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ミステリの祭典

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小原庄助さんの登録情報
平均点:6.64点 書評数:267件

プロフィール| 書評

No.107 5点 柘榴パズル
彩坂美月
(2018/05/05 09:09登録)
19歳の短大生「あたし」が語る「山田家と五つのミステリ」。
繰り返される「なんでも見た目通りじゃない」という言葉のままに、隠された秘密が明らかになっていく。物語の設定にも意外性が隠されていて、最終章で驚かされる(呆れる人もいるかもしれない)。
ただ、大胆なプロットもさることながら、季節感を繊細にあらわす叙情と人物たちのやるせない情感が醸し出されて見事だし、やや作りすぎではないかと思わせておいて、エピローグで語られる新たな選択が後味を良くしている。たくまれた青春人情ミステリ。


No.106 8点 岡本綺堂 怪談選集
アンソロジー(国内編集者)
(2018/04/27 09:26登録)
「怪談」という言葉からイメージするおどろおどろしさは一切ない。文章は平易で簡潔。恨みつらみを言い募る幽霊も登場せず、残酷なことも起こらない。「怪談会で参加者が語った話」という体で、不可解な出来事とそれに慄く人々が描かれるだけだ。怪現象らしきことも一つ一つを精査すれば「見間違い」「気のせい」「夢」と考えるのが妥当だ。物語はすべて「偶然の連鎖」で済ませるのが理想的だろう。
そう分かっていても登場人物は恐れてしまう。前後のつじつまを合わせて「何らかの意思」「因果関係」を読み解き「怖いことが起こっている」と解釈してしまうのだ。そして読者もつられて恐怖してしまう。
収録作では「妖婆」が最も印象的だ。ある雪の日、道端に座り込む老婆を目撃した若侍に不幸が訪れる。それだけの話だ。老婆を見たという証言だけがあって実在するかは定かでない。不幸と関係するのかもわからない。ただ読み終わってしばらくの間、まぶたの裏に雪を被った老婆の姿が浮かんで消えない。


No.105 7点 遺訓
佐藤賢一
(2018/04/27 09:25登録)
庄内藩の維新を描いた快作「新徴組」の姉妹編である。とはいえ物語は独立しているので、本書だけ読んでも楽しめる。
主人公は、沖田総司の甥の芳次郎。天然理心流の使い手だが、明治になってからは、旧庄内藩で開墾に従事している。また、剣の腕を見込まれ、護衛役もしている。
やがて下野した西郷隆盛の周辺に、不穏な空気が強まる。西郷に深い恩義を感じている旧庄内藩の家老たちから、彼を守ることを命じられた芳次郎だが、赴いた鹿児島の地で、大きな時代の渦に巻き込まれる。
作者は西南戦争へと至る明治初期の動きを、多数の人物を交錯させながら活写している。その過程で芳次郎は、謎の刺客と死闘を繰り広げ、大きな悲劇に見舞われながら変わっていく。そして、この国の未来を憂える西郷の遺訓を、受け止めるのだ。時代を超えて、残すべき武士の志を、鮮やかに描き出した逸品。


No.104 7点 ハイ-ライズ
J・G・バラード
(2018/04/19 09:00登録)
先端テクノロジーで駆動する40階建て、全千戸の高層集合住宅が舞台。
独立した社会のような機能と構造を備えたこのマンションでは、階ごとに住民は階層分化し、その点でも社会の縮図を成している。下層階には低所得の者が、中層階には中間層、上層階には富裕層が暮らしている。
近未来社会というより、今日の現実を描いているかのような本作では、ある出来事をきっかけにして、日頃から住民たちの間に渦巻いていた嫉妬や軽蔑が露になり、次第に壊滅状況へと陥っていく。
恐ろしいのは、その破滅が登場人物によって極めて冷静に語られていることだ。混乱の果てに、住民たちはそれぞれのエゴをむき出しにし、野蛮な原始状態まで退行していくのだが、おのおの異常な行動をとりながら、自分は事態を冷静に把握していると思い込んでいる。
ここに描かれているのは、野蛮よりもずっとたちが悪い邪悪な知性に裏付けられた無機質な衝動だ。ある登場人物は、この現象を現代人の精神病理が極まった先の「進歩」だと考えるが、他者と共有できない「自由」は結局、地獄にしかなり得ない。


