皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
[ ハードボイルド ] 曇りガラスの街 私立探偵ハリイ・ストウナー |
|||
---|---|---|---|
ジョナサン・ヴェイリン | 出版月: 1986年05月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 1件 |
早川書房 1986年05月 |
No.1 | 7点 | 人並由真 | 2017/09/24 20:43 |
---|---|---|---|
(ネタバレなし)
恋人と別離し、傷心の私立探偵ハリイ・ストウナー。そんな彼に、高名な物理学者ダリル・ラヴィングウェル教授から依頼がある。教授は国家機密の原子力プロジェクトに携わっていたが、重要な書類を娘のサラに持ちだされた可能性があるので調べてほしいと訴えてきた。24歳の娘サラはマルクス主義の環境保護論者で、原子力政策に関わる父とは、なさぬ仲だった。事態を公にしたくない教授の意向を受け、ストウナーはまず自分で現場の検証に当たるが、事件は複雑かつ意外な方向へと発展していく。 未読の80年代私立探偵小説をたまには読もうと思って、手にした一冊。 ヴェイリンのストウナーものは初期の4作目までが順々に翻訳され、筆者は第1作『シンシナティ・ブルース』をかなり楽しんだ記憶のみがある(内容の方は事件の概要以外、ほとんど忘れているが)。第2作『獲物は狩人を追う』は読んだかどうかの記憶すら曖昧で、もしかしたらまだ手付かずかもしれない。ちなみに本作はシリーズ第3弾にあたる。 なお作者ヴェイリンは当然のごとく、R・チャンドラーへのトリビュートアンソロジー『フィリップ・マーロウの事件簿(フィリップ・マーロウの事件)』にも参加した真っ当なチャンドリアンで、主人公ストウナーも地方検事局勤務の経歴がある三十代? のハンサム、さらに作中でもマーロウに倣ってチェスを手慰みに楽しむなど、本家を明確に意識している。 80年代のいわゆるネオ・ハードボイルド期には、多様なキャラクター属性の私立探偵たちが、あたかも黄金時代のホームズのライバルたちのごとく賑わったが、このストウナーはそんななかで、その性格も行動もわかりやすいスタイルもふくめて、最もマーロウの遺伝子を色濃く受け継いだ私立探偵ヒーローの一人のようだった。 とはいえ正統派ハードボイルドの精神は随所に匂わせつつも、同時に(80年代当時の)現代ミステリとしての魅力も充満。ストウナーが捜査を進めるにつれて意外な顔を見せていく事件の真実、さらにはストウナーや関係者たちの生命にも関わる派手なクライシスも十全に盛り込まれている(もちろんここで詳しくは言えないが、物語後半はそういう方向にストーリーが広がるのか! と驚きつつも、謎解きミステリとしてのツボを外さない絶妙なバランス感を強く認めた)。 登場人物では、特にキーパーソンとなるラヴィングウェル父娘はもちろん、事件の深化のなかでFBIから応援に参じ、ストウナーの相棒格となる青年捜査官ラーマンなども実にいい味を出している。 迂路を経た事件の真相やそこに至る伏線は端正に綴られ、その意味ではこなれた20世紀終盤の(当時の)現代ミステリらしいが、それでも最後の最後の小説的スピリットは、やはりああ、いかにもチャンドラーへの、正統派私立探偵小説へのオマージュいっぱい…といった感覚に帰結する。最後の二行は、まちがいなくあの名作長編へのリスペクトだろう。 なお先述の通り、シリーズは第四作までで邦訳が途絶えてしまったが、Twitterなどで原書を読んだ人の感想を拝見すると、そのあとの作品がさらに傑作らしい。多くの作家・作品にいえることだが、中身のあるシリーズが途中で翻訳紹介が中絶するのって、本当に惜しいねえ。 |