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ミステリの祭典

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雪さんの登録情報
平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.126 6点 密輸
ディック・フランシス
(2019/01/13 11:07登録)
 元騎手の馬匹運搬会社〈クロフト・レイスウェイズ〉経営者、フレディ・クロフトは激怒した。常々言い含めているにも関わらず会社の運転手がヒッチハイカーを乗せ、しかもその男は車内で死んでしまったのだ。死因は心臓麻痺。どうにもならなくなった運転手たちは報告ついでに馬運車を彼の自宅に運び込み、仕方なくフレディも検死までとそれを了承する。
 その夜何者かが当の車にしのびこみ、何かを探していった。目を覚ましたフレディは賊を追うも取り逃がしてしまう。翌日彼は社の修理工ジョガーに、車両全台の点検を依頼する。結果は驚くべきものだった。数台の車体の下に、それとは解らぬ形で携帯用金庫が取り付けられていたのだ。
 馬運車は転戦する馬たちを乗せて、イギリスやヨーロッパ各地を動きまわっている。コカインの密輸か? それとも・・・。
 フレディはジョッキイ・クラブ保安部長パトリック・ヴェナブルズに連絡を付け、クラブは女性調査員ニーナを派遣する。女性運転手として彼の会社に潜り込むのだ。
 だがその矢先にパブで口を滑らせたジョガーが事故死を遂げる。彼は死の直前に、謎のメッセージをフレディの留守番電話に残していた・・・。
 競馬シリーズ第31作。前作「帰還」の流れを汲む医学系サスペンス。ストーリー半ばまでそれほど動きはありませんが、フレディが再び現れた侵入者に後頭部を殴られ、サウザンプトン港に投げ込まれるやテンポは一転、辛くも岸壁に這い上がるも、訪れていた実姉のヘリコプターと愛車ジャガーは激突させられ、彼の自宅は手斧で破壊の限りを尽くされます。
 「悪意を振りまく事、破壊そのものが快感」という犯人で、このタイプは今後もフランシス作品に形を変えて登場します。本書は明確にその姿を描いた最初の作品と言えるでしょう。
 前半の地味そのものな部分にも丹念に伏線が張ってありますが、全体に起伏が少ないのが難といえば難。とはいえ意外性はかなり用意されています。佳作にはちょっと届きませんが、なかなか良い作品です。


No.125 6点 入神
竹本健治
(2019/01/12 05:35登録)
 17才で史上最年少の本因坊となった天才囲碁棋士・牧場智久。だが彼は対局中に突然意識を失う。神に挑戦し、際限もなく極限の読みに突き進むかのような対局姿勢に恋人・武藤類子や親友の棋士・植島は深い危惧を覚える。
 対照的に天性のセンスで自然に神と語らうのは、智久に初の黒星を付けた終生のライバル・桃井雅美。宿命の両者は若獅子戦決勝で対決する。智久に追い詰められた桃井が放った驚愕の一手 "地の果ての二の二" とは――?

 竹本健治が島田荘司・綾辻行人・京極夏彦 etc... の豪華メンバーをアシスタントや装丁にコキ使って描いた壮大な囲碁マンガ。苦悩するベートーヴェン対楽天的なモーツァルトの天才対決です。
 この人のパズル趣味のディープさは意欲作「涙香迷宮」で再クローズアップされた観がありますが、「匣の中の失楽」や「囲碁殺人事件」を読めば一目瞭然、古くからの読者にはお馴染みのもの。
 ワンアイデアストーリーと言っていいですが、囲碁有段者でもある作者が作成に数百時間を掛けたという局面が眼目。将棋はともかく囲碁は専門外ですが、尋常でない凝りようなのは素人目にも解ります。
 プロと比較するのは無茶ですが、作画の方もなかなかの味。「ゲーム三部作」「牧場智久シリーズ」の延長というか番外編で、読後感もそれに近いので別に身構えなくてもいいです。メディアが異なっても作者の癖が強いとあんま関係ないですね。
 それはそれとしてアマゾンを見ると「アホちゃうか」という値段になっております(2019/01/12日現在 ¥5,934)。個人的には飽くまでファンアイテムで、そこまで払って入手するようなもんではないと思うのですが。こうなると処分するんじゃなかったなあ。とほほ。


No.124 6点 三十三時間
伴野朗
(2019/01/08 07:17登録)
 広島への原爆投下から二日後の昭和二十年八月八日、上海北郊の大場鎮飛行場に深い霧を突いて、重爆撃機「飛竜」が降り立った。極秘の飛行便は日本陸軍の逸材・山並慎吾大佐と、共産党・国民党双方に強力なパイプを持つ淅江財閥宋一族の長老・宋幹卿を乗せていた。
 同時に大陸の関東軍情報部は、日本を裏切り国民党に寝返った暗殺のプロ・劉景明が上海に現れたとの情報を掴む。だが、敗勢著しい戦況に加え、時代の激動が関東軍を襲うのだった。
 ポツダム宣言に続くソ連の侵攻。その中で山並大佐は暗殺され、劉を追う軍属山城もまた殺される。そして日本は終戦を迎えた。
 山並の薫陶を受けた若手将校沢木少佐は同僚を殺害された剣崎曹長・堀伍長と協力し、宋老人と中国大陸から集められた戦勝品(マル支物資)が、東シナ海の無人島・江玠島に隠されていることを突き止める。老人と物資を保護すれば、まだ日本の為に何かが出来るかもしれない。
 だが江玠島を守る竜田中隊は、未だ終戦を知らないのだ。彼らに一刻も早くそれを告げ、抵抗を終わらせなければならない。
 そして大佐を手に掛けた劉景明は秘密結社・青幇〈チンバン〉を味方に付け、宋老人の殺害と中隊の殲滅・物資の奪取を狙っている。沢井は守備隊を救出するために、江玠島へ向かう特使船を派遣するのだった。
 雇われドイツ人船長ダッチマンに集められたのは、海のものとも山のものとも知れぬ船員たち。そこに剣崎・堀ら関東軍の憲兵たちが乗り込む。救出のタイムリミットは三十三時間――。
 昭和53年発表。初期の作品で、第一部は生島治郎「黄土の奔流」でおなじみの上海租界が舞台。ただし時代はぐっと下ります。のっけから歴史事実目白押しなのと中国発音のカタカナルビでちょっと怯みますが文章は平易。サービスや緩急の付いたエンターテイメントに徹しているのでどんどん読めます。むしろ都合良く進みすぎて軽いくらいですね。
 黒澤映画の七人の侍形式で船長+船員5人、関東軍4人の総勢9名。このメンツで江玠島を目指すのですが、無線機は破壊されるわエンジンには砂糖がブチ込まれるわ、喧嘩はあるわ殺人は起きるわと賑やか。密室やダイイングメッセージもありますが、別評にもあるようにたいしたもんではありません。
 この人の作品は基本予定調和で大きく読者の予想を越えてはこないのですが、エンタメ路線は崩さないので安心できます。キャラがやや類型的なのは残念ですが。
 一線級の作品とは比較になりませんが、軽い娯楽作品としては並以上の満足感が得られるでしょうね。乱歩賞受賞の「五十万年の死角」もそうですが「あれ割といいよな」という感じです。

