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雪さん
平均点: 6.24点 書評数: 586件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.486 7点 産霊山秘録- 半村良 2021/02/19 13:41
 本能寺・関ヶ原・幕末そして戦後・・・日本史に記されたいくつもの動乱期。そこでは必ず謎の一族〈ヒ〉が暗躍したと伝えられる。
 念力移動(テレポーテーション)・遠隔精神感応(テレパシー)・・・・・・伊吹・依玉・御鏡の三種の神器を用い、人智を超えたその特殊能力を駆使して動き回る〈ヒ〉。そして今時は戦国、一族の長・随風は尾張の織田信長に天下を取らせるべく活動を開始、白銀の矢となって全国の忍びのところへ飛んだ。
 数百年にわたる〈ヒ〉一族の壮大な運命を描き、歴史の闇に新角度から切りこむ著者改心の長編伝奇SF。1973年度第一回泉鏡花文学賞受賞作。
 1973年に刊行された、『軍靴の響き』に続く半村良の第三長編。生誕100周年を記念して同年金沢市が制定した泉鏡花文学賞をアッサリと掻っ攫い、仕掛け人の五木寛之を瞠目させた作品。上の巻は永禄十一(1568)年、〈ヒの司〉たる山科言継卿が正倉院の御物を豪商たちに売り渡し〈ヒ〉一族暗躍の元手を拵える所から、寛永二十(1641)年、徳川の天下取りに力を貸した〈ヒ〉の長・随風=天海僧正がみまかり、三傑から戦国・安土桃山期に跳梁した第一~第三世代の活動が終わるまでで、神変ヒ一族/真説・本能寺/妖異関ヶ原/神州畸人境 の四話。
 下の巻は天保十(1839)年、江戸の地底で数奇な死を遂げた鼠小僧次郎吉の秘話から維新の英傑・坂本龍馬の回天の日々を経て、昭和二十(1945)年三月十日、大空襲のさなかの東京深川へ禁断の空ワタリ(未知の場所を念じてテレポートすること)した随風の末子・飛稚(とびわか)の物語までで、江戸地底城/幕末怪刀陣/時空四百歳/月面髑髏人 の四話。全八話で戦国後期から現代日本まで約四百年間にわたる、〈ヒ〉一族の壮大なクロニクルが描かれます。
 〈ヒ〉は日とも、卑、非ともいい、遠い昔皇室に民の安寧を委ねて隠れ住み、一朝皇統の命運がかかる時は、どこからともなくあらわれてその存続に力を尽すといわれる一族。人の祈りの凝った「白銀の矢」が集まる所、神のいます神籬=芯の山=産霊山を求めて流離う〈ヒ〉もうち続く戦乱に疲れ、天皇家以外に力を貸す事で徐々に変質していき、やがては伊賀・甲賀の忍びと変わらぬ存在に。
 この世から戦を無くそうといまだ産霊山を探し続ける〈ヒ〉の末裔もいますが、陽の鬼道衆ともいうべきヒの男たちの影には、「オシラサマ」と呼ばれ古来闇から闇へと葬られたヒの女たちの存在があり、彼らの歴史が決して輝かしいばかりでない事を窺わせます。中盤からは日ごと夜ごと砂を食んで生き、太陽から遠ざけられ地の底に白子の蛇に似た身をうごめかすだけのこの「オシラサマ」の登場が増えてくる。
 ストーリー的には両者を繋げ、後の『妖星伝』へと止揚する龍馬編の第六話「幕末怪刀陣」が頂点。ここまでの流れに比べると、〆の戦災編から現代編まではちょっと駆け足過ぎるかな。割と綺麗に纏めてますが、伝奇小説としては処女作『石の血脈』の方が遥かに荒削りかつ魅力的で、全体の採点はギリ7点。

No.485 5点 柳生十兵衛死す- 山田風太郎 2021/02/14 15:25
 大和と伊賀との接点にちかい山城国大河原、茫々と薄墨に染まる木津川のほとりの砂州の上に、一人の男があおむけに倒れていた。「こんなことが! 我らの殿をかくも見事に斬るとは!」そこに転がっていたのは天下無敵の剣豪・柳生十兵衛の骸。が、かれの目は、なぜか開かぬはずの方がかっと見開いていた! 室町と慶安を舞台に250年の時空を超えて飛び交うふたりの柳生十兵衛・満厳と三厳。剣の奥義と能を媒介とする、壮絶無比の大幻魔戦。傑作『魔界転生』より三十年余りの時を経て今描かれる、十兵衛三部作堂々の完結編!
 一九九一年四月一日~一九九二年三月二十五日まで、毎日新聞朝刊に約一年に渡って連載された、著者最後の長篇小説。ただし「うおお燃えるぜ~!」というアオリの割には、あまり出来が良くありません。綺羅星の如き剣豪同士の取り組みを見せた剛球一直線の前作と比べると、内容的には大きくパワーダウン。タイムトラベルという魔球を繰り出して対抗してますが、『八犬傳』なぞと並べると明らかに物語のバランスが悪いです。まあ脂の乗り切った頃に匹敵する色気を、七十近いヒトに出せ、と言うのが無理な注文なのですが。
 「誰が十兵衛を斬ったのか?」を冒頭に置いて、慶安三(江戸1650)年と応永十五(室町1408)年、二つの時代を交互に語る構成。慶安の十兵衛三厳の相手は108代後水尾法皇・紀州大納言徳川頼宣・張孔堂由比正雪に加え長宗我部乗親・丸橋忠弥の兄弟。室町の十兵衛光厳の相手は三代将軍足利義満・義円ことのちの六代将軍足利義教・100代後小松天皇、そして陰流の祖・愛洲移香斎など。この争いに月ノ輪の宮こと109代明正天皇を始め三厳の弟子・金春七郎やその妹りんどう、齢十五歳の一休禅師やその母伊予の方などが絡むストーリー展開。さらに過去を語る夢幻能を能楽師・観世座世阿弥と竹阿弥が操る事により、二人の十兵衛がそれぞれ異なる時代の十兵衛に成り変わります。
 二つの筋にいずれも天皇家が絡んでスケールは大きいんですが、慶安サイドの狙いはイマイチ不明。大物大集合で「これで勝つる!」みたいな感じで、具体的に何する気だったのか最後まであやふや。我らの十兵衛三厳も前二作とは全くの別人で、剣だけのカリカチュアみたいな人になっちゃってます。最低限の常識は持ちながら、いざとなれば徳川家をも吹き飛ばす啖呵と、ニヒルな諧謔味を併せ持つキャラだったと思うんですけど。少なくとも評者の知ってる十兵衛は「ぐわはははは!」とかそーいう笑い方はしません。
 三十年ぶりの登場で江戸十兵衛がちょっとおかしくなってるんで、相対的にマトモな室町十兵衛に話のウェイトが掛かってくるのはもうしょうがない。義満の狙いもハッキリしてるし、こっち側には最後の大ネタも控えてるんで余計そう。今回『柳生~』や『魔界~』と異なり、「剣で全てを押し通す!」ってなってるのも不味いですね。本書の十兵衛たちはホントに剣だけなんでそれじゃダメ。千姫とか父宗矩とか老中智恵伊豆とかの、政治的な後始末をする人間がいないといけない。
 このまま行くとタイムパラドックスに抵触するんじゃないの? とか考えてたら、やっぱりそういう結末でした。風太郎ワールドは今まででも十分奇想なんで、ヘタにSF要素とか持ち込まない方が良かったんじゃないかなあ。腐っても山風だし酷くはないけど、そういう意味で採点は4点寄りの5点。

