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人並由真さん
平均点: 6.34点 書評数: 2217件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.157 5点 幽霊殺人- ストルガツキー兄弟 2017/04/02 22:32
(ネタバレなし~少なくとも具体的な真相も犯人も書きません)
 「おれ」こと警察監査官のピーター・グレブスキーは家族を残して、冬山の渓谷「壜の細顎」にあるホテル「山の遭難者」に宿泊。二週間のスキー休暇を楽しむ予定だった。だがそのホテルで、密室状況の殺人と思われる事件が発生。雪崩の影響で平地との連絡も取りにくくなる。さらに同宿の者がもうひとりの自分を見たとか、室内の女性が人形に変わったなどと怪異を訴える。そんな一連の怪事の裏には、意外な真実が隠されていた。

 タルコフスキーのSF映画『ストーカー』の原作でも知られる、ソ連時代のロシアの兄弟SF作家アルカジイ&ボリス・ストルガツキーが1970年に母国の雑誌「青年時代」に連載した長編作品。
 設定も導入部も後半ギリギリまでの展開も純然たるオカルトミステリ風で、実際に作者コンビはミステリの意匠で読ませ、最後の最後で<読者があっと驚くどんでん返し>を狙ったようである。内容は正にその狙いに沿ったものなのだが、日本では本作が邦訳・収録された叢書のレーベルから、どういう方向のオチか待っているか大方読めてしまう。まあ本書の邦訳(1974年)以前からストルガツキー兄弟といえば日本でも当時のソ連SFの重要作家(の二人)といわれていたのだから、どういった叢書で出ても作者名を意識した時点で半ばアウトではあるが。
 訳者の深見弾は本書のあとがきで、日本の読者はあらかじめこの作品の「戸籍」がわかっている、その上でこの物語がどういう形でその戸籍に収まるのか、それを楽しむべし、という主旨の言い方をしているが、これこそ言い得て妙だ。

 素直に読むならたしかに<そういう方向>に行くまでの展開も、真相が発覚後の筋立ても、それぞれの味わいがある。
 でもまあやっぱり、ポケミスで<ソ連のSF作家が書いた異色の、雪山での謎の怪事件!>とかなんとか言われながら、読みたかったよなあ。
 いろいろ複雑な思いを抱きながら、この評点。

No.156 6点 狼のブルース- 五木寛之 2017/04/02 12:28
(ネタバレなし)
 大阪万博の開催を数年後に控えたその年の半ば。34歳になる歴戦の一匹狼の事件屋・黒沢竜介は、財界の大物でもある参議院議員・南郷義明のひそかな依頼を受ける。その内容は、毎年の大晦日に放送される公共放送協会(KHK)の国民的歌謡番組「東西歌合戦」を潰してほしい、というものだった。南郷の秘めた思惑も聞かぬまま、自分の丈を超えた巨大な仕事に闘志を燃やす黒沢はこの依頼を受けるが、そんな彼に南郷の娘で30前後の美人・由里が接近する…。はたして黒沢は、助手である19歳のハーフ美少女・水島マリや友人のトップ屋・露木の協力を得ながら、見知ったあるいは初対面の芸能界の大物を訪ね回り、今年の東西歌合戦への参加が噂される人気歌手が出場を辞退するよう工作を続けた。しかしKHK側は、特別待遇の<無籍局員>として米国の怪物的な芸能プロモーター、ウイリー・ムントと密約。アメリカのセクシー女優、キャシー・キャノンフィールドに同行して来日したそのムントとともに、大晦日の特別番組をさらに巨大化させる企画を進めていた。そんななか黒沢の周辺で知人が変死。謎の敵の妨害は、黒沢自身の近辺にも及んでくる。

 1967年の3月から9月にかけて「スポーツ・ニッポン」に連載された和製ハードボイルド。1980年に刊行された著者の全集に挟み込まれた月報では「いま流行のバイオレンス・ノベル(こういうと正鵠を射てませんが)の先駆をなす傑作です」(原文ママ)とカテゴライズされている。

 内容は、主に1960年代前半に放送作家として活躍した著者の素養が活かされた、芸能界内を舞台にした謀略もの。物語の核のひとつに、当時の音楽業界を、KHK(もちろん『紅白歌合戦』のNHKがモデル)と、レコード会社業界+民放連、どっちが牛耳るかという、現実を投影した熾烈な抗争がある。ちなみに現実世界の「レコード大賞」そのものは1950年代から設立されていたが、『歌合戦』と同じ大晦日にその受賞特別番組が放映されるようになったのは本作が執筆された2年後の1969年からだった。その辺を意識しながら読むとさらに興味深いかもしれない。

 さらに本作が執筆された67年といえば、わかりやすいマンガ・テレビ文化で言うなら、その年の最後から原作『あしたのジョー』の連載が始まる時節で、ブラウン管では『パーマン(白黒)』『キャプテン・ウルトラ』『ウルトラセブン』がまだギンギンの新作だったちょうど半世紀前である。当然ながら社会総体のテレビメディアへの依存や期待ぶり・注目度など、現在とは隔世の感があるが、一方で米国の干渉を受けながら大国の利用を図らんとする日本側の思惑、社会の裏で生きる者の世代交代の軋轢など、21世紀の現代にもなお通じる興味も多く、旧世紀の風物や文化の描写のなかからその辺の普遍性を拾っていく読み方が楽しい。

 まあ当時としてはかなり前衛的だったのだろう主人公の描写(少年時代に確率2分の1のロシアンルーレットを自分自身に行い、その結果、常人にはない達観した死生観を得るとか)が、今ではまったくの厨二ラノベ風になってしまったのは、その後半世紀にわたる後発の読み物文化全般が爛熟したからだが。

 とまれ昭和の旧作活劇小説としては、もろもろの興味も含めて総体的に楽しめた。苛烈な残酷描写などはほとんどないが、それでも抑制された筆致でさりげなくしたたかに人間の暴力性や裏切り・打算が描かれているのは、作者自身の資質とこの時代の規制が溶け合った感じでとてもいい。さすがに部分的には、よくも悪くも21世紀の新作なら絶対に描かれないという感じの、甘い描写や展開もあるけれど。

 登場人物も主人公の黒沢や彼の恩人である政界の黒幕・北波老人など印象的なキャラクターが少なくないが、特にダブルヒロインの片方のマリが魅力的。以前は横浜のズベ公のリーダーだったがまだ処女で、主人公の黒沢に恋焦がれながらも、やさぐれた自分を意識する黒沢の方は彼女を大事に思って手をつけないという、男性読者のある種の願望を充足(どっかミッキー・スピレイン風だ)。一方でマリの方はそれが悔しくて、暑い夏の日にわざとビキニの水着で事務仕事をして黒沢を挑発するあたりなど、読んでいて脳がとろける。ここはいやらしいオヤジの感想でした。