 付記:前半第一部にロッキード事件のフィクサー・児玉誉士夫が出てきます。別にストーリーにも絡まず名前がちょろっと出るだけですが。そういやその頃の作品だったなあ。


No.123 7点 ハイランダー号の悪夢
ブライアン・キャリスン
(2019/01/07 11:17登録)
 船は見るからに船らしく造られた――水に浮かぶアパートのようにではなく、船を海と一体にする優雅さと調和をもって。水面の異物ではなく、自然の一要素として。

 スコティア海運の船長ジョナサン・ハーシェルは、長い航海を終えてグラスゴーに帰宅すると、ストラスクライド警察署から褐色の紙に包まれた箱を受け取った。同居人フランとチャーリーが見つめる中箱を開けると、そこには美しい六分儀が入っていた。
 磨きこまれた紫檀の箱の金属プレートには「ジョナサン・ハーシェル」の名前が。父親の所持品だった。
 だが父は第二次大戦さなかの一九四一年、内燃機船ハイランダー号の船長として魚雷を喰らった船と運命を共にし、冬季北大西洋の海底に沈んだはずなのだ。生存者はいなかった。
 船乗りがいちばんの財産であり、自分の目である六分儀を人手に渡すはずもなく、ましてやこの重さでは海岸に流れ着くはずもない。だが、現実に目の前にそれがあるのだ。しかも部品は入念に手入れされている。
 警察の話では、他の金品と一緒にスコットランドの一寒村ライチーの教会から盗まれたものだという。しかし教区の牧師はそれを否定していた。
 ジョナサンは二人の同居人と共に、六分儀の謎に迫ろうとするが――。
 1981年発表。原題はズバリ "The Sextant"(六分儀)。なかなかの力作です。
 現在パートと一九四一年航行中のハイランダー号パートとが交互に記述され、ジョナサンたちの探索の果てに終章で一体となる構成。実際に船が魚雷を受けたあとの描写は、この作家らしく生々しくざらざらした記述でアリステア・マクリーンに匹敵するもの。どう考えてもこのまま沈没するか、爆発するしかねーなという感じで不可能興味を盛り上げます。
 現在パートは対照的に穏やかそのもの。主人公は同居人たちと男二人に女一人の奇妙な同棲関係を営んでおり、他の二人は新聞記者。夫婦連れを装いスコットランドに向かうのですが、ライチーの村民たちや宿屋の親子は人懐こく、後ろ暗そうにも見えません。牧師に至っては四十年前には生まれてもいないのです。そんな中、別口で調査に当たっていた同居人チャーリーがライチー近郊の山で転落死し――。
 魅力的な掴みでずっと気になっていた作品。戦争中の悲劇と言ってしまえばそれまでですが、現在パートの描写の暖かさが救いですね。トラップ船長シリーズとはまた口当たりが違いますが、作者としてもかなりの自信作だと思います。


No.122 6点 殺意の楔
エド・マクベイン
(2019/01/06 08:17登録)
 十月はじめ、グローヴァー公園があざやかな色彩に燃えたつころ、ジョークで賑わう87分署の刑事部屋に女がそっとはいってきた。蒼白な顔に黒革の手提げカバンをしっかりとかかえた姿は、ちょっと死神のように見える。キャレラ刑事をたずねてきた彼女はミセズ・フランク・ドッジと名乗り、そのまま刑事部屋に居座ろうとした。いぶかしむ刑事たち。だがそんな彼らに、いきなり・三八口径が突きつけられるのだった。さらに彼女は、カバンの中に建物が吹っ飛ぶほどのニトログリセリンの瓶を持っているという。
 その頃スティーヴ・キャレラはハーブ河のへりにしがみついたスコット屋敷で、当主ジェファースンが縊死した事件を捜査していた。それぞれが父親を憎むスコット家の三人息子たち。だが、その現場は完全なる密室状態だった・・・。
 87分署シリーズ第8作。1959年発表ですが、その5年ほど前にジョルジュ・アンリ・クルーゾー監督の仏映画「恐怖の報酬」が公開されています。こちらは油田火災を消し止めるために、ニトロ満載のトラックで南米ベネズエラのジャングルを踏破する話。触発されて「いつか俺もやってやろう」と思ってたんでしょうね。
 いつもとは異なり、ほぼ刑事部屋内に舞台が限定された密室劇。かかってくる電話は親子電話で、全てミセズ・ドッジことヴァージニアに握られた状態。刑事たちは必死に外部と連絡を付けようとするのですが、このへんの描写はかなりねちこいです。
 同時進行のキャレラの捜査も密室事件ですが、鑑識の報告で「鍵はかかってなかった」「にもかかわらず大の男が三人かかっても開けられなかった」と読者には判明しているのでたいしたもんじゃありません。その原因が刑事部屋の状況とダブルミーニングでタイトルに掛かってくるのがミソ。
 シリーズ中の異色作で高評価されてはいますが、読んでみるとメインとなる占拠事件の主役、ヴァージニアのキャラ付けが薄いのが難点。動機付けが希薄で、シチュエーションありきで行動しているという感じが否めません(作品内に「こんなことをしなくても階下でキャレラを待って、うしろから弾丸を撃ちこんでやればいい」という独白アリ)。密室事件はカットして、その分人物像を練ればもっと良い作品になったでしょうね。とは言え標準以上の出来なので、6.5点。


