皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1419件 |
No.479 | 5点 | この荒々しい魔術- メアリー・スチュアート | 2019/03/01 00:23 |
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ジブリ系アニメの「メアリと魔女の花」の原作、ということもあって、時ならぬ紹介がされたメアリー・スチュアートなんだけども、この人CWAでもシルバーダガー獲ってるミステリ作家である。けども日本の紹介はあまりちゃんとされているとは言い難い。筑摩書房「世界ロマン文庫」で読んだのだが、このシリーズ、クラシックなスパイ小説がメイン?という狙い所がよくわからないシリーズで、アンブラーの「墓碑銘」とかバカンの「緑のマント」とかグリーンの「恐怖省」は珍しいわけではないが、イネスの「海から来た男」とかチルダースの「砂州の謎」とかがレアである。その中に本作みたいな女性向けロマンス小説withスリラー、という作品も含まれるわけだ。
本作はタイトルからそうなのだが、シェイクスピアの「テンペスト」が下敷きになっている。クリスティでも晩年の「ハロウィーン・パーティ」が「テンペスト」下敷きの作品だしシェイクスピアでも大名作の一つだから、イギリス・ミステリを楽しむ上での必須科目くらいに思って読んでも損じゃないと思うよ。まあ本作、テンペストの島のモデル?とされるギリシャのコルフ島が舞台。宮崎駿のネタ元であるオデッセイアのナウシカアの話もこの島らしいや。この島に結婚して住む姉を頼って、バカンスに来たイギリス人女優の主人公が、引退したシェイクスピア俳優とその息子などの、島のイギリス人たちの間で、犯罪と恋に翻弄される、というような話である。まあおよそのんびりした話なので、イルカと戯れるバカンス気分で読むくらいが適切。後半は結構スリラーで、悪人のボートに犯罪の証拠を掴むために忍び込んで、殺されかけるとかあるのだが、あまりベタにヒーローに救われるとか、そういうものではない。ハーレクインなベタなロマンス・スリラーというよりも、各章の冒頭に「テンペスト」の一節が引用される、おっとりした古風で文芸風味のスリラー、といったくらいかな。丸谷才一訳、というのが何かそれっぽい選択な気がする。 読んでるうちはそう退屈するものでもないのだが、特に押し切れる内容があるほどでもない。ヒロインが主体的に冒険しちゃうのがまあ、いいところなのだが、自意識過剰すぎるのが読んでいてうるさくも感じる。タイトルがイイから昔から読みたく思ってた作品だが、それほどのものじゃなかった。残念。 |
No.478 | 6点 | 大統領の遺産- ライオネル・デヴィッドスン | 2019/02/24 11:27 |
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本サイトでも今のところ評者くらいしか、デヴィッドスンを好きで取り上げる書評家はいないようだが、CWAゴードダガー3回+生涯功労賞のダイヤモンドダガー受賞、と英国趣味なヒネリが合うんだったらこれほどナイスなスリラー作家はいない。あと「極北が呼ぶ」はやろうと思うんだが、さすがに「スミスのかもしか」は誰か本を持ってる奇特な方にお任せしたいとおもう...探してはみるけどねえ。
受賞が証明するハイクォリティが、なぜ日本でウケないのか、というと、ヒネリ具合が一風変わっているのと、イギリス流のユーモアとウィットがありすぎる会話(行間を読まないと理解できないことがある...)、事件の背景がほぼ日本人に馴染みのなさすぎる世界だ、というのがあるだろう。今回は、イスラエル建国の父で初代大統領のハイム・ワイツマンが「石油の農産物からの合成」を若い日に研究し成果を挙げていた?という根拠を掴んだワイツマン書簡編纂に携わる歴史学者が、この発見を巡ってスパイもどきの陰謀に巻き込まれる話。「シロへの長い道」同様に、半分以上舞台はイスラエル。最後は十字軍が築いた海沿いの城塞を舞台の逃亡劇で、少しだけアクションがある...主人公を監視しているような謎のインド人研究者、敵に内通しているのは誰か? アラブ諸国or石油会社がウラで手を引く襲撃をかいくぐり、合成法の手がかりを追って主人公はイギリスとイスラエルを往復する。 というと、凄くエンタメした話に見えるんだけど、デヴィッドスンなのでリアルで地味。ただしキャラ造形などに工夫があって、エンタメらしくないエンタメである。ワイツマンの石油研究の手がかりだって、死の床のワイツマンの口述筆記が、筆記者がちゃんと聞き取れず理解できなかったコトバから、その辻褄をいろいろと解釈して「暗号解読」するようなものだから、パズル的な面白さだってあるんだけどねえ。 ・主人公の父は元ソビエトの高官だが、モロトフ失脚でイギリスに亡命し、主人公は少年時代にピオネールに入ってたプロフィール ・ワイツマンの私室だった部屋で、嵐の番に主人公が「ワルキューレの騎行」をハミング(イスラエルではヴァーグナーは御法度) ・カイザリアのローマ式円形劇場遺跡での戦没者追悼記念日があって、オケの指揮はズービン・メータ、ゲストのソリストがバレンボイム、メニューイン、スターンと超豪華(ゾロアスター教徒の指揮者のメータを除外して、豪華ユダヤ人演奏家なのが面白い) こういうデテールの面白みでついついページを繰ってしまう小説なんだが、読み手への要求もかなり大きい。変な比較だと思うが、デテールを愛でる小説というと、小栗虫太郎とか中井英夫みたいな小説なのかもしれないや。まあそれでもこの人、独特のヒューマンな味もあって、そういうあたりも面白い。石油合成法に一番肉薄した重要書類を保存していたオールドミスから、亡き婚約者の遺品である書類を主人公が譲り受ける。 その時、彼女が紅を引き、ハンドクリームを塗ったのは、わたしのためだけではないと、気づいた。それはいわば、聖なる儀式のようなもので、この場にいるジャック・ボトムリーの亡霊に別れを告げている証だった。 このオールドミス、ほんのチョイ役なんだけど、ここまでナイスなデテールが用意されている。贅沢といえばこれ以上のものはなく、小説技巧の冴えではトップクラスの大作家なんだとは思うんだけどね....それを玩味できる読者を選びまくるのが、なんとも残念なあたりでもある。 |