No.155 6点 ルパン、100億フランの炎- ボアロー&ナルスジャック 2017/03/31 23:08
(ネタバレなし)
 1919年の春。前年11月に終結した世界大戦の傷跡がまだ生々しいフランス。怪盗紳士ルパンは新たに部下に加えた青年ベルナルダンとともに、大物御用商人グザヴィエ・マンダイユの屋敷に忍び込むが、富豪のはずの同家はすでに凋落の気配が漂っていた。美しいマンダイユ夫人ベアトリスの肖像画に魅せられたルパンは、屋内の秘密の隠し場所に少額の50フラン紙幣が意味ありげに仕舞われていることに不審を抱く。だがそこに当主のマンダイユが登場。慌てたベルナルダンが主人に発砲し、負傷させてしまう。やがて警察内に潜入させている部下ドートビル兄弟の情報から、病院で治療中のマンダイユが奇妙な文句を口にしていることを知ったルパンは、同家の事情をさらに探ろうとする。しかしルパンを待っていたのは、シャンパーニュ地方の名家の主ベルジイ・モンコルネの遺産相続にからむ連続殺人事件だった。

 おなじみボアロー&ナルスジャック(本書の場合は、表紙周りと奥付が、ボワロ&ナルスジャックまたはボワロ=ナルスジャック標記)コンビによる、贋作アルセーヌ・ルパン路線の第四弾。
 本シリーズの以前の既訳3冊は新潮文庫で発売されたが、これのみ当時のサンリオの出版部から刊行。その結果、ファンにも入手困難な古書としてキキメになっているが、このたび借りて読んでみた(たぶん、実はずっと前に買ってあって、どっかに仕舞って忘れてるってことはない…ないだろう…けど…)。
  
 筆者は贋作ルパンの先行3冊はだいぶ前に読み、その良い意味でのモノマネぶり、原典からのネタの拾い具合の妙味、さらに20世紀70年代の新作ミステリと、それぞれの部分で楽しませてもらった記憶があるが、本書もそれらと同様の、上質のパスティーシュになっている。ルブランの原作世界の事件簿でいえば『三十棺桶島』と『虎の牙』の合間に位置する内容で、『8・1・3』で活躍したあのキャラやかのキャラの再登場や贋作第一弾『ウネルヴィル城館の秘密』との接点なども語られ、ファンサービスもぬかりない。

 またオリジナルの新作ミステリとしては後半にかなり大きなサプライズも用意され(分かる人は分かるかもしれないが)、さらに事件の主題が、現実の1912年に生じたかの歴史的海難事故にからんでくるなど、物語の広がり具合もなかなか印象的なもの。
 まあ個人的に、終盤のまとめ方はちょっと小ぶりな感じもあったが、たぶん作者コンビが本書で今回書きたかったのは、原典の佳作『金三角』のごとき愛国者ルパンの義侠心みたいだし、そっちの方はしっかりと実感できたので良しとする。
(ちなみに筆者は数年前に、南洋一郎による本作のジュブナイル翻訳(翻案)版『ルパンと殺人魔』はすでに読了済みで、今回本書を読んでいくうちにそっちの方の流れも次第に思い出した。それゆえ本書の名場面のいくつかは既視感もあり、『殺人魔』の大筋はおおむねベースとなった本作『100億フラン』に沿っていたような印象もある。)

 しかしこの作品、贋作ルパン路線の版元が変わって文庫オリジナルから単行本になったこともあって読者が離れ、当時は売れなかったんだろうなあ…。そのおかげか、シリーズの最終作である第5弾(仮題「アルセーヌ・ルパンの誓い」)は、本書の刊行から40年経った現在も、大人向けの完訳としてはいまだに日本で翻訳刊行されてない。
 幻の原典『ルパン最後の恋』が発掘されて怪盗紳士ルパンが21世紀の世を賑わした昨今、くだんの未訳のルパン贋作5作目も、どっかで普通に邦訳してほしいのだが。   

【2018年11月14日:追記】やっぱり自室の見えないところにあった。しかも帯付き。ダメじゃん(汗)

No.154 5点 マーティニと殺人と- ヘンリイ・ケイン 2017/03/29 19:49
(ネタバレなし)
「俺」ことピート・チェンバースは、元刑事である年長の共同経営者フィリップ・スコーフォールとともに、NYに事務所を構える私立探偵。複数の嘱託探偵を抱えて手広く仕事をしている。ある日、チェンバースは宝石流通界の大物ブレア・カーティスに相談を請われて彼の住居に向かうが、そこで遭遇したのはカーティスの妻ロシェル・ブラット・カーティスが路上で射殺される現場だった。現場から逃走したタクシーはやがて別の場所で発見されるが、その中からは別の2人の死体が見つかり、一方はチェンバースの知己である実業家マッティ・パイナップルの弟ジョオのものだった。カーティスとマッティの双方から依頼を受けたチェンバースは調査を開始。カーティス夫妻の周辺の上流階級の連中に対面するが。

 1947年のアメリカ作品。いわゆる50年代周辺の軽ハードボイルド私立探偵小説の一冊で、30冊前後の著作でチェンバースを活躍させた当時の人気作家ケインの初の長編にあたる。
 私的にケイン作品は大昔に日本版「マンハント」のバックナンバーを集めて中短編を楽しんでいた記憶があり、久々にこういうものも面白いかなと読んでみた。
 しかし改めて今回「うわあ…」となったのが、中田耕治の翻訳。つまり当時はイキ(なつもり)だったのであろう、過度のカタカナまじりの訳文。これがものの見事に現代とズレており、そんなに長くもなく本来はテンポの良い感触の一冊を読むのにえらくエネルギーを消費した。

 ちょっと例を挙げると
「まさか車のうしろをブチぬくかどうかわからない弾丸で、二人も死んじまつたチュウンじゃないダロ?」
(18ページ:たぶん「まさか車のうしろを貫通するかどうかわからない弾丸で、二人も死んじまったって言うんじゃないだろう?」)
「そいつはイイな」俺は優しくいつた。「イイじゃんか」(39ページ)
「すつかりゲッソリしちまつたミスター・ゴーリンに、サイナラをいつて、せいぜい長生きしてくださいと挨拶してから、とつととここから逃げ出した。」(100ページ)
 
 ……まあ、マトモなところは普通の日本語なのだから、これは悪い意味での演出の過剰さが時代を超えられなかったというところだろう。同じ訳者による第二長編『地獄の椅子』も買ってあるけど、そっちはどうなんだろうなあ。
 実は本書は日本語版「マンハント」に『ドライ・ジンと殺人と』の邦題で先に一挙掲載された長編を書籍化した(たぶん改稿を加えて)一冊だから、あえて和製「マンハント」調の威勢の良い日本語になってる可能性はあるけれど(そのへんは当時の日本語版「マンハント」の翻訳作品全般の雰囲気を察してください)。 
 ちなみに本作の原題は“Martinis and Murder”で「M」の頭韻を踏んでいた。それゆえ「マンハント」掲載時は原題を意識して「じん」の脚韻を踏まえた邦題だったが、ポケミス収録時により直訳に近いものになり、日本語タイトリングのお遊びはそこで消滅したという経緯がある。

