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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.33点 書評数:2194件

プロフィール| 書評

No.1254 7点 追跡者
パトリック・クェンティン
(2021/08/07 07:18登録)
(ネタバレなし)
 ニューヨーク。 元ボクサーで、今は鉱山技師として活動するチェコ系の青年マーク・リドンは、およそ三か月前に社長令嬢の美人エリー(エリノア)・ロスと結ばれた。しかし結婚直後、大きな仕事が入り、ヴェネズエラに単身、赴いていたマークは、ようやくふた月ぶりに愛妻のもとに戻る。だがエリーが待つはずのアパートに彼女の姿はなく、そこにあるのは、かつての妻の彼氏の一流会社の支配人ユーリイ・ラスロップの死体であった。何らかの事情から、妻が元カレを死なせて行方をくらましたのか? 疑念に駆られたマークは消息を絶った妻の行方を探し始めるが。

 1948年のアメリカ作品。
 主人公マークの叙述は三人称だが、全編ほぼ一視点。焦燥に駆られながら愛妻を追い、次第に予測もしていなかった事態や事実に次々と向かい合うことになる筋立てのリーダビリティは最高級である。
 
 意表をつくタイミングで山場が設けられたのちに、後半の展開に突入。人間関係は入り組んでいるが悪い意味での煩雑さなどはあまり感じず、サブキャラまでかなり無駄なくお話作りに奉仕させて、効果を上げている感が強い。
 クエンティンのメインストリームといえる、ウェッブ&ホイーラーコンビの晩期の作品だけあって、作劇やキャラ造形の練度が高く、そういう意味では完成度は高いだろう。

 しかし作者たちの一番の狙いは、さるキーパーソンの人物造形とそこに込めた文芸味だろうね。これはいろんな意味で相応に驚いた。

 後味を書くと作品の方向が見えてネタバレになりそうなあやうさがあるので、その辺にはココではあまり触れないが、もっと(中略)などという思いも生じたりした。

 終盤は、事態の全貌を知りすぎている某キャラの説明で事件のアレコレが語られすぎじゃないか、という気もしたが、この辺はまあギリギリ。

 とにかく、とあるポイントで、妙に(?)メンタル面を刺激する長編ではあった。評点はこのくらいに。


No.1253 6点 あばずれ
カーター・ブラウン
(2021/08/06 15:30登録)
(ネタバレなし)
「おれ」ことパイン・シティ保安官事務所に所属する警部アル・ウィーラーは、上司の保安官レイヴァーズから、モルグに5年間ホルマリン漬けで保管されている生首について、相談される。生首は若いハンサムな男性で、5年前に胴体が見つからず首だけが発見され、それからずっと、身元不明だった。だが町から20~30Km先のサンライズ渓谷の大地主サムナー家、その料理人の老女エミリー・カーリューが昨日、町の病院で死亡。エミリーは末期に、実はあの首の若者の素性を知っていた、彼はサムナー家の客人「ティノ」で、同家の長女チャリティも何か関係があったようだと言い残したのだ。ウィーラーはサムナー家に再調査に向かうが、一方で名の知れたマフィア系ギャングのガブリエル(ゲーブ)・マルチネリも町に来訪。5年前に弟ティノが行方不明になったガブリエルは今度の情報を聞きつけて、パイン・シティに犯人捜しと復讐にやってきたのだ。

 1962年の版権クレジット作品。
 邦訳だけでも数あるウィーラーもののなかでは、割と定評の人気作だと思うが(「地獄の読書録」などで小林信彦がホメていたハズ?)、自分の部屋を別用でかき回していたら出てきたので、ウン十年ぶりに再読した。

 ギャングのガブリエルは、あのラッキー・ルチアーノの元舎弟だったという大物の設定。
 そのガブリエルが側近として連れている元弁護士の盲目の殺し屋「しのびよる恐怖」ことエドワード(エド)・デュブレがなかなか立ったキャラで、評者も物語の細部は忘れてもこの人物だけはよく覚えていた(協力者の手を借りて相手を真っ暗な閉鎖空間に閉じ込め、暗闇に慣れ切った盲人の方が完全に有利な状況の中で奇襲し、殺害する)。もともと知的階級の素性ゆえ、普段は紳士然としてウィーラーとやりあうデュブレの芝居もよい。

 なお謎解きミステリとしては完全に忘れていたので、
①死体は誰か=本当にマフィアの弟ティノか(そもそも殺された動機は?)
②フーダニット
③なぜ首を斬られたか
 などの興味から読み始めたが、②に関しては捜査をしてゆく上でおのずと分かる流れ、③の真相も大したことはないが、①についての作中の事実と、殺人事件に至った経緯についてはちょっと凝った内容で面白かった(読者が推理する余地はほとんどないが)。
 郊外の旧家サムナー家の納骨堂という舞台装置も、立体的にストーリーに役に立って、そういうゴシックロマンのパロディ的な趣向も面白い(冒頭でウィーラーが、状況の説明をするレイヴァーズに「ブロンテ姉妹のどっちかですか」とジョークを言うギャグ場面がある)。

 あとはレギュラーヒロインで、ウィーラーに対してツンデレ娘のアナベル・ジャクソン(レイヴァーズの秘書)が、保安官事務所に現れたガブリエル一派におびえ、そこでうまく立ち回ってくれたウィーラーにいっきにイカれてしまう描写が愉快(このシーンそのものは何となく記憶していたが、ああ、この作品だっけ、という思い)。今でいう「チョロイン」(チョロくオチる、ラブコメ漫画やラノベなどのヒロイン)の先駆という感じであった。まあ最後は良い意味で(中略)だが。

 ちなみに題名の「あばずれ」(ヘルキャット)とは、ゲストメインヒロインのひとりで赤毛の美人チャリティ・サムナーのこと。webで本作の原書のペーパーバックの表紙を眺めると、数種類の版に赤毛の下着姿の美女が描かれており、これが彼女のイメージかな、という感じ。カーター・ブラウンの作品でこういう楽しみ方ができるのは、21世紀のネット時代ならではだネ。 


No.1252 6点 希望(ゆめ)のまちの殺し屋たち
加藤眞男
(2021/08/04 05:28登録)
(ネタバレなし)
 2013年の埼玉県さいたま市。妻帯者の設計士・田辺郁夫、デパートの呉服売り場担当の中年女性・鈴木佐恵子。受験生の樋口友也、そして……と、それぞれの人間が各自の事情で悩みを抱えていた。やがてその中から殺意の蕾が芽生えるが、一方で互いに縁も面識もなかったはずの彼らの物語は、奇妙な接点で絡み合っていく。

 島田荘司が選考を務める「本格ミステリー「ベテラン新人」発掘プロジェクト」で受賞して、60歳代でデビューした作者の2冊目の長編。

 なかなかテクニカルな作品ではある。
 たぶん評者を含めて大方のミステリファンは「実はAとBはこれこれの関係性であった。さらにCとDも……」というパターンに関しては「うまく面白くやってくれるなら良し。ゴタゴタつまらない見せ方ならゴメン」という感じであろう。
 その点、この作品は、並行して語られる複数の別個の主人公たちのストーリーが、どっかで何らかのキャラクターとかポイントで結びつくことを当初から裏表紙で明かしている。
 これは送り手の考え足らずなネタバレなどではなく、横溝の『黒猫亭事件』みたいに大ネタをさらけ出した上で読者との勝負にかかるタイプの作品ということのようだ(従って、もちろん今回のこのレビューも、ここまで書いてもネタバレに当たらない)。

 それで出来たものの感想は、フツーに書けばあまりに狭い箱庭的な舞台の窮屈さにウンザリしちゃうところ、むしろホイホイとあれもこれも関係性が浮かんでくる終盤の展開に奇妙な痛快さを覚える面もある。
 正にそれこそが本作の狙いであり、醍醐味だろう。

