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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1325件 |
No.78 | 4点 | メグレを射った男- ジョルジュ・シムノン | 2023/03/25 09:07 |
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「死んだギャレ氏」「国境の町」は入手を諦め気味だから、評者的には第一期メグレの最後の残り。駄作というか、第一期の終盤でシムノンがヤル気なくしていた作品という評価が多いもの。
いやね、それでもツカミとかいいんだ。公用をひっかけてバカンス気分で旧友を訪れようとメグレはボルドーに向かった。寝台列車の上寝台の男の落ち着かない様子に迷惑したメグレは、その男が急に列車から飛び降りたのを目撃した!後を追うメグレは、その男に銃で撃たれる。負傷したメグレは田舎町ベルジェラックのホテルで、呼び寄せたメグレ夫人と旧友を手足にベッドの上で、猟奇殺人鬼の事件の捜査を始める.... 面白そうでしょ!列車内でのイライラ感やら興味を持ったメグレが単独行動でムチャやるあたり「サンフォリアン寺院」みたいだし、田舎町アウェイ事件で旧友と対立するのは「死体刑事」やら「途中下車」やら第二期以降によく出るパターンだし、それに珍しいベッド・ディティクティヴが絡む。モチーフ的には大変興味深い..... 原題は「ベルジェラックの狂人」。アウェイのメグレが被害者でベッドに釘付けなせいもあって、街の有力者からは「(内心)妄想を育んでいて、おかしいのでは?」と思われるのともかけてあるが、行きずりの女とSMプレイの果てに心臓に針を刺して殺す猟奇殺人鬼やら、街の有力者の秘密の趣味やら、メグレらしからぬ派手でサイコな話。でもこれが全然、物語として効いていない。何かリアリティのない背後事情と、シムノンらしいといえばらしい家庭悲劇で話がアチラの方向に逸れていって行ったきり。 瀬名氏は本作を「浮ついている」とバッサリ。らしからぬといえば、らしからぬ作品。 |
No.77 | 5点 | フェルショー家の兄- ジョルジュ・シムノン | 2023/02/21 16:48 |
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筑摩書房世界ロマン文庫のシムノン。このシリーズ、「紅はこべ」「ソロモン王の宝窟」「恐怖省」といった古典的なスパイ・冒険小説をコレクションしたものだけども、そこにシムノン。意外と言えば意外なんだが、国際的な広がりが珍しくある小説だから、というような理由だろうか。
事件は、ある。サスペンス色はわりと感じられるのだけども、その事件というのが植民地経営者として「コンゴの王者」のような立場にあったフェルショー兄弟が、植民地での原住民殺害事件をほじくり出されて窮地に陥り、フランスからパナマに逃亡する話。それをフェルショー兄の秘書となった青年ミシェル・モーデの眼から描き、さらにパナマでの亡命生活とその破局に至る経緯を描く。というわけでコンゴでの事件は背景にあるだけで、それ自体がどうこう、という小説ではない。実際主人公は野心的な青年モーデの方で、偏屈な変人、だが植民地で荒っぽく稼いだ伝説の男に魅了されて秘書となるが、自身の野心に苛まれつつ、パナマでの死んだような亡命生活からの脱出を狙う.. 事実上「悪の教養小説(ビルドゥングスロマン)」と見るのがいいんじゃないかな。ダイナマイトを投げつけて原住民を三人殺害したフェルショー兄の「伝説」と、現在の偏屈さ、さらにはパナマで生気を失ったような生活を送るみじめな老人を見つめる、モーデの視線のなかに「自分はフェルショーのような『何者か』になれるのだろうか?」という、焦りの気持ちと不安感というものが含まれないわけはない。この憧憬と自尊心と倨傲にさいなまれるモーデの姿が本作の焦点であり、このためにモーデもいろいろなものを犠牲に捧げることにもなる。 だからある意味、「男の首」のラディックを脱ロマン化してずっと小物にしたようなキャラだ、ということにもなるのだ。 一般にシムノンの「ロマン」はすっきりしない話が多いのだけども、本作はとくにすっきりしない話。雰囲気とかグレアム・グリーンとの共通性みたいなものを感じるんだがなあ....シムノンのロマンではわりと長めで、翻訳がやや分かりづらい。大したことないがやや難航、でこんなくらいの評価。 |
No.76 | 7点 | メグレ再出馬- ジョルジュ・シムノン | 2023/02/02 11:28 |
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メグレ物というのは、読者が「何が面白いのか?」を自分で探すことが問われる小説だ、とつねづね評者は感じていたりする。特に本作は第1期の最終作という特異な立場の作品。引退後のメグレがわざわざ甥の事件に介入する話で、第1期の特徴の「犯人との心理的対決」に加えて、第3期で目立つ「組織人メグレ」の要素も兼ね備えた両義的な作品だったりもする。