No.121 5点 ガラス箱の蟻
ピーター・ディキンスン
(2018/12/30 14:42登録)
 「君向きの事件だ」
 ロンドン警視庁のピブル警視は、同僚のグレアム警視に奇妙な事件を押し付けられた。日本軍の虐殺を逃れ、ロンドンの一角フラッグ台地(テラス)に隠れ住むニューギニアの一部族、クー族の生き残りたち。彼らの酋長アーロンが、階段の踊り場で殴り殺されたのだ。凶器は柱から取れたフクロウの彫刻。犯人は左利きで、なぜか被害者は両側ともに肖像のある奇妙な銅貨を握りしめていた。
 殺されたのもクー、容疑者も全部クー、証人もクー。ピブルはもつれた事件の謎を解くため、特殊な風習を持つクー族たちとの接触を試みるが・・・。
 ピーター・ディキンスン処女作にしてゴールド・ダガー賞受賞作。1968年発表。例によって奇天烈なシチュエーションですが、きちんと伏線も張ってあり、まあ一番普通のミステリに近い作りだと思います(加減してコレかよという気もしますが)。
 クー族は同じく日本軍に殺された宣教師の娘イブの経済的な庇護下にあるのですが、その状況はタイトル通り「ガラス箱の蟻」。人類学の博士号を持つ彼女の研究対象になっています。ですがクー族の方もそれを察して行動している状況。観察しているのかそれとも実は逆なのか、一筋縄ではいきません。
 彼女の部族内での扱いも高くはなく、「男」と認識されることで辛うじて発言可能な状況。また「僧侶」という特殊な立ち位置の存在など、設定の見所は多いです。
 残念なのは処女作ゆえか、これらの要素が謎解きと有機的に絡んでいないこと。異なる世界の論理がプロットを形作るのではなく、まだ「舞台設定に異様に力の入ったミステリ」の域に留まっています。終盤のクー族の儀式描写などただごとではないですが。
 ディキンスンの本領が完全に発揮されてないので、プレミア付HPB4冊の中から選ぶとすれば、多分一番先に外すでしょうね。所詮好みの問題ですが。


No.120 7点 警官嫌い
エド・マクベイン
(2018/12/25 07:29登録)
 十一時四十一分。マイク・リアダンが勤め先の三丁ばかり手前に来ると、弾丸が二発、その後頭部にとびこんで、顔の半分を吹き飛ばして前に抜けた。
 十一時五十六分。この市の別の住人がそれを発見し、警察に電話しにいった。その男と、コンクリートの路上に崩折れているマイクとの違いはただ一つしかない。
 マイク・リアダンは警官だった。
 1956年発表のシリーズ第1作。掴みのうまさ、緩急を付けたストーリー、緻密に構築された舞台設定、適度な間口の広さなど、長期シリーズの出発点としては申し分無い作品。連続殺人の合間に捜査過程、日常業務やハプニング、スティーヴ・キャレラとテディ・フランクリンの初々しい恋などを挟みながら、第三の警官殺し→新聞記者の暴走に始まる詰めのアクション→犯人逮捕→事件解決へと後は一気呵成。キャレラとテディのウエディングで締め括るかと思いきや洒落たエンディングで終幕と、大衆小説の見本として何も言う事はありません。トリックはまあご愛嬌ですが、そこに注目すべき作品では無いですね。
 文章もピチピチしていて生きが良い。これがシリーズ最高傑作とは思いませんが、第一作+十本の指には入る出来の良さで、オールタイムベストに87分署代表作として入れるのに別段の異論なし。
 読み返してみて意外だったのは、最も登場の早い同僚レギュラー刑事がマイヤー・マイヤーでもコットン・ホースでもなくハル・ウィリスだったこと(バーンズ警部と巡査からまだ未昇進のバート・クリングは除く)。てっきり第2作「通り魔」からの登場だと思い込んでました。早合点して申し訳ありません。
 抜きんでた要素はないものの総合力とバランスで7点。フランシス「本命」やスタウト「料理長が多すぎる」などと同タイプの作品です。


No.119 6点 九人と死で十人だ
カーター・ディクスン
(2018/12/23 00:41登録)
 第二次大戦初頭の一九四〇年一月、ニューヨークから〈イギリス某港〉へ向けた大量の軍需物資の輸送を担う大型商船エドワーディック号。船長フランシス・マシューズ中佐の弟マックスは、他7名の男女と共に船客として乗り込む。だが船にはもう一人、フランシスが認可した謎の人物がいるらしい。
 そんな中マックスは、派手な服装と態度で船内に妖艶な雰囲気を振りまく美女、エステル・ジア・ベイ夫人と親しくなる。だがある夜、彼女は自室に戻った短時間のうちに喉を切り裂かれて殺されていた。そして現場に残された犯人の指紋は、秘密裏に帰国の途に就いていたヘンリー・メリヴェール卿を含む、9人の船客の誰とも一致しないのだった。
 深夜に女の顔を的にダーツを行う人物。謎のガスマスクの怪人。ドイツ潜水艦の襲撃に脅える人々を嘲笑うように、やがて第二第三の殺人が起こる・・・。
 1940年発表。この作者にしてはあっさりめな作品。メイントリックは非常にシンプルなものですが、"戦時下の船旅"という舞台設定をうまく活用しています。
 ただ問題点も少々。マックスは兄の口から出航前に爆薬が仕掛けられていた事を伝えられるのですが、これがミスディレクションのみで物語に絡んでこないこと。彼の立場上殺人以上に躍起にならなければならない事件なので、それ以上詮索されないのは明らかに不自然。ここは最初から削った方が良かったでしょう。
 船体構造もトリックと有機的に結びついているので船室図面も欲しかったところですが、戦時出版の限界でしょうか。これに限らずカー/ディクスンの作品には「図面があればいいのに」と思う作品が多い気がします。クリスティーとかに比べてビジュアルな把握がし辛いですね。
 限られた空間内で実質的な容疑者は僅かですから、キャラクターにももっとメリハリ付けた方が良い。カーの作品は大体男女ロマンスがベースなので、本作はトリック面の制約プラスでその辺の欠点が出た感じです。魅力的なシチュエーションを完全には生かしきれてないので、佳作とは言えないかな。6点作品。


