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[ SF/ファンタジー ]
ソラリスの陽のもとに
別題『ソラリス』
スタニスワフ・レム 出版月: 1965年01月 平均: 6.00点 書評数: 1件

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早川書房
1965年01月

早川書房
1977年04月

早川書房
2015年04月

No.1 6点 クリスティ再読 2021/02/18 08:37
評者もSFはプロパーではないので、ハードSF・ファーストコンタクト物の名作として知られる本作だって、タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」を見てから原作を読む、という流れになるのは、これ80年代の青春、というものだよ。
「お前はバカだ!」と原作者レムがタルコフスキーを罵った、という有名エピソードがあるくらいに、原作と映画、というのは同じものであるわけはなくて、微妙な緊張関係がいつだって、あるものだ。「原作の中にある、【映画的な瞬間】というものを、映画作家はそっと取り出して、その【映画的な瞬間】を軸として再構築する」というのが「理想の映画化」というものだと評者は思ってる。そういう意味で、原作の「最後まで人間の願望を理解できない、ソラリスの海」という「人間以外の超知性体」、人類というものをカフカの流儀で表現すれば「神の不機嫌な一日の産物」であるような、そういう「理解することが本質的に不可能かもしれない【知性】」として描き切った原作のSFらしい狙いと、映画の狙いは、絶対に合致しない。

なので、映画の結末を知っていると、原作のクールでそっけない結末は何か不完全燃焼な印象を受ける。タルコフスキーという人は結局ソ連から亡命することになるのだけど、いや映画「惑星ソラリス」だって、実のところ「亡命者」が「祖国」に恋々する映画だ。タルコフスキーの資質の根底のところで「亡命者」風の疎外感が強くあって、「亡命」という事件は政治的な事件でも何でもなくて、タルコフスキーの内面のドラマの結末だった、という風にも、評者は解釈しているんだ。
そう捉えると、実はタルコフスキーの映画の方に、SFというよりもグリーンやアンブラーに近いエスピオナージュな味わいを感じても不思議じゃないのかもしれない。ソラリスの海によってソラリス・ステーションに送り込まれた「お客」たちは、ステーションの研究者たちの心の奥底に深く刻み付けられた「過去のトラウマ」を、具体的な人間を「コピー」して「ソラリスの海」から送り込まれたものである。だから、主人公たちはその「お客」にまつわる自分自身の「過去のトラウマ」と改めて直面せざるを得なくなる....「お客」はソラリスからの使者であるとともに、自分自身からのスパイでもある。お客を憎むも、あるいは自分の過去を受け入れるのも、自分自身という面で言えば「ダブル・スパイ」に転落するようなものでしかない。

われわれはいまその接触を実現しているというわけだ。まるで顕微鏡でものぞいているように、われわれ自身の醜悪さを何百倍にも拡大したかたちでね。それこそお笑い草だよ。この上ない恥さらしだと言ってもいい!

つまりグリーンやアンブラーが書いた最良のスパイ小説が明らかにしたこと、というのは、読者である平穏無事の市民でさえ、なにがしかの部分が醜悪なスパイであり、さらに自身をも信用しないダブルスパイだ、というまさにそのことだったのかもしれない。そういう「自己のモラル」への懐疑は、タルコフスキー固有であって、レムのものではない。


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