パメルさんの登録情報 | |
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平均点:6.13点 | 書評数:622件 |
No.362 | 5点 | 模倣の殺意 中町信 |
(2021/07/17 08:21登録) 新進作家、坂井正夫が青酸カリの服毒死を遂げた。遺書はなく、世間的には自殺として処理された事件に疑問を抱いた二人の男女が、それぞれ事件の真相を解明すべく調査を始める。 服毒死の現場は完全なる密室で、それを素人探偵の二人が謎を追求していくというシンプルなストーリーで、章タイトルは中田秋子、津久見伸助になっており二人の視点が繰り返される構成。読者への挑戦状もついている。 探偵が推理する密室とアリバイに目がいってしまうなど、巧妙なミスリードで大きな仕掛けに気付かず読み進めてしまう。(途中である人物像に違和感があったが)ただこの手の作品を読み慣れている人は、叙述トリックを見破れるかもしれない。ネタバレになるので多くは語れないが、真相が事件の前提までをも覆されてしまったような気がして「そんなのあり?」というのが正直な感想。 とはいえ、叙述トリックの先駆けであり、日本推理小説にとって記念碑的作品ということは認める。 |
No.361 | 6点 | 猫丸先輩の推測 倉知淳 |
(2021/07/13 08:34登録) 事件という程でもない不可思議な出来事に、猫丸先輩がどこからともなく現れて推測する6編からなる短編集。 「夜届く」寒い夜、一人暮らしの男のもとに次々と届けられる偽電報。発想の転換が素晴らしい。日常の謎の起承転結がものの見事にはまった作品。 「桜の森の七分先の下」入社早々、花見の場所取りを押し付けられた新入社員の性根を試すかの如く次々に現れる人々。あの手この手が楽しめる逸品。 「失踪当時の肉球は?」ハードボイルドな探偵を翻弄する愛猫の行方は?ペット探偵の造形が笑える。謎解き方法はやや苦しいか。 「たわしと真夏とスパイ」商店街に仕掛けられる「北」の罠。夜店を襲う悪意の数々。ねじめ正一氏の商店街ものを彷彿とさせる設定だが、錯誤の仕込みが絶品。 「カラスの動物園」キャラクター作りに行き詰ったキャリアウーマンが動物園で遭遇したひったくり。これは無理があるし、ロジックの切れ味が無い。 「クリスマスの猫丸」同じ方向に全速力で走る3人のサンタクロース。一体その先に何が?語り口で読ませるが、これはアンフェアでしょう。 ほのぼのとした雰囲気だが、観察眼はなかなか鋭い猫丸先輩は魅力的。ただ良く出来た作品とそうでない作品の差が大きい印象。 |
No.360 | 8点 | パズラー 謎と論理のエンタテインメント 西澤保彦 |
(2021/07/09 09:16登録) タイトル通りロジカルな謎解き作品が中心の6編からなる短編集。 新たな指摘によって刻々と姿を変えていく真相。そして「記憶」や「親子」など、他の西澤作品へと繋がる部分も多くみられるのが特徴の作品群。ただのイヤ話や妄想話では終わらない、二転三転する展開やロジカルな推理が楽しめる。 「蓮華の花」作家である日野克久の元に高校の同窓会の連絡が入る。その時、話題に出た梅木万里子のことを、20年間も死んだものと思い込んでいた。主人公の記憶のズレ、鮮やかな蓮華の海に沈む詭計、メタな仕掛けが楽しめる。 「卵が割れた後で」ハリケーンが接近中のフロリダで日本人留学生の死体が見つかった。その肘には、卵がこびりついた跡があった。作者の実体験を元にしたと思しきアングロアメリカンなフーダニット。 「時計じかけの小鳥」奈々は久しぶりに入った書店で、クリスティーの「二人で探偵を」を購入。その本には奇妙なメモと母親の筆跡らしいイニシャルと日付が残されていた。一種のプロバビリティーの犯罪を描いている。 「贋作・「退職刑事」」刑事の五郎は、かつて刑事だった父親に、絞殺事件のことを話す。句読点と台詞まわしから推理の技法まで都筑道夫氏の「退職刑事」を完璧に模倣している。 「チープ・トリック」スパイク・ファールコンとブライアン・エルキンズが殺され、ゲリー・スタンディフォードが犯人のナタリー・スレイドの行方を求め、トレイシィを訪れる。大掛かりな舞台設定と鮮やかな人間消失。復讐譚だが、後味は珍しく良い。 「アリバイ・ジ・アンビバレンス」憶頼陽一は、同じ高校に通う刀根館淳子と年配の男性が蔵の中に入るのを目撃する。二者択一の地獄を描いた学園もの。この不快感は作者ならではのもの。 |
