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ミステリの祭典

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クリスティ再読さんの登録情報
平均点:6.39点 書評数:1397件

プロフィール| 書評

No.777 7点 狼には気をつけて
遠藤淑子
(2020/11/29 09:46登録)
マンガでミステリ。今回はハードボイルドな私立探偵の話。

NYの私立探偵、キース・フォレストは、IT有名企業のA・C・アーヴィング社が出した、ボディガード大募集の新聞広告を見て、選考会場へと。そこで....
はい、マンガですからね、金ダライが降ってきて、タライに当たらなかったキースが「大当たり!」。

上から降るものと言えば金ダライか一斗カンかヒョウタンツギだからよ。能力はどうでもいいのよ。とりあえず運のいい人が雇いたかったの。

と、説明するのは10歳の少女、アレクサンドラ、愛称アレク。キースに依頼された仕事は、この少女アレクのボディガードとして、明日カリフォルニアの祖母の「お見舞」に同行すること。しかし、この「お見舞」に一番に駆け付けた孫には、一族の後継者の座が約束されるのだ。それぞれ非合法の妨害活動も辞さないライバルが3人。「君の仕事は私の盾よ」未成年は同行者が一人許されるために、キースはアレクのボディガードとして雇われたのだった!

このアレク、実は6歳でMITに入学して3年で卒業した天才少女。父親が経営している優良企業のA・C・アーヴィング社を、アル中で廃人の父に代わって、陰で実質経営しているのがアレクだった...と、年に似合わない知性と行動力を備えた少女。しかしそれでも女の子で、時にはコドモらしい想いに捉われたりもするのだが、なにせ身体的にはか弱い。このアレクを守る「盾」であり、破天荒なアレクへの「お目付け役」でもある、相方の役目をキースが果たすことになる。

作者は、ハートフルコメディの名手として90年代を中心に白泉社で名を馳せた遠藤淑子。いや遠藤淑子のマンガって、実は「ミステリ」に類別される話がものすごく多いのだ。「エヴァ姫」「マダムとミスター」など、一見ミステリとは無関係に見える話でも、起きる事件はかなりハードにミステリ寄り。「エヴァ姫」でも連載第二話になった話なんて、絵画の身代金を要求される話で、ギャグタッチがなんその、絵の隠し場所などトリッキーなアイデアも含んでたりするわけで、実のところ「少女マンガのオリジナルのミステリ作家」としては、なかなかイイ線を行ってる作家だと評者は思ってる。
初期に「ハネムーンは西海岸へ」で私立探偵主人公のミステリがあるんだけども、満を持してシリーズとして書いたのがこの「狼には気をつけて」になる。アレクorキースが2話に一度は殺されかけるくらいの頻度でハードなアクションがある。産業スパイをあぶりだそうと仕掛ける第2話、警官時代に誤射で死なせた恨みをキースが受ける第3話、環境テロ団体に社長と間違われてキースが誘拐される第7話、ゲイの間での事件を捜査する第12話(キースがルミノール反応を実演して見せる)などなど、ハードな事件をアレクとキースの名コンビで事件を解決していく話になる。でこれがやはり遠藤淑子、ということもあって、実にハートフルなイイ話にになっている打率が極めて高い。遠藤淑子のピークの作劇能力の凄さが味わえる名シリーズである。

ベッドの下にオバケがいないかどうか、見てくれない?
OK,すぐ行くよ


No.776 6点 シャーロック・ホームズの事件簿
アーサー・コナン・ドイル
(2020/11/29 09:28登録)
ホームズ最後の短編集。何か皆さん評判よろしくないな...いや、「這う人」のトンデモ、「三人ガリデブ」「隠居絵具師」の自己模倣とか、ツッコミどころが多いのは先刻ご承知の上なんだけどもね。(「ライオンのたてがみ」は一時実在しない、と言われてたのを信じてたが、間違ってたみたいだ)
こうやって改めてホームズを時系列で通読すると、評者はこう感じるんだ。「冒険」で確立したいわゆる「ホームズのパターン」を、後の本格史観で「聖典」として崇めることになるのだけど、意外にドイルの「やりたいこと」とこれがズレていたんだろう。だから「回想」以降のホームズは、ときおり「冒険」パターンを採用することもあるんだけど、実際には多様な方向に展開していくことになる。個別の作品でうまくいったものもあれば、失敗したものもあるのだけど、総じてのちの本格読者の期待する方向をドイルは決して向いていなかった....
だからね、「ソア橋」だけを褒める(あるいはグロースにある、と批判する)のは、「ホームズを楽しむ」読み方じゃない、と評者は思う。小説的な力量が落ちているのは否めないし、あくまでホームズがヴィクトリア朝の人間で、第一次大戦後の世界に根差すことができない「懐メロ」なキャラになってしまったのも、大きな弱点ではあるんだけどもね。
そういう意味だと、評判が悪い作品だから褒めるのがなんなんだが、「マザリンの宝石」が、舞台劇風の三人称小説で、ハードボイルド風の味わいがあるのが、逆に評者は面白い。いや実はこの作、「帰還」でホームズが復活する前に、オリジナル舞台劇「王冠のダイヤモンド」を書いたのがずっと埋もれていて、この着想を流用して「空家の冒険」を書いてしまった。それをまたこの時期に改めて小説に仕立て直した、という経緯があるらしい。あまり戯曲と変わっていないんじゃないかな。読んでいて舞台効果が目に見えるよう。小説の人の出入りのさせ方など、戯曲のまんま、という印象。
こういう推理もトリックもない、騙しあいに主眼を置いた暗黒街小説としてのホームズが、第一次世界大戦での「世界の崩壊」によって、ハードボイルドに転化した、と改めてコンチネンタル・オプにホームズを直結したいように感じるのだ。

(「三人ガリデブ」で負傷したワトスンを気遣うホームズに、萌える。すまん)


No.775 10点 天城一の密室犯罪学教程
天城一
(2020/11/29 08:50登録)
以前評者が「ブラウン神父の童心」について、チェスタートンは社会批評の目的から「逆説」を導き出しているのであって、純探偵小説的トリックとして読んでしまったら、チェスタートンの意図を大きく損なうことになる、と書いたのがご不評のようだったんだけど、いや実は天城一、ほぼその通りのこと、書いているよ。「見えない人」の「逆説」というのは、「トリック」なんかじゃなくて(実際犯人は何も仕掛けない)、社会が抱え込んだ大きな逆説・矛盾をそのまま提示しただけなんだ。