 まあその代価として作品世界のリアリティはほとんど無くなり、大人のおとぎ話みたいな仕上がりになってしまった面もあるんだけど。
(虫暮部さんがおっしゃっている「魔法の出て来ない日常のファンタジーみたいなもの」という感覚は、そういう意味でしょうね。)

 ただまあ、その辺は技巧派ミステリにありがちな気質でもあるし、個人的にはあまり気にしない。なんか1970~80年代の角川文庫の新訳翻訳ミステリとして刊行された、気の利いた編集者や翻訳家がどっかからか見つけてきたマイナーな、しかしちょっと洒落たその手の変格ミステリーみたいな味わいでもあった。

 一方で気になったのは、最後のパートでその実は……実は……の膨大な「意外な人間関係」という情報を捌くため、とにかく某キーパーソンの説明が長すぎたこと。これだけ言葉を費やせば、かなりのイクスキューズはあれやこれやに用意できるよな、という感じであった。
 あと、そういうメルヘンチックな側面もある作品だからいいんだけど、まとめ方が良くも悪くも(中略)すぎるかもね。

 作者はこのあとは作品を書かずに消えてしまったようだけど、もう少し書きなれてこなれてきたら、なんかもっとさらに……なものはあったかもしれない。まあそんな一冊。


No.1251 6点 泣くなメルフィー
カトリーヌ・アルレー
(2021/08/03 15:12登録)
(ネタバレなし)
 10年以上前、25歳年上の大富豪ピエール・モレスティエを交通事故の怪我がもとで失った美しい女性メルフィーは、莫大な遺産を相続したのち、夫の側近だった16歳年下の美青年フランク・ザンジルと再婚した。メルフィーの財産は夫婦共同の管理下に置かれたが、フランクは並外れた才覚でもともとの資産をさらに増やして、現在のメルフィーとフランクは巨万の富を持つはためには円満な夫婦だった。そんなメルフィーも今では57歳。毎日ホルモン剤を注射し、最高級の美容術を用いて美魔女的な美貌を誇っていた。そんなメルフィーは、少し前から今は41歳のフランクが、現在29歳の才色兼備の美人テッサと2年前から不倫関係にあるのをうすうす察しながらまあ仕方がないと看過していた。プライドが高く気の強いメルフィーは、表向きは同性の仲の良い友人として自分の地所にテッサを迎えるが、ひそかに盗聴器と録音機を仕掛け、夫とその情婦の秘めたやりとりを探ろうとする。するとそこから聞こえてきたのは、自分を殺そうとフランクを煽るテッサの物言いだった。

 1962年のフランス作品。アルレーの第六長編。

 2時間ドラマになりそうな話で(実際に翻案されて映像化されていたようなおぼろげな記憶があるが、定かではない)、良い感じに起伏に富んだ話は21世紀の今でも十分に多くの人を楽しませると思う。
 一方でその上で、トータルである種のスタンダード感を受け手に抱かせる面もあり、その意味では半世紀前の新クラシックだな、という印象もある。

 後半の女対女の闘いを主軸にした三角関係のドラマはなかなかのテンションで、ジェンダーの組み合わせは違うもののマガーの名作短編「勝者がすべてをえる」を思わせる部分もあった(どっちの作品にも、ネタバレにはなってないハズ)。

 ラストの余韻は、創元推理文庫で合本にされた優秀作『黄金の檻』には及ばないものの、意外にそちらのそれに食い下がるような興趣で、予想以上に良かった。さらっと何か一冊就寝前に読みたい、そしてそれなりの手ごたえを得たい、そんな日には、とても手頃な長編であろう。


No.1250 7点 酔いどれひとり街を行く
都筑道夫
(2021/08/03 04:49登録)
(ネタバレなし)
「おれか? おれはなにもかも失って、おちぶれはてた私立探偵。失うことのできるものは、もうひとつしか、残っていない。もうただひとつ、命しか。」
 どこかで聞いたようなフレーズで始まる連作短編集。ただし次のセンテンス「~というのが、名前だ。」の最初に来る名前は「カート・キャノン」ではない。「クォート・ギャロン」である。

 でまあ、今年の7月に創元推理文庫の新レーベル「日本ハードボイルド全集」にも改題『酔いどれ探偵』の題名で収録されたばかりなので、もう知ってる人も多いだろうが、本作はもともと「日本版マンハント」の1960年4~9月号に連載された、カート・キャノン(エヴァン・ハンター/エド・マクベイン)の連作(元)私立探偵小説「カート・キャノン」シリーズの公式パスティーシュ。
 その日本版マンハントに連載時は、主人公の名前はズバリ、カート・キャノンだった。
 実は連載第一回目の「日本版マンハント」60年4月号にはチャンドラーの『ペンシル』も掲載されており、目次の周辺ページの煽り文句で「こじきのキャノンとぼやきのマーロウが帰ってきた!」とか何とか書かれていたのを今でもよく覚えている。ルンペンってこじきと微妙に違うと思うんだけど……(汗)。

 評者は大昔の中高生時代から古書店を巡ってはひと昔、ふた昔前の翻訳ミステリ誌を集める趣味があったので(イヤな子供だね)、日本版マンハントのこの贋作キャノンシリーズの掲載号に出会えた時は大喜び。カート・キャノンについては、藤原宰太郎の「世界の名探偵50人」でまずその存在を知って興味を抱き、のちにポケミスで実作に接して本気でスキになる、そんなお定まりのコースだったのヨ。
 周知のように、このツヅキの「贋作キャノン」は、ポケミス版『酔いどれ探偵街をゆく』の巻末にボーナストラック的に一本だけ収録されており(HM文庫版では割愛)、それもキャノンものの正編とほとんど同様に楽しんだ勢いで、日本版マンハントに掲載されたっきりの残りの贋作キャノン5編もそれぞれ、前述のように古書店で入手したバックナンバーで面白く読ませてもらったものだった。
 
 それでこの贋作キャノン6本が初めて書籍化されたのが、上に掲示されている1975年の桃源社版「都筑道夫<新作>コレクション」だったワケだが、初めてコレを新刊書店で手にしたとき、本気で驚いた。「クォート・ギャロン⁉」誰それ、「カート・キャノン」じゃないの?

 ……でまあ、主人公の名前が変わったこと、さらに本になるまで時間がかかったことについては、日本版マンハントに公式パスティーシュの執筆を認可してくれたタトル商会の意向によるものだということを、この桃源社版のあとがきでツヅキ自身が語っている。
(まだ現物は手にしてないけど、たぶん今年の新刊の創元文庫版でも、日下センセイがこの辺の事情は解説してくれているだろうね?)

 とはいえ、当時まだ若かった自分はとにかく大ショック。クォート・ギャロンなんて、カート・キャノンじゃないや、と、書籍『酔いどれひとり街を行く』は、もはやカート・キャノンの公式パスティーシュではなくマガイモノのような気分で、意識の外に半ば遠ざけていたのである。
 私にとってのカート・キャノンは長い長い間、ポケミスとHM文庫で読める正編(とその前者で読める贋作一本)、あるいは「日本版マンハント」に載ったバージョンの「カート・キャノン」主役の6本のみ、だったのだ。
 
 しかしながら21世紀になり、さらに20年も経つと、まあもうクォート・ギャロンと改めて付き合って(再会? して)もいいかな、という気分にもなった。それで桃源社版の古書をwebで注文したのが、昨年のこと(『酔いどれ探偵』に改題されている事実は、その後で知った)。桃源社版は、水野良太郎先生のジャケットアートがイイね。

 それでそのうち読もうと思って居間の脇に置いておいたら、創元推理文庫で復刊というニュースがそのあとに飛び込んできた。……で、現在に至る。
 まあそういうワケだ(笑)。

