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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1419件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.579 6点 緋色のヴェネツィアー聖マルコ殺人事件- 塩野七生 2019/09/22 22:07
現在は副題に「殺人事件」が入っているが、当初「聖マルコ殺人事件」で出版されている。ヴェネチアの聖マルコ寺院の下で見つかった刑事の死体で始まって、小説の最後で犯人が判明するけど...まあ犯人当て興味はない。16世紀初めのヴェネチアを中心に主人公アルヴィーゼ・グリッティの愛と野望を描いた歴史小説、になるんだが、時代が古いだけのことで、内容はほほ国際スパイ・国際陰謀物だから、本サイトの守備範囲だと思う。この主人公の知名度は日本じゃないに等しいし、この時期のヴェネチアとオスマントルコを巡る政治情勢は、まず馴染みがないだろう。だけどハプスブルク家カール5世の野望に抗して、自らの恋と野望のために散るこの主人公の立ち位置が極めてユニーク。大変ナイスな主人公で、よくぞ見つけたねえ、と褒めたくなる。
アルヴィーゼはヴェネチアの元首の私生児で、庶出ゆえにヴェネチアの貴族社会には受け入れられないのだが、ビジネス上の付き合いの深いイスラム教のコンスタンティノープルではハンデではなく、ヴェネチアとオスマン・トルコの同盟関係を保証する「元首の息子」の要人として、スレイマン大帝にも信任される...というんだもの。国家も宗教も軽々と乗り越えて活躍する主人公に、ハメられる枠なんぞない。ヴェネチアでは名門の令嬢と恋しながらも、貴族外の私生児と結婚したら貴族から除外される規定があるので、自ら一旦身を引くんだが、オスマン・トルコの後援でオーストリア牽制を目的として、ハンガリーの征服とその王位を狙う...愛する人をハンガリー王妃として迎えようというアルヴィーゼの野望は実現するか?とまあロマンの極みみたいな主人公である。
なので話は、大変面白い。けどこの低評価は...妙に説明調が強く出ていて、小説らしい面白さとはちょっと違うんだよね。素材はもちろん極上なんだけど、語り口が生硬でやや興を削いでいる。何か惜しいなあ、という印象。塩野七生って小説家とも歴史家ともつかない微妙な人なんだな。それでも、当時の男性ファッションのきらびやかなあたりもちゃんとチェック入っている。こういうあたりは、いい。
でこのロマンの極みな主人公を、宝塚歌劇が放っておくわけない。で「ヴェネチアの紋章」(1991)になったわけだ。脚本・演出は今年7月に亡くなられた柴田侑宏で、主演も若くして亡くなった大浦みずき、その退団作品。というわけで柴田センセの追悼で本作を取り上げることにした。柴田センセというと、ファンの間ではベルばらの植田紳爾よりも尊敬されてた大ベテランなんだが、評者も好きな作品が数多い。本作もかなり原作に忠実なんだけども、作中でアルヴェ―ゼが恋人と踊るモレッカのシーンなんぞ、ヅカのダンスの教祖大浦みずきである。極めつけのカッコよさだ。これを受けて、アルヴィーゼが戦死を覚悟して遠く離れた恋人を想ってハンガリーの城で独り踊るモレッカをオリジナル・シーンとして追加しているし、幕切れもヴェネチアの「海との結婚」の祭りに、アルヴィーゼと恋人が転生(ヅカのラストシーンはよくある)して、語り手のマルコがそれを眺める、泣かせるラストになっている。
どうも大浦みずきの主演作で唯一のDVDが本作らしい。ちなみに後にトップスターになっただけでも安寿ミラ、真矢みき、森奈みはる、愛華みれ、真琴つばさ、紫吹淳、匠ひびき、姿月あさと、月影瞳...だけでなくて、研一で安蘭けい、花總まり、春野寿美礼まで出てたりする。古き良きヅカを楽しめる作品だ。

