人並由真さんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.33点 | 書評数:2109件 |
No.1169 | 7点 | シェーン勝負に出る ブレット・ハリデイ |
(2021/05/03 04:41登録) (ネタバレなし) 愛妻フィリスを失い、傷心の私立探偵マイケル・シェーンは、9年間過ごしたマイアミを離れようとしていた。そこに友人の新聞記者ティモシイ・ラークが、シェーンに仕事で心の張りを与えようと、依頼人を連れてくる。依頼人は、ラークの友人で編集者のジョーゼフ・P・リトル。リトルの願う依頼内容は、彼の娘で作家志望の23歳のバーバラ(バブス)が別名でニューオーリンズに滞在中だが、不穏な人物によって麻薬中毒にされかけている気配があるので、現状を確認の上、危険がないように監視してほしいというものだった。依頼に応じたシェーンは現地にとび、懇意な、あるいは不仲の地元の警官たちと再会しながら、目的の娘に接近する。だがそこで、予期せぬ殺人事件が発生した。 1944年のアメリカ作品。マイケル・シェーンシリーズ第9弾。 本作の次のシリーズ第10弾『殺人と半処女』は読了済みなので、読む順番が後先になったが、いずれにしろ本作が、愛妻フィリスと死別直後の、そして二人目のメインレギュラーヒロイン、ルーシイ(本作では最初から最後まで「ルシール」表記だが)・ハミルトンのデビュー編である。 (同時に、ここから数作続く、シェーンのニューオーリンズシリーズの開幕編。) もうこれだけでシリーズの重要なイベント編、ファンにはたまらない一冊だが、あにはからんや(?)、行動派私立探偵小説としても、フーダニットの謎解きミステリとしても、期待以上によくできていた(嬉)。 土地の大物と癒着しているらしい分署の署長ダルフ・デントンが、以前からシェーンと旧知同士の悪徳警官で妨害にかかるが、単純な悪役という扱いではない。シェーンの方もこの署長相手に、かなり際どい腹芸を使って対応したりするあたりとか、小説としても面白い。 (ちょっと『マルタの鷹』の一場面まで想起させる、スレた者同士の姦計めいたシーンなどもある。) なお本書の眼目たるルーシイ(ルシール)は、当初、事件関係者の友人として登場。巻き込まれタイプのサブヒロインから次第にシェーンとの距離感を縮めていく。シェーンのフィリスへについての心情吐露などに対するルーシイの反応など、わずかな描写がすごく泣ける。 実際の証拠の確保(秘匿)や、さらにはニセの証拠を用意して関係者を欺くシェーンのやり口はかなり際どいが、その分、メイスンやドナルド・ラム的な即妙性と機動力を十全に感じさせて頼もしい。シリーズのなかでもかなり切れのいい動きではないか。 終盤の謎解きは、名探偵が関係者を一堂に集めて、の王道パターンだが、ページ数がどんどん少なくなるなかでこれをやる辺りはゾクゾクワクワク。事件の真相(真犯人の狙い)については、どこかで見たような部分もなきにしもあらずだが、かなり精緻な一方でわかりやすいロジックで、よく出来ている。最後に犯人をはめるシェーンの作戦が、クリスティーのポアロものの某初期作品を思わせるのも楽しかった。 評者が読んだシリーズの中では『殺人の仮面』と同様に、謎解き興味の強いフーダニット編。ただし中盤の展開は別の方向で楽しませるので、感触としてはさっき例にあげたメイスンものやバーサ&ラムものとかに近いかも。 いやトータルでは普通に十分に面白かったけどね。 個人的には何より、ルーシイ・ハミルトンの今まで知らなかった情報がたっぷり得られたのが、嬉しいし(笑)。 |
No.1168 | 7点 | 秋と黄昏の殺人 司城志朗 |
(2021/05/02 04:27登録) (ネタバレなし) その年の10月末の土曜の深夜。「私」こと41歳の放送作家・岩城浩平は、2年前に別れた元妻の向井塔子から久々に電話をもらう。彼女の用向きは、何か殺人にからむアリバイ偽装の懇願であり、しかもその殺人の一因は岩城自身のせいでもあると塔子はうそぶいた。岩城は朝早くからの仕事を控えながら四谷の向井宅に向かうが、その場で何者かに襲われて意識を失う……。 文庫版で読了。 気がついたら、単独の司城作品を読むのはたぶん今回が初めて。 生島、北方、大沢、そのほか国産ハードボイルド(の非・私立探偵もの)のエッセンスを掬い上げてこね回したような内容と文体で、よくいえば当該ジャンルのスタンダードを守り抜き、悪く言えばどこかで読んだようなお話……という印象。 ただしさすがに、長い作家歴(一時期は休筆していたが)から培ってきた筆力は認めざるを得ない歯ごたえ。 いったい劇中で何が起きており、どういう物語のベクトルが形成されるのか中盤までなかなか見えないが、それでもテンションが下がることはない。 物語が後半に突入し、主人公がいきなり生命の危機に及んで、ようやく核心が見えてくる。よくいえばストーリーがはじけるその瞬間ギリギリまでの<物語上のタメ>が効果を上げているというか。 (ちなみにその効果を満喫するためには、文庫版の裏表紙あらすじも読まない方がいいかもネ。) かようにネタを割るのを引っ張った分、後半3分の1からは怒濤の展開で、山場で明らかになる真犯人もかなり意外。たぶん、作者が意図的に仕掛けたのであろう(中略)的なミスディレクションも効果をあげている。 一方でストーリーの九十九折を成立させるために、一部のデティルに力技を感じてしまう箇所もないではない。 この辺は得点と減点とを相殺した上で、やはり誉めるにしかず、という実感でもあった。 読み終わるのに結構カロリー使った分、この手のものはもうしばらくいいやと思う一方で、なんかもうちょっと、こういう傾向の作品を読んでみたい希求の念も生じている。この作品にはそんな、妙にクセになる(なんか人恋しくなる?)面もある。 評点は、終盤で加速度的にヒートアップしてゆく物語の勢いを認めてこの点数で。 |
No.1167 | 8点 | 赤毛のカーロッタ奮闘する リンダ・バーンズ |
(2021/05/01 15:17登録) (ネタバレなし) その年の9月末のボストン。「わたし」こと元警官の私立探偵で赤毛の30女カーロッタ・カーライルは、愛猫「トマス・C」の名前を存在しない人間の夫のように見せかけて応募した懸賞で、2万ドルが当たったらしい。夫婦で賞金を受け取りに来ないと、当選は無効のようだ。さてどうしようと思っているさなか、オールドミスのマーガレット・デヴンズが、3週間ほど姿が見えない弟ユージーン・ポール・マーク・デヴンズの行方を捜してほしいと依頼に来た。老嬢が、彼女に似合わない多額の現金を持っていたことへの疑念、そしてユージーンの勤務先が以前のカーロッタのバイト先「グリーン&ホワイト・タクシー」だったこと、そして何より猫のエサ代を稼がねばならない事情もあって、カーロッタはユージーンの捜索に本腰を入れるが。 1987年のアメリカ作品。 日本でもあと2冊シリーズの翻訳がでている、赤毛の女私立探偵カーロッタ・カーライルシリーズの第一弾。 訳者あとがき(中盤~後半のネタバレをしてるので、注意)によると、この処女作の時点でMWA長編賞(新人賞でなく本賞)にノミネートされたそうであり、さらにパレッキーとグラフトンという現代の二大女私立探偵ものの先輩も激賞、くわえて、同じシカゴがフランチャイズのR・B・パーカーやグレゴリー・マクドナルド(フレッチの)たちからも、高評を授かったらしい。 実際、話のテンポ、文章のユーモラスさと全体に過不足を感じさせない描写、そしてカーロッタが出会う(再会する)タクシー会社の面々や警察関係者、元カレ、さらにカーロッタが親代わり&姉代わりに後見する10歳の少女パオリーナなど、それぞれのキャラクターの造形や描写もソツがない。 