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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1446件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.766 8点 半七捕物帳 巻の三- 岡本綺堂 2020/11/08 21:14
この巻では関東大震災後の大正末年に書かれたものが多いようだ。

半七老人が語った隠密の話「旅絵師」の完成度が素晴らしい。互いに秘密を隠し持つ隠密とキリシタンが、互いに信用しあい秘密を守りあうことになるのが面白い。半七にはないロマンス色もあるし、主人公の旅絵師に身をやつした隠密に、隠密らしい諦念が感じられる良さがある。
また「少年少女の死」。いくら子供の死亡率が高い時代とはいえ、子供の死は痛ましいことに違いない。しかも殺人ともなれば....踊りの温習会で楽屋から消えた少女の死と、サイフォンの原理を使ったオモチャ「水出し」が引き起こした少年の死。一方は子供を奪われた母が理不尽にも他所の子供を殺し、一方は子供の死を責められて自殺する。それぞれがそれぞれに悲しい愛情のやり場がなくてのことである。これが哀切。

2巻の「津の国屋」のような怪談を...との「わたし」の要請で、半七老人が語るのは「あま酒売り」の老婆がもたらす奇病の話。「蛇神筋」という迷信だけども、江戸人はこれの実在を信じているわけだから、話の仕掛けとして使っていけないわけではない。迷信であっても、それに振り回される人々の運命は皮肉なものである。同じく迷信が生む悲劇は「松茸」にも登場する。あくまで怪異にかかわったリアルな人間主体のドラマなので、ホラーかというと、やはり違う。怪異はあくまでも仕掛けに過ぎない。
「海坊主」は海のヌシのような怪人がきっかけで海賊一味の露見につながる話だし、「人形使い」では人形芝居の人形が夜中にひとりでに役柄そのままに争いあうのを目撃した人形遣いは....という怪異が人生を狂わせる話。このように怪異を怪異として、「そんなこともあるか」と当たり前に受け止めて、その前提で巧妙に組み立てられた話を楽しむがよかろう。しかし「一つ目小僧」はこの怪異を巧みに使った詐欺で、江戸人の「怪異とは言ってもね」な合理性もまた別にあることを知らされる。

こういう怪異譚でなくて、捕物帳らしい捜査だと「雪達磨」「冬の金魚」などは「江戸のホームズ」らしい姿を楽しめるし、江戸の華である火事の中で半七が出くわす、暴れる熊とその死体がもたらす騒動の「熊の毛皮」、「異人の首」をネタに攘夷浪士を騙って強請りを働く連中を捕まえる「異人の首」...など3巻も実にバラエティ豊か。

その後「捕物帳」や「怪談」が話のパターンとして成立してくるにつれて、テンプレとして固まっていくいろいろな話柄が、ここではナマのまま、野性のままに、今の読者の想像を裏切るくらいの意外さで語られていく。半七とは「誰かに語られた江戸」から、さらに遡って「語られる前の声なき江戸」の混沌とした姿を垣間見る体験なのかもしれない。

No.765 6点 シャーロック・ホームズ最後の挨拶- アーサー・コナン・ドイル 2020/11/08 20:30
第四短編集。何か皆さん評判悪いけど、評者嫌いじゃない。「ブルース・パティントン」は推理もなかなか冴えていて、職業スパイを絞り込むくだりや、本当のスパイを巡る心理的な辻褄なども、よくできていると思うし、「ウィスタリア荘」で「堅物のエクルズ氏に近づいた理由」というのも、なかなか皮肉(というかイギリス人の自惚れ?)。この短編集では、国際的な広がりの中で事件が起きている、という印象を強く受ける。大概の事件が海外に絡んでいるんじゃないかな。

今回評者がとくに面白い、と特に思ったのは「フランシス・カーファックス姫の失踪」。海外のリゾート地で過ごす、金持ちで身よりの少ない独身女性をターゲットにして、うまく「失踪」させてその財産を奪取する「犯罪ビジネス」をホームズが暴く話で、この狙いのリアリティ、死体の始末の仕方など、ほぼ社会派的な面白さのように感じる。まあだからいかにも「市井の事件」の感覚の「ボール箱」だって、「リアルな事件」としての取り柄はありそうだ。

で「最後の挨拶」だけど、皆さんご指摘の様に客観三人称の叙述で、あたかも舞台劇を見ているかのよう。三人称が徹底しているので、心理描写は皆無。だから「マルタの鷹」みたいな三人称ハードボイルドに通じる面白さも感じるところがある。言うまでもないことだけど「ワトスン」の発明が、ホームズ以上のドイルの大発明なのだろうけども、この「ワトスン」なしで何ができるか?ということでもあるのだろう。「事件簿」はホームズ一人称作品もあるしね。

まあだから、ホームズ=「冒険」で確立した「ホームズっぽさ」だと思い込んでしまうと、その後の展開を詰らなく感じるのかもしれない。それよりも、その後もそれぞれにそれぞれの面白さを見つけて楽しむのことお勧めする。

No.764 7点 ペトロフ事件- 鮎川哲也 2020/11/08 11:47
評者の父は満州からの引揚者でね、祖父の一家は大連に住んでいた。父が買った「アカシヤの大連」も家にあるので、いい機会だから本作と連続して読んで、かつての自由港で国際都市だった大連を立体的に楽しもうと思う。

