、というのがあったけど、それに近い探偵像だろう。だからあくまでも私人であって、推定犯人を追い詰めるのもそう強引にはいかない。徐々に近づいて...というあたりもガーヴ風というか、「闇からの声」みたいというか、そういう在野主人公のマンハント系スリラーとして楽しむべきなんだと思う。そうしてみると、結構面白く読めたんだがなあ。犯行予告も犯人の屈折から理解すべきだから、ハッタリと片付けたら気の毒だと思うよ。 というわけで、本作、紹介のされ方、読まれ方が間違ってる。そうそうヒドい作品ではない。 (あと創元の昔の時計のカバー、秀逸だと思う。さすが粟津潔) |
No.544 | 7点 | チャンドラー傑作集- レイモンド・チャンドラー | 2019/07/18 13:16 |
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創元=稲葉チャンドラー短編をコンプするための補完本は、晶文社から出た「マーロウ最後の事件」なんだけども、それでもブラック・マスクに掲載された3つの短編が漏れてこれは看過しづらい。が、補完する本があるんである。各務三郎が企画して「チャンドラー論」を書き、清水俊二が訳した本書、「殺しに鵜のまねは通用しない(スマート・アレック・キル)」「スペインの血」「"シラノ"の拳銃」に加えて、他でも読める「待っている」「怯じけついてちゃ商売にならない(事件屋稼業)」「殺人の簡素な芸術」を収録している。稲葉訳ではないのが残念だが、ピンポイントでナイスなコンパイルである。
補完の3作はどれも初期作で、すべて三人称。探偵役はマーロウではなくて、それぞれ別な個性がある。一概にマーロウの別バージョンに解消しづらい主人公たちなので、チャンドラー理解に重要な作品が多いようにも感じる。 「殺しに鵜のまねは通用しない」は、訳題がスゴいなあ。ただし、原題の「Smart-Aleck kill」も「しったかぶりの殺人」くらいの意味なので、意訳として通用しなくもないか。初出は「別冊宝石」らしいので、「雑誌文化」の現れくらいに思っておこうよ。本作は短編の2作目で、処女作とは探偵の名前は違っても、ラストで同じキャスカート署長(部長?)と探偵が馴れ合い気味に会話して終わる。ハリウッドが背景にちょっとだけある...と共通点も多いが、とくに良い、ということはないのも同じ。 「スペインの血」ではうって変わって主人公は宮仕えのデラグエラ警部補。事件の被害者である政治家とプライベートに友人で、その妻のために圧力に負けずに真相の解明に執念を燃やす。スペイン系と設定がずっと盛ってある。市政の腐敗の背景もあるので、社会派風の内容。なかなかいいが、一般に「チャンドラーらしさ」とされるものからはやや遠い。 「"シラノ"の拳銃」、本書の補完3作では一番いい。主人公がホテル付きの探偵、ということになってはいるが、市の有力者だった父親の遺産の分前としてホテルの所有者でもある。そのホテルの客のトラブル処理から、ボクシングの八百長疑惑、上院議員のスキャンダルなど、事件が広がっていく。展開も派手で、キャラも立っている。場面転換も唐突ではなくてスピーディ、に練れてきている。主人公も背景から、必ずしもヒーローではなくて、腐敗に多少なりとも負っている部分もあるのを意識して、屈折している。しかも、ホテルのカタギな従業員を自分の調査にかかわらせたために、とばっちりを受けて殺される、なんてトラウマまで負わされるハメに陥るが、ハードボイルドなのであまり顔には出さない。自分が騎士ではないのに、騎士みたいに振る舞わざるをえない、といった感覚が、評者に言わせればチャンドラーでも最後期の「長いお別れ」とか「プレイバック」のカラーに近いように感じる。結構必読かも?とも思う短編。 ついでなので、稲葉明雄と清水俊二の「待っている」比較でもしようか。文章としては、評者は稲葉訳だなあ、硬質な美しさがあるように思う。清水訳の方には崩れた感じがある。「チャンドラーらしさ」は意外にかもしれないが、稲葉の方を押したいよ。解釈上大きく違うのは、稲葉は女を連れて行く案を「洗濯物の籠に隠れて降りることもできる」と支持しているけども、清水は「あんたがバスケットに入れられて運ばれることになるよ」と却下している。まあこれ「死体を入れるバスケット」と解した清水が正解だろう。とはいえ「50年めの解題『待っている』」で清水訳がトニーとアルの関係を「古い知り合い」としているけども、読んだ感じでは兄弟説に近い気もする。母親に言及するのを嫌がらせな皮肉と取るかどうかもあるから、微妙なんだけどね。 というわけで、チャンドラー、短編もいろいろ面白い論点がありまくり。何か評者は「難しさが面白い」なんて感覚になってきている。一部にある清水訳絶対主義は視野が狭いようにも思うんだがなあ.... |