作品の結構は、ユージーン捜索の案件からやがて深奥の犯罪が露見してゆく流れがメインで、そこに複数のサブプロットが並行して進み……という組み立て。 登場人物はそれなりに多い(猫やインコを含めてのべ50名以上)がキャラクター描写がくっきりしているので、読んでいて話にほとんど混乱はない。 (なお邦訳の角川文庫の巻頭には登場人物一覧がないが、たぶん複数のプロットの関連キャラをまとめにくかったのかな? とも思う。) 私立探偵小説のなかには比較的パズラーっぽいフーダニットの形質を採るものも多いが、本作はどちらかといえば足で歩いて聞き込んで周囲の人間を刺激して、真相が暴かれていく流れ。 ただし、なかなか表面に出てこない真犯人の文芸設定とそ当人の犯行の動機はかなり面白く、そういうリアリティもあるかな、という感じ。 しっかり(メンタル的、スピリット的な意味合いで)ハードボイルドしている事態の決着の付け方もふくめて、かなりの秀作。中盤は7点くらいの評点の作品かな、と思ったが普通に8点でいいでしょう。 しかし1年前くらいに近所のブックオフで110円で買った本だが、Amazonでは現状、かなりのプレミアがついていて笑った。 (通常価格のkindleの電子書籍版もあるのだが、実はこちらはちょっと見にはわからないが、原書の英語版なのであらかじめご注意を。) 続刊は早川に版元が変わるようだが、そのうち機会を見つけて読んでみよう。本書も角川文庫が品切れか絶版になった時点で、早川から出しなおすとかできなかったのだろうか。 【2012年12月28日追記】 自分の上のレビュー本文で、本作が処女作のように書いたが、本日空さんが投稿された本シリーズの第二作『コンバット・ゾーンの娘』のレビューで、バーンズには本作以前の別シリーズの著作があると説明されている。ということで本作が処女作うんぬんは当方の勘違い(汗)。空さんに感謝して、訂正してお詫びします。 【2012年12月29日追記】 本文を若干、改訂しました。 |
No.1166 | 7点 | 幽霊潜水艦 ジェフリイ・ジェンキンズ |
(2021/04/30 05:40登録) (ネタバレなし) 昭和11年の東京。二・二六事件のさなか、一人の男性が国外に逃亡する。その事実はリヒャルト・ゾルゲによってソ連情報部に伝えられたが、やがてくだんの記録は歴史の闇の中に消えた。それから時は流れて、1970年代前半の南アフリカ。「私」こと、少し前まで英国領・南アフリカ海軍の駆逐艦艦長だったストゥルアン・ウエデルは、座標した大型タンカーの原油流出から海洋と生態系を守るため、莫大な原油資産を積むタンカーを撃沈。だがそのあとのゴタゴタに嫌気がさして退役し、今は無頼の日々を送っていた。だが南アフリカ海軍の秘密施設「シルバーマイン」から半ば強引な召集があり、ウエデルは復隊。彼は、南西アフリカの洋上にある英国領の孤島ポゼッション島を管理する「島長」の任を託される。同島には最近、発見された古代遺跡があるらしく、民間学者の調査を後見せよという指示だった。これに応じるウエデルだが、現地では想像もつかない事態が待っていた。 1974年の英国作品。 作者ジェンキンズ十八番のアフリカ海域ものの冒険小説だが、冒頭はいきなり二・二六事件の叙述から開幕。なんじゃこりゃ、と思っていると、プロローグは今度は、第二次大戦中のUボートの航海記録を断片的に語り、やがて主人公ウエデルの現在時勢の一人称での本筋ストーリーになだれ込む。 いわくありげなヒロインが登場し、さらに頭数は多くない主要キャラの立ち位置がそれぞれ見えてくるが、いまだ物語の全貌は見えない。悪役キャラっぽいのも出てきて、黙って読み進めると……。 ぶわはははははは(笑)。 物語の終盤まで秘匿されていたヒミツって、これか!! いや、ジェンキンズって『砂の渦』と『ハンター・キラー』、それからなんかあと1~2冊しか読んでないハズだけど、こういう(中略)なモノを書くとは露程も思っていなかったので。 いやー、これ一冊で、ずいぶんと見る目が変わりました。 なんつーか、途中入社でそのままいきなり上司になった職場のカタブツが、実は意外に砕けた敷居の低い、羽目をはずせるヒトだとわかって嬉しくなり、思わず肩を叩いてしまうというか、そんな感じです(笑)。 案外、話せるやんけ、オッチャン。バンバンバン。 というか一言でいうならコレ、海洋冒険小説版『日本核武装計画』(エドウィン・コーリィ)だよ。もちろん詳しくも具体的にもここでは語らないけれど。トンデモぶりでは勝るとも劣らない(いやむしろ、勝ってるかもしれない)。 瀬戸川猛資御大はたぶんこれ、読まなかったろうなあ。読んでたら、絶対にどっかで目につくように騒いでたろうなあ。あーいう作品や、あーいう作品も大好きな人だったんだから、きっとコレもかなり気に入ってくれていたと思うが。 いやまあ、作りというか海洋冒険作品としての作法そのものは、おおむね正統派なんだけどね、それだけにようやく明らかになる大ネタのぶっとびぶりと、その趣向を支える文芸のアレコレのお笑い度が強調される(笑)。 あと悪役の設定というか文芸も、なんつーか(笑)。 もうひとつ別の言い方で呼ぶなら、英国冒険小説の史上に輝く前代未聞のバカミス。 世の中にはこういう作品もまだまだ眠っているのであった。これだからミステリファンはやめられない。 (それでいいのか、といういくばくかの疑問も頭をよぎるが。) |
No.1165 | 6点 | おちこぼれ探偵塾―偏差値殺人事件 深谷忠記 |
(2021/04/29 06:01登録) (ネタバレなし) 関東のP県の私立高校・丹羽学園。その年の入試試験の最中に、受験生・下条啓介が、男子トイレから煙のように消え失せる怪事件が発生。数カ月しても下条の行方は知れなかった。たまたま怪事に立ち会った丹羽学園の生徒で二年生の早川一彦は「おちこぼれ塾」と異名をとる中学生向けの小さな学習塾「落合塾」のOB。そして現在の同塾には、一彦の妹で「あたし」こと早川育江、そしてその友人の太田瑠理子、清水ゆかりたち中3トリオ「コボレーズ(落ちこぼれ~ず)」が通っていた。育江たちは、兄が遭遇した怪事件に関心を抱き、周囲の者を巻き込んでアマチュア探偵としての調査を始めるが、やがて事態は連続殺人事件へと連鎖してゆく。 元版のソノラマ文庫版で読了。 ジュブナイル叢書ながら、基本的にしっかりした正統派のフーダニットパズラーで、広義の密室といえる冒頭の人間消失事件も魅力。 かなり手数や仕掛けは多い作品だが、その分、いくつかは先読みできてしまう辺りは、まあ仕方ないのか。 真犯人はなかなか意外で、そのために張ってあった伏線も悪くはないのだが、一方で作中のリアルを考えれば<その件>については、警察の捜査が続くうちに捜査官の誰かがどっかで思い当たるのではないか? という気もした。少なくとも、ひとたび疑念をもたれたら、あとは瓦解ひとすじだよね、と思う。 あとはこの犯人の<設定>を許容できるかどうか、だな。 その件に絡めて、人間消失のトリックの評価も変わってきそうだ。 (個人的には、真相が良い意味でシンプルなのは好ましいが、そもそもこの事態の成り行きをふくめて、いろいろアレだよね、という感じ。) それでも十分に、昭和パズラーの佳作にはなっていると思う。 読み物としては、小説的なリアリティを出すためか、わざわざ名前をつけて登場してきてただそれだけ、というモブキャラが多すぎるのがやや引っかかったけど。 |
No.1164 | 6点 | 皆殺しの時 ミッキー・スピレイン |
