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ミステリの祭典

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雪さんの登録情報
平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.46 6点 目撃者なし
樹下太郎
(2018/07/18 22:56登録)
 坂口受信機事務課に勤める平社員水品は、妻のしのぶが目黒の交差点で交通事故に遭ったという連絡を受けた。病院に向かいながら彼はある疑惑を抱く。「なんの関わりもない目黒で、妻はいったい何をしていたのか?」
 病床のしのぶを見舞う水品だが、彼女の抱えていた風呂敷包みの中身を見た事で疑惑は確信に変わる。問い詰めても答えをはぐらかされ、その後間もなく彼女は失踪してしまう。
 最後に残した伝言は「十日間待って下さい」
 仕事上のストレスも重なり鬱々とする水品だが、約束の十日目、夕餉を用意し自宅で待っていた蒼い顔のしのぶが見せたのは――
 「夫」「妻」「夫」「妻」の四部構成。水品夫妻は双方とも秘密を抱いていて、語り手が交互に交代する形。その背景にはサラリーマン社会の悲哀が通奏低音のように流れています。全体にミステリ味は薄いのですが、その中で作品の面白さを支えているのは夫のある秘密。初刊時は「ホワイトカラー殺人事件」の副題付きでした。ここから来る彼のコンプレックスが、最後の悲喜劇に繋がります。
 四部にするほど長い物語ではないですが、しみじみして良い感じですね。しのぶが水品の以前の雇い主を田舎に訪ねるシーンとか、この人が彼を婿養子に迎えて店を継がせる節があったのを考え併せると味があります。
 本当に最後にミステリとしてのサプライズはありますが大した事はない。やはり移り変わってゆく登場人物の心情と、そこから生み出されるドラマがこの作品の持ち味でしょう。妻の行為や後味悪い系の結末にも拘らず、読後感は不思議に爽やかです。
 作者が決して安直な悪人を描かないからでしょうね。筆致はだいぶ乾いてますが、そのへんは天藤真作品を思い起こさせます。点数は7点寄りの6.5点。


No.45 7点 毒蛇
レックス・スタウト
(2018/07/17 15:46登録)
 49種類の銘柄のビールを吟味している時、ネロ・ウルフはイタリア女マリアの訪問を受けた。失踪した金細工師の兄を探して欲しいというのだ。メイドのアンナが見たという新聞の切抜きの形から、ウルフは大学総長変死事件との関連を嗅ぎ付けるが…。

 ネロ・ウルフ初登場のスタウト処女作。1934年発表で、同年には「オリエント急行の殺人」「チャイナ・オレンジの秘密」「プレーグ・コートの殺人」が発表されています。
 ハメット「マルタの鷹」の発表がわずか4年前の事にすぎず、チャンドラーの本格的活動開始はさらにこの5年後です。新鮮な会話ときびきびした文章に加え、個性的な探偵を登場させたこの作品は当時から大きな反響を呼び、ウルフはアメリカのシャーロック・ホームズ、彼の登場する一連の事件群は古典として、現在に至るまで一般にも専門家の間にも高い評価を得続けました。
 同時代の他作家たちと比較すると、やはり会話が突出してますね。ただ「シーザーの埋葬」を除く初期5作を読みましたが、読み難さはこれが一番。スタウトの文学趣味がもろに出た感じですが、悪くありません。殺されたバーストウ教授の自宅を訪れるシーン。彼の家族、特に教授の妻との会話には緊張感があります。
 ミステリとしてはウルフの探偵テクニックや彼の肖像が読み所。読んだ限りではスタウトには凝ったプロットはあまりなく、真相の究明よりも証言・証拠の入手に重点が置かれます。よってウルフとワトスン役のアーチー・グッドウィンだけでは足りず、証拠固め役のソウル・パンサー以下3人も含めたウルフ・チームを形成しています。アメリカのホームズと言われる所以でしょう。第一次大戦後のアメリカにホームズ物を成立させるために、それが必要だったのです。
 本作でも根本の動機となる、ある人物が二十年間心に秘めてきた出来事をウルフがあっさりと訊き出すシーンがあります。会話の妙と言ってしまえばそれまでですが、凡百の探偵にあの真似はできません。かたくなに口を噤むアンナから証拠を得る方法はまあアレですね。あそこが山といえば山なんでしょうが。
 既読の初期5作中のお勧めは「ラバー・バンド」ですが、ちょっとシンプル過ぎるので一番はやっぱりこれかなあ。未読の「シーザーの埋葬」も、内外共に評判が良いんで楽しみです。

 追記:作品を読み返してみて、導入部の切り抜かれた新聞記事とか、ウルフの生活の詳細なディティールとか、タイトルのアレとか、予想以上にホームズ要素があるのに驚きました。作者はこのへんかなり意図的にやってるんでしょうね。


