人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.34点 | 書評数:2199件 |
No.819 | 8点 | 破戒法廷 ギ・デ・カール |
(2020/04/26 01:11登録) (ネタバレなし) かつて1970年代のミステリマガジン誌上で、どの号かの誰かの翻訳時評だったと思うが、そこで書評子がその号で俎上に乗せる新刊を並べる前に、ひとつの翻訳ミステリをマクラにふる。 「みなさん、こういう作品を知ってますか? 殺人容疑に問われた三重苦の青年を60過ぎの弁護士が弁護する、なんとも異色の法廷ミステリでした」 ……とかなんとかそんな感じの物言いだったと思うが、もちろんコレが本作の初訳版である『けだもの』(集英社)のこと。 書評子がフッたその話題が当該号の新刊書評にどう繋がっていたかも、もう覚えてないが、いずれにしろそこで初めて、当時、聞いたこともない稀覯本らしい海外作品を教えられた当時の評者は「なにそれ、面白そう~読みてえ~!」と思って、あちこちの古書店の店舗やら古本屋の目録やら探索したものだった。 結局、その本(集英社版『けだもの』)が入手できたかどうかはよく覚えてないのだが(なによりここが一番ダメなところである・汗……たしか買ったような気がするが、今回は本が見つからない・汗)、いずれにしろ本作は84年に新訳が創元文庫から刊行。 評者はその時点で旧版の入手が叶っていたにせよ、まだ手に入ってなかったにせよ、いずれにしろ「じゃあもう慌てて読まないでもいいよね」と興味が減退した(ここもまた、ダメなとこ……かもしれない・笑)。 でもってブックオフの百円均一棚がまだ105円時代に新訳の創元文庫版を(改めて?)古本で買ったが、その時からさらにウン十年も積ん読にしておいた。それでこのたび、例によってようやっとの一念発起で、その新訳の創元文庫の方を読んでみる。 ちなみに原書は1951年のフランス作品。 あらすじは―― 1950年5月6日。アメリカからフランスに向かう太平洋横断旅客船「ド・グラス号」の船上で、元GIの25歳のアメリカ人ジョン・ベルが殺害される。殺人現場で被疑者として逮捕された27歳のフランス人ジャック・ヴォーティエは生来の三重苦で、美貌の妻ソランジュとともにアメリカに渡航。本国に戻る最中だった。顔立ちはハンサムながら剛胆な体躯を持ち、一般人との会話もままならぬヴォーティエは「けだもの」の呼ばれて畏怖されるが、フランスの弁護士会会長ミュニエは、一見、犯人も明白なこの殺人事件を念には念を入れて調べる方針を採択。若手の弁護士がふたり、ヴォーティエとの対話が困難だと匙を投げたのちに、ミュニエはかつての学友で、今は法曹界の片隅でくすぶっている老弁護士ヴィクトル・ドリオに本事件の担当を任せる。弁護士の卵である女子大生ダニエル・ジュニーを助手役に本事件に介入し、容疑者ヴォーティエに接触したドリオは、この三重苦の青年が私小説の著作もある、常人以上の優れた知性の持ち主である事実を認めるが。 いやー。とっても面白かった。「人間が描けているミステリ」という褒め言葉の凡庸さを百も千も自覚してなお、それでもその修辞がこれほどピッタリはまる作品はそうはない。筋立て上の主人公は老弁護士ドリオだが、当然ながら物語の作劇の軸はキーパーソンである三重苦のヴォーティエをフォーカス。彼の歩んできた半生のなかで関わりあった複数の人物の証言の累積が、あまりにも特異なキャラクターの人物像と周辺の人々との関係性を浮き彫りにしていく。 ミステリ的にはたしかに、突き詰めて状況を考察していけばある程度の真相は見えるはずであったが、評者の場合は、小説としての語り口のうまさに幻惑されて、うまくはぐらかされた。推理ミステリとしての真実の発覚のあとに、また人の心の難しさ、そして逞しさに回帰する物語の組み立てが素晴らしい。 作者はミステリはこれ一本しか書かなかったようだけど、弁護士ドリオも彼を実の祖父のように慕う若手弁護士の「孫娘」ダニエルもとてもいいキャラだった。この一作で会えなくなるのが残念なような反面、でもたぶん、シリーズ化していたら、この作品のなかでの輝きが薄れてしまいそうな、そんな感覚もあるキャラクターだったな。 個人的には、フランス産ミステリのなかのベスト10候補のひとつに考えたいと思う出来。 |
No.818 | 6点 | 指に傷のある女 ルース・レンデル |
(2020/04/23 14:10登録) (ネタバレなし) 評者にとって、久々のウェクスフォードもの。 大昔に『ひとたび人を殺さば』だか『薔薇の殺意』だかを読んだ際に、作中でウェクスフォードが事件関係者にかけたやさしい一言「人生は全てを手に入れられる訳ではないのですよ(大意)」がすごく心に染みわたった(タイトルがどちらかでさえ覚えてない心許なさだが、いずれにしろその台詞に触れた当時の自分がさる事情からボロボロだったことはよく記憶している)。 それゆえ、あんな『ロウフィールド館の惨劇』みたいなイヤミスの作者がどうしてこんなにやさしい主人公探偵を描けるんだ、と青い気分のなかで思ったものだった(結局それは、レンデルが優れたプロ作家の一人であるから、以上の何ものでもないこともわかってはいるのだが)。 そういうわけで思い入れがかなり先行して、好きな探偵キャラクターのはずの割に、実はあんまり冊数読んでないウェクスフォードものなのだが(大昔に出会ったやさしいおじさんのイメージを壊したくない気分もあったかも~汗~)、さすがにもう今となってはその辺は緩やかな心情で、気の向くままに一冊読んでみる。 そうしたら(ある程度は予想していたものの)、本格だのパズラーだのというよりも、ガチガチの警察捜査ミステリで軽くビックリした。 しかもウェクスフォードは半ば直感で早々と容疑者を決め打ちし、証拠もないのにあまり暴走するな、クレームが来てるから、と釘をさしてくる事なかれ主義の上司の目を盗みながら独自の捜査を継続。さらにそこにはウェクスフォード個人の(中略)ドラマまでからんできて……これはもうクロフツのフレンチ警部もの(プラスアルファ)ではないか!? 80年代以降の英国警察小説の系譜は本当につまみ食いで大系的な見識などもちあわせていないから、ここで驚くのはもしかしたら(たぶんきっと)何をいまさら、かもしれないが、クロフツからの血脈がここにちゃんと生きてることがかなり嬉しい驚きであった(しかも前述のとおり、ある意味でウェクスフォードはフレンチのひとつ向こうにいっているし)。 予想以上にワクワク……と思いながら読み進んでいたら、えー!? というあの終盤の真相。いやミステリ作家として、もうひとつ大技のネタを導入したかったレンデルの気分も気概もなんとなくわかるような気もするが、一方でこれはちょっとあんまり唐突でしょう。