皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.41点 | 書評数: 1327件 |
No.447 | 6点 | メグレと深夜の十字路- ジョルジュ・シムノン | 2018/12/23 22:07 |
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初期のポケミス「深夜の十字路」で読了。No.119で本作がポケミスのシムノンでは最初のものである。著者名が「シメノン」のくせに乱歩の解説は「シムノン小論」である(苦笑)。途中でシメノンよりシムノンの方がより正確な発音だとなって、変えたんだよね。この「シムノン小論」が日本のシムノン受容をフォローしていて一読の価値がある。戦前の映画「モンパルナスの夜」が特に日本ではがっちり人気を掴んで、春秋社「シメノン選集」まで出たことが思い出話になっている。「シムノンを理解し、これに心酔したことでは、日本の方が英米よりも早かったと思う」
tider-tiger さんがうまくポイントを纏めているので繰り返さないが、シムノンらしいキャラ造形の上手さが味わえる作品だ。登場人物は3家各2人の男女計6人がメインでそれぞれが個性的。落魄した上流階級出身のデンマーク人、自動車修理工場を経営するボクサー上がりの男、保険代理店を営む吝嗇なプチブル、とそれぞれ出自が異なる人々の只中に、車に乗った死体が登場して彼らの隠された関係が?となる。とくにデンマーク人の兄妹の関係が不思議で、これが一番初期シムノンぽくて印象に残るだろう。 事件自体はかなり荒っぽいものなので、メグレ本人が銃撃されるなど、なかなか派手な展開を見せる。そこらへんあまり初期っぽくない。名作とかそういう感じはまったくないのだが、それでもたまに本作のキャラのことが頭に浮かんだりしそうな作品である。こういうあたり、日本人好みなのかな。 |
No.446 | 4点 | 鏡よ、鏡- スタンリイ・エリン | 2018/12/22 22:05 |
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いいか?これ。どうも評者はノレないなあ。
幻想的な内的独白、はまあいい。けどね、幻想だとそこに辻褄があるのかないのかが、ホント作者のさじ加減だけで決まっちゃうので、そこに謎を隠しても出来レースみたいにしか評者は感じないんだな。一時サイコスリラーの映画が流行った時に、登場人物の幻想をしっかり絵にしちゃって、評者は「だったら何でもアリじゃん?」とシラけたのと同じようなものだよ。反則だらけの大味なプロレスを見たような気分とでも言えばいいのか。 「信頼できない語り手」ってね、「だったらお前の言うことなんて信じる必要ないじゃん?」とならないようにする芸が必要なんだと思うよ。今回妙チクリンな精神分析まがいなのが嫌い。けどエロいなあ...成人指定である。要するにスエーデン、ていうとポルノだった時代だね。 |
No.445 | 4点 | 十人の小さなインディアン- アガサ・クリスティー | 2018/12/22 21:45 |
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さて今年の新訳クリスティとして論創社から出たもの。小説に原作がある戯曲3つにおまけとしてパーカー・パインものとして既訳がある「レガッタ・デーの事件」の初出がポアロものだったのを収録している。戯曲はそれぞれ「そして誰もいなくなった」「死との約束」「ゼロ時間へ」が原作。もちろん「そして誰もいなくなった」の戯曲版は新訳ではなくて評者もすでに論評済なのでそちらに譲る。そっちのが訳が良いように思うのだが...でオマケの「ポアロとレガッタの謎」はパーカー・パインの方とあまり変わらない。なので特にありがたみはない。
「死との約束」「ゼロ時間へ」は2つとも原作をシンプルに仕立て直したような雰囲気の戯曲化である。このため小説では強調されていない作品的な狙いが直接露わになっているが良いところ。ただし、芝居なんでパズラーにコダワる意味がないのはクリスティ承知の上なので、小説みたいなフェアな推理にはならない。仕方ないでしょ。「死との約束」はボイントン夫人を「異教の偶像のよう」と形容して、子供を貪り食うモロク神に見立てているあたり、小説よりも狙いがはっきりするが、真相に改変がある。まあこれは読んでのお楽しみ。ちなみにポアロは出ない、というか芝居だとクリスティが「イメージ違う!」となっちゃってクリスティ本人が出したくないようだ。 「ゼロ時間へ」はセットがトレシリアン邸1つの室内劇として再構成。なのでトリーヴズ弁護士は死なずに最後まで事件に立ち会う。話の中心が分かりづらい小説よりも、この戯曲の方が整理されている印象がある。 けどねえ、本書戯曲だから字面はスカスカだけど600ページあって、定価は4500円。とてもじゃないが、お値段だけの価値がある本とは呼べない。マニア相手のコレクターズアイテムくらいに思っておけばよろしい。評点にはこの定価が結構響いてるよ。せいぜい3000円で出ないのかね。 しかしね、数藤康雄氏が巻末に「解説」として「劇作家としてのクリスティ」という研究を載せていて、これがちゃんとした上演がされていないものまで網羅した力作である。ほぼこの値打ち、と思うしかないな。評者と同じく数藤氏も「蜘蛛の巣」がお気に入りとわかって嬉しい。 |
