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クリスティ再読さん
平均点: 6.43点 書評数: 1251件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.311 8点 テレーズ・デスケールー- フランソワ・モーリアック 2018/03/11 17:49
シムノンの「ペペ・ドンジュの真相」なんてやったからは、関連作品のこれ。
評者高校生の時に本作は読んで、強烈にテレーズにあこがれちゃったんだよね。20世紀フランス文学最凶の萌えキャラである。あの遠藤周作だってオトしたファム・ファタルである。
話はほんと「ペペ・ドンジュ」とあまり変わらない。まだから本サイトで取り上げてもよかろうよ。フランスのボルドーの田舎の上流階級の娘テレーズは、家の都合もあったが、平凡な男ベルナールと結婚する(デスケールーは結婚後の姓)。結婚後は家の因習に縛られて、自分の心が死んでいくような痛みを感じていたテレーズは、火事のニュースに気を取られた夫が毒性の高い薬を多く飲んだのを知っていて見過ごす...体調を崩す夫、テレーズはどうしようもない感情に駆られて、再度夫に毒を飲ませていった...しかし、医者の告発でテレーズは裁判にかかる。家名を重んずる婚家も実家も、夫に偽証をさせることで事態を収拾するが、釈放されたテレーズを待っていたのは、世間体の維持のための軟禁だった。
「森も、夜の闇も怖くありません。森も闇もわたしを知っています。わたしはこの寂寥とした土地に似て作られた女」であり、メディアやイゾルデといった地母神的な不思議な力を備えた一種の「魔女」である。夫も周囲も、そういうテレーズを恐れてはばかるようになる。「この女はすべての調子を狂わせる天分がある」と。しかしテレーズは周囲の敵意に対して「わたしは生きるわ。でも、わたしを憎んでいる人たちの手の中で、生きる屍のように生きるわ」と「当たる前に砕けた」ような心で対抗するのである....
評者なんぞ、若かったから、本当にこのキャラにヤられたよ。そんな青春の記念碑、かな。ミステリとして読むならば、一種のホワイダニットである。最後に夫がテレーズに尋ねるので、一応の真相は、ある。本作では夫は事件後テレーズを忌み嫌うから、「ペペ・ドンジュ」とはテイストが正反対になるわけで、どっちか言えば「ペペ・ドンジュ」よりも悲劇的で、ミステリっぽいかもしれない。

No.310 5点 チェルシー連続殺人事件- ライオネル・デヴィッドスン 2018/03/11 17:27
ライオネル・デヴィッドソンというと、CWAゴールドダガーを3回も受賞した大家といっていい作家なのだけど、日本での人気は全然出なかった人である。日本とイギリスのセンスの違いみたいなものを、いつも実感するエピソードである。
で、本作も受賞作で3回のうち最後の受賞。それまでがスパイ・冒険小説のくくりになる作品だったのだが、これはミッシング・リンクもの風な連続殺人を、捜査を指揮する警視の視点で追う作品。被害者がイギリスの詩人と同じイニシャルを持っていて、犯行を示唆する詩を引用した手紙が届く、というのがポイント。某連続殺人事件モノにちょっと近いトリックもある。
とはいえ、ポイントは当時最新のファッションと芸術の街だったチェルシーが舞台だ、ということ。主要人物として、アングラ映画を撮影するグループ(うち一人はアフロヘアの黒人)が登場するし、楽器の修復業者はドイツ人で、ジーンズショップの経営者は華僑、その黒人はもちろんインテリで、アルバイト先のレストランでは見た目が黒人でも丁寧かつ完璧なフランス語で、名物給仕だ...というあたり、丁寧なキャラ描写が命。アングラ映画はどうもケネス・アンガーっぽいものみたいだな。
というわけで、ミステリ色よりも風俗小説としての面白みが勝る。まあ、前の受賞作もデテールの書き込み力が印象的だから、まあこういう作風、ということか。ハッタリ感は薄いから、日本じゃ受けづらいのも仕方がないかなあ。

No.309 6点 山師トマ- ジャン・コクトー 2018/03/08 23:15
フランスの「前ハードボイルド小説」といった態の作品って、実は結構いろいろあるように思う(そのうち「超男性」したい...)のだが、これもその一つ。舞台は第一次大戦中のフランス、本作の主人公ギヨムは天性の冒険家であり、まだ子供でありながら年齢と身の上を偽って、軍隊に紛れ込んだ...赤十字活動を主宰する公爵夫人のみならず、その娘まで手玉にとって、ギヨムは熾烈な戦場を全速力で駆け抜ける、といった内容である。
ギヨムにとって「嘘」は自身の「自然」以外の何物でもない。だからその内面は、どこまでいっても仮面に過ぎない。そういう意味でこの作品の登場人物たちには、一切の内面がないのである。ハードボイルド、というのはそういう意味だ。
ただ、本作、全編これ警句、といった体裁