No.103 6点 森家の討ち入り
諸田玲子
(2018/04/19 09:00登録)
手あかの付いた題材である「忠臣蔵」に、こんな切り口があったのかと、まず覚えたのは、そのような驚きであった。
本書は全5話で構成されている。冒頭の「長直の饅頭」は、プロローグといっていい。元禄の世を震撼させた赤穂四十七士に、隣国の津山森家の旧臣が、3人も加わっていた。神崎与五郎、茅野和助、横川勘平である。相次ぐ不運があって改易となり、今は2万石になった森家の現当主の長直は、彼らが討ち入りに参加した理由が森家の家臣時代にあるのではないかという、かすかな疑問を抱くのだった。
以後、「与五郎の妻」「和助の恋」「里和と勘平」で彼らと深くかかわる女性たちのドラマが展開する。注目すべきは、1話ごとにストーリーの時間軸が、過去にさかのぼっていくことだろう。これにより忠臣蔵として始まった物語の焦点が、次第に津山森家のお家騒動へとスライドしていくのだ。しかもそれを通じて、3人が討ち入りに加わった心情が浮かび上がってくるのである。
さらに、エピローグとなる「お道の塩」も、余韻嫋々であった。新たなる忠臣蔵の誕生を喜びたい。


No.102 6点 ノベルダムと本の虫
天川栄人
(2018/04/11 10:33登録)
舞台は百年戦争で疲弊し、ほぼ停戦状態ながら、いつまた闘いが勃発するかわからない世界。そこにイストリヤという、永世中立の島国があった。別名、「物語の王国(ノベルダム)」。ここには、言語統制がしかれている国々から追放されたり逃げたりしてきた作家が暮らしていた。
大陸の国に住んでいた少女アミルは、その島の王立図書館に呼ばれ、「物語の森を自由に飛び回る本の虫」になった。配属先は「蛍科」。蝶科は受付、甲虫科は運搬、蜂科は警備、蛍科は・・・?
このファンタジー、アミルの王立図書館での冒険と、彼女の愛読書「五感物語」(未完)の作者の謎の死と、この物語の最終章をめぐるミステリが絡み合って、思いも寄らない展開を見せる。
プロットも面白いが、なんといっても物語機関(ノベルエンジン)という発想がいい。この島では船も自動車も、館内を巡回する蛍型のマシンもすべて、物語を燃料として動いているのだ。このユニークな設定が、作品の謎やテーマと見事にかみ合っている


No.101 5点 わずか一しずくの血
連城三紀彦
(2018/04/11 10:33登録)
幽霊譚を思わせる発端だが、その後各地から複数の女性の身体の一部が見つかり、事件は一気に猟奇的な連続バラバラ殺人事件の様相を呈する。
物語の鍵となる男は読者の前にやおら姿を現し、警察の捜査など恐れる様子も一切見せず活動を続けるが、全く尻尾をつかませない。男女の濃密な関係を描くのにたけた作者としても、いつにも増してエロティックな描写が多いが、そこにこの作品の生命があり、謎の中心がある。
雑誌掲載後20年間、未完のままだった本作。当時の沖縄の基地問題を背景とした、スケールの大きな本格的トリックが味わえる。


No.100 8点 NOVA+バベル
アンソロジー(国内編集者)
(2018/04/02 09:34登録)
表題作の作者、長谷敏司をはじめ、宮部みゆき、月村了衛、藤井太洋、宮内悠介、野崎まど、西島伝法、円城塔という豪華メンバーが顔をそろえる。
表題作「バベル」は、宇宙に届く軌道エレベーターが建設された近未来、中東を舞台に、科学技術のいびつな発展と社会的不平等の深刻化という重い主題を、読者の感性に訴えかける物語に結実させている。
収録作はバラエティーに富み、宮部みゆきの「戦闘員」は防犯カメラをモチーフとして、人間とシステムの戦いという、現実と地続きの恐怖を描いているかと思えば、西島伝法「奏で手のヌフレツン」では独特の造語によって異様な世界を描き出し、奇妙なリアリティーを醸し出す。また野崎まど「第五の地平」は恒星間宇宙の征服に挑むチンギスハンの物語という型破りな作品で、無理矢理の設定を合理化する胡散臭い「科学的説明」をでっち上げる力量には目を見張る。名状しがたい面白さでは、円城塔の「Φ」も負けていない。宇宙の終末という科学的にして哲学的な題材を、独自の言語実験的記述で描き、しかもユーモラス。
他の収録作品も力作で、本書を読んだ夜、興奮して眠れなかった。


