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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1384件 |
No.644 | 8点 | 六本木心中(角川文庫、ナショナル出版 版)- 笹沢左保 | 2020/01/30 14:54 |
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本作を誰も評してないのが不思議である。笹沢左保でも「木々高太郎、殺す!」で有名な、直木賞で当確視されても落選し、選考が疑問視されたエピソードがあるくらいの名作短編集である。ミステリでなくて風俗小説、と言われがちなのが影響しているかな。
でも、どれもこれも広い意味でのミステリ、ホワイダニットと言っていいくらいにミステリ寄りの作品である。笹沢左保はミステリから離れて書いたわけじゃなくて、積極的に人間心理の機微とか綾とかを「人間の謎」として提示しようとしてこういう小説になったんだと思うんだよ。メグレが好きな人なら絶対に面白く読めると思う。 そりゃいわゆる「風俗」は古くはなる。表題作「六本木心中」ならいわゆる「六本木族」それこそ「野獣会」とかね、たとえばヒロインのレストラン経営者の娘を、不思議少女だった加賀まりこをイメージしてもいんだろう。このヒロインの妊娠を咎められて、恋人(昌章...堺正章?)がレストラン(飯倉キャンティ?)経営者の母親を殺したと自首。ありふれた話のように見えてそれをひっくり返しただけではないオチを付けて、いいようもない空虚な愛を示す作品なんだから、題材は本当に普遍的で、小説としての冴えを存分に楽しむことができる。 実際この短編集は「純愛碑」「向島心中」「鏡のない部屋」「銀座心中」とタイトルを並べてみただけでも「事件性」がちゃんとありそうなものばかり。それぞれ「殺人」というわけではなくても、人に言えない秘密を抱え、偶然のきっかけで思いもよらぬ方向に運命が変わり、行為の裏には見かけによらない真実がある...そういう話の5連発である。 「殺人」がまったく偶然事に過ぎないことで、逆に小説として成立するアンチ・ミステリな作品だって含まれているんだよ。これは、凄いことだ。 ぜひぜひのおすすめ作品である。 |
No.643 | 6点 | ブラウン神父の醜聞- G・K・チェスタトン | 2020/01/27 12:24 |
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本作だともう1935年の作品、というのがどうにも困ったところのように思う。ハメットは長編をすべて書き終えて、クイーンだと「スペイン岬」だから、国名シリーズが行き詰っての時代。アメリカ的な探偵小説なんてものが完璧に確立した時代に、チェスタートンが「アメリカ的性格」を批判しても、そりゃなんだ!ということに過ぎないよ。アメリカだってもう狂乱のジャズエイジですらなくて、大恐慌真っただ中である。
とはいえね、評者の評点6点はほぼ「共産主義者の犯罪」のオマケ点みたいなものなんだ。今ではほぼ忘れられている思想家になるんだけど、ラスキンって人がいてね、この人の「キリスト教的社会主義」というものは、第二次大戦前には一応近経・マル経に対する第三勢力みたいな評価があって、日本でも賀川豊彦とか神戸灘生協とかに影響があったりした。このラスキン、いわゆるゴシック・リバイバルの立役者で、ロセッティのラファエル前派とともに、イギリスのカトリシズムを代表した著述家だったんだ...早い話、チェスタートンの師匠と見ていい人なんである。 で、このラスキンのキリスト教経済学を継承して、しかもマルクス主義と共闘したのが近代的デザイナーの元祖でもあるウィリアム・モリスで、この人の名前は本編にも出ている。評者一時モリスについて調べたことがあってね、ここらへんのバックグラウンドを最後に継承したのがほかならぬチェスタートンだと思ってるんだ。つまり、皆さんが宗教vs共産主義、資本主義vs社会主義、とタダの対立で単純化するのは、本当にチェスタートン理解からは誤解でしかないからね。 つまり、ラスキンもモリスも、中世ゴシックの美にあこがれる一方、キリスト教道徳をベースにした資本主義批判とオルタナ経済の提案、汎ヨーロッパ伝統の継承と国家主義批判、といったイギリス・カトリック知識人の「型」を作りあげ、チェスタートンがこれを継承した背景が分からないと「共産主義者の犯罪」の寓意性はわからないと思うんだ。 なるほど、共産主義は異端説です。しかし、あなたがたがあたりまえのこととして受け入れている異端説ではありません。あなたがたが考えなしに受け入れているのは資本主義のほうです。と言うよりも、死滅したダーウィン説という変装をつけた資本主義の悪がそれです。皆さんはあの社交室で話しあっていたことを覚えておいででしょうー人生とはつかみあいにすぎないとか、自然は最適者の生存を要求するとか、貧乏人は正当な給料をもらうべきかいなかということは重要な問題ではないとかーそういったことです。ほかでもない、それこそが皆さんの慣れ親しんでいる異端説なのです。 社会ダーウィニズムとかさ、自己責任とかさ、人件費圧縮だとかさ、そういう言葉を耳にしたらブラウン神父というかチェスタートンは嘆くよホント。本作あたりがラスキン経済学の最後のなごりみたいなものなんだが、イギリス左翼にはモリス信奉者が今でもいるらしいしね。チェスタートン読むなら「ユートピア便り」とか読むの理解の助けになるんだろうけども、モリスの「世界の果ての森」なら英国中世ファンタジーの元祖みたいなものだから、一応本サイトでも微妙に範囲内かなあ。 |