No.484 7点 化粧槍とんぼ切り- 森雅裕 2021/02/13 07:48
 発行部数が200部にも満たない私家版として発表された第十九作『さらば6弦の天使』に続く、森雅裕最後の商業出版長編(厳密にはこの後にもエッセイ集『鐵のある風景』と『高砂コンビニ奮闘記』があるが)。ラストに相応しく、読んでいて心に爽やかな風の吹く小説である。その高評価から、もっと以前の発表かと勝手に思い込んでいた。一旦仕切り直した後でのこの内容は素晴らしい。隆慶一郎『一夢庵風流記』にも通ずる味がある。『一夢庵~』で思い出したが、第一話「立葵の娘」では、〈あの人〉が性懲りも無く似たようなワガママをやっている。ある意味この年代のお約束かな。
 時代設定は天正十七(1589)年から寛永初年(1624年以降)まで。豊臣秀吉の北条討伐より関ヶ原と大坂冬夏の陣を経て、元和偃武から寛永初期、徳川家光の世に至る乱世の終了から治世の土台固めまでの時代を、運命的な婚姻で結ばれた本多忠勝の娘・稲と真田昌幸の長男・信之を中心に綴っている。武人の時代から吏僚の時代へと移り変わる中、新たないくさに臨む本多家と真田家、両一族の物語である。
 オリジナルな切り口は、〈徳川四天王忠勝の看板道具・名槍蜻蛉切りは、果たして徳川に祟る刀工村正か否か?〉を巡る第一話以外特に無いが、人物描写の膨らみは大きく、主人公となる稲こと小松の清々しい振舞いと、彼女の器に惚れ込んで謀略ついでに本多家に居着いてしまう元真田の忍者・望斎のとぼけた切れ味、三話から四話で父譲りの十文字槍をきらめかせる忠勝の次男・忠朝の姿は印象に残り、作品全体を豊かなものにしている。
 また料理道楽の望斎が事ある毎にお出ししてくる、凝った献立も良いアクセント。こういった遊びはこれまでの著者には無かったもので、とても良い。信之夫妻と対の存在になる本多正信の娘・一重と正寛こと四代村正の夫婦も、全五話を通じてしっかりストーリーを支えている。最初は8点にしようかと思ったが、ややオリジナリティを欠くので7.5点。
 なおwikipediaによれば、三河文殊派の刀工・正真(まさざね)と村正一門との関係には諸説あるが、地域・作風・年代から少なくとも技術交流があったのは確からしい(同じく三名槍・日本号の作者である金房正真も含めて、三者は同一人物という説もある)。作中、本多忠勝が正真の方の槍を砕き折っているが、実際本多家には同じ模様が彫られ、作者も同じ〈もう一つの蜻蛉切〉が伝わっていたという。ただしこちらの消息は不明。ミステリの題材としてもかなり面白そうである。

No.483 5点 会津斬鉄風- 森雅裕 2021/02/12 14:14
 1996年刊。『平成兜割り』以来五年ぶり四冊目の作品集で、安政三(1856)年から明治元(1868)年まで、幕末激動期の会津藩や新選組を軸に、河野十方翁春明(金工)⇒古川友弥こと十一代和泉守兼定(刀工)⇒佐川官兵衛⇒唐人お吉⇒そして新選組副長土方歳三と、主人公を数珠繋ぎに交代させてゆくリレー形式を採っている。歳三の愛刀として最も有名なのも、会津藩のお抱え刀工だったこのノサダこと十一代兼定である。
 収録作は 会津斬鉄風/妖刀愁訴/風色流光/開戦前夜/北の秘宝 の五篇。黒船来航で世界各国と各種条約を締結、安政の大地震で混乱するなか講武所・海軍伝習所が開設され、大砲鋳造・洋式銃訓練・砲台建設など手探りながら近代化を進めていた頃から時代は急変。後半三篇では鳥羽・伏見の戦いから函館戦争に至る、滅びゆくもの達の姿が描かれる。
 妖刀騒ぎに隠れた密偵事件・坂本龍馬暗殺の真相・薩長と幕府軍、正面衝突直前での新夫入れ替わりとミステリ的な趣向はあるが、全般に枯れた雰囲気で黄昏れており、読んでいてそこまで楽しくはない。中では二つの鍔の真贋を巡って江戸の老金工と会津の若刀匠、職人の意地が火花を散らす表題作の練れた飄逸さと、松前藩重代の家宝の正体を五稜郭の戦い前の土方歳三が解く、変形の宝探し物「北の秘宝」が面白かった。だがトータルでは、森氏の作品中上位に来るものではない。この年4月『自由なれど孤独に』で編集者と衝突した後、8月に例の問題本『推理小説常習犯』が刊行されているので、あるいは後始末に絡む著者の心境が出ているのかもしれない。
 なお秘宝を齎した慶長十四(1609)年の花山院忠長の配流は、山田明裕『へうげもの』にも取り上げられた、猪熊事件(後陽成天皇期の公卿乱交スキャンダル)が原因。陰と陽で真逆だが、この両者には時代の切り口の面白さで通底するものがある。

No.482 7点 あじあ号、吼えろ!- 辻真先 2021/02/11 11:09
 太平洋戦争最末期の昭和二十年八月九日、ソ連参戦が噂される満州。ポツダム宣言受託の迫る中、国策映画の撮影を口実に、満鉄が誇る超特急あじあ号がハルピンを出発した。得体の知れぬきな臭さを纏う軍人乗客と謎の積み荷。果たして旅程に秘された極秘任務とは? 民間人も便乗した高速蒸気機関車に、赤軍と中国ゲリラの執拗な攻撃が迫る。鉄道マニア感涙の列車冒険巨篇!

 映画『暁の列車砲』撮影の為、演技心得の品川と共に内地からハルピンに出向いた東邦映画の活劇俳優・神住恭。だが肝心の満映関係者は一向に現れず、宿泊先の名古屋ホテルで無聊をかこっていた。そんな折も折、彼らにソ連宣戦布告の第一報が齎される。たまたま芸者と寝ていた関東軍少佐が、急報を聞いて口を滑らせたのだった。ホテルに登場したその芸者・小桜や品川と共に、神住はマーチョで駅まで急行する。ハルピン駅はソ連参戦の噂を聞きつけ集まった群衆でごった返していた。
 彼らを言いくるめようと、顔を赤くしながらその場限りの出鱈目を並べる司令部付将校。神住たちは将校の芝居に口裏を合わせ、出発間際の臨時列車、満鉄が誇る超特急『あじあ号』に乗り込む事に成功する。内地で鉄道学校を出ている品川は、助士心得として運行を手伝う羽目に。そして乗客は神住自身に加え、ほぼ同時に駆けつけた相手役の女優・潘白蘭と、付き人の仏山。満州日々記者の伊原に引率役の西山一等軍医と、少年軍属の小野田。それに機関士の奥田と今泉。そして小桜。総勢十名を乗せて、『あじあ号』はハルピンを脱出するのだ。
 だがニヒリストの神住は密かに危惧する。今の関東軍にソ連を撃退する力があろうとは思えない。なぜ要人脱出のために、『あじあ号』をとっておかないのだ? 今の時点で絶対に走らせねばならぬ理由が関東軍にあるのか? 第一そんな重要な臨時列車に、どうして俺たちを乗せてくれるのだ?
 早くもソ連の空軍機・ポリカルポフI-16の急襲を受けつつ、幾多の謎を孕んで『あじあ号』は疾駆し始める。数百万の敵軍が潜む、満州の広大な原野に向けて――
 徳間書店編集部から「満鉄の『あじあ号』で冒険小説を」との注文を受けた著者が、資料と首っ引きの末二年がかりでゴールに転げこんだ労作で、満鉄開業から約95年後、西暦2000年の発表。思う様紙幅を費やした『あじあ号』の駆動運転シーンや給水給炭などの手間、路線図や駅舎・列車の構造を熟知した上での各種アクション、当時の風俗から地理関係に至るまであらゆる面での考証は徹底しており、楽しみながらの執筆なのが描写の端々から窺える作品。氏の長篇としても最重量クラスと言えます。
 巻末あとがきで、鮎川哲也が書いた満鉄メインの時刻表ミステリー『ペトロフ事件』に驚嘆し、「いつか『駅馬車』スタイルのアクションをやってみたかった」と語る辻氏。当初の乗客に加え阿片窟帰りの上官を殴り倒して隠れていた元オリンピック射撃候補・轟少尉と、東洋のマタ・ハリこと清朝王女・川島芳子も途中加入。
 戦闘機の波状攻撃を躱しながら必死の逃避行を試みる中、十二名となった乗客のうち果たして誰が生き残るのか、幾度も不可解な動きを見せる仕掛人にして関東軍少佐・上杉の狙いは何か、そして行く先々に現れるゲリラに情報を流しているのはどの乗客なのか? といった謎と興味で引っ張るストーリーで、いわゆるテツに留まらぬミリオタ趣味もてんこ盛り。パンピーメンバーも十分に書き込んだ後ペアで組ませてキャラ立てし、読者に提供する熟練の上手さ。存分に考え抜かれた、清原駅や撫順⇒蘇家屯間での突破・迂回作戦には唸ります。
 難点はあまりにも限定された状況+帝銀事件という事で、関東軍側の意図が類推し易い事。ただし内容的には、やや萎え気味の謀略を十分以上に盛り上げています。紛れも無い力作で、どう転んでも6.5点から8点までのいずれか。