事件自体は大したことはない。暗黒街(ミリュー)の仲間割れみたいなものである。謎解き的な楽しみはほとんどない、といえばない(でも後述..)。もはや私人であるメグレが殺されかける場面はあるが、スリラー的な面白さでもない。第1期特有の心理サスペンス感は本作では希薄....となると、「何を褒めたらいいんだろう?」と困惑するのはよく分かるんだなぁ。 この小説の魅力というのは「感覚が広がっていく」ようなところ、とか抽象的な言い方で申し訳ないんだけども、そういう言い方をしたいんだ。仕事を引退して田舎に引きこもっていたメグレ。その「屈した」気持ちが久々のパリで出会った人々によって、徐々にほぐれていくさまみたいなものに、評者は面白味を感じながら読んでいた。メグレが味方にしようとして失敗する娼婦フェルナンド、メグレを心配するリュカ、メグレの後任でも妙なライバル意識もあってメグレの行動に困惑するアマデューといった面々との「気持ち」の通わせ方はもう「戦後のメグレ」になっている。組織から離れたがゆえに組織が前景に見えてくる逆説。そして、 「もしよかったら、芝居へでもいくとするか。」「お芝居ですって、フィリップが刑務所に入っているのに?」「ふん!これが最後の夜さ」 で甥の身を案じてパリに駆け付けた母親(メグレの義姉)と一緒に、劇場やらナイトクラブを楽しむシーンが、生き生きとして素敵なんだよなぁ.... で第一期らしい最終対決も、メグレは決め手がなかなか見いだせない。それをメグレらしい「了解」でカチッと鍵と錠がハマるような瞬間が起きる。これこそメグレらしい「謎解き」ではない「謎解き」。そしてそれに至るまでのメグレ自身のジタバタ感が素敵なのである。 第1期のメグレの「ガードの硬さ」がこの作品でほぐれていくのを評者は何か楽しんでいた...なので、内容以上に妙に印象のイイ作品。そういう気持ちを採点に反映したい。 (例の瀬名氏の評が、メグレを読むとは何なのか?というあたりでとても示唆的だった...お勧めします) |
No.75 | 7点 | メグレとベンチの男- ジョルジュ・シムノン | 2023/01/16 22:38 |
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メグレ物のジャンルって本当は結構幅広いものだけども、たぶん皆「細かいことを言っても...」という判断で「警察小説」にしているんだろうな、なんて思うこともある(苦笑)。でも本作みたいにストライクな「警察小説」のこともある。
「死体が履いている靴が、家を出たときとは違うのはなぜ?」 「失業したはずなのに、家族には毎日出勤しているように見せかけているのはなぜ?」 とかね、そういえば短編の「誰も哀れな男を殺しはしない」だなぁ...だけど短編から見ればさらに話が二転三転して、予想外の方向に転がっていくのが「警察小説」らしさなんだと思うのだ。警察の捜査を通じて、市民たちの生活と秘密が覗き込まれ、人間の意外な姿がパノラマのように浮かび上がる...なら、いいじゃない? 殺された男の二重生活は、小市民的な道徳性への反抗だから、これ自体シムノンの一大テーマなのだけども、この殺された男の娘もしっかり「反抗」を準備していて父と娘の内緒の交流があったりするのもナイスな造形。さらに「しし鼻の女」とか「警官の未亡人」、それに軽業師と一癖二癖あるキャラが次から次へと繰り出される面白さがあって、それで話が転がっていく動力が得られている。そう見ると、プロットの構築的な一貫性を重視したがる方には向いていないのかもしれない。 でもそれが警察小説かも。手練れのシムノンだからか、それでも見過ごした意外なところから「真相」が漏れ出てくるような面白さを感じていた。ちょっと評価を良くしたい。 |
No.74 | 6点 | 妻は二度死ぬ- ジョルジュ・シムノン | 2022/12/19 22:57 |
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シムノン最後の「小説」。というのも、この後もシムノンって自伝をいろいろ書いているわけだから、創作活動がゼロになったわけじゃない。まだまだ筆力に余裕があって、本作はきわめてあっさりした仕上がりだけども、それでも十分なシムノンらしさがあるのは、ちょっと驚くくらい。
原題が「Les innocents」だから「無実な人たち」と取ってしまえばミステリぽいんだけども、読んだ後だとブラウン神父じゃないけど「純真な人たち」と取りたくなるような作品だったりする。交通事故死した妻の死の真相を夫が調べる...といえば、スゴく「ミステリ」な興味がありそう!となる。確かに「妻の死の真相」が話の屈折点として機能はするんだが、それ以上に一流の宝石デザイナーとして成功した主人公が備える(やや成功とは裏腹な)「無欲さ」みたいなものの方がヘンでもあり、読者の心にずっと引っかかってくるのではなかろうか。 この本の登場人物たちはある意味「みんな、善人」だったりする。それでも妻を喪った(しかも二度も!)主人公の屈折が、どこかしら不穏なものを感じさせてならない....いやいや、これは評者の妄想。しかし、登場人物の運命を読後妙に気にしてしまうのは、やはり評者がシムノンの術中にしっかりハマっている証拠のようなものなのだろう。 なので本作は「ミステリな題材を思いっきり非ミステリ的に扱った」実にシムノンらしい小説なのだろう。 |
