海外/国内ミステリ小説の投稿型書評サイト
皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止 していません。ご注意を!

クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1384件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.704 7点 炎の終り- 結城昌治 2020/05/08 23:22
皆さん点がカラいなあ。評者本作なかなかイイと思うんだ。「暗い落日」にはもちろん及ばないが、「公園には誰もいない」よりずっと、いい。そう思うのは評者が年を喰ったからなのかもしれないんだけどね。まあこのシリーズ雰囲気が暗いのは共通項だけど...

やがて音楽が流れた。甘くて憂鬱なブルースだった。わたしは彼女の誘いに応じた。
こんな悲しい女を抱いたことがない。こんな寂しい女を抱いて踊ったことはない。
「どうなさったの」
「帰ります」

ヒロインの元女優青柳峰子の絶望っぷりが、依頼者のクセに真木にロクな手がかりを与えなかったりする(苦笑)。だから真木も今回ボランティアみたいな仕事だ。真木も実のところ、峰子に恋している部分があるしね。とはいえ峰子は女優を辞めて淪落して、その裏事情を話してくれる女優仲間のれい子とか、ピラニア軍団っぽい大部屋俳優の牛山とか、華やかりし時期があっただけにその後ロクでもない人生を送ることになった人々の肖像が、何か心に痛い。家出娘とか、まあどうでもいい。若いんだもん。
で、ミステリとしては、実は本作なかなかイイ仕掛けをしていると思うんだ。「知らないことは書けない」をハードボイルド一人称の「利点」として捉える、というのがロスマクのメリットだ、とこの真木シリーズは捉えているわけだけど、これをちょっとヒネると、「どうみても真木が誤解するのが自然ならば、地の文の叙述も真木の誤解をそのまま客観叙述みたいに書いてしまってもいい」ということになる。本作、これをうまく使った叙述トリックみたいな部分がある。本サイトだったら、こういうあたりをうまく評価していきたいと思うんだけどねえ。
パズラーじゃないんで何だけど、真相は変形の二重底だし、本作結構凝った作品だと思うんだけどね....

No.703 7点 ゴッドファーザー- マリオ・プーヅォ 2020/05/07 21:31
映画を見ずに原作小説だけ読む人は...いないよね。まあだけど、原作も面白い。映画での人間関係を補完できるし、映画だと「なぜそうか?」は流して見ちゃうことになるから、「あ、そういう理由?」というのが小説だと丁寧に書いてあるので、別途楽しめる。
とはいえ、映画は原作の昼メロ風のエピソード(シナトラをモデルにしたジョニー・フォンティーンと、ソニーの愛人ルーシー、その恋人の外科医あたりの人間模様・エロ話多し)は採用せず、若き日のドン・コルレオーネの最初の殺人の話はパートⅡに譲り..と、原作をタイトにまとめあげている。結末は若干違って、マイケルと結婚したケイは諦念を感じて、ママ・コルレオーネのようにカトリックに改宗してコルレオーネの女として生きるように決心する。
まあなんやかんや言って、周辺エピソードをしっかり書き込んであるので、そこらへんが読みどころではある。やはり冒頭を飾る葬儀屋の話がいいなあ。娘の復讐のために忠誠を誓った葬儀屋は、のちにソニーとドン自身のエンバーミングに腕を振って恩を返すわけである。

で、なんだけどね、映画「ゴッドファーザー」について言うと、実は本作以外にもう一つの「原作」があるんだよ。コッポラという監督は典型的な「映画から映画を作る」監督でね、映画としての「原作」はエイゼンシュテインの「イワン雷帝第二部」なんだ。独特のライティングもそうだし、コニーの子供の洗礼式とカットバックで皆殺しするのは小説にはなくって、「イワン雷帝」の宴会と貴族の粛清のカットバックに想を得たものだろう。「地獄の黙示録」でも「ストライキ」の牛殺しカットバックを模倣しているコッポラは、ハリウッド随一のモンタージュ主義者だからねえ。というわけで、「イワン雷帝第二部」も「ゴッドファーザー」に負けない大名作だから比較して見るといいと思うよ。歴史劇の専制君主→現代劇のマフィアのドン、とそういう連想もきっと、コッポラにはあったろうね。

No.702 6点 競売ナンバー49の叫び- トマス・ピンチョン 2020/05/06 13:08
DJを夫にするエディパは、自分が億万長者のピアス・インヴェラリティの遺言執行人に指名されていたことを知る。ピアスはかつての愛人という縁もあるわけで、エディパは、サン・ナルシソに赴いて弁護士のメツガーと一緒に、ピアスの財産整理と遺言執行を行うことになった。その中で、エディパは数々の奇妙なしるしを目にする。それはトライステロあるいはWASTEという名と、消音器をつけたラッパで表章される「影の郵便組織」を暗示していた。その組織はヨーロッパで最初の郵便事業を営んだチュールン・タクシス家とも関わりがあるようで、そのことを暗示する劇を上演した男とエディパは知り合うが、海に入水して自殺し、エディパの夫は精神科医から処方された薬によって人格が変貌する。その精神科医は発狂してエディパを人質にした立てこもり事件を起こす...エディパの周りに起きる奇妙な事件たちはすべてこのトライステロが糸を引いているのだろうか、それともピアスの大がかりな冗談なのか? ピアスの遺産にあった、トライステロの実在を証拠立てる一枚の偽造切手のオークションに、未知の人物が入札した。エディパは切手オークションの始まりを告げる「競売ナンバー49の叫び」を待ち受ける...