No.44 5点 赤い箱
レックス・スタウト
(2018/07/17 08:56登録)
 ニューヨークの有名デザイナー、マクネアーの店でモデルが毒殺された。彼に送られてきた菓子の中に青酸カリが仕込まれていたのだ。嫌疑を掛けられた女性へレンの婚約者は、ウルフに捜査を依頼する。同時に菓子を食べていた関係者に当たるウルフとアーチー。
 追って事務所を訪れたマクネアーは自身の遺言書を書き換えた事をウルフに伝え、ウルフを資産管財人に指名する。そしてヘレンの汚名を晴らすよう依頼し、事件の鍵は「赤い箱」にあると語るのだが、その会話の途中に毒殺されてしまうのだった。
 7分の1トンの巨体を持つ美食と蘭の愛好者、名探偵ネロ・ウルフ物第4作。ここまではかなりスピーディーです。この後も意味深な発言をした登場人物が殺されるなど、そそる展開が続くのですが、それほど面白くはなりません。「赤い箱」はマクネアーとヘレンの過去に絡んでくるのですが、これを見つければ全てが解決するにもかかわらず、その在り処は一向に不明なままだからです。
 ウルフはハンデ持ちの体格で調査は助手のアーチー・グッドウィン任せ。殆ど事務所から外出しない代わりに誤謬など皆無です。事件の真実は常にウルフには自明なのですが、舞台は法の国アメリカ。告発するに足る証拠が無ければそれは何の意味も持たないのです。おかげで作中でもウルフはぶつくさ呟く事になります。この「どうやって証言や証拠を得るか」の手練手管がウルフ物の面白さだと思います(一気に揺さぶりを掛けて追い込むノーマルタイプもありますが)。
 初期6作品の中では処女作「毒蛇」と同パターンですね。犯人はウルフにも読者にも大体分かっているけど証拠が無い。「赤い箱」の行方を巡って右往左往しますが、最後にそれを逆手に取って罠を仕掛けます。この部分をどう評価するか。筆は達者ですが人物描写などは「毒蛇」に劣り、罠やミステリ要素もそれほど関心出来なかったのでこの点数です。


No.43 6点 メグレ再出馬
ジョルジュ・シムノン
(2018/07/15 21:32登録)
 メグレが引退した身を休めるオルレアン近郊ムン=シュル=ロアールの別荘。真夜中過ぎに夫人の妹の息子、フィリップが泡を食って駆け込んできた。メグレの口利きで司法警察局に就職した彼は、コカイン取り引きの重要容疑者ペピートを拘束に向かった先のキャバレーで、彼の死体と遭遇してしまったのだ。さらに動転したフィリップは凶器の拳銃を手に取ってしまう。
 慌てて店を飛び出した彼は、さらに用意されていた証人とぶつかり、完全に犯人に仕立て上げられてしまったのだった。
 メグレは嵌められた甥っ子を救うため、再び事件に乗り出さざるを得なくなる。だが既に捜査権限の無い彼に、かつての部下たちや司法警察の援助は一切期待できないのだ・・・。
 シリーズ第19作。前期メグレのトリを務める物語で、原題もそのものズバリ"Maigret"。原書でタイトルにメグレの名前が入るのはこの作品が初めてです。
 フィリップと共にタクシーでパリに急行するメグレ。甥の身柄を警察に預けた彼は、黒幕と睨んだキャバレーの元締めカジョーと交渉します。フィリップ直属の上司であるアマディユー警視はメグレの再登板が面白くないらしく、現在彼の下に付いているリュカ達も、その立場を越えて協力する事はできません。ままならないながらも靴の底を掻くようにしてカジョーを刺激し続けたメグレは、遂に当局のバックアップを取り付けた上で一発逆転の罠を胸に秘め、単身彼の自宅に乗り込むのでした。
 前期の特色である、何が起こるか分からないような息苦しさはもう無いですね。よりスマートな娯楽作の方向に寄ってきて。でもそこかしこに結構良い描写があります。例えばメグレと心を通わせ、捜査に協力する商売女が出てくるんですが、聞き込み目的でカジョーの部下と寝た後でそっちに情が移っちゃう。そのへんを悟って複雑な気持ちになるメグレとかね。
 最後にメグレが仕掛ける罠もかなり面白いです。こんな小技も使えたんだなと。それに加えて序盤やエピローグの田舎暮らしの風景描写もいい感じ。皆さん厳しいけど、付けるとすれば小説的な良さも含めて7点寄りの6.5点。気持ちとしては7点付けたいんですが、さすがにそれは無理かな。


