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ミステリの祭典

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平均点:6.33点 書評数:2111件

プロフィール| 書評

No.651 7点 ある朝 海に
西村京太郎
(2019/09/18 19:21登録)
(ネタバレなし)
 1970年前後の南アフリカ共和国。そこは人口の約2割の白人にのみ社会的な特権と優先権が保証され、残り8割の黒人を主とした有色人種が虐げられる暗黒世界だった。「名誉白人」の日本人として同国を訪れた28歳のカメラマン、田沢利夫は警官から理不尽な暴行を受ける黒人少年を庇った結果、窮地に陥りかけるが、英国系の元弁護士の白人青年ロイ・ハギンズに救われた。ハギンズは黒人の政治運動家エンダパニンギ・シトレのもと、この国の惨状を嘆く各国出身の若者たちとともにさる計画を練っており、そこに田沢を誘う。その計画とは、南ア共和国の現状解決にいつまでも本腰を入れない国連に嘆きの声を響かせるための、アメリカの大型客船の無血シージャック作戦だった。

 元版は1971年3月20日にカッパ・ノベルスから書下ろし刊行された作品。内容的にはいろいろな意味を込めて完全にミステリの範疇の一冊だが、推理小説と言い切って売るのには当時は逡巡があったのか「長編小説 書下ろし」の肩書で発売された。

 60年代~70年代半ばの躍動期~安定期に気合の入った作品を多数書いていた西村京太郎だが、本書は正にそんな感じの一冊。読後にTwitterでヒトの感想を覗くと「生まれてから読んだ小説の中でいちばん面白かった」とか「西村作品のベストワン」とか絶賛の声も乱れとんでいる(!)。

 個人的には流石にソコまで褒める気はないが(笑)、昔からいつか読もうと思い続けてウン十年、そんな何となく温めていた期待は裏切らなかった一作。スピーディな展開の中にサスペンスクライムストーリーとしての、またポリティカルフィクションの妙味をからめた社会派メッセージ作品としての、多様なエンターテインメント要素が盛り込まれていて実に面白い。
 さらに終盤、客船内を事件の場にした、フーダニットのパズラーの趣向まで飛び出すのには度肝を抜かれた。ジージャック計画全体に仕掛けられた(中略)にもうならされる。
 これまであまり考えたことはないが、たぶん評者の場合、西村作品は30~50冊前後は読んでると思うが、これがその中のトップということはないにせよ、5本の指に入れてもいいような感触はある。

 主人公チームのメンバーがややコマ(駒)的だとかの不満はあるし、なにより21世紀のいま、若手の作家が同じようなネタで新規に書いていたらこのプロットの枝葉のあちこちを大きく膨らませて、倍ぐらいの分量にするだろうなあ、そういうボリュームで書かれても良かったのに、コンデンスにスマートにまとまってしまうのが勿体ないなあ、という思いもある。特に後者のそんな残念感は正直な気分で、評点は8点にしようか迷ったところ、7点にとどめた。
 ただまあ、こんなほどほどの長さで、秀作・優秀作を続発していた当時の作者はやっぱ只者ではなかったのだなと思うし、この一冊が当時の相応にハイレベルな西村作品群の中のワンノブゼムでしかないのも、逆説的にスゴイところでもある。
 この時期の西村作品は、タイミングを見ながら時たま読むのがとても楽しみだ。


No.650 7点 よそ者たちの荒野
ビル・プロンジーニ
(2019/09/17 17:55登録)
(ネタバレなし)
カリフォルニア州北部にある人口がわずか一万で、さらに過疎化が進む田舎町のポモ。そこはネイティヴ・インディアンほか人種間の偏見がまだ残る土地でもあった。そんな町にある日、旧式のポルシェに乗った醜男の巨漢ジョン・C・フェイスが現れる。威圧的な雰囲気のフェイスに町の住民は警戒の目を向けるが、一部の人間は彼の知性的で細やかな言動に気がついた。夫を亡くして町の多くの男性と関係を結ぶ心寂しい美人の未亡人ストーム・キャリーは、そんなフェイスを家に誘うが。
 
 1997年のアメリカ作品。名無しのオプシリーズの作者プロンジーニが著したやや長めのノンシリーズ作品で、質の方もそれに見合った腹応えがある。
 物語のキーパーソンで実質的な主役はくだんのジョン・フェイスなのだが、小説の手法としてただの一度も彼自身の内面描写は無く、大きく分けて本文は一日単位で、5つのパートに分割。その本文の全部を、町の住人数十人による、交代する一人称の視点で叙述。語り手の内面を読者に覗かせると同時に、ジョン・フェイスの人物像もその叙述の積み重ねの中から浮かび上がっていく。
 実験小説的で面白い構成(既存のものになにか似たようなものはあるかもしれないが)だが、実はここに(中略)。かなりの大技が用意されていて、語り口のトリッキィさに埋め込まれてそれが気がつかないようになっている。ジョー・ゴアズのあの作品みたいだ(これくらいの言い方ならネタバレ警戒としてよいだろうと判断します)。

 そもそも流れ者を迎えて化学変化を起こす地方の町、というのは西部劇ジャンルなどにも連なる王道パターンだろうが、実際に本作もアメリカがいかに近代化して表面上は希薄化? しても根底から解決されることのない人種問題、貧富による格差、州や国単位の開発が進んだなかで見捨てられる地域の町……などの「よく見る」社会派テーマが山盛りで、それがストーリーの流れやキャラクター描写に溶け込み、小説のうま味になっている。プロンジーニって、やればまともなもの普通に書けるんだね。見直した。
 
 ちなみに本書は1998年のMWA最優秀長編賞候補。受賞はジェイムズ・リー・バーク の『シマロン・ローズ』なる作品に持ってかれたそうだけど、個人的には充分に力作と評価したい。
 まあプロンジーニにMWA最優秀長編賞の本賞なんて、どうにも似合わない感じもしますし。


No.649 6点 死との抱擁
バーバラ・ヴァイン
(2019/09/15 20:53登録)
(ネタバレなし)
 1980年台の英国。「わたし」こと弁護士の妻フェイス・セヴァーンは、ノンフィクション作家ダニエル・スチュアートの要請に応じて彼が送ってきた資料と草稿に目を通し、在りし日の自分と周囲の人々の記憶に思いを馳せる。スチュアートが完成させようと構想している物語。それは、先に死刑囚として断罪されたフェイスの叔母ヴェラ・ビリヤードを主軸とする関係者たちの物語であった。

 1986年の英国作品。本書はレンデルがバーバラ・ヴァイン名義で刊行した長編の第一作目で、さらにジェイムズ、ゴアズ、フリーマントル、R・L・サイモンなどの錚々たる面々の諸作と争って同年度のMWA長編賞を獲得したという、なかなか鳴り物入りの一冊。

 日本ではくだんのヴァイン名義をふくめて邦訳が40冊以上出ているレンデルだが、評者は現状で一番最後に刊行された『街への鍵』(2015年のポケミス)まで数えても、そんなに読んでいない。まだ10冊足らずだと思う。
 今回は三日前に近所のブックオフに、かなり状態の良い本書が108円で出たので、久々にレンデルもいいかなと思って購入。早速、読み始めてみた。

 しかしこれはなかなかシンドイというか。よく言えば、歯ごたえがあるのは確かなのだが、素直なエンターテインメント成分なんか絶対に提供してくれない、黒い方のレンデルらしさ(と現時点で評者が思っている感覚)を十二分に味わった。
 物語の冒頭で実質的な主人公というよりはキーパーソンの叔母ヴェラが何らかの重罪(まちがいなく謀殺であろう)を犯してすでに処刑された事実が提示されるので、物語の構造は「じゃあ、その犯罪とは一体どういうものなんだ」という興味の訴求に向かうわけだが、しかし、さすがは? レンデル、ここで焦らす焦らす。
 大昔に体感した『ロウフィールド』のあの触感も、おそらくこんな味わいだったんだろうな、と思う。

 フェイスの実家ロングリィ家には腹違いの関係をふくめてヴェラの四人の兄姉妹がおり(その中の長男ジョンの娘が語り手のフェイス)、その四人それぞれの家族や恋人、結婚相手などが広義のロングリィ一族となっておよそ二十年以上にわたる物語を紡いでいくが、この挿話の積み重ねがとにかくヘビーである。
 いや、レンデルの小説作りそのものは決してヘタじゃない訳だし、この作者(の黒いサイドの時)らしいビターな人間観も随所で良い刺激となってどんどんページをめくらせるから退屈はしないのだが、一方で読み手の目線的には「いったいヴェラは何を為したのか」という大きなニンジンを最後まで鼻の向こうにぶら下げられたままなので、イライラと焦燥が蓄積。一読するのにすごくカロリーを使った。まあこの感覚こそが黒い時のレンデルの真骨頂なんだろうけど!?
 