はい、ちゃんとプロットが要約できるね。だからさ、そんなに恐れることはないんだよ(苦笑)。一種の調査小説だから、広い意味でミステリに入ることは間違いなし。アクティブな事件も結構起きるし、エディパの行動を追っているから、ダイナミックと言えばダイナミックな話。
けどね、そりゃピンチョンさ。「誰が何をしている」なミクロではしっかり意味が通った話だが、暗合やら連想やら引用やらで、コンテキストが頻繁に中断し再結合されていくから、「ミクロ」と全体的なプロットになる「マクロ」が明晰でも、中間レベルが極めて晦冥。まあだからあまり考えこまずに、次々と繰り出されてくるネタのシュールさ、豊饒さにびっくりしながら読んでいくのがいいだろう。起きる事件はユーモラスなものが多くて、ニヤリ、爆笑も頻繁。言ってみれば「1ページに50コマくらいあって、びっちり書き込まれたマンガ」みたいなもの。読み解くのにはややパワーが要るけど、一旦ノってしまえば、楽しめる小説。

(ホントは「フーコーの振り子」をGWにやろうと思ってたんだけど、長いんで時間的余裕がなさそうだ...でこっちに振り替え。同じような小説といえば、まあそうなんだよね)

No.701 10点 シャーロック・ホームズの冒険- アーサー・コナン・ドイル 2020/05/04 17:34
10点三連発になるのはご愛敬。まあそんなこともあるさ(苦笑)。10点付けんで何点つける?という作品でもあるからね。
先行する長編2つでキャラの固まったホームズ&ワトソンなので、あとはアイデアの赴くまま、楽しみながらストーリーテラーの腕を振るってる、と感じる。まあ何度読んだか知らないけど、今回はストーリーテラーとしてのうまさ、に感動する。ホームズの性格付けになる観察やら人生観やら、うまく事件に挟み込んで印象付けているし、記録者としてのワトソンが同時期の未執筆事件に触れながら...というあたりのギミックも最初から堂に入ったものだ。

今回とくに印象的だったのは「唇のねじれた男」。これ、紳士の堕落話なんだよね...だから前振りの紳士がアヘン中毒になって人生棒に振って~アヘン窟探訪というあたりが、実は謎には直接かかわらないのだけど、話として「効いて」いる。で、子供の時はよく分からなくても、大人になるとこの話の風刺性というか、アイロニカルなあたりが実感できて大変面白い。
そうしてみると「赤毛連盟」あたりも、実のところホラ話のようなユーモア譚にリアルなオチがついている話みたいに見た方がいいのかもしれない。明治時代に翻訳されたときには、赤毛じゃなくて禿頭組合だったらしい(苦笑)。「赤毛のアン」も「にんじん」そうだけど、赤毛、って欧米じゃ妙な色眼鏡で見られる色らしいからね。赤毛の人々が群れをなして応募会場に詰め掛けているようすを想像するだに笑えない?(禿頭組合だったらさらに...w)
で「青い紅玉」。これ定型的なクリスマス・ストーリーで、悔悛してハッピーエンド、というあたりをきっちり押さえて読むと、ユーモラスでファンタジックな味を感じれると思うんだ。犯人抜けてるけどさ、それが素敵。「六つのナポレオン」が本作のバージョンアップだろうねけど、あっちはシリアスになるからねえ。
「まだらの紐」は意外に密室を強調していないというか、死因不明だから不可能性を重視していないんだよね。それよりも深夜の室内での待ち伏せの描写がいい。スリラー的な興味の方をずっと重視して書いているように思う。
「ボヘミアの醜聞」はね、依頼人はハプスブルク家関係者、ということになるから、どうやらルドルフ皇太子が有力らしい。「うたかたの恋」のルドルフだから、有名なマイヤーリンク心中事件をした人だ。心中が1889年だから、発表の2年前。まあ、いろいろ浮名を流した人でもあるから、アイリーン・アドラーとの関係も「ありそうな」話なんだろう。そういうロマンチックな「艶っぽさ」をイメージするのがいいと思うんだ。
「ぶな屋敷」はゴシック小説の定形にホームズを絡めたもの。犬の射殺とか考えると、バスカヴィル家の原型になっているのかもね。
....まあ話し出すと止まらないね。そういう作品集だもん。それだけ個々の話のエッジが立っている、ということでもある。

No.700 10点 ヘリオガバルス- アントナン・アルトー 2020/05/03 22:09
評者的キリ番だから、記念に奇書を。愛読の1冊のご紹介。この本くらい、神秘に肉薄した本もないものだ。
シュルレアリストの演劇人アントナン・アルトーが書いた「戴冠せるアナーキスト」、ローマ皇帝ヘリオガバルスの詩的評伝である。まあだから、当たり前に歴史を張り扇で講釈するようなシロモノではまったく、ない。