大連からの引揚者にとって「ペトロフ事件」と清岡卓行の芥川賞受賞作「アカシヤの大連」は二大「懐かしの大連の小説」で昔から有名だった。同じ大連という都市が舞台で共通の地名が登場するから、「アカシヤ」を読んでは「ペトロフ」の地図を見て位置を確認し...と、こういう楽しみ方もあるものだな。アカシヤの花が甘い香りを漂わせ、放射状の街路が走るレンガの街、大連。日本の租借地で中国人(父は「満人」と呼んでた)も、あるいは「ペトロフ」の中心家族のような白系ロシア人も..といろいろな人種が混住する都市でもある。
鬼貫もロシア語に堪能なことを買われて、この白系ロシア人財産家の殺人事件の捜査に当たる。事件の現場は大連から旅順に向かう途中にある海水浴場の夏家河子。「アカシヤ」にもこの海水浴場の記憶が描かれている。この財産家の老人の三人の甥たちのそれぞれのアリバイを、鬼貫は崩していく。中には文化的な違いがコミュニケーション・ギャップになって成立するアリバイもあれば、鮎哲らしいガチの時刻表アリバイもあり....最後の結末は満鉄が誇る超特急「あじあ」に乗って、ソ連が目と鼻の先の哈爾浜へ。

五分の停車で "あじあ" はふたたび走り出した。むかし海に近かった名残を駅名にとどめる海城をあとにして、製鉄所がある鞍山を発車するころから、時速は百二十キロになって、煙硝のにおいの濃い首山、遼陽を通過すると、渾河を渡って奉天に着くのが14時17分。大連を出て五時間、四百キロの行程であった。

こういう描写が、日本古典の「海道下り」のように旅心を誘う。清岡卓行も土木技師の父が、哈爾浜に単身赴任していたこともあって、夏休みにやはり「あじあ」で満州の大草原を駆け抜けた感動を書いているのが、この読み比べの醍醐味だ。

アリバイ崩しも、アリバイが崩れればそれで終わり、では味気ない。それをまたさらに駆け引きに使った結末の付け方がナイス。時刻表アリバイって、ある意味「誰にでも客観的に解ける」トリックのわけだから、単に「こう乗り換えれば、できる」じゃ、意味がない。このトリックを更に使って...と、処女作でもさらに踏み込んでいるのが、さすがに感じる。
処女作らしい覇気と新鮮さを備えた作品なのだけど、やはりそれを支えたのは大連という街に対する鮎川の愛着と追憶であることは間違いなかろう。「アカシヤの大連」ではこの街をこのように哀惜する。

五月の半ばを過ぎた頃、南山麓の歩道のあちこちに植えられている並木のアカシヤは、一斉に花を開いた。すると、町全体に、あの悩ましく甘美な匂い、あの純潔のうちに疼く欲望のような、あるいは、逸楽のうちに回想される清らかな夢のような、どこかしら寂しげな匂いが、いっぱいに溢れたのであった。

評者の父も育った大連をどのように追憶したのだろうか。

No.763 7点 恐怖の谷- アーサー・コナン・ドイル 2020/11/06 09:26
1915年のホームズ最終長編。例によって二部構成で、第一部はいわゆる「バールストン・ギャンビット」の話。とはいえ「ノーウッドの建築業者」をひねったもの、みたいにも読めるようにも思うんだ。ドイルという人は、トリック面ではいろいろとバリエーションを試みる傾向が強いから、短編+モリアーティを再登場させてその影を投影する...という狙いで見た方が適切じゃないかな、なんて思う。
で、問題は第二部。ピンカートン探偵の話で、ギャング秘密結社が支配するアメリカの炭鉱町が舞台。だから「赤い収穫」みたいなもの。評者は前から書いているように、ホームズとコンチネンタル・オプを直結して理解した方がずっと有益だと思っているわけだけども、一番それを強く感じさせるのがやはり本作なんだよね。ちなみに本作が出版された1915年は、ハメットがピンカートン探偵社に就職した年だ。

ハメットはその後第一次大戦の兵役による中断があるけど、戦後に探偵に復帰して体を悪くして作家に転身する。探偵稼業の経験を生かして書いた最初の作品は1922年。「恐怖の谷」のたった7年後である。それこそ、「「恐怖の谷」を読んでピンカートンに就職しました!」とか「ピンカートンは「恐怖の谷」みたいなヒーローじゃないって書きたかった」とかハメットが言ったとしても(言ってないが)、全然不思議じゃない時間間隔だ、ということが、どうも皆さんの理解から抜け落ちているようだ。
つまりね、いわゆる「ミステリ史」というものは、特に「日本でのミステリ受容の歴史」を暗に密輸した、イデオロギッシュな「概念史」であって、時系列を反映したものではほとんど、ないというのが見過ごされていると評者は思っているんだ。
1920年代って実は混沌である。ドイルはまだホームズを書いているし、チェスタートンはブラウン神父を書いている。1920年にはクロフツとクリスティがデビューしているし、「ブラック・マスク」創刊は1922年で、その初期からハメットは活躍して「ハードボイルド」を確立し、その総仕上げが1929年の「赤い収穫」ということになる。「ホームズ→短編黄金期→長編パズラー黄金期→ハードボイルド」の時系列で捉えていては、実態を把握し損ねるだけだろう。現実は「すべて同時に起きている」に近い混沌である。

ただし、「恐怖の谷」と「赤い収穫」を直接比較した印象に強い「断絶」があるのは確かである。それは第一次大戦で起きた大きな変化に起因するものだと捉えた方がいいようだ。ヨーロッパ世界の根底が崩れるような惨禍によって、それまでの「正義」や「秩序」も崩壊して、ピンカートン探偵は「正義の騎士」ではなくて、ポイズンヴィルの毒に当たったアンチヒーローに成り代わり、鉱山を乗っ取ろうとするギャングたちは、そもそも労働運動を弾圧するために経営者たちによって導入されたのが、「軒を貸して母屋を取られる」ハメに陥った自業自得。警察は完全に腐敗して、ピンカートン探偵に協力して街の浄化を助けるどころか、そのギャングの勢力の一つみたいなものである...と、この「恐怖の谷」と「赤い収穫」の違いには、第一次世界大戦が引き裂いた世界の現実と、それによって変化した「世界の捉え方」の違いである。かくも短い期間に、これほどにまで「世界の見え方」が変化したことに、驚きの目を瞠るべきなのだろう。