(2021/04/28 15:28登録) (ネタバレなし) 1960年代後半のニューヨーク。「おれ」こと私立探偵マイク・ハマーは、旧友で戦友のリプトン(リッピー)・サリヴァンの惨殺事件を調査する。リッピーの部屋は荒らされ、周囲に現金を抜かれた財布が捨てられて、口座にはそれなりの預金残高があった。ハマーはリッピーがひそかなスリ常習犯だと考え、何かまずいものをスったことから殺されたのではと推察する。そして同じ頃のNYでは、さる凶悪な細菌兵器が蔓延する予兆があった。政権交代前のソ連がひそかに20年前から潜入させていた謎のエージェントによる破壊工作で、最悪の場合は全米に天文学的な被害が出る。細菌兵器の行方を追うパトリック(パット)・チャンバース警部たち捜査陣とアメリカ政府、そしてソ連の関係者。そんな緊急事態を認めつつ、ハマーと美人秘書のヴェルダは延々と、リッピー殺しの手がかりを求めるが。 1970年のアメリカ作品。ハマーシリーズ第11弾。 数十年ぶりの再読である。評者はシリーズ第10作目『女体愛好クラブ』は未読だが、すでに一度縁があるこちらが近くにあり、内容がどんなだったかなんとなく気になったので、読んでしまった。 なおAmazonの書誌データ登録がヘンだが、ポケミスの実際の初版は1972年の11月15日。 しかしさすがに大設定以外の細部は、ほとんど忘れていたな。犯人や黒幕の正体も失念していた。 大量死(の危機)と相対化される一市民の殺人事件というコンセプトが、笠井潔のかの物言いや21世紀の作品『地上最後の刑事』なども想起させる。実際、ハマーも数日後には何万という死者が出て、こんな事件などなんの意味もなくなると自嘲したりする。 そして大都市NYに迫る一大危機という趣向は、カッスラーの『QD弾頭』やラピエール&コリンズの秀作『第五の騎手』みたいだ。 とはいえ『地上最後の~』みたいな隕石が迫るという絶体不可避の危機とは違い、かなり望み薄とはいえ、細菌兵器発見の希望もわずかなりとも残されているのに、そちらの案件に協力もしないで友人殺害事件の捜査に徹するハマー(ヴェルダの方は細菌兵器の件を知らない)の姿はかなりクレイジーというかファンキーだ。 (まあパット・チェンバースからすれば、いくら友人で辣腕の探偵とはいえ、官憲でもないハマーにこんな大事に介入してほしくない、という思いもあるだろうが。) この職業意識というかハマーなりの仁義の切り方も、スピリット的な意味で広義のハードボイルドだとは思う。 ネタに関してはスパイ小説ブームもひと段落しちゃったなか、タイガー・マン(評者はまだそちらのシリーズはまったく未読)で使い残した国家間の謀略アイデアをハマーシリーズの方にもってきた可能性も見やったりする。 実際のところはどうか知らないが、少なくともタイガー・マンはこの時点ではもうお役御免にはなっているんだよね? ミステリとしては作者の手癖で書いたような感もあり、真犯人や工作員の正体についてはあまり良い点はやれないが、伏線の張り方はちょっとイケる歯ごたえがあった。終盤で推理をふりかざし、名探偵になるハマーのキャラクターは楽しい。 ヴェルダは大活躍するが、一人称で物語を語るハマーとは別行動のため、ほとんど叙述の表面に出てこないのが残念(まあ女房役の彼女がそばにいると、ハマーはゲストヒロインの美女たちとあれこれできないし)。ヴェルダが情報の聞き込みをした町の連中たちに、あとから改めてハマーが出会うと、彼女のエロいいい女っぷりをみんな口を揃えて褒めたたえるのが笑える。 (しかし再読して今回はじめて気づいたけれど、たぶんハマーとヴェルダはこの時点ではもう男女の仲だね。世界最長の婚約者だと、ぼやくヴェルダが可愛い。) 翻訳が高見浩だったことに改めて気づいて、ちょっと驚いた。こんな大物がシリーズを訳していたとは(まあマック・ボランの主力訳者のひとりでもあるから、こういうのもスキなんだろうけど)。 とにかくグイグイと進んでいく展開で楽しめる。こなれて丸くなった時期の中年ハマーだけど、まあこれはこれで。 |
No.1163 | 8点 | 超生命ヴァイトン エリック・フランク・ラッセル |
(2021/04/26 14:51登録) (ネタバレなし~少なくとも途中から結末は) 2015年の前半。世界中の各地で高名な科学者が続々と怪死。その数はやがて20人近くにのぼる。アメリカ政府の渉外官でこれまで多くの民間学者に財務的支援を行っていた青年ビル・グレアムは、殺人課の刑事アート・ウォール警部とともにこの連続怪死事件を追うが、やがて事件の鍵を握るらしい科学者エドワード・ビーチ教授がいるシルバー・シティで、化学物質の大爆発が発生。一瞬のうちに3万人以上の人命が犠牲になる。慄然とする惨事だが、しかしまだこれは全人類が迎える未曾有の危機のほんの序章に過ぎなかった。 1943年の英国作品。 ただし内容は、劇中でシルバー・シティの惨事をヒロシマの悲劇と比較しているので、翻訳の底本は戦後に加筆改訂された版らしい。 言うまでもなく「人類家畜テーマ」「見えざる高次元の神テーマ」の名作。 我が国では、本作の訳者・矢野徹によるリライトでジュブナイル海外SFとしても刊行され、さらに山田正紀のデビュー長編『神狩り』の原点となったことでも有名。 評者は少年時代にくだんのジュブナイル版を手にして関心を抱いたものの、内容の言いようもしない恐ろしさと不気味さに腰が引けてついにそのジュブナイル版は読了できずに終わった(怪しくも蠱惑的な挿絵は、ひとつふたつ今もたぶん記憶にある)。 後年(今から見れば大昔)にハヤカワSFの銀背版は古書で入手。ウン十年を経てようやく実作をまともに読むが、作中の時代設定が近未来(リアルではもう過ぎたけど)だったのに軽く意表を突かれた。実は作品の刊行そのものも物語設定も50年代だと勝手に思っていたので。まあその文芸はちゃんと活用されているので、意味はある。 とにかく前半のSFミステリ的な「掴み」は強烈で、これは石川喬司が『極楽の鬼』で語ったとおり。 後半は高次元生物ヴァイトンと人類との全面対決になる。人間の感情や精神の起伏をエネルギーに転換して食餌とするヴァイトンの設定は当時としてはかなり画期的なものだったと思うが、評者は厳密にはそれほど海外SFの大系に詳しくないので、明確なことはいえない。メタファーとしては、大戦時代の敵対国の暗喩なども潜むかもしれないし、読み物として現実の史実上の殺戮史を楽しむ「文明人」への揶揄があるかもしれない。その辺は恒例の深読み(笑)で。 しかし主人公グレアムを軸とした終盤の攻防戦はなんか、戦争活劇冒険小説の趣で、ほとんどモブキャラクターながら勇壮な英雄的最期を見せる登場人物なども続出。この辺には、英国出身の作家らしい、冒険小説の系譜を認める思いであった。 なお、印象的なシーンとして、グレアムがヴァイトンを殲滅する場面で「これは○○の分だ、これは○○の分だ!」と序盤で倒れた知己の科学者たちの無念を訴えながら攻撃を繰り返す、まるで少年マンガのクライマックスのような叙述が登場(正確なセリフ回しはちょっと違うが、だいたいそういうニュアンスの描写だ)。 読後にwebで本作の感想をあちこち覗いてみると、やはりこのシーンにフックされた人は多いみたいで、本作こそがこの「これは~」パターンの元祖だという見識もある。ちょっと面白い。 あとね本作はヒロインの女科学者ハーモニー・カーティス博士がなかなか印象的。ツンデレではない、なかなか底を見せないクール系(グレアムの方は岡惚れ)で、やはり当時としては、結構新鮮なヒロインだったんじゃないかと。 細部のツッコミどころはいくつかないでもないけれど、旧作ということも踏まえて得点要素は豊潤な作品。 評点は8点じゃなくて、7点に留めたいところもある。その感覚がちょっと今回は口にしにくいのだが。ただやっぱり8点は妥当だろう、とギリギリで思い直してこの点数で。 【2022年12月8日追記】 上記の「これは○○の分だ、これは○○の分だ!」とやり返すパターンの件だが、先日、読んだガストン・ルルーの悪漢主人公の作品『シェリ=ビビの最初の冒険』(1913年雑誌連載。定本の刊行は1921年)にも同様の場面があるのに気が付いた。こっちの方が少なくとも『ヴァイトン』よりずっと先駆ということになる。 |
