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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1313件 |
No.573 | 7点 | 二都物語- チャールズ・ディケンズ | 2019/09/08 21:22 |
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本サイトでディケンズというと、「バーナビー・ラッジ」か「エドウィン・ドルードの謎」ということになるようなんだが、昔は殺人事件があってトリックがないと「ミステリ」じゃなかったからそういうことになったんだろう。今さらそこまで狭く考える必要もないので、本作だったらフランス革命を背景としたスリリングなロマン、ということで広い意味での「ミステリ」でいいんだと思う。本作をフォローした「紅はこべ」もやったしね、いいじゃないか。
結構長めの小説なんだが、前半は断片的にキャラが交錯しあうような展開なので、今一つ「狙い」が解りづらい面もある。が実はこれ緻密に伏線を引いているんで、これを我慢しておくと後半に一気に伏線解消していくカタルシスを味わえる。まあ、そうでなくても、さすがディケンズというか、なかなかアジのあるキャラが多くて面白い。いかにもイギリス人らしい銀行家ローリー氏がいいなあ。銀行と一体化したような独身中年男なんだが、この人にはドラマがなくて生野暮なのが、激動のドラマの中の重心みたいなものだ。 「ダーニイ君、友人になりたいんだが」とカートンが言った。「もう友人じゃないですか」「君は、この前に挨拶したときにそう言ってくれたがね、僕の言うのは、そういう挨拶じゃなく、ほんとの意味の友だちに」 とカートン&ダーニイの友情シーンも、こういう水臭いばかりの人みしり振りが、いかにものイギリス紳士ぽくて、いいな。こういう迂遠さというか、殻をかぶったペルソナ感というか、他人という「分からないものを分かろうとする」研究心みたいなものから、「小説」というジャンルが育ってきたんだなあ、と思わせる。 でまあ、後半はフランス革命下のパリで、ギロチン最盛期で追い詰められていく一家の逃げ道は?とスリルとサスペンスで一気に読ますわけである。しかも怒涛の伏線回収まであるから、後半は本当にお楽しみ。 |
No.572 | 5点 | 赤い拇指紋- R・オースティン・フリーマン | 2019/09/04 13:38 |
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ソーンダイク博士デビュー作である。ワトソン(ジャービス)との出会いなど、ホームズ譚を真面目になぞっている。けど読み心地は「科学啓蒙読み物」といったもの。そもそもの狙いがフランシス・ゴールトンの指紋の研究を捜査当局が取り入れたのはいいけども、それを絶対視しすぎることへの警鐘、という動機で書かれた作品だ。だから「社会派ミステリ」なんだよ(苦笑)。
キャラの数も少ないし、ミスディレクション皆無でミステリとしてはきわめて地味。小説としては...どうもねえ、ソーンダイク博士以外の人々が軒並み愚かすぎるとしか思えない。とくに女性キャラはヒロインさえ動揺しやすいし、ホーンビイ夫人に至っては....で、「女性に失礼」レベル。「昔の科学者のミソジニー傾向」と批判されても仕方ないんじゃないかなあ。 いい部分はというと、 運のいい当て推量は、あまり結果のぱっとしない、まともな推量よりも、往々にして信用を博するものだよ ....まあこれに尽きる。地味で冷静。回りくどいくらい。だったら最後の検証を二重盲検にしたらより「実験」っぽい。 ミステリというよりも、啓蒙パンフレットの部類だと思う。昔子供向けの本で読んだ記憶があるけど、挿絵がカッコよかった印象がある。「名探偵ソーンダイク赤い指紋」(ポプラ社)だなあ。児童向けにしてはチョイスが渋すぎ。 (がんばったら評者でもメイントリックを再現できる?とも思うけど、中盤の闇討ち道具を自作するのは素人はムリだよ....技術力、要るもん。あと余談。ソーンダイク博士っていうと評者はオペラント条件付けだ。完璧に同時代人。ゴールトンと併せて心理学史の授業を思い出す) |
No.571 | 8点 | 鳥獣戯話- 花田清輝 | 2019/09/02 11:29 |
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山田風太郎「室町お伽草子」の面白ネタを提供した作品が本作なんだが、山風以上に強烈に面白い「小説」である....とは言ってもね、花田清輝、である。「小説」と名乗ってはいるが、「〇〇は言った。」とかそういう描写はゼロな、エッセイに近い読み心地のもので、司馬遼太郎のウンチク部分だけが続くようなものだと思えばいい。それでも虚構と史実をないまぜに、というか、史実・でっち上げ文献による虚構・戦国時代の庶民が夢見た「幻想」・花田の戦後社会批判の間を自在に飛び回る「超・小説」と言っていいような「歴史小説」である。
