人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.35点 | 書評数:2257件 |
No.1597 | 6点 | 夜のエレベーター フレデリック・ダール |
(2022/09/14 15:46登録) (ネタバレなし) 「ぼく」ことアルベール・エルバン青年は、6年ぶりにパリに戻った。ときはクリスマスの時節。今は亡き母とかつて暮らしていた懐かしいアパートを訪れたアルベールは、やがて街中でひとりの美しい女性とその娘の幼女に出会う。その美貌の女性の容姿は、アルベールが以前によく知っていた別の女性を想起させた。 1961年のフランス作品。 故・長島良三が原書を読んで惹かれて、特に日本国内で出版の話もないままに私的に翻訳していた作品だそうである。その訳文の原稿が長島家の周辺から発見され、関係者の了解と企画推進のもとに今回の邦訳刊行になったそうで、こういうケースは、さすがになかなか珍しい。 作品は文庫本で200ページ前後の短い長編ながら、繰り返されるヒネリのある、相応に中身の濃い内容。 ただし一方で、すでにダールを数冊読んでいるなら、良くも悪くもいつもの職人芸的なトリッキィさという感じも強く、そういう意味ではソンな面もある一冊。悪く言えば、想定内の振り幅から大きく外れない、というか。 逆に言えば初めてフレデリック(フレドリック)・ダールの作品を読む人になら、これはかなり適した長編かもしれない。 インターネットの感想で先に言っている人もいたし、解説でも触れられていたが、どことなくアイリッシュを思わせる、ユールタイド(クリスマス・シーズン)らしいパリの抒情性が印象的。そんななかで生じる主人公アルベール周辺の寂寞感が、他のダールの諸作とはちょっと違った触感で味わい深い。佳作。 ちなみに、今度刊行されるH・H・ホームズの『密室の魔術師』(「別冊宝石」の高橋泰邦の旧訳を引っ張り出してきたようだ?)などと合わせて、今年の扶桑社文庫は良い意味で(?)新規翻訳の外注経費をかけないで(?)、広義の海外クラシック発掘を積極的にやっているようで、これはこれでなかなかヨロシイ。 特に「別冊宝石」の旧訳で書籍化されてない作品は、今後もどんどんこのように文庫に入れてほしい(最低限、21世紀の視点で原書との付き合わせの上での完訳の確認、さらに編集者による適宜かつ的確な推敲などもしてもらうとして)。 |
No.1596 | 7点 | アキレウスの背中 長浦京 |
(2022/09/13 18:56登録) (ネタバレなし) 2020年代の近未来。英国の国家公認ギャンブル業「ブックメイカー」に倣って、日本でも同制度が導入され始める世界。内外の各種スポーツ界には、一般市民の新たな種類の興味の眼が向けられていた。そんななか、警視庁は、特殊な事件ごとに各方面から人材を集めて捜査チーム「MIT」を編成するタスクフォース型の方針を採っていた。今回、4人の若手捜査官チームの主任となった29歳の下水流悠宇(おりみず ゆう)警部補は、国際的なスポーツ用品業界に深く関わる組織、スポーツ総合研究所「DAINEX」の案件に介入する。そこで悠宇たちが見たものは。 評者は長浦作品は『リリー』に次いで二冊目。 今回はまったくフリで、現物を見て面白そうなので手に取った。 内容は21世紀の社会形態(設定上はちょっとだけ先の未来だが)を題材というか舞台にした組織論、人脈論などを大きなテーマのひとつにした、良くも悪くもよく見かけるタイプの今風の警察小説。 ただしヤンエグ(死語か)である女性主人公・悠宇の過去の肖像と現在の葛藤と活躍、そして何より成長ドラマが語られる、ちょっと高めの年齢のキャラクターの青春小説にもなっているのが特徴。 主要な登場人物連中は全体的に、程よいさじ加減で作者がそれぞれに愛情を込めて書いている感じで、読んでいてちょっとだけスレたつもりの読者(ホントか?)であるこっちは気恥ずかしくなるところもあった。 だが大枠では、現実の塵芥のなかでまっとうな倫理やヒューマニズムを訴えて何が悪いと言わんばかりの作者の胆力が勝ちを収めた感じで、そういう意味でもかなり正統的な、青春小説っぽい。 重要なメインキャラクターのマラソンランナー、嶺川も、彼を支援する年配のスタッフ連中も魅力的なキャラクター。捜査陣の面々もおおむね印象がよい。 主人公の悠宇は、またいつかシリーズものの続編として再会したいなと思う一方、ここで彼女の成長の物語の一区切りを見終えたい(このあとの余計なことは見なくてもいい)とも思える、そんなデリケートな印象のキャラクター。つまり個人的には、かなりいい人物造形だと思う。 |
No.1595 | 7点 | ブルックリンの死 アリッサ・コール |
(2022/09/12 16:18登録) (ネタバレなし) 21世紀、現代のニューヨークのブルックリン。「わたし」こと、ここで育ったシドニー・グリーンは30歳の独身の黒人女性。最近は特に不動産業者の動きが活発で、彼女の周囲ではなじみの住人や店の経営者がどんどん入れ替わっていた。そんななか、近所の住民サークルに参加するシドニーは、「ぼく」こと最近近所に越してきた白人の青年セオとともに、地域の歴史について探求する流れになる。だがそこで彼らが知った驚愕の事実とは。 2020年のアメリカ作品。2021年度のMWA最優秀ペーパーバック部門賞、ストランド・マガジン最優秀新人賞を受賞したばかりのチャキチャキ(死語)の新作。 作者は本格的な長編ミステリは本作が初のようだが、すでに多数のロマンス小説(SFっぽい内容のもあるらしい)で著作の実績がある中堅作家らしい。文庫裏表紙ジャケットの折り返しにある著者の写真を見ると、主人公の片方シドニーを思わせる才女っぽい黒人の美人作家の近影が載っている。 物語は女性主人公シドニーと、以前から有色人種が多く暮らすブルックリンの町に越してきた白人青年で恋人に捨てられたもう一人の主人公セオ、このふたり双方の一人称で叙述。両主人公の担当パートは章単位だが、流れによっては二回以上同じサイドで続くこともある。 さらにその二人の一人称の合間合間に、地区住民によるSNSでの会話が逐次、抜粋形式で挿入され、事態の推移を読者に向けて立体的に開陳。 文庫本で500ページ近い厚めの一冊だが、そういった叙述の工夫やこなれた翻訳の読みやすさもあってリーダビリティはかなり高い。一晩で頑張って読み終えてしまった。 作者は達者な筆遣いで、多数かつ多様な登場人物を物語の前面に出し入れ。ブルックリン周辺で何かが起きているその緊張感をじわじわと伝えながら、一方で主人公ふたりの関係を主軸にしたミニマムな見せ場などもふんだんに用意する。 19世紀からの奴隷制・人種差別問題、地域の区画整理の陰の汚職、格差問題など社会派的なテーマを積極的に盛り込みながら、最終的にどこに着地するのか……という興味で読んでいったら、終盤はかなりぶっとんだ方向にまで話が広がって、はあ!? となった。 (とはいえ、そこへ行くまでにも前哨戦的にアレコレあり、テンションの高め方は結構なテクニックだと思える。) 評者はもちろんまったく初見の作家で、単純にネットで内容(サワリの)紹介を見て読んでみたが、予期していた以上に楽しめた。今年の翻訳ベスト5には入らないと思うが、ベスト10なら考慮したい程度の出来。 なんとなくアメリカ大都市の一部の社会の現状も覗けたようで、そういう意味での興味も少なくない(まああくまでフィクション、の部分もあろうが)。解説にも書かれているが、街中に設けられた市民用の共同農園の話題など、たぶん本書で初めて意識した。 佳作~秀作の都会派スリラー、ちょっとだけトンデモ系。面白かった。 |