No.444 | 4点 | オペラ座の怪人- ガストン・ルルー | 2018/12/22 21:13 |
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大時代的ロマン、で思いついたのが本作。もちろん本作はミュージカルでもロイド=ウェーバー版が有名なのだが、宝塚を中心にかかっているイェストン/コピック版「ファントム」もあれば、映画でもロン・チャイニーの昔から当り狂言で翻案でいいならロックオペラの大名作「ファントム・オブ・パラダイス」があり....とこれほど多産な作品はないのでは?と思えるほどの重要作である。
もちろんその理由は、オペラ、という派手な舞台装置に、迷宮のようなオペラ座の幽霊譚、歌姫に執心の仮面の怪人が音楽の天才で...と、「これを音楽劇にしないプロデューサがいるか!」という絶好のポジショニングにあるわけだね。 まあだからミュージカルだってほぼ同時期に作られたのだが、とくに便乗商法というわけでもなく、それぞれ狙いが違っている。ヅカのファントムもロイド=ウェーバーの亜流でなくて、優る部分のいろいろある良作だからね。 でなんだがね、本作の多産さは上記の「設定の良さ」にほぼ、尽きている。今読むと怪人エリックが「悪の天才」すぎて都合よすぎるのがシラケる(まあこれはオペラ座怪異譚を擬似合理的に説明するためかもね)とか、ヒーローのラウル子爵がバカすぎるとか、ビザールなオリエンタリズムから生まれた謎のペルシャ人とか、エンタメとしてはさすがに賞味期限切れとしかいいようがない要素が多すぎる。まあそれでもオペラ座地下巡りではいろいろルルーが薀蓄してくれていて、これがなかなか面白い。 ちなみにロイド=ウェーバー版とコピック版の大きな違いは、怪人造形だね。ロイド=ウェーバーはルルーの原作通りに怪人が誇大妄想的な悪の天才だが、コピック版は改変してあって純粋ゆえにオカシクなった気の毒な人、というニュアンスがあることだ。まあ悪の天才じゃ「清く正しく美しく」ならないからねえ。ロイド=ウェーバーは音楽的なハッタリがよく効いていて、いろいろな音楽スタイルを駆使して「器用だね...」とは思うのだが、オペラ歌唱のあとにフォークソングみたいな歌を歌って、そっちのが「上手い」という話になるのは、評者は違和感が強いよ。「ファントム」は間抜けなラウルの出番は少なくて、三角関係みたいなニュアンスは薄いから、クリスチーヌと怪人に絞ったコンパクトにできている。怪人キャラの改変から今の観客が受け入れやすい話だし、ロイド=ウェーバーにはない音楽的なまとまり感もあって、よくできたミュージカルだ、と評者は思うんだよ。 ミステリの話題にならなくて申し訳ない。 |
No.443 | 8点 | 赤毛のレドメイン家- イーデン・フィルポッツ | 2018/12/18 23:07 |
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「闇からの声」がやや古臭く感じたこともあって、大昔読んだなりの本作、今回楽しめなかったらどうしよう?なんて少し構えていたんだが...いや、悠然とした大ロマン、といったあたりが好感!なポイントだったのが評者としても意外なほどである。
たとえばジュセッペ・ドリアの造形なんだけど、イタリア人らしく大仰で芝居がかったあたりが、オペラチック、と言ってもいいくらい。でロマンの化身みたいな未亡人ジェニーと、このドリアとの夫婦仲がブレンドン視点だと本当に幻惑的、といっていいような妖しい煌めきを見せている...これ本当にオトナな趣味の小説だな。 というかね「本格史観」みたいな進歩発展史で見ると「まだミステリとしては不徹底」というようなことになるのかもしれないけど、フィルポッツの狙いは浪漫的な田園小説を書くことの方にあって、そこに20世紀的な新しい「ミステリ」のアイデアを盛り込んで構成してみた、というくらいのものなんだろう。「ミステリ」は本作ではパーツの一つに過ぎなくて、全体の小説としての構成の中で、本来は「ミステリがどう生かされているか?」と問うべきなんだろうね。言い換えると本作はミステリ古典のように見えて、ミステリの視点だけで判断すべきではない小説なんだと思う。 だから最後の犯人の告白なんてねえ、ロマンの極みだよね。殺人の経緯なんてほぼ忘れてたけど、この最後の告白だけはしっかり覚えていた。本作は「読み直して良かった」と思えるよ。 |
No.442 | 1点 | 砂の器- 松本清張 | 2018/12/16 09:37 |
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今年は山口勝弘も亡くなって、実験工房も遠くなりにけり...と感慨もあるので年内にやりたくて本作。電子音楽をいろいろ試みた作曲家は割といるけど、芸風から見て、ヌーボー・グループ=実験工房、和賀英良=湯浅譲二でいいじゃないかと思うんだ...評者この時期の人だとこの人好きでね。「若い日本の会」ってあれ60年安保の政治団体みたいなものだしね。名家の娘オノ・ヨーコと結婚した一柳慧がモデルに入ってるかな?