No.762 6点 中央流砂- 松本清張 2020/11/03 22:03
何となくNHKのドラマ('75)が見たくなった....原作読んでNHKオンデマンドで視聴。評者中学生になったばかりで、清張がオトナの世界への案内役みたいなものだったなあ。ドラマの演出は「アップの勉」和田勉。

農水省のノンキャリア役人、山田は岡村局長から、同僚の倉橋課長補佐が、作並温泉で事故死したことを告げられ、その遺体を東京に移送するように命じられた...農水省は倉橋とその下の大西係長が汚職容疑で取り調べを受けたことで騒然としていた。渦中の倉橋は岡村局長から捜査から避難するかたちでの仙台出張を命じられていたのだった。山田は倉橋とは官舎もご近所で付き合いがあったのだが、命じられて遺体を引き取りに行った先の作並温泉では、農水省に出入りする業界紙の経営者で弁護士の西がいた。倉橋は死の前夜、西弁護士と過ごして、瀕死の倉橋を発見したのも西だそうである.....

倉橋君、ぼくは君に善処してもらいたいのだ

西弁護士は作並温泉に逃亡した倉橋課長補佐に、こう願う。「善処」、よいように取り計らう婉曲な言い方である。この場合の「善処」の意味は....ドラマでは、西弁護士は加藤嘉で少し意外な配役(西村晃か宇野重吉が順当?)。対する倉橋は内藤武敏で融通が利かない感じ。「善処」自体には悪い意味は一つもないが、責任を他人に押し付ける言葉だ。加藤嘉がにこにこと害意なさげに「善処」という。人のよさそうな加藤だから、なおさら怖い....ナイスキャスト。
で、エリートの岡村局長は佐藤慶。この「松本清張シリーズ」の立役者みたいなもので、「天城越え」では被害者の土工。評者にとって佐藤慶は「悪のカリスマ」だ。子供のころから大好きだった俳優さんである(歪んでるな)。大学生になってATGの作品で堪能したが、その頃はサトケイの略称でシネフィルの間では大人気だったのが懐かしい。佐藤の岡村局長は、警察の取り調べを受ける可能性が高まった山田(川崎敬三)に、予行演習をする。小説だと奇妙に圧迫感のあるシーンだが、映像にするとヘンに喜劇的で、役所の権力関係のバカバカしさみたいなものを覗かせる。
で、倉橋の遺された妻子は...というと、役所の丸抱えでの生活が保障されて、

未亡人はにこやかに山田に挨拶したが、その態度は以前とはうって変わって、すっかり一人前の女外交員になりきっていた。みたところ、化粧も服装も派手で、五つも六つも若返ったように見えた。(略)これが夫の死の当時、あれほど嘆き悲しみ、眼のふちに黒い隈ができるほど悲観していた女と同一人物だろうか。山田は、生活環境の変化とはいえ、このように人間が豹変するのをはじめて知った。

ドラマでは未亡人に中村玉緒を持ってきて、出演順も玉緒がトメ。この「豹変」を絵で表現できる映像向けの原作だったから、70年代のNHKドラマ黄金時代の「松本清張シリーズ」の第一弾に採用されたのではないかと思うくらいである。

原作は清張お得意の小官僚モノで、ミステリ的興味は薄いものだけど、人間というものの「非情さ」を描いて、しかも映像にしてこれほど「絵になる」というのを見抜いた和田勉の慧眼がすばらしい。映像込みなら8点だが、原作の評価点にしておこう。

No.761 5点 死びとの座- 鮎川哲也 2020/11/01 18:18
鮎哲の長編としては最後の作品。この頃って「沈黙の函」とか「王を探せ」とか新刊で出たら買ってたんだけど、本を整理したときに売っちゃったなあ。今思うともったいない。

最終期鮎哲って、ユーモア・ミステリみたいなんだよね。もともと描写あっさり軽めの作家だったけど、晩年は「ふわっ」として筆致になっていて、ヘンな名前の仕掛けがあったり(確か犯人と同姓同名の人が読者にいたら申し訳ないから...とか言ってなかったっけ)、クラオタ作家の面目躍如で、クラシックの蘊蓄が延々...とかね。でこの作品だと、一旦容疑者のアリバイを偽証することになったミステリ作家高田が、狂言回し的に真犯人を探すことになって、という展開。この高田、自分で一種のアリバイ工作までして鬼貫に叱られるんだもの。もちろん作者自身の投影。

なので、ヘンに私小説みたいなミステリ。晩年様式、といえばそんなもので、自他の区別が混淆される傾向が強まるけど、モチーフ把握力は落ちてくるので、話がメリハリなくズルズルと続いていく。脱力してお気楽に読むようなものか。
それでも鮎哲だから、アリバイトリックはある。どっちかいうと、「死びとの座」のトリックよりも、ホステス殺しの方のアリバイの方が、いろいろ転がせて面白いようにも思うんだ...でも長編ネタかというとそうでもないか。アイロニカルな切れ味のいい短編で書いた方が生きるトリックかもしれないね。

No.760 7点 緊急の場合は- マイクル・クライトン 2020/10/30 22:27
これは結構すごい。まだ医学生として在学中の学生が書いた医学ミステリだけど、MWAの新人賞どころか本賞を獲ってしまった作品である。作者の名前はジェフリイ・ハドスン。実はこれはペンネームで、本名はマイクル・クライトン。というのは、どうでもいい話、といえばいい話だ(というとカッコイイんだけどね)。

