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ミステリの祭典

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雲なす証言
ピーター卿シリーズ 旧題『多過ぎる証人』

作家 ドロシー・L・セイヤーズ
出版日1957年01月
平均点5.00点
書評数13人

No.13 5点 クリスティ再読
(2023/11/08 21:38登録)
これって一種のドタバタ喜劇だから、ジャンルはほんとはコージーくらいが適切なんだと思うんだよ。すでにピーター卿周辺のキャラは固まってきているわけで、評者もセイヤーズ読むのは7冊目ともなれば、先代公妃あたりのキャラまで十分馴染んでも来るというものだ。これってやはり狭い人間関係で事件が起きるコージーらしさなんだろう。
だから、今回のネタというのは、名にし負うイギリスの貴族制度の中で、「公爵が殺人罪で公判を受けるのなら?」というあたりに力点がある。

裁判は次のように始められた。議会守衛官が静粛を宣言した後、大法官府次官が王座の足元にひざまづいて、国璽の押された辞令を王室執事長に渡し、王室執事長は自分にはどうしようもないということで、それをまた厳粛に時間に返した。(中略)議会守衛官が力一杯「国王陛下万歳」と応じるにおよび、ガーター紋章官と黒杖官が再びひざまづき、王室執事長に役職の杖を手渡した。

とまあ、議会と王権の対立の歴史から、公爵ともなると刑事裁判でも繁文縟礼と言っていいくらいにややこしいのだ。死刑なら斬首か絹の紐による絞首か、とかマジに検討するような、イギリス特有のややこしさをセイヤーズは皮肉な目で描いているあたりが狙い目なんだろう。
こんなご時世だからこそ、その公爵の妹は、面白半分にコミュニストと付き合って状況を紛糾させる。それをピーター卿は「ソヴィエト・クラブの人は、いろいろ疑われるのが愉しくてやっているんだろう?」と評しているわけだから、まあこれどう見ても社会風刺コメディなんだよね。

だから、評判の悪い真相だって、実のところ「真実の愛」だったのかもしれない。そんな真実の愛が報われるはずもなくて....で捻り過ぎてもう一つインパクトがなくなったのかも。でもまあ、公爵の妹メアリが、のちにピーター卿の相棒のパーカー警部と結ばれることになる、と思うと妙な感慨もあるというものだ。

(こういうことを書くには何だ、という気もするけど、実はこの作品、軽薄才子のピーター卿が、事件を八方丸く収めるために、ああいう「真相」をでっちあげたんだ、という解釈はどうだろうか? なんというか、わざとらしいメロドラマだしなあ...こう見ると、ラストシーンのピーター卿のご乱行が腑に落ちる)

No.12 2点 レッドキング
(2023/08/28 00:01登録)
ドロシー・セイヤーズ(ミドルネーム「L」入れないと作者お冠だったらしい)第二作。主人公「貴族探偵」の妹の婚約者が「射殺」され、主人公の兄にあたる「公爵」に殺人容疑が。兄を絞首刑から救うべく奔走(どう見ても愉しみ半分)する弟「貴族探偵」。だが、肝心なアンちゃん本人がアリバイ証言を頑なに拒み・・真相は「本陣殺人」「そして誰も~」等であった・・・なかなかに面白く、でも、「密室」「不可能」じゃないのがねぇ・・

No.11 7点 虫暮部
(2022/11/17 12:11登録)
 前作のように変なトリックに腐心するのではなく、人の気持の襞に分け入ったのが奏功したか。事態が擁する非常な偶然については当然突っ込みたくなるけれども、作者としても重々承知の上で、弁護人に “運命としか言いようのない” とか言わせて自己弁護しており、それならまぁいいかと言う気分になる。或る種の様式美に則ったドタバタ劇と言うことで、ピーター卿もお疲れ様でした。