あらゆる人間は、その左肩には猿を、右の肩には鸚鵡を持っている。

やや作者自身が語りすぎているので、本作のハードボイルド性はかなり分かりづらいものに留まっている。それでも自らの死ですら「死の真似」と意図的に混同するようなギヨムの像こそが、内面をまったき外面として捉えるハードボイルドの先駆的な例となっているように評者は感じるのだ。

「弾丸だ」と彼は思った。「死んだ真似をしなければ殺されてしまうぞ」だが彼に在っては、架空と現実と二にして一であった。ギヨム・トマは死んだ。

No.308 7点 ベベ・ドンジュの真相- ジョルジュ・シムノン 2018/02/25 23:28
本作読んでの感想は、やはり空さんと同じく「テレーズ・デスケールー」のシムノン版、というところ。フランス文学には「女の一生」とか「ボヴァリー夫人」とか「人妻話の伝統」みたいなものがあるわけで、そういうもののシムノン流、ということになるのだが、人妻話としてもシムノン一般小説としても、かなりミステリ寄りの作品だ。しかし、シムノンらしい夫婦の心理の綾(他人同士が一緒に暮らすことになる不思議と恐ろしさ...)が主眼なので、分かりやすさみたいなものはない。シムノンで言えば「ベルの死」のような説明不能な「こころ」の話だが、テレーズや「ベルの死」とは違って、妻ペペによって毒殺されかけた被害者の夫が、あくまでもその行為に及んだ妻の、孤独なこころと漠然とした殺意を理解し赦そうとする話である。なので、テレーズや「ベルの死」のような鬱屈感はなくて、突き抜けたような清澄な雰囲気がある。罪を犯すことによる逆説的な救いみたいなものを感じるのがいいのだろう。
シムノンという作家が「人を殺す」という究極の行為について、いろいろと解釈を試みるヴァリエーションの広さは、本当に敬服に値する。逆にカトリック文学らしく「罪と罰」の視点がシムノンよりも強い、モーリアックの「テレーズ・デスケールー」も久々に読んでみたくなったなぁ。

No.307 4点 スカイティップ- エリオット・リード 2018/02/25 00:01
アンブラーがチャールズ・ロッダという作家と合作で発表したエリオット・リード名義は5作あるが、これがその第一作。「航空冒険小説の決定版!」なカッコいいタイトルである...嘘です。「スカイティップ」というのは採掘跡にできる排石の山「ズリ山」のことである。主人公の建築家は仕事のしすぎでノイローゼ気味になったことから、医師のすすめでコーンウォールの田舎で静養することになった。そこで知り合った政治評論家は何かに怯えているようだ....果たして政治評論家はロンドンに用事がある、と言って出たまま失踪した!
まあそんな話で、その背景にはアーサー王気取りの、右翼泡沫政党の党首の過去のナチ協力歴を巡る恐喝事件があった。怪しげな政治ゴロたちが暗躍する中で、主人公はその証拠書類の争奪戦に巻き込まれていく。クライマックスはその「スカイティップ」、ズリ山のトロッコでのアクションで終わる...というわけで、リアルって言えばリアルなんだが、右往左往する連中のほとんどがイギリスのナチの(元)シンパたちで、早い話がヤクザまがいの卑小な政治ゴロどもである。おおよそチンケな連中ばっかりだ。陰謀のスケール感もまったくないし...でカッコ悪いこと甚だしい。
舞台となるコーンウォールの地方色とか出てるが、およそロマンには程遠いというか、そういうロマン性の下らなさを強調したような、反ロマンな小説である。読んでて盛り下がって、何か、困る。今一つ真相解明感もなくて、すっきりもしない。「アンブラーにハズれなし」と思ってきたけど、こういうのもあるか(「反乱」はもっと面白い)。