まあ評者は、70年代のアンソロやら幻影城やらで天城氏の短編って結構親しんではいたから、図書館でこの単行本を見かけたときに「読まなきゃね...」とは思っていたんだけど、文庫になってるじゃん。驚き。こんなに商業性の薄い本が、ねえ。逃がせないので即購入。いやいやどこを切っても天城氏の想いが炸裂した、ある意味「アマチュア」な視点が卓越した本で、評者は極めて共感した。「アマチュア」というのはね、いわゆる「本格史観」、日本のミステリ受容史に由来して、日本固有の「マニア根性」で歪んでいるので、海外ミステリでの受容とは大きく乖離したミステリ観に染まらない、という意味でだね。だから本書に収められた乱歩に対する「献詞」、おそらく日本で書かれた最高の乱歩批判、なんて全ミステリ読者に強制的にでも読ませたいくらいである。

「トリックというものは、探偵小説にとってそれほど尊いものか?」 釈迦に説法で恐縮でございますが、トリックということばは日本語で、しかも先生の御造語でした。英米の探偵小説社会ではトリックなどという英語はないことを、先生はよくご承知のはずでした。

探偵小説は読者に参加の夢を与えると称しながら、実際には読者を操作するにすぎませんでした。

いやこの乱歩が作り上げた「本格史観」が、もちろんこの「本格史観」を批判して「トリックよりロジック」を主唱した都筑道夫もいれば、ミステリ自体の多様な展開、近年の「日本ミステリ受容史に縛られない」古典紹介の流れもあるのだけども、今に至るまでとくに「マニア」を自称する人の多くに牢固として生き続けているのが、本当に不思議なことでもある。

だからこういう「ミステリの哲学」の上に書かれた、天城一のミステリが一種の「メタ・ミステリ」な色合いを持つのは当然のことである。それ自身、過去の作品・日本社会・ミステリ観に対する痛烈な批判であるような「ミステリを超えたミステリ」でなければならない。少なくともこの野心を「高天原の犯罪」と「盗まれた手紙」を満たしている...というのが、単に眼高手低な理論家だ、と言えない強烈な意義を持っている。

「盗まれた手紙」はもちろんポーのそれに対する挑戦である。本作を「トリックの話」と読めば、そう読めるのだけども、もちろんこれは天城の罠だ。いや「犯人が捜査を撹乱するために仕掛けるトリック」ではなくて、これは「反トリック」の話なのだ。

ポーが、天才の心と卑俗な心とを併せ持った偉大なポーが、我々の《心理的盲点》を指摘して以来、捜すものが見当たらぬのは心理的盲点のためだと信ずる。

そういう「盲点の盲点」を天城は指摘する。「楽観的だから《真実》ではない」。

「見えない人」に対する天城の挑戦である「高天原の犯罪」は

発想は明白なものは見えないという護教的な主張

とチェスタートンの本質をえぐって見せた分析の上に構築されている。だからこれはトリックではなくて、「社会の逆説」だと。この作品が新興宗教団体を舞台に書かれてはいるのだけど、実のところ天城が戦前に遭遇した天皇の行幸の体験に根差した話なのである。現人神は見てはならないのだから、日本の「見えない人」というのは天皇のことである。

今年は三島事件50年というのもあって、この秋には三島関連本もいろいろ出たりして、評者もいろいろ考えることもあった。「などてすめろぎは人間となりたまひし」と三島が第二次大戦の死者になりかわり天皇を恨んだトラウマを、終戦直後をほぼすべて舞台とする摩耶モノで、天城も共有するのだ。この「高天原の犯罪」の「犯罪」は「天皇の戦争責任」を暗に諷しているのだろう。現人神は殺されることで「人間」となり、ひれ伏して天皇を「目にしない」臣民が、人間天皇を見てもあえて目を背けるのはその「戦争責任」なのだ。実のところ象徴天皇制は臣民が自らの戦争責任に目を背けるための「道具」だ。かくして「見えないものは存在しない」と戦後社会は「見えない人」を本当に「見えな」くしてしまう....いや三島の主張って、こういうことだろう?

評者にとってはたまたまの天城と三島の遭遇なのだが、何か図ったようなものを感じなくもない。「高天原の犯罪」は日本戦後短編ミステリの最高峰である。


No.774 3点 大富豪殺人事件
エラリイ・クイーン
(2020/11/25 09:20登録)
中編2作を収録なんだけど、最初の「大富豪殺人事件(殺された百万長者の冒険)」は、クイーンの名前をミステリファン以外にも有名にしたラジオドラマ・シリーズ「エラリー・クイーンの冒険」の初回放送に当たる台本を、ノベライゼーションしたものである。ラジオ台本はダネイ&リーで書かれたものだけど、ノベライゼーションは別人の手になるもののようだ。「推理の芸術」によると「匿名のライターによって、読むのがつらくなるような子供向きの散文小説に書き換えられ」と文章が酷評されている。まあ訳文だとらしくなく薄口の印象。この60分のラジオドラマでは「視聴者への挑戦」があって、ドラマを止めて当初は有名人(リリアン・ヘルマンとか写真家のバーク・ホワイトとか)をスタジオに読んで推理させていたそうだ...けど、このノベライゼーションでは「読者への挑戦」は入っていない。エラリーの推理(正解)も大したものじゃないしね....ラジオドラマでも駄作の方だろうけども、第1作、というのがあってのノベライゼーションなんだろうか。
で「ペントハウスの謎」はこのラジオシリーズが成功したことで、映画にクイーンが再進出したコロンビア映画のシリーズの第2作を、やはりノベライゼーションしたもの。第1作が「ニッポン樫鳥」が一応原作だったが、これはとくに原作なし。オリジナルのスパイ小説風スリラーのシナリオに、最後にラジオドラマの「三つの掻き傷」(ノベライゼーション・録音ともにないそうだ)をエラリイの推理として加えたものだそうだ。まあ確かに、小粒だけど推理自体はクイーンらしさはないわけでもないか。でも、日中戦争での国民政府を応援するアメリカの立場を背景にしたスリラーの筋立てには、クイーンはまったく関係していないようだし、ノベライゼーションにも無関係のようだ。
ヒロインのニッキー・ポーターが不愉快なバカ娘。エラリイの足を引っ張ってばかりのような印象。ダネイが回想して「どの一作をとっても、残りのどの作よりもおぞましい」と評した映画シリーズだったようだ。

