皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.41点 | 書評数: 1326件 |
No.266 | 7点 | 第八の日- エラリイ・クイーン | 2017/10/31 00:26 |
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最終期のクイーンでは一番面白いのではなかろうか。というか、最終期はそれまでの作品のコラージュみたいになってしまって、「あ、前にあってねこんなの」となりがちなのだが、本作はそうでない、ユニークな小説である。
本作のクイーナン・コミュニティは、洗礼者ヨハネ関連では?と考えられている死海文書で有名なエッセネ派からヒントを得たような、オリジナルの原始共産制宗教コミュニティである。ネバダ砂漠の中に隠れ、外界とは交渉を持たずに、それでもオアシスの恵みによって安定した独自の社会を築いている。所有も物欲もなく、すべてが必要に応じて分配されるユートピアに、エラリイが迷い込む。「教師」によると、ある「トラブル」が共同体を襲うが、エラリイはトラブルに対して「道を開く」ために呼ばれてきたのだという....予言の通り、果たして殺人が起きた! というわけだが、そういう「ユートピアでの殺人」のために、エラリイとしても大いに勝手が違う。エラリイは通常の殺人捜査の手法によって犯人を突き止めるのだが、しかしこれは後期のパターン通り、誘導された真相であり、エラリイは何か大きな力に操られるかのように、「偽りの真相」による告発と断罪を先導する。しかしそのさ中にエラリイは本当の真相をつかむがそれは...なのだが、本作の独自なところは、「真相」が真相であるためには、それが社会によって意味を与えられるのでなければ、何の意味も持ちえない、ということなのである。今回のエラリイは失敗すらさせてもらえないほどに、その推理は無力なものでしかないのだ。 なので本作は、砂漠の蜃気楼のような「探偵の悪夢」だろうか、かなり皮肉な寓話みたいなことになっている。ほんとはね、「ミステリの真相」というも実は「ミステリが真相を見出す小説」であるがゆえに、たまたま小説のオチになるだけのことなのだよ。 |
No.265 | 10点 | 十日間の不思議- エラリイ・クイーン | 2017/10/30 23:48 |
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ミステリというのもある意味「ジャンル小説」というか、ある「お約束」があって、読者もその「お約束」を期待し、作者も「お約束」の範囲内で上出来な商品を提供する、という側面があるわけだけど、評者なぞはそれでも「作者の意欲とジャンルのせめぎあい」みたいなものを見たい、と感じているわけだ。
本作は、はっきり言って「本格」ではない。「クイーンだから本格ミステリだ」というのは、いささか固定観念(というか消費者としての期待か)が過ぎるというもののようだ。だから評者は常々、作品を作品として、独立に捉えて、読者の期待であるとか予断であるとかから離れて(まあそれができるのが再読の良さなのだが)作品に即して良い面を見つけていきたいと念願しているのだ。 評者は本作は好きだ。ミステリというよりも、小説としての充実感が本当に半端ない。クイーンの全作品の中でも、文章はピカ一だ。ほぼハードボイルド並みの簡潔な文章の畳みかけで綴られている。 しかしだれかが離れ家の電燈をつけたらしく、その光が、女が髪の毛に指をつっこむように暗い庭園にさしていた ...ちょっとロスマクを思わせるような渋い文章である。ハードボイルドの一人称文体が謎解きについて「探偵が知らないことは書けない」という大きなメリットがある、ということをロスマクは明らかにしたわけだが、その視点で見るとき、例の鮎川哲也の批判は評者は的外れだとおもうのだ。というのも、本作はハワード視点の冒頭を除いて、エラリイの限定3人称で通していて、地の文と見えるものも実際にはエラリイの意識のフィルターを通した描写と言うべきなのだ。少なくともエラリイはそう認識した、でイイわけで、「神の視点での真実」とは何も関係がない。まあ評者、本音を言えば「ミステリでの神視点三人称は使用禁止」にしたいくらいのものである..だって、犯人の視点で書かないのは作者の恣意になるからね。 なので、本作のテーマというのは、本当はそういう意識(というか虚偽意識)の問題であって、「あなたの考えは本当はあなたのものなのか?」という哲学的なテーマが背後にある。一見リアルな客観と見えるものさえも、実は「操作された現実」でしかない、という疑惑に包まれたら最後、「あなたの世界」は崩壊するのかもしれない。だからこそ、デカルトは「我あり」を確立した直後に、「神の誠実」を論証なしに認めて世界の客観性を救ったのだが...本作の「神」は残念ながら不誠実である。それゆえ理性=エラリイは神の死を宣告せざるを得ない。そうしなければ「世界」は混淆した主観の中にグズグズと崩れ去るからである。本作のテンションは、そういう「世界」の危機感の賜物なのだ。 結論:本作はクイーンがミステリの形式を媒介にして、ミステリを超えたものにアクセスしようとした「超ミステリ」の1冊ということになる。これは例外的な小説だ。 |