No.481 4点 吸血鬼と精神分析- 笠井潔 2021/02/09 09:57
 バスティーユにある要塞のようなアパルトマンで、ウラジミール・カリーニンと名乗る謎めいた入居者が惨殺される。床には“DRAC”の血文字が残されていた。それから程なくパリ東部のヴァンセンヌの森で女性の焼屍体が発見され、その躰からはすべての血が抜かれていた。連続する第二、第三の失血殺人。果たして亡命者殺害と連続殺人は関連するのか? 
 一方ミノタウロス島での事件以来、慢性的な体調不良の続くナディア・モガールは、旧友シモン・ロチルドの勧めで精神医ジュリア・ヴェルヌイユの診療室(クリニク)を訪れるが、そこでタチアナという来談者から奇妙な依頼を受ける。一連の出来事がつながったとき、そこには意外な真相が――。稀有なる観念論的推理シリーズ、待望の第六作。
 『オイディプス症候群』に続く六番目の矢吹駆登場作品で、『吸血鬼の精神分析』なるタイトルの雑誌「ジャーロ」13号~31号(2008年3月から2003年9月まで)連載分に、大幅加筆して刊行されたもの。今回のテーマ及び哲学者は一人二役/二重人格と精神分析家ジャック・ラカン。フロイト以来の精神分析理論の変遷を軸に、母系制神学と父系制神学の太古からの対立を根底に据え、第三作『薔薇の女』以来の猟奇殺人を扱っているが、手さばきは正直微妙。単行本で800P、文庫本で上下巻1000Pになんなんとする大作だが、ミステリとしての骨格は貧弱で、そこまで量を要求する程の内容ではない。
 全体の1/3ほど来て、カケルの登場からは結構サクサク進むが、ここまででも単行本で260P以上。深夜の射殺事件と連続猟奇殺人は勿論関連するのだが、物語密度の割には一々尺が長い。話が動き出すのは文庫版上巻の後半以降からなので、材料を〈ヴァンピール〉事件のみに絞り不必要な文章を削れば現行の半分程度で済む上に、格段に質も上がるだろう。精神分析云々や神学論も最終的に機能してはいるが適切な分量とはいえず、あえて言うなら枝葉のウンチクが多すぎる。
 20Pに渡るカケルの分身現象の定義と考察は徹底しているが、肝心の結論がしょぼいのでこれも微妙なところ。全否定はしないが、かといって無条件に礼賛するのも難しい。日本編オープニングの『青銅の悲劇 瀕死の王』もこんな感じらしいので、少し悩んでしまう。
 逆に良いのは後半の煮詰まった対峙部分。この辺は処女作以来のノリの良さで、上手く仕上げている。オカルト紛いの最後の展開には眉を顰める人もあるだろうが、久々にカケルの底意地悪さが全開でいい。こういった路線でコンパクトに纏めてくれてれば良かったのだが。
 ストーリーは本来5点相当。ただしくどめの語り口その他のマイナスで4点。『バイバイ、エンジェル』も『サマー・アポカリプス』も一気呵成の書き下ろしだったし、連載終了後の大幅加筆形式は、この人にあまり向いてないのではと思う。

No.480 7点 方壺園- 陳舜臣 2021/02/07 13:46
 昭和37(1962)年11月、中央公論社より刊行された著者の第一作品集。収録は表題作ほか 大南営/九雷渓/梨の花/アルバムより/獣心図 の六篇。以前『獅子は死なず』の評で〈本書の構成は著者の本意ではない〉旨説明したが、新たに加わった「梨の花」「アルバムより」のどちらも密室状況を扱っており、結果として世に出た『方壺園』は「大南営」を除き、ほぼ密室か準密室作品ばかりで固めたものとなった。意図しての狙いかどうかは分からないが、編集方針としてはこちらが正解であろう。各篇のトリック自体は少々物足りないが、エキゾチックな題材と当を得た人間智、加えて歴史背景や描写の確かさで巧みにそれを補っており、戦後初期に於て類例の無いミステリ短篇集と言える。
 表題作の「方壺園」は大唐の元和十三(818)年、安史の乱による疲弊から14代皇帝・憲宗の努力により、一時的に中興した中国・長安における事件で、実在した幻想派の鬼才・李長吉こと李賀の残した詩稿に絡む憎悪と憤懣、さらには遊里における文名をめぐって起きた現実離れのする殺人を描くもの。
 その舞台となるのは高さ十メートル、三楼層の壁で囲まれた、「方壺園」と呼ばれる小さな四阿。都に聳え立つこの〈壺の化物〉の中で、持主の豪商・崔朝宏邸に居候する詩人・高佐庭が刺殺されていた。さらにその一年後、おなじ場所で首をくくって死んでいる洛陽豪門の子弟・呉炎のなきがらが発見される。縁起でもない建物だと、崔はこの際園を壁ごと壊してしまうことにした。その工事のさなかある偶然の出会いにより、司直も匙を投げた怪事件の謎が解かれるのだが・・・
 手を替え品を替え語られる、園内への侵入・脱出方法。絵面的にはいずれもバカミスに近いが、最後のセンテンスで全てを哲学風に昇華してしまった作品。作中年代はこれが突出して古く、他は千年近く下るかほぼ近代以降となる。中では国共合作前の1934年、抒情詩人を兼ねた紅軍の革命家・史鉄峯護送の際に起きた、事故とも殺人ともつかぬ出来事を語る「九雷渓」が、細やかに伏線が巡らされていて出来が良い。
 「大南営」では甲午光緒二十(1894)年の清朝末期、日清戦争に二万の兵隊が出向いた後の空営で一人の将校が殺されるが、トリックよりも探偵役となる上官・王界のキャラクターと、不穏さを孕んだ結末に妙味がある。三字題以外の二篇では「アルバムより」が彫りが深くていい。戦争終結工作のために内密に神戸に招かれ、日本滞在中のある事件以後はまったくの廃人と化した青年政治家・鄭清群。二十数年後消えるように亡くなるまで、遂にその精神は回復しなかった。細長い翡翠を指でもてあそぶ清群の癖と、彼に献身する老女中・阿鳳(アフォン)の姿が印象に残る短篇。タイトルこそ長いが、ラストの意外性と読後感は三字題作品にも通ずる。「梨の花」は密室物のアンソロジーピースだが、トリックが専門的に過ぎてややアンフェア気味。
 トリの「獣心図」は雑誌「宝石」昭和37(1962)年1・3月号に、懸賞付き犯人当て小説として分載されたもの。ムガル王朝四代皇帝ジャハーン・ギールの長子フスラウの死について語った十九世紀末の偽書、「沈黙の館(ハーネ・ハーモシュ)」の引用という体裁を取っている。二重殺人の筋書きは他愛ないが、決定的な手掛かりを最後に詩篇として掲げる試みは、なかなか面白い。インドが舞台の国産ミステリというのも稀少で、この頃だと他には山田風太郎「蓮華盗賊」があるくらいか。いずれも独自性に富んだ、読み応えのある作品集である。