No.642 | 8点 | ポオ小説全集4- エドガー・アラン・ポー | 2020/01/26 00:27 |
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創元ポオ全集4巻目も「黄金虫」「黒猫」「盗まれた手紙」「お前が犯人だ」「アルンハイムの地所」などなどなど、名作目白押し。
子供の頃に読んだジュブナイルのポオが「長方形の箱」「ちんば蛙」を収録していて、有名作以上に印象的だった記憶がある。やはり好きだなあ。「長方形の箱」は推理可能な真相がある話だから、語り口を変えればミステリになると思う。「ちんば蛙」は様式的な復讐譚だけど、ここにもオランウータンが!あと「天邪鬼」あたりだって、換骨奪胎すれば立派にミステリに入るようにまとめれると思う。 デュパン第3作の「盗まれた手紙」は、確かにすっきりまとまった好編とは思うんだが、「モルグ街」「マリー・ロジェ」の混沌に論理とパターンを見出して...というまでの帰納的な部分ではなくて、天下った演繹推理になるため、ある意味評者は「ポオらしくない」印象がある。ポオって感覚的に収集されたデータの混沌から、独自の論理を引き出す力業に今回の再読では評者感銘を受けているんだ。D**大臣=タレーラン、G**警視総監=フーシェみたいに見えたのは評者の見方がヘンかな。 まあ、ポオの「デテールの魔」が一番に発揮されたのは「アルンハイムの地所」とか「ランダーの別荘」で、ここには「デテールしかない」。ポオはデテールで最高の力量を示す作家なので、「黄金虫」の暗号だって、デテールの混沌の中にある言語の秩序を感得して...という帰納法として捉えるべきなんだと思うし、ポオの帰納法を支えるのは、ほかならぬデテールへの偏愛なのだと思う。幻想以上に幻想的な感覚の作家として読みたいと思う。 まあ一般にミステリ枠に入らない作品でも、ポオの作品のかなりの部分評者はミステリだと思っているよ。ヘイクラフトとか乱歩の時代は、狭く取るのが探偵小説概念の確立に必要な「手続き」だったのだろうけど、5作品とか狭く取る必要は、今はないだろう。 |
No.641 | 8点 | ポオ小説全集3- エドガー・アラン・ポー | 2020/01/25 00:06 |
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創元全集3巻目は「メエルシュトルム」「モルグ街」「マリー・ロジェ」「告げ口心臓」「赤死病の仮面」などなど。一般に「告げ口心臓」はミステリ枠に入りづらい作品とされがちだけど、犯罪小説で読んだらこれはあり、と評者は思うんだ。たしかに「告げ口心臓」+「大鴉」=「黒猫」なんだけど、これ自体は一種の犯罪心理小説と見ていいと思ってる。
としてみると「モルグ街」「マリー・ロジェ」の「ミステリの元祖」評価には、やはり「名探偵の発明」が重大なウェイトを占めていると見えるんだ。しかしデュパンのイメージにたとえばロデリック・アッシャーの超感覚を重ね合わせることもできるのだろう。してみると、ポオの中で「ミステリの元祖」となった作品を特権的な作品として捉えすぎないほうがいいようにも感じるのだ。たしかに「モルグ街」は面白い。その面白さは「証言者がすべて自分の知らない言語での叫び声を聞いている」逆説から引き出される結論であるとか、あるいは密室が密室ではないことを証明する消去法であるとか、そういうやや地味で批評家的なセンスの部分のようにも感じられるのだ。 じゃあそういう見方でデュパン三作では一番皆さんが苦手な「マリー・ロジェの謎」を見るのがいいようにも思うのだ。評者あらためて「マリー・ロジェ」を読んで、実のところこれが一種のテキスト・クリティークになっていることに気が付いたんだ。これを安楽椅子探偵と呼んじゃ、いけない。新聞記事をネタにして、それぞれの整合性を考慮しながら、どれがどれだけ信用できるのか?を推測評価しつつ、その中で事件の真相を推理していくことになる。情報は正しいかウソか、ではなくて、それぞれの立場を再構成し、その中での相対的な真実性を比較考量して「情報」を客観評価しようとするデュパンの方法論に、評者はちょっとイカれたな。これはまさに、鋭い文芸評論家のやり口だ。 少し前に「みんなの意見は案外正しい」という本が話題になったことがあったけど、「マリー・ロジェ」も同じようなことを言っている。 民衆の意見というものは、ある条件の下では無視されるべきじゃない。それが自然に発生した場合―つまり厳密な意味で自発的に現れた場合には、天才の特徴である直観と類似したものとして考えるべきだ 事件は平凡だからこそ難しい。「モルグ街」みたいな奇矯な特徴を持たないがゆえに、推理としても小説としても歯切れが悪い。知性を評価するには「何がわかるか」ではなくて、「自分が分からないことは何かが、どこまでわかっているか」であるべきだと評者は思う。そういう平凡さの逆説として「マリー・ロジェ」を愉しみたいと思う。このデュパンが一番ポオの素顔を写してもいるのだろう。 |