No.264 | 8点 | メグレ罠を張る- ジョルジュ・シムノン | 2017/10/22 21:30 |
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本作メグレ物の中でも有名作の一つにふさわしく、ジェットコースター的な展開で、とにもかくにも「読ませる」名作である。シムノン全盛期の剛腕を存分に楽しむことができる。まあ皆さんもよく書評していて、いい面をしっかり伝えているので、評者なぞが屋上屋を架すのも野暮だ。
...で、なんだけど、本作ってたぶん「熱海殺人事件」の元ネタな気がするのだ。メグレ流の捜査術というのは、犯罪を犯人の自己表現として捉えることに真髄がある。その自己表現を理解する批評家のような立場にメグレは立つわけだ。本作はこういう「メグレ流」をわりとあからさまに描写しているので、シムノン入門編に最適じゃないかしら。けども、この犯人の自己表現をパロディ的な方向にゆがめたとしたら、それこそつかこうへいの世界に直に通じてしまうのだ。くわえ煙草の伝兵衛とパイプのメグレの距離は、意外なほど近い。それゆえ、本作の「犯罪」もメグレの理解を俟って初めて完結する、犯人とメグレのいわば共作のようなものなのかもしれないな。 |
No.263 | 4点 | 恐怖の限界- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2017/10/20 23:50 |
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マッギヴァーンというとハードボイルド/警官モノがメインなのだが、たぶん長編は一つだけだがスパイ小説があって、それが本作。イタリアに出張していたアメリカ人ビジネスマンが、行きずりの女性の危難を救ったことから、ソビエトのスパイが暗躍する謀略の中に巻き込まれていった...というのがアウトライン。各務三郎が昔アンブラーについて「現代版の恐怖小説になってしまったスパイスリラーに、もう一度冒険のセンスを取り戻そうとした..」なんてことを言っていたのだが、要するに本作、タイトルからして「恐怖の限界」だが、まさにそういう「現代版恐怖小説」としてのスパイ小説だったりするのである。
しかしね、作者がマッギヴァーンだ。主人公はラヴクラフト風の受動的なキャラではなく、行動的で現実的なアメリカンで、一種のモラルからドンキホーテ的なおせっかいをして結果死体がゴロゴロ(いくら冷戦まっ盛りのスパイ活動でも、外国での殺人はなるべく避けるだろうに...)、ということになってしまう。副主人公的ポジションで、左翼系インテリで皮肉屋の友人がいるのだがこの男と、加えて敵方のボスである冷血の職業的スパイと、この3人の内面描写を切り替えて、神視点三人称で多面的に状況をきっちり説明して「見せる」のだが...まあ実際本作の内実は恐怖小説なので、しっかりかっきり説明してしまうと、どうしてもお話がお安くなるというものだ。 というわけで、本作はマッギヴァーンのイイ面が全部裏目に出てると思う。まあこういうのも、ある。 |
No.262 | 6点 | よみがえる拳銃- カート・キャノン | 2017/10/15 15:10 |
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カート・キャノンっていうと都筑道夫が訳した短編集の方が伝説なんだけど、1作だけ長編があるんだよね。これがそう。だからマクベインというかハンターというか、は続ける気がないわけじゃなかったんだろうけど、87分署で人気者になっちゃったからには、続ける余裕がなくなってしまったあたりが真相ではなかろうか。日本じゃ都筑道夫のイレ込みによってか87分署に並ぶ人気作になったんだけど、アメリカではそうでもないようだ。Ed McBain の英語版Wikipedia は Curt Cannon については実にそっけない記述しかないしね。
今回、幼馴染に強引に巻き込まれたかたちでレジ荒らしの調査を渋々引き受けさせられて、その男の店に行くと共同経営者の死体が転がっていて...で、その死人の義妹に惚れられるわ、別な探偵の調査員は名ばかりの今風に言えば「別れさせ屋」の女にも誘われるわ、と相変わらずキャノン、ルンペンなのが謎なほどにモテモテである。この「別れさせ屋」の女フランがなかなか意味深なことを言う(ファッションもカラスで尖がってる)。もちろん、このシリーズの眼目は、カートの前妻トニへの、未練たっぷりな思い入れというかトラウマと合体してわけのわかんないコンプレックスになっている愛憎の感情に溺れるさま、なのは言うまでもないんだけど、これを第三者の女が見たとき、 あんたは傷つけられた男。しかも美しい女に傷つけられた男。母親のようにあんたをいたわりたいという自然な本能を別にしても、そこには挑戦してくるものがあるの。女らしい女ならば無視できない挑戦よ(中略)その挑戦っていうのは、恋の焔を消すことができるかどうか(略)あんたにとっては最高のものだった女を忘れさせることができるかどうかってこと。 というあたり、オンナのトラウマ男好きの真相というかホンネ感が半端ない。「あんたがいやがるから、ますます挑戦したくなるのよ」と女にだって征服欲があるわけだよ。まあこの手の小洒落て洞察の効いたネタがあって、しかもそれらがちょいとしたミスディレクションになっているあたりに作者の才気を感じて、ニヤリとするようなタイプの小説だ。こういうの、いわゆる名作の範疇には絶対入らないけど、妙に愛される小説の資格だけは十分すぎる。 |