サプライズの衝撃がそれまでの苦闘の捜査の積み重ねと融合してないよね? 自分が本作の途中までワクワクゾクゾクしたのは、一年前後の臥薪嘗胆を経て犯人と対決をむかえるウェクスフォードの姿(こう書くとなんかヒラリイ・ウォー風でもある)だったはずなのに、最後の最後で、あーん!? なんかもう甘味処に入ってクリームあんみつをうまいうまいと食べていたら、店の主人が出てきて、そんなに喜んでくださるのですか、でしたらこれもサービスしましょうと、頼みもしないのに、あんみつとアイスクリームの上にいきなり熱々の酒饅頭を乗せられたような気分であった。 面白かったけれど、そういう意味で弱る作品です。サービス過剰で出来が悪く……とまでは言わないにせよ、楽しませどころがボケた感じ。 それでもまあやっぱりウェクスフォード素敵だな、遅ればせながら今後も少しずつシリーズを読んでいきたいな、という一冊ではありましたが。 |
No.817 | 6点 | もう一人の乗客 草野唯雄 |
(2020/04/22 04:08登録) (ネタバレなし) その年の10月1日の夜。興信所「目白リサーチ・センター」の所長、山辺達也が事務所内で殺され、殺害現場から一人の娘が人目を避けて逃げ出す。彼女=出版社のOLで21歳の香原由美は流しのタクシーを拾うが、成り行きから、たまたま同じ方向に行くという見知らぬ男と相乗りになってしまった。だが奇しくもそのタクシーがまた別のタクシーに衝突。事故を検分にきた警官に対して由美はやむなく必要最小限の事実を伝えるが、事態はさらに思わぬ方向へと……。 草野作品の中ではそれなりに評判が良い印象があるので、読んでみた。 フーダニットではなく、あまり推理の余地もない作りだが、イヤミや皮肉ではなく昭和の読み物推理小説としてはまとまっていて及第点である。 終盤に行くともうページ数も少なくなってきて、ここから作者が読者を驚かせにくるなら、もうあの人物を犯人にするしかないなと構造が見えてしまう。そこらへんは弱い一方、クライマックスに行くまでは読者の目を逸らすというか、意図的に一種のあるテクニックを用いているようで、その辺りはうまい。 ちなみに、由美の姉の八重、その恋人で村瀬というキャラクターが登場するのだが、この男、カッパ・ノベルス版の35ページで「2年前に病気の妻と死別」と描写されながら、あとあとの175ページで「5年間独身だった」とも書かれている。この辺はさすがは僕らの草野唯雄、期待に応えた凡ミスである。 あと中盤で、たとえ市民の義務であっても犯罪事件に関わるのは嫌だ、一文の得にもならない、面倒な証言なんかゴメンだという、ダメな本音剥き出しな小市民が出てくるが、このあたりの、ヤバいことに平穏な日常をゆさぶられる一般人の描写や作中での扱いが草野作品はうまいよね。『七人の軍隊』でも、暴力団に牛耳られた町で悪人追放の署名運動を敢行したらヤクザがその署名用紙を奪い、ここに署名した連中のもとにお礼参りに行ってやるとうそぶく、そんなリアルな描写が印象的だった。そーゆーあたりでも、この作者はポイントを稼いでいるのだと実感する。 |
No.816 | 6点 | 妖女ドレッテ ワルター・ハーリヒ |
(2020/04/22 03:34登録) (ネタバレなし) 第一次世界大戦を経て国土が疲弊した時代のドイツ。シュワンテミール地方の貧乏荘主ブランケンホルンが、自宅の密室内で射殺死体で見つかる。自殺の可能性もとりざたされるが、それにしては不審な状況でもあった。それから少しして、ブランケンホルンの荘園の元管理人で、今はベルリンで馬丁兼乗馬コーチとして働くロルフ・シュテーゲンは、ブランケンホルンの若い後妻で現在は美しい未亡人となったドレッテと再会。そのドレッテは、富豪のアーベルクロンと再婚の噂が囁かれていたが。 「世界推理小説全集」版の巻末の中島河太郎の解説を読んでも、正確な刊行年は不明(マジメに調べればわかりそうだが)。いずれにしろ第一次世界大戦直後にドイツに本格的なミステリブームが到来し、あの『ドクトル・マブゼ』なんかが大ヒットした熱気のなかで書かれた作品。 経済的にもドイツ国土が乱れている世相を背景に、ファム・ファタール風味のノワールロマンス的な匂いを感じさせる作り(ただしメインヒロインはドレッテばかりでなく、彼女の継子の次女ザビーネなどにも相応のウェイトは置かれる)。 密室殺人のトリックやそれに関わるロジックなどに際して、その部分で剛球・直球の勝負するような作りでは決してないが、それでも一応は、不可能犯罪の興味を刺激する作劇ではある。とはいえ作者は早めにその密室のネタを割り、その後に改めてフーダニットの要素で、読み手の関心を煽ってくる。 もちろんガチガチのパズラーではないのだが、一応はある種の伏線も張ってあり、犯人の設定はそれなりの意外性があって楽しめた。 まあ結局は、本格派パズラーというより、賞味部分の幅広い準パズラー作品という感触なのだが。 ちなみにこの作品、完訳版はくだんの創元社の「世界推理小説全集」版しかないハズだけど、その「世界推理小説全集」の収録巻はジョン・バカンの『三十九の階段(創元文庫版では『三十九階段』の書名)』と合本であった。 背表紙(箱も本そのものも)には『妖女ドレッテ』のタイトルとワルター・ハーリッヒの著者名しか書いてないから、長い間この事実に気づかなかった。だから『ドレッテ』そのものは、小説の紙幅としてすごく薄い。短い長編、あるいは長めの中編作品という感じである。 |
No.815 | 6点 | 血ぬられた報酬 ニコラス・ブレイク |
(2020/04/22 02:56登録) (ネタバレなし) 40歳の妻帯者で脚本家&劇作家のネッド・ストウは、27歳の大柄な赤毛の娘ローラ・キャムパーソンと不倫。邪魔な妻ミリアムを始末したがっていた。そんなネッドの秘めた思いに気づいた38歳の独身男チャールズ・ハンマーは、相手に接触。チャールズはかねてより、自分の70歳の叔父ハーバート・ベヴァリーを殺して叔父の所有する中堅企業「ベヴァリー商会」の全権の相続を目論んでいた。チャールズは言葉巧みにネッドを洋上のヨットに誘い、海難ぎりぎりの操舵を試させて相手の度胸をはかる。チャールズがネッドを巻き込んで考えていた計画。それは互いのアリバイを完璧に確保した上での、殺人者と被害者の間に何の接点もない交換殺人のプランだった。 1958年の英国作品。ブレイクのノンシリーズものの倒叙クライムサスペンス。 当時ではまだ新鮮だと作者ブレイクが思っていた「交換殺人」というメインアイデアが、実はすでにハイスミスの『見知らぬ乗客』という形で前例があり、ブレイクがハイスミスに「すみません、原作も映画も知りませんでした」と素直に謝って許してもらったという逸話でも有名。