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ミステリの祭典

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Tetchyさんの登録情報
平均点:6.73点 書評数:1603件

プロフィール| 書評

No.1083 7点 キング・オブ・クール
ドン・ウィンズロウ
(2013/09/16 19:09登録)
『野蛮なやつら』が還ってきた!前作で華々しい最期を遂げた彼らの続編はその事件の前日譚。流石に前作に見られたあの鬼気迫る短文と固有名詞の乱れうちのような文体は鳴りを潜めているが、それでも彼ら3人を語るオフビートテイストな、ちょっと特異な文章と短い章で刻んでいくストーリー運びは健在。ちなみに第1章が一行で始まるのもまた同じだ。

その第1章が前作では「ざけんな!」であったのに対し、今回が「あたしとしてよ」だったのには思わずニヤリとしてしまった。日本語では解らないが、これは前作が“Fuck you!”であり、今回が“Fuck me.”と対語になっているのだ。もうこの1章から一気に彼らの世界に引き戻されてしまった。

さてウィンズロウ読者には嬉しいサーヴィスが。なんとボビーZとフランキー・マシーンが客演するのだ。

しかし最近のウィンズロウは麻薬をテーマにした作品が多い。しかもそれらは常に血みどろの惨劇になる。また麻薬は関係ないかと思われた作品でも麻薬が絡むことで昏い翳を落とす。『犬の力』を構想中に得た麻薬業界の知識と麻薬捜査の現状の虚しさが作者に怒りを与え、もはやライフワークの感がある。
ファンの1人としてはあまり麻薬に固執せずに物語のアクセントとしてこれからも面白い物語を紡いでほしいと願うのだが。


No.1082 7点 絆回廊 新宿鮫Ⅹ
大沢在昌
(2013/09/10 19:41登録)
シリーズ10作目にしてなお衰えず。いや巻を出すたびに変わる警察機構と高まる犯罪の複雑さと巧妙さを物語に巧みに織り込み、その情報量とリアリティで他の警察小説と一線を画すステータスを保ち続けている。
警察に復讐を企む正体不明の大男の出現と云うインパクト強烈な導入部から復讐者と鮫島との手に汗握る攻防戦を予想させたが、多様化する日本、特にその中心都市である東京の人種の混在が著しい新宿の犯罪の国際化が否応にもストーリーを複雑化させていく。

正体不明の大男こと樫原茂の人物像はレイモンド・チャンドラーの『さらば愛しい女よ』の大鹿マロイを想起する読者も多いだろう。斯くいう私もそうだった。登場シーンもいきなり出てきて話しかけるところといい、恐らく作者も意識をして造形したのではないだろうか。但しチャンドラーがマーロウとマロイを物語の冒頭で邂逅させたのに対し、大沢氏は鮫島が樫原の正体に行き着くまでにかなり筆を費やし、簡単には対決させず、逆に樫原の起こした事件の痕跡を追わせて最後に樫原を邂逅させることで樫原の凶暴性を伝聞的に記述することで、まだ見ぬ大男の恐ろしさを描くことに成功している。

私は前作を読んだ時にシリーズ10作目となる次回作がシリーズの最終作となるのではないかと予想したが、それを裏付けるかの如く作中にはそれまでのシリーズを回想するかのごとく、それまでのシリーズで語られたエピソードや事件、鮫島の前から消えた人々の事が触れられる。

そして本書でもさらに鮫島にとってかけがえのない者たちとの別れが描かれる。この選択はかなりの冒険だったのではないだろうか。

前作まで積み上がってきた新宿鮫の世界を彩るバイプレイヤーは本書にて一掃されたと云っていいだろう。しかし最後に鮫島の前に残ったのは警察機構の爆弾として周囲から疎まれたジョーカーだった鮫島の後押しをする仲間たちだった。
次作からはまさに新生“新宿鮫”の幕明けとなるだろう。作者の飽くなきチャレンジ精神に敬意を表し、これからも応援していきたい。


No.1081 7点 魔法
クリストファー・プリースト
(2013/09/07 18:21登録)
本書の原題は“The Glamour”、本書の中で“魅する力”と称されている力を指している。この物語の2/5辺りで唐突に出てくる言葉の正体はなかなか読者には理解できない。主人公リチャードの恋人スーだけがその力を理解している。

この“魅する力”を通じて本書では目で見えていることが真実ではないということを訴えているようだ。それは現在の脳科学の分野でも脳が都合の良い物を選択して見せており、あらかじめ像を予想して見せているとまで云われている。特に350ページ辺りで不可視人の仕組みを脳の認識に関する考察を交えて語る件は非常に面白く読んだ。つまり人は見ているようで見ていない。これは乱歩が好きだった言葉“うつし世はゆめ よるの夢こそまこと”そのものである。

本書を含め、プリーストの物語は落ち着くべきところに落ち着かず、明かされるべき謎がさらに謎として深まっていくばかりだ。『逆転世界』ではその特異な世界そのものが実はなんら変哲もない地球上での出来事だったこと、『ドリーム・マシン』では投射世界という仮想空間と現実の境界が曖昧になり、区別がつかなくなっていった。そして本書では結局どの記憶が正しかったのかが解らなくなってしまう。つまり我々が立っている世界がいかに不安定なのかを思い知らされるのだ。
答えを知りたいという読者にはこれほど向かない作家はいないだろう。正直私自身またもや放り出されたままの結末にどうしたらよいのかいまだに解らないのだから。