 で、半月ほどかけて少しずつ、全6本のクォート・ギャロンものを読んだが、まあやっぱり面白いことは面白いね。
 名前は違っても、彼もまたカート・キャノンなのは間違いないし、同時にツヅキの生み出した新たな探偵ヒーロー、クォート・ギャロンでもあるんだよ。
 特に第4話「黒い扇の踊り子」は密室殺人事件で、キャノン=マクベインが87分署ものの『殺意の楔』で、スティーヴ・キャレラに密室殺人を暴かせたことの本家どりのような趣向。
 しかしその解決はツヅキファンなら、ある意味でかなり啞然とするハズで(これ以上は言わない)、これは時を経て再読して良かったように思う。ファンなら何を言っているか、わかるだろう。
 
 6本で終わってしまうのがもったいないが、まあツヅキがさらにこの贋作シリーズの中で書けたこと、書こうとしたことは、オリジナルの連作シリーズ、私立探偵・西連寺剛ものなんかの方に転用されたんだろうね。
 本当は長編1本、短編8本でミステリ史から消えるはずだったキャノンは、最終的に微妙な形になりながらも、さらに6編の活躍編を得た。それだけでよしとすべきなのであろう。


No.1249 5点 警官殺し
ジョージ・バグビイ
(2021/08/02 06:34登録)
(ネタバレなし)
 その年の7月半ばのニューヨーク。所轄の青年警官ロバート(ボブ)・ブラックが、屋外で何者かに殺害された。NY警視庁(原文ママ)のシュミット警視と、その友人で捜査の記録役である「私」ことバグビイは、ブラックの上司であるアル・フィーリ警察署長と連携して捜査に当たる。やがて勤続6年目の平凡な巡査だったブラックについて少しずつ秘めた一面が見えてくる。一方でシュミット警視は、事件に関係がありそうな近所の不良少年スティーヴ・アンドルーズに関心を抱くが。

 1956年のアメリカ作品。
 大昔に中学生の頃、一度読んだ覚えがあるのだが、内容はまったく失念していた。
 それでもともと、バグビイのシュミット警視シリーズは日本版マンハントか日本語版EQMMで何作か中短編を読み、それなりに面白かった……ような記憶もあったのだが、改めてwebのデータベースで、日本に翻訳されたこの作者の中短編の総数を再確認してみると、実はそんなに多くない。はて、自分が読んでいてオモシロイと思った諸作の記憶は何らかの勘違いだったのか? 
(小鷹信光あたりがよく、未訳の原書から内容を紹介していたような気もするので、そっちで印象を刷り込まれていたのかもしれない。)

 なんにしろ、21世紀の今では、もはやほとんど誰も語らなくなった作家で作品。しかしあの旧クライム・クラブの一冊なので、なんかどっか引っかかるだろ、と思いながら何十年ぶりかで再読してみる。

 でまあ感想だが、う~ん、つまらなくはないものの、あまり面白くもない。ミステリのジャンルとしてはフーダニットの興味の強い警察小説で(容疑者の肖像を絞り込んでいくあたり、結構ロジカルであった)、小説のテーマとしては、時代に即した都会の下町の不良少年ものの主題も抱え込んでいる。
 能動的に動くシュミット警視のキャラも悪くないし、人の良い巡査ルビンなどの脇役も現場で奮闘、そこはかとない一般市民たちのビューマニズムとかも盛り込まれ、そういうもの「全部乗せ」の50年代警察小説。クロージングの(中略)なまとめ方も悪くない。

 だから本当なら、もっと楽しめるハズなのに、出来たものは残念ながら、一定の方向から食いつこうとするとほかの興味が目についてしまい、楽しみどころが定まらない……そんな感じなのである(涙)。
 出来が悪い、というよりは、中規模のネタが主張しすぎて全体のバランスがものの見事に揺らいでしまった、そういった印象の一冊だよ、これは。

 バグビイの著作はすでにこの時点でそれなりにあり、その中からコレをセレクトした植草甚一の狙いは、少年犯罪テーマの社会派っぽい現代の警察小説、さらにフーダニットの興味をプラス(動機というか、犯罪の背景もそれなりに意外だ)……そういう作りだから、これは日本の読者にもウケるんじゃないか、と思った? そんなところじゃないかと察する。
 が、残念ながらバグビイの看板作品シュミット警視シリーズの初紹介一冊目がこれというのは、ちょっとハズしていたよねえ。解説で紹介されているのを読んでも、もっと面白そうなのもあったような気はするんだよね。

 ちなみに役職未詳なまま、シュミット警視の側近として始終彼の脇にいる「私」こと、作者の分身のキャラクター「バグビイ」。何とも妙なメタっぽいキャラで、読了後にwebで、すでにこの作品を読んだ方のレビューを漁ると「警察小説版ヴァン・ダイン」とか称されており、言い得て妙で笑ってしまった。しかしそんな彼にも終盤でちょっと見せ場が用意されている分だけ、先輩ヴァン・ダインよりは扱いはいいかもしれない?
 まあ存在感のある「(小説作中の)ヴァン・ダイン」というのも、思い切り矛盾した事物という気もするけれど(笑)。

 評点はちょっとキビしいかもしれないが、まあこんなもので。

 ん-、万が一、21世紀の今、奇特なミステリマニアの研究・翻訳家が、日本では半世紀以上不遇なままのシュミット警視シリーズのリベンジとして、未訳の新刊を出してくれたら、たぶん、なるべく積極的に読ませてもらいます。


No.1248 6点 ターミナル・マン
マイクル・クライトン
(2021/08/01 07:12登録)
(ネタバレなし)
 1971年3月のロサンジェルス。2年前の自動車事故で脳に後遺症を生じた、現在34歳のコンピューター技師ハロルド・ベンスンが、大学病院に入院する。交通事故の後遺症で何回も発作を起こし、人事不省になりながら傷害・暴行を繰り返したベンスンは、警察官に護送されながら、大学病院内のNPS(神経精神科研究室)によって、当人の了承のもとに脳内にコンピューターの端末を埋め込み、暴力衝動を制御する治療=脳外科手術を受けることになっていた。手術は無事に完了するが、その直後、ベンスンは病院から姿を消した。

 1972年のアメリカ作品。クライトン名義で描かれた2冊目の長編フィクションで、ややSFじみた医学スリラーサスペンス。

 科学の力で(中略=某有名モンスターの名前が入る)の一種が生み出されてしまう、という本作のコンセプトは著名で、評者も大昔から聞き及んでいたが、実際に読んでみるとモンスターはモンスターでも、(中略)というより、瞬発的に切り替わる(中略)のようであった。
 半世紀前ならそれなりのリアリティを醸す手法であったのだろう、専門的な医学用語を並べているが、さすがに21世紀の今では、自分のような完全なシロートでも情報が古くなっている感はある。
 それでもマクベインの87分署シリーズのように、専門の書式の書類やら果ては医学データのグラフやらレントゲン写真などのビジュアルまで動員してくるあたりにはちょっと笑った。
(本文の活字の中に、レントゲンがいきなり出てきた時には、新旧『必殺仕置人』やら『暗闇仕留人』などの「必殺シリーズ」かと思った~笑~。)

 中盤からは、クリミナル・アト・ラージならぬ、クランケモンスター・アト・ラージといった内容になる。
 が、若き日のクライトン先生、妙なストーリーテリングで勝負をするよりは、素材のセンセーショナルぶりでストレートなサスペンス・スリラーをまとめようとした感じで、とにもかくにもお話には良くも悪くも曲がない。
 そのため、読んでる間はそれなりに楽しめるものの、結局はどうも食い足りなさが残る。
(後半の、とあるワンシーンだけは、なかなかショッキングでスリリングではあったが。)

 ちなみにHN文庫版の逢坂剛の解説はなかなか力作で、クライトン作品への傾注も伺えて好感が持てるもの。ただし本作の弱点として挙げている某ポイントについては、ちょっと見解に異を唱えたい。女性主人公にしてヒロインのジャネット・ロスの内面の推移など、<その辺>についての作者クライトンの思惟を如実に反映してると思うんだけれどねえ。
 直球勝負が大きな実を結ばず、秀作の域には行かないけれど、佳作くらいにはなっている一冊というところ。