No.306 6点 架空線- ウィリアム・ハガード 2018/02/18 10:39
1963年のスパイ小説当たり年はル・カレの「寒い国」とアンブラーの「真昼の翳」が英米の賞を独占したわけだが、CWAの次点に当たるシルヴァーダガーを本作が得ている。なので「スパイ小説第三の男」という立場に作者があって、結構この時期に紹介されたが、現在は忘れられた作家だ(ちなみに63年は007だって映画が「007 ロシアより愛をこめて」である。凄い年)。
スパイ小説と言うと、ル・カレ風リアルスパイ vs 007、という対立構図で語られがちなのだが、これで見ちゃうと実はアンブラーとか全然うまく納まりがつかないわけだし、本作のチャールズ・ラッセル大佐シリーズだって完全に構図から外れてしまう。なので、いい評価軸がないかなぁ、とは思うところだ。もう少し立体的に考えてみよう。
「スパイ部」は「文科系サークル」か「体育会系サークル」か?
「プロット・背景・雰囲気」は「リアル」か「ファンタジー」か?
「ドラマ」は「人間臭い」か「ゲーム的」か?
この3軸くらいで見るのが面白かろう。007なら「体育会・ファンタジー・ゲーム」だし、ル・カレなら「文化系・リアル・人間」である。なかにはホストヴスキーの奇作のような「文化系・ファンタジー・人間」もあれば、レン・デイトンみたいな「文化系・リアル?・ゲーム」もある。で、本作は「体育会系・リアル・人間+ゲーム」というありそうでないパターンである。そこらへん新機軸な独自性が一応あっての評価のように感じる。
一応主人公はイギリスの「特別保安部」の長チャールズ・ラッセル大佐である。要するに、偉い。なので本人が身を張ることはなくて、部下にすべて実働を任せる管理職である。スパイ版のギデオン警視みたいなものだ。ラッセル大佐が統括する特別保安部の活動、という群像劇であって、チームプレーの球技でも観戦するかのような印象。本作では軍事に関わる科学プロジェクトの統括者に対する、外国のエージェントによる恐喝から始まり、そのプロジェクトの成果を横取りしようとする外国秘密機関(国名は明示しないが、東独っぽい雰囲気だ)との闘争が描かれる。最後はタイトルの通りに、スキー場のケーブルカーでのアクションとなる。敵方のエージェントの貴族崩れのプレイボーイ、ド・フレイリーがなかなか好キャラだし、失態を犯しはしたが真面目で責任感の強い技術者が狂言回しで、この男への恐喝から襲撃と保安部諜報員とのロマンスで話が進むあたり、達者なもの。この男はマトモな人間なので、最後まで周囲がちゃんとかばうあたりがリアル。
まあだから、キャッチーとか縁のないすっごく地味ぃなエンタメなのだが、面白いは面白い。

No.305 6点 象牙色の嘲笑- ロス・マクドナルド 2018/02/12 09:13
「ぼくはブロンドの女を信用したことがないんだぜ」いや、アーチャー、カッコの付け方が若いなぁ(苦笑)。なので本作は後期の疲れた中年男のアーチャーじゃなくて、まだ若さがあるアーチャーだ。アクションシーンだってこなしちゃうし、皆殺しで大不毛な結末も「ハードボイルドらしさ」がある。また凝った比喩もバランスよく入っていて、文章も悪かない。
けどねえ、ちょっとだけ引っ掛かるのだが、ロスマクって老女を描かせるとすごく凝るけども、それと比較すると若い美人はおざなり、という印象がある。そのせいか知らないが、本作のファム・ファタ―ルの造形があまり効果的に評者は感じなかった。逆算すると黒人看護婦のルーシーはムダに美人だ。なにか途中で構成を変更したように感じるのはヨミスギかなぁ。
というのも、前半の展開からすると、黒人問題をテーマにするような布石があるのにもかかわらず、真相は白人たちの間での殺し合いであって、発端を形作り印象的なルーシーはただの端役に過ぎない。ひょっとして、黒人問題をテーマにしようとして、編集者に止められたか?

No.304 5点 七つの欺瞞- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2018/02/10 23:57
マッギヴァーンって「明日に賭ける」のあと、一般小説への転向を表明するわけだが、すぐ次の「けものの街」は地元住民と抗争することになってしまうアメリカ中産階級の罪を描いて「微妙にミステリ」くらいなものだったのだけども、本作というと...アンブラー風の謀略の絡んだ冒険小説、という感じのもので、別に純文学とかそういうものではない。
スペインのリゾートでダラダラ暮らすアメリカ人の主人公に、同じリゾートで暮らす元ナチと噂されるドイツ人実業家からビジネスの誘いが来た。それに何となく応じてしまったのが運の尽きで、元パイロットの主人公は殺人容疑がかかるのと同時に、銃で脅されて貨物機のハイジャックを強制されるハメに陥った!
この貨物機に積載されたドイツ人の悪事の証拠を奪うのが目的なんだが、御用済の主人公と、イギリス人の暴力担当とその愛人の病的な嘘つき女、それに主人公の身を案じて一行にもぐりこんだヒロインらは、当然ドイツ人によって消される塩梅なのだが、辛くも生き残る。しかしサハラ砂漠の真ん中に放り出させて、どうやって戻るのか、戻っても殺人容疑をどうするのか?といったあたりの興味で引っ張るわけで、そりゃ冒険小説、だよ。
まあ筆力のあるマッギヴァーンだから、そつなく書けてはいる。最初主人公を誘惑する嘘つき女とか、ドイツ人に精神的に奴隷化されているヒロインとか、結構キャラに工夫がある...けど、小説としては、ちょっと萌えどころがよくわからないや。なんでこんならしくない小説書いたんだろう?