しかしながら、このように回転するイメージの中、ウェヌスの化身の血を引く魅惑的な二重の天性の中、そして精神の最も厳密な論理のイメージそのものである驚くべき性的矛盾の中に、両性具有的性格以上に歴然と現れているもの、それはアナーキーの観念である。

ヘリオガバルス、あるいはエラガバルスは3世紀初め、五賢帝からコンモドゥス後の内乱を制したセウェルス朝の皇帝なのだが、たとえばギボンによると、

ヘリオガバルスの異常な性欲はウェスタの処女を辱め、多くの妻を取り替えただけでは満足しなかった。女装することに愉悦を覚え、恋人たちを有力者にすることで帝国の尊厳を汚し続けた

と評される「ローマ史上最悪の皇帝」なんだが.....いや逆にね、評者もそうなんだけど、猟奇の徒の間ではねえ、最高のアイドルじゃない?最近こういう感覚の好きモノが増えたようで、pixiv百科事典あたりではもう「男の娘皇帝」の扱いで載ってるよ。

ヘリオガバルスが淫売婦の服装で、キリスト教会や、ローマの神々の神殿の入口で四十スーで身をひさぐとき、彼は悪徳の満足のみを追求しているのではなく、ローマの君主制を辱めているのだ。

まだまだあるよ、

・踊り子を親衛隊長に指名
・男根の巨大さにもとづいて大臣を選ぶ。
・御者を夫と呼んで妻の役割をするのを喜んだ
・元老院議員に「同性愛の経験、ある?」と聞いて、下腹部をなぜた

などなど、楽しいエピソードが満載で、こんな皇帝が存在したことが自体が信じられない。そういうアイドルを扱った本としても「奇書」なんだけども、作者アルトーも強烈に、イッてる人なので、このアナーキーの背後に、古代オリエントの神秘思想を透視する。

異教徒と我々の相違は、彼らの信仰の起源には、全的創造つまり神性と接触を保つために、人間として思考しないでおこうとする怖るべき努力が存在するところにある。

このような神々とその原理たちの劇場として世界はあり、とくにローマという大舞台での演劇、というかアルトーが構想した反=演劇的な「残酷演劇」のかたちで、「男性原理と女性原理の相克の劇」を推参ながらヘリオガバルスが自身の肉体の上で/として演じるわけだ。その「残酷演劇」、虚構を演じるのではなく、予定調和でもなく、生の残酷を示すものとしての「劇」が、観客(ローマ市民)の精神に爪痕を残すことになる...
だから当然ながら、この「劇」は4年しか続かない。ヘリオガバルスは「劇」が傷つけた兵士たちに追われて、便所で糞尿にまみれて殺される。その死自体が、きわめてメタ=演劇的だ。死を含めて「劇」であるこのヘリオガバルスの生涯に対するアルトーの結語は「彼は叛乱開始の状態で死ぬのである」。

No.699 10点 ラヴクラフト全集 (2)- H・P・ラヴクラフト 2020/05/03 14:30
評者お気に入りの「チャールズ・ウォード」収録の巻である。まずは「クトゥルフの呼び声」。いうまでもなく「神話」という見地では必読中の必読で、これ読まないとラヴクラフトの「神話」の一番「らしい」あたりが未体験になる。悪い作品じゃなくて、彫刻家が見た夢、ニューオリンズ奥地の奇怪な儀式..ときて、ルルイエ浮上と遁走、とくるのだけど、最後が怖くないんだなあ。やはり「絵にも描けないほどの恐怖」は、描いちゃうとどうしても言葉は空疎。これが恐怖小説の最大の逆説というか、ラヴクラフトの創意工夫は「描かずに体験させる」ということに収斂していくように思うんだよ。
次の短編「エーリッヒ・ツァンの音楽」はまあ、シンプルな出来で結構だけど、ラヴクラフトでなくても書ける。
問題の「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」。難点はただ一つ、妖術師を扱った作品で「神話作品じゃない」ために、ラヴクラフトでも神話作品に比べて知名度が低い、というだけ。「描かずに体験させる」ラヴクラフトの流儀が徹底していて、気を持たせて盛り上がったところで中断し、別な切り口で成り行きを知り、「何があったか?」はあくまで推測、だから読者は自身の想像力で「恐怖」を感じる。この「恐怖」はあくまで読者の中にあるものだから、絶対に古くもならないし、衝撃も弱まることもない。ラヴクラフトが技巧の限りを尽くして構築した大傑作だと思う。この技巧たるや、そこらのミステリの記述技巧も真っ青な精緻極まりないものだから、ミステリ・ライターこそ本作を研究する価値だってあるだろうね。「結末でこうなった」を冒頭で明示して、しかも全然バレにならずに「読者の想像の上手を行く」なんて趣向さえ見せているんだよ。
まあ、本作だと「描かずに体験させる」からだろうけど、会話描写さえ完璧に地の文に畳み込んだ描写が続き、最後の最後の直接対決で会話体での会話になる、なんて仕掛けもある。隅々まで神経の行き届いた「彫琢」ってこういう作品なんだと、評者は思うんだ。
ミステリ的なミスディレクションも、一応あったりする作品なので、ミステリ読者ほど読むことをお勧めする作品である。