No.42 7点 メビウスの時の刻
船戸与一
(2018/07/13 16:06登録)
 展開してゆく物語自体はいつもの船戸節なのですが、これは読み所がどこかを一切書けないタイプの小説ですねえ。こうやって身構えさせるだけでも感興の何分の一かを削いでいるような気がします。が、とにかく紹介しないと一生出会わずに終わってしまう人もいると考えればまあいいか。という事で勘弁してください。
 他はともかく文章自体はかなりストレートですので、何も考えずに読み進んだ方が良いです。こう話してもたぶん何を言っているかわからないと思いますが。
 一応、そこそこの隠し玉の部類には入るんでしょうかね。








【警告】
 これで投げるのもちょっと不親切過ぎるような...。やっぱり不親切ですかね。
 読解力無いのバレバレだけど、やっぱりしとかないといけないのかなあ。








【再度警告】
 次は本当にバラしますからね。読む方は後悔しないように。








【ネタバレ】
 という訳で一応やってみます。自信無いですけど。
語り手は順に「おれ」「わたし」「おいら」「あたし」「わし」の5人。一見、この5人が同時にニューヨーク四十二番街のステーキ・ハウス《ダイミョウ》で食事しているようにセンテンスが並べられていますが、実はそれぞれ場所も年代も異なっています。
 ①「おれ」=タンバ・アキオ(過激派崩れの日本人) 場所:ニューヨーク
   ↓
 それから十七年後~
 ②「わたし」=十七年後の「おれ」偽名:英系中国人サミュエル・チェン 場所:ジブラルタル
(アントニオ・モレアーノと誤認するよう誘導してあります)
 ③「おいら」=チャーリィ・ボーイ 元ボクサー、日本人と黒人のハーフ 場所:ジブラルタル
   ↓
 さらに四年後以降~
 ④「あたし」=アキオの妻アンナ イタリア系アメリカ人と日本人のハーフ 場所:ニューヨーク
(アンナの娘アイリーンではありません)
 ⑤「わし」=ロベルト・マンシーニ(黒幕、ニューヨークの統轄者) イタリア系アメリカ人 場所:ニューヨーク

 これに登場人物の血縁関係が絡みます。
 ●「おれ」アキオが射殺したアントニオ・モレアーノは将来妻となる「あたし」アンナの実父ですから、彼は未来の義父を殺した事になります。
 ●「おいら」チャーリィ・ボーイは「おれ」アキオが「ママ」シルビィ・ローバックを犯して生ませた子ですから、チャーリィによるアキオ射殺は当然実父殺しで、最初のアキオの行為に重なります(第一のメビウス)
 ●チャーリィによるアンナの娘アイリーンのレイプは兄による妹の近親相姦で、これもアキオの行為に重なります(第二のメビウス)
 ●エブラハム・リンカーンはモレアーノの息子。チャーリィは前述の通り「おれ」アキオの息子。よってリンカーンによるチャーリィの射殺は、モレアーノによるアキオへの次世代での復讐です(第三のメビウス)。
 ●同時にリンカーンは「あたし」アンナの兄。リンカーンによるアンナ殺しは兄による妹殺しで、これはチャーリィのレイプに重なります(第四のメビウス)
 
 これで円環は一旦完結します。無秩序に見える暴力の連鎖が、ほとんど運命的な必然をもって進行しているのが解ります。


No.41 7点 メグレ夫人のいない夜
ジョルジュ・シムノン
(2018/07/13 10:19登録)
 アルザスの妹の手術に立ち会う為にパリを離れたメグレ夫人。彼女の不在に落ち着かぬメグレは、強盗事件を張り込み中のジャンヴィエが胸に弾丸を撃ち込まれたとの急報を受ける。ジャンヴィエを見舞ったメグレはその足で、夫人の留守を機に、容疑者ポーリュが下宿していたアパートの住人となるのだった・・・。
 以前取り上げた「メグレの回想録」の次々作。間に秀作「モンマルトルのメグレ」を挟んだ作品。tider-tigerさん同様、私も「モンマルトル~」よりもこっち派です。
 物語の前半は善良そうな管理人、クレマン嬢のアパートで起こる諸々の出来事。父の残したアパートを商売抜きに経営する彼女には一見、何の問題も無さそうに見えますが、それにも関わらずメグレは逆に、一挙一動を彼女に監視されているような印象を受けます。この辺りから作品に、初期作にも通じるような異様な緊張感が溢れます(あんま続かずすぐに終わりますが)。
 後半ではクレマン嬢の秘密を知ったメグレが、もう一度改めて現場を見直す所から。ここからやっと本筋の事件が始まります。しかし二つの事件が全く無関係という訳でもなく、両者はある意味皮肉な形で繋がっていたのでした。
 ラストに展開される、メグレと犯人との切実な駆け引き。その実二人はある女性の事だけを考えているのです。外にくるみの実のような雹が叩きつける中で、電話による彼との取り引きは終わります。全ての幕が降りた後で「忘れないでくださいよ…」と、メグレに念を押す犯人。
 偶然の巡り合わせから起こったこの事件。「馬鹿なことをしてくれて!」とメグレはポーリュを恨みます。ジャンヴィエさえ撃たれていなければ、ひょっとすると見逃したかもしれません。センチメンタルで構成が甘いのは確かですが、それでも好みで7点位は付けたいところです。