しかもね、「意地悪ジイサン」花田だ。山風が採用したゲームマスター無人斎道有(武田信虎)といえば、ナミの歴史小説だと信玄の引き立て役くらいの悪役なんだが、本作では戦国武将なんぞ自分からドロップアウトした、「乱世を生きるもう一つの修羅」、将軍義昭のバックの辛辣な口舌の徒として、上洛した織田信長と機知の戦いを演じた、信長包囲網の影の立役者として描くのである。 ところが、とくに戦国時代をあつかう段になると、わたしには、歴史家ばかりではなく、作家まで、時代をみる眼が、不意に武士的になってしまう気がするのであるが、まちがっているであろうか。 と、司馬遼太郎の戦国ものがイマドキ親父のコスプレ芝居にしか見えない評者の、マイナーなニーズに存分に応えてくれる。しかも、本作の軸になるのは「鳥獣戯話」というタイトルからしてその通りの、猿・狐・ミミズクといった動物たちなのだ。 父親(信虎)の猿中心のものの見かたを、不肖の息子(信玄)はあくまでも人間中心のそれに置き換えようとするのである。たとえば信玄が、城らしい城をつくらなかった理由を説明するさいに、しばしば、引用される「人は城人は石垣人は堀、なさけは味方あだは敵なり」というかれの和歌にしても、あるいは信虎の「猿は城猿は石垣猿は堀、なさけは仇あだは生き甲斐」というような和歌からきているのかもしれないとわたしは思う。なぜなら、あらためてくりかえすまでもなく、猿のむれの戦略・戦術にもとづいて豪族たちの反抗に終止符をうち、それ以来、甲斐の国に城らしい城をつくるのを禁じた最初の人物は、息子のほうではなくて、父親のほうだったからだ。 猿になり狐になりミミズクにと多彩な変身を遂げて、人の小賢しい知恵をあざ笑う無人斎(それはヒトデナシ、という意味だ)の肖像に評者なんぞ強烈にイカれたものだった....「歴史小説」や「歴史ドラマ」がシタリ顔でお説教して、心の「ケモノ」を調教しようとするのを強引にひっくり返す力業が最高。そうしてみると、「日本史の通説をひっくり返す」過激な歴史ミステリかもしれないか(苦笑)。 評者は高校生の頃に「復興期の精神」を読んで以来、花田清輝を自分の師匠と思っている。評者に与えた影響、というのならもちろん10点。しかし本サイトのニーズからは外れているので、8点にしておこう。 (実は花田清輝、ミステリ論もしているし、時評の中で触れていることも多い...「時の娘」評も書いてるよ。そうだね、そのうちやろうか) |
No.570 | 5点 | 室町お伽草紙- 山田風太郎 | 2019/09/02 09:24 |
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山風でも晩年の明朗戦国絵巻、という雰囲気の作品。副題が「青春!信長・謙信・信玄卍ともえ」になっているくらいのもので、主要なシテは誰でも知ってる信長・謙信・信玄。その若き日にお忍びで上洛していて、足利の姫と最新鋭の鉄砲300丁を巡ってオールスター卍ともえ、な戦国秘史なんだが...本作の敵役というか、この卍ともえのゲームマスターに無人斎道有を持ってくるのが本作のポイントでもあり、一番の良からず、の点でもあるように思う。
無人斎道有、ご存知かな?前名の方がたぶん有名だ。武田信虎、信玄の父で武田家隆盛の基を築いたのだが、信玄のクーデーターにひっかかって国を追われ...という数奇な運命をたどった(元)武将である。本作では描かれないが、後に将軍義昭のお伽衆として仕え、義昭を奉じて上洛した信長と角逐を繰り返すことになる....のだが、こっちの話の方が実は本作よりもずっと面白く、しかも本作がその「ネタ本」に強く負い過ぎているのが、評者の最大の減点理由である。そのネタ本は花田清輝の「鳥獣戯話」である。 本作の悪のヒロイン玉藻も、「鳥獣戯話」の道有がお伽草紙の「たまものまえ」を批判して「狐ほど、人間に対して誠実で、親切で、率直で...」と評価した話から来ているし、前半の狂言回し関白法師九条稙通の飯綱使いの話もここにあって、およそ本作のベースになるネタで面白い部分が全部「鳥獣戯話」にある。でしかも「鳥獣戯話」の面白さに及ばないと評者は思うんだ。ラスボス的な南蛮商人カルモナも、同じ名前だが別キャラとして「鳥獣戯話」に登場するしね。というわけで、別に剽窃とかいう気はまったくないが、「鳥獣戯話」の強烈な面白さにはずいぶんと霞む。まあ山風らしいパロディックでゲーム的な小説として読めばいい。戦国名シーンをいろいろ予行演習してくれるしね。けど随分味付けがライトだなあ。 というわけで、「鳥獣戯話」反則かもしれないけど、やります。 |
No.569 | 4点 | 牢獄の花嫁- 吉川英治 | 2019/09/02 08:47 |
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昔イベントで阪東妻三郎主演の映画を見たんだが、フィルム状態劣悪のプリントで、しかも妙な編集が入ってる版だから、ホントにワケがわからなかった。リベンジに原作を購入。もちろん本作、ボアゴベ~涙香~本作 という「晩年のルコック」の伝言ゲームの末端みたいな作品である。同様な乱歩名義の「死美人」も昔読んだことがあるんだが、これ乱歩の実作じゃなくて代作物、ということで乱歩全集とか収録されない。吉川英治というのが本サイトでは珍品ということでよかろう。
というかねえ、ロジャー・L・サイモンの「誓いの渚」を読んで、親が子の容疑をはらすべく奔走する作品、って意外にないね、と思って本作を取り上げた。もちろんワインみたいに親子関係がややこしいわけではなくて、時代小説らしく情愛の理想化がなされている。まあ吉川英治だから感情表現が暑苦しくて梶原一騎みたいだ(梶原一騎が模倣したんだが)。ミステリとしては秘密がほぼ破綻していて、あまり見るところがない。冒険ものとしてもご都合が目に付く。 昭和初期の時代小説でも、「ゼンタ城の虜」を翻案した「桃太郎侍」とか、安楽椅子探偵をやってのける「若さま」とか、結構うまく海外エッセンスを消化した作品もあるんだけどね。本作は吉川英治の通俗性が前に出過ぎていると思う。ちなみに阪妻の映画は目を剥いて見得を切る町医者みたいな塙江漢(ルコック)しか憶えてない。まあそういう作品。 |
No.568 | 6点 | 誓いの渚- ロジャー・L・サイモン | 2019/09/02 08:29 |
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「渚の誓い」じゃなくて「誓いの渚」である。未訳(Director's Cut, 2003)がまだ1冊ワイン物にはあるんだが、頑張れジロリンタン!と祈るばかりだ。まあ、作者のサイモンも、小説家というよりも政治評論家みたいになってるようで、このネオハードボイルドでも異彩を放ったシリーズはフェードアウトしちゃうんだろうな....