No.543 | 5点 | 007/死ぬのは奴らだ- イアン・フレミング | 2019/07/15 16:50 |
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本作が一番最初に紹介された007である。映画化もまだ先の話で、ポケミス重版時のあとがきが「初紹介から七年後」の話になっていて興味深い。完全な先物買いとして都筑道夫が主導して紹介したようだ。ポケミス裏表紙の作品紹介は初紹介時のそのままなのだろう。
現在、ケヴィン・フィッツジェラルド、ロバート・ハーリングなどと共にスパイ小説界の第一人者と目されている新進作家である。近代版スティーブンスンと言われるロマンチックな作風、キビキビした文体と無類のストーリー・テリングは、第一級の冒険スパイ小説となっている。 ケヴィン・フィッツジェラルドとかロバート・ハーリングって誰だろう....と調べてみると、Robert Harling は見つかる。海軍でフレミングのと同僚だっただけでなく、一緒に秘密活動していたようだ。戦後ペーパーバックで小説を書いて、フレミングの親友であり続けた人だが、翻訳紹介はなさそうだ。時代の違いを感じさせる紹介文なので、面白くなってつい脱線。 で本作の敵は黒人ギャングで、ヴードゥーの魔術を使った恐怖支配をするミスター・ビッグ。大量の古金貨が流入しているらしい...その源を追って、ボンドはNYに赴いた。旧友レイターとも再会し、FBI・CIAとも共同戦線での仕事である。どうやらジャマイカから、フロリダの魚釣用生き餌会社を経由して、金貨は密輸されているようだ。それを仕切るミスター・ビッグの手の内を探るためにハーレムのクラブに潜入した二人は、ミスター・ビッグと神秘的な美女ソリテアと対面する...ソリテアを奪うかたちでボンドはフロリダ行きの列車に飛び乗り、さらに舞台はフロリダからビッグの本拠のジャマイカにまで広がる。海賊血まみれモーガンの財宝が眠る島に、ボンドは水中を潜行して侵入を試みる! という話。実は漫画っぽさはあるけども、雰囲気がかなり地味。ヴィランのミスター・ビッグ、スメルシュの手先だそうだが、そうそう非道い悪事を働いてはいないんだよね。金密輸くらいのもの。ビジネスに手を出す者には容赦しないから、相棒のレイターが片腕を失うのはこの話。ボンドがビッグと対面するのも二回だけだし、雰囲気マアマアでも話はスローテンポで、なかなかヤマがかからない。本の半分かかってやっとフロリダ着、海を潜って本拠潜入も40ページほどで片付いてしまう。一番の読みどころは潜水しての道中の描写だから、バランスが取れないや。 まだ試行錯誤中、という印象。ストイックな冒険小説のテイストの方が強いかなあ。裏表紙での「近代版スティーブンスン」って比較は、要するに「007in宝島」ということなんだろうな。 |
No.542 | 9点 | レベッカ- ダフネ・デュ・モーリア | 2019/07/14 15:38 |
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え、なんでこんなに平均点低いんだ?と驚くくらいのお二人の評だが、英語のサブリーダーでイヂめられたことで、本作みたいな名作を貶めるのはちょいと不当だと思うよ。ほぼ完璧の大名作であり、サスペンスの大古典であって、本サイトで評を書くのも完全ストライクな作品である。なんでこんなに評が少ないんだ?と不思議に思うくらいである。
思いがけない玉の輿に乗って、名所旧跡級の荘園マンダレーの所有者であるデ・ウィンターの当主の後妻に収まったヒロインは、マンダレーでの女主人としての新生活の重責に押しつぶされそうだった。いたるところにある前妻レベッカの影。完璧な女主人として尊敬を集めたらしい前妻に、ヒロインは強い劣等感を抱く。家政婦頭のダンヴァース夫人はレベッカと一心同体だったようで、ヒロインをまったく受け入れようとしない。しかし、夫のマキシムとごく親しい人々にとって、レベッカは一種のタブーのようでもあり、その理由がヒロインには打ち明けられない...ダンヴァース夫人はヒロインに仕向けて、かつてレベッカが扮装したのとまったく同じドレスを作らせて、仮装舞踏会に登場させた。夫マキシムたちはその姿を見て、言いようもない強いショックを受けた。