No.1594 | 7点 | 残星を抱く 矢樹純 |
(2022/09/11 08:07登録) (ネタバレなし) 37歳の専業主婦・青沼柊子。彼女は5歳の幼稚園児の我が子と二人だけで、山間へのドライブに出かける。だが思わぬ事件と身の危険に巻き込まれ、命からがら幼児とともに生還した。柊子は事件のことを夫の哲司に告げようかとも思ったが、過去のある出来事も関係して、逡巡してしまう。そんな彼女の周囲に不審な人物が出現。さらに夫の上司からかかってきた電話が、柊子をさらに劇的な状況のなかへ導いていった。 読んでる間はとにかく面白かった。いま目の前にタイムマシンがあれば数十年前の世界に行って、テレビシリーズ「火曜日(土曜日)の女」の局側プロデューサーに、ここにおたくの番組に恰好の原作がありまっせ、と本書を強引に押し付けてきたいような、そんな気分である(笑)。 でまあ、得点法的にはウハウハな、ノンストップ・サスペンス編であったが、それとは別に思うこといくつか。 なるべくネタバレにならないように、以下、箇条書きしたい。 ・中盤~後半の、主人公が出先でうまいものを喰い、風呂に入る時の長々とした克明な描写はなんだろ。くだんのシーン周辺での一時的なダブルヒロインものっぽい描写とあわせて、書き手の方が、さあ、旅もの番組要素もありますよ、食い物番組要素もありますよ、人気の中堅女優をキャスティングできる、熟女の入浴シーンも用意しましたよ、だからテレビドラマ化してくれ、版権料は奮発してくれと言っているようで、やや引いてしまった(笑・汗)。設定もストーリーそのものも、とてもテレビドラマに向いている作品だとは思うが、作者の方からそういうイロケに走る(?)のは、なんか違うように思える。 ・最後の方に明らかになる「作戦(?)」に関しては、いや、それこそ無理筋でしょう。(中略)が当人なりの理由を語って(中略)を説得したところで、とても成立するとは思えない。だって……(以下略)。 ・ラストで明かされる某メインキャラの素性というか文芸設定は、それで確かに文芸的には作品を固めた気はするんだけど、すんごい唐突感は免れない。ただまあ作者もその辺は百も二百も承知で大技を見せた気配もあるので、まったくダメということはないのだが。う~ん……。 ・で、なにより一番、感じたこと。 評者はこの作者の作品はまだ『がらくた少女』一冊しか読んでないのだが、ただしそっちでは相当のインパクトを覚えており、同作の一番のポイントの部分は、4~5年経ったいまでもすごく鮮明に印象に残っている。 そして、ああいうケタ外れにオフビートな(いい意味で、だが)作品を書いた人の新作ミステリとしては、良くも悪くも今回は本当に全体的に手堅く攻めた、作法的にオトナな一冊だったなあ、という思い。まだたった一冊しか既刊を読んでないくせにアレコレ言うのもナンなんだけど、矢樹作品って、もっともっと毎回、どっかイカれたものが来る予感があったので。 (くどいようだが重ねて、まだ二冊目の段階で、作家のカラーについてどうこうを語るのはおこがましいだろと言われれば、まったくその通りなのですが・汗。) 評点は先に書いた、何はともあれ面白かった、の側面を重視してこの点数で。 とにもかくにも、一時間枠で5~8回くらいの連続ドラマにして、よっぽど演出と配役をハズさなければ、かなり楽しめるものができるだろうとは確信する。 |
No.1593 | 7点 | その殺人、本格ミステリに仕立てます。 片岡翔 |
(2022/09/10 07:14登録) (ネタバレなし) あらすじを書かない方がいいタイプの作品だと思うので、今回はソレも省略。 とにかくこのユカイな題名に釣られて、読んでみた。 一種、技巧派フランスミステリを思わせる趣向で(?)途中までの物語は進行するが、文体や叙述のノリがそういった方向性に合致しない印象で、正直、半ばまでは、やや退屈であった。 ユーモアギャグっぽいネタも、ところどころ、ココで笑わせようというのは分かるのだが、笑えない、的な意味で引っかかる(汗)。 だ・が、中盤になって本筋の流れに突入してからは、鮮烈な加速感が増加。 それまでの伏線を回収しまくり、自由闊達なロジックで疑問や矛盾に応えていく終盤の謎解きのパワフルさに圧倒された。 (なお評者は、ミスディレクションのひとつぐらいは見破ったが、それは事前に勘付いてもなお、ニヤリとできる種類のもので、この辺も本作の魅力の一端。) 最終的には堂々たるフーダニットパズラーに着地しながら、それでも小説の旨味の方がそれより上に来る感じで、結構な力作であり、同時に好編だと思う。 ところどころであざといほどに、ここで読者の心のツボを刺激しよう、ここで(中略)もらおうという作者の欲目も見えるが、それが全体的に嫌味にもいやらしさにもなってない(評者の主観である)のは、本作の長所といえるだろう。 作者は映像関係の方で、演出と脚本の両面ですでにかなり活躍している人だそうで、最終的なバランス取りの良さには感心する。 (それだけに~作者が何をしたかったのか何となくわかる気もするが~前半の迂路ともいえる? 叙述が少し残念。) いずれにせよ、パズラー分野での今年の収穫のひとつとはいえるだろう。 シリーズ化に関してはちょっとあれこれ思う所もあるが(詳しくはいえない)、またこの探偵役のキャラクター(表紙の女子)に会えるといいなあ。 |
No.1592 | 7点 | 呪いと殺しは飯のタネ 烏丸尚奇 |
(2022/09/08 07:15登録) (ネタバレなし) 7年前に期待の新鋭ミステリ作家としてデビューした「俺」こと烏丸尚奇は長編3作目で、ミステリ創作者としての自分の限界を早くも痛感した。そして33歳のいまでは、路線変更した伝記作家として、そこそこ波に乗っていた。そんなある日、なじみの若手女性編集者・長尾澪を通じて新たな仕事の依頼がくる。それは大企業「ミヤマ・コーポレーション」の創業者で故人の深山波平の伝記を自費出版するので、その原稿を書いてほしいというものだ。そして取材に向かった深山家の周辺には、何やら奥深い秘密の気配が漂う。烏丸はこの取材で、久々にミステリ創作の題材を得られそうだと喜ぶが。 昭和のB級謎解きスリラー、ただし結構出来がいいヤツに出会った感触で、なかなか面白かった。 終盤のドンデン返しの波状攻撃など、ノリの良さで読者を引き込み丸め込む感じで、気が付いたらイッキ読みしている。 (ちょっとだけ、登場人物の後半の行動にヘンテコな個所はひとつふたつあったが。) 終盤のまとめ方もある意味でのお約束だが、個人的には、作者がこういう方向を選択した上で、なかなか味わい深いクロージングを用意できたという印象。 ひと晩、時間がそんなにないなかで、新作ミステリでそれなりの楽しみを得ようと言う向きには、結構いい一冊かもしれない。 評点は0,5点くらいオマケして。 評者も、今後どういう方向に行くのかな? という種類の関心も込めて、シリーズ化を期待します。 |