No.359 | 6点 | 鍵のかかった部屋 貴志祐介 |
(2021/07/05 08:44登録) 防犯コンサルタントの榎本怪と弁護士の青砥純子のコンビが、コミカルなやり取りをしながら4つの密室トリックに挑む。 「佇む男」山奥の別荘で完全な密室状態で、遺言書を傍らに死んでいた葬儀会社社長。予想をはるかに超えた、あるものを利用した前代未聞のトリック。 「鍵のかかった部屋」サムターンの魔術師の異名を持つ会田をしても、解き明かせない密室に榎本が挑む。盲点を突くようなアイデアで密室が仕上げられている。 「歪んだ箱」欠陥住宅の責任をとろうとしない工務店社長に殺意を抱いた杉崎。まさに欠陥を利用した殺人トリック。 「密室劇場」舞台の本番中に劇団員が謎の死を遂げた。読者を煙に巻くような、これまでの3編とは全くムードの異なるコメディ調。真相もバカミス。 それぞれ意外性のある機械トリックが用いられている。トリック重視でありながら、そのトリックに必然性が存在するため、密室が効果的なテーマとして働いている。 |
No.358 | 6点 | 陰の季節 横山秀夫 |
(2021/06/30 08:30登録) D県警が舞台になっている4編からなる短編集。 表題作「陰の季節」の主役である人事担当の二渡警視がどの編にも顔を出し、D県警シリーズ全体の主人公として位置づけられている。事件を追う刑事が主役が多い警察小説の中、この作品は全ての主役が管理部門の人間である。 「陰の季節」天下り先のOBが今年で辞めることになっているのに、辞めないと言い出す。このトラブルに対処する人事の二渡だが、相手も大物でつけ入る隙を見せない。事件捜査、犯人逮捕ではない管理の仕事のため心理ミステリとなっているが、ミステリ的な謎解きがあるのが嬉しい。トラブルの真相は意外なもので、パズルと心理ミステリの深さが相乗効果でストーリーを豊かにしている。これは長編で読んでみたかった。 その他3編も、警察内部の動きを探り陰の部分を炙り出すという点は共通しており、警察内部の描写も詳細でリアリティがある。天下りや昇進、立場や醜聞というモチーフを通して描かれ、人間の野心や欲望、弱さやしたたかさが伝わってくる。 |
No.357 | 6点 | ハッピーエンドにさよならを 歌野晶午 |
(2021/06/26 08:37登録) タイトル通りハッピーエンドには終わらない、ショートショートと短編を合わせて11編が収録されている。その中から6編を選んで感想を。 「おねえちゃん」親は私にだけ厳しい。お姉ちゃんにはすごく甘いのに。高校生の理奈が叔母である美保子に相談を持ち掛ける話。最後にどんでん返しがある救いのない話。 「サクラチル」真向いの家の常盤さんの奥さんは、いろんな仕事を掛け持ちをしていて大変そうだ。それもご主人が働かないためらしい。よくあるパターンだが上手く出来ている。 「防疫」水内真知子は、世間一般に言う教育ママだった。いつしかそれは教育ではなく、躾のレベルも大きく超えていた。このように受験に取りつかれている人は結構いるのではないか。 「玉川上死」玉川上水を人間の死体が流れていると通報があり、警官が駆けつけるが。いろいろなことが一気にひっくり返る。どんでん返しのお手本のような話。 「殺人休暇」合コンで知り合った男と関係を持ってしまった私。しかし、それは大きな間違いだった。世に言うストーカーとは少し違うのだが怖い。狂気に取りつかれた男の描写がいい。 「尊厳、死」ムラノは、いわゆるホームレスだった。仕事が無いというのではなかったが、働く気が無かった。よくあるパターンだが、良く出来ている。最後に一瞬でどんでん返しが決まる。 全体的に悪くはないが、少しあっさりした印象。 |
No.356 | 5点 | 十二人の手紙 井上ひさし |
