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ミステリの祭典

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平均点:6.34点 書評数:2199件

プロフィール| 書評

No.1139 6点 暗い森の少女
ジョン・ソール
(2021/03/28 04:30登録)
(ネタバレなし)
 20世紀の半ば。米国のニューイングランド地方のポートアーベロの町。そこに屋敷を構えるコンジャー家は、一世紀以上の歴史を誇る土地の名家だった。だが屋敷と海岸の間には小規模な森があり、うっそうとした茂みにはコンジャー家の醜聞といえる惨劇の伝承がのこされていた。そして1年前に、コンジャー家の現当主ジャックの次女セーラが行方不明になっていた。そのセーラは外傷も性的暴行の痕跡もなく発見されたが、彼女の精神は半ば外界から閉ざされていた。そして今また、ポートアーベロでは一人の少女が姿を消して……。

 アメリカの1977年作品。
 キングやクーンツに次ぐ米国ホラー界の人気作家(F・P・ウィルソンあたりと同ランクか)で、日本でもそれなりの作品が翻訳紹介されているジョン・ソールの処女長編。同時にこれが日本に初めて翻訳された長編である。

 とはいっても実はたぶん、評者も読むのはこれが初めて。
 大昔に、作者の名前をジェリー・ソウル(50年代SFミステリ『時間溶解機』の作者……というより、評者にとっては東宝怪獣映画『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』の原案者)と半ば勘違いして本書を購入。
 初版の表紙ジャケットがキューピー人形みたいに可愛い女の子の不気味なアップというコワイものだったのでおぞけをふるい、そのままツンドクで何十年も放っておいた(汗)。ちなみに後年の新バージョンの表紙(森と少女を引きのロングカットで描いてある方)はすごく洒落てるね。こっちの表紙で出会いたかった気もする。

 それで21世紀の現在、その後、日本でもジョン・ソールが人気作家になったことぐらいはさすがに知っていたし、未読のタイトルのなかにはなんか面白そうなものもあるので、じゃあまずはコレから、とウン十年前に買ったNV文庫を読み出してみる。

 原書が刊行された当時のアメリカホラー小説界は、すでに完全にモダンホラーの時代に突入。科学視点の導入で怪異に切り込む手法なんかももう定着していたが、本作はあえて古色蒼然たる作劇で、当時の現代アメリカとスーパーナチュラルな要素を組み合わせている。
(恐怖の実態の正体は、ここではあえて書かない。まあプロローグ部分の第一章を経て、主幹部分の第二章へと読み進めば、すぐに分かるが。)

 感想としては実に胸糞が悪い話の反面、ストーリーに無駄もなく勢いがあるので止められない。もともとこういう話がイヤなら最初から読まなきゃいいのだから、ホラーとしては十分に成功しているといえる。

 ただまぁ面白かった、と一言で言い切るには、生理的に不快な作品で、こういうのを読むのはやはりタマにして、キングや澤村伊智みたいなアクションホラーの方をメインにしたい、とも思う。不愉快に思った人を責められないし、自分に年少の子供がいたら読ませたくない作品だ。『若草物語』でジョオの著作を見て顔をしかめたベア先生の気分がよくわかる(実は『若草~』は「小学六年生」の花村えい子のコミカライズ版~名作だと思う~しか読んでないが)。

 中身のイヤな描写にあんまり抵抗のない人なら評点は7~8点つけるだろう。
 まあ面白かった、のではあるが。


No.1138 7点 原色の蛾
西村寿行
(2021/03/27 05:22登録)
(ネタバレなし)
 昭和49~50年にかけて「問題小説」「小説宝石」の系列(本誌、別冊)に掲載された短編7本を収録した、文庫オリジナルの一冊。

 以下、簡単にメモ&寸評&感想。

「原色の蛾」
轢き逃げをした若い医者夫婦が、強迫者におびえて殺害するが……。若妻が脅迫されてNTRるイヤラしい描写など、もういきなり西村寿行らしさ爆発で、巻頭から楽しめる。蛾という昆虫の生態にからむ犯罪の露見は専門知識を黙って読むだけだが、語り口の鮮やかさは例によって素晴らしい。

「闇に描いた絵」
メインの動物はウサギコウモリ。若い不器用な女を主人公にしたゾクゾク感と、最後の意外性はなかなか鮮烈。

「黒い蛇」
トリッキィな趣向では本書の中でも上位に来る一編だが、欲深い中年主人公の行状が全体的に薄暗くもユーモラスな感触。以上の3作に、一応のシリーズキャラクターといえる警視庁捜査一課の初老刑事・徳田が登場。ほかの長短篇には出ていないのだろうか?

「高価な代償」
玉の輿に乗る娘を山中で二人組にレイプされ、その片方を射殺してしまった地裁判事。彼は社会的立場を考えて、さまざまな保身をはかるが……。ラストのどんでん返しが西村寿行版スレッサーという趣だ。

「毒の果実」
離婚の危機にある失業亭主とその若妻。そんな彼らの住むアパートの夜半に、丑ノ刻参りを思わせる釘の音が響き……。ストーリーの流れは面白かったが、これは作中のリアルとして弁明すればなにか抜け道がありそうな気もする。

「恐怖の影」
ドッペルゲンガーの幻覚におびえて故殺? をしてしまったと主張する容疑者。語り口の妙で読ませるが、良くも悪くもいちばんフツーの(以下略)。

「刑事」
若妻を大晦日~元旦にかけてレイプ、惨殺されて長い歳月をかけて真犯人を追う刑事の執念。本書のトリを務めるに相応しい力作で、後半に見えてくる根幹のアイデアというか文芸が強烈。事件の関係者=サブキャラとのからみの部分がちょっと(ハイテンションな短編~中編としては)ダレるかも。
 しかし最後の1ページのあの台詞は……寿行だよなあ……。

 以上、寿行は短編もイケると改めて確認させてくれる一冊。外出時のお供には最強の短編集でしょう。


No.1137 9点 ツイン・シティに死す
デイヴィッド・ハウスライト
(2021/03/27 04:43登録)
(ネタバレなし)
 1990年代の米国ミネソタ州。地元セント・ポール市警の敏腕刑事だったホランド・テイラーは、酔漢のひき逃げ犯人に妻子を殺された。家族を失って刑事稼業にも虚無感を抱いたテイラーは退職し、私立探偵となる。だが探偵業を始めて4年目のある日、逮捕されて投獄されて途中から矯正施設に入っていたひき逃げ犯ジョン・ブラウンが、仮釈放の直後に何者かに射殺された。テイラーにも嫌疑がかかるが、潔白を訴えて放免。先の展開もない興味と思いつつ、ブラウン殺害事件を調べ始める。だがその調査はブラウンが収容されていた矯正施設の関係筋を介して、次の仕事の依頼に繋がった。それは次期ミネソタ州知事の有力候補で、美人のキャロル・キャサリン(C・C)・モンローのスキャンダル映像にからむ脅迫事件だった。やがてテイラーの前に、予期しない新たな他殺死体が。

 1995年のアメリカ作品。

 本ばっかりの部屋の中で、いつ買ったか覚えていないポケミスの古書が見つかった(ブックオフの250円の値札がついていた)。
 それで帯に「MWA最優秀処女長編賞」「ハードボイルド新時代を予期させるニューカマー」とあるのに興味を引かれて、読んでみる。

 そうしたらこれがメチャクチャ面白い! 

 ポケミスの裏表紙には、主人公テイラーが取り組む<美人知事候補がつい過去に過ちで撮影したという、ハメ撮りビデオテープ>にからむ脅迫事件のあらすじが書かれているが、実はこの流れになるのは本文50~60ページを過ぎてから。
 そんな主幹の物語に行くまでに、主人公の妻子の仇である酔いどれドライバー殺人事件、さらにはテイラー当人が仕事で調べている最中のヤクザの賭場のイカサマ事件なども過不足のない紙幅で語られる。そしてそれらの並行する複数の事件の中身が、次第に奇妙な流れで重なりあっていく?

 たとえばチーム主人公シフトの警察小説なら、モジュラー方式の複数事件を捌くのはメインキャラに事件を分担させることで、基本はそんなに大変でもない。

 だが本作の場合は一人称のハードボイルド私立探偵の主人公が
①当人の昔日の悲劇に関わる案件
②物語の開幕当初から抱えていた事件
③新たに持ち込まれた事件(これが本作の中でのメインとなる)
(まだあるかも?)
……と、それぞれの事件への食いつき方を違えるという手法で、わかりやすく整理されている。
 その結果、ストーリーには自然な立体感と心地よい錯綜感の双方が発生。トータルとして、作品の全域にわたって結構な読み応えを感じさせている。

 くわえて細部のツイストというか意外性の小出しぶりも鮮やかで、さらに終盤に明らかになる事件の大きな真相(これは殺人事件に関するもの限らないが)がかなり強烈だ。

 ……なるほど処女作でこの腹応えと完成度だったら、MWA新人賞なんか軽くとれるだろ、という感じである。

 なお個人的にすごく好感がもてたのは、あいからわず「卑しい街」が立ち並ぶ1990年代のアメリカ社会のなかで、それでもその現実のなかで主人公テイラーがちゃんと彼なりにきっちりとモラルの線引きをしようとしていること。
 テイラーは、心の弱さやどうしようもない思いゆえに道を踏み外してしまい、のちにそのことを恥じるような人間には極力、寛容だ。しかしその一方、きれいだけじゃ生きられないと最初からうそぶきにかかるずるい手合には、すごく厳しい。
 このボーダーラインの使い分けがすごい印象的だ。これはクライマックスを経て、まったく別個に作中に配置された某メインキャラふたり、その双方の差分で改めて明確に読者の前につきつけられる。
 あと、わずか数ページのラストの締め方も、本っ当に……いい!