先に映画の話をしちゃっておくけど、夕日バックに台の上に乗った「砂の器」に、バーンとタイトルがカブるセンスのベタさに、評者はそもそも互換性がないよ。で現代音楽をクラシックに改変して、過去の悲惨な放浪生活とカットバックして...との有名なシーンが皆さんお気に入りだが、昔ってさ、あれを「交響曲『宿命』」とか呼んでた記憶があるよ。評者そこらへんも強烈な違和感があってか当時からダメだったな。そりゃ宣伝上の問題があるからワカるし、今はさすがに恥ずかしいのかピアノ協奏曲ってシレっと変えているね。というわけで、このベタさは松竹大船の伝統芸なので、今更批判しようとかは思わないが、原作とはほぼ無関係なアレンジである。これに感動したからって「ミステリの祭典」で高評価するのは筋違いだと思うよ。それこそ佐村河内騒動のモデルみたいなものだと思うと、なおさらシラケるものがある.... 気を取り直して原作側も...ごめんシラケる要素が多々ある。まずは主人公の今西刑事の周辺で都合よく事件がおきて、手がかりが上げ膳据え膳で手に入りすぎる。ホント今西刑事は、推理推測が百発百中な名探偵だと思うんだ。「えなんでそんな想像ができるの?」と呆れるくらいの薄い暗合に気がついて、それが本線だったりする... まあだから実は本作長いように見えて、内容が「ご都合」の一本道で結構ペラペラなんだよね。リアルな警察小説って、「ノイズ」でしかない偶然的な線を追って行き止まりになって..を繰り返すのが醍醐味なんだと評者は思うんだよ。ふう。それを刑事の日常生活描写(まあこれは清張お得意でうまい)で膨らましたような小説である。「算盤の掌にひえびえと秋の村」とかね、こういうのは上手いもんだな。 で問題の「音楽殺人」なんだけど、実はね評者、ジャパノイズ界隈とは少々ご縁もあって、本作あまり他人事じゃないんだな。本作だといくつか関川重雄による和賀の作品評が載ってるが、あまり鋭いことを言えているようにも思えない....ジャーナリスティックな感想レベルのもののように思うよ。清張が実験工房の活動や初期の電子音楽、ミュージック・コンクレートに深い理解を持っていたようには感じないや。ただ風俗的なネタとして採用しただけのように思うんだが、ミステリなんでね、これを安易に殺人と絡めちゃうと、結果的にサブカルに喧嘩を売ってることになるわけなんだよ。「奇怪な電子音楽によって精神を惑乱され」ってね。 まあミステリ作家も商売なので、社会的・風俗的なネタを軽い気持ちで取り上げて、「理解不能」を押して小説にしちゃって、その責任がちゃんと取れないこともあるわけである。なので評者とかには僭越ながら、そういう清張の先見の明のなさを嘲笑する権利もあろうというものだ。ちなみにね、本作でも今西刑事が出張して調査する浪速区役所の真ん前に、今はジャパノイズの拠点ライブハウスの一つの「難波ベアーズ」があったりするんだよ(苦笑)。 |
No.441 | 6点 | 地下鉄サム- ジョンストン・マッカレー | 2018/12/10 22:43 |
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「新青年」って探偵小説誌というよりも、モボ御用達の総合娯楽雑誌でかなり「雑食」の雑誌だった、というのがどうも見逃されがちのようにも思うよ。カシコキあたりで愛読されて何か最近人気みたいなウッドハウスもそうだし、本作みたいな洒落た都会派ユーモア小説も「新青年」名物だったわけでね。まあイマドキ「地下鉄サム」なんて言っても誰も知らなくて、「新青年」も遠くになりにけり、やね。
で本作「怪傑ゾロ」の原作者として知られるマッカレーのもう一つの人気作だった。ニューヨークの名人スリ「地下鉄サム」を主人公として、サムを追いかけて腐れ縁の探偵クラドックとの、軽妙なコントのような短編集である。のんびりと落語を聞くように楽しむのが吉。「江戸っ子だってね!」なんて合いの手を入れたくなるような、サムのべらんめえな職人気質が楽しい。ここらへん戦前でウケた要素だろうね。 マッカレーというと、早い話最初期のパルプマガジンの人気作家だったわけで、いってみりゃハードボイルド以前のハードボイルドみたいなものだ。ゾロもそうだが、ブラック・スターのような「マスクト・ヒーロー」がお得意でね。それこそグリーン・ホーネットやバットマンの原型みたいなキャラのわけだよ。こういうパルプ・マガジンのヒーロー物やウェスタンの中から、ハードボイルドな探偵たちも育ってきたわけで、そういう連続性みたいなものを、タッチは違えども「地下鉄サム」の中に窺うこともできるのかもしれないよ。 軽く読んで楽しめて、往にし方に思いを巡らせるネタに事欠かない本作はいかがかな? |
No.440 | 7点 | 007/わたしを愛したスパイ- イアン・フレミング | 2018/12/09 22:02 |
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「サンダーボール作戦」以降は映画のための仕事みたいになって、007の余生みたいなものだ...というと言い過ぎかしらん?でその中で書かれた本作は「007外伝」なんだけど、逆に言えば「カジノ」も「ロシア」も本当はヒロイン視点でもよかったのでは?という作品なことを考え合わせると、やはり本作はフレミングが「書きたくて書いた」作品なんだと思う。そういう作者の思いがあってか、映画化にあたって「小説に書かれた内容を使用することを禁止する」という異例の契約をしたらしい。ま、およそ映画向きじゃない作品だが、ボンドガールの名前にさえ、本作のヒロインのヴィヴ・ミシェルは採用されていないくらいだ。
でね、本作、エロい。女性視点での「セックス」が大きなテーマだ。「わたし」「彼ら」「あの人」の三部構成で「わたし」はヒロインの生い立ちと男性歴で、およそミステリとは無関係なんだけど...しかしね「女性から見た(神話的な)ボンドという男」を描くテーマからすれば、これは絶対必要なパートなんだろう。スクーター(時代を感じる)でアメリカ大陸縦断旅行に出たヒロインは、旅費稼ぎにモーテルの臨時の留守番役に雇われた。一人で留守を預かったヒロインは嵐の晩を過ごすが、2人のギャングの侵入を許すことになる。ギャングの狙いはモーテルを火事にして、保険金を詐取するために雇われたようだ...絶体絶命のピンチに、偶然モーテルに車の故障によって立ち寄った男がいた。その男はジェームズ・ボンドと名乗った! で、見事にボンドはギャングを退治してヒロインを救う。そしてヒロインはボンドとのベッドシーン....となるわけだが、本作の最大の眼目はこのベッドシーンを描くこと以外にあるわけがない。ここでのヒロインの述懐が、フレミングの「ジェームズ・ボンドについての結論」みたいなものなのであろう。本作を読まずして、007を語ってはいけないね。 まあそういう経緯の作品なので、映画とは「タイトル以外は無関係」という関係にある。「ミステリの祭典」的には触れる必要はなかろう。 |
No.439 | 9点 | 三つの棺- ジョン・ディクスン・カー | 2018/12/08 22:01 |
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評者も調子に乗って「密室講義」してみようか?