No.477 | 6点 | 闇に消える- ジョゼフ・ハンセン | 2019/02/20 21:04 |
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紹介は3番めになったために、裏表紙では「第三弾!」となっているが、これがシリーズ最初の作品。このシリーズばっかりは、デイブの恋愛遍歴の興味が大きいので、最初から読んでいった方がいいようだ。
デイブ・ブランドステッター初登場の本作ですでに、恋人のインテリアデザイナー、ロッドを癌で失って、その喪失感からようやく立ち直ろうと...というあたりで始まる。まだ父親も生きているがアマンダは出ないし、「砂漠の天使」で活躍する黒人の恋人のセシル君も本作では出ない。それでもマックス・ロマノの店とその常連たちは出る...という配置。事件はというと、田舎町のカントリー・シンガーとして突如人気が出て、市長選にも担ぎ出された男が、嵐の夜に車が川に流されて失踪した。死体が上がらないので、本当に川で死んだのか?を疑う保険会社がデイブを派遣する。 (少しだけバレかも..犯人当ては全然バレませんがねえ) でまあこのシリーズ、ご期待通りに事件の背景に同性愛があるわけだね。舞台は田舎町なので、同性愛差別もてんこ盛りな連中多数。市長選の対立候補はこの秘密を掴んで、市長選を降りるように脅迫する...なんてことも、ある。ここらへんの描写が心に痛いな。アメリカの方が宗教が絡むから、「個人の趣味」じゃ効かなくて差別がキッツイんだよ。世間的な成功もこれはただただ妻を喜ばせるためだけに本心を押し殺した演技だった..というあたりも悲しい話だよね。カントリーってマッチョで保守的な白人が大好きな音楽ジャンルになるからね、表現者としても矛盾してツラいものがあるなあ。 ただ、こういうあたりの話だったら、本人を殺さないほうがずっと小説としての興趣に満ちたものになるようにも思うのだよ。本サイトでこういうことを言うのは何だが、ミステリにしちゃったためにもう少し突っ込めるあたりが突っ込めなくなった、ようにも感じる。ミステリっていろいろな意味でとっても「便利」なフォーマットなんだけど、その便利さにも評者は少しは慎重になりたいな。 それでも丁寧に書かれた小説的な陰影の強いミステリである。ラストもなかなか、いい。パートナーを失った男同士の交歓、とやや明るめで終わる。 |
No.476 | 3点 | 雷鳴の中でも- ジョン・ディクスン・カー | 2019/02/17 22:01 |
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初期の「絞首台の謎」とか「髑髏城」は、パズラーとしては駄作でも、ビザールなロマンとしては雰囲気があって中々いいものなのだが、一口に「駄作」と言っても、本作みたい後期の駄作はその「駄作さ」に大きな違いがあるように思うよ...本当にメリハリがなくて、読んでいてすぐ眠くなる。評者でも読むのにやたらと難渋した。
まあ何というかね、ヒロインのオードリーがやたらと自分勝手に動きたがって迷惑なくらいだし、ハサウェイは妙に傲慢な態度で他人をバカ扱いするし、デズモンドはええカッコシイだし...と、嫌なやつばっかりというのも困ったものだ。でしかもフェル博士の推理だって、こういう腹にイチモツな人々の行動の意味や狙いを、深読みして話を組み立てているものなので、「そうとも見えるけど、それが正しいかどうかは、実のところ疑問」というくらいの説得力しかないように感じるよ。まあトリックというかミスディレクションというか、そういうものはあるけど、全然魅力的じゃない。ふう、単に疲れた。 カバーに大っきくハーケンクロイツ出してるんだから、ヒトラーくらいちゃんと出してよ....と思うのだが、カーって社会や時事に全然関心がないんだな。クリスティですらテディボーイや若者風俗を出してる作品があるのに、人間観が戦前で固定しちゃってるのかね。 (作中に登場するナイトクラブのデザインソースになった悪魔派の画家ジャン・ジャンビエ(Jan Janvierか?)を検索してみたけど、それらしい画家は見つからないや。カーの創作かねえ) |
No.475 | 7点 | 海鰻荘奇談 香山滋傑作選- 香山滋 | 2019/02/12 20:43 |
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第一回探偵作家クラブ賞(新人賞)受賞の名作を含む、現在新本で手に入る河出文庫の傑作選である。香山滋だと代名詞的作品である「オラン・ペンデク」も「海鰻荘」も、連作した後日譚にあたる兄弟作を一緒に収録しているあたりがウリである。