(2021/06/21 08:57登録) 企みに満ちた人間模様が味わえる短編集。すべて手紙文で綴られるという趣向にとりたてて新しさはない。 「プロローグ悪魔」どこにもある田舎娘の悲哀を悲劇に高めるプロローグ。 「葬送歌」偏屈な売れっ子小説家に送り付けられた戯曲への痛快逆転劇。 「赤い手」出生届から死亡届まで、届け出の中に薄幸な尼僧の生涯が浮かび上がる残酷信仰物語。 「ペンフレンド」北海道旅行を楽しみにする孤独なOLがペンフレンドに選んだ男の正体を巡る推理譚。真相は誰でも見破るだろう。 「第三十番善楽寺」身障者の共同体の波乱が一人の男の誓いを破らされるまでの魂の遍路。 「隣からの声」隣家の財産騒動に巻き込まれた新妻の心の闇に迫る。 「鍵」山籠もりした天才画家に届けられた妻と弟子の陰謀の記録。 「桃」人生をかけて押し売りされる善意の倣慢を裁く。 「シンデレラの死」芸能界の階段を駆け上がる娘を襲う欺瞞。 「玉の輿」酒飲みの父を持った女子高生の純愛と「家」制度の形通りの葛藤。 「里親」推理作家の卵が師匠に奪われた最も大切なものは? 「泥と雪」冷え切った夫婦仲を青春の憧憬が柔らかく引き裂いていく。 「エピローグ人質」オールキャストで描く悲喜劇のエピローグ。名探偵は筆談で語る。 日本という国の貧しさをしみじみと読者に突き付けてくる。しかし決して貧乏臭くはない。洒落っ気と遊び心に富み、ツイストに唸らされる。ただミステリとしては弱い作品が多いか。 |
No.355 | 6点 | とむらい機関車 大阪圭吉 |
(2021/06/17 08:51登録) 戦前に書かれたとは思えないほど古臭さは感じさせない、そして味わいのある挿絵が嬉しい9編からなる短編集。 「とむらい機関車」乗り合わせた老人客が語る、豚連続轢断事件に秘められた真相とは?冒頭の謎の提示から、意外で凄惨な結末に驚かされる。 「デパートの絞刑使」宝石盗難事件に続いておきたでパート店員の不可解な死。謎の不可解性をロジカルに推理する。お見事。 「カンカン虫殺人事件」作業員二名が行方不明となり、そのうち一人が死体として発見される。悪くはないが少し地味か。 「白鯨号の殺人事件」雄大な自然を背景に行動力で陰謀に挑む探偵。実に絵になる。真相自体は小粒。 「気狂い機関車」機関士殺しと消えた機関車の謎を追う。わずかな手掛かりから、ハウダニット、フーダニットそして驚愕のホワイダニットを解明する。 「石塀幽霊」チンドン屋のチラシが語るおぞましい真相。説得力はあるが、物理的に可能なのかは疑問が残る。 「あやつり裁判」その女証人は、別の事件の証人でもあった。魅惑的な謎が全く予想外の解決に。ユニークなホワイダニットが味わえる。 「雪解」金鉱脈を探し続ける青年が砂金池の持ち主とその娘に出会った時、殺意は芽生える。皮肉な結末が何とも言えない。 「坑鬼」炭鉱という特殊な状況で起きた不可解な殺人事件。トリックも鮮やかだが、ロジックが素晴らしい。逆転の構図が良く出来ている。傑作。 |
No.354 | 8点 | 占星術殺人事件 島田荘司 |
(2021/06/13 08:25登録) 40年前の未解決事件捜査、密室殺人、アゾートの謎、魅力的な探偵コンビ、読者への挑戦状など本格ミステリ要素が満載。社会派小説が主流になりつつあった頃に謎解きをメインにした作品ということで、デビュー作にして日本ミステリ史的にも重要な作品。 ただ、序盤の手記がとにかく読み難い。アゾートの説明など情報量が多すぎて、これを全部把握するのは至難の業。その後も探偵と助手の対話が続くが、ここもテンポが良くない。ミステリを読み慣れていない人は、挫折する人も多いのではないか。自分も挫折経験者です。ここを乗り越えれば、次第に読みやすくなるので我慢して読んでほしい。 冒頭に配されたアゾートという謎の詩美性、合理に徹した御手洗の推理の明快さという重厚さとシリアスさだけでなく、ホームズ役の御手洗、ワトソン役の石岡のユーモアある掛け合いが、古典作品のリスペクトをも感じる。メイントリックは、40年間迷宮入りだったというのが納得出来るような、前例の無い斬新な大技のトリック。事件の真相と謎が明らかになる瞬間の鮮やかさにしびれる。 |
No.353 | 5点 | カナダ金貨の謎 有栖川有栖 |