で、本作だとヒッピーにして左翼過激派だったワインも、経営者に成り下がっている。そこそこ成功して人も雇っている探偵社を経営しているのだが、相変わらず恋人をとっかえひっかえ。シリーズ最初ではワインがオムツを変えていた子供たち、長男ジェイコブは作家修行中だが、ゲイなのをカミングアウト。で、問題の次男サイモンは、前の作品だとグラフィティに凝って警察沙汰も起こすという、この親にして...という育ち方をしているのだが、本作だと環境テロ・グループのリーダーとして、森林事故をわざと引き起こした容疑で指名手配、でワインがいきなり刑事の訪問を受けるところから始まる。ワインの元妻で弁護士として活躍中のスザンヌも合流して、サイモンの容疑をはらすべく奮闘する...という話。 「ヒッピーからヤッピー」を体現したこのワインなんだけど、子供の世代から見るとねえ、ロスマクとは大違いでややこしいんだ。 親父たちはすべてのことを先にした...セックス、ドラッグ、ロックンロール、政治。何でも知ってると思ってる。でも、いつも知っているわけじゃない。(略)「自分のやりたいことをやれ」と言ってきた親父がどうなったか見てみろよ。(略)通りにはホームレス、議会にはギングリッジ。親父たちは失敗したんだよ。それにお袋のほうはもっとひどいよ...ニュー・エイジの流行とか、導師とか、心霊術なんかで人生の半分をほとんど無駄に過ごした。 とワケ知り顔の親たちに痛烈な批判をぶちかますわけだ。この批判、当たってるからどうしようもないや。でしかも、ちょいとした哲学問題にワインは頭を悩ます。ワインの世代は「反抗の世代」なのだが、その「ワインの世代に反抗する」、子供たちの「反抗への反抗」とは一体何なのか?という話だ。それが環境保護とかさらに過激な政治性なくらいだったらまだマシで、「反抗への反抗」が警察への協力や密告だったら目も当てられない.....サイモンの家のカレンダーに貼ってあった電話番号がFBI捜査官のものなのを見つけたワインは、この疑惑で内心オタオタすることになる。 だから本作、シニカルなコメディとして楽しむのがいいわけだよ。もともとワインは「ハードボイルドの道化」みたいなもので、「ハードボイルド」に斜に構えて「男の美学」なんて嘘っぱちだ、というあたりから始まっているわけだが、リアルな政治背景を背負った主人公として20世紀後半を駆け抜けた結果、グダグダな人生を送ったことにしかならないモウゼズ・ワインの肖像というものが、極めて皮肉。まあ、ハードボイルドから遠く離れて、こんなとこまで来ちゃったわけである。 まあそれでも、この親の子は親の子だ。本作の決め台詞は... 「死ぬ真似を誰から習ったんだ?」おれは尋ねた。 「親父からだよ」サイモンが言った。 |
No.567 | 5点 | 悪夢の骨牌- 中井英夫 | 2019/08/29 21:46 |
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創元の全集だと「とらんぷ譚」の2番目に当たる作品である。13の短編が奇妙につながりあって出来上がった連作だ。結構最初は幻想ミステリっぽい始まり方をして、4~6番目は乱歩風のファンタジックな理由なき殺人が描かれる。けども7~9は時間旅行を扱ったSFみたいなもので、最後にはそれが「虚無への供物」のテーマのような「反ー戦後史」に収斂する。目も彩なポエジーは溢れているのだが、全体からみると、テーマがずれていったようなもので、前半の稲垣足穂風のファンタジーから後半の猥雑な現実感に流れて、雰囲気も一貫していない。評者は今一つ、と思う。
ミステリとしてはやはり4~6話で、ヒロインの少女藍沢柚香が、自分を崇拝する青年たちをまったく周囲から疑われることなく、死や発狂に追いやる詩的なピカレスク・ロマンの部分だろう。 死よ/香ぐはしき星よ/汝がまたたきの深みに降り/汝が光の臥処に安らはんを/死よ/それまでは青くあれ と柚香を崇拝する少年が書いた詩を、遺書のように見せかけて殺す話なぞ、ミステリなのか耽美なのかと悩ましい話だったりする(第4話)。同様に どんな未開の蛮族でも、大昔からミイラの乾し首はりっぱに作ってみせるというのに、現代の科学ときたら、なんてまあ役立たずなんでしょう、美しい生首ひとつ作れないなんて! とサロメとヨナカ―ンを夢見て慨嘆する柚香は、美青年を首だけ出した牢獄に幽閉する...(第5話)とダーク・ファンタジーなあたりが、評者は好き。けどここらへんが一番この連作だと浮いてる部分だったりする。 魅力があるだけに、困ったものだ。 |
No.566 | 6点 | 007/カジノ・ロワイヤル- イアン・フレミング | 2019/08/25 15:22 |
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創元の新訳の流れの中で、「カジノ・ロワイヤル」も新訳されてしまった。評者も珍しく新刊新本も買って「カジノ」祭りとシャレこもうか。原作旧訳/新訳、映画1967/2006と総まくりである。