本来「ロスト・ワールド」とかハガードの秘境冒険小説が最初のネタなんだけども、国枝史郎や小栗虫太郎らの手で戦前の日本で独特の進化を遂げた、日本版の「秘境ロマン」の最後の後継者になったのが、この香山滋である。 そもそも日本では、秘境は征服「する」ものではなくて、秘境に征服「される」ものなのだ。その謎に挑むものは、秘境の怪異な美に囚われて恍惚のうちに秘境に飲み込まれていく...その美と法悦を描く方向に、日本の秘境冒険小説は逸走していった。言ってみれば、ラヴクラフトと同質の「怪異への恐怖×愛」が、日常の外側・日本の外側への脱出への夢として、昏く紡がれていったわけなんだね。戦前のミステリはというと、乱歩自身もこういう志向がかなりあったから。探偵作家クラブ賞でもそう違和感もなく香山作品がすんなり受け入れられたわけだ。 しかし、このような昏い夢は戦後の復興とともに、雲散霧消してしまったようだ。この傑作選でも1940年代の作品は、実にいい。が50年代の作が2作収録しているが、何か手慣れてしまって熱がない。小説としては明らかに言葉足らずな処女作「オラン・ペンデクの復讐」が、妙な熱気で読ませるのとは対照的である。 で代名詞的名作「海鰻荘奇談」である。 ―にくい?― ―にくい!― ―ころす?― ―ころす!― ―いつ?― ―こんや!― ささやき声で交わされる老博士と、不義の子の美少女との会話(ひらがながエロい)、新婚の愛を象った大プールも、裏切られた愛によって醜いウツボが群がる地獄の池に...そして骨だけがはいった皮袋のような奇怪な死体。と香山ロマンの頂点の大名作である。愛の法悦がそのまま地獄と化す怪奇美の世界をご堪能あれ。 香山滋の後で、この世界を継承できたのは諸星大二郎だけだと思うんだよ。「海鰻荘」モロ☆先生漫画化しないかなあ! |
No.474 | 8点 | ダブル・スパイ- ジョン・ビンガム | 2019/02/10 22:30 |
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これぞハードコア・スパイ小説、というオモムキの作品である。英国諜報部の幹部デュケインは、スパイを志願した男ザグデンを、敵への餌「小魚」として東側に潜入させる。ザグデンは自らの任務が、ソ連の諜報部に逮捕されることだと承知していた。はたしてザグデンは、ソ連諜報部に逮捕されて、果てしない尋問を受ける。ソ連にはザグデンが諜報部との繋がりがあることがすでに露見していた....デュケインの狙いは何か?囚われのザグデンの運命は?
というような話。なので獄中のザグデンの内省と、延々と続く尋問、デュケイン率いる諜報部での対応といった、アクションなんてカケラもない地味な小説なんだが....いや、これ面白い。著者のビンガムというとル・カレのジョージ・スマイリーのモデルと言われるMI5幹部のわけで、デュケインの人物像はジョージ・スマイリー以上にスマイリーである。モンテーニュかラ・ロシェフーコーか、と犀利なモラリストばりの人間観察を随所に見せて、半端じゃない知性を感じさせる。 大きな悪と戦うために、詭弁や策略などの小さな悪を利用することは、どの程度まで許されるのだろうか? 虚偽と非情のただなかにいるときには、何かの支えとしての誠実さを固守しなければならない。さもないと魂が地獄に落ちてしまう 納税者は何か前からわかっていた情報を期待するものだ だから、というか、職業的な人間観察者であるがゆえに、デュケインは「人間はしゃべりだしたら何もかもしゃべるものだ」と一般理論を引き出して、小説中でその理論に足を掬われることになる.... われわれはみんな、他人の不幸を平気で見ていられるほどに強い(ラ・ロシェフーコー) デュケインの躓きの石はまさにそういうこと。そういうアイロニーから小説は最終盤に大きく動き、ザグデンを見捨てるのも致し方なし? からさらにアイロニカルな状況がラストの急転直下になだれ込む。激シブな洞察の効いた小説なんだけども、最低限かもしれないがちゃんとしたエンタメになっていて、ここらへんのさじ加減も素晴らしい。 まあル・カレってね、リアルスパイとは言うけども、実のところベタにエンタメな部分がウケたわけなんだが、本作はそういうベタが一切ない、スパイ純度100%な小説である。評者の評価ははっきり「ル・カレに優る」である。 (そういえば評者昔「第三の皮膚」も読んだことあって、結構好きだったな。フレミングにせよモールにせよビンガムにせよ、英国諜報部出身者が書くのは実にひねった小説なのに、何でル・カレはそうじゃないんだろうね。本作みたいな佳作が埋もれているのは実に惜しい) |
No.473 | 5点 | ダイヤモンド密輸作戦- イアン・フレミング | 2019/02/10 14:27 |
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本作は「ダイヤモンドは永遠に」じゃないが、007の活躍する「永遠に」と同様に、ダイヤモンド密輸を取り締まる「国際ダイヤモンド保安機構(IDSO)」の捜査員からフレミングが聞いた話をまとめたルポである。というと、「永遠に」の元ネタ?という疑問はもっともだが、実は「密輸作戦」は「永遠に」が出版された後に、興味があるだろうと紹介した人がいて、フレミングが捜査員ジョン・ブレイズ(仮名)の話を聞く機会をもったわけだ(苦笑)。