今アメリカは大統領選挙たけなわなんだけども、トランプ支持派には「中絶反対派」がいて、下手すると中絶医を殺したような連中も含まれたりする...アメリカでは延々政治問題化して、今だに国論を二分する大論争のわけである。
この小説の舞台はボストンの大病院。心臓外科医の娘、カレンが大量の出血とともに救急に運び込まれた。出血原因は妊娠中絶だと、付き添いの義母は言い、中絶を行った医者を名指す。その医者アート・リーはヤミで中絶を行っていたことが一部で知られてはいたが、カレンの中絶はしていないとあくまでも否認する。アートの親友で病院勤務の病理医ペリーは、カレンが妊娠していない証拠の血中ホルモンのサンプルを得て、アートの容疑に疑念を抱き調査を開始する。中国系のアートに対する差別、妊娠中絶に対する宗教的な拒絶と中絶医に対する迫害、絶対的な権力を病院で振るう代々医者の名家の理不尽、ペリーの調査は医学界の暗部に迫っていく....
いや、評者が褒めるのはこういうテーマ以上に、小説としての上手さがとってもじゃないけど、新人離れしているあたりである。比較的長くて、医者の世界のややこしい状況を垣間見させる小説だけど、全然長さを感じさせないリーダビリティと、このややこしさをややこしいままでしっかりと理解させるような冷静な筆致、そして性格描写とキャラ造形の上手さ(医者たちが揃いも揃って変人多数)に驚く。

頬骨で氷のキューブを割れそうなほどかたい感じだった

なんて、カレンの義母を描写するんだよ。そして、

だれが数えてもおなじだが、人間の病気には名前がついているのが25,000 あって、そのなかで治療法がわかっているのは 5,000 だ。

とかね、こういう小ネタを織り交ぜて読者の興味を引いていく語り口の上手さ....いやいや、マイクル・クライトンって名前がついてるのは本当に伊達じゃない。ちょっと驚くくらいに達者な作品で、最初から老成したうまさを感じさせて、空恐ろしいほどである。

No.759 6点 眼の気流- 松本清張 2020/10/27 22:09
60年代清張の短編集。全体的にミステリ色は薄めだが、下積みの鬱屈した男たちの情念が漲る、清張らしさ存分に発揮の短編集。読んだの中学生くらいだったんじゃなかったかしら....

「眼の気流」一応殺人事件と捜査があるのでミステリなんだけど、タクシーの運転手が妙に屈託して探偵マガイなことをする方のが、ミステリ的な興趣がある。目撃証言の謎はあるけど、結末は肩透かし。構成に失敗したのかな。
「暗線」不幸な生まれをした父の出生の謎を追って、家系調査をする話。山陰の山間の村の話で、古代史に造詣深い清張なのでたたら製鉄の話なども出る。同じ兄弟であっても、生まれの違いでその後の人生に大きな差が出てしまう不条理に、祖父の墓を訪ねようとした主人公は、やりきれない気持ちになってしまう....
「時計」は新聞代理店主とよくできた妻が、若い受付嬢の結婚に際して...という話。突き放したような話だが、これはこれで夫婦と男女関係の真理を突いているようにも思う。
「たづたづし」不倫の相手を山中で絞殺した官吏が、殺したはずの女が息を吹き返して記憶喪失になっていることを知る。皮肉な話だが、オチがついたようなつかないような、微妙なあたりが清張らしい。古歌を引いているあたりが、うまいところだなあ。
「影」売れっ子時代作家のスランプに、代作を提供した作家志望の男が、ともども転落する話。なぜかこの話、結構細かいところまで覚えていた。中学生だから、男女の機微がキモの他の作品はあまり覚えていないんだろうな...

少し前に80年代に流行作家だった女流の短編集が、今読むと風俗がとても古臭く感じたのと比較すると、清張は「より古い」のだけども、古臭さをさほど感じないのは、やはりさすがなものだ。陳腐な言い方だが、それだけ人間の普遍性を作品に昇華しているんだろう。

No.758 8点 笑う警官- マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 2020/10/25 22:14
警察小説の「ミステリとしての面白さ」ってどこにあるのか?というと、それはおそらく、「犯人・真相が見え隠れしながら浮かび上がってくるさま」にあるんだと思う。本作はそれまでの3作よりずっと構成が複雑化して、その分この派手な大量殺人の根深い背景・犯人がじわりじわりと浮かび上がってくるのを存分に楽しめる。マルティン・ベックもやはり本作で完成した、というべきだろう。

で今回誰が殊勲か...というと、それはやはり

実はステンストルムって刑事が、とうの昔にケリをつけていたのさ

と最後にラーソンが評するように、若くして大量殺人の被害者となったステンストルム、ということになるのだろう。上司であるベックが、直接の部下で被害者となったステンストルムを回想して、

それにしても彼はどうしてステンストルムに関して、そんなにわずかしか知らないのだろう?観察力に欠けていたせいだろうか?それとも、もともと知るべきことなどたいしてなかったからか?

と反省するあたりの「苦さ」が、「オトナの小説だな...」なんて感じさせるところである。

作中でもベックは娘から最近笑った顔を見ない、と指摘されて、そのために娘からクリスマスのプレゼントは「笑う警官」。古いコミックソングのレコードなんだけども、少しも笑えない(YouTubeの「The Laughing Policeman - Charles Jolly / Penrose」で聞ける)。まあベックって胃痛やら風邪気味やら心気症に悩んでいつも苦虫を噛み潰したようなイメージがあるからね。この曲で聞けるような高笑いを、マルチン・ベックができる日は....来ないなあ。最後に低く笑うのは自嘲みたいだよ。

こんなアイロニイが効いた作品でもある。

No.757 6点 クイーンのフルハウス- エラリイ・クイーン 2020/10/25 21:48
パズラー作家の短編というのは、長編と比較したときの存在意義をどう捉えるか?というのがクローズアップされるような短編集だと思う。