No.40 7点 きんぴか
浅田次郎
(2018/07/11 04:46登録)
 伝説のヒットマンにして満十三年の刑期を務めた挙句、組に鼻紙の様に捨てられたピスケンこと阪口健太。惚れ込んだ政治家の泥を被って地位も妻子も失った、元大蔵官僚トップの広橋秀彦。PKO派遣に反対しての一世一代の自決に失敗した元最強自衛官・軍曹こと大河原勲。
 世間様から放逐されて野良犬のように彷徨っていた彼ら三人を駆り集めた退職間際のベテラン刑事、警視庁第四課最古参にしてマル暴の厄介者、マムシの権左こと向井権左ェ衛門。三人の悪党プラスワンの「世直し」の物語。

 たまにはこんなのもいいんじゃないでしょうか。内容は一言でいえば藤山寛美いろは劇場か吉本新喜劇。
本気で怒られると困るので7点止まりにしときましたが、人によってはもう何点か付けるでしょう。分厚い本ですが全編通して笑わせつつ泣かせます。浅田次郎の最高傑作。
 同系列の作品にヤクザが旅館を経営する「プリズンホテル」シリーズがありますが、好みとしてはこちら。一応コンゲームもどきの要素もないこともないです。ギャグ一辺倒かと思って油断してたら最後にやられますしね。うかうかできません。
 まあ、読めば分かります。とにかく読んでください。本当にそれだけ。


No.39 5点 プロムナード・タイム
樹下太郎
(2018/07/11 03:12登録)
 そういえばこんなのも読んでたなあ。古書価がクソ高いので、公共システムを積極的に活用しないとまず読めません。図書館の相互利用貸借システム万歳。
 分類的には短編集というよりショート・ショート集。そちらの方では結構重要な位置付けらしいです。全33編収録。
 中では北村薫「謎のギャラリー こわい部屋」に収録された「やさしいお願い」がやはり出色。これは確かにアンソロジーに取り上げられるだけの逸品です。
次点は「肥後守」。「やさしいお願い」よりは若干落ちるものの、こちらも文字通り肌に突き刺さるような感覚の小品。そして更に落ちて表題作「プロムナード・タイム」ですかね。レア繋がりで小泉喜美子さんの「幻想マーマレード」が頭に在ったので、あらすじ紹介などから読む前はSFかと思ってました。若いカップルの皮肉な恋愛模様の話です。
 これらに次ぐ出来の作品もチョボチョボあって、しみじみした語り口で読ませるのですが数は少ない。収録作が多くてバラエティ豊かなのは良いのですが、橋にも棒にも掛からない駄作が大半。「怪人ギラギロ現わる!」「弁慶医師の女難」など、読者に挑戦!系の作品はタイトルからしてダメそうです(実際駄目でした)。若干甘く見て、合格点は全体の2~3割という所でしょうか。「これを読まずに日本ミステリは語れない!」とか煽ってるサイトも見ましたが、絶対ウソだとここで断言します。
 でもこの人の文章はあんまりクセが無くて良いですね。乾いた感じなのに叙情的と言うか。東方社の造本も良いので、財布に余裕があれば清水の舞台から飛び降りてみるのもいいかもしれません。あくまで余裕があれば、の話ですが。