 とまれ本作の肝心のミステリ部&ストーリーの内容としては、錯綜した人間関係に斬り込んでいくチェンバースの行動と推理が明快。しかも彼自身が手掛かりを掴むたびにこまめに動き回る一方、指揮下の探偵チームも自在に活躍し、お話としては結構よくできてる。このキツい訳文ながらなんとか2日で読了できたのはそのおかげだ(ただし劇中人物の総数はおそろしく多く、200ページちょっとのポケミスの中に約50名もの名前ありキャラクターが登場。巻頭の一覧表の中にも、この人物は入れておいた方がいいのでは? というのまで存在する)。

 あと、最後まで秘書を置かなかったマーロウやアーチャー、秘書がいてもヴェルダやフィリス、ルーシイなどの秘書ヒロインたちと精神的な蜜月関係にあったマイク・ハマーやマイケル・シェーンと違い(フィリスとシェーンは実際に婚姻までしている)、本作内の主人公の職場まわりは<中堅企業の実業家として麾下の民間探偵に采配を下すビジネスマン的な私立探偵ヒーロー>といった妙味も獲得。その辺はネロ・ウルフものやエリンの『第八の地獄』に通じる味わいもあり、そんな意味でのお仕事小説的な魅力も伝わってきた。
 はたして本書の評点は、翻訳で評価が下がってこの点数。

 んー、21世紀の新刊・新訳で、本シリーズの中の面白そうな未訳編とか出ないかな。何故かただひとり昨今も恵まれているシェル・スコットみたいに、こっちもワンチャンスくらいあげてほしい。

No.153 7点 嘘つきパズル- 黒田研二 2017/03/28 08:20
(ネタバレなし)
 本サイトでの評判が頗る良いので読んでみた。
 内容は『鷲見ヶ原うぐいすの論証』『臨床真実士ユイカの論理 文渡家の一族』などと同様に、特殊な設定のもとに登場人物の虚言に制約がかかる超論理ものだが、主題への取り組みではこの作品が、最も正面から勝負している。

 ロジックの立て方の精度に対し、最後まで謎となる非日常ギミックの正体がストレートな感もあるが、そこに至るまでの伏線・手がかりの出し方、さらにミスディレクションの話術がかなり巧妙で、そこら辺も評価の対象。
 あとあの『ウェディング・ドレス』の黒田センセだから、当然その手の仕掛けを…と思って読み、実際(中略)であった。その辺もなかなか。
 クロージングはキレイで、そしてこの特殊ロジックに満ちた作品らしくて良いね。仕様としてジュブナイルだからこそ似合う、ラストなんだけど。

No.152 5点 緑のダイヤ- アーサー・モリスン 2017/03/27 18:09
(ネタバレなし)
 1902年のインドのデリー。当時のインドが英国領になって初めてのインド皇帝の即位式が開催され、各地の王族がそれぞれ貴重な装飾品を携えて参列した。だがその式典の最中に、グーナ族の誇る長さ1インチ以上の緑色ダイヤ「グーナの眼」が模造品にすり替わっていたことが判明する。一方、冒険家兼ブローカーの青年ハーヴィ・クルック(35歳)は、知人の商人フランク・ハーンの依頼を受け、1ダースの珍しめの葡萄酒の瓶をインドから英国に輸送する。しかし英国に向かう洋上で米国の富豪ライアン・W・メリックと知り合ったクルックは、自分の判断でその葡萄酒のセットを丸ごとメリックに譲渡した。英国でハーンと再会したクルックは、先に聞いていた葡萄酒の価値よりもずっと高値になったとその売り上げを相手に渡す。しかしハーンは慌てて、各地に分散して売却された葡萄酒の行方を追いはじめる。クルックは、先日盗難にあったグーナの眼がその1ダースの瓶のどれかの中に隠されていたのだと察した。

 マーチン・ヒューイットもので有名なモリスンが1904年に刊行したノン・シリーズ作品。
 ちなみにミステリ資料サイトのAga-Search(いつも活用させて頂いている。しかし最近、情報の更新をしてくれないね…)では、短編集のカテゴリーに分類されているが、実際にはれっきとした長編。
(まあこういう内容だから、分散した葡萄酒の瓶の行方を追っていくつかのエピソードを串ダンゴ風に繋げる部分もあるのだが。)

 今回は、以前に購入してあった、旧・東京創元社の世界大ロマン全集で読了。同叢書の化粧箱の裏には「古典推理小説ベストテンの名作」と書いてあるが、もちろんこれはまったくの誇大文句(笑)。
 実際の中身は、ミステリ的には他愛無い、刊行当時のリアルなおとぎ話みたいな感触の作品。とはいえ中盤の瓶を追うくだりは構成上ファールに終わるのが見え見えながら、その上で該当部にはちょっとだけトリッキィな趣向も用意。そんな意味ではそこそこ楽しめる。
 クルックはハーンの計画を知って先回りし、ダイヤを見つけてインドの王族に返そうとする(ついでにあわよくばお礼も貰おうとする)が、ここで事情を知った初老の富豪メリックが積極的に追っかけの仲間入りを願うドタバタぶりもちょっと愉快。
 ただまあモリスン、時たまちょっとだけ輝きを見せながらも、やはり同時代のドイルやチェスタートンはもちろん、フリーマンにもフットレルにも及びもつかなかった作家だよね、というのも正直なところだった。評点は、この長編だけなら4点にかなり近い5点。

 なお本作は短めの長編(新書版変形の二段組みで、約180ページ弱)なので、世界大ロマン全集のほかの長めの作品に比してボリューム不足だと思ったのか、訳者の延原謙がセレクトしたらしい中編『霧の夜』(リチャード・ハーディング・デーヴィス作)と、短編『ある殺人者の日記』(マルセル・ベルジュ作)を併録してある(後者は化粧箱では「殺人者の日記」と中途半端な題名で表記)。
『霧の夜』は「千夜一夜物語」か、カーの『めくら頭巾』などを思わせる、語り部による奇譚風の作品。三部作構成の事件譚で、最後に意外などんでん返しもあり、正直ミステリとしては『緑のダイヤ』よりもはるかに面白い。『ある殺人者の日記』は殺人者らしき人物の手記形式で綴られる、クライムストーリー調のサスペンス編。小味な作品だか、これはこれで悪くなかった。
 ただなんでこの3作を組み合わせたかのイクスキューズは特になく、その辺は単に紙幅的な事情でもいいから、延原の一応の説明を聞きたかったところ。『霧の夜』にはキーアイテムとして高価な首飾りが登場するから、これは宝石つながりの三本セレクトかな、と途中で思ったけど『ある殺人者の日記』は、まったく関係なかったし。

No.151 6点 密室の鎮魂歌- 岸田るり子 2017/03/26 20:44
(ネタバレなし)
 密室からの人間消失~そのまま失踪? という怪異な状況から五年を経て、ある時、新規に再開される連続密室殺人事件。この蠱惑的な設定にまずゾクゾク。