一体レベッカの実像はなんだったのか? 折しもレベッカの死体を載せたボートが発見される..... 「女性向け」という印象があるせいかもしれないが、ちょっと昔風の女性のくどめの内面描写も、実のところそれ自体がミスディレクション風の働きをしていて、舐めてかかるとトンデモない。それ以上に本作の主人公は「マンダレー」というデ・ウィンター家の荘園であって、事件が終わった後もヒロインも夫も、その「マンダレー」に囚われ続けるのが、裏ヒロインたるレベッカの永続的な勝利ですらあるのだ。この人工のエデンの園からの失楽園の物語として、読むと面白いのかも知れないな。それほど、次第に明らかになってくるマンダレー「そのもの」としか思えない前妻レベッカの像というものが、悪夢的に傑出しており、さらにその代理人めいたダンヴァース夫人とのヒロインの角逐がサスペンスの具体的なエンジンとなっている。 しかしね、実はダンヴァース夫人も偉大なレベッカのイメージに囚われ続けた気の毒な人のようにも思えるのだ。レベッカの仮装と同じ仮装をヒロインにさせるように仕向けるダンヴァース夫人の策略も、奇妙なまでにトラウマチックなもののようにも思える...実はかなり多義的な愉しみ方のできる、懐の深い小説である。実に潔いラストのあと、ついつい冒頭に戻って読み直して「ああこういうことなのか!」.....更に興趣が深まる小説である。後を引くなあ。 ミステリを論じる上では、ほぼクイーン・クリスティ・チャンドラーの名作級の必読書。新潮文庫で途切れることのないロングセラーなんだから、読みなさい。 |
No.541 | 7点 | 赤い風- レイモンド・チャンドラー | 2019/07/11 08:20 |
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創元のチャンドラー短編全集四巻も、評者は本書で最後になるが、稲葉明雄のチャンドラー、ということになると実はもう一冊訳書があるので、コンプ扱いはそっちを読んでからとしたいな。
本書は処女作「脅迫者は射たない」、短編最盛期の「赤い風」「金魚」、第二次大戦下で書かれた「山に犯罪なし」の四作に、1953年の「序文」で知られる文章を収録。どれもそう直接的に長編ネタになっている印象のない中編である。だからある意味一番の読み応え感があるようにも思う。 チャンドラーというと「シーンが素晴らしいが、プロットはごちゃごちゃ」という印象評がまあ、適切な作家なのだけども、処女作の冒頭、イイんだなあ。ロンダ・ファーの描写と主人公とのやりとりなんて、臨場感があってなかなかのものだと思うんだよ....まあけど、どうも事件は誘拐も絡んで派手な展開をするが、展開に今一つの納得感はない。完全三人称で主人公の内面描写もないから、場面と場面の関連性がよくわからない。 「赤い風」では一人称になるけども、関連性がよくわからないのはそう変わらない。でも本作、入ってきた男がバーの片隅でウィスキーを舐めていた男にいきなり撃ち殺される冒頭の場面、きわめて素晴らしい。チャンドラーらしい「粋」が結晶している。最後のややセンチメンタルな場面はないほうがいいようにも思うんだけどねえ。バランス悪し。 「金魚」は傑作だと思う。事件を持ちかけた気のいいキャシー・ホーン、真珠を隠し続けたサイプ、小心な悪徳弁護士マダー、荒くれ姐さんキャロル、とキャストがナイス。本作はラストにかけて秀逸な場面が続く。サイプ夫人とのやりとりなど、ハードボイルドらしいなあ。 「山に犯罪なし」は書き馴れ感が出てるけど、テンション低下は覆うべくもない。この頃は長編作家になっていて、短編作家廃業に近い状態なのに書いた本作は、時局小説まがいのものだから、何で書いたのかモチベーションの理解に苦しむような作品。バロン保安官がキャラとして精彩があるのが救いなくらい。 という感想。「金魚」が突出して、いい。 (というか、何でもそうだが、完全にわかりやすく説明しちゃうと「粋」ってモノはなくなるんだよね。チャンドラーの「粋」には「余白美」みたいなものが不可欠じゃないのかな) |
No.540 | 7点 | 狩人の夜- デイヴィス・グラッブ | 2019/07/03 00:10 |
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以前お遊びで映画オールタイムベストテンを選ぼうなんてしたことがあるんだが...うん、評者、本作ベストテンに入れたよ。それくらい、本作の映画は凄い。