No.99 7点 ヒトごろし
京極夏彦
(2018/04/02 09:33登録)
明治維新から今年で150年。幕末志士の中でもとりわけ人気の高い新選組の土方歳三が主人公。幼い日の体験から人斬りの衝動に取りつかれた土方が、「人を切っても罰せられない仕組み」を作り、次々に人を殺していく、という衝撃的な内容だ。
幕末史は尊皇派と佐幕派による”殺し合い”にもかかわらず、子母沢寛や司馬遼太郎以来、小説やドラマで美化されてきたと感じていた作者。新選組が敵よりも味方をより多く殺してきたことに着目。「まともな神経の人は平気でいられない」との考えから、土方を”人外し”として描いている。
作中の土方は、殺人を悪と認識した上で、新選組という制度を利用してターゲットを追い詰めていく。これに対し、薩摩藩や長州藩、旧幕府軍は明確なビジョンやイデオロギーがないまま、「国のために」近代兵器を備えて戊辰戦争に突入し、結果的に多くの兵が死んでゆく。作者は「どちらも間違っているんだけど、土方の方がまだ筋が通っている」と戦の愚かさを強調する。
毎回、ボリュームが多いことで知られる京極作品だが、とりわけ今回は1083ページの大長編。持ちにくい、読みにくい、重い、高いの四重苦である。


No.98 6点 九月が永遠に続けば
沼田まほかる
(2018/03/26 09:35登録)
主人公の佐知子はシングルマザー。ある晩、高校生の息子がごみを捨てに行くと言い残して失踪する。その後、不可解な出来事が相次ぎ、佐知子は血眼になって息子の行方を追う。
子どもを心配する中年女性の物語は、筋を追うに従って不穏な様相を見せ始める。元夫の再婚相手の奇態。息子の担任の歪んだ過去。絶望を塗り込めたような息子の絵。先が見えない不安や、知ってはいけない過去が暴かれる恐怖が、ジワリとにじみ出てくる。
「エロ怖」とあるものの、実はそれほどエロくない。それよりも、ごく普通の日常を送っている人々がみな、名状しがたい闇を抱えていることの不気味さが、人間の本質をひっそりと言い当てていて読者をひきつける。怖いけれど、ページをめくる手が止まらない。目を背けたくなる描写や錯綜した人間関係をさらりと読ませる文章力がこの作者の良いところだろう。


No.97 7点 励み場
青山文平
(2018/03/26 09:35登録)
北の国にある山花陣屋で元締め手代をしていた笹森信郎に求められ、妻になった智恵。武士になることを目指し、勘定所の普請役になった夫に従い、江戸暮らしを始めた。だが、あることにより、彼女の心は大きく揺れる。一方、つまらぬ仕事で、成沢郡の上本条村に赴いた信郎は、名主の久松加平と対面。やがて理想的に見えた村の秘密を知ることになる。
本書は智恵と信郎のパートを、交互に描きながら進行していく。ふたつのパートは、別々の物語なのだが、どちらも終盤で驚くべき真実が明らかになり、ミステリの面白さを堪能することができるだろう。
でも作者の狙いは、その先にある。悲しい決断をしようとしていた智恵は、血のつながらない姉から意外な事実を聞かされ、自分の真の心に気付いた。信郎は村の秘密と自身の出目を重ね合わせ、新たな道を選ぶ。そんな夫婦の変化を通じて作者は、人が生きていく上で、本当に必要とする場所とは何かを、鮮やかに表現してのけたのである。


No.96 7点 構造素子
樋口恭介
(2018/03/20 10:34登録)
昨年のハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。
冒頭から「宇宙の階層構造モデル」である。「L-P/V」といった文字列がいくつも登場する。でも、「理屈っぽくて難しそう」と敬遠するのは、もったいない。
本書は物語を巡る物語であり、父と子の情愛の物語なのだ。数ページ進めば、あとは一気に読みやすくなる。緻密で論理的な構成と美しい言葉がうまく溶け合い、豊かな叙情性を生み出している。
売れないSF作家ダニエル・ロバティンが亡くなり息子エドガーは母から、「エドガー曰く、世界は」と題された未完成の遺稿を手渡される。作中のダニエルは作家ではなく人工意識の研究者であり、子供を持たなかった代わりに、人工意識「エドガー001」を作り上げていた。それは、まるで無限に増殖する並行世界のように、新たな物語世界を次々と生み出していく。その様子自体が、作家が小説を書く際の試行錯誤の過程についての、分析的な描写にもなっている。
遺稿を読みながら、息子は父との思い出を、そこに重ねていく。父は、H・G・ウェルズやジュール・ベルヌを尊敬し、SF的想像力には現実を変える力があると信じていた。だからエドガー001が生み出す物語には、SFやユートピアを巡る人類の願望と挑戦の歴史も重ねられている。世界を、そして人生を、やり直せたらと父は願っていたのだろうか。
夢半ばで挫折した父に対するエドガーの思いは、理想的な世界を達成していないすべての人類の、切なさと響き合っている。