 まあ、作者の何らかの意向か、あるいは不況時代のぬかみそサービスか知らないが、女性主人公(リストラにあった37歳のアートデザイナー)の悩みの種の貧乏ぶりがいささか度を越して辛気臭い感じはあったけど。

 それで肝心のミステリ部分は、二つ三つ反則的な箇所もあるが、真相の露見後に事態を整理していくと……うん、なかなかこれはよく出来ている。
(たしかにE-BANKERさんのおっしゃる不満のふたつめなど、そこはちょっと不自然な印象の箇所もあるが。)

 数を絞った名前ありキャラクターが総じて際立った個性を与えられ、こういうタイプの人物なら後半…になるんだろうな、と思いきや、良い感じにいくつか予断を外してくる。そういう手際も悪くない。
 事件の真相の相当部分が、作中人物の手記でいっぺんに説明されちゃう構成はちょっと乱暴な気もするが、終盤の物語の異形感は印象深い。
 日下圭介とかをもうちょっと悪趣味にしたような作風といえるかも。 

No.150 6点 伯母の死- C・H・B・キッチン 2017/03/24 12:53
(ネタバレなし)
「僕」こと、ロンドンで株式仲買を職業とする26歳のマルカム・ウォレンは、親類縁者の中で筆頭の金持ちである65歳の伯母キャサリン・カートライトに招かれ、投資の相談を受けることになった。大富豪だった亡き夫ジョン・デニスの莫大な遺産を継承したキャサリンは現在、彼女の愛車の元管理人だった38歳の男性ハンニバル・カートライトと再婚しており、マルカムはそのハンニバルともそれなりに仲が良かった。だがマルカムの訪問中、強壮剤の瓶に入った毒薬で叔母の命が絶たれる事件が起きる。

 正統派の英国風パズラーで、ポケミス200ページ弱という紙幅も手ごろですらすら読める。名前を与えられた登場人物(主に主人公の広義の親類縁者)は50人近いが、本当に重要なのはその内の10人前後。物語上で焦点を当てられたそれらの主要人物たちに関しては、なかなかキャラクターがくっきりと描き分けられて印象に残る。
(一方でマルカムの生意気そうな美人の従姉妹たちなど、もうちょっと活躍させればという面々も多いが。あと、前半でいかにも思わせぶりに登場しかけておいて、結局そのまま消えてしまう看護婦はいったい何だったのだろう?)

 なお解説で編集者のM氏(たぶん都筑道夫)が<本作の時代の先端ぶり>を謳っているものの、この点に関してはnukkamさんのおっしゃるように、実は特に際立った新しさは感じられない。むしろ伝統的な、人間模様の綾のなかにフーダニットを埋め込んだ手堅く愉しめる一冊という感じ。個人的には、真犯人もかなり意外である(伏線や手がかりもそれなりに用意されてはいる)。
 
 あと、これもまたnukkamさんの言われるとおりだが、13章での主人公のぶっとんだ行動にはかなり虚を突かれた。天然ボケのユーモアなら、これはこれで実に味がある。くわえて主人公がミステリファン(ゴア大佐もので有名なリン・ブロックを読んでいたり、ウォーレスを購入したりする)というのも微笑ましい。本作はシリーズものになってるらしいので、論創あたりでできればこの続きを今からでも出してほしい。

 ところで本書の翻訳は大ベテランの宇野利泰らしく、古い訳文ながら総体的にはとても読み易いのだが、名前や人称の表記などの面ではどうも杜撰。
 主人公の名前は、裏表紙のあらすじと登場人物一覧表代りの巻頭の家系図では「マルコム」表記なのに、実際の本文では全編通して「マルカム」だし(……)、一人称の「僕」が時たま地の文で「私」(P62、77)や「おれ」(P66)に変わったりもする。さらに端役の警察医マシューズがあとあとでマシウスと表記されたりしている(同一キャラだよね?)。
 こういうのは訳者ばかりでなく編集の責任でもあったのだろうけど、きっちりとして欲しかった(次の重版の機会がもしあれば、その時はよろしく)。 

No.149 6点 恐怖省- グレアム・グリーン 2017/03/23 13:31
(ネタバレなし)
 第二次大戦中、空爆下のロンドン。かつて難病の愛妻アリスをその病苦から解放するため、毒薬で<慈悲の殺人>を行った中年アーサー・ロウ。彼は情状を斟酌されて精神病院内で監察を受けていたが、現在は自由の身になり、町の片隅でひっそり暮らしていた。以前は辣腕ジャーナリストで資産にも多少の余裕があるロウは慈善市に赴き、戦時下では貴重な手作りのケーキを買う。そして自宅のアパートに持ち帰って大家のミセス・パーヴィスとともにそれを食べた直後、一人の男が現れ、そのケーキは間違って売ったものなので返してほしいと強行に訴えた。ロウは不審を抱くが、その時、爆撃でアパートは半壊し、訪問者の男は爆死した。ケーキにどのような秘密が潜んでいたのか。関心を覚えたロウは老舗の探偵社オーソテックス社に赴き、さらに自ら、かの慈善市に関連の慈善団体「自由諸国の母 後援会」にも足を運ぶが……。

 1943年の戦時下に刊行されたスパイ・スリラー。1980年の「グレアム・グリーン全集」版で読了(1959年の「グレアム・グリーン選集」版と同じ翻訳者ながら、訳文が推敲されている)。

 筆者的には以前に『拳銃売ります』を読んで以来、本当に久々のグレアム・グリーンである。『拳銃』の(もはや細部は忘れながらも)全編の詩情に満ちた雰囲気をうっすらと覚えているので、あの感覚にまた触れたいという思いで読み始めた。
 とはいえ実際に読み始めてみるとさすがに文芸性の高い内容で(グリーン自身は、本書をあくまでエンターテインメントとして著したようだが)、まず主人公アーサー・ロウの際立った設定とその内面描写の機微が相当の歯応え。

 <妻の苦しみを救うためその手を罪に染める>というある意味で最大のヒューマニズム行為(それは「毒殺」という法律上、もちろん許されない形だったのだが)を行い、ごく一部の世間からは同情と憐憫を受けながらも、それでも結局は「妻殺し」「精神病院帰り」というレッテルのもとに社会の枠組みから排斥されているロウ(彼は戦時下のロンドンの中で積極的にボランティア活動にも参加しようとするが、前述の事由から何度もやんわりとお断りを食らう)。
 この物語は巻き込まれ型スパイスリラーの大枠に分類される内容だが、一方で、そんな孤独なヒューマニストが謀略の中に(その概要も見定まらぬまま)あえて飛び込むことで自分の居場所を探そうとする、切なげな人間ドラマとしても読むことができる。
 まあ刊行時のリアルタイムの現実の敵であるナチス・ドイツへの協力者とそれに関連した事物に迫っていく内容そのものは、さすがに今となっては大時代な面もあるが、全四部に分かれた小説の構成は相応の起伏に富み(ソコはむしろ芝居がかっている印象もあるほど)、21世紀の今日でも普通に愉しめる。
 物語の流れや人間関係の変遷でそれなりに舌ッ足らずとも思える部分も多いが、そこらは読み手が想像で補うことで喰いつける。これはある程度はそういうことを要求する作品でもある。