「密室には2通りある。真相に密接に関わりあって、そのストーリーでしか実現できない密室と、どんなストーリーにでも付加できる密室である」なんちゃってね。もちろん本作、「このストーリーでしか実現できない密室」の典型例で大掛かりなものである。大きな真相の逆転が、副次的に不可能現象を作り出した、ということなんだ。これをね、偶然頼りとかいうのは違うと思うよ。マトモな犯人だったら、密室なんて意図して作るもんか。 なので本作、カーも「これしかないストーリーにこれしかない密室」に自信を持ってたのか、本当に余計なことをしていない。事件の記述と、奇術でいえば「改め」(密室講義も「改め」のウチ)だけだ。このストイックさを評者は好感する。おっさんさんが「長い短編」と指摘されているのはまさにその通り。だから本作、できれば一気に読むことをオススメする。 評者は「密室嫌い」を自認するんだけど、それやっぱり、全体と結びつかないような「思いつきの密室」に食傷したせいでもあってね、だからこういう「ストーリー一体型密室」は例外。リアリティがなんだっていうの。「小説自体が仕掛けモノ」の感覚で読んで傑作じゃない? |
No.438 | 6点 | 伯母殺人事件- リチャード・ハル | 2018/12/03 22:36 |
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これ「トムとジェリー」みたいな話だな。ニート青年はいくら頑張っても伯母の手玉に取られっぱなしで、なんか情けなくなってくる....伯母さんあんた性格悪すぎるよ。
本作は「殺意」に学んで「ああいうものを書きたい」と思って書いた、というあたりがよく見て取れる作品なんだが、その分「殺意」には全然及んでいないようにも感じる。面白く読める、といえば読めるんだけどね。「殺意」のビクリー博士と妻ジュリアとの関係を拡大して書き直したようなものだから、トータルには「殺意」の影響作、ということでいいように思う。ま、わざわざ「三大」とまでする積極的な意義は感じないな。 「三大倒叙」という言い方すると、アイルズのもう一本の傑作だが「倒叙」の定義からは完璧に外れる「レディに捧げる殺人物語(犯行以前)」が霞むから、もう少しいい批評的枠組みがないものかな。 |
No.437 | 4点 | シュロック・ホームズの冒険- ロバート・L・フィッシュ | 2018/12/02 21:22 |
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昔読んだときも、評者何が面白いんだが全然わからなかった記憶があるが...うん、今回読んでも面白さが全然わからない(困惑)。
その昔、ホームズがコカイン中毒になってフロイトの診察を受けるパロディがあったけど、こういうのはいいんだがねぇ。パロディでもプラスアルファのホラみたいなものがないから、せいぜい「飄々とした味」くらいのものなのか。だいたい、 ・依頼人について推理して、大外れする ・暗号でもない手紙を、無理に暗号と思って「解読」する ・推理に酔って眼の前の犯罪を見逃す の繰り返しで、けっこうワンパターンだし。強いて言えば落ちのデカい「アダム爆弾の怪」か、おバカな「贋物の君主」くらい?(モロン大佐はひどいなぁ...「精薄大佐」だよ)「schlock」って「安物・まがい物」という意味だそうだ。なるほどね。 |
No.436 | 1点 | 暗いトンネル- ロス・マクドナルド | 2018/12/02 21:03 |
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そういえば本作とアンブラーの「暗い国境」って共通点が多い。1)巨匠の「らしくない」処女作、2)タイトル似てる、3)創元で出たスパイ小説、4)訳者が菊池光...なんだけど、「暗い国境」が「らしくない」マンガ調のアクションなのに、その「らしくなさ」に妙に醒めたアンブラーの知性を感じさせるところがあって、評者好きなんだけどねえ.....ロスマクの本作、「時流に乗っただけのB級スリラー」で政治センスも知性もあったもんじゃない。「三つの道」は未読だが、創元のロスマクって評者みたいなコンプ・研究をする気がないなら読まなくてホントいいと思う。
第二次大戦中ってね、たとえば「カサブランカ」だってそうなんだが、戦意高揚を狙った映画作りがなされたわけだし、とくに「防諜」を通じて戦争協力体制が形作られたのはアメリカでも同じだ。そういう背景で読み物としても「防諜スパイ小説」が結構書かれたり、映画になったりしたんだが、ここらへんホントにキワモノだから、戦後にはほとんど顧みられることがないわけだ。 この作品を読んでいろいろなことが頭にうかぶが、とくに感銘が深いのは、彼がこの作品を書いた前後、あるいはその後、数多くのミステリ作家が世に出たわけであるが、その大部分が、いわばこの作品のレベルで終始しているのに反し、ロス・マクドナルドはその後の二十七年間に非常な成長を続けてきた、という点である。 と「訳者あとがき」に書かれちゃってる。