No.1591 | 7点 | レーテーの大河 斉藤詠一 |
(2022/09/07 19:41登録) (ネタバレなし) 昭和20年8月10日の満州。迫りくるソ連軍の猛威のなか、若き帝国陸軍中尉・最上雄介と石原俊彦は軍用列車を用いて駅に集まる民間人を少しでも救おうとするが、上層部の謎の命令を受けてやむなく軍務を優先。せめてものこととして3人の男女の児童を助けた。それから18年。オリンピックを目前に控えた東京では、かつて満州で命を救われた今は28歳の青年・天城耕平たち3人の若者、そして自衛隊と防衛庁という場で活躍する最上と石原の前に、激動の運命が待っていた。 今年の新刊。評判がいいので読んでみる。 評者はこの作者の作品は、乱歩賞作品『到達不能極』について二冊目。 賛否が割れた印象のある『到達不能極』に関しては、やや大味ながら結構面白く読めた評者だった(一番近いところでいうと、柴田昌弘の一時期の単発中編SFコミック~『ローレライの魔女』とか~みたいな触感)。 今回は昭和の裏面史を語る内容で、プロローグは終戦直前の満州、本編が昭和30年代後半の高度成長時代の東京という流れである。 先にAmazonの無神経なレビューで、重要なキーワードのひとつをネタバレされてしまったので(怒)、事前の興が薄れたきらいもあったが、一方で「そういう話」なら読んでみるかと思った部分もあり、手に取った。 登場人物の頭数は多くなく(脇役のモブキャラにはあまり名前も与えない作者の配慮もよろしい)、紙幅も大き目の活字で一段組、300ちょっとページも物語の広がりの割に短めなのでとても読みやすい。 その分、今回もやや大味で荒っぽい展開という印象はあるが、そんな反面で作者が自分で気に入ったキャラクターへの踏み込み、書き込みは妙な味があり(たとえば、主人公のひとり・耕平が出会うキャバレーの客引きなど)、その辺はエンターテインメントとしてよろしい。 ある意味で本当の主人公と言える、昭和前半期の時代そのものは相応に書き込まれていて作者の奮闘は評価したいが、それでもどこか21世紀の視線からの、ある種の憧憬や観念めいたフィルターを重ねて語った、時代・世相の描写になっている面もある。 ただし1964年オリンピックの歴史に秘められた闇の部分への言及は、まぎれもなく昨年の汚濁にまみれたオリンピック企画への現代的な風刺の投影だろうから、この創作スタイルというか作法は、それはそれで意味のないものではない。 クライマックスのサスペンス活劇の熱量はそれなりのものだが、一方で巷で絶賛されている? ほどのものでもないなあ、という思いも。むしろちゃんと最後まで押さえ込んだクロージングの方が好感を抱く。 全体として、今年の(国産ミステリ上位の)収穫、などという高評などはとても首肯できないが、それなりには楽しめた佳作(ギリギリ秀作)という印象。 『点と線』や『オリエント急行の殺人』が作中に登場し、その一方はごくちょっとした小道具になるのも楽しい。 評点は0.5点くらいオマケ。 作者は今後、打率は悪くない作家になってくれそうなので、未読の既刊作品、さらには次作もしっかり楽しませていただこう。 |
No.1590 | 6点 | 時計屋探偵の冒険 アリバイ崩し承ります2 大山誠一郎 |
(2022/09/06 15:33登録) (ネタバレなし) テレビドラマ化までされて巷ではそれなり以上の人気シリーズの二冊目だと思うが、本サイトではいまだレビューもない。 シリーズ前巻は、このサイトでは、どこかで読んだものが多いという主旨を軸に、ややきびしめの評価をされた感じであった。 評者的には前巻の時点ではそんなに気にならなかったが、今回、そんなものかな? と改めて意識してみると、なるほど、既視感の漂う作品もいくつか。 ただしこれは、具体的にどの作家のかの作品に似ているというより、21世紀の時代にこういうレベルのアリバイトリックで各作品をまとめられるなら、たぶんおそらくどこかに類作は存在していそうだというそんな気配というか観測、そういう感慨がおのずと生じるような作りだからである。 とはいえ良い意味でクセのない愛らしい系の名探偵ヒロインと、彼女に秘めた思いを抱くワトスン役刑事との掛け合いは、ある種のトラディッショナルな連作謎解きミステリの空気をもたらして心地よい。 もはやミステリの鬼(笑)たちからは見捨てられたシリーズかもしれないが、評者などはもうしばらく付き合っていきたい連作ミステリだ。 今回は全5編の中短編が収録されているが、面白かったのは逆転の発想が生きる第1話と第3話(特に後者)。さらにヒロインの時乃の高校生時代の回想編で、先代名探偵のおじいちゃんの活躍編でもある第5話はクロージングまでの流れも含めてちょっと良い感じ。ほかの2本も悪い出来ではない。 前巻とあわせて、正に良い意味でミステリ入門者に読ませるには最適のシリーズだと思う。 そして自分のような冊数をそれなりに読んだ(実にいい加減な体系のミステリ読書歴だが)者でも、それなり以上の感興は得られるのではないか。 (キャラクターも謎の主題の絞り込み方もまるで違うが、赤川次郎の初期の佳作連作集『幽霊列車』あたりに通じるものもあるかもしれない。) |
No.1589 | 8点 | ジゴマ レオン・ザジ |
(2022/09/05 16:52登録) (ネタバレなし) 20世紀初頭(おそらく)のパリ。その夜、ル・ペルティエ通りで、「モントルイユ銀行」の頭取モントルイユが何者かに襲われて重傷を負う。パリ警視庁の捜査の結果、容疑者は、事件の深夜に頭取宅を個別に訪れた青年実業家アルベール・ロランと、社交界の伊達男フォスタン・ド・ラ・ゲリニエール伯爵のいずれかに絞られた。やがて重態のモントルイユはその一方が犯人だったと指摘するが、なぜかその直後に態度を変えて容疑者の推定を撤回。そのまま弱るように死亡する。この状況に不審を覚えたのは頭取の遺児で弁護士のラウールと医師のロベールの兄弟。そして警視庁治安局の敏腕刑事長ポーラン・ブロケだった。そして彼らは事件の陰に謎の強盗団「Z団」とその黒幕らしき怪人「ジゴマ」の存在を認めるが。 1910年のフランス作品。1909年から翌年まで大衆向けの新聞「ル・マタン」に連載された新聞小説。 今回が初の完訳で、紙幅はハードカバーの上下本でほぼ1000ページにも及ぶ大冊。 日本ではかつて久生十蘭の手で一応の翻訳が出ていたが、実際には原書の6分の1ほどの長さの半ば創作訳だったようである。 古典ミステリ史を嗜もうという原動、数年前に完訳が出た類作『ファントマ』が面白かったという記憶、そして何よりこういうジャンルの作品そのものに関心がある評者は今回の完訳出版を機に大部の長編に挑戦してみたが、邦訳の本文はやや大きめの級数の活字で一段組、そして場面によっては会話もかなり多めなのでスラスラ読める。何といっても翻訳が滑らかなのが、まずよろしい。誤植の類も少なく、気づいた限りではこのボリュームで脱字が一字だけだったから、かなり優秀な編集で校正だろう。 物語は謎の怪人ジゴマ率いる闇の強盗団Z団と、パリ警視庁随一の刑事と評判をとるプロケ率いる警視庁治安局との戦いを主軸に、メインキャラであるモントルイユ家の青年兄弟、さらには同世代の女子・令嬢たちのロマンス譚や苦境ドラマなどにも広がり、そのパノラマ感は並々ならない。