 そう考えればクライマックスに明かされる事実が意外に(中略)なのも当初からのこの作品の狙いどころなのではあろうな。大山鳴動してなんとかとか決して言ってはいけない、勝負所はそこではない、作品だと思う。
(ただし21世紀の文明国の法務の観点で言うとこの犯罪、実刑は仕方ないし、厳罰はやむなしとも思うが、そこまで……(後略)。)
 
 MWA賞本賞の受賞については、納得できるような、なんかストンと呑み込めないザワザワ感が残るような……。Webのどっかで見かけたような気もするが「受賞のポイントが第二次大戦前後の銃後の英国市民の生活をリアルに描いてある」とか何とかいうのが評価のポイントなのだったら、それなら理解はできる。
 まあミステリマニア的には、この時期のMWA賞受賞作の傾向を探るようなそんな意味で読んでみるのもアリだとは思う。
 それで何が得られるかは、わからないけれど(汗)。


No.648 6点 血の色の花々の伝説
日下圭介
(2019/09/14 13:40登録)
(ネタバレなし)
 父親の会社が倒産して学費が払えず、退学の危機に瀕する大学生・泰道邦彦。さらに恋人・水木梨恵子に捨てられた彼は12歳年上のソープ嬢・藪原しづえと肉体関係を持ち、彼女の貯金に助けられた。だが梨恵子が復縁を願い出た事から邦彦はしづえに別れ話を求めるが、諍いの果てに彼女に怪我を負わせてしまう。現場から逃走した邦彦だが、その後しづえのアパートがガス爆発。しづえを含めて7人の死者が出るが、そのしづえは邦彦の退去後に何者かに刺殺されていた。一方でガス爆発が自分の過失に起因すると自覚した邦彦は、その日、現場で出会った少女・折原陽子の事を気にかける。やがて、しづえの殺人事件は未解決、邦彦の罪科も明かされる事もないまま歳月が過ぎていくが、およそ10年の時を経た現在、再び、関係者を囲む事態は劇的に動き出す。

 日下圭介の長編第五作目。
 日下作品の初期諸作は、アイリッシュ(ウールリッチ)のノワール系を醤油味にした感じでその辺がなんとなく好きだった。久々に読んでみたくなったので確かこれは未読? と思って講談社文庫版を手に取ったが、読み進めている内にさる印象的な叙述(というかダイアローグ)からすでに講談社ノベルズ版で大昔に既読と気づく(汗・笑)。
 それでもプロットも犯人もトリックもほとんど忘れていたので、初読のように最後まで付き合えた(さらに途中、別の作家の作品の描写だと思っていたあるシーンが、実はこの長編のものだったと気づく事もあった)。

 本文は全部で12の章に別れ、序盤の二章が起点の過去編。グラデーション的な第三章を経て本筋といえる約10年後の現代編に移行する。主要キャラは過去の罪科の発覚をおそれる邦彦、その妻となった梨恵子、邦彦を事件の日に目撃し、今は成長した陽子、さらにガス爆発に巻き込まれて家族を奪われた中年実業家・木暮清次、その清次に当時救われたのちに大学生となる少年・南原茂樹……この5人がそれぞれ主人公的なポジションに就く。
 今回手にした文庫版でも460ページ以上というボリュームで、名前のある登場人物だけで40人前後に至るかなり長めの一編。
 ミステリ的には中盤、主要人物の何人かが「彼が」「彼女が」犯人では? と疑惑を傾けあう(あるいは罪をなすりつけようとする?)辺りになかなかの読みごたえがあり、一方で各主要キャラの内面描写もアンフェアにならない程度に踏み込んでいるので、その辺もテンションは高い。
 序盤の殺人の真相の明かされ方、そしてその真実そのものに曲がなかったり、最後の決め手となるアリバイトリックがやや強引な感じがするのはナンだが、全体としてはそれなりに楽しめる力作ではあろう。
(しかし、こんなに登場人物が多くって、場面転換も多い、入り組んだ話、ウン十年前に読んだ記憶から忘却していても仕方がないよな~汗~。)

 ちなみにタイトルの「血の色の花々」の表意は、細分化すれば全国に数百種類もあるというサクラソウの事で、物語の序盤から色々な形で劇中に登場。10年余のドラマを繋ぐキー的なビジュアルイメージになっている。


No.647 5点 クサリヘビ殺人事件 蛇のしっぽがつかめない
越尾圭
(2019/09/13 15:13登録)
(ネタバレなし)
 都内で祖父の代から獣医を営む30歳の遠野太一は、その夜、幼なじみのペットショップ経営者・小塚恭平からの着信で眠りを妨げられた。電話の雰囲気にただならぬものを感じた遠野は小塚のマンションに向かうが、そこで彼が見たのはワシントン条約で国際取引が禁止されている毒蛇ラッセルクサリヘビに襲われて絶命しかける親友の姿だった。遠野はやはり幼なじみで小塚の2歳下の妹、今は税関職員として動物の密輸事件にも携わる利香とともに、小塚の変死の謎を追うが。

 第17回「このミステリーがすごい!大賞」の「隠し玉」(受賞には至らなかったが、編集部の推奨を受けて推敲ののちに刊行される作品)。
 ワシントン条約違反、その延長にある動物虐待事件などを主題にした社会派スリラーで、下馬評(大賞選考時の講評や、Amazonなどでの刊行後のレビューなど)のとおり、400頁以上のやや厚めの物語をひと息に読ませるリーダビリティの高さには、新人離れした筆力を感じる。
 
 ペットショップで売れ残り、殺処分される動物の現実など、評者のような愛玩動物好きには読むのも辛い話題にも最低限触れ、ペットとの交流は心地よい事ばっかじゃないよと受け手全般に釘を刺す姿勢はまっとうではあろう。
(一方で、飽きた動物を身勝手に捨てる、よくいそうなタイプの飼い主の無責任ぶりには、ほとんど触れられない。その辺は、あまり説教の成分が多くなると読者が鼻白むからか?)

 それでミステリとしては良くも悪くも昭和のB級長編っぽい大味感があって、そこがお茶目で愛せるような、21世紀の作品でコレかよ、と言いたくなるような。

 とりあえず警察がかなり本格的に動き出した中、主人公を含む関係者を奇襲して事件に深入りするなという犯人側の行動もいささかアレだが、一回だけならともかく二回も毒蛇による面倒な殺人を行う犯罪者側の心理がなー。
 最後の真相暴きの段階で、この件に関するホワイダニットへの相応の回答があるのだと期待していたら、あまりにもスカタンでフツーでがっかりしました。

 犯罪の実態にもうひとつ奥があることはまあサプライズで良かった。
 あと、もうけ役ポジションキャラの運用に関しては、良い意味で赤川次郎的な読者サービス感を認めて、その辺は結構、キライではない。

 全体的になつかしい感じの、昭和40年代作品風の一冊。
 この作者の次作は、面白そうな趣向だったら、また読むかもしれない。


No.646 9点 レイディ
トマス・トライオン
(2019/09/13 10:41登録)
(ネタバレなし)
 1930年代の初め。アメリカのニューイングランド。そこで未亡人の母と5人の兄妹、弟とともに暮らす「ぼく」こと、ウッドハウス家の三男フレドリック(フレッド)。8歳の彼は近所に暮らす、40代初めの美しい未亡人「レイディ」ことアデレイド・ハーレイと知り合いになる。実家はドイツ系の移民で、名門で莫大な財産を持つハーレイ家に嫁いだアデレイドは、先に傷痍兵として帰還した夫エドワードに先立たれ、今は西インド諸島出身で高い知性の黒人の家令ジェス(ジェシー)・グリフィンと、その妻でユーモアを解する陽気な女中エルシーと三人で暮らしていた。階級意識を持たずに町の人誰とも明るく付き合い、しかし動物への無益な虐待などには毅然と怒りを見せるレイディ。そんな彼女とフレッドは、年齢の差を超えた深い友情を抱き合う。だがそんなレイディを時たま見舞う昏い影。それは謎の赤毛の男「オット氏」の訪問に関係するようであった。