No.1247 7点 ニュースが死んだ街
ジェレマイア・ヒーリイ
(2021/07/31 07:26登録)
(ネタバレなし)
 1980年代の後半。「私」ことボストンの私立探偵ジョン・カディは、周辺の地方都市ナッシャバーの地方紙「ナッシャバー・ビーコン」の女流記者ジェーン・ラストから相談を受ける。ラストの希望は、地元ナッシャバーで違法な児童ポルノ産業が拡大し、その陰で賄賂と引き換えに悪徳警官のお目こぼしが行われている、さらにラストに情報をくれた男性も口封じされたらしいので、調査して欲しいというものだった。依頼を受けたカディだが、その夜の内にラストが自宅で薬物を飲んで自殺? する。状況に不審を覚えたカディは自らナッシャバーに乗り込み、ラストの抱えていた案件を一つずつ調査するが。

 1989年のアメリカ作品。私立探偵ジョン・カディ、シリーズの第5弾。
 WEBで再確認すると、カディシリーズは8冊まで翻訳。本国ではシリーズは13冊まで出たようで、全部が訳された訳ではないものの、それなりに日本でも支持があって、翻訳出版が続いた方だとは思う。

 とはいえ評者は本シリーズを読むのは今回が初めてで、かなり中途半端な食いつき方をした自覚もある。
 が、それはそれとして、被害者である女性記者ラストの足跡を追って、複数の方向に手がかりを求めてゆくカディの調査ぶりは、なかなか好テンポで面白かった。

 脇役も含めてキャラクターは全体的によく書けており、印象的な場面もそれなりにある。特に被害者である女性記者ラスト、その葬儀のシーンの切ない、やるせないインパクトなどは、かなり鮮烈。
 
 かたや軽く驚いたのは、主人公カディの生真面目な恋愛観で、現状でボストンの女性地方検事補ナンシー・マーアという恋人がいるが、彼女は彼女で地元で自分の抱える事件に忙しい。それでナッシャバーに赴いたカディは、死別した愛妻ベスによく似た女性記者リズ・レンダルからさりげなくモーションをかけられるが、はっきりとボストンに恋人がいると告げ、リズとは男女の仲として深入りすることを固辞。ヴェルダがいるのに、毎回の一見のゲストヒロインとほいほいいい仲になるマイク・ハマーあたりとは、良くも悪くも好対照だ。

 まあこれくらいならまだよいのだが、さらに「!」となったのは、その死別した愛妻ベスに対して何回も胸中で話しかけ、イマジナリイ・フレンドならぬイマジナリイ・ワイフと会話を交わすカディの描写。
 菊地秀行の工藤明彦(妖魔に殺された恋人をずっと心の中のパートナーにし続ける)みたいな主人公の描写で、ここまで繊細で、亡き妻にも今の恋人にも等しく操を立てようとするハードボイルド系の私立探偵キャラクターというのも、そうはいないであろう。いや、なんか色々と、ものの見方が変わった。

 肝心のミステリとしては残りの紙幅が少なくなってきてもなかなか真相に至らず、どうまとめるのかと思っていたら、かなりの意外なラストを持ってきた!
 いや、伏線抜きにクライマックス直前に伏せていた情報を開示し、そのまま事件の真実になだれ込む流れで、しかもいささか強引なので謎解きミステリとしてはあまり高い点はやれないが、それでも結構なサプライズなのは確か。
 事件を決着させたカディが某サブキャラを相手にしみじみ迎えるクロージングも、そこはかとない余韻を残して悪くはない。
(ただし個人的には、ある(中略)が登場した時点で、ハハーン、ラストは……と(中略)が読めてしまった部分もある。) 

 あと、実を言うと評者は本シリーズのことを、1作目、2作目のタイトル(邦題)が「山羊」だの「荒野」だの、何となくローカルカラーを連想させるものなので、田舎っぽいハードボイルドかと、かなりいい加減な気分でどことなく敬遠していたのだが、これは何というか、油と海の廃液の匂いが風に乗って香ってくる感じの都会派ハードボイルド(いわゆるスモールタウンもの=悪徳の町もの、というとちょっとニュアンスは違うが)。
 そっちの方向でかなり楽しめた。やはり作品って実作を読まないとわからないね。予断はよくない。
 前述のようにミステリとしてはもうひとつふたつツメてほしいところもあるけれど、ある種、作品の格のようなものを実感させたことも含めてなかなか楽しめた。
 またいつかこのシリーズは、面白そうなものを順不同で手にしてみよう。


No.1246 7点 空白の起点
笹沢左保
(2021/07/29 05:38登録)
(ネタバレなし)
 笹沢作品初期のメジャータイトルの一つ。

 宝石社「現代推理作家シリーズ・笹沢左保編」巻末の島崎博編纂の書誌「笹沢左保著作リスト」によると、作者・第9番目の長編。雪さんのレビュー内のカウントと異同があるが、これは島崎リストが雑誌連載開始&書き下ろし順に並べられ、たぶん雪さんの方が書籍の刊行順にカウントしているため。どちらも間違いではない。

 しかしこんなメジャータイトルだから以前に読んでるハズだと思っていたが、ページをめくりだすとどうも初読っぽい。
 たぶん勘違いの原因は、本サイトやあちこちのレビュー? で思い切りネタバラシされていて、すでに読んだように錯覚していたからだと思う(涙)。
(というわけで、誠に恐縮ながら、本サイトでも先行の文生さんのレビューは完全にネタバラシ(汗)、kanamoriさんのレビューもかなり危険なので、本書をまだ未読の方は、ご注意ください。)

 そういうわけで、大ネタはほとんど承知の上で読んだが、はて、それでも(中略)ダニットの興味とか、ソコソコ楽しめる。

 力の入った初期編ならではのキャラ造形もよく、笹沢らしい女性観も随所ににじみ出ている。 
 特に主人公・新田純一のキャラクターは最後に明かされる過去像も含めてなかなか鮮烈で、この時期の笹沢が警察官以外のレギュラー探偵に食指を動かさなかったのが惜しまれるほど。彼の主役長編をもう1~2冊読みたかった。

 その一方で、フーダニットのアイデアはともかく、殺人の実働に至るトリックは本サイトでも賛否両論のようで(?)、個人的には(中略)も、いささか拍子抜け。大技を支えるもっとショッキングなものか、良い意味でのバカネタを期待していたのだが。
 
 トータルとしては2時間ドラマもの、という声にも、初期の笹沢ロマンミステリの秀作、という評価にも、どちらにも頷ける感じ。
 作者の作品全体としてはAクラスのCランク……いやBクラスのAランクぐらいかな。
 あえて気になると言えば、(中略)が良くも悪くもちょっと佐野洋っぽい感じがするところ。これが作劇の都合優先で、導入されたように思えないこともない。評点は0.25点くらいオマケして。とにかく新田のキャラで稼いだわ。


No.1245 7点 Gストリングのハニー
G・G・フィックリング
(2021/07/28 06:49登録)
(ネタバレなし)
「わたし」こと女性私立探偵ハニー・ウェストは、カリフォルニアのマリブ・ビーチで、ハンサムな30歳前後の青年カーク(KIRK)・テムペストと知り合う。カーク(KIRK)は三つ子の一番下の弟で、同じ発音の長男カーク(KIRQ)、長女ジュエルに続いて生まれた、次男であった。男児→女児→また男児という順番の、あまり例のない男女まぜこぜの組み合わせで生まれた三つ子は、幼少期からほとんど見分けがつかない美しい顔をしていた。だが10年前にジュエルが火事で顔に大やけどを負い、その後、優れたダンサーとして大成功するものの、決して黄金色のマスクを顔から外すことはなかった。ハニーがそんな三兄弟と深く関わるのと前後して、人気のないプールで次男カーク(Q)が何者かに殺された? 一方で、ジュエルはハニーの周辺に出没するが、決して素顔を見せようとせず、やがて姿を消した。そしてハニーと関係者の周囲に「もしかしたら、実は顔が治っているジュエルの別名なのでは?」と疑念を呼ぶ女たちが複数、現れる。