(ただし表の顔であいつが謎の怪人ジゴマの正体ではないか? と目をつけられる人物は早々と登場し、以降は絶妙な緊張感のなかでストーリーが進行する。) 不屈の念で何度も何度も凶賊に挑んでいくプロケのキャラクターもかなりスゴイ。 ミステリ的にはドイルやルブランなどから影響を受けたか? と思われるようなトリックやネタがふんだんに登場し、後発作品として原典からのアレンジ具合もなかなか楽しい(ここまでなら、ぎりぎりネタバレには、なってないと思うが)。 物語そのもののパワフルな起伏感と合わせて、複合的なミステリロマンに触れる楽しさが満喫できる。 さらに解説でも指摘されているが、警視庁治安局のプロケの部下の面々の活躍ぶりは、フランス警察小説の歴史の上で見落とせないものなのだとも実感する。 愉快なのは本作の物語世界はホームズやニック・カーターも実在する世界観という設定らしく、劇中の人物は嘘か本当か彼らとの関係性まで披露する。この辺は数年前にホームズ(ショルムス)を自作世界に呼び込んでいた先輩ルブランに倣ったものか。 終盤では作中世界に秘められていたかなり衝撃的な真相が明かされて読者の度肝を抜く一方、受け手目線で実に大きな関心のひとつが明かされず次巻以降に持ち越される。最終的に本編6冊、新世代編的な別巻1作の長期シリーズになった「ジゴマ」だそうなので、作者も連載時の反響の良さを見てこれはしばらく飯のネタになると、シリーズの長期化を図ったのであろう。詳しい事は丁寧で読み応えのある、下巻の巻末の解説で。 で、その解説は本国での文学史的事実、映画を介した日本での大反響ぶり、さらには昭和末期の特撮少年探偵団もの番組『じゃあまん探偵団 魔隣組』の話題にまで触れていて楽しいが、あとできれば『オバケのQ太郎』のQちゃんがテレビ出演する回についても言及してほしかった。やはり世代人にとって「Z団」と言ったら『オバQ』の名セリフ(?)「おれはZ団だ」だよね?(笑) ちなみに本作は国書の新叢書「ベル・エポック怪人叢書」の第一弾。続刊にガストン・ルルーの怪人シェリ=ビビ(評者は現状、ほとんど知らない)や、数年ぶりの完訳登場となる「ファントマ」シリーズなどが予定されていて、それぞれ楽しみである。 評者なんかその名前のみ知る(実は大昔に日曜映画劇場で、現代設定の映画版だけは観たことがある)「ロカンボール」ものなんかも出ないかと期待しているので、関係者には叢書の継続の検討もぜひぜひ願いたい。 【追記】 大事な? ことを書き忘れていたので、ちょっと。Amazonのレビューですこし触れている人もいたが、20世紀初頭のほぼ現代文明のフランスでは、まだ「決闘」が公式な文化的な社会行為として公認されていたのに、かなり驚いた。改めてしっかり読めばルブランの諸作などにも書かれていたのかもしれないが、評者的にはそちらではそんなに出会った記憶はない。本作では物語の要所でポイント的に決闘の描写が散在し、モノを知らない評者をびっくりさせる。この辺りの文化事情をちょっと調べてみようか。 |
No.1588 | 7点 | ギャンブラーが多すぎる ドナルド・E・ウェストレイク |
(2022/09/03 17:15登録) (ネタバレなし) 1960年代(たぶん)のニューヨーク。「おれ」こと29歳のタクシー・ドライバー、チェット・コンウェイは、競馬やカード・ゲームなどのギャンブル好きだ。ある日、偶然に乗せた紳士から勝ち馬の情報をもらったチェットは、大穴の勝率で1000ドル近い儲けを得た。チェットは大穴の馬を、なじみのノミ屋トミー・マッケイに賭けていたので、電話をかけたのちにお金を貰いに行くが、マッケイのアパートで出くわしたのは何者かに惨殺された彼の死体だった。チェットはなんとか自分の配当金を、マッケイの属するシンジケートの筋から回収しようとするが、思わぬトラブルが向こうの方から次々とやってきた。 1969年のアメリカ作品。ウェストレイクの同名義での長編11冊目で、作者の転機となったコメディ・スリラー『弱虫チャーリー、逃亡中』をすでに上梓した時期の作品。本作の翌年にはドートマンダーものの第一弾『ホット・ロック』も書かれるので、正にユーモア&ギャグ&スラプスティック路線に方向転換した作者の躍動期の一冊である。 主人公チェットが、序盤から思わぬ知人の死体に遭遇。この手の設定で開幕する巻き込まれ型ミステリのうちの90%では第三者または警察に殺人犯と誤認され、そのまま逃亡という流れになると思うが、チェットの場合はさっさと警察を呼び、自分の潔白を理解させる。このあたり、地味に変化球でよろしい。 しかし一方でやはりこの手のミステリのパターンなら、成り行きでアマチュア探偵になりそうなものだが、当座のチェットにはそんな意識はなく、頭にあるのは配当金の回収だけ。それがモタモタしているうちに、暗黒街の筋やら、マッケイの妹の美女でラスヴェガスのディーラーであるアビーなどが登場し、チェットに接触。話がどんどん転がっていく。 半世紀前の旧作だけに途中のツイストなど、今ではどんでん返しの効果が弱くなってしまった面もちょっとあるが、全体的にハイテンポで筋運びは快調。事態の流れからアビーとお約束の共同戦線を張ることになるチェット、彼らが出会う適度にクセのある連中とのやり取りも楽しめる。 それでも終盤は連続するクライシスの果てに、関係者を集めてアマチュア探偵さてと言い、のパターンになるが、本作ではそんな状況の組み立て方、そして正に意外な犯人! が非常に楽しい。さすがにガチガチのフーダニットパズラーではないが、それでもウェストレイク、ちゃんとミステリファン向けに仕込みをしておいたよ、とほくそ笑んでいる図が目に浮かぶようだ。 木村二郎氏の翻訳も軽快。こーゆーものの発掘翻訳は本当に嬉しいと思っているが、今年はさらに論創社からも近い時期のウェストレイク作品の発掘がもう一本あるようで、実に素晴らしい。残りの未訳作品も続けて出しておくれ。『サッシー・マヌーン』も、そろそろ本にしておくれ。 |
No.1587 | 8点 | 花束は毒 織守きょうや |
(2022/09/02 06:33登録) (ネタバレなし) 昨年度の「SRの会」国内ミステリ作品、ベスト第7位。 この高い実績と、さらに本サイトでの文生さんのレビューが気になって、遅ればせながら読んでみる。 でまあ、中盤まではスラスラ読めるが、ことさら特化したものは何も見えてこない。逆に言えば、このあとの後半~終盤でソレなりのものが待ち受けているハズだ。そんなことを考えながらワクワクワクワク読み進む。ああ、この幸福な緊張感。 で……なるほど、終盤のどんでん返しは、かなりの破壊力(!)。 とはいえ正直、キーパーソンについては早々と半ば読めていたのだが(だって……)、しかしながらココまで奥行きのある真相とは思わなかった。あまりに強烈な(以下略)。 そしてクロージングのまとめ方は見事な余韻だけれど、もしも今後も、この主人公コンビの事件簿が続くとしたら(個人的には強く希望している!)、かなりシリーズの方向性は、硬化してしまうだろうね? まあ次作以降は(中略)という手も、あるのではあるが。 何はともあれ、期待通りに面白かったでした。 評点は0.25点くらいオマケで。 |