なんか微笑ましい。とはいえこの数年後にアメリカじゃフレドリック・ブラウンが『交換殺人』書いてるけど、そっちはお断りを交わしたとかいう話はきいたことない。 (ツヅキさーん。タイムマシンじゃないけど「二番目の作家はおそるおそる、三番目以降は知らん顔」という実例が、SFじゃなくってミステリジャンルの中にここにありますヨ。) それでまあ、ストーリーだけれど、もう少し長めに厚めに書き込んでおいてもいいんでないの? というところまでホイホイとハイテンポに進み、読みやすさったら、この上ない。 その上で私見ながら、作家の資質でブレイクとハイスミスを分類するなら、 ・ハイスミス……かなり黒いが、ポイント的に一部白い (クリスチアナ・ブランドも似たような感じだが、あっちはさらに黒い) ・ブレイク……根は白い。ただししょっちゅう、人間の黒さに憧れている ……的な見識があるので、今回も決着は<そういう仕上げになるだろう>と思いながら読んでいくと……(中略)。 なんか1970年代以降の、劇画ブームの影響を受けた手塚マンガの読み切り中編作品100ページという感じだけど、これはこれでイイです。こういう余韻嫌いじゃないし。 ただまあ、もし万が一ブレイクが本作の上梓後に改めて同世代の作家ハイスミスを意識して『見知らぬ乗客』やらリプリーシリーズやら読んだなら、きっとすんごくコンプレックス抱いたろうね。だってハイスミスの方がずっと精神的にオトナだもん(そのこと自体イコール作家の魅力や技量では必ずしもないとは思うが)。 ブレイクの看板キャラであるナイジェル・ストレンジウェイズのシリーズって、60年代になるとあんなことをしたりアレな描写を盛り込んだり、妙に黒くなっていくのだけど、その辺の背景には本作『血ぬられた報酬』の刊行を経ての同時代作家ハイスミスたちを今一度意識したこととかもあるんじゃないかって、勝手に妄想しております(笑)。 あと、ポケミス版の171ページで、登場人物のひとりが我が身を振り返って題名をあげずにシムノンの作品のある場面を連想するが、具体的にどの作品であろう。すぐわかる人がいたら調べてみてください。 |
No.814 | 8点 | メリー・ディア号の遭難 ハモンド・イネス |
(2020/04/22 02:14登録) (ネタバレなし) その年の3月16日。「私」ことサルベージ業の準備を進めるジョン・ヘンリー・サンズは、2人の仲間とともに、事業用に改造予定のヨット「海の魔女号」で太西洋上を航行していたが、不測の嵐に遭遇。さらに「メリー・ディア号」の船名を刻む老朽化した大型貨物船と衝突しそうになる。メリー・ディア号に何か不審なものを感じたサンズは同船の甲板に上がるが、そこにはほとんど人の気配はなく、ただ一人だけ姿を現したすさんだ風体の中年男がサンズを語気荒く追い返した。だがヨットに戻ったサンズは嵐の海に転落。そのまま仲間ともヨットともはぐれてしまい、なりゆきから先のメリー・ディア号の男に救われた。男は船長のパッチだと自己紹介するが、船から乗員たちが降りた仔細は語ろうとしない。だがなおも嵐は続き、当面を生き延びるためサンズとパッチは死力を尽くして協力し、ただ二人だけでメリー・ディア号の操舵と航行を図るが。 1956年の英国作品。結論から言うと、これまで読んだイネス作品の中では個人的にベスト3クラスに面白い(あとの二作は『キャンベル渓谷』と『北海の星』あたり)。 小説パートによっては会話もほぼ皆無で、延々と克明な自然描写が継続。早川NV文庫の総ページ数360ページはちょっとしたボリュームだが、嵐の中で半ば呉越同舟(のような状態)となりながら生き延びるために協力する主人公2人。そんな物語前半の海洋冒険ドラマの迫力は、正に巻を措く能わず。 そして小説は中盤から大きく流れを転換。主人公サンズに同化した読者の視点から見ても、絶対の危機のなかで死線をともにし、背中を預けあったもうひとりの主人公パッチが絶対に悪人でないのは明白なのだが、それではなぜ彼は当夜の不可解な状況について消極的に口をつぐんでいるのか? 一体、この船にどんな秘密があるのか? その謎に迫りながら、本作の海洋冒険行は第二幕へと移行する。 後半では悪人との追跡・逃走模様などで緊張を目いっぱい煽りながら、銃器や刃物などの無粋な凶器アイテムの類を最後まで登場させないイネス。海洋冒険ドラマの盛り上げは、あくまで自然と人間の相克を軸にするのだという主張がギンギンで、そのストイックさには感銘の域を通り越して唖然としてしまう。 主人公たちを(中略)にきた悪役の行動も、冷静に(?)見れば「んー?」という感じの部分もあるのだが、たぶん作中の当人にしてみれば真剣な行動。当該の悪役の印象的な挙動もまた、イネスの狙うポイントだったのだろうなあ、と思わせる。クライマックスのとあるビジュアルイメージは、長らく忘れられそうにない。 メロドラマの演出もしっとりと味わい深く、骨太な海洋冒険ドラマと同時に、どこか大人のおとぎ話を読んだような独特な感覚も受ける。これはホメ言葉。 やっぱりイネスすごい。 |
No.813 | 7点 | 世界ショートショート傑作選1 アンソロジー(国内編集者) |
(2020/04/19 20:00登録) (ネタバレなし) 1978~1980年にかけて、講談社文庫から刊行された全三巻の翻訳ショート・ショートのアンソロジー。 ミステリマガジン編集長を退陣して光文社の「EQ」(1978年創刊)の顧問についたばかりの各務三郎の編集による。 大昔に購入したような気もするが、一年ほど前に出先のブックオフ1巻のみ100円均一の棚で購入したので、ずっとちびちび読んでいた。 この1巻は1978年11月15日の初版。 1巻を(あらためて)読む限り、全44編を収録した内容はクライム&ミステリ、怪奇&幻想、コントの三部で構成。ほとんどの作品が日本語版EQMM、ミステリマガジン、旧「奇想天外」のどこかで読んだ覚えがある。たぶん本書のための新訳は一本もない? ミステリマガジンオールタイム(日本版EQMM時代ふくむ)の中でも、第四代目編集長・太田博(つまり各務三郎)の時期がいちばん独特の個性と充実感があったという世代人は多い? が、その時期によく掲載されたショートショートの名作群も、たとえばニールの『風のなかのジェレミイ』あたりを筆頭に多数すくい上げられ、読み応えでは申し分ない(ここに入ってない当時の気になる作品は、たぶん2~3巻に入ってるのだろう)。 とはいえ読んでいくと、始終頭をよぎるのは、古書店で買い集めたミステリマガジンのバックナンバーや、旧「奇想天外」の誌上で初読時にふれたそれぞれに印象的な挿し絵のイメージ。 原体験世代としてはこれらのショートショートの名作群も、それぞれの挿し絵イラストとセットになってこそのマスターピースだったんだよなあ、という贅沢な思いも拭えなかったりする。いやまあ無いものねだりは百も承知ですが(笑)。 でもってこういうジジイの鬱屈がどこに向かうのかって? そりゃもう、現行のダメダメな、21世紀のミステリマガジンへの憤懣以外にないでしょう(苦笑・怒・涙)。まあいろんな事情は見えるんだけどね。 |
