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ミステリの祭典

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平均点:6.33点 書評数:2108件

プロフィール| 書評

No.1448 7点 郵便配達は二度ベルを鳴らす
ジェームス・ケイン
(2022/03/14 21:21登録)
(ネタバレなし)
 ケインの4冊目にして、ようやく本命を読んだ(笑・汗)。
 書庫から見つかった、小鷹訳版(HM文庫)で読了。
 なお歴代の映画版はまったく観ていない。
 ラストのオチ(?)は、前もってどこかで聞き及んでいた。
 
 紙幅は短め、その分、プロットはシンプルであろう、しかしそれにも関わらずそれなりにヘビーな内容であろう、とかアレコレ予期しながらページをめくり始める。

 主人公2人とご主人パパダキスの存在感は当然として、弁護士カッツ、地方検事サケット、私立探偵パット・ケネディなどのサブキャラクターたちも、いい味を出していた。
 HM文庫版132ページのコーラのセリフなど、あまりに詩文的な言葉の使い方にホレボレ。こんな文句を即興で口にできるヒロインが、なんで女優志望だった時代に芝居がヘタとかで大成できなかったんだろ。なんかキャラクターの造形が、別の意味で整合していない気がする。まあ、即妙に言葉を操れるのと、演技の表現はまた別の才能だということかね。

 (中略)に向かって進むのは(中略)ながら、少し意外な形でやってきたソレ。
 クライマックスからエピローグにかけての潮が引いていくような幕引きは、なんともいえないペーソス感を抱かされる。
 HM文庫版の訳者あとがきで小鷹信光が書いているように、これはまぎれもない青春小説。それもほんのり明かるく、その明暗が推移するグラデーションが、読み手をイラつかせる。
そんな闇色の、若者たちのストーリー。


No.1447 5点 豹の眼
高垣眸
(2022/03/14 02:56登録)
(ネタバレなし)
 1926年の初頭。横浜を出てサンフランシスコに向かう老朽貨物船「黒太子(ブラック・プリンス)号」に乗り込んだ日本人の若者・黒田杜夫(モリー)は、船内にひとりの美少女が囚われていることを知った。船のコックで少林寺拳法の達人である謎の老人・張爺(チヤンエー)の助けで、杜夫と少女・錦華は船から逃れる。そしてそのモリー自身にも、驚くべき秘密があった。

 1927年1~12月号の「少年倶楽部」に連載された、戦前の冒険伝奇ジュブナイルの古典。
 評者は今回、1997年の講談社文庫「大衆文学館・文庫コレクション」の一冊(作者の別の作品『龍神丸』と合本)で初読み。

 評者にとって『豹の眼』といえば、1959~60年代に製作放映された白黒テレビ版(宣弘社が『月光仮面』のあとに製作)であり、1980年代のUHF系の再放送ではじめて遭遇。その後、映像ソフトで全38話を観た。
 これが『仮面の忍者 赤影』そのほかの名脚本家、伊上勝の躍進作(現存のクレジットでは名前は確認しがたいが、中身を観れば伊上ティスト全開なので、すぐわかる)で、白黒ドラマ時代の旧作ということを前提に、めっぽう面白い番組だった。

 それでこのたびこの原作の方も読んでみたが、テレビ版では背景となる史実上の文芸設定が「ジンギスカン=義経伝説とそれに関わる秘宝」だったのに対し、原作の主題は「南米インカ帝国の秘宝探しと、その民族的再興」と大きく異なる(!)。
(ほかにもテレビ版はドラマオリジナルの潤色が、数えきれないほどあるが、まあそれはまた別の場で。)

 原作小説は、当時の欧米列強のアジア進出を伺う日本人視点からの、白人勢力を警戒しながら、世界各国の有色人種同士の連携といった理想的な展望も盛り込まれ、思っていた以上に時代色の強い作品だった(まあ、当時の国際情勢的には、こんなものかもしれないが)。

 冒険活劇としては、確実に主人公のポジションにいるべき杜夫が物語の軸になりきれず、話が散漫な印象も少なくない。とにかくストーリーが転がっていく躍動感だけはあるが、一方で、主要な登場人物を思い付きで出しては、新しいキャラクターに作者の興味が悪い意味で移りすぎていく、そんな感じがある。

 ただしミステリ的にちょっと興味深いと思ったのは、この数年後以降に乱歩が複数の長編でやるとあるネタを先んじて、かなり大きなギミックとして中盤から使っていること。本作よりさらに以前に、その種の趣向の前例がないとは現状では断言できないが、ほぼ10年後に「少年俱楽部」誌上に登壇する乱歩が本作に接し、どこかインスパイアを受けていた可能性はあるかもしれない?

 物語=事件の終息後、主人公の杜夫たちの行動の概要を認めた某登場人物が述懐するモノローグが、印象的。杜夫たちの理想と理念が外から相対化され、そして冷静に認知されるクロージングが余韻を残す。

 メディアの違う、そしてアレンジの度合いも大きいものを比べるのもナンだが、『豹の眼』に関してはテレビ版の方がずっと面白い。ただし原作からけっこうネタをあれこれ採取してきているので、そういう興味では、この原典の小説の方も、やはり読んでおいて良かったとは思う。


No.1446 7点 サイレント・ナイト
高野裕美子
(2022/03/13 06:52登録)
(ネタバレなし)
 21世紀が目前に迫る時代。大企業・鶴見興産の御曹司で「航空業界の若きプリンス」と称される青年社長、鶴見雅彦が創業した新興航空会社「ワールドインター」は、若者を主対象にしたサービス企画とかなり低価格の料金にて、寡占状態だった戦後の日本の航空業界に食い込みつつあった。だがそのワールドインターのジャンボ機に、何者かによって爆弾が仕掛けられる事件が発生。一方で老舗の航空会社のベテラン整備士・古畑実は鶴見から、引き抜きスカウトの話を持ち掛けられる。そしてそんな一連の事態と並行して、都内の周辺では、暴力団「荒木田組」幹部の謎の爆殺事件、そして謎の人物「ウツボ」による連続殺人が進行していた。

 第3回・日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作品。
 正直、評者はあまり意識していなかったミステリ新人賞だが、調べてみると本書の版元・光文社系の新人賞だとわかる。
 Wikipediaで歴代受賞作品を探求すると、マイナーな作家や作品も多く(主観です。単に評者の知見が貧弱なだけでしたら、すみません)、現時点での受賞作家では岡田秀文(第5回)、結城充考(第12回)、両角長彦(第13回)、前川裕(第15回)、葉真中顕(第16回)あたりがメジャーか(他にも、評者が読んだことのある作家や作品がちらほらあるが)。
 
 それで本作の作者、高野裕美子はこの作品でデビュー以前に海外ミステリ、冒険小説などの翻訳家として活躍。スティーブン・クーンツの諸作などを何冊も訳出したのち、オリジナル作品の創作者の道に進まれた(惜しくも2008年に他界されたそうだが)。

 本作の内容はあらすじの通り、航空業界を舞台にしたミステリで、サイドストーリーとして同業界に関わってくる暴力団組織、その周辺の殺傷事件も話にからむ。メインキャラクターといえるのは、青年社長の鶴見雅彦とベテラン航空機整備士の古畑実、そして古畑の親友といえる新宿署、暴力団相手の刑事・角田の三者だが、サブキャラまで含めれば100人近くの名前ありキャラクターが登場。なかなか錯綜した筋運びを披露する。
 個人的にはラストの反転に結構、驚かされたが、もしかしたら、早期に作者の仕掛けに気づく人もいるかもしれない。とはいえ、物語の終盤、まったく立場の異なる登場人物ふたりの心象が刹那重なるあたりの切なさとか、何とも言えない無常観。
 ミステリとしてはそれなり以上に、小説としては普通に楽しめた。
 