No.1586 | 7点 | 遺産相続を放棄します 木元哉多 |
(2022/09/01 16:34登録) (ネタバレなし) 室町時代から続く都内の名家・榊原家。一時期は天文学的な資産を誇った同家だが、バブル崩壊期など時代の推移のなかで、その財産はかなり目減りしていた。先代の当主で90歳の榊原道山が先日死亡。さらに、いまなお莫大な遺産を受け継いだ長男で家督の昌房もまた、不治の病に冒された身であった。66歳の昌房は、三人いる子供のうち29歳の長男で唯一の男性・俊彦に次の家督と5億円の遺産を託そうとするが、純真な心根ながら生粋の御曹司で生活力皆無の俊彦はその相続を拒否。正職にもつかず、大好きなケン玉を題材にしたユーチューバー兼教導者として生きていくと現実味のないことを言いだす。俊彦の純朴さに大学時代から惹かれて恋愛結婚した29歳の妻の景子。景子は実家が貧乏だったゆえに誰よりも金に執着しており、ひそかに義父の昌房が夫に財産を託す流れを見やっていたが、予想もしないこの事態に衝撃を受ける。そして榊原家の騒乱は、次のステージへと移行していった。 ちちんぷいぷい「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズの作者が送る、初めてのノンシリーズものの長編ミステリ。文庫書き下ろし。 あまり詳しく書かない方がいいと思うので大雑把に触れるが、多額の遺産譲渡と相続放棄という事態から始まる名門一家の騒乱は、やがて榊原家周辺の殺人という事態に進展。前半では倒叙ミステリ風だが、後半というか大枠ではフーダニットの謎解きパズラーの興味、さらに(中略)というハイブリッドな趣向で、作者は読者に勝負をかけてくる。 すでに人気シリーズをヒットさせた作者だけあって書きなれた達者な文章で、話術も絶妙。基調は地に足のついた叙述でお話も大枠としてはシリアスながら、どこか全体的にひねたユーモア味が漂うのは、1970~80年代の天藤真あたりにかなり近いものを思わせる。 サクサク読める分、文庫版で370ページ前後の紙幅が微妙に長めといった触感を中盤で一瞬感じたが、メインヒロインの景子を主軸にそれなりのサスペンス要素もあるので、時間があれば十分にイッキ読みは可能。評者もちょっとだけ息継ぎしながら、一晩で読んでしまった。 で、最後まで読み終えて思うのは、改めて(中略)。「閻魔堂沙羅シリーズ」は現状のいちばん最後の一冊を除いて全部楽しんでいる評者だが、無事にノンシリーズものへの挑戦は成功したと評価。終盤の探偵役の説明で、ちゃんと「閻魔堂沙羅」っぽい伏線の回収があるのは、いかにもこの作者らしい。 気になるのは、とある昭和の人気ミステリ作家の影がすごく匂うことだが、<その人>の作風をダイレクトに継承している現在形の書き手ってパッと思いつかないし、その意味ではこれもアリか? 逆の言い方をするなら、どことなく懐かしい(おおむね良い意味で)ミステリの味わいを2020年代に甦らせてくれた作品だとも思う。 次作のノンシリーズ編はこの方向で、さらにもうちょっと何か作者らしい一手二手があれば最高。 それとそろそろ「閻魔堂沙羅の推理奇譚」の新刊の方もお願いします(笑)。 |
No.1585 | 6点 | 或るアメリカ銃の謎 柄刀一 |
(2022/08/31 05:48登録) (ネタバレなし) 書き下ろし中編を二本収録。 『或るアメリカ銃の謎』……名古屋在住の首席アメリカ領事ゲイリー・オルブライトの自宅で殺人事件が発生。アメリカ人の美人検死官エリザベス・キッドリッジとともに、たまたま現場に居合わせたプロカメラマンでアマチュア名探偵の南美希風は、この事件に介入するが。 『或るシャム双子の謎』……エリザベスとともに、琵琶湖の湖畔にある生体未来学の研究家・久納準次郎の屋敷を訪れていた美希風。だがその周辺は突発的な異常現象の影響で事故が生じ、大火災となった。その中で生じた怪異な殺人事件の真実は? 柄刀作品は何冊か読んでいるが、自分でも意外なことに南美希風ものに接するのは今回が初めてだった(同じ世界観の外伝的な? 作品『密室の神話』は読んでるが)。当然、柄刀版「国名シリーズ」も本書が初。 これまでの柄刀作品数冊は、ものによって楽しめたりそうでなかったり、本当にマチマチなのだが、これはなかなか面白かった。 『アメリカ銃』は小技と中技の組み合わせだが、大きなギミックがなかなかのインパクトで、都筑の後期~ホックの一部の系列のモダーン・ディティクティブ・ストーリーの方向を今風に再構築した感じ。特に先に真相が語られる殺人の方で読み手の度肝を抜いたあと、もうひとつの謎の真相を丁寧にかつ解きほぐしていく手際が光る(後者も後者で、実際の事件時のイメージはなかなか印象的)。 『シャム双子』は『アメリカ銃』以上に原典EQ作品へのリスペクト度が高いが、根幹となるアイデアはかなり異彩を放つもので、『アメリカ銃』とはまた違った種類の余韻が残る。ちなみに評者は、結構とんでもない真犯人をイメージした(推理というほどのものでもない)が、ソレはものの見事にハズれた。 これまで評者が出会った柄刀作品の中では、もっともまとまりがよく完成度の高さを感じる一冊。 難点は、登場人物それぞれが素性や容姿の情報は用意・設定されているものの、全体的に各人が記号的で、魅力があまりないこと。この辺がもうちょっと良かったら、もっと秀作になっていただろうとは思う。 あと『アメリカ銃』で、結局(中略)は(中略)だったということに、なるのだな? 評点は新人作家なら十分に7点だけど、ベテランなのでちょっとキビシめに。でも現在形のパズラー好きなら読んでおいて損はない今年の一冊だとは評価。 |
No.1584 | 5点 | 図書室の死体 マーティ・ウィンゲイト |
(2022/08/29 22:34登録) (ネタバレなし) イギリスの一地方にある古都バース。ジェーン・オースティン研究家だが失業してしまった「わたし」こと40代の離婚女性ヘイリー・バークは、そこでミステリ作家兼初版本コレクターだった亡き老婦人ジョージアナ・ファワリングが創設した組織「初版本協会」の書籍キュレーター(鑑定士)の職に就く。協会には当然ながら無数のミステリの蔵書があり、周囲の面々もヘイリーにミステリ通であることを期待するが、実は当人はこれまでほとんどミステリなど読んだことはなかった……。協会の存続のために、ヘイリーたちは協会主催でクリスティー作品の二次創作の競作企画を考えるが、参集したアマチュア作家はそれぞれポンコツな面々ばかりだ。そしてそんななかで、殺人事件が発生する。 2019年の英国作品。「初版本図書館の事件簿」シリーズの第一弾。 オモシロそうな新刊なので手に取ったが、ミステリ的にはかなりゆるい内容で、いまだコージーというジャンルがよくわからない自分などは、これが(悪い意味で)そーゆーものか? という感じである。 (一応はフーダニットになっているが、謎解きは地味にチマチマ終わる感じであった。動機の真相は……ちょっとだけ、面白いかも?) でもって主人公のヒロインが立場上それじゃマズイのに、実はミステリをまったく知らずにそれをなるべく周囲に露見しないようにしてるという一番の? 