まあだから、一応ダネイとリーが両方とも関与はしているけども「クイーンの基準」を満たしているとも言い難いようにも思う。「恐怖の研究」レベルと見た方がいいだろうね。
興味本位だがこのシリーズの映画題名を列挙しておこう。「名探偵EQ」「EQのペントハウスの謎」「EQと完全犯罪」「EQと殺人の輪」「EQ危機一髪」「EQ絶体絶命」「EQ対スパイ組織」の7作作られた。


No.773 8点 死のある風景
鮎川哲也
(2020/11/24 08:03登録)
小林信彦のパロディに登場する鬼面警部は「これ1冊あればどんな難事件でも解決できる」と国鉄時刻表を取り出して豪語する...んだけど、いや実際には「時刻表だけでアリバイトリックが成立する」ミステリって、鮎哲でもそうたくさんは書いていない。これが実質その稀な1冊の部類。

(ネタばれゴメン)
仙台での証言はまあ誰が見てもでっち上げと推測がつくから、実質「●●よりも早く」が時刻表だけで実現してしまうのが、この作品のロマン、という部分なんだと思っているよ。何よりも早く届くのが●●だったわけだから、それを超える早業が、単なる時刻表トリックというあたりに、この作品の最大の喜びがある、というのが今は伝わりにくいんだろうなあ。

であと金沢の事件も「急行よりも速く」で、これは読者がわからなくても仕方ないかもしれない特殊手段。金沢だけで長編を書いたら、「なんだ」ということになるだろう。「アリバイトリックだけで小説を作り上げる」というのは、いろいろなバランスを考えて書かないといけなくて、なかなか難しいことなんだなあ、と今になるとそう思う。鮎哲でも全盛期の筆力で、淡白な描写に見えて、視点を入れ替え入れ替え、工夫して書いているのがよく見える。
まあだから、アイデア的な面を別にして、「アリバイ崩し小説」のテクニカルな面だけに限って評価すると、トップクラスの作品になるんだと思う。


No.772 3点 霧の国
アーサー・コナン・ドイル
(2020/11/21 23:42登録)
チャレンジャー教授最終作。今回の探検の行き先は....心霊の世界、霧の国。ドイルは晩年スピリチュアリズムに凝ったことでも有名なのだけど、本作はそのスピリチュアリズム普及のためのパンフレットみたいな本。だから最初は猛烈に敵対するチャレンジャー教授が、最後には心霊主義の軍門に下って、それを手引きした「失われた世界」からの仲間である新聞記者のマローンと冒険家の貴族ロクストン卿、それに今回登場のチャレンジャーの娘イーニッドと一緒にハッピーエンド、という話。

第一次世界大戦でドイルの息子や縁者も多く戦死したそうで、ガチガチの愛国主義者のドイルも相当こたえたようだ。だからその「一千万の若者の死」を容認できなくて、彼らの別次元での「生」を望む気持ちと、その死が「物質主義への神の懲罰」だとする理由付けのあいだで、ドイルの考えがスピリチュアリズムに傾くのは...分からなくもないんだよ。まあだけど、こうなると本当に何でも受け入れてしまうようで、疑似科学の部類も、幽霊譚の部類も、既成教団的な宗教観念も、新宗教的な狭い意味でのスピリチュアリズムも、何か全部ごっちゃになってしまっている。批判精神をどこかに置き忘れたかのようである。それでもねドイルの心中を察すると、非難するのは忍びないので、これ以上は追求しない。

ただし、小説というのは、こういうプロパガンダに一番向いていないメディアだ、というを露呈してしまうのが、評者はヘンな意味で面白い。中盤にマローンとロクストン卿、それに国教会から破門された元聖職者が幽霊屋敷を祓う話があるのだけども、いや本当に「普通のオカルト小説」なんだよね。世の中にいくらでもある「オハナシ」に回収されてしまうわけである。作中の心霊主義の「証拠」としていろいろな実験や体験が語られるわけだけども、この「霧の国」という本が「小説である」という、まさにそのことによって、ドイルがいかに大真面目に読者を説得しようとしても、読者は「いやそれタダの小説でしょ」でフィクションとしか受け取ってもらえない......恐竜と遭遇する「失われた世界」、この世の終わりを体験する「毒ガス帯」、地球が生物であるの証明する「地球の悲鳴」などの奇想天外なサイエンス・フィクションのヒーローであるチャレンジャー教授の話だからこそ、逆にその「事実性」は絶対に信じてはもらえないのだ。ドイルがいかに真面目に取り組んだとしても(まあ、小説としても成功していないのだが)、ドイルが「有名な小説家である」という業績に裏切られて、この企ては最初から失敗するしかない....
ドイルがなぜこの逆説に気が付かないのか、それが本当に評者は不思議で仕方ない。


No.771 7点 メグレと幽霊
ジョルジュ・シムノン
(2020/11/20 13:52登録)
評者ご贔屓のロニョン刑事が登場する巻。ただし冒頭ですでに就寝のメグレの元に、ラポワントが訪れて、ロニョンが撃たれたことを知らせて始まる...まあだから、ロニョンは事件解決まで意識不明のままなので、ロニョンが直接登場することはほとんどないのだけど、逆に本作だと最大の重要人物として、単独で誰にも捜査内容を明かさずに内偵するロニョンの屈折したキャラ、それから大した病気でもないのに病身のフリをして夫の気を引こうとするその妻との関係が描かれて、ロニョン・ファンの評者なぞ大喜び。
しかも、ロニョンが撃たれる直前に独身女性の一人住まいのアパートをずっと訪れていた...なんて事情が分かるから、「いやロニョンも隅におけないね」というミスディレクション(でもないが)。いや堅物ですって。そこもまた、いい。で、中盤からロニョンが狙っていたターゲットが浮かび上がってきて、撃たれた直後にロニョンがつぶやいた「幽霊..」という事件の真相が暴かれる。
事件真相もちょっとした隠ぺい工作もあって、素直に真相が割れるわけではなく波乱がある。評者シムノンの手持ち本はもうないので、久々のメグレになってしまったが、「メグレらしい」作品で面白い方の作品になると思う。