 脇の甘いところも皆無ではないが、処女長編でこれだけまとめられれば十分だろ、とは思える良作。またそのうち、別の作品も手に取ってみることにしよう。


No.1445 6点 13日の金曜日
サイモン・ホーク
(2022/03/12 07:40登録)
(ネタバレなし)
 1957年、アメリカの小さな田舎町クリスタル・レイク。そこのクリスタル湖のキャンプ地で、少年ジェイソン・ヴォリーズが溺死した。その翌年、不可解な殺人が発生、やがて謎の放火事件を経てキャンプは閉鎖される。が、1970年代の末に先代所有者の父親から土地の権利を継承した若者スティーヴ・クリスティは、ガールフレンドのアリスやバイトの青少年たちとともに、20年ぶりに夏季シーズンのキャンプを再開しようと考えた。そして6月13日の金曜日、料理役をまかなうバイト少女のアニー・フィリップスがキャンプ地に向かうが、彼女が職場に到着することは永遠になかった……。

 1987年のアメリカ作品。
 今さら説明の要もない、1980年に製作公開された近代スプラッター・ホラー映画の中興の祖の公式ノベライズ。映画のシリーズ化企画が安定路線に乗るなか、原作の映画第1作の物語が、公開の7年後に小説化された。
(翻訳は出ていないが、シリーズの続編映画もこのあとアメリカではノベライズ刊行されたらしい。)

 評者は、30数年前に本ノベライズが刊行されたときは気にも留めず、その後は存在まで忘れていたが、先日ふと改めて、本書のことをたまたま意識。何やら評判もいいみたいだし、古書価格もプレミアがついているのに興味を惹かれて、思いつきで借りて読んでみた。

 なお評者は原作の映画(本編91分)は封切直後に劇場で一度、テレビでも一度、計二回以上は観ているはずだが、だいぶ前なので細部は忘れている。
 とはいえ本ノベライズ巻末の解説にもあるように、映画のストーリーそのものはシンプルな上に、小説独自の作劇的なアレンジはないそうだから、かなり原作の映像に忠実な活字化といってよさそうだ。

 プロットがほぼ映画そのままな分、小説で膨らませられたのは登場人物の過去設定や内面描写で、たとえば主人公格のヒロイン、アリスは亡き父が貧乏から抜け出そうとして働きバチのように生きた末に過労死した過去を持つとか、そんな文芸設定が付加されている。
 また、呪われていると悪評のキャンプ地を再興しようと躍起になるスティーヴの心象に、ビジネスで奮闘することでアメリカ市場に食い込んだ日本人への憧憬の念があり、かの本田宗一郎の名前まで登場(!)するのがオモシロイ。
 
 とはいえまあ、ノベライズの作法としては特に突出してスゴイことをやっているわけでもなく、丁寧に60点取ったノベライゼーション作品という感じ。
(逆にいえば、あくまで原作の映画に準拠し、活字で奉仕した小説作品という側面から見るのなら、なかなか優等生的なノベライズかもしれない。)

 なお作中で登場人物のひとりが、ミシシッピの川を行くバンパイア云々の小説を読む場面があり、ああ、ジョージ・R・R・マーティンの『フィーバー・ドリーム』だなと思ったら、巻末の解説でそうだと確認できた。もっともこの『13日の~』のノベライズが翻訳刊行された時点では、まだその『フィーバー~』は未訳だったんだな。
(実は『フィーバー~』は以前に友人から、読めと言われて預かって、積読のままの評者である~汗~。)

 翻訳はあの大森望。さすがに訳文は達者でスラスラ読めるが、69ページの「(ハンフリー)ボガー『ド』」表記はこの人の責任か? 創元の編集部か校閲が改竄した可能性もあるけど。 


No.1444 5点 「三日で修得できる速読法」殺人事件
若桜木虔
(2022/03/11 14:39登録)
(ネタバレなし)
 情報化社会の現在、多忙な現代人に有益とされる、文章を短時間で読破する速読法。いま、その速読法の教育産業は老舗の「全日本速読学会」と、そこから分派した新興勢力の「新日本速読研究会」が、受講生のシェアを奪い合っていた。そんななか、「新日本」の幹部会員でジュブナイル作家としての実績もある橋本健一郎が出張先の沼津で、とあるマンションから転落死した。状況から橋本は美人の若妻・松倉泰子の自宅売春に応じ、彼女との情交中に泰子の夫・浩也に露見して、慌てて転落死したものと思われる。だがそこに目撃者が現れ、浩也が橋本を殺害したとの容疑が生じた。若者に人気の作家・橋本が買春をしてその果てに死亡というニュースは「新日本」の運営にも悪影響を与える。しかし橋本の秘書だった沢野沙知代は、あるポイントからこの殺人状況に疑問を抱く。

 あまりにもトンデモな題名に興味が湧いて(というかこのタイトルが大ウケして)、読んでみた(笑)。
 文庫書き下ろし作品。 

 もともと著者の作品は「ヤマト」シリーズだの『トリトン』だの『バルディオス』だの『009 超銀河伝説』だののアニメノベライズは山のように読んできているが、フツーのミステリはこれが初読みかもしれん。
 
 全体的には思ったよりはマトモであった(中盤で主人公ヒロインといえる沙知代が、状況の矛盾をつくあたりを<ちゃんと謎解きミステリ上での、ツイスト的な演出>で書いてあるところとか)。
 が、犯人は、悪い意味で丁寧すぎる伏線ゆえに曲がないので、すぐにわかる。あと犯罪の実態や悪事の形成が(中略)というのも興ざめ。
 まあ昭和末期のB~C級ミステリならこんなもんでしょう。

 なお後半にはテレビ局が強引にお膳立てした「全日本」と「新日本」の速読法対決というイベントがあるのだが、ここがラヴゼイの『死の競歩』みたいに謎解き部分と並行して盛り上がってくれればいいなと期待したものの、あんまりワクワクできなかった。書き方がアッサリしているからみたいで、その辺はいかにもこの作家らしい。

 で、途中で「いいのか?」と思ったのは、ミステリマニアの沙知代(当然、速読に長けており、マトモな謎解きパズラーでも一冊30分で読めるらしい・笑)が捜査本部の刑事たちに、橋本の転落死についての内田康夫の実際のミステリのトリックにこんなのがあった、それと同様なのでは? と作品の具体名まであげてトリックをバラしながら仮説を語る。これが実際に刊行されている内田作品まんまのようで、つまりトリックのネタバレ(評者は当該の作品は未読だが、どうもソレっぽい)。これって営業妨害にならんのか? と思った。
 もしかしたら、向こう(内田康夫)の方でも似たようなことをしていて、たがいにからかい合っていたりするのか? まあいいけど(よくない)。

 なお終盤、沙知代と真犯人との対決で、沙知代が犯行の細部について(ひとつひとつの状況を読者に向けて説明するために)仮説を語る。
 だがそれがほとんどヒットし、沙知代の仮説を肯定する犯人の受け答えがほとんどどれも「ああ~」で始まるのには笑った。数えてみたら12回もある(笑)。作者が多作のベテラン作家なのにいつまでも二流なのは、こういう雑な文章(というか小説)の作り方にも一端があるとも思う。