(2021/06/09 08:44登録) 国名シリーズ第10弾で5編からなる中短編集。 「船長が死んだ夜」作家たちの書き下ろしが詰まった「7人の名探偵 新本格30周年アンソロジー」のために書かれた中編。アリスのとんでもない仮説がいつも以上にキレている。王道の謎解きが楽しめる。 「エア・キャット」アリスと先輩作家の朝井が飲み屋で火村を話題にしている。ミステリ仕立てになっているが、真相は大したことない。 「カナダ金貨の謎」犯人は被害者殺害後、予定外の事態が発生し偽装工作に失敗。火村はこの実行されなかった偽装工作の準備の痕跡から犯人を特定していくロジックが見事。 「あるトリックの蹉跌」JTの「ちょっと一服ひろば」というサイトにアップされた短編。火村とアリスの出会いの話。 「トロッコの行方」トロッコ問題「五人を救うために、一人を殺すか」という思考実験が下敷きにある中編。謎解きは呆気ないほどあっさりしている。犯人特定の何が決め手になったのかの説明が不足している。 |
No.352 | 7点 | 炎に絵を 陳舜臣 |
(2021/06/05 08:47登録) 辛亥革命の時に、革命資金を横領したという罪に被せられた父の汚名を晴らすべく調査に乗り出した主人公が、トラブルに巻き込まれながら驚きの真相にたどり着く。 序盤はもたついた感があるが、中盤に入ると父の汚名に関する重要な資料を発見、重要人物ともいえる人物との関係が明らかになる。急にとんとん拍子になりスピードアップ。父の過去を探る旅と産業スパイという二つの軸に、同僚女性とのロマンスを絡めて展開するストーリーは、さまざまな仕掛けがほどこされサスペンスに富んでいる。後半に入り、事件の全貌が明らかになるにつれ、仕掛けが浮かび上がってくるという構成がお見事。 確かにご都合主義的なところはあるが、最後に真相が明らかになり、タイトルの「炎に絵を」の意味することが立ち上がるのが素晴らしい。 |
No.351 | 6点 | 教場 長岡弘樹 |
(2021/05/31 08:44登録) 舞台は警察学校。初任科第98期短期課程に属する約40名はすでに巡査の身分を持つ社会人であり、年齢や志望動機もそれぞれ。だが、半年間にわたる過酷な訓練と、事あれば「連帯責任」を問われる理不尽のなかで、体力的人格的に適性のないものは容赦なく退校を求められる。 この作品は「クラス」でのサバイバルゲームを勝ち抜こうとする学生の様々な企てや思惑を、白髪隻眼の教官である風間公親が次々と砕き、退学させる者と見込みある者を選別していくという6編の連作短編集。 職務質問、検問、運転、水難救助などの実習で学生が問われるのは、まだ犯罪が起きていない日常の中に、犯罪の予兆を嗅ぎ取る力、風間の人の心理を突く頭脳戦に度肝を抜かれながら、学生たちがここを先途と張り合う人間ドラマが魅力的。 警官は「守るべきは社会の正義」と、それを押し立てて、時に刑法が引いた境界線を踏み越える。よしんばそれを越えても帰ってくるものはよし。越えられないものは駄目。風間の教育は、それを一人一人の体にしみとおらせることに尽きるといえようか。 |
No.350 | 6点 | 使命と魂のリミット 東野圭吾 |
(2021/05/26 09:38登録) 研修医の氷室夕紀は、父を大動脈瘤の手術で亡くしている。現在はその時、執刀医であった西園教授の下で働いている。氷室はその手術に疑いを持っていた。その二人の勤務する帝国大学病院に、過去の医療ミスを公表しないと病院を破壊するという脅迫状が届く。 患者を診る医師を、研修医が疑いの目で見ている。患者の体をモニタリングしている病院の動向を、犯人が探る。その犯人を警察が追う。この作品では、監視する者を監視する視点から語られる部分が多い。このような描写は、各人の視点や立ち位置のズレを効果的に表現する手段にもなっている。 結末に関しては、性善説に傾きすぎてはないかと、賛否が分かれるでしょう。しかし、噂が広がり病院の信頼性が揺らいでいく過程は、リアルだしサスペンス性も高く惹きつけられる。そして技術の精度以上に、意識の持ち方が信頼性を決定するという事実を見事に描き上げている。 不満な点は、犯人の下準備を含めた犯行計画、実行があまりにも綱渡り的で杜撰にもかかわらず成功していくところ。もっと違った方法があっただろうと思えて仕方がない。 |