No.10 6点
(2022/05/17 20:42登録)
ウィムジイ卿の第2作は、今までに読んだ後期3作と比べると、翻訳のせいもあるかもしれませんが、文章が気取りすぎと思えました。特に最後の方、重要証拠のかなり長い手紙全文をフランス語で書き、その後に訳を付けるという、そんな必要があったのでしょうか。翻訳文ではそれ以前、パーカー警部がパリで調査を進める部分なども、わざと堅苦しい言い回しに訳した意味がわかりません。
もう一つ、事件が解決した後の夜のウィムジイ卿等の酩酊ぶりは、ライスのマローン弁護士だってこれほど酒癖が悪くはないだろうと思えるほどで、何なんだこれという感じ。
しかし、ウィムジイ一家を襲った事件の顛末自体はおもしろくできています。ホームズをも思わせる現場検証、ウィムジイ卿が命の危険にさらされること2回、手がかり提出手順も悪くないですし。もう少し真相の意外性が出るよう構成を工夫した方がよかったかなとも思いますが。

No.9 5点 ROM大臣
(2021/09/17 14:11登録)
本書は「死体を探せ」に続くピーター卿シリーズの長編第二作であり、事件は前作が終わったところから始まっている。
ただし解決は被害者の書き残した手紙によるところが大きく、ミステリとしての仕掛けは単純なもので、とりたてて見るべきところはない。しかしピーター卿を始めとするキャラクター達の魅力は際立っており、全編が会話の楽しさに満ちている。
黄金時代の香りに満ちたミステリを好まれる方には強くお勧めする。