No.1443 6点 プレイボーイ・スパイ1
ハドリー・チェイス
(2022/03/10 05:24登録)
(ネタバレなし)
 CIAのパリ支局長ジョン・ドーレイのもとに、謎の女「マダム・フシェール」から情報の売り込みがあった。手ごたえを感じたドーレイはその対応を、パリ在住の中年の部下ハリー・ロスランドに任せるが、ロスランドはさらに実際の相手の女との接触を、外注スパイで30代後半のマーク・ガーランドに依頼した。だがガーランドがその任務を請け負った直後、ロスランドは何者かに惨殺され、一方でガーランドの方も、町でハントした別の若い娘に家探しをされた上、姿を消されていた。そんなガーランドに、今度は危険な雰囲気の富豪ハーマン・ラドニッツとその部下が接触してくる。

 1965年の英国作品。
 主人公マーク・ガーランドはフランス人の母とアメリカ人の父を持つハーフで、10年近くロスランドの外注仕事を請け負う身。だがロスランドが末端の現場CIA局員で、しかもあまり有能でないため、報酬も少ない。長年の活動の間に、もともとは何人もいたガーランドの同僚たちもみな、待遇の悪さから足を洗ったり、あるいは命を落としたりしたようである。
 60年代半ばなら、ボンド映画ブームの影響で、スパイ(スーパースパイ)が社会階層的にも余裕のある成功者然として見られる風潮もあったとも思うが、チェイスはその裏をとって、そこそこ女にモテる二枚目だが、金もなければ、諜報世界での大した立場もない、そんな外注スパイというタイプの主人公を創造したのであろう。
(現実の職種に例えるなら、大手テレビ局の下請けの零細番組製作プロダクション、さらにそこから仕事をもらう、便利屋的に使われる二流のベテラン俳優かフリーの外注スタッフみたいなイメージだね。)

 実際、ガーランドはすぐに、CIAのケチな外注仕事よりも、多額の報酬を提示した富豪ラドニッツ側についてしまったりする。
 やがて富豪ラドニッツがどういう対象(人物? 案件?)に関心を抱き、ガーランドに何をさせようとしてるのか、はっきりしてくるが、それでも最後まで、その依頼の根幹にあるものが何なのかはなかなか語られない。
 そんななかで、さらにメインヒロインの一角といえる女性がまたひとり登場、一方でにぎわう登場人物たちもバタバタ死んでいく。

 中盤の展開は丁寧な筋運びの分、地味な印象もあり、チェイスにしては、ちょっぴりかったるい感触も覚えたが、クライマックス、キーパーソンといえる人物にガーランドが接触し、ラドニッツの狙いがわかってからは結構なハイテンションぶり。その流れのなかで、なかなか心を揺さぶられる描写があるが、詳しくはここでは書かない。なんにしろ、とにもかくにもガーランド、ちゃんと最後には主人公らしい益荒男(ますらお)ぶりを見せた。

 従来のほかのチェイスの諸作っぽい、かどうかは、あまり評価や楽しむ上での基準にしない方がいいような感じの作品。それよりは、60年代当時の、欧米活劇スパイ小説ブームの頃に登場した、やや変化球の一シリーズと思って楽しんだ方がいいような感じ。

 シリーズの2、3作目もすでに買ってあるので、そのうちに読もう。パラダイスシティ警察と世界観がリンクするという『その男 凶暴につき』も楽しみじゃ。


No.1442 7点 ゼロの蜜月
高木彬光
(2022/03/08 05:11登録)
(ネタバレなし)
 ベテラン弁護士、尾形卓蔵の娘で26歳の悦子は、失恋の傷心が癒えないなか、父から意に添わぬ縁談話を勧められる。そんな折、悦子は偶然に、千代田大学の経済学の助教授で33歳の塚本義宏と知り合い、互いに恋に落ちた。だがやがて、義宏の家庭内に複数の問題が発覚。それでも悦子は、青年検事・霧島三郎の妻である友人の恭子にも応援されて、自分の恋を結婚に向けて完遂させる。しかしそんな悦子を待っていたのは、殺人事件という名の予想もしない惨劇だった。

 霧島三郎シリーズの第三弾。今回も元版のカッパ・ノベルスで読了(ただし昭和49年の52版)。
 シリーズ中でも秀作と噂の一編だが、メインゲストキャラクターの設定が第一作『検事・霧島三郎』の後日譚的な文芸ポジションだったのに軽く驚き。
 というわけで、こだわる人はそっちから読んでください(ストーリーそのものは本作から読んでも全然問題はないし、別に本作内で第一作のミステリ的なネタバレをされる訳でもないけど)。

 メインヒロイン悦子の恋愛ドラマを主軸にサクサク進んでいく前半も、殺人事件の発生で霧島三郎が前面に出てくる中盤以降も、ともにリーダビリティは高い。
 評者は例によって登場人物一覧リストを作りながら読んだが、物語の表に多数の登場人物を出したり引っ込めたりしながら、それぞれのパーソナルデータが増えて行く感覚が実に快い。
(しかし一部のいかにも思わせぶりな描写は、たぶん確信的なミスディレクションだったのだろうな? これが結構うまい感じで、評者はまんまと引っかかった~汗~。)
 後半、明らかになるメインキャラクターの背後に秘められた秘密もなかなかのインパクトではあった。

 で、かなり特殊な状況、タイミングで殺人が行われ、最後まで引っ張られるフーダニットの興味とともに「なぜそんな時局に?」というホワイダニットの謎が、本作の最大の求心力のひとつとなる。真相を教えられると、説得力としてはやや微妙な部分もあるが、それなり以上にロジカル、とはいえるものか。いずれにしろ、終盤、残りページ数がどんどん少なくなるなか、ギリギリまで解決を引っ張るサスペンスの形成はかなりのもの。
 
 ちょっと不満だったのは、某キャラクターの(中略)が見え見えだったことかな。アレは「そうなんだろうね」と早々に察しがつくし、さらに一方で、「そう」だと、スナオに受け取ると、ちょっと描写が不自然な印象もある。まあいいけど。

 なお本作は『刺青』『密告者』(霧島ものの第二作)とともに、英訳されて欧米に紹介された高木作品三冊のひとつのようである。
 なるほど、恋するヒロインの立場の変遷をスピーディに語る本作のプロットは向こうの読者にもウケそうだが、これいいんだろうか、と思うのは、英訳タイトル。ちょっと中盤以降のネタバレっぽい。
 気になる人は、本作を読んでから、英語版のタイトルを確認してください。 


No.1441 6点 軍靴の響き
半村良
(2022/03/07 05:55登録)
(ネタバレなし)
 銀座のクラブ「都」の美人ホステス、31歳の侑子は、心惹かれた男・新藤恒雄の外地での悲劇を知る。新藤は「西イリアン石油」の社員で、インドネシアで発見された大油田の開発に関わっていた。やがて当該の油田から原油を運ぶ大タンカー「東亜丸」がテロリストの災禍に遭い、日本政府は専守防衛を名目に自衛隊の国外派遣が実施される。一方、東京はキャサリン台風以来の悪天候によって水没の危機に晒され、革新派の都知事は苦渋のなかで、自衛隊に都民救済の要請を願い出た。陸自、海自の立場が強くなるなか、活動組織「市民平和同盟」は大規模な停電テロを起こし、右傾化する世情への警鐘を国民に向けて鳴らすが。