No.1080 8点 クイーンズ・コレクション2
アンソロジー(海外編集者)
(2013/08/28 18:03登録)
前回のコレクションに続くパート2という位置づけだが、原題は『~コレクション1』が“Ellery Queen’s Veils Of Mystery”、つまりミステリと云うベールを剥がす作品を集めた物であるのに対し、本書は“Ellery Queen’s Circumstantial Evidence”つまり情況証拠をテーマにしたアンソロジーなのだ。

さて本書の個人的ベストは「夢の家」。この小さな町のお巡りの一人称叙述で語られる叙情溢れる物語は短編映画を観たような味わいを残す。
またこんなの読んだことないと思わせられたのはロバート・トゥーイの「支払い期日が過ぎて」。とにかく主人公の狂人とも思える会話の応対は読者を幻惑の世界へ誘い込む。シチュエーションはローンの取り立てとその債務者の会話というごく普通なのにこれほど酩酊させられる気分を味わうとは。とにかく予想のはるか斜め上を行く作品とだけ称しておこう。
本書収録作品の出来はレベルが高く、読後も引き摺る余韻を残す作品が多い。フェラーズの「忘れられた殺人」やレンデルの「運命の皮肉」、リッチーの「白銅貨ぐらいの大きさ」にハイスミスの「ローマにて」、ラッツの「もうひとりの走者」とウェストレイクの「これが死だ」にイーリイの「昔にかえれ」と最後のエリン「不可解な理由」などは割り切れない結末であり、非常に後を引く。

しかし今現在この短編に収められている作品が読める機会があるだろうか?収録された作家はかつては日本でも訳出がさかんにされ、書店の本棚には1冊は収まっていた作家が多いが、平成の今その作品のほとんどが絶版状態で入手すること自体が困難な作家ばかりである。
そんな作家たちの、クイーンの眼鏡を通じて選ばれた作品を読める貴重な短編集である本書はその時代のミステリシーンを写す鏡でもある。再評価高まるクイーンの諸作品が新訳で訳出されている昨今、この時流に乗って彼の編んだアンソロジーもまた再評価が高まると嬉しいのだが。


No.1079 7点 ポーカー・レッスン
ジェフリー・ディーヴァー
(2013/08/20 21:57登録)
これほど長く待たされたと思わせられる訳出も珍しい。前作『クリスマス・プレゼント』の刊行が2005年。原書刊行が2006年。だからいつ出るのかいつ出るのかと心待ちにしていたが、これが一向に出ない。そして今年2013年。8年の月日を経てようやくの刊行。今や現代アメリカミステリの巨匠となったディーヴァーの超絶技巧が詰まったどんでん返しの宝石箱だ。

本書における個人的ベストは表題作。本作ではディーヴァー特有の予想の斜め上を行くどんでん返しも面白いが、何よりも物語の中身が実に濃密。若い駆け出しのギャンブラーと百戦錬磨のギャンブラーの交流と息をつかせぬ大勝負の描写が実に面白い。そしてディーヴァーはこんなギャンブル小説も書けるのかと脱帽。ディーヴァーの新たな才能の片鱗を見せてくれた。

しかし今回は歪んだ社会に潜むどんでん返しというのが目立ったように思う。特に一見普通の市民がその裏では変態的な犯罪者の側面も持っているという隣人に心を許すなかれというメッセージが含まれた作品が多い。しかし地域交流もこんな話を読むと恐ろしくて気軽に出来ないなぁ。
しかし今回のどんでん返しにはあまり納得がいかない物も多く、正直云って前作より出来は劣る。これだけ物語やシチュエーションにヴァラエティを持ちながら、落ち着くところはどんでん返しという所が設定を変えただけという風に思えてしまうからだ。

とはいえ、現代気鋭の物語巧者であるディーヴァー、そのシチュエーションのヴァリエーションは実に多彩。さらに一つ一つのディテールが濃く、本当にこの人は何でも書けるという思いを強くした。

ある意味本書は読書の功罪を孕んだ作品集と云えよう。 短編集では全ての短編にどんでん返しが盛り込まれており、特に初めてディーヴァー作品を読む人は読書の至福を感じるだろう。しかし逆にこれが基準となればその後の読書に多大なる影響を与えることになりかねない。
さて彼ほど読者の期待を一身に受けている作者はいないだろう。次の短編集ではどんな奇手を見せてくれるか、実に楽しみだ。


No.1078 7点 ドリーム・マシーン
クリストファー・プリースト
(2013/08/11 22:53登録)
1977年に発表された本書は一世を風靡し、映画を変えたとまで云われた『マトリックス』の原型となる作品だろうか。
リドパス投射器という死体安置所の抽斗のようなところに寝かされ、投射された人々はウェセックスという仮想世界でそれぞれの仕事に就き、生活を営むのだ。

しかしこの投射世界という想定された未来世界に人を投入するウェセックス計画の内容が読者に解るのは150ページを過ぎたところ。つまり物語の約4割を過ぎたあたりからだ。それまでは主人公ジューリア初め、他の参加者たちが投射される目的が全く分からないまま物語は進行する。