No.578 6点 ペトロフカ、38- ユリアン・セミョーノフ 2019/09/18 23:15
旧ソビエト警察小説である。ハヤカワの世界ミステリ全集にも収録されていたな。で....大変トッツキの悪い話である。会話と行動中心の文章だが、ハードボイルド、というものでもない。結構スカスカな文体で、児童向けを読んでいるような....それでも刑事や関係者の心理描写も結構入ってるが、昔風の神視点で、あたかも19世紀の小説を読んでいるかのよう。と「こりゃ、参ったなあ」と我慢して読んでいると、慣れてくるのか何となくの愛着も湧いてくる。キャラが立ってる、という感覚でもないんだが、生暖かい目で見守っていると、ふいにモスクワの街に犇めく無名の市民たちの肖像が浮かび上がってくるようにも感じられて、やはり警察小説とは「都市」がテーマである。だから今の小説とはポイントがズレているだけで、決して成功していないわけでない。6点は甘目だがついつい...
警官のピストルを奪って強盗する二人組とその黒幕を追う刑事たちの活動と私生活を、手堅くリアルに追った作品である。政治的背景はなくて、不良青年物に近いかなあ。登場人物は多くて、しかも長ったらしいロシア名前である(当たり前だ)。パズラー的な興味はほぼないが、事件に巻き込まれる詩人志望の少年を刑事たちが気遣ったり、強盗たちのターゲットが判明して救助が間に合うか?のスリルがあったり、これはこれでお国は違えど「大衆小説」の面白味が徐々に立ち上がってくるものである。
モスクワは涙を信じない、と小説の中でも繰り返し口にのぼる言い回しがあるんだが、それが言い得て妙な都市小説である(このタイトルの映画があったなあ。ちなみにアチラでは国民的名画で、主題歌も名曲)。

No.577 8点 火神を盗め- 山田正紀 2019/09/16 21:48
70年代の山田正紀の冒険小説じゃ「謀殺のチェスゲーム」と並ぶ名作だと思う。

大企業に温情主義は通用しないと言いながら、社員には忠誠を期待している...冗談じゃないですよ。会社が利益のために平然と社員を切り捨てるのなら、社員だって生命のために会社を切り捨てて当然じゃないですか

よくぞ言った!社畜根性をひっくり返す過激さが素晴らしい。今こそ見習わなくっちゃね。上出来のアンチ企業小説(なんてあるのか?)である。
インドのアグニ原発の中心部に爆弾が仕掛けられているらしい...総合商社の傍流社員の工藤がこれに気づいたとき、アグニ原発に派遣されていた同僚たちは事故にみせかけて殺されていた。帰国した工藤は専務を脅すまでして、この原発に侵入してトラブルの根源である爆弾を解除するプロジェクトを強引にスタートさせる。しかし集まったメンバーは社内でも指折りの無能社員たちばかり。対するアグニ原発は中印国境沿いにあることから、軍事施設級の重警戒が施されていた。プロも匙を投げる「不可能」なミッションにひるむことなく、無能社員たちを率いる工藤は奇想天外な手段でアグニ原発を攻略する...
とまあこんな話。こりゃサラリーマンのロマンが詰まった小説、じゃないかね。で、無能とされていた社員たちも、このプロジェクトの中で、それぞれがそれぞれのコンプレックスを克服していくのがお約束とはいいながら感動的。評者は桂の独演会が、泣けたなあ。劇画調でSFチックだが、シンプルでストレートな良さがある。まあ、大人の童話と思って読みたまえ。