 でもって、この作者ハウスライト、結局日本にはこれ一作しか紹介されなかったようで、今にしてようやく「なんで!?」と声を大にして叫びたい気分(涙)。
 これはまあ、たぶんきっと、90年代半ば当時の本邦の翻訳ミステリ界は例によってスカダーやらスペンサーやらタナーやらが席巻して、とても「ニューカマー」の参入する余地がなかったんだろうねえ……。
(ちなみに本作では作中で主人公テイラーが、R・B・パーカー(の私立探偵=スペンサー)を揶揄する場面があり、新人作家が不敵な、しかしそういう生意気なことをするだけの実力はたしかにあるぞ、という感じなのだが、まさかこの辺からアメリカの出版エージェントそのほかから「こんな無礼なルーキーの本出すな」とかハヤカワに圧力がかかった……とかいうようなコトはないよな?)

 英語のWikipediaを見ると、作者は四半世紀を経た近年もまだ現役らしい。
 著作はすでに別のシリーズがメインになっているみたいだけど、この私立探偵テイラーシリーズも本作をふくめて5冊を計上。しかもその第三作までが20世紀のうちに書かれたのち、2018~2019年になってほぼ20年ぶりにシリーズが再開し、久々の第四、五作めが上梓されたようだ。どういう流れがあったのか、(現状ではたった一冊読んだだけながら)なんかすごく気になる。
 いずれにせよ個人的にはまったくノーマークだった分、かなり拾いもののウレシイ一作だった。文句なしに優秀作品で、オマケなしにこの評点。


No.1136 7点 カムイの剣
矢野徹
(2021/03/26 05:08登録)
(ネタバレなし)
 1702年。海賊王キャプテン・キッドが莫大な財産を世界のいずこかに隠しながら、処刑台の露と消えた。それから一世紀半以上の時を経て、下北半島の漁村にアイヌ人の血をひくらしい一人の男児の赤ん坊が漂着した。書き付けから「次郎佐」と命名された男子は、村の少女さゆりを姉とし、さゆりの母つゆを養母として二人の愛情を受けながら育つ。だが次郎が14歳になった時、何者かに母と姉が惨殺され、その冤罪が次郎に着せられた。仇を知るという謎の忍者僧・天海のもとで修行に励み、一人前の忍者になっていく次郎。だがやがて彼は、実は当の天海とその側近こそ母と姉を殺した真犯人だと知る。同時に自分自身に秘められた謎の財宝の秘密を追い求め、追撃の手をかわしながら逃亡の旅を始める次郎。だが彼の長い長い物語のなかでは、ここまではまだほんの序盤にすぎなかった。

 1985年の角川アニメ映画は当時、スタッフの布陣など気になりながら、今ひとつ作風に花が感じられないので観なかった。正直、先行の劇場アニメ版『幻魔大戦』も映像はともかく、ストーリー的には駄作だったし。このころには少しずつ角川映画全般の神通力? も失せてきていた。
(したがってアニメ版『カムイ』は今でもまだ未見。この映画のファンの人がいたら、すみません)。

 それでもこの頃に当時の角川文庫版で、原作を購入だけは購入(手元にあるのは1976年の3版)。以降これまでも、小説の方の評価は高そうなので、何回か読もうかと思いながら、本の厚さ(本分440ページ以上)に腰が引けるのを繰り返していた。
 そういう訳で今回は例によって、書庫で長らく眠っていた一冊の、一念発起での通読である。

 でまあ感想だが、うん、いろいろスゴイ作品……だとは思う。
 まず最初に書いておくが、Wikipediaで書誌を調べたところ、この作品は正編にあたる明治維新直前のタイミングまでの分が1970年に立風書房から元版書籍で刊行。これがそのまま75年に初版の 角川文庫版に収められた。
 その後、さらに文庫版で3冊分の続編(正編の後日譚となる明治維新以降編)が執筆され、後年にはその正続編で文庫本5冊というバージョンだの、さらなる改定版とかあるらしい。
 くだんの続編はいずれ読むかどうかわからないが、とりあえず今回はその最初の正編分(幕末編)のみ感想を綴る。
 
 角川文庫版の解説では星新一が「日本冒険小説のベスト5」に入る傑作と激賞。さらにAmazonの現行のレビューでも星5つばかりが5人ほど並んでいる高評価である。
 
 しかしながら個人的にはかなり印象を語りにくい作品で(汗)、なんとか言葉を探りながら思いを伝えるなら、作者の思いつくままに鼻面を引き回されていく違和感と、物語の裾野が無制限に広がっていく感覚が相半ば、という歯ごたえであった。

 いや『モンテ・クリスト伯』こそあらゆる物語のなかで至高とする作者が、自分なりに同ランクの伝奇冒険ロマンを綴ろうとした意向はほんっとうによくわかる。
 しかし一方で読んでいる最中には、物語がどこに向かうかのベクトル感がほとんど得られないことに、非常に不安定な足場を感じた。まあ、前述の解説で星新一も触れているように、全体を読み終えてみれば、話や物語の場があきれるほどにあちこちにとびながら、奇妙にバランスはとれている……感覚もあるのだが。
(あえてAmazonのレビューのなかから、近い感想のものを選ぶなら「ツッコミどころは満載だが、読ませる勢いに満ちていて、冒険小説はこれでいいのだと思う」という大意の見識に、もっともシンクロする。)

 重要アイテム「カムイの剣」の扱い、大敵・天海の処遇のほとんど反則技、あれやこれやの人間関係の相関……結局はこれらをストレスなく読めるかどうか、というところであろう。そこで評者は、致命的ではないものの、それなりに減点を見逃せないところもあって、トータルとしては、こんな評価になる。

 ただまあ(なるべくネタバレにならないよう書きたいが)、ほとんどワンシーンの見せ場である第30章後半の展開は、最高潮に魂がシビれた! 私的にはこのあとの数ページの描写だけで、丸々一冊、読んだ甲斐はあったな、という思い。
 こういう大筋から離れかけた断片(かけら)みたいな叙述で多大な感興を覚えることこそ、小説(冒険小説もミステリも含む)を読む上での幸福だと思う。

 とりあえずこの正編をきちんと最後まで読んだ人のいろんな感想を聞いてみたい。
 続編の方は、しばらくしてから、また読みたくなるかどうか様子を見よう。少なくとも今の自分には、本流で付き合うような作品ではまだないかも(ほかの矢野作品は、まだまだもっと読んでみたいが)。


No.1135 6点 野性の花嫁
コーネル・ウールリッチ
(2021/03/24 04:09登録)
(ネタバレなし)
 第二次大戦から数年後のアメリカ。少年時代に両親と死別し、戦場で出世のチャンスを掴んだ若者ローレンス(ラリー)・キングスレー・ジョンズ。彼は、たまたま友人と出かけたバルチモアの村で美しい娘ミッティと出会い、互いに恋に落ちた。だがミッテイの父親らしき年配の男アラン・フレデリックスはなぜか二人の交際を歓迎せず、ジョンズに早めに去るように促した。ジョンズは夜陰に乗じてミッティを連れ出し、駆け落ちした二人は土地の内務大臣の認可を得て公認の夫婦となる。執拗に追跡するアランとその年若い仲間ハフ・コターを振り切り、サンフランシスコに向かう客船「サンタ・エミリア号」の乗客となるジョンズたちだが、船が途中で寄った南米の停泊地プエルト・サントで、ミッティが勝手に上陸。その土地の山奥には、とある深淵な秘密があった……。

 1950年のアメリカ作品。
 ウールリッチ、アイリッシュの著作の中では相当にキワモノの長編ということは何十年も前から見知っていたが、一方でこちらも長い間、作者のそれなりの数の長短編につきあい、ウールリッチ作品の裾野についての認識も、広がってきてはいる。だからまあ、こういうのもアリかと。
(まあ『幻の女』だの『黒衣の花嫁』『死者との結婚』あたりを最初のうちに読んで、その次にコレに出会ったら、ぶっとぶかもしれんが。)

 大ネタは結構知られてると思うが、それでもあえてここでは詳細の記述は控える。
 しかし1980~90年代あたりから日本で根付き始めたJホラー分野の系譜、そのなかでも土着伝承ホラーの要素にかなり似通ったティストを認めた評者の感慨くらいは、書かせていただきたい。
 なお作者ウールリッチの経歴(1903~68)をあらためてざっとWebなどで探ると、作家としてはひとかどの成功を収めたものの、老母とのホテル暮らしのなかでその母が病気になったのが40年代の後半。当人としては正にアンダーで閉塞的な心情のなかで、南米の秘境に舞台が広がっていくホラーファンタジーを執筆。そういう現実の状況の推移のなかでこんなダークロマンをものにした当人の内面を偲ぶと、なんとも切ない想いに駆られないでもない。
(いやまあ、そういう観測なんかも、結局はみんな、こっちの勝手な思い込みなのかもしれないのだが。)