この2つの区別のつかない世界を与えられた時、そして仮想空間の方が心地よい居場所だった時に、その人にとって現実とは果たしてどちらなのか。これが作者の本書におけるメッセージであると思う。1977年に書かれた本書は今のネット社会を予見させる内容だ。現にネット社会に耽溺し、廃人となる人々もいる。全く以て余談だが、私もオンラインゲームを嗜んでいるが、日々の雑事で週末の休日ぐらいしか訪れない。しかしそれでも常にそこにいるユーザーが居て、この人たちは一体現実世界ではどのように生活しているのだろうかと訝ることもしばしばだ。

また私は本書を別な方法で物語を閉じる方が良かったように思う。特に360ページ辺りで世界がひっくり返るような眩暈を覚えたものだ。

結局物語は何も解決せずに終わった。なんとも厭世観濃いこの結末にまだ戸惑ってしまう自分がいるのだった。


No.1077 7点 東西ミステリーベスト100(死ぬまで使えるブックガイド)
事典・ガイド
(2013/08/08 22:51登録)
意外にもアンケート結果は前回から大幅に異なることにならなかった。
国内に至っては1,2位は前回と同じだ。3位に島田荘司の『占星術殺人事件』がランクインしたのは快挙だし、このアンケートの意義を感じさせる。海外はクリスティが1位を獲得。前回1位の『Yの悲劇』は2位に甘んじた。
その他詳しいランキングについては本書に付されている座談会に詳しいのでそちらに譲るが基本的に27年経っても読者の嗜好は変わらないのだということを再認識した次第だ。確かに現在は本格ミステリの勢いがあり、前作のランキングに多く見られたハードボイルドや冒険小説の類はほとんど鳴りを潜めている。とはいえこの結果はつぶさにランキングを見ないとなかなかに気づかない。それほど両者のランキングは似通っている。
即ち読者がミステリを読み始めた頃に得た驚きや愉悦の記憶、即ち黄金体験はなかなかぬぐえないほど鉄板なのだということだろう。

これはやはりミステリ読者が一生のうちに2,3回体験できるか解らないお祭りなのだ。そしてその結果はその時代性を語る上でも貴重な資料になり得る。

本書を手にしてぜひともミステリの森を散策してもらいたい。そしてミステリ愛読者ならばなぜその作品が選ばれたのかミステリとしての意義をぜひとも読み取ってもらいたい。ただ単純に面白いとだけで選ばれた作品ではない。本書のランキングに収められた作品はミステリの歴史に道標を築いたエポックメイキングな試みや大胆な発想が込められているからだ。

とはいえ勉強のための読書も面白くない。これからミステリを読もうという人は本書をきっかけにミステリ愛読者への一歩を踏み出して、数年後再びアンケートが行われた時に参加し、あるいはその結果を見て読書の思い出に浸り、誰かと語り合うようになれれば実に素敵ではないだろうか。
あとは各出版社のみなさんにここに収められているミステリ作品を歴史に遺すべく古典として絶版せぬよう文化の命脈を絶たないでほしい。本書にはそんなミステリの血道を繋ぐ大きな架け橋であると私は信じている。
さて次行われるのは何十年後だろうか。その時の結果もぜひ読みたいものだ。


No.1076 8点 クイーンズ・コレクション1
アンソロジー(海外編集者)
(2013/08/05 22:51登録)
本書は80年代のEQMM誌に発表された短編を集めたアンソロジーの第1弾。その顔触れはまさに錚々たるメンバーだ。
エラリイ・クイーンが選出したEQMM誌収録の短編集だからといって必ずしもトリックやロジックが横溢した短編とは限らない。いやむしろそのような本格推理物を期待しない方がいいだろう。
ジャンルはクライムノヴェルに誘拐物、サスペンスにホラーにスパイ小説、サイコ物に奇妙な味と実に多岐に渡る。

私のお気に入りの作品はジャック・P・ネルソンの「イタチ」、L・E・ビーニイの「村の物語」、ダグラス・シーの「おせっかい」、ジョン・L・ブリーンの「白い出戻り女の会」、ジョン・ボールの「閉じた環」、ロバート・L・フィッシュの「秘密のカバン」が挙げられよう。これらはアイデアが実に秀逸で短編を読む楽しみに満ちた作品だ。
しかし個人的ベストを挙げるとすれば最後に収録されたウィリアム・バンキアの「危険の報酬」となる。久々に心地よい余韻に浸った味わい深い作品を読んだ。そしてこのような作品をクイーンが選んだことに彼の懐の深さを感じる。
本書は逆にそういう意味ではクイーンが選んだということである種の先入観を抱かせて、損をしているように思える。

しかしこれは思わぬ収穫だった。続く2巻目も愉しみ♪


No.1075 7点 殺人の門
東野圭吾
(2013/07/29 09:41登録)
主人公田島和幸が倉持修と云う男を殺すに至るまでを600Pを超える分量で描いた作品。

それにつけても主人公田島和幸の人生とは面白いほどに不幸だ。名家だった家は父の浮気で没落し、借金苦から大学進学もままならず、また入学した学校や就職した会社ではなぜか誰かに目を付けられ、いじめを受ける。そんな負の連鎖の人生で彼が望んだのはつつましいながらも家族を持ち、家を持って普通に暮らすことだ。しかしそんな庶民的な夢でさえ、結婚相手がとんでもない浪費家でコツコツと貯めた貯金を全て使われ、さらにはクレジットローンや街金の借金まで背負わされる。普通に暮らすことさえも望めない男だ。