婉曲にだけどさ「あとがき」で訳者にケナされてるんだよ。そういう作品さね。 敵であるナチのスパイたちはホントに超人的(苦笑)に神出鬼没。親衛隊に身長制限があるのをお忘れでは?となるような変装もしちゃうぞ! で妙な密室殺人もしたりするし、主人公を殺すために延々アメリカの地方都市を追っかけ回す...そんな話。都合よく「騎兵隊」も救援に来る。 で、そのナチのスパイたち、同性愛で淫蕩な連中として描かれる...おいなあ史実に反してるよ。というか、アメリカ人の「道徳意識」を刺激して一山当てようという、時流におもねる低劣な意図しか感じないな。妙なレッテル張りを、「時節柄」なんて逃げゼリフで評者は許す気はないからね。 うん、いいよ、評者にとって、ロスマクの処女作は「人の死に行く道」だ。それ以前は全部無視、ということにしよう。 |
No.435 | 6点 | 妖術師の島- A・H・Z・カー | 2018/12/02 20:34 |
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1971年度MWA新人賞受賞作。けど作者はその時69歳で、この年に亡くなってるから、ちゃんと「受賞」したのかなぁ。「新人賞」だがぜんぜん新人じゃない、A.H.Z.カーの唯一の長編である。短編じゃEQMMコンテストの常連で、著名経済コンサルタント、トルーマン大統領の経済スタッフだったくらいの、超大物の非専業作家である。「ミステリ外業績」×「ミステリの業績」で考えたら、トップクラスなのでは、となるくらいの短編の名手として鳴らした人である。
なので本作も一筋縄ではいかない。舞台はアメリカ領だがカリブ海に浮かぶ黒人の島「セント・カロ」。モデルはアメリカ領ヴァージン諸島(プエルトリコの隣のようだ)ということになる。スペイン系のプエルトリカンもいるが、ネイティブは黒人たち、というわけで本作の主人公ブルック署長も黒人である。 この島はカリブ海地方で私生児の出生率がもっとも高く、犯罪の発生率はもっとも低い と紹介される、のどかな島である。主要産業はラム酒と観光。この島でアメリカ人が経営するホテルに滞在していた白人が殺された!その傍らには「島の義賊」として知られるモービーの手帳が落ちていた...ブルック署長はアメリカから派遣されてきた副知事に、モービーを捕えるよう厳命された。しかし署長とモービーは幼馴染でもともとは親友の間柄だった....義理と人情の板挟みの署長は、殺人の真相を解明できるか? という話。黒人署長が知性と人情を発揮する本作、だからデンゼル・ワシントンが気に入って映画にしたようだ。劇場未公開だがTVで放映したことがあるらしい。「島の義賊」というとそれこそウンタマギルーだが、そういうのんきさ、のどかさとユーモア感が漂う上出来の小説。推理もかなりマトモで、黒人署長の知性がダテじゃない。もちろんタイトル通り、「オービー」と呼ばれる島独特の呪術があって、これが謎解きと密接に結びついている。 地味だけどのどかに楽しめるナイスな小説である。カリブ海のリゾート気分を満喫できるが、それでも 一時は教育が何よりも大事だと思ったことがあった。学校をふやし、税金をアメリカの援助の中からもっと多くを教育につぎこんで、すべての子供たちがハイスクールを卒業できるようにすることだ。しかし、ある日考えた。どういう教育をやるのか? 今の子供たちは無知ではあるが、ビクビクもしないし、貪欲でもない。ところが、しばらくアメリカ式の学校に入れたら、合衆国の黒人の子供たちと同じように劣等感をもつ。そして貪欲になる。 と署長は述懐する。大統領の補佐をしただけのことはある、さすがの見識。 (さてあとカリブ海モノって...どうだろう「死ぬのは奴らだ」「ドクター・ノオ」か「新・黒魔団」かなあ) |
No.434 | 6点 | 闇からの声- イーデン・フィルポッツ | 2018/11/29 21:38 |
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さて古典。読んでて「ハマースミスのうじ虫」が本作のリライトみたいなことに気がついたな。オタクっぽいが独創的な犯罪者を、天性のマンハンターが「密猟」する話である。なので本作が作ったパターンというものは、なかなか応用が効いて面白みのあるものだ....とは思うんだよ。
更に考えてみると、本作ある意味ゴシック・ロマンスを解体して再構成したようなものなのかもしれない。怪しい叔父の男爵が敵だし、幽霊も出るし「呪われた彫刻」だったりするわけだ。ゴシック・ロマンスの要素を「合理」で裏側から再構築した「逆転」の作品が、本作ということになるのかな。だから「倒叙」とはちょっと違うけども、まあ「倒叙」と似たような逆転操作による作品だとは言えるだろうね。 なので本作は19世紀的なロマンに根っこを持って、それを20世紀的に解体した作品、と読めるんだろう。しかしね、19世紀的な持って回った描写が多すぎて、早い話説明過多。スピード感に大幅に欠ける。で、リングローズがブルーク卿をルガーノで晩餐に迎える場面で、本作リングローズ視点限定の三人称小説だと思ってたら、リングローズが席を外したときに、ブルーク卿の心理描写を始めたよ....視点の混乱を気にしないのは、いかにも19世紀的で古臭い。 というわけで、20世紀的な新しさと、19世紀的な古臭さが奇妙に混在した、かなり珍味な小説である。心して読むべし。 |