No.698 6点 ブラウン神父の秘密- G・K・チェスタトン 2020/05/01 21:09
順番は前後したがブラウン神父も評者はこれでコンプ。というか、なぜか本作だけ昔読み落としていたと思う。初読感を感じるのがうれしい。
でもね、この短編集、バランスの悪い作品が多い...というか、ミステリとしてはヌカリの多い作品が多くて、意外にミステリとしては??となることが多かった。加えてこの人の「話の作り」が結構パターン化していて、以前の作品の無限のバリエーションを見せられるような気がすることもあるよ。まあそれでも、「ヴォードリーの失踪」はやや新機軸もあって、ミステリとして面白いと思う。

悪魔の心のなかでも、ときには真実を告げることが喜びとなるのです。それも、真実が曲解されるようなやり方で告げるということが。

となかなか鋭い機知を見せるけど、この作品のトリックはどうも不自然...まあ、「童心」のバランスは唯一無二なんだな。

しかしね、宗教的寓話の方は結構力が入っている。そっちのが評者は面白い。イギリスでは反体制なカトリックなので、神秘主義だやれ権威主義だと社会的な反感を買っている描写が、シリーズ中にもよく出るわけだがね。その世俗的な社会の方がずっと迷信にとらわれていて、宗教の側が全然迷信を排した一種合理的な一貫性を持つ、というのがチェスタートンの主張で、これをこの短編集だと「メルーの赤い月」とか、作品のネタによく使う。評者に言わせるとここらへん、日本で言うと浄土真宗と結構に似てるね、とも感じるんだ。
真宗王国福井出身の中野重治が上京して「なんて東京は迷信が多いんだ!」と慨嘆した話があるけど、評者も出身地が真宗王国だから、お寺でお守りやらお札やら祈祷やら見ると、とっても違和感を感じるんだよね。オカルトとか精神世界とかそういうのとは、宗教性とは全然関係がないと評者は思う。チェスタートンの立場もそういうこと。でこの短編集のラストに持ってきた「マーン城の喪主」でブラウン神父が「罪」について語るあたり、評者なんぞも「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 」とか言いたくなる。そういうことなんだ。
なりゆきだけど、評者のラスト・ブラウン神父が「マーン城の喪主」(とそれに続く同テーマの「フランボウの秘密」)で、何かよかったような気がする...まあこれは個人的感慨。

No.697 7点 ミステリ散歩- 評論・エッセイ 2020/04/29 15:51
各務三郎って評者かなり影響受けてる、と思う....いろいろ雑食にミステリを愉しむ、というスタイルだしね。この本はポケミスなんかに書いた各務三郎(というか、太田博署名とか)の解説やいろいろ雑文を集めたもの。軽妙に書いてあって、読書意欲をそそるように書けているのが何より。名作は「ある奇妙な死」とか「汚辱と怒り」とか、あるいはスパイ小説を「現代版恐怖小説」と断じた「スパイ小説は私生児」などだろう。いわゆる「奇妙な味」を扱った作品を重視しているあたり、各務氏らしい。

また、ミステリは、<論理の小説>と書かれており、また一般に信じられているようです。しかし、それはパズル・ストーリーだけにあてはまることで、さらにいえば<推論の非現実的なおもしろさを楽しむ小説>でしょう。そしてさらに、<魅力的な謎を生みだす感覚>を重要視しないかぎり、ちまちました作品しかできないよ(後略)

まさにそのとおり。フィージビリティとかね、悪い風潮だと評者は思うんだ。そういや評者が「本格」というタームを避け気味なのは、各務氏の影響だと思うよ。各務氏あたりが「黄色い部屋はいかに改装されたか」と並ぶ、ミステリの70年代モダンの先端だったようにも思うんだ。

あとねえ、評者実は各務氏と同郷なんだ。この本でも2か所ばかり正信偈とか蓮如の白骨のお文とか出てくるけど、西三河は真宗王国でね、評者なんて「三河人らしい...」なんてつくづく感じる。まあそういう意味でも各務氏には「先輩!」なんて親しみを感じているよ。

No.696 7点 殺意の演奏- 大谷羊太郎 2020/04/28 21:48
あれ、皆さん点がカラいなあ。本作あたり、いわゆる「新本格」のハシりみたいな作品だと評者、思ってるんだがな。だから本作も「虚無への供物」を相当、意識している作品で、上田敏「海潮音」の象徴詩論に触発されて、

一編の物語に対する解釈が、読者の好みに従って、少なくとも二つに分かれる、しかし、どちらのケースをとっても、作者が訴えたいテーマは読者に伝わる。

というリドル・ストーリー風の狙いを秘めた、密室&多重解釈モノなんだもの。明白に「匣の中の失楽」の先輩に当たる作品なんだが...乱歩賞を獲ったわりに、今の知名度がないみたいだ。残念だねえ。
まあもちろん、「虚無」の風格も「奇書度」も及ばないのはそうだけど、それ言うなら「匣」だって本作と似たり寄ったりの出来のようにも思う。ハッタリが薄くてシンプルな「匣」くらいに思って読むんなら、十分に楽しめると思うんだがねえ。それなりに良くできたメタ・ミステリというか「準奇書」だと評者は思うよ。というわけで、もう少し知名度が欲しいと思うので、「匣」よりイイ点にします。

あとどうでもいいバレで、本作は乱歩賞の選考に関するメタなお遊びがあるのでお楽しみに!