No.73 | 5点 | メグレ式捜査法- ジョルジュ・シムノン | 2022/10/26 21:43 |
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邦題はスコットランドヤードから派遣されて「メグレ式捜査法」を学ぶ目的で派遣された刑事パイクが、メグレに同道することから来ているんだけども....いや、この仕掛けが全然効いてない。まあ「メグレ式捜査法なんて、ない!」というのがメグレの持論でもあるわけで、だったらうまくいくわけないじゃん...という懸念が残念ながら中る作品。
舞台はコートダジュール沖に浮かぶポルクロール島。「なんらかの理由で人生のレールを脱線した人たちが、みんなここに集まる」吹き溜まりのような保養地。「ポルクロールぼけ」という言葉があるくらいの、時間が止まったようなリゾートである。というとね、舞台柄からして戦前の「紺碧海岸のメグレ」を連想する。そうしてみるとリゾート客たちが集まる宿屋兼バーの「ノアの箱舟」は「リバティ・バー」に相当するし、だとすればパイク刑事も遊び人風の地元刑事に相当するのかしら。いや「紺碧海岸のメグレ」も焦点がはっきりしない作品だったけども、この作品の焦点もはっきりしない。 「メグレは友人だ」とこの「ノアの箱舟」で啖呵を切った元ヤクザが、その晩に殺された....こんな事件なので、研修中のパイク刑事を引き連れてメグレがこの島を訪れる。確かにメグレの「お世話になった」ご縁のある男だが、実際には半グレくらいの小物。一番いいキャラはこの男の愛人で結核を病んでいたジネット。男の逮捕をきっかけにメグレが手配してサナトリウムに入れて、今では元気になって娼家の経営補佐をしている女。ちょっとした再会、同窓会効果みたいなものがある...けどもあまり本筋に絡んでこないや。 ボート生活者とか、確かにシムノンお得意の設定をいろいろ投入した作品なのだけども、それがために逆に散漫になってしまったのかな。こんな失敗のしかたもあるものだ。 |
No.72 | 5点 | ベティー- ジョルジュ・シムノン | 2022/10/16 19:57 |
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シムノンでも本作はミステリ的興味はほぼない作品。しかも、女性主人公、というのはかなり珍しい。強いていえばシムノンなら「ペペ・ドンジュの真相」、あるいは「テレーズ・デスケールー」に近い話。要するにフランス伝統の人妻心理小説。SEXと「罪」が主題で自分から破滅を求めていく女性が主人公だから、神父とか登場しないけども一応純文学のカトリシズム小説の部類だろうか。
≪穴≫は終着駅だ。奇人、変人たちの終着駅! 精神病院や死体置場にいく前の最後の停留所。 このバー≪穴≫で酔い潰れた女、ベティー。偶然のことながらベティーを放っておけずに、医師未亡人のロールは、ベティーを自分のホテルに連れ帰り介抱する。ベティーは自身が抱えるトラウマと夫に対する不満から、不倫にふけった報いで、家を追い出されたところだった... というような話。いや実に話はシンプルで、女性のSEXと罪をテーマにした小説なんだけども、結末もやや釈然としない。シャブロルが映画化したこともあって、訳されたようだが、どうやら日本未公開。 う〜ん、こんなのもシムノン、描くのね。 |
No.71 | 7点 | メグレの拳銃- ジョルジュ・シムノン | 2022/10/06 09:26 |
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中期メグレらしい「良さ」がある作品。いやこれ「奇妙な女中の謎」とちょっと似ている気もして、評者とかイカれやすいタイプの作品のようだ。メグレの父性っぽい魅力がキラキラしている作品。
しかも、問題の青年の父親のキャラというのが、よく描けていて、だからこそメグレが父性を発揮せざるを得ない、というのが何か納得する。空想的にいろいろな商売を思いついては失敗し、金銭的にルーズで悪い意味で「夢を追ってる」男、でしかも度胸のない臆病者だったら、そりゃ「負け組」もいいところ。そんなダメオヤジでも、3人の子供を自分の手で育てるんだが、上の二人の子供はダメな父親に幻滅して....だったらさ、末っ子の問題の青年というのもなかなか気の毒じゃないか。メグレは迷惑をかけられたわけだが、「人情警視」とか呼ばれるのは遠慮しつつも、それでも青年のことを気にし続ける。ロンドンでも有数の高級ホテル、サヴォイのグリルで二人が食事するシーンなんて、シムノンならではの味わいを評者は満喫。 さいごまですばらしい一日だった。まだ夕陽は沈みきらないで、人々の顔をこの世のものとも思われないような色に染めていた。 ロンドンといえばいつでも天気が悪いのが相場。でもたまには「日本晴れ」とでも言いたい「いい日」があるようだ。そんな作品。 |