No.303 6点 裏切りへの道- エリック・アンブラー 2018/02/10 23:37
アンブラー戦前の巻き込まれ型スパイスリラー。新規に就職した先からミラノに赴任した、制作用機械のエンジニアである主人公は、自分が扱うのが兵器を作るための工作機械であることを知る。ファシスト政権下のイタリア、である。機械の売込みも政治や謀略とは決して無縁ではなかった。主人公の部下は黒シャツの一員で主人公を監視しているようだし、ユーゴの将軍を名乗る怪しい男、ソビエトのエージェントらしき男らが、主人公に接触してきた。ユーゴの将軍は主人公にちょっとした情報の横流しをするかわりに、売り上げのためにイタリアの高官を買収する手づるを提供しようと持ち掛けてきた...
なのでちょっと産業スパイものと政治的な謀略が絡み合ったような面白さがある。アンブラーってビジネスをリアルに描ける作家だから、ここらと独伊枢軸でキナ臭い情勢とをうまく絡み合わせて背景を作っている。ファシスト大行進を利用して尾行を捲くとか、今になって読むと結構目新しい。「ああうるわしの若き日や/花咲く春のひとときぞ/ファシズムこそがわが希望/民衆の自由をもたらさん」なんて歌われてたようだよ。このユーゴの将軍ていうのが老人の軍人で、実はナチのエージェントのようなんだが、お化粧してるとかね、19世紀的なプロシア軍国主義を引きずったグロテスクなキャラでなかなか、イイ。ブラック将軍だなあ。
で、本作、ソビエトのエージェントが善玉で、主人公を助けてイタリアから脱出するのを手伝う。前半は主人公と組んで、将軍に偽情報を流すとかしたあと、後半は当局に指名手配された主人公のイタリア脱出行を共にする。なので前半は産業スパイ風の二重スパイもの、後半は冒険小説、といった印象。戦後のアンブラーは型にハマらない国際謀略ものに進化するんだが、戦前は割と穏当なアクションスリラーといった雰囲気だ。本作のあとに、独ソ不可侵条約が結ばれたのを見て、アンブラー、ソビエトに幻滅するわけで、戦前最後のスパイスリラーになる「恐怖への旅」だと、主人公を助けるのは情けない印象の空想的社会主義者になってしまう..

No.302 9点 バイバイ、エンジェル- 笠井潔 2018/02/10 23:06
本作高評価の理由は、本当に「探偵の方法論」と「事件の真相」のマッチ度が極めて高度なこと、これに尽きる。現象学的還元とはねぇ...ぶっちゃけいうと、現象学的還元(エポケー)というのはね、絶対に「空気を読まない」ことなんだよ。名探偵の最高の資質というのが、まさにソレなわけだ。物語の圧力に対して、あえてそれを無視すること、これを徹底的に方法論として掲げるのなら、それはKYの極みとしての「名探偵」ということになるのだよ。これは実に「名探偵論」として正鵠をえてると思う。
というわけで、本作の名探偵像と推理の内容と、これほど密接に関連しあってるさまが、実にすごい。トリックを考え付いたから、そこらから探偵像を逆に構築した、といっても評者信じちゃうよ。
改めて読むとねえ、全共闘崩れのイイ気な議論が気になって評者若干もにょるのは仕方がない(団塊たぁ相性ワルいんだよ)が、実のところ80年代の奥義たる「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」が実はこの現象学的方法論だということにちょいと気が付いて、本作の意外な射程に驚かされるところである。