「ドン・ファンの死」は...まあこれ、ダイイングメッセージもロジックも易しいと思う。すっきりはしているけどね。その分メロドラマ風。長編にして...う~ん、あまり魅力がないのでは。
「Eの殺人」「ダイイングメッセージが何を伝えうるか?」という限界みたいなものを提示しているのが面白いといえば面白いけど、駆け足すぎて不発になってるように思う。
「ライツヴィルの遺産」こういう話になると、妙にメロドラマ風になるのが? 推理としては...無理筋だと思うんだけどなあ。最後の罠も意味不明だし。
「パラダイスのダイヤモンド」は、小品でダイイングメッセージも日本人にはどうでもいいし、推理に内容がないんだけど、「これぞリーだね」と思わせる文章の華麗さが、いい。評者とかはリーの文章が好き、が結構ウェイトが高いんだよ。
「キャロル事件」は、皆さんご指摘のように「災厄の町」とかああいうライツヴィル物らしさがある話。人情探偵エラリイになっちゃてるわけで、小説としては悪くないんだけど、たぶん本作が長編になったら文句をつけたくなる人が多いのでは...なんてヘンな心配もする。ロジックは通ってはいるんだけど、長編でこれをやると、肩透かしみたいなことになるように思う。短編で「よかった」のでは。

ちなみに「推理の芸術」では「ドン・ファン」「Eの殺人」は執筆がリーではなくてバウチャーではないか、と疑っている。絶対、リーじゃない。作品によって、かなり文章に差が激しいのを感じる。

No.756 7点 ラヴクラフト全集 (5)- H・P・ラヴクラフト 2020/10/24 21:08
ラヴクラフト全集も通常巻は5巻まで。6巻はファンタジー色が強いし、7巻は資料的だし...お待ちかねの「ダニッチの怪」を収録の巻である。まあこれには、創元の「重複収録回避」のクセが影響しているんだろう。「ダニッチ」は「怪奇小説傑作集3」に「ダンウィッチの怪」で収録されているからねえ。
長めの作品はあと「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」「レッド・フックの恐怖」「魔女の家の夢」なんだけど、これらがものの見事に面白くない。安めでマンガっぽいか、怪異に巻き込まれる主人公の主観ばかりで動きがなくなって...で、良さが出てないない。

としてみると「ダニッチ」の良さは、クールな客観描写の良さなんだと思う。ラヴクラフトって語り手の「語りの仕掛」が積極的に出た作品がいい印象もあるけど、「ダニッチ」は抑えた客観描写が、いい。ウィルバーが図書館で死ぬ描写の、

しかし腰から下が最悪だった。ここでは人間との類似がまったく失われ、紛れもない怪異なものになりはてていたからだ。皮膚はごわごわした黒い毛にびっしりと覆われ、腹部からは緑がかった灰色の長い触角が二十本のびて、赤い吸盤を力なく突出していた。その配置は妙で、地球や太陽系にはいまだ知られざる、何か宇宙的な幾何学の釣合にのっとっているようだった。

微に入り細に入りの視覚的描写のクールさが印象に残る。番犬に襲われて死んじゃうような情けないモンスターなんだけど、この死にざまが作品の頂点になっているのが面白いところ。まあだからその後の「見えない怪物」をやっつけるシーケンスはオマケみたいなもの。「見えない怪物」だからこそで、有線放送電話(懐かしい)による声だけのレポートがうまくマッチしてはいるけどね。

「ダニッチ」は評者のラヴクラフト三大名作の一角だから、別格の面白さだけど、この短編集だと「神殿」や「ナイアルラトホテップ」に、散文詩的な良さがある。スタティックな話だと、ラヴクラフトの筆は冴える。「神殿」は「ゴードン・ピム」のオマージュじゃないかな。

(「魔女の家の夢」って、非ユークリッド幾何学やらアインシュタイン宇宙論やらと、伝説やら魔女が通底する話だから、実は「僧正殺人事件」とコンセプトが似ている。ラヴクラフトとヴァン・ダインって、生没年がほぼ同じで、並べてみると面白い)

No.755 5点 毒ガス帯- アーサー・コナン・ドイル 2020/10/24 20:54
チャレンジャー教授モノの中編「毒ガス帯」に、短編「地球の悲鳴」「分解機」を収録した短編集。「失われた世界」よりもSFらしさは高いけど、科学考証はダメダメなのがドイルらしい。
「毒ガス帯」は地球が宇宙空間で有毒ガスが漂う地帯に突入し、人類全滅か?という話。スペクトルのフラウンホーファー線に異常が起きたのを知ったチャレンジャー教授は、毒ガス帯突入を予測して酸素ボンベを仲間に持ってこさせて、「失われた世界」のクルーと妻の5人で突入に備える。バタバタと毒ガスを吸って倒れる人々。翌朝毒ガス帯を抜けたらしく、生き延びたチャレンジャーたちは、死体だらけのロンドンを行く....
まあ、フラウンホーファー線のにじみから、なぜ毒ガス帯突入を推測できるか、とか説明しないしね、「エーテルが有毒になる」は設定、でいいんだけど、酸素を吸ったら生き延びれるのはレベルが違うから、なんでそんなことが推測できるのか意味不明。科学性が薄いのはそうなんだけど、この毒ガス、実は致死性がなくてみな次の日には復活してしまう.....う~ん、ドイルさん、何かあったの?次のチャレンジャー物は心霊学を扱った「霧の国」だからねえ。オカルト志向の方がSFよりも強いんじゃないかな、なんて思う。
「地球の悲鳴」はガイア説みたいに、地球が生命体で...という設定で、地殻に深く穴を穿ったチャレンジャーが、地球に針を刺してみて「地球に人類がいることを知らせてみる」という話。ホラ話みたいな面白さがある。この本ではこれがベスト。
「分解機」は内容的にはショートショートと言われても仕方ないくらいの話。科学を悪用する科学者をチャレンジャーがお仕置きする話で、つまらない。