No.70 | 5点 | メグレ保安官になる- ジョルジュ・シムノン | 2022/10/02 10:38 |
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メグレだって、コカ・コーラをラッパ飲みするのである(苦笑)
アリゾナ州ツーソンというメキシコ国境の米軍基地の街が舞台。研修旅行、は名目で事実上慰安旅行みたいなアメリカの旅。いたるところでメグレは歓待され、名誉待遇で「八つか九つの郡保安官」のバッジを頂いている。けどこの街でふと時間つぶしに傍聴に入った検死法廷の事件に、メグレは興味を持った.... メグレ物の中でも「異色作」といえばこれほど「異色作」もないものである。メグレにはアウェイの事件も多いけど、これほど捜査権限もなく部外者な事件もない。メグレもほぼ検死裁判を傍聴するだけで、積極的な介入はなにもしないくらい。フランスでの捜査のやり方とアメリカの違いについて、感想を言う程度だが、それでも犯人を当ててみせて面目は保つ。だから、シムノンの見たアメリカのホンネみたいなものが、この作品の興味。 メキシコ国境の街、というわけで荒々しい西部の辺境..と思うと、そういうわけでもなくて、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフに対するシムノンの「清潔すぎる」という言葉で象徴される違和感がすべて。二日酔いだって「特殊な蒼色の瓶」の薬で撃退! そして事件の背後にある男女関係も、なるべく表に出さないように配慮する清教徒主義などなど、メグレもいろいろ戸惑うことばかり。 「異色作」ついでで言えば、事件に面白味がないし、メグレも活躍しない。まあだから、「こんなのもあるね~」くらいの作品。 (ちなみに「メグレ、ニューヨークへ行く」はメグレ退職後の事件なので、時系列では本作が前(執筆は後)。「ニューヨークへ行く」は明言はしていないけど、初のアメリカ行きみたい。本作で散々出るジュークボックスに驚いている。戦後のメグレはサザエさん時空だからね) |
No.69 | 6点 | 妻のための嘘- ジョルジュ・シムノン | 2022/09/08 19:07 |
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さて評者の集英社版「シムノン選集」の12巻の評も最後の作品。シムノンって非ミステリ作品でもミステリ的興味が強いケースもあって、なかなか気が抜けないのだけど、本作もミステリと非ミステリの際どいあたりを攻めた作品。
地方都市で古書店を営む主人公ジョナスは、子供の頃ロシアから亡命してフランスに居着いている干からびたような小男。身にそぐわない奔放な妻ジーナを娶ったのだが、ジーナはある日姿を消した。いつもの浮気プチ家出くらいに軽くジョナスは考えて、「朝バスでブールジュへ出かけた」と体裁を慮った嘘をついた。しかしいつまで経っても妻は帰ってこない。次第にジョナスが妻をどうかした、という噂が立ったようで、周囲の人々のジョナスを見る目が変わってきた…ついにジョナスは警察からの召喚を受ける という話。妻の失踪という事件を扱うけども、妻の行方自体は主題にならなくて、それなりに地域に馴染んでいた男が、周囲の疑惑から余所者として孤立していくあたりが主眼。原題は「アルハンゲリスクから来た小男」で、亡命者に思いを託して周囲に馴染めない男の孤独を描くことになる。実際、ジョナスがついた「嘘」も妻ジーナをかばうための嘘だったのだが、ジョナスの主張の一貫性をなくす効果しかない。いや、普通のミステリと違って、この嘘も警察に追及されるのだけども、それほどには重視されているわけじゃないんだ。それよりもこの嘘によって、ジョナス本人が自分で自分を追い詰めることになっていくのが、シムノンのオリジナリティで読みどころ。 この狙いはやや分かりにくいけど、印象は「仕立て屋の恋」の地味バージョンで、「カルディノーの息子」とか「メグレと妻を寝取られた男」みたいなシムノンお得意の寝取られ男話を結びつけたような作品。 |
No.68 | 6点 | メグレ警視と生死不明の男- ジョルジュ・シムノン | 2022/08/27 22:37 |
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中期メグレで一番脂が乗った時期の長編だから、なんやかんや言って面白い。でも河出でもハヤカワでも創元でもなくて、講談社から出たこともあるのか、Wikipedia のシムノンの著作リストが本作を落としていたりする。ギャバン主演で「メグレ赤い灯を見る」として映画化されたことで別途版権を取得したとかそういう事情があるんだろうね。アメリカから来てパリで傍若無人に振る舞うマフィアと、メグレ率いる司法警察の面々が対決する話だから、極めて映画向きな話。映画のあらすじを読むと、ベースは同じだけど背景をやや膨らませているような印象がある。原作の方が駆け足。