まずは新訳。結構直訳風で日本語がこなれてない。まあ井上一夫の旧訳だと、007のウリであるスノッブなグッズが翻訳時点で馴染みがないこともあって、今読むとトンチンカンな紹介になってることも多くて(苦笑)しながら読んでたこともあるが...まあそういうあたりは当然直る。しかしね、比較して読むと旧訳がいかに「読み物としてマトモに楽しめるものを」と工夫しているのがよくわかるよ。 ルーレットのひとまわり、カードのひとくばりごとに、一パーセントというささやかなお宝を積み上げていく。数字に目のない太った猫のような鼓動だ。 → ルーレットがまわるたび、カードがめくられるたびにカジノにもたらされる一パーセントの金というささやかな財宝の累計を計算している音だ。心臓があるべき場所にゼロしかないのに脈を搏ちつづける肥えた猫—それがカジノだ。 フレミングは教養あるから、凝って捻った言い回しのキメ台詞を決めるわけだが、そのヒネりぐあいにヒネられて、文脈があっちの方向に行方不明な訳みたいだ。旧訳にはまったく及ばないようである。 小説自体はまだ007のキャラが確立していない部分があるんだけども、スノッブなヨーロッパの上流のお楽しみ描写、ボンドのギャンブル哲学もちゃんと「らしく」あって、また文体はホントに完成している。額を撃たれて... つかのま三つの目すべてが部屋の反対側を見つめているようだった。つづいて顔全体が、一気に片膝のほうへ滑り落ちていくように見えた。最初からある左右の目がぐるりとまわって天井のほうをむく。重い頭部が横へ倒れていき、さらに右肩が、最後には上半身全体が椅子の肘掛けから外側に倒れこんだ。まるで椅子の横に反吐をぶちまけようとしているようだった。 スローモーション、とはこのことだね。凄いな。ここは直訳な新訳がいいあたり。フレミングはスノッブで洒落ているだけじゃなくて、この尖った映像的なセンスの良さがあるから、昔からチャンドラーも褒めれば、タダのスリラー作家じゃない「インテリ御用達」娯楽作家だったわけである。 あとね、実のところこのル・シッフルをバカラでハメる作戦はフィージビリティがある。有名な話だが、純粋なギャンブルであるバカラならではの「必勝法」があるのだ。この007の作戦はいわゆる「倍プッシュ必勝法(マーチンゲール法)」で、資金が無限に続き、勝っているところで一方的に勝負を終わらせられるなら、確実に勝てるんである。国家がバックに付いたスパイ小説だから、アリなのである。これが小説のキモのアイデアなのだ。 そうしてみると2006年の映画で、運頼みのバカラじゃなくて、競技性が強いポーカーに変更になったのは、作品の軸を崩す改悪だと思うんだ。バカラは純粋なギャンブルで競技性がないからこそ、カジノで他のゲームと違う大金が動くんだと思うんだよ。腕がモノ言うポーカーだったら、「名人」のガチ勝負に対抗しようとするカモなんているもんか。まあ2006年の映画はキマジメで、原作と昔の映画が持っていたスノッブでキッチュな遊び心が全然なくなっているんだね。イマドキはこういうの、ハヤらないのかねえ。007ってマジメじゃあなくて、遊びに魅力があるものなんだけども、この「アソび」の余裕が今はなくなってるのかしらん。 逆に1967年の映画は「アソび」がすべてである。素晴らしい!!遊びのセンスとキッチュな想像力、細部のおシャレさ加減、スター出まくりの無意味なゴージャス感など、ホントに見どころの連続の名作である。映画って話のツジツマがどうこう、なもんであるもんか。確かにパロディだが、原作のスノッブさ・キッチュさ・遊び心はちゃんと再現している。お金かかりまくりでB級どころか豪奢な大作だし、昔は地上波TVでフツーに日曜夕方にでも流れてた作品で誰でも知ってて「カルト」じゃないし...と、かつての日常には浮世離れの「ちょっとした贅沢」が溢れてたんだけど、今はこういうの許されないんだろうかね。 スノッブでゴージャスな007は、21世紀は暮らしにくいとは残念なことだ。 |
No.565 | 7点 | 一人だけの軍隊- デイヴィッド・マレル | 2019/08/23 21:42 |
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原作は初読だが、映画は何か懐かしい。1982/3年の年末・お正月番組で大本命「E.T.」のライバルに配給の東宝東和が祭り上げたんだった。もちろん興収は「E.T.」に敵うわけなくても善戦し、そこらも単身で軍隊に挑むランボーらしさみたいなものがあったなあ。
で原作は映画とは結構別物。ランボーはベトナム従軍で「壊れた」男で、ケンタッキーの田舎町で不当な扱いを受けたことで「スイッチ」が入ってしまい、田舎町の警察と州兵を敵に回すことになる。最初から破滅上等で、殺る気マンマン。このランボーの殺気にアテられて、朝鮮戦争に従軍した警察署長ティーズルも「スイッチ」が入ってしまって、本気の殺し合いになる...結果、田舎町がほぼ壊滅。闘争本能ムキ出しで地獄に落ちる、それこそ「Hellsing」があたりに近い話だ。 だから映画でのスタローンの本意じゃなくて、身に降りかかる火の粉を払うために闘争に巻き込まれていくみたいな、甘ったるいことはない。ベトナム後遺症で自ら望んで地獄に飛び込む話で、巻き添えを喰らう周囲は大迷惑にも程がある。まあもともと、映画だって「ディア・ハンター」とか「帰郷」とか「地獄の黙示録」みたいな70年代の「悪夢なベトナム」の一連のテーマに沿ったベトナム後遺症ネタ娯楽作品、というかたちで元々は紹介されていたわけで、映画でも「投降しない」バージョンが撮影されたそうだしね(映像特典に付いてくるらしい)。 映画シリーズはタダのウヨクなヒーロー物にどんどんなっていくが、理屈のつかない原作の理不尽さはまさに地獄絵図。ランボーもティーズルも馬鹿馬鹿しいくらいに悲惨な戦いを止めない(止めようともしない)のが、いい。原作の方がずっと優れている。 |
No.564 | 7点 | ミニ・ミステリ傑作選- アンソロジー(海外編集者) | 2019/08/22 09:13 |
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大昔に読んだなりだったクイーン編のショートショート集。いや、結構オチを覚えているものだね。アイデア・ストーリーが鋭く純粋化されたようなものだから、頭のどこかにきっと死ぬまで突き刺さっているんだろう。