No.754 5点 闇の中から来た女- ダシール・ハメット 2020/10/22 20:56
極めてヘンテコな本だが、このヘンテコさにハメットが全然かかわってないことでも、さらにヘン。

R.B.パーカーの序文も何かテキトーで、全体の半分が「マルタの鷹」のフリットクラフト話と、チャンドラーによるハメットの文体論の引用。で結末を強引にハッピーエンドにしたがっている。
で、小説は3章183ページの中編...ということになるけども、割り付けがスカスカで見るからにページ数が足りなくて単行本にしづらいのを、水増ししようとしている。こんなことするなら、1つでも2つでも、雑誌掲載だけで入手困難な短編でも訳してくれればいいのに。
訳者&解説は船戸与一。パーカーの序文を「パーカーはハメットの地下水系の流れに鈍感だから、そんなふうに浅薄な読み方をするのだ」と軽くバカにする。まあ、パーカーの序文に問題はあるんだけど、船戸だってハメットをマルクス主義で読むのを言葉で否定してるのに、中身はゴリゴリの左翼的な社会学テイストの評論。でも「W.ブレヒト」って誰よ。編集者チェック入れないのかしら。
空さんもご指摘だけど、訳文の視点で違和感が...と評者も感じた個所がある。それが訳者曰く「読みやすさを考えてのうえでである」。だから本作はハメットが「マルタの鷹」で到達した三人称カメラアイの世界を、かなり甘口に仕上げたのでは...なんて疑惑を持たれても仕方がないんじゃないかしら。

肝心のハメットの小説の中身は、行きずり男女の逃亡話。ブリジッドやらダイナのような意識的に「悪い女」じゃなくて、「無意識的にだけど、悪い女にならざるを得ない」悪いといえば悪い、不幸だけど強い女性の肖像。魅力はあるから強引にキスされたり、膝をなぜられたりするけども、されたらしっぺ返しをする女。「危険なロマンス」って言うけど、オトコ以上にハードボイルドな女のようにも感じる。まあだから、たとえばフリットクラフト話が明らかにすることっていうのは、ハードボイルドのオトコたちが「シアワセになれない不幸な男たち」だというアカラサマな現実だったりするわけで、同様に本作のヒロイン、ルイーズ・フィッシャーも、この一件がかたづいてもシアワセになれそうな気配が、全然、しない。見方を変えるとハードボイルドって「悪い女の小説」と読めるんだけど、この「悪い女」のリアル版みたいなところもある。そこらで「郵便配達」に通じるのでは、なんて思う。
そういう小説。そこそこ面白いけど、タゲ層がよくわからない。

No.753 7点 勇将ジェラールの冒険- アーサー・コナン・ドイル 2020/10/22 14:27
さて、ジェラール准将短編集は2冊あって、その2冊目。「冒険」「回想」はホームズの専売特許ではなくて....なんだけど、ジェラール准将が「冒険」で「回想」なのは、とくに「回想」が東京創元社がわざと仕掛けたか?となるような強引な訳題だからである。'the Exploits of Brigadier Gerard' が「勇将ジェラールの回想」になるには作為が必要だからねえ....素直に訳せば「功績」とか「手柄話」くらいなものなんだから。ちなみに Brigadier はよく「准将」と訳されるけど、ナポレオン麾下だと「旅団将軍」になる。ワーテルローの後に旅団長=准将にしてもらえたみたいだ。なので将官なのは間違いないから、「深夜プラス1」で将官扱いされなくて不満なフェイ将軍の Brigadier とは名称は同じでも、扱いは歴史の上で揺れている。
で、この後の方の短編集だけど、「回想」よりも歴史小説度が高まっている。「回想」は「歴史の裏で、ナポレオンのために戦うジェラールの冒険」という感覚だったが、「冒険」は逆に「歴史の中でナポレオンのもとで戦うジェラールの戦記」。マッセナ元帥の下で「トレズ=ヴェドラス防衛線」から友軍を無事撤退(半島戦争)させるために命懸けの潜入をするとか、ロシア遠征でネー元帥の下で撤退する遠征軍の殿軍を務める話とか、ワーテルローではグルーシー元帥への伝令として派遣されるがグルーシーを見つけられずに...(これワーテルローの敗因に挙げられる有名な話だ)で、おしまいはセントヘレナのナポレオンの臨終に立ち会う。とまあ、お話だからね、「この現場に居たら、ホント凄いよね」という花形のシーンが連続する。
まあだから、「回想」以上に、ナポレオンの戦記に詳しければ詳しいほど、楽しい小説になる。こっちは「歴史・時代ミステリ」にカテゴライズ。
とはいえ、友軍に撤退を知らせるために、狼煙を上げる任務を仰せつかったジェラールは、ゲリラに捕まって任務を果たすどころじゃない...が一発逆転の秘策が!なんて話とか、ヒネリもあってなかなかナイスでドイルらしさも十分発揮。
それでも歴史小説度が高くなってしまう分、ミステリマニア向けからは離れるかもしれない。しかし考証ばっちりでケチがつけれない歴史小説だそうである。ドイルの凝り性が発揮されている。