サラリーマンを馬鹿にするんじゃない。スパイはカスだ、カスが真っ当に生きている人間に勝てるわけがない

No.576 7点 アメリカの悲劇- セオドア・ドライサー 2019/09/16 21:20
二十世紀の有名な人殺しの小説、というと後半の「異邦人」はもうやったが、二十世紀前半代表はコレでしょう。本サイトで取り上げても問題ないと思うんだよ。考えてみりゃ、ヴァン・ダインというかW.H.ライトの文学グループのトップ作家だし、アメリカン・リアリズムという点じゃハードボイルドを用意したようなものだ。しかも「郵便配達は二度ベルを鳴らす」だって本作のリライトみたいな気もしてくるし...と「死の接吻」を引き合いに出さなくてもアメリカのミステリにいろいろと縁の深い作品なことは間違いない。
ま、実際主人公クライド・グリフィスの生い立ちと最初のホテルのベルボーイ稼業を扱った第一部はともかく、伯父のワイシャツカラー工場に勤めて女工ロバータとイイ仲になるけど、土地の令嬢ソンドラに気に入られてオモチャにされて...でロバータを殺すことになる第二部、その裁判から死刑に至る第三部はなかなかミステリ的な興味は大きい。しかもね、クライドは悪人というよりも優柔不断というか、野心と性欲が強いくせに、問題先送りタイプで、にっちもさっちも行かなくなって、グダグダな計画でロバータを殺そうとする。で、実際いろいろと足跡を晦ます工作をしながらも、いざロバータを殺そうとすると、何か気の毒になってついついためらってるうちに、事故みたいな恰好でロバータは溺れ死ぬ。しかし、クライドが策を弄したたために、今さら「殺してない」とはとってもじゃないけど主張できない....というはなはだ喜劇的な状況に陥る。裁判で無罪を主張しても、貧乏な女工から令嬢に乗り換えようと、女を殺す冷酷無残なプレイボーイ、というパブリック・イメージにハマってしまって、市民の憎悪の的になるだけ。社長と血縁があるだけで、タダの貧乏説教師の子だから貧乏から這い上がりたい、と思っているだけなんだけど、美男のせいもあって、色悪扱いされてしまう。
というわけで、「アメリカの悲劇」というタイトル自体が、狙って付けたようなアイロニカルなタイトルになっている。主要人物すべての心理をこれでもか、というくらいに細かく追って、重厚というかクドいというか、喜劇的なタッチはまったくないのだが、それでも鳥瞰すると喜劇でしかない、というのが実のところ一番「悲劇」的なポイントなのかもしれない。まあ、作者も結構主人公に批判的に突き放して描写しているしね。だから、死刑になるまでクライドは、自分がロバータを殺したかどうか半信半疑だし、母の愛に触れて獄中で悔い改めたことになってても、今一つ他人事みたいである。要するに未練がましく、したいことが徹底しない情けない男なのである。映画化の「陽のあたる場所」じゃ二枚目モンゴメリー・クリフトだったけど、カッコ悪さが本質だし、卑小なあがきがナサケなければナサケないほど、喜劇であり同時に悲劇になる。とすると「青春の蹉跌」のショーケンが一番「クライドの息子」らしさがあったのかもなあ。「えんやっとっと」だもんね。
あと文章なんだが、心理描写が丁寧というか、会話をしている二人の会話と同時にその内心を描写するするような、「作者は何でも知っている」スタイル。とにかもかくにも、何でもかんでも作者が説明したくて仕方がないような、とてつもなくクダクダしい文章である。ある意味、凄いのだが、ヘミングウェイやハメットの簡潔なハードボイルドスタイルが、ドライサーへの批判じゃないか、と勘ぐりたくなるような代物。

No.575 7点 黄色い犬- ジョルジュ・シムノン 2019/09/15 17:50
さて「黄色い犬」で評者の手持ちシムノンが尽きる。何となく手持ちがあるうちは図書館本とか借りづらくてね....初電子書籍で「港の酒場で」とかもチャレンジしたいな。
ジャンルが何となく「本格」になってるようだ。最後で関係者全部集めてメグレが謎解きするから、かもしれないが、論理的な...とは言えない解決というか、一般的な「推理」じゃないから「本格」はムチャだと思う。
というか、評者に言わせると「シムノンらしい」のは、短い小説なのに、登場人物の「行動原理が変わる」ところにあるように思うんだ。本作だとある人物「復讐」がベースにあるんだけども、結局復讐する意味がなくて復讐を止めてしまうし、いろいろな事件が必ずしも犯人の狙い通りの結果、というわけでもない。だから実質「推理不能」な部類の事件だし、シムノンの狙いもそんなところにはない。
じゃあ本作で何が印象的か?というと、それはやはりホテルの酒場の女給エンマ、