 1959年のアメリカ作品。ハニーシリーズの第5弾(邦訳では8冊目)。
 
 ポケミスの裏表紙やカラーフォトの厚着ジャケットの惹句などでは、ハニーがGストリング(ストリップでの股関カバーのこと)をつけてどーのこーのと、実にどうでもいい(正直くだらない)ことしか書いてない。

 しかし実作を読むと、生物学的にいささか奇矯な男女混淆の三つ子(なんか横溝作品っぽい)、その内の一人で、火傷のために仮面をつけた妙齢の女性ダンサー、そして当該の女が仮面の下で今の顔を隠して、別の場で別の名を名乗っているのかもしれない可能性!? ……とゾクゾクするぐらいに外連味たっぷりなミステリ的趣向がいっぱい。
(仮面の下の素顔を隠しての入れ替わり? 別行動? と聞くと、国産のあの名作やら、新本格の諸作やら連想してしまうよね。)

 しかもハニーの頼りになる(というかいつも、好意を抱き合いながらも仕事の上ではガチでやりあう)ボーイフレンドでワトスン役のマーク・ストーム警部も前半からかなり異常な態度で問題を起こし、いったいどうなるのこれ? という立体的な興味で読み手を刺激する。

 後半やや話の整理が不順になるのが惜しいが、それでも評者がこれまで読んだ「ハニー」シリーズ4冊の中では一番、ミステリ的に面白い!
 特に前半のワクワク感は、ハードボイルド(というか行動派私立探偵ミステリの要素も踏まえて)かなりのものだ。
 それで前述のように中盤以降、ちょっと話がダレるのがナンだが、最後のどんでん返しでまた評価が上がった。

 なんかハニーシリーズって、とにもかくにもまるでパット・マガーの初期作品みたいに、一本一本仕込みのある大ネタをやっているね。
 ものによっては(こないだ読んだ「~銃をとれ」のように)ネタが明確に古びちゃってるものもあるが、それはまあしゃーない。
 得点的に見ればパズラーファンも十分に嗜んでおいてよろしいシリーズでしょう。(万全たる方面での完成度、とまでは言えないけれど。)

 邦訳のある本シリーズ内、評者の未読があと残り5冊。またなんか、当たりが出るのを、期待したい。


No.1244 6点 サンダーボルト
ジョー・ミラード
(2021/07/27 06:16登録)
(ネタバレなし)
 1970年代。アイダホ州の田舎町の教会で、中年の神父ジョン・ドアティーが、突如現れた男から襲撃を受ける。逃走したドアティーは、片足が義足で美青年の小悪党「ライトフット」にたまたま救われた。ライトフットは神父の僧衣のドアティーを「プリースト」と呼び、成り行きから正当防衛の形で襲撃者を返り討ちにした。やがてライトフットは、その男「プリースト」の正体が、勇名を轟かせた大物金庫破りの「サンダーボルト」だと気づく。

 1974年のアメリカ作品。
 同題のクリント・イーストウッド主演(サンダーボルト役)の映画が日本でもアメリカでも1974年に公開されており、評者は昔からちょっと興味はあるが、まだ観てない。
 しかしこれまでスナオに小説は原作だと思っていて、実際に翻訳書の訳者あとがきでも「映画化されるので楽しみ」とかの主旨で書いてあり、奥付も作者ジョー・ミラードのクレジットのみ。

 素直にそれらの情報(訳者あとがき、奥付)を受け入れれば確かに小説は映画の原作っぽいのだが、念のためwebで原書の発行時期を確認すると、1974年(ハヤカワノヴェルズの奥付での原書刊行年も同年)。
 1974年に刊行された小説が、その年の5月(アメリカでの封切り)に公開できるように企画制作されるワケがまずない。

 まあ特殊な事例として、書籍化される前、どっかに雑誌連載されていた時点で企画が始動していたとか、小説の完成前に映画化権が買われていたとかの可能性も皆無とはいえないが、実際のところは、原作ではなくやはりノベライズだったのだろう。だとしたらこの小説版の素性については、版元は購読者に向けて、かなり曖昧な態度を、意図的にとっていたといえそう。さすが昔の早川、あこぎな商売である。
(ついでに言えば、訳者・佐和誠の翻訳文は昔から結構好きな評者だが、今回の訳者あとがきは、先ほどのノベライズという事実秘匿を抜きにしても、全体的にかなりヒドい。内容についてのコメントにかなりの違和感があり、実際の翻訳は下訳に任せて、最後の最後で監修だけして、中身についてそれほど読み込んでいないのじゃないか? と疑りたくなるほどだ。)

 とはいえ、とにもかくにも小説で読むクライムノワールとしては、そこそこ面白い。会話が多くて小説としての旨味が薄いのはナンだし、普通の小説ならもっと膨らませて役割を負いそうな脇役とかも、ほとんど無意味に顔見世だけしてすぐに引っ込む。
 そういう意味では悪い意味でノベライズっぽいのだが、後半のヤマ場となる主人公たちの大仕事、その準備のために手間ひまをかけるくだりなどは小説メディアとしてそれなりに読ませる。

 21世紀の現在、webで情報を拾うと作者ジョー・ミラードはウェスタンの著作がかなりあり(それら全部がノベライズということはないと思う)、一時期はDCコミックでバットマン主役タイトルなどの文芸もこなしていたようだ。日本ではこれ一冊しか翻訳がなく、つまりおそらくオリジナル作品は紹介されていないハズだが、そこそこのランクの職人作家だったのだろう? まあそのくらいには、小説(ノベライズ)のクライムノワールものとしての水準にはなっている。

 きちんとした評価(ノベライズとしての)は映画本編を観てから改めてすべきだろうが、とりあえず小説(ノベライズ)単品として読んで、現状では評点はこのくらいで。クロージングの余韻は、なかなかいいよ。


No.1243 7点 この闇と光
服部まゆみ
(2021/07/26 05:18登録)
(ネタバレなし)
 角川文庫の2014年版で読了。
 
 以前に一回、図書館で元版を手にしたことがあったが、その時は都合で未読のまま返却した。

 今回は、本サイトの「みんな教えて」コーナーで、設問「ぜっっったいにネタバレ厳禁!書評をぐぐる前にとにかく読むべし!という作品」に応えて、蟷螂の斧さんが本作を挙げていたのに気を惹かれて読んだ。

 はたしてどんでん返しは予想外のものではあったが、真相が明らかになると、意外にショッキングさは生じない種類のネタでもあった(それでも反転のシーンはさすがに……であったが。あとそれから……)。

 とはいえ最後まで読んで、某メインキャラクターの胸の内を覗き込み、ある種の感慨に囚われることこそ、この作品のキモだと思う。
 真相の意外性もさながら、そっちの(中略)な心の動きを探るからこそ……。

 さらっと読めるけど、たぶん一度読んだだけじゃ見切ってないところも少なくないでしょう。今は独特の余韻を静かに味わっておきます。
 そのうちまたいつか、前半を中心に再読してみることにしよう。

 最後に、改めまして、作者様のご冥福をお祈りします。


No.1242 6点 カバラの呪い
五島勉
(2021/07/25 15:49登録)
(ネタバレなし)
 1975年7月24日。愛知県の渥美半島の海岸に、巨大怪獣の腐乱死体が漂着する。テレビ局の下請け「沖田取材プロ」の代表で20台後半の沖田淳は、自社の女優兼レポーターで恋人の小泉マリを伴って現地に駆けつけ、TVニュース特番用の映像を作成した。だがかつての同僚で仕事仲間のテレビ局局員・佳島を介してオンエアされるはずのフィルムは闇に葬られ、一方で怪獣の死骸も人目につかないよう始末された。怒りに燃えて真相を追う淳とマリだが、その前に広がるのははるかに予想を超えた事態であった。

