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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1419件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.539 8点 夢野久作全集 8- 夢野久作 2019/07/01 22:56
友人が出てる芝居を見に行ったのだが、そこで演じられていたのが夢野久作原作で「少女地獄」「狂人は笑う」を軸にアレンジしたものだった...ちょうど手元にあったので、本作を取り上げることにする。こんなこともあるもんだ。
ちくま文庫の全集である。8巻のキーワードは収録作のタイトルを眺めれば一目瞭然、狂気と地獄である。しかしね、夢野の狂気と地獄は、それ自身ヒロイズムと結びついているようにも思うのだ。狂気に囚われて、地獄に落ちていくプロセスが、モダン日本を象徴するような英雄的な行為にいつしか変貌していくさま....これを描き切ったのが連作長編「少女地獄」だと思う。これが圧巻。
「少女地獄」は「何んでも無い」「殺人リレー」「火星の女」の三本立てで、すべて年若い女性がほぼ自爆的に自分たちを踏みつけにする男性(社会)に復讐する話である。この中でもやはり病的な虚言癖の少女を描いた「何んでも無い」が傑出している。きっかけは自分をよく見せたいちょっとした虚栄心に過ぎない。その虚栄を維持するだけでは足りず、少女は嘘に嘘を重ね、その虚構はつめどもなく膨れ上がり、収拾不能になる....いつでも少女は嘘のエスカレーションから降りようと思えば降りれた。しかし、少女は常に賭け金を吊り上げるのだ。この無謀な姿が実に英雄的なのだ。だから少女の嘘に騙された人々も、この偉観に讃嘆の思いが強くなって、少女を恨む気持ちを不思議と持てないようなものである。評者もこの姫草ユリ子に惚れる、ユニークな造形が本当に素晴らしい。
あとは「ドグラマグラ」の原形みたいな「一足お先に」にシュールな幻想性があって面白い。幻肢痛を一歩進めて切断された片足に本人が取り憑かれて、勝手に人殺しをするような幻想味がいい(と評者読めるんだがなあ...)。「瓶詰地獄」はまあ、ミステリじゃない、といえばミステリじゃないけどねえ、けど読んどかないと話にならないし。

No.538 5点 エルサレムの閃光- ロジャー・L・サイモン 2019/06/30 20:01
ユダヤ教・イスラエル三連発のトリはモウゼズ・ワイン。周知のようにユダヤ人過激派アガリの私立探偵である。今回はロサンゼルスの「アラブ=アメリカ友好協会」の会長が爆殺された事件の捜査で、「アラブ人に雇われた」「不信心な」ユダヤ人ワインが、「ユダヤ防衛隊」メンバーの容疑者を追ってイスラエルに渡る話である。なので舞台のほとんどはイスラエル。毎回毎回舞台設定に凝る作家だが、今回はディープにユダヤ教の世界が味わえて、ケメルマンのラビシリーズは入門編に思えるくらいのもの。
ラビ・スモールの保守派はライトな世俗主義に近いけども、ユダヤ教は本当にいろいろ。本作だと神秘主義の強いハシディズムの宗派にも旧友のツテでワインがお世話になるから、それこそカバラ哲学の用語だって飛び交う。訳題の「エルサレムの閃光」の「閃光」だってカバラの用語から来ているようだ(原題は違うが)。ワインもつい周りに影響されて、ガールフレンドに「改宗しない?」なんて電話して即時却下されて目が覚める(笑)。で、ワインが追った容疑者は、メシア主義を信奉するようになっていた。この男結構イイ奴で、周囲からはメシアのような扱いを受けている...という超展開になる。まあこういう突飛な面白さがこのシリーズの持ち味なんだが、このメシアの動向を巡って、アメリカのキリスト教右翼のテレビ宣教師が利用しようとしているとか、事件に関係していそうなユダヤ教のラビは、イスラエルの議会に議席も持っていて、簡単にその過去や暗部に手出ししづらいとか、ナマ臭い話も立ちのぼる....まあ、ミステリだもんね。
評者のご贔屓シリーズなのに点が辛いのは、真相もワインの行動もモサドに筒抜けで、どうやらその掌の上で遊ばれていたようなところがあること。これやったらハードボイルドにならないんだよなあ。

ミスター・ワイン、きみの祖先の国を今度訪れるときはこれほどせわしくないように、また視野と心を大きく広げて来るように希望する。われわれも、きみように理想主義的な人間だということを覚えておいてほしい。しかし、理想的であるには、まず生き延びる必要がある。

と「タフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きている資格がない」とモサドに説教されるのである。おいなあ。確かにこのシリーズ、ハードボイルドのパロディみたいな面はあるんだけどねえ。

No.537 7点 金曜日ラビは寝坊した- ハリイ・ケメルマン 2019/06/29 07:58
「スミスのかもしか」に続いて本作...でユダヤ=イスラエル3連発を狙ってます。第二弾でケメルマンのラビ第一作。クイーンの従兄弟たちだってユダヤ系なわけで、クイーンがこだわったダイイングメッセージだって、カバリズムに引っ掛けて論じたのを見た記憶もある。
しかし、ユダヤ教というのも、長い歴史があって実に多様なわけである。ラビ・スモールが属する宗派は「保守派」というセクトになる。名前のイメージに反して、アメリカでできたセクトで、世俗性が強くて、ハシディズムみたいな神秘主義的色彩は薄いようだ。作中でも強調されるが、ラビ、というは「僧侶」ではない。一般信徒と同等の特権と義務しかないわけで、日本で言えば浄土真宗の坊さんみたいなものだろう。タルムードに通じた学者というニュアンスが強そうだ。主人公のラビ・スモールはそういう「学者バカ」なキャラで、これが原因で教会のメンバーの一部から排斥される騒動もあって、この顛末が面白い。
ミステリ的な部分はかなり地味だけど、伏線丁寧だからカンが良ければ分かるんじゃないかな。殺された若い女性のハンドバッグが、教会(どうやら原著もTemple でシナゴーグじゃないみたい)に駐車したラビの車から見つかって、ラビ自身にも軽く容疑がかかる。早く真相を解明しないとユダヤ人差別事件を誘発しかねないコミュニティの危機を、ラビはどう凌ぐか?ここらのドラマづくりの上手さがナイス。
「タルムードの知恵」を生かして、冒頭に信徒間トラブルをラビが裁定するけども、その結論は弁護士相談みたいな地味な民法風の解釈で、結構「ふつう」。超絶論理を期待しちゃ、いけないや。ちょっとバレかもしれないが、こんなとこに間接的な伏線が仕込まれているから、そういう丁寧な仕事を面白がる小説だと思う。