 途中のサイドストーリーとして語られる、青年学者コターのエピソード。その決着は、ある意味では本筋以上にインプレッシブ! ウールリッチの(中略)ぶりがまざまざと発揮された思いだ。
 当時の当人はどういう顔でタイプライターを打ちながら、このシーンを書いてたんだろ……。

 全体の歯ごたえは、一番近いもので言うなら、劇画ブームのなかで危機感を抱きはじめた時期の手塚先生が描いた、読み切りの中編作品みたいな感じ。
 作家歴のなかでベスト作品を拾っていっても決して上位には出てこない……けれど、妙な感じで気に障り、心に引っかかる一編。クロージングなども、すごく余韻がある。

 とにもかくにも、思っていたよりずっと良かった。
 7点に近いという意味合いで、この評点。


No.1134 7点 二人で殺人を
佐野洋
(2021/03/23 05:18登録)
(ネタバレなし)
「私」こと「中央日報」の記者で28歳の瀬能公(せの こう)は肺病で長期休職し、静養中。時間を持て余した彼は、同じ年のガールフレンドで弁護士の我妹(わぎも)糸子のもとを5年ぶりに訪ねる。最近の糸子は美人の若手弁護士として活躍し、マスコミ出演の機会も多く「女流メイスン」の勇名を馳せていた。瀬能は、ミステリファンで文筆活動の心得もある糸子に、推理小説の新人賞に応募する合作の話を持ちかける。乗り気の糸子だが、そんな二人の前に糸子とその父が営む「我妹弁護士事務所」を頼る依頼人が来訪。これは小説のネタになると見やった糸子は、勝手に瀬能を当事務所に嘱託の私立探偵だと依頼人に紹介。半ば強引に事件に介入させるが、やがて事態は一人の若い女性の服毒死(自殺? 殺人? 事故?)に至る。

 書籍の元版は、1960年に光文社のカッパ・ノベルスから刊行。
 評者は今回、角川文庫版で読了。

 主人公の探偵コンビの設定も、都内の一角で起こる怪死事件の謎&訳ありっぽい過去の経緯も、それぞれアメリカの50~60年代のライトパズラーを思わせる感触。

 事件の主舞台となる服飾研究室とフォトスタジオの主要人物のキャラクター造形がそろって平板なのはちょっとキツイが、佐野洋がそういうところにあまり力を入れる書き手ではないのは以前から良くわかっているので、そんなに気にならない。

 一方で小粋な昭和の謎解きミステリとしては、なかなかよく出来ている。事件の真実、隠されていた過去の秘密、ある種の偽装トリック、それに……と、中小のアイデアを闊達に組み合わせて、順々にカードを表返ししていく手際が鮮やかだ。
(ただし真犯人については、前述のキャラクターの書き分けがあまり冴えないので、本当ならもっと演出できた意外性がもうひとつ映えなかった、と思う。)

 主人公ペア、瀬能と糸子の友人以上恋人未満の関係(よりはやや、異性の友人同士寄り)はなかなか心地よい。読後にTwitterなどで感想を探ると、シリーズキャラクターに昇格したといっているような声もあるが、作者の名前とこのキャラクターたちの名前でweb検索しても特に続編らしいものは見つからなかった。やはりこれ一冊でお役御免になったのだろうか。かなりもったいない。
 佐野洋はその辺の俺ルール(連作短編でのシリーズものは一冊まで。長編ではシリーズキャラクターは使わない)に関しては、本っ当に頑固なヒトだったね(苦笑)。


No.1133 8点 砂塵の舞う土地
ダンカン・カイル
(2021/03/22 07:12登録)
(ネタバレなし)
 1980年代半ばの西オーストラリア。老舗の法律事務所「マクドナルド&スローター弁護士事務所」に勤務する「私」こと、30歳の弁護士ジョン・クローズは、一風変わった案件を担当する。それは1941年に地主の女性メアリ・N・ブライトから同事務所に預けられた遺言書で、メアリは最近まで生きていた。60年前の遺言の有効性に基づき、健在が確認される唯一の血縁である30歳の女性軍人ジェーン・ストレットが英国から来訪。クローズはジェーンとともにメアリが遺した土地を見に行くが、特に価値もなさそうなくだんの土地の売却を求める者が現れ、さらに同地には複数の不審な男たちの影が。

 1988年の英国作品。
 別名義の著作を含めて、作者ダンカン・カイルの13番目の長編。
 新旧、多くの作家を擁するイギリス冒険小説界の中でも、カイルは日本には十数冊の著作が翻訳紹介され、割と優遇された方だとは思う。
 まあ翻訳の契約条件などの裏事情もあるので、多くのタイトルが翻訳された=日本の読書界に人気があったとは、100%イコールともいえないだろうが、それでもそれなり以上に70~90年代にかけて本邦で読まれたのは確かだろう。
(とはいえ評者なんか、優秀作『緑の地に眠れ』ほか数冊しか読んでないが。) 

 しかしながら、イネスやバグリィと同じく著作は基本的にノンシリーズ、しかも自然派冒険小説の太い系譜のなかで、カイルとはこういう作風、というのが表現しにくい。
(これに大御所マクリーンやもっとマイナーなジェンキンズやアントニー・トルーあたりまで視野に入れて、個々の作風を差別化しながら語るのは、大変な苦労だ~汗~。)
 そういう意味じゃ、カイル作品の現状の評者の認識は<イネス+バグリィ、ちょっとマクリーン風味>という、その程度に大雑把な印象ではある。

 そんな観測を前提に本作を語るなら、青年弁護士と女性軍人コンビのラブコメっぽい関係(ただし潔いくらいにセックス描写の類はなし。昭和の中学生に読ませてもいいくらい)、謎の悪役は出没(この辺はイネスというより、バグリィかあるいはフランシスあたりっぽい)、広大で苛烈な砂漠の描写(ここらはイネスやマクリーンからそのほか多数)、そして物語の最大の興味となる「なぜその土地が狙われるか」の謎(この種のフックも類例は多数)という作り。さらにはオーストラリア原住民と植民地の白人の関係性を軸とした民族的文明論、そして本作独自の趣向として、第二次大戦中に欧米からオーストラリアに持ち込まれ、そのまま置き去りにされてしかもまだ現役(!)の戦車や戦闘機などの要素がからむ。

 小説の作法としては会話が多く、場面転換も筋運びも全体的にスピーディ(一番近い感触では、出来のいいときのバグリィかな)。キャラ描写も主人公クローズの若手弁護士という設定に準じて人脈が豊かで、何かわからない案件が出てくるとホイホイ知人や友人たちの専門知識が頼りになる。軽いといえば軽い作劇だが、その分、ストーリーに無駄な迂路が皆無で、どんどん物語が進展するので読み進む上でのストレスはあまり生じない。

 かといって人物造形が概して平板、というわけでもなく、主人公クローズが頼りにする親族(兄の妻の父)で、自宅に入念な自作の防犯システムを設置する元警視のボブ・コリスのキャラクターなんかなかなか印象的だ。
(しかし、主人公とこの元警視の関係は、どことなく、あのフレドリック・ブラウンのエド・ハンターとアンクル・アムを思わせるものがある。)

 創元文庫版400ページ以上はちょっと厚めだが、パワフルな勢いでいっきに読了。土地の秘密の正体は(中略)という気もしないでもないが、段階を踏んで真実を見せていく良い意味での焦らし方は悪くなかった。
 警察が介入してこないのが不自然に思えかけた辺りのタイミングで、一応のイクスキューズを用意する手際もぬかりなく、全体的によくできた作品。
 悪役が主人公カップルを苦しめるために用意してきた<あるもの>も印象的。

 全体的に優等生の作品で、細かいことを言えば序盤~前半の描写で前振りしたネタがいくつか忘れてないか? という箇所もないではないが、まあその辺は読む側の解釈で補えるレベルではあろう。
 オールドスタイルの英国冒険小説ながら、フツー以上に面白かった。まあ予期していた方向で、中身は期待以上とホメておく。


No.1132 6点 迷宮の扉
横溝正史
(2021/03/21 14:25登録)
(ネタバレなし)
 昭和33年10月5日。三浦半島を気ままに放浪していた金田一耕助は、突然の嵐で山間の洋館「竜神館」にたどり着く。そこは訳ありの大富豪・東海林竜太郎が10年前に建てた館だった。耕助が竜神館の住人、降矢木一馬から聞く話によると、一馬の亡き妹の夫だった竜太郎はさる事情から逃亡中。その竜太郎には日奈児(ひなこ)と月奈児(つきなこ)という元はシャム双生児だったが、今は手術で分離して健常になった当年15歳の二人の息子がいる。双子は逃亡中の竜太郎にかわって、彼らの叔父にあたる一馬とその妻の五百子(いおこ)が養育していたが、やがて一馬と五百子の夫婦仲が悪化。さらに日奈児が一馬に、月奈児が五百子にそれぞれ懐いたため、大富豪の竜太郎は日奈児と一馬のためにこの竜神館を建設。さらに月奈児と五百子のためにどこか遠方にそっくりの館「海神館」を建設して与えたのだという。奇妙な話に戸惑う耕助だが、この談話の前後に、今もいずこかに潜伏中の竜太郎が竜神館に差し向けた使者の男が館の周辺で、何者かに殺される。一馬の依頼をうけて、この事件に関わる耕助だが。