No.118 7点 ベルリンの葬送
レン・デイトン
(2018/12/21 14:12登録)
 英国首相直属の情報機関 WOOC(P)に属する「わたし」は、在ベルリンの工作員ジョニー・ヴァルカンを通じ、モスクワ学術院の世界的酵素学者セミッツアを西側に亡命させる計画を持ち掛けられた。KGB大佐ストックの手引きで昏睡させた彼を棺に入れ、葬儀を装い霊柩車でベルリンの壁を越えようというのだ。内務省の責任者ハラムの許可を得た「わたし」は、ロンドンとベルリンを往復する傍ら、ヨーロッパ各所に探りを入れながら計画を遂行しようとするが――。
 1964年、ジョン・ル・カレ「寒い国から帰ってきたスパイ」の翌年発表。難解な作品とされていますが大枠は単純。東側から西側にブツを運ぼう!という基本ストーリーに、臭いを嗅ぎ付けたうさんくさい連中が色々と絡んでくる話です。勿論それにも裏はあるのですが、凝っている上意味深な会話や文体に加え、単純に西側東側で括り切れない敵味方関係が、一筋縄ではいかないとされる所以でしょう。

 片方の靴先に、完全な円をなした艶やかな黒いものがあらわれるのが見えた。ゆるやかに下降し反りをみせて楕円形をかたちづくった。まばゆい幾何学図形のうえを、やがて雨滴が埃っぽい靴のつぎ目の皮まで黒い線をひきながら、灰色の水玉となって地面へしたたり落ちていった。

 こういうひねくった描写が延々と続きます。デイトンの比喩表現の巧みさはよくチャンドラーに譬えられますが、感傷を底流に持つマーロウと、ハメットの登場人物に近い「わたし」ではむしろ真逆の存在ではないのかな。こいつの外ヅラに騙したつもりが騙されて、内心結構マジになってるイスラエル情報部員のねーちゃんがかわいそうでした。ちょっとでも人間的な事を思ったら負け、みたいな世界です。
 あと後半のアクション場面、ベルリンでの大詰めはまあいいとしてラスト近く、ガイ・フォークスでの花火を使って苦し紛れの反撃とかはほとんどギャグですね。大真面目にカッコ付けながら最後にこんなの持ってくる所に作者のひねくれ具合が現れています。「意地でもセオリー通りのもんなんか書いてやるか」みたいな。おふざけ含めてそういうのを完璧な文体でこなすのが全盛期のデイトン。
 一時スパイ小説の二大巨匠扱いでしたが、デイトンは本質的にメジャーになれる作家ではないと思いますね。でも好きです。パラグラフに一々チェスの指し手を入れたり、注釈山ほど付けたり無駄に凝りまくってて。採点は好みも入って7.5点。


No.117 4点 告解
ディック・フランシス
(2018/12/18 21:43登録)
 「私は・・・彼を殺したことを告白します・・・」「私はナイフをデリイに預けたし、あのコーンウォールの若者を殺し・・・」
 26年前に競馬界で起きた自殺事件を題材にした映画『不安定な時代(アンステイブル・タイムズ)』製作中の映画監督、トマス・ライアンは驚愕した。死病を患う旧知の老装蹄師ヴァレンタイン・クラークが、彼を牧師に見立て、突然謝罪の告白を始めたのだ。
 必死に告解を請うヴァレンタインに、トマスはラテン語の赦免を与える。彼は微笑み、程無く昏睡状態に陥った。
 再び撮影に戻るトマス。やがて老人の死を知った彼は、ヴァレンタインが競馬に関する全ての資料を遺贈したことを知る。だが甥のポールは己の所有権を頑ななまでに主張し、書籍を盗もうとする素振りすら見せるのだった。
 映画スタッフの間にも対立が起こり始めた。トマスを敵視する脚本家のハワードはモデル一家の側に立ち、監督を中傷する新聞記事を載せ、さらにそれを映画会社幹部たちに送り付ける。窮地に立たされるトマス。
 更にヴァレンタインと同居していた老妹ドロシアがナイフで重傷を負わされ、遺宅が荒らされる。そして問題の書籍は全て持ち去られていた。
 『不安定な時代』に全てのキャリアを賭けることとなったトマスは、撮影に平行して自殺事件の謎解きを試みるうちに、やがて取調べを受けた調教師、ジャクスン・ウェルズとヴァレンタインの関係に注目する事になるのだった。
 「決着」に続く競馬シリーズ第33作。代表作「利腕」以来一定レベルの作品が続いてきましたが、今回あまり芳しくない。26年前の調教師の妻の縊死を扱う「回想の殺人」形式ですが、この事件の真相そのものがボーダーライン上。予測の為のデータ提示が不十分なので、作品自体が散漫になってしまっています。トマスの罠に嵌って襲撃を行うことで犯人も判明しますが、伏線が軽すぎる上に描写も僅かなので別の人物でも良いようなもの。いくつかのアクションもあまりパッとしません。
 主人公が映画撮影に忙しいという設定なので、ヒロインに関しても漠然とした予感程度。盛り上がったのは最初の中傷記事によるダメージを撥ね付ける為、主演男優の否定インタビューを競馬場から生中継で幹部たちに放映するアイデアと、悪印象を持ったエキストラ騎手たちと一緒に、元障害騎手であるトマスが実際に模擬レースを行う場面ですかね。
 シリーズでも長めの作品ですが、枚数の割にはぼやけた印象。シッド・ハレー登場の次作「敵手」も疑問符の付く出来栄え。円熟期も終り、この辺りからフランシス後期が始まると思った方が良いかもしれません。