No.349 | 6点 | 螢 麻耶雄嵩 |
(2021/05/22 09:27登録) 久しぶりにクローズドサークルものが読みたくなり手にとった作品。オーソドックスな展開とはいえ、閉ざされた館での殺人事件には惹きつけられる。登場人物もそれぞれ怪しげで魅力的。 重層的なトリック、しかも一つ目のトリックを見破った読者ほど、二つ目のトリックに陥りやすくなるという構成が巧妙。一つ目のトリックについては序盤で訝り、中盤でのある二人の会話で違和感を覚える人が多いのではないか。つまり一つ目のトリックは作者が、わざと読者に気付かせようとしているのではないかとも思える。 読者に対する手掛かりと、登場人物に対する手掛かりが必ずしも一致しない、認識にズレがあるということを思いがけない形で顕在化させた試みには唸らされた。仕掛けが犯人特定に直結している点も好印象。 麻耶作品に精通している人にとっては、地味で作者独特の良さが味わえないらしい。その点はあまり気にならなかったが、リーダビリティについては、改善の余地があるだろうと感じた。(ある理由で仕方ないのではあるが...) |
No.348 | 5点 | 邪魔 奥田英朗 |
(2021/05/17 20:00登録) 十七歳の高校生と三十四歳の主婦、そして三十六歳の刑事、この三人の人生の歯車が少しずつズレていく過程を緊密に描いている。 三十四歳の主婦、及川恭子が火傷して入院した夫のもとに駆けつける時、タクシーの窓から小さくなる自分の家を見て、この家はどうなるのだろうと不安に駆られるシーンが冒頭近くに出てくる。その言いようのない不安から、ラスト近くの「悪夢が来たけりゃ来ればいい。どうせ現実以上の悪夢などあるわけがないのだ。」という地点にまでズレていく過程をディテール豊かに、リアルにそして丁寧に積み重ねているので、及川恭子の変貌が鮮やかに立ち上がってくる。 主要な登場人物の人生の歯車がズレていくかたちを描くという点では、前作の「最悪」と同様の構成だが、主婦の挿話を中心軸に置くことで、小説の凄味が増している。派手な事件が何一つ起きなくても、私たちの日常生活の中に潜んでいる謎と不安を掘り下げることで、ミステリに成りうることを実証している。 |
No.347 | 7点 | 龍神の雨 道尾秀介 |
(2021/05/12 08:31登録) 肉親と死に別れた二組の兄弟が登場する犯罪小説風のサスペンス。十九歳になる添木田蓮は実母の急死後、暴力を振るう継父を疎ましく思い始め、やがて殺意へと変わっていく。一方中学生の辰也と小学生の圭介の兄弟は実母の死後に再婚した父親を病気で失い、継母と暮らしていた。辰也は継母の存在を認めず非行に走り、圭介は二年前に実母が死んだ原因が自分にあると密かに悩み続けていた。 台風による大雨の日、蓮は継父を事故死に見せかけて殺す仕掛けをして外出する。帰宅した蓮は、継父の死体を発見するが、妹の楓から自分が継父を殺したと告白される。 ストーリーも人間のありようも、一面からでは判断できない。二組の兄弟の視点人物である蓮と圭介。彼らが見た息詰まるような現実を追っていくうち、作者が仕掛けた周到な罠にはまっていく。苦い味わいの青春小説であり、叙述トリックを超えた仕掛けが楽しめるミステリでもある。 |
No.346 | 5点 | 法月綸太郎の消息 法月綸太郎 |
(2021/05/07 08:58登録) 「白面のたてがみ」と「カーテンコール」は、ドイルとクリスティーという偉大な先人の作品に法月綸太郎が切り込む、小説の小説というべき作品。表面には浮かび上がってこない作品の真意が、彼らの作品のあるものに隠されている可能性があると綸太郎は睨む。そして原作を精読し、行間から浮かび上がる真実を捕まえようとする。彼の到達した結論が正しいか否かはあまり問題ではなく、読むという行為がいかに創造的になりうるかを改めて認識させるのが、この2作品の価値でしょう。目の付け所は評価したいし、考察に興味のある方は楽しめると思いますが、このような事に興味のないような自分にとっては、退屈で仕方がなかった。 残りの「あべこべの遺書」と「殺さぬ先の自首」は、帰宅した法月警視から推理作家で息子の綸太郎が話を聞き、事件の真相を推理する形といういつものパターンで悪くは無いのだが切れ味は今ひとつ。 |