No.536 9点 スミスのかもしか- ライオネル・デヴィッドスン 2019/06/22 13:32
入手困難の本作、やっと読めました。入手困難だからって面白いとは限らない、なんて言ったけど、本作、荘厳な美しさがある大名作である。デヴィッドスンでも最高傑作じゃないかな。大きなこと言ってごめんなさい。けど、本当に凄くて、読み終わるのがもったいなく感じたほどだ。デヴィッドスンにハズレ無し。
パレスチナの峡谷に隠れ住むパレスチナ人の世捨て人ハムドは、奇妙な情熱を傾けて、ガゼルのつがいの世話をしていた。ガゼルは繁殖していき、百頭近い群れにまで成長してきた。ハムドはこの群れが「聖地」を荘厳する神聖な生き物であるという「ヴィジョン」に突き動かされていたのだ。近くのキブツに住む少年、ヨナタンは集団生活に馴染むことなく、妹が生まれることから両親からも放任されていた。近くを遊牧するベドウィンの少年、ムサレムはベドウィンの暮らしを守る曽祖父と暮らしながら、定住に心奪われる母との間での「ベドウィンの生き方」を巡る対立に悩んでいた....この二人の少年が、世捨て人ハムドと一緒にガゼルの世話をする、奇妙な「ゲーム」が始まった。二人の少年の間に生まれる友情と、増え続け300頭ほどにまで膨れ上がった群れ。折しも、キブツとパレスチナ人の間の緊張が高まり、この峡谷あたりでも軍事的な作戦が展開されるようになってきた。第三次中東戦争(六日間戦争)が始まった! 少年たちの友情と、ガゼルの群れの運命は?
....だからね、本作ミステリとはちょっと呼び難い。けども、どんなジャンルにも収まらない。ユダヤとベドウィンの二人の少年の対立と友情が読みどころだが、それでも客観的すぎる筆致から、ジュブナイルには絶対にならない。動物小説でも戦争小説でもないし、主人公もはっきりしないから、冒険小説でもない。しかしこれは極上のエンタメである。
イスラム教もベースはユダヤ教から育ったものだから、「沙漠の民」の共通する「ヴィジョン」があって、この二人の少年と世捨て人ハムドが共有するから、宗教を超えた「ゲーム」が成立する。このガゼルの群れは、実はこのヴィジョンに顕れるイスラエルを象徴する動物、絶滅したとされる「スミス・ガゼル」である。荘厳な宗教劇のような象徴性を背景にする話なのだ。
しかしこの仮初のエデンの園は、現実政治によって引き裂かれる。荒野を戦車が行き来することで、植生は踏みにじられ、地雷原さえ敷設される。「戦争」こそが実は最大の自然環境破壊なのだ。最後に訪れるカタストロフで、大いなるヴィジョンはタダの幻影に落ちぶれるかもしれないが、それでも最後に希望だけは残っている。
素晴らしく感動的。無理してでも読んで良かった!この感動を分かち合いたいから、ぜひぜひ復刻希望。

(デヴィドスンがピーター・ディキンスンと似てる?という書評を見たんだが、評者も両方大好きだから....で考えたら、いくつかあるか。
1. ジャンル分けが無意味なくらいに型にハマらない
2. バックグラウンドは文化相対主義。文化人類学興味がある
3. 対立する世界観を奇妙に融解させて相対化する方法論
4. チョイ役キャラにも人生を感じさせる書き込み
5. 衒学的で凝ったデテール
うん、確かに共通点も多いか。けどもう二人とも評者未読がほぼない。何読めばいいかな?)

No.535 6点 ナポレオン・ソロ⑤/人類抹殺計画- デイヴィッド・マクダニエル 2019/06/19 22:08
一定以上の年齢の人はまず知ってるナポレオン・ソロ。TVの量産型007ではフェルプス君と並んで一番人気だろう。このシリーズはノベライゼーションがポケミスで16冊出てるけど、なぜかハヤカワの世界ミステリ全集にも本作が収録されている。「寒い国から帰ってきたスパイ」「ベルリンの葬送」のヘヴィなシリアス系スパイ名作と同じ巻である....本当に編集意図不明なセレクションである。巻末対談を読んだが、今ひとつ意図はわからない。謎だ。ル・カレに対する屈託みたいなものも感じるのだが....
とはいえ「人類抹殺計画」は「ソロ・ホームラン」と巻末対談でも洒落て評されているくらいに評判のイイ作品ではある。ソロが属するのは全世界的なFBIみたいな特務機関 U.N.C.L.E. だから相方はロシア人のイリヤ・クリヤキンになって、冷戦は関係ない。スペクターに相当するのは THRUSH で、マフィアめいた犯罪組織...ということになるのだが、リアリティどうこう言うのも野暮だ。しかし本作では「ダガー団」なる第三の組織が登場して、U.N.C.L.E. と THRUSH は合同でダガー団と戦うことになる、という変化球の巻である。だから THRUSH の内情を、直接ソロたちは垣間見ることになって、これがなかなか興味深い。
THRUSH のサンフランシスコ支部長の元に、ソロ、クリヤキン、それに上司のウェーヴァリーまでお世話になって、古強者の支部長が THRUSH 歴を語るのを謹聴する。THRUSH とは「反対分子除去、人類制服のための技術的天使団(The Technological Hierarchy for the Removal of Undesirable and the Subjugation of Humanity)」という長ったらしい名称の略だそうで、支部長みたいな古参幹部は「天使団」と言い習わしている。この団体は1891年に殺された数学と犯罪の両方に傑出した才能を持った教授によって設立されたそうである。例のあの人である。どうやらこの組織の最重要のテキストは「1984年」らしく、お土産に頂戴する(苦笑)。
支部長夫人のアイリーン(名前からして、あの女性?)は家庭的な良妻賢母といったキャラなのに、45口径をぶっぱなし、サンフランシスコ名物のケーブルカーを使った拷問で捕虜のダガー団員の口を割らせるのが素敵。というわけで、スラッシュ側がとってもイキイキ描かれている。