 ふと思いついて1976年の元版(ノン・ノベル版)を、web注文の古書で購入。届いたらすぐいっきに読了。
 昭和生まれの人間として、作者・五島勉についての風聞はそりゃいろいろと聞き及んでいるが、「ノストラダムス」関連の路線を含めて著作はまともに一冊も読んだことはなかった。
 ただし本作については「長編怪奇推理」と銘打たれ、刊行当時の書評や紹介記事などで怪獣(というかUMA)が出てくる伝奇SFっぽいことは当初から認識にあり、そういうものが大好きな身としては相応に興味を惹かれていた。
(なんせ評者は、グラディス・ミッチェルで今のところ一冊だけ読んでるのが『タナスグ湖の怪物』という人間である。)

 そういうわけで極力、フラットな気分でページをめくり始めたが、いやいわゆる『MMR マガジンミステリー調査班』的なお話としては結構、面白かった(笑)。序盤の怪獣の掴みがなかなか秀逸だし、話の広げ方のテンポも良い。途中からの主人公・淳の行動の(中略)ぶりは作劇を優先した感じで、いささかアレだが、その辺は良くも悪くもエンターテインメントの作法としてギリギリ割り切れる範疇ではある(それでも、ちょっと……と思う人もいるかもしれないけど?)。
 いずれにしても中盤のアホなノリはかなりの勢いで、ここではあまり書くわけにいかないが、某集団の作戦の細部の詰め方などには爆笑した。まあここらは作者はマジメな、天然っぽい面白さであろうな。

 膨大な情報を並べ立てて大噓を説得にかかるダイナミズムも、実にこういう作品らしいという感じ。いやきっと専門の識者やサブカルオカルト系の愛好家が21世紀の今、改めて読んだらたぶん色々とツッコミどころは満載なのであろうが、それでも1970年代のキワモノエンターテインメントとしては十分にオモシロかった。
 五島の著作を原作にした東宝映画の方の『ノストラダムスの大予言』を小説メディアで楽しんだような、そんな感覚もある。タマにはこういうのもいいよね?

 ちなみにノン・ノベル版は裏表紙で中盤からの大ネタを割ってあるので、これから読もうという人は注意。まあ編集や営業は、そこまでショッキングなネタを書いて、本を買わせたかった、そんな意向だったのであろうが。
 21世紀の今、もしかしたら、先述のそういう趣味のオカルト、サブカル系の人には、すでに完全に古くなってしまっている内容かも知れないが、一見の読者である自分にはとにかくフツーにオモシロかった。
 なんかムセキニンだったら、ゴメンなさい、である。


No.1241 6点 試走
ディック・フランシス
(2021/07/24 07:29登録)
(ネタバレなし)
 1977年11月の英国。私こと、視力の低下から障害騎手を引退した32歳のランドル・ドルーは、仲介の紳士ルーバート・ヒューズ・ベケットを通じて、以前から懇意である英国の「王子」から相談を受ける。王子の願いは、妻の実弟で現在22歳の若手騎手ジョニイ・ファリングフォド卿に同性愛者の疑いがかかっているという。3年後のモスクワ五輪の選抜選手として本命候補のジョニイだが、ソ連では同性愛は処罰の対象で、しかもジョニイは何者から暴力沙汰で脅されているらしい。事件の背後に、ソ連内の謎の人物「アリョシャ」がいるらしいと認めたランドルは、王子の依頼を断り切れず、やむなくモスクワに調査に向かうが。

 1978年の英国作品。競馬シリーズ第17作目。
 
 オリンピックネタの話だが、開催日に読んだのはまったくの偶然(少し前から未読の一冊を書庫から出してあり、近くに置いておいた)。
 ホントよ、ホントだよ、信じてくれ!(Ⓒボヤ騒ぎ直後のいじわるばあさん)

 でまあこの邦訳の元版ハードカバー(ハヤカワノヴェルズ版)は1980年の1月末に発売されており、帯でも「モスクワで待ちうける罠」などと堂々と大書き。つまりはものの見事に80年の現実のモスクワオリンピックの熱狂ムーブメントに乗ることを当て込んで売られた一冊だったのだが、周知のように日本はその直後の80年2月に不参加ポイコットを表明。ものの見事にハシゴを外された悲運の作品であった。
 まあ当時は、そういう作品はいくらでもあったけどね(……)。

 それで中身の方も時局を当て込んだキワモノ的な部分がまったくなきにしもあらず……とまでは言わないが、けっこう主人公ランドルのモスクワ探訪の臨場感で読ませている部分も確かにある。
 そういう意味で今回はいささかユルい作りかな、と思っていたら、後半でかなりぶっとんだ事件の真相が用意されていて、軽く「おおっ!」と驚いた。
 モスクワ調査のさなか、イギリス人もソ連人も人種も国籍も問わず、馬を愛する競馬界の人たちは基本的にいい人、という文脈でストーリーが進むのも、まあこういう企画ものということも踏まえて、スナオに微笑ましい。

 ただまあ終盤で明らかになる、序盤からのキーワードの真相は何じゃらほい、だし、ラストのどんでん返しもちょっとなあ……というオチ。そこまでは、前述のド外れた謀略の真相(というかそれが生じた背景)を核になかなかだったんだけどね。

 7点行くかな、と思いながら、ぎりぎり6点の域に留まりました。とはいえシリーズのこの次はあの人気作品『利腕』ながら、ストーリーの練りようそのものは、こっちの方がまだいいような感じもある。まあもうちょっと体系的にシリーズを精読、再読しないと見えないところもあるけれど。


No.1240 7点 火星人ゴーホーム
フレドリック・ブラウン
(2021/07/23 04:38登録)
(ネタバレなし)
 1964年3月26日。木曜日の夕方。カリフォーニアの砂漠にある丸太小屋で、37歳のSF作家ルーク・デヴァルウは、原稿が書けないことに悩んでいた。そんな彼の前に、「クゥイム」なる空間移動技術で火星から来たという身長2フィート半の火星人が出現。火星人は、ルークが恋焦がれる娘ロザリンド・ホーンが他の男と寝ていることを言い当て、地球上ならほぼ万能の知覚能力があることを示した。驚き慌てるルークだが、全世界はあっという間に10億人の火星人で埋め尽くされる。しかも彼らは物理的な実体を地球人に感じさせずに自由に出没し、あらゆることに関心を抱き、あらゆることをジョークのネタにした。男女の性生活をふくめて、地上からはほぼ全てのプライヴァシーが奪われ、地球の文明は大きく変容を強いられていく。

 1955年のアメリカ作品。
 フレドリック・ブラウンの3冊目のSF長編で、異星人の侵略もの、ファースト・コンタクト・テーマを独特のコミカルさで描いた名作。
 とはいえ評者など、大昔に日本版EQMM(古本屋で集めた)で読んだ都筑の「ぺえぱあ・ないふ」そのほかで以前から、設定や大筋、さらにサワリのギャグなども教えられており、さらにあちこちで「名作」「傑作」と聞かされていたものだがら、21世紀のいま初めて読むと「うんうん、そうだね」と頷く部分もあれば「ナンダ意外にコンナモンカ」という部分を感じないでもない。

 言い方を変えれば時代を超えて面白い部分はたしかにあれど、一方でどこかに悪い意味でのクラシックさを感じたりもした。

 たとえば、一体何がしたいのかわからないままに地球文明をかき回す10憶の火星人が、人類の価値観や社会様式を破壊していくプロセスのダイナミズムそのものは確かに普遍的に痛快なのだが、かたや作劇の枠組みでいえばよくもわるくも真っ当な王道感を抱かせるもので、これまで見たこともないトンデモナイものに触れた、という種類のショッキングさなどはそうない。
 20世紀、それも1970~80年代くらいまでに読んでいたら、この辺はもうちょっとスナオに楽しめたのかも、という思いが生じた。

 それでも火星人に対する認識というか距離感が変遷してゆく主人公ルークの後半の叙述とか、モジュラー風にカメラ視点が切り替わる地球各地のバカ騒ぎとか、やがてルークを取り巻くいささかブラックな連中の描写とか、細部にぎっしりとアイデアを盛り込み、読み手を最後まで飽きさせないあたりは、やはり流石。
 後半パートでメインヒロインの座に復権する(中略)も、なんかいかにもフレドリック・ブラウンらしいキャラクターでよろしい。
 