 70年代半ばに書かれた、近未来ポリティカルフィクション。少年時代に初めて本作を目にしたときは、題名と表紙(JOY NOVELS版だった)から、日本の右傾化を主題にした一種のディストピアものと直感。リアルな恐怖感を覚えて気になりながらも、そのまま読むことはなかったが、一年ほど前にノンポシェット文庫版をブックオフで見かけて購入。今回、本作の存在を意識してからウン十年目にして、初めて読んでみた。

 本作の主題からして、もちろん日本の軍国化に警鐘を鳴らすメッセージ性は濃厚な作品。
 ただしその辺のテーマは、同じ一人の主人公が全編を通じた蟻地獄的な状況のなかで声高に叫ぶのではなく、物語の構成としては、東京周辺に何人かの主人公格の登場人物が配置されており、それぞれをメインにしたエピソードが連作短編風に書き連ねられていく趣向。
 ウールリッチの『聖アンセルム』とか『運命の宝石』または『黒いアリバイ』みたいな雰囲気に近いものを感じたが、そういえば70年代の半村良の諸作には、どこかアイリッシュ=ウールリッチ作品の面影があった(ミステリマガジンに掲載された名作短編『白鳥の湖』が、日本のアイリッシュのようだ、と当時の読者コーナーで賞賛され、少年時代の評者はその意見に共感を覚えた記憶がある)。

 とはいえ半世紀前の作品として、反戦メッセージに基本的には普遍性を感じる一方、自然災害で一般市民を救う自衛隊の図にまで右傾化の危機感を抱いてしまうのは、さすがに公平ではないだろう(潜在的に、そういう書き方をする余地があるにせよ)。阪神淡路大震災や2011年の震災などでの現実の自衛隊の活躍には、評者なども国民として、普通に衷心、感謝している。

 いずれにせよ、日本の世情に表立った右傾化が生じた際に、さまざまな局面や立場の人々が、それぞれどのような反応や対応を見せるか、のシミュレーションもの、それも良くも悪くも旧作、として読むべき作品。
 それを踏まえた上でなら、2020年代の現在でも、いや、今だからこそ、改めて読む価値はある。

 物語の後半、自衛隊のクーデターを経た日本政府が直接的な徴兵などは実行しないものの、有事になったら優先的に出征させる「予備登録」という制度を青少年に推奨し、それに応じた者に優先的に大企業や大学などへの入社・入学が通りやすくなるという社会システムが築かれるあたりは、まさに昨今の現実の「経済的徴兵制」に通じるものがある。作者の先見性が確か……というより、半世紀前からの普遍性が悪い意味でそのままだよね。
 
 ちなみにかわぐちかいじが本作を、時代設定をアップデートしてコミカライズしていたことは、今回初めて知った(汗)。ネットでそのコミカライズ版の情報をちょっと覗くと、日本共産党が武装化してレジスタンスするくだりとかあるみたいだけど、原作には共産党ほか野党の抵抗活動の影はほぼまったく書かれていない。

 旧作小説としてはそれなりに面白かった(&コワかった)けれど、大味な部分もある。同じ主題でいまこれを新世代の作家が本気で書いたら、とにもかくにも数倍の分量の紙幅には、なってしまうであろう。


No.1440 7点 ハバナの男
グレアム・グリーン
(2022/03/06 12:56登録)
(ネタバレなし)
 おそらく1950年代。革命以前の自由主義の時代らしいキューバ。英国の電気掃除機会社「ファストクリナーズ」のハバナの販売派出所を任された45歳の男ジム・ワーモルドは、自分の娘で16歳の美少女ミリィと慎ましい小市民生活を送っていた。ワーモルドは妻メアリにアメリカ人の不倫相手と駆け落ちされた過去を有し、その分ミリィとの親子の絆は深かったが、自由で積極的な娘は奔放な面があり、現在は馬を飼いたいと願い出ていた。そんなワーモルドに、本国英国の見知らぬ男が接近して、ハバナ在留の諜報員にならないかと持ち掛けた。娘のための副収入を当て込み、この話に乗ったワーモルドは、ニセの成果を出そうと、虚偽のスパイ網と適当なインチキの情報を捏造し、暗合で本部に発信。さらに機密武器の設計図に見せかけて、掃除機の設計図を書き写した図面を送付する。だが情報部本部はこのインチキ情報に前向きな反応を示し、31歳の美人エージェントのビアトリス・シヴァーンを、ワーモルドの表の仕事と裏の情報活動の秘書兼アシスタントとして派遣してきた。

 1958年の英国作品。
 1979年の新版グリーン全集で読んだが、同書の巻末のあとがき(旧版の再録らしい)によるとグリーンの7冊目のエンターテインメントらしい。
 内容はあらすじの通り、エスピオナージのパロディというか、該当の自作をふくむこのジャンル内の諸作そのものを、シリアスにからかった戯作。

 電気掃除機の設計図を大量破壊兵器に見せかけるという大ネタの趣向そのものは、何十年も前からどこかの誰かのエッセイ(「深夜の散歩」とか「ミステリ散歩」あたりかな)で読んで興味を惹かれていたが、今回初めて読むと、1950年代の原子力文明時代にやたらと「アトミック(パワーの強力な)」とか商品につける大げさな風潮なども揶揄していたことがわかる。

 主人公ワーモルドが、現地で得た(ことにする)情報はどうせそうそう裏が取れないだろうと適当なことを書きつらねていくうちに、ウソからマコトが出てしまったり、まったくの虚偽のスパイ要員として、見かけた名前を拾った現実の人物にアレコレ起きてしまうのはお約束というか期待通りだが、ある意味で虚構が現実を侵食してゆくようなさらなる構図そのものが、虚実のないまぜになったスパイ小説そのものを改めてもう一度、批評する趣向になっている。
 その辺の雰囲気は、主人公ワーモルドが病理的な幻想に陥るわけでは決して(あまり?)ないが、あのジェイムズ・サーバーの『虹を掴む男』みたいな気配も濃厚に感じたりした。

 後半、娘ミリィの公認のもとで微妙に進行するビアトリスとのラブコメ? 模様も読者の興味を促進するが、ラストはなかなか……(中略)。

 半世紀以上前の作品ゆえに、こういうメタ的で戯作的、ジャンルへの自己言及的な前衛っぽい作法そのものがすでに定型のひとつになってしまった感もないではないが、皮肉とやさしげなユーモアを交えながら薄闇色のオトナのおとぎ話みたいなノリで進行するストーリーは、今読んでもしっかりと面白い。20世紀の近代史、革命以前のキューバの外地事情に関心がある人なら、さらに面白く読めるだろう。
(ワーモルド本人が無神論者で、ミリィがカトリック教徒~ただし結構ズベ公~なのも、深読みすればキーポイントっぽいが?)