No.812 | 7点 | 詐欺師の饗宴 笠原卓 |
(2020/04/18 21:22登録) (ネタバレなし) その年の12月。横浜市内の新興企業「上州機工」の経営陣が突如、行方をくらます。その直後に判明したのは取引先の企業64社を欺き、上州機工の一般社員たちを踏みつけにした大規模な計画詐欺で、被害総額は8億7千万円にも及んだ。やがて18年の歳月が経過。渋谷の小さな事務所「江守経済研究所」の所長・江守欽司は、さる事情から今も上州機工の関係者を探し続けていた。だがある日、若いストリッパーの星川ユミが上州機工に関する情報を携えて接触をはかってくるが。 改題された創元文庫版で読了。元版は1977年の『闇からの遺産』。 18年前の上州機工の事件を前章に、物語の前半ではさらにまた新たな詐欺犯罪が、犯行に関わる側からの視点を主体にコン・ゲーム風に語られる。え? これがパズラー? と軽く違和感。 とはいえ(この時期の創元文庫らしく)背表紙にはミスタークェスチョンマークがあるし、目次にもそれっぽいワードがあるしな……と思って読んでいると、中盤で不可解な(広義の)密室殺人が発生。その状況も丁寧に説明されて、いっきにパズラーに転調する(詐欺犯罪の要素も引き続き語られるが)。本サイトのnukkamさんがよくおっしゃる「ジャンルミックス型」のパズラーですな。 それでストーリーの後半で繰り出される持ち技の豊富さは、まあ想定内だったけれど、フーダニットの真相についてはなかなか小気味よいものを感じた。まあ分かってしまう人は分かってしまうかもしれないが。 しかし密室トリックはなかなか楽しかった一方、偽装工作に手間暇かけるコストパフォーマンス的にこの行為、作中の犯人の立場からして引き合うの? という感じ。だっていきなり警察の鑑識で(中略)ってバレてるよね? この辺のすわりの悪さとその反面の妙な愛嬌は、いかにもこの時代(70年代)の一部の謎解き作品っぽい。 なお某メインキャラの、混迷していく事態からつねに一歩引いたようなポジションには結構ムカムカしたけれど、最後の最後で(中略)。これって<あの英国作品>だったのだな。あそこまでのサプライズとカタルシスまでには及ばないものの、けっこう近いものを感じた。 文章が全体的にサバサバしすぎているのはちょっと好みじゃないけれど、力作なのは間違いないね。 |
No.811 | 7点 | 危険なやつは片づけろ ハドリー・チェイス |
(2020/04/18 19:40登録) (ネタバレなし) 「わたし」こと、雑誌「犯罪実話」のライター、チェット・スレードンが、編集長のエドウィン・ファイエットから受けた指示。それは14ヶ月前にウェルデン市のナイトクラブ「フロリアン」から行方不明になった23歳の美人ダンサー、フェイ・ベンスンの失踪事件を洗い直せというものだった。早速、相棒のライター、バーニー・ロウとともに現地に向かうスレードンだが、二人は事件に関係するらしい複数の人物の変死を確認。さらにスレードンたちが出会った何か情報を秘めていそうな人物までが口封じされる。そして危険な魔手は、スレードンたち自身にも迫ってきた。 1954年の英国作品。骨っぽいノワールから、窮地に立たされた主人公の矜持を見せつけるキャラクタードラマ、小粋なクライムサスペンスまで、似たようで実は幅広い主題を器用にこなすチェイスだが、本作では完全に通俗B級ハードボイルド(今回はかなり乱暴にこの言葉を使ってるが)の世界を、実に職人的な熟練の手際で仕上げている。 おおざっぱに分類すれば、発覚していない悪事とその黒幕を暴けば記事(金)になるし、正義のためにも貢献できると決め込んだ文筆家が、悪徳の町(スモールタウン)へ乗り込んでいく王道パターンだが、主人公コンビの所属雑誌「犯罪実話」が意外によく読まれていて、捜査(取材)先の事件関係者や物語前半の舞台であるウェルデン市の警官たちにも通りがいいのが、なんか笑える。おかげで物語の前半は実は、そんなに危ないスモールタウンという感じはしない(物騒な殺し屋は向こうから寄ってくるが)。 おかげでこの手の作品としては、意外なほどにマジメでマトモな警官たちが味方についてくれて、物語の半ばには悪党を迎え撃つ正義のチーム的な布陣になるのがちょっと驚いた。 だが悪事の本陣は実はもうひとつのスモールタウン、タンバ・シティであり、そこは正に、ほぼ完全にギャングと悪徳警官が結託する場。所轄の事情からウェルデン市のマトモな警官たちも表立った支援はできず、ストーリーの後半では単身敵地に乗り込んでいく主人公スレードンがゲリラ的な奮闘を強いられるという二段構えの構成もよくできている。ストーリーが、ホップ・ステップする躍動感が半端じゃない。 美人ダンサー失踪事件の背後に何があるのかというミステリ的な興味の真相も、なかなか手の込んだもので(評者は別の可能性を考えたがハズれた)、ラストの微妙にノワールっぽい落としどころも気が利いて洒落た味わい。 お腹いっぱいでこの手のものはしばらく読まなくていいやという思いと、面白いのでもうちょっとこーゆーものを読みたいという欲求、二律背反の気分がせめぎあっている。たぶん、それだけ良かったということであろう(笑)。 |
No.810 | 6点 | ローラ殺人事件 ヴェラ・キャスパリ |