 1974年のアメリカ作品。『史上最大の作戦』ほか多くの名画に出演した実力派俳優で、1971年から小説家に転向した作者トライオンの作品は日本では4冊の長編が紹介され、21世紀の現在ではそのうちのホラー系の二冊『悪を呼ぶ少年』と『悪魔の収穫祭』のみが特化して高名。評者は大昔に『収穫祭』を読んで以来、数十年振りに思いついてこの作者の未読の一冊を手に取るが、期待と予想を遙かに超えて実に良かった。
 一言で言えば青春時代に初めてフィニイの『愛の手紙』を読んだ際の切なさと心の完全燃焼感を、キングの『11/22/63』に近いボリューム感で授けてもらったような、そんな感興である。

 物語は全編が語り役で主人公の一方「ぼく」ことフレッドの視点から綴られ、時局は30年代の初頭から第二次世界大戦の終結、さらにその先のエピローグまで進んでいく。スト-リーは基本的には、もうひとりの主人公で本作のタイトルロールであるメインヒロイン「レイディ」の挙動を軸としたエピソードを延々と連ねていく形質で語られるが、少年主人公の視界に入るレイディ自身、そして彼女の「家族」や周囲の人々、さらにはフレッド自身の家族や友人たちをも含む作中の日常世界を紡ぎ出すその筆致は、瑞々しいほどのリリシズムとふんだんなユーモア(そして適度な苦さ)に満ちて読む側を飽きさせない。
 それでも前半までは、ひとつひとつのレイディからみの挿話に感情を揺さぶられながらも物語の大筋が見えてこない事に若干のじれったさを感じない事もないが、謎の人物オット氏の出現を経て、さらに中盤でのある展開に触れた以降は、もう怒濤の勢いで読み手を引きつける。二段組みのハードカバー、この時期のハヤカワノベルズ版の小さめの級数で350頁の分量は決して軽くはないが、それでも実質一日でいっきに読み終えてしまった。
 若さと成熟、成長と老い、生きることの矜持と他人に覗かせたくない心の本音、さまざまなものを対照させながら第二次大戦の終息と時期を呼応させたクライマックスに向かってゆく物語の作りはあまりにも堅牢で、そこまで行けば、物語の前半、ほんとうにほんとうにわずかな倦怠感ばかりを覚えたあのレイディとともに過ごしたごく平穏な日常の日々にどれだけ多大な価値があったのかと改めて振り返らせられる。すべてが時間の流れのなかに過ぎていき、それでも主人公フレッドのそして読み手の心の中に何かが残るこの余韻と充実感。これこそが、小説を読む幸福だ。

 なお本作のミステリ要素は決して文芸性優先でおろそかにされている訳ではなく、的確にポイントを抑える感じで小説としての結構に見事に融合している。そんな創作上の技巧の鮮やかさもまた、この作品の完成度と充実感をさらに押し進めている。
 
 死ぬまでにこのレベルの本が20冊読めれば、まちがいなく自分の人生は相応に充実したものになるだろうという、そんな思いさえある優秀作~傑作。


No.645 6点 猫河原家の人びと 一家全員、名探偵
青柳碧人
(2019/09/11 02:30登録)
(ネタバレなし)
「あたし」こと猫河原家の次女・友紀は、進学したばかりの女子大生。自宅暮らしの友紀は、早く家を出て一人暮らしがしたかった。なぜなら現職刑事の父、通いの家政婦として他人の家庭の秘密を窺う母、アマチュア民俗学者にして探偵小説の新人賞を狙い続ける万年作家志望の長兄、そして紅茶専門店で働きながら「日常の謎」を追う姉、と、家族が揃いも揃って変人クラスの「探偵」たちばかりだからだ。まともなのは理系に強い勤め人の次兄くらい。今日も我が家では、銘々が持ち寄った事件の謎をもとに「捜査会議」が開催され、名探偵らしい推理を披露しないとご飯ももらえない。こんな日々がイヤでイヤでたまらない友紀だが、事件と家族の絆は向こうの方から追い掛けてきて。

 シリーズ作品を複数抱える作者が開始した、新路線の連作パズラー集の第一弾(初出は雑誌「yom yom」に連載)。本は文庫オリジナルで発売。
 一冊目の連作短編集には全5本のエピソードが収録されていて、最後の二本はひとつの事件を分割して綴る前後編なので、猫河原家の向き合う4つのミステリということになる(さらに各話のメインストーリーの合間合間に、作中で一家が接した事件の話題が、何回か断片的に語られる)。

 なお「探偵家族」の設定では他にもM・Z・リューインなどにも該当のものがあるようだが、すみませんが評者はそっちはまだ未読。
 まあ本作を読む限り、家族の各自が事件にそれぞれの探偵スタイルで別の角度からアプローチして軽妙な多重推理を連ねていくという、そんなシチュエーションの狙い所も明確で、たぶんこの作品独自のオリジナリティは獲得してるんじゃないかと思う?
 その上で、いちばん推理の実働に積極的でない主人公の友紀が最終的に名探偵になってしまうというのも『黒後家蜘蛛の会(『ブラックウィドワーズクラブ』)』のヘンリーみたいなお約束シフト(それっぽくない真打ちポジション)ながら、安定した面白さに繋がっている。

 ミステリとしての本書は、第1話の奇妙な殺人現場の状況の謎、第2話の準密室的な殺人の謎がそれぞれ良い感じでウォームアップしてくれて、第3話のかなり練り込まれたプロットとキャラクター配置が特に面白い。
(第4・5話も悪くはないが、これは事件の大筋は、比較的早く見当がつくだろう。)
 
 一冊のキャラクターもののミステリ+連作パズラー短編集としてはなかなかのレベル。「日常の謎」担当の長女かおりのメイン編などがまだ登場してないが、その辺は今後のシリーズの伸びしろとして期待できるだろう。飽きが来ない限りに、良い意味でまったりと続いて欲しい路線になりそうである。


No.644 5点 赤い氷河
笹沢左保
(2019/09/09 22:39登録)
(ネタバレなし)
 昭和30年代。ある年の2月。東京地検の34歳の検事・江藤昌作は、かつて思いを寄せたひとつ年上の女性、瑤子と15年ぶりに、地検の近所の喫茶店で偶然に再会する。瑤子は戦争中に17歳の若さで5つ年上の学生・根岸に嫁いだが、今は6年前に夫を失い、忘れ形見である16歳の美少年・竜一と二人暮らしだった。だがそんな瑤子に再婚の話があるという。相手は数億円の資産を持つがすごい吝嗇家で、先に6人もの妻と死別もしくは離縁した経歴のある、58歳の事業家、伊集院鉄次だった。言い知れぬ不安を感じる江藤を他所に伊集院家に入籍する瑤子だが、結婚前のまともそうな紳士の仮面を脱ぎ捨てた鉄次は新妻に折檻を加え、さらに竜一とは親子の縁組みもせずに、朝から晩まで下僕のようにこき使った。我慢に我慢を重ねたのち、ついに鉄次の殺害を企てる竜一。やがてある日、伊集院家で……。

 1963年2月に文芸春秋新社から刊行された書下ろし長編。本文を読むと登場人物の説明が重複していたりする箇所があるから、連載作品かと思った。

 憎まれ役である鉄次の、いかにも昭和のケチでイヤなオヤジといった描写が強烈で、小説の前半は本作の主人公の一方である竜一がこいつにいじめられる苦労話。笹沢左保、花登筺の世界にチャレンジか、という趣である。
(なお本作は、前半序盤のプロローグ部分のみ、江藤が一人称で担当。ほかはすべて三人称という変則的な形式。)
 二部構成の本文の後半冒頭で事件が起きてからは、叙述の視点がまた江藤に戻り(ただし三人称)そのまま犯罪の真相に挑む流れとなる。

 正直、謎解きミステリとしてはナンという事もない一作(犯人が何を狙ってるのか気づかない読者は、元版の刊行当時も21世紀の今も、まずいないだろうし)。
 でも一度読み始めたら最後まで一気に読ませてしまうリーダビリティの高さと、瑤子に託された笹沢作品の多くに通底するメインヒロインの妖しい濃さ、それに竜一をメインにした青春クライムストーリー的な一面などは、まあそれぞれがこの作品の存在意義となっているかも。

 しかし一番この作品で印象的だったのは、本作の題名が表意するもの。一体何がこの話で「赤い氷河」なんだろうかと思いながら最後まで読むと、確実にラストでズッコけて(死語)大笑いするだろう。いささか強引すぎませんか(笑)。 