しかしそれも自分に人を見る目がないこと、人を疑うよりも人の話を容易に信じる性格が災いしている。何事につけ、そんな悲惨な結果を招いたのが自分の選択眼の甘さだということを知らされながらも同じ間違いを犯す。それは自分の将来を奪ったダメ親父と自分が同じだということに気づかない鈍感さによる。田島が身持ちを崩したのはホステスに入れあげ、破産した親父と全く同類なのだ。またそんな生い立ちだからか、自分の失敗についての反省の念が強すぎるというのもまた欠点だ。借金を作った妻に浮気がばれ、その事で誓約書を書かされる体たらく。それまで妻が田島に行った仕打ちを考えれば、そこまでする必要がないのに、相手の糾弾に物凄い罪悪感を抱き、詳らかに浮気の状況を妻の云うがままに書くシーンではどこまでお人好しなのだと呆れた。

そして折に触れ田島の人生に関わる倉持修という男が本書の最大のミステリだろう。
なぜか主人公の田島和幸の人生の節々で関わり合い、彼の慎ましい人生を変えていく。それも悪い方向に。それは残った2枚のカードを眼前に突き出したババ抜きの最終局面を再会するたびに差し迫られているようだ。

(以下少しネタバレ)

この倉持と云う男は田島を嵌める悪意はあったのか?いや私は読中、恐らくなかったのだろうと思っていた。倉持という男は田島が好きだったのだろう。だから自分が面白いと思っていることに彼を引き込みたがるのだ。そして田島がそれに夢中になるのを見るのが楽しいのだ。そして自分の利益や保身を優先する性格であり、その犠牲として田島に来るべき災厄を振るのだ。しかしそんな倉持の行為に悪意はないだろう。恐らく彼が困ったとき、面倒事が起きたときに、軽い気持ちで田島に任せるか、ぐらいの気持ちでしかないのだと。
つまり倉持とは知らず知らずに自らが原因で周囲の人に迷惑を掛けてしまう男であり、そのことに自覚的でない人間だ、そう考えていた。
しかし読み進むにつれて次第に上昇志向が強く、他者を踏み台にして成りあがろうとする倉持は自分の人生に田島という踏み台を見つけたのだという風に思うようになった。倉持にとって田島と云う男はカモなのだ。彼が成り上がるために手元に残ったジョーカーを引かせるための相手なのだろう、と。それは物語の最終である人物の口から倉持の人となりを明かされる段でそれが間違いではなかったことが明かされる。作中では“捨て石”という表現が使われていた。

「手玉に取られる」という言葉があるが、これほど倉持に手玉に取られる田島の人生も珍しい。

最後はほとんどホラーのような結末だ。そして田島が目的を果たしたのか否かも定かではない。ひたすらに田島和幸と云う男が人生を狂わされたことが解るだけだ。またもや救われない物語を東野圭吾は生み出した。読後の今は何とも言えない荒廃感だけが残っている。


No.1074 7点 葬列
小川勝己
(2013/07/22 23:02登録)
小川勝己氏が横溝正史賞を射止め、その年の『このミス』でも第位にランクインした鮮烈なデビュー作がこれ。現在の奥田英郎作品の『邪魔』、『無理』のような、社会の底辺で貧困にあえぐ下層社会の人々が一世一代の大勝負に出るピカレスク小説だ。

葬列。そのタイトル通り、死屍累々の山が築き上がる。その有様は実に壮絶。これは宴である。狂乱の宴だ。性格破綻者の小市民たちとやくざとの抗争と云う名の宴だ。

史郎、明日美、しのぶ、渚の4人組がいよいよ九條の別荘に乗り込む420ページからの約40ページは新人の作品とは思えないほどの勢いと迫力に満ちている。息を呑んでページを繰る手が止まらない自分がいたことを正直に白状しよう。
さてやくざが絡む大金を巡る下流社会の人々の抗争と云えば馳作品を想起させるが小川作品と馳作品とではテイストが全く異なる。馳氏の物語は人間の卑しいどす黒い負の衝動を物語が進むにつれて肥大させ、それが破裂して破滅の道を辿るという、終始暗いムードが漂うが、小川作品は登場人物たちの設定ゆえにどこか滑稽でこれら頼りない社会の底辺で生きる面々をいつのまにか応援してしまうのだ。

惨たらしい殺戮シーンながらもどこか爽快感とカタルシスが残り、主人公と同様のひと仕事を終えた心地よい疲労感が得られる。
それはひとえに小川氏の描く登場人物造形のユニークさがあるからだろう。白いマンションに住むことを夢見て過去にマルチ商法に嵌って夫を身体障害者にしてしまった三宮明日美。明日美をマルチ商法に誘い、一攫千金を願いながらも上手く行かない人生を儚み、全身整形を施した人造美人の葉山しのぶ。高校の先輩に誘われて極道の世界に入ったものの、生来の気の弱さからやくざになりきれない小心者、木島史郎。アメリカ滞在時に両親をミリタリーマニアの学生らにゲームさながらに殺され、自身も輪姦されながらも唯一生き残った心をどこかへ置き忘れた帰国子女、藤並渚。
そして彼らを筆頭に敵役の九條、堺、海渡と云った極道連中と癖のある刑事隅田ら脇を固める面々一人一人が戯画的なキャラクターでありながらドラマを形作る。どこかマンガを読んでいるような感覚と妙に詳細な銃器の説明と小道具となるラヴホテルの従業員たちの仕事の内容と、パロディとリアルが同居した奇妙なノワールの世界がこの作品にはあり、それが一種独特な雰囲気を醸し出している。

正直、人が大勢死ぬ作品を読むのはどうにも辟易だったが、案に反して実に面白く読むことが出来た。アクの強い人物たちが最後に華々しく銃撃の花火を放って散りゆく。それは迫真に迫りながらもどこか滑稽で爽快感が漂う。この読後感は、そうクエンティン・タランティーノ監督作品を観た後のようだ!