「私は、人間を収集してますよ....」

「人間収集家」メグレらしく、本作も「ヘンな奴ら」が多数登場。「ヘンな奴ら」が皆いとおしい。


No.770 6点 キングの身代金
エド・マクベイン
(2020/11/16 22:00登録)
昔の映画って、原作があっても原作通りに、とはいかないのがカツドウヤの心意気、というものでね、ミステリ映画だったら「原作読んでる観客だって、ビックリさせてやる!」がアタリマエだった。まあだから「天国と地獄」とその「原作」の本作が、大雑把な設定は借りてても、展開も犯人像も違うのは、そういうものなんだよ。どっちか言えば「キングの身代金」から「状況によっては、対象を間違って誘拐したとしても、身代金請求に応じざるを得ないこともある」というキモのアイデアを借りたことを映画は隠さないわけだから、とりあえず「原作」として原作料を支払う、ということで落着した、というくらいのことだろう。原作厨とかいない時代だよ。
「天国と地獄」のラスコリニコフみたいに鬱屈した反抗的インテリの犯人と違って、「キングの身代金」は悪党のヤクザと気弱な技術者、その善人の妻、とまあ普通の悪党たち。身代金受け渡しがうまく成功、一旦は完全犯罪が成立して...は映画の話。「キングの身代金」はずっとあっさり終わる。黒沢組ライター集団の優秀さが証明されたような脚本である。
「キングの身代金」は87分署だから、ふつうに87分署。シリアスで緊迫感のある状況でも、87だから刑事たちはいつも通りジョークを飛ばしている。そこらは彼我の文化の差みたいなものだが、違和感はある。キャレラやらマイヤーやらホースやら、お馴染みのキャラの「お馴染みさ」が、本作だと逆に弱点になっているようにも感じてしまう。「着眼点が優れている」のが、逆に作品としてうまく機能しないで終わった...という惜しい作品、でいいだろう。


No.769 5点 盲目の鴉
土屋隆夫
(2020/11/15 13:20登録)
田中英光、太宰治、島崎藤村、斎藤茂吉、森鴎外、堀辰雄、メインディッシュは大手拓次....いや、名前だけ出てくる以上の言及がある作家だけでこれだけ。古き良き日本文学をベースにしたミステリである。土屋隆夫ってこういう文学青年趣味があるわけだけど、今回はこれが前面に出ている。まあ、田中英光・大手拓次、あたりだと今の人は知らないかもね。評者太宰嫌いだし、大手拓次も面白いと思ったことないなあ...朔太郎をマイナーポエットにしたような詩人だもの。そういうわけで、評者意外に本作とは相性が悪いんだけど、昔新作で出たときに買った本である。
謎は電話のアリバイがメイン。これは土屋隆夫らしくアイデア的、だけどリアルな実行可能性を感じるトリック。ただトリックとしては小粒。その他に毒殺トリックがあるといえばあるが、こっちはあまり面白いものではない。千草検事シリーズだからレギュラー陣おなじみの、地道に書かれた捜査小説、として読めば、まあそう悪いわけではない。犯人の動機とか心理とか、リアルだけどセンチメンタルな味が強い。

なのでね、評者とかは土屋隆夫と松本清張を比較したくなるのだ。「社会派」というのは、戦前からの「本格派」vs「文学派」の人脈的なものも含めた対立があって、松本清張が乱歩に「次のリーダー」として指名されたことで、実質「文学派」が「社会派」に鞍替えした、というイメージを評者は持っている。松本清張だって、もちろん文学趣味が強いし、芥川賞獲ったのも森鴎外関連の話だ。で、リアリティのある登場人物、リアルなアリバイトリックを駆使したアリバイ崩し小説を書いた....あれ、松本清張と土屋隆夫、どう違うのかしら?
うん、もちろん違いはあって、それは土屋隆夫が懐旧的なセンチメンタリズムに寄りかかった小説なのに対して、松本清張はセンチメントを排したハードボイルドな苛烈さが強く出る、という点なんだろう。そうしてみると、「甘さ」の部分で土屋隆夫は古びしてしまっているようにも思う。清張は苛烈だから、万古不易な「人生」を体現しうるのではないのかな。


No.768 7点 悪夢の街
ダシール・ハメット
(2020/11/14 12:49登録)
ハメットの長編はクノップ社のラインナップで売り出されたわけだけど、ブラック・マスクに書かれた短編の「短編集」は実はなかなか出版されなくて、「ブラッド・マネー」を長編扱いにして出版したのが1943年、本来の「短編集」となると 1945年にまで遅れる。コンチネンタル・オプの真髄は短編にこそあるだが、なかなかそういうわけにはいかなったようだ。
ここでハメットの短編集の編者として、大いにハメット短編の面白さを紹介したのが、エラリー・クイーン(というかダネイ)なのがいろいろな含蓄があると思うんだ。ダネイから見たら年上(約10歳差)の先輩作家(長編こそ同年だが)であり、アメリカ的なミステリ(エラリイのアメリカ性って無視できない)を築き上げた先達として敬意を払っている。日本のマニアが思うような党派性って、評者は架空のものだと感じてるんだがね。

でそのクイーン編集のハメット短編集の第5弾がこの短編集の底本。残念なことにクイーンの序文は割愛。収録はノンシリーズの「悪夢の街」「アルバート・バスターの帰郷」とオプ登場の「焦げた顔」と「新任保安官」。編集に何かテーマ性が...というと、さほど感じない。しいて言えば「悪夢のような犯罪ビジネス」かなあ。「悪夢の街」にひょんなことで紛れ込んだ荒くれ者の主人公が、犯罪ビジネスまるけの街全体と対決することになる話。アイデアストーリーとしては「こんなのありか」と思わなくもないけど、最後の方はゾンビ物みたい。アイデアストーリーとしてサクッと皮肉に纏めたら傑作だったかもしれない。
「焦げた顔」は失踪した姉妹を探すのを依頼されたオプが...という話。この失踪と自殺などの背景には....となって、一種の犯罪ビジネスが暴かれることになる。捜査が行き詰って、オプのアイデアでこの背景を割り出すやり方が、リアルだし着眼がいいと思う。作品の出来は標準的。
「アルバート・バスター」は既読。ショートショートだけど、犯罪ビジネスのインサイド・ストーリーといえば、そうか。
で、こうなったら既読でも「新任保安官」を読まずに済ませられないや。オプ主演の西部劇。どっちかいうと黒沢「用心棒」は「赤い収穫」よりこっちをベースにしているのかもよ。訳者は稲葉由紀なので、創元ハメット短編集とまったく同じ訳。荒馬に乗せられて頑張る話とか、元ボクサーを殴りあうとか、西部劇を楽しんで書いてるワクワク感みたいなものがある。やっぱねえ、評者とかはバディに萌える。保安官補オプと保安官助手ミルク・リヴァー、いいねえ。ミルク・リヴァーはモンゴメリー・クリフトか、リチャード・ウィドマークか。オプにうまくハマる役者が思いつかないのが問題だが....アンソニー・クインとかクロード・レインズどうかしら。二枚目じゃないんだよね。