No.301 6点 ガラス箱の蟻- ピーター・ディキンスン 2018/02/04 22:13
CWAを2年連続でしかも処女作・第二作と連続受賞、という、たとえて言えば藤井聡太四段級のデビューを飾ったディキンスンの、その処女作である。MWA と比較すると、CWA って日本ウケの悪い作品が多い印象が強いのだが、本作もイギリス人らしい捻った作品で、日本じゃあまりウケなかったように記憶する。けど今は古本にプレミアついてるよ...
で本作、ニューギニアの原住民が第二次大戦を逃れて住むロンドンのアパートで、旧い儀式を守りながら暮らしている...その中で殺人が起きた!という話である。諸星大二郎の大傑作「マッドメン」の中で、近代的なホテルの一室でペイバックのための呪術を行うニューギニアの部族民...というのを評者はついつい連想してして、妙に感動してしまうのだ。まあこの人、こういう感じで非常に凝った奇抜な設定のミステリを連発して、ツウな読者向け作家だったわけで、本当に「設定自体がパズル」といった感じの、奇妙な味とパズラー風味を両立させる作風である。
主人公は「変わった事件を解決する一種の勘をもっている」ピプル警視。落ち着いて内省的なキャラがいい。「隣の事件は、とてもごちゃごちゃして複雑ですが、わたしはそれを整理したくありません。ただ眺めていたいのです」と言う。現象学的社会学とかエスノメソドロジーとかそういう雰囲気の捜査術である。だから事件も自然と解決していくようなものだ。
後半、新しく「僧」となる少年が主催する儀式を、ピプルが見学させてもらうのとか、結構興味深々で読ませてもらったが、人類学みたいな視点なんだろうね。評者とか面白く読んでも、捉えどころがなくて面食らう人も多かろう。

No.300 10点 死者の書- 折口信夫 2018/01/30 00:24
評者書き込み300点記念は、日本語で書かれた中でもっとも美しいと断言できるホラー小説である。乱歩にせよ久作にせよ虫太郎にせよ、あるいは海外ならポーにせよラヴクラフトにせよ、恐怖と宗教的な法悦とは紙一重である、というのを体感するような小説家にしか「愴絶な美」を描くことはできないようなのだ。
本作の著者は言うまでもなく、詩人の魂を持った古代研究者であり、これがその残した数少ない散文小説である。舞台は奈良朝末。二上山の墳墓から復活した大津皇子の魂と、当麻曼荼羅伝説の中将姫として語り継がれた藤原南家の郎女との交感が描かれるが、神秘的なラブロマンスのようなものではまったくない。大津皇子が仏教以前の古事記的な日本人の冥界観から抜け出たような、昏い荒魂であるのに対して、郎女は二上山の日没にそれを

春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿(略)金色の鬢、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆く、眉秀で夢見るやうにまみを伏せて..

のイメージに観て、一晩じゅうそれを追いかけ、二上山のふもとである当麻の寺に至る。それは

春秋の、日と夜と平分する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かった

とされる古俗なのだが、しかしその一方で、郎女はそのイメージを浄土教的な日想観と、浄土経典の来迎のイメージに置換してしまっている、神道的というよりも仏教的な奈良女性であったのだ。なので、これはロマンスというよりも、古代日本を舞台とする宗教的闘争の物語なのである。
それゆえ、旧き荒魂の訪いは

処女子の 一人/一人だに わが配偶に来よ
まことに畏しいと言ふことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、圧へられるやうな畏さを知つた。あああの歌が、胸に生き蘇つて来る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
帷帳がふはと、風を含んだ様に皺だむ。
ついと、凍る様な冷気―

とかなりホラーな死霊の訪問にしかならなかった...
本作については、長々と引用してしまったことでもお分かりだろうけども、本当に評者は古雅なこの文章が大好きだ。小説にも「日本語の富を豊かにすることに大きく貢献した小説」というのもあるわけで、本作なんてその筆頭の部類だろう。古事記万葉の呪術的な詞の美とチカラと、近代的な心理分析を介して、古代人の真正なココロの在り方を探ろうとする営為とが結晶した、日本幻想小説の逸品である。

した した した。耳に伝うやうに来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫が離れてくる。

No.299 4点 トラブルはわが影法師- ロス・マクドナルド 2018/01/26 22:48
ロスマクって大体半分くらいは事前にすでに読んでるんだが、非アーチャーものは初めて。そう期待して読んだわけでもないのだが..どっちかいえばとっ散らかった内容で、お安いスリラーである。戦時下の市井の描写はそれなりにリアルだが、スパイといってもそのリアリティは希薄。要するに戦時下に作られた防諜プロパガンダ映画くらいのノリのもの。
それでも舞台をホノルル~デトロイト~大陸横断鉄道~西海岸と動かしていく手つきで興味がつながる振り合い。結末がなんというかホントに空しいが、ただただ不毛、という感じで、積極的な意義を求めづらい。妙に凝った比喩を連発するのが、後年のロスマクに通じるけども、凝りすぎて意味不明になってカッコよくない。さすがの小笠原豊樹も手に余ってる。
少しアンブラーの「恐怖への旅」と似ている印象はあるが、アンブラーの政治センスをロスマクに求めるのはどうにも無理で、ロスマク修行期だね、というところか。あと、本作だと絶対にハードボイルドとは呼べないと思うがなぁ。
(思うんだが...「さらば愛しき人よ」を意識してない?)