No.643 6点 バハマ・クライシス
デズモンド・バグリイ
(2019/09/09 17:19登録)
(ネタバレなし)
「わたし」こと、バハマ諸島で財を為した白人たちの血筋で、本人は複数のリゾートホテルやレンタカー会社を経営する42歳のバハマ人の実業家トム・マンガン。そんな彼のもとに、ハーヴァード・ビジネス・スクール時代の旧友でテキサスの大財閥カニンガム一族の息子ビリーが来訪。大規模な事業の提携の話題を切り出す。好条件で話をまとめたマンガンだが、そんな時に思いがけない悲劇が見舞い、彼は心に大きなダメージを負った。やがて傷心の状態から一応の回復が叶ったマンガンだが、バハマ諸島の周辺には大小の不穏な事態が続発。そんな中でマンガンは、過日の悲劇に関わるらしい人物がふたたびこの近辺に現れた事を知った。

 1981年の英国作品。刊行された順番としては、バグリイの13番目の長編。
 初期からは傑作、秀作を続発していたバグリイが、後年はだんだんとダメになっていったというのは現在ではほぼ定説のようで、評者も大枠としてはそれに同意(長編はまだあと3冊だけ、読んでない後期の作品があるけど)。
 私見で言えば1971年の『マッキントッシュの男』あたりまでが好調な時代。1973年の『タイトロープ・マン』あたりからおかしくなっている気がする。
(『スノー・タイガー』なんか、たぶん一番、自分的にはダメだった。『サハラの翼』などは読んでいるハズだが、まったく記憶に残っていないし。)
 バグリイの後期作品がおおむねダメなのは、好調な時代に正統派冒険小説としての直球を使いきってしまい、のちのちに先行作と差別化のために趣向優先のストーリーに比重が傾き、その結果いびつなものが多くなってしまった、そんな事が原因の一つのように思える。

 それでもまあ、腐ってもナンとかでしょと、残っているバグリイの未読の作品を今回、久々に一冊手にとったが、……うん、これはまあまあ、かな。

 現状で文庫版の方にひとつだけついているAmazonのレビューなどでは、ものの見事にケチョンケチョン(笑)だが、当時の作者バグリイの書く側の心情を、こっちが勝手に仮想するなら、大金持ちの主人公という、あんまり冒険小説には見られない(全く例が無いわけではないが)珍奇な設定でとにもかくにも勝負してみたかった気概が覗えるし。
(なお、もともと実業家の主人公マンガンが、さらに格上の大財閥カニンガム一族のなかに食い込んでいくステップアップドラマなど、たぶん執筆の背景にはシェルドン(シェルダン)の『華麗なる血統』の影響あたりがあったんじゃないかとも思う。)

 金持ちが、復讐に反撃に、さらに窮地からの脱出のためにと、財産と人脈を惜しげ無く使いまくり、それでもその万能感が通用しないいくつかの局面でジタバタするのも、これはこれで冒険スリラーの正しい文法には叶ってはいる。
 後半、かなり重大な窮地からの逆転図も安易といえば安易かもしれんけど、そこで(中略)にちょっとひねったキャラクター設定を与えてフツーじゃないなんとなく凝った食感にしているあたりもウマイとは思う。
 まあ主人公マンガンが一番最初の悲劇をもうちょっとあとあとまでメンタル的に重く受け止めていてほしいのは、読んでいての不満ではありますが。

 後期の中では『敵』と同じくらいには、ストーリテリングのツイスト、細かい山場の盛り込み具合で、それなりに読ませる方ではないでしょうか。
(ちなみに私『敵』の方は、面白い、よく出来てるとは認めながら、愛せない作品です。まあ読んでいる人で、共感してくれる方はそれなりにいると思う。)

 なお本作『バハマ・クライシス』の事件の真相というか、悪役側の狙いの実態は、やや拍子抜け。
 本当はバグリイ自身ももっとあっと読者を驚かせるものを用意したいと思いながら結局のところ最後の最後で力が尽きて、ごくフツーな説明で済ませてしまった感じもしなくもない。

 個人的にはなかなか面白かったけど、あれこれ引っかかる部分で厳しい評価をする人がいても、それはそれで仕方がないかなという、そんな一冊。


No.642 7点 失踪者
ヒラリー・ウォー
(2019/09/08 02:22登録)
(ネタバレなし)
 アメリカのコネティカット州。晩夏のある朝、ストックフォードの町にある遊泳場リトル・ボヘミアの周辺で、絞殺された若い美しい女性の死体が見つかる。ストックフォード警察署のフレッド・C・フェローズ署長は、側近のシドニー(シド)・C・ウィルクス部長刑事以下の署員とともに捜査に乗り出した。まもなく近所の写真屋でたまたまポートレートが撮影されていた事から、被害者の名前は、近所の旅館に寄宿するエリザベス(ベティ)・ムーアと判明。さらに旅館の女主人の証言から、エリザベスの夫ヘンリーが三か月前に交通事故で死亡し、彼女はその亡き夫の友人に言い寄られていたらしいという情報が入ってくる。しかしフェローズたちが調べても、最近ヘンリーという夫を失ったエリザベス・ムーアという女性の実在も、ヘンリー・ムーアという交通事故死亡者の記録も確認できなかった。一方で、事件当夜の海水浴場にいた者たちの中から気になる証言がもたらされてくる。

 1964年のアメリカ作品。全11冊の長編が書かれたフェローズものの8本目の作品。今回の謎はシリーズ第1作『ながい眠り』を想起させる、被害者は(本当は)誰なのか? さらに彼女が生前に話題にした「夫」は本当に実在するのか? という興味。

 例によって実にゆったりした丁寧な叙述で捜査が進み、しかしあるポイントにフェローズが着目してからは、物語に弾みがついて強烈な加速感でクライマックスをめざしていく。じれったさの果てに実感する、長いトンネルを抜けるような快感。これこそ正にウォー作品の魅力。

 なお、ここではあまり詳しく書けないが、本作では主要登場人物の関係性というか一方が一方に傾ける感情が重要なドラマ上のファクターになっており、その構図が貫徹されることにものすごいカタルシスを感じる作劇になっている。ある種の情念が勝利を納める物語でもあり、その意味でも実に手ごたえのある一作だ。
 反面、細部の描写などには、シリーズを重ねた作品ならではの余裕も感じた。特にフェローズが聞き込み捜査に赴いて、その家のむずかる赤ん坊に悩まされながらも仕事を完遂する場面など、50~60年代のアメリカテレビドラマ風のコメディチックな叙述ですごくゆかしい。

 終盤の犯人が露見する際の意外性の演出も、その直後の事件に関わりあってしまった人々の情感ある描写も印象的。
 ラストは、50年代のあの〇WA賞受賞作品を思わせる(シナリオの流れは違うのだが、(中略)という共通項ですごいシンクロニティを感じた)。
 事件そのものは地味目なんだけど、全体としてはフェローズシリーズの中でも悪くない方じゃないかな。

 創元なんかは今年の『生(ま)れながらの犠牲者』の新訳(改訳)もいいけれど(個人的には同作をけっこう評価している)、しかしそれよりは、まだ日本語になってないフェローズもの5冊の発掘紹介の方を優先してほしい。
 残りの全作が秀作かどうかは知らないけれど、少なくともこのシリーズで5作も未訳があるんなら、そのうちの2~3冊以上には十分以上に期待できるよね?


No.641 4点 時喰監獄
沢村浩輔
(2019/09/06 22:00登録)
(ネタバレなし)
 明治維新から20年余の歳月を経た時代。北海道の原生林の中にある、極寒の大気と野棲の狼の群れに囲まれた陸の孤島、それが「黒氷室」こと第六十二番監獄だった。重罪人ばかりを収容した同施設からその冬、一人の囚人・赤柿雷太が脱獄する。だが彼は追撃の銃弾を受けて重傷を負いながら、大事もなく蘇生? した。一方、逃走中の赤柿を救ったのは謎の青年。逃亡補助を問われた彼は黒氷室に拘留されるが、その青年の記憶の一切は失われていた。怪事が続く黒氷室は、さらにまた新たな囚人たちを迎えようとしていた。

 評者は沢村作品はまだ二冊目。先行する2015年の長編『北半球の南十字星(文庫版で『海賊島の殺人』に改題)』しか読んでないが、これが海賊海洋冒険小説+クローズドサークルの不可能犯罪ものというハイブリッドな組み合わせで、エラく面白かった。ネタのコンビネーションこそ違うが、大好きなニーヴン&パーネルのハイブリッドミステリ(ミステリ+SF+体感ゲームパーク)の『ドリーム・パーク』に匹敵する快作がついに国内に登場した! と快哉を上げたほどだ(笑)。実を言うと北半球の南十字星』は2015年度の国内新刊ミステリ(ちゃんと100冊以上読んだぞ)の五本の指に入るくらいスキである。