ダイヤモンドの採掘・流通が大英帝国の版図の中で発展した経緯もあり、イギリスの帝国経営とも密接な関係があって、盗掘・密輸を取り締まるこの「国際ダイヤモンド保安機構」は、MI5の長官が辞職した後に設立したものだったりする。名目上は「民営」の秘密警察みたいなものだが、海軍情報部に居たこともあるフレミングとしてはまんざらご縁がないわけじゃない....というのが本当は「永遠に」のネタ選択にも影響があるらしい。 けどもね、本作の「ダイヤモンド密輸」は泥臭いものである。アフリカの原住民たちが採掘会社に雇われて、ごまかして原石を持ち出すとか、無権利での盗掘とか、選別工程でのちょろまかし、といった小さな不正でダイヤが手に入ってしまう。実際、原住民たちから見たら、刑罰は利益と比べたら微々たるものなくらいだ。だから裏で流通するダイヤは表の何倍にも、とは量的にはそうなのだが、実際はグレードの低い工業用ダイヤばっかりみたいだ。それでも東側諸国は工業用途でこれを買い漁るので、なんとかしなきゃ...という冷戦事情もないわけじゃない。 まあそんな地に足のつき過ぎの泥臭い話。だから密輸を減らす一番の特効薬は、会社が事情に目をつぶって、裏のダイヤを買い取る窓口を、おおっぴらに作ることだったりする...アホらしいといえば全くそのとおりで、これによって密輸がガタンと減ったらしい。取締も実際にはダイヤ価格をコントロールするための手段として使われているだけのことである。 「永遠に」のウラには何とも泥臭い話があるんだ、というのをフレミング自身がレポートしているのが何とも皮肉なところではある。まあ世の中こんなものさ。 |
No.472 | 7点 | 007/ダイヤモンドは永遠に- イアン・フレミング | 2019/02/08 00:08 |
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007というといくつか伝説があって「JFK御愛読!」は有名なんだが本サイト的にはどうでもいい。しかし「レイモンド・チャンドラー絶賛!」の方はやはりひっかかりがあろうというものだ。
で本作、もともと「チャンドラー風スパイ小説」と呼ばれていたシリーズ中でも、一番チャンドラー風味が強いように感じた。舞台はアメリカで、ギャングたちの中にボンドが潜入する話で、結構警句も飛ばしてくれる。ボンドガールのティファニーも悪女系で元々敵方なのが裏切るタイプだし..とハードボイルド・タッチがシリーズ中でも一番高い話だろう。 とはいえ、それだけじゃ、ない。読んでいて一番「チャンドラーっぽい!」って感じるのは、会話は直接事件に関わらないムダ話をしているのに、いざアクションが始まる..となると、サクッと章を変え視点を変えて結果にすっ飛ばす。こういった省筆の妙味みたいなものが、チャンドラーっぽさの原因のようだ。いいな、粋だな。 話はチンピラにすり替わって、ボンドがダイヤ密輸の運び屋をやって、その報酬を受け取る段に、競馬のイカサマやカジノのイカサマに遭遇しつつ、次第にダイヤ密輸の黒幕に近づいていく、という大変地味な話。なので競馬場のデテールとイカサマの攻防、買収された騎手へのリンチと、ここらへんが一番面白く感じた。地に足が付いたリアルな話なんだよ。チャンドラーが褒めるのも、むべなるかな。 で、カジノのブラックジャック勝負に見せかけたイカサマで、ボンドは密輸の報酬を得て、指令に背いてさらにルーレット勝負で4倍に増やす。合計2万ドル。うち1万5千ドルを、5千ドル紙幣に替えて、Mに郵送で送る....ね、5千ドル紙幣といえば例のマディソンの肖像画。チャンドラーへのご挨拶なんだろ。 ついでだから映画も見たが、コネリー復帰なんだが老けて太って、カッコ悪い。原作の地に足の着いた面白みが全然ない、大味なSF陰謀モノでドッチラケ。思うんだが、ダイヤモンドにこだわってこだわって、その美と魔性で映画にしたら、良かったんだろうとも思うんだよ。宇宙兵器のレーザー増幅器に使うじゃ、ダイヤモンドも泣いてるぜ。 |
No.471 | 9点 | 吸血鬼ドラキュラ- ブラム・ストーカー | 2019/02/05 21:06 |
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世紀末ロンドンの闇を闊歩する二大巨頭は...というと一人は言うまでもなくホームズだが、もう一人はドラキュラ伯爵に決っているでしょう。代名詞になるような強烈な影響を、その後のエンタメに刻印したという面で、ここが「ミステリの祭典」だろうとも、見逃すわけにはいかない。
しかもね、本作は実際の内容も、かなりミステリに近いものがある...というか、後半はヘルシング教授率いるハンターたちが、ドラキュラを追跡し追い詰める「マンハント」のお手本みたいな作品である。ドラキュラはモンスターの帝王だが、周知のような弱点も多いわけで、その弱点をヘルシング教授たちは「合理的」に突き、「時代遅れの怪異」を理性によって鎮めるわけである。構図はミステリそのものじゃないのかしら? で本作は登場人物たちの日記、手記、記録文書、新聞記事などの集合体で成り立っているのだが、この形式もコリンズの「月長石」にヒントを得て...だそうだ。本作の場合、この形式が一種の「メディア小説」みたいな格好になっているのが非常に面白い。セワード医師なんて蝋管レコードに口述で日記をつけるし、ミナの特技はタイプ打ちだったりする。だからドラキュラに記録を破壊されても、ちゃんとコピーがあるわけだ。でこのような「メディア」性が、最終盤でドラキュラの影響下にあるミナを巡って、探知と逆探知が交錯するような「メディア戦」をヘルシング一行とドラキュラが戦うことになる。19世紀とはとても思えない、実にモダンな発想をしているのだ! なので、本作はニアミス、というよりも「ほぼミス」と見ていいと評者は思うんだよ。必読の名作であり、少しも古びない大古典である。 |
