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[ クライム/倒叙 ] アメリカの悲劇 別邦題『陽のあたる場所―アメリカの悲劇』 |
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セオドア・ドライサー | 出版月: 1950年01月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 1件 |
画像がありません。 早川書房 1950年01月 |
画像がありません。 早川書房 1954年01月 |
新潮社 1960年01月 |
角川書店 1963年01月 |
集英社 1970年01月 |
集英社 1978年12月 |
No.1 | 7点 | クリスティ再読 | 2019/09/16 21:20 |
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二十世紀の有名な人殺しの小説、というと後半の「異邦人」はもうやったが、二十世紀前半代表はコレでしょう。本サイトで取り上げても問題ないと思うんだよ。考えてみりゃ、ヴァン・ダインというかW.H.ライトの文学グループのトップ作家だし、アメリカン・リアリズムという点じゃハードボイルドを用意したようなものだ。しかも「郵便配達は二度ベルを鳴らす」だって本作のリライトみたいな気もしてくるし...と「死の接吻」を引き合いに出さなくてもアメリカのミステリにいろいろと縁の深い作品なことは間違いない。
ま、実際主人公クライド・グリフィスの生い立ちと最初のホテルのベルボーイ稼業を扱った第一部はともかく、伯父のワイシャツカラー工場に勤めて女工ロバータとイイ仲になるけど、土地の令嬢ソンドラに気に入られてオモチャにされて...でロバータを殺すことになる第二部、その裁判から死刑に至る第三部はなかなかミステリ的な興味は大きい。しかもね、クライドは悪人というよりも優柔不断というか、野心と性欲が強いくせに、問題先送りタイプで、にっちもさっちも行かなくなって、グダグダな計画でロバータを殺そうとする。で、実際いろいろと足跡を晦ます工作をしながらも、いざロバータを殺そうとすると、何か気の毒になってついついためらってるうちに、事故みたいな恰好でロバータは溺れ死ぬ。しかし、クライドが策を弄したたために、今さら「殺してない」とはとってもじゃないけど主張できない....というはなはだ喜劇的な状況に陥る。裁判で無罪を主張しても、貧乏な女工から令嬢に乗り換えようと、女を殺す冷酷無残なプレイボーイ、というパブリック・イメージにハマってしまって、市民の憎悪の的になるだけ。社長と血縁があるだけで、タダの貧乏説教師の子だから貧乏から這い上がりたい、と思っているだけなんだけど、美男のせいもあって、色悪扱いされてしまう。 というわけで、「アメリカの悲劇」というタイトル自体が、狙って付けたようなアイロニカルなタイトルになっている。主要人物すべての心理をこれでもか、というくらいに細かく追って、重厚というかクドいというか、喜劇的なタッチはまったくないのだが、それでも鳥瞰すると喜劇でしかない、というのが実のところ一番「悲劇」的なポイントなのかもしれない。まあ、作者も結構主人公に批判的に突き放して描写しているしね。だから、死刑になるまでクライドは、自分がロバータを殺したかどうか半信半疑だし、母の愛に触れて獄中で悔い改めたことになってても、今一つ他人事みたいである。要するに未練がましく、したいことが徹底しない情けない男なのである。映画化の「陽のあたる場所」じゃ二枚目モンゴメリー・クリフトだったけど、カッコ悪さが本質だし、卑小なあがきがナサケなければナサケないほど、喜劇であり同時に悲劇になる。とすると「青春の蹉跌」のショーケンが一番「クライドの息子」らしさがあったのかもなあ。「えんやっとっと」だもんね。 あと文章なんだが、心理描写が丁寧というか、会話をしている二人の会話と同時にその内心を描写するするような、「作者は何でも知っている」スタイル。とにかもかくにも、何でもかんでも作者が説明したくて仕方がないような、とてつもなくクダクダしい文章である。ある意味、凄いのだが、ヘミングウェイやハメットの簡潔なハードボイルドスタイルが、ドライサーへの批判じゃないか、と勘ぐりたくなるような代物。 |