 まあ一般的に評価されている沢村作品は処女短編集の方みたいだし、そっちはいつか読めばいいや、それよりまた変化球設定の新作長編ミステリが出ないかな、と思っていたら今年になってコレが刊行。それでいそいそと手に取り、明治時代の北海道の監獄(山田風太郎の『地の果ての獄』か!?)を舞台にしたタイムトラベルのSF要素をはらんだ謎解きミステリ? すごくオモシロそうじゃん、と期待した。
 
 そしたら、まあ……う~ん。ちょっと、いやかなり今回は当てが外れたか(汗・涙)。
 謎解きの要素は皆無ではないんだけど、どちらかというと今回は予想以上にミステリというよりSF寄りだし。まあそれはそれでいいんだけど、全体的に話の狙いが散漫。あえてミステリの文法に整理するならホワットダニット、フーダニット、ホワイダニットに類する読み手の興味を刺激しそうなものが散りばめてはあるんだけど、それがどれも焦点を結んだ求心力にならない。キャラも多様だけど、この物語にここまでややこしい配置や設定が必要かと疑問を覚える一方、主要人物が一体どのような罪状のもとにこの監獄に送られてきたのかという、かなり重要なはずの文芸設定が触れられていない。
 概してバランスが悪い作品で、誠にもって勝手な想像で恐縮ながら、これは作者が物語を紡いでいくうちに、編集者やら周囲の人やらがこの設定とギミックならあーだこーだと好き勝手な意見を言い、その結果、まとまりを欠いたものが出来てしまった感じ。
(いや、実際のメイキング事情はもちろん全く知りませんが、いかにもそんな感じに思えるような一作という意味合いで、受け取ってもらえれば幸いです。)
 
 Twitterを覗くとけっこう評判もいいみたいなので、こっちの読み方がよくないか、はたまた単純に相性が悪いとかもあるかもしれませんが。
 また次回の面白そうな趣向の作品に期待します。


No.640 7点 コロサス
D・F・ジョーンズ
(2019/09/06 14:32登録)
(ネタバレなし)
 北アメリカ合衆国がロッキー山脈の内部をくりぬいて建造したスーパー・コンピューターの「コロサス」。12年の歳月と3000人以上の技術者を動員して生み出されたそれは、西側社会の平和と世界の均衡を守るための、ヒューマンエラーを完全に排した、独立自律思考型の恒久的な防衛システムだった。だが起動したコロサスは、ソ連側にも同様の防衛システム「ガーディアン」があることを知覚。コロサス計画のリーダーである科学者チャールズ・フォービン博士を介して大統領に半ば強制的な要請を出し、もうひとつの巨人頭脳とのコンタクトを図る。やがてガーディアンと一体化し、人間の現代文明の百年以上先のインテリジェンスにまで瞬く間にたどり着いたたコロサスは、アメリカとソ連の国防システム=広域を狙える核ミサイルを利用して全人類を支配し始める。

 英国の1966年作品。Amazonには現時点で翻訳書の登録データがないが、ハヤカワのSFシリーズ(ポケミス仕様の銀背)から1969年5月31日に刊行。本文は解説込みで約270頁。定価は350円。

 アメリカの職人監督ジョセフ・サージェントによる映画作品『地球爆破作戦』(Colossus: The Forbin Project・1970年)の原作でもある。くだんの映画は公開から少し後にミステリマガジン誌上で石上三登志が「本当に優れた作品」(なのに大して世間から注目されないうちに、場末の二番館に追いやられた映画!)として激賞。
 さらに何年かのちにHMMのバックナンバーでその記事を読んだ自分(評者)は東京12チャンネル(今のテレビ東京)のお昼の洋画劇場か何かで初めて視聴してショックを受けた。同じように、何回か繰り返されたらしいテレビ放映で本作に惹かれた世代人のSFファンは少なくないようで、今ではカルト的な名作映画として、ある程度の評価が確立しているようである。

 そういえばあの映画、ちゃんと原作あるんだよな……と先日なんとなく思い、このたび、まったくの思いつきで本を取り寄せて読んでみた。
 半世紀も前の新古典だし、人類が科学文明のいびつな先鋭化を進めた果てに自分たち自身を支配する神を作ってしまうという主題そのものはもう珍しくもないが、当時の現実の少し先の地続きの世界がじわじわと<恒久の平和>という形の絶望に向かって進んでいく緊張感には、時代を超えた普遍的にして妖しい蠱惑感がある。
 大筋は映画と同じだが、一方で映画が原作の要所を抑えながら、ビジュアルの効果を考えた面白い潤色をあれこれしていたのも実感した。かたや小説ならではの細部の展開や叙述も散見し、これは双方をともに楽しむ事ができる好ましいサンプル。
 なお小説の終盤には映画にはなかった、コロサスの提示するさらに奥へと向かっていく(中略)のビジョンがあり、原作を読むならそこがキモのひとつ。ロボットテーマSFのひとつの変奏ともいえる一編だろうが、新古典作品としていま読んでも面白い。

 ところでコロサス+ガーディアンのこの設定は、ゲーム「スーパーロボット大戦」シリーズのオリジナルの敵に設定して、並行世界からやってきたおなじみのヒーローロボットたちに粉砕させたら、スカッとするだろうなあ。


No.639 6点 時間溶解機
ジェリイ・ソウル
(2019/09/05 13:29登録)
(ネタバレなし)
 その日の朝、とあるモーテルの一室で目覚めたウォルター・イヴァン・シャーウッドは、脇に見たこともない女性が裸で寝ているのに気づく。恋人のマリオンではない? さらに驚いた事に、鏡に映るその素顔は、確かに自分のものながら、わずか一晩で十年ほども老けていた!? 驚愕のまま外に飛び出すシャーウッドはこの不可思議な事態に納得のゆく説明を求めて市街を徘徊するが、そこで彼が認めたのは信じがたい現実だった。一方、モーテルに残された女性も室内に残っていた身分証明書や書類から、同衾した男が見も知らぬ相手だと認める? そんな彼女もまた、我が身に生じた異変を意識するが……。

 1957年のアメリカ作品。作者ジェリイ・ソウル(ジェリイ・ソール)は、東宝の日米合作特撮怪獣映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』に原案を提供した事でも知られるSF作家(ただし映画のOPにはノンクレジット)。日本では他に数冊の翻訳がある。

 本書は一昔前に「ミステリファンがSFに手を出すならコレ」という感じのガイド記事などで、アシモフの『鋼鉄都市』やベスターの『分解された男』などと並んで、よく紹介されていた一冊。
 実際に本書(ハヤカワポケットSFの銀背)で巻末の解説を書いている福島正実も、探偵小説の手法を使ったSFという主旨の記述をしている。
 原書のペーパーバック(エイヴォン・ブックス)版の表紙からしてソレ(SF作品)っぽいし、日本でも邦訳が刊行された叢書からして最終的にこの作品がSFジャンルに落ち着くのは明白なのだが(だから今回は本作そのものがミステリかSFかというレベルでは曖昧にしない)、それでも小説の現物は、タイトルも見ないで本全体にカバーでもかけて読み進めれば、普通の記憶喪失もののミステリと思う人も多いのではないか? とも考える仕様である。

 実際、手法的にも、SF的ガジェットがなかなか登場してこない作りからしても物語の興味はミステリ的な流れで進み、さらに言うなら真相がわかってからも、そんなにSFファクターの強い話とも思えなかった。
 ロビン・クックあたりが悪ノリした時期なら、こういう作品を医学&科学スリラーの標記のもとに発刊し、特にSFとは謳わなかったのではないかという感じだ(そしてその上で、よくいるお調子者の読者とかが「これはエスエフだー」と盛り上がるようなタイプの一冊である)。

 なおポケットSF版の裏表紙、また前述の福島正実の解説などでは「S・F界のウールリッチといわれるジェリイ・ソウル」と語っているが、個人的にはそれほどウールリッチっぽいリリシズムも寂寞感も、自分の文章に酔うような独特の詩情感もそんなには感じない。
(サスペンス感はそれなりにあるし、ちょっとしたメンタリティの機微は器用に随所に抑えてあるが。)
 もしかしたら、同じ記憶喪失テーマということでアイリッシュ名義の『黒いカーテン』あたりから連想した修辞だったのか?