 ちなみに本書の副読本として新潮選書のアンソニー・マスターズ「スパイだったスパイ小説家たち」、そのグレアム・グリーンの章を読むと、この作品は第二次大戦時、MI6に在籍していた当時の作者が赴任先の西アフリカで執筆。しかもその頃のグリーンは、のちに英国史に残る大物二重スパイ=かのキム・フィルビー(ル・カレの「スマイリー三部作」事件のキーパーソンのモデルであり、フォーサイスの『第四の核』にも実名で登場する謀略の仕掛け人)と懇意で、実際に彼の指示で動いてたというから色々スゴイ。英国スパイ小説史の裏側はフィクションと同様かそれ以上にドラマチックである。

 最後に題名の「恐怖省」とは、国家への無心な隷属か、あるいは反逆者としての破滅かの二択を迫る国家の行政上の観念のこと。作中では中盤の展開でロウが出会った青年ジョンズの口から、ドイツ人(ナチス)国家の暗部の意味合いでこの言葉が使われる。ただしグリーンの公正で理知的なところは、恐怖省はドイツばっかりじゃないだろ、と最後の最後にロウに実感させていること。
 そう、先述の「スパイだったスパイ小説家たち」を読むと、グリーン自身もMI6時代に、人間としてイヤなことを相当にさせられているのが分かるのである。   

No.148 6点 超高層ホテル殺人事件- 森村誠一 2017/03/21 12:35
(ネタバレなし)
 そのトリックのみ取り出してみればバカミスとしか言いようのないネタだけは昔から知っており、そのトンデモ無さに心惹かれて、いつか読もう読もうと思っていた一冊。
 しかし実際に通読してみると該当のトリックはあくまで謎解きのパーツの一つであり、ほかの複数の大小トリックや着想を組み合わせてあったのには、ここで初めて改めて認めて感銘。

 ここでちょっとだけ自分語りになるが、老舗ミステリサークル<SRの会>のメンバーである筆者は前世代の会員たちが本書の刊行当時の作者(森村氏)と悶着を起こしたという事情もあって、実は何となくそんな空気のなかで森村作品を長い間、敬遠していた(さすがにその頃、自分自身はまだ入会していなかったが)。
 そういう流れで森村作品は長編も数冊しか読んでいなかったが、さすがに今ではそういう考えもバカバカしくなって本書を手にした(そもそも当時の事情を再確認すると、SRの先輩方の物言いにも相応の問題はある)。思えばこの一冊を読むまで、ずいぶん時間がかかってしまった。
(大体、昨今ではSRの重要メンバーである山前さん自身が本書の光文社文庫版の解説を書き、その内容を褒めているのだ。)

 それで本書の私的な感想に戻ると、まず例の、あのトリックは<いや、それでも無理だろ! 可能と言うなら誰か実演してくれ!!(できれば若い頃の作者自身)>という感じだが、第二・第三の殺人は、アリバイトリックも密室トリックもそのベーシックさゆえに好感が持てる印象。この手堅さで本書の総体の評価は高くなった。
 ただし事件の構造はちょっとアンフェア…というか、まあギリギリありだが、作劇上の演出としては、捜査陣がもっと真相を知って驚くとか、そういう描写が欲しかった気もする。だってこれ、かなり偶然が作用した状況だよね。

 あとまた当時のSRの森村作品への攻撃の話題に戻って恐縮だが、その時の文句のひとつに<この作者は人間が描けない>というのがあり、まあ、これは分からないこともない、と本書を読んで思った。というのもキャラクターシフトの上では確かにそれなりの事情や立場に劇的なものがあり、苦悩や屈折も語られるのだけど、それがもう一歩踏み込まず総じて記号的なものになっている。この辺は同時代の笹沢作品とか清張の作品とか比べるとよくわかる。
 ただまあ、新本格の時代も迎えてミステリの作法も本当に自在に広範化したいま、こういう湿ったようで実はサバサバした書き方もアリだとは思うけど。

 最後に、すみません、E-BANKERさん、ひとつだけ客観的な作中事実の訂正。刑事が踏切前でインスピレーションを働かしたのは、アリバイトリックでなく、密室トリックの方です(第二十一章「分断された密室」)。

No.147 6点 死の逢びき- リー・ハワード 2017/03/20 10:28
(ネタバレなし)
1950年代のロンドン。新聞「デイリー・ガゼット」の社会部次長デル・モンクトンは、その日、自分の妻モヤに気づかれないようにしながら、タクシーを使い、途中からは徒歩で、コーシナ・ミューズ地区にあるアパートの二階に赴く。そしてそこで彼が出会ったのは…。

 1955年に原書が刊行された英国作品で、翻訳は創元の旧クライム・クラブの一冊。前半の主舞台となるアパートの一室と、後半の場となる某所。ほとんどその二か所だけで物語が展開され、全編を読みながらあたかも二幕ものの舞台劇に接しているような印象を受けた(正確には後半で少し、場面の転換はあるが)。
 最初の十数ページ目からいきなりギミックが動き出す感じの作品でもあるので、今回はあらすじも本当に最低限しか書かない。

 実は本書は、サスペンスものの某・歴史的大名作のある部分を拡大し、それだけで長編が成立するかという思考実験を実際の形にしたような内容でもある(さらに読んでる途中では、これは、また別のあのサスペンスものの名作の変奏か? とも思わされた)。
 本書のある種の前衛ぶりは終盤の決着にも感じられ、最後のミステリ的な決着はまた別の巨匠のある変化球作品の取り込みのごときだ(さらにはラストの主人公の行動は、もっと別の巨匠の某作品のクロージングを連想させた)。
 要するにあちこちのどっかで見たような部分は実に多い作品なのだが、まとめられたものは今読んでもある種の新鮮さとピーキーさを感じさせる、そんな長篇になっている。

 それで巻末の植草甚一の解説を読んでも作者リー・ハワードが本書の著述時にどのくらいミステリ分野に造詣があったかは未詳だが(ほかのこの時点での著作は二作の戦争小説のみ)、それなりに受け手としてミステリを楽しんだ素養のある人間が、従来の作品とは違う変わったことをしてみようと試みた趣は感じられた。
 ただしこういう傾向の作品だから、読者を選ぶのもまあ当然。解説に引用された当時の本国での書評などでは「リー・ハワードは、クライム・フィクションでは、まず不可能だと考えられていたような新機軸を生むのに成功した」と称賛される一方、翻訳当時の我が国の小林信彦のレビュー「地獄の読書録」ではケチョンケチョンである(なおこの小林信彦の書評自体はネタバレっぽいので、本書を未読のうちは読まない方がいい)。