No.479 7点 高貴なる殺人- ジョン・ル・カレ 2021/02/05 16:01
 名門パブリック・スクールを擁する陰鬱な田舎町カーン。引退した大戦時の元スパイ、ジョージ・スマイリーは、ある殺人事件の捜査のためこの地を訪れた。被害者は現役スクール教師の妻。彼女は「夫に殺される」という投書を、スマイリーの旧友エイルサ・ブリムリーが編集する雑誌に送っていた。だが、警察の調査結果は夫を犯人とする説を否定し、事件の鍵が学園内にあることを示していた。伝統に固執し、外部との接触を嫌う学園関係者――そのかたくなな態度に懊悩する彼の前に現われたものは、第二の殺人事件だった! スパイ小説の巨匠が名門校の虚妄を描く、唯一の本格ミステリ!
 先頃お亡くなりになったエスピオナージマイスター、ジョン・ル・カレの『死者にかかってきた電話』に続く第二長篇にして、ただひとつの純粋ミステリ作品。1962年の発表で、今回は再読。初読の際には「あんまオモロないな」「この人スパイ物以外は駄目なんちゃう?」といった印象でしたが、偶々ブックオフで100円再ゲットしたのと、amazonレビューその他の高評価に釣られてリベンジアタック。じっくり読み返すと成程かじかむような寒気の描写も鋭く、皮肉なタイトルに暗示される醜悪な真相に至る過程で、英国階級社会のどうしようもなさを見事に暴き出しています。ぶっちゃけシムノン並みにすげえ地味かつ辛気臭い話ですが、それはそれでアリかと。
 被害者ステラ・ロードは北部ブランクサムの名家グラストンの娘ですが、英国国教会の信徒ではなく、彼女の夫スタンリーも普通校グラマー・スクールの出身者。この夫婦が上から下までガチガチの既卒OBで固めたパブリックスクールに乗り込むのですから、摩擦が起きない訳はない。改宗したとは言え周囲からは白い目で見られ、必死にカーン校に馴染もうとする夫との間にも徐々に亀裂が。そんな冬の夜、ロード家の温室のなかでめった打ちにされた血まみれのステラが、いったん招待先へ試験答案を取りに戻ったスタンリーによって発見されます。これもカーンのOBである地元の警察長官はスキャンダルを怖れ、被害者の所持品を盗んだと思われる "気ちがいジャニー" こと狂女ジェイン・リンの仕業として、全てを片付けようとするのですが・・・
 スマイリーとの邂逅の際に、〈銀の翼をひろげて、悪魔が飛んでいくのを見た〉と語るジャニー。十五回から二十回ちかく鈍器で殴りつけられた、無惨なステラの死にざま。カーンから四マイル北方の街道の溝に投げこんであった、凶器の同軸ケーブル。難民救済事業への献身や狂女に見せる優しさ、ハンガリーからの避難民をめぐる同僚の妻とのいざこざや、それとは裏腹の愛犬虐待などの、カーンにおけるステラの矛盾する言動。「郵便配達夫に犬が咬みついた」という明らかな嘘。「夜の長い季節のうち、夫に殺される」という言葉の真実。これらの諸要素が一つに纏められ、解明に繋がっていきます。
 厳密な定義も無い時期に、○○○○○を謎解きに組み込んだ先駆的な作品。読んだことは無いですが、レジナルド・ヒルに似た味わい、という声もあるようです。それでも処女作の方がシンプルでいいと思いますが、単純に切り捨てるのも惜しい出来。好みでないもののこの時期の重厚な英本格としては佳作か準佳作クラスで、採点は7点ちょうど。

No.478 6点 改訂・受験殺人事件- 辻真先 2021/02/01 10:33
 世田谷の私立・西郊高校きっての秀才、有原秀之の死にざまは、まさにエドワード・D・ホックの "長い墜落" だった。自殺を予告して三階の校舎の窓から飛び降り、実際に死体が発見されるまでの四時間のあいだ、彼はどこに消えていたのか? 有原の死を殺人と考える牧薩次と可能キリコは、同級生の父親で出版社社長・田辺充の求めに応じて事件の詳細を小説にするが、その中に第二、第三の仲間の死が加えられることになろうとは、名探偵コンビの思いも及ばぬことだった。
 校歌に見立てたかのように繰り返される連続殺人。高校生探偵スーパー&ポテトが活躍する、青春三部作完結編!
 『盗作・高校殺人事件』に続いて発表された、シリーズ第三長編。同時期のアニメ脚本担当回は『超電磁ロボ コン・バトラーV』『ジェッターマルス』など。今回は再読ですが初読の際はメタ趣向の強引さのイメージが強く、前2作よりワンランク落ちると思ってました。が、改めて読み返すと悪くないかも。事件は全部で三件ですがホックに挑戦した墜死よりも、路地に面した喫茶店とパチンコ屋コンパチの、細長いパーティー会場が舞台となる撲殺事件の方が面白い。シチュエーションや小道具の使い方にも面白みがあり、結構考えてあります。雲泥の差とまでは言いませんが、約二年のインターバルを置いて発表された四作目の『SF~』とは大違い。波が激しいのはやはり兼業作家の宿命でしょうか。
 辻氏の早書きは有名で、喫茶店でコーヒー飲みながら雑談してる間に、アニメ1話分の脚本を書き上げたこともあるそうですが、そんなとんでもない人でも、コンスタントにミステリの良作を提供するのは難しいのかもしれません。ただジュブナイルなのに本歌取りされるミステリ作家がホックやロースンと渋く、相当の年季が窺えます。
 校歌の歌詞に従った全三部を、それぞれ前半スーパー後半ポテトで物語る構成。これを「犯人のはしがき」「犯人のあとがき」が、匿名でサンドイッチしています。おおまかな狙いは予想出来ますが、手口がムリヤリ過ぎてやっぱり感心しないなあ。前二作でああ持って来てるから仕方ないんだけど。
 作中でもポテトが(なんだってこんどの事件は、やたらにトイレの話が出てくるんだろう)なぞと回想しておりますが、そのトイレに絡んでの伏線もなかなか。意外な犯人も用意されていて、ストーリーも軽快。内容的には前作と同等か、あるいは凌ぐかも。メタ的な部分以外は手抜き無く作られた作品で、採点は6点。三部作の中でも突出して胡散臭いカバーですが、見た目ほどアレではありません。