 真相は、前述の通り、80年代以降のネオエンターテイメントの時代をくぐった今となっては、あえてSFだと言わんでもいいのでは? 程度のエスエフだが、そこにいくまでのミステリ的な道筋はそこそこ面白いし(単調といえば単調なんだけど)、事件そのものが片付いたあと、主人公の前にもうひとつ試練のドラマが用意され、そこにきちんとした決着がなされる綺麗な作りはエンターテインメントとして快い。キングやクーンツのエピローグでもう一押しするタイプの作品、ああいったものの先駆的な心地よさは感じた。


No.638 7点 ぼくの小さな祖国
胡桃沢耕史
(2019/09/03 19:34登録)
(ネタバレなし)
 1979年。還暦が迫る売れない小説家の「ぼく」は、何かに掻き立てられるように異国を放浪。そして成り行きで訪れた南米の小国で、三人の日系人に出会う。彼らは現政府の中枢に位置する者と、その周辺の二人。そんな彼らは、自分たちの親や先代たち日系移民が歩んだ長い道のり、そして自分たち三人自身の昔日を語り始めた。

 旧ペンネーム・清水正二郎名義の著作群と決別して海外を放浪し、1977年から新たな筆名で作家生活の再スタートを切った作家・胡桃沢耕史。そんな胡桃沢耕史名義での著作の初期の代表作のひとつがこれで、第87回直木賞候補作品。
 例によって元版刊行当時に北上次郎が「小説推理」誌上で激賞していた記憶があるので、いつか読もうとは思っていた一冊である。

 物語の舞台は、劇中では国名も不明な、貧しい南米の小国(パラグアイがモデルという説もある)。実質的な主人公は十代、三十歳前後、四十代と、年齢設定や社会的立場を差別化した三人の日系人たちで、彼らの人生を大きく変えた昔日のある一連の事象、そして彼ら三人の人生の基盤となった日系移民の苦闘の現実を、作者・胡桃沢耕史本人の分身である小説家「ぼく」が聞き書きした形式でこの作品は綴られる。
 
 かなり真摯に仔細に現実の実態を取材したのだろう、海外で一旗揚げることを夢見て海を渡った、半世紀以上に及ぶ日系移民の逆境(日本政府からは実質的には棄民として扱われ、その事実を戦前~高度成長時代の日本のマスコミは秘匿、一方で南米の現地では、半ば奴隷みたいな労働力を確保した程度の扱いをされる)。もはや日本も新天地も母国ではないと覚悟を決め、それでも現在その足で立つ南米の地を「祖国」として見据えて関わっていこうとする日系移民の意志と矜持(もちろんそんな境地に至れず、社会的に敗残していく者も山ほどいる)。そんな主題を背景に、舞台となる小国内での対立する二大政党の抗争に決着をつける、ある計画が進行する。

 総体的にはとても味わい深い長編であったが、かたや、いったい何が起きているのかわからないホワットダニット的な興味が小説に深みを与えている一方、手の内をなかなか見せない作りが読み手(少なくとも評者のような)の緊張を弛緩させてしまう面もあり、その辺はちょっとデリケートな作品かもしれない。主人公トリオの本筋での関係の深化と、日系移民の苦闘秘話の方は充分に面白く読めたが。

 それと、これは決して作品を毀損するつもりで言うのではないが、これだけ立体的な構成を用意した割には全体の紙幅が短すぎる。起承転結の「転」の部分を思いきり駆け足で済ませて、いきなり「結」に行ってしまったような食感の作りだ。ただし一方で、その辺は前述のホワットダニット部分の謎解きとあわせてこの小説のうま味になっている面もあるから、一概に否定はできないのだが。

 終盤の展開は、主人公トリオの「祖国」への距離感をそれぞれに差別化した文芸が用意されていて、そこがとても心に染みる(いろいろ言いたいことはあるんだけど、それはここではとても書けないので、興味が湧いたら読んでください)。
 思えば小説家「ぼく」視点で、ちゃんとラストに至る伏線というか布石も張ってあるんだな。

 最後に細かいことながら、小説の基幹部となる日系の主人公トリオの叙述は若い順に「おれ」「ぼく」「私」の一人称が交代する形式で進行するのだが、さらにこの合間に彼ら三人の過去と現在を窺う小説家「ぼく」の一人称が挿入される。つまり「ぼく」がダブってしまうので、これがどうにも読んでいて気に障った。小説家(胡桃沢耕史の分身らしき人)の方は、「自分」とか「わたし」「僕」とかの標記でも良かったんでないの?


No.637 5点 悪党パーカー/逃亡の顔
リチャード・スターク
(2019/09/02 01:36登録)
(ネタバレなし)
 関わり合った広域犯罪組織との軋轢を警戒したプロの犯罪者パーカーは、アウトロー相手の外科手術を行う元過激派コミュニストの医師ドクター・アドラーのサナトリウムに潜伏。四週間の時間と一万八千ドルの手術費を使って、自分の顔を以前とは別人に変えた。手元にはわずか九千ドルの金しか残らなかったパーカーは、自分の変貌に関する情報は決して口外しないというアドラーを信用し、次の強奪計画を求めてなじみの犯罪者ハンディ・マッケイに連絡を取る。現金輸送車を襲う計画に調整を加えながら実行にかかるパーカーと仲間たちだが、不測の事態がそれこそ思いも掛けぬ形で到来した。

 1963年のアメリカ作品。『悪党パーカー/人狩り』に続くパーカーシリーズの第二弾で、日本でも二番目に翻訳紹介された長編。
 言うまでも無く本作の一番のポイントは、前作『人狩り』であれやこれやを為したパ-カーが過去のしがらみを断つ(あるいは薄める)ために顔を整形する趣向。考えてみればこの後20冊以上、連綿と続くこのシリーズ内の作中のパーカーの顔は、この作品で誕生した訳である。(二作目が重要な起点になるなんて、大戸島出身の初代じゃなく岩戸島出身の二代目ゴジラの方が長年のシリーズ主人公となる、昭和ゴジラシリーズみたいだ。)

 しかしその「主人公が整形して顔を変えるというのが主題の一編? なんか地味そうだなー」……と思って、ずっと長らく家の中に本は放ってあった。
 だがさすがに、長年の内には考えも変る。そういう地味目? な趣向の方がもしかしたら面白いのではないか、と思って、今回改めて、読み始めてみた。
(いや、そもそも大分以前から、パーカーシリーズの面白さは、その回のネタが派手か地味か、だけで決まるもんではないとはわかってはいたけれど。)

 とはいえ内容は、ストーリーの幹筋の部分となる現金強奪の方が意外なほどに曲がない。いや(中略)となる流れの布石などはちゃんと張ってあり、それに沿って物語は進む。ただし作者としてはそんな筋運びをドラマチックに起伏感いっぱいに語るのでは無く、むしろ素っ気なく綴ることで乾いたハードボイルド感を出したいようなのだが、その効果が、作品が書かれてから半世紀以上経った今となっては、なんかありきたりにどっかで読んだように見えるのだ(汗)。この辺は作品の賞味期限が過ぎてしまっているという感触か。だから中盤まではけっこう退屈だった、この作品(涙)。

 そうなるとむしろフツーに、ストーリーの組立てそのもので勝負をしてくる後半の方が面白くなってくる。あらすじでもちょっと触れた、パーカーにとっても予想外のとある事態がどう転がっていくか、の興味の方が、読み手を刺激する。
 パーカーシリーズでおなじみの、本文を四つの章に区切る四部構成の作りだが、このシリーズ第二作で早くも、その構成そのものをちょっと妙な技法で活用してくる(もちろんここではあまり詳しくは書けないが、ちょっとトリッキィな、ギミックも見せている)。そんなテクニック面が面白い。
 クライマックスの決着のつけ方も、『人狩り』を踏まえて、本作のここでまたさらにまたパーカーという(当時としてはかなり新鮮な)犯罪者キャラクターの素描を固めた感もある。
(ただその上で、この最後のパーカーの駆け引きぶりには、個人的にどっか(中略)なんだけれど……。)

 まとめるなら、これまでパーカーシリーズに付き合ってきた、あるいは今後も読んでいくつもりなら、読んでおいた方がいい一冊なのは確か。
 それは初期の文芸設定や世界観に触れるという意味のみならず、スターク=ウェストレイクという作家の、この時点での独創的なノワールヒーローをシリーズキャラクターとして固めようとする、過渡期の試行錯誤みたいなものが覗えて、その辺がかなり興味深いので。
 ただ、それがエンターテインメントとして面白いかどうかというと、個人的には微妙。もしかしたら、最後のパーカーの決裁に至るまで、波長の合う人には合うかもしれない。ダメな人には、自分(評者)以上にまったく合わないんじゃないか? という気もするんだけど。