(2020/04/17 02:59登録) (ネタバレなし) 1941年8月のニューヨーク。「私」こと52歳の巨匠評論家ワルドー・リデッカーの手記から、物語は開幕する。手記の中には、ワルドーが7~8年前からその才能を認めて後見してきた広告業界の才媛で、先日何者かによって殺害された女性ローラ・ハントについての出会いから今日までが語られていた。NY警察本部の若手捜査部長マーク・マックファーソンは、ローラの叔母スーザン(スー)・トレドウェル夫人や、ローラの婚約者で同僚でもあるシェルビー・ジョン・カーペンター、そしてくだんのワルドーにも接触。ローラ周辺の情報を集めていくが、やがて事件はあまりにも劇的な展開を見せた! 1942年のアメリカ作品。著者のヴェラ・キャスパリは処女作の本作以前から、シナリオライターとして活躍。ミステリ映画の脚本なども、ものにしていたようである。 本編は全部で長短五つのパートに分かれ、最初の章が前述のワルドーの手記、次の章が二人目の「私」となった青年刑事マックファーソンの視点から語られる、そして……と、順々に話者や記録の形式が交代・変遷する構成。 こんな流れの途中で、相当のサプライズが用意されている。 それがどんなショックかは、先にレビューをされたお二人に倣って評者も絶対に具体的には書かないが、実は自分の場合は少年時代に読んだミステリマガジンのバックナンバーで目にした某記事で教えられてしまっていた(涙)。とはいえよくあることだけど、本作に際しては自分の場合、そのネタバレを聞いて「え、なにそれ、面白そう!」とむしろ興味を煽られたんだけど(笑・まあ中盤の仕掛けだしね)。 しかし、そのショッキングな中盤の山場を経た後半のストーリーが、古い翻訳の読みにくさもあって本当にタイクツ……。 それでもなんとか最後まで読むと、実はなかなかトリッキィな作品だと思い知らされて(たぶん誰も指摘していないだろうけど、海外の某パズラー系の巨匠作家の代表作のひとつに影響を与えたんじゃないか?)、そのギミックと渾然一体になった人の心の機微というか、文芸味にもしみじみとさせられる。 最後で明かされる(中略)の鮮烈さ、ソレに対しては絶対に共感も納得もしてもいけないけれど、しかし深いところでの理解はできる、という感じだ。 個人的には、文芸性の濃い(ただしその分、通常のパズラーとは少し軸足の違う)一種のフーダニットとして読んでもいいんじゃないかと思う一作。 繰り返すけれど翻訳の読みにくさ、古さの点でフツーに楽しむにはちょっとキツかったけれど、中身そのものはなかなか出来のよい作品だと思う。 キャスパリはまだあと二冊、近年に翻訳が出ているので、そっちもおいおい読んでみよう。 |
No.809 | 6点 | 僕は君を殺せない 長谷川夕 |
(2020/04/16 05:31登録) (ネタバレなし) 表題作は、そこにある挿話を、構成上の幻惑で実際以上に印象的に語るという意味で、夢野久作の『瓶詰地獄』を思い出した(もちろんその構成そのものの舵の切り方などは、まるで違うが)。 ちなみに名探偵ジャパンさんのおっしゃる、作者の恣意的な手法「わざと解像度の低い画像を見せていて、いざというときになってから解像度を上げて」いる、についてはまったくその通りだと思うが、個人的にはこの作品の場合、それもまたひとつの技巧でよいのでは、という観測(あくまで個人の所感ですが)。 ただし送り手の狙おうとした効果の程には、まだまだ伸びしろがあったろうなという感慨も抱くので、そこらへんはちょっと減点。 しかし表題作に触れて頭の中に夢野の名前が浮かんできたせいか、後半の『Aさん』も『春の遺書』も、どちらもなんか、戦前の博文館系列の「探偵小説」の発掘作品、その浪漫系の短編を読んでいるような味わいであった。作中の風俗などを昭和初期のものに書き改められて、たとえば渡辺兄弟(啓助&温)あたりが一時期こういうものを著していたんだよ、と、年長のミステリマニアに何食わぬ顔でしれっとからかわれたら、半ば信じてしまいそうな感触もある(笑・汗)。 そういう意味では、いまの時代で、逆に新鮮な作風でもあった。 ジャケットカバー裏表紙の大仰な物言いは、確かに過大広告だろうけど、そんなに悪くはないです。 評点は0.5点くらいオマケして。 |
No.808 | 6点 | 嘲笑う闇夜 ビル・プロンジーニ |
(2020/04/16 03:13登録) (ネタバレなし) ニューヨーク州の一角にある田舎町ブラッドストーンで、謎の殺人鬼が幅広い年齢の女性たちを襲う。「切り裂き魔」とマスコミに命名された殺人鬼はすでに3人の女性を切り刻み、その遺体に小さなダイヤ型の傷痕マークを記していた。27歳の女性で同地の出身である雑誌の特派員ライター、ヴァレリー・ブルームは、取材のために10年ぶりに故郷に帰還。だがヴァレリーに同行した、アマチュア犯罪研究家の精神科医師ジェイムズ・フェラーラは「<切り裂き魔>は潜在的・発作的な二重人格者で、平時は当人も自分が殺人鬼であることを全く自覚していない可能性がある」と主張した。やがてブラッドスートンの町に、新たな死の気配が。 1976年のアメリカ作品。名無しの探偵オプものを初期三部作で小休止させた時期のプロンジーニが発刊した、小説家志望の若手バリー・N・マルツバーグと組んでものにする合作路線の第一弾。 わかりやすい構成と多視点描写を活用し、日本語の文庫版で480ページ以上をほぼ一気に読ませてしまう。このスピード感はまずは結構。 さらに作中の登場人物の大半が殺人鬼「切り裂き魔」である可能性も早々と語られ、つまりこの嫌疑を受けないのは、リアルタイムで殺害シーンが描かれる被害者キャラのみ……? ということになってしまう。この趣向そのものは、なかなかパワフルで好ましい。 とはいえ終盤の荒っぽい仕上げは、まあ……B級のトリッキィスリラーとしてはこんなものかしらね(苦笑)という感じ。 ちょっとよく読むと、さりげなく「え?」というところもあるのだが、そこら辺も仕掛けだけしておいて、あったほうがいい演出をサボった印象である。 決して完成度の高い、あるいはよくできた作品とは思わないけれど、一方で読まないで放っておくと気になるよね、こーゆーの。その意味ではある種の成功した作品といえるかも。 (ただやっぱり最後まで読んで、その上で……ムニャムニャ。) |
No.807 | 7点 | 恋霊館事件 谺健二 |
(2020/04/16 02:41登録) (ネタバレなし) 作者の第三冊目の著作で、全六編の連作を所収した、書き下ろしの中短編集。 阪神淡路大震災の被災を主題にした処女作『未明の悪夢』の主人公コンビ、占い師の雪御所圭子と私立探偵・有希真一を主人公にしたシリーズの第二弾でもあり、前作は長編だったが今回は連作中短編集の仕様で語られる。 震災当日の1995年1月17日から5年後の2000年までに、被災地で起きた数々の、時には怪怪奇現象とさえ思われる不可思議な事件(密室殺人から、夜間の幽霊の出没、路上ののっぺらぼうや、電車内の異形の怪物の出現、複数の目撃者の眼前での不可解な殺人……そのほか)が続々と綴られる。なお表題作『恋霊(こりょう)館事件』では『神の灯』ライクの館の消失が大きな謎のひとつになっている(同編のパズラー的な趣向は、そればかりではないが)。 全体的に「幻影城」新人時代の泡坂・連城などのトリッキィさを想起させる、中短編謎解きミステリの興趣だが(それは各編がパワフルな反面、どこかやや荒っぽい側面も含めて)、作者が本シリーズのなかでミステリの面白さと同時にしっかり伝えたい「震災後の人々の人間模様」も入念に叙述される。 特に、連作を読み進むなかで大半の読者が実感していくはずの、主人公コンビ・圭子と有希の立ち位置の変遷は、あえてシリーズの二冊目を長編でなく書き下ろしの連作短編集で出した作者の思惑に沿ったものだろう。いくつもの事件が積み重なっていく1995年から2000年の歳月の事件簿のなかで、この二人の内面や社会的な足場がどのように移ろっていくのかは、確実に本書が擁する大きなテーマだ。 現実の被災の悲劇を主題にしつつ、そこに連作ミステリとしての形質をくみあわせて、メッセージ性と同時に謎解きパズラーの魅力を十全に感じさせる一冊。一部のエピソードでは登場人物の少なさや伏線の丁寧さから先読みできてしまうものもなくはないが、得点的には十分に水準以上の秀作が大半だろう(ちなみに第一話の時点でちょっと思うところがあるかもしれないが、そのまま黙って第二話以降に読み進んでほしい)。 本シリーズは第三冊以降もさらなる展開を見せるらしく、一部の評価も高いようなので、そのうち読むのを楽しみにしている。 |