No.345 | 6点 | 贖罪 湊かなえ |
(2021/05/02 09:08登録) 悲惨な事件を通して人間の黒い心理をえぐり出す連作形式のノワール小説に仕上がっている。 舞台は「日本一空気のきれいな場所」といわれる田舎町。小学校のグラウンドで四人の友達と遊んでいた小学四年の少女が作業員とおぼしき男に連れ去られて殺される事件が起きる。被害者の母親は犯人を目撃しながらも、あやふやな記憶しか残っていないという四人の少女を糾弾、それがトラウマになった彼女たちは大人になってもそれを引きずることになる。 かくて各章では、その後の少女たちの軌跡と現在が、作者の有名作「告白」と同様の告白体で描かれていく。語り口や語り手が章ごとに変わる構成も「告白」の延長上にあるが、事件の被害者と加害者の対立劇ではなく、一種の逆恨み的な復讐状況を作り出すうまさ、そして各章ごとにヒロインを新たな事件に直面させる入れ子づくりのうまさは、手練れものといっていい。 一見殺伐とした作者の作風がもてはやされるのも、そうした人間の闇、病理の摘出が心の浄化に結び付くからなのでしょう。 |
No.344 | 8点 | 天使のナイフ 薬丸岳 |
(2021/04/27 08:36登録) 少年による凶悪犯罪が目立っている。彼らの多くは少年法に守られ、大人と同等の刑事処分を受けることはない。数年の矯正期間を経て社会復帰した少年が、本当に更生したといえるのか。被害者や家族の人権は。加害者が成人であろうが未成年であろうが、失ってしまったものには変わりはない。なぜ未成年者に殺された瞬間から、被害者の命の価値は軽くなってしまうのか。 江戸川乱歩賞を受賞した本作は、少年犯罪問題に真っ向から取り組んだ社会派小説でありながら、謎解きも楽しめるミステリでもある。主人公はコーヒーショップのオーナーの桧山。愛する妻を惨殺されるが、捕まった犯人は三人の中学生だった。少年であるがゆえに刑事責任を問われない。桧山は無念の思いを抱えながら生きていくしかない。 ところが四年後、犯人である少年の一人が殺される。そして、思いも寄らなかった過去の事実が次々と明らかになる。ストーリーはに二重三重に謎が仕掛けられている。だが、終盤近くになってもその謎ははっきりしない。意表を突く展開となり、思いがけない真相が明かされる。と同時に真の更生とは何かという問いと、その答えが提示される。 緻密なプロット、巧みな伏線、そして何よりも重いテーマと真摯に向き合った作者の誠実な姿勢が心に残る。 |
No.343 | 6点 | プリズム 貫井徳郎 |
(2021/04/22 08:44登録) 太陽の光を三角柱のプリズムに当てると虹のような光の帯が現れる。そんな実験を小学校の理科の授業で見た覚えがある。プリズムとは光を分散、屈折させるための光学素子である。この作品は幾重にも繰り返される仮説の構築と崩壊。一筋の推理の光が屈折、分散し到達する実験的本格ミステリ。 小学校教師が変死体となって発見された事件をめぐって、教え子の四人が章ごとの語り手として登場し、それぞれに真相を探ろうとする。一歩間違えば本格ミステリの基盤も揺るがしかねない要素を積極的に取り入れた多重解決形式を採用している。 この作品の特徴は、前の語り手が構築した推理が、その次の語り手によってリレー式に覆されていくという点にある。四人の語り手は、それぞれの動機から真相を知ろうとするが、それらの動機は語り手自身が自分を納得させるためという点では共通している。従って語り手たちは、せいぜい自分の探偵能力で知り得る範囲の手掛かりから組み立てた推理で満足し、それ以外の可能性が存在するなどとは考えもしない様子。 さまざまな方向へ展開される仮説は魅力的で、それなりの説得力を持っているが、いずれも決め手を欠いている。結局、真相は登場人物それぞれが真相を知ったつもりで納得しているだけ。知り得るのは、語り手たちの視点を重ね合わせることが出来る読者のみ。これが作者の狙いなのだろう。 |