No.8 7点 弾十六
(2019/09/29 21:24登録)
1926年出版。シリーズ第2作。実は法廷もの。クリスティもクロフツもデビュー作(1920)で法廷シーンを書いたけど出版社から書き直しを命じられています。英国人は法廷好きですね。でもかなりの専門知識を要します。本作の法廷シーンは設定が凄い。セヤーズさんはしっかり調べてると思います。(助言者が周りに沢山いたんじゃないかな?)
相変わらず音楽の趣味(バッハとパーセル)が良くてニヤニヤしてしまいます。身内の犯罪、ということで、作家の内的イメージ(家族観とか家族の中の立ち位置とか)も試されるテーマ。一人っ子かお姉さんタイプだと見ました。(wikiで確認したらan only child… 我が観察力も捨てたもんじゃないね、と自画自賛。)
起伏に富んだ本格もの。(いかにもな平面図やメモの写しp390が出てきます。) 語る工夫が見事で退屈なところがほとんどありません。手がかりの提出が上手く、ぴったり組み合わさった時の気持ち良さ抜群。途中で推理の筋を読者に明らかにしてるのも良いですね。ラストシーンは「楽しければ良いんじゃね?」というセヤーズさんの宣言。なので作中のご都合主義にも目をつぶります。次の作品もとても楽しみ。
献辞はなし。原本には創元文庫『誰の死体』冒頭の紳士録抜粋の原文が載ってました。確かにシリーズ2作目(作者としてはシリーズ化を意識した時点)に記すのが正しい順序ですね。
以下、トリビア。
現在価値は英国物価指数基準(1921/2019)で48.55倍、1ポンド=6442円で換算。フランは仏国物価指数基準(1921/2019)で733.8倍、1フラン=1.12ユーロ=132円。
作中時間は問題ありです。p88「19xx年」とボカしてるのに、バッチリp346「le 13 Octobre, 1923」(事件の前日)と書いてます。(ただし私が参照した版では「192-」) でも事件発生は「十月十四日木曜日」と明記してるので1920年か1926年のはず。そうなると第1作の作中時間1920年11月と辻褄が合わない。(「故ガーヴィス」の記述から第1作は1920年3月以降で確定。) 第1作と本作の間には少なくとも三カ月以上の期間が経過しており、冒頭の記述から受ける感じでは第1作の翌年くらいに本作の事件が発生してるはず。1921年10月14日は金曜日、1923年10月14日は日曜日でいずれも一致せず。本作中、10月を11月と間違えてるところがあるので11月14日木曜日の年を調べると1918年と1929年、なのでこれもダメ。曜日の間違いの可能性は、事件発生が木曜日、検視審問が金曜日で動かせないようです。(週末で高名な弁護士がつかまらないとされていることから。) 結論は多分1921年、日付は誤り。(10月14日木曜日や10月13日水曜日はかなりの記載箇所があり動かしたくないです… それなら日付が1カ所にしかない第1作を1919年と考えた方がマシか?シェルショックとガーヴィスと三文オペラは気になりますが…)
銃はリヴォルヴァー「アメリカ製の小型のもの」が登場。初版T. Fisher Unwinの表紙絵だとトップブレイクっぽい感じに見えるのでIver Johnson? 作中に手がかりはありません。
p22 ボウリング用の芝生(the bowling-green): 日本で良くやるボウリングではなく「ローンボウルズ」と呼ばれる屋外競技。詳細wiki。
p33 旅行用時計(travelling clock): 1920年代で高さ120mmくらいの小型旅行用を見つけました。ゼンマイ式で目覚まし付き。毎時(時間数)と30分(1回)に柔らかく鳴ります。
p45<キス一つに七十五ポンド>(£75 FOR A KISS): 48万円。下衆な見出しらしいのですが…
p60 モーニング・ポスト(the Morning Post): ロンドンの日刊紙(1772-1937)。According to historian Robert Darnton, The Morning Post scandal sheet consisted of paragraph-long news snippets, much of it false.(wiki)
p61 『夜の接吻(Baiser du Soir)』: 香水の名。架空?
p71 十号サイズ(No. 10): 英国の10号は日本の29相当。ただしメーカーで違いが大きいと思うのでこーゆー数字で捜査するのは適切?
p77 探偵小説: 黄金時代の特徴です。
p85 「シオンの子らをして」で始まるバッハの複雑な曲(elaborate passage of Bach which begins “Let Zion’s children.”): Motet BWV 225 Singet dem Herrn ein neues Liedの冒頭合唱の4行目Die Kinder Zion sei'n fröhlich über ihrem Könige。二重合唱の傑作でモーツァルトが「音楽にまだ学ぶことが残っていたのか」と感嘆した曲。この歌詞の入りの部分はかなり複雑。
p100 レビュー歌曲(revue airs): CD”Music Hall Revue 1912-1918”に収録されてるような曲でしょうね。
p112 事実は牛のようなもの… じっとまともに見据えていさえいれば、たいていはそのうち逃げていく(facts are like cows. If you look them in the face hard enough they generally run away): バンターの母の格言。
p112 『この黄色い砂へ来たれ』(Come unto these Yellow Sands): パーセル作曲(1695c)、シェイクスピア『テンペスト』第3幕より。楽しげな音楽。
p112 『恋の病より、我は遁れんとせり』(I attempt from Love’s Fever to Fly): パーセル作曲(1695)、Dryden “The Indian Queen” 第3幕より。I attempt from Love's sickness to fly in vain. Since I am myself my own fever and pain.と続きます。(タイトルはFeverじゃなくてsicknessが正解) メランコリックでドラマチック。メロディが素晴らしい。
p113 ノーサンガー僧院(Northanger Abbey): ジェーン・オースティンの愉快なゴシック風小説。