No.433 | 8点 | ギャラウエイ事件- アンドリュウ・ガーヴ | 2018/11/26 21:34 |
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あれ、本作まだ1つしか評がないや。残念だねえ、本作なんて知る人ぞ知る鉄板の面白作品なのに。ガーヴのツートップとして「メグストン計画」と並ぶ名作である。「ヒルダ」なんて読んでる場合じゃないよ。
新聞記者レニイはジャージー島出会ったメアリという女性と恋に落ちるが、メアリの父である探偵作家ジョン・ギャラウェイに新作の剽窃疑惑がかかり、サレ側としてギャラウェイを追求したアマチュア作家が殺害された容疑で有罪の判決を受けてしまったのだ! メアリはあくまで父の無実を信じ、メアリに恋するレニイはその盗作と殺人の容疑を再調査するのだった...しかし剽窃の証拠もいろいろ揃っていて、なかなか突破口が見つからない。どうなる? という話。ジャージー島で出会ったメアリが突然姿を消す謎がまずはレニイの調査能力の小手調べ。ここでレニイの堅実だがしつこい調査能力をデモしてみせるのが、ガーヴの上手いところだろう。改めてガッチリ証拠の揃った剽窃の謎をレニイは追求して、トリックを暴くことになる。仮説を組み立てては調査しては崩れ、といったあたりをそれこそ「サスペンス」と捉えて読むのがいいのだろうな。筆致はリアルで、仕掛けは凝っているが納得のいく真相である。 で最後はガーヴらしく廃坑での追っかけっこのスリラー&冒険小説のサービスあり。またイギリスのミステリ業界が背景になっているので、特にモデル小説とかそういうわけでないが、ややメタなところを面白がっているテイストが少しだけある。 ギャラウェイや登場する作家たちも「探偵作家」とはなってるが、剽窃されたとなった小説は「海底四十尋」ってタイトルでね。狭義の「推理小説」と冒険スリラーを区別したがらない、イギリスの業界体質も見て取れると思うよ。まさに本作、そういう「足の推理小説」と「ラストの冒険スリラー」が合体した好例みたいなもんだね。 |
No.432 | 6点 | ストリップ・ティーズ- ジョルジュ・シムノン | 2018/11/24 10:43 |
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シムノンって人は作品総数のカウントもできないくらいの大文豪だが、寝た女の数もカウントできない性豪だそうだ。その女性たちがすべてシムノンの芸の肥やしになってるとすれば?
たとえば「雪は汚れていた」で主人公が娼館の息子で、主人公から見れば「雇い人」たちをとっかえひっかえして、その女性たちのキャラに半端ないリアルがある、というのもそんな背景からだろう。で、本作、タイトルの通りカンヌの場末にあるストリップ小屋を舞台にして、ストリッパーたちの「女の権力抗争」を描く短いロマン。ストリッパーたちも多士済々で、リアルさは手抜きなし。女性のイヤなところもしっかり見せつける。男性で女性描写の上手なミステリ作家、というとシムノンがやはり独走というものだろう。 主人公は唯一ダンスの教育を受けた経歴のあるセリータ。なので脱がない矜持があるが、もう大年増で焦りと屈折もある。帳場を預かる女主人の座を狙っていて、オーナーの妻フロランスとは微妙な関係。そこに若く素人演技がウリのモーが加入してきた。モーは小屋の主人レオンの公然の愛人となり、女たちの勢力関係が崩れる。折しもフロランスの子宮癌が発覚し、今まで敵対していたフロランスのとの間に、セリータは奇妙な友情を感じるようになった... 一応殺人未遂事件くらいは起きるから、「犯行以前」みたいに見ればギリギリにミステリかな。この俗の極みであるストリップ小屋の人間関係を暴露的なリアルで描いて、それでもふっと生死や宗教性みたいなものを感じさせるのがシムノンの手腕。たとえばセリータの同居人で、ストリッパーなのにいつまでの「女中根性が抜けない」とされるマリ・ルーは どうしても彼女に認めなければならぬ美点がすくなくとも一つあった。謙遜ということである。彼女は甘んじて最下位に身を置き、自分で自分のことを鍋を拭いたり床を洗ったりするよりも人前で裸になることで口を糊することを選んだ女中だと思っていたのだ。 文庫200ページの短い小説でここまで周辺キャラを突っ込めるシムノンの絶頂期(「火曜の朝の訪問者」と同年)。「何かイイ話」にしないあたりに、フランス・リアリズムの後継者らしさがある。 |
No.431 | 5点 | 007/女王陛下の007- イアン・フレミング | 2018/11/21 07:53 |