No.477 6点 結婚って何さ- 笹沢左保 2021/01/31 12:06
 手酷く振った係長に難癖をつけられ、臨時雇いの遠井真弓と疋田三枝子は、せっかく就職した会社を辞めてしまった。憂さ晴らしにしこたま酔っぱらった二人は三軒目のバーで、こちらも仕事を辞めたばかりの男と意気投合し、三人で連れ込み旅館に泊ることに。翌朝起きた二人が見たものはソファの上で死んでいる件の男と、最後に真弓自身が鍵をかけた、完全なる密室だった。殺人事件と男女の恋愛が絡み合う長編ミステリー。
 『霧に溶ける』発表後ほどなく勤め先を退職し本格的な創作活動に入った著者が、東都書房より書き下ろし刊行した第三長編。タイムリミットこそ無いものの、濡れ衣を着せられた女性が、警察に怯えながら自力で犯人を突き止めようとする巻き込まれ型の筋立てで、初期だけあって軽めのタイトルとは裏腹に手堅く纏めた作品。
 序盤に片割れの三枝子が東京を彷徨い歩くうち制服警官に尋問され、半狂乱の果てに国電線路に飛び込み轢殺されるシーンがあってびびるが、それ以降は被害者の港郵便局員・森川昭司の持っていた弁護士・伴幸太郎の名刺と、河口湖⇒東京間の切符を手掛かりに、一路山梨方面に向かう展開。河口湖畔で弁護士の足跡を追う過程で、伴の妻・早苗と後にペアを組む姉に自殺された若い男・水木隆二が真弓に接触し、更に幸太郎が最近、同じ富士五湖の一つ・西湖で水死を遂げた事も早苗の口から告げられる。
 相棒・三枝子の唐突な死も作者の計算に入っており、読み進むうちそれも分かってくる。作中時折挿入される捜査の進行状況が、サスペンスの盛り上げと共に登場人物の動きの解明に使われており、この辺りの呼吸は上手い。だが犯人と思われる人物はいずれも堅固なアリバイに守られ、密室トリックは解けたものの読者は最終章まで目隠しされたまま、見えそうで見えない真相にヤキモキさせられる事になる。そこから氷解に至るヒントは自身も元郵政省簡易保険局員だったこの作者ならではで、シンプルなメイントリックを最大限に活用している。
 ただ終盤アクション連続の割に、最後は犯人の自白でアッサリ片付ける結末はやや強引か。証明難度の高さは笹沢長編の弱点だが、終始追いつ追われつの本書では特にその欠陥が出ている。時代背景もあるだろうが、好んでドツボに嵌るような主人公カップルの行動も感心しない。長所もあるがそういう訳で、採点はギリ6点。

No.476 7点 霧に溶ける- 笹沢左保 2021/01/30 10:38
 輝かしい未来と膨大な特典が約束される、ミス全国OLコンテストの最終選考に残った五人の美女たち。最終審査を目前にして、彼女らのうちの四人が次々と死傷する。だが犯行現場では、候補者たちの不審な行動が目撃されていた。そんな中、唯一無疵の女への疑いが浮上する。が、そこには密室の謎や巧妙なアリバイが立ちはだかっていた。世間の注目を集める事件に、警視庁は総勢九名から成る「特別捜査班」を設けて追及を開始するが、やがて彼女も脅迫されていたことが発覚し――。完全犯罪の企みと女の狂気が引き起こす予測不能の本格ミステリー。
 惜しくも1959年度第五回江戸川乱歩賞を逸した処女作『招かれざる客』発刊の翌月に書き下ろし刊行された、著者の第二長編。この年十月~十二月には『結婚って何さ』から『死と挑戦』に至る諸長編が続けざまに発売されており、中でも第四長編『人喰い』は水上勉『海の牙』と共に、新人ながら翌1960年度の第14回日本探偵作家クラブ賞に選ばれました(他の候補作は佐野洋『金属音病事件』、結城昌治『長い長い眠り』など)。誠に将棋における藤井聡太並みの、華々しいデビューを飾ったと申せましょう。
 "当時のぼくはこの四冊に、惜しげもなく多くのトリックを投入した"と、笹沢自身も後に語る、最初期の書き下ろし四長編。その中でもマニアに一、二を争う高い評価を得ているのが本書です。ストーリーのキモは漠然と知っていましたが、本サイトでも評判がいいので「どんなもんやろ」と、おもむろに手を出してみました。
 結果は「うーん」。発想の軸はアレと言うよりこの七年後に刊行された、某山風忍法帖に当て嵌まるのですが、風太郎作品の方が後続だけあって問題点も難なくクリアしてる上に、読んでて楽しい。本家のオリジナリティは買えますがギスギスした読み心地で失点も多く、「凄い!」とまでは行きません。ずーっと前に書評した梶龍雄の『清里高原殺人別荘』みたいな感じ。あそこまで会話は酷くないので、それほど点は下がりませんが。
 一部ネタバレしますが、欠陥は利害関係に由来するもの。倉庫の事件の相手には直近の脅威として認識されているので、とても素直に応じてくれるとは思えません。岸壁沿いの事件とは異なり特に限定条件は無いので、わざと日取りを変えられるだけでも致命傷。この件に限りませんが当然シレッと興信所に手を回して尾行させ、一石二鳥の追い落としを狙うのは誰でも考えるので、実行者の動きは計測不能。事が上手く運んだのは単なる僥倖でしょう。〈事故で片付ける〉方針の割には冷蔵庫への締め込みも計画されるなど、手放しで称賛できる手口ばかりでもない。殺してくれと言わんばかりの川俣優美子の生活習慣その他も、ちょっと出来過ぎ。
 というふうに色々文句も付けましたが、メインの構想と盗撮事件で導かれた共犯者の意外性、トリックてんこ盛りの内容は素直に凄い。願わくばもっと充実した筆致で読みたかった作品ですが、現時点でも昭和三十年代の秀作として、取り上げる価値は十二分にあるでしょう。

No.475 7点 楽園伝説- 半村良 2021/01/29 08:31
 マンモス企業・超栄商事のエリート課長伊沢邦明は、失踪中のかつての上司・島田義男の轢逃げ事件に出くわしたことから、巨大な地下組織の存在を知る。その組織は、大企業の秘密をネタにサラリーマンの楽園(パラダイス)を作ろうとしていた。平凡なサラリーマン生活に飽きていた伊沢は組織に接触し "王者の愉悦" に耽溺する・・・
 しかし、楽園をめぐり利害の対立する組織対組織の戦いは熾烈をきわめ、やがて伊沢自身もその渦中に巻き込まれていくのだった。伝奇推理の旗手・半村良が、直木賞受賞後最初に放つ長編 "伝説シリーズ" 第三弾!
 〈伝説シリーズ〉三作目にして半村良の第11長篇―― のハズなのだが、何故かオフィシャルサイト「半文居」(https://hanmura.com/)の著作リストには無い。本サイトの書籍データでも出版月は「1975年01月」となっているが、手持ち本の奥付には「昭和50年3月20日 初版第1刷発行」と記されている。この年には『雨やどり』での74年度下半期直木賞受賞を受けて、代表作『妖星伝』一部二部や『戦国自衛隊』『死神伝説』『夢の底から来た男』など、確認しただけでも六長篇三短篇集が刊行されており、かなり混乱していると思われる。とりあえず上記のNON NOVEL版裏表紙の解説を信じて、『亜空間要塞の逆襲』に続く十一冊目の長篇としておく。
 シリーズ中でも第二作『英雄伝説』と並んで評価の高い作品。内容もそれに違わず、謀略スリラー風の出だしから主人公の立場も二転三転していく。各社の機密情報を持ち寄って超党派の連合組織を構築し、現代サラリーマンを集めた秘密結社、奴隷たちの楽園を作り上げるという「パラダイサー」の発想は秀逸だが、読み進むとそれすらも既成権力の企みのうち、という事が判ってくる。だが「パラダイサー」の中にも〈シダ〉と呼ばれる彼らの預かり知らぬ組織が組み込まれており、その僅かな綻びがやがて静かな、しかし圧倒的な侵略の波へと繋がっていき・・・
 凝った筋立てと陣営を替える毎に切り替わる、主人公・伊沢の視点と認識の変化が読み所。初版袖の〈著者のことば〉によると伝説シリーズは「どれもタイトルは物語の入口だけを示し、その先までの道案内にはならぬよう心がけている」「もともとSFをふつうの小説と同じように読んでもらうことが、SF作家としての私の願いだった」とある。〈伝奇推理小説〉を謳ったシリーズだが、やはり半村はこれを日本SFの一作品として描いているようだ。ただ本書は、スリラーとして見てもなかなか秀逸。瑕瑾があるとすれば〈髭だらけの男〉こと林の正体が、最後まで不明な事くらいか。間接的なマインドコントロールの発想は、同年発表の海野十三風謀略SF『不可触領域』に、更に引き継がれてゆく。採点はやや甘くして7点。