No.806 | 5点 | 罠 アンドリュウ・ガーヴ |
(2020/04/15 04:17登録) (ネタバレなし~途中まで) 1963年11月のある日曜日の夜。ロンドン近隣の町ラドレッドで、65歳の画家ジョン・エドワード・ラムズデンが何者かに絞殺される。38歳の家政婦ケイシー・ボウエン未亡人の通報で警察が到着。やがてスコットランドヤードの主任警部チャールズ・ブレアと部長刑事ハリー・ドーソンが捜査を進めるなか、殺されたラムズデンが画家としては才能もなく稼ぎも乏しかったが、死別した妻の遺産をかなりの額、相続していた事実が明らかになる。さらにラムズデンはケイシーと再婚の予定だったこと、また甥の青年マイケル・ランスリーと、友人で画商のジョージ・オトウェイにそれぞれ万が一の場合、遺産を半分ずつ遺すつもりらしかったことも確認された。ブレア警部たちは複数の容疑者の動機と機会を洗っていくが、嫌疑の濃い者のなかにはどうしても崩せないアリバイがあった……!? 1964年の英国作品。 ガーヴらしい冒険小説、もしくはスリラー要素は皆無。サスペンス性も希薄なガチガチのパズラー(ただしライト級)で、クライマックスまではフーダニットの興味でひっぱり、最後の最後では嫌疑が固まった被疑者のアリバイ崩しものになる。 【以下、もしかしたらネタバレ~なるべく気をつけて書くけれど~】 本作は前述のとおり、かなりストレートな謎解き捜査&アリバイ崩しもの。 だが肝心のトリックが、藤原宰太郎の著作(「世界の名探偵50人」など)で、そこだけ抜粋して紹介されてかなり有名でもある。さらにこのトリックは日本でも一時期かなり話題になったようで「はたして本トリックは現実に実行可能なのか」と実験(テスト)を試みた推理文壇関係者もいたという記事を、別の場で読んだ覚えもある。 本書『罠』を未読で、今後読むかもしれないor内容に関心がある人は、藤原センセのその手の著作を中心に、しっかり警戒することをオススメする。 かたや評者なんかは中学~高校の少年時代からそんなネタバレの災禍に晒されていたため、もはや読む気もあまり湧かないなあ……という恒常的な気分だったが、そろそろまあ……くらいの心根で、このたび実作を手にとってみた。 結局、やはり、トリックを先に知っていると真犯人は一瞬でわかってしまい、その辺をさっぴくとあまり賞味部分もない、全体的に痩せた作品。 とはいえ素で読むと、最後までそのトリック=ハウダニットの興味に絞り込んでいく後半の盛り上げ方はけっこううまいんじゃないの? という思いも生じたりした。 だからこれはもう本当に、まずは白紙の状態で手に取り、どうやって犯行したんだろうとハラハラし、そして最後に作者が用意したトリックを教えられ、「え、そんなことホントにできるの!?」と驚き感心する(いや、ムリだろとツッコんでもいいが)のが正しい読み方の作品なのだった。 それでもって、あたりまえだけど、トリックをネタバラシしたのは藤原宰太郎(あるいはその同類のヒト)であって作者じゃないのだから、ガーヴにまったく罪はない。 むしろとにもかくにも、よくもまあこんな印象的(確かに!)なトリックを創造し、盛り上げた演出で読ませてくれたと本作を書いたガーヴをホメるべき……なんだけど、そんな一方で、トリックしか価値がないような一発ネタ作品を「あの」ガーヴが書いたってのもなあ……という思いもある(笑)。 (だってガーヴのサプライズ作品っていったら、ほかにもアレとかアレとかあるけど、その辺は決して、そのサプライズやトリックオンリーの作品じゃないものね?) そういうわけでいささか評価に困る作品。とにもかくにもまだ読んでない、トリックを知らない方はさっさと読むことをオススメする。くれぐれも藤原センセのその手の本とかは、警戒するように。 (とはいえ、個人的には往年の「藤原本」を100%否定はしないけれどね。「世界の名探偵50人」がもしもこの世になかったら、絶対に今のミステリファンの自分は存在していないと、胸を張っていえるので~笑&汗~。) 【追記】 登場人物のひとりに、家政婦ケイシー未亡人の姉で、エイリーン・マーチャントという主婦が出てくるが、この人は巻頭の登場人物一覧では「妹」と記載されている。当然原文では単にsister表記だから、姉にするか妹にするかは翻訳上の判断であったのだろう。 それで、本文を読むとケイシーは15年前に夫と死別した未亡人とあり、なんとなく年季のある女性っぽいので、たぶん当初はケイシーの方を日本語で姉設定にしたのだろうが、しかしさらに読み進めていくと今度はエイリーンの方が大家族で子だくさんという作中の情報が判明してくる。それで最終的には、本文内でエイリーンの方を姉設定にしたのだと思う。 以上のような流れで、混乱の事情はなんとなく見えてくるような気もしないでもないが、この辺はきちんと早川の編集の方で、整備しておいてほしかったところ。万が一、再版や文庫化の機会でもあったら、統一しておいてください。 |
No.805 | 6点 | 人蟻 高木彬光 |
(2020/04/14 20:18登録) (ネタバレなし) 記憶の中にある『誘拐』『破戒裁判』の二大傑作に比すると、百谷泉一郎の若々しい言動がかなり新鮮であった。 かたや明子のいい女っぷりは初弾の本作から全開で、たぶん当時の高木彬光の目標は<アメリカのよくできた夫婦探偵ものの再現>だったのだろうと勝手に想像している(明子の「メイスン」シリーズファンだという発言は、本作を法曹界ものというより、まずはそっちの<おしどりコンビもの>のラインで、という作者の意志表示だろうね)。 ストーリーの前半は文句なしに面白いが、途中で敵側の設定が見えてからは話がとっちらかってきた。過去の事件の実態なども、キーパーソンのキャラクターを見せるためにあれこれ都合よく調整された感じ。「シャーロック・ホームズ」の正体も、途中で仮想される人物の方がロマンがあった。 今後のシリーズを築き上げていく前の助走的な感触だが、断片的には得点要素も少なくない。ページが残り少なくなっていく中、最終的にどのジャンルに着地するかという読み手の興味を煽る感覚は、この作品ならではの趣だったし。 |