それにしても、世界を破壊してしまうほどの装置としては、みっともない感じの機械だな

ナポさんアンタがツッコむなよ...うんでも単に楽しい。ナイス。

(ちなみにこのシリーズの中では、ヴィクトリア時代かエドワード時代のレディの生きた見本みたいなジェーン叔母さんとか、背が低くてまる顔で無邪気な微笑をたたえたジョン神父とか出てくる話があることで有名。侮りがたい。最後に、クリヤキンかわいい爆)

No.534 4点 リマから来た男- ジョン・ブラックバーン 2019/06/18 20:59
重版がなくて創元のブラックバーンで一番の入手難だが、入手難だから名作...ということはエンタメだもん、ないよ。「小人たち」「薔薇の環」と比較して2枚くらい落ちる。重版かからなかったのも納得。レギュラーの細菌学者レヴィン卿・元KGBでレヴィン卿の愛妻タニア・英国諜報部を仕切るカーク将軍のトリオ登場の作品である。
イギリスの対外協力相など、政治家の暗殺が続いていた。有名だったり影響力が強い政治家ではない、陣笠クラスの「なぜこの人が?」となるような小物ばかりなのだ。イギリス対外協力相を殺した暗殺者は、直後に車にはねられて死んだのだが、その血液に奇妙な原虫がいることにレヴィン卿は気づく。この原虫はドイツの狂気の学者が、南米の小国ヌエヴェ・レオンで見つけたと報告したものに似ていて、しかも暗殺された政治家たちは、何らかのかたちでそれぞれにヌエヴェ・レオンの開発計画と関係していたのだ。レヴィン卿夫妻とカーク将軍は真相を追ってヌエヴェ・レオンに旅立つ。折しもヌエヴェ・レオンではクーデター騒ぎがあり、一行の面前で協力を約束した大統領が暗殺された。これも一連の暗殺の続きのようだ。狂人学者が原虫を発見したとされる、密林の奥地「天国の窓」に向かって川を遡行する旅が始まる...
という話。この原虫は感染者を気分爽快かつ気力充実させる、麻薬めいた作用がある反面、一定の間隔で地衣類から抽出した薬品を服用しないと、逆に感染者を攻撃して死に至らしめる、という麻薬どころじゃない「奴隷化」作用がある。レヴィン卿は意図的な感染源がいるのでは、と疑っていたのである....となってくると、はい、ブラックバーンらしいB級テイストが立ち上ってくるわけ。南米の奥地というわけで「黒い絨毯」みたいな軍隊アリに襲われるシーンもあって、B級テイストは皆さん、期待通りじゃないかな。けどね、安っぽいからご用心。
まあ本作、それ以上の面白さみたいなものは、残念だけども、ない。それでも川を遡る旅が「地獄の黙示録」みたいに見えるときがあるのが...隠し味かなあ。

No.533 7点 血族- 山口瞳 2019/06/16 23:57
ぎりぎりミステリの枠の入るので、評者も取り上げたいと思っていた作品である。tider-tiger さんもセンスがいいなあ。
とはいえ、評者が本作を知ったのは、1980年のNHKのドラマ人間模様に取り上げられたのがきっかけ。早坂暁脚本、深町幸男演出、武満徹音楽で、小林桂樹主演..と早坂・深町・武満トリオはこのシリーズだと「夢千代日記」でNHKドラマ黄金期の頂点を画したようなものだろう。ドラマでは、主人公の子供の話もあって...と少し話がつくってある。ゴロ寝する主人公の母(小川真由美)の足裏を雑巾がけついでに、嫁が拭くエピソードが原作そのままに採用されていたのが印象的。もう一度見てみたいな。どうやらNHKのアーカイブにはあるらしい。
で、小説の方だが、こっちは調査プロセスを丹念に追っていく。世間一般の家庭からは結構毛色の変わった一家だったわけだが、主人公の母が本当に魅力的に描かれている。そして、過去について妙に歯切れの悪い親戚たちと、どんな関係なのか不明な「遠縁」の人々....そして誕生日が数ヶ月しか違わない「兄」。この一家の「謎」を主人公は調査していく....
けどね、実のところ作者は本当は薄々真相を知っていたのである。だから、調査というよりも、実際に作者が自分の出自を確認し納得するための旅なのである。そして明らかになる「血族」ならざる「血族」たち...逝きし世の庶民が、肩寄せあって暮らすその生業を作者は古新聞などから推測し、この「血族」たちの諦念を作者は追感しようとする。もはや直接語りうる人々は、ほぼ皆鬼籍に入り、確かめようもないことも多い。それでも作者は細々としたことを納得し、我が身の上に実感しようと調査を続けるのだ。まさに己事究明、ということである。自分の由来というものが、自分によって最大のミステリなのである。