 ほかのメインキャラクターたちでは、30年前にハバナに来たドイツ人の老医師(むろんナチスとは無関係)でワーモルド親子の友人であるハッセルバッヒャ先生、ハバナ現地ベダトの警察署長という要職にある身ながら、美少女ミリィにマジメに(?)恋焦がれる、拷問の名人と噂の男(年齢はたぶん中年)セグーラ警視などの連中もそれぞれ印象的。彼らもワーモルドの去就に少なからず関わり合っていく。

 しかしグリーンの広義のエスピオナージの著作の歩みをきちんと順々に見ていけば、たぶん作者の内面、そして現実の時代の推移との相関とか、何かが覗けるんだろうな。基本、つまみ食いで諸作を読んでいる評者などには、なかなか見えにくいが(笑・汗)。


No.1439 5点 京都貴船連続殺人
池田雄一
(2022/03/05 07:56登録)
(ネタバレなし)
 京都貴船神社の境内。深夜に行われる怨念の丑の刻参り。やがてその呪詛に影響されたように、京都の大手料亭「加倉井」の女将・加倉井康代が午前二時頃に凄惨な死を迎えた。さらにその家族がまたひとり犠牲になる。身の不安を感じた康代のとある親族は、私立探偵事務所「すみれリサーチ」を営む若い美人探偵・石坂すみれに調査を依頼。すみれは加倉井家に恨みを抱くと思われる容疑者の周囲に潜入捜査するが、やがてまた新たな事件の展開が。

 評者は池田雄一の小説作品は、これが初読み。
 シナリオライターとしての作者には、昭和のテレビドラマの脚本家としてかなり多くの番組で付き合ってきたはずで、番組のOPやEDに表記されるその名前にも馴染みがある。ただし具体的に、エピソード単位でどの番組のどれが良かったとは、即興で言えない。そんな程度の距離感である。
 
 本作は1994年の文庫書き下ろし。作者は21世紀の初めに他界されたようで、この作品はおそらく晩期の一作(もしかしたら最後のミステリ?)ということになるようだ。
 ストーリーはオカルトチックな丑の刻参りの呪いに連続殺人事件がからみ、適度なエロ描写を混ぜ込みながら行動派の女性探偵の捜査と推理で展開していく。さらにもう一人の探偵役として、和製コロンボ風の中年刑事も別働。後半にはちょっとライバル関係になりながら、最後には協力体制で事件の謎に迫る。

 B~C級の昭和風俗ミステリ(あ、正確にはもう平成の作品か)かと思いながら読んでいったら、終盤にはちょっとクロフツっぽいアイデアというかトリック(具体的にクロフツのどのその作品というのではなく、いかにもクロフツがやりそうな感じの)が用意されており、謎解きミステリとしてもそれなりの手ごたえは感じた。軽いキャラクターものに全体を仕上げながら、ひとつふたつ骨っぽい部分は残しておいたところは好感を抱く(そんなに大騒ぎするほどのアイデアやトリックの創意でもないけれど)。

 評点は悪い意味でなく、この数字。もうちょっとで6点というところ。


No.1438 6点 虚構推理 逆襲と敗北の日
城平京
(2022/03/05 07:33登録)
(ネタバレなし)
 小説版としてのシリーズ最新刊。
「容疑者が自分の犯行を示威したがる? 刺殺事件」という短編(ホワイダニットの謎)、そして山中に現れた巨獣の亡霊事件にからむ中編、実質2つのエピソードで構成されている。例によって先にコミック版で刊行されたおひいさまの事件簿の後発・小説版のようである
(評者は小説の方しか読んでないが)。

 前者はチェスタートンっぽい真相が語られるが、シリーズの中では比較的、地味な印象。
 後者はハウダニット、ホワイダニットなど複合的な謎を組み合わせた中身だが、真相はちょっと思うところあり。
 どちらにも九郎の従姉妹の六花がしっかりからんでくるが、劇中での彼女の立ち位置はこれまでのポジションとちょっと変化を見せている。これ以上はここでは言わない。

 しかし本巻の眼目は、むしろ別の意味でのメインキャラクターたちの関係性の推移で、ああ、こういう方向にいくかと軽く、いや相応に驚いた。なんかシリーズの過渡期の緊張感という意味合いで、アダルトウルフガイなら『人狼天使』辺りを読んだタイミングのような気分だ。

 緩慢にダラダラシリーズを続ける気はないと意志表明した作者の気概を感じるが、読み手としては複雑な思いにも駆られる。しばらくは本シリーズ(小説版)から目が離せない。


No.1437 8点 六人の嘘つきな大学生
浅倉秋成
(2022/03/04 05:17登録)
(ネタバレなし)
 まぎれもなく、21世紀リアルタイムの国産新作ミステリではある。
 が、そのテクニカルな物語の作りには、1950年代のポケミスに収録された、当時のリアルタイムの<洗練された前衛的な技巧派ミステリ>の香りを感じた(特に前半)。

 終盤の真相、展開はあざとい。この上なくあざとい!
 しかしそれは文句や非難ではなく、最大級のホメ言葉として、本作と作者に向けて贈りたい!!

 たぶんこれが、評者が2021年度の「SRの会」のベスト投票のために読む昨年の新刊、そのラストの一冊になると思うが、最後の最後にコレを読めて本当に良かった。
 
 なおジャンル投票は、自分も「青春ミステリ」以外の何物でもないと思うが、あえて「社会派」に入れておく。理由と言うか、その気分は、読んだ方なら、きっと分かってもらえることと信じる。


No.1436 7点 兇人邸の殺人
今村昌弘
(2022/03/04 02:17登録)
(ネタバレなし)
『パックマン』か『平安京エイリアン』を想起させる、迷路的空間を徘徊するモンスターを相手にしたサバイバルゲームのごときシチュエーションは鮮烈。モンスターのSF設定もパズルストーリー部分をふくむ作劇要素に十二分に奉仕し、舞台設定を作りこんだという面では文句なしに三作中、一番であろう。

 ただし波状攻撃のごとく明かされる意外な真相は読みごたえがあった一方、正に手数の多さが読む側の感興を相殺してしまった一面もある(先行の方のレビューで言うなら、個人的には文生さんのものに一番、共感)。入念な作品を楽しむのは、ときに難しいものだと改めて感じた。
 で、イカれた、しかし(中略)動機の真相は、思いきり賞賛したいような反面、反応に困るところも……(汗)。

 なお先にモンスターのSF設定をホメたが、最後に明かされる(中略)のロジックは、ちょっと説明不足だったとは思う。あまり丁寧に書いて読者に勘付かれまいとした配慮かもしれないが、ここはミステリ初心者さんの感想に近しい感慨を覚えた。
 あとこのモンスター、どうやって(中略)してきたのでしょう。そこらへんは不要な生態になっていたのか?
 評点はさすがに6点ではちょっと低すぎるという思いで、この数字で。


No.1435 7点 人狼ヴァグナー
ジョージ・ウィリアム・マッカーサー・レノルズ
(2022/03/03 04:05登録)
(ネタバレなし)
 1516年1月。ドイツの辺境「黒き森」にて、90歳を超した老醜の羊飼いフェルナンド・ヴァグナーは、唯一の身寄りである16歳の孫で美少女アグネスから見捨てられたのではと不安を抱く。そんな彼の前に、見知らぬ一人の男性が登場。魔性の力を持つその相手はヴァグナーの心身に、20歳代の若さと端正な容姿、そして土や屑を高価な金品に変える能力を授けた。だがその代価としてヴァグナーは18ケ月のみその謎の男の従者となり、そして不老の肉体がひと月に一度、狼の姿に変わるという呪いを受けた。それから5年、イタリアのフェレンツェにある、病床のアンドレア・リヴェロラ伯爵の屋敷を舞台に、もう一つの物語が動き出す。

 1846~47年の英国作品。
 昨年の翻訳ミステリ最大の収穫『ユドルフォ城の怪奇』を読了後、Twitterで同作の感想や評判を漁っていたら「同じくらい面白い、昨年に発掘新訳された『ユドルフォ』同様の古典ゴシックロマン」という主旨で、本作のタイトルが挙げられていた。
 Twitterで騒いでいるホラー、ゴシックロマンファン&マニアの方々からすれば、待望の完訳・訳出のようだが、評者はまったく一見のスタンスで読み始めてみる。