No.1162 | 7点 | 夏色ジャンクション 福田栄一 |
(2021/04/25 14:01登録) (ネタバレなし) 20代半ばの信之は恋人の氏家奈緒と友人の笠原拓也に裏切られ、それが遠因で失業して相応の借金を負った。現在は唯一の財産といえるミニバンの中で暮らす毎日だが、ふとした縁で行き倒れの老人・浮田勇を助ける。勇がさる理由から東北を目指し、そしてバッグになぜか700万円の現金を携帯していると知った信之は、勇を目的地に送る手伝いをしながら、その金を奪おうと考えた。さらに途中で、やはり当人の事情から青森を目指す二世のアメリカ娘リサ・マリー・テイラーを旅のともに加える一行だが。 文庫版で読了。 信之が悪心を起こして勇のお金の強奪を企んでいることからクライム小説の一端とはいえますし(笑)、広義のミステリととれますが、それ以上に普通の青春小説でヒューマンドラマでロードームービー的ストーリーである(カーアクションとスリル、サスペンス、警察の介入などの要素もあるけれど)。 文庫版の表紙周りにも解説にも、特にミステリとは謳ってないけれど、まあその程度にジャンルとの接点がある青春小説ということで今回のレビューを。 男女の若者ふたりと年長の男性トリオの車旅といえば『幸福の黄色いハンカチ』だろうが、読了するまであの映画のことはまったく念頭になかった。つまり個人的には大枠以外、そっちとはまったく別ものの印象。 本当にスムーズに進行すれば2~3日で終わってしまいそうな話が、その倍以上の日数のストーリーに延長。それに見合ったイベントがいくつか用意されているが、いわゆる「神の手」になった作者のあざとさはほとんどない。 優しい局面もあれば苦い事態もあり、その混淆を経て迎える主人公トリオそれぞれの、そして3人まとめての着地点もまた、本作の味わい。 突き抜けたものはほとんどないけれど、いい作品である。こういうものをホメると(中略)とかいわれそうだが、まあいいや(笑)。ひと晩、じっくり楽しめた。 |
No.1161 | 8点 | いとしのシルヴィア E・V・カニンガム |
(2021/04/24 20:04登録) (ネタバレなし) 1958年8月。「私」こと金回りの悪い35歳の私立調査員アラン・マクリンは、40代後半の大富豪フレデリック・サマーズから、婚約者の詩人、シルヴィア・ウェストの前身を調べてほしいとの依頼を受ける。シルヴィアは20代半ばの大変な美女だが、彼女がサマーズに語る経歴は虚言だらけで、苗字すら本名でないらしい。サマーズの命令で、シルヴィア当人に会わないこと、騒ぎを大きくしないことを条件に、シルヴィアの調査を開始するマクリン。そして彼は「シルヴィア」の過去を知る多くの男女に対面するが……。 1960年のアメリカ作品。 本文462ページという大作で、翻訳書が刊行当時の歴代ポケミスの中では一番厚かったハズである(今でもトップ10の一角くらいには入ってると思うが)。 久々に長めの海外ミステリが読みたい、私立探偵小説がいい、という何となくの希求が自分のなかで重なったので、読み始めたが、さすがに読了までに二日間はかかった。 ただしマクリンが出会うシルヴィアの関係者のエピソードを積み重ねていき、さらにそれぞれの挿話の舞台(証言を聞く場所)もアメリカの各地を転々とするので、お話全体の起伏感はかなり強い。章立てもそれぞれの証言を聞く地名を並べる形で配列され、実に読み進みやすい造りの小説(ミステリ)である。 もともとは訳ありの少女だったシルヴィアがいかにこれまでの半生を生きてきたかが語られると同時に、次第にその当人には会わないまま自然といつしか思い入れを深めていくマクリンの心の傾斜が主題となる。 (あと、辻真先のスーパーみたいに、とにかく乱読の上の乱読で、独学で自分の教養と知性を高めていくシルヴィアのキャラクターがなかなか鮮烈。) 古い作劇、というか王道のストーリーテリングなのだが、さすがに直球の物語の組み立て方で面白い。 読み終えたあとに小林信彦の「地獄の読書録」の本作の評をリファレンスすると、これぞピカレスク(世の中の裏側を語る小説)の見本という感じで絶賛していた。自分もその評に異論はない。ただし一方で、普通の意味でのミステリ要素はおそろしく希薄で、これは特定人物の捜査や調査を主題にした普通小説に近いんじゃないのかな、とも思ったりもした。もし新旧ポケミスのなかで、あんまりミステリらしくない作品を十本あげろとか言われたら、自分はこれを候補のひとつに加えるかもしれない。 (なお、くだんの小林信彦の「地獄の読書録」の本作のレビューは、この作品の小説的な結末までバラしているので、これから読む人は注意のこと。) それでも終盤の切り返しとクロージングは、なかなか心に染みて悪くなかった。最後の最後で、枠組みの広い意味での、しかしてかなりジャンルのど真ん中に剛球が決まった<ハードボイルド>になったように見やる。 評者の読み方が必ずしも正しいとも思えないのだが、<そう>受け取ってもいいのではないか、と心におさめたい、余韻のある終わり方であった。 紙幅的にはもちろん長い作品なんだけれど、決して冗長ということはない。年に1~数冊くらいは、こういうのに付き合ってみたい、そんな長編。 評点は……う~ん、0.3点くらいオマケ。 |
No.1160 | 7点 | 二重アリバイ三重奏 大谷羊太郎 |
(2021/04/21 19:22登録) (ネタバレなし) その年の3月11日の午後9時代。練馬のマンションで、タレント活動もふくめて人気を博している若手作家、哲村玲次郎が殺された。31歳の哲村は、大学教授の娘で保育園の先生である24歳の美人・中条友美にプロポーズ中。だが返事は保留中で、さらに友美をめぐって争っている恋仇の会社員・浅田利行の存在が、捜査線上に浮かんでくる。しかしその浅田には確実と思われるアリバイがあり、さらにもうひとりの人物に嫌疑がかかるが、捜査を続けるうちに彼らには、それぞれ二重に別の場所で目撃された? 怪異な情報が確認される。 文庫書き下ろし。 あちこちに荒っぽい面もあるが、50~60年代の埋もれていて発掘された英国の技巧派パズラーを読むような感じで、かなり楽しかった。 ここではあまり書けないが、途中で作品の方向性が切り替わり、それと同時に読者の前に提示される謎の成分なども変遷してゆく。 作者的には最後まで(中略)ミステリとして息が続かないのでチェンジアップした気配もあるのだが、逆に言えばなりふり構わず、ラストまで謎解き作品としてエンターテインメントしてやる、という気概のようなものもうかがえた。とても好感がもてる。 本題の二重アリバイの真相は笑っちゃうようなところもあるが、これはこれで愛せる感じ。作者らしい? チープなトリックも個人的には歓迎したい。 ただしラストのお話としてのどんでん返しは見え見えで、深夜アニメのネットでの実況で言うなら「デスヨネー」と書き込みたくなるような感じであった。まあそんなお約束ぶりもキライじゃないよ(笑)。 楽しめるB級パズラー。小市民的なキャラクターのミステリとしての運用ぶりが、どっかクロフツっぽいティストも感じたりした。 ところで探偵役の八木沢庄一郎刑事、レギュラーキャラなんですな。個人的には初めて接しました。本作のなかでは警視庁捜査一課に所属というだけで、特に階級は明言されてないんだよね。もう警部補になっているのかしらん(叙述されてないだけでそうであったとしても、特に問題はないけれど)。 |
No.1159 | 6点 | 落ちた仮面 アンドリュウ・ガーヴ |