No.261 | 7点 | ギデオンと放火魔- J・J・マリック | 2017/10/09 21:57 |
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モジュラー型警察小説のハシリで有名なシリーズのMWA受賞作。モジュラー型っていつ頃から言い出したのか知らないが、評者とか「ギデオン方式」って昔呼んでたよ。で、このパターンの弱点は登場人物が増える割に事件がありふれたものなので地味になりがち、という点だが、本作は火事で家族を亡くした男が復讐のためにロンドン中に放火して回るのがクライマックスになって、とっても派手。そこらへん話題性もあっての受賞だろう。
他にも少女強姦殺人1件、連続女性失踪事件(青髭系)1件、銀行強盗1件+共犯者の妻殺し、株式詐欺1件に加え、ギデオンの未成年の息子が隣人の娘を妊娠させた?という家庭内事件まであって、これらが同時並行で進行する。だから読み応え十分。 このシリーズの一番の特徴は、主人公が警視長(通称は警視だが、いわゆる警視より2階級上)でかなり偉いこと。実際、ギデオンは、スコットランド・ヤード(首都警察)の犯罪捜査部(CID)部長なので、上司はすべて政治家で警官ではない。ギデオンは警官としては頂点を極めた地位にあることになるわけだ。だから仕事は本当に管理職で、現場指揮はすることもあるが、身を張るのは部下、ということになる(まあそれでも小説なので、本作も1回だけギデオン本人が突入して犯人を取り押さえるシーンがある)。管理職としてのリアリティをちゃんと描けるか、というあたりだが、そこらへんは有名シリーズのわけで、ソツがない。基本的に中間管理職だったりもする警視級の部下たちの報告を読んで指示を出すのが仕事であり、それがきっちり描けているので、シラけるようなことはない。 わたしがいってなかったとしても、カースンか、ほかのだれかがやったろう。あんな仕事に、わたしがどうしても必要だなんて、そんな考えをするほどばかじゃないよ。あそこへいったのは、何かやるためじゃなくて、いわば、その、立場上の責任といったものだろうな。 ....マトモな職業人、だね。堅実というものだ。このセリフで本シリーズの美点はほぼ尽きている。 |
No.260 | 6点 | ビッグ・ヒート- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2017/10/09 21:01 |
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評者の見るところ、本作は同じ元刑事復讐譚である「最悪のとき」とネタがカブるようで、「最悪のとき」は本作のやや甘めなところを激ニガに書き直したバージョンみたいに感じる。それでも本作の一番イイところというのは、そのいささか「甘い」ところのかもしれないな。
警官が自殺した。その経緯に不審を抱いたバニオン警部補が捜査を継続すると、証人の死や不可解な圧力が上司からかかるなど、どうも市政の影のボスたちの逆鱗に触れているようだ。バニオンの身代わりとなって愛妻が車に仕掛けられた爆弾によって殺されると、バニオンは腐敗した市警察を辞職し単身謎を暴いて黒幕に復讐することを誓った... という話だが、実はそれほどハードじゃない。ギャングたちがバニオンの娘を脅かそうとするが、バニオンのために戦友たちが娘のガードを買って出てくれるし、神父や正義派の幹部警官なども陰に日向に助けてくれる。意外にここらのみんなに「支えてもらってる」あたりが、何かイイ感じである。神父なんぞ戦友たちのアリバイ作りに「一緒にポーカーしてた」と証言してくれるくらいだよ(笑)。 しかしね、男は見栄や気取りもあってなかなかハードに徹しきれないものなのだが、女は実に煮え切ってハードボイルドだ。バニオンは諸悪の根源である女を撃てばある意味問題が解決するのだが、それでも撃てない。 とにかく、わたしはタフな人間よ。あなたにもできなかったことをしたんですもの。 ...オトコなんぞより、女の方がずっとタフでハードボイルドなんだよ。この小説はホントにそういうオチである(苦笑) |
No.259 | 7点 | 約束- フリードリヒ・デュレンマット | 2017/10/09 20:26 |
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昔「嫌疑」を読んで面白かったことから、本作も買って読んだ。だからまっとうなエンタメ/ミステリなんて期待せずに、その「はみ出かた」如何?という感じで読んだわけだ。