だから、展開で読ませるタイプは意外に忘れるものだし、決め台詞があるものはよく覚えていたりする。そうしてみると評者だと、前半の型にはまらない「ミニ犯罪小説」の方がよく憶えていて、ミステリ専業作家がレギュラー探偵を起用したものが多い「ミニ探偵」の方が忘れやすい傾向があるように思う...でベストは落語みたいなオチの「馬をのみこんだ男」(クレイグ・ライス)ばかばかしさが本当に、いい。 評者好みは「カードの対決」(コステイン)これは決め台詞タイプ。「演説」(ダンセイニ)皮肉なアイデアストーリー。「月の光」(ハイデンフェルト)手がかりになる言葉が忘れられない。「子守歌」(チェホフ)これは描写のコッテリ感。「ある老人の死」(ミラー)人情。「殺人のメニュー」(ドンネルJr)小粋。というあたりかな。 本としてはナイス編集。収録作が多い分、多彩な面白さを味わえるし、切れ味の良い作品が多いので、個々が埋没しない。おすすめ。 |
No.563 | 8点 | 二十世紀鉄仮面- 小栗虫太郎 | 2019/08/17 11:42 |
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昔の作家の場合、短編集が何種類も出てて表題作が同じでも収録作はバラバラ、なんてことがよくあるんだけど、評者の感覚だと虫太郎の基準となるのは桃源社の全作品9巻である。桃源社だと「二十世紀鉄仮面」は黒死館と「国なき人々」以外の全法水物を収録した巻として親しまれていたのだが...河出文庫で「法水麟太郎全短篇」でまとまって、これは「国なき人々」も含んでる(鉄仮面はない)。どっちでやるか?とは悩ましいんだけど、評者が読んだのは桃源社の廉価版なので「二十世紀鉄仮面」でさせてもらうことにする。ただし評者は長編「二十世紀鉄仮面」の評は「青い鷺」でやっているので、そちらを参照されたい。全短編個別に書きたいから、最初からそういうつもりだった。お許しください。
「後光殺人事件」は「招かれた精霊の去る日に、新しい精霊が何故去ったか―」と七月十六日朝に、寺院の住職が技芸天女を祀る堂宇で恍惚とした表情を浮かべた他殺体として見つかった...変態心理が中心だけど、それでも一応普通の本格探偵小説風に読める作品。まだ小手調べ、といったところが相応。新暦のお盆の話なので、タイムリー、でしょ。 「聖アレキセイ寺院の惨劇」白系ロシア人亡命者の老人が、ギリシャ正教様式の寺院で殺害されているのが見つかった...虫太郎に限らず戦前の日本のミステリだと機械仕掛けに凝りすぎてリアリティのない作品が結構見受けられるけど、実のところこれは、二十世紀前半らしい「機械を巡るファンタジー」と見たいと思うんだ。本作とか「夢殿」はそういう「殺人機械」の空想(暗黒面のSF)とそれにまとわりつく宗教が頽落した妄念(裏返しの進歩主義か?)の一大絵巻くらいで捉えると、その美質を過たずに捉えられると思う。そういう意味で虫太郎の完成形の一つ。 「夢殿殺人事件」これも「アレキセイ」同様に、豪華絢爛の殺人機械の話だが、密教の儀軌を小道具にして、活人画ならぬ「殺人画」を徹底的に描いて成功している。「吸血菩薩」というイメージを作り上げたことが超絶である。法水短編のベストである。 「失楽園殺人事件」前二作の応用編みたいなものだけど、明らかに「軽く」書いている。ただしグロはそれ以上。黒死館の目途が立って安心したのか、やや手の内を見せているのが興味深い。「以毒制毒の法則が使えるからです。謎を以って謎を制す」とか、「...の命を絶ったものは、実に、この一つの比喩にすぎなかったのですよ」という真相など、作家の舞台裏を窺わせることを言っている。虫太郎の魔力とは「比喩の魔力」だからね。比喩によって、稲妻に撃たれたかのように新しい関連が生まれてくること、たかが比喩に人生が懸ってしまうこと、観念のために生を棒に振って悔いないこと、虫太郎の毒気に当てられるのこういう瞬間だ。 「オフェリア殺し」からは推理機械法水にキャラを盛ってくるようになる。法水がシェイクスピア俳優になって、ハムレットのパロディを演じる。同様に「人魚謎お岩殺し」はグラン・ギニョルの日本版みたいな殺人芝居の一座で起きた四谷怪談ネタの殺人。両作ともモチーフがかなり共通する(舞台上の水路で死体が見つかるとかね)し、たぶん出来が気に入らなかったんじゃないかなあ。 「潜航艇「鷹の城」」は中編規模で、短編では一番長い。長編「二十世紀鉄仮面」のプロトタイプみたいなもの。オーストリア海軍の原始的な潜水艦(なので潜航艇)から消失した艦長の謎から始まり、新たに遊覧船に改装された潜航艇のお披露目の中で、この艦と事件に因縁のある四人の盲人たちの只中で起きた殺人を法水が解決する。本作のモチーフはヴァーグナー(「指輪」と「オランダ人」)とその元ネタのニーベルンゲン譚詩で、ペダントリはそう難しくない...けど本作だと素材がそのまま投げ出された様相で、狙いはわかるけどとっちらかったまま。推測だけど「ゼンタの殺人」にしたかったんでは。 というわけで法水短編は「アレキセイ」「夢殿」が頂点。活人画ならぬ「殺人画」の凄惨美と「殺人機械の夢」、オカルティズムを一つの比喩として運命として捉える自己投企、と虫太郎以外誰も描き得ない極彩色の世界である。評者に言わせれば、笠井潔も京極夏彦も「アレキセイ」「夢殿」の短編にさえ全然及ばない。 |
No.562 | 8点 | 男の首- ジョルジュ・シムノン | 2019/08/15 14:50 |
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評者もシムノン手持ち札がさすがにそろそろ尽きてきた。なので大定番のこれを投入。言うまでもなくメグレ物としては特殊作品である。もともと戦前に本作の映画化「モンパルナスの夜」が日本でもヒットして、シメノン人気が燃え上がったことから、何となく代表作化しているだけのことである。しかしね、本作はメグレ以上にジャン・ラデックのキャラクターが極めて印象的なことで、特殊作品だけどシムノンの傑作の1つにはちがいない。