(2021/04/19 04:19登録) (ネタバレなし) 英国の植民地である南国のフォンテゴ。いまだ民度が低く、衛生的にもよくない土地だが、ここで奮闘しようと青年医師マーチン・ウェストが新任した。現地では近く新設のレプラ患者治療収容施設が、なぜか立地的に不適当なタクリ島に予定されている。実はその裏には、建築請負業者が島のとある要人に贈った賄賂の効果があった。だがその事実を知った土地の黒人青年が、祭事(フェイスタ)の日、仮面をつけた一人の人物に刺殺された。やがて殺人者の魔手は、マーチンの恋人で植民地参事官の娘スーザンにも迫る。 1950年の英国作品。 『ヒルダよ眠れ』に続くガーヴの第二長編で、別の翻訳ミステリ書評サイト(クリスティー研究家の数藤康雄氏による、英国作品専科の私評サイト)では、星5つで満点のところ星1つとケチョンケチョンの評価である。 さらに翻訳が福島正実でなくよく知らないヒト、ポケミスの巻末に解説もない……と、なんかあまり良い印象もない一冊だったのだが、まあ何はともあれ、読んでみる。 でまあ、一読しての感想だが、とにかくこれがガーヴか? いやそうなんだろうが……と思いたくなるくらいに、南国のエキゾチックな自然描写、異国描写がすごい。もうしばらくするとガーヴの諸作では、そういう自然派スリラーの要素はよい感じにこなれてきて、作者の売りとなる小気味よいサスペンススリラーの興味と溶け合ってくる。そこにガーヴという作家の個性が固まるのだけれど、この第二長編では、大先輩ハモンド・イネスあたりの作風を、まだ愚直に継承しようとしている感じ。もしかしたらもともとご本人としては、こういう方向にもっと没入したかったのかな、とさえ思ってしまった。 とにかく前半はエキゾチックな叙述にかなりの筆が費やされ、その分、後年のガーヴらしいサスペンススリラーの躍動感は希薄。勝手な想像だが、数藤康雄さんはこの辺の自然描写、海外描写の肉厚さに戸惑ってつまらない、と思ったのかもしれない? まあそういう気分はよくわかる、わかるんだけれど、一方で英国自然派冒険小説の正統派の大きな系譜であるイネス的な方向に、初期のガーヴの足のつま先が向いていた、と考えれば、こういう路線にさらに傾倒していく可能性もあったんだろうな、とも思えた。 実際に中盤のフォンテゴ、タクリ島を襲う嵐の描写は、紙幅的にはそれなりながら、かなりの迫力で、その後の島の荒廃ぶりも後半のストーリーに密接に結びついていく。 こういうところにも、初期ガーヴのやりたかったこと、または試行錯誤の道筋がいろいろ見えるようで、とても興味深い。 あとはマーチン以上に本作の実質的な主人公といえる、<仮面をつけた犯罪者>の描写とキャラクター性がポイント。この悪役が誰かはとりあえずここでは書かないが、読んでいくとリアルタイムで殺意の発生と犯罪計画の始まりからが語られる。マーチンとその恋人のスーザン視点からすれば通常の巻き込まれサスペンスだが、その悪役を実質的な主役とするなら、本作はほとんど倒叙クライムサスペンス(悪人が犯罪の露見におびえる意味でのサスペンス)といってもいい内容だ。その上でその悪役主人公と某メインキャラの関係性など……うん、やっぱりいろいろとガーヴっぽい。 といったもろもろの意味で、いつもの<とてもオイシイ塩せんべい>的な、サクサク楽しめるガーヴの作風を予期すると、まるで裏切られるんだけれど、これはこれで作者らしいファクターは相応に備えられており、その上でのちのちの諸作からは薄れていった作法なんかもいっぱい見出せる長編。そういう言い方をするなら、ガーヴ好きなファンなら、ちょっと興味深い一冊でもある。終盤のヒネリもまあ先読みできないこともないが、1950年なら結構洒落たオチだったともいえるか。 初期作品で、しかももしかしたら『ヒルダ』よりも、もっともっと以前から自分が書きたかったものを出しちゃった分、勢いあまって胃にもたれるところもあるが、力作だとは、思う。秀作とはいいにくいが、佳作といえるかも? と悩む余地はあり、だな。 原書は英国の方の「クライム・クラブ」から刊行された、あるいは収録されたらしいが、ジュリアン・シモンズはどこかのタイミングで<叢書としてのクライム・クラブのなかのベストダズン>の一冊にこれを(クリスティーの『ABC』やP・マクドナルドの『迷路』、クロフツの『ヴォスパー号』などとかと並べて)選んでいたらしい。 まあこのエキゾチシズムとかが日本人以上に、英国人のシモンズとかにはピンときたのかもしれないね。 |
No.1158 | 6点 | 口から出まかせ 藤本義一 |
(2021/04/17 02:57登録) (ネタバレなし) 卒業後の進路に意欲が湧かず、留年を選んだ二流私大生の短兵は、ある日、禿頭の中年男、熊蔵に出会う。彼は表向きは香具師だが、実はプロの哲学をもつ年季の入った詐欺師だった。熊蔵の裏稼業に触れて関心を抱いた短兵は彼に弟子入りし、正道の詐欺師の道を歩み出す。 「オール讀物」に昭和51年から53年にかけて掲載された、全7本の連作短編ピカレスク。 家の中で見つかった文春文庫(たぶん、亡き父の蔵書だったらしい)で読了。 <昭和のタレント文化人>としての生前の著者の活躍にはテレビなどで接した記憶はあるが、小説の実作を読むのは今回が初めて。タマにはこういうのも面白い。 発端編を経た2話以降は、何らかのマクラをもとに開幕。熊蔵が計画した作戦に、その全貌が見えないまま短兵がのっかり、短兵自身も細部では彼自身のアドリブを利かせながら計画を遂行するのが基本パターン。 大抵は後半~終盤で計画の狙いがようやく明かされるという定型ぶりで、各編に多彩なコン・ゲームものとしての楽しさがある。 各話のネタは作者なりに裏の世界の取材をした成果らしく、詐欺の手口にもバラエティが感じられて興味深い。 とはいえ(アタリマエながら)基本的には、ネットもスマホも携帯も電子マネーもない時代の詐欺行為。騙しのテクニックなども隔世の感があり(実際にそうだ)、もはやノスタルジックな時代風俗の興味で読ませる部分も大きい(笑)。 21世紀の現実の老人を騙すオレオレ詐欺なんかにはリアルな嫌悪感しか抱かないが、人心を尊び、時に被害者側への配慮までわきまえた(ほぼ愉快な詭弁ながら)本作の主人公たちの行為は、フィクションの枠内での健全なエンターテインメントとして容認されるよね。 そういう意味では、ある種のロマン作品、まさにピカレスク浪漫であった。 |
No.1157 | 7点 | ギデオン警視の危ない橋 J・J・マリック |
(2021/04/16 15:09登録) (ネタバレなし) スコットランド・ヤードの犯罪捜査部長、ジョージ・ギデオン警視は、出版社や新聞社の社主であるジョン・ボーグマンを以前からマークしていた。ボーグマンは資産家の妻リアを自動車事故に見せかけて、遺産目当てに殺害した嫌疑があったのだ。だが実業界の大物ボーグマンへの本格的な捜査は、辣腕の悪徳弁護士パーシー・リッチモンドの陣営にはばまれて難航。下手をすればギデオンたち捜査陣の立場を悪くしかねない面もあった。一方でそのころのロンドンでは、自動車泥棒集団の暗躍や幼女連続殺人ほか、多数の事件が並行して続出する。 1960年の英国作品。ギデオン警視シリーズの第6弾。 大昔にどっかの古本屋で買ったのを読む(巻末の目録ページの上に、鉛筆書きで80円とある)。 大傑作だったシリーズ前作『ギデオン警視と部下たち』の次の長編。同作の後日譚的な趣もあり「老人」こと警視総監スコット・マール大佐とギデオンとの会話のなかに、一年前の内務省との軋轢の話題も出てくる。 ボーグマン事件、自動車窃盗団事件の二つを大きな柱にしたモジュラー派警察小説としての作りはスタンダード、もしくはそこにちょっとプラスアルファという手応え。 殉職する刑事や殺される情報屋の叙述など、そういう惨事が往往に起きるというのも作中のリアルであろうが、前作での鮮烈な描写のすぐあとだけに、なんとなく同じことをまたやっているという印象もなくもない(作中で命を失う、当該のキャラクターには申し訳ないが)。 