No.695 5点 赤いキャデラック- ジョー・ゴアズ 2020/04/27 13:10
子供の頃「帝国探偵社」って社名を新聞で見て、それこそホームズとかポアロが勤務するような「探偵会社」だと思ったことがあるが...興信所だから「企業信用調査」やせいぜい「浮気調査」がメインで、決算書とかカネの流れには強くても、アリバイとか密室とかにはまったくご縁のない会社であることは言うまでもない。「ダン・カーニイ・アソシエイツ」略称DKAも、「探偵事務所」だがメイン業務はローンの支払いの滞った車を、銀行の依頼を受けて回収する仕事だったりするわけで、リアルな探偵社なんて業務はこんなもの。それでもね、所属のベテラン探偵がダン・カーニイに間違えられて襲撃されて大ケガしたなら、おとなしく引っ込んだりはしない。何が何でも、落とし前だけはつける...
というのが本作。ネオ・ハードボイルドのシリーズの一つだが、アンチ・ヒーロー調のヒーロー小説かロスマク調か、という傾向がネオ・ハードボイルドにはあるんだけど、このシリーズはDKAという会社の話で、探偵も10人くらいいて集団戦である。で、三人称カメラアイ度もかなり高い。特に誰、にフォーカスしないから、ヒーロー小説度はゼロで、感情を切り捨てた本来のハードボイルドっぽさがある。
とはいえねえ、探偵も関係者も多く、カメラアイで、かなり頻繁に場面が変わる。読んでいて「あれ、誰だったけこいつ?」となりがち。エンタメとしては、比較的不親切な傾向の強い小説なので、短いわりに読むのに時間がかかる。警察小説に近いところもあるけど、本来の意味でのハードボイルドっぽさが強く出ているので、まあ、警察小説というわけでもない。アリバイ崩しみたいなものはあるが、トリックメインの作品ではない。まあ、普通?くらいの評価。

No.694 7点 歯と爪- ビル・S・バリンジャー 2020/04/25 16:45
有名な袋とじ本。戸川安宣氏の解説によるとカーの「雷鳴の中でも」とかエリンの「鏡よ、鏡」を引き合いに出しているが、評者どっちもイマイチだった...カーのはそもそも処女作の「夜歩く」が最初結末袋とじだった話があるから、作家生活30年記念作の「雷鳴の中でも」はそれに倣っただけだんだろうね。
で内容的にはサスペンス小説として読む miniさんのご意見に賛成。「クールなウールリッチ」という雰囲気で、ウールリッチがそうであるような「ノワール色」が出てると思う。なかなか雰囲気いいと思うんだよ。この雰囲気に引っ張られて、裁判シーンとのカットバックで、話がどう落ち着いていくかを見守ることになる。手品師の日常とキャリアも物珍しい話題になるし、少ない登場人物を丁寧に描写しているのが好感が持てる。
まあだから「ここまで主人公の人生に付き合ったからには、結末知りたいよね」で、評者は封を破ることになる....いいじゃないか、大したどんでん返しでなくても。パズラーだと思って本作を手に取るパズラーマニアは、作者じゃなくて出版社のトリックにひっかかった、のかもよ。

No.693 7点 上を見るな- 島田一男 2020/04/23 22:53
昔買った春陽文庫で。この本文庫本のクセに二段組だ。でこのサイトだと、家モノで結構盲点でナイスなアリバイトリックとかあって...だから本格になるけど、読み心地としては会話の軽妙な軽ハードボイルドという感覚。泥臭くなくていい。でしかも、自衛隊の演習地に収容する脇筋が、結末に向かって効いている。
短めの長編だが、家モノのこともあって、登場人物がかなり多い。まあ手が回らないキャラもいるが、主要キャラだと三輪子の現代娘っぷりとか、けんか相手の南部刑事とかナイスキャラ。評者あまり島田一男は読んだことないが、なかなか達者な作家だったんだなあ、と思わせる。本作は作劇も佳くてこってりとした味わいで楽しめる。

春陽文庫って時代小説とユーモア青春ものが多いけど、ミステリも結構出してたんだけどね、今はどうかしら....昔は乱歩とか横溝は春陽か角川だったし、乱歩賞受賞作とか結構あったし。けどここのカタログはアテにならないことで有名。漱石芥川だってここから本を出していた、明治11年創業の老舗出版社である。