No.298 7点 暁の死線- ウィリアム・アイリッシュ 2018/01/22 22:57
どっちか言うと評者は「幻の女」に負けないくらい本作は好きだなぁ。タイムリミット物、という読み方は、「幻の女」の印象に引きずられた「読み」でじゃないかな。「死線」はあくまでの主人公二人の主観的な「デッドライン」に過ぎないわけで、タイムリミットで設定しなければ勇気を出せない「都会の罠から懸命に脱出しようとする若者たち」というセンチメンタルな良さを味わうべきだと感じるね。出会った二人だからこそ最後の勇気を絞り出すことがてきて、二人の人生を賭けた「都市との果し合い」として殺人事件に挑む姿が、評者は好きだ、感情移入しちゃうなぁ。

さあ、二人して屋敷にはいって、この事件が解けるかどうか調べてみるのよ。それしか道がないわ。それだけが望みなのよ。あたしたちは故郷に帰りたいのよ。それはわかっているでしょ、クィン、あたしたちは自分の幸福のために戦っているのよ。自分たちの生命を賭けて戦っているのよ。そして、その戦いに勝つためには、六時までの余裕があるのよ

なのでこの動機は論理的なものではなくて、実存的なものなのだよ。そして二人はそれぞれ、手がかりを追って都市の「夜の断面」を目撃していく...そういう一夜の冒険である。
そして夜が明ける。最終ページの6時15分の時計がなんと感動的なことか。

No.297 7点 エラリー・クイーンの冒険- エラリイ・クイーン 2018/01/22 22:36
パズラーの短編集、というとどう長編とは違うメリットを見出すのか、が工夫のしどころなのだが、この短編集だと個々の短編の内容以上にまとまりの良さみたいなものを感じる。「~の冒険」という題名の付け方はホームズ物を連想させるわけで、ある意味ホームズ・オマージュの決定版を目指して書かれた、と見ることもできよう。
それぞれの話の膨らませ方・味の付け方にいろいろヴァラエティがあって、楽しめるのがいいところである。個人的には「見えない恋人の冒険」が田舎町を舞台にした後年の作品を連想させて、そういう田舎町ならではのストーリーとトリックなっているのがいいところだと思う。松本清張風のリアリティのあるトリックなのでは。「双頭の犬」や「七匹の黒猫」の怪奇趣味とか、クイーンにしては意外な持ち味だったりするのも佳い。何やかや言って「短編集としての短編パズラー集」という面では、その精華といったもののように感じる。
まあだから「新冒険」だと「神の灯」というキラーコンテンツがあって、「神の灯」ありき、になりかねない作品集なんだけど、「冒険」は全体のまとまりで楽しむものなのだろうね。

No.296 8点 Yの悲劇- エラリイ・クイーン 2018/01/14 15:53
XとかYとか本サイトに書き込むようになる直前に再々読くらいの感じで読んでたから、今さら書くのもややこしいから何だ...となってしまってたが、ちょっとネタも思いついたので書くことにしよう。

(失礼、結構バレます)
直前にヴァン・ダインの例の作品を読んでいたため気が付いたことでもあるのだが、あの作品の犯人は作中でちゃんと年齢が書かれていないのだけども、ハイティーンくらいと解釈するのもあながち不自然じゃないんだよね。で最〇の事件で〇〇者を装うとか、閉鎖された部屋とか、学習参考書とか、一般的なイメージ以上に、直接的な「いただき」なモチーフが多いように感じる。評者はトリックの特許先願争いみたいなものは不毛なスノビズムとしか感じないから、「それよりも小説の中にどれだけうまく埋め込めるかを競おうよ」と思うだけのことで、本作の方が元ネタよりもずっとうまく書けていることは間違いない。
で評者は実は、皆さんのクリスティの「〇〇〇〇家」に対する批評の辛さ、が気になるのだ。皆さんの大好きなクイーンの本作が「先行作の模倣」の要素がかなり大きい作品なのに、クリスティの「〇〇〇〇家」をそう咎めるのは、ダブル・スタンダードも甚だしいのではなかろうか。どっちか言えばクリスティの方の方が自分独自のテーマをいろいろと盛り込んだ、定型的でないモダンなミステリになっているように評者は見てるんだが....いかがなものだろうか。
というわけで、本作読むんなら、クリスティの「〇〇〇〇家」もトリック・マニアな視点じゃなくて、ちゃんと読んでもらいたいなぁ、と感じる。なので、評者は「〇〇〇〇家」よりも少し低い評点にしたいと思うのだ。
あ、あとどうせ読むなら、で今回は平井呈一の翻訳(講談社系)で読んだ。べらんめえなドルリー・レインというお楽しみ。古風な訳ではあるが、なかなかの名調子でドルリー・レインの自称が「小生」である。