No.640 | 8点 | ポオ小説全集2- エドガー・アラン・ポー | 2020/01/22 16:40 |
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「ゴードン・ピム」の巻である。質+量でやはり代表作に思う。これでもかこれでもか、のサービス精神旺盛な怪奇冒険譚。デテールの魔。中絶みたいな終わり方が、変な想像を誘う。最後の方の「文字」に関する考察とか、わけがわからないて割り切れないのが良さと思うんだ。テケリ・リはやはり白い毛の奇妙な獣の名前なんだろうか。何が忌まわしいんだろうか?わからない。わからないから、いい。なぜ手記があるんだろう。わからない。ラヴクラフトも「ゴードン・ピム」から韜晦を学んだんじゃないかな。
「ジューリアス・ロドマンの日記」は「ゴードン・ピム」の北米大陸横断版みたいなもの。こっちは抑制的な筆致がいい。とくに大したことが起きてないのが困るけど。 「群衆の人」はやはり事件のないミステリ。何も起きないのに不穏。 でおまけのボードレールによる「エドガー・ポオ その生涯と作品」はなかなか鋭い考察なんだけど、小林秀雄の訳が古すぎ。何とかした方がいいと思うよ。詩人が詩人を語った文章だから、一筋縄ではいかないし。 ポオの酩酊は、一つの記憶法、労作の一方式、その情熱に相応わしい断乎たる致命的方式であったと私は信じるのである。 この「記憶法」という言い回しに膝を打つ。 |
No.639 | 6点 | ブラウン神父の不信- G・K・チェスタトン | 2020/01/20 13:31 |
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本サイトの傾向だと、童心>不信>知恵になるようだ。面白いな。その理由はねえ、どっちかいうと「タダのミステリ」になってる作品が目立つから...ということのように思うんだ。
「童心」の凄いあたりは、ミステリの仕掛けがそのまま社会的な事象の反映になっていて、しかもロジックによる反転で全体が社会批判を狙った寓話になる、というのが多くの作品で成功しているあたりなんだよね。だから「知恵」はその路線を継続したのだけど、「童心」ほどには社会批判の切れ味やらミステリとのバランスやらが、今一つになっているんだ。しかし時間をおいた「不信」では社会をみる眼が何か固定されてしまって、チェスタートンという人の批評的センスや感性が鈍っているように思うんだよ。だから「ミステリ」の部分がバランスを欠いて目立つことになって、「新本格」風の突飛さになっているように感じる。展開も「探偵小説」ルーチンの展開が多いんだな。 なので、本作あたりからは、「童心」「知恵」とは別物で、「ミステリ専科」な読み物と思うことにする。そうしてみると、ロジックのナイスな「犬のお告げ」とか、大掛かりな「ムーン・クレサントの奇跡」とか、こういう作品を「突飛なミステリ」で面白がればいいんだろう。何かポエジーや香気の失せた残念さを感じるのも仕方ないんだけどねえ。 ちなみにチェスタートンのカソリック信仰、というのはヨーロッパ伝統主義みたいな「普遍」主義だから、迷信や神秘主義とはそもそも敵対的なものだからね、これは最初から一貫して変わりない。「正統とは何か」を読まないとここらの機微はわかりづらい。宗教は迷信でも神秘でもない。 |
No.638 | 6点 | メグレ、ニューヨークへ行く- ジョルジュ・シムノン | 2020/01/18 21:17 |
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退職後のメグレ。父に対する漠然とした危機の雰囲気を捉えた息子の依頼で、メグレはニューヨークに旅することになった。ニューヨークに到着したら、息子は姿を消すし、その父と面会したメグレはけんもほろろの扱いを受ける...依頼主をなくしたメグレは、ニューヨークという「場違いな場所」を漂流する...そんな雰囲気の話。
まあとはいえ、この父というのもフランスからの移民で、過去の事件が蔭を落としている背景もある。だから必ずしも場違い、というほどでもないのだが、なかなか話の焦点が絞れてこないので、五里霧中の中を、それでもメグレは動揺せずに歩み続ける。 キャラとしては泣き上戸の探偵デクスターとか、老芸人たち、不良新聞記者など、ニューヨークにもシムノンっぽい登場人物はいるものである。最後にメグレが国際電話を一本かけて事件の真相を暴く、なんて演出も結構。この電話にもなかなかの味がある。 |
No.637 | 6点 | 若さま侍捕物手帖(光文社時代小説文庫)- 城昌幸 | 2020/01/18 14:51 |