 ラストは(中略)感じもあるが、これはもちろん意識的に書かれたものであろう。
 もともとジャンルもの作品そのもののパロディ的な趣もあるから、あえてこういう(中略)な作りにしたんだろうし。

 名作・傑作の高評が先に来て、あまり期待値が高すぎるままに本を手にするのはオススメしないけれど、まあ確かに楽しめる作品ではあります。
 評点は、今の正直な気分でいうと0.5点くらいオマケしてこの点数で。いや実質的には十分この点は取ってるとは思うのだけれど、素直に7点をつけたいと言い切るには、ちょっとだけ二の足を踏む。


No.1239 7点 上を見るな
島田一男
(2021/07/22 05:55登録)
(ネタバレなし)
 昭和30年前後の東京。「わたし」こと刑事弁護士の南郷次郎は、旧友・虻田弓彦の従姉妹である剣子、彼女の夫の章次の依頼で、九州の長崎に赴く。用件は、弓彦の叔父で剣子の実父である、虻田一族の現当主・一角斎を中心とした家族会議に関わるもので、南郷は体調の悪い剣子と章次の代理として九州にやってきた。だがそこで南郷を待っていたのは、虻田一族内の複雑な人間関係と、自衛隊演習用の海岸地域の接収問題、そして不可解な殺人劇だった。

 昭和30年に講談社の書き下ろし企画叢書「書下し長篇探偵小説全集」の一冊として、『黒いトランク』や『人形はなぜ殺される』などの名作とともに刊行された長編で、島田一男のレギュラー探偵のひとり南郷次郎弁護士のデビュー編。

 大昔に何らかの旧版で本は入手していたはずだが、家の中から見つからず、例によって古書(春陽文庫版)をwebで安く購入して読んだ。

 第一、第二の殺人は「本当に作中のリアルとして、犯人はこれを(中略)でやったのか!?」と呆れる部分もあるが、とにもかくにも全てをぶっとばす豪快な(中略)トリックで、細かい不満が一瞬で消し飛んだ(笑)。
 いや、(中略)しながら、ココにたぶん何かあるのだろうと思ってはいたが、こういう手でくるとはね(嬉&大爆笑)。

 戦後の復員にからむ人間関係の綾、自衛隊に多額の補償金と引き換えに接収される地方の土地の話題など、昭和中期の時代色も濃厚だが、それが物語全体に独特の厚みを授けながら、ミステリ&お話を築いていく重要なパーツとしても活かされている。
 作品総体として、『獄門島』に近しい性質の時代性プラスローカルカラーによって、よくできた昭和ミステリならではの格別なロマンを実感した。
 特にラストシーンのインパクトは、おそらく今後もずっと心に残るであろう。

 前述のように謎解きパズラーとしては雑な面もあるのだが、いろんな部分で濃厚で面白く、得点要素も豊富。
 表向きの評点としては7点にとどめるけれど、心情的にはこっそりと、もう1~2点追加しておきたいような思いもある。

 しかし南郷先生って、すでにこの時点から妻帯者で、助手役の女子・金丸京子ってあくまでビジネス上のパートナーだったのね(シリーズのこの先はわからんが)。私はてっきり助手役のヒロインは、恋愛感情込みの和製デラ・ストリートだと思っていたので、そこはかなり意外でした。
(ついでに言うと南郷が一人称の主人公だったのも、予想外であった!)


No.1238 6点 眼の壁
マーガレット・ミラー
(2021/07/21 04:41登録)
(ネタバレなし)
 第二次大戦中のカナダのトロント。2年前に自分が運転する自動車で事故を起こし、視力を失ったケルジー・ヒースは、その母で富豪のイザベルがガンで病死する際に全財産を譲られた。現在26歳のケルジーの父で53歳の元音楽家トマス、兄で30歳のボヘミアン、ジョン(ジョニー)、そして姉で28歳のアリスの3人はみなケルジーに生活費を出してもらっている立場であり、さらにヒース家には、生前のイザベルが後見した若手ピアニストでケルジーの婚約者フィリップ・ジェームズもまた食客として同居していた。やがてヒース家の淀んだ空気の中で、とある事件が起きる。

 1943年のアメリカ作品。ミラーの初期のレギュラー探偵役サンズ警部が活躍する、長編二部作の後編。
 経済的に、また身障者を核とする家庭の事情から、独特な拘束感に囚われるヒース家の面々だが、長男ジョニーは比較的奔放に近所のナイトクラブ「ジョーイ」にも出入り。そこで接点のできた若い歌手やダンサーたちを介して、「ジョーイ」がもうひとつの物語の場にもなっていく。この辺の描写を含めて、なんか全体的にウールリッチのノワール・サスペンスっぽい雰囲気も感じたりした。

 途中である種の違和感が自然に生じてくるので、読みながらなんとなく作者の狙いは見えないこともないが、それでも終盤の大技はなかなかショッキングではあった。
 着想を演出的に固めきれてない書き手の若さも感じるが、個人的にはそれもまた本作の味という気分である。

 先にウールリッチ(アイリッシュ)っぽい、と書いたが、そういえばラスト、某主要キャラとサンズ警部とのやりとりが『幻の女』のあの終幕を思わせつつ、その反転みたいな台詞回しでちょっとニヤリ。まあ偶然というか、意図的なものではないだろうが。
 評点は7点あげてもいいが、これはこの評点の中でのかなり上の方、という意味合いで、この点数で。


No.1237 8点 ラドラダの秘宝を探せ
クライブ・カッスラー
(2021/07/20 18:14登録)
(ネタバレなし)
 1989年10月。ソ連の宇宙計画「コスモス・ルナ」に参加する地球物理学者アナスタス・リコフは、無人のはずの月面で活動する人間の姿を確認。それは実は、故ジョン・F・ケネディの遺産ともいうべき、数十年にわたってホワイトハウスやペンタゴンの主幹にも秘匿されながら継続していた宇宙開発プラン「ジャージー植民地計画」の月面スタッフだった。近日中にソ連の月着陸があり、非公式な、存在しないはずのアメリカの月面科学施設がソ連軍に武力占拠されると考えた「ジャージー」の地球側スタッフは、アメリカ大統領に対策を講じるように半ば強制的に要請。かたやフロリダ州キーウェストの海岸では「タイタニックを引き揚げた男」こと海洋機関NUMAのダーク・ピットがまた、新たな事件に巻き込まれようとしていた。
 
 1986年のアメリカ作品。ダーク・ピットシリーズ、第八弾。

 もしかしたら何十年ぶりかに、このシリーズを読んだような気もするが、今回、本作の文庫版2冊を手にしたきっかけは、本シリーズの中でも評者が大好きな『マンハッタン特急を探せ』(なんせ、ゲストキャラで、ピットのライバルの英国情報部員が「あのヒト!」だよ~序盤を読めばすぐわかるのでネタバレに当たらないね?)の後日譚的な趣向もあるというので、少し前から古書を安く入手。そろそろ読もうと思っていた。

 しかし何というか、山場また山場の約800ページ。
 ゴジラ映画で例えるなら前半でゴジラがヘドラと戦ってボロボロになったその直後、同じ映画の中で、満身創痍のままX星に連れてかれてキングギドラと対決。それでもまだまだ話が終わらない、という感じのとんでもない中身のボリュームで、改めて読んでいて顎が外れた。

 量産作家的にポンポン大部の作品を放ったから軽く見られてしまうところはあるけれど、お話のパワフルさと設定のダイナミズムでは、カッスラーって間違いなく怪物だわ。
 いや、実際、シリーズもののあくまで一本ながら、米ソの駆け引き&攻防劇プラスアルファの立体感で言ったら、フォーサイスの『悪魔の選択』にだって負けません(というか下巻の後半の展開など、完全に超えているだろ)。
 某超メジャーなお宝の秘境から持ち出した財宝の話題、米ソのスターウォーズ、フロリダの気球船の怪事件(十日行方不明だった乗員が腐乱死体になって帰ってくるが、死因は2年前に凍死だった!~フロリダで!?~というとんでもない不可能犯罪パズラー的な興味の掴みもイイ)、この三題話をどうまとめるのか、と思いきや、そのタスクを消化して、さらにまだその先が……。