(「西部劇」の影響って過小評価されていると思うんだ。まあすっかり馴染みがなくなっちゃったからね。たとえば居合切りって、西部劇の早撃ちの日本版じゃないのかしら)


No.767 7点 コンチネンタル・オプの事件簿
ダシール・ハメット
(2020/11/11 08:23登録)
ハメットの短編集は系統的なものがないので、評者の現状況だと残りの短編集は既読作はパスして未読だけを読んでいくことになりそうだ。本書だとメインディッシュの「血の報酬」と一応名作だと思う「ジェフリー・メインの死」は既読でパス。「放火罪および..」は既読だけど、本書の狙いが最初の事件「放火罪および..」と最後の事件「死の会社」を収録することにあるから、再読しましょう。

とすると残りは「ターク通りの家」と「銀色の目の女」の連作。「ターク通り」はオプも想定外のいきなりの急展開。ジェットコースター的で面白い。「銀色の目の女」の前日譚みたいなもので、「銀色」は浮世離れした金持ち詩人の恋人が失踪して...で始まるハードボイルド定型みたいな話。ロスマクみたい(苦笑)この作品、「臆病者で有名な」ジャンキーでオプの情報屋のポーキー(日本語化したら「トン公」かね)が、意外な役回りをつとめてそれが面白い。
で「放火罪および...」はリアルにこんなことあるだろうね、という実話っぽい話で大した内容ではない。逆に「死の会社」はギャング物の定型の虚実みたいな話で、「こーゆーこと考えるバカな犯罪者いるだろうね」と思わせるような、犯人が仕掛けてしかもその底の浅さを、オプお見通しといった「でこぼこ」した感覚が面白い。いや「放火罪」と構図が同じといえばそうなんだけど、ハメットの語り口の進化でその「差」の方が目立つ。「死の会社」ってオプが犯人の仕掛は承知の上で、苦笑いしながらその足を引っ張ってるように思えるんだ。
ハードボイルド、だね。


No.766 8点 半七捕物帳 巻の三
岡本綺堂
(2020/11/08 21:14登録)
この巻では関東大震災後の大正末年に書かれたものが多いようだ。

半七老人が語った隠密の話「旅絵師」の完成度が素晴らしい。互いに秘密を隠し持つ隠密とキリシタンが、互いに信用しあい秘密を守りあうことになるのが面白い。半七にはないロマンス色もあるし、主人公の旅絵師に身をやつした隠密に、隠密らしい諦念が感じられる良さがある。
また「少年少女の死」。いくら子供の死亡率が高い時代とはいえ、子供の死は痛ましいことに違いない。しかも殺人ともなれば....踊りの温習会で楽屋から消えた少女の死と、サイフォンの原理を使ったオモチャ「水出し」が引き起こした少年の死。一方は子供を奪われた母が理不尽にも他所の子供を殺し、一方は子供の死を責められて自殺する。それぞれがそれぞれに悲しい愛情のやり場がなくてのことである。これが哀切。

2巻の「津の国屋」のような怪談を...との「わたし」の要請で、半七老人が語るのは「あま酒売り」の老婆がもたらす奇病の話。「蛇神筋」という迷信だけども、江戸人はこれの実在を信じているわけだから、話の仕掛けとして使っていけないわけではない。迷信であっても、それに振り回される人々の運命は皮肉なものである。同じく迷信が生む悲劇は「松茸」にも登場する。あくまで怪異にかかわったリアルな人間主体のドラマなので、ホラーかというと、やはり違う。怪異はあくまでも仕掛けに過ぎない。
「海坊主」は海のヌシのような怪人がきっかけで海賊一味の露見につながる話だし、「人形使い」では人形芝居の人形が夜中にひとりでに役柄そのままに争いあうのを目撃した人形遣いは....という怪異が人生を狂わせる話。このように怪異を怪異として、「そんなこともあるか」と当たり前に受け止めて、その前提で巧妙に組み立てられた話を楽しむがよかろう。しかし「一つ目小僧」はこの怪異を巧みに使った詐欺で、江戸人の「怪異とは言ってもね」な合理性もまた別にあることを知らされる。

こういう怪異譚でなくて、捕物帳らしい捜査だと「雪達磨」「冬の金魚」などは「江戸のホームズ」らしい姿を楽しめるし、江戸の華である火事の中で半七が出くわす、暴れる熊とその死体がもたらす騒動の「熊の毛皮」、「異人の首」をネタに攘夷浪士を騙って強請りを働く連中を捕まえる「異人の首」...など3巻も実にバラエティ豊か。

その後「捕物帳」や「怪談」が話のパターンとして成立してくるにつれて、テンプレとして固まっていくいろいろな話柄が、ここではナマのまま、野性のままに、今の読者の想像を裏切るくらいの意外さで語られていく。半七とは「誰かに語られた江戸」から、さらに遡って「語られる前の声なき江戸」の混沌とした姿を垣間見る体験なのかもしれない。


No.765 6点 シャーロック・ホームズ最後の挨拶
アーサー・コナン・ドイル
(2020/11/08 20:30登録)
第四短編集。何か皆さん評判悪いけど、評者嫌いじゃない。「ブルース・パティントン」は推理もなかなか冴えていて、職業スパイを絞り込むくだりや、本当のスパイを巡る心理的な辻褄なども、よくできていると思うし、「ウィスタリア荘」で「堅物のエクルズ氏に近づいた理由」というのも、なかなか皮肉(というかイギリス人の自惚れ?)。この短編集では、国際的な広がりの中で事件が起きている、という印象を強く受ける。大概の事件が海外に絡んでいるんじゃないかな。