前半は評者もご贔屓ロニョンくんが活躍する。悪妻ロニョン夫人もしっかり登場。でもロニョンくん、ギャングたちに拉致されて...と刑事とは知らなかったにせよ、そこまでするの?というアメリカのギャングのやり口に、さすがのメグレも激怒。事情を少し知るらしいイタリア料理店主に「あいつらプロだから」と、見下されたような忠告をされたりするから、メグレも収まらないよ。 ストーリーラインはこの時期にしてはシンプルで、とくに紆余曲折はないんだけども、逆にアメリカンなスピード感が良く出ていて、リーダビリティの良さではメグレの中でも随分高いのでは。文庫は入手難なこともあって電子書籍で今回読んだわけだけど、全然気にならないくらいに話に引き込まれた。 クライマックスなんてね、メグレとリュカとトランスの三人でギャングのアジトに押し入るなんて荒事もあり。アメリカン・テイストのメグレ。 |
No.67 | 8点 | 新しい人生- ジョルジュ・シムノン | 2022/07/15 09:39 |
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集英社の12巻のシムノン選集はメグレ以外のシムノンをまとまって紹介した最初のシリーズなので、評者は全作品やるつもりである。もう残りは本作と「妻のための嘘」の2冊。このシリーズ、ミステリ的な色彩が強いものもあれば、全然ミステリじゃないものもあって、シムノンの幅の広さを窺える。本作は...まあタイトルから察しもつくけども、「ビセートルの環」と並ぶ「非ミステリ」の傑作である。
食品会社の会計係デュドンは、会社の金を誤魔化して週一で通う娼家の帰りに交通事故に遭った。デュドンを跳ねたのは大手の葡萄酒メーカーの経営者で市議会の有力者のラクロワ・ジベだった。この事故でデュドンの人生は一変する。ジベの手配で高級私立病院に入院し、至れり尽くせりの看護をしたのが、魅力的な看護婦のアンヌ・マリー。退院したデュドンはアンヌ・マリーと結婚し、ジベの会社で働くことになる。その会社でデュドンは意外な才能を発揮して重用されるのだが.... とこうやって梗概をまとめると、シムノンらしからぬ「ドリーム小説」みたいだ(苦笑)ウダツの上がらぬ主人公が、交通事故をきっかけに「新しい人生」、美女と社会的地位を手に入れる話....いやいや、それでもこの小説のテーマは「罪」だったりする。シムノンだもの。そして原題のニュアンスも「新しいがごときの人生」で、ずっとビミョー感がある。 デュドンが会社の金を横領して娼家に通ったのも、「罪」を通じてしか人生を実感できない人間であることの証だったわけだ。「罪」を犯さなくてもやっていける「新しい人生」に放り込まれる、という予想外の出来事に遭遇しても、「罪」を抱えたデュドンはまたさらに自ら「罪」を求める衝動を抑えれない...そういうカトリック的なテーマが主題なのだけども、実のところこういうキャラクターは、たとえば「男の首」のラディックやら「雪は汚れていた」のフランクと共通する。ラディックやらフランクのヒロイックな部分を排除して、小市民の立場で改めて造型しなおしたのがこのデュドン、というだ。 だから、このデュドン、「罪」に対する強い感受性があるために、他人の罪に対しても鋭敏なのである。それが実はシムノンの「名探偵の資質」だ、とも読める。メグレの方法論を示唆するのも重要だろう。 本作は、ロマンの味わいがないと成立しないエンタメではない。だからこそ、本格小説として「小市民的立場での罪」、新しいようで「新しくない人生」が延々と続いていくことでしか、デュドネの「罪」は贖えない。ミステリなら解決があるが、人生には解決はない。 それもまたシムノンらしい。シムノンだもの、は「人間だもの」ということでもある。 |
No.66 | 5点 | メグレと運河の殺人- ジョルジュ・シムノン | 2022/07/06 19:19 |
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初期作。シムノンというと海や船の話が多い作家なのだけども、これは運河に暮らす川船の話。戦前だから、すべての船にエンジンがついているわけじゃなくて、内陸河川だと閘門を超えるのに馬を併用する船も多い、というのが物珍しいあたり。そういう「川の民」の生活を描きつつ、ヨット暮らしの放浪者といったイギリス人の引退者(大佐)が対比される。
メグレ物だから、殺人事件があるわけだが、それはまあメグレがそういう「川に生きる人たち」の生活を覗き込むためのきっかけみたいなもの。ミステリはあまり期待すべきではない....けどもさあ、真相(というか話)はかなり無理あるように感じる。 それでも、場面場面の描き方は本当に感心する。初期は客観描写が多くて、中期以降のようにメグレの内面はほとんど描かない。だから映画みたいなタイトな描写の美しさを感じる。場面を絵として想像すると本当に美しさが際立つ作品なんだけど、話は結構ヘン、というか「こんなのアリ?」というくらいにバランスがおかしい。まあ映画で言えば「かくも長き不在」なんだどもね。ああいった庶民の生活の哀歓を、冴えたモノクロの映像美で描いた小説。 |