No.692 6点 ドラゴン殺人事件- S・S・ヴァン・ダイン 2020/04/22 21:47
なぜか評者本作初読。犯人トリックとも的中だけど、あまり自慢にならない。ヴァン・ダインって「僧正」をホラーと思って読むと面白いんだが、「僧正」と違って本作はホラーとしてベタ。それでもスタム夫人の役回りとか、なかなか面白いものがあるが、ネタとしてはシンプル過ぎる話のように思う。
「別名S.S.ヴァン・ダイン」によると、「甲虫」でエジプトブームをアテ込んだ後は、目まぐるしく趣味を「犬」「熱帯魚」「カジノ」「競馬」ととっかえひっかえして、それまでの儲けを蕩尽するのがヴァン・ダインの暮らしぶりで、バブリーな消費生活の申し子みたいなセレブだったらしい。本作で披露される熱帯魚の知識とか、そういう中で手に入れたものらしいね。本作中で「ドラゴン・フィッシュ」とされているのは深海魚の一種のようで、アロワナじゃないようだ。
しかも龍に関するウンチクはなかなかマトモに楽しめる。日本に関するあたりはどうかな、田原藤太と竜王の件とかひょっとしたら熊楠か?竜王の玉の話は謡曲の「海人」。何かネタ本があるのかもしれないが、トンチンカンなものの多いエラリイのウンチクとは比較にならない。まあ、こういうネタ披露と死体発見が、単調な尋問を切り替えるかたちで目先を変えるので、結構読みやすい。
結構皆さん、「私」であるヴァン・ダインが不評なんだけど、ちょっと読みようを変えると、一人称固定のために、登場人物たちをすべて外面と発言だけで描写することになるわけだ。これはこれで、外面描写に徹したということになるから、意外なくらいに即物的なアメリカンの味わいだ。そもそもヴァン・ダインのスタイルの出発点には「セミドキュメンタリ」な狙いがあったようにも思うから、叙述スタイルからしてもハメットとの距離感はさほど遠いわけでもないように思うんだ。

No.691 6点 時間の習俗- 松本清張 2020/04/19 23:12
先日カーの「緑のカプセルの謎」の評を書いたんだが、作中で登場する16ミリ映画のことを、「ヴィデオ」と書いている評を見て、評者なんてショックを受けていたよ。まあ昭和なメディアの知識はどんどん時の彼方に忘れ去られていくもので、「知らない」世代を責めるわけにはいかないのだが、本作のトリックも、極端な話「なぜアリバイトリックとして成立するのか」さえ、そのうちに理解できない人が出てきそうだ。
トリックに使われた写真が白黒、というのさえ、実は最後になるまでちゃんと書いてない。まあ個人が撮るのが白黒が普通、という時代だから書いてないんだが、評者に言わせれば犯人の写真がカラーだったらたぶんトリックが見破られると思うんだ。メディアの特性を利用したトリックというのは、いろいろ取り扱いが難しい。でも、年寄りの評者に言わせれば、このトリック、実践するにあたって研究は必要だけど、かなり通用しそう...と感じているよ。
だからどっちかいうと、評者はこの作品、清張の俳諧趣味と、古代史への関心が出てて、そういう面に魅かれるのを感じる。こういうアリバイ崩しの地味系ミステリなんだけど、和布刈神社とか大宰府とか盛り込んで、ロマン味を出しているのが大衆小説としてのアピールポイントになっているように思う。まあ「点と線」の続編だから、九州ネタなんだよね(出身そうだし)。

No.690 8点 怪人二十面相- 江戸川乱歩 2020/04/18 15:09
その頃、東京中の町という町、家という家では、二人以上の人が顔を合わせさえすれば、まるでお天気の挨拶でもするように、怪人「二十面相」の噂をしていました。

この書き出しからして、すでにレジェンドだ。「二銭銅貨」の冒頭と似ている、という話もあるが、完成された乱歩の語り口とは比較にならないな。もちろんルパンに想を得て、少年向けに書かれたわけで、トリックにフィージビリティがないとかリアリティがないとか、そういうことを言うのは野暮だ。怪盗対名探偵のガチ対決に込められた、乱歩の夢の熱量にアテられないなら、本作を読む意味なんて、なかろうよ。

木造の観音さまの右手が、グーッと前に伸びたではありませんか。しかも、その指には、お定まりの蓮の茎ではなくて一挺のピストルが、ピッタリと賊の胸に狙いを定めて、握られていたではありませんか。

乱歩節、全開である。しかも「拳銃観音」というシュールな奇想までついてくる! 乱歩のアイデアって、絵として実にファンタジックなんだよね。語り口よし、絵にしてよし、簡潔にしてスリリング。場面場面のすばらしさに、終始圧倒された再読でした。

No.689 7点 青い鷹- ピーター・ディキンスン 2020/04/17 21:37
ディキンスンだと本サイトで「どこまでやるか?」が問題なんだけど、さすがに「魔術師マーリンの夢」とか「聖書伝説物語」とか絵本の「時計ネズミの謎」とかは、外れすぎかなあ...なんて思う。とりあえず本作でキリにしておこうか。
古代エジプトっぽい宗教国家で、少年神官として神殿に仕える主人公タロン。王のよみがえりを象徴する儀式は、神の化身である青い鷹が殺されてその血を王が受けることで完成するのだが、儀式の中で何をやってもいい、トリックスターの役割「神の羊」を振られたタロンは、神の声を聴いたと思い、鷹を奪って連れ出してしまう。このため王のよみがえりの儀式が完結せずに、神官たちは王を殺さないわけにはいかなくなる。タロンは自身の力でその青い鷹を馴らすことを命じられて、砂漠の荒廃した神殿に放逐される。その旧神殿でタロンは新しく選ばれた王に出会う。この王との友情をきっかけに、タロンは王と神官たちの争い、騎馬の異民族の侵攻、新しい儀礼と神々の支配からの脱却...といった身体的かつ形而上的な冒険に導かれていく。
「エヴァが目ざめるとき」がSFのかたちを借りた思想小説だったのと同じように、本書もとてもじゃないが児童向けじゃない。古代エジプトに舞台を取っても登場人物の思考や感受性が現代人そのままで、評者なんぞ「コスプレじゃん!」てシラける作品が多いのだが、ディキンスンだからそんなことない。神が自分の肌と隣り合わせにいるような、そういう時代の宗教的思考と感受性を、可能な限り本書は伝えようとする。儀式や儀礼が、単なるかたちでも一方的な祈りでもなくて、世界の意味を捉えなおし、まさに世界を作り変える行為なのだ。だからファンタジー・歴史小説と言うよりも、ほぼハードSFである。しかも歴史上で最初の「魔術からの解放」の瞬間を叙述しようとする小説でもある...
読み応えのある小説になっているのだが、読み込めばそれだけ難解なものになるタイプ。児童向けで描写は平明でも、一切手抜きなしのディキンスン、である。