今回評者がとくに面白い、と特に思ったのは「フランシス・カーファックス姫の失踪」。海外のリゾート地で過ごす、金持ちで身よりの少ない独身女性をターゲットにして、うまく「失踪」させてその財産を奪取する「犯罪ビジネス」をホームズが暴く話で、この狙いのリアリティ、死体の始末の仕方など、ほぼ社会派的な面白さのように感じる。まあだからいかにも「市井の事件」の感覚の「ボール箱」だって、「リアルな事件」としての取り柄はありそうだ。

で「最後の挨拶」だけど、皆さんご指摘の様に客観三人称の叙述で、あたかも舞台劇を見ているかのよう。三人称が徹底しているので、心理描写は皆無。だから「マルタの鷹」みたいな三人称ハードボイルドに通じる面白さも感じるところがある。言うまでもないことだけど「ワトスン」の発明が、ホームズ以上のドイルの大発明なのだろうけども、この「ワトスン」なしで何ができるか?ということでもあるのだろう。「事件簿」はホームズ一人称作品もあるしね。

まあだから、ホームズ=「冒険」で確立した「ホームズっぽさ」だと思い込んでしまうと、その後の展開を詰らなく感じるのかもしれない。それよりも、その後もそれぞれにそれぞれの面白さを見つけて楽しむのことお勧めする。


No.764 7点 ペトロフ事件
鮎川哲也
(2020/11/08 11:47登録)
評者の父は満州からの引揚者でね、祖父の一家は大連に住んでいた。父が買った「アカシヤの大連」も家にあるので、いい機会だから本作と連続して読んで、かつての自由港で国際都市だった大連を立体的に楽しもうと思う。

大連からの引揚者にとって「ペトロフ事件」と清岡卓行の芥川賞受賞作「アカシヤの大連」は二大「懐かしの大連の小説」で昔から有名だった。同じ大連という都市が舞台で共通の地名が登場するから、「アカシヤ」を読んでは「ペトロフ」の地図を見て位置を確認し...と、こういう楽しみ方もあるものだな。アカシヤの花が甘い香りを漂わせ、放射状の街路が走るレンガの街、大連。日本の租借地で中国人(父は「満人」と呼んでた)も、あるいは「ペトロフ」の中心家族のような白系ロシア人も..といろいろな人種が混住する都市でもある。
鬼貫もロシア語に堪能なことを買われて、この白系ロシア人財産家の殺人事件の捜査に当たる。事件の現場は大連から旅順に向かう途中にある海水浴場の夏家河子。「アカシヤ」にもこの海水浴場の記憶が描かれている。この財産家の老人の三人の甥たちのそれぞれのアリバイを、鬼貫は崩していく。中には文化的な違いがコミュニケーション・ギャップになって成立するアリバイもあれば、鮎哲らしいガチの時刻表アリバイもあり....最後の結末は満鉄が誇る超特急「あじあ」に乗って、ソ連が目と鼻の先の哈爾浜へ。

五分の停車で "あじあ" はふたたび走り出した。むかし海に近かった名残を駅名にとどめる海城をあとにして、製鉄所がある鞍山を発車するころから、時速は百二十キロになって、煙硝のにおいの濃い首山、遼陽を通過すると、渾河を渡って奉天に着くのが14時17分。大連を出て五時間、四百キロの行程であった。

こういう描写が、日本古典の「海道下り」のように旅心を誘う。清岡卓行も土木技師の父が、哈爾浜に単身赴任していたこともあって、夏休みにやはり「あじあ」で満州の大草原を駆け抜けた感動を書いているのが、この読み比べの醍醐味だ。

アリバイ崩しも、アリバイが崩れればそれで終わり、では味気ない。それをまたさらに駆け引きに使った結末の付け方がナイス。時刻表アリバイって、ある意味「誰にでも客観的に解ける」トリックのわけだから、単に「こう乗り換えれば、できる」じゃ、意味がない。このトリックを更に使って...と、処女作でもさらに踏み込んでいるのが、さすがに感じる。
処女作らしい覇気と新鮮さを備えた作品なのだけど、やはりそれを支えたのは大連という街に対する鮎川の愛着と追憶であることは間違いなかろう。「アカシヤの大連」ではこの街をこのように哀惜する。

五月の半ばを過ぎた頃、南山麓の歩道のあちこちに植えられている並木のアカシヤは、一斉に花を開いた。すると、町全体に、あの悩ましく甘美な匂い、あの純潔のうちに疼く欲望のような、あるいは、逸楽のうちに回想される清らかな夢のような、どこかしら寂しげな匂いが、いっぱいに溢れたのであった。

評者の父も育った大連をどのように追憶したのだろうか。


No.763 7点 恐怖の谷
アーサー・コナン・ドイル
(2020/11/06 09:26登録)
1915年のホームズ最終長編。例によって二部構成で、第一部はいわゆる「バールストン・ギャンビット」の話。とはいえ「ノーウッドの建築業者」をひねったもの、みたいにも読めるようにも思うんだ。ドイルという人は、トリック面ではいろいろとバリエーションを試みる傾向が強いから、短編+モリアーティを再登場させてその影を投影する...という狙いで見た方が適切じゃないかな、なんて思う。
で、問題は第二部。ピンカートン探偵の話で、ギャング秘密結社が支配するアメリカの炭鉱町が舞台。だから「赤い収穫」みたいなもの。評者は前から書いているように、ホームズとコンチネンタル・オプを直結して理解した方がずっと有益だと思っているわけだけども、一番それを強く感じさせるのがやはり本作なんだよね。ちなみに本作が出版された1915年は、ハメットがピンカートン探偵社に就職した年だ。

ハメットはその後第一次大戦の兵役による中断があるけど、戦後に探偵に復帰して体を悪くして作家に転身する。探偵稼業の経験を生かして書いた最初の作品は1922年。「恐怖の谷」のたった7年後である。それこそ、「「恐怖の谷」を読んでピンカートンに就職しました!」とか「ピンカートンは「恐怖の谷」みたいなヒーローじゃないって書きたかった」とかハメットが言ったとしても(言ってないが)、全然不思議じゃない時間間隔だ、ということが、どうも皆さんの理解から抜け落ちているようだ。
つまりね、いわゆる「ミステリ史」というものは、特に「日本でのミステリ受容の歴史」を暗に密輸した、イデオロギッシュな「概念史」であって、時系列を反映したものではほとんど、ないというのが見過ごされていると評者は思っているんだ。
1920年代って実は混沌である。ドイルはまだホームズを書いているし、チェスタートンはブラウン神父を書いている。1920年にはクロフツとクリスティがデビューしているし、「ブラック・マスク」創刊は1922年で、その初期からハメットは活躍して「ハードボイルド」を確立し、その総仕上げが1929年の「赤い収穫」ということになる。「ホームズ→短編黄金期→長編パズラー黄金期→ハードボイルド」の時系列で捉えていては、実態を把握し損ねるだけだろう。現実は「すべて同時に起きている」に近い混沌である。