No.532 4点 憲兵トロットの汚名- デイヴィッド・イーリイ 2019/06/16 14:50
短編名手イーリイの初長編である。
第二次大戦直後のフランスに進駐する米軍の憲兵トロットは、同僚マレイのヤミ容疑による逮捕をわざと逃した疑いで、同僚たちから責められていた....嘲る後任者をはずみで殴り殺したトロットは脱走してパリを目指した。何としても疑いを晴らして、根源のマレイをこの手で捕まえるんだ...
と復讐に燃えるトロットを主人公とした...と思わせながら、実はそういう小説ではない。確かに導入はそのとおりなんだけど、あっさりトロットはマレイと行きあってしまい、行き場のないトロットはマレイが属する、偽憲兵をつかった美人局一味に加わることになる。なので、トロットとマレイの腐れ縁の話といった感じのものだ。トロットは手柄を立てて返り咲きたい心もあって、何回もマレイを密告しようとするが、そのつど邪魔が入ってうまくいかない。そのうちに、この美人局一味も空中分解し、なんやらナチ残党絡みらしい話に巻き込まれていく....
まあ、なんというか、ヘンな話である。イーリイらしいヘンさかもしれないが、どうみても不発。トロットの心理を書き込みすぎてて軽快さがない。トロットも何となくマレイに丸め込まれて、しかもマレイ、裏切られるのを承知しながら恩を売るような、食えない悪党である。本当に腐れ縁としかいいようのない、しょうもない関係である。シーンをうまく短編で切り取ったらそれなりに面白いのかもしれないが...ちなみにトロットもマレイも、憲兵でも所属はCID(犯罪捜査部)だから、刑事みたいなものである。悪徳警官モノの変形かもね。
次の「蒸発」とかもっと面白いんだがねえ。

No.531 6点 飛越- ディック・フランシス 2019/06/16 11:50
フランシス競馬スリラーというと、大人気だったけど、評者特に思い入れがないシリーズである。そこらへん87分署と似ているかもね。
客観評価で見ると、とくに込み入った謎があるわけでもなくて、オーソドックスな冒険モノということになるだろうか。前半で分かる輸出を巡る詐欺行為は、実は今の日本でも消費税をネタにして流行中の手口だよ(苦笑)。
でまあ、本作筋立てなんてホントはどうでもいいのだろう。生まれだけは伯爵の嗣子で、貴族のボンボンと舐められるのが癪なモラトリアム主人公が、アマチュア騎手とか(これもアマチュアの)飛行機パイロットとして、自分の「オトコとしての価値」を証明しようとしているが、両方の知識を活かした競走馬空輸に意地で就職して事件に巻き込まれ....というこの主人公設定自体が、ツボな人はホントにツボなんだろう。ハイソで上品な「ロッキー」みたいなものだ。斜に構えた評者とかだと「男ハーレクインじゃん」となると言えばなるんだけどもね...まあ評者、ハーレイクインにも男ハーレクインにも、別に悪気があるわけじゃない。
まあ好きな人は好きなんだろうね、と思う。いいじゃないか。

No.530 5点 緑色遺伝子- ピーター・ディキンスン 2019/06/15 19:29
ディキンスンというと、ミステリ枠の作品でもSFっぽい設定があったり、本作みたいに一応SF枠だけど人種差別と文化摩擦を扱ったリアルテイストだったり、ジャンル分けが無意味な作家の代表みたいなものだろう。
いつの頃からか、白人の親から緑色の赤ん坊が生まれるようになったイギリス。この緑色人種を生み出す遺伝子は、ケルト系と関係があるようで、ケルト&緑色人種からサクソン人を守る、厳格な人種隔離が施行されていた。そこにインドから、天才的な医学統計学者ヒューマヤンが、この緑色遺伝子の謎のヒントを掴んだことから、イギリスで研究するように「人種関係局」によって招聘された。滞在先は人種関係局の幹部グリスター博士の家、その2人の娘、ケイトとグレンダとも親しくなるが、緑色人種のメイド、モイラグの敵意に悩むようになる。差別を受けるケルト系過激組織のテロが頻発するなか、ヒューマヤンはモイラグ殺害、グリスター邸の爆破に続いて、過激組織に誘拐された....
という話。ヒューマヤンは天才的な科学者だが、迷信的な信仰も両立する規格外の人物。もちろん、実在の天才数学者ラマヌジャンの面影がある。ディキンスンは、ちゃんとしたリアルな科学者らしさがありながら、それから逸脱する神秘主義を両立させる、言ってみればニューエイジ風の科学者像が得意(「生ける屍」でも「毒の神託」でも...)だが、これがバカバカしく浅薄に見えないのがさすがのところだろう。でもね、ディキンスンの才筆をもってしても、ラマヌジャンの内面を描こうというのは無謀すぎる。
しかし本作だと、この緑色遺伝子に関するヒューマヤンの結論が今ひとつ不明だ。そして、ウェールズやコーンウォールのようなケルト文化の残る地帯、そもそも別国だったスコットランド、ケルト文化の「緑」の島であるアイルランド...と今でもイギリスに残る文化的な差別と軋轢感が、日本人だとピンとこない。難しいなあ。せいぜいIRAくらいなら宗教対立で何とかなっても、本作の人種差別体制はもっと「肌合い」に近いような微妙なものをベースにしているのだろう。
まあ、エンタメとしても今ひとつ歯切れが悪い話。コンピュータにヒューマヤンが仕掛けを施すのだが、訳文なのか、時代なのか、作者のコンピュータ理解の問題なのか、今ひとつ何がなんやらわからない。けどこれは明白に訳の問題だろう。

その負者(マイナス・ワン)が想像上のふたつの立方根を自身以外にもっていて....