エンマは、もどって来ると、その場のようすにはいっこうに無頓着に、勘定台のうえへ顔を出した。目にくまのある面長な顔だ。くちびるはうすく、ろくに櫛もいれていない髪のうえから、ブルターニュふうの頭巾をかぶっているが、それが絶えず左のほうに落ちかかり、そのたびごとにかぶりなおしている

と描写される「幸薄さ」満開のもう若いとは言えない女性の肖像だったりする...田舎町の有力者たちのお手軽な愛人として無残な年を重ねていく、希望のない女。そしてホテルに腰を据えてエンマを召使みたいに扱う、自堕落で心気症な非開業の医者であるドクトル。うらぶれた行き場のない中年男女の運命が、「黄色い犬」を象徴とする事件によって変わっていくさまが見どころなわけだ。実際初登場で

メグレは、勘定台の下にねそべっている黄色い犬に目をとめた。さらに目をあげると黒いスカートにつやのない顔がみえた。

とエンマと黄色い犬は内密に結託しているかのようなのである。この黄色い犬が媒介するささやかな運命の時を、メグレと共に目撃することにしよう。

No.574 7点 幻の女- ウィリアム・アイリッシュ 2019/09/12 20:43
もし「名作」が後続の作家の「お手本」となるような作品のことだとしたら、本作は全然「名作」じゃない。本作は長編ミステリとしては弱点が多い作品なんだが、短編名手のウールリッチらしく、実のところ「サスペンス短編」としての珠玉の名作をいくつも「内包」した作品なんだと思う。だから本作の良さ、というのは本当に「ウールリッチだからこそ」なのであって、他の作家がやっても駄作にしかならない。ウールリッチだから、弱い部分もファンタジーみたいに許せるだけのことだ。
とくに「若い女性」の2つのパートなんて、奮いつきたくなるくらいの名作だと思う。評者なんて心臓バクバクでちょっとアテられるくらい。女性を能動的に動かしたら、ウールリッチのロマン味全開だもの。凄い。短編として独立して読んでもいいくらいだと思う。
長編として読んだときに、なかなかいいのは被害者マーセラのキャラクター。屈折した悪女、といった振舞いがいい。というわけで、やはり女性を描かせたら最強でしょう。女性は「化ける」というのをウールリッチは判っている。
あとやはりね、稲葉明雄の旧訳だけど、この人のセンチメントを隠したクールな明晰さと合った作品なのがベストマッチだと思う。というわけで、死刑ネタが「二都物語」と連続することになった。しまったな、次が「黄色い犬」の予定だったが、「男の首」にしたらよかった。
(死刑三連発は「アメリカの悲劇」になりました...)

No.573 7点 二都物語- チャールズ・ディケンズ 2019/09/08 21:22
本サイトでディケンズというと、「バーナビー・ラッジ」か「エドウィン・ドルードの謎」ということになるようなんだが、昔は殺人事件があってトリックがないと「ミステリ」じゃなかったからそういうことになったんだろう。今さらそこまで狭く考える必要もないので、本作だったらフランス革命を背景としたスリリングなロマン、ということで広い意味での「ミステリ」でいいんだと思う。本作をフォローした「紅はこべ」もやったしね、いいじゃないか。
結構長めの小説なんだが、前半は断片的にキャラが交錯しあうような展開なので、今一つ「狙い」が解りづらい面もある。が実はこれ緻密に伏線を引いているんで、これを我慢しておくと後半に一気に伏線解消していくカタルシスを味わえる。まあ、そうでなくても、さすがディケンズというか、なかなかアジのあるキャラが多くて面白い。いかにもイギリス人らしい銀行家ローリー氏がいいなあ。銀行と一体化したような独身中年男なんだが、この人にはドラマがなくて生野暮なのが、激動のドラマの中の重心みたいなものだ。

「ダーニイ君、友人になりたいんだが」とカートンが言った。「もう友人じゃないですか」「君は、この前に挨拶したときにそう言ってくれたがね、僕の言うのは、そういう挨拶じゃなく、ほんとの意味の友だちに」