 さて今回の筆者の感想&評点はうーん、まあ、ホメる声もケナす気分もどっちも分かるなあ…というずるい感じ(笑)で、本当にちょっとだけおまけしてこの評点。後半の展開など好きな部分も多いのだが、かなりぶっとんだものを期待したら、良くも悪くも意外に堅実な部分も強かった、というのも正直なところ。クライム・クラブの一冊だのの予見抜きで、さらにメディアを変えて、先に書いたように舞台劇の形で一見でこのストーリーに接していたら、かなり盛り上がったろうね。

No.146 5点 死はわが踊り手- コーネル・ウールリッチ 2017/03/19 11:27
(ネタバレなし)
 1950年代のアメリカ。オランダ人の両親と死別した美しい娘ゲルトルード・マリー(マリア)・ルイターは修道院の施設で養育され、10歳の時から伝説のダンスを学び始めた。そして現在19歳のマリーが習得したダンスはインドのカーリー神に由来する死の舞踏で、その踊りを観覧した者のなかから誰かが命を奪われるという禁忌の踊りだった。だがその舞踏はあまりに魅惑的で、それゆえその魅力を認めたサクソフォン奏者で指揮者でもある若者マクシー(マックス/マックスウェル)・ジョンズは、音楽プロデューサーのJ・モティマー(モート)・レビンと連携し、楽団を組んでマリーの芸を世間に喧伝しようと図る。そのために彼らはマリーの舞踏が「死を呼ぶ踊り」であることさえ危険で刺激的な宣伝の材料とし、踊りの終了とともに死んだ真似を演じるサクラ役の男まで雇うが…。
 
 1959年にウールリッチが執筆した長編。すでに長編『夜は千の目をもつ』『野性の花嫁』や短編『モンテスマの月』などでスーパーナチュラルな要素の実在や暗示を扱っていた作者だが、これもその路線で、しかもかなりその辺の比重の高い内容。
 狭義のミステリの枠を超えたホラーまたはファンタジー的な<広義のミステリ>であり、ほぼ常に観客の誰かを急死へと導く死の舞踏の呪いは(随時登場人物から、そんなことが本当にあるのか? と疑惑を向けられながらも)作中に厳然と存在する。
 死の舞踏の危険さと背徳性を充分に承知しながらも踊り続けるマリー、その呪いさえ商魂たくましく客寄せのネタにしようとするマックスやレビンたち。しかしその思惑は、死の舞踏の呪いの恐怖が世界中に広まっていくなかで、次第に少しずつ歯車を狂わせていく…。
 いや、68年に他界するウールリッチのほぼ晩年の長編だから、筆も疲れ、かなり破綻した内容だろうと予期しながら読み出したが、そう覚悟しながらページを捲るなら、これはそれなりに楽しめない事も無い一冊であった。
 恋人(のちに夫)となるマックスの愛情に揺らぎを感じるマリーの焦燥、死の舞踏の呪いが真実と認めざるを得なくなっていくなかで離れていくバンド仲間、次第に場末の演芸場に追いやられていく主人公夫婦の辛酸…。これらの叙述がそれぞれなかなか心に滲みる(ただし総じて、荒っぽい描写ではある)。
 さらに終盤、死の舞踏を前にきわめて悪趣味な思惑を抱くギャンブラー、ハーフ・フォンティンのキャラクターなどは実に往年のウールリッチらしい。

 まあ黄金期のウールリッチのブラックシリーズの上位作あたりと比べたらどうしようもない作品なのは確かだが、ファンとして一回くらいは読んでおきたい一冊。 

No.145 8点 ケイレブ・ウィリアムズ- ウィリアム・ゴドウィン 2017/03/18 10:27
(ネタバレなし)
 18世紀のイングランドの片田舎。農夫の子ながらその聡明さを評価される若者ケイレブ・ウィリアムズは、以前から彼を後見してきた大地主ファーディナンド・フォークランドの秘書となる。ウィリアムズはフォークランドの執事で自分の兄貴分といえるコリンズ氏とともに日々、主人に献身的に仕えた。気性の荒い一面はあるがまだ若く、根は温厚で博学かつ公正なフォークランドは土地の人々からも厚く慕われていたが、その人気を快く思わないのは同年代のもう一人の大地主バーバナス・ティレルだった。そんな折、ティレルの年の離れた従姉妹エミリー・メルヴィルはフォークランドの人間的な魅力に惹かれていくが……。やがて発生した殺人事件。真犯人として裁定された者が処刑されたのち、ある日、ウィリアムズはひとつの恐ろしい疑念を抱くのだった。

 <趣味としての教養(笑)>を育もうと、何年も前に買ってあった国書刊行会・ゴシック叢書の一冊。ついに今回、一念発起して読んだが、ミュルエル・スパークなどの翻訳も手掛けている岡輝雄の訳文は実に読み易く、カギカッコ付きの会話が少ない風格ある文章ながら、大部の物語を実質三日間くらいで完読した。(ちなみに昨年2016年、同じ翻訳者の新版が刊行されたようである。)

 1794年に刊行された本作品のミステリ史における立ち位置は、先にminiさんが語られている通り。ジャンルを確立させた後発の『モルグ街の殺人』(1841年)から約170年が経ち、ミステリの字義が柔軟に広がった現在なら、改めてミステリの範疇として十分に語れるような内容でもある。
(ひとつだけ付記するなら、作者はあの『フランケンシュタイン』メアリー・シェリーの実父だ。)

 いかに善良な人間であっても支配階級の俗物さからは脱け出せないというのは本書の思想的な主題のひとつだが、そんな当時の文明観とそこに基づく人間心理の綾が絶妙なサスペンスとスリルを育み、息もつかせないエンターテインメントを構築。後半、ウィリアムズが出会う多くの登場人物もそれぞれのキャラクター性に富み、いや、これは実に面白かった!(特に盗賊の親玉ながら、理性的で情の深いレイモンド氏がステキ。)
 なお本書には、作者が改定する前の初稿の結末も併録。そっちはそっちで意味があり、印象的なラストだが、これはやはり改定された現状のものの方がいい。物語的な決着をつけながら余韻のあるクロージングが素晴らしい。

No.144 7点 脱獄と誘拐と- トマス・ウォルシュ 2017/03/13 17:31
(ネタバレなし)
 1960年前後。「おれ」ことエドワード(エディ)・ジェイムズ・マクナルディー青年は、恋人のケティー・ボルチンスキーを、弟の空軍少佐ロバート・フランシス・マクナルティーとその妻メグに紹介する。交流を深める一同だが、前科者のエディはその過去をケティーに秘匿しており、彼女の願う結婚にも二の足を踏んでいた。そんななか、エディは以前から嫌い合っている悪徳元警官ジャック・ヘネシーとの接触を経て、強引に投獄された。獄中でエディは、弟ロバートが東側陣営の領空内でスパイ容疑で捕まった事実を知る。弟の無実を信じるエディが考えた奇策。それは脱獄し、折しも訪米中のかの国の最高権力者「太っちょ」を誘拐し、その身柄と弟を交換するというものだった!
 