売りの大設定。 作者的にはその辺のギャップで読者の笑いと親和感を求めようという意図なのだろうが、実際のところ、これでメシが食えるならサイコーじゃん、と言いたくなるような、ジェイムズ・グレイディの『コンドルの六日間』の主人公にも匹敵する最大級に恵まれた立場にあるにも関わらず、「(アラン・グラントとロデリック・アレンとどちらが名探偵と思いますか? という主旨の質問に対して)わからない。誰それ」とか「ミス・シルヴァーって誰?」とか、殴ってやろうか、このアマ、といった種類のイライラが募るばっか。前半はそーゆー、とんでもない妙なフラストレーションばっかが溜まっていく(笑)。 でもまあ途中からはさすがに、この主人公、少しずつクリスティー作品をつまみ食いで読み始め この世の中にこんな素晴らしい世界があったなんて、的にハマっていく。うんうん君も今日からは僕らの仲間。飛び出そう、青空の下へ。砂に書かれた青い三角形の第四辺定規。 ついでに言うと、クリスティー作品の二次創作志望のアマチュア作家連中も「ミス・マープルとゾンビを戦わせたい」だの「ポワロがESP能力で謎解きを」とか構想する、まるでクリスティー作品原典の基本軸を知悉も理解もしないで自分の好きなことだけ書こうとするクズばっかで、いや、その辺も当初はギャグとして受けとろうかと思った。 けれど、そのうちにすぐ、これって作者自身がクリスティー作品にまともな見識も愛情もないからこの程度のオチャラケでしかモノが言えない、アホななんちゃっての登場人物しか出せないんだよね? と気づくし。 要はその程度の作品。 まあボロクソに言った割には、主人公周辺の猥雑な人間関係そのほかで楽しめた面もあるので、評点はこのくらいで。あまり大きくは期待しないでお試しすることを、オススメします。 |
No.1583 | 8点 | レヴィンソン&リンク劇場 突然の奈落 リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンク |
(2022/08/27 19:30登録) (ネタバレなし) 同じ作者コンビの前書『皮肉な終幕』に続く、本叢書での第二短編集。 前巻と同数の十本の短編が収録されるが、作品の方向性にそれなりの幅の広がりがあった先行分に比して、今回は一部の例外を除き、ほぼ全部を「ヒッチコック劇場」的な、スレッサー風の路線で統一している。 結果としてモノトーンな味わいの短編集になってしまうかとの懸念もあるのだが、実際にまとまったものはいわゆる正統派の「オチのある短編」ばかり、そしてその上でのバラエティ感が豊かで、非常に面白い。早川のスレッサーの短編集三冊に匹敵する楽しさである。 以下、簡単にメモ的な意味を込めて紹介&寸評(ネタバレには注意します)。 Suddenly, There Was Mrs. Kemp「ミセス・ケンプが見ていた」 ……妻殺しの秘密を同じアパートの女性に見られた主人公。女性は口止め料の金を要求し、対抗措置もとるが? オチは読めるが、小気味よい話術で楽しめる。巻頭から本書の方向性を語る一編。 Operation Staying-Alive「生き残り作戦」 ……軍隊内で生じている、ある犯罪? 主人公は挙動不審な人物に疑いを持つ。シチュエーションがちょっと特殊な設定。本書の中ではまあまあ、の方。他の諸作とちょっと異質な雰囲気は良い。 The Hundred-Dollar Bird’s Nest「鳥の巣の百ドル」 ……貧乏な老医師は、ふとしたことから、同じアパートの住人が秘匿する大金を発見。そして……。『ミセス・ケンプ』に続く、ヒッチコック劇場(的な)路線の第二弾。オチはちょっと斜め方向だが、悪くはない。 One for the Road「最後のギャンブル」 ……オイルマネーの金持ちでギャンプル好きの老人が、若い美しい妻の不貞に気づく。老人は妻の不倫相手の青年に、ある賭博勝負を提案した。小噺的な、しかしある種の文芸性を感じさせるラストで、なんとなくスレッサーというよりはエリン辺りに近い。秀作。 Memory Game「記憶力ゲーム」 ……超人的な記憶力の主人公パーキンズ。そんな彼にひとりの男が接近してきた。ヒッチコック劇場(的な)路線。最後のオチが泣ける。そんなのありかよ? ありか? とつぶやきたくなる秀作。 No Name, Address, Identity「氏名不詳、住所不詳、身元不詳」 ……交通事故の直後、記憶を失っていることに気づいた主人公。彼は懐中の物品を頼りに、自分の正体を知る? 相手を訪ねる。実際に「ヒッチコック劇場」で映像化されたらしい(日本では未放映)一編。とても本書らしい一作。 Small Accident「ちょっとした事故」 ……少年「ぼく」は、その日、学友のひとりととあるトラブルを起こした。それは……。本書の中では珍しい、完全に異色の非ミステリ。作者コンビはこーゆーものも書いていたんだね。 The End of an Era「歴史の一区切り」 ……15年間、地道に勤めた会社を退職する主人公。彼にはある考えがあった。ヒッチコック劇場風路線の一編。思わぬ方向からのオチが非常によろしい。 Top-Flight Aquarium「最高の水族館」 ……ホテルの夜勤警備員となった中年ジミーは、金魚が好きな、ホテル長期住居者の老婆と出会うが……。ああ、そういう方向で来るかという感じのオチ。一種の攻めの作品ではある。 The Man in the Lobby「ロビーにいた男」 刑事ウルフスンが出会った男ミラー。その顔は、つい最近見かけたものによく似ていた。これも話術の面白さを堪能できる一編。ヒッチ劇場風であり、同時にこれもまたエリンっぽい。締めくくりに余韻のある作品が配置された本書の構成にニヤリ。 全体として、前巻よりもずっと楽しかった。作風の幅の広い個人(コンビだが)短編集のありようとしては前巻の方がずっと正統的な作りだとは思うが、この(ほぼ)人工的に整えられたワンテーマ短編集的な味わいはまた格別。 もしかしたらヒトによっては全体的にオチが古めとか、難癖をつけるかもしれないが、いいのである。コッチはそういうヒッチ劇場的なリッチな味わいのものを求めているので。ニッチな趣味かね? 評点はああ、本当に楽しかったという意味でこの高評価。 前巻と本書で、ベースとなった原書の短編集の中身を使い切り、さらに日本語版独自の短編をいくつか足したらしい。とはいえ作者コンビのノンシリーズ短編そのものはまだまだ残っているので、ぜひとも第三・第四短編集の刊行も渇望。 さらについでにスレッサーの新規短編集や、似たようなヒッチ系のC・B・ギルフォードの短編集なんかも出ればいいなあ。 今年のクラシックミステリ(幅広い年代の意味での)発掘は、いい流れである。 |
No.1582 | 7点 | 結婚って何さ 笹沢左保 |