(ネタばれ... けど推理に重点が全くない作品だからお許しを) 考えてみればウルタン犯人に納得しなかったメグレが、わざわざ職を賭けて脱獄させたことで、一旦は完全犯罪を達成したラデックに「もう一度、世の中をひっかきまわしてみたい」という自己顕示欲を刺激しちゃったわけだから、何とまあ罪作りなことなんだろうね。しかも「罪と罰」みたいな良心とか道徳とか愛じゃなくて、自己顕示欲の延長線での「捕まりたい」欲望を抑えれなくなったラデックが、自分の「カッコいい破滅」を求めてメグレをわざわざ挑発する....生き急ぎ死に急ぐ、神に挑むようなロマン派的なキャラクターに、評者とか学生の頃は結構イカれたもんだったんだがね。今思うとさすがに青臭いなあとも顧みるんだが、シムノンもこれを書いたのは28の歳。やはりシムノンの青春の決算という色調が強いんだろう。 ただし本作の持っている「青春の毒」は後の作品でも、繰り返し現れるので、そのバリエーションを愉しむのもいいだろう。同じネタでもシムノンの成熟によって、多彩な切り口が現れてくる。「雪は汚れていた」とか「第一号水門」を併読すると味わい深いと思う。 (中盤の「キャビアを好む男」あたりのカフェ・クーポールのシーンは、本当に凄い。映画で演出してみたいくらいだ...) |
No.561 | 7点 | フランチャイズ事件- ジョセフィン・テイ | 2019/08/15 09:32 |
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欧米のオールタイムベストによく入る作品なんだけど、日本での人気は「時の娘」と比較しても今一つ。たぶん本作、流し読みしただけだと掴みどころがないじゃないかな。「時の娘」もそうだけど、実にキャラ描写が的確で、ユーモアも十分、「いい小説読んだな」と思わせる小説読みに愛されるタイプの作品なのは、間違いない。
イギリスの郊外の田舎町で開業する弁護士ロバートは、町はずれの古びた邸に住むシャープ母娘から、事件に巻き込まれたので相談に乗ってほしいという依頼を受ける。この母娘は人づきあいの悪い変人と周囲から思われていた....この家に15歳の少女が1か月の間監禁されていたと告発されたのだ。少女の証言は詳細で、警察も取り上げないわけにはいかない。赤新聞がこの事件を嗅ぎつけて報道したことから、「魔女」のように思われていたシャープ母娘は、町の人々からの嫌がらせを受けるようになる。しかし、ロバートはシャープ母娘との付き合いが深くなるにつれ、どうしても少女の告発が信じられないものになってくる。ロバートは少女の告発の事実を崩すべく、調査に真剣に乗り出す。 はい、これ解説の乱歩は気がつかなかったみたいだが、有名な歴史上の事件の「消えたエリザベス」の設定を現在に持ってきたものだからね。なので本作も「時の娘」同様に「歴史ミステリ」である。まあ本作はフィクションなので、調査は難航しても最後には証人もちゃんと見つかって大団円、なんだが、ミステリとしては謎解きというよりも、やや偏屈で人づきあいが苦手なシャープ母娘、極端な体裁屋で「あまり善良すぎて却て信用出来ない。十五の娘なんてあんなに善良な筈はない」と評される被害者の少女、シャープ母娘のメイドだったけども盗みでクビになって、仕返しに「屋根裏での少女の叫び声を聞いた」と証言する少女、などとくに女性キャラの描写が深くて、これが読みどころ。ここらへんクリスティに近い味わいがある。主人公のロバートも田舎の事務弁護士の日常の繰り返しから、目覚めて立ち上がるさまなど、ロマンス小説風に読んでもいいんじゃないかな。「魔女狩り」風の嫌がらせに対して、ロバートの周囲の人々(これもキャラがしっかり)がロバートとシャープ母娘をがっちり支えるのが、なかなか感動的。 事件も監禁傷害と地味、手がかりや証人も徐々に見つかっていくだけ、といわゆる「本格」を期待したら全然ダメな作品だけど、リアルで小説的充実感バッチリなエンタメを読みたいなら、どうぞ。 (けどねえ、翻訳はサイテーの部類。こんなんでも改訳せずにポケミスを再版するんだなあ、とちょっと呆れる) |
No.560 | 8点 | 夏への扉- ロバート・A・ハインライン | 2019/08/14 19:05 |
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本サイトで大人気のSF、というと「星を継ぐもの」はまあ例外、そもそもSFミステリな「鋼鉄都市」、で本作はというと... 何というのかな、とっても日本人好みなほっこりした語り口で安定の人気を誇っている。評者とかは他人事ながらほっとする。
「ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を捨てない」と、クラシックSFらしい甘やかなポジティブさが漂う。こんな情緒性が日本人に、ウケるんだよなあ。プロットにスケール感はないけども、タイムトラベルものなので、入れ子になったかたちで込み入っているのが、ややミステリっぽいと思ってもいいだろう。で猫と少女とハッピーエンド(苦笑)。あまり評者が茶々入れるのも何である。最初の強制コールドスリープのときに猫を置いてきぼりな件が、うまく解決されるのが情緒的にもナイスなあたりだしね。 作中現在(1970年)も作中未来(2000年)も軽く超えちゃった今読んで、50年代の作中に予見されたガジェットが、今現在結構それらしく実現しているのもちょいとした読みどころだ。文化女中器はルンバっぽいし、製図機ダンはCADソフトみたいなものだし、トーゼン記憶チューブは半導体メモリみたいだし...けどコールドスリープが実現している反面、音声認識がやたらと難しいものとして扱われているあたりに、技術の進歩に対する認識のムラみたいなものが期せずして現れてくるあたりも、妙に面白い。ここらは作者の意図しない読み方になるんだろけどね... |
No.559 | 9点 | 山猫の夏- 船戸与一 | 2019/08/14 09:15 |