No.1073 7点 約束の地で
馳星周
(2013/07/16 21:26登録)
相も変わらず人生の落伍者を取り揃えた作品集となった。ただし本書はいつもの短編集とは違い、北海道の浦河、富川、苫小牧、函館を舞台に各短編で登場する脇役が次の短編で主役となるという連作短編集となっている。

各編に共通するのは凍てつくまでの寒さ。少しばかりの厚着では瞬く間に体が冷え切ってしまう。情熱的な愛を重ねても熱く感じるのはお互いが繋がっている部分だけで、その他はひんやりと冷たい。温まった部屋も少しでも外気に曝されればたちまち寒気のただ中だ。そんな場所である北の地ではなかなか人の温かみや温もりというのが持続しない。だから人は言葉少なに閉じこもって過ごすのだろう。その簡単に命さえも奪ってしまうような極寒の地だからこそ人の事よりもまず自分の事をしなければ生きていけなくなってしまうのだ。

本書のタイトルは『約束の地で』で発表は2007年。馳氏は北海道出身で作家デビューが1998年。つまりこのタイトルには作家生活10周年を迎えた暁にはその記念碑的作品を自らの故郷である北海道を舞台にしてという意味が込められているのではないだろうか?
故郷に錦を飾るという言葉があるが、馳氏は本書を以てそれを成したと云えよう。そして通常ならば自分の生まれ故郷を舞台にした作品を書くならば、それまでの作家の集大成的な作品として感動巨編的な物を書こうと思うのが普通だが、馳氏はあくまで自分の作風にこだわり、敢えて故郷を舞台に不幸な人間の遣る瀬無さが漂う物語を紡いだ。これが彼の10年間で得た物です、そんな風に云っているように私には思えた。

今まで馳氏の短編集は本当に救いのない話ばかりで、むしろ作者がわざと大袈裟に不幸を愉しんで書いているような節を感じて嫌悪感さえ抱いていたのだが、本書においては同じ不幸を描きながら、酒、ドラッグ、暴力、セックスに淫せずに我々市井の人々の中にいる不幸な人をじっくりと、しかし敢えて過剰な抑揚を排したこの物語群はそんな負の感情を抱かずに楽しめた。これ以降の馳作品もこのような読み応えを期待したい。


No.1072 7点 逆転世界
クリストファー・プリースト
(2013/07/15 21:02登録)
<地球市>と呼ばれる都市は軌道上に乗る動く7層からなる都市でその行先の測量をし、軌道を敷設し、断崖があれば橋を架ける。それがギルド員の仕事だった。1年に約36.5マイル動く都市に住む人々の年齢もまた時間ではなく、距離で表現される。人は650マイル、即ち約18歳になると成人とみなされ、それら複数のギルドの中から自分が就くべき職業を選択する。そして成人になるまで都市の人々は外の世界へでることはないのだ。
クリストファー・プリーストが1974年に発表したSF小説である本書はそんな奇想が横溢する世界が舞台だ。

動かざるを得ない都市があるこの星の世界は数学的理論に支配され、とにかく読んでいる間は次第に見えてくる世界の摂理にうなされてばかり。奇想、奇想の連続だ。

しかしそんな動く都市と歪む世界の摂理は第4部で驚くべき転換を見せる。その衝撃は某有名映画が存在しなければかなりの衝撃を私にもたらしただろう。

しかしそんな先行作の二番煎じと断ぜずにこの作品の抱えるテーマをじっくりと考えてほしい。歪みゆく世界から逃れるために動く都市。彼らの行動原理には原因と結果が備わっており、この世を理解するに十分な論理が存在している。そんな安定した世界観を覆す奇想。まさにコペルニクス的発想転換。当時のガリレオの地動説が発表された衝撃と黙殺しようとした学会の気持ちが実によく解る。

色んな要素を含んだこの作品を一概にSF作品とジャンル分けするべきではない。宗教的な盲信の恐ろしさと奇想の数々、そしてそれを覆す論理的展開。現在でも本書が手に入る状況を保っている出版社の志に感謝!


No.1071 7点 過去からの狙撃者
マイケル・バー=ゾウハー
(2013/07/07 07:02登録)
マイケル・バー=ゾウハーのデビュー作。舞台は事件の起きたアメリカからドイツ、フランス、イスラエル、ポーランドと実に目まぐるしく変わる。たった280ページの物語にこれだけの舞台転換が込められており、しかも物語は重層的だ。スパイ小説隆盛時期の小説とはこれだ!と云わんばかりの充実ぶりだ。
この重層的な物語こそマイケル・バー=ゾウハーの職人技。デビュー作からこんな物語を見せてくれるとは恐るべし。

そして主人公ソーンダーズがCIA工作員だった頃に親友ともいうべき有能な工作員を自分の失敗から亡くしてしまうという苦い過去も織り込まれている。そこにはジェイムズ・ボンドのような任務先で知り合った女性と懇ろになるという優雅なスパイの姿が描かれている。これはバー=ゾウハーによる一種の007シリーズへの皮肉なのかもしれない。