(2022/08/27 18:06登録) (ネタバレなし) 「万里石油」東京支社の臨時雇いOLである20歳の美人・遠井真弓は、職場の妻子持ちの係長から求愛されるが拒否し、それがもとで辞職した。同い年の同僚・赤毛の疋田三枝子も真弓に付合う形で退職。失業した二人は夜の町で酒を飲むうちに、森川と名乗る眼帯の男と知り合い、三人で同じ宿に泊ることになる。だが酔いつぶれた真弓たちが密室の中で認めたのは、絞殺された男の死体だった。 先日、ブックオフの100円棚で見つけた講談社文庫版で読了。大昔に別版(文華新書版?)を持っていたような気がするが、書庫で見つからず、この数年、何らかの適当な版との出会いを待っていた。 もともと本作のタイトルを知ったのは、70年代後半の初期の「幻影城」で、どっかの大学のミステリサークルが本書を(その時代までの)国産オールタイムミステリのベスト10、そのひとつに入れていたときだと思う。初めて題名を知った時は、なに、このマーガレットコミックスにありそうなタイトル、と思ったものだった。 『招かれざる客』『霧に溶ける』『人喰い』と同年の1960年作品のようだが、他の3作のどこか格調を残す題名に比べ、このタイトルは明らかに異質だったが、このあとの笹沢作品のタイトリングはこの手の口語的、会話でのセリフっぽいものも多くなるので、その辺が商業作家の意図的な戦略だとしたら、今日び21世紀のやたらと長いタイトリングで受け手に印象づけようとするラノベ文化などに一脈通じることもあるかもしれない。 閑話休題。評者の場合、もしかしたら本作はすでに一度、その持っているかどうかも曖昧な蔵書で一度読んでいるかも? という記憶が曖昧なところもあったが、このたび通読してみると完全に初読。一回でも読んでいたら、どっかは記憶に残るだろうという印象的なシーンや叙述が続出する。なんで勘違いしていたんだ、オレ? サスペンス枠の方向性の中にパズラーの要素を組み込み、事件全体の輪郭もなかなか判然としないあたりの構成は、よく練り込まれている。 一方で雪さんのレビューにある、終盤でのアマチュア探偵(主人公たち)の仮説的な推理が検証もされず、ほぼ正鵠を射てしまうのはナンだというのは確かに弱点だが、まあその辺は東西のミステリ全般での普遍的な隙ともいえるので、ぎりぎり。 全体としてはかなり短めの紙幅(文庫で220ページ弱)ながら中身は濃い。評者の予想外に飛び出した密室殺人の解法もふくめて、小技と中技の組み合わせで期待通りに面白かった。 ちなみに肝心のタイトリングの作中での用法は、終盤で回収されるが、作者は当初からこういう形で言わせるつもりだったんだろうなと思える一方、実際のそのハマり具合にもニヤリ。作中でこのセリフを聞いた、脇にいる人物のリアクションが微笑ましい。 あと実にどーでもいいが、講談社文庫版の145ページで「目前に怪獣が迫ったように、顔をそむけた。」という叙述があり、1960年じゃまだ第一次怪獣ブームのはるか前だよな、国産怪獣じゃゴジラ、アンギラス、雪男、ラドンにメガヌロン、モゲラにバラン程度だよな、とも思う。もしかしたらこの種のレトリックを使用した作品(非・広義のSF系で)のかなり早期のひとつか? いつかその辺も可能なら探求してみたい(果てしなく長い道のりになりそうだが)。 |
No.1581 | 8点 | 運河の家 人殺し ジョルジュ・シムノン |
(2022/08/26 06:07登録) (ネタバレなし) 『運河の家』も悪くなかった(というかフツーに良かった)が、とにかく『人殺し』が破格に素晴らしい。正に傑作。 ネタバレになるので詳述は避けるが、実際に浮気妻とその愛人を殺した主人公を、正義や倫理などの筋道ではなく(中略)や(中略)という原動から(中略)する(中略)たち。その残酷かつ小気味よい叙述がただただ圧巻。 もちろん、これまで評者が長い人生の中で出会ってきた広義の無数のミステリの中に類例の文芸テーマが皆無だった訳ではないが、ここまでメインテーマとして高い完成度を獲得したものはそうないであろう。 まっこと、tider-tigerさんがおっしゃるように、ハイスミスっぽい主題で作法だと思う。ただ一方で、ハイスミスの筆致がどこか人間の意地悪さ、無常さの方にもっと振り切れるのに際し、シムノンのこの作品はこれだけ(中略)連中が(中略)なことをしくさっても、どこかの一面で、人間の切なさや哀しさを感じさせたりもする(ハイスミスの諸作にそういう要素が皆無とは言わないが、そういったグラデーションの具合において、シムノンの方がより顕著だ)。 解説で瀬名先生が書いているように、シムノンを弱者の味方、そういう善意の作家と(のみ)捉えるのは絶対に片手落ちなんだけど、それでもどっかこの人には残酷になってもなりきれない、そんな部分があるように思えるんだよ。 (例えばあなた、メグレの<あの最高傑作>を読んで、敗北するあの人物への限りない書き手の残酷さを認めながらも、同時に瓦解する当人への作者からのなんとも優しい憐憫の眼差しみたいなものを感じませんか?) 評点はトータルの平均で、7点にしようか8点にしようか迷ったけれど、巻末の資料や評論の価値を改めて重視して、やっぱこの点数で。 |
No.1580 | 5点 | 九人の失楽園 ブラウン・メッグズ |
(2022/08/25 16:27登録) (ネタバレなし) 1970年代半ばのアメリカ。ニューメキシコで、一流建築家として名高い42歳のマイルズ・オーキンクロスが、自宅で妻と義母とともに何者かに射殺された。ついで42歳の人気テレビコメディ俳優、シム・ベリーが自宅のワインセラー倉庫の中から死体で見つかる。彼らはともに25年前、マサチューセッツのエリート高校「マザー・スクール」を卒業した同級生であり、当時の校風として編成された少数クラスの9人の仲間だった。同級生8人がそれぞれの分野で活躍していることに引け目を感じていたマイナー誌の音楽批評家ホーバート(ホービー)・ミルンは、やがて第三の事件を認知。ホービーは、謎の人物による自分たちの同窓の卒業生を狙った連続殺人計画を確信するが。 1975年のアメリカ作品。 瀬戸川猛資が「夜明けの睡魔」で「(パズラーっぽいがそうではなく)サスペンス小説の佳作~秀作」(大意)とホメていた一冊。 瀬戸川氏は本書に先行する同じ作者のポケミス『サタデー・ゲーム』をこれとまとめて語って、それぞれサスペンス作品として面白いと評していたが、評者はそっち(『サタデー』)はまだ読んでない。 いずれにしろなんかテクニカルそうな作品なので、気が向いて安い古書を購入して読んでみる。 巻頭の人名一覧表には、くだんの卒業生9人と、ほかのメインキャラ(ホービーの恋人で、セックス好きの29歳のヒッピー、元弁護士のサンディをふくむ)の数名のみの名前が羅列。主要人物十数人だけで250ページ弱の物語がもつのかな? と思ったら、実際には80人弱のネームドキャラが登場した。まあいいけど、もうちょっと細かく人名表を組んでもよかったとも思う。 先の瀬戸川レビューの通りに、サスペンス作品としてすいすい読める(ただしあまりスリルの類は感じない)。話がダレそうになる前に次の被害者が出たり、主人公と周辺でイベントが起きたり、その辺りのテンションを維持させる作劇と話術は悪くはない。 ホービーとサンディの微エロな関係描写をはじめとして、各キャラクターの立て方見せ方もそれなりにうまいとも思う。 ただ、ハハーン、こういう作品なら、こういう手で来るのだろうな? と、読み手のこっちの方がもうちょっと一回くらいはヒネったものを期待したところ、ラストは意外にも……(中略)。 正直、思ったより曲のない作品であった、という手ごたえである。 やっぱこの40年の間に、東西の技巧派(?)ミステリのレベルは徐々に上がってしまっているんだろうな、という実感。 結局、空振りに終わったけど、ソノこっちが勝手に期待したような大技を使ったところで、それもすでにどっかで見たようなものなのに、実際の本作はソコまでも行ってない、という印象である。 サスペンスそのものの面白さは普遍的だけど、その分、観念性とか時代色とか活劇とか濃い目のエロとか、プラスアルファが弱いと、改めて旧作を読む場合はツライね。 客観的には6点あげてもいいけれど、そんなあれやこれやを考えて感じながら、この評点で。 でもこの作者は、もうちょっと読んでみよう。 |