「想像上」は imaginary だからこれ明白に「虚数」のことを言っているんだよ。数学用語は意外なくらいにベーシックな英単語が術語になってるから、気をつけなきゃね。

No.529 7点 雨の殺人者- レイモンド・チャンドラー 2019/06/15 18:46
創元のこの巻は「大いなる眠り」のネタ2つ「雨の殺人者」「カーテン」、「さらば~」の元ネタ1つ「女で試せ」、三人称ハードボイルド単発「ヌーン街で拾ったもの」、ファンタジー「青銅の扉」という5本立て。
「雨の殺人者」は妹娘側の話、「カーテン」は姉娘側、とそれぞれ別な女性の話を「大いなる眠り」では姉妹として合体させたのが面白い。短編で読んでみると、こっちのが話の辻褄が合いやすくてイイようにも思うんだが...長編版でオミットされたドラヴェックの結末が評者好きだなあ。ちなみに「オレだって知るものか!」とチャンドラー本人も開き直った、運転手殺しの真相は元ネタの「雨の殺人者」でもはっきりしないのがご愛嬌。
「ヌーン街」は三人称でマーロウ物よりも派手にバイオレンス寄り。映画的でスピーディな話で、ありきたりとはいえ、マーロウ物が避けがちで評者とかとても不思議だったハリウッド内幕のネタなのも、映画風味。クールでドライな語り口がナイス。
「青銅の扉」はチャンドラーの英国趣味全開な不思議犯罪小説。ハードボイルドな味はまったくないが、やたらと達者なのが逆に新鮮。今更言うのもなんだが、小説上手だ。
で、「女で試せ」は大鹿マロイを巡る話のちゃんとしたバージョン、という感じのもので、「さらば」だと実のところ枠組みくらいでしかなくて、中途半端な扱いなマロイに、きっちりドラマを作ってみせている。なので後半はほぼ別物で、「さらば」はマロイのキャラを借りただけ、という気がしないでもない。
というかね、日本の読者はチャンドラーをまず長編で読んで、それからファンが短編を読む、という流れになるのは当然なんだけど、作品の成立ももちろん逆だし、「ハードボイルド書き下ろし長編」という出版形態の意味を考えたときに、実のところ「ブラック・マスク」に掲載された短編の方を軸に考えた方のがチャンドラーという作家をちゃんと理解できんじゃないのかな? 執筆時ではパルプ雑誌での「書捨て・読み捨て」だった、小説家としては最底辺レベルの仕事の中で、アメリカ文学の最良の部分が育ってきた...という歴史的な皮肉があって、それが一躍クノップ社ハードカバーの「長編ハードボイルド」に仕立て直されて、表舞台のビジネスに乗って「ハメット・チャンドラー・マクドナルド・スクール」とか呼ばれちゃう流れを通じて、チャンドラーを理解する必要があるんじゃないかとも思うのだよ。
本作の短編は、長編の試作でも、元ネタでもなくて、それ自身で独立した生命を備えた作品、と読んで行きたいと思うんだ。どうだろう?

No.528 8点 隅の老人の事件簿- バロネス・オルツィ 2019/06/10 21:56
一口に「ホームズのライヴァル」と括られる短編ミステリ専門ヒーローがいるわけだけども、評者の見るところ、そのうち3人だけが「名探偵」から意図的に逸脱しているように思うのだ。「隅の老人」「プリンス・ザレスキー」少し時代が下るが「ポジオリ教授」、この3人は短編で謎を解き明かしながらも、いつしかその謎の彼方に消えていくような印象を評者は受ける。
というわけで評者「隅の老人」を非常に買っている。正体不明、紐を結んだり解いたりする奇癖、犯罪に強く共感する反社会性に加えて、純粋に新聞・検死審問などのオフィシャルな情報だけを語って、未解決の事件の真相を解釈してみせる....ひょっとしたら、その推理はまったくデタラメなホラ話なのかも知れないし、聞き手のミス・バートンを誤導するためのミスリードなのか、本当のところ、よくわからない。
実際、物語の結末が証拠によって隅の老人の推理が裏付けられる話は(おそらく意図的に)ほぼないし、推理の結果因果応報というのも、作中で描かれはしない。語られる検死審問の詳細も、ただ単にリアリティを与えるための口実に過ぎないかのようだ。ありふれた金銭欲などの卑小な動機しか描かれないし、突飛なトリックはなくて、ありふれた人物誤認のバリエーションがあるだけだ。本作のリアルと老人の穿った解釈は互いに食い合って、あたかも奇怪な結び目と化しているかのようだ。
だからこそ、「隅の老人最後の事件」がああいう結末であっても読者に対する裏切りではない。あれは、ああでなくてはいけないのだろう....隅の老人は消え失せる。それこそミス・バートンが見た血なまぐさい悪夢のように。老人がすべての事件の犯人なのかもしれないのだ。

(隅の老人は、新聞とか検死審問とかパブリックな情報源だけで推理するわけで、自身の調査などアクティブな捜査を一切しない探偵、という意味で「安楽椅子探偵の先駆」という評価がされたのでは?という気がするんだよ。「安楽椅子探偵」という字面とその後の概念の成立に引きずられて、否定するのはどうかと思うんだが...)