「中学生の友」(小学館)の昭和33年1~12月号に連載されたジュブナイル作品。評者は今回、本作を表題作にした角川文庫版で読了。

 横溝ジュブナイルというと怪獣男爵ものを筆頭に怪人スリラーの印象が強い評者だが、これは結構、普通のオトナでも楽しめそうな謎解きスリラーになっている。
 その上でいつもの紙芝居みたいな設定やケレン味いっぱいの趣向でなかなか読ませる。
(後半には特殊な構造の館の図入りで、不可能犯罪っぽい? 殺人事件も起きる。)
 竜太郎の秘めた事情とは何なのか? 彼の莫大な財産の行方は? などの興味をふくめて、作者らしいストーリーテリングを期待するならば、そういう希求に割と応えた一編。キャラクターの配置も(一部、記号的ながら)全体的に丁寧。
 謎解きフーダニットとしてはある程度先が読めてしまうところもあるが、それなりにひねってはある。
 旧作ジュブナイルとはいえ、清張の『高校殺人事件』あたりよりは、ずっとマトモなミステリだとは思う。

 一方で終盤でかなりバカミスっぽい部分も出てきて、まあこれはこれで愛嬌。
 しかしやはり終わりの方のさる文芸ポイントというか、ある登場人物のセリフはかなりヤバイね(汗)。当時だから許された? のだろうが、今の新刊でこんな(中略)が出てきたら、確実にwebで炎上ものだろ。軽くショッキングであった。
 終わり方がややあっけないが、ジュブナイル枠としては充分に良作。
 角川文庫版にはオマケ? にノンシリーズもののミステリ『片耳の男』と幻想的な掌編『動かぬ時計』が併録されていて、どちらもそれなりに楽しめる。

 最後に、現状のAmazonのレビューのひとつが、横溝ファンかマニアならピンときちゃうネタバレなので、注意ください。まあその見識については自分もまったく同感で、読んでいて「おお、これは!」と思いましたが(笑)。


No.1131 7点 死に賭けるダイヤ
モーリス・プロクター
(2021/03/20 06:13登録)
(ネタバレなし)
 ロンドンのハットン・ガーデン地区。そこは英国の宝石産業や宝石の流通のメッカといえる一角だった。そこで白昼、殺人事件が発生。ベテランのパトロール警官リチャーズと街頭写真師の22歳の美人ライザ・ヒューグニンが不審者を見かけるが、相手は正体不明のまま逃げさった。やがて被害者は、近くに本社のある大手国際宝石会社「サガ」こと「南アフリカ宝石会社」の秘密調査員シートン・エスリッジと判明。そのエスリッジは、昨年9月にアフリカのキンバリイで発生した大規模なダイヤの原石強盗事件を捜査していた。ロンドン警視庁の面々と、そしてサガの保安部はこの殺人事件を契機に、過日の強盗事件にも深く関わってもいく。

 1960年の英国作品。
 プロクター作品はこれで2冊目の評者だが、これはノンシリーズものらしい? 現状でなぜかAmazonに登録がないが、ポケミス(世界ミステリシリース)653番で、初版は昭和36年9月。

  英国植民地だった第三世界(アフリカ)からのダイヤ輸入業種を主題または背景にした、ちょっと異色の警察小説。そんな趣の長編ミステリ。
 ロンドン警視庁の主力は「おやじさん」こと強面風のトレイル警視とその部下の青年ロビン・デイカー部長刑事。さらに事件に深く関わってくるサガの保安部主任ロジャー・クォーンもメインキャラの一翼となる。事件の重要証人となった美人の町娘ライザを挟むデイカーとクォーンの恋の三角関係? のような成り行きなど、敷居の低い感じでこちらの興味を惹いてきた。

 一種の業界ものの側面をミックスした警察小説で、当時はイアン・フレミングのドキュメント作品『ダイヤモンド密輸作戦』(1957年)なんかも書かれていたし、そういうアフリカからのダイヤ流通が話題になっていた時代だったのかしらん? とかやや呑気に読み進めていたら……後半で予想外の(中略)。
 もちろんここではコレ以上なにも書かないけれど、気安く構えていたら物の見事に足払いをかけてきた作品だった。こういうのに出会うのが、マイナーな旧作を発掘する楽しみ。
 あと、山場の前座的な部分で明かされる某登場人物の意外な秘めた事情は、さらに旧作の海外ミステリ数冊を偲ばせるもの。1960年前後の英国で、まだ<そういう見識>はあったのだなと、少し複雑な思いに駆られた。

 いずれにせよプロクター、まだ2冊目でナンだけど、地味で渋めながら、打率は高そう。またそのうち、未読の分を手にとってみよう。


No.1130 6点 白夜の魔女
ジェラール・ド・ヴィリエ
(2021/03/19 06:21登録)
(ネタバレなし)
 無数のユダヤ人を虐殺したナチス軍人オシップ・ヴェールンは大戦末期、侵攻してきたソ連軍に粛清されそうになった。だがアメリカ軍の情報部がオシップを後見し、新たな名前オットー・ヴィーガンドを得た彼は戦後の東ドイツに残留。オットーは東ドイツ情報部の№2という要職について表向きはソ連のために働きつつ、同時にコードネーム「リナルド」なるダブルスパイとして、恩を売られたアメリカにひそかに情報を送り続けた。だが60年代末、素性がばれかけた55歳のオットーは美貌の若妻ステファニーとともに西側に亡命を画策。CIAの契約工作員マルコ・リンゲが、その身柄を引き受けにコペンハーゲンに向かう。しかし東側の意を受けたステファニーはオットーに亡命をやめて帰国するよう促し、次々と夫の眼前でほかの男と寝ては、彼を挑発する。

 1969年のフランス作品。SASシリーズ(または、プリンススパイ、マルコ・リンゲシリーズ)の第13弾。
 
 Wikipediaで作者ジェラール・ド・ヴィリエの著作リストを参照したら、評者は第1作『イスタンブール潜水艦消失』を含めて大昔に5冊くらい、このシリーズを読んでいた。それでも何十年かご無沙汰だったが、書庫で未読の分が何冊か見つかったので、そのうちの一冊のコレを久しぶりに手にとってみる。
(ついでに、安かったので、webでさらに何冊か持ってない分を購入してしまった。)

 今回のマルコの任務はあらすじの通り、東側からの亡命スパイの身柄引き取り。ただし、このゲスト主役のオットーがどうしようもないクズ。さらにこのオットーに大戦中に家族を殺されて復讐をはかるユダヤ人女性とか、戦時中にオットーとともにリヒテンシュタインに多額の隠し金を預けた悪党神父とかも登場。もちろん本命の敵である東側もオットーの身柄奪還のためにステファニーのエロ作戦をふくめてあれこれ画策。そういうわけでなかなかネタの多い話で、飽きさせない。

 くわえて原書刊行当時の北欧はポルノ解禁直後、いわゆるフリーセックス時代だったため、その時勢に便乗して作中にあふれんばかりのいやらしネタが登場。興奮するというより、作者の強引な手際に何回か爆笑してしまう。まあ60年代の作品だし、ポルノだのアダルトだの言っても、のどかなもんだ。
 ちなみにタイトルの「白夜の魔女」とは、もちろんコペンハーゲンでの祭事の熱狂のなかで、快楽にふけるステファニーのことだね。

 ただしその辺の興味(笑)をさっぴいても、先の多様なメインゲストキャラたちの掛け合わせが功を奏した筋立てで、これはシリーズの中でも結構できがいい。
 今まで読んだSASシリーズのなかで一番面白かった記憶があるのは、第29弾の『チェックポイント・チャーリー』(ベルリンの壁もの)だったけど、これはそれに準ずる手応えだった(最後の着地点はまあ読めるが、これは良い意味で、そうなるべきところに収まった感じである)。
 
 あとシリーズ第一弾『イスタンブール』では、当初、暗黒街の殺し屋として登場したエルコ・クリサンテーム(創元文庫版ではクリサンテム)がマルコのカリスマ性にまいって、彼の忠僕(レギュラーキャラクター)となる経緯が描かれたけれど、本作ではその際の事件に関わったマルコの同僚のCIAコンビが再登場。この2人とクリサンテームとが互いに当時の遺恨を引きずったまま、犬猿の仲という描写も楽しい。
 つまみ食いで読んでる自分でもニヤリとしたんだから、マトモに順々にシリーズを追いかけているファンならさらに大喜びの趣向だろう。
 