とカートン&ダーニイの友情シーンも、こういう水臭いばかりの人みしり振りが、いかにものイギリス紳士ぽくて、いいな。こういう迂遠さというか、殻をかぶったペルソナ感というか、他人という「分からないものを分かろうとする」研究心みたいなものから、「小説」というジャンルが育ってきたんだなあ、と思わせる。
でまあ、後半はフランス革命下のパリで、ギロチン最盛期で追い詰められていく一家の逃げ道は?とスリルとサスペンスで一気に読ますわけである。しかも怒涛の伏線回収まであるから、後半は本当にお楽しみ。

No.572 5点 赤い拇指紋- R・オースティン・フリーマン 2019/09/04 13:38
ソーンダイク博士デビュー作である。ワトソン(ジャービス)との出会いなど、ホームズ譚を真面目になぞっている。けど読み心地は「科学啓蒙読み物」といったもの。そもそもの狙いがフランシス・ゴールトンの指紋の研究を捜査当局が取り入れたのはいいけども、それを絶対視しすぎることへの警鐘、という動機で書かれた作品だ。だから「社会派ミステリ」なんだよ(苦笑)。
キャラの数も少ないし、ミスディレクション皆無でミステリとしてはきわめて地味。小説としては...どうもねえ、ソーンダイク博士以外の人々が軒並み愚かすぎるとしか思えない。とくに女性キャラはヒロインさえ動揺しやすいし、ホーンビイ夫人に至っては....で、「女性に失礼」レベル。「昔の科学者のミソジニー傾向」と批判されても仕方ないんじゃないかなあ。
いい部分はというと、

運のいい当て推量は、あまり結果のぱっとしない、まともな推量よりも、往々にして信用を博するものだよ

....まあこれに尽きる。地味で冷静。回りくどいくらい。だったら最後の検証を二重盲検にしたらより「実験」っぽい。
ミステリというよりも、啓蒙パンフレットの部類だと思う。昔子供向けの本で読んだ記憶があるけど、挿絵がカッコよかった印象がある。「名探偵ソーンダイク赤い指紋」(ポプラ社)だなあ。児童向けにしてはチョイスが渋すぎ。
(がんばったら評者でもメイントリックを再現できる?とも思うけど、中盤の闇討ち道具を自作するのは素人はムリだよ....技術力、要るもん。あと余談。ソーンダイク博士っていうと評者はオペラント条件付けだ。完璧に同時代人。ゴールトンと併せて心理学史の授業を思い出す)

No.571 8点 鳥獣戯話- 花田清輝 2019/09/02 11:29
山田風太郎「室町お伽草子」の面白ネタを提供した作品が本作なんだが、山風以上に強烈に面白い「小説」である....とは言ってもね、花田清輝、である。「小説」と名乗ってはいるが、「〇〇は言った。」とかそういう描写はゼロな、エッセイに近い読み心地のもので、司馬遼太郎のウンチク部分だけが続くようなものだと思えばいい。それでも虚構と史実をないまぜに、というか、史実・でっち上げ文献による虚構・戦国時代の庶民が夢見た「幻想」・花田の戦後社会批判の間を自在に飛び回る「超・小説」と言っていいような「歴史小説」である。
しかもね、「意地悪ジイサン」花田だ。山風が採用したゲームマスター無人斎道有(武田信虎)といえば、ナミの歴史小説だと信玄の引き立て役くらいの悪役なんだが、本作では戦国武将なんぞ自分からドロップアウトした、「乱世を生きるもう一つの修羅」、将軍義昭のバックの辛辣な口舌の徒として、上洛した織田信長と機知の戦いを演じた、信長包囲網の影の立役者として描くのである。

ところが、とくに戦国時代をあつかう段になると、わたしには、歴史家ばかりではなく、作家まで、時代をみる眼が、不意に武士的になってしまう気がするのであるが、まちがっているであろうか。

と、司馬遼太郎の戦国ものがイマドキ親父のコスプレ芝居にしか見えない評者の、マイナーなニーズに存分に応えてくれる。しかも、本作の軸になるのは「鳥獣戯話」というタイトルからしてその通りの、猿・狐・ミミズクといった動物たちなのだ。