No.474 7点 空白の起点- 笹沢左保 2021/01/28 10:50
 大手広告会社・全通秘書課員である小梶鮎子は大阪出張の帰途、眞鶴の海岸付近で男が崖から突き落とされるのを、上り急行 "なにわ" の車中から目撃した。驚くべきことに墜落死した男は、鮎子の実父・美智雄と判明する。果たして鮎子は、全くの偶然で父親の死を見たのか。たまたま同じ列車に乗り合わせた協信生命の腕利き調査員・新田純一は、被害者が多額の生命保険に加入した直後だった事に気付き、東日生命の調査員・佐伯初子と共に執拗なまでの追求に乗り出すが――。
 書き下ろし『泡の女』に続き、雑誌「宝石」誌に1961年8月~11月にかけて連載された著者の第十長篇。単行本化に際し、連載時の『孤愁の起点』から現タイトルへと改題。同年の発表には他に第八長篇『影が見ていた』がある。翌1962年3月からは本サイトでも評価の高い『暗い傾斜』の連載も「宝石」誌で始まっており、推理文壇のホープとして質量共に充実に向かう時期だと言える。本書に先駆けて最初期の書き下ろしである『霧に溶ける』『結婚って何さ』の二作を読了したが、充実した風景描写と印象的なヒロイン像も相俟って、この長篇が最も楽しめた。
 冒頭のキャッチーな掴みと過去の暗い翳を帯び対峙する男女二人の主人公、加えてサブヒロインとのせめぎ合い等、他サイトでは〈二時間ドラマ〉などとも言われているが、それでも焦らずじっくりとしたストーリーの進展には好感が持てる。笹沢の長篇は推理はともかく、犯人に開き直られると証明困難か不起訴濃厚と思えるものが多いのだが、本篇では探偵役と犯人とを宿命的に結びつける事で結末の不自然さを回避し、それと同時にショッキングな動機と悲劇の創造に成功している。トリックは少々物足りないが、初期のうちでも纏まりの良い作品である。
 なお今回のテキストには書影は無いが、1990年8月刊行のケイブンシャ文庫版を使用。それにしても笹沢の著書には、つくづく宇野亜喜良のイラストが似合う。

No.473 7点 犬橇(いぬぞり)- ジョゼ・ジョバンニ 2021/01/27 11:42
 自然を愛するあまり違法な狩猟者を射殺し、獄中生活を余儀なくされた男ダン・マーフィ。彼が住みなれたアラスカへ舞い戻ってきたのは、事件から五年後の冬だった。目的はアイディタロット1800キロ犬橇レース。毎年、数十組の参加者が争う危険きわまりないレースだ。ダンはあえて死を賭けた苛酷なレースに挑むことによって、もう一度生きる証を立てようとしていたのだ。激しい雪嵐、ライバルの妨害、飢え―― 数々の闘いが待ちうける雪原へ向かって、彼は橇犬たちを駆る! 仏暗黒小説の名手が厳寒の地アラスカを舞台に謳いあげる、鮮烈な男のドラマ!
 原題 "Le Musher" 。コルシカ生まれのノワール作家ジョバンニが主な題材としていたフランス暗黒街を離れ、あえて世に問うたアメリカ舞台の冒険小説で、『わが友、裏切り者』に続く12冊目の長篇(たぶん)。1978年発表。
 アンカレッジからノームまで千百六十九マイル、二十区間にわけられたコースを、ほぼ五十マイルごとにおかれているチェック・ポイントをクリアしながら、極北の原野を一日九十五キロ見当で完走しなければならないアイディタロット。橇犬の数は最大二十五頭ほどだが、代わりの犬をつなぐことは許されず、何頭脱落しようが失格したくなければひたすらゴールへ向かうのみ。優勝賞金は五万ドルで街中が熱狂するが、参加者からは死者も出るのだ。
 北極生物研究所の研究員としてマッキンリー山麓の自然公園に十五年間勤務しながら、仔持ちの白熊を撃とうとした有力者を射殺し妻に去られたびっこの男、ダン・マーフィーもこのレースに参加する。白人仲間につまはじきにされながらただ一人の友人ボブ・リーヴと、十歳をこした牝のリーダー犬エクリュークをはじめとする、十八匹の犬たちだけを頼りに。
 暗黒小説の雄としてのジョバンニには、数年前処女作『穴』で挫折して以来ノータッチのままで今回が初めて。獰猛な極地犬たちが丸々とふとった一匹のボクサー犬を胃袋のなかに収めてしまうショッキングなシーンを始め、随所にそれらしき描写はありますが全体としてはストイックかつ読み易い文体。
 着替えの衣類や防寒用のテント、薬や注射器その他怪我をした際の手術器具、地図・羅針盤・高度計、及び食料といった備品の調達や下準備。橇犬たちの訓練と、新たに加わったリーダー犬候補ブルとエクリュークのせめぎあい。再婚した元妻ヴァージニア・フィンソンとの交流や、その夫でありレースに参加する石油会社の副社長、グレッグ・ハーウェイとの対立。上客をダンに殺されたガイド役のハンター、マート・ミードルウストとの因縁・・・。それらの各要素が、全編の約半分に渡ってじっくりと描かれます。
 後半になると打って変わってスピーディーな展開。三月三日から二十三日まで、とんでもない悪天候に見舞われつつ短いセンテンスで、疲労し切って半ば亡霊と化した犬橇使いたちが描かれるストーリー運び。運営側もチェック・ポイントのトレースやコース整備が追いつかず、一日中橇を駆った末に前進どころか三マイル後退していたとかもザラ。競争と言うより実態は耐久レースに近く、死と隣り合わせの環境下で出場者の方々もバンバンお亡くなりになります。そんな中、出発時に継ぎの当たった装備を嘲笑されたダンは頑なに速歩のペースを守り続け、いきなり区間一位に食い込むのですが・・・
 ハードな自然描写と哀愁を帯びた結末が心に残る長篇で、彼のノワール作品よりも一般向け。7.5点相当ですが、8点を付ける人がいてもおかしくない。ただあのエピローグは虚しすぎるので、あるいは無いほうが良かったかも。

No.472 6点 聖少女- 三好徹 2021/01/27 10:04
 野坂昭如の名作「アメリカひじき」「火垂るの墓」と共に、第58回直木賞を受賞した表題作ほか三篇を含む初期作品集。収録作は 聖少女/背後の影/汚れた天使/鋳匠 。データが無いので確言出来ないのだが、焼失した鎌倉の古刹の鐘に纏わる鋳金師同士の相克と、秘められた戦慄の犯罪を扱った「鋳匠」は、宝石社から1964年に刊行された第一作品集(たぶん)「ナポレオンの遺髪」にも収められているので、おそらく収録作中では最も古いだろう。これを除けば残りの三作はいずれも女性の純粋さと無垢な惑わしをテーマに掲げたものばかりである。
 新聞記者を主人公に据えたミステリが多いが、著者自身も1950年読売新聞に採用試験首席入社した社会部記者。ちなみにこの時の次席はあのナベツネこと渡邉恒雄だった(年齢的には渡邉の方が四つ年上)。なお文藝春秋刊の初版本巻頭には、同社の先輩作家である菊村到・佐野洋両氏への献辞が掲げられている。
 ミステリとして良質なのはいわゆる〈青ヒゲ〉事件を扱う「背後の影」。雨の日の夜、Y紙記者・香月は夜勤の帰りがけ、馴染みの喫茶店から送ってくれた女性・飯沼美奈子にまったく不意にキスされる。二人の関係はそこで一応終わるが、それからしばらくして彼は喫茶店のマスター・瀬川から美奈子が結婚し、しかもその後わずか半月余りののちに行方が知れなくなったと聞かされる。そして彼女の夫である五十年配の男・菊本も直後に家を手放し、そのまま姿を晦ましていた。香月は新聞記者の立場を利用し、いなくなった二人の行方を追うが・・・
 筋立てはさほど凝ってはいないが、雨の夜の一瞬のキスシーンと亡き美奈子の残像が、主人公だけでなく読者の心にも深い影を残す、集中では最も印象的な中篇。
 同じく中篇「聖少女」は、どちらかというと普通小説に近い。表題作はある家庭裁判所の調査官が、十八歳の少年・丹野敬太が犯したホステス殺しの逆送(刑事処分相当と認めて検察庁へ送致すること)の可否について調べるうち、犯行前後彼が同伴していた上流階級の少女・立花英子のイメージを死んだ娘に重ね合わせ、執拗に追求していくストーリー。世代間の断絶と、単なる悪女とは隔絶した英子の見せる二面性が読み所である。純粋さと汚穢が同居するその魅力は、港ヨコハマに棲む「汚れた天使」の米兵娼婦アンジェラこと木沢則子において、さらに濃縮されている。