一方で本作の得点というか特色として、ギデオンの同僚の警視フレッド・リーが、かつて悪徳弁護士リッチモンドに別の事件で苦渋をなめさせられており、それが遠因で負け犬になりかかっているのだが、そこから今回の事件を契機に再起する図が、地味にしかしさりげなくドラマチックに語られる。こういうのはいい。 あとはボーグマン逮捕の決め手となる、ちょっとトリッキィともいえるミステリ的なギミック、趣向もポイント。 自動車泥棒事件の方では、犯罪者一味の悪事の目撃者の少女ラシュル・ガリーと若手巡査シリル・モスの距離感の推移や、なぜか巻頭の人名表にめだつように名前が出ているトラック運転手の青年レッジー・コールの役回りなど、それぞれ小説のデティルとしてなかなか面白い。 ちなみに小規模の事件の方のいくつかは、いかにもストリーの厚みを増すためにトッピング的につけくわえた、という感じのものもあって(不倫男の殺人や、競馬界の陰謀など)、この辺はちょっとお手軽な気もしないでもない。 まあ、悪事や事件というものは、絶えず不如意に生じるものだ、という真理において、妙なリアリティを感じさせる面もあるが。 シリーズの中では中の上、という感じかな。まだ3冊しか読んでないから、大きなことは言えないのだが。 評点はちょっとオマケして。 |
No.1156 | 8点 | 名なし鳥飛んだ 土井行夫 |
(2021/04/15 00:54登録) (ネタバレなし) 昭和23年9月。GHQの指導を受けて学制改革に臨む大阪の澪標(みおつくし)高校は、数年後の廃校が決定した。同年4月から同校に新人教師として赴任していた「オタヤン」こと小谷真紀は、その日、宿直に就くが、「ホトケ」こと校長の浜田栄が校内で突然、服毒死した。自殺らしき現場には、遺書らしい自由律俳句が残留。オタチンはこれに不審を抱いて調査を開始した。やがてオタヤンは、ホトケが参加していた文芸同人誌「みみずく」誌への謎の寄稿者「名なし鳥」なる人物を意識する。だが学校の周辺では、さらなる事件が……。 第三回サントリーミステリー大賞本賞受賞作。 webなどでの情報をまとめると、作者・土井行夫(どいゆきお、1926年9月14日~1985年3月7日)は、もともと昭和のテレビドラマ界などで活躍した脚本家。 現状ではWikipediaに本人の独立項目などもないが、高橋英樹主演の時代劇『ぶらり信兵衛 道場破り』(1973年)などにも参加。筆者もたぶん同番組の担当回は観ているハズである(内容はもう完全に、忘却の彼方だが)。 そしてご本人はサントリーミステリー大賞に応募後、大賞の選考の20日前に他界されたそうで、本賞授与の吉報を聞く機会はなかった。 意地悪な見方をするなら、ご当人のご不幸に当時の選考委員が斟酌した可能性も疑えるが、評者の個人的な私見では、本作は受賞の栄誉に相応しい力作で秀作。 主題や設定などは乱歩賞受賞以降の梶龍雄作品を想起させるもので、当然、作者(土井行夫)の念頭にもそのことはあったと思われる。 その上で、太平洋戦争の傷痕への慰謝とその呪縛が謎解きミステリのロジックに密接にからみあう作劇は、かなりの読み応えを獲得。先駆の梶作品に確かに近いが、どこか微妙に違う全体の情感もじわじわと心に染みてくる(多彩に描き分けられた、教師や生徒たちのキャラクターがそれぞれなかなか良い)。 謎解きフーダニットのパズラーとしては、一部の情報の提示が遅めな感触もあるが、一方で伏線や手がかりは随所に用意され、それなり以上に練られてはいると思う。 作品の構造のネタバレになるのであまり多くは語れないが、本当の真相に接近してゆく物語の組み立て方も効果的。 苦さと切なさをまじえながら、それでも一定以上の詩情をそなえた、昭和の一時代を切り取った庶民派パズラーで、こういうのを年に一冊くらい読めればいいなあ、とも思う。 (今にして、本作のあとのこの著者のミステリ分野での活躍に、もう少し接してみたかった。) 評価は0.5点くらい、おまけして。 |
No.1155 | 6点 | 霖雨の時計台 西村寿行 |
(2021/04/13 16:13登録) (ネタバレなし) 3年前に恩人の女性とその夫、義母を殺害した容疑で死刑判決を受けた33歳の元料理店店主、江島正雄。その死刑執行の日が5日後に迫っていた。そんななか、警視庁のベテラン刑事、芹沢孝包(たかさね)は今なお江島の無実を確信して、半ば退職同然の形で事件の真相を洗い直しにかかっていた。だがもはや時間はない。そんななか、地方局、宮城テレビの編成部長で45歳の曲垣修蔵は、このまま定年まで穏便な職務を送るよりはと、運命的に現在の状況を見知った刑事・芹沢の捜査の軌跡を、リアルタイムで報道する。それは芹沢にとっても世間の関心を改めてこの事件に集めて、死刑執行の中止権をもつ法務大臣・中畑に訴えの声を届ける好機でもあった。やがて再捜査の第一歩として、芹沢は3年前に捜査本部から黙殺されたある観点から迫るが。 角川文庫版で読了。 寿行がこんな『幻の女』(あるいは『処刑6日前』『誰かが見ている』etc……)パターンの死刑執行タイムリミットサスペンスを書いていたとは、半年ほど前にブックオフで本の現物に出会うまでは知らなかった。 この手の作品の場合、主人公たちがギリギリのところで真犯人を暴いても、厳密にはそこで事態が解決するわけではない、死刑が実行されるその前に法務大臣に真犯人発覚の事実が適切な経緯で伝わり、中止の認可が降りるまでがゴールだ、というリアリズムがある。 本作はその辺のポイントにしっかりと食い下がった長編で、再捜査をリアルタイムで報道するテレビ番組が全国の視聴者(世論)と法務大臣、さらには警視庁までも拘束する(こんなにテレビで騒ぎになっているため、法務大臣は「もう執行命令を出して自分の役割は終わったんだから」と遊びにいくことも許されない)。このメカニズムの着想はすばらしい。 一方で真犯人検挙という成果が上がらなければ、法務大臣や警視庁はムダに時間を要されたわけで、芹沢と連携した宮城テレビも責任を問われる。斯界からの報復は必至。 宮城テレビの曲垣、そして彼の計画を支援する同局の上層部たちはこんなイチかバチかのリスクのなかで、芹沢の執念に勝負をかけて報道を敢行。この設定は実に面白い。 ただまあソコはソコ、どっか天然の寿行のことなので、筆の勢いに任せて物語がノッてくると、当初の主人公のひとりだったハズの曲垣はお役御免になり、後半は芹沢、そして法務大臣の中畑や警視庁の面々、そして犯人側の叙述の比重が増えてくる。まあいいんだけどね。 なんか事件を語るカメラの広角が増えるにつれて、序盤からの重要キャラが忘れられていく感じ。 エロくて猥雑、そして悲惨な性虐描写などは、いつも寿行作品のティスト。ミステリ味はシンプルなのだが、例によってクセのある叙述で真相に迫っていくので飽きさせない。 芹沢を取り巻く人間関係の変遷が本作のキモ。クライマックスのざわざわ感はなかなか印象深い。 こちらの期待する作者持ち前のバーバリズム以上に、小説としての練度が上回っていた感覚もあるが、まずは佳作~秀作(のほんのちょっと手前)。 7点に近いこの点数というところで。 |
No.1154 | 7点 | 死のミストラル ルイ・C・トーマ |