 原書は1962年の作品。筆者的には、以前から読もう読もうと思っていた、気になる旧作を消化した一冊である。
 もちろん主人公エディが自分に課した二重の最困難クエストが興味の主眼だが、脱獄の段取りの方は実際のところかなりスチャラカ。脱獄前に外部の協力者に連絡を取るくだりも<ある秘密ルートを使って>程度のいい加減な叙述で済まされる。
 それゆえ、あー…これは凡作もしくは駄作かなあ……と思いながら読み進めていくと、単身で某国(つまりソ連)領事館に侵入して潜伏し「太っちょ(つまりはウィーン会談前後のフルシチョフ)」を連れ出すあたりからじわじわとテンションが高まってくる。

 いやどう考えてもリアリティ希薄な無理ゲーを小説のウソで包みこんだ作法なのだが、それを承知の上でなおスリリングにサスペンスフルに読ませていくのは、作者の職人芸だ。要人を連れ出し、目的の達成までのタイムクライシスのなか、後半の物語も二転三転。伏線を張られていた悪役はちゃんと役割をこなすわ、ヒロインのケティーはたくましく愛らしく恋人のエディを支えるわ、最後はおお、そう来るか! ……で、これぞ古き良き20世紀中期のぶっとんだヒューマン・スリラー(いま勝手に作った造語)。どこかフランク・キャプラの映画諸作や、ウェストレイクのドートマンダーシリーズなどを思わせる面白さもある。

 しかし原書が出た頃の現実世界には例のケネディVSフルシチョフのキューバ危機があり(それを見込んで急いで執筆された作品かも)、さらに原書が出てから翻訳までのライムラグにはケネディ暗殺事件なども起きてるんだよなあ。リアルタイムでこの翻訳を読んだ当時の国内ミステリ読者の反応はどうだったんだろ。小林信彦の「地獄の読書録」でも引っ張り出してみようかな。

No.143 6点 奇術師のパズル- 釣巻礼公 2017/03/12 20:31
(ネタバレなし)
 藤沢市の枝野中学に校内カウンセラーとして赴任した、29歳の棟谷志保子。彼女には2年前、中学教師だった婚約者・大石和也を彼の教え子の少年に殺された哀しい過去があった。枝野中に赴いた志保子は、教師も生徒も、その多くが心を疲れさせている現実に直面する。そんななか、文化祭の出し物で用意された、トンネルを模した空間の中で女生徒の一人が変死。しかも密室状況の中で発見された彼女は<先に殺害された級友を手にかけた真犯人は自分だ>と告白するかのような書面を持っていた。不審を覚えた志保子は、独自に事件の謎を追うが……。

 密室殺人を売りにして、しかもこのマジックショー感覚が濃厚なタイトル。これはなかなかテクニカルな新本格パズラーが楽しめそうだと思っていると、小説のウェイトは予想以上に学校周辺の群像劇(生徒も教師も、生徒の家族までも)に置かれていてビックリ。巻末には教育論やいじめ問題関係の参考文献名が十数冊並び、おそろしくメッセージ性の強い内容だった。
 それでもタイトル通りに奇術のロジックに基づいた密室殺人トリックはちゃんと用意され、最後のひねりも含めて謎解きミステリの要素は多い。ある種の社会派的なテーマと謎解きミステリのハウダニット&フーダニットの興味、その双方が独特なバランスで掛け合わされた佳作~秀作で、どちらかといえば秀作寄り。
 苦悩を背負った生徒の親たちや、自分なりの教育の理想を模索する青年教師・半沢晋平など、キャラクターも印象的によく描かれている。というか全体的に、ポイントとなる作中人物の心のひだをよく叙述してあって、そこら辺も評価の対象。

No.142 6点 パイルドライバー- 長崎尚志 2017/03/11 03:00
(ネタバレなし)
 引退して嘱託待遇となった元刑事と、辞職を考える青年刑事。そんな二人のバディぶりを描いたキャラクターもの&組織ものの警察小説。
 ちなみにタイトルの意味はプロレス技には関係なく、老境の元刑事の名が久井(くい)で、その挙動のいくつかがパイルドライバー(工事現場の杭打ち重機)を連想させるからである。

 神奈川県内で起きた三人家族同時殺人の事件を端緒に、15年前の類似事件との接点を洗い直し。そこで過去の事件を担当した久井重吾元刑事とコンビを組む青年刑事・中戸川俊介の奮闘が語られる。とはいえ主人公はまぎれもなくこの2人だが、実際の作品の中身は多数の登場人物で溢れかえり、総勢70名以上のネームドキャラが出没。そしてその過半数が警察関係者。組織が孕む暗部も、現場刑事たちの絆と負けん気もたっぷりと語られる。

 それで中盤からの展開は「あ、そっちの方向に行くの?!」といささか慌てた(悪い意味で警察小説の垣根を超えそうだったので)。しかし最終的に事件の真相は、一度踏み出しかけた大枠のなかで、意外なほど堅実かつ説得力のある形で、結び目がほどかれていく。
 もちろんここではくわしく書けないが、個人的にはかなり秀逸なミステリとしての着想だと感嘆した(その一方で、なかなか強烈な終盤の話の拡げ方も堪能した)。

 ちなみに今回の事件は落着するが、久井の家庭事情にからむキャラクタードラマの部分では今後の続編も匂わせる雰囲気。ここはぜひシリーズ化も期待したい。

 最後に前半のある場面で久井が中戸川に語る、印象深い言葉。
「もちろん、あいつらはいやなやつらだよ/しかし刑事ってのはさ、わずかに残った人間の裏の……むしろ、いい部分を見つけてやる職業なんだぜ」

No.141 5点 神の値段- 一色さゆり 2017/03/11 02:25
(ネタバレなし)
 世間はおろか、関係者にも現在の存在を頑なに秘匿する現代美術家・川田無名(かわたむめい)。彼の才能は国際的な評価を受け、作品はものによっては億単位で売買されるが、その一次流通は無名のアトリエ工房と特約した美術ディーラー・永井智子のギャラリーを通じてのみ行われていた。「私」こと二十代前半の女性・田中佐和子は智子のアシストの業務に励むが、勤続三年目の佐和子もまだ無名と対面の機会はなかった。そんななか、無名が青春時代に描いたはずの大作がギャラリーに急に運び込まれ、それに続くように智子が何者かに殺される。

 第14回「このミス大賞」受賞作品(その二本のうちの片方)。智子殺しの謎が終盤まで持ち越される一応はフーダニットだが、正直犯人捜しのミステリとしての興味は希薄(ジャンルは一応「本格/新本格」に分類したが)。
 実際には美術界についての話題を饒舌に語る情報小説としての趣が強く、それはそれで楽しめる(一時期の乱歩賞作品風というか)。
 もちろん<なぜ無名が隠れるのか><そもそも彼は今も健在なのか>の興味の方も物語の上で語られる。ぶっちゃけ智子殺しの犯人捜しより、読者の関心を引く謎の提示としてはこれらの方が大きいだろう。