 ちょっとアホっぽく見えるポルノ志向はトッピング的な味付けとして、少なくとも今回はB級活劇スパイ小説の枠の中で、なかなか楽しめた。またそのうち、気が向いたら購入してある未読の分を読んでみよう。


No.1129 7点 エンド・クレジットに最適な夏
福田栄一
(2021/03/18 05:52登録)
(ネタバレなし)
「俺」こと貧乏大学生の淺木晴也は友人の窪寺和臣の仲介で、臨時のトラブルシューターのバイトを請け負う。依頼の内容は、同じ大学の女生徒、能美美羽が不審者の影におびえているので、その相手を特定して再発を防ぐものだ。だが晴也が動きはじめると、調査のなかで知り合った連中が次々と、新たな事件の種や相談事をもちかけてくる。

 2007年に元版のミステリ・フロンティアで刊行されたのち、2015年秋からの連続テレビドラマ化(番組名『青春探偵ハルヤ~大人の悪を許さない!』)にあわせて改題、文庫化された長編。
 評者は今回、あとの文庫版(『青春探偵ハルヤ』)の方で読了。

 分類すればアマチュア探偵(というか学生のトラブル・コンサルタント)を主人公にした青春ミステリだが、『血の収穫』のキャラクターシフトをベースにしたと文庫版のあとがきで作者が語ることでもわかるように、かなり和製ハードボイルド感も強い。
(主人公・晴也の心情吐露はかなり多めでその意味では「ハードボイルド」ではないが、人情や正義感とドライな人生観・世界観の切り替え&使い分けなど、スピリット的な面では明確にそれっぽさを意識している。)

 もうひとつの本作の特色が、晴也の調査が芋づる式というか藁しべ長者風にどんどん次の事件や案件を引き寄せ、先の依頼が決着しないうちに雪だるま式に、抱えるタスクが増えていくこと。
 ミステリに詳しいらしい作者は、この作法を「モジュラー式」だと、ちゃんと自覚している。

 別の事件の関係者Aから、ほかの事件に役立つ情報や専門知識をさずかったり、違う事件の関係者Bの証言で異なる事件が進展したり……。
 それらの情報や人脈を器用に活用して局面を進展させてゆく晴也のキャラクターは、筆の立つアメリカ作家の私立探偵小説の主人公のようで、本作では主役の年齢設定に即した若い機動力と才気が小気味よい。

 なおこの手のストーリーの組み立て方だと、下手に書くと物語世界がせせこましい箱庭風になりがちだが、情報や伏線のふりわけ方が全体的に巧みで、そういう種類の不満をあまり生じさせない。これは作者の筆力と構成力の賜物であろう。

 やむをえず晴也が腕力沙汰に出る際に、自分の内なる獣性(暴力性)をコントロールするくだりなども、厨二っぽい描写ながら印象的なスゴミがある。
(悪党との対峙や対応も、最後は警察に引き渡して、はい、終わり、ではなく、時には、のちのちの報復やお礼参りなどまで計算に入れて個別の判断をするあたりなども良い。)

 クロージングに関しては正直、思うこともあるが、作者なりの<踏み込み>は充分に意識させられたので、これはこれでよし、としたい。

 本一冊、全体的に偏差値が高いがゆえに、かえって頭が冷えるような面もある長編だが(評者はタマに「よくできた」作品に接してそういう思いを抱くことがある)、作者の力量の一端は充分に実感した思い。
 すでにこの人の本はもう一冊、ちょっとした興味を惹かれて購入してあるが、いずれはもっと本格的に付き合ってもいいかと思えてきてもいる。 


No.1128 6点 デラニーの悪霊
ラモナ・スチュアート
(2021/03/17 04:36登録)
(ネタバレなし)
「わたし」ことノラ・ベンソンは、ニューヨーク在住の女流作家。医学博士の夫テッドが若い同僚の美人マルタとの再婚を願ったため離婚し、いまは13歳の娘キャリーと12歳の息子ピーターを養育していた。ノラのほかの唯一の肉親は弟で、出版関係のバイト青年ジョエル・デラニーだが、彼は奔放なGFのシェリー・タルボットにふられたことで大きなショックを受けていた。そんなジョエルとシェリーの仲が復縁しかけるが、ノラは弟の言動に何か違和感を抱く。一方でNYではしばらく前から謎の殺人鬼による若い女性の首切り殺人が続発していた。

 1970年のアメリカ作品。
『ローズマリーの赤ちゃん』(67年)と『エクソシスト』『地獄の家』(ともに71年)という大メジャー作品群の狭間の時期に刊行されたマイナーなモダンホラー。スーパーナチュラル的なオカルトの主題は、タイトル通りにズバリ「悪霊」(さすがにコレは、書いてもいいな~笑~)。

 具体的にどのような悪霊でどういう形で作中に出現する(描かれる)かはここでは書かないが、物語の後半、精神病理や民俗学の見識をもった学者が登場して怪異に接近。
 科学&疑似科学で怪異に斬り込むモダンホラーの作法は、この作品の時点でほぼ確立されており、モダンホラー小説分野の大系としては割と早い一冊といえるだろう。

 作者ラモナ・スチュアートは、半世紀を経た現在でも本作しか邦訳がないと思われるが、すでに本国では数冊の著作があった。
 主人公ノラの一人称視点で異常な事態に関わっていくストーリーの流れはそれなりに読ませるものの、一方でまだまだモダンホラー分野の文化が成熟していない時代に書かれた作品、という感じもしないでもない。全体的に、もうちょっと押せばさらに面白くなるであろう要所要所の演出が弱いし、クライマックスも話の核心に早く入りすぎる。それでも地味な? ネタでそこそこ楽しませてしまう辺りは評価しておきたいが。

 なお邦訳のハヤカワ・ノヴェルズは、この時期に乱発した、例の<返金保証>の帯封仕様で刊行。
「読者のみなさんいかがですか? 何が(中略)に起こったのでしょう? これから秘密のベールが剥がされてゆくにつれいよいよ恐怖は高まってゆきます。ただし、これ以上読み続けるのはごめんだ、とおっしゃる方がおりましたら、この封を切らずに小社までご持参下さい。代金をお返しいたします。」という、帯封の最初に書かれた口上が楽しい。(「中略」にはある固有名詞が入るが、あとは原文のママ。)

 21世紀の今でも、またこういうのをやればいいのである。
 電子書籍でやったらどうなるのだろうか。まあ考えてみれば、よくあるコミックの序盤や途中までだけ読ませて、本編をきちんと楽しむなら課金というのは、一種の<逆・返金保証>だろうな(笑)。 


No.1127 6点 ヴェニスを見て死ね
ハドリー・チェイス
(2021/03/16 22:26登録)
(ネタバレなし)
 1950年代の半ばのロンドン。アメリカ大使館のそばの豪邸に住む青年ドン・ミックレムは、親が遺した巨額の財産と190cmの健康な肉体に恵まれたアメリカ人で、社交界の花形。ドンは所用からヴェニスにある別宅に向かおうとするが、出発直前に大戦中の戦友である英国人ジョン・トレガースの妻、ヒルダが訪ねてきた。戦後はヴェニスでガラス工芸の会社を営むトレガースは英国とイタリアを行き来していたが、このひと月、現地にいるはずの彼から音信不通。なぜか当局や大使館は調査を渋っているという。ヒルダからヴェニスに行くのなら夫の様子を見てきてもらえないかと頼まれたドンはこれを快諾し、忠実な執事チェリーとともにヴェニスに向かうが、そこで彼を待っていたのは予期しない陰謀と凄惨な事態だった。

 フランスの1954年作品。
 なお現状のAmazonだと邦訳書は1980年の刊行になってるが、実際のポケミスの発売は1974年の9月。

 英国作家(一時期フランスに在留)のチェイスが、フランスでの新作出版時に使った別名義レイモンド・マーシャルで出した15番目の長編。

 この少し前にポケミスに入った『フィナーレは念入りに』は「レイモンド・マーシャル(J・H・チェイス)」の作者名標記で邦訳出版されたが、それじゃあまり売れなかったためか、今回はズバリ、チェイス名義で日本で刊行された(この時期の創元では、チェイスの翻訳はイケイケで出ていた)。

 親の遺した財産のおかげで金持ち、美人秘書や有能な従僕たちに囲まれた主人公ドンの設定は、のちのエイモス・バークか神戸大助の先駆みたいだが、当時はこういう絵に描いたような快男児ヒーローも支持を得たのであろう? シリーズ化された気配はないようだが。

 ヴェニスに渡ってからも、前述の有能な執事、現地の事情に通じた専用のゴンドラ漕ぎでナイフ使いの名人、元コマンド兵士の運転手のトリオを手下に、友人を危機から救い、事件に巻き込まれた無実の人々の敵を討つため大暴れする。桃太郎かバビル二世か。
 ちなみに冒頭で出てきた美人秘書はすぐ話の表から退場し、壁の花にすらならないのが笑う。

 勢いで突っ走るノリの物語で、後半のひたすら長い追跡劇(追っかけたり、その逆になったり)はよくぞここまで書き込んだというか、大局的には起伏もない大筋で飽きる、というか微妙なところ。評者はギリギリ楽しめた感じだが、ダレる人も出てきそう。
 