No.471 4点 SFドラマ殺人事件- 辻真先 2021/01/19 13:48
 ガールフレンドの兄・克郎の勤める夕刊SUN社から、ミステリの執筆を依頼されたポテトこと牧薩次は、その腕だめしに編集長からヤマトテレビのSFドラマ『超人テルル』の撮影取材を命じられる。が、ボーイフレンドの華麗な作家デビューを願うスーパーこと可能キリコの熱い期待に反して、薩次の筆は遅々として進まない。けれどそれとは裏腹に現実の『超人テルル』撮影現場では、SFじみた奇怪な事件が連続して起こった。
 テレポーテイションと見紛うばかりの自動車事故死、ロボット殺人、スタジオセットの宇宙船内での密室殺人。そして沈黙を守る薩次をよそに、夕刊SUN社にはこの事件を推理するミステリの原稿が届けられた。名づけて『SFドラマ殺人事件』――。
 作者は誰だ、犯人は誰だ。新たなる構想を得て、キリコ・薩次の名コンビ再登場!!
 昭和五十四年五月に刊行された、スーパー&ポテトシリーズ第四作。作中時間では青春三部作最終篇の『改訂・受験殺人事件』とほぼ並行して起きた設定で、事件の発生こそ若干遅いものの終息したのは実はこちらが先。「受験史上はじめての共通一次学力試験(現・大学入学共通テスト)」に接するキリコたちの姿が描かれており、真犯人の動機も一部前作と通底しています。そういう訳で本書はある意味『改訂~』の姉妹篇と言っていいでしょう。ただここまでで精魂尽きたのか、〈作者さがし〉なる定番のメタ的趣向もあまり生かされず、正直あっても無くても良いようなもの。派手な割には繰り出されるトリックも小粒で、最後の釣瓶撃ちで何とかという感じで決して満足の行くシロモノではありません。
 最初に提出される〈テレポーテイション云々〉は強烈ですが、劇中劇と重ねる見せ方が上手いだけで、実は只のアリバイ崩し。それもセオリー通りの奴で、回収されるのも序盤のうち。ただここで読者に事件の構図を読ませておいて、後で引っくり返すのはある程度評価できますが。
 同年の発表作は高一コース連載の『伝説 鬼姫村伝説』と次作『SLブーム殺人事件』。これに本業のテレビアニメ『キャプテンフューチャー』『サイボーグ009(第2期)』など四本の脚本作業が加わる訳で、書き飛ばしたとは言いませんが『伝説~』『SLブーム~』の評価も芳しくないため、辻氏の比重はこの時期アニメ脚本に移っているのかも。シリーズ第四~第六長篇がマトモに検討されてるのは他サイトでも殆ど見ませんが、やはりそこにはそれ相応の理由があるのでしょう。ジュヴナイルにしては味があるけれど、肝心の点数は5点寄りの4.5点。

No.470 6点 マツリカ・マハリタ- 相沢沙呼 2021/01/17 07:13
 雑誌「野生時代」二〇一二年七月号~二〇一三年三月号に掲載された三本の短編+書き下ろし作品を収めた、マツリカシリーズ第二集。収録作は 落英インフェリア/心霊ディティクティブ/墜落インビジブル/おわかれソリチュード 。前集同様「マツリカ・マトリョシカ」の下準備として読了。二集目のこれだけ書評数が少ないのは、やはりSM描写の露骨な気持ち悪さからだろうか。
 ただし「~マジョルカ」の緩さに比べると密度はより高まっており、人間消失と二重かつ極小の密室を扱った一・二話などはミステリとしても中々。ワンランク落ちるが、同じく人間消失もの(こちらは〈ロッカーに身を隠した目撃者〉による変型タイプ)の第三話も悪くない。前作レギュラーの小西さんに加え高梨君や松本さん、三ノ輪部長にOGの櫻井さん他の写真部関係者に加え、三話から登場のクラスメイト・村木翔子など主人公を取り巻く人たちも徐々に揃い始め、マツリカに頼り切りだった柴犬もいくつか探偵役を務めるなど、そこそこ頼もしくなってきている。ただしその分変態度も飛躍的に上がっているので、嫌いな人は嫌いなままだろうが。とにかく色々な意味で、シリーズの濃さは増したと言える。
 今回出食わす謎は〈旧校舎の通路で消えてしまった入部希望の新入生〉〈鍵が掛かっていた部室の中でいつの間にか全感光していたカメラのフィルム〉〈(ロッカーの中から)ずっと見ていた筈なのに、これも消えてしまったリカコさん〉の三つ。いずれも状況限定型で、一集目のような曖昧さは無い。これにマツリカの失踪と、全編を貫く怪談『一年生のりかこさん』の真実が明かされる最終話が加わる。『松本まりか』⇔『松本梨香子』⇔『マツリカ』からの誤誘導は達者なもので、〈読者の飛びつきそうな答え〉を用意するイヤらしさはちょっと『medium ~』を思い起こさせる。こういった所は、著者が趣味とする手品から来るものであろう。
 採点は6.5点。第三作『~マトリョシカ』を控え、内容も結構充実してきた。柴犬が小西さんに手痛い一撃を食らうなど、真綿で包むような人間関係が大きく動いたのも好印象である。