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五大捕物帳の一角を占めるこのシリーズ、規模的には銭形平次に並ぶ長短編合わせて300編以上の量がある人気作である。が、今では知名度は今一つかな、昔は大川橋蔵の当たり役である。捕物帳といっても、ミステリ読者が読むんだと、半七=超別格の必読、顎十郎=奇抜の2つを読んだあと、どれを読むか?というと評者はこのシリーズに一番ミステリ色の強い作品が多い印象があるんだよ。それこそ横溝の器用さが悪く出ててキャラ小説度の高い人形佐七よりもオススメである。(あとの右門・平次はいわゆる「捕物帳」だからねえ)
でも、こういう人気シリーズで今読める本となると、適当なアンソロになる。そうすると、総タイトルの「若さま侍捕物手帖」で本がいろいろと出て、収録作がバラバラになるので、このサイトのルール(同題不可)だとどうしようか。まあ文庫名をつけて登録するのがいいのでは..で kanamori さんのランダムハウス講談社時代小説文庫の登録とは別扱いにしておきます。もし、統一した方が...の声があれば合併します。 この光文社文庫の若さまは、中編「双色渦巻」に短編「生霊心中」「埋蔵金お雪物語」「幽霊駕籠」「十六剣通し」「金梨子地空鞘判断」を収録。「双色渦巻」は質屋の蔵に強盗が二晩続けて入るが、取っていったものがない。若さまが乗り出して、残りの蔵の番をするが、そこに現れたのは剣の腕の立つ宗匠頭巾だった。旗本の家に伝わる呉須の大皿の質入に絡んだ背景が...という話。宗匠頭巾の意外な正体とか、死んだふりとか、ミステリ的な手法が目立つ作品ではある。 この若さま、正体不明、船宿喜仙に腰を据えて、酒を飲み続ける男前。で、岡っ引き遠州屋小吉が持ち込む事件を、話を聞いただけで解き明かす...という「隅の老人」風の設定があって、若さまが外に出ない安楽椅子探偵の短編がとくにミステリ色が強いんけども、このアンソロ、このタイプの作品集録がないんだね。少し外出してるとか、遠征とか、そこらへんが期待外れ。もっとミステリ読者が喜ぶ作品が、あるよ。 |
No.636 | 6点 | ポオ小説全集1- エドガー・アラン・ポー | 2020/01/17 20:21 |
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創元のポオの全集である。訳は結構歴史的なものも多いし、凝ったゴシック小説で擬古文なものも多いから、あまり一般向けとはいいづらい。評者ちょっと時間が取れるので、ポオ一気読み。
年代順なので第一巻は初期になる。この巻の最後の方で「アッシャア家」「ウィリアム・ウィルソン」を収録。ポオはもちろん実作家として巨匠なのだが、評論家的でもありパロディストでもある多面性が持ち味なんだろう。たとえば月世界旅行モノ古典になる「ハンス・プファアルの無類の冒険」でも、それ以前の月世界旅行モノが月人の社会との比較において社会風刺を主目的にしているがために、科学考証がデタラメなのを批判しよう...と、視点がパロディストでもあり、評論家的でもあるあたりが面白い(まあ奇書「ユリイカ」が控えてるが)。だから、ポオのそれぞれの小説がそれぞれにややメタな「作品の論理」の軸を備えている(たとえば「構成の原理」)というあたりを押さえるのが必要なんだろうね。 たとえばそれが「アッシャア家」なら「超聴覚」の論理になるわけだし、「リイジア」の吸血鬼的な憑依現象など、表面的な筋に隠された論理を掘り出すような展開があり、これが「推理小説」の元祖となる直接の原因なのだと言えるのだろう。だから、ポオのゴシック小説もなにがしかの「推理小説」を含んでいる、と見ていいように思うんだ。だから狭義の「推理小説」を1作も含まない第一巻も、きわめて「推理小説的」に読むのもいいだろう。 まあそうは言いながら、パロディストとしての面白味もポオは見逃せない。哲学と料理を等価にみる「ボンボン」なぞ、これがパロディックな面白さを持つのと同時に、「形而上な哲学を、形而下の料理として扱う」逆転を、曖昧な神秘に逃げこむのではない、実際的な理性の問題として捉えたいと思うのだ。それがポオのアメリカ的性格でもあるのだろう。 |
No.635 | 6点 | ブラウン神父の知恵- G・K・チェスタトン | 2020/01/15 17:21 |
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評者「童心」に1点なんて点を勢いでつけちゃったこともあって、ブラウン神父連作をやりづらくしちゃったのは自業自得と思います(苦笑)。作品自体はもちろん凄いのだけど、ニッポンでの受容がかなり偏頗なものだから、ついイラっとしたんだよね。