 ちなみにこのポケミス、版権独占契約でないため巻頭に原書刊行年のクレジットがなく、さらに巻末には訳者あとがきも解説もなく本文が終わってそのまま奥付なので、作品の書誌的な素性がまったく見えないという困った一冊。おかげで21世紀になって「世界ミステリ作家事典」が刊行されたり、webでのデータベースが充実してくるまでその辺の不満は持ち越された(評者がなんかリファレンスできる資料を見落としていたらアレだが)。
 さらにポケミスは人名一覧で結構なネタバレ、(そのキャラのあとあとで判明する正体をいきなり記載とか)してあるダメな編集。どうも太田博~長島良三編集長時代の早川はこういうところが悪い意味でゆるめだった印象がある。

 評点はもろもろのことを踏まえて、ちょっとおまけしてこの点数で。


No.1126 8点 ソロモン王の洞窟
H・R・ハガード
(2021/03/15 19:54登録)
(ネタバレなし)
 19世紀の末。「私」こと、高名なハンターながら求道がすぎて貧乏な50代前半の英国人アラン・クォーターメンは、30代半ばの金持ちの英国貴族ヘンリー・カーティス卿から相談を受ける。それは2年前にアフリカ奥地で行方不明になったヘンリー卿の弟ジョージを捜索する旅に、同道を願うものだった。情報を交換した彼らはその奥地にダイヤの秘宝が眠る可能性まで認めた。ヘンリー卿の友人の海軍大佐ジョン・グッドを仲間に加えた一行は、現地アフリカの従者たちとともに灼熱の砂漠を、そして極寒の雪山を超えて目的地の秘境にたどり着く。だがそこで彼らを待っていたのは、未開の小国ククアナ国での戦乱であった。

 1885年の英国作品。作者ハガードの第二長編で出世作。そしてアラン・クォーターメンシリーズの第一弾。

 イギリス冒険小説を嗜むならH・R・ハガードもまずは一冊くらい読もうと思い、少し前にブックオフで出会った創元文庫版(旧ジャケットカバー)を購入(その後、蔵書の中から数十年前に買っていた、未読の同じ本が見つかった……)。
 
 昨日から読み始めて、真ん中でひと晩小休止したのち、ほぼイッキ読みしてしまった。
 解説によると本作執筆時のハガードの仮想敵は、少し前から英国の読書人の間で反響を呼んでいた『宝島』だそうで、実際に刊行後の本書は『宝島』以上の英国読書界の好評を獲得。部数もずっと多く出たそうである。
 大仰な話だが、あれよあれよとお話が転がっていく展開のスピーディさは確かに時代を超えて格別。
「スティーヴンスンなら一章費やす描写をハガードは2ページで済ませてしまう」とやはり解説にあるが、それはいささかオーバーでは? とも思うものの(クライマックスのククアナ国内戦の合戦シーンの迫力と密度感、重量感はスゴイ)、まあ言いたいことは、わからなくもない。
 
 ちなみに文明人が未開の原住民を欺いて自分たちを一種の超人(魔術師とか宇宙人とか)に見せかけるため、(中略)のタイミングを利用するという昔ながらのネタは、本作がたぶん嚆矢なのであろう。これも初めて知った(以前にどっかで見知っていて忘れてなければ)。

 ストーリーは素朴といえば素朴だが、一方で良くも悪くも社会的コンプライアンス(人種問題とか)を気にしなくてよい時代の作品らしい、今ではなかなか味わえないバーバリックな物語性に満ちている。その意味では21世紀の現在でも、いやある面では~少し頭を冷やしながら~21世紀のいまだからこそ熱狂できる、古典冒険小説だともいえる。

 しかし主人公アラン・クォーターメンが意外に高齢の設定なのは、ちょっと驚いた。フィジカルな活劇場面はヘンリー卿に、原住民の美少女とのロマンスはグッド大佐に任せ、物語の手記を綴るベテラン探検家という役割分担のなかで、それなりのキャリアがあった方がいいという判断だったのだろうが。
(ドイルはハガード信者だったらしいので、チャレンジャー教授シリーズへの影響とかも興味深い。ちなみにJ・D・カーも当然のごとく、愛読していたようである。)

 クラシック作品なのは間違いないけれど、いま読んでも十分に面白いクラシック冒険小説であった。


No.1125 6点 人を呑むホテル
夏樹静子
(2021/03/15 01:43登録)
(ネタバレなし)
 コンパニオンガールや水泳コーチなどのフリーター仕事で生活費を稼ぐ23歳の畑野テオリ(テコ)は、BFの会社員、赤司行彦と婚約した。二人はその年の9月5日、行彦の大学の恩師で親代わりといえる坪坂保巳教授夫妻たちとともに、富士山周辺の夏季限定ホテル「精進湖ホテル」に旅行する。そこは10月から6月まで休業。だがその老舗ホテルには「9月30日の業務最終日、泊まった人間の誰かが、いずこかへと消える」という呪いの伝説があった。いったんは東京に戻った一同だが、やがて坪坂夫妻が行方をくらました。夫妻は9月30日に、ふたたび精進湖ホテルに泊まったらしいという経緯が見えてくる……。

 光文社の「女性自身」に昭和57年4月から翌年6月まで「人をよぶホテル」の題名で連載(週刊誌に一年以上!)された長編。「長編恐怖サスペンス」の肩書きで文庫オリジナルで刊行された、本文450ページ以上の紙幅豊かな作品である。

 評者の場合、もしかしたら『Wの悲劇』の元版を少年時代にリアルタイムの新刊で購読して以来の夏樹長編かもしれない(汗)。一年ぐらい前にブックオフの100円棚で見つけ、題名とあらすじが面白そうなので購入。
 今夜、気がむいて通読したが、怪異な失踪の謎に始まって事件の裾野が広がっていく展開はそれなりに読ませた。
 ただし序盤の描写から明るい探偵カップルものを期待すると微妙に違う方向にいってしまい、あれよあれよ、ではある(もちろん主役たちの着地点は、ここでは書かないが)。

 良くも悪くも連載の長期化にあわせて、主人公たちがあちこちにとびまわる際の旅情的な描写でページを稼いだ感じもするが、それでも少しずつ話はちゃんと進めはするので、とりあえず退屈もしないし、話の流れにムダもそんなにない(異論はあるかもしれないが)。女性誌連載ならこれはアリだろうという、ヌカミソサービスが多めの作品ともいえるが。

 ある程度は先読みできちゃう部分もふくめて、物語は二転三転。それ自体はいいのだが、登場人物の絶対数が少なく、さらに主要キャラのポイント的な叙述もしっかり書いておいたのがアダになって、ラストの意外性があんまり意外でないのは残念。
 全体的に長すぎて、ちょっと水っぽい感じはしないでもないが、最後の勢いのある謎解きはまあまあ。クロージングの余韻は、なかなか悪くない。佳作、でしょうな。


No.1124 7点 池袋ウエストゲートパーク
石田衣良
(2021/03/14 04:41登録)
(ネタバレなし)
 1997年から活字になり、およそ20年前からTVドラマ化やコミカライズもされている人気タイトル。
 00年代の東西ミステリにはそんなに詳しくない評者でも、すでにかなりのシリーズ続刊が出ているメジャータイトルということぐらいは知っていた。

 なお個人的には、原作も未読なまま視聴した、昨年秋からの新作テレビアニメ版が、本シリーズとのファースト・コンタクト。
 くだんのテレビアニメはそれなりに面白かったが、気がつけば、これだけの人気タイトルのハズ(?)なのに、本サイトではまだレビューがまったくない!?

 それでじゃあ原作ってどんなもんなんだろと気になって、ひと月ほどまえに入った古書店でかなり状態の良いデッドストック級の文庫本(このシリーズ第一巻、全4編の中短編集)を100円で購入。今から1週間くらい前から読み始めて、昨日ようやく読了した。

 一番驚いたのは、原作小説が作品の空気感もキャラクター描写も、アニメ版とまるで異なること。いやある程度は、大人・一般向け作品をティーンも観られる深夜アニメとしてマイルドに潤色しているだろうとは思ったが、これほどとは思わなかった。
 
 もちろん主人公マコトが大枠で正義漢の若者なのはアニメも原作もかわらないが、小説の方ではカツアゲを普通にしていた経歴も明かされるし、女子たちとの情交場面もごく自然かつあからさまに語られる。一応、当人のモラルの範疇ながら、ダーティな行動のリミッターもかなりゆるい。

 物語の方もアダルトな描写や未成年が被害者になる猟奇殺人などきわどいものが主体(少なくともこの1巻では)。アニメ版はよくいえば気を使って作った、わるくいえば生ぬるい作りだったことを、つくづく痛感した。
 
 そんなわけで個人的には、先に接したアニメ版との相応の乖離ゆえ、かなりショッキングな感触を抱く。
 しかし一歩引いて見るなら、実はこれくらいのクライムノワール、青春ノワールものなど、2010年代の国産ミステリ界では、たしかにさほど珍しくもないのである(だよな)。
 だから冷静に見れば<こなれのよい。その手の青春ノワール事件屋ものの新世代の先駆>という評価あたりに落ち着きそうだ?