No.65 | 6点 | 帽子屋の幻影- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/22 16:15 |
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タイトルがいいので昔から気になっていた作品。このサイトで内容を見たら、シムノンには珍しいシリアルキラーの話だから、ぜひ読みたいな...と思っていた作品だった。シムノンの1作品での最多の殺人数かしら。ようやくゲット。
シリアルキラーの主人公の内面描写がずっと続く作品だけど、リアルタイムでの描写が軸なので、背景とか動機とか、徐々にしか割れてこない。いろいろと考えながら読んでいく必要があるタイプの作品で、ミステリ色は強いといえば、強めの作品である。 シムノンの名犯人といえば、たとえば「男の首」のラデックが典型だけども、「絶対に捕まらない!」で頑張ったりしないんだよね。どこかしら「捕まりたがる」要素があるし、その行動も合理的というよりも、個人的なちょっとした「ひっかかり」に押されて、たまたま「してしまう」ような色合いが強い。評者のようなシムノン・ファンにとっては、そこらへんに強いリアリティを感じるわけだ。理屈で割り切れない行動をするからこそ、人間の行動として妙に腑に落ちる、とでも言えばいいのかな。 同世代の老女ばかりをチェロの弦で絞殺するシリアルキラーの帽子屋ラベ氏の隣人で、貧しい移民の仕立て屋カシウダスが、ラベ氏の犯行に気がついてラベ氏に付きまとうのだが、ラベ氏はそんなカシウダスの口を封じようとするわけでもないし、犯人告発の賞金が欲しいだろうとラベ氏は考えて、それをわざわざ病床のカシウダスに与えようとか、考えたりする...新聞社に挑戦状をラベ氏は送り付けるのだけども、その中では殺人が完全にプラン通りのものだ、と宣言したりする。でもその動機はというと...いやこれはお楽しみ。とんでもない動機で、この挑戦状にも窺われるけども、「首尾一貫し過ぎて、かえっておかしい」というような、そういう「リアルな病み方」を体感できるような面白さがある。 このラベ氏の「闇」が理解不能で、それでもそこに人間性のリアルが感じられるというキャラ設定がこの本の中心課題になる。だから、話のオチはつけようもない、といえばそうで、あまり筋道立った結末にはならない。7点をつけにくいのは、そういうところかな。「ベルの死」あたりに近い印象がある。 |
No.64 | 7点 | メグレ夫人と公園の女- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/14 12:11 |
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中期メグレって本当に、楽しい。
まずそれが最初に口をつくくらいに、エンタメとして完成された面白さがあって、外さない。メグレ夫人がタイトルにフィーチャーされた本作は、公園でメグレ夫人が知り合った女性に子供を預けられるけども、なかなかその預けた女性が現れなくて、歯科医の治療もキャンセルになとるわメグレの昼食もパーになるわ....ととんだ発端から話が始まり、「死体なき殺人」の投書から始まる事件を捜査するメグレと、メグレ夫人の災難が微妙に交錯してくる話。 中盤メグレ夫人が全然登場しなくなるので、あれ?とはなるのだが、実は実はの女性ならではの活躍をメグレに隠れてしていて、その返礼に捜査真っ最中の土曜日に、メグレは夫人を誘ってお気に入りのアルザスレストランへ、そして映画館へ..これがなかなか洒落たエピソード。しかもそれに近い話が、事件発覚の手がかりになっていたリする。 そして本作の「敵役」になる無節操な弁護士と元風紀警察の私立探偵との駆け引きも、話を複雑にしている....メグレ物のミステリとしての特徴は、こういう何気ない「要素」が、いわゆる「ミステリの伏線」とは全然別のかたちで、小説としてのまとまりを作り出しているあたりだと思う。 メグレ物の後期で「力が落ちた」と感じる原因は、事件の展開だけになってきて、「余計な」楽しい要素が減ってきているためじゃないか...なんて思う。 偶然といえば、偶然。それでもそれが「天の配剤?」なんて思えるのが、シムノンの力量というものなのだろう。 |
No.63 | 7点 | 死体が空から降ってくる- ジョルジュ・シムノン | 2022/06/11 11:58 |
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「シムノンの数多い短編中でも最も本格探偵小説的な短編集」とわざわざ銘打った非メグレのシリーズ・キャラクター、「チビ医者」ジャン・ドーランの短編集。二分冊で後編が「上靴にほれた男」になる。都筑道夫が力を入れて紹介するんだけども、日本の「本格の鬼」のマニアの間ではウケが悪くて困る....こんな状況なので、「じゃあ、シムノンでもパズラーっぽい作品ならいいんだろう!」という狙いのようである。実際、本作の紹介のあとは映画がらみがないと、ハヤカワのシムノン紹介が途絶えてしまう...