スイスの寒村の森の中、赤いスカートの少女が強姦後殺害された。死体発見者の行商人が、容疑者として取り調べを受けるが、自白後に自殺し事件は落着したかに見えた。しかし捜査に当たったマテイ警部は「約束」によって縛られ、ついには孤児の少女を引き取り、国道沿いにガソリンスタンドを開いて、少女を囮の「真犯人を釣り上げる」孤独な道を選んだ...という話。本作ポケミスで130pほど、中編程度の短さで、リアルな話というよりも、民話風(というか、ゴーゴリとかシュティフターとか、ロマン主義的な屈折を内包した民話風)の味がある。松本清張の「張り込み」とか、視点の置き方はああいう感じなんだけど、清張にはない土俗的な得体のしれないオーラがある。 で結局いつまでたっても真犯人は現れない。少女は大人になり、自堕落に暮らすようになり、マテイも妄念に捉われたまま朽ち果てようとする。しかし、マテイの旧上司たる語り手は、 この話にはまだオチがあるんです。しかもお察しのとおり、実にパッとしないオチがね。そのパッとしないことといったら、どんな小説も映画にもつかえないほどです。それは滑稽で、間が抜けていて陳腐ですから、もしこの事件を小説にしようと思われるのなら、どうしてもこのオチは省かねばならないでしょう。しかし正直言って、このオチはまず徹底的にマテイを弁護し、彼を正しい照明の中へおき、彼を天才たらしめるものです。 これは徹底的に負け続ける聖者の話のように評者は思う。ミステリの枠をまったく踏み外さずに、完全にミステリから逃れさる、という「反ミステリ」とでも言うのか、ミステリを極めてミステリからズレるいわゆるアンチ・ミステリとはベクトルが真逆の作品である。 |
No.258 | 6点 | 靴に棲む老婆- エラリイ・クイーン | 2017/10/09 19:53 |
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「エジプト十字架」やって直後に本作である。当然お題は「あかね書房懐かしい」。まあエジプト十字架はその後にもオトナ向きで読み直したが、さすがに本作は読み直していない。それでも決闘の話とか何となく覚えていたなぁ。「パンは出さずにスープで済ませ、鞭で叩いてベッドに..」は子供心にビビったものだよ。
まあ本作、館モノのパロディみたいなものだ。館モノ、マザーグース、操りの問題などなど、クイーンがしたかったことが雑然と並んでいる感じだ。それでも本作を子供向きの原作に選ぶセンスはなかなかよろしい。漫画的だから、どうリライトしてもファンタジックで楽し気になるよね。 今回評者は結構楽しく読んだな。漫画的なキャラは立ってて、ユーモアあるし、例の拳銃の手品はそうセンス悪くない。しかしねえ、犯人逮捕の後で残りページの量を見て、「あまだ少しある」って気づいたら、やはり黒幕がいるんだよね...とついつい予測しちゃうのは、いい加減クイーンにスれ過ぎているような気がする。もう残りわずかだが、自戒。 |
No.257 | 7点 | エジプト十字架の秘密- エラリイ・クイーン | 2017/10/09 19:30 |
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まあ今更に今更な名作、ということにはなるんだけど、今回読み直してこの前作があの閉鎖的な室内劇だった「ギリシャ棺」なのが信じられないくらいだ。クイーンもよっぽど書いててストレス溜まったのかしらん。
そういうわけで本作はロマネスクな大活劇である。ロジック派の皆さんには申し訳ないが、本作のロジックって小ぶりでわかりやすいのが多く、言うほど面白いものはないように感じる。クイーン=ロジック、って予断で読み過ぎている印象を受けるなぁ。 ただし、本作はそれまでのクイーン国名シリーズが欠いていた、キャッチーでロマネスクな長所がある。バルカンの血の抗争を背景にしながら、それを移民国家アメリカの問題としてモダンに扱っているセンスがいい。何やかんや言って、国名シリーズあたりというのは、「(いわゆる)本格ミステリ」の概念確立期なのであって、書いている時点ではまだまだ流動的なものだったようにも評者は思うのだ。古めかしい因縁話ではなくて、「本格ミステリ」である以上に、アメリカを股にかけた開放的でモダンなエンタメとして、本作は「古典的なほどに」よくできてると思うよ。だから国名シリーズの流れから見ると、本作あたりを最大の異色作と見るべきなのであって、決して「国名シリーズの代表作」ではないのでは?なんて思うのだ。 |
No.256 | 6点 | 黒いカーテン- ウィリアム・アイリッシュ | 2017/10/09 19:05 |
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井上靖の「崖」をやったこともあって、記憶喪失モノの古典の本作もやりたいなと思っていたらGETしたので読んだ。小学生の頃のあかね書房「恐怖の黒いカーテン」が初読だが、世界大ロマン全集に入ってたので読み直した記憶がある。懐かしい。