こいつはのっけに一本、剣呑喰らったね、ハッタ―嬢。あいにくとね、小生、ちと妙癖がありましてね。(大久保康雄だと「いたみ入ります、ハッターさん。不幸にも私は妙な道楽がありましてね」)

いいなあ。日本語の豊かさを感得する翻訳である。このバーバラの形容として、「起居振舞にどことなく、暢達なリズムに近いものを身につけている」し、「この人の心の奥には、かんがりとした火が燃えていて、それが外面にほのかにさしいで」...と古風ながら実に味のある「創作性の強い訳」になっている。ホラーの教祖として言うまでもなく有名なのだが、平井呈一って凄いな。ただ本作だと今どき言葉狩りにひっかかる単語が連発になってしまうので、新しく出るわけがないから古本とか図書館で探すしかないだろう。原著の罪である。

No.295 6点 白髪鬼- 江戸川乱歩 2018/01/08 12:34
コレリの「ヴェンデッタ」をやったからにはこれしないとね。「ヴェンデッタ」→涙香「白髪鬼」の流れの終点である乱歩のもの。
枠組みとして収監されて刑務所にいる主人公の回想の筆記のかたちをとる。なので乱歩お得意の一人称の語り口が楽しみどころ。乱歩の筆にかかると隠微なエロティシズムが満開で、そういう意味じゃ男性的で陽性なラテンノリの「ヴェンデッタ」とはまったく別物。筋立てはほとんど変えてないのだが、手触りは完全に乱歩オリジナル、という感じ。「ヴェンデッタ」では復讐を実行するために姦婦姦夫を「操る」リアリティを重視して、「心ならずも....」と計略を弄しているのに対して、乱歩はもっと幼児的な残虐さというのか、姦婦姦夫をさまざまな小道具でイジめるのがあたかもSMのよう。なのでそういうエロを楽しむのが本作の最大のポイント。乱歩ってね、「お話」の作家じゃなくて「語り口」の作家だというあたり、ミステリ系の批評だとどうも見過ごされがちなんだがなあ。

悪人どもは悪人なるがゆえに、ますます美しく、いよいよ幸福だ。わしは善人なるがゆえに、ますますみにくく、しかも不幸のどん底に突き落とされた。

この力学に働くリビドーこそが、乱歩版「悪徳の栄え」というべきか。

No.294 6点 ゲー・ムーランの踊子/三文酒場- ジョルジュ・シムノン 2018/01/08 10:25
第一期メグレ物の合本である。例の瀬名氏は「ゲー・ムーラン」をメグレ物への「情熱が醒めつつあるか」と評しているけども、ちょっと読んだ感じは戦後のメグレ物っぽい雰囲気だ。初期の陰鬱なところがあまりなくて、プロット中心の話になっていると感じた。
リエージュの流行らないキャバレー「ゲー・ムーラン」では、二人の不良少年が隠れておいて閉店後にレジ荒らしをしようと、待機していた....彼らのほかには客は外国人旅行者とフランス人らしい恰幅のいい男しかいない。閉店後に彼らはその外国人の死体を見つけた。
という話。メグレはなかなか登場しないが、洞察よりもメグレの仕掛というか狙いが中心。ライト感覚なので、あまり大したことがない。
それよりも「三文酒場」の方がシムノンらしい。「メグレのバカンス」に似た話というか、同じく夏のバカンスなのに、メグレ夫人が待つリゾートに、事件をかぎつけちゃったメグレがなかなか行けない話。セーヌの川岸に週末にパリの商店主たちが家族連れで川遊びを楽しむリゾートがある。彼らはそこで地元の漁師たちが集う「三文酒場」をちょっとした隠れ家のようにして、楽しんでいた....メグレはある死刑囚が漏らした言葉に導かれて、「三文酒場」とこの旦那衆たちと近づきになる。平穏な夏のリゾートでのお楽しみの中で、発砲事件が起きた。単なる事故のようなのに、撃った男は突然逃亡した。その仲間たちもメグレの目の前で、その逃亡を手伝ったりする...なぜだろう?
という話。こりゃホントにシムノンにしか書けないタイプの話だ。旦那衆と付き合うのに、いつものビールじゃなくて、メグレもプチブル趣味なペルノー(アブサンの代用品として飲まれるアニス系の甘いハーブ・リキュール。日本人は結構苦手な味)を飲む....ちょっと浮かれて倦怠の漂う夏の夕暮れ感が本作の本質。メグレ夫人はメグレに早く来るように催促する