 果たして残りページがわずかになっても犯人捜しの方はギリギリまで放っておかれ、終盤にかなり凝縮した紙幅で、ようやく謎解きが行われる。犯人の意外性はほとんどなく、探偵役の人物がかんじんのポイントをそれまであまり話題にしてなかったのもちょっと乱暴という印象も受ける。それでもラストの前向きな感じは悪くはなく、ジャンルもののキャラクタードラマ作品としてはこれはこれでいいという思いもあった。ミステリとしては薄口なれど、嫌いになれない感触の佳作。

No.140 7点 アックスマンのジャズ- レイ・セレスティン 2017/03/11 01:56
(ネタバレなし)
 1919年。イタリアやアイルランド系の移民でにぎわい、さらに黒人差別の風潮もいまだ根強いニューオーリンズ。そこでは「アックスマン」と称される謎の殺人鬼が手斧を握り、主にイタリア系の人々を殺していた。ひそかに黒人の妻アネットと暮らす中堅刑事のマイクル・タルボット、長年マフィアのスパイだったが正体が発覚して懲役刑を受け、つい先日出所したばかりの元刑事のルカ・ダンドレア、ピンカートン探偵社の地元支局の娘アイダ・デイヴィスは、それぞれの立場からアックスマンの手掛かりを追うが、やがて彼ら三者がたどり着くのは、思いも寄らぬ事件の実態だった。

 20世紀初頭を舞台にした、3人の主人公の視点で交互に語られる時代ミステリ。アックスマンの事件は未解決事件の実話をベースにしたという。
 3人の主役の中ではとりわけマイクルの比重が高く、さらにそのマイクルを育てた元先輩ながら彼の手によって捕縛されたルカと警察組織の相関もそれなりに語られる。一口にはジャンルを絞れない厚みのある作品だが、ここではそういった意味で警察小説のカテゴリーに一応、分類した(アイダの捜査は、あくまで民間の私立探偵サイドからのものだが)。
 本文470ページ、名前の出てくる登場人物も総勢100名に及ぶ大作だが、複数主人公という趣向を機能させたカットバック式の叙述が効果を上げ、物語はきわめてハイテンポに淀みなく流れる。
 その一方で細部のキャラクター描写も手堅く、たとえば元悪徳刑事のルカが随時見せる人間味(冤罪を着せた人間の恨みを買って殺されかけるが、ともに命の危機に瀕するなかで、その相手をつい救ってしまう)とか、当初は卑劣漢に見えた某キャラクターが終盤で見せる意外な男気とか、そういう情感の発露で読者を饗応する小説作りも実にうまい。
 差別意識が蔓延した人種のるつぼで、さらに20世紀初頭当時いくども自然災害に晒されたニューオーリンズの市街そのものも、さらにもうひとつの主役ともいう趣で語られる。
 くわえて3人の主人公の道筋の絡み方も終盤に至ってちょっとテクニカルな面も見せ、それはもちろんここでは書けないが、最終的には読者の目線で、事件のほぼ全貌が個々の主人公たち以上に見渡せるようになる構成も効果的。

 ちなみに題名の意味は、殺人鬼が新聞社に送ってくる文書の中で、なぜかジャズに執着を見せるから。なお筆者は洋楽にはさっぱりうといのだが、作中の登場人物の一部は同時代の伝説的ミュージシャンを想起させるキャラクターらしい。

 なおアイダがミステリファン、特にホームズものの愛読者で原典の台詞を引用する叙述も印象的。最後のエピローグ、この時代設定ならではの、ミステリファンにとって感動的な趣向も用意されている。その仕掛けには本気で感涙。
 CWA最優秀新人賞受賞作。 

No.139 6点 クリスマスの朝に- マージェリー・アリンガム 2017/03/05 16:10
(ネタバレなし)
 アリンガムは、個人的に現状のところ<本は何冊か購入しながらも、何故かほとんど読んでなかった作家>の筆頭格である。それでもHMMや日本語版EQMM掲載の短編はそこそこ楽しんでるハズで、現在の創元の新編纂短編集もこれで3冊とも読んだことになる。

 今回は(クリスティーからのお悔やみエッセイを別にすれば)長めの中編と短編一本のみのカップリングという「短編集」を謳うにしてはかなり変則的な構成。中編「今は亡き豚野郎の事件」は大きめの活字ながら約230ページの分量があり、これならnukkamさんのおっしゃるように短めの長編扱いして、昔の創元文庫のシムノンかアルレーみたいに、薄めの一冊で出せば、とも思った。まあ翻訳の契約問題とか、なんかあるのかもしれないが。

 とまれ「豚野郎」は、地方の村での連続殺人? 人間の入れ替わり? 死体の消失? 謎の手紙? と短い紙幅の中にミステリギミックがふんだんに詰め込まれ、話の展開もスピーディで予想以上に面白かった。殺人トリックも古めかしいが、これはこれで味がある。小説としてもキャンピオンとヒロインの微妙な距離感、脇役の連中との関係の変遷など、キャラクター作品として楽しめた。

 短編「クリスマスの朝に」は<十字路の周辺で死んだ郵便配達人が、その日そこまで歩いて行ったはずのない向こうの家に郵便を届けていた!?>という<状況的にそれは起こりえないはず>という明確な謎の提示がかの傑作『ボーダー・ライン事件』(大好きである)を思わせ、とても心惹かれた。解決は魅力的な謎に比してシンプルだが、その落差が妙に味を感じさせる一編でもある。

 個人的にはこの短編集3冊目で、ようやくキャンピオンの魅力が改めて見えてきた気もする。そのうち長編も読んでみよう。 

No.138 6点 カササギの計略- 才羽楽 2017/03/05 01:39
 あくまで普通の青春恋愛小説として物語は進み、事件性も犯罪の片鱗も見えてこない。どこでどうミステリとしての形質を獲得するのか……と思いながら読んでいると、終盤でようやく、ああ、こういう作品だったのね、と。
 
 ××トリックの楷書のような<ひとつの狙いを達成したスタンダード感>がとても強い作品。作品の構造としては目新しいものはないけど、その分、まとまりは良い。
 さらに、何故か人形を乳母車に乗せて徘徊する女性「ベビーさん」や、ヒロインが夜間に出会った街頭のミュージシャンのような脇役の描写など、作者の(中略~ある修辞が入る~)人間観も胸に応える。文章も新人としてはかなりの練度で、全体的に流麗なのもいい。
 
 ただ惜しむらくは、最後の仕上げがなあ…(汗)。普通なら大好きなクロージングの方向が、この作品に限っては似合わない思いが強いのだ。
 310ページで心情吐露された主人公の内面は信じられるけど、この結末ではそれも台無しになっちゃうんじゃないのかと(いや、その作劇思想的なアンチテーゼとして、それより先の205ページの会話を前もって用意してあるのもわかるんだけど)。

 最後の最後にひとさじだけ多く、作者の神の意志が働き過ぎた感じ。そこだけはもうちょっと微妙な書き方をしてほしかった。

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人並由真さん
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以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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