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夏だ!舞台では11月だけど、夏である。ブラジルだからね。
80年代というと、日本でも冒険小説が流行った時代なんだが、評者の好みじゃ本作が頂点。ブラジル北東部の片田舎を舞台の「血の収穫」ベースの一大バイオレンス絵巻である。 ビースフェルテルト、アンドラーデの二名家が抗争を繰り返す町、エクルウ。この町で小さな酒場を営む「おれ」のもとに、「山猫」が現れた。山猫はおれを強引に助手にして、山猫の仕事に連れまわすことになる。「山猫」は日系人の弓削一徳、皇道派将校を父に持ち、都市ゲリラに身を投じたのち、一転して裏社会で悪名を馳せるようになった「プロ」である。「おれ」は日本から脛に傷をもって逃れてきた元過激派だった。周囲にわからないように日本語で会話できるのを見込んでの採用である。手始めはビースフェルテルトの令嬢が、アンドラーデの若様と手をとって駆け落ちしたのを追跡する仕事だった。荒涼とした砂漠での追跡、カンガセイロ(山賊)との交戦、バッタの大群との遭遇、そして、山猫とは因縁の敵手であるアラブ人バブーフとのさや当て。さらに山猫は両家の抗争をあおりつつ、この抗争を利用して漁夫の利を得ていた駐屯軍と警察の介入を策謀する。山猫の狙いはこの両家の資産を分捕ることだった!山猫の計略に踊らされて、死体の山が築かれていく.... とまあ、とにかく、熱い。ブラジルの片田舎、で風土風習があまりなじみのない地域なのだが、マカロニ・ウェスタンみたいに感じればいいのだろう。日本人にとって西部劇というものが、なかなか消化しづらいエンタメだったのを、戦前の時代伝奇や剣豪ものなんかで、間接的にアダプトしていたことを思うと、本作は真正面の「日本人によるウェスタン」という画期的なものである。本場の西部劇だといろいろ突っ込まれかもしれないから、ブラジルにもっていったあたりの着眼点がいい。「血の収穫」だって、実質ウェスタンみたいなものだからねえ。 あというと、この世界はグラウベル・ローシャの「アントニオ・ダス・モルテス」に影響を受けているんだと思う。土俗的で時代劇みたいに思っていると、実はこれが「今」の話だ、という奇妙にタイムスリップしたような時代がごちゃまぜになったようなマジック・リアリズム的な感覚は、ブラジルが抱える多種多様な民族と生活のクレオールなリアリティだ、ということにあるんだろうけどね。本作だと「ロメオとジュリエット」風の前半の話と、山猫が財産を分捕るのにヘリコプターで弁護士を呼ぶ今、さらに呼ぶ手段が伝書鳩...など時間軸が奇妙にねじれた面白さがある。 まあエンタメとしては、読者の視点人物になる「おれ」が山猫の影響を受けてハードボイルドに変貌していくのが、常套手段とはいえ、よろしい。その昔やくざ映画を見終わって出てくる観客が、みんな肩怒らせて....って、あれ。 本サイトは冒険小説弱めだけどね、本作とかぜひぜひのおすすめ。暑い夏の読書にいかが。 |
No.558 | 6点 | 皇帝のいない八月- 小林久三 | 2019/08/13 11:28 |
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映画見たんだったな。山本薩夫監督で渡瀬恒彦とか吉永小百合の出てるやつ。70年代の邦画では例外的な、自衛隊のクーデターを取り上げた大がかりなポリティカル・スリラー。山薩だもん(結構ヒイキ)骨太な群像劇に仕上げてあって、一見の価値があるよ。クーデター部隊によるブルートレイン・ジャックにフォーカスされる題材が題材なだけに、映画には自衛隊も国鉄も一切協力なし。セット&ミニチュアで頑張った!原作だとそこまで描いてないけど、映画はホントに誰も幸せにならない辛口エンド。クーデター陰謀を追い続けた三国連太郎の陸将補が口封じにロボトミー受けて廃人化してるのが辛い。
だから映画は原作に結構忠実だけど、かなりいろいろ補完している。原作だと季節も不明で「皇帝のいない八月」の意味は説明されないけど、映画はちゃんと八月に起きるクーデターの作戦名で、映画の中に登場するレコードの曲から取られていた。作曲が佐藤勝の重厚なオケ曲。原作はシンプルにブルートレインさくらに乗り合わせた記者と元恋人、クーデター指導者の三角関係がベースで、それに記者の上司とその友人の大新聞のデスク、裏で鎮圧を指揮する内調室長(映画では高橋悦史)くらいに絞られている。そもそもクーデターという規模の大き過ぎる事件を、列車パニック物に落とし込むのがこの作品のキモのアイデアだから、小説はこれはこれでいいんだろう。映画は客観的だから内閣の動きとか並行して描いた方がずっといい。だから、そうしている。 そんな具合だと映画の方のがどうしても「完全版」みたいなことになるのは仕方がないな。うん、まあ映画を見たまえ。 |
No.557 | 6点 | 姑獲鳥の夏- 京極夏彦 | 2019/08/12 19:59 |
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夏!特集である。けどね、本作看板に偽りあり。事件が終わってやっと夏がくる(苦笑)。