No.116 6点 多羅尾伴内
小池一夫
(2018/12/17 10:33登録)
 「ある時は片目の運転手、またある時は謎のせむし男、・・・しかしてその実体は・・・正義と真実の使徒、藤村大造!」
 終戦直後から1960年までに大映・東映含め11作品が制作され、一世を風靡した活劇映画シリーズ「多羅尾伴内」。1978年に夢よもう一度と、ブーム再燃を狙って発表された二代目映画シリーズに、タイアップ連載された漫画版。原作/小池一夫×作画/石森章太郎の大物コンビで「少年マガジン」掲載。
 悪との戦いに人生を賭してきた多羅尾伴内こと藤村大造。だがその彼も老い疲れ、知人の旅行ツアー会社顧問としてアイデアを提供する傍ら、密かに後継者を捜し求めていた・・・。
 のっけからリアルと言うか、辛気臭いスタート。物語は彼が、拳銃射撃ツアーで遂に意中の若者・紙袋順平を見出した所から始まります。とは言え、勝手に見込まれた順平にしてみれば迷惑もいいところ。押し問答の果てに、策を弄して半ばムリヤリに二代目誕生。昭和一ケタの遣り口ですな。
 このプロローグ「愛ゆえに・・・」を皮切りに事件構成は全六話。むくれていた順平も、第二話「失神党異聞」で犯人の毒牙に掛かった瀕死の被害者を、腕を焼かせて止血する大造の姿に感銘を受け、やがて本格的に跡を継ぎ二代目伴内として戦います。
 流石に大家同士だけあって単なる宣伝作品には終わらない独自の展開。第三話「さよならの贈り物」までは二人のバディ物で、第四話「硝子の手錠(ワッパ)」から最終話「エンピツ殺人事件」までは順平単独物。思い切った事をしたものですが、比佐芳武氏や東映には了解取ったんでしょうかね。
 ピカイチはその「さよならの贈り物」。44オートマグを使う人間凶器に二人の伴内が挑むアクション編。推理要素も結構あります。次いで動物不在のサーカス団が舞台の連続殺人、第二話「失神党異聞」。あとはKC版最終回の第五話「愛のピーク」かな。受験戦争を背景に学習塾で起こる第六話「エンピツ殺人事件」は、KC版には収録されていません。
 ショッキングな展開の「さよならの贈り物」を含めて6点。これ抜きだと5点。漫画作品とは言え、そこそこ力の入ったシリーズです。

 追記:肝心の東映映画伴内は第二作「鬼面村の惨劇」で見事にコケました。レビューには「横溝映画にゲロを吐いたような」という無情な評価が。全身白塗りの土方巽暗黒舞踏が踊りまくるオープニングと予告編が記憶に残っています。合掌。


No.115 7点 本命
ディック・フランシス
(2018/12/13 21:45登録)
 濃霧を突いて疾走する馬群。本命馬アドミラルは二番手との差を十馬身以上に広げ、騎手ビル・デイビッドソンは九十七回目の勝利を目前にしていた。だが、完璧な跳躍を見せた次の瞬間、ビルの体はまっさかさまに落ち、アドミラルの馬体がそれに続いた――。
 馬上から愕然としてその光景を見つめるアマチュア騎手アラン・ヨーク。落下に不自然さを感じた彼は現場を調べ、柵の上辺にまきついた針金を発見する。だが理事への報告を終え調査が行われる僅かの間に、証拠は全て持ち去られていた。
 彼はビルの仇を討つため、本格的に事件の謎を追う決意を固めるが・・・。
 1962年発表。ディック・フランシスの処女作で、記念すべき競馬シリーズ第一作でもあります。本格ミステリ成分と冒険小説要素がバランス良く配分されていますが、レベル的にはさほどのものではありません。フランシス作品を特徴付ける各要素、どん底からの再生、主人公に対する凶暴な悪役、サディスティックな暴力描写、それらを突き付けられても決して揺るがぬ鉄の意志などは、まだ不十分なままです。
 ただその分清々しさがあるのが魅力ですね。アドミラル号はビルの死後、妻のシーラからアランに譲られるのですが、ラスト近く主人公を追う敵集団との追跡戦でトップ障害馬の実力を存分に見せてくれます。黒幕の正体が割れたあとのレースシーン、〆の爽やかなエンディング等も後続作品ではなかなか見られません。
 個人的に一番好きなのはフランシス要素の濃い次作「度胸」ですが、処女作の潔さに惹かれる方もいらっしゃるでしょう。7点といった所ですかね。


No.114 8点 囁く影
ジョン・ディクスン・カー
(2018/12/13 07:52登録)
 戦火の傷跡が残る一九四五年のロンドン。叔父チャールズの遺産を相続したばかりの歴史学者マイルズ・ハモンドは、ギデオン・フェル博士に〈殺人クラブ〉のゲストとして招かれ、ベルトリング・レストランを訪れた。だがそこにクラブのメンバーは誰もおらず、ディナーの準備が整えられているのみ。
 待ちぼうけを食わされたのはマイルズだけではなかった。同じくゲストとして招待されたフランス人の大学教授、ジョルジュ・アントワーヌ・リゴーは、居合わせた女性記者バーバラ・モレルの懇請で、二人に戦前フランスのシャルトルで起こった不可能犯罪の一部始終を語り始める。
 〈ヘンリー四世の塔〉と名付けられた河沿いの古い塔の頂上で、地元在住のイギリス人実業家、ハワード・ブルックが刺殺されたというのだ。彼が尖塔に登ってから発見されるまでの十五分間、正面から建物に近付いた者は誰もおらず、しかも裏側は切り立った外壁であった。ハワードはとかくに噂のある家庭教師、フェイ・シートンと息子ハリーの仲を断つべく、塔に出かけていったのだった。
 リゴー教授との話を終えて、ホテルに戻ったマイルズ。彼の元に、叔父の蔵書整理に雇う司書の応募者が訪ねてきたという。その女性は、フェイ・シートンと名乗った。
 リゴー教授、そしてフェイ。シャルトル事件の関係者がマイルズの住むグレイウッドの屋敷に集う時、またしても不可能犯罪が起こる・・・。
 1946年発表。地味な印象で初読の際はさほどでもなかったんですが、読み返すうちに評価の上がっていった作品です。今選ぶとディクスン名義も含むベストテンの下位には入りますね。
 最初の密室状況ばかりがクローズアップされがちですがこれは付け足し。メイントリックは犯人の隠し方で、この設定を成立させるため、最初の事件はリアルタイムでなく聞き語り形式になっています。
 その分臨場感が損なわれると見たのか色々と怪奇性を補強する手を打っていますが、なかなかの効果。主人公側であるリゴー教授やバーバラが生理的にフェイを忌避するため読者は不安感に苛まれ、同時に事件の煙幕にもなっています。
 さらにエンディングに至ればこれらが一転してヒロインの悲劇性を強調するという充実ぶり。ニュー・フォレストで起きるのが殺人ではなく、犯行手段すら不明な未遂事件である点も、異様なムードの創出に拍車を掛けています。
 全てが最初からの計算ではなく、諸々の工夫が巧まずして類を見ない出来に繋がったと見ていいでしょう。もっとも不可能犯罪のトリックはそれ単独で勝負できるものではないので、一線級の傑作と互角に張り合うのは難しいですが。
 ステロタイプでないヒロインを配した、カー唯一といえるロマンス小説の成功例。総合力でギリギリ8点には値すると思います。