 ハードカバー一段組、630ページ以上の大冊で、読み終えるまでに三日かかったが、お話そのものは確かに『ユドルフォ城』に近しいレベルのハイテンポ、二世紀近く前の作品ということを考えれば驚異的なリーダビリティであった。

 美青年に若返った狼男ヴァグナーはぎりぎり主人公といえるポジションの一角にはいるが、同格かそれ以上にメインキャラと呼んでいいい男女の登場人物たちを主軸に物語も展開。全体としては、カメラをかなり器用に切り替えながらストーリーを転がしていく、群像劇の様相を見せる。
 男女間の嫉妬、階級差を超えた恋愛、不倫、策謀、フィレンツェに迫るオスマン帝国の脅威などの要素、さらには邪な情念の巣窟となった修道院や、登場人物が漂着する無人島などのロケーションまで自在に作劇に活用され、ほとんどジェットコースター的な展開と言っていい。
(ちなみに本作は、狼男を主人公にしながらも、決して殺戮の衝動に駆られるモンスターショッカーでは全くない。あくまで群像劇的な、ゴシックロマンに分類できる一作である。)

 原書は、もともと貴族向けの読み物であった「ゴシックロマン」を、もっと一般の人や労働階級の読者にも楽しませようとした当時の欧米の出版界の風潮「ペニードレッドフル(1ペニー恐怖小説)」というジャンルの一冊だったそうである。
(評者はゴシックロマンの歴史はそこまで詳しくないのだが、要は1940~50年代のアメリカで、シグネットブックあたりのペーパーバックオリジナルで刊行された私立探偵小説ミステリ、みたいなものだったのだろうな。)
 
 良い意味で奔放にあちこちに話が飛びながら、終盤、冒頭で語られていたリヴェロラ伯爵家の秘密にちゃんと物語の流れが戻ってくる、お話を語る上での舵の切り方にニヤリとした。プロットのメインストリームの捌き方とあわせて、終盤には二層三層、いやもっとか……の多重的な読書の楽しみが満喫できる。
 
 なお本作は、ヴァグナーが対面する悪魔「ファウスト」が登場する連作というか姉妹編の中の一本であり、世界観的には別の物語にもリンクしていくらしい。そっちも面白そうなら、ちょっと読んでみたい。
 もちろんゲーテの『ファウスト』にインスパイアされての設定らしいけれど。
 
 『ユドルフォ』がビフテキなら、こちらはたっぷり肉汁の沁み出る厚いハンバーグという感じ。ゴシックロマンも広義のミステリとして楽しめる人なら、どっちも読んでおいて損はないね。つーか読んだ方がいい。


No.1434 5点 困ったときは再起動しましょう 社内ヘルプデスク・蜜石莉名の事件チケット
柾木政宗
(2022/03/01 04:09登録)
(ネタバレなし)
 パソコンなど職場の電子機器類の保全とユーザー指導を担当する、26歳の情報システム技術者・蜜石莉名。彼女は中央区にある老舗の文具会社「株式会社BBG」の職場で2年間、前向きに日々の業務に向き合っていた。だが時には、パソコントラブルに混じって、思いがけない人間関係の問題も発生。莉名は彼女なりの知見と才覚で事態に向き合い、解決の道を探すが。

 書き下ろしで全5話の長めの短編というか、短めの中編をまとめた連作集。
 若手社会人の職場オフィスを舞台にした「日常の謎」ミステリっぽく開幕するが、その辺の興味は実際にはまあ第2話まで、甘く見ても第3話までで、第4~5話は、まったく非ミステリの青春お仕事小説になってしまう。
 副題の最後に「事件チケット」とあるし、何しろあの「アイとユウ」シリーズの作者だから、今回もまた一応はミステリの枠に入るものかと思っていたが、そういう興味で読むとえらくフツーのストレートノベルで、謎解き作品としてはかなり薄口であった。

 一応はミステリの形質が成立している第1・2話からして、なんか普通の職場もので、クエストというかトラブルシューティングしただけという感じである。

 青春お仕事作品として読むかぎり、主人公・莉名の考え方や連作の中での精神的な成長の仕方、さらには憎まれ役のキャラクターにも公平な視点を向ける叙述など、決して悪くはない、というか普通に良かったけれど。
 まあ、良くも悪くも、普通に良かった、というのが、微妙なところ(汗)。

 「アイ&ユウ」から「うさぎ」で今度はこれというのは、破天荒なものを書きたくても受け入れられず、守りに入ってしまっているような感じだなあ。いや余人が勝手に観測するほど、そんな単純なものじゃないのであろうけど。
 作者がこういうものもソツなく書けるのはわかりましたが、個人的にはそのうちまた、あの裏技的な快作『ネタバレ厳禁症候群~So signs can’t be missed!~』みたいな方向で行ってほしいもんです。

 広い意味での読み物としては、ふつうに楽しめたことを改めて強調しながら、この評点で。


No.1433 8点 Butterfly World 最後の六日間
岡崎琢磨
(2022/02/28 05:57登録)
(ネタバレなし)
「わたし」こと花沢亜紀は、同じ高校の学友で彼氏だった秀才・西園寺和馬との恋愛に破綻。自宅に引きこもり、VR空間「バタフライワールド(BW)」の住人「アキ」となっていた。現実に背を向けたアキはずっとログアウトしないでこの世界にいられるという特異な場の噂を聞き、BWでの相棒・マヒトとともに、そんな連中の集うBW内の館「紅招館」に辿り着く。だがそのとき、BWの外部からサイバー攻撃があり、システム上の移動手段を奪われたアキとマヒトは、館の中に住人たちとともに閉じ込められてしまう。そしてBW世界には、管理運営者の設けたルールによって、いかなる暴力行為も認めないという絶対のルールがあった。だが館の中の住人が、次々と「殺されて」ゆく!?

 この数年『さよなら僕らのスツールハウス』『夏を取り戻す』と、ミステリとして読み応えのある、そして情感に富んだ秀作を刊行している作者。
 昨年はアバター住人が集う電脳世界を舞台にした特殊設定の、クローズドサークルもののパズラーを上梓した。
 
 刊行後、半年目にしてようやっと読むが、多重的な意味で起こりえない不可思議な密室殺人? が3件、さらにVR空間と現実世界の相関に関わる大きな秘密などを用意し、しかもクライマックス直前には6つの項目にわたり、作者から読者への挑戦状まで提示してくれるサービスぶり。
(評者はそのうち、設問のひとつめのみ正解。あと設問6の真犯人は、半ば当て推量でヒットした~汗~。
 ちなみに前者の方は、しばらく前に非・ミステリ小説以外のメディア&ジャンルで出会った某作品から、評者は正解のヒントをもらっている。)

 実によく練りこまれた作品だが、先のレビューの文生さんがおっしゃる通り、「連続殺人」の形成の経緯に、ちょっとどうしても強引さが生じてしまうのが難点。
 ただまあ、得点の方の加算(特にこのVR空間でしか成立しない複数の××トリックなど)で、十分に面白い謎解きミステリにはなっている。

 ただね、この本に高い評価をしたいのは、謎解きミステリとしての練度もさることながら、クロージングのどうしようもなくやるせない(中略)であった。ジャック・フイニィの大々々・大好きなあの作品のラストを思い出し、夜中に本気で泣いてしまったりする。
 『スツールハウス』『夏』もそれぞれ本当に良かったが、今回はさらにそれ以上。
 途中の描写もね、313ページのあの一行とか。たぶん作者も自覚的に読者の弱いところをついて泣かせてるんだろうけど。あー、くやしい(笑・汗)