No.38 6点 メグレとベンチの男
ジョルジュ・シムノン
(2018/07/10 13:33登録)
 路地奥で発見された男は驚いたような表情を浮かべて死んでいた。死体を引き取りに来た妻は、派手な色の靴にもネクタイにも見覚えは無いという。さらに彼は勤務先の倒産を妻にも悟らせず、普段通り通勤を繰り返していた。常にベンチに腰掛けていたという男は、いったいどこから生計を得ていたのだろうか?
 メグレ警視シリーズ68作目。50年代前半、傑作とは言わぬまでも佳作未満の作品を次々発表していた時期のもの。そこまでではないですがこの作品も結構好きです。登場人物がいずれもなかなか味わい深い。
 結局妻に徹底管理された男の二重生活ものなのですが、束縛から解放された彼が求めた品々とか、大事にしている交友関係とかの描写がいいのです。特に良かったのは被害者の元同僚の、獅子鼻の優しい女。「メグレと殺人者たち」の、常に母性の対象を求め続ける斜視の女性を思い起こさせます。決して美人では無いこういうタイプを描かせるとシムノンは上手い。
 例の派手な靴(「カカドワ」と言うそうです)も過去に流行したタイプの靴で、作中でもメグレが昔買ったまま、気恥ずかしくて一度も履けずに処分してしまった、という描写があります。ある年代の人々の共通の記憶なのでしょう。茶色となっていますが「ガチョウのうんこ色」とあったので、漠然と黄色かと思ってました。
 ミステリ部分は過去の短編と同ネタだそうですが、まあシムノンなので問題ありません。人物や生活描写の方がメイン。またそれを裏書きするような結末です。
 殺された男の相棒の、昔大立ち回りをやった陽気な小男もいい感じに調子が良くてろくでもないですね。メグレシリーズでこういうタイプの裏表の無いのはあんまり見かけません。


No.37 5点 熱波
エド・マクベイン
(2018/07/09 00:48登録)
 華氏102度(気温39℃)の中、黒に近い茶色に変色し膨れ上がった死体。旅行先から帰宅した妻の急報を受けてアパートに赴いたキャレラ達は、密閉された室内から溢れ出す悪臭に後退りした。覚悟の自殺と思われたが、猛暑の中切られていたエアコンのスイッチがキャレラの注意を引く。一方相棒のクリングは、有名モデルである妻オーガスタの言動に違和感を抱いていた・・・。
 87分署シリーズ第35弾。次作「凍った街」とは色々な意味で対になっています。その一つがクリングの恋愛模様。本筋の事件は動きが少ないだけに、こちらがメインと言っていいでしょう。自分の妻を尾行するクリングですが、ここで彼を逆恨みする妻殺しの元受刑者が現れ、マグナムで付け狙われる展開となります。
 と、ここまで聞くとかなりヘビーで良い感じなのですが若干期待外れ。手斧で浮気した妻の頭をぶち割って、再開した娘に拒絶された白人男とか、被害者の前妻で戦場で17人殺したイスラエル軍の元大尉とか、面白いキャラは出て来るのですがその割にパッとしない。
 元受刑者はぶっ放したマグナム弾をクリングの浮気調査に利用されるだけ(最後もアッサリ加減)で詰まりません。両者の境遇が現在では共通するだけに、ここはぜひ心情を重ねる描写が欲しかったところです。
 シリーズのターニングポイントになる作品なのですが、全体に消化不良気味で的を絞り切れなかった感じですかねえ。お得意のモジュラー描写も今回は低調。リーダビリティは前作「幽霊」の方が上を行っています。
 それなりに力が入ってるのは分かるので4点は付けませんが、ミステリ部分も単調で良くないし実質4.5点相当かなあ。高評価もありますが、ぶっちゃけクリングへの同情票だと思います。


No.36 5点 幽霊
エド・マクベイン
(2018/07/08 10:00登録)
 アパート前の歩道で胸を一突きにされて殺されていた女。そぼ降る雪の中鑑識の到着を待つうち、キャレラは上階のベストセラー作家もメッタ刺しで殺されている事を知らされる。さらに作家の同居人は、愛妻テディと瓜二つの女性だった。彼女は霊媒で、殺害された作家のベストセラー本は実在する幽霊屋敷の体験記だという・・・。
 シリーズ第34作。この年代の87分署物は軽快な筆致でスラスラ読めます。季節はちょうどクリスマス前なので誰も仕事なんぞしたくありません。押し付け合った挙句、負けたマイヤーはゲンの悪い刑事オブライエンと組まされ、案の定空き巣に撃たれて貧乏籤。気が差したキャレラは病院にウィスキー持って見舞いに行きます。
 テディのそっくりさんは言動がアレなので、刑事たちには「あのおばけ」とか呼ばれてます。なんと双子で、姉妹そろってキャレラを誘惑します。「わたしたち三人」とか意味深な事を言っちゃいます。
 事件の方は続けて担当の編集者もメッタ刺しで殺され、さらに作家の前妻も海で水死したことが分かります。ろくに手掛かりも無いままキャレラはズルズルと霊媒に引き摺られるように、問題の幽霊屋敷で一夜を明かすのですが・・・。
 原題はズバリ"GHOSTS"。複数形ですね。6体ほど現れますが、あまり怖くありません(7体かな)。そして作家と幽霊と来れば、やはりあのネタです。そこそこ面白く読めますが、特にヒネリも無く結局たいしたことないので5点止まりですかね。裏表紙で衝撃作とか煽ってますが、別にそんな事ないです。