p114 “血と暴力”派(a blood-and-thunder novel): in 1849, came a new literary hero, Kit Carson, 金鉱探しがインディアンを愉快に殺しまくる西部もの。blood and thundersと呼ばれたらしい。(wiki, Talk:Dime novelより) ハードボイルド派のことかと思いました。
p117 底の浅い考察: (1) The vanity of human wishes; (2) Mutability; (3) First love; (4) The decay of idealism; (5) The aftermath of the Great war; (6) Birth-control; and (7) The fallacy of free-will. 当時の話題なんでしょうね。
p118 ヨークシャー訛り: 訛りの翻訳って本当に大変。だいたいが上手くいかない。実際の訛りの詳細はYorkshire dialect(wiki)で。コックニーに次ぐ英国の代表的な訛り。私は「ちょっとだけ崩せば良し」派。読みにくいのは勘弁して欲しいです。この翻訳はなかなか健闘。p141辺りの直訳調でフランス語会話を表現してるのは上手いと思いました。(原文は普通に見えます。多分、訳者の工夫ですね。)
p120 バロウ・イン・ファーネス中等学校(Barrow-in-Furness Grammar School): この学校が設立されたのは1930年らしいので、架空のつもりだったのか。Grammer Schoolは二級品のPublic Schoolというイメージでいいのかな?
p121 ニュース・オヴ・ザ・ワールド(News of the World): 扇情的タブロイド紙の代表として登場。毎週日曜発行(1843-2011)。
p131 軍艦ピナフォア: 引用されてるI think it was the catは第2幕 Carefully on tiptoe stealing辺り。(I thinkは付いてませんが)
p141 五千フラン: 66万円。ダイアモンド付き小さな装身具の値段。
p147 『ヘブル人への手紙』: 第1作に続くパウロの手紙シリーズ。以下は田川建三先生の『新約聖書 訳と註 6』を荒っぽく要約。実際はパウロの作でもなく手紙でもない。ユダヤ教からの独立宣言を目指した旧約聖書の引用及び解釈。紀元後1世紀か2世紀あたりの成立。
p178 私は私の片隅で(you in your small corner and I in mine): Children’s hymn “Jesus Bids Us Shine”(1868) Susan Bogert Warner作詞、Edwin Othello Excell作曲。
p181 ソヴィエト・クラブ(Soviet Club): 当時の社会主義運動が垣間見られます。私はキム・フィルビーしか思い浮かばない、その程度の知識です。(バーナード・ショーすら読み込んでません。)
p185 週十八シリング: 5798円。月25124円。5人分の生活費。
p207 週四ポンド: 25768円。月111661円。社会主義派新聞の初任給。
p240 皆さん、時間です(Time, gentlemen): 訳注 パブ閉店の合言葉。
p240 育ちのいいイングランド人は想像力など持たない(Well-bred English people never have imagination): ピーター卿の格言。うへえ。スコットランド人がいなかったら知的水準は下がる一方ですね。
p269 メアリ・ジェインに夜這うとった/イルクリー荒野んあたりでよ(I been a-courtin’ Mary Jane/On Ilkla’ Moor bar t’at): ヨークシャー民謡On Ilkla Moor Baht 'atより。続く歌詞もこの民謡から。
p275 口笛でバッハの複雑な一節を(whistling a complicated passage of Bach under his breath): 定冠詞がtheならp85と同じ曲だと思ったのですが… まーバッハには複雑なの色々ありますからね。
p305 エデンの上に息づいたみ声(the Voice that breathed o’er Eden): 詞John Keble 1857、英国教会の聖歌。結婚式に良く使われる?
p316 ご機嫌さん(Cheerio): cheerfulみたいな感じで使ってます。
p332 メイズリー姫の物語歌(Ballad of Lady Maisry): Lady Maisry (also known as "Bonnie Susie Cleland") is Child ballad 65 (wiki)
p346 ビギーとウィギー(Biggy and Wiggy/Were two pretty men,/They went into court/When the clock—): マザーグースRobin and Richard/Were two pretty men/They stayed in bed/Till the clock struck ten.のもじり。
p367 イングランドの偉大なる座右の銘…<平常通り営業>(the great English motto: ‘Business as usual.’): It had been extended to broader use by 1914, when Winston Churchill said in a speech: "The maxim of the British people is 'Business as usual,'" which became a slogan for the rest of World War I.
p370 命の間際に持つべきものは…(God send each man at his end/Such hawks, such hounds, and such a friend): 三羽の鴉の最終行。The Three Ravens (Child 26, Roud 5) is an English folk ballad, Thomas Ravenscroft編の歌本Melismata(1611出版)の曲。(wiki) ただしwikiのヴァージョンはGod send every gentleman/Such hounds, such hawks, and such a leman(恋人)