No.470 | 7点 | 新青年読本全一巻- 伝記・評伝 | 2019/02/01 23:30 |
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戦前の作品を読んでいるのなら「新青年」を知らないのはモグリというものだ。評者の知ってる70年代ならまだ関係者も生きていて、作家たちも昔愛読していて....とそれなりのプレゼンスがリアルにあったようにも思うよ。だからこそ、桃源社あたりが先鞭をつけた異端作家たちから新青年作家たちへ...という流れを何か自然なもののようにして捉えていたね。
まあそういうルートだと、どうしても「探偵小説の牙城」として新青年という雑誌を捉えてしまうのだけども、実はそうでもない。もっと総合的な都会派娯楽雑誌だったのである。それこそ飛田穂州ありの徳川夢声ありの柳屋金語楼ありの、と有名人の自伝風エッセイもあれば、科学記事、ファッション記事、スポーツ記事も盛りだくさん。読み物として翻訳探偵小説が採用されたのは言うまでもないが、当時の「探偵小説」はずいぶん広くて、SF・ホラー・ファンタジー・ユーモアまでカバーしていたし、国内の創作が盛んになったらなったで、いわゆる新青年探偵小説作家にはあまり入れてもらえない獅子文六だって代表的な新青年作家だし、大佛次郎、山手樹一郎・吉川英治・山岡荘八だって書いている。と新青年の実像を気鋭の文芸評論家集団が複眼で紹介するムック本である。 執筆者は鈴木貞美、川崎賢子、谷口基などなど、モダニズムの研究者が主体だが、上野昂志や笠井潔も少しだけ書いている。それに中島河太郎、日影丈吉、中井英夫、横田順彌などによる思い出話、そして水谷準へのインタビュー、巻末は全巻の目次。なかなか豪華な本である。 <犯罪科学>なる<科学>には、ある種のいかがわしさ、またそれゆえの魅力がある。<科学>という概念のもとにありとあらゆるものを投げ込んでしまう心性、それは<科学>の通俗化あるいは<科学>崇拝とかたづけるにはあまりに過剰だ。 とこれが川崎賢子による小酒井不木の評みたいなものになる。まあこういう本である。多面的だがそれぞれなかなかツッコミが厳しくて面白い。新青年は昭和25年には廃刊になるのだが、たとえば昭和55年に創刊された「BRUTUS」が「新青年の精神を継承する」と謳っていた、というのが面白い。今にして評者は思うのだが、この新青年という雑誌の一番の面白さはエディトリアルな部分なんだろう。バブルを迎える80年代に、ようやく表舞台に立とうとするエディトリアルな感性が、「新青年」という「エディトリアル精神の先駆」と触れ合った、そういう瞬間を記録しているのが一番の本書の醍醐味ではなかろうか。 (最近結構乱歩と正史の不仲が...という話題をよく眼にするけど、正史って人はそもそもモボの教祖みたいな人だったわけだからね。これを落として横溝正史を論じるのはどうかと評者は思うんだ) |
No.469 | 8点 | 大坂圭吉研究 昭和51年8月 第3号- 伝記・評伝 | 2019/01/31 22:01 |
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大昔の話だけど、評者杉浦俊彦先生に可愛がられてね、お宅に遊びにいったときに、この冊子を頂いたんだよ。まあ評者が「とむらい機関車」「銀座幽霊」で「大坂圭吉」って書いたのは、杉浦先生に対する評者の感傷みたいなものだから、他意はない。
杉浦先生という人は別にミステリマニアじゃなくて、学校の先生らしく「郷土作家研究」みたいな格好で、大坂圭吉のご実家にある一次資料を整理して、実証的に執筆の経緯を追っているものである。この第3号は「中編探偵小説『坑鬼』 雑誌『改造』への掲載をめぐって」という特集だ。評者的にはまさにタイムリー。 「坑鬼」を読んでいて一番?なのは、この海底炭鉱のリアリティをどうやって取材したのか?ということなんだけど、この「大坂圭吉研究」では結婚した妻の父が、小樽近辺の炭坑の技師だったことを教えてくれる。執筆前年の新婚旅行でほぼ1ヶ月北海道に滞在していたらしい。取材とか炭坑の裏話とか、いろいろ仕入れたんだろうなあ。 であとこの小説の初出である戦前を代表する硬派雑誌の「改造」からの執筆依頼の経緯が綴られる。実際戦前の「改造」だからね、ステータスがあるわけで、新進作家だった大坂圭吉起用が名誉でもあり意外とも捉えられたようだ。これには担当編集者の佐藤績がミステリファンで、これまでも「改造」に探偵小説を読み物で掲載はしたのだけど、 それで、この度も、私の方の本当の腹を申上げますと、新青年に御書きになってゐられる短編位、いやそれ以上に複雑した探偵小説的構成を持ったものを頂戴し度かったのです。編輯部一同の気持ちを率直に申上げますと、「これが本格探偵小説だ」といふことを一度読者に示してみたいと希望してゐるので御座います。 乱歩氏、大下氏、などにはさういふことを言っても、作品から考へても一寸難しさうですし、結局それを貴方に御願い申上げ度いのです。 と「本格」の代名詞みたいな評価を受けていたことが、わかる。なので周囲の注目もかなりあったようで、原稿受領から掲載時期が少し遅れたことから、井上良夫や小栗虫太郎も成り行きを気にして手紙を送っているのが載っている。 と、こういう地道な一次資料まとめがこの「大坂圭吉研究」である。これは自費出版なのだが、古本屋でも引き合いがあるところもあるようだ。評者は「大坂圭吉研究」はこれだけしか頂かなかったが、高校の紀要の抜刷の「大坂圭吉と『辻小説集』」は手元にある。こっちは戦争末期の文学報国会の企画で「原稿用紙1枚」の小説・文章を文学報国会の会員作家から集めて出版した、戦意高揚の掌編の紹介なので、ミステリとは無関係。残念。 |