またこれら複雑な物語は世界を股に掛けた大規模な一種の操りのトリックでもある。つまり根っこは本格ミステリ、特に後期のクイーンが取り組み、そして悩むこととなった後期クイーン問題に繋がっている。特に『間違いの悲劇』を読んだ後であったためか、近似性を強く感じた。

しかしデビュー作もナチス時代の復讐譚が絡む物語ならば現時点での最新作『ベルリン・コンスピラシー』もナチス時代の事件の物語。どうやらバー=ゾウハーにとってナチスとは現代社会にも根ざす戦争の亡霊でありながら忘れてはならない過ちであり、生涯語るべきライフワーク的なテーマなのかもしれない。


No.1070 7点 おれは非情勤
東野圭吾
(2013/07/03 20:06登録)
25歳独身。ミステリ作家を目指す非常勤講師“おれ”は今日も学校を渡り歩いては事件に出くわし、解決を強いられる。おれにとっては教師と云う職業は単なる生活の糧を得るに過ぎなく、限られた期間をそつなくこなせばいいくらいにしか思っていない。しかしさほど熱心な教師ではないにもかかわらず行く先々で起こる事件で生徒たちと関わらざるを得ない。
しかも扱っている事件は殺人事件、盗難事件、不審死、自殺未遂に脅迫文、そして毒殺未遂とミステリの王道ながらも明かされる真相ではいじめ、カツアゲ、悪意ある遊びなど、子供たちの学校生活で障害となる身近な問題を根底に潜ませているところに作者の上手さが光る。
題名は非常勤ならぬ“非情”勤とフィリップ・マーロウを髣髴とさせるサラリーマン教師を想像させるが、実は意外にも熱血漢。“おれ”の一人称で語られる地の文では素っ気ない無気力な口調でやる気のなさを強調しているが、いざ事件が起こればすぐに駆けつけ、業務時間外でも生徒たちの自宅や病院まで訪問し、ケアもする。そして休み時間の生徒たちの振る舞いを観察し、クラスにおける生徒たちの階級制度を理解し、子供たちの心を掴み、真相に迫る。

また特徴的なのは非常勤の名の如く、一作一作で舞台となる学校は違うところだ。通常学園物は同じ学校の面々をストーリーを追うごとにそれぞれのキャラクターを掘り込み、深化させて濃密な物語世界と読者が経験した学生生活の追体験をさせるのが習いなのに対し、本書は特別だ。

そして短期間しかその学校に属さない非常勤講師だからこそ、学校という空間でいつ知れず形成される異質な常識や通念に囚われずに生徒たちとぶつかり、真実を探求できるというところに主人公の設定の妙味がある。

生き生きとした小学校生活の描写が大人の私にも懐かしく思えるし、現在進行形で学校生活を送っている小学生にもこれらの短編は実に面白く読めるだろう。本当に何でも書ける作家だなぁ、東野圭吾は。


No.1069 7点 間違いの悲劇
エラリイ・クイーン
(2013/07/01 19:42登録)
表題の未完成長編のシノプシスにクイーンの未収録短編作品も織り込んだ贅沢な一冊。

さてそんな作品集の始まりはノンシリーズの「動機」から始まる。町の住民が次々と殺されるが犯人は一向に解らない。捜査が難航して苦悩する副保安官が無差別殺人、通り魔的犯罪としきりに零すのはミステリとして殺人事件を扱っているが実は世に蔓延る殺人事件の大半はこのような動機やトリックなどとは無縁の、動機なき犯罪が多いのだという一種の皮肉めいたメッセージなのかもしれない。

その作品以降続くのは「クイーン検察局」シリーズの未収録短編と「パズル・クラブ」シリーズ。どちらも推理クイズと大差ない読者の挑戦状を挟んだ小編ばかりだが、全編通して多いのはダイイング・メッセージ物だということだ。玉石混交の感は否めないが、よくもまあこれほど考え付いた物だ。

そして注目の表題作。これは前にも書いたがクイーンの代表作『~の悲劇』の題名を継ぐ作品だけあって、その真相は二転三転し、読者の予断を許さない。しかもその真相には後期クイーン問題も孕んでおり、読後の余韻は『九尾の猫』や『十日間の不思議』に似たものがある。作品として完成していれば後期の代表作の1つになっていたのかもしれない。

題名は犯人が犯したある間違いからこの事件は起こったというエラリーの慨嘆から来ている。しかしそもそも世の中の犯罪全てが間違いから起こった悲劇ではないか。つまりこの題名は犯罪そのものが「間違いの悲劇」なのだという作者からのメッセージだと読み取った。

またよく考えてみると『~の悲劇』の題名がついた作品でエラリーが活躍するのは本作だけである。深みあるテーマとこの題名。もしシノプシスだけでなく、作品として完成していたら貴重な作品となっていただろう。


No.1068 1点 ブルー・ローズ
馳星周
(2013/06/26 23:44登録)
本書は馳氏による初の探偵小説と云えるだろう。元警官でバブル経済時に土地転がしをして失敗し莫大な借金を抱えたしがない探偵徳永。彼が追うのは警察官僚の娘の失踪。特に冒頭の、高い地位のある、富裕な依頼主を訪れ、失踪した娘の捜索を依頼される件はチャンドラーの『大いなる眠り』を想起させる。