父親(信虎)の猿中心のものの見かたを、不肖の息子(信玄)はあくまでも人間中心のそれに置き換えようとするのである。たとえば信玄が、城らしい城をつくらなかった理由を説明するさいに、しばしば、引用される「人は城人は石垣人は堀、なさけは味方あだは敵なり」というかれの和歌にしても、あるいは信虎の「猿は城猿は石垣猿は堀、なさけは仇あだは生き甲斐」というような和歌からきているのかもしれないとわたしは思う。なぜなら、あらためてくりかえすまでもなく、猿のむれの戦略・戦術にもとづいて豪族たちの反抗に終止符をうち、それ以来、甲斐の国に城らしい城をつくるのを禁じた最初の人物は、息子のほうではなくて、父親のほうだったからだ。

猿になり狐になりミミズクにと多彩な変身を遂げて、人の小賢しい知恵をあざ笑う無人斎(それはヒトデナシ、という意味だ)の肖像に評者なんぞ強烈にイカれたものだった....「歴史小説」や「歴史ドラマ」がシタリ顔でお説教して、心の「ケモノ」を調教しようとするのを強引にひっくり返す力業が最高。そうしてみると、「日本史の通説をひっくり返す」過激な歴史ミステリかもしれないか(苦笑)。
評者は高校生の頃に「復興期の精神」を読んで以来、花田清輝を自分の師匠と思っている。評者に与えた影響、というのならもちろん10点。しかし本サイトのニーズからは外れているので、8点にしておこう。
(実は花田清輝、ミステリ論もしているし、時評の中で触れていることも多い...「時の娘」評も書いてるよ。そうだね、そのうちやろうか)

No.570 5点 室町お伽草紙- 山田風太郎 2019/09/02 09:24
山風でも晩年の明朗戦国絵巻、という雰囲気の作品。副題が「青春!信長・謙信・信玄卍ともえ」になっているくらいのもので、主要なシテは誰でも知ってる信長・謙信・信玄。その若き日にお忍びで上洛していて、足利の姫と最新鋭の鉄砲300丁を巡ってオールスター卍ともえ、な戦国秘史なんだが...本作の敵役というか、この卍ともえのゲームマスターに無人斎道有を持ってくるのが本作のポイントでもあり、一番の良からず、の点でもあるように思う。
無人斎道有、ご存知かな?前名の方がたぶん有名だ。武田信虎、信玄の父で武田家隆盛の基を築いたのだが、信玄のクーデーターにひっかかって国を追われ...という数奇な運命をたどった(元)武将である。本作では描かれないが、後に将軍義昭のお伽衆として仕え、義昭を奉じて上洛した信長と角逐を繰り返すことになる....のだが、こっちの話の方が実は本作よりもずっと面白く、しかも本作がその「ネタ本」に強く負い過ぎているのが、評者の最大の減点理由である。そのネタ本は花田清輝の「鳥獣戯話」である。
本作の悪のヒロイン玉藻も、「鳥獣戯話」の道有がお伽草紙の「たまものまえ」を批判して「狐ほど、人間に対して誠実で、親切で、率直で...」と評価した話から来ているし、前半の狂言回し関白法師九条稙通の飯綱使いの話もここにあって、およそ本作のベースになるネタで面白い部分が全部「鳥獣戯話」にある。でしかも「鳥獣戯話」の面白さに及ばないと評者は思うんだ。ラスボス的な南蛮商人カルモナも、同じ名前だが別キャラとして「鳥獣戯話」に登場するしね。というわけで、別に剽窃とかいう気はまったくないが、「鳥獣戯話」の強烈な面白さにはずいぶんと霞む。まあ山風らしいパロディックでゲーム的な小説として読めばいい。戦国名シーンをいろいろ予行演習してくれるしね。けど随分味付けがライトだなあ。
というわけで、「鳥獣戯話」反則かもしれないけど、やります。