そうしてみると第二短編集のこれは、バラエティ豊かな「童心」と比較して、二番煎じが目立つことになるし、チェスタートンが「書きやすい」シチュエーションがあるみたいで、それを繰り返している感じが強い。延々と風景描写が続いてフランボウと問答する「銅鑼の神」とかホント「折れた剣」って感覚だしねえ。逆説も「逆説がある」と分かってたら、逆説の効果は薄いわけだ。 弾十六さんによるとチェスタートンって反ドレフェスだったのか。「銅鑼の神」の黒人に対する偏見てんこ盛りとか、あと「ジョン・ブルノワの珍犯罪」で少し触れられる進化論でもこの人チョンボしてるしね。とはいえ、イギリスでのカトリック派というマイノリティ論客としての独自ポジションがあったわけで、これを今の政治意識で無下に馬鹿にするのは、評者は賛成できないな。 そういうあたりでは、ドレフェス事件に想を得た「ヒルシュ博士の決闘」は、政治上の右も左も、俗ウケを狙ったが最後どっちがどっちだか区別がつかなくなる、という結論も、何か今のアベ政権とか連合=民主党の姿を見るみたいで、アクチュアルな部分があると思うんだよ。 あとそうだね「泥棒天国」は、バイロン・ロセッティといったイギリスでのイタリアンなロマンというものを、その最後の継承者みたいな格好になったチェスタートンが、一種皮肉な目で眺めているのを面白いと思う。チェスタートンの時代だと、もうダヌンツィオやら未来派やらにイタリアの文芸も移っているわけで、ダヌンツィオが映画「カビリア」で名前貸して大もうけした話のように、 「小生は未来派でござると言っておいたはずだよ。おれは新しいものを心から信じているんだ。それをおれが信じていないとしたら、おれはなにも信じちゃいないことになる。変化、競争、前の人はうってかわった新しいものがなければ一日も明けぬという進歩主義、それがおれの信ずるものなのだ。おれは出かけるのさ、マンチェスターへ、リヴァプールへ、リーズへ、ハルへ、ハダスフィールドへ、グラスゴウへ、シカゴへ。つまり、啓蒙開化された活動的な社会なら、どこへでもおれは行く」 「なるほど」とムスカリは言った「まことの泥棒天国へか」 と自らを「泥棒」と自己定義しながらも、時代に乗り出すようなこの高揚感がチェスタートンとその時代が共犯となった時代精神を象徴するものだと思うのだ。 |
No.634 | 6点 | 血の伯爵夫人 エリザベート・バートリ- 桐生操 | 2020/01/14 00:34 |
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「本当は恐ろしいグリム童話」で一山アテた桐生操が、キャリアの出発に近いあたりで書いていたエリザベート・バートリ(バートリ・エルジェーベト)の小説仕立ての評伝である。「彼方」でジル・ド・レーを扱ったばっかりだから、いいじゃないか、中世~近世初頭の快楽殺人の双璧である。ハンガリーの由緒ある大貴族の家に生まれ、ハンガリーの独立のために戦った英雄の未亡人であるが、その領地の若い女性の生き血を絞って、美容のためにまだ温かい生き血のお風呂に浸かった「女吸血鬼」である。
で、本作なかなかいい。意外な儲けもの、というのが評者の感想。ネタ本はあるようだけど、遠藤周作がほめた、というのがなかなか頷ける。作者(たち)の「若さ」が、ちょっとした客気になっていて、エリザベートの荒涼とした内面に踏み込めば踏み込むほど、それがロマンに昇華するよさがある。エリザベートは老いに追われて残虐行為に踏み切ったのであろうけども、作者たちの若さが、怪物を怪物ではなくて、自身の内面に忠実であろうとし続けた一人の女性の像を描くことになった。 乱れに乱れ、打ちに打って、この意識を息をつく間もない錯乱に導くこと。こうして自分を使い尽くし失い尽くして、破滅へと向かって急ぎながら、やがては解脱へ、そのぼろ布のようになった肉体から抜け出して、軽やかな精神として高く高く飛翔すること。 まあ、バタイユなんだけどね、ただの悪女大残虐物語ではなくて、怪物であることを選んだ女性の物語になっている。作者(たち)、明白にエリザベートの虚無と暗黒に共感しているのである。それが、いい。 |
No.633 | 7点 | 大暗室- 江戸川乱歩 | 2020/01/12 18:31 |
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ニッポンを代表する腐男子たる江戸川乱歩が書いた先駆的なボーイズラブ小説である。BLなのがわからないと、読む意味のない小説だよ。ちなみに乱歩の最大長編のようだが、リーダビリティ絶大。
悪の帝王大曾根龍次×白馬の王子有明友之助。まあネーミングが野暮なのは仕方ない。有明友之助に至っては、本当に白馬に乗って(一応)ヒロインの元を訪れる(苦笑)。この星野真弓嬢、BLだから扱いはきわめてなおざりで、どうでもいい。 龍次くんは、例によって天才型アーチスト体質で、世間の常識を反転させた反世界、耽美の王国「大暗室」を帝都東京の地下に築き上げる。それを事あるごとにチョッカイを出す正義で努力家、しかも異父兄弟の友之助くん。初対面で落下する飛行機からともに脱出して、無事着陸すると握手をしあう。そこで友之助くんは龍次くんの遠大な野望を聞いて、ドン引く..というのがプロローグみたいなもの。これぞ萌えいでんか! 直接対決が何回もあるからこれが毎回お楽しみ、である。 もちろん両者美形。とくに龍次くんは少女歌劇のスターに変装してステージが務まるスーパースター。女装っ子趣味まで充実で小悪魔的魅力あり。でお約束だから仕方ないけど、龍次くんは本拠地「大暗室」まで攻め込まれて、最後に龍次くん主演の「血と命で描く俺の一世一代の美術」を友之助くんも見物。オケ伴奏・照明美術・共演者(裸女6名殉死)完備。 まあだから、乱歩のレビュー趣味も満開。バスビー・バークレー演出ならいかが。明智くんも名前だけ登場するが、要らない(乱歩の判断は正しい。明智vs二十面相に書き換えたポプラ社が不見識)。 |