No.468 | 9点 | とむらい機関車- 大阪圭吉 | 2019/01/31 21:24 |
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「銀座幽霊」はB面だったね。こっちがA面。粒ぞろいなのに、「坑鬼」みたいな「戦前を代表する名作短編」と言って過言じゃないのまで、ある。
大坂圭吉は「モダン」の小説としての「探偵小説」を意識的に書いているように思う。風俗だけではなくて、「カンカン虫殺人事件」「気違い機関車」そして「坑鬼」といったあたりは、プロレタリア文学風と言ってもいいくらいに、労働のデテールが登場人物以上に詳細に描かれて、それがミステリとしての「核」の部分にも密接に関連しあっている。だから本当は、大坂圭吉って戦前の探偵文壇で、「非文学派」と「文学派」を一番総合できた部類の作家だったのかもしれないよ。 だから「社会主義探偵小説」を清張流の「社会派」と捉えるのは大いに不足で、「モダン」の振幅の中にプロレタリア文学的な部分も併せて捉えるような視点が必要なのでは、なんて思うのである。実際ミステリの牙城となった「新青年」でも顧問格でプロレタリア文学の批評家の平林初之輔がいたわけだしね...そもそもね、戦前の日本を舞台に、欧米ブルジョア家庭内の殺人事件の小説を持ってくるのは、相当のムリがあるわけでね。浜尾四郎とかやってるけどリアリティなんて出るわけがないんだよ。そうしてみると「日本でリアルなミステリ」の一番誠実な例だったようにも感じるんだよ... でまあ「坑鬼」。本当にコレに尽きる。ロジックよし、動機も社会派な動機、しかも最後には「海がやって来る」。無主人公でヒーロー性は皆無、文体も映画的な客観性があって、よい意味で「文学的」じゃない。別文脈のハードボイルド、という触覚。それでもモノによる象徴詩みたいにも読めるあたりが素晴らしい。戦前でも屈指の大名作だと思う。 |
No.467 | 6点 | 銀座幽霊- 大阪圭吉 | 2019/01/28 00:09 |
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大坂圭吉である。創元の2冊でもこっちのほうが軽量級、という感じだろうか。評者思うんだが、この人、型にハマったホームズ風短編だとどうも堅苦しくなりがちで、「ミステリらしさ」にこだわらずに書いた作品のほうが魅力的だと思う。「銀座幽霊」のベストは評者は「動かぬ鯨群」、次点は表題作。
「動かぬ鯨群」は、「坑鬼」が「社会主義探偵小説」なんて言ってたののプロトタイプみたいなものだろうか。まあ「坑鬼」は「とむらい機関車」でちゃんと扱うけども、プロレタリア文学のテイストをミステリに応用した..という面で、レアな作品で面白いと思うんだが、本作もそういう路線のものだろう。モダニズム、ってのもさ、結構幅が広いものだからね。 だから大坂圭吉って、名探偵を描かせると全然魅力的じゃなくて、ヒーロー性みたいなものがカケラも出ないのだけども、逆に「銀座幽霊」の女給たちとかバーテンに精彩があって、「モダン・ボーイだねえ」という印象を強く受ける。だから「リアルな街の出来事」の雰囲気があって、何か、いい。もちろん「ワザとの仕掛け」で不可能興味が出たのではないのがいいところ。結果的に「街の怪談」といった洒落た話になっている。 まあ、何ていうのかな、この人いわゆるミステリ・ライターの稚気みたいなものが薄い人のように感じる。だから魅力的な謎を設定しても、その謎の「魅力を押し売りするようなハッタリ感」みたいなものが弱くて損しているようにも思うんだよ。 だから「燈台鬼」が今ひとつな出来なのは、仕掛けがワザとらしいのに、ハッタリなほどのロマンがないあたりなのかもしれない。もう少し余裕をもって、膨らませれば.... |
No.466 | 6点 | 眼の壁- 松本清張 | 2019/01/27 23:10 |
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社会派、ということにはなるんだけどね....どっちか言えばスリラーとして上出来、という雰囲気の作品だと思うよ。手形詐欺とか右翼とか、そこらへんのいわゆる「社会派」ネタは単なる「設定」みたいなもののように感じるな。本当はこの主犯の右翼に、アンブラーがディミトリオスに託したような「歴史の闇」が出てれば良かったのかもしれないんだけど、全然そういうわけでもない。まあそこらは「けものみち」あたりを待つべきか。
それでもこういう「社会派」ネタによって、リアリティを醸しているのはもちろん清張の功績だ。しかしそれよりも、グループ犯だし、犯行も行き当たりばったりだし、殺人が全然目的でなくてタダの手段、とこういうあたりに実録風のテイストを与えていることの方が画期的な気もするんだよ。「ありそうで、ない」ような犯罪のあり方、みたいなミステリの範囲を広げるような狙いの上手さみたいなものだろうか。例の有名な死体の始末法だって、即物的なのがいいんだよ。だから意外かもしれないけど、スパイ小説に近い作品なんだと思う。 トータルでは、エンタメとしての達者さは窺われるけどもの、まだ清張じゃない、という印象、かな。 |
No.465 | 6点 | アンタッチャブル- エリオット・ネス | 2019/01/27 22:52 |