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本作は原作も映画も地味、という007にあるまじき作品になっている。まあこの地味さ、というかリアリズムをどう捉えるか、が評価なんだろうけど、評者はイマイチ、という判定。映画は本当に原作に忠実で、逆にこの忠実さが監督の「B班監督っぽさ」になってて、テレンス・ヤングやガイ・ハミルトンといった「らしい」監督のハッタリ感(=有能さ)を欠いてる印象を受ける。
でまあ、バレといえばその通りかもしれないが、これ映画も原作もその後採用されている「設定」なので言っちゃうが、本作でボンドは結婚して、新婚旅行にでかけたところで襲撃されて新妻を亡くす。悲恋なんだよね。映画のイイところはこの死に顔が美しいこと。あと、結婚式でMの秘書マニイペニイが涙ぐみ、彼女にボンドが帽子を投げて渡すあたり。いい。 で本作の敵役は「サンダーボール」に引き続きブロフェルドwithスペクター。原作では産業テロみたいな超地味作戦だけど、映画はさすがにこれをネタに国連を脅すことにしている。まどっちでも地味でリアル。しかもほぼ舞台はスイスのブロフェルドの山荘&アレルギー研究所に限られるので、舞台の変化もとくになし。ひたすら身元を偽って潜入&発見&逃走というあたりを軸にしている。ストーリー上のマイナスポイントは、ボンドとその新妻の話と、ブロフェルドとの戦いがほとんど絡まないこと。リアルなのにご都合主義。おい。 で映画はコネリー降板で1作だけボンドを演ったジョージ・レーゼンビー。コネリーの酷薄さがなくて人が良さそう。ボンドの結婚はコネリーだったら理解不能だったかもしれないから、いいのかも。本人アクションに自信あり、というのが決め手なのかな。雪の中セント・バーナードと戯れるのがナイス。 あと原作、気になるのは過去作品への言及が多すぎること。山荘のお客に「映画スターのウルシュラ・アンドレス」が来てるとか、カジノ・ロワイヤルで新妻と出会うとか、お遊びといえばそうなんだが、作者の余裕よりも飽きみたいなものを感じるけどねえ。どうだろう。 |
No.430 | 7点 | 恐怖の掟- マイクル・コリンズ | 2018/11/19 08:08 |
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ネオ・ハードボイルドの片腕探偵として有名なダン・フォーチュンの第1作。作者的に「こういうの、書きたかった」がよく窺われる力作である。フォーチュンのキャラ付けもイロモノではなくて、若気の至りでバカやって、自業自得で屈折してるから、「片腕」のワケも大ホラ吹くことあり。なので独白は饒舌で、カジュアルで辛辣なもの。やや煩く感じるときもあるが、気取りがなくてストリート感覚があるから印象は悪くない。黒人じゃないがご当地ラッパーみたいな元B系のセンスと言ったらいいのかな。根城のチェルシーは港湾荷役があってガラの悪い地帯らしい。ご当地ギャングのボスのパパスとは幼な馴染みだが、行きがかりがあり過ぎて疎遠、というようなキャラだ。
失踪した友人ジョ=ジョを探してほしい、という堅気の少年の依頼で、フォーチュンは調査に動く。パトロール警官が身ぐるみ剥がれた小事件、ギャングのボス・パパスの愛人が殺された事件など、関係があるのかないのか不明な事件がその周囲に漂っていた。依頼人の少年がヤキを入れられ、フォーチュンも襲われた。そのうち失踪した少年が付き合っていた女の死体も見つかる....事件ばかりが起きるが、そのつながりは依然まったく不明のままだ。一体何が起きているのか??? というような話。 (ややバレ) 背景にはいわゆる「沈黙の掟(オメルタってヤツ)」があって、そのシガラミから逃れようとした少年の話。これがわかってくるのが終盤で、フォーチュンの過去とも絡めたドラマを作ってるのは重々承知の上だが、これだったら不良少年モノできっちりジョ=ジョ視点で描いた方が深みが出ていいようにも思うな。そしたらシムノン風の話になるようにも感じる(「リコ兄弟」+「雪は汚れていた」)。フォーチュンも魅力ありだし、ちゃんと推理して名探偵なんだが、「探偵小説」にしたために何か損してる印象がある。まあそれでも充分な力作。ストリートの臭いがあるのが、他のネオ・ハードボイルドに勝る長所。 ハードボイルドってさ、もともと「作家が頭でコネた話より、ストリートで起きてる事件のが面白い!」というあたりで始まったと見ていいのかもしれないから、「ハードボイルドは、ヒップホップだ!」なんて言ったらカッコイイ? |
No.429 | 7点 | 殺人保険- ジェームス・ケイン | 2018/11/14 23:23 |
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保険といえば、それに付け込んで一攫千金を狙う詐欺と隣合わせなのだが、保険のトップセールスマンの主人公が、美女の誘惑に転んで詐欺の片棒を担ぐハメになった。殺人にまで手を染めて....同僚の辣腕の調査支払部長はその死に疑惑を感じ調査を開始するが、主人公の関与にはまだ気がついていない...どうなる?