No.469 5点 マツリカ・マジョルカ- 相沢沙呼 2021/01/13 15:42
 学校近くの雑居ビルの窓から身を乗り出す女の子に気付いた事から、廃墟に住まう謎めいた年上の彼女――マツリカの魅力に囚われ、傅く羽目になった冴えない高校1年生・柴山祐希。「柴犬」と呼ばれいいように扱われつつも、〈人間観察〉を趣味とするマツリカに従い学園の謎に関わるうちに、クラスに居場所を見つけられぬ彼自身の心も次第に変化していく・・・。
 『午前零時のサンドリヨン』で鮎川哲也賞を受賞し華々しくデビューした著者が満を持して放つ、青春ミステリシリーズ第一弾。
 雑誌「小説 野生時代」二〇一〇年十一月号~二〇一一年七月号に掲載された三本の短編+書き下ろし作品を収めた、マツリカシリーズ第一集。収録作は 原始人ランナウェイ/幽鬼的テレスコープ/いたずらディスガイズ/さよならメランコリア 。三作目「~マトリョシカ」の評価が高いようなので、その下準備として読了。〈現実離れしたヒロインに依存する主人公〉というのは好きなシチュエーションではないのだが、いずれにせよサクサク読めるのは「medium ~」と同じ。最後に仕掛けはあるものの本書に限ればアッサリ系で、あれ程の吸引力は無い。
 なお一話目の「原始人ランナウェイ」は秋梨惟喬「殷帝之宝剣」、鳥飼否宇「天の狗」等と共に、第64回日本推理作家協会賞・短編部門の候補作に挙げられたが、キャラクター小説でありいささか弱いとの寸評が多く、残念ながら高評価は得られなかった。ちなみにこの時の受賞短編は深水黎一郎「人間の尊厳と八〇〇メートル」、麻耶雄高「隻眼の少女」と米沢穂信「折れた竜骨」が、協会長編賞を同時受賞した年でもある。
 最終話以外はマツリカの指示で、「手すり女」や「ゴキブリ男」といった存在を見張らせられる羽目になった柴犬が出食わす、〈旧校舎裏に現れ全力疾走する原始人〉〈全員がゴールしている筈なのに、一枚足りない肝試しのお札〉〈文化祭の上演直前、盗んだアリスの演劇衣装を脱ぎ捨てて消えた女の子〉といった日常の謎を解く展開。一話はどうとでも解釈出来る緩さだが、学園ものにしては結構ヤバげな二話目も、肝心の推理は〈そういう見方もある〉程度で、緩さはそれほど変わらない。多少とも整ってくるのは状況限定の三話目以降か。
 引っ込み思案で自分の殻に閉じ籠もる一方、マツリカの誘惑には年齢相応のリビドーを募らせる主人公・柴犬にはあまり同情できないが、三・四話ではモラトリアム状態から自己の閉鎖性に気付き、おずおずと外界に向けて踏み出す流れになっている。が、次作「~マハリタ」でも性格の根本は変わらず、その歩みは遅々としたものである。
 シリーズ最終作に向けていくつかの伏線が張られているようだが、見えてくるのは登場人物が揃い出してから。この段階で柴犬の傍にいるのはボーイッシュな写真少女の小西さんだけで、そこまで大きな進展は無い。ラストの「さよならメランコリア」で明かされる主人公の秘密も、読んでいくと薄々感じ取れてしまう。
 疎外と逃避をテーマに据えたライトノベルで、それなりに纏めているがミステリとしては薄味。シリーズとしての真価を知るには、次作以降を読み進むしかないようだ。

No.468 6点 さよならの値打ちもない- 笹沢左保 2021/01/12 08:21
 中堅繊維会社・丸甲毛織取引先招待旅行の代役ホストとして、はるばるヨーロッパ旅行に赴いた妻・澄江が、スペインのマドリードで服毒死をとげた。後日、病床に臥すその夫・営業部長五味川大作の許に、妻が死の前日に書いた絵葉書が届く。その葉書に偶然旧友と再会したと記されていた事を手掛りに、五味川は真相を探り始めるが、やっと捜しあてた女性・野添美沙子は既に二年前、嫁入り先の造り酒屋で縊死していた。では、妻が出会った人物はいったい誰なのか? 手掛りのないまま次々と殺されてゆく関係者たち。旅情豊かに描く長篇ラブ・サスペンス。
 雑誌「推理界」1967年7月号~1968年4月号にかけて連載された、『明日に別れの接吻を』に続く著者の第39長篇。同年発表の長篇には次作『猛烈に不幸な朝』や『魔男』があります。
 〈新本格派〉〈プロット本格の名手〉と謳われた人だけあってストーリーには工夫が見られ、亡妻から送られた二枚の絵葉書を巧みに用いることにより、ミステリアスな掴みと不可能興味の醸成、加えて本筋からの誤誘導に成功しています。
 職人風に手堅く纏められた○○もので、達者な筆致で描かれたロマンス中心の作品。全五章のうち第四章で犯人トリックその他は明らかになりますが、この段階でもいくつかの謎は残されており、トータルでは最終章で深情けに絆され、運命の地マドリードで苦悩する主人公・大作をどう見るかが最終判断の鍵になるでしょう。梶龍雄と並んで評価の高まってきているヒトなので、これが最高傑作という訳ではないでしょうが。女性読者の感想なども、できれば知りたいところ。
 恋愛ハウツー本なども含め380冊近くもの著作を物したのが災いし、週間文春のマニア企画『東西ミステリーベスト100』では、1985年版国内第60位に処女作の『招かれざる客』がランクインしたのみ。同2012年版での選出は無く、近年はやや忘れられた感もありますが、元はと言えば泣く子も黙る昭和の実力作家。掘り返せばまだまだ未知の佳作が埋もれている気がします。

No.467 6点 処刑までの十章- 連城三紀彦 2021/01/08 06:00
 結婚して十一年目のある朝、ひとりの平凡なサラリーマン・西村靖彦が突然消えた。彼の弟直行は、土佐清水で起きた放火殺人事件、四国や奈良の寺で次々と見つかるバラバラ死体が、兄の失踪と関わりがあるのではと疑い高知へ向かう。真相を探る度に嘘をつく義姉を疑いながらも翻弄される直行。彼は夫を殺したかもしれない女に熱い思いを抱きながら、真実を求めて迷路の中を彷徨う。
 海を渡る蝶・アサギマダラと、ショパンのノクターン・第ゼロ番のメロディが導く深い謎。消防署に届いた放火予告に記された時刻「五時七十一分」が示すものとは? 稀代の名手が闘病中に書き上げた、千枚を超す執念の大長編!
 雑誌「小説宝石」2009年1月号~2010年2月号、2010年7月号~2012年3月号にかけて連載された、著者最後となる33番目の長編。胃癌による闘病のためか、この時期の短編は「オール讀物」2009年6月号掲載の「小さな異邦人」のみで、最後の二年間は実質これ一本に傾注。バラバラ殺人や旅情ミステリー的趣向など、第24長編「わずか一しずくの血」と共通するモチーフは多いものの、肩透かし気味な結末の「わずか~」に比べればそれなりに読み所のある作品に仕上がっています。
 冒頭で失踪時の兄の行動と、「家に放火して出てきた」「蝶々になって土佐清水から飛んできた」と囁く女との逃避行が描写され、それに対置する形で高知の火災を知った兄嫁の純子と、弟の直行の調査や推理が進んでゆく展開。兄の足跡が残る多摩湖畔の旅館や土佐清水へ調査に向かううち、第三章でこの作者らしい仕掛けが用いられ「おおっ」となりますが、その後は概ね煮え切らない進行ぶり。肝心の火災は〈三角関係の果ての自殺〉で片付けられてしまい、データもロクに入らないまま義理の姉弟双方が疑心を募らせ、ああでもないこうでもないと仮説が積み重ねられていきます。
 大きく動き出すのは第七章後半以降、西村家に奇妙な時刻が書かれた寺の絵葉書が届き、それに従い四国四県の各寺で人間の体の一部が発見され始めてから。年明けと並行して純子と直行の二人も体の関係を成立させますが、お互いの疑心暗鬼は変わりません。そうこうするうち序盤の端役たちが意外な形でクローズアップされ始め、やがてあの多摩湖畔の旅館近辺で、今度はまた別の殺人が行われ・・・
 〈私は嘘つき〉とのたまう純子を始め、誰も彼もが思わせぶりかつ場を撹乱させる言動を。ストーリー自体は纏まったデータを持つある人物の告白で一気に収束に向かいますが、この結末だとここまでの長編にする必要は無いような。まあ失望まではしなかったからいいんですが。
 点数は遺作補正も入れてギリ6点。正直甘めに付けてます。

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雪さん
ひとこと
ひとに紹介するほどの読書歴ではないです
好きな作家
三原順、久生十蘭、ラフカディオ・ハーン
採点傾向
平均点: 6.24点   採点数: 586件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(38)
ディック・フランシス(35)
エド・マクベイン(35)
連城三紀彦(20)
山田風太郎(19)
陳舜臣(18)
ジョン・ディクスン・カー(16)
カーター・ディクスン(15)
コリン・デクスター(14)
都筑道夫(13)