No.632 | 8点 | マルタの鷹- ダシール・ハメット | 2020/01/11 22:00 |
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さてハメットのレジェンド。いや実に味がある。映画的に会話と客観描写だけで綴られる小説なのだが、心理描写を完璧に欠いているために、逆に会話に読者が読み込むような「読み」を誘うことになり、これがため心理的な綾がたっぷりとノることになる。スペイドとブリジッドの会話なんて、ブリジッドの大ウソをスペイドはからっきしも信じてなくて、喋らせてうまく誘導しようというのがよく見えるんだよね。ここらへんの「化かしあい」がコミカルでもあり、シリアスでもある。
というか、ブリジッドもそうだが、「血の収穫」のダイナ、「影なき男」のミミといったハメット特有の「嘘つき女」は、チャンドラーもロスマクも真似しようってマネできる代物ではない。オプやスペイド以上に、ハメットは「ワルい女」を描かせたら天下一品なのだと思うよ。 だからね、「マルタの鷹」の奪い合いなんてタダのマクガフィンのワケなのさ。ガッドマンやらカイロやらが右往左往するのはタダの煙幕なので、どうでもいい。実のところ事件はアーチャー殺しなのだし、スペイドとブリジッドの関係に話が絞られて、話はそっちに収束することになる。愛するがゆえに互いに騙しあい、裏切りあう皮肉な「アンチ・メロドラマ」として本作は読むといいんだろうね。 ま、なんか最近皆さんエフィ萌えが多いようなんだが、実のところ話の決着はバカ女のアイヴァが着けるんだろう。マルタの鷹事件の後でアーチャー未亡人アイヴァがトチ狂ってスペイドを撃ち殺す...そんなオチを何かで読んだんだけど、忘れた。何だっけ。 追記:おっさん様のご教示によると、アイヴァがスペイドを射殺した話はエスカイヤー誌の「ハードボイルド探偵比較表」のヨタ記事で、それを『推理小説雑学事典』(広済堂 1976年)が採用して...という経緯を各務三郎氏の『赤い鰊のいる海』(読売新聞社 1977年)や小鷹信光氏の「サム・スペードに乾杯」(1988年、東京書籍)で解明しているようです。もう一度言いますが、でっち上げの嘘記事です。さすがのおっさん様です。私の記事で「犠牲者」をさらに出さないように追記します。みなさま、ありがとうございます。 (中原行夫氏のメールマガジン「海外ミステリを読む(25)」でこの話をやはり扱っていて、いろいろ考察してます。ありえない結末ではないとは思いますよ) |
No.631 | 9点 | 不連続殺人事件- 坂口安吾 | 2020/01/09 22:31 |
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皆さんの評を読むと、本作「読みづらい」という声があるようだが、本作の一番の読みどころはこの軽薄で無頼で俗っぽい文体にあるようにも思うんだ。「終戦直後のポップ」だと思えばいいんだよ。独特のリズム感があって、いいな。評者読んでてニヤニヤが止まらず。安吾はそりゃブンガクシャって奴だが、高尚低廻なんてもんじゃないからね。ゲタゲタ笑って読んでも何が悪いんだ。
ミステリとしてはねえ、ミスディレクションって何となく目立たないように埋め込んで...と思うあたりを、わざわざ露悪的に面白く演出しているあたりが、さすがと思わせる。そりゃあさあ、手がかりをちょろっとわからないように仕込むよりも、派手に衣を着せて提示する方が、いかにも手品ってもんじゃないか。「面白過ぎる」あたりが全部ミスディレクションになるのが、素晴らしいと思うよ。 キャラで言えば、そうだね、「以ての外の不美人で、目がヤブニラミでソバカスだらけ、豚のように太っている」千草の扱いがなかなか面白い。ミステリでの振られた役割が、ヒネクレ心理を穿ってる。千草をキーになるキャラと思って読むと、オモムキ深い。 評者の持ってるのは中学生の時に入院したことがあって、その時にお見舞いに貰った角川文庫だった。だから表紙は映画のシーン(諸井看護婦を拷問する...)で、看護婦はロマンポルノを代表する宮下順子だ。ATGが商業主義に堕落した、なんて言われた頃の話。久々の再読だが、とっても懐かしい(映画は残念、観てないが、この頃「本陣」もATGだ)。 追記:映画見た。逐語的映画化といっていい。これほどまでに原作に忠実な映画化、もないものだ。だけど、多すぎる登場人物で原作読まずに映画だけ見たら、わけがわからないだろうな。評者原作何度読んでるかわからないくらいだから、やたらと楽しめる。メタというか企画的に実験的(苦笑) 追記:もうもめるのはイヤなので、ご指摘にあった個所は消します。別に誰か攻撃しようという意図はまったくないのだけど...そもそもの文意は tider-tiger さんがまとめたそのものです。 |
No.630 | 6点 | メグレ激怒する- ジョルジュ・シムノン | 2020/01/08 22:59 |