 まああんまりポンポンネタを積み込みすぎてひいちゃうところもないでもないんだけれど(もし一部のミステリファンにカッスラーが敬遠されるところがあるとしたら、正にまず、ソコだと思う)、それでもやっぱり読めばオモシロイ、ということは改めて痛感した。
 あと嫌われるとしたら、いかにもアメリカ流のマッチョ的な正義かな。
 でも下巻の355~357ページなんか読むと、それを承知の上でやはり泣けてきてしまうのだよ。

 ひさびさに面白かったけれど、このシリーズはしばらくもういいです。かなりお腹いっぱい。
 それでもダーク・ピットシリーズを次々と読破した世代のファンってのも、きっと少なからずいるんだろうな。その健啖ぶりは、ちょっとうらやましい。


No.1236 7点 時計じかけのオレンジ
アントニイ・バージェス
(2021/07/19 04:53登録)
(ネタバレなし)
 近未来。全体主義が支配する英国。市民は法規から逸脱することのないかぎり、衣食住の心配のない生活をしていたが、そんな社会は若者たちのありあまる活力を却って刺激し、夜の街は不良少年の悪事の温床になっていた。「おれ」こと15歳の少年アレックスは、以前に非行を咎められて感化矯正指導員P・K・デルトロイドの監督下にあったが、くだんの指導員や両親の目を盗んで、同世代の3人の仲間たちと徒党を組み、傷害、強盗、レイプなどを繰り返していた。そんなアレックスは、ある日、とある金持ちの、猫好きの一人暮らしの老婆のもとに押込み強盗に入るが……。

 1962年の英国作品。
 耳に響きの良いタイトルは、大昔からキューブリック(クーブリック)の映画版を介して昔からなじんでいたが、これまで原作の小説も映画も縁がなかった。先日、ブックオフで文庫の旧版に出会って購入したのを機に、このたび原作を読んでみる。

 映画での紹介記事などで、内容が一種の近未来SFで若者たちの超暴力を主題にしたもの、というのは以前から聞き及んでいたが、旧文庫版の巻頭に掲載された文芸評論家の解説を先に読むと、グレアム・グリーンの不良少年もののクライム・ノワール『ブライトン・ロック』との類似性のようなものにも言及してある。
 キューブリックの映画がどのように潤色・演出されたかは未詳だが、なるほど、原作小説を一読するかぎり、この作品は全体主義ディストピアものの風刺SFであると同時に、近未来を舞台にした青春クライムノワールの面も相応に備えている。そういう意味では、十分に、広義のミステリの一角に在しているといえるだろう。
 
 名訳者・乾信一郎が、原文の独特さを日本語で再現しようと練りこんだ翻訳は淀みなく、特徴的な文体で読者を軽くトリップさせながら、予想外に起伏の大きい物語を一息に読ませる。
 いや、ストーリーだけ追っていっても、(ほぼ60年前の旧作ではあるが)今読んでも十分に面白い。
 作者が言いたいのであろうと思えることは、自分なりに受け取ったつもりだし、あとはそれがズレているか、見落としがあるかは、また次の話だ。
 
 ちなみに前述のように、今回は旧版のNV文庫で読んだが、一時期割愛されていた最終章を復活させた完全版が、21世紀になって翻訳刊行されていたのを読後に初めて知った。
 くだんの完全版のAmazonのレビューがたまたま目に入ったが、それらを拝見するに賛否両論のようで、さもありなん。正直、旧版のラストは確かに尻切れトンボ感がなくもない。
 完全版がどのようなものか、そのうちそこだけ覗いてみようかとも考える。


No.1235 6点 迷路
フィリップ・マクドナルド
(2021/07/18 05:54登録)
(ネタバレなし)
 1930年代のイギリス。その年の7月11~12日の夜間にかけて、ロンドン郊外の高級住宅地で55歳の実業家マックスウェル・ブラントンが何者かに殺された。警察の捜査が進むにつれて被害者の乱れた生活が暴かれていくが、同時に容疑者はその夜、屋敷にいた10人前後の男女に絞られる。しかし裁判を経ても真相は不明で、スコットランドヤード捜査部の副総監エグハート・ルーカスは、同じ月の24日、他国で休暇中のアントニー・ルーヴェス・ゲスリン大佐に事件の関係の記録や資料を送り、応援を求めた。やがて8月6日に差出された、ゲスリン大佐からの返信には……。

 1932年の英国作品(米国では、31年に先行発売)。

 1970年代前半に刊行された創元推理文庫の販促パンフレット「創元推理コーナー」の何号だったかのなかで「ミステリ界の関係者たちに、各自が所蔵の稀覯本を自慢してもらおう」という企画があった。この趣向の話題は小鷹信光の「パパイラスの船」の中などにも、小鷹当人のちょっと苦い思い出として語られている。

 そしてこの企画に参加した当時の数名のミステリ界の識者のひとりが、本書の原書を自慢げに引っ張り出してきた、かの都筑道夫である。
 都筑は<前半の手紙のなかで手がかりがすべて開示され、読者は探偵役のゲスリン大佐とまったく同じスタンスで推理を競う本格派パズラー>という趣旨で、その魅力を語っていた。これが評者が、本作について初めてその存在を知ったとき。

 その後、HMMに分載された(81年7~8月号)ときには、ああ、あの作品かと、当然ながら相応に興味は覚えたものの、今までも本サイトのレビューでさんざ書いてきたように、この時期のHMMの発掘長編の分載企画には、はなはだ懐疑的になっていたもので(何度もいうが、実は部分的に、こっそり抄訳していたりするからだ!)、いずれポケミスなりHM文庫になってから読めばいいや、と思っていた。そうしたら書籍化も2000年まで待たされ、さらに評者自身が読むのはそれから20余年を経た今夜であった。例によって長い長い道のりである。

 そんなわけこんなわけでいささか身構えてしまう面もあったが、しかし紙幅的にはポケミスで、わずか本文170ページ弱(巻末の解説を別にして)。カーター・ブラウンよりちょっと厚いくらいで、しかも小説の形式の大半が手紙だったり、公判中の証言記録だったりするので、いわゆる小説的な地の文の人物描写の類は一切なし。正統派パズラーとしてはこれ以上なくサクサク読めるが、同時にこれは作者がそれだけ本気で読者に、しっかり考えて犯人を当てろよ、と言っているのだとも思う。
 まあそれでも評者なんかは、証言の細かさの中に伏線や手がかりが仕込まれているのだろうと早めに推察し、これはとても手におえんと、途中で勝負を投げた(汗)。一応は、小説としての構造で、この辺りが犯人ならばショッキングだろうな、とアレコレ想いはしたが、これはまあ論理的な推理というわけじゃないね(大汗)。

 それではたして終盤のゲスリンからの返信で明かされた真犯人の名前は結構な意外性。いや、その該当人物が本ボシと絞り込んでいくゲスリンの説明は、ああ、なるほどと感心するものもあれば、強引なしかも謎論理だろと言いたくなるようなムチャなものまでさまざま。しかし確かに、このクレイジー? な動機の真実だけはなかなかショッキングであった。某・幻影城世代作家たちのあの路線みたい。
 ダイレクトに、作者と読者がストロングスタイルで勝負するフーダニットパズラーとして取り組むと正直やや微妙(部分的にはよくできてるかもしれん)だが、もうひとつ作品の奥に据えておいた妙な文芸で得点したような歯ごたえの作品。個人的には……好きだよ、こういうの。読んでいて面白かったかとストレートに問われると、それもまた微妙ではあるけれど。

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