(2021/04/12 04:22登録) (ネタバレなし) その年の10月。31歳の建築家ジルベール・シャンボは、26歳の愛妻エブリーヌとともに、平穏そうな日々を送っていた。だがある夜、彼の自宅に「アントワーヌ・カルビニ」と名乗る青年がいきなり来訪。カルビニは去る6月24日、ジルベールのナンバーの乗用車がカルビニの新妻ジョゼットを挙式の日に轢き殺したと主張。ジルベールは身に覚えがないないひき逃げへの告発に反発して抗弁するが、やがて事態は意外な方向に……。 1975年のフランス作品。 評者はHM文庫版(翻案テレビドラマが放映された時に刊行された)で読了。 ルイ・C・トーマはフランスのサスペンス系作家で、日本には長編が4作紹介。80年代の本邦ミステリ界ではそこそこ人気を得ていたようなような印象があったが、本サイトでもAmazonなどでもレビューがまだない。21世紀の現在では、半ば忘れられた作家ということになるのか。 (と言いつつ、評者も読むのは、今回が初めてだ。) 本作の傾向が近い作家の名前をあげれば、ウールリッチとアルレーあたりの混淆という感触。少しボワロー&ナルスジャックも入っているかもしれない。要はフレデリック・ダールやミッシェル・ルブランの系列かも。 プチブルの主人公である若夫婦が蟻地獄に滑り落ちるように、一進○退しながら逆境にはまっていく大筋は息苦しいが、一方で小中の山場が豊富に用意され、サクサクお話が進んでいくのはなかなかよろしい。 キャラクターの造形なんかも、脇役かつポジション的には重要な役割の警察官コンビなんか、お話の流れの中のスキマを活用して、キャラが立った人物を登場させようという感じ。こういうノリは悪くない。本当にシリアス一辺倒に語ったらかなりダークになってしまう話に、よい感触で潤いを与えている。 終盤のどんでん返しの波状攻撃は、中には先読みできるものもあるが、それなりの量感と手数の多さで得点に成功している。 クロージングは(中略)という印象なのだが。 文庫版で300ページ強。3時間で読めた佳作~秀作。 たぶん作者は、この手の(中略)系サスペンス路線での安定株でしょう。 |
No.1153 | 5点 | 大迷宮 横溝正史 |
(2021/04/11 18:04登録) (ネタバレなし) その年の夏、東中野での興業で市民の人気を博したタンポポ・サーカス。だがそこの花形スターである空中ブランコの芸人、銀三少年がいずこかへと姿を消した。それからまもなくして中学一年生で同サーカスのファンである立花滋は、従兄弟の大学生、立花謙三が待つ軽井沢に向かう車中で、銀三そっくりな少年に出会う。やがて謙三とともに山中を彷徨う滋は、奇妙な洋館に入り込み、怪異な事件に遭遇した。謙三は知己の名探偵・金田一耕助の出馬を仰ぐが。 『少年倶楽部』1951年1月号~12月号連載。 評者は今回、蔵書である偕成社の叢書「ジュニア探偵小説」の5巻(昭和43年4月初版。装幀・カバー絵:沢田弘、さし絵:岩田浩昌)で読了。 うー……。少年時代から楽しみにして読まずにとっておいた一冊だが、想像を超えて(下回って)ツマラン……(涙)。 だって金田一耕助(等々力警部も登場)VS「(中略・あえてネタバレを気にしてまだ秘す))」だよ。 作者がそれまで別途に著述していた二大キャラクター(後者はまだ1回しか出てないが)による「巨人対怪人」の構図、趣向、コレに期待しないワケはない。 ところが実際の中身では、両者たがいにマトモに顔合わせもせず、盛り上がらないこと甚だしい(怒)。 わたしゃ、あのヒトが耕助に面と向かい 「ふっふっふ。貴様があの噂に聞く、一柳家の怪異の真相を暴き、獄門島の凶事を解き明かした名探偵か。いちど会って戦ってみたかったぞ」 くらい言ってくれるものと……(大泣)。そんな外連味かけらもないんでやんの! ここまでオイシイ趣向を用意しておいて、少年マンガしないでどーするっ!! 少なくともジュブナイルミステリ(スリラー)分野に関しては、ヨコミゾが大乱歩の足元にも及ばないことは改めてよ~くわかった。 大傑作『宇宙怪人』の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたい。 まあ細部で妙なまでに、ミステリ的なギミックやサプライズをいっぱい盛り込んでいることだけは認めましょう。たぶんここが見せ場なんだろうというところもいくつかあって、そのうちの一部はソコソコ、ちょっとこちらの心の琴線にヒットしたし。 (それにしてはどんでん返しの仕込み(伏線)が、本当にネタを割るその直前からだとか、いろいろ造りがしょぼいけど・汗。) |
No.1152 | 8点 | 第3の日 ジョゼフ・ヘイズ |
(2021/04/10 18:37登録) (ネタバレなし) 1963年9月の下旬。ニューヨークの一角で一人の男性が、自分が負傷してそして記憶を失っていることに気がつく。彼は、出会う人たちが呼びかける名前と懐中の所持品から、自分が当年35歳のチャールズ・F・バンクロフトなる人物だと認定。チャールズは所持していたメモ書きに導かれて、知人らしき老婦人エーデル・バランショアを訪問。一方で直感的に自分の記憶喪失の件は、ぎりぎりまで周囲に伏せておいた方がいいと判断しながら、やがてニュージャージーの、妻アリグザンドリア(アレックス)の実家パーソンズ家へとどうにか帰り着く。パーソンズ家は先祖代々、高級帽子の製作販売で成功を収めた土地の名士で、チャールズも社長オースチンの娘婿の立場で、事業の要職を務めていたらしい。だが1年前にそのオースチンが病床についてからは、会社の業績は急落。現在は会社を譲渡すべきかの論議がなされている最中だった。やがてチャールズは会社周辺の騒動とはほかに、別のトラブル~事件に直面することになる。 1964年のアメリカ作品。 現状でAmazonにデータ登録がないが、邦訳は井上一夫の翻訳で角川文庫から1971年3月10日に初版が刊行(本文450ページ。定価280円)。 作者ジョセフ(ジョゼフ)・ヘイズは、1918年にインディアナポリスで生まれたサスペンス系のミステリ作家。 本サイトでのtider-tigerさんによる『暗闇の道』のレビューでは同作しか邦訳がないようだとあるが、実際は同作と本作、さらに早川ポケットブックに収録の『必死の逃亡者』とのべ3作品が紹介されている(tider-tigerさん、ヤボな指摘(ツッコミ)、誠にすみません~汗~)。 評者がヘイズ作品を読むのは今回が初めてだが、本作品も本そのものは大昔に古書店で入手(巻末の角川文庫目録ページの上に40円と鉛筆書きがあった)。 例によっての書庫からの蔵出し本(汗・笑)だが、本作については大昔にミステリマガジンのリアルタイムの月評で「記憶喪失もので面白い作品を読んだ覚えがない」と簡素に切って捨てられた一方、本作を話題にした後年の「本の雑誌」とかの記事などで「これはとんでもなく面白かった」と褒めてあり、その感想の差異の大きさに軽く驚いたという推移がある。 しかしこの時期の角川文庫の翻訳ものは、初期の早川NV文庫などと同様、表紙周りにあらすじも作品の素性も記載していない、登場人物一覧もついてないというヒドイ編集&仕様なので、なんか敷居が高かった。 それでまあ今回、思いついて勢いで読んでみたが、いや、これは面白い! ミステリマガジンではなく本の雑誌の記事の方に軍配(笑)。 前述のように本の外側にまったく情報のないので、今回はまず本文より先に、井上一夫の訳者あとがきから読んでしまったが、そこでは<本作はタイトル通り三日間の物語>と記述。450ページはそれなりに厚めだが、しかし一方で三日間の時間枠限定でストーリーが決着するならかなりハイテンポだろうと期待したが、まさにその通りの内容。 ただし主人公を追い詰める流れ、かかわり合ってくる登場人物たちの扱い、それらは全体的に自然なので、お話の流れに人工的な無理はほとんどない(皆無とは言えないが)。 作中では犯罪(殺人?)にからむミステリ要素も用意されているが、どちらかといえば物語の基軸は名門実業家パーソンズ家内部の人間ドラマ、さらには企業「パーソンズ帽子」の乗っ取り? 劇の方に比重が置かれる。その辺の話の築き方が、のちのちのシドニー・シェルドンの先駆のようなティストで、かなり読み応えがある。 訳者あとがきによるとあのバウチャーも年間ベストの一つとして賞賛したというのも、実に納得のいくところだ。 ページ数が残り少なくなっていくなかでギリギリまでテンションを保ちながら、終盤でのまとめかたも「ああ、アメリカの(中略)だなあ」という感慨を呼ぶが、こういう作品はこれでいいのである。半世紀も前の旧作だしな。 運よく古書店で安く出会えたり、図書館で借りられたりしたら、読んでみてもいいかもしれませんね。 評価は0.5点ほどオマケ。 |