ただし、「恐怖の谷」と「赤い収穫」を直接比較した印象に強い「断絶」があるのは確かである。それは第一次大戦で起きた大きな変化に起因するものだと捉えた方がいいようだ。ヨーロッパ世界の根底が崩れるような惨禍によって、それまでの「正義」や「秩序」も崩壊して、ピンカートン探偵は「正義の騎士」ではなくて、ポイズンヴィルの毒に当たったアンチヒーローに成り代わり、鉱山を乗っ取ろうとするギャングたちは、そもそも労働運動を弾圧するために経営者たちによって導入されたのが、「軒を貸して母屋を取られる」ハメに陥った自業自得。警察は完全に腐敗して、ピンカートン探偵に協力して街の浄化を助けるどころか、そのギャングの勢力の一つみたいなものである...と、この「恐怖の谷」と「赤い収穫」の違いには、第一次世界大戦が引き裂いた世界の現実と、それによって変化した「世界の捉え方」の違いである。かくも短い期間に、これほどにまで「世界の見え方」が変化したことに、驚きの目を瞠るべきなのだろう。


No.762 6点 中央流砂
松本清張
(2020/11/03 22:03登録)
何となくNHKのドラマ('75)が見たくなった....原作読んでNHKオンデマンドで視聴。評者中学生になったばかりで、清張がオトナの世界への案内役みたいなものだったなあ。ドラマの演出は「アップの勉」和田勉。

農水省のノンキャリア役人、山田は岡村局長から、同僚の倉橋課長補佐が、作並温泉で事故死したことを告げられ、その遺体を東京に移送するように命じられた...農水省は倉橋とその下の大西係長が汚職容疑で取り調べを受けたことで騒然としていた。渦中の倉橋は岡村局長から捜査から避難するかたちでの仙台出張を命じられていたのだった。山田は倉橋とは官舎もご近所で付き合いがあったのだが、命じられて遺体を引き取りに行った先の作並温泉では、農水省に出入りする業界紙の経営者で弁護士の西がいた。倉橋は死の前夜、西弁護士と過ごして、瀕死の倉橋を発見したのも西だそうである.....

倉橋君、ぼくは君に善処してもらいたいのだ

西弁護士は作並温泉に逃亡した倉橋課長補佐に、こう願う。「善処」、よいように取り計らう婉曲な言い方である。この場合の「善処」の意味は....ドラマでは、西弁護士は加藤嘉で少し意外な配役(西村晃か宇野重吉が順当?)。対する倉橋は内藤武敏で融通が利かない感じ。「善処」自体には悪い意味は一つもないが、責任を他人に押し付ける言葉だ。加藤嘉がにこにこと害意なさげに「善処」という。人のよさそうな加藤だから、なおさら怖い....ナイスキャスト。
で、エリートの岡村局長は佐藤慶。この「松本清張シリーズ」の立役者みたいなもので、「天城越え」では被害者の土工。評者にとって佐藤慶は「悪のカリスマ」だ。子供のころから大好きだった俳優さんである(歪んでるな)。大学生になってATGの作品で堪能したが、その頃はサトケイの略称でシネフィルの間では大人気だったのが懐かしい。佐藤の岡村局長は、警察の取り調べを受ける可能性が高まった山田(川崎敬三)に、予行演習をする。小説だと奇妙に圧迫感のあるシーンだが、映像にするとヘンに喜劇的で、役所の権力関係のバカバカしさみたいなものを覗かせる。
で、倉橋の遺された妻子は...というと、役所の丸抱えでの生活が保障されて、

未亡人はにこやかに山田に挨拶したが、その態度は以前とはうって変わって、すっかり一人前の女外交員になりきっていた。みたところ、化粧も服装も派手で、五つも六つも若返ったように見えた。(略)これが夫の死の当時、あれほど嘆き悲しみ、眼のふちに黒い隈ができるほど悲観していた女と同一人物だろうか。山田は、生活環境の変化とはいえ、このように人間が豹変するのをはじめて知った。

ドラマでは未亡人に中村玉緒を持ってきて、出演順も玉緒がトメ。この「豹変」を絵で表現できる映像向けの原作だったから、70年代のNHKドラマ黄金時代の「松本清張シリーズ」の第一弾に採用されたのではないかと思うくらいである。

原作は清張お得意の小官僚モノで、ミステリ的興味は薄いものだけど、人間というものの「非情さ」を描いて、しかも映像にしてこれほど「絵になる」というのを見抜いた和田勉の慧眼がすばらしい。映像込みなら8点だが、原作の評価点にしておこう。


No.761 5点 死びとの座
鮎川哲也
(2020/11/01 18:18登録)
鮎哲の長編としては最後の作品。この頃って「沈黙の函」とか「王を探せ」とか新刊で出たら買ってたんだけど、本を整理したときに売っちゃったなあ。今思うともったいない。

最終期鮎哲って、ユーモア・ミステリみたいなんだよね。もともと描写あっさり軽めの作家だったけど、晩年は「ふわっ」として筆致になっていて、ヘンな名前の仕掛けがあったり(確か犯人と同姓同名の人が読者にいたら申し訳ないから...とか言ってなかったっけ)、クラオタ作家の面目躍如で、クラシックの蘊蓄が延々...とかね。でこの作品だと、一旦容疑者のアリバイを偽証することになったミステリ作家高田が、狂言回し的に真犯人を探すことになって、という展開。この高田、自分で一種のアリバイ工作までして鬼貫に叱られるんだもの。もちろん作者自身の投影。

なので、ヘンに私小説みたいなミステリ。晩年様式、といえばそんなもので、自他の区別が混淆される傾向が強まるけど、モチーフ把握力は落ちてくるので、話がメリハリなくズルズルと続いていく。脱力してお気楽に読むようなものか。
それでも鮎哲だから、アリバイトリックはある。どっちかいうと、「死びとの座」のトリックよりも、ホステス殺しの方のアリバイの方が、いろいろ転がせて面白いようにも思うんだ...でも長編ネタかというとそうでもないか。アイロニカルな切れ味のいい短編で書いた方が生きるトリックかもしれないね。