※余談ながら、巻末の小鷹信光の、この時点で未訳だったパーカーシリーズの初期8作までを概観・展望した一文はすごい読み応えがある。小鷹のどっかの著書(単著)に再録されていたっけかな? 記憶にないや(汗)。


No.636 8点 ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた
評論・エッセイ
(2019/08/31 16:26登録)
 SF(とヒロイックファンタジー)作家で翻訳家、そしてロックの権威? にして50年代ハードボイルド私立探偵ミステリの大ファンでもある鏡明。
 その我らがアトラス鏡明が、雑誌「フリースタイル」に連載した述懐エッセイ記事「マンハントとその時代」を一冊にまとめた本。

 もちろん「マンハント」とは1950年代末~60年代初頭に久保書店から刊行され、当時「日本版EQMM(現在のミステリマガジン)」および「ヒッチコック・マガジン」とともに日本三大翻訳ミステリ専門誌時代の一角を築いた、海外ハードボイルドミステリ専門誌(あるいは主力雑誌)のこと。
 大昔に同誌のバックナンバーを全部揃えて(ただし掲載作品の全部はいまだに読んでない~汗~。コラムの方は基本的に積極的に精読した)家の中に積んである評者にすれば、その魅力をあの鏡明に語ってもらえる! ということで刊行前から多いに期待していた一冊である(すみません。「フリースタイル」連載時にはほとんど読んでいなかった。)

 内容は「マンハント」のみならず、同時代のサブカルチャー誌として「漫画讀本」や「笑の泉」(評者には、初代ゴジラ公開時の吊り広告がすぐ頭に浮かぶ)「洋酒天国」などにも及び、正直、そちらはまあ……という気分もないではないのだが、長い大きな目で見れば、ここで御大・鏡明にいろいろと思うこと広い知見を語っておいてもらった方が良いとは思う。
(個人的な我が儘であることを重々承知で言えば、一冊まるまる「日本版マンハント」「本国版マンハント」、その背景となるペーパーバック文化に花咲いた50年代私立探偵小説ジャンル、の話題「だけ」で、くくってもらって欲しかったのだが。)

 実際、早々と「マンハント掲載のミステリ作品そのものにはあまり語らない」と釘をされてしまい、いささかショボーン。
 なにしろ、こういう場、こんな機会でなければ、21世紀にどこの誰がマンビル・ムーンやジョニー・リデルのことを語ってくれるんだ? と思ったが、それでも「マンハント」の誌面作りの方向性の解析や、種々の見識などは読んでいて面白いし、本の中盤、舌が回ってくれば何のかんの言っても、ハードボイルドミステリそのものについても熱く詳しく、語りまくってくれる(大嬉!)。

 50年代私立探偵小説の中では、やはりシェル・スコットが一番スキだと叫び、未訳の原書の内容にも触れている鏡明。ここまでシェル・スコットへのオマージュを込めた熱い文章は久々に(もしかしたら生まれて初めて?)読んだ思いだよ(笑)。
 また、米国の「マイケル・シェーンミステリマガジン」にカーター・ブラウンの長編が一挙掲載されたという、評者なんかはまったく知らなかった驚きの例を出し、その上でごく自然に(「ファンならその辺の気分は黙っていてもわかるよね?」と言わんばかりに)
「でもマイク・シェーンとカーター・ブラウンというのは相当相性が悪いという気がするんだけどなぁ」とさらりと言ってのけるあたり(246ページ)、脳みそが爆発しそうなまでに感動してしまう! こんな一文が2019年の新刊でリアルタイムで読めるという喜び、いや、もうサイコーでしょう(笑)。

 「エド・マクベインズ・ミステリマガジン」の日本語版についての記述など「あれ? 勘違いでしょ?」という箇所なども全く無いではないのだが、最後の「マンハント」関係者各人への貴重なインタビューもふくめて、評者のような種類のミステリファンには必読の一冊。あと無いものねだりでは、「日本版EQMM」に載った、「ハードボイルドミステリマガジン」の休刊を惜しむ小鷹信光の特別寄稿にも触れておいてほしかったこと、くらいかな。今でも「ハードボイルドミステリマガジン」のことを思うたびに、個人的にはあの記事がまっさきに念頭に浮かぶ。

 本当に素晴らしい本ですが、評点はあえてこの点で。いや一冊まるまるこちらの希望の形質でまとめてくれていたら、文句なしに10点を差し上げていたんですが(笑)。


No.635 5点 シグニット号の死
F・W・クロフツ
(2019/08/31 14:21登録)
(ネタバレなし)
 その年の五月初旬、上流階級の子息の青年マーカム・クルーは、極楽とんぼの父親の急死と家財を管理する弁護士の使い込みのために無一文になり、父の戦友だったヘブルワイト元大佐の紹介で、大富豪の証券業者アンドルー・ハリスンの秘書となる。ハリスンは成り上がり者で貴族階級に憧れ、上流階級との社交の指南役としてクルーを雇った。だがクルーは、ハリスン家や彼の会社の周囲に渦巻く人間関係の軋轢を目にする。そんな矢先、ハリスンが失踪。ハリスンの会社は株が大暴落する大騒ぎになるが、少ししてハリスンは大事なく帰還。政府関係の秘密の業務で不在だったと弁明した。そんななか、ハリスンの持ち船でテムズ川に浮かぶ屋形船シグニット号で数日簡に及ぶ懇親パーティが開かれるが、その夜、船内の密室でハリスンの変死死体が発見される。

 1938年の英国作品。創元文庫版のトビラを一読すると、密室ものプラス複数の容疑者のアリバイ崩しの検証と、パズラーとして面白そうである。
 しかし実際のところ、密室の方ははあ、そんなものですか? 的に腰砕けに終るし(同じ英国の大作家の某作品を連想する人も多いだろう)、アリバイ崩しの方も、地味でどちらかといえば悪い意味でのリアルな、足を使った地取り&聞き込み捜査が、延々と語られるだけ。
 これはパズラーというより、フレンチほかの警察側の奮闘を語った警察小説だよ(今回の彼の相棒は『船から消えた男』などと同じく、若手のカーター刑事)。しかも前述のように丁寧で細かすぎる叙述が今回はアダになって、あまり面白くない。
 犯罪の実態が(中略)と判明する趣向と、あまりにも意外な犯人があえて言うなら本作の魅力だが、後者に関しては読者の隙を突いたとか犯罪を実行不可能と目されていた容疑者が実はやっぱり……系の意外性ではなく、単に真犯人がフレンチの視界に入らないというか、意識にのぼらないように描かれ、それゆえ読者も遮光されていただけのような……。いや、真相が発覚してみれば、真犯人の殺意に至る心理そのものは非常にリアルで説得力のあるものなんだけどね。

 面白い文芸や趣向をいくつか用意して盛り込みながらも、それらがたわわな実を結ぶことはなかったという感じの、不発気味の一遍。
 フレンチが株に手を出して、500ポンド損したとかいう人間臭い描写は良かった。
 あと創元文庫版の巻末の紀田順一郎のクロフツ論は、とても読み応えがあり。個人的には、このヒトの書いたミステリ関係の文章の中で最高クラスのひとつに思える。


No.634 6点 背中、押してやろうか?
悠木シュン
(2019/08/30 12:41登録)
(ネタバレなし)
「ぼく」こと平一平(たいらいっぺい)は、陸上部に所属する中学二年生。同じ部の仲間でもあるムードメイカーの小宮智也が親友だ。そんなある日、不登校子女だった級友の美少女、久佐井繭子(くざいまゆこ)が登校してくる。イジメを受ける繭子を目立たないように庇う一平と智也。そしてある朝、一平は朝礼で、同じ小学校で旧友だった別のクラスの同窓生、龍和彦が車にはねられて死んだ事を知った。その前後から、一平の日常は少しずつ壊れ始める。

 評者はこの作者の作品は二冊目。この夏、2019年の最新作『君の××を消してあげるよ』を先に読み、妙に心に引っかかったので、あまり間を置かず、少し前に刊行の本作を読んでみた。
 『君の××』同様、少年少女たちの、ダークさを含んだストーリーをすごく清涼な文体で綴る青春ミステリで、今回も読み進めている内にその形質そのものに強烈に引きこまれていく。文章には独特な品格がある一方、ラノベなみのリーダビリティで三時間もかからずに読了してしまった。
 
 ただし一応の(中略)がある『君の××』に比べて、ダーク度は本作の方がたぶん高い。いったい何が物語の底にあるのか終盤まで見えない小説の作りが、最後にこういう方向に帰結することに、意外性と同時にある種の納得も覚える(だから内容に関しては、あんまり字数を使って書けない)。
 そんな部分も踏まえて、自分的には『君の××』よりもこっちの方が好みかも。