No.113 6点 反射
ディック・フランシス
(2018/12/10 23:48登録)
 才能溢れる競馬写真家、ジョージ・ミレスが立ち木に車で激突死した時、更衣室で彼の死を悼む騎手はいなかった。皮肉屋で悪意に満ちた写真ばかりを撮る彼は、競馬界の嫌われ者だったのだ。
 障害騎手フィリップ・ノアは騎手仲間であるジョージの息子スティーヴに、鎖骨を折ったので家まで送ってくれないかと頼まれる。流されるまま生きてきた彼にはとうてい断れない話だった。父親の葬式とほぼ同時に侵入した泥棒により、スティーヴの家は散々に荒らされてしまったのだ。
 スティーヴと共にミレス家に赴くフィリップ。だが彼らはそこで、またもや強盗が侵入した事を知る。強盗は未亡人マリイを傷つけ、さらに家を破壊していた。スティーヴの度重なる懇願を容れたフィリップは、二人の感謝と共にジョージの失敗作が詰まった廃品箱を受け取る。写真家の習性と相反するその箱が、彼の興味を引いたのだ。
 そして数日後、ミレス家は今度は放火により焼失した。廃品箱に隠された秘密に気付いたフィリップは、本格的にフィルムとネガの謎を解こうとするが・・・。
 競馬シリーズ第19作。シリーズを代表する傑作「利腕」の次作。この時期のフランシスはマンネリ打破の試みなのか、主人公や作品構成に様々な工夫を凝らしています。アマチュア写真家でもあるフィリップ・ノアは半ばネグレクト気味に育てられ、極力自分の意志を示さず生きてきた人物。騎手としてのキャリアも引退を意識する年齢に設定されています。
 彼が拠るべき物を見つけ、変化していく過程を描くのが本書のテーマ。謎解きの合間には馬主に不正を強要され、行方不明の妹を探すよう強制され、やがては亡きジョージの写真を武器に、競馬界の不正に対処することを選び取ります。
 全般にくすんだ筆致ですので高得点は付けませんが、この時期の作品としてはまずまず成功した部類に入るのではないでしょうか。悪役ではありますが、フィリップに敗北を強要する馬主、ヴィクター・ブリッグズの人物像がなかなか厚みがあります。彼が成長を認めた主人公が、最後に取った行動も相応に抜け目ない強靭なものです。


No.112 6点 勝利
ディック・フランシス
(2018/12/05 22:26登録)
 一九九九年十二月三十一日、チェルトナム競馬場の大障害レース。最終障害で転倒した馬体は空中で仰向けになり、半トンもの巨体が下敷きになった騎手を押しつぶした。
 友人マーティン・ステュークリイの突然の死に呆然とするガラス工芸家ジェラード・ローガン。悲しみにくれる彼は騎手介添人のエディに、マーティンからレース前に言付かったという包みを渡される。その中にはありきたりのビデオ・テイプが一本入っているだけだった。彼は包みを店舗の〈ローガン・ガラス〉に持ち帰るが、ミレニアム到来を祝い店を開けたその夜、短時間のうちに包みも売上金も盗まれてしまう。
 さらに一夜明けた元日、未亡人ボン‐ボンを訪れたジェラードは、意識を失って倒れている家族たちを発見する。彼らを介抱しようとした瞬間、後頭部をボンベで殴られるジェラード。意識を回復した彼は、マーティン宅と彼の家のテイプというテイプが、全て持ち去られていた事実を知るのだった。
 盗まれたビデオ・テイプにはいったい何が記録されていたのか? ジェラードは自分の身を守るため、テイプの秘密を突き止める事を決意する。
 競馬シリーズ第39作。訳者の菊池光さんが珍しくあとがきを寄せておられます。内容は夫人メアリさんの死と、フランシスがこれで筆を擱くのではないか?という伝聞情報について。その菊池さんもほどなく亡くなられ、第40作「再起」からは北野寿美枝さんが新たな翻訳担当に。
 かようないわくつきの作品ですが、後期ではなかなかのもの。ジェラードに相対する敵集団のボスはなんと女性ですが、凶暴性はシリーズ中でも屈指。従えた男たちを手足のように使い、彼を付け狙います。
 テイプの行方を聞き出そうと、何度も襲われる主人公。知り合いにボディーガードを頼みますが、防戦一方では攻撃側の圧倒的有利。一気に決着を付けようと、罠を張って乾坤一擲の勝負に出ます。
 〈ローガン・ガラス〉を舞台に最後の闘いが展開されますが、相手に裏を掻かれて店員二人を人質に取られ、高熱のガラス竿を突きつけられて脅迫されるジェラード。さらに人数は一対四。店外に味方はいるとはいえ、この危機からどう逃れるのか?そしてテイプの行方は? 勿論伏線はしっかりと張ってあります。
 平行して描かれるジェラードの調査の過程で現れる事実や、謎の第四の覆面の男の正体など、意外性もそこそこ。ヒロインであるキャザリン刑事の影が薄いのが難点といえば難点でしょうか。
 日本語版タイトルは「勝利」ですが、犠牲者も出るやや苦い結末。ガラスに引っ掛けた原題の SHATTERED(粉々になった、砕けた)の方がより内容には合っています。今気付きましたけど、これ大ネタの伏線ですね。