しかし探偵小説の体裁は上巻まで。やはり最後はいつもの馳作品。狂気と殺戮の宴の始まりだ。

敢えて苦言を呈せば、本書は実に脇の甘い作品である。徳永が暴力に走る動機となった愛すべき存在、菅原舞を喪うことも、40を過ぎた男に起こった一目惚れからなのだ。ほんの数時間しか過ごしていない相手にこれほどまでに惚れるのか?20代の男が年上の女性に惚れるというのなら解るが、人生の酸いも甘いも経験した男が20代後半の女性に一目惚れするというのが実に解せなかった。さらに菜穂を取り戻すことの意味がない中での徳永の決死の任務遂行など物語としての体を成していない。今までの馳作品らしくない破綻ぶりだ。特に結末の菜穂との情交は一体何なんだろうか?事故で重傷を負った、もしくは命さえも危うかったと思われた菜穂が最後に見せるSM女王黒薔薇の素顔。ボロボロの徳永の股間に跨り、犯しながら犯されて物語は閉じられる。正直この結末には唖然とした。もう馳氏にはノワールを構成するネタが枯渇してしまったのだろうか。
先にも書いたがブルー・ローズとは英語で“ありえないこと”という意味でもある。私にしてみればそれは本書の内容こそがブルー・ローズそのものであった。


No.1067 7点 ルパン、最後の恋
モーリス・ルブラン
(2013/06/18 19:37登録)
21世紀になってルブランの伝記を著したジャック・ドゥルアールの調査によって発見されたタイプ原稿が本書『ルパン、最後の恋』。正真正銘のルブランの手による最後のルパン物語だ。なんと作者ルブラン没後70年経ってからの発表である。
そしてその物語は何ともロマンティック。これだよ、これがルパンだよとかつてルパンシリーズを読んで胸躍らせた読者の期待を裏切らない展開の速さとルパンという男の懐の大きさに満ちている。

本書はやはりルパンの人生の終の棲家を得るための最後の恋物語というのがメインなのだが、それを通奏低音としながら本来の物語はコラ嬢へイギリス王侯が贈った400万ポンドの金貨とコラ嬢自身を巡っての悪党とルパンの攻防戦という図式。しかしそれにはあるバックストーリーがあって…。

しかしそんな策略もルパンに掛かれば全てが最初から露呈しており、ルパンはことごとく相手を先んじては左団扇で敵を出し抜いてしまう。
かつてのルパン譚には彼の万能性を以てしても窮地に陥る難事件と云うのが数多くあったが、それに比べれば今回の敵は彼にとっては掌上の何とやらで、実に容易い相手であった。
しかも彼には世界中に彼を慕う部下が何千人とおり、無尽蔵とも云える財産もあるが、イギリス側の敵と対峙するのはルパンと飲んだくれの親から引き取った才気煥発な兄妹2人という人員構成。そんな手薄な人員でイギリス政府からの刺客を撃退するのだから、ある意味胸躍る活劇を期待する分にはいささか物足りなさを感じるかもしれない。

さてルパンが怪盗でありながら、実はフランスと云う国をこの上なく愛しており、国のピンチであればスパイのように他国へ侵入して自国への害を未然に防ぐことを厭わないヒーローであると最近のルパンに纏わる書評で読んだ記憶があるが、本書ではルパン自らが愛国者であることを宣言している。そして残りの余生を世界平和に役立てるために私財を擲つとまで述べている。ルパンは元々アンチヒーローとして生まれたが、最後となる本書ではルパンがヒーローであることを作者が強調していたのが興味深かった。


No.1066 8点 過去からの弔鐘
ローレンス・ブロック
(2013/06/14 19:27登録)
アル中探偵マット・スカダーは本書から我々の前に姿を現した。ローレンス・ブロックの筆によって我々に紹介されたのだ。ブロックは存在した探偵を掘りだし、それを文章と云う形で教えてくれたのだ。そんな風に考えてしまうほど、このマット・スカダーという人物が人間臭い。

とにかくそれまで読んでいたブロック作品の雰囲気を覆す芳醇なウィスキーのような大人の香りに満ちた文体が非常に心地よい。

空さんがおっしゃるように、原題を頭に措いて読み進めると物語の半ばぐらいから事件の真相が大体見えてくる。

事件の当事者の関係者を辿り、質問することで隠された正体を探り当てるスカダーの行為はロス・マクドナルドのリュー・アーチャーを想起させる。しかしリューは全てを知るために相手が嫌がるほどに質問を繰り返すのに対し、スカダーは必要以上のことを知ることで被る迷惑を知っており、それが故に忘れたい過去をほじくり返されて安定した生活を壊される人々がいることをわきまえているからこそ、そこまでの追及はしない。それは彼の優しさなんだろう。
ただし罪を犯した者に対しては容赦はしない。しかしスカダーは決して恐喝者ではない。ただ彼は優しいのだ。被害者たちを調べていくにつれ、彼と彼女のこれからの生活を打ち砕いた者が許せなかっただけなのだ。従って自殺を促すスカダーは冷酷などとは決して感じない。彼は、そう、純粋なのだ。