 ややイヤミス度を増した白河三兎作品みたいな趣もあって、けっこう気になる作者である。既刊や今後の新刊はチェックしていこう。


No.633 5点 オリンピック殺人事件
南里征典
(2019/08/30 03:02登録)
(ネタバレなし)
 1964年10月10日。「東京オリンピック」こと第14回オリンピック開幕の当日、警視庁捜査一課のベテラン刑事、野村省三は、ある匿名の電話を受ける。それは「杉並区の58歳の男性・日沼潤作をこれから殺す」という殺人予告だった。悪戯かと思いながら万が一の事態を考えた野村は、部下の刑事や所轄の捜査陣とともに匿名電話が告げた日沼家の住所に向かう。日沼は最近、倒産の危機に瀕している大手マンション開発販売会社の社長だった。すると電話の予告通りに自室内で日沼が刺殺されており、しかも現場は完全な密室状態だった。やがて捜査の結果、日沼が東京オリンピック開会式に使われる伝書鳩を提供する組織「日本レース鳩連盟」の関係者であったことが判明。そして被害者の周辺から強力な動機を持つ容疑者が浮かび上がってくるが、その人物には鉄壁かと思える三重のアリバイがあった。

 作者・南里征典は、国際冒険小説からエロバイオレンスノベルまで幅広い創作活動を示した職業作家。それで本書『オリンピック殺人事件』は1982年に書かれた、作者の経歴中でも珍しいパズラー系の著作である。
(ところで、この本の裏表紙の作者紹介の項目で「代表作に『未完の対局』がある。」と書かれているのって、なんか悲しい。だって書籍版『未完の対局』って、いくら有名な映画タイトルの小説版とはいえ、作者のオリジナル原作じゃなくてノベライズだよ。オリジナル作品をその時点で何冊も書いているプロ小説家の代表作に、他人の原作作品のノベライズが挙げられる例って初めて見た……。)

 なんかwebなどでこの作品『オリンピック殺人事件』を、あまり話題にならない隠れた佳作・秀作みたいに語っている人がいるので興味が湧いて読んでみたが……う~ん、どうなんだろ。
 密室殺人に始まる連続殺人劇だが、中盤の趣向は、捜査陣がある人物に狙いを定めた上でのアリバイ崩し。しかしてその後……(中略)!?
 こう書くとけっこう面白げなネタを複数盛り込んだサービス作品のようであり、実際にそういう長編ミステリではあるのだが、一方で作品の作りが結構オフビート(調子っぱずれ)。
 後半、事件の背景となる太平洋戦争中の秘話に話が跳ぶのはいいが、頼みもしないエロ要素が噴き出してくるし、序盤からそれっぽく用意されていた登場人物は扱いを忘れられるし、ノープラン感がすごい。

 まあ序盤から登場していた大きな主題のひとつ(表紙のイラストにもなっている)伝書鳩がちゃんとミステリとして意味を持つのはいいが。
(しかしこの密室トリック、なかなか豪快だけど、実際のところの実現性はかなり低いのでは?)

 アリバイトリックもなあ。三段階に重なったアリバイの鉄壁性を際立たせて読者をワクワクさせるケレン味は、鮎川作品ばりでとてもいい。
 しかし少なくとも葉書のトリックは、この作品の数年前に描かれた某・少年向け漫画からのモロ戴きだよね? 作者は読者層が違うからバレないだろうと甘く見ていたのかもしれないけれど、テレビアニメ化もされて幅広い世代のファンに21世紀の現在でも広く読まれている人気コミックだから、こうやっていつかパクリは露見する。
(まあ偶然の暗合の可能性もゼロとは言えないし、もしかしたら双方の作品よりさらに先駆の例があるのかもしれませんが)。

 あと事件のややこしい部分を、終盤に表に出てくる某キャラクターの奇人性に相当に押しつけて、こんなおかしなイカれたいびつな人物だから、ああいうヘンな事をやったんですよ、と言い訳してるのもちょっと……。

 なんか悪口ばっか書いてるけど、白紙の状態でもし出会って読んでいたら、もうちょっと褒めたかもしれない。ごく一部とは言え、ミステリファンの間で評判がよさげなのに色々とアレでコレかよ、という意味合いで評点はきびしくなり、この点数ということで。
 
 最後に、本作の読後にWikipediaで初めて知りましたが、この作者ってあの大下宇陀児の門下だったそうですな(!)。今度ほかの作品を読む際には、その興味も踏まえながら手に取ってみよう。 


No.632 7点 狂った海
新章文子
(2019/08/29 03:26登録)
(ネタバレなし)
 全四編の中短編集。ページ数は本文の最後までで全261ページ。
 奥付の表記は昭和39年5月20日刊行。全書判のハードカバーで、定価は350円。
 
 このところ積極的に読むようにしている新章文子だが、今回もとても面白かった。

 以下、簡単に各編のあらすじと感想&コメント。

①『狂った海』(約40ページ)
<あらすじ>年下のヒモ男・吉野を自宅のアパートに同棲させている30代の司書の多美子は、双生児の妹・登美子から招待状をもらう。登美子は先に繊維会社の社長夫人となり、夫の死後に莫大な遺産を継承してホテルを開業したのだ。吉野は多美子にくっついて先方に赴き、金持ちの登美子を自分の女にして、邪魔な多美子を消す算段を考えるが……。
<感想&コメント>男女の三~四角関係を主題にしたクライムストーリー。流れるような好テンポで物語が進み、終盤の二転三転の展開も鮮やか。ラストはナンとか強引に、逃げられそうな気もしないでもないが?

②『殺人手帳』(約85ページ)
<あらすじ>スキャンダルを暴かれて自殺に追い込まれた女優・千草陽子。陽子の息子の砂上時雄は親譲りの容姿に自負を持ち、芸能界での成功を目論むが、現実はそう甘くなかった。時雄は自分を軽視した映画会社の企画部長ほか、遺恨のある人間の殺人計画を立て、実際に二人まで実行するが、そこでその計画メモを記した手帳を紛失してしまう。
<感想&コメント>本書中で一番長い作品で、人間関係も相応に縦横に絡み合う。時雄の向き合う人間関係の変化と、誰が手帳を拾ったかのフーダニット的な興味、さらに後半の予想外の展開でいっきに読ませる。「誰が最後に笑うか」パターンの話でもあるが、ラストはちょっと決まりそこねた感もあり。

③『乱れた絵具(本文の扉では「~繪具」標記)』(約30ページ)
<あらすじ>中学二年生の「私」は、本妻がいる映画監督の志村禎三が女中に生ませた娘。だが母が死んだので、志村家に養女とは名ばかりの女中として引き取られる。志村家には、志村の亡き妻が、前の夫との間に生んだ子供で連れ子の大学生・和彦、そして志村の若い後妻の有子がいて……。
<感想&コメント>本書中いちばん短い作品だが、その分の密度感はかなり高い上質のサスペンス&クライムストーリー。終盤のどんでん返しの連続もパワフルで、ラストの切れ味はかなりのもの。垢抜けた当時の翻訳ミステリ短編的なハイセンスを感じる。

④『殺意の影』(約80ページ)
「私」こと23歳の滝野よう子は親一人子一人の父親を轢き逃げされ、篤志家の50過ぎの喫茶店のママの養女となる。ママは我が儘だが、優しい面もあった。そんななか、よう子は店の常連の40歳の小説家・竹上富士雄になりゆきから処女を奪われ、その後も肉体関係を続けていたが、ある日、その竹上が服毒した状態で死んでいた。
<感想&コメント>②に準じる長さだが、人間関係の錯綜が徐々に広がっていく事件の裾野と、終盤の反転の繰り返しに繋がっていくあたりは、強烈な読み応えがある。途中、事件の底が割れた際には悪い意味で世界観が狭いような気もしたが、最後まで読むとそんな疑念はほぼ払拭される。巻き込まれ型サスペンスとフーダニットの興味をあわせもった秀作。ラストの余韻もよい。

 全四編、どれも面白かった。昭和カラーは強いからそのまま黙って復刻、という訳にはいかないが、こないだの山前さんの監修の短編集のように<幻の名作を発掘した、昭和の傑作短編ミステリ集>とかなんとかいう謳い文句などを強く押し出して文庫化などすれば、21世紀の現在でもそれなりの数のミステリファンの支持を得られるのではないか。
 あちらこちらの出版社から、新章文子の発掘短編集が出るような日が来たら、この世の春なんだけどな。

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