No.527 6点 国枝史郎探偵小説全集 全一巻- 国枝史郎 2019/06/10 08:37
国枝史郎というと「神州纐纈城」で有名な戦前の伝奇作家なのだが、日本で最初に「探偵小説」が受容された1920年代前半に、国枝もこのジャンルに強い興味を持って創作・批評をしていたパイオニアでもある。とくに小酒井不木とは親しい関係にもあるし、「新青年」にも投稿欄の「マイクロフォン」が多いが、単発の評論でも何度も登場している...となかなかの活躍度なのだけども、いわゆる「日本探偵小説史」からは抹殺された存在に近い。
これにはワケがあって、一つは乱歩と折り合いが悪くて、「大乱歩中心」な探偵文壇から特に戦後無視されたこと、トリック中心主義に否定的だったこと、今で言う「社会派」的な作品観だったこと...などがあるように感じられる。
まあ、戦前の「探偵小説」というものも、現在から見るとジャンルが広すぎる印象があるわけだ。都会派で翻訳臭が強くて広義の「謎」を追う話ならば、何でも「探偵小説」だった、というのが「新青年」的な立場と言ってもいいだろう。今でいえば「怪奇幻想」「秘境冒険」「SFスリラー」「国際スパイ」「猟奇心理」に分類される作品が、おおざっぱに「探偵小説」と銘打たれていたわけである。この広いジャンル観でしか、実際のところ国枝史郎の「探偵小説」は受容しきれないようなものである。
この作品社から出た限定1000部の本は446ページのうち、創作23篇で約300ページ、評論35本を約150ページの配分で収録している。だから短編と言っても、文庫換算で20ページ内外の尺がほとんどで、軽いオチがついて逆転の面白さを狙った小品、というものが多い。初出では「翻訳」として発表されたが、実は国枝の創作というものも多くて、「洋行趣味」なテイストがなかなか堂に入っている。ただし、いわゆる「ミステリ」を期待すると肩透かしで、国枝の達者な語り口とロマン味を楽しんで読むのが良かろう。それでもどうだろう、「広東葱」「木乃伊の首飾り」「指紋」あたりがギリギリにミステリに今でも入るかな? ただ、本としては、探偵長編の「沙漠の古都」「東亜の謎」「銀三十枚」「犯罪列車」などは収録していないので、そっちを読んでから本書は読むのがスジだろう。
評論はいわゆる「新青年」カルチャーの裾野の部分を補強する資料としてたいへん貴重といえる。小酒井不木を敬愛していたことが強く窺われて、不木を巡って乱歩と鞘当てしたので、不木が苦慮した...という話ももっとも。また当時の左翼畑の文学がこれも一種のモダニズムとして、新青年周辺にあったわけで、いわゆる昭和大衆文芸の持つ社会改良主義的な色合いを、探偵小説にも盛り込むといい...という論の一方の論者でもあった。そういう例として羽志主水の「監獄部屋」を絶賛しているし、またウェルニーシン「死の爆弾」という作品を推している(すまんがこれは知らない...けど気になる)。評論としてはなかなか目配りもいいのだけども、「新青年」に書いていたのは1928年くらいまでの短い期間で、不木の死と共に熱が冷めたようでもある。そこらへんもこの人の業界プレゼンスが低い理由かもしれない。
戦前の「探偵小説」の外縁を探るにはもってこいの労作だが、本サイトでもちょっとニッチだろうなぁ。

そうして何んとなく同氏の作品には―もし叱られたら謝罪するとして、軟派不良少年の味いが、加味されているように思われます。

誰に対する評だと思います?横溝正史ですよ。なかなか慧眼。

No.526 4点 剣の八- ジョン・ディクスン・カー 2019/06/06 08:31
さて評判の良くない作品である...実際読んでみると何か「ゆるい」ままズルズル続いて山がかからずに終わる作品だと思う。作品で何を面白いと読むのか、ポイントがはっきりしないんだよね。
一番面白い部分が、訪問者の正体に関する推理なんだけど、これが速攻で前半に推理されちゃうという構成のまずさはどうしたものだろう?最後の真犯人絞り込みの推理が内容的にこれに負けているんだよね。小説としても終始グダグダで読みどころがない。登場人物の一人が探偵作家(政界の事件専門の探偵らしい)でメタっぽいことを少しクスグるから、そっちを活かしたお笑いにするとか、手はあるんだろうけどねえ。
考えてみると、カーって結構な濫作家なんだよね。2つのペンネームを使って、1933年から41年まで、最低年3冊、標準年4冊新作書き下ろしを出しているわけだ。特に本作の1934年は「黒死荘」「白い僧院」本作「盲目の理髪師」それにロジャー・フェアベーン名義の歴史ミステリ「Devil Kinsmere」と5冊出している忙しい年である。カーター・ディクスンの当り年のワリを食ったようなものだろうか。

(よく考えたら名作「〇〇の〇」の元ネタだね。訪問者の正体とか、プチ銃撃戦のW構成とか)

No.525 6点 柾它希家の人々- 根本茂男 2019/06/04 20:23
竹本健治や皆川博子が称賛したことで、「奇書」の呼び声が高い作品なんだけども、まあそれ以上にマイナーな冥草社で1000部限定で入手難、装丁凝ってて「見るからに呪物感滲み出る本(竹本)」なんて言われたらさ、読んでみたくもなるものだよ。大阪府立図書館にあったから借りて読む。
主人公の女性は子どもたちの家庭教師として柾它希(まさたけ)家を訪れた。旧華族風の広壮な邸宅なのだが、庭も屋敷も荒廃するがままで、そこに住むのは傲慢で荒淫の果に衰えた雰囲気の主人と、それぞれに奇怪な4人の子どもたちだった。子供らしくない丁重さがあるが美男揃いの兄弟たちの中では醜く、しかし悲しく引き込まれるような眼を持つ次男の敦、犬を虐待する長男恭平は突然恐怖の発作によって混迷し、三男洋平は兄と一緒に犬を虐待するが母親の自画像から顔だけを切り取る奇行を見せる。四男悌一はシャツばかり何十枚も重ねて着てあたかもすっぽんのようで、うっかり触った初対面の主人公に噛み付く...と奇怪な子どもたちばかりである。主人はいつ尽きるともわからない長い話を主人公に語って聞かせる。それは主人と権高い妻の杞紗子、杞紗子の劣化コピーのような従兄弟の曽根正示の三角関係の因縁であった...
まあだから、ジャンルとしてはゴシック小説で全然問題ない。大枠は「嵐が丘」とか「レベッカ」みたいな話。ただ、主人の語る話に例え話が頻出するのだけども、何をどう喩えているのかよくわからない。
超利己主義者の「さまよえるユダヤ人」エヘエジェルスがキリストの屍を奪おうとして、斧を振り上げた瞬間にいたいけな小児が眼前に出現して立ちすくむ話が、主人と妻と曽根の三角関係に絡めて何度も繰り返され、どうやら突き飛ばされたエヘエジェルスは神の鼻に噛み付いたらしい....なのでこういう譬え話風の観念小説らしさが埴谷雄高の「死霊」に近い味わいなのだが、「死霊」よりもトボけた印象でわざと狙った意味不明さみたいなものを感じる。
「死霊」の重厚さはなくて、結構さらっと読めるし、単行本300ページ位だからそう長いわけでもない。本作が「奇書」だとしたら、「死霊」とか「黒死館」は「大奇書」だと思うよ....「天然」じゃない狙ったようなものを感じるし、熱量値もずいぶん低い。島尾敏雄の「贋学生」にも通じる、妙なニセモノくささを面白がるようなキッチュな韜晦かな?「奇書」と呼んだら過大評価だと思う。
取り柄は呪術的な文章。印象的な形容を何度も同じものに繰り返し繰り返し使い回すのが、口承された語り物のような印象を与える。一文一文が長いけども、構造的に複雑ではなくて、語りの「調子」でつながっているようなものなので、呪文めいたオーラルなニュアンスが強い。また、この人独自の形容詞や漢字使いもあって、文章はなかなか興味深い。