No.95 5点 白磁海岸
高樹のぶ子
(2018/03/20 10:34登録)
「マルセル」でミステリに初挑戦した作者が、またミステリを書いた。
16年前に大学生の息子圭介を亡くした堀雅代は金沢に移住し、圭介の親友だった柿沼利夫と妻の涼子に近づき、不可解な死の真相を求めていく。雅代はまず利夫の愛人に近づき、ある計画を立てる。
一方、大学講師の薄井宏之は、大学のロッカーにしまわれた朝鮮白磁を発見し、陶芸界の騒動に巻き込まれ、やがて自ら白磁の謎を追求していく。
「マルセル」は実際に起きたロートレック「マルセル」の盗難事件を下敷きにして、とても初めてのミステリとは思えないほど興趣に富んでいたが、本書も悪くない。朝鮮白磁を題材にして日本と朝鮮の歴史的交流をたどり、現代の北朝鮮情勢を踏まえながら事件の背景の奥行きをさらに深くしているからだ。
そのあたりの社会派ミステリ的な視点がいいのだが、最終的に読者の胸に響くのは、作者ならではの”青麦の季節”における恋愛感情のみずみずしさと痛々しさであり、生きることの切なさである。


No.94 6点 覆面作家
大沢在昌
(2018/03/15 09:18登録)
限りなく作者を彷彿とさせる作家の「私」を主人公にした短編集で、8編が収録されている。
なかでもいいのは覆面作家の話と青春時代の親友との挿話が微妙に交錯していく表題作と、自分に自信が無くて一歩踏み出せなかった淡き恋愛を回想する「イパネマの娘」だろう。ともに謎があり、それが次第に解かれていくのだが、筆致は軽妙なのに郷愁がにじみ、行間からは詩情がこぼれて、最後には何とも言えない感慨を覚える。
2編以外にも殺し屋の都市伝説を調べる「確認」はオチが不気味だし、一技術者の死を探る「不適切な排除」は意外な真相に胸躍るし、ありえない賭けの顛末「カモ」と遺失物をめぐる推理「大金」はともに予想外の真相を明らかにしてニヤリとする。
さりげない諧謔を交えた洒脱な作風が魅力的な短編集であり、まさに円熟の境地。


No.93 6点 治部の礎
吉川永青
(2018/03/15 09:18登録)
戦国小説ファンには御馴染みの、石田三成が主人公。ただし、作者の創出した三成像は極めて斬新なものである。
羽柴秀吉に仕える石田三成は、本能寺の変以後、天下人への道を歩む主君のために尽くしながら、自分の目標を明確にしていく。それは、秩序による天下の平安である。正論を貫く三成は、たくさんの敵を作りながら、己の理想を目指す。
秀吉の中国大返しから、関ケ原の戦いまで、本書はよく知られた戦国の歴史がつづられている。しかし三成の目標と、それに基づく人物像によって、各エピソードが新たな意味を持って、立ち上がってくる。ここが大きな読みどころだ。
そしてラスト、勝者になった徳川家康へ向けて三成は、国家と為政者のあるべき姿を語る。ここまでの物語を読んできた人は、現代の日本にも通じる三成のメッセージを、重く受け止めることになるだろう。


No.92 7点 絶望図書館
アンソロジー(国内編集者)
(2018/03/09 09:30登録)
絶望をキーワードに、国内外の短編12作が集められている。
絶望で終わる作品、絶望から立ち直る作品、胸をえぐる作品、切ない作品、とぼけた作品などさまざま。
筒井康隆の「最悪の接触」は、地球人と異星人の超絶なディスコミュニケーションの話なのだが、人間同士の話としても読めるところが怖い。川端康成の「心中」は2ぺージのごく短い作品ながら、異様に理不尽な死を読者に突き付けて終わる。シャーリイ・ジャクスンの「すてきな他人」は、出張から帰ってきた夫が別人という奇妙な設定なのだが、それに気づいた妻の反応がさらに奇妙という二重、三重にゆがんだ物語。
絶望している人も、絶望を知らない人も、みんな楽しめる、絶望アンソロジー。さらに、表紙カバーが素晴らしい!よくこんな写真を見つけたなと思う。