だから、一応パズラー風味がある作品。でも、読みどころは「チビ医者」という素人探偵が、自分の意外な探偵の才能に気がついて、それをサイドビジネスみたいに生かしたくて、事件に首を突っ込んでいくプロセスの面白味。そんな自意識とヘンなプライドを満たすような成功もあるし、またそれを逆に取られて失敗する話、あるいは解決できるのだけどもそれによってチビ医者が反省することになるような話...いやいやなかなか奥深い。 だから、本作はパズラー風味とはいえ、その「パズラー」の扱いに込められた、シムノンの余裕とヒネった狙いを楽しむ短編集だと思う。 まあ、この本は前半。ということは、まさにチビ医者が自分の意外な「探偵の才」に気がついて、いろいろ試行錯誤するあたり。「上靴にほれた男」じゃ最後は大捜査線の指揮をまかされて「アマチュア探偵の本懐」を遂げるわけだが、本作の失敗も成功もそれぞれに、チビ医者が浮かれたり落ち込んだり、それが楽しい。一番イイ意味で「アマチュア探偵」の面白さを楽しめる。 ミステリ自体としては、新婚夫婦の不和の原因を調査する「十二月一日の夫婦」がリアルでありそうな陰謀で面白い。あと表題作の「死体が空から降ってくる」の田舎地主との駆け引きと、殺人事件の意外な真相。 |
No.62 | 5点 | メグレとワイン商- ジョルジュ・シムノン | 2022/05/18 18:51 |
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おや予想とは全然違ってた。前作「録音マニア」の後半のネタをもっと整合性良く作り直したんだなあ.....作品としてはヘンテコな「録音マニア」よりも、普通に作品になっているけどもね。
評者がへそ曲がりなせいかもしれないが、意外性とか逆になくなってしまう分、作品的な魅力が薄いようにも感じる。「シムノンの思い」がストレートに出過ぎている? この被害者、シムノンの通例で、大衆向け安ワインを売る商売に成功し成り上がった男なんだけども、周囲に対する支配欲が強すぎる性格的な欠点がある。で、周囲の女性にはお約束のように手を付ける...いやいやシムノン自身の罪滅ぼしか何かなのかしらん? だから、犯人の告白に宗教者めいた父性で耳を傾けるメグレも、シムノンの「心の中の理想像のキャラ」みたいに見えてしまって、評者はシラける部分の方が強かったなあ...ごめん本作については、評者はイイ読者じゃない。 読みどころはメグレの風邪ひき、くらい。雪さんのご教示によると、パルドン医師は前作「録音マニア」が最後の登場だそうで、本作は名前しか出ない。メグレ自身が意固地なくらいにパルドンの診察を受けるのを渋る。 変調を感じる。シムノン老いたり? |
No.61 | 5点 | メグレと録音マニア- ジョルジュ・シムノン | 2022/05/18 08:33 |
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読む前には「1969年に録音マニアというと...」でオープンリールのデンスケなんだろうか?なんて憶測していたんだけど、商品化も間もないカセットテープレコーダーで正しいようだ。持ち主というか被害者はブルジョア家庭の育ちのソルボンヌの学生。まさに時代の最先端行ってたわけだ。このお坊ちゃん、怪しげなカフェに出入りして「音による社会のドキュメント」というテーマで、会話を録音する趣味があった...この録音に殺害の動機があるのでは?