という、言ってみれば極めてありふれた話。「ありとあらゆる保険会社が、何百万編もぶつかっている」ありふれた話なのだ。 まあ、見てご覧なさい。これが自殺者の分類表です。人種・皮膚の色・職業・性・地方・季節・自殺した時の時間まで出ています。これは、自殺を手段別にした表。これは、手段を毒薬・火薬・ガス・身投げ・飛び込み別にした表。これは、服毒自殺を、性・人種・年齢・時間別にした表。 とこのリアリズム視点の厳しさが、本作の一番の読みどころだろう。とはいえ、主人公も保険のウラもオモテも知悉したセールスマン、対する探偵役の調査部長キースも海千山千の大ベテラン。この互角の二人の知的闘争に、さらにキースが主人公を息子にように思っている味つけがある。キースのべらんめえな喋り口がなかなか、いいな。キースは主人公をこの事件のアシスタントにしているので、「キースはどこまで勘付いているか?」と少し深読みして読むと、「倒叙」な風味がなかなかある。 キースの推理よりも先に状況が動いて結末になるので、小説も映画の邦題のように「深夜の告白」となる。映画の方は主人公が事務所で告白を始めるところから始めて「告白」を枠組みにして全体をまとめている。キースは性格俳優として鳴らしたE.G.ロビンソンで、引用した自殺分類のセリフをべらんめえに捲したてるのが、すごくハードボイルドなのだ。ボガートもそうだけど、この時期のハードボイルドなキャラって「マシンガンのようにしゃべる」というのが「らしさ」なんだよね。映画のキースは主人公を調査部に引っ張ろうとしているが...なんてアレンジがあって、告白の後の結末がちょっと変更されている。そこでハードな「喪われた友情」の情感が漂う。映画の方がイイな。 実のところ本作は「映画も原作も歴史的な名作」という、なかなかないダブル名作ミステリである。どうだろう「マルタの鷹(ハメット/ヒューストン)」「断崖(アイルズ/ヒッチ)」「めまい(ボア&ナル/ヒッチ)」「死刑台のエレベーター(カレフ/ルイ・マル)」あたりと並ぶものだよ。今のミステリファンは「深夜の告白」見てない人も多いだろうだけど、見ないと話にならない級の映画史的な重要作である。ドイツ表現主義の「影と闇」をハリウッドの犯罪映画に応用した「暗黒映画」の代表的な作品(そういう意味では「市民ケーン」も近い)で、戦後じきにはネオリアリスモ風の街頭ロケ映画と結びつくし、それを見たJ=P・メルヴィルがフランスにこのスタイルを持ち帰って、ノワール映画の元祖になり、ひいてはヌーヴェル・ヴァーグにまで影響が及んでいる..と映画史上の重要な流れの交差点にあるような作品である。ワイルダーでもミステリ映画の代表作、ということだと「情婦」よりも本作だろう。 (チャンドラーは...まあいいか。チャンドラーの役割はあまり重要じゃないと思う) |
No.428 | 7点 | 生ける屍- ピーター・ディキンスン | 2018/11/11 22:55 |
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別にテーマを絞る狙いがあるわけではないが、このところ「カリブ海」とか「文化的衝突」を扱った作品が続いている。そんな中でも本作は、ストリブリングの「カリブ諸島の手がかり」、とくにそのハイチ篇の「カパイシアンの長官」にかなり近い設定の冒険小説だ。
会社づとめの実験薬理学者の主人公は、半ば休暇くらいのつもりで、カリブに浮かぶ島に赴任する。そこは魔術による支配を行う独裁者の島だった! 殺人疑惑の罠にかかった主人公は、「人間の徳性を改善する」薬の人体実験を行うように独裁者に強制される... というなかなか悪夢のような話。評者大学は心理学科だったから、本書で扱われるネズミの迷路実験とか学生時代の実験実習でやってるんだよ。何か身に迫る思いだ(苦笑)。その時ネズミに情が移っちゃってね、本書で実験ネズミのクエンティンを主人公がマスコット化する気持ちが、わかる。主人公は腕のイイ実験家なので、その実験の腕を買われての人体実験なのだが、「実験」のウラも表も知悉した主人公は、実験のウラをかいて被験者の政治犯たちと脱出に成功する。この政治犯の反体制グループ、なんかジャマイカのラスタファリアンみたいだな。 主人公はもちろん冷徹な科学者なんだが、ヴードゥーな「魔術」を、ネズミのクエンティンを介して現地人たちにかけることができちゃうのだ! そこらへん意味不明で本人も当惑するあたりなのだが、心理学で言えば「刺激-反応」図式によって、たとえ内部の因果関係は不明でも、割り切って使っちゃうあたりが実は「科学らしい」。そうしてみると、「魔術」も「科学」も、実践面での違いも曖昧になってしまう。 もちろんタイトルの「生ける屍」はヴードゥー的なゾンビ(と簡単に暗示にかかりすぎる人々)に、あまりに冷徹な科学者でありすぎる主人公(本人は創造性はあまりないと自認するあたりが謙虚)を掛けているわけだ。しかし、本来のこの島での任務の研究も、実のところ会社と独裁者との駆け引きの材料としてなされているだけの無意味な研究なのだし、人体実験も強いられてやるだけで、実験としてマトモな手続きとは言い難いものだ。そうしてみれば本作で、有能な科学者の主人公がしているものは「科学であって科学でない」それこそ呪術みたいな「ヴードゥー科学」に過ぎない。としてみればそれが「魔術」とどう違うのだろうか? だからこそ主人公は「科学」の上でも「生ける屍」のようなものなのである。 作品的には展開も派手で、主人公=科学者もあるのか、文章も明快で読みやすい。主人公をハメた殺人に関する推理と真相もあるので、ちゃんとミステリ。ディキンスンでは「キングとジョーカー」と並んで入門にオススメ。 |