No.688 8点 華氏451度- レイ・ブラッドベリ 2020/04/14 22:13
トリュフォーの映画ともども有名作。映像文化の発達した未来、本を読むことも所有することも禁止された世界で、禁制の本を焼くファイヤーマンを職業とするモンターグは、クラリスという少女と出会ったことをきっかけに、本に魅せられていくようになる...という話。
「1984年」のブラッドベリ版みたいなところがある。本が禁止されるのは、

人間は、憲法に書いてあるように、自由平等に生れてくるものじゃない。それでいて、けっきょくは平等にさせられてしまう。だれものが、ほかのものとおなじ形をとって、はじめてみんなが幸福になれるのだ。高い山がポツンとひとつそびえていたんでは、大多数の人間がおじけずく。(略)考える人間なんて存在させてはならん。本を読む人間は、いつ、どのようなことを考えだすかわからんじゃないか。

という理由。「1984年」のニヒリズム独裁ではなく、大衆社会の悪平等から来る反知性主義をうまく名指している。イマのポピュリズムの傾向を予言したようなもので、「1984年」の問題よりもアクチュアルなところがあるのが手柄である。しかし、本が禁止される代わりにテレビのショーや、マンガ、

そして、同時に、政府当局は考えだしたんですよ。国民には情熱的な唇とか、拳骨で腹を殴りあう物語とか読ませておくにかぎるとね。

とエンタメに特化した娯楽だけを提供するようにしたわけだ。としてみると、この「華氏451度」という本の存在自体が、かなり両義的な問題を含んでしまう。これが面白い。
実際、ブラッドベリも娯楽本位のパルプ・マガジン出身者のわけだし、この本も典型的な「ジャンル小説」のSFということになる。まあ今評者が書いているのもエンタメの大ジャンルの一つの「ミステリ」の専門書評サイトだ(苦笑)。「エンタメであることを否定するエンタメ」という自己否定的な本、という読み方もできるのだけど、まあそこまで考えなくてもいい。
本というものは、確かに商業的に書かれてビジネスとして書店に並べられ、買われて消費される。そういう意味ではタダの消費財にすぎない。しかしね、本書が指摘するように、「本の背後には人間がいる」。本に「著者」がついている限り、書店でも本というものは「商品のフリ」をしているに過ぎない。人間はそれ自身、売り物にはならない。
同様にSFやミステリといった「ジャンル小説」であっても、そのジャンルのルールに忠実であることがすべてではなく、そのルールに反逆したり、逸脱したりといった作者の創意と自意識によるジャンルとのせめぎあいに、一番の面白味があると評者は思っている。だからこそ、その本固有の面白味があり、その作者の独自の味わいがあり、そういうことを見つけていくのが書評である、と思うんだけどね。
もちろんブラッドベリなんていえば、SFでもジャンルから逸脱気味の作風であることは言うまでもないし、けして読みやすく消費しやすい文章でもなくて、商品としての価値が低いか...というと、そんなことはあるもんか。しかしね、ブラッドベリはさらにもう一つ奥に、両義性を抱え込んでさえもいる。「火星年代記」でも感じることだが、アメリカ特有の野人的価値観というか、もちろん反知性主義ともかなり重なって、本書の焚書を肯定するような感受性に、ブラッドベリのある部分は明白に魅せられている。文化を燃やし尽くす炎は美しい、

およそこの世界に、炎ほどうつくしいものはないだろうな。

トリュフォーの映画はこのポイントをきっちり押さえている。映画では燃やされる本の捲れて燃え上がりながらページを繰っていくさま、紙が褐色になり黒ずみ、黒い印字が逆に白く反転して見えるようになるさま、厚紙の表紙に気泡が膨れ上がるさま..を執拗に撮影している。この側面が否定できないからこそ、実のところ本書のどんな結末も、仮の結末にしかならないのだろうね。