No.752 6点 バルコニーの男- マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 2020/10/17 17:26
久々にマルティン・ベック。日本での紹介は本作が一番最初だったわけだから、マルティン・ベック日本初登場の作品である。「ロセアンナ」の時にも書いたが、このシリーズはスエーデンの国情を反映してか、70年代の性解放を先取りしたところがある。なのでおそらく「少女の敵」連続少女暴行殺人事件をテーマにした作品ということでは、最初の作品になるんでは?と思う。どうだろうか。アメリカは性道徳がキビシイために、エンタメで性犯罪を扱うのが難しいところがあったからね。
そう見ると、本作がシリーズ中でも最初に紹介された、というのはやはりセンセーショナルな目的があったのでは、とも感じる。その次の紹介が大量虐殺の「笑う警官」だから、性犯罪の本作が比較上霞んでしまうが、海外ミステリ紹介では後れを取っていた角川が、海外ミステリでも存在感を出したのがやはりこのマルティン・ベック、という印象があるんだよね。
思い出の深いシリーズでもあるので、作品以上にその周辺について語ってしまうけど、本作からベックも管理職、ラーソンも初登場と「マルティン・ベックらしさ」が確立した布陣の作品。ステンストルムは残念ながらバカンス中で、はがきを送ってくれただけ(だけど、このはがきがナイス小道具)。そういえば新訳はメランデルがメランダーなんだ、どうも感じが出ないや...
犯人割り出しプロセスや逮捕などが偶然、なのを「傷」みたいに言いたくなるかもしれないけども、警察小説だからね、物量と組織による捜査を通じて、「偶然も絞られていって、蓋然的に必然に近づいていく」という風に読むといいように思うんだ。福祉社会スエーデン、というのもあって、社会と政府の間が近くて、警察の側も「社会を維持するための必要悪」みたいな覚悟があるあたりが、とても好ましい。だから本作でも「娘を守るために」市民が自警団を作って...というエピソードがあるけども、この心得違いの自警団に、ベックがキツいお灸を据える。
「健全な警察」ってこういうものだと思う....

No.751 6点 準急ながら- 鮎川哲也 2020/10/15 21:01
鮎哲もやらなきゃね...なんて思ってたから、とっかかりは本作。
いや別に大した作品じゃない。「六、アリバイ」で犯人のアリバイが提出されて、「七、なぜパイを喰わせたのか」で鬼貫がアリバイを検証の上、看破する。だから一~五の文庫150ページが何なの?と思ってしまうと、逆に本作あたりは「長編ミステリとして、どうよ」という話になりかねないんだよね。

けどね、なぜか、鮎哲は愛される。この前半150ページに懸けて、実のところ評者も妙に鮎哲が好きなことを否定できないんだよ。まあ、本作のトリック自体、ホント大したものじゃないといえば、その通りなんだ。いわゆる「写真合成」じゃない、というあたりを丹念にツブしていくプロセスだとか、ほんわかしたユーモア感だとかもいいのだけども、北海道月寒・栃木烏山・愛知犬山・津軽・京都・伊豆雲見温泉・そして豊橋と短い作品なのに日本国中を駆け回るローカル色描写....で、このような日本各地をつなぐのが国鉄の列車である。
タイトルからして「準急 "ながら"」である。「今どき、準急に愛称がついてたりしないよ~」と言いたくなるような、懐かしい昭和ののんびりとした風情。東京から大垣まで6時間半かけて昼間に走る準急...特急でも急行でも、ましてや新幹線でもない、まさに庶民的で愛すべき準急の姿を、本作はミステリの中に定着したわけである。いや、いいね、ほんとに。

うん、鮎哲って、そういう作家なんだよ。

No.750 7点 ウィージー自伝 裸の町ニューヨーク- 伝記・評伝 2020/10/13 08:01
たまには反則も、したいなあ。写真家の自伝である。
けどね、これがタダの写真家ではないのである。

ウィージーに写真を撮られるようになってはじめて社会の敵としてFBIやテキ屋のベストテン・リストにのるのだった。私はついに警察からそうした貢献を認められ、殺人株式会社の公認写真家という称号を与えられた。

1930年代後半から1940年代のニューヨークで、特別許可を得た警察無線を搭載したシボレーで、殺人現場にいち早く駆け付ける写真家、通名ウィージー。ギャングたちの殺し合い現場、殺人犯の逮捕の瞬間、捕まった犯罪者の面構えなどなど荒っぽい現場を撮影した、荒っぽい写真を新聞に売り込むのだ。評者に言わせれば、ハードボイルド小説を「書く」以上に、「ハードボイルド写真を撮影した」写真家であり、ハードボイルドを地で行った男だと思っている。
そんな男の自伝である。つまらないわけがないでしょう? 

それから枕の下の現金を隠すと、電報と手紙を読み始めた。『ライフ』の明細書には「殺人二件につき、三五ドル」とある。『ライフ』は弾丸一発につき五ドル支払ったことになるわけだ。つまり、ひとつの死体には五発、もうひとつには二発の弾丸が撃ち込まれていたのである。

....いや、ハードボイルド小説以上の、この非情で煮え切ったハードさ!

ギャングたちは、たいてい道路の側溝に倒れ込んで顔を上げており、黒いスーツに身を固め、ピカピカの専売特許の革靴をはいてパールグレイの帽子をかぶっていた。それはまるで殺されるための正装のようだった。

写真家の自伝?いやハメットの小説に出てきても全然不思議じゃないカメラアイ描写。そりゃ、写真家、だからね。まさに「カメラアイ」そのもの。
もちろんこの1930~40年代の描写が素晴らしいわけだけど、自伝だからね。ウィージーはこの「殺人株式会社の公認写真家」としての写真集「裸の町」1945を出版して、一躍時の人になり、アーチストに成りあがってしまう。それからは写真も自伝の記述も退屈になってくる。まあ、それは仕方のないことだ。
でこの写真集「裸の町」を映画化する企画があって作られたのが、ジュールス・ダッシン監督の「裸の町」で、ウィージーの写真にインスパイアされた、オールロケのポリスアクション。これも映画史では重要な作品になる。

ちなみに今は亡きリブロポートの写真関連書籍で出版された本である。装丁に戸田ツトムが入っていて、センスのいい造本が素晴らしい。もちろんウィージー撮影のギャングの死体がゴロゴロ転がった写真も多数収録。紙質はよくはないから、洋書でいいなら Weegee の写真集は手に入りやすいからどうぞ。

No.749 5点 裂けて海峡- 志水辰夫 2020/10/11 22:21
ヤクザとのトラブルで刑務所に入ったカタギの主人公が出所してみると、自分の海運会社の唯一の持ち船が大隅海峡で沈没し、弟と苦労を共にした仲間は絶望視されていた。鎮魂のために沈没地点の間近の内之浦町中浦に赴いた主人公は、そこで沈没事件が事故ではなくて、何者かに撃沈されたのではないか、という疑惑を抱く...落とし前を付けるために主人公を追ってきたヤクザと、掴んだ手掛かりの証人を消していく謎の組織の両方に追われる主人公の逃避行の末は?