No.569 4点 牢獄の花嫁- 吉川英治 2019/09/02 08:47
昔イベントで阪東妻三郎主演の映画を見たんだが、フィルム状態劣悪のプリントで、しかも妙な編集が入ってる版だから、ホントにワケがわからなかった。リベンジに原作を購入。もちろん本作、ボアゴベ~涙香~本作 という「晩年のルコック」の伝言ゲームの末端みたいな作品である。同様な乱歩名義の「死美人」も昔読んだことがあるんだが、これ乱歩の実作じゃなくて代作物、ということで乱歩全集とか収録されない。吉川英治というのが本サイトでは珍品ということでよかろう。
というかねえ、ロジャー・L・サイモンの「誓いの渚」を読んで、親が子の容疑をはらすべく奔走する作品、って意外にないね、と思って本作を取り上げた。もちろんワインみたいに親子関係がややこしいわけではなくて、時代小説らしく情愛の理想化がなされている。まあ吉川英治だから感情表現が暑苦しくて梶原一騎みたいだ(梶原一騎が模倣したんだが)。ミステリとしては秘密がほぼ破綻していて、あまり見るところがない。冒険ものとしてもご都合が目に付く。
昭和初期の時代小説でも、「ゼンタ城の虜」を翻案した「桃太郎侍」とか、安楽椅子探偵をやってのける「若さま」とか、結構うまく海外エッセンスを消化した作品もあるんだけどね。本作は吉川英治の通俗性が前に出過ぎていると思う。ちなみに阪妻の映画は目を剥いて見得を切る町医者みたいな塙江漢(ルコック)しか憶えてない。まあそういう作品。

No.568 6点 誓いの渚- ロジャー・L・サイモン 2019/09/02 08:29
「渚の誓い」じゃなくて「誓いの渚」である。未訳(Director's Cut, 2003)がまだ1冊ワイン物にはあるんだが、頑張れジロリンタン!と祈るばかりだ。まあ、作者のサイモンも、小説家というよりも政治評論家みたいになってるようで、このネオハードボイルドでも異彩を放ったシリーズはフェードアウトしちゃうんだろうな....
で、本作だとヒッピーにして左翼過激派だったワインも、経営者に成り下がっている。そこそこ成功して人も雇っている探偵社を経営しているのだが、相変わらず恋人をとっかえひっかえ。シリーズ最初ではワインがオムツを変えていた子供たち、長男ジェイコブは作家修行中だが、ゲイなのをカミングアウト。で、問題の次男サイモンは、前の作品だとグラフィティに凝って警察沙汰も起こすという、この親にして...という育ち方をしているのだが、本作だと環境テロ・グループのリーダーとして、森林事故をわざと引き起こした容疑で指名手配、でワインがいきなり刑事の訪問を受けるところから始まる。ワインの元妻で弁護士として活躍中のスザンヌも合流して、サイモンの容疑をはらすべく奮闘する...という話。
「ヒッピーからヤッピー」を体現したこのワインなんだけど、子供の世代から見るとねえ、ロスマクとは大違いでややこしいんだ。

親父たちはすべてのことを先にした...セックス、ドラッグ、ロックンロール、政治。何でも知ってると思ってる。でも、いつも知っているわけじゃない。(略)「自分のやりたいことをやれ」と言ってきた親父がどうなったか見てみろよ。(略)通りにはホームレス、議会にはギングリッジ。親父たちは失敗したんだよ。それにお袋のほうはもっとひどいよ...ニュー・エイジの流行とか、導師とか、心霊術なんかで人生の半分をほとんど無駄に過ごした。