目まぐるしくいろいろなネタが連打される作品で、ウールリッチらしい感傷的な文章が、パルピィなスピード感に乗って繰り出される。このドライブ感に身を任せるべきなんであって、お客さん、立ち止まっちゃあいけないよ。 個人的には、ルスと出会って向こうは当然自分を知っているんだけど、こっちは何もわからないのを隠して、身元や背景なんかを探るあたりが一番スリルがあってよかったな。まあ本作、皆さんもルスがご贔屓キャラのようだ。女で話が展開するウールリッチの術中にハマってるね。 ちょっと追記。思うんだが、作中では描いてないけど、ルスって黒人なんだろね....そう考えたら結構いろいろ辻褄が合うんだよ。多分書かれた当時は「察しろよ」というレベルの話だったんだろうがね.... |
No.255 | 2点 | 秘密諜報員―アルフォンスを捜せ―- エゴン・ホストヴスキー | 2017/10/01 00:01 |
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なんとなく古本屋で手に取って買った作品。作者はチェコでは有名な作家らしい。1957年にH=G・クルーゾーが映画化した「スパイ」の原作、ということである。映画は未見。
冷戦下のニューヨークに住む、チェコからの亡命者である精神科医マリクは、心理戦争研究所に所属のハワード大佐から、「アルフォンス」というコードネームで呼ばれる重要なスパイの精神的な問題の解決を依頼される。マリクのもとには、病気のふりをしたスパイなのか、精神的な問題を抱えた患者なのか区別がつかない人々が続々と訪れる。「スパイされている」とか「盗聴されている」とか、スパイ小説の定番ネタというのは、往々にして精神病の症状の一つだったりする、という「それを言っちゃあお終い」な事実が横たわっているわけで、話の輪郭はグズグズと崩れだし、誰がどの陣営か判然としない迷宮の中をマリクはあてどもなくさまよう。亡命チェコ人コミュニティが背景にあるようで、雰囲気は若干カフカ的。 評者はそこそこ「翻訳小説エンジョイ力」はある方だと思うが、本作はダメだ。スパイ小説は国際的背景をリアルに感じさせるように書くからこそ、「すべて妄想」から逃れることができるのであって、本作みたいなカフカ的迷宮のスパイ小説ともなると、本当に読んでいてわけがわからない。精神病とスパイとを重ね合わせるというのは、そもそも洒落にならない、自己破壊的なアイデアなんだろうな。観念的な会話が続くし、映画批評家の岡田真吉の訳だが、ほんとうに分かりづらい。まあチェコ語みたいなレア言語ができるわけじゃなし、重訳だろう。 |
No.254 | 5点 | 海浜の午後- アガサ・クリスティー | 2017/09/24 21:56 |
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本作は3つのオリジナル一幕物を集めた短編集という感じのもの。それぞれカラーが違い、「海浜の午後」は海水浴場での、盗まれたエメラルドのネックレスを巡るドタバタ風の軽い作品。強い母に抑圧される青年が悲惨。こういうキャラ、中期の長編によく出てる。「患者」は麻痺で動けない患者の、わずかに動く指先でのスイッチによる回答で、その患者に対する殺人未遂を尋問していく話。舞台効果としてはこれはなかなか良さそう。だけど、一幕もので短いから、ひねりとか特になし。「鼠たち」は不倫の恋を隠した男女が、友人のマンションに誘い出させて閉じ込められるが、これは「死」の罠だった...というサスペンスもの。ネタが「バグダット大櫃」を少し転用している。
というわけで、どれも短くて膨らみが薄いのが難。一幕物のミステリ劇って難しいね。 でなんだけど、これで一応戯曲は入手難(まあデジタルはあるが)の「殺人をもう一度」と、どう見てもミステリじゃない「アクナーテン」以外読んだことになる。本作の最後には戯曲リストとして戯曲だけの一覧が載っているが、これによるとオリジナル戯曲は全部ハヤカワで出てることになる。逆にクリスティ自身による戯曲化でもベースの小説があるものは、ハヤカワは出してないことになる。例外は初期のポケミスで出た「アリバイ」だけど、これは他人による戯曲化だ。というわけで、実はクリスティ自身の筆による戯曲は、小説ベースのものは結構まだ未翻訳だ、ということになる。クリスティ自身の戯曲化でも「死との約束」「ナイルに死す」「ホロー荘の殺人」+共作になる「ゼロ時間へ」と4作もあり、翻訳されたのは「そして誰もいなくなった」と「五匹の子豚(殺人をもう一度)」の2作。クリスティが関わらない戯曲化だと「アリバイ」外に3作ある。 まあ「完全」攻略って海外作家は難しいな。あとクリスティだと詩集があるはずだが、これも未訳(というか、詩の翻訳はそもそも難しいし)。 |
No.253 | 5点 | サン・フィアクル殺人事件- ジョルジュ・シムノン | 2017/09/24 21:30 |
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自分の出身地で起きた殺人予告状の一件を、メグレは自分のポケットに入れて、父の死後訪れたことのない故郷を訪ねた...