1972年英国のTVシリーズ(Ian Carmichael主演)があり、某Tubeで見ることが出来るのですが、ピーター卿があんなおっさんで良いのかなぁ。(まだ見てません。見たら追記します。)

(追記: 2019-9-30)
イアン・カーマイケルはBBCジーヴス(1965-1967)でバーティを演じており、その流れでピーター卿を演じたのでしょう。当時52歳。時代考証をちゃんとやってる感じで楽しい資料映像になってます。イアンさん、芸達者な感じで、ひょうきんなピーター卿を見事に演じてて良いのですが、正直もっと若い奴の方が良いなあ。(ついでに言うとバンターはもっとコワモテが良かった。パーカー警部はもっとハンサムが良かった。) 銃はS&W38口径になってました。英語の聴き取りが不自由(ほぼ聴き取れず)なので確かなことはわかりませんが、映像を見た限りではかなり原作に忠実な感じ。(まだPart 1を見ただけですが… これPart 5まであるトータル225分の長尺。ディテールまでもれなく描けるとても羨ましい贅沢な作りです。)
ところで作中時間の問題ですが、冒頭にピーター卿「33歳」と書かれてたことを急に思い出しました。とすると文庫第1作の「紳士録」により1890年生まれだから、1923年なのか。セヤーズさんはいったい何で「10月14日木曜日」としてしまったんだろう。才女も数字に弱かった?(1923年10月4日は木曜日です。本作では数多く10月14日、10月13日との記載があり20箇所くらいですが、本記録を「書いた人」が「事件メモにあった4を14と間違えて」書いてしまった、という説で行くしかないか… The Lord Peter Wimsey Companionにはどのように書かれてるのか、非常に気になります。)
と、ここまで書いたところでGutenberg Canadaにアップされてる原書GOLLANCZ社第3版?の付録、ピーター卿のBIOGRAPHICAL NOTE by PAUL AUSTIN DELAGARDIE (May 1935)を見たらショッキングなことが…
In 1921 came the business of the Attenbury Emeralds

さんざん第1作や本書で語られてる(結局詳細は未発表の)ピーター卿の探偵デビューの「エメラルド事件」が1921年!
じゃあ第1作は早くて1921年か1922年、本作が1923年というのが公式見解ですね… (このゴランツ再版はセヤーズさんが訂正や追加をくわえてるということで、p346の年も「1923」になってました。翻訳はこちらを参照したのでしょう。p112のFeverもsicknessに直ってます。) 第1作の1920年説は、手紙を素直に読めば(手紙の日付=本日)そーなるのですが、手紙を書いた翌日に日付を書いて投函した、とちょっと言い訳っぽいが有り得ないわけでもない仮定をすれば手紙の日付=本日+1となり、1921年説が成立します。さらに日付を書いた日を遅らせると(ちょっと無理がある理屈ですが)1922年説も全く有り得ないわけではありません。明白に矛盾してるのは、本作の「10月14日木曜日」の記述と「1923年10月14日(日曜日)」という事実です。あっユリウス暦を忘れてた。理屈はつきませんが何故かユリウス暦が大好きだった「本作の記録者」がグレゴリオ暦をユリウス暦にわざわざ変換して書いたとしたら… ユリウス暦1923年10月14日はグレゴリオ暦1923年10月27日(土曜日)でした。
話題は全く変わりますが、上の方で「一人っ子を当てた」と自画自賛してるけど、2/3の確率で当たる賭けをしてますね。(当たらないのは「妹」だった時だけ) 外れる方が珍しいやんか!と自分にツッコミました… 情けなや…

No.7 5点 ボナンザ
(2018/03/27 23:08登録)
正直このシリーズではぱっとしない部類の一作。延々捜査が続くが、クロフツのようなわくわく感があまりない。

No.6 7点 斎藤警部
(2016/04/20 02:33登録)
話も最終ラウンド法廷シーンに至り、味方どうしの不思議な証言合戦に目を瞠る。捕われの兄の証拠提示をぶっつぶそうとする弟(ピーター卿)の意図は何?