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1960年代のポケミスの最後の広告ページには、よくノンフィクション中心でNFに当たるハヤカワ・ライブラリーの広告が載っていて、そのトップが本作で馴染みがあったね。もちろんこれ、アメリカのTVシリーズが大ヒットして、これが日本でも放送されて人気を集めたことによるわけだが、本作はその原作、というかアル・カポネと対決したFBIの捜査官エリオット・ネスの自伝である。だからノンフィクション...ということにはなるのだが、どうやら実際には結構話を盛ってるらしい。
禁酒法下のシカゴは、夜の大統領アル・カポネが築いた帝国に支配されていた。政治家・司法機関さえも買収され、カポネの暴力とカネの力に対抗するものはいないかに見えた。シカゴの財界が作る「秘密六人委員会」は、カポネの税務監査と同時に、酒類取締官だったエリオット・ネスの提言を入れて、少数精鋭のFBI特別捜査官によるアルコール取締を行うことになった。ネスが率いた10人の捜査官は買収不可能で手強い「アンタッチャブル」と呼ばれた。 という話である。小説仕立てなのだが、小説として下手クソなあたりが、逆説的なリアリティを感じる。ネスとその部下たちによる地道なアルコール醸造工場の摘発・閉鎖や、輸送ルートの遮断が中心なので、描かれる捜査は本当に地味である。が、そういう地味さが評者は面白い。ネス自身への襲撃は数回あるが、殉職は1人だけ。意外でしょ。最終的にはカポネを追い詰めたのは脱税の捜査だが、アンタッチャブルの戦いも、カポネの収入を断って大きなダメージを与えたことには違いない。 あと本作というと、デ・パルマの映画があるけどね、これってさ昔のTV人気作品の映画化のハシリみたいな作品...ってイメージだったね。でこういう劇的・感動!とか期待すると原作は全然ダメなんだけどね...評者とかさ原作の地味さの方が何か好ましいよ。 (あとハヤカワ・ライブラリーは「ダイヤモンド密輸作戦」とかやりたいなあ) |
No.464 | 2点 | 三つの道- ロス・マクドナルド | 2019/01/27 22:19 |
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アメリカ人の精神分析好きには閉口するのだが、ケネス・ミラーとしてのラストはフロイディズムずっぽりのサイコスリラーみたいなもの。乗艦の沈没で帰宅した主人公が、妻の他殺体を発見して記憶喪失に陥る...主人公の世話を買って出た元婚約者が、主人公の社会復帰をサポートしてくれるのだが、主人公は妻の殺人の真相解明に固執してそれを調査しようとするのだが、元婚約者は不可解な動きをする...
で、言うたら何なんだけど、この主人公、不快な奴だな。身勝手きわまりなくて、元婚約者に同情することしきり。サイコスリラー風味なせいか、文章が悪い意味で文学的。表現をこねくり過ぎていて、やたらと古風に見える...それに輪をかけるのが、井上勇の翻訳である。本当に持って回ったような堅苦しい翻訳になっていて、評者でも中々ページが進まないや。え、なんでこの人なの?と思うような訳者の選択である(せいぜい井上でも、井上一夫くらいにして欲しいよ。妙な訳が多くて評者、困った)。 彼は眠れぬ夜、部屋が闇と静寂が包んだとき、いちばんよくものを考えることができた。真夜中もとっくにすぎて、目をあけたまま横たわり、現在のはしの突端から、後方に伸びる記憶の荒野を測量していた。その一生を説明する動因は、距離の半分以上が地下を流れる川のように、たどるに困難だった。 ...プルーストかいな(苦笑)。なので本作、他の作品と違って本当に出来事が少ない。複雑怪奇に事件が縺れに縺れるロスマクと違って、ろくな事件も起きない。でしかもね「読者をバカにしてんの?」と問い詰めたくなるような真相である。娯楽目的で本作を読むのはホント引き合わない。入手性も悪い作品だけども、読むのはどうしてもロスマクをコンプしたい読者だけで十分である。 |
No.463 | 5点 | 髑髏城- ジョン・ディクスン・カー | 2019/01/23 20:51 |
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評者本作最初に読んだのはね、世界大ロマン全集だったよ...この創元のシリーズは、創元推理文庫の原型の一つなんだよね。本格は世界推理小説全集の寄与度が高いけども、「怪奇と冒険」はこっちメインである。とはいえ本格でも「月長石」と本作が世界大ロマン出身、ということになるわけでね。本作は改訳したけども、ここらへん1950年代後半の訳なんだから「怪奇と冒険」枠ももう少し改訳すれば...と思うあたりだが、ミステリ以上に名物な訳が多いから文句出そうだね。