とワケ知り顔の親たちに痛烈な批判をぶちかますわけだ。この批判、当たってるからどうしようもないや。でしかも、ちょいとした哲学問題にワインは頭を悩ます。ワインの世代は「反抗の世代」なのだが、その「ワインの世代に反抗する」、子供たちの「反抗への反抗」とは一体何なのか?という話だ。それが環境保護とかさらに過激な政治性なくらいだったらまだマシで、「反抗への反抗」が警察への協力や密告だったら目も当てられない.....サイモンの家のカレンダーに貼ってあった電話番号がFBI捜査官のものなのを見つけたワインは、この疑惑で内心オタオタすることになる。
だから本作、シニカルなコメディとして楽しむのがいいわけだよ。もともとワインは「ハードボイルドの道化」みたいなもので、「ハードボイルド」に斜に構えて「男の美学」なんて嘘っぱちだ、というあたりから始まっているわけだが、リアルな政治背景を背負った主人公として20世紀後半を駆け抜けた結果、グダグダな人生を送ったことにしかならないモウゼズ・ワインの肖像というものが、極めて皮肉。まあ、ハードボイルドから遠く離れて、こんなとこまで来ちゃったわけである。
まあそれでも、この親の子は親の子だ。本作の決め台詞は...

「死ぬ真似を誰から習ったんだ?」おれは尋ねた。
「親父からだよ」サイモンが言った。

No.567 5点 悪夢の骨牌- 中井英夫 2019/08/29 21:46
創元の全集だと「とらんぷ譚」の2番目に当たる作品である。13の短編が奇妙につながりあって出来上がった連作だ。結構最初は幻想ミステリっぽい始まり方をして、4~6番目は乱歩風のファンタジックな理由なき殺人が描かれる。けども7~9は時間旅行を扱ったSFみたいなもので、最後にはそれが「虚無への供物」のテーマのような「反ー戦後史」に収斂する。目も彩なポエジーは溢れているのだが、全体からみると、テーマがずれていったようなもので、前半の稲垣足穂風のファンタジーから後半の猥雑な現実感に流れて、雰囲気も一貫していない。評者は今一つ、と思う。
ミステリとしてはやはり4~6話で、ヒロインの少女藍沢柚香が、自分を崇拝する青年たちをまったく周囲から疑われることなく、死や発狂に追いやる詩的なピカレスク・ロマンの部分だろう。

死よ/香ぐはしき星よ/汝がまたたきの深みに降り/汝が光の臥処に安らはんを/死よ/それまでは青くあれ

と柚香を崇拝する少年が書いた詩を、遺書のように見せかけて殺す話なぞ、ミステリなのか耽美なのかと悩ましい話だったりする(第4話)。同様に

どんな未開の蛮族でも、大昔からミイラの乾し首はりっぱに作ってみせるというのに、現代の科学ときたら、なんてまあ役立たずなんでしょう、美しい生首ひとつ作れないなんて!

とサロメとヨナカ―ンを夢見て慨嘆する柚香は、美青年を首だけ出した牢獄に幽閉する...(第5話)とダーク・ファンタジーなあたりが、評者は好き。けどここらへんが一番この連作だと浮いてる部分だったりする。
魅力があるだけに、困ったものだ。

No.566 6点 007/カジノ・ロワイヤル- イアン・フレミング 2019/08/25 15:22
創元の新訳の流れの中で、「カジノ・ロワイヤル」も新訳されてしまった。評者も珍しく新刊新本も買って「カジノ」祭りとシャレこもうか。原作旧訳/新訳、映画1967/2006と総まくりである。
まずは新訳。結構直訳風で日本語がこなれてない。まあ井上一夫の旧訳だと、007のウリであるスノッブなグッズが翻訳時点で馴染みがないこともあって、今読むとトンチンカンな紹介になってることも多くて(苦笑)しながら読んでたこともあるが...まあそういうあたりは当然直る。しかしね、比較して読むと旧訳がいかに「読み物としてマトモに楽しめるものを」と工夫しているのがよくわかるよ。

ルーレットのひとまわり、カードのひとくばりごとに、一パーセントというささやかなお宝を積み上げていく。数字に目のない太った猫のような鼓動だ。

ルーレットがまわるたび、カードがめくられるたびにカジノにもたらされる一パーセントの金というささやかな財宝の累計を計算している音だ。心臓があるべき場所にゼロしかないのに脈を搏ちつづける肥えた猫—それがカジノだ。

フレミングは教養あるから、凝って捻った言い回しのキメ台詞を決めるわけだが、そのヒネりぐあいにヒネられて、文脈があっちの方向に行方不明な訳みたいだ。旧訳にはまったく及ばないようである