それまでは、死ぬまでもう姿を見ることは出来まいと一抹の悲哀の思いを抱きながら諦めていた杞紗子が、むかしと少しも変わらぬ、それこそ、杞紗子のいまの話ではないが、乳母の眼には幼い頃からずっとそのまま少しも変わっていないと思える、絹のように柔らかにひなひなした黒髪を細そりした頚筋にひなやかに巻きつけて、宝のように包んだ、抜けるように肌白い卵型の品のよい顔に、乳母が何年も空恐ろしい思いをさせられてきた、冷たく濡れた眼をきらきら光らせながら、二階の部屋でこうしてくつろいで、赤子のように滑々としてふっくらと盛りあがった唇が、この数年来というもの...

後略失礼、一文の途中で「。」までまだ半分くらいである。こんな調子だが作者オリジナルのオノマトベめいた「ひなひなした」という形容や、これを使った杞紗子の髪の形容はクリシェのように作中で何度も何度も繰り返されている。このリズムや調子にノレれば、そう読み進めるのはツラいものではないが...オチがついているのかついていないのか、判然としないラストで欲求不満(そのうち「死霊」します)

No.524 6点 メグレと口の固い証人たち- ジョルジュ・シムノン 2019/06/01 14:02
あれ、本作不人気だなあ。雰囲気暗めだからかな...舞台が晩秋で湿っぽいのにメグレが合わないわけじゃなし、このくらいは悪くないと思うんだけどね。
老舗というか古めかし過ぎて倒産寸前のビスケット会社を経営する一家で、押し込み強盗を疑われる状況での主人の死体が見つかった。メグレが出動するが、若い予審判事があれこれメグレに指図したがるわ、この一家は捜査に非協力的でいきなり弁護士を雇って捜査を監視させるわ...とメグレも手足を縛られたような捜査が続く。
けどね、メグレは「私は何も考えない」「メグレ流の捜査なんてない」というスタンスだから、こんな外的制約にだって動じない。家族に対する尋問をせずに、周囲から外堀を埋めていくかのように、徐々に状況をメグレは把握していく。最後は若い判事に花を持たせる余裕あり。
キャラとしては、家風を嫌って家出した一家の長女が、レズビアン・クラブの男装バーテンになっていて、なかなか素敵(苦笑)。シムノンも「家モノ」がたまにあるけど、抑圧されてヒネた息子と疎外された嫁、奔放で距離を置きたがる娘って構図はお得意。今回はハジけちゃう母親(「ドナデュの遺書」とか「サンフィアクルの殺人」とか)はなし。

No.523 7点 電話魔- エド・マクベイン 2019/05/30 07:47
87分署の宿敵のプロ犯罪者、名前を言ってはいけないあの人の初登場の作品である(苦笑)。評者の持ってる本は昭和53年のミステリ文庫3刷の古めの訳(今は知らんが)、本当に名前を言っちゃあいけない。
「4月30日までに立ち退かないと殺す!」という脅迫電話が、管内の商店に頻々と掛かるようになった。架空注文の配達などの営業妨害にもエスカレートする...相談を受けた刑事たちは、その商店が銀行・宝石店などの金目のターゲットと隣接していることに気が付き出す。キャレラは全裸で見つかった老人の殺人事件に携わるが、どうもこの殺人と商店脅迫の背後には、補聴器をつけた男の影が見え隠れする....何か大きな犯罪が企まれているらしい。果たして4月30日には何が起こるのか?
「赤毛連盟?」となるのは作者承知の上。ドイルに挑戦したのだから、読者の想像を上回らなきゃね...でちゃんと想像を上回ることをやってのけて、きっちり商店脅迫も合理的なプランで納得がいく、というワンアイデアを活かした秀作だ。しかもこの犯罪のリーダーの補聴器を付けた男が「確率」を語るのが印象的で、プランが理詰めなのがいい。もちろん宿敵としてこの後何作も再登場するので、87の外せない作品の一つ。

No.522 8点 テロルの決算- 沢木耕太郎 2019/05/28 14:16
沢木耕太郎というと、一定の世代のある種の人々にとって、「青春のカリスマ」というか「青春の教祖」みたいな存在だった。本作はというと、作者の出世作で大宅賞受賞のノンフィクションの名作である以上に、作者の20代をかけて取り組んだ「青春の決算」なのである。
本作が扱うのは、1960年に起きた社会党委員長浅沼稲次郎の暗殺事件である。これをテロを行った17歳の少年山口二矢と、当時61歳で社会党委員長となり安保闘争の一方の旗頭だった浅沼の経歴を丹念に綴って、この二人が交錯する一瞬を描いている。本作のキーワードはやはり「青春」である...というと、17歳の二矢はともかく、61歳の浅沼が?となるのだろうけども、「青春」が本作を読み解く最大のポイントなのである。
実際、この二人はそのストイシズムで似通っている。二矢はまったく逮捕を恐れずに安保デモに突っ込むし、浅沼も「いざとなったら寝ればいい」とその巨躯を活かして「人間バリケード」のように抵抗して何度も逮捕されている。我が身を顧みない捨て身の闘争者として共通するのだ。