No.1151 | 6点 | 第二の顔 マルセル・エイメ |
(2021/04/09 04:40登録) (ネタバレなし) 1930年代末のパリ周辺。「ぼく」こと38歳の平凡な中年で、広告仲介会社社長ラウル・セリュジュは、役所に出かけたその日、いつのまにか自分の顔が全く変わっていることに気づく。そこにあるのは、30歳前後のかなりの美青年の顔だった。不条理な現実に戸惑いながらも、とにもかくにもこれを事実だと受け入れたラウル。彼は自分の会社から何とか資産を持ち出し、表向きは海外出張を装いながら隠遁生活に入る。「ロラン・コルベール」と名乗ったラウルは、この怪事を妻ルネーの叔父で、好人物ながらいささかボケかけた老人アントナンに述懐。一方でとある考えから愛妻ルネーを、初対面の美青年ロランとして<不倫>の情交に誘うが。 1941年のフランス作品。 昭和の広義の翻訳ミステリ分野では、結構有名な不条理ファンタジーだと認識していたが、本サイトでもまだレビューがない。じゃあ、と思い、書庫で見つかったこの一冊(創元文庫の帆船マーク)を読んでみる。 そういえば、読了後に訳者あとがきを読んで改めて意識したが、この作品、乱歩の『続・幻影城』の中で<変身願望>テーマのサンプルとして取り上げられていたのであった。 主人公ラウルの唐突な変身の原因は不条理小説の常として? 最後まで読んでも不明(神のみわざらしいとか、そういう観測は作中でなされるが)。 とにもかくにも、若くてハンサムな顔、そして新たな名前という、これまでと刷新した容姿と素性を手に入れたラウルだが、だからといって行動の枠が大きく広がったりはせず、自分の奥さんを別人を装って寝とりにいくというのが、笑えるような切ないような微妙なところ。そのほか数名のヒロインたちとの関係性をふくめて、若いハンサムに変身したからって何が大きく変わるものでもない、元の位置からそう遠ざかれない、という主張も覗いてくる(まるでサム・スペードの語る、失踪したダンナのその後の逸話のようだ)。 大設定の突拍子なさの反面、その後の展開はおおむね地味で地に足がついた感じだが、それだけに随所のユーモアや人間模様のペーソス感がなかなか味わい深い。ラストの決着はちょっと引っかかるところもあるが、まあその辺は。 とりあえず、読んでおいて良かった、とは思うけど。 |
No.1150 | 7点 | 重犯罪特捜班 ザ・セブン・アップス リチャード・ポスナー |
(2021/04/08 14:42登録) (ネタバレなし) ニューヨーク市警内に創設された「セブン・アップ特捜隊」。それは「セブン・アップス」(刑務所に収監されれば、7年以上の量刑を受ける重犯罪者を意味する隠語)を主体に捜査と逮捕を行う、中年で独身の敏腕刑事バディー・マヌッチをリーダーとする特捜部隊だ。厳粛に法規を遵守するゆえに守勢に回り、警官側の被害と犯罪者の横行を許していたNY市警にとって、攻勢のセブン・アップ特捜隊は期待の組織だったが、同時に警察内外からも危険視される見方があった。そんななか、NYでは、マフィアの大物を誘拐して身代金を奪う犯罪者が暗躍。バディーは、幼なじみの親友で病身の妻ローズを抱えた情報屋ビトーに接触し、さらに不穏な動きの暗黒街に愛妻家の部下の刑事ケン・アンセルを潜入させるが。 1973年のアメリカ作品。同年にアメリカで公開された(日本では74年公開)20世紀フォックスの、本書と同じ邦題の映画『重犯罪特捜班 ザ・セブン・アップス』のノベライズ作品。 評者は、原作映画はまだ未見のはず。映画本編を観る機会がなかなか得られなかったり、あるいはこちらから読んでもいいかなと思ったノベライズを原作映画より先に手にすることは、ままあるが、これはそんな一冊。 HN文庫の訳者(佐和誠)のあとがきを読むと、小説がいかにも映画の原作のように思わせぶりに書いてあるが、巻頭の原書版権クレジットなどを見るとあくまでノベライズなのは一目瞭然。60年代~70年代の半ばごろまでは日本の一般読書人のなかに<先に映画があり、それを小説化したノベライゼーション>という概念がまだ浸透しきっていなかったので(もちろんちゃんとその辺をわきまえている人もいたが、そんなに多くはなかった)、だからその時期の早川書房などではいくつかの作品を実際にはノベライズなのに「原作」と称して売っていたはずである(当然、該当する時期のノベライズの全てがそうだとはいわないけれど)。 ノベライズという文化に関しては、基本は「しょせんは後追いのもの。単品で楽しむならまずほとんどは、原作の映像作品の方が面白い」という観測と「ノベライズでも面白いものは面白い、時には原作の映像作品よりも面白い」という意見の双方があり、そういうそれぞれの主張はミステリマガジンの読者欄とかミステリサークル、SRの会の会誌「SRマンスリー」の誌上とかで延々と目にしてきた。 評者は個人的には後者で、作品の立ち位置を正確に認識して、適宜に評価しながら読むならノベライズそのものにも、十分に一冊の小説作品としての価値があるとは思う。 (要は具体的には、映画を未見で先にノベライズを読んだときは、その面白さが小説独自の脚色や演出で生じたものと即断せず、原作の映像作品からの継承要素である可能性も常に意識したい、ということですな。) そういう訳で本書(ノベライズ版『セブン・アップス』)だが、とにもかくにも地の文に力があり、一本の警察小説ミステリとしてかなり面白い。のちのちにベテラン訳者となる佐和誠の翻訳もかなり達者だとは思うし、それこそ映画がベースかもしれないが、セブン・アップス特捜隊とマフィアや誘拐犯たち犯罪者側の好テンポな視点切り替えが効果を上げて、ストーリーに絶妙な立体感を与えている。 ちなみにセブン・アップス特捜隊の実働メンバーは主人公バディーをふくめて4人だが、その過去の人間像なども細かく叙述。この辺は確実に、小説としてのメディアでの利点(テキストでの情報量を書き込める)を活かした感触だ。 それでこれはもしかしたら原作の映画も込みの? 感想になるかもしれないが、本作は警察内部で危険視されるセブン・アップス特捜隊の微妙な立ち位置も丁寧に叙述。NY市警の正道の捜査官で常日頃は特捜隊を半ば敵視しているジェリー・ヘインズ警部補が、いざ特捜隊に被害が生じた時には、何のかんの言っても同じ警察官として思いやりを見せてくれるところなんか実に泣かせる。あとこれはネタバレになりそうだからあまり書けないけれど、本作は警察捜査(アクション)ミステリでありながら、隣接するジャンルのある定型的な主題まで押さえ込んでいて、その意味でもなかなか読み応えがあった。 終盤のクライマックスは、小説として紙幅がどんどん残り少なくなっていくなかでなかなか最後の決着に至らず、この辺の読み手を焦らすテンションの高さも印象がいい。 なお小説執筆担当のリチャード・ポスナーは、これ以外、全然聞かない見たこともない作家。本国ではもっと活躍してるのか。これ一本で消えてしまったのか。もしかしたら別名で著作があるのか。いずれにしろ、かなり読ませる書き手という感触だった。 小説オリジナルで「セブン・アップス特捜隊」シリーズの続刊とか出ていてもいけたんじゃないかな、そう思ったりする(まあもしかしたら、原書ではそういう流れがないとは……万にひとつくらいは可能性はある……のか?) |