皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ] 蟇屋敷の殺人 |
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甲賀三郎 | 出版月: 2001年12月 | 平均: 4.50点 | 書評数: 2件 |
日本図書センター 2001年12月 |
河出書房新社 2017年05月 |
No.2 | 5点 | nukkam | 2021/08/09 00:58 |
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(ネタバレなしです) 甲賀三郎(1893-1945)はミステリーのジャンル分けにおける「本格派」を命名し、ミステリーに文学性を求める主張に対して本格派を擁護したことから戦前戦中に活躍した作家の中で「本格派の雄」と評価されています。とはいえ書き残されたミステリー作品は短編は本格派が多いものの、長編はスリラー作品が多いらしいところは江戸川乱歩と共通しているように感じられます。1938年に新聞連載された本書(単行本化は戦後らしい)は河出文庫版の裏表紙粗筋紹介で作者の最高傑作とアピールされていましたので読んでみました。自動車の中で首を切られた死体の発見に始まり、被害者と思われたが生きていた富豪の住む屋敷は庭に大量の蟇(がま)が放たれ、夜には眼も口も鼻もないノッペラボーの怪人が出没するというスリラー小説設定ですが乱歩に比べるとエログロ雰囲気はありません。第9章ではそれなりの推理が披露されるところは若干本格派風ですが、全体としては主人公も警察も事件関係者への聴取は突っ込みが足らず頼りなさの方が目立っています。おっさんさんのご講評で触れられているようにエラリー・クイーンの某作品と同じネタを先取りしていたのには驚きますが、クイーンと違って終盤で唐突に説明されていては後出しの謎解きにしか感じられません。 |
No.1 | 4点 | おっさん | 2012/08/08 17:32 |
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日本図書センターの<甲賀三郎全集>、その第9巻は、表題長編ほか短編2作を収めます。
①蟇屋敷の殺人(昭13~14、讀物と講談) ②情況証拠(昭8、新青年) ③月魔将軍(昭12、オール讀物) コメントは年代順に。 疑わしきは罰せず――を実践してきた、刑事弁護士でもある高名な法学者が、アパートの密室でガス中毒死する。「自殺でもなし、他殺でもなし、過失死でもな」し(おお、ジョン・ロードの秀作『ハーレー街の死』のようだ)、その死の真相は? という②は、“情況証拠”や自白による裁断がいかに危険きわまるものであるか、をテーマにするはずであったと思うのですが、エピソードを錯綜させすぎて(自身の代表作となった「琥珀のパイプ」の呪縛)、主題がかすんでしまいました。シリアスなトーンと、突っ込みどころ満載のお莫迦なトリックも水と油で・・・残念ながら、企画倒れ。 ただ、惰性で創作するのではなく、書きたいことへ向けて一歩踏み出している、その前向きさは確かに伝わってきます。意欲的な失敗作、とでも言うべきか。 それにくらべると。 人里離れた深山の尾根で道に迷い、不思議な西洋館に泊めてもらうことになった主人公が、怪しい殺人劇に巻き込まれる③は・・・ 狂女や蝋人形といった、乱歩・正史ばりのおどろおどろしい道具立てが、どうも甲賀には合わないうえ、使い方が下手なので、オースティン・フリーマンのソーンダイク博士ものから流用した“科学的”トリックまで、胡散臭さをきわだたせる結果に終わっています。 小説としての後味も悪く、力作率の高い甲賀の山モノ(「緑色の犯罪」「誰が裁いたか」「二川家殺人事件」)の中にあって、これはまあ、駄作の部類ですね。 で、順番は最後になりましたが、残る表題作に触れておくと―― ある朝、丸の内の工業倶楽部前に停まっていた車の中から、首を切られた男の死体が発見される。所持品と車体ナンバーから、被害者は、世田谷に豪邸(通称、蟇屋敷)をもつ資産家の、熊丸氏と推定されたが・・・ どっこい熊丸氏は生きていた。容貌も似かよっているし、持物から自動車まで同氏のものでありながら、死体はまったくの別人だったのだ! 一転して容疑者となる熊丸氏だったが、前夜の行動に関しては、かたくなに口をつぐみ続ける。 ひょんなことから事件に関与することになった、探偵作家の村橋は、親友の萱場警部に素人探偵宣言をして、行動を開始するが・・・矢継ぎ早に起こる殺人。目撃される怪物(目も鼻もないノッペラボー)。暗躍する謎の女。村橋と萱場警部の身にも、魔の手が迫る! 日中戦争の勃発から第二次世界大戦突入までのはざま、そのなんともキナ臭い時代に書かれたにしては、およそ時代色・国策とは無縁の、娯楽に徹した探偵小説です。 その夏炉冬扇ぶりは、いっそ気持ちいいくらいですし、スリラー調の展開はとっていても、従来型の“怪人対名探偵”とはまた一味違った、ひねりが利いています。 しかし、正直、長いんだよなあ。引き延ばしの果てに訪れる、衝撃の結末も、結局のところ、伏線にもとづかない、真相の一方的な押しつけですから、説得力も何もあったものじゃない。 いちおう、エラリイ・クイーンの戦後の某作の趣向に、先鞭をつけているんですがね(ま、アレに先鞭をつけても、あまり自慢にはならないかw)。 この作品などは、連載終了後そのまま本にしないで、刈り込むべきところを刈り込み、矛盾を訂正し説明不足を補い――という改稿の手続きを踏めば、いわゆる“本格”ではないにせよ、特異なテイストの“捜査型”ミステリ(さながら、F・W・クロフツ、ミーツ島田荘司)として、面目を一新したかもしれません。 さて。 この<全集>も、残すところあと1巻。最終回は、かの小山正氏スイセンの、幻のバカミスを読み返すことになります。 乞うご期待w (付記)表題長編を対象として、「スリラー」に登録しました(2012・11・13)。 |