 4編の中短編は、それぞれ基本的に池袋界隈の裏と表の素描、そこにたむろする主人公マコトをふくむ面々の人間模様を興味の核とするが、中にはミステリ的にちょっと~相応に工夫された話もあり、なかなか飽きさせない。
 リーダビリティの高い文体の軽さとそれぞれの話の主題の重さ。その双方のバランス取りが独特の手応えを感じさせるエピソードもあり、なるほどこれはファンも多いはずだとは思う。

 まあ私的には、今回の新作アニメ版は今となっては入門編として良かったと割り切り(今でも別にキライになったわけじゃないし、アニメ独自の演出で良かったとこもあった)、改めて原作の二冊目以降も、機会を見て読んでいこうとは思っている。 


No.1123 8点 サイボーグ・ブルース
平井和正
(2021/03/13 16:50登録)
(ネタバレなし)
 科学技術が大きく発達しながら、人類の意識は旧来とそう変わらない未来。「私」こと若くて優秀な黒人刑事アーネスト・ライトは、犯罪組織の手先である悪徳警官に高熱の熱線銃で撃たれて死亡した。だが彼は、宇宙船一隻が建造可能な予算を費やして、全身がほぼアンドロイドのごとき、高性能のサイボーグ特捜官として復活する。それから7年、根強いレイシストの侮蔑にさらされ、同時に内面では、もはや普通の人間でない現実に葛藤し続けるライトは、順当にサイボーグ特捜官としての実績を積んでいく。しかし腐敗した警察と暗黒街との癒着は改善されることなく、そのために無辜の市民の犠牲が出たとき、ライトはついに辞職を決意するが。

「SFマガジン」に1968~69年にかけて連載。1971年に早川書房から初の書籍が刊行された平井和正の初期長編。
 周知の通り、1965年にさる事情から不本意な形での終焉を迎えた平井原作のSFコミック『8マン』へのセルフオマージュとして書かれた作品。現在のwebで情報を探ると『8マン』そのものを小説化という構想が起点だそうだが、その辺りは筆者は知らない。

 いずれにせよ、以前から作者が本作については「8マンへのレクイエム作品」という主旨の言葉を用いているので、いつか読もうとは思っていた。数十年前に購入しておいた角川文庫版を少し前に蔵書の中から引っ張り出しておいたので、このたび読んでみる。

 一読してみると大枠で長編小説なのは間違いないが、作中では別個の事件が順々に起きる構成で、連作短編作品的な側面も強いのに軽く驚いた。
 しかも最初のエピソードで警察を辞めたライトが次に出会う事件が、金持ちの美女のヒモ亭主的な立場になった、酒好きの若手作家との友情エピソード。平井和正が私淑していた作家三人のひとりがチャンドラーだということはもちろん知っていたが(あとの二人は山本周五郎とアルフレッド・ベスター)、こうまで露骨に『長いお別れ』リスペクト編を綴っていたのかとぶっとんだ。とはいえSFミステリとしてのアレンジの仕方はなかなか興味深く、そこは当時の平井の恣意、あるいは掲載誌「SFマガジン」の場の力を感じる。
 続く事件のネタも、ああ『8マン』からだな、とか、のちの『ウルフガイ』に続いてゆく文芸だな、とか、平井ファン(現在では評者はそんなに熱心な読者ではないが)には興味深い部分も多い。

 いずれにしても全体としては、平井作品のなかでもっとも、SFビジョンと捜査ものクライムミステリの成分がとけあった作品ではあろう。
 まあ、ジャンルとしてはSFハードボイルド分類だけれど、主人公ライトの振幅する内面はけっこう明け透け。その意味では感情描写を排した<ハードボイルド>というより、やっぱり平井版のチャンドラーなんだけれど。(相応に、大藪春彦の影響も受けているとも思うが。)

 物語はインターバル編(これだけ主人公ライト以外の挿話)を一本挟んで5つの章で構成。のべ6パートで語られている形になる。
 ここではあまり詳しいことは言えないが、作者は最後のひとつまえの本筋の第四章でハードボイルドミステリ、あるいはチャンドラーへの義理を果たし、最終章の第五章で自分が選択したSFジャンルへの傾斜を語ったという感じ。
 正直、かなり予想外で虚を突かれた思いのクロージングではあったが、一歩引いて見るなら、作者の意図は理解できる……ような気もする(特に、これは20~40代の平井和正がその年齢のなかで書いた作品なのだろう、という観測も踏まえて)。
 これは自分の人生のなかで、もう少し早く読んでいたら、だいぶ見方が変わっていたかも。久々に、そういう思いの本に出会った。

 最後に、作中には60~70年代の現実の文化を投影したものがあまり登場せず、そもそもこの物語が何世紀の設定か(20~21世紀からどのくらい先か)すらはっきりしない。
 以前に平井は別の作家との談話で、自作の小説をいつまでも古くさせないためには、とにかく作中から時事的な風俗描写、その時代の文化描写(未来SFならそういうものを反映させた叙述)を一切、排除すること、と語っていたが、本作はまさにその作法をストイックなまでに実践しており、かなり驚いた。なるほど確かにその効果は大きく、21世紀の現在読んでも、意外なほどに作品の鮮度は高い(細部のすべてまでとはさすがに言えないが)。
 昭和の香りがするかび臭い作品なんかもつねづね大好きな評者だが、今回は仕様を演出した小説ならではの、ある種の力のようなものを、改めて実感した思いがある。評点は0.5点ほどおまけで、この数字に。


No.1122 6点 白日鬼
蘭郁二郎
(2021/03/12 03:37登録)
(ネタバレなし)
 その年の晩秋の土曜日。「私」こと若手作家の河村杏二(きょうじ)は、行きつけの喫茶店「ルージュ」の店内で美しい娘を見かけ、心惹かれる。その名も知らぬ娘がいわくありげな文書の紙片を残していったのを、気にする河村。その直後、通りを歩いていた河村は近所のビルの上階から銃声を聞き、ビルの管理人、近所にたまたまいた警官とともに中に入り、密室ともいえる状況の中で射殺された死体を発見する。やがて事件は、数百年前の秘宝が眠るという伝承が残る伊豆近海の孤島「兜島」にからむ連続殺人劇へと発展してゆく。

 戦前のミステリ同人誌(のちに商業誌)「探偵文学」(のちに「シュピオ」に誌名変更)に、1936年10月号~37年3月号にかけて連載された長編。
 1941年に『孤島の魔人』の題名で書籍化されたが、現在は光文社の『「シュピオ」傑作選」』に連載版の題名で一挙掲載されているものが、一番簡単に読める。当時の挿絵も再録した丁寧で有難い編集で、当然、評者もこれで今回、読んだ。本作だけで文庫版280~290ページの紙幅だから、まずまずの長さといっていいだろう。

 不勉強な評者は、作者・蘭郁二郎については、本当に名前を見知ってる程度の知識しかなかったので、このたび『「シュピオ」傑作選』での作者解説を読み直して、戦中に若死にされた去就なども改めて意識した。
 本作はその蘭が遺した数少ない長編ミステリで、ジャンルを分類すればスリラー風味のフーダニットパズラーという内容である。

 冒頭の殺人などは特に施錠された空間、というわけでもないが、複数の証人を前に殺人の前後に怪しい人物の姿などは特になかったこと、さらには現場に残された拳銃と死体の弾痕が合致しないなどの謎が地味に興味をひく。
 さらに以降の事件では、乱歩か横溝のスリラー編なみの派手な死体出現の演出と、それに合わせたちょっとトリッキィな創意も用意されている。
 くわえてシンプルな叙述ながら<ほぼ同じ時間に、同一人物が遠方の場所にいた?>という不可能興味まで登場してくる。
 正直、それぞれの真相は、あまり大きな驚きを期待されても困るレベルだが、読み手を楽しませようという作者の熱意は十分に認められるもので、好感度は高い。
 
 また事件の流れは、主舞台のひとつである兜島の秘宝伝説にちなみ、骨董品のジャンル=専門的なトリヴィアにも接近。これに加えて、東京から伊豆の洋上にある兜島への行状も旅情的に語られ、ちょっとしたトラベルミステリーの趣もあって、なかなか退屈しない。

 惜しむらくは、先に書いたように解決がややヤワいのはまだしも、ラスト、事件の真相の多くを(中略)という形式で晒していること。
 実は本作には途中から、主人公・河村の恩師で60歳前後の博覧強記の大学教授、春日井泰堂という人物が登場。どことなく横溝の由利先生あたりを想起させるキャラクターで、たぶんこの人をもっと名探偵っぽいポジションに置きたかったのだが、それをやりかけて中途半端に終わってしまったような気配がある。
 作者が戦後もご存命なら、もしかしたらこの春日井教授は良い感じのレギュラー名探偵になっていたかもしれない。ちょっともったいない。

 全体としては、とびぬけて特徴的な際立った得点要素はない作品だが、ミステリファンの心の琴線に触れるような小中のポイントはそれなりにあり、まずまず楽しめた。
(特に真犯人の動機というか犯行の背景の文芸は、妙な情感を煽る面もある。)
 書かれた時代も踏まえて、佳作くらいには認めたい一編だと思う。