No.35 4点 メグレの回想録
ジョルジュ・シムノン
(2018/07/07 16:51登録)
 一方的にシムノンのモデルにされた「実在の」メグレ警視が、ナマの姿を読者に語るという凝った形式を採ったメタフィクション。作者肝煎りのメグレ同人誌と思ってもらえばいいです。秀作の世評高い「モンマルトルのメグレ」の前に発表された、いわゆる円熟期の作品。作家として一番脂の乗った時期に、こんなしょうもない物を書くのがけっこうおちゃめです。
 この中ではシムノンは行き過ぎなくらい自信家として描かれており、好き勝手に実像を歪めた挙句、口論になると「メグレ、黙らないか!」と怒鳴りつけたりします。その対応に内心むかむかした本人がこういうものを書いたと、そういう事になっております。
 幼少期の思い出、メグレ夫人とのなれそめ、本庁での初逮捕その他のエピソードなど、ファンにとっては何回も読み返せるスルメのような読み物。「怪盗レトン」でトランスが殺されたのは実は別の刑事のエピソードで、退職後「O探偵事務所」を開いたのが正しい、最初期にメグレの部下として登場したデュフールは実はメグレに仕事を教えた刑事、など細かい訂正もあります。
 ただしメグレに興味の無い人間には単なる新人刑事奮闘記か実録もどき。表記の点数が妥当な所でしょう。
とはいえメグレファンには必携の書。決して"読まなくてもいい"作品ではありません。その場合の採点は6点相当にはなるでしょうね。


No.34 9点 バイバイ、エンジェル
笠井潔
(2018/07/07 07:22登録)
 意外に端整なミステリ部分と、単なる装飾に留まらない過剰なまでの哲学・思想ドラマの両面を持つ本作。普通なら両立しないはずですが、この作品に限れば二つの要素の組み合わせが、真犯人の狂気をより引き立たせるというプラスの効果を挙げています。複数共犯者=組織犯罪という要素が、ミステリ部分をあまり損なわないのも特異な例と言えるでしょう。ワトソン役?であるナディアの恋愛部分も作品の構成と巧みに噛み合っています。
 「首切りのロジック(なぜ首を切断する必要があったのか?)」は独創的。ホテルのトリックは証言者の記憶頼みなのが若干詰めが甘いですが、それでも十分に楽しめます。ミステリ部分のみの作品にすれば完成度はより上がったでしょうが、それだとここまで読者を惹き付ける長期シリーズになったかどうか。両者の並立は結果的に正解でしょう。
 雪降りしきる真冬のパリを舞台に起こる血塗れの連続殺人。そこに佇みながら一人暗い口笛を吹く謎めいた青年というビジュアルも圧倒的です。
 以前は「サマー・アポカリプス」の纏まりと物語性を重視していましたが、現在は作者の精神的な傷跡も生々しい本作を上位に置いています。

 追記:基本的に「書評の無い作品又は少ない作品に当たる」という方針でやっておりますが、「ジャーロ」誌上にてシリーズ最終作「屍たちの暗い宴」連載中との事で、急遽採点いたしました。
 矢吹駆シリーズは「オイディプス症候群」で投げたままです。シリーズを追う毎にどんどん主人公の存在が希薄化していくように見えたからですが、成り立ちからしてそれが許されるキャラクターではないと思っていますので。
 この第一作目はミステリとしての純度、ペダントリー、雰囲気、登場人物のせめぎあいその他のバランスが、作品自体の持つ熱気によって、過剰ながらもなんとか取れていると思います。時を経るにつれてそれが崩れ、カケルは哲学要素の影に姿を隠していっています。
 「哲学者の密室」を私はさほど評価しません。「オイディプス~」以降の作品にも一切期待しません。この連作の魅力は初期三作に尽きると判断しています。


No.33 6点 ドーヴァー3
ジョイス・ポーター
(2018/07/05 15:05登録)
 村内を壟断する猥褻な手紙の横行にキレたアリス夫人。地元警察の頭越しに強引な手でロンドン本部を動かすも、のこのこソーンウイッチ村にやって来たのはドーヴァーとマグレガーだった・・・。
 シリーズ3作目。しょっぱなに尋問した女性がいきなり自殺未遂を図ったり、手紙を受け取った女性の一人が遂に自殺したり、養子ビジネス(遣り手婆の小遣い稼ぎ程度ですが)の存在が明るみに出たり。錯綜した筋立てに見えますが、終わってみるとシンプル極まりないコージー物でした。
 ドーヴァーシリーズはキレキレなやつと、ユーモア重視の穏便なやつの二種類あるそうですが、これはおとなしめの方。④→③→⑥と読んできましたが、ギャグ関連はこの作品が一番。色々とテンポの良いのが多いですが、酷いのだとガス自殺の現場でマグレガーに「タバコ吸ってみろ」とか言っちゃいます。
 まあでも、最大のギャグはあの結末でしょうね。ミステリとしての本筋はホント大したことないですから、あれをどう評価するか。列車もそれほど本数は無いはずだから、間が悪かったんでしょうね。
 読み物としては楽しいけど、7点までは付けないかな。6.5点。自分の好みとしてはキレキレな方が合ってます。まだ読んでない②も③と同じ路線らしいけど、こっちはどうなんでしょうか?