No.1432 7点 地底怪生物マントラ
福島正実
(2022/02/26 18:21登録)
(ネタバレなし)
「日洋漁業」の漁業パトロール用水上機「おおとり号」の青年パイロット、峰大二は東太平洋上で、無人の幽霊船団と化した自社の漁船団を見つける。9隻の漁船から109人の船員が忽然と消えた怪事は、正にマリー・セレスト号事件の再発だった。やがてアメリカの原潜「シー・ウルフ号」が海底で300~400メートルの巨体ながら時速40ノットの高速で迫る怪物に遭遇。そのまま行方を絶つ。そしてこれらの事件と前後して、日本のN大学海洋研究室のバチスカーフ「わだつみ2号」は、日本海溝のそばラマポ海淵(かいえん)で、全長3000~4000メートルに及ぶ巨大な動く海藻のような生物の姿を捉えていた。

 第一怪獣ブームの後期、「週刊少年サンデー」1966年7月17日28号から同年11月6日44号にかけて『大怪物マントラ』の題名で連載されたジュブナイル怪獣SF。
 本サイトに福島正実の名前の登録があって、これがなければ世代人としてはダメだろう(そうか?)。

 まとまった作品としては、評者は数十年前にソノラマ文庫版で初読。
 もう一回、再読して本サイトにレビューを書きたいなと、以前からなんとなく思っていたが、その文庫版が見つからない。そこで図書館の力を借りて、その文庫版に先立つ元版の朝日ソノラマ、サンヤングシリーズの方で久々に再読した。こっちの叢書で読むのは、たぶん初めてだと思う。

 サンヤングシリーズ版『地底怪生物マントラ』は、現状ではAmazonにはノーブランド品の個人出品のみ登録。書誌なども明記されてないが「地球SOSヤング」(どんなヤングだ・笑)との肩書がついており、昭和44年10月1日に初版刊行。挿し絵は第一次怪獣ブームの雄・南村喬之で、本文は279ページ。箱付きで価格は390円。

 まえがき(文庫版にはなかったかもしれない?)には作者の言葉で

「怪獣ものは、なんといってもSFの本格派です。ある日、あるとき、とつぜん、常識では考えられないモンスターが現れて、平和な世界と人びとの生活をうちこわそうとする。そのショックと「どうして生きのびるか」という工夫とは、SFの第一の魅力です。
 しかし、怪獣ものがさかんになったとき、ぼくは首をかしげっぱなしでした。その怪獣が、みんな恐竜のまがいもので、ちっとも本当らしくなかったからです。そして、ぼくは、もっと、この世界と、大自然とむすびついた、本当らしさをもった怪獣SFがほしいと思っていました。この小説は、そんな願いをこめて書いたものですが……。」

とある。作品の本文を読む前の時点で、4~5箇所くらい、意地悪にツッコミたい部分もなくもないが、作者の抱負と意欲はよくわかる文章である。

 実際、子供の頃に初めて断片的にスナオに物語に接したときは、東宝の巨大怪獣映画の読み物版みたいなものを期待していたので、ゴジラやラドン、ガイラなどとは違う、地球規模のスケールで出現する植物怪獣マントラの怪獣キャラクターに違和感。さらにマントラの寄生虫の巨大カブトムシの群れや、その体液の影響で人間が獣人化するミュータント部隊の描写にかなりコレハチガウノデハナイカ、と断絶感まで覚えた。
 それはそれでショッキングで面白かったけれど、子供時代の自分が希求していたのはもっと正統的な、良い意味で曲のない、まんまの東宝怪獣映画の世界だったのだ。

 とはいえのちに文庫版で改めてしっかり全体を読んだ際には、怪獣ものをダシに当時の児童をマトモなSFジャンルの方に勧誘してやりたげな作者の心情もなんとなく透けていたし、これはそういうものだと思って最後まで通読した。
 実際、中盤、地球の救世主らしきタウ星人の来訪から、あまりにも気宇雄大なラストの決着まで、作者が本当に書きたかったものはもちろんそっちではあろうとも、ここで理解する。

 で、今回の改めての通読では、その辺やあの辺の興味や側面も全部踏まえた、怪獣SFとして読んだので、フツーに面白かった。
 マントラの触手が地上で人間をスパスパ斬るならば、最初の漁船団も同じ災禍にあったのであろうに血痕もまったく残っていないのは変ではないかとか細部の描写の不整合もあるし、地上に無数に誕生してしまったであろうミュータント獣人も最終的にどのように処理されたのかなどもわからない。

 ただ、怪獣と人間のバトルもの、銀河宇宙規模のSFビジョン、そして世界終末ものとしては、意外にバランスが良い印象もあり、逆説ながら『シン・ゴジラ』や新作テレビドラマ『日本沈没 希望の人』(評者は個人的には結構評価している)を経た国産SF&怪獣ドラマ&映画の系譜の上で、改めて本作を原作に映像化してほしいとも思ったりした。まあ夢想だね。いろんな意味で。

 それでも昭和のジュブナイル怪獣SF(怪獣ものよりSFより)という認識の中で、いつまでも絶版にしておくのもちょっと惜しい気もある。
 どこかの奇特な出版社、南村先生のビジュアル図版込みで、そんなに高くない値段で(笑)復刻してみませんか?


No.1431 7点 帰らざる故郷
ジョン・ハート
(2022/02/26 14:57登録)
(ネタバレなし)
 1972年。アメリカ南東部のノース・カロライナ。地元警察殺人課のベテラン刑事ウィリアム(ビル)・フレンチの一家は、ヘロイン所持・使用の罪状で2年半服役していた同家の次男で23歳のジェイソンが出所したことを知る。ヴェトナム帰りのジェイソンは、戦地で23人を殺したのちに海兵隊から除籍処分を受け、退役後は故郷の町で荒んだ生活を送っていたようだ。ジェイソンと双子の兄ロバートは先にヴェトナムで戦死。出所したジェイソンに、父ウィリアムが微妙な、母ガブリエルが冷淡な態度をとるなか、「ぼく」こと18歳の三男ギブソン(ギビー)のみは、何とか兄との接点を探そうとする。だがそんななかで町で残虐な殺人事件が発生。ジェイソンはその容疑者となって逮捕されるが、ギビーは兄の無実を晴らそうと奔走する。だが……。

 2020年のアメリカ作品。
 評者が初めて読む、この作者の著作。
 秀作と噂の『アイアン・ハウス』が2012年度のSRの会のベスト選出で高順位を獲得したことは記憶にあり、そのうち何か読もうと思ってたジョン・ハート作品だが、単発の物語らしいということもあって、昨年の新刊の本書から読んでみてみた。
 設定が1972年の過去の時世ということに、ちょっと興味を惹かれる。

 で、ポケミスで本文がきっちり500ページの内容を、2日間で読了。名前のあるキャラクターだけで70人以上のそれなりの大冊だが、さすがは人気作家というべきかリーダビリティは高い。
 