No.1121 7点 ニューヨーク・デッド
スチュアート・ウッズ
(2021/03/11 05:18登録)
(ネタバレなし)
 その年の9月。深夜のニューヨーク。銃創で足を痛め、少し前に退院したばかりの38歳の二級刑事、ストーン・バリントンは、高級マンションの12階から若い女性が転落するのを目撃した。奇跡的に柔らかい土砂の上に落ちて即死を免れた彼女は、TVの人気キャスター、サーシャ・ニジンスキーだった。ストーンは救急車を手配するが、病院に向かう途中でその救急車は事故を起こし、気がつくとサーシャの姿はいずこへかと消えていた。NY市警は総力を上げて、重傷またはすでに死んでいるであろうサーシャの行方を探すが、やがてストーンたちの目前に意外な事実が明らかになってくる。

 1991年のアメリカ作品。
 ウッズ作品は初読みの評者で、少し前からそろそろ代表作らしい『警察署長』あたりを読もうか……とか思っていた。そうしたら今年正月のブックオフの近所の店の一部半額セールの際、100円棚で状態のいい本作を発見。あらすじを見て面白そうだったので50円(+税)で購入し、数か月後の今回読む。これが、自分にとっての最初のウッズ作品だ。
 
 訳者あとがきに「ジェットコースター。ほとんど解説のいらないお話なのである。」の一文があるが、正にそのとおり。予想を数段上回るリーダビリティの高さで、430ページ以上の紙幅をいっきに読ませてしまう。
 
 物語はメインの事件となるサーシャの身柄消失、その前段階のそもそもの彼女の転落の事情の謎(事故か自殺か他殺か不明~さる理由からその内のひとつが有力視はされるが)、このふたつの興味を主軸に進むが、途中から、この事件に関わりあったがゆえに彼自身の立場が大きく変遷してゆく主人公ストーンのドラマにもフォーカス。
 さらにモジュラー形式の警察小説的に、NY市内で続発するタクシー運転手連続殺人事件もサイドストーリーの流れを築いていく。

 前述のとおり実にハイテンションかつスピーディに読ませる娯楽編の警察小説(の変種……というべきか。ここではあまり詳しいことは言えないけれど)だが、最後まで読み終えると事件の枝葉の広がりに対して、人間関係の裾野が一部せせこましい。そのためこの辺は、箱庭的でミニマムな作劇、という思いも感じたりもした。

 なおこの種の作品では肝要となるはずの<NYという都市空間>は相応に書き込まれ、あちこちのロケーションをとびまわるストーンたち主要人物の姿は順当に躍動的だ。
 まあ文明観的に大都会=NYを外から中から見る視点などがあまり感じられず、さらに地下鉄などがほとんど登場しないのが、ちょっと残念な印象もあるが。

 面白さだけ言ったら8点でもいいけれど、前述のいくつかの弱点(特に人間関係の狭さ、など)がちょっとだけ気に障るので、若干減点して、この点数で。
 一日フツーにしっかり楽しめる、エンターテインメント警察小説(の変種)……ではあります。、


No.1120 9点 流砂
ビクトリア・ホルト
(2021/03/10 14:59登録)
(ネタバレなし)
「私」ことキャロライン・バーレインは、心から愛し合い、そして自分の分までピアニストとしての夢と栄光を託した夫ピエトロを急病で失った。28歳の未亡人になったキャロラインの肉親は、強い絆で結ばれる2つ年上の独身の姉ローマのみ。キャロラインが音楽の道を進む一方、死別した両親と同じ考古学者となったローマ。だが彼女は、イングランドのケント州の広大な砂州「ラバット・ミル」、その周辺の古代遺跡を調査中に、ある日突然、行方不明となった。ラバット・ミルには偏屈な老大富豪ウィリアム・ステイシー卿を家長とする屋敷「ラバット・ステイシー」があり、ステイシー卿はローマ失踪事件で周囲が騒がれるのを歓迎しない。キャロラインは、自分がローマの実妹という事実は隠し、あくまで有名な音楽家バーレインの未亡人でほぼ同等の技量をもつピアニストとして、ラバット・ステイシーの娘たちのピアノ教師の職務を獲得。ひそかに姉の行方を探ろうと、広大なラバット・ミルの周辺に乗り込むが。

 巻頭の版権クレジットによると、1970年の英国作品。
 訳者・小尾芙佐(おび ふさ)のあとがきによると1969年に書かれた、とあるが……そっちは雑誌連載か何かの初出データか? ちなみにWikipediaでは1969年の作品と現時点で記述。

 20世紀後半のゴシック・ロマンの巨匠で、1970年代から21世紀にかけて本邦でもファンの少なくないビクトリア(ヴィクトリア)・ホルト。別名義ジーン・プレイディーでの著作もあるが、ホルト名義ではこれが8番目の長編でそして日本での初紹介長編。
 現状でAmazonにデータ登録がないが、角川文庫から昭和46年9月10日初版刊行。定価は320円。そして本文はおよそ560ページほどの堂々たる大長編。
 たしか記憶に間違いがなければ、刊行年度のミステリサークル「SRの会」の年間ベスト投票でかなり高位だったはず(1位だったかも?)で、古書価格も高い時では8000円になるプレミア本。評者は大昔の少年時代にどっかの古本屋で150円で入手して、何十年も積読であったが(汗)。

 それで思い立ってついに今回手に取ったが、いや、さすがに面白い! さすがに一日で読了は仕事などの関係もあってムリだったが、それでも睡眠時間を削って二日間でほぼイッキ読みしてしまった。

 物語の主舞台となる大邸宅ラバット・ステイシーに『ジェーン・エア』(註1)を思わせる立場で乗り込んでいくキャロラインだが、そこではウィリアム卿の次男の青年ナピア(30歳)と、ウィリアム卿が後見する17歳の娘で父親から多大な遺産を受け継いだエディスとの婚姻が行われたばかり。キャロラインはそのエディスを含む邸宅周辺の4人の10代の女性たちのピアノ教師になるが、実はこの屋敷はナピアの実兄で、彼が13年前に事故で死なせてしまった美青年ボーモントのカリスマ性に今も強く支配されていることがわかってくる。うーん『レベッカ』だ(註2)。
 素性を隠しながら姉ローマ失踪の手掛かりを探るキャロラインの前に、入れ替わり立ち替わり、屋敷周辺の人物がそれぞれの歩幅で接近。やがて近所にはボーモントの幽霊? と思える気配が出没し、そしてさらに第二の失踪? 事件が……。

 訳者・小尾芙佐はホルト作品の登場人物を「類型的ながら魅力的」と記述。早くも邦訳一冊目でこの作家の本質をズバリ簡潔に言い表しているのは、さすが名訳者。いや、類型的なのは悪いことばかりではなく、フォーミュラ・タイプのキャラクターシフトで読み手に安心感を与えながら、その上で芳醇な物語性でさらにストーリーの奥の方の興味へ読者を引きずり込んでいく筆力の強靭さが、ホルト作品にはある(評者はまだ3冊目だが)。日本に支持者も多いわけだね。
 主人公キャロラインの人物造形からして正に求心力絶大なキャラクターで、ほかの家族3人とは違った道を歩み、そこでひとかどの成果を上げたものの(フランシスの『度胸』か)、あと一歩のところでホンモノになりきれず、もともとは異性の同格のライバルだった若者と結ばれ、時にぶつかり合いながらも、今後の人生は彼を支えようとしっかり決意したら、その直後に愛しい夫を失ってしまった……もうこれだけで掴みは十分だ! 職人作家の秀逸な手際がいきなり炸裂している。

 とにかくぐいぐい読ませるストーリーテリングで、作風はもちろん必ずしも同じではないが、その勢いはキングやクーンツ、シェルドンらの一線作品にもまったく引けを取らない。ラストの黒幕や伏線は一部先読みできるところもあるが、それでもクライマックスは予期した以上に(中略)。最後は啞然、呆然としながら山場からクロージングにかけての流れを読み終えた。
(しかしこのクライマックス、長年の間にはもうちょっと「スゴイ!」とか「(中略)!」とかの感慨だけでも聞こえてきても良さそうなのに、ほとんどWeb上や印刷媒体などで噂になってない。やっぱそれだけレア本だからなんだろうな。)

 なお物語のメインステージとなる砂州=ラバット・ミルだが、海岸に面したとにかく広くて深い砂浜。わかりやすく言えば、鳥取砂丘とかがほぼ全域、地層数十メートルの砂の底なし沼のようなイメージであろう。随所に安定した足場もあるが、うっかりすると自重で深淵な地中に永遠に沈んでしまう危険地帯である。
 潮の満ち干の影響で座標した船舶なんかも脱出は困難で、うかうかすると乗員も船体もろとも砂に飲まれる。
 場所はアフリカだが、ジェンキンズの『砂の渦』など同様の砂州が主舞台で、ガーヴの『遠い砂』にも類似のロケーションが出てきたようなそうでなかったような。

 なにはともあれ、本作は優秀作~傑作。

註1……すみません。まだ未読です(汗)。
註2……こちらも未読。映画は観ているが。 

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