というようなバイオレンスの話。ヤクザと謎の組織は両方ともプロで、アマチュアの主人公が追われるのだけど、この主人公、積極的に反撃するタイプ。暴力は、使う側は他人をダマらせるために行使するのだけども、中には逆上して反撃して、とんでもない結果を引き起こすことだってあるわけだ。「一人だけの軍隊(ランボー)」みたいな話といえば、そう。
主人公にしてみたら、ヤクザの理不尽な暴力も、国家の「安保上の云々」による暴力も同じことで、カタギが捨て身で反撃する気合と能力がある時には、暴力なんてそもそも逆効果でしかない、という逆説が露になってしまっているわけだ。秘密や弱みがある側の方が、実は弱いんである。暴力を使ってしまえば、「暴力を使った」ということ自体がマイナスにしかならないんだよ...というアカラサマで「小説にならない」興ざめな舞台裏を気づかせてしまう、というのは、やはり小説としては?と思わないわけでもない。
主人公とヒロインに、評者は全然共感できない...ドツボな方向をわざと選んでいるようにしか、見えないんだよね。状況判断が悪くて逃げ切れるときにも、余計なことして捕まりかけるわけだし。主人公とヒロインの会話も気取りすぎ。
だから、たいへん後味の悪い話。ロマンティシズムってそういうことじゃないと思うんだよ。

No.748 7点 勇将ジェラールの回想- アーサー・コナン・ドイル 2020/10/09 21:19
ドイルの三大シリーズ・キャラクターは、ホームズ、チャレンジャー教授、それにジェラール准将、ということになるんだけど、ジェラールの人気は日本じゃ他の二人に大きく後塵を拝して...ということになってしまう。戦前の昔から翻訳されてはいるんだけどねえ。

「大奈翁」で通じた時代なら、それなりの読者層があったんでは、とも思うんだが、逆に今はね藤本ひとみとか長谷川ナポレオンとか読まれるようになってきたから、本作だって「ナポレオニック」の一つとして読まれていいんじゃないかな? この短編集だと8話収録、1807年のナポレオン絶頂期に中尉だったころから、1814年の退位直前にジェラールは准将、というナポレオンの転落の激動の中での、軽騎兵ジェラールの活躍を描いている。
中尉時代の上官は「30までに死なない軽騎兵はクズだ!」で有名なラサール大佐、大佐時代の司令官がマッセナ元帥、皇帝ナポレオンからの直々のご指名で役目を与えられることもこの本の中で3回、タレーランや参謀長ベルティエ元帥も登場...ミュラ元帥やらネイ元帥、マクドナル元帥の寸評など、ナポレオニックというか、ここらの元帥たちのキャラに馴染みがあると、3倍おいしい作品だったりするのである。

で、このジェラール准将、

「考える!おまえが!」陛下は大声を発せられた。「わたしがおまえを選んだのは考えてもらうため、とでも思っているのか?」

と、オツムの方はホームズどころか、大幅に足りない方なんだが、ナポレオンには誠忠無比、命知らずの楽天的な行動家で、生一本の快男児である。逆にそれが、作劇的に先が読めない方向に転がって行って、これはこれでドイルらしい良さにつながってくる。敵や味方が仕掛ける手の込んだ「罠」を、何も考えずにパワフルに突破してしまい、「結果よければすべてよし」になる話だから、結構な爽快感がある。いやホント、主人公が何も考えないイノシシ武者だからこそ、凝った陰謀でもコミカルに見えてしまうほどである。

いやいや、評者チャレンジャー教授より、ジェラール准将の方に、好感、である。歴史小説好きなら、SFよりおすすめだと思う。

No.747 5点 雪の別離- 夏樹静子 2020/10/06 14:36
夏樹静子って「蒸発」とか「Wの悲劇」くらいしか読んだことなかった..けどなぜか本棚にある。どうやら亡き母が買ったもののようだ。なので初読だと思う。
時期でいうと「Wの悲劇」の頃の短編集で、8作収録。1作平均30ページ強。一応ふつうにミステリで、リアルな範囲でのトリックがあったり、意外な真相があったり。とはいえね、大概の作品は狙いが読めて、意外性はさほどない。シンプルと言えばシンプルなミステリで、あっさり風味。女性視点が多いけど、女性心理のドロドロはそれほどでもない。
80年代初めだけど、どっちか言うと70年代的テイストで、郊外新興住宅地が舞台だったり、地方の中小企業の内幕だったり...という世界。やたらと懐かしいんだけど、その分なんか古臭くなってるのが、評者はショック。この人キャラ造形は「世の中のフツーの庶民」というタイプがほとんどなので、リアルと言えばリアルなんだけど、もはやレトロな世界に入ってしまっている印象。
なので、全体的に見ると、大したことのない作品集。それでも最後の「天人教殺人事件」は新興宗教の教祖と補佐役の話で、特殊題材なこともあって、わりと面白い。けどね、語り口を変えたらずっとよくなりそう...なんて思ってしまう。
70年代的な標準ミステリ、というのが全体的な感想。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1446件
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