泊まる宿屋の女将だって子供時代を覚えている。そんな村の教会の早朝ミサのさなか、メグレの目の前で、予告通りにこの村の昔からの領主の家柄であるサン・フィアクル伯爵夫人が急死した....犯行手段は祈祷書に挟まれた伯爵家のスキャンダルを示す新聞記事を見たことによる心臓発作。そう、伯爵家はメグレの父がつかえていた伯爵の死後、貴婦人として尊敬されていた伯爵夫人は若い秘書をとっかえひっかえして醜聞をまきちらすわ、長男の現伯爵モーリスはあらゆる事業に失敗した放蕩者でしかないわと、名門の伯爵家が内部崩壊に瀕していたのだ。 そして、その頃少年だったメグレは、庭園のなかで看護婦が押す乳母車を、遠くからうやうやしくながめていたものだ。その赤ん坊が、このモーリス・ド・サン・フィアクルなのだ! というメグレにとってはなはだ幻滅な帰郷であった。「失われた時を求めて」風の味わいだねこりゃ。 そんな具合で、メグレにとって実にやりにくい捜査となってしまった。結局事件は、メグレはほぼ傍観者ままで結末を迎える。小説としては実際腰砕け。前半など雰囲気いいんだけど、失敗作、だな。 |
No.252 | 8点 | 武器の道- エリック・アンブラー | 2017/09/24 21:06 |
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アンブラーって本当に、どの作品をとっても「ジャンル的な類型性」から程遠い「驚き」のある作家だと思う。本作が「国際スパイ」に分類されるのなんて、「他に入れるジャンルがないから...」という消極的な理由に過ぎない。職業スパイと目される人物はわずかに一人だけ、しかも全体から見れば「事件に巻き込まれた」感じで本来の任務とかそういうものでもない...
要するに、アンブラーの「タネ」は、国際スリラーから、「国家」の枠組みを外しちゃおう、というアナーキーな狙いなのである。マラヤの共産ゲリラが遺した武器を横領して売却を狙うインド系青年、武器の移動と売却を仲介する華僑、売却の煙幕として利用されるアメリカ人夫妻、で実際にこれを買おうとするのがインドネシアはスマトラ島のイスラム系独立派...と実に多国籍だが、どの主体も「国家」の束縛を離れたアナーキーな主体なのである。最終的な買い手の代理人は、アーサー・シンプソン風のイギリス出身の国際ゴロ+シルマー軍曹みたいな元ナチともう、あらゆる人種・主義のごった煮である。 それでも、煙幕として利用されるアメリカ人夫妻が、狂言回しでもあって一番保守的だ。 共産分子から奪取した武器を、反共産分子に供給するという、その手伝いに手を貸すのは、なかなか愉快な仕事じゃないかとおもったわけです。 という、お気楽な動機で、このアナーキーの渦の中に飛び込んでしまうのだ! 本作、だから実際には、このアメリカ人夫妻に対する批判的な視点というか、アメリカの手前勝手な理想と、政治センスのなさ、イデオロギー的で現実を直視しない楽天主義などを、チクリチクリと皮肉る小説だとも読める。それでも、このお気楽な動機が、本作の一番の攪乱要因でもある。 まあ実際のところ、当時のインドネシアはスカルノ政権下で軍隊・宗教勢力・共産党の微妙なバランスの上に政権が成立していた状態で、本作に描かれるような軍隊と共産党が組むことだって、現実的だったわけだ(共産党の崩壊はスハルトの1965年のクーデターによるわけでまだまだ先)。こういう奇々怪々な政治情勢を、典型的なアメリカ人の夫妻が覗き見て、国家とかイデオロギーを超えた現実のややこしさを実地体験する話、ということでもいいのかもしれない。 しかし、本作、一種の連鎖的な構成になっていて、各当事者の事情などの描写は結構細かく、キャラに対する親しみを感じさせる小説技巧のうまさが光る。評者など冒頭に描かれた野心家のゴム園事務員ギリジャ(要するに「売り主」)の運命が結構気になってしまった。いろいろ不測の事態は起きてしまったが、それでもギリジャは成功しそうだ...というので評者は安心。こういうあたり、アンブラーは絶対外さない。 |
No.251 | 6点 | スペイン岬の秘密- エラリイ・クイーン | 2017/09/24 20:06 |
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国名シリーズ最終作になるわけだけども、前作の「チャイナ」に引き続き、謎の設定と解決が、ヴァン・ダイン的捜査プロセス小説+読者への挑戦、という国名シリーズの定石からの「ずれ」が甚だしくなっているように感じる。国名シリーズはもう限界だったわけだな。しかし「死体が裸の理由」がなかなか丁寧な推理による解明があるとか、いい部分はあって、そうそう駄作というわけにはいかないちょっと困った作品ではある。