No.687 7点 新宿鮫- 大沢在昌 2020/04/12 22:00
90~00年代あたり評者ミステリから結構離れてた時期があるんだけど、なぜか鮫の旦那だけは読んでたな。その理由を考えるとね、評者が指摘すると嫌がる方はいるだろうけど、このシリーズはゲイ小説として読めるんだよね。シリーズの始まりからしてインラン旅館の場面だし。まあだからシリーズ的にも鮫島と晶が結ばれる、なんて全然思ってもいなかったさ(苦笑)。で、正規の英題か知らないが、光文社文庫だと「The Saint in Sodom」って載ってるから、海外に売る時には当然そういうウリになるに決まってるよ、違うかい?
でシリーズ第1作は改造銃職人がゲイで、危うく鮫島まで貞操のピンチに陥る(ま、ピンチは貞操だけじゃないが)のが一番の見せ場な気がする。この職人が作った改造銃は何に仕掛けられているか?がミステリ的なポイントなので、ミステリ色が薄いわけじゃない。まあだけど、今はもうないもの(あるんだけどね)だから、読者が推理してアタるものじゃない。評者的には懐かしいけどね。
あと評者的な読みどころはオタクのエドくん。いかにもな脇筋をどう絡めるか?がこの作者らしい。襲撃犯の正体と動機に関する伏線も含め、手際よく捌いている印象。まあガンマニア、制服マニアってのも、マッチョなゲイ臭さが漂うものでね、二丁目のネエちゃんたちだけでなくて、全体に「Sodomな新宿」の小説という印象が強い。
まあこのシリーズもまったり楽しんでいこうか。評者は奇数番が好きな傾向がある。
(このシリーズ、意外に「ゲイ」って単語を使わないな。ホモとかオカマは出るけど、最低限にする配慮はある。ブランドステッター物はポリシーで「ホモセクシャル」だけどねえ)

No.686 6点 大統領の晩餐- 小林信彦 2020/04/12 11:29
本作面白いけど、この頃の大人向けオヨヨだと、一番ミステリ色は薄いと思う。ほぼ剣豪小説、とくに「師匠と弟子」のパロディを軸に話が組み立てられている印象。ミステリ読者としては、料理人の高学林と矢野源三郎の関係よりも、現在は「千面鬼」と名乗る、引退した怪人二十面相とオヨヨ、年老いた明智と大人になった小林少年..の中盤のエピソードが好きだ。

むしろ、悪事を考えまい、考えまい、としている。すると、おのずから、透明な悪の世界がひらけるのだな

いやいや千面鬼が到達した枯淡の境地、透明な悪の世界がひらけても、そのなんだ、困る(苦笑)。しかしこの境地も果て無き夢への執着の果てなのだ。

だって、きみは、怪人二十面相が好きだからさ。奴が死ねば、きみは、別な二十面相を創り上げるにちがいない。それで、夜も昼も、赤い夢を見て暮らすんじゃないかな...

と明智先生の指摘は、もちろんこれ読者に向けられたものなんだ。戦後ニッポンの理想も現実もすべてひっくるめて、昭和元禄花見踊りに踊り狂った時代の、夢の総決算みたいなものである。けどね、本書に出てくるさまざまな料理は、この本が書かれた時代には「高級レストランでしか食べれない料理」だったんだけど、オヨヨがとくにピザに所望したモッツァレラだって、今はスーパーで買えてしまう。昭和ヒトケタが夢見た70年代の食の夢も、平凡な日常に還元されてしまった今となっては、兵どもが夢の跡、といった感慨を感じるね。そういえば渋谷のムルギーってこの本で名前覚えて食べに行ったんだったなあ。ちなみに今もある名店ですな。そのうちまた行きたいです。

料理道を極める矢野にならって、ミステリ道を評者も...

(面白い?ミステリは面白いものとでもいうのか。いな、それは苦しいものでなければならぬ)

嘘うそ、ジョークです。求道小説じゃないからね(笑)楽しくやっていきましょう。

No.685 6点 四つの署名- アーサー・コナン・ドイル 2020/04/11 22:41
事件がなくて暇なホームズがコカイン注射で気を紛らす有名なシーンで始まる長編2作目。「緋色の研究」は事件が起きた後に警察に応援を頼まれて現場に行ったわけだが、本作ではホームズ一行が殺人現場にでくわす。そして犯人の後を追う追跡劇。「緋色の研究」よりもダイナミックな冒険色を強めた印象がある。
まあ本作だといわゆる「謎」は大したことはないので、ほぼこの追跡劇の面白味で作品ができているようにも思うんだ。ジャンル的には「スリラー」が適切なんだが...うん、だから「本格」というのはね、30年代にヴァン・ダインとクイーンが完成した、形式的は捜査プロセス小説で、フェアプレイに基づくパズル小説である「パズラー」が成立したあとで、そのルーツを辿って逆照射した系譜を「本格」として特別視しただけのことのように、評者は思っているんだよ。「本格」はジャンルじゃなくて、ミステリ史の概念だと思うんだ。
本作はホームズ聖典だから、当然歴史概念としての「本格」になるのだけど、内容は全然パズラーじゃなくて、ジャンルとしては伝奇スリラーだったとしても、何の不思議もあるものか。

キーワードから探す
クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1384件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(102)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(47)
ジョン・ディクスン・カー(32)
ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(26)
アンドリュウ・ガーヴ(21)
エリック・アンブラー(17)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)
アーサー・コナン・ドイル(16)