No.32 8点 さまよう薔薇のように
矢作俊彦
(2018/07/03 06:23登録)
 3本収録のハードボイルド中編集。二村永爾シリーズではありませんが、矢作作品ではピカイチでしょう。例によってこれ以上無いほどキザですが、それを頭からケツまで微塵も揺るがずに押し通されると、読者としては負け惜しみしか言えません。一点の隙もないバレエ見せられてるみたい。殆ど話題に挙がらないのが不思議です。
 まず最初の「船長のお気に入り」は軽いジャブ。良家の子女と街のズベ公と愛人をしれっとしてやり通す十九歳の少女に翻弄される男たちと、その少女の死を巡るお話です。彼女が固執する「海賊の箱」の中身が最後まで分からないままなのもグッド。
 次の表題作「さまよう薔薇のように RAMBLIN'ROSE」はこの作品集のキモ。ハードボイルドとしてもミステリとしても一番出来が良いかな。一番短いですけどね。
 最後は「キラーに口紅」。キャラクターに振った分ややとっちらかった感じ。これがもう少し端正な出来だったら9点付けてます。横浜の馬車道でハンバーガー十三個投げて喧嘩して、車のトランクに入って死んでた男の話。
 とにかく筆達者な作者で、チャンドラーフォロワーとしては原寮より数段上でしょう。80年代の横浜を舞台に、風俗も完璧に嵌め込んでます。ストーリーの骨格も一切無理がない。それでいて意外。加えて不遜なキャラクターたちの洒脱かつろくでもない会話。この連作集はもっと評価されていいと思います。
 以前に作者のバブル期建造物批判のエッセイ「新日本百景」を読みましたが、ベクトルはやや異なるものの毒舌のキレは西原理恵子並みでした。このくらい底意地が悪くて筆が立つと、小説家稼業も楽しいでしょうね。


No.31 6点 歌姫
エド・マクベイン
(2018/06/29 10:22登録)
 シリーズ第53作。レコード会社が総力を挙げて売り出す大型新人ターマー・ヴァルパライソ。彼女のデビュー曲発表パーティーの場で起こった、船上の誘拐事件を扱います。リーダビリティーは高いですが読み終わるとアラが目立つのが難点。
 87分署の誘拐物といえば「キングの身代金」ですが、あちらは犯人・被害者側双方にドラマを用意してメリハリを付けていました。この作品の犯人はFBIを手玉に取る知能犯の扱いになっていますが、盗んだ携帯電話を通話毎に使い捨てる手口が目立つだけで、後はほぼゴリ押し。当座の欲望に駆られて無軌道に計画を変更する為、彼らに翻弄されるFBIがなおさらアホに見えてしまいます。せめて冷静なボスと激情型の手下の、誘拐犯内部の対立を挟んでくれると良かったのですが。
 ストーリーは犯人の暴走が引っ張る形。実行犯三人組の一人が前科持ちで、そこから芋蔓式に手繰られて終了。87分署側もそれほど有能には見えません。
 もちろんそれで終わりの作品ではなくキチンと裏はあるのですが、表の事件が練られてないので、黒幕含め犯人サイドの軽薄さや愚かさばかりが目立ってしまいます。いつものモジュラー型ではなく、今回はこの事件一本勝負だけにキツい。裏の構図は十分面白いだけに色々と惜しいです。
 原題 THE FRUMIOUS BANDERSNATCH はルイス・キャロルの造語で、作中訳だと"おどろしきバンダースナッチ"の意。理不尽な暴力に翻弄されるヒロインの姿を描きたかったのかもしれません。 