(少しだけバレるかも) というのは、本作だと、ある意味「メタな推理」で、小説としてのオチなどを考慮して推理すると、犯人は明白なんだよね。しかし、「死体が裸の理由」を巡る推理は結構難易度が高い、というアンバランスなところがある....パズラーで「メタな推理」をしちゃうのは、禁じ手かもしれないけど、こういう小説だとやっぱり読んでて、どうしても計算にはいっちゃうんだよね...そういうあたりで「どんなもんか」なモヤモヤを感じる上に、本作で良い詳細の部分でも、偶然の要素の処理がうまくできているので、エラリイの推理を聞いて納得はするんだけども、犯行が過剰に技巧的、という懸念は残る。 だから本作の「犯人に同情の余地あり」というエラリイが推理機械でなくて...の部分は、これだけ技巧的な謀殺だったらいくら何でもダメでしょう? まあだからこういう「情」の面は「途中の家」でもう一度「国名的」な中に、本作よりもうまく取り入れられて、「災厄の町」につながる、という流れを感じる。 |
No.250 | 4点 | ハートの4- エラリイ・クイーン | 2017/09/24 19:46 |
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ハリウッドもの、なんだけどね、皆さんハリウッドらしさが出てると評されるけど、評者に言わせると全然らしさが出てない。ポーラ・パリスみたいな地獄耳のゴシップ・コラムニストというと、ルエラ・パーソンズとかヘッダ・ホッパーとか、スター並みの存在感で恐れられた人(エピソードはずっとエグい)がいたりするわけだ。クイーンお得意の「呼ばれて行ったけど6週間音沙汰なし」のプロデューサーは、ハリウッドの第二世代の代表者のアーヴィング・ソールバーグがモデルで、この人はフィッツジェラルドの「ラスト・タイクーン」のモデルとしても知られる人だ。ここらへんのエピソード選択とか表面的なもので「ホントにハリウッド行ってたの?」級。まあハリウッドと言いながら撮影シーンがちゃんとないんだからねえ、もっと頑張ってほしいなぁ。
で..読んでてもどうもストーリーも冗長。トランプによる警告とか、後期の作品でもよくこの手の「謎のプレゼント」は多いけど、意外にサスペンスが盛り上がる...って具合にはいかないことのが多いように感じる。考えオチだからねこういうのは。 本来のミステリ部分が良ければそれでも...なんだけど、本作、犯人&動機をまともに隠せてないと思う。何か見え見えな真相でがっかりさせられる。 ふう、ここらへんの作品どれもこれも駄作なんだけど、その中では「ドラゴンの歯」が一番読める気がする。あれは恋愛担当をボー君に振って、エラリイはホント脇役だからね。そのくらいのバランスの方が話がうまく流れると思うよ。 |
No.249 | 5点 | スクールガール殺人事件- コリン・ウィルソン | 2017/09/20 00:12 |
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「アウトサイダー」で有名なサブカル系批評家のフィクション作品だけど、なぜかなぜかガッチガチの警察小説である。もちろん、ウィルソンお得意のオカルトネタが全開なんだけど、読んだ感じは端正で少しモジュラー風(というか、モジュラーの本家J.J.マリックが友達で謝辞が入ってる)警察小説だ。なので何か地味で、読んでいる間はそこそこ楽しめるが、モジュラーの宿命でやたらと登場人物が多くて結構「あれ誰だっけ」になる。
「スクールガール」殺人事件とタイトルがついているが、実は看板に偽りありで、被害者は今風に言えば、JKコスプレが得意の娼婦まがい。その死体がとあるお屋敷の庭に転がっているのが発見された。で調べてみると、そのお屋敷の3階でその屋敷の所有者の甥が殺害されているのが発見され...でその甥というのがオカルティストで、交友関係の中に犯人が潜むのでは、とソールフリート警視の捜査は進む、という話。なので、オカルト知識ゼロの捜査官が、オカルト書店経営者とか、イギリスの「黄金の暁」の後継団体主催者とかの話を聞いて回る。まあ耳学問としては結構楽しい。アレイスター・クロウリーの本がちょっとした小道具として使われたりする。オカルト入門編のつもりなのかしらん。 で、魔女を自称する女性とソールフリートとの間に共感的な交流があったりする。ソールフリートは実務的なりアリストではあるが、そうそう堅苦しい感じではなく、メグレ風の想像力・共感力の探偵だ。この女性が直観した内容が、結構捜査の役に立ってたりするのを、ミステリのルール違反とか責めるのは狭量すぎるというものだ。 悪くはないが突出した良さとかはない。このくらいの評点が相応。 |