No.804 | 8点 | 血染めのエッグ・コージイ事件 ジェームズ・アンダースン |
(2020/04/14 03:35登録) (ネタバレなし) 想像を上回る傑作! クライマックスの謎解きでは、(中略)の意外性で顎が外れる快感を、久しぶりにたっぷり味わった。 かたや事件の真相が明かされるなかで比較的早めに明かされるトリック(いちばんでかい方ではない)は、国内の某名作の<あの名シーン>を思い出した。 殺人が起きるまでがけっこう長く、凡庸な作家が書いていたら確実に欠伸が出まくるところだが、多様な登場人物の描き分けの上手さと程良いギャグのスパイスで、まったく退屈しない。扶桑社版で500ページ以上の長さだが、実質一日で読み終えた。 こちらの勘違いでなければ、宇野利泰の翻訳って結構毀誉褒貶あったと思うのだが(誤認でしたらすみません)、少なくとも本書においては全体の読みやすさ、そしてあるポイントにおいて、舌を巻く見事さである。さすが超Aクラスのベテラン! 笑わせ方が全体的にやや田舎っぽいが、それもまた味(ウィルキンズ警部の警棒のエピソードとか、昭和のマンガ的な天然さで愉快であった)。 後半でのある人物たちのトッポい描写などは、赤川次郎の快作『女社長に乾杯!』のラスト(大好きなのだ)までも想起させた。 ウィルキンズ警部シリーズの二作目もいずれ読むだろうけれど、そっちを読了するまでには、未訳の三作目もぜひとも翻訳してほしい。 ホックの「コンピューター検察局」、デアンドリアのニッコロウ・ベイネデイッティ教授もの、ウィリアム・モールのキャソン・デューカーもの、ニコラス・メイヤーのホームズパスティーシュ……に続いて <「二冊目で翻訳とめないで、あともうひと声、最後の一冊を出せや!」と言いたいシリーズ> がまた増えた。こんなのが数を増しても、あんまり嬉しくないが。 (英語Wikipediaによると、作者アンダースンは、くだんのシリーズ3作目を上梓したのち、2007年に亡くなったらしい。残念。) |
No.803 | 6点 | 吸血鬼に手を出すな スチュアート・カミンスキー |
(2020/04/13 17:16登録) (ネタバレなし) 日本軍の真珠湾攻撃の衝撃に全米が揺れる、1942年1月のロサンジェルス。「俺」こと私立探偵トビー・ピーターズは、ボリス・カーロフの仲介でベラ・ルゴシの依頼を受ける。すでに60歳代の老境に至り、十八番の吸血鬼役を演じる機会も少なくなっていたルゴシだが、それでも吸血鬼ファンの間ではカルト的な支持を集めていた。だがそんなルゴシのもとに蝙蝠の死体が送られ、何者からか嫌がらせを受けているという。ピーターズは、早速、現在のルゴシの周辺の人物に探りを入れるが、そんな矢先、弁護士を通じて、殺人容疑をかけられたウィリアム・フォークナーの潔白を晴らしてほしいとの新たな依頼が入ってきた。 1980年のアメリカ作品。往年のハリウッド周辺を舞台に、実在のビッグネームの映画関係者と関わり合う私立探偵トビー・ピーターズもののシリーズ第五作。 先輩格のエド・ヌーンやらシェル・スコットたち1950年代B級ハードボイルドの伝統を、もっとも色濃く1970年代後半~80年代以降に継承した感のある本シリーズだが、今回は正にそんな雰囲気で一冊仕上げられている(ただしお色気やヒロインとのいちゃつきシーンの類は、ほぼ皆無)。 ちなみに本作は、事件(主にフォークナーの方)の流れの上で物語に関わってくる警官たち=ピーターズの実兄で、愚直かつ冷徹な法の番人であるフィリップ(フィル)・ベウズナー警部、フィルを尊敬する一方でなんとなくピーターズとも仲のいいスティーヴ・セイドマン警部補、さらにヴェニスから転属してきたプライドの高い新米刑事ジョン・コーウェルティなどもそれぞれキャラクター性豊かに描かれ、私立探偵小説のなかでの警官キャラの扱いについてひとつの良いお手本のような感じであった。終盤、そんななかの某キャラに向けたピーターズからの、揶揄するような、あるいは労るようなとある一言も心に響く。 一方で2つの事件の方もハイテンポに語られ、当然ながらストーリーの比重はフォークナーのからむ殺人事件の方に次第に傾いていくが、物語の半ばで明かされる奇妙な射殺トリックなどちょっと印象的(そんなにうまく行くのかという気もしないでもないが)。 最終的には意外に事件の裾野が広がらなかった感じもままあるが、まあその辺はぎりぎり合格ラインか。 メインゲストのルゴシもフォークナーも実にカッコイイ。 ルゴシは穏やかに言った。 「きみも私も吸血鬼ではないよ。われわれは単に夢を持った男たちというだけで、その夢は実現しない。その事実に耐えて生きていかなくてはいけないのだ」 |
No.802 | 5点 | 髑髏島殺人事件 都筑道夫 |
(2020/04/13 03:27登録) (ネタバレなし) 中央線沿線の多摩由良駅西口にあるマンション「メゾン多摩由良」。そこの主任警備員の娘・滝沢紅子(通称コーコ)は、元学友の男女3人と結成する「今谷(いまだに)少年探偵団」、そしてプロの推理小説作家・浜荻たちとともに、これまで何回もアマチュア探偵として事件を解決してきた。そんな紅子の自宅の中に、ある日、見も知らぬ男の死体が転がっている。しかし警察に通報して戻ると、死体の傍にあったはずの新刊ミステリ『髑髏島殺人事件』がなくなっていた? 紅子たちは、少し前にメゾン多摩由良に転居してきた新鋭推理作家で『髑髏島殺人事件』の作者でもある風折圭一に接触。一方で死体が遺した? ダイイング・メッセージの謎に迫る。だがそんな一同の周囲でさらなる事件が……。 当時の都筑道夫が15年ぶりに書き下ろした作品で「退職刑事シリーズ」と世界観を共有する(紅子は退職刑事の実の娘)滝沢紅子シリーズの長編第一弾。ちなみに作者の著作(書籍)としては初めて「殺人事件」の四文字が入った一冊だそうである。 かねてから読みたいと思いながらいつものように本が見つからず、昨晩、蔵書の山をひっかきまわしたらようやく出てきた(笑・汗)。 ちなみにいかにもクロ-ズドサークルの絶海の孤島ものっぽいタイトルだが、事件は都内の大都会で全編が進行。タイトルは作中に登場する架空のミステリ作品の書名だ。キーティングの『パーフェクト殺人』と同方向の趣向(?)だが、なぜかこっちはあまり面白い感じがしない。作者はウケると思っていたのであろうか? ダイイング・メッセージへの執着そのものは悪くないけれど、例によってツヅキ流のルサンチマンいっぱいのトリヴィアを迂回するので推理の余地はあまりなく、最後の真相もああ、そんなものですか、であった。しかし三人目の被害者の叙述は、客観的な情報が読者目線で与えられない上、紅子たち自身の捜査も限りなくテキトーで、いいのか、これ? という思い。犯人の正体も犯罪の実態もなんだかなあ……という感じである。 よかったのは、紅子の仲間でミステリ翻訳家の「タミィ」こと平岡民雄がマイケル・アヴァロンのエド・ヌーンシリーズを翻訳中だという描写。もちろんこの作品のなかだけでの話題で、1980年代の後半にエド・ヌーンものを翻訳刊行してくれる出版社と翻訳家がもし現実にあったら&いたら、オレは出版された本を家の神棚に置いて、一週間は拝むだろう(笑・涙)。 「いい夢を見せてもらったぜ……」と、トッド・ギネス風に言って、この感想はおしまい(笑)。 |