No.1579 | 8点 | わが魂、久遠の闇に 西村寿行 |
(2022/08/24 05:43登録) (ネタバレなし) 新潟から調布に向かった、定員6人の高級機セスナ402。だがその機体は北アルプス上空で消息を絶ち、やがて三週間後に、乗客乗員の6人はみな、奇跡的に保護された。だがその飛行機に、今は行方不明になっている自分の愛する妻子が同乗していたのではと疑念を覚えたプロダイバーの出雲広秋は、盟友の中谷剛一とともに事件の真実を探るが。 講談社文庫版で読了。 ……いや大ネタ(中略)は、当時の北上次郎の新刊評エッセイで、元版の刊行時から知っていた。で、それゆえ当時は、ああ、このセンセイ、ついに<そこまで>人の道を踏み外したテーマの作品を……と激しい嫌悪感を覚えて、その後もチョビチョビと寿行作品を読むことはあっても、コレだけは絶対に手を出さなかったのである。 ただまあ、それでも長い歳月を経て十年くらい前から、これもいつかは読むんじゃないかな……と思い始め(…)、ついに今夜、気が付いたら手に取っていて、そして数時間後に、読了していたのであった(……)。 とにかくかぎりなく猟奇的で残酷でバイオレンスで、かなりエロで、相当にグロの作品。 並の寿行作品の三冊分ぐらいのいかがわしさが、この一冊に凝縮されている。講談社文庫の裏表紙の紹介文の一端「勝つも地獄、負けるも地獄の修羅場には、もはや逃げ道はない。」のワンセンテンスはハッタリではない。 これまでは評者など、このヒトの最高エログロ作品は文句なしに『峠に棲む鬼』だと信じていたが、これはそのプロトタイプ的な部分も感じられる(特に中盤から後半に切り替わる際の、外道悪役側の図に乗った物言いなど)。 ただまあ主人公側も悪役たちもとことんとことんクレイジーながら、前者の復讐行の軌跡の中には、本当にわずかに時たま、人間の昏さを何十とするなら、ところどころでほんのひとつふたつ、ほの明るくやさしい人間賛歌が覗く。そしていかにも復讐ものらしい切なさが見える。それが鮮烈に心に残ったりする。 そういう意味では、歴代寿行作品(特に、いわゆるハードロマン路線)の中での、やはりトップクラスのもののひとつだろう、コレは。 (個人的には、オールタイム西村寿行のマイ・ベストワン作品が『滅びの笛』なのは、一生変わることはないと思っているけどな。) ちなみにAmazonの本書のレビューのひとつに、終盤があっけないとの声もあるが、まあ寿行作品ならこんなもんでしょ、というのが読み終えた自分の感じる正直なところ。 むしろ後半の復讐戦のノリの良さにつきあううちに、大設定であるメイン文芸(中略)という主題のインパクトや嫌悪感が、自分のなかでいつのまにかかなり薄れていることに気が付き、あ……と、軽く驚いた。 講談社文庫版で本文約470ページ。中盤の300ページあたりで、まだ200ページ近く残っていることに戦慄を覚えた瞬間が、最高のテンションだったかもしれない。 ちなみに講談社文庫版はもちろん元版じゃないが、巻末には他者による解説の類は収録されておらず、本文のクロージングでそのまま奥付に続く。 きっと当時誰も、この作品の解説を書こうとしたり、書きたいと名乗り出たヒトはいなかったんだろうな?(笑) あー、とにかく、ついに読んだ、読んだ。読んじゃった。 |
No.1578 | 6点 | 蠅を殺せ ジャン・ブリュース |
(2022/08/23 06:44登録) (ネタバレなし) ベルギーのアンヴェルス(別名アントワープ/アントウェルペン)。そこで昨年の6月から、のべ数十人のアメリカ人の失踪事件が続発していた。一番最近の該当事件は、ポーランドにてスパイの嫌疑をかけられた哲学学者の父親を引き取ろうとしていた22歳の若妻エルジー・ベックと、その息子で赤ん坊のフランキー母子の失踪だ。欧州のCIA支局は調査を開始。辣腕スパイのユベール・ボニスール・ド・ラ・パットとその同僚の赤毛美人ミュリエル・サポオリの二人を、エルジーの夫ヘルマンとヘルマンの妹キャトライン(ケイト)に偽装させ、エルジーを探しに来た家族を装って捜査させる。やがて間もなく、エルジーを含む失踪者の周辺には謎の怪人「蠅」が出没していたことが明らかになるが。 1957年のフランス作品。 CIAの「中央戦略局」(OSS)の要員で、コードナンバー117の青年スパイを主人公とするシリーズの一本。評者は初めてこのシリーズを読み、OSS117の本名が「ユベール・ボニスール・ド・ラ・パット」だとようやっと知った(笑)。そんなの常識じゃん、とおっしゃる猛者の方、現在の本サイトにおられますかな(笑)。 ポケミスの解説(この時期のフランスものなので、当然「N」こと長島良三が担当)によると、007ブームの起爆で欧米にスパイ小説ブームが起きた50年代の半ばにあっても、長らくフランスでは固有のエスピオナージは誕生せず、そのジャンルの供給はもっぱら英米の作品の翻訳に頼っていたらしいが、その流れを変えたのがシリアス派の新人ピエール・ノールで、さらにそれに続く正統派スパイ活劇ものの、このOSS117シリーズだそうである。 で、評者なんかも耳ざわりのいいシリーズ名(OSS117)には少年時代からなじみがあったが、実物を読むのは前述のようにこれが初。 さらに本書なんかフランス作品でハエがどーのこーのというので、読む前にはタイトルだけで、ジョルジュ・ランジュランの『蠅』(電送人間ハエ男)のイメージがなんとなく頭にぼんやり浮かんだりしていた(笑)。 (もちろん実際のところは、全く何のカンケイもない。) それで実作を読んでみると、すんごい軽い。マルコ・リンゲなんかよりも、ずっと読みやすい。ほとんどカーター・ブラウンのスパイ小説版みたいなノリである(ただし、ギャグコメディの部分は味付け程度)。実際、ページ数も少ないし。 何より主人公ユベールと同僚のミュリエルが、ほぼ上司公認の公私混同イチャツキカップルとして事件に当たるのがなんとも笑える。 とはいえミステリ的には、いなくなった大量の失踪者の行方は? という興味で引っ張るし、途中から主人公コンビの前に姿を現す、グロテスクな怪物顔の怪人「蠅」の設定なんかもごくごくアレなものながら、一応は読者のナゾ解き興味をつつくようにはなってはいる(実はその関連のトリッキィさのネタで某クラシックパズラーを連想したが、もちろんここではあまり詳しくは言えない)。さらに最後には(中略)。 というわけで、ストレスなく数時間で一気読みできる、そこそこの佳作。英米作品とは一味違う軽さも妙味という感じで、それなりに楽しめた。まあ、これはこれでよろしい。 |