久しぶりにじっくり味わうプライヴェート・アイ小説に出逢った。マット・スカダーと彼を取り巻く人々の世界にこれからじっくり身を任せ、浸っていこう。


No.1065 7点 バビロン脱出
ネルソン・デミル
(2013/06/10 20:12登録)
ネルソン・デミルならぬドミルの1978年の作品である本書は当時最新鋭の飛行機だったコンコルドがスカイジャックされるというルシアン・ネイハムの『シャドー81』を想起させる作品。当時アメリカでは『シャドー81』はほとんど話題にならなかったとのことだが、ドミル自身はその作品を読んでいたに違いない(ネルソン・ドミルで登録するとややこしくなるのでデミルにて登録)。

しかしスカイジャックのコンコルドだけを舞台に物語は終わらない。テロリストにスカイジャックされたコンコルドの乗員は誘導されたバビロンの地で混成の即席の軍隊としてテロリスト一団と戦いを挑むのだ。
政府要人を含んだ一行は不時着したコンコルドを資材にしてアラブ人テロリストたちの攻撃に対抗すべく、要塞を作る。この辺りは昔ながらの冒険サバイバル小説の風合いがあり、懐かしくも楽しく読んだ。
機内の戦争映画の戦闘シーンのヴォリュームを大きくして、イスラエル側の戦力が多いように偽装したり、エアゾール缶に火をつけて火器に見せかけたり、さらにはブラジャーを投石器代わりにしたり、窒素ボンベの先にコンコルドのシートを付けた爆弾を作ったりと、日用品を使った生活の知恵ならぬ戦闘の知恵がそこここに挟まれていて面白い。

本書の主人公ハウズナーはエル・アル航空の保安部長でありながらテロリスト、アメド・リシュの因縁の相手でもあるが、本書をハウズナーとリシュの決着の物語とするのはいささか安直に過ぎるだろう。ではハウズナーとリシュをリーダーにしたアラブ人テロリストと素人武装集団の戦い、つまり代理戦争であるというのもまた足りない。これは我々イスラムの民でない者が理解できない彼ら民族間の根深い抗争の物語であり、民族の誇りのためには命を投げ出すことも厭わない民族の物語なのだ。アメリカの冒険小説である本書のメインの登場人物がイスラエル人とアラブ人なのも特異だが、この対立が23年後アメリカ人とアラブ人という構造に変わり、全く違和感のない世界になっていることが恐ろしい。ドミルは9.11以前に既にアラブ人テロリストがアメリカに侵入して次々と元軍人たちを殺害する『王者のゲーム』を著しているがその萌芽は既に本書にあったのだ。

さらに作者がトマス・ブロックと共著で発表した航空パニックの大傑作『超音速漂流』の元ネタも本書には見受けられる。そういった意味で本書は後にベストセラー作家ネルソン・“デミル”になる源泉だと云える。

そして忘れてはならないもう1人の主役がテロに遭うコンコルド機だ。今はもう生産されず営業航行されていない幻のスーパージェット機コンコルドが満身創痍になりながらも再び空へ旅発とうとする姿は映像化すれば魂宿る気高き鳥として映るに違いない。後世にコンコルドという音速を超えるジェット機が存在したことを知らしめる詳細な資料としても貴重な一冊となっている。


No.1064 7点 手紙
東野圭吾
(2013/05/31 21:38登録)
ひたすら切ない物語。いったいどうしてこんなことになったのか?犯罪者の周囲を取り巻く人々、とりわけその家族の姿を描いた作品。

家族からの手紙。本来ならば暖かい物なのに、直貴にとっては殺人者の兄剛志からの手紙は明るい未来を絶つ赤紙に他ならない。兄からの手紙が直貴の、人並みの生活をしたいという希望を挫くのだ。この切なさはなんだろう?
しかしまた手紙によって直貴は救われる。ある事件をきっかけに就職した会社で配置転換を命ぜられ、意気消沈していた直貴を奮起させたのもまたある人物からの手紙だった。
そして直貴が自分の手紙が服役中の兄の心を救うことに気付かされる。そして直貴が家族を守るためにある決断を下すのも手紙であり、また兄の真意に気付くのも手紙だ。
手紙と云う小道具で人の心を動かし、淀みなく物語に溶け込ませる。本当に東野はこういうやるせない物語を紡ぐのが上手い。

本書で語りたかった事とは何なのだろうか?私は次のように考える。これはメッセージなのだ、と。家族に突然犯罪者が生まれる。これは誰にも起こり得る事態だ。そんな加害者の家族に訪れる厳しい現実の数々を描くことで対岸の火事と思っている我々に色んな障害を突き付ける。そしてそれらの障害を作り出すのが他でもない我々なのだということを作者は静かに訴えているのだ。
また一時の気の迷いで犯した罪が自分だけでなく、残された家族にどれだけの負債を抱えさせるのかをも克明に教えてくれる。世間は事件を忘れても、その関係者が身の回りに近づけばおのずと思いだし、距離を置こうとする。それは一生付き纏う呪いのようなものだ。本書はそんな警句の物語。

私は本書を読んで感動しなかった。とにかくずっと身がよじれる様な思いをさせられた。「そして幸せに暮らしましたとさ」なんていうエンディングが現実社会ではないことを思い知った。
本書にはカタルシスはない。しかし錘のようにずっしり残る何かはある。決して赦されない罪があるということを知り、それを肝に銘じなければならない。そして私はわが子が中学生になったら本書を読ませようと思う。まだ見ぬ社会の厳しさをまだ純粋な心が残っているうちに教えるために。

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