『実は○○でした』だけの結末だったら苦笑で終わろうが、何故○○とは見えない(××と見える)状況に導くような証言群がもたらされたのか、という経緯の複雑さが面白くてね、どことなくカー「三つの棺」の真相をもうちょっとシンプルと言うか工程少な目にしたような、いや事件は全く異なるモンなんですけどね、そんなものにちょぃと近いフレイヴァを感じてしまいましたよ。

ゆるやかに歩み出すようで序盤より無駄口を排し、無駄口とは似て非なる拡がり豊かなユーモアと論理遊戯のみを披瀝するスタイル(解説にもあったが彼女のコピーライター経験が活きているのかも)でいつの間にか古風でロマンティックな物語が展開。

しばぁらく積読してた本なんだけど、読前はなんだか退屈そうな気がしてね、ちょっとヘヴィな別の本(非小説)読む時の、上質な退屈が取り柄のチェイサーっぽくやってやろうと思ったんだが、読み始めたらこれがアナタ、面白くてねえ、すっかりこっちがメインになってしまったのですよ。

『橋と壜』のグレッグ・スミスって主人が気になる(実は『橋と壜』は聞き間違い)。 「広場のあんだらほう」も何だか。。
あとその、ピーター卿だか誰だったか口ずさんでたバッハの複雑な一節ってのが何の曲のどの部分なのか、気になるわァ〜

No.5 4点 nukkam
(2015/09/13 13:40登録)
(ネタバレなしです) 1926年発表のピーター・ウィムジー卿シリーズ第2作の本格派推理小説です。探偵役であるピーター卿の家族が事件に巻き込まれて容疑者になっているところが特徴で、探偵としての立場と家族としての立場の狭間で悩むピーター卿がよく描けており、語り口が硬かった感のあるデビュー作の「誰の死体?」(1923年)と比べると読み易さが大幅に改善されています。残念なのは結末で、型破りな点をほめる読者がいるかもしれませんが個人的には脱力感が残りました。

No.4 2点 あびびび
(2014/05/31 22:12登録)
いままで何冊か読み、この作家とはリズムが合わないと思っていた。中盤までは、「おお、今度こそ!」と、読み続けてたが、なんたる結末。これは喜劇ではないか…。

確かに人物描写は優れているし、色々な蘊蓄も作家の力量を示すにふさわしいものだとは思うが、本格推理小説で結末が〇〇とは!

(ネタばれ?)、探偵役で主人公のウイムジイ卿の実兄が被告人として裁判に掛けられるのだけれど、ずっと黙秘。それも隣の奥さんと浮気をしたため。確かに隣の主人はどうしようもない暴漢だが,不義密通の方が悪くないか?貴族だから許されるものではないだろう。

No.3 6点 蟷螂の斧
(2013/08/27 14:00登録)
アメリカ探偵作家クラブの「史上最高の推理小説100冊」(1995)の77位。1924年の作品なので、現在の本格物の定義らしきものに当てはめるのは酷なような気がします。結末は、前例(1922)があるものの、当時としては面白いアイデアだったと思います。探偵小説を装った「喜劇」であるような気がして、この評価とします。

No.2 5点 ロビン
(2009/09/12 13:40登録)
本書の結末には、正直がっかりと言う他ない。
肝心な事件の全貌を説明するラストの場面でも、興ざめな結論を最初に提示され、その工程を一つ一つ追って行っても、心躍る瞬間はどこにもない。

No.1 4点 Tetchy
(2009/02/22 01:06登録)
セイヤーズの長編の特徴は発端の事件自体はシンプルなのだが、その事件の周辺に関わる些事や各関係者の行動についてそれぞれどういう意味があったのかを解明する事で実はこんな事件だったのだという予想以上に混迷した姿を見せる所にあると思う。
で、今回は中盤、ゴイルズあたりが登場する所は俄然乗ってきたのだが、最後には仮説の一つが淀みなく証明されたに過ぎなかったという結末がシンプルに収束したのが残念である。特に最後の最後で新しい、しかも登場人物表に載っていない重要人物が出てくるあたりは興醒めである。

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