No.30 5点 メグレの打明け話
ジョルジュ・シムノン
(2018/06/28 16:29登録)
 メグレ警視シリーズ1950年代最後期に当たる作品。リドルストーリー仕立てですがそれほど徹底してはいません。むしろ一旦裁判に軸が移れば、直接担当の捜査主任でも容疑者とは容易く面会できない状況、及び世論に押し流されて生じる捜査の歪みなどを描きたかったのだと思います。当時のフランス社会で実際に起こった事件の影響もあるかもしれません。徐々に捜査官から権限が取り上げられ、検察側の管理体制が強まってゆく様子は、この前後のメグレ物の中で繰り返し語られます。
 メグレが無罪前提で証拠を精査したのはやはり、刃物でメッタ刺しという残虐な犯行が、実際に当たった容疑者の人物像とはかけ離れていたからでしょう。ただし彼の心象がどうあろうとも、変化してゆく警察制度はもはや彼に充分な捜査の余裕を与えません。そのあたりの憤懣も仄見えています。
 いろいろと問題作ではありますが、それ以上の出来ではありません。これを受けたであろう次作「重罪裁判所のメグレ」の方が、物語としてはより充実しています。


No.29 6点 書架の探偵
ジーン・ウルフ
(2018/06/27 16:32登録)
 世界人口が10億人にまで減少した22世紀、過去の著作者のクローン体として図書館に収蔵されている元推理作家(人権ゼロ)が借り出されて殺人事件の謎を解く話。ウルフには珍しく事件の真相がストレートに語られます(反面物足りないとも言えますが)。
 話が進むに従って「なんじゃこら」になります。秘密の扉を開けると唐突に劇場版ドラえもんになりますが、それはそれとして最終的にはキチンと収まりがつきます。作者もいい年なのでそこまでひねくった事は出来ません(御年84歳)。
 それでもハメットのオマージュと思しき部分がそこかしこに散見されますが、凝り過ぎはこの人の病気ですからいちいち確認しませんでした。他の作品ほど手に負えない訳ではないですけど。
 ちょっと展開の甘さは目立ちますが、骨子は驚くほど普通のハードボイルド。あくまでウルフ入門者向けで、ディープな作品ではないです。最後に原子炉をメルトダウンさせてチャラにするのはご愛嬌。


No.28 6点 冷蔵庫より愛をこめて
阿刀田高
(2018/06/27 05:38登録)
 ロアルド・ダール系のブラックユーモア短編集。全18編収録。ミステリ寄りの物もいくつかありまして、とくに「幸福(しあわせ)通信」が出色。
 あるサラリーマンの元に次々と「私はコンピューター」と名乗る電話が掛かり、日本シリーズの結果、株価の上下、競馬の予想などを次々的中させてゆく。男は次第にその電話を本気にし始めるが、いったい誰が何の目的で掛けているのか・・・。というお話です。「実は超能力」とかに逃げずにプレコグニション(未来予知)を完全に合理的に成立させてますが、あまりアンソロジーには採られないですね。自分は講談社ブルーバックスの「推理小説を科学する」で知りました。知る人ぞ知る作品。

 次は僅か4P余りの戦慄のショートショート「海藻」。相当な怖さですが、これもアンソロジーには採られません。あとは作者イチオシの「趣味を持つ女」。火葬場から「お骨が知らぬ間に増えている」との通報を受けた刑事が、会葬者を見張る内にある事実に気付いて・・・というヤツです。これが一番ミステリ寄りかな。火力の強い今の釜だと完全犯罪ですね。
 作者には「2番バッター最強論」という持論がありまして、一番出来の良いと思う作品を2番目に置く。次に出来の良い作品を巻頭に(掴みですからね)。そして4番目を最後に置くそうです。これを当て嵌めるとそれぞれ「趣味を持つ女」「冷蔵庫より愛をこめて」「恐怖の研究」となるのですが、表題作がそこまでのものとは思いません。作者目線の3番目がどれか考えるのも一興ではないでしょうか。全体に打率は高めです。


No.27 3点 死の脅迫状
ジョルジュ・シムノン
(2018/06/26 15:25登録)
 未単行本化メグレシリーズ第3弾。6作品中唯一の中編です。殺害予告を受けて本部長に泣き付いたある富豪宅に、名指しを受けたメグレが嫌々出向く話です。
 といっても正直出来は微妙。泊り込みのメグレを含めた晩餐の席上、殺害の時刻を迎えるまでがクライマックスですが、解決そのものは本部長への報告として事後一気に語られるだけで味も素っ気もありません。
 おまけに一家全員が不潔で嫌な奴揃い。「メグレと口の固い証人たち」の陰気臭いビスケット会社の社主一族をさらに酷くした感じです。唯一買えるのは富豪の家へ出向くまでの風景描写ぐらいですね。
 元々全24巻のシムノン全集に付け足された、40年代の埋もれた中編。パイロット版というか叩き台というかそんな感じです。作者生前は刊行されなかっただけに改稿の予定でもあったのでしょうか。今となっては分かりません。
 他の中短編と比較しても出来は悪く、「マニア以外は読まなくていいよ」といった所でしょうか。

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