うん、こんな話。確かに謀議を録音された美術品窃盗グループも絡むんだけどもね。被害者の学生はブルジョア家庭に育ったのが負い目になっていて、こんな趣味を通じてコンプレックスを晴らそうとするわけだ。 実は殺害の犯人にも別なコンプレックスというか衝動もあって微妙に重なる、といえばそうかもしれないのだけども、ちょっとまあ、そんな読みは無理筋か。シムノンの興味と狙いが途中で変わっちゃったような印象の方が強くて、話がバラバラ、と批判すればまあその通り。言い訳しようがない。 それでも真犯人を「あやす」ようなメグレの対応がそれなりに面白い。 どうやら自作の「メグレとワイン商」が同じような話だそうだ。連続して読もうとしっかり準備してある。としてみると、本作で当初の予定から脱線してしまったのを、もう一度本来のプランでやり直そう、という狙いなのかなあ。 実際「メグレたてつく」と「メグレと宝石泥棒」の関係もそんなニュアンスを感じるからね。確認してみよう。 (ごめん上記予想は外れ。どうでもいい話。学生の頃の親友の趣味がこれ。オープンリールのデッキを担いで生録。サンパチツートラなんて呪文を憶えたよ) |
No.60 | 6点 | メグレと妻を寝とられた男- ジョルジュ・シムノン | 2022/05/04 15:52 |
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さて皆さんが大変よくまとめておられるので、評者が追加することってあまり、ない。「寝取られ男」でデーマがかぶるので、「カルディノーの息子」の次に選んだ作品である。あっちは小市民になりあがった男が主人公で、ハタから見れば喜劇なのに迷惑するだけで済むが、こっちは悲惨。口蓋裂でそれを負い目に感じて卑屈になっているペンキ職人の親方である。
子供までありながら、妻と新たに雇い入れた美男で威勢のいい職人が通じて、自分は家からも弾き出される...悲惨を絵に描いたよう。コンプレックスが大きくて自信がないからこそ、いい様にされて自分の権利も主張できない。「妻と間男を殺してやりたい...」こんな物騒な相談をされたメグレはいい迷惑。それでもメグレはこの男のことが気にかかってならない。 ここでメグレが毎日この男に自分に電話するように諭すのが、まあメグレらしいといえばその通り。こんなイイ警官、いないよ。この男は果たして失踪するが、メグレにかけた電話の最後の言葉は「ありがとうございます...」いや泣けるじゃない? 自分のことを気にかけてくれる人間が、世の中にいる。 ミステリとしての読みどころはほぼないに等しい作品だけど、この一件が片付いて裁判でメグレが証言を求められる最後のエピソードが、この作品に大作家シムノンの「署名」を与えているようなものだ。 tider-tiger さんのご書評に、一票。 |
No.59 | 6点 | カルディノーの息子- ジョルジュ・シムノン | 2022/04/29 14:54 |
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ハヤカワの世界ミステリ全集の座談会で、都筑道夫が「シムノンは紹介しても売れない..」ってボヤいた回想をしてたんだけど、この本も都筑主導でポケミスで出したもの。本書のあとがきだと「ベルの死」で文句付いたのがコタえた様子で、主客の対話仕立てで
客「それを探偵小説として出すのは、おかしいんじゃないかな?」 主「これはやっぱり探偵小説の土壌から生まれた文学なんだよ」 と釈明しているあたりに弱気が見える(苦笑)。まあ、実際、評者もポケミスのシムノンの未読はあとチビ医者モノの「死体が空から降ってくる」だけになってきた。意外なくらいに、出てないんだよ。 で、本作は妻を寝取られた男が、その妻の行方を捜す話。いやはや、何とも不名誉な話のうえに、主人公のカルディノーがまた微妙な立場にいる男なのだ。タイトルの「カルディノーの息子」が、この主人公に対する町の人々の呼び名、なのである。労働者階級の出身だが、小才が効くことで保険会社で出世して主人のお気に入り、と自分の家族や昔馴染みからはヤッカミの目で見られるタイプの小市民なのだ。だから妻に逃げられた話、というのも誰もが喜劇的な感想を持ちがちで、そんな状況下でも誠心誠意、妻を追う....いや、笑っていいのか、いけないのか? 集英社のシムノン選集の解説にあるんだけど、シムノンは、労働者階級も、小市民も、ブルジョアも、まるで書けない、なんて言ってるフランスの評論家がいるようだ。シムノンが得意とするのは、まさに本書の主人公のようなキャラなのである。労働者階級から這い上がりながらも、旦那衆からは疎外され、負い目を持ちながらも、社会階級の転落に怯える男....まさに、本書の主人公のピンチはそれを強烈に戯画化したようなものである。 (ちなみに本書、打ってある最終のノンブルは p.122。92ページの「明日よ、さらば」には及ばないがね..ページ以上の読みごたえは、あります) |