No.111 5点 夢幻の書
ジャック・ヴァンス
(2018/12/04 17:53登録)
 連合を組んで外星域「圏外」の街マウント・プレザントを襲撃した五人の星間犯罪者〈魔王子(デーモン・プリンス)〉。その生き残りカース・ガーセンのオイクメーニ文明宇宙を股に掛けた壮大なる復讐劇も、いよいよ最後の魔王子ハワード・アラン・トリーソングを残すのみとなった。
 星間宇宙誌〈コズモポリス〉に寄せられた情報を精査していたガーセンは、「このうちの一人がH・A・トリーソング」とメモ書きされた写真を発見する。そこには十人の男女が映っていた。
 マーラブ第六惑星のニューポート支社を訪れ、情報元を確認するガーセン。パーティーの一幕を映したその写真は、トリーソングの部下が会場にセットした定点カメラで連続撮影されたものだった。彼は裏切り者として殺され、その妻である情報提供者も既に始末されたらしい。
 コズモポリス誌のオーナーでもあるガーセンは、姉妹紙〈エクスタント〉の創刊に当たり、大規模コンテスト「この人たちはだれでしょう?」を企画し、全宇宙に無料配布することでトリーソングを炙り出そうとするが・・・。
 1981年発表の魔王子最終巻。ガーセン最後の標的は"超人たちの王"を自称するハワード・アラン・トリーソング。復讐の旅路もこれにて大団円。期待して読んだんですが、正直言って微妙な出来。
 シリーズ最初の3巻は矢継ぎ早に出版されましたが、何故かそこから12年の間が空いたのち、4巻と5巻が発売。最初は犯人当てやハードボイルド的な要素もありますが、後半二巻は変化球気味のコメディ調だそうです。
 本書でガーセンは三度に渡ってトリーソングに罠を仕掛けますが、負傷はさせるもののいずれも取り逃がし、最後の対決では別の復讐者が登場。一種のカーチェイスの後、トリーソングが最終的に復讐者たちを出し抜いたとも、自滅したとも取れる結末で物語は終わります。こんな不完全燃焼な〆でいいのか?
 ガーセンは幼少時から祖父に殺人術を叩き込まれた大金持ちの復讐鬼。宇宙が舞台の「モンテ・クリスト伯」なんですが、まあことごとく王道を外してますね。相手のトリーソングは厳格な宗教国家に生まれた中二病患者のカントリーボーイ。相応の凶悪さも持ち合わせるものの、ラスト付近では故郷の惑星に帰還。
 いじめられっ子だった彼は高校の同窓会に部下を引き連れて乗り込み、いじめた相手を氷の椅子に縛り付けたり刺青を施したり、乗りに乗ってバイオリンを弾きながら踊りだします。やや戯画化されていますが全然憎々しげじゃありません。
 タイトルの〈夢幻の書〉とは、トリーソングが変容するきっかけとなったある書物のこと。こんなものが出てくるのも普通じゃない。第1章の引用はその〈夢幻の書〉から。面白いかどうかはともかく、曲者シリーズなのは間違いなし。全巻通し読みしてから、改めて考察したいと思います。


No.110 8点 ブルー・シャンペン
ジョン・ヴァーリイ
(2018/12/02 12:23登録)
 異星人に地球を追われた人類は、〈へびつかい座ホットライン〉と呼ばれる異世界ネットワークから新たな情報を仕入れ、太陽系の各惑星や外惑星の衛星に〈八世界(エイト・ワールド)と呼ばれる文明世界を築き上げた――
 70年代、アメリカSF界に彗星のように登場した超新星ジョン・ヴァーリイ。彼のヒューゴー、ネビュラ、ローカス各賞受賞及びノミネート作品ほかで構成された第三短編集。中編3本を含む全6編を収録。
 性転換・クローン・肉体改造などがスナック感覚で行われる社会、それらを独自のセンスで再構成したのがヴァーリイ世界。斬新なアイデアこそ無いものの、遥か遠い世界のものと思われていた数々のSFガジェットを、肌に触れるような身近な素材として用い、それらが齎す価値観の変容を描いた一連の作品は、読者に大きな衝撃を与えました。本書には1977~1985年に発表された、初期から中期の作品が収められています。
 ミステリ寄りの作品ではまず表題作の「ブルー・シャンペン」。月の周回軌道上に浮かぶ、二重の球形エネルギー力場で固定された、シャンペン・グラスを思わせる二億リットルの人工プール〈バブル〉を発端にした愛と別れの物語。
 「なぜ、メガン・ギャロウェイは主人公クーパーを熱愛しながら別れなければならなかったのか?」というハウダニット作品。この謎に、彼女が装着する精緻な金細工や宝石で飾られた、宇宙にたった一台しかない人工骨格〈黄金のジプシー〉が絡みます。
 「タンゴ・チャーリーとフォックストロット・ロミオ」はその続編。人工衛星に犬たちやコンピューターと暮らす歳を取らない少女と、前作の登場人物たちのその後が語られます。どちらかと言えばアクション寄り。シリーズ主人公アンナ=ルイーゼ・バッハが、月警察の署長に就任するいきさつもここで描かれます。
 しかしそれらを上回る密度なのは「ブラックホールとロリポップ」。太陽系辺境、冥王星の彼方の彗星帯でブラックホール探査に携わるゾウイと、彼女の「娘」ザンジア。密閉空間のザンジアと〈口をきくブラックホール〉が出会う時、そこに狂気が炸裂する・・・。
 幾重にも趣向を秘めた、一種のリドルストーリーとも読める作品。個人的にオールタイム・ベスト短編の隠し玉候補。
 トリを取るのは不気味極まりない最長作品「PRESS ENTER■」。唯一現代アメリカが舞台で、コンピュータ社会の恐怖を扱っていますが、今となっては若干古いでしょうか。それでも1984年発表でこの切り口の鋭さは流石。併せてヒロインの出生に絡めて語られるアジア各人種間の考察は、時の影響を受けないだけに全く古びていません。
 残る二編もハズレ無し。ミステリ読者向けの優良SF中短編集です。