No.760 7点 緊急の場合は
マイクル・クライトン
(2020/10/30 22:27登録)
これは結構すごい。まだ医学生として在学中の学生が書いた医学ミステリだけど、MWAの新人賞どころか本賞を獲ってしまった作品である。作者の名前はジェフリイ・ハドスン。実はこれはペンネームで、本名はマイクル・クライトン。というのは、どうでもいい話、といえばいい話だ(というとカッコイイんだけどね)。

今アメリカは大統領選挙たけなわなんだけども、トランプ支持派には「中絶反対派」がいて、下手すると中絶医を殺したような連中も含まれたりする...アメリカでは延々政治問題化して、今だに国論を二分する大論争のわけである。
この小説の舞台はボストンの大病院。心臓外科医の娘、カレンが大量の出血とともに救急に運び込まれた。出血原因は妊娠中絶だと、付き添いの義母は言い、中絶を行った医者を名指す。その医者アート・リーはヤミで中絶を行っていたことが一部で知られてはいたが、カレンの中絶はしていないとあくまでも否認する。アートの親友で病院勤務の病理医ペリーは、カレンが妊娠していない証拠の血中ホルモンのサンプルを得て、アートの容疑に疑念を抱き調査を開始する。中国系のアートに対する差別、妊娠中絶に対する宗教的な拒絶と中絶医に対する迫害、絶対的な権力を病院で振るう代々医者の名家の理不尽、ペリーの調査は医学界の暗部に迫っていく....
いや、評者が褒めるのはこういうテーマ以上に、小説としての上手さがとってもじゃないけど、新人離れしているあたりである。比較的長くて、医者の世界のややこしい状況を垣間見させる小説だけど、全然長さを感じさせないリーダビリティと、このややこしさをややこしいままでしっかりと理解させるような冷静な筆致、そして性格描写とキャラ造形の上手さ(医者たちが揃いも揃って変人多数)に驚く。

頬骨で氷のキューブを割れそうなほどかたい感じだった

なんて、カレンの義母を描写するんだよ。そして、

だれが数えてもおなじだが、人間の病気には名前がついているのが25,000 あって、そのなかで治療法がわかっているのは 5,000 だ。

とかね、こういう小ネタを織り交ぜて読者の興味を引いていく語り口の上手さ....いやいや、マイクル・クライトンって名前がついてるのは本当に伊達じゃない。ちょっと驚くくらいに達者な作品で、最初から老成したうまさを感じさせて、空恐ろしいほどである。


No.759 6点 眼の気流
松本清張
(2020/10/27 22:09登録)
60年代清張の短編集。全体的にミステリ色は薄めだが、下積みの鬱屈した男たちの情念が漲る、清張らしさ存分に発揮の短編集。読んだの中学生くらいだったんじゃなかったかしら....

「眼の気流」一応殺人事件と捜査があるのでミステリなんだけど、タクシーの運転手が妙に屈託して探偵マガイなことをする方のが、ミステリ的な興趣がある。目撃証言の謎はあるけど、結末は肩透かし。構成に失敗したのかな。
「暗線」不幸な生まれをした父の出生の謎を追って、家系調査をする話。山陰の山間の村の話で、古代史に造詣深い清張なのでたたら製鉄の話なども出る。同じ兄弟であっても、生まれの違いでその後の人生に大きな差が出てしまう不条理に、祖父の墓を訪ねようとした主人公は、やりきれない気持ちになってしまう....
「時計」は新聞代理店主とよくできた妻が、若い受付嬢の結婚に際して...という話。突き放したような話だが、これはこれで夫婦と男女関係の真理を突いているようにも思う。
「たづたづし」不倫の相手を山中で絞殺した官吏が、殺したはずの女が息を吹き返して記憶喪失になっていることを知る。皮肉な話だが、オチがついたようなつかないような、微妙なあたりが清張らしい。古歌を引いているあたりが、うまいところだなあ。
「影」売れっ子時代作家のスランプに、代作を提供した作家志望の男が、ともども転落する話。なぜかこの話、結構細かいところまで覚えていた。中学生だから、男女の機微がキモの他の作品はあまり覚えていないんだろうな...

少し前に80年代に流行作家だった女流の短編集が、今読むと風俗がとても古臭く感じたのと比較すると、清張は「より古い」のだけども、古臭さをさほど感じないのは、やはりさすがなものだ。陳腐な言い方だが、それだけ人間の普遍性を作品に昇華しているんだろう。


No.758 8点 笑う警官
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー
(2020/10/25 22:14登録)
警察小説の「ミステリとしての面白さ」ってどこにあるのか?というと、それはおそらく、「犯人・真相が見え隠れしながら浮かび上がってくるさま」にあるんだと思う。本作はそれまでの3作よりずっと構成が複雑化して、その分この派手な大量殺人の根深い背景・犯人がじわりじわりと浮かび上がってくるのを存分に楽しめる。マルティン・ベックもやはり本作で完成した、というべきだろう。

で今回誰が殊勲か...というと、それはやはり

実はステンストルムって刑事が、とうの昔にケリをつけていたのさ

と最後にラーソンが評するように、若くして大量殺人の被害者となったステンストルム、ということになるのだろう。上司であるベックが、直接の部下で被害者となったステンストルムを回想して、

それにしても彼はどうしてステンストルムに関して、そんなにわずかしか知らないのだろう?観察力に欠けていたせいだろうか?それとも、もともと知るべきことなどたいしてなかったからか?

と反省するあたりの「苦さ」が、「オトナの小説だな...」なんて感じさせるところである。

作中でもベックは娘から最近笑った顔を見ない、と指摘されて、そのために娘からクリスマスのプレゼントは「笑う警官」。古いコミックソングのレコードなんだけども、少しも笑えない(YouTubeの「The Laughing Policeman - Charles Jolly / Penrose」で聞ける)。まあベックって胃痛やら風邪気味やら心気症に悩んでいつも苦虫を噛み潰したようなイメージがあるからね。この曲で聞けるような高笑いを、マルチン・ベックができる日は....来ないなあ。最後に低く笑うのは自嘲みたいだよ。

こんなアイロニイが効いた作品でもある。

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