コケイな議論理屈をこねる者は革命を毒するものだと知れ。モウ議論や理論は必要ではない。この後理屈をこねる者は敵と見做すぞ。何よりも実行が大切だ。

と書いたのはテロを行った二矢ではなく、浅沼自身なのである。
しかし、浅沼の革命は裏切られ、浅沼自身も身を汚す。浅沼が兄貴分と慕った麻生久は、左翼的な社会改造の手段として、近衛新体制を利用しようと考え、率先して戦時体制づくりに協力した。浅沼も麻生に同調して活動するのだったが、頼みの麻生はすぐに急死し、浅沼は自らの心情と立場の矛盾に苦しむ....この苦衷が戦後の浅沼の滅私奉公的な活動の駆動力であると、作者は見ている。
「行動」とはそれ自体として見たら空虚なものなのだ。まさにその空虚を埋めるためにさらに行動に駆り立てられ、過激化していくようなものなのだ。17歳にしてテロルを実行した二矢にも理論はなく、ただただ「行動」だけがある。この空虚はいかにしても埋められない....
浅沼は中国訪問によって、ユートピア的ビジョンを得るが、それを笑うことができようか。それは遅ればせながらの青春、悔恨に満ちた青春の狂い咲きのような蘇りを浅沼は見ていたのだ。その中国訪問の高揚の中で発した言葉は、右翼人士の憤激を買って浅沼は狙われる....それゆえ二人は「青春の昏い翳り」の中で交錯するのだ。

(評者そういえば文藝春秋に載ってた初回を読んだ記憶があるんだよ....高校生だったと思う。青春の空虚さの真っ只中)

No.521 8点 毒の神託- ピーター・ディキンスン 2019/05/26 14:05
さて評者お気に入り作家ディキンスンも、訳書の未読がそろそろ残り少ない。「緑色遺伝子」くらいはあとできそうだが...でとっておきの本作。SFミステリとか「ファンタジー・ミステリ」といったテイストの作品で、たぶん代表作でもいいのかもしれない。ディキンスン「らしさ」が満開で、それがプロットと有機的に結びついているのが、いい。
本作の背後にあるのは、「思考可能なことは、その道具である言語によって制約される」という言語=哲学観で、よく「サピア=ウォーフの仮説」と言われるものだ。主人公とハイジャッカーのアンの育った西洋文明、サルタンとアラブ人だちが属するアラブ世界、沼人たちの世界、ダイナが代表するチンパンジーの世界...主人公モリスは、その言語能力によって、サルタンの息子の英語教師でもあり、沼人の言語を研究する研究者でもあり、また天才チンパンジー、ダイナに「言語」を教える研究に携わる。さらにハイジャック騒ぎではサルタン国の外務大臣(苦笑)まで臨時に命じられる...まあこの主人公ならそれぞれの言語と世界を媒介しうる立場にあるのだが、その営為は上記仮説からすると、報われないものになるのかも...と凡手ならば図式的にそうなるかもしれないところを、さすがにディキンスン、そんなに単純に物事を終わらせてはくれない。
物語の輪は「思考の檻である言語」と、それから脱出する「創成としての言葉」の間をめぐるが、その中で確固と見えていたそれぞれの言語と文化がいつしか混交しはじめる。サルタンの息子は主人公との関係を「バットマンとロビン」になぞらえることで理解するし、沼人は主人公とタブーである奇怪な生物ダイナの関係を「妻」として納得する。沼人の少女は主人公の空想の姉妹マギーの名を与えられて、ジーパンにヨギベアーのTシャツをまとう....と、それぞれがそれぞれに、枠組みを乗り越える。だからこそ、「殺人事件の目撃者」であるチンパンジー、ダイナは、サルタンの殺人犯をその指で指し示す。
この奇妙な価値転倒の味が一番のディキンスンらしさ、と評者は思う。

世界は二つあり、いずれもまことだ。(中略)すべを知るものは、一つのことを二度行える。それぞれの世界で一度づつ。人の魂は語る言葉の内に住む—そうでなくてなにゆえ、唄い手は聞く者の魂を踊らせられる?

No.520 6点 アラビアンナイトの殺人- ジョン・ディクスン・カー 2019/05/26 13:12
さてカーの(狭義の)ミステリでは最長編?な本作、「冗長」とみる方が多いのはまあ、否定しようがないのだけども、それでもね、志だけは結構高いように思うよ。本家の「アラビアン・ナイト」に触発されて、スティーヴンスンが「新アラビアン・ナイト」を書いて、カーは結構これに影響されている(たとえば「赤後家」の冒頭)のは言うまでもないことなんだけど、本作はその一番特徴的な、「複数の語り手が事件を別な角度から叙述する」というアイデアの中に、ミステリとしての謎と手がかりを込めようとしているわけだ。語り手は正直だが、それぞれ事件の一部しか見ていなくて、重ね合わせても全体像をカバーしきれない死角みたいなものが生じて....をうまく書けたら、本当に凄い傑作だったのかもしれない。「間主観性のミステリ」なんてね。
わけの分からない状況が、だんだんと整理されてきて、薄皮が剥がれていくように状況が明らかになっていく...これするには「長さ」は必要だし、うまくファースを織り込んでそれなりに頑張ってるとは思うんだよ。ただ、盲点になるものがあまり魅力的でないし、導き出される真相にも意外性がない。残念でした。
ただこの構想を批判するとなると、本作の作中タイムスパンが短すぎるのが、足を引っ張ってる、という見方ができるのかもしれない。これを時間をおいて...とうまくやったら、あれそれって「五匹の子豚」かな。

(長さなら「ビロードの悪魔」が勝ってるようだ...あっちは実に面白いが、冒険小説味が強いからねえ)

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1419件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(105)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(48)
ジョン・ディクスン・カー(32)
ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(26)
アンドリュウ・ガーヴ(21)
エリック・アンブラー(17)
アーサー・コナン・ドイル(17)
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