人気作家、ということで少し読んでたんだが、3本目で「狂骨の夢」を読んでバカバカしくなって読むのをやめた。本作はまあ、意欲はあるからね、とりあえず次も読もうか、という気にはなった。改めて再読。本の厚さははっきりダテで、サクサク読める。事件密度が低くて冗長なんだよね。最初の病室訪問までで半分使ってるんだもの。京極堂のご高説は、まあ当たってるのが多いんだが、元ネタもあるなあ。宗教関連の話は理解不足と思う。よく勉強して書きました、感が強くて、それを超える狂気とかはない。奇説珍説に見えて、実のところ衒ってはいるが、穏当な範囲だと思う。 だから京極堂がウンチクるご高説をカッコイイと思うのは、評者はカッコ悪いように感じるな。まあ評者、解離性同一性障害とか大嫌いだしね。それよりも、憑き物落としに出陣する京極堂のファッションの決め具合の方が、ずっとナイスである。薔薇十字探偵もそうだけど、キャラのビジュアル設定にやたらとカッコよさがある。そういう小説だと思う。 で、問題の密室は、フェアとかフェアじゃないとか、って話ではないと思う。この趣向を実現するために、小説1冊を捧げてるわけだから、既存の物差しで合格・落第を判定するような読み方は、つまらないと評者は思うんだ。覇気があって、いいじゃないか。ただ、事件後の真相の解説はくだくだしいし、読者もイヤ~な気分になるような陰々滅々。やりたいんだろうけど、ここはサクッとまとめたら評者は評価のいいあたり。 というわけで、覇気を買うけど、小説としては無意味にクダクダしくて冗長かつ悪趣味。どうも評者嫌いなタイプの本なのを、以前は無理にでも評価して読んでた気がするな。まあ、いいさ。 |
No.556 | 6点 | 料理長が多すぎる- レックス・スタウト | 2019/08/12 13:11 |
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評者あまりネロ・ウルフは得意じゃない...これって一種のキャラ小説なんだと思う。ペリー・メイスンが苦手なのと同じようなものじゃないかな。アーチ―とウルフの掛け合って、考えてみればローレル&ハーディみたいなコンビのわけで、単純に楽しめばいいんだろう。気楽に読めばいいじゃないか。
で、ウルフの料理のウンチク全開の本作だ。お楽しみで来ているイベントだから、でなかなか事件に介入したがらないのが面白い。商売第一、なあたりが変にリアル。パズラーとしてはあまり手がかりがはっきりしないものだから、それを重視しすぎてもね、という印象。 しかしね、評者本作は一か所感動したんだよ。それは、料理長イベントの裏方である黒人スタッフを集めて、ウルフが重要な手がかりを得るシーンなんだけど、ウルフが黒人たちを完全に対等に扱い、黒人たちの知性と理解力をきっちり認めた上で協力を要請しているあたり。戦前のエンタメだと「黒人はいない」ような扱いを受けることが多いのだけども、このシーンはナイスにしてフェア。まあウルフって真相を解明して犯人を指摘した後でも、呼び捨てにしない傾向があって、そこらも「意識高い」良さがある。 |
No.555 | 5点 | 007/サンダーボール作戦- イアン・フレミング | 2019/08/12 12:47 |
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miniさんが要領よく事情をまとめているので省くけど、本作の原型は映画用シナリオである。しかも状況によっては映画第1作になるかも..という可能性もあったわけで、犯罪計画は大規模で、しかも結構リアルに「起こりうる?」なんて懸念された「核ジャック」である。キャッチーなんだけど、話はあまり無理せずにまとめて「守ってる」印象。
フレミングはジャマイカに別荘を持ってる縁もあって、舞台はおなじみカリブ海。「死ぬのは奴らだ」「ドクターノオ」本作「黄金銃」に短編集の3/5 だから、評者は食傷気味だ。映画シナリオっぽさは、核ジャックが起きてMがボンドを呼び出して任務を与えたあとに、核ジャックの手口を敵方視点で長々と叙述しているあたりで窺われる。けどちょっとバランスを失ってる気もする...もう少しカットバックするとか、ないのかな。 まあ本作、「今ひとつ」の最大の理由は、スペクターと言えばブロフェルドなのに、本作のメインの「敵」は実質No.2のエミリオ・ラルゴで今一つ「悪竜」ぽさに欠けること。タダのプレイボーイで、カリスマとか憎々しいワルさとか、今一つ。またイントロでボンドが無頼の生活を改善するために、業務命令で自然食療養所に入れられて...のナイスなエピソードがあるのに、そこでのワルのリッピ伯爵が小物過ぎ、しかもスペクターの犯罪計画に強く絡まないあたり。 総じてあまりプロットは上出来とは言いかねるし、評者「死ぬのは奴らだ」と続けて読んだせいもあるけども、水中戦が「またかよ」になってしまった。フレミングってプロットのバリエーションが少ない作家だ。 |
No.554 | 6点 | トレント最後の事件- E・C・ベントリー | 2019/08/06 21:54 |
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本作だと第一次世界大戦直前の作品なんだもんね...ミステリとしてどうこう、というのをあまり気にせずに読むと、甘ったるいのもいいじゃないか。軽妙でユーモアもあって、しかもトレント、紳士というかイイ奴だよ。さっくり読めるヒネリの効いた話を楽しもうか。
作者はチェスタートンの仲間で、マジメに探偵小説を文学的に向上させようと..との狙いで書いたものだから、教養も不足なくって、背景とかキャラとか類型的でないリアルで描く能力がある。冒頭での被害者マスタートンの経歴だって、経済的背景をしっかり押さえて描けてるわけで、ミステリ離れしてるな。それでも黄金期以降の基準だとミステリとしてはフェアじゃないし、恋愛で道草するし..でもお育ちの良さみたいなものを感じて、なんとなく許せる気分になるんだ。 そうは言っても、一応トリックもあってどんでん返しもキッチリ決まる。そのクセに、ミステリを読んだような気が少しもしないのが、不思議な読後感である。別にこれは恋愛要素を取り込んだ云々、という話じゃないんだよ。まあ要するにこの人、ミステリ書くのが性格的に向いてないんだろうね。書かれた時期がタイムリーだったから、有名古典になっているのだけど、外れてたら埋没してたんじゃないかなあ。古典かどうか、ミステリかどうか、とかあまり関係なくて、余裕を持って何でも読める読者なら楽しめるタイプの作品である。 |