No.91 4点 トップリーグ
相場英雄
(2018/03/09 09:29登録)
経済界のタブーに切り込む小説で注目を集めてきた作者。
本作では、戦後最大の疑獄事件「ロッキード事件」をモデルに、首相官邸への権力集中や情報統制など、きわどい内容に踏み込み、現代の永田町の闇に挑んでいる。
主人公は、経済部から政治部に異動したばかりの在京紙記者・松岡。代理で出席した会見で官房長官に気に入られ、瞬く間に政府・与党幹部に食い込み、その本音を聞き出せる「トップリーグ」入りを果たしたかに見えたが・・・。
松岡に目をかける阪官房長官と芦原首相の描写は、どこか菅官房長官と安倍首相を想起させる。作者は昨年の10月の総選挙で自民党が圧勝したことに触れ、「政権が長期化すれば、どこかでひずみが出てくる」と予測。作者自身も通信社の記者だった経験を踏まえ、「時には有権者のために、わざと政治家を怒らせるような質問をして、本性を引き出すのも記者の仕事」とメディアの奮起を促している。
エンターテインメント小説としては、まずまずでしょう。


No.90 8点 華胥の幽夢
小野不由美
(2018/03/04 09:45登録)
本シリーズの世界観では、霊獣麒麟が王を選ぶ。王が道を誤ると麒麟が病んで死に、そのことによって王が玉座を追われて国が滅ぶのだが、「華胥」はまさにその麒麟が死の危機に瀕しているという話なのだ。
だが、王は暴利をむさぼっているわけでもなければ、統治に倦んで放埒に明け暮れているわけでもない。むしろ彼は、かつて愚策を続ける前王を糾弾して民の支持を受けてきた存在で、実際に王に選定されてからも国土の立て直しに全力で取り組んできた。なのに、なぜ。
そして物語は、やがてある一文にたどり着く。「責難は成事にあらず」
人を非難することは何かを成す事ではない。彼は前王とは違う道を進めば間違いないと信じてきた。だが、疑いを持たないということは、その意味について深く考えないということでもある。
自分はまさにこれではなかったか。相手にも相手なりの意図や理想や欲求や正義があることを想像してみることもなく、ただ自分の思考に相手を当てはめてきただけではなかったか。
この一文によって、人生観すら変わった。そうして本が持つ力を身をもって体感したことで、さまざまな人間の内面に向き合ってみたいと思わせてくれた。


No.89 6点 武者始め
宮本昌孝
(2018/03/04 09:45登録)
北条早雲から真田幸村まで、7人の戦国武将の武者始め(初陣)がつづられている。ただし初陣の形は、実にさまざま。バラエティー豊かな内容が楽しめるのだ。
愚鈍を装い周囲を観察し、ついには父親を領地から追放した、若き日の武田太郎(信玄)を描いた「さかしら太郎」や、徳川家康が薬好きだったという史実を巧みに織り込んだ、「薬研次郎三郎」など、どれも読み応えあり。その中でもベストといえるのが、織田信長を主人公にした「母恋い吉法師」だろう。信長の赤子のころの有名なエピソードを膨らませながら、彼の武者始めに至る過程に潜んでいた、もうひとつの武者始めを活写しているのである。
切れ味の鋭い短編を、存分に堪能できる一冊。


No.88 7点 プロローグ
円城塔
(2018/02/25 16:06登録)
「名前はまだない」というどこかで聞いたことのある一文ではじまる。猫の「吾輩」は、名前が無くても猫として存在するが、こちらは何が何だか分からない。
「書かれつつあるもの」は「書かれる」ことによってしか存在しない。「実在的な主張を行う文章」として存在しはじめた「私」は、自分を存在させるパソコンのシステムや日本語の構造などから、次第に書くという行為とその意味を問うていく。
などと書くと批判的で難解な実験小説だと思うかもしれない。確かにそうなのだが、ここにあるのは抱腹絶倒の難解さであり、著者の独自性という本来、他人には分かるはずのないものを「伝わる」ように表現し尽くした誠実さが生んだ逸脱だ。
小説が動き出す前のかくも多くの準備や手続き。その中で、作中人物のすれ違いや、バグによる世界の変容といったドラマが巻き起こり、読者を「思考の遊園地」にいざなう。
伝説的な私小説は、作者の生活と創作の秘密の一端をのぞかせるものだったが、ここにあるのは人がものを考え、表現することの本質に迫るエンターテインメントである。

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