No.248 | 7点 | ファイル7- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2017/09/17 09:05 |
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マッギヴァーンという作家のイイところは、アーチスト的というよりも腕利きのデザイナーのような、「情報が整理されている」感覚なんだよね。中編「高速道路の殺人者」と本作、それから「ジャグラー」が、そういうマッギヴァーンの鳥瞰的な視点と、無駄のない語り口で事件の顛末をドキュメンタリ映画でも見るかのように伝えてくれる。
しかしいま連邦警察が必要とするのは推定ではない。必要とするのは、事実であった サイレント期の饒舌気味な字幕のような、若干レトロな気取りのある説明的描写がカッコイイ。本作の狙いは誘拐を含め州間をまたぐ大規模な犯罪に対応する連邦検察局FBIを、それ自体として一個の精妙なマシンであるかのように描くことである。この狙いは成功している。人間臭いドラマは犯人サイドの担当だ。 犯人サイドは、まあマッギヴァーンなのでトリッキーな計画でもファンタジックなくらいに精密なものでもなくて、ごくありふれたプランなのだが、やはり「らしく」飛び入り要素が盛りだくさんである。幼児だけでなくその保母も気まぐれに一緒に攫うし、犯人の一人の弟(善玉)のログハウスを潜伏場所にするのだが、その弟が急に戻ってきたためにこれも捕虜にする。でこの弟とカインとアベル風の確執があるが、こういう要素の方がかえって古びるようだ。誘拐というと犯人側だって待機時間が多いのだが、暇になった犯人がもう一人の犯人をマウントしたがったり、と予想外のイベントが盛りだくさんにある。捜査側としては「重大案件だが特別な事件ではない」のだが、犯人側(もちろん被害者側も)にしてみれば「本当に特別なヤマ」になるわけだ。そういう対比が効いている。 本作は比較的長めなので、じっくりと犯人のキャラも書き込まれている。プランナーのグラントが最初は主導するのだが、屈折した問題児タイプのデュークが、微妙な心理戦をグラントに仕掛けて屈服させる(この手で弟のハンクを奴隷化した)とか、あるいは交渉役の第3の犯人もオタクタイプで性格が歪んでるのが印象に残る。 というわけで、本作はマッギヴァーンという作家が、自分のイイ面を目立たせるように、自分でうまく「狙いを絞って」書いた印象を受ける。この人の自己プロデュース力みたいなものを感じるな。 |
No.247 | 7点 | 道の果て- アンドリュウ・ガーヴ | 2017/09/05 21:18 |
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いつも思うのだが、ガーヴって何て読みやすい作家なんだろう!
風邪ひいて医者に行ったのだがほぼ待合+薬局で読了。ざわざわした医院待合なのに、気が付くとやたら集中してるよ...本当に、嫉妬するくらいの理想的な大衆作家だと思う。 考察すると、本作もキャラは少ない。主人公夫妻、養女、恐喝者×2、警視と6人で室内劇みたいな規模なので、キャラはしっかり描けてる。主人公は営林署の署長で森のプロ、しかも途中で山火事の鎮火にも活躍なんて幕間がある。開放的な自然を背景にして、家族のために戦う男が主人公だ。対するは養女の出生の秘密をネタに主人公を強請る恐喝者コンビ。なので主人公は正義の男なんだが、養女のために話を内輪にできれば...と思ったが最後、打つ手打つ手が裏目に出てドツボにドツボを重ねていく話である。 ナチュラリストで自然相手は得意でも、人間相手の駆け引きとか下手くそなのが、キャラのリアリティを高めてるかもしれないね。恐喝者コンビもそれぞれ個性が違い、よく描けてるわけだが、本作のイイところは、相談した警察がなかなかうまく役にたってくれない(と判断しちゃって)とついつい不満に思って、独自行動をするとさらにそれを警察に隠さなくちゃならなくなって...という心理にリアリティがあること。 なので最後の方なんて、祈るような気分で主人公が元に日常に戻れることを願ってたよ。当然ハッピーエンドなので、ご安心召されよ。 |