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メグレはパリ司法警察勤めの設定なのだが、「第一号水門」だと引退間近の姿が描かれ、さらにいくつか引退後のメグレを主人公にした作品が少しある。第一期最終作の「メグレ再出馬」('33)、第二期の中編たち、第三期開始の本作('45)、次の「メグレ氏ニューヨークへ行く」('46) と、あたかも第三期は引退後のメグレで行こうか?なんて悩んでいたみたいだ。とするとパリ司法警察のメグレが復活するのはその次の「メグレのバカンス」 になるけども、これも休暇中の事件だったりするしね。ホントの「現役復帰」は「メグレと殺人者たち」になるんだろう。まあだから、第三期メグレは時代設定がいつなのか、よくわからないといえばわからない。けどメグレの事件は時代を超えてるから、気にはならない。
本作は権高い老婦人に鼻面を引き回されるように導かれた家には、メグレのかつての同級生が婿入りしていた...けして親しかったわけではないが、今になって顔を合わせると、ブルジョアに成りあがった同級生は実に嫌な奴になっていた。この家の娘が溺死した事件の調査を老婦人に命じられたのだが、かつての同級生はメグレに手を引かせようとする... と、同級生でも「友情」とかそういう話ではない。この同級生は父親が税務署勤めだったために「税金屋」のあだ名で呼ばれていたような功利的な男である。で、メグレがこの旧友に「激怒」するのか、というと、実はそういうシーンはない。ただラストはある人物が「激怒」して話が収束するようなものである。メグレはこの家族でまずい立場にあった人物を救う活躍をするのだが、事件の結末には関与しない。それでもメグレが「サン・フィアクルの殺人」みたいに手をこまいて...という印象ではない。 なんか評者書いていて「はない」が続きすぎているな(苦笑)。そういう変則的でオフビートな話だが、ちゃんと話が収まるところに収まっている。 |
No.629 | 6点 | メグレと首無し死体- ジョルジュ・シムノン | 2020/01/08 01:04 |
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皆さんのおっしゃるように、狭義のミステリの観点だと「何だこれ」になるタイプの作品である。他のメグレ物だと「火曜の朝の訪問者」とか近いかなあ。それより意外性の方向がトンデモない方を向ている感じ。
ビストロの女将として火の消えたような生活を続けるカラ夫人の、特異なキャラクターがすべての作品である。メグレは第一印象で奇妙な違和感を感じて、まるでカラ夫人に恋するかのように、カラ夫人の元に通い詰めるのだが、妙な転調の気配が見えるのは、やはりカラ夫人がしっかり身なりを整えて別人のように参考人として連行される場面だろうか。 メグレ夫人がこのメグレの心の揺れを敏感に感じるのがさすが。 「お前がおれを面白がっているみたいだ。それほどおれが滑稽かい?」 「滑稽ではないわ、ジュール」 彼女が《ジュール》と呼ぶのはまれだった。彼に同情したときしか、こういういい方をしない。 そして本作では宿敵コメリオ判事との軋轢を、一種の「階級対立」みたいに描いているのだけど、メグレというのは「庶民の名探偵」なのは言うまでもない。本作は、若い日のメグレが「運命の修理人」になりたい、と思った、と直接書かれたという点でも重要な作品なんだけど、そうしてみるとこの「運命の修理人」に、あまり形而上的な神秘性を求めない方がいいような気がするのだ。水道のパイプを、時計を修理するかのように、「運命」を修理する職人、という味わいでメグレを見たら、それらしいように思う。 |
No.628 | 6点 | シーザーの埋葬- レックス・スタウト | 2020/01/07 08:53 |
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スタウトってどう評価すればいい作家なのか、がなかなか難しいと思うんだ。キャラ小説だから、そのキャラに愛着を持てばどの作品もそれなりに面白いけど、パズラーとしては小粒、フェアさは薄いことも多い。本作は「いつものウルフ」じゃないアウェーな事件で、レギュラーもいろいろ登場しない。その代わり、アーチーの恋人リリー・ローワン初登場。シリーズ的にもポイント作である。
ウルフが本格派安楽椅子探偵、アーチーがソフト・ハードボイルド探偵でその合体、とかよく言われるのだけど、評者はウルフの言動も、よく言われるようにパズラー名探偵風の「エキセントリック」というよりも、結構「ビジネスマンとしての仕事へのシビアさ」みたなものの方を感じたりする。ウルフって社会正義とかお題目で動かない探偵だもんねえ。今回の依頼人は「田舎の公爵」と呼ばれるくらいの名家の当主、尊大不愉快な人物に、依頼時点でも逆ねじをくらわす。依頼にグズグズいうのはウルフの十八番かもしれないが、結構これがウルフの「探偵としての自尊心とビジネス」に直結しているから、ないがしろにすることじゃない。そう見てみると、ウルフの対応も、実のところハードボイルド的でもあって、ネロ・ウルフのシリーズ自体、パズラーというよりもハードボイルドの影響を受けた「アメリカ的な行動派探偵小説」くらいの位置に置いた方がいいようにも思うんだ。 たとえば「処刑六日前」に密室とか犯人指摘のロジックがちゃんとあるように、本作もちょいとしたロジックがあって、これがなかなか冴えている。ウルフが真相を明かすと、実のところ真犯人との攻防みたいなものが蔭ではあったこともわかるから、そこらへんよくできている。なんだけど、依頼を受ける前から真相の分かってるウルフなら、そんなに持って回った展開にしなくても...とは思っちゃう。レギュラー以外のキャラはあまり魅力がないもんなあ。中盤やや冗長。 |