本作はそういう出自に違わない内容、といえばその通り。カーでもバンコラン物は、ミステリ風味の怪奇ロマン、という風に割り切って楽しむべきなんだと思うよ。そうしてみれば、髑髏城での晩餐会とか雰囲気絶佳で、いいじゃないか。こういう豪奢でしかし神経質なパーティの雰囲気が、評者は好きだなぁ。映画館でふと居眠りして筋の分からなくなった洋画のパーティシーンを見ているかのような、悪夢的な佳さがある。それにしても雷鳴、鳴りすぎだよ(苦笑)。 パズラーとしてはどうこう言うものでもない。が、本作の狙ったあたりであるはずの 奇(くす)しき禍(まが)うた、歌うローレライ.... といったドイツ・ロマン派の教養主義テイストも、いささか遠くなって来たわけだから、本作のオモムキも今の読者にどれほど伝わるものなのかしら。 ちょっと追記:世界大ロマン全集には評者とてもお世話になったので、少しだけ考察してまとめとしよう。この全集(1956-59)は、創元文庫の原型を作っているのと同時に、ルヴェルなど一部のテキストは戦前の「新青年」に載った翻訳から来ているし、「血と砂」「とらんぷ譚」と戦前の有名映画の原作物が多数収録されるなど、戦前の翻訳小説の文化と、創元文庫のクラシックスとして定着した戦後とを結ぶ重要なシリーズだったと思うのだよ。「新青年」趣味の残照を手軽に味わえる貴重な機会なのである。古本屋だと比較的手に入りやすいものが多いので、古臭い、と敬遠せずに戦前~戦後をつなぐ重要な鎖の輪と思って読んで頂きたい。ミステリ、というのも戦前のモボの多岐にわたる趣味の分野から成長していったものなので、ミステリのクラシックの理解にも大きく役立つと評者は感じる。 |
No.462 | 6点 | 007/ムーンレイカー- イアン・フレミング | 2019/01/19 21:16 |
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初期にしては陰謀が大げさな例外的な作品なんだけど、売れてからのお約束みたいなものが薄くて、丁寧に書かれた印象を受けるのが、いいところ。実際、本作をリライトしたのが「ゴールドフィンガー」なんだろう。「ゴールドフィンガー」はもう「何がウケて、自分は何が書けるか?」をよく分かって「勝ちにいった」作品なんだけども、本作はまだいろいろと「試してみる」感が出ていてこれはこれで新鮮に読める。
実際、終盤までとりあえず「ムーンレイカーの打ち上げの妨害者は誰か?」を軸にプロットが進行するので、ヴィランのドラックス卿の関与だって匂わせる程度。まあ序盤のブリッジ勝負があるから、ドラックス卿が善玉なわけはないのだが、最初っから憎々しいゴールドフィンガーに比べたら、エネルギーと指導力に満ちたカリスマ・リーダーとしてそれなりの説得力のある描写だしね。 だから逆にボンドがまだ若僧っぽい。ムーンレイカーの打ち上げ阻止のために「自分が犠牲になろう」とするあたり、クラシックなイギリス冒険小説みたいで、ボンドらしくない。オマケに、最後にはフられる...アンタ誰だ(苦笑)。 訳者の解説によると「インテリ好みの西洋講談」だそうだ。意外なくらいに若々しい筆で、いいじゃないか。 |
No.461 | 8点 | 新アラビア夜話- ロバート・ルイス・スティーヴンソン | 2019/01/15 22:50 |
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これは面白い!「枠に入らない」話の連鎖的な連作短編を「自殺クラブ」「ラージャのダイヤモンド」で2作を収録。怪奇にも冒険にもミステリにも素直に収まらない「奇譚」と呼ぶのがふさわしい内容である。本作のフロリゼル王子、「裏ホームズ」みたいにも見える時があるし、ある意味黄金期作家たち(とくにカー)にも陰に陽に影響のある作品だろう。ミステリ古典読むなら、本当に本作は一度読んでおくことをオススメする。
カードで殺害者と被害者を決める「自殺クラブ」を主催する会長なんて、ほぼモリアーティ級の大物犯罪者じゃないかな。「自殺クラブ」はこの会長と、ボヘミアのフロリゼル王子が対決する短編が3つ続き、「ラージャのダイヤモンド」はフロリゼル王子は狂言回しくらいだが、インドのラジャが所有していたダイヤの魔力に取り憑かれ、策謀のワナにはまった人々を、最終的に王子が救い出す相互に関連し合った短編が4つ続く。視点をいろいろと変えて「どんな関係が前の話にあるのか?」なんて興味を引いていく手法が斬新。フロリゼル王子は鷹揚で時折賢者のような含蓄のあることを言うのが素敵。それでも、 殿下は長らく国を留守にし、公務を怠ったことから、蒙を啓かれた国民はつい先頃革命を起こし、王子はボヘミアの王座を追われてしまった。現在はルーパート街で煙草屋を営んでおられ、店には他国の亡命者たちもよくやって来る。 ぼぼこれが全体のオチなのだが、「市井の哲学者」というか巷隠というか、そんなトボけたアヂが出てていいなあ。オリジナリティ抜群のニアミスである。 |
No.460 | 6点 | 絞首台の謎- ジョン・ディクスン・カー | 2019/01/15 22:21 |
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評者本作結構好きなんだ。霧深いロンドンに浮かぶ絞首台の影、地図にない町「ルイネーション(破滅)街」で絞首刑になる男、深夜の街を蛇行する死人に運転されるリムジン...とポエジーに溢れた怪奇を提供してくれているんだもの。イメージの豊かさでは、なかなかのものだと思うんだよ。
だからね、本作は「密室パズラーの巨匠カー」という思い込み(というか読者の期待)を一旦外して、この時期に成立するパズラーを参照点にするんじゃなくて、それこそスティーブンソンの「自殺クラブ」とか、ああいったビザールでロマネスクな冒険譚を参照点にすべきなんだと思うんだよ。というかね、こういうロマンが当初のカーのやりたかったこと、だったわけで、それが日本の凝りに凝ったマニアの期待からズレていてもさ、それをあくまで押しつけるのはどうか?と評者は思うのだ。 まあミステリとしては、ほぼ「隠す気なし?」というくらいの明白な犯人(特定はまあファア)、ショボめの不可能興味の真相と、大したもんじゃないのはその通りなんだけども、ビザールなロマンの味を楽しむ余裕くらい、あってほしいと評者は願うのだよ。 |