No.801 | 7点 | あなたに不利な証拠として ローリー・リン・ドラモンド |
(2020/04/13 02:44登録) (ネタバレなし) 10~十数年くらい前、評者のミステリ全般への興味が一時期消極的だった頃に、ブックオフの100円均一の中から拾ってきたポケミス版(かなり売れた本だけに古書の流通も旺盛だったのであろう)。 その当時でもさすがに、これが刊行年次の「このミス1位」だというくらいは知っていた。お得な買い物をしたかなと思う一方、パラパラとなんとなくめくって「今はこんなのが評価されているのか」とだけ所感。そのまま家の中のどっかにいっていた。 それで現在、雑食系ミステリファンとして目いっぱいの自覚のなか、改めてたまたま出てきた本書を通読したが、うん、確かに独特のオーラを感じる連作短編集であった。 なんというか、星の数ほどいるミステリ作家のなかにはウォンボーとか実際に警察官の経歴がある作家も散在。そういう連中の筆が踊った時には、実体験に支えられたリアルな筆致がいいようのない迫力を感じさせるが、これはそのなかでも婦警という主題に特化したこともあり、すごく鮮烈な感銘を受けた(つきつめていけば個々のドラマの主題は、それぞれかなり普遍的でよく見知ったものに回帰するような感覚もあるが)。 個人的にはやはり最後のサラ編の二つがベスト(最初の方が彼女のドラマの正編で、次の話がその正編と裏表になって結晶化する後日譚という趣)なんだけど、そこに行くまでのほかの4人のヒロインの連作、諸作も<生半可な読み方のは許さないよ>的な気概を感じさせ、確固たる物語の集落をきずきあげていく。 これまでの人生で読んだ広義のミステリの短編群でいえば……、ハル・エルスン(Hal Ellson/ハーラン・エリスンじゃないよ) の非行少年もの、あの婦警版とでもいう味わい……そう言ってよいような、まだ微妙に違うような? ちなみに訳者あとがきに書かれている作者の第二作の長編って、翻訳されないんですかね? 日本語になったら読んでみたいとは思う。たぶんかなり疲れるだろうけど。 |
No.800 | 8点 | 二輪馬車の秘密 ファーガス・ヒューム |
(2020/04/13 02:02登録) (ネタバレなし) 19世紀末のオーストラリアのメルボルン。その年の7月28日の夜、辻馬車である二輪馬車の馭者マルコム・ロイストンは、通りすがりの男に介抱された酔漢を乗客とする。だが同乗の男が先に降りたのち、あとには薬物で殺害された身許不明の酔漢の死体が残されていた。野心家の探偵サミュエル・コービイはこの事件に関心を抱き、帰らない下宿人オリヴァ・ホワイトに呼びかける新聞記事を手がかりに、謎の被害者の素性を見事に探知。さらにホワイトの関係者の証言から、牧場主の青年ブライアン・フィッツジェラルドが殺人容疑者だとつきとめる。しかし、逮捕されたブライアンの無実を信じる婚約者の令嬢マーガレット(マッジ)・フレトルビイは、ブライアンの友人でもある弁護士ダンカン・カルトンの協力を得て、恋人の潔白を明かそうとした。だが獄中のブライアンはなぜか、事件当夜のアリバイの開陳を言い淀む。埒があかないカルトンは、探偵コービィの長年のライバルであるメルボルンのもうひとりの名探偵キルシップを雇用。キルシップは、メルボルン中が賞賛する、敵対するコービィの主張<ブライアン真犯人説>を覆そうとするが。 1886年の英国作品で、当時50万部以上を売った大ベストセラー。 ターゲ・ラ・クール&ハラルド・モーゲンセンによる世界ミステリ史の研究文献「殺人読本」(1970年代にミステリマガジンに連載。ほんっとうに素晴らしい研究資料読み物だが、惜しくも書籍化されていない)の記述で、大英図書館は基本的に大半の蔵書を初版で収めるが、この作品『二輪馬車の秘密』に限ってはあまりの売れ行きのために初版を確保できず、十数刷めの版で妥協するしかなかったのだ、とかなんとか読んだ記憶がある。おお、聞くからになんか凄そう! まあ、売れればいいというものでもないけれど(笑)。 それで実際の現物を読んでみて(昨年、新訳も出たのだけど、今回は旧版の新潮文庫版で読了)、うん、これはいい。 もちろん19世紀のクラシック作品として、賞味するこちらの心持ちで下駄を履かせている部分もないではないが、不可解な事件の発生、独特のロジックで動く探偵の捜査といった前半がまず、すこぶる快調。キーパーソンである青年ブライアンが捕縛されてはおなじみのタイムサスペンスの興味に加え、なぜブライアンは沈黙を続けるかの、ある種のホワイダニットの謎が際立ってくる。さらに熱いプロ意識とプライドからライバル探偵コービィの功績を瓦解させようとする二人目の探偵キルシップが動き出す頃には、物語は白熱化の一途で、いやー、一世紀半もの歳月を経た旧作ながら、メチャクチャに面白いではないの! と血湧き肉躍る思い(笑)。 もしブライアンが真犯人でないのなら、本当の殺人者は誰かというフーダニット。そんな興味も物語後半まで堅守され、謎解きのプロセスはさすがに近代パズラーのようなロジカルな興趣に迫るものではないにせよ、意外な筋立てでゾクゾクさせる。 ストーリーの終盤は、物語の山場ギリギリまで大きく広げた風呂敷をたたんでいく収束感というか「ああ、ついに幕引きか……」的なさびしげな感慨もあるんだけど、その辺は読後の余韻にも転換されるので、まあよろしい。 ヒュームの作品は、この数年間でマトモに翻訳された3冊全部を読了。それぞれがなかなか~実に面白かった。百数十冊も著作があり、なかにはあえて21世紀に発掘する価値もない作品もたぶんあるんだろうけど、一方でまだまだ楽しめる作品が残っているんじゃないかとも思う。できたら数年に一冊ずつくらいは、しばらく発掘紹介してほしい。 |