杏のジャムを作り始めました。いつになったら、それを食べにいらっしゃるつもり?

No.293 4点 グリーン家殺人事件- S・S・ヴァン・ダイン 2018/01/05 23:30
こりゃもうダメだろ..というのが正直な感想。小説として長さを支え切れていない感じである。「僧正」だとホラーの要素がストーリーの牽引力になっていたのに比して、本作だとゴシックロマンスの要素がちゃんと生かし切れていない印象が強い。
先行する初期2作が何やかんや言って20年代アメリカの「今」を描写していたのがイイところなのだが、本作はおそらく出版時点でもブルジョア家庭の内幕小説めいた「退嬰的」な内容だったように感じる。退嬰は退嬰なりの魅力があるのだが、ヴァン・ダインの筆力だとそこらはちゃんと描き切れていないのでは。「僧正」と比較してもキャラの印象が薄いと思うよ。執筆時点でも「古臭い」ものだったのを、日本では何か勘違いして評価したのではなかろうか? 古典ミステリのガジェットが羅列されている以上の内容を、評者は見つけられなかった。「家モノ」の過大評価は日本特有のものだろうなぁ。
あと言うとヴァン・ダインというかライトというか、著者はスティーグリッツの同志みたいな人なのに、絵画と写真を比較してグリーン家を論じるあたり、話の狙いはわかるんだけど、写真論として保守的でつまらないのはどうしたものか....
ちなみに評者はついでなので映画も見たのだが、評判が悪いはずの映画の方が、「ゴシック」としてのグリーン家をちゃんと「絵」にできていて、それはそれで面白く観れた。挿絵にあるグリーン家の外観図を、映画はちゃんと立体的なセットにしているのが感動的。これが本当にゴシックの雰囲気が濃厚に出ている。原作のくだくだしい描写を簡潔に交通整理したシナリオは、決して不出来ではない。考えてみれば乱歩も正史も虫太郎もみんな観た映画なんだよね...

後記:弾十六さま、私が見たのはネットに上がってる英語版です。こんなのとっくにパブリックドメインなものですからね。ググるといくつか出ますよ。たとえば https://ok.ru/video/298376891043
でいかが。今見たら杉浦康平デザインの創元の旧カバーがないじゃん。僧正と色違いでオシャレなので、書影追加します。

No.292 6点 死者の中から- ボアロー&ナルスジャック 2018/01/03 22:53
ヒッチの「めまい」の原作として有名すぎるくらいに有名な作品。今回久々に再読して印象に残るのが、第一部が第二次大戦のフランス侵攻の前夜の話、という時代面での息苦しさがうまく小説内容にマッチしてることだったな。ただし、第二部での主人公がルネによってマドレーヌを再現しようとするあたりは、どうしてもヒッチの映画のヴィジュアルの説得力に負けてしまう。「めまい」ではそれに加えて、ジェームズ・スチュアートのある種の不健全さが垣間見れて、きわめて倒錯的な面白さ(ヒッチ曰く「死姦」だそうだ)を感じるのだね...まあだから小説評価としては、残念ながら「映画ほどじゃない」ということになる。
逆に小説でのいいところは、犯人たちの仕掛けが「効きすぎて」逆に墓穴を掘ることになった、ということに読み終わって気が付く、というあたりのような気がする。映画だとこういう見方をしづらいように思う。
あとそうだね、ボア&ナルって心理主義というか、心理描写が長々...という印象がないわけじゃないが、本作とか風景の客観描写が意外にハードボイルド文っぽい抑制的な美があるあたり、不思議なほどにアメリカンな印象を受けた。意外というか、アメリカニズムの普遍性というか、面白いな。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.43点   採点数: 1251件
採点の多い作家(TOP10)
アガサ・クリスティー(97)
ジョルジュ・シムノン(89)
エラリイ・クイーン(45)
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ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(18)
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