 ミステリとしての大枠は、家族の絆を語った冤罪晴らしものと言ってしまって間違いではないが、同時に物語の大きな主題のひとつは、1972年という時代設定のなかでアメリカ国民全体がヴェトナム戦争にどう向き合い、どのような影響を受けたか、でもあった。後半はかなり重い、苛烈な、作中の現実が口を開けて待っている。
 その辺りの文芸が相応に衝撃的だが、一方で作者は戦争の異常さとそれに巻き込まれた人々の参事を良くも悪くもあえて図式的にドラマ、あるいはエンターテインメントの中に組み込んでいる面もあり、そういう意味でのまとまりも良い作品といえる。
  
 しかしこの作品のさらなる最大のポイントは、フレンチ家の三人の男たちと並ぶ、もう一人の(あるいは二人の)某メインキャラクターで、双方の存在感は圧巻。ある意味ではそっちの方が裏の主人公と言ってもいい。
 特に片方の該当キャラの設定の着想そのものは、もしかしたら他の作家にも思いつくかもしれないが、ここまでモンスターなキャラクターの造形と叙述はなかなか困難であろう。いや腹に応える登場人物だった。
 
 クロージングがややあっけない印象もあったが、これはたぶん読者を当時の時代の空気のなかにしばらく放って置き去りにしてやりたいという、作者の狙いかもしれない。

 とりあえず一冊読んだジョン・ハート作品だが、なるほどただ者ならぬ力量の一端は思い知らされた。


No.1430 9点 同志少女よ、敵を撃て
逢坂冬馬
(2022/02/24 15:34登録)
(ネタバレなし)
 1941年。ドイツ軍がソ連に侵攻。翌年2月7日、村民わずか40人ほどの農村イワノフスカヤ村は、数名のドイツ歩兵とひとりの狙撃兵によって皆殺しにされる。猟師だった母まで殺され、自分も凌辱・殺害されかかった16歳の少女セラフィマ(フィーマ)・マルコヴナ・アルスカヤは、赤軍の女性兵士で元狙撃兵のイリーナ・エメリャノヴナ・ストローガヤに救われる。だがイリーナの冷徹ともいえる言動はセラフィマの心に、残忍なドイツ兵に対するものとはまた違う種類の憎しみを刻んだ。母譲りの優れた猟師=スナイパーの素質をイリーナに認められたセラフィマは、赤軍の「中央女性狙撃訓練学校」の分校に寄宿入学。セラフィマは、のちに「魔女の巣」と呼ばれるそこで狙撃兵としての訓練を積んでいくが。

 第11回アガサ・クリスティー大賞受賞作。
 Amazonでは膨大なレビュー数の高い評価がつき、北上次郎などは昨年は本書を読むための年だったとまで激賞している作品。
 評者が参加するミステリファンサークル「SRの会」の2021年度ベスト投票の締め切りが迫っているなか、これは読んでおいた方がよいと判断し、ページをめくり始めた。
 
 読み始める前に中から透ける世界観や文芸設定から、重厚で苛烈な物語を予見。これはどんなに頑張っても読了に2日はかかるな、と思っていたが、途中でまったくやめられず、一息に一晩で読んでしまった。
 
 平明な文体で、しかし的確にエピソードを積み重ねていく小説作りのうまさ、そして膨大な資料を読み込んで構築したのであろう<世界大戦という地獄の場>の臨場感が、ただただ圧巻。
(復讐相手の狙撃兵ハンス・イェーガーと戦場で対決する好機を得たいという思惑で、打算めいた行動をよしとするセラフィマの図など、実に印象的。)

 たとえば、貧相な読書歴の評者などは、これまでにもし「21世紀の国産戦争冒険小説で、かの『ユリシーズ号』や『アラスカ戦線』に匹敵する可能性のあるものをあげろ」と問われたら「いや、とても思いつかない」と苦笑していたのだが(深緑野分の二冊は、ちょっと方向が違うと思う。それぞれ秀作だけけど)、今夜をもってその認識はガラリと変わった。これは唯一、それらのマイベスト作品に伍するポテンシャルのある一冊である。

 個人的にはスターリングラード戦のくだりの強烈な密度感が圧巻だったが、終盤で作者が語ろうとする、セラフィマたちが撃つ「敵」の含意、その多重性にもシビれた。
 よくできた、視野の広い、踏み込みの深い一冊だが、これで優等生的な作品としての嫌味をほとんど微塵も感じさせない、仕上がりのスキの無さも鮮やか。
(なお、本作の大設定である女子狙撃部隊という文芸ゆえに、キャラクター小説だのマンガだのと揶揄する読者もいるようだが、個人的にはそのあたりは、繰り返し作中でセラフィマたちが受ける問いかけの反復と変遷で、ちゃんとクリアされているんじゃないかと思うぞ。)

 自分などが賞賛しなくても、前述のように世の中はすでに激賞の嵐だが、これは9点をつけなくてはなるまい。


No.1429 6点 赫衣の闇
三津田信三
(2022/02/23 07:30登録)
(ネタバレなし~少なくとも、謎解きミステリ部分に関しては)
 昭和22年の東京。少し前に九州の抜井炭鉱の周辺で怪異な殺人事件を解決したアマチュア探偵の青年・物理波矢多(もとろいはやた)は、ひさびさに再会した大学時代の友人・熊井新市から、ある相談を受ける。それは新市が懇意にする的屋(闇市の元締め)の親分、私市(さきいち)吉之助が仕切る闇市の街「赤迷路」に出没する謎の怪人「赫衣(あかごろも)」の正体を暴くことであった。吉之助をはじめとする赤迷路周辺の人々と親交を深めながら、これまでに起きた怪異な事件についての情報を集める波矢多。だがやがて、密室状況といえる殺人、そして怪人の出現、不可解な人間消失? 事件……が続発する。

 物理波矢多シリーズ第三弾。ただし作中の時系列としては、第一作の『黒面の狐』→本作→前作の『白魔の塔』の順番で、タイムラインが流れる。
 
 時代設定を戦後直後に据えた世界観ゆえ、昭和20年代前半の日本人の苦境や混乱図がみっちりと語られるのが本シリーズの特色のひとつだが、本作では「闇市」という主題を介して、特にその辺が色濃く語られる。

 厳しく凄惨な時代が描き出される一方、意外にしたたかな当時の人々の活力なども物語のなかには滲み出し、そういう意味での臨場感でいえば三作中、一番であろう。
(あと、この時代設定なら<いつかやってくれるであろう>とかねてより期待していた<かの趣向>がついに今回、ここで実現! というわけで<向こうのシリーズ>のファンの人は、こっちの路線も読んだ方がいいよ(笑)。
 まーなんかラノベの『緋弾のアリア』と『やがて魔剱のアリスベル』の関係性的な、マイナーシリーズにメジャーシリーズのファンを呼び込む作者の作戦というか、ぶっちゃけ客寄せパンダっぽい(中略)みたいな気もしないでもないが・汗。)

 で、ミステリとしては、例によって多重解決っぽいことをしてくれていいんだけれど、同じく昨年に刊行の刀城言耶シリーズの方の『忌名の如き贄るもの』が優秀作だった分、こちらは向こうの終盤のダイナミズムに比較してちょっと弱く感じてしまう。
 あと、何より肝心の真相が、いわゆる<短編ネタ>ぽくもある。そういう意味では、三作中、一番弱いか。
 くわえて、かなり大きな謎? が放っておかれたまま終わってしまったような……。
(個人的には、犯人の動機そのものは理解はできた。共感も賛同もできんけど。)
 
 今のところ本シリーズでは、ロケーションの求心性で『白魔』が一番スキ。でも僅差で残りの2つも、妙に惹かれる面はある。  

 評点は、他の作者だったら7点だけど、というところで、この点数。

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