監督はチャールズ・ロートンだから、イギリスの俳優さんで本サイトならクリスティ原作の「情婦」の弁護士というと通りがいいか。監督は本当にこれ一作で、赤狩り全盛期の公開当時、全然当たらなかった。けども「呪われた映画」とか言われつつも、説教師の仮面をかぶったシリアルキラーを演じたロバート・ミッチャムの怪演と「LOVEの右手、HATEの左手」の刺青をつかったパフォーマンスがサブカル的影響を与えて、日本でもやっと1990年にレイトショーで公開。そしたらあっという間にシネフィルの間でも大傑作の声が広まったという数奇な運命の映画でもある。 銀行強盗をして大金を掴んだのもつかの間で、あっさりと死刑台の露と消えた男には、男女の子供と妻がいた。奪ったカネのありかが不明なために、この親子に近づく者も多かったが、流れ者の説教師、ハリー・パウエルは妻の心を掴んで結婚にまで至る...説教師は仮面で、この男は何人もの女性を殺したシリアルキラーだった。刑務所で夫と同房になった縁で、親子がどこかにカネを隠していると踏んでいたのである。長男のジョンは、母のいない間に「カネはどこだ!」と詰問するハリーの正体を悟るが、妹のパールは手もなくハリーに手懐けられてしまっていた...ついに母はハリーに殺され、兄妹はすんでのところで川に逃れる。折しも大恐慌の真っ只中、浮浪児となった兄妹はハリーの追跡を逃れて旅をして、敬虔で親切な農園主の未亡人に引き取られる。そのクーパー夫人のもとで、他の孤児たちと暮らす兄妹のもとに、ハリーが現れる。クーパー夫人はハリーと対決する.... という話。小説としては、オハイオ川沿いの住民の生活感が溢れる、アメリカン・リアリズム小説風のタッチ。良くも悪くも信仰心の強い土地柄で、だからハリーのような食わせ者も説教師として信用されるわけである。 映画でもリアリスティックな前半から、兄妹が川に逃れるあたりで、一種のダーク・メルヘンといったタッチに切り替わるのが、何とも不思議な印象を与えるのだけど、原作にそういう素があるようだ。というのも、本作だと「子供の受難」という大きなテーマがあって、現実の大恐慌下の浮浪児たちと、この物語での兄妹、ヘロデ王の嬰児虐殺を逃れるイエスの一家の話、葦船に流された幼児のモーゼ...といった「子供の受難」の神話的な層が、幾重にも重なりあっているのだ。実際本作、ほとんどロケなしで全セット撮影のようである。これを最大に生かして、作り物めいていて、悪夢のようでもある景色の中での「子供の受難」を、「子供の目に映った」かのように描いている稀有の映画なのである。小説の「子供の目」からの「意識の流れ」風の主観的な叙述に照応しているようである。 撮影は「偉大なるアンバーソン家の人々」のスタンリー・コルテスで、アメリカの白黒映画では最高レベルの映像美を誇る名作である。クーパー夫人とハリーの最後の対決をドイツ表現主義的な光と影の美で描ききっている。クーパー夫人を演じたのはアメリカ映画のヒストリーそのもののリリアン・ギッシュ、ギッシュが子どもたちを守るためにライフルを持って、殺人鬼のミッチャムと対決する...んだが、最大の見せ場はそれに先立つ、庭に佇むミッチャムが歌う賛美歌が聞こえてくる(実にイイ声)のに、ライフルを抱えて椅子に座ったギッシュが唱和するシーンである。これはちゃんと原作にもある。 だが、それははっきりと聞こえた。空耳ではなかった。伝道師は賛美歌を歌っている。「永遠の御手にすがれ」自分自身、神の力を必要としていたせいもあるし、あの男の声をかき消すこともできるので、レイチェルもなじみのある歌詞を口ずさみはじめた 映画だと、ミッチャムは「Leaning, leaning...」と麻薬的な美声で歌うのに対して、ギッシュはその間に「Leaning on Jesus」と「イエスにすがれ」と明確にしている違いがあるのが、信仰と異端、正と邪のせめぎあいのようでもあるし、信仰と異端の紙一重の違いでもあるかのようである...魂が震撼されるような形而上的名シーンである。 わざとヘンな言い方をするが、本書は映画に忠実である。一読の価値はあるし、アメリカン・リアリズムと福音主義の危うい関係など面白い論点はいろいろある...しかし、それでも映画が強烈すぎる。原作の採点はそのワリを食ったかなあ。 北側の牧草地の先の茂みで、月から梟が静かに下りてきたかと思うと、野兎が断末魔の声を上げた。それを聞いてレイチェルは思った。小さいものが生きていくのはたいへんだわ。兎も赤ん坊も多難ね。本当に生きていくのが難しい残酷な世の中だもの。 ...これをちゃんと絵にしてる。異常な映画である。 |