No.627 | 6点 | 殺しの報酬- エド・マクベイン | 2020/01/06 13:07 |
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87でも標準的、くらいの出来栄えだと思う。恐喝屋殺しの犯人は..を追う主人公は今回コットン・ホース。妻帯者のキャレラとかマイヤーと違って、海軍上がりのムキムキ独身男だから、捜査の途中でもガールハントに精を出す(苦笑)。赤毛なのにナイフで切られた傷跡から白髪が...という描写は、実のところホースのセックス・アピールみたいなもんだろうよ。
犯人とか少し工夫があるけども、これはそう大した話じゃない。それよりもクライマックスが結構コミカルな場面になったと思う。もし評者が演出するなら、絶対笑えるようにしたいと思うくらい。ホースくんお疲れさま。 |
No.626 | 7点 | 怪人オヨヨ大統領- 小林信彦 | 2020/01/06 09:27 |
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評者の都合で、夏休みに「オヨヨ島の冒険」をやって、冬休みに「怪人オヨヨ大統領」をやるのは「キチガイじゃが仕方ない」。ジュブナイルのオヨヨ大統領シリーズの第二弾で、大沢ルミちゃん(小6)の夏休みの大冒険。初出は伝説の「サン・ヤング・シリーズ」。
今回はズビズバ国からの亡命者・ジャンジャン姫の依頼で、パパがノリで銀行から姫の絵画を盗み出すのに成功するのだが、これはオヨヨ大統領の大沢親子への復讐の陰謀だった!大沢親子とジャンジャン姫は、私立探偵サム・グルニヨンに助けを求めて、メイ探偵グルニヨンとオヨヨ大統領、それにズビズバ国の独裁者ワル・ノリの三つ巴の戦いが始まった! という話。鬼面警部と旦那刑事は本作が初登場。鬼面はグルメでそばが大好き。グルニヨンはマルクス兄弟がモデルだが、子どもにゃモデルはわからんよ。でも評者とかしっかりマルクス兄弟、って名前は刷り込まれたなあ。ジャンジャン姫のネーミングは三島由紀夫の「暁の寺」に登場するタイの王女で転生者のジン・ジャン姫が由来。これだって子供は知るもんか。でワル・ノリはカンボジアの陥落時の首相ロン・ノル。 「そうか。....しかし、物語の登場人物が一堂に会するというのは、古風で、よきものだな。ロマネスクですらある」 オヨヨは皮肉な笑いを浮かべた。 「むかしのフランスの小説なら舞踏会、いまはジャンボジェットか」 と敵味方呉越同舟で飛行機に乗って、オヨヨがなかなか知的でシックな感想を言うと、当時流行中のハイジャックに... ニッポン名物 とっても シックなハイジャック 拳銃(はじき)はつかわず 刀がひとふり ゆかいじゃないか ぼくの好きな あの赤軍派 きょうは まだ こないけど きっと かれらは きてくれる 雨の降る日も 風の日も... とハイジャッカーのCMソングだって、ある。このマルクス兄弟チックな能天気コメディミュージカルな世界がすばらしい。子どもも細かいことはわからんくてもノリよく楽しめて、オトナは細かいクスグリに爆笑しつつ童心に帰れる素晴らしい小説。世界はかくも冒険に満ち溢れている! |
No.625 | 8点 | 團十郎切腹事件- 戸板康二 | 2020/01/05 22:12 |
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パズラーだったら、作中で提示された手がかりを読者が評価して、正しく推論できるものでなければ...という理想はあるにはあるのだけど、それが必須か、というとそうでもないように思う。この連作で提示される手がかりから推理するためには、歌舞伎に相当通暁していないと無理だ(苦笑)。しかしそれが弱みになっているか、というと全然そうじゃない。「読者がわからなく」ても、そこで明かされる知識が独りよがりなものでなくて、作品とうまく整合したものだったら、十分オトナの読む小説として成立するのである。
そういう意味じゃ、この中村雅楽を主人公とするシリーズは、半七の香りがするかなり貴重なシリーズのようにも感じる。まあ綺堂も作者同様に演劇記者を勤めて、歌舞伎の作者にもなった人のわけで、江戸趣味のバックグラウンドも共通するし、また直接に半七捕物帖をかなり意識したようでもある。候文の手紙を書く中村雅楽の姿に半七老人を重ねるものいいだろう。半七の明かす真相によって幕末の人々の生活が身に迫って理解されるのと同様に、雅楽の明かす真相は歌舞伎の世界の伝統や慣わしを読者に実感させるのだ。モデルとしたドルリー・レーンの演劇知識は評者はハッタリだと思うけども、雅楽はそうじゃない。地に足のついた名探偵の造形として、模範となるようなものだと評者は思うよ。 まあそういう評価なので、この短編集に収められた作品のどれも、過不足なく面白い。個別の作品の良し悪し、というよりも、短編集として名作、という印象である。 |