No.109 7点 死体をどうぞ
シャルル・エクスブライヤ
(2018/12/02 08:04登録)
 連合軍対ドイツ軍の決着が迫る第二次大戦末期。イタリアの寒村ストラモレット村の住民たちは、現政府派とファシスト派に分かれて争っていた。現在の村長アチリオ・カペラーロの派閥と、前村長マリオ・ヴェニチオが率いる一派。だがアチリオの長男ジャンニと、マリオの娘オーロラは村中が認める恋人同士。おまけに両家は縁続きで、争いといってもたわいのないものでしかなかった。
 そんな村にも砲火の響きが聞こえるようになると話は違ってくる。おまけに村の嫌われ者、金貸しでファシスト派のルチアーノ・クリッパが、村に一台しかないラジオでドイツ軍優勢の報を伝え、両者の対立に火を点けたのだ。
 得意げに笑うルチアーノだったが、その翌朝彼は頭をぶち割られた死体となって発見される。殺人の報告を受け、フォジアの町から派遣されるダンテ・ブタフォキ警部と二人の部下たち。戦火の迫る山奥の貧乏村で大騒ぎが始まろうとしていた。
 1961年発表。本作の被害者は村でほぼ唯一の悪人なので、読んでいくと犯人なんか正直どうでもよくなります。神父も憲兵も村の争いに心を痛めるだけでハナから捜査なんぞやる気無し。村人たちも右に同じで、ムキになった約一名以外は党派を問わず「事件なんか無かった」とばかり、被害者ルチアーノの死体を右に左に動かしまくって混乱させます。
 やってきたダンテ警部も一応ファシスト派なんですが、半分成り行きで今の地位に就いた上に元はと言えば善人。長閑な住人たちに感化されて「もうどうでもええわ」と職務放棄。最後は村に居着いてしまいます。
 まあアレですね。そういうコメディ作品です。齢九十二歳の村の名物男のお爺ちゃんが、ガリバルディ戦争と第二次大戦をゴッチャにして昂ったりします。この人がいい感じですね。愛すべきキャラクター揃い。基本善人ばかりのほのぼの風味で、笑わせて泣かせて、最後にちょっと意外性もあります。癒されたい人にお薦め。


No.108 6点 連闘
ディック・フランシス
(2018/12/01 13:57登録)
 氷点下に近い二月のどんよりした日、障害騎手キット・フィールディングは心晴れぬ日々を送っていた。十一月に婚約したばかりの恋人ダニエル・ド・ブレスクが、馬主であるカシリア王女の甥、リツィ王子に心を移しているようなのだ。
 心中の憤懣を抑え、王女の所有馬カスケイドで勝ち鞍を挙げるキット。だが宿敵であるジョッキイ・クラブ理事メイナード・アラデックは、彼の失態を捉えようと片時も目を離さず見張り続けていた。
 執拗なメイナードの視線を振り切りレースを終えたキットは、王女のいる貴賓席に赴く。しかしそこには一人のフランス人がいた。その男アンリ・ナンテールは、彼女の夫ローラン・ド・ブレスクに委任状にサインさせるよう、王女を脅していたのだ。
 死んだ父親とローランが共同所有する建設会社。アンリは新建材の強化プラスチックを、銃器の製造に転用しようと企んでいるのだ。だがフランス政府の許可はローランの名声無しには得られない。そして兵器の売買は名誉を重んずるローランには堪え難いことだった。
 公私共に多事多難ながらも、アンリと対決する覚悟を決めるキット。だが脅迫の手始めとして勝利馬カスケイドを含む王女の持ち馬が殺され、さらに魔の手はダニエルやリツィ王子の身にも及ぶ・・・。
 競馬シリーズ第25作。前作「侵入」に続き主人公はキット・フィールディング。ネタバレがかなり詳細にありますので、老婆心ながら順番通りにお読み下さい。
 最初「これだから女はしょうがねーな」「前作の感動は何だったんだ」とか思いながら読んでましたが、ダニエル良い娘ですやん。完璧に疑ってました。すみません。
 「そのような歓びを味わうのには、人は、愛を失い、それを取り戻すことを、現実に体験しなければならないのだ」と本文にあるとおり、前作と合わせ二作で一冊ですね。面白さも「侵入」に劣りませんが、より深みが生じた分こちらの方が好み。
 脅迫者アンリ・ナンテールをどう無害化するかがストーリーの軸ですが、ラストは若干捻ってあります。ここで浮かび上がってくるのが老調教師ウィケムの存在。前作ではただのボケ爺さんでしたが、手塩に掛けた馬たちが次々に屠られる本作では「老ヘラクレス」に譬えられ、なかなか良い味出してます。この二編が人気があるのもなんとなく分かるような気がします。


No.107 6点 空白の時
エド・マクベイン
(2018/11/29 19:17登録)
 熱気のこもる八月の夜、南十一番街の家具つきアパートで女が扼殺された。腐敗が進み、黒人と見紛うばかりの姿で。だが、その女クローディア・デイヴィスは二つの銀行に六万ドル以上もの預金を持っていた。安アパートに住みながら、高額の預金を抱え込む女――この被害者の正体は?
 スティーヴ・キャレラは事件の手掛かりを求め、二ヶ月前にトライアングル湖で起こった彼女のいとこ、ジョシー・トンプソン溺死事件の再調査にあたる――「空白の時」。
 四月一日、エイプリル・フール。教会の裏手でユダヤ教の牧師〈ラビ〉が、イスラエルの色である白と青のペンキに塗れ、めった刺しにされて殺害された。そして教会側の壁には白く「J」の文字が。マイヤー・マイヤーは近隣に住む反ユダヤ運動家を殺人犯と睨むが――「"J"」。
 吹雪に降り込められたロースン山で起きた殺人事件。被害者の女性はリフトに乗った状態のまま、スキーのストックで心臓を突き刺されていた。アイソラを離れ、恋人とスキーを楽しんでいたコットン・ホースは義憤に駆られるが、彼を尻目にまたしても殺人が――「雪山の殺人」。
 87分署シリーズ第16作。といってもホース孤軍奮闘の「雪山の殺人」以外は、驚くほどいつもの長編と変わりません。オチがきちんと付いてるんで、むしろ面白いくらい。
 出来映えはまあ掲載順。「"J"」はダイイング・メッセージよりも、ユダヤ教関連の風俗描写が良い感じです。トリックは表題作に一歩譲りますが、味わいはこれが一番じゃないですかね。ただケメルマンのラビ・シリーズは全然手を付けてないんで、この分野にはあまり詳しくないですが。
 吹雪の山荘ものの「雪山の殺人」は期待したほどでは無かったです。アイソラが舞台としてしっかり構築されてる分、やはり離れると魅力が半減しますね。作品自体が短ければなおさら。
 以上三中編収録。気分転換で短編集やってみたけど、ネタ消費が割に合わなくて一回こっきりで止めたんじゃないかな。どうもそんな気がします。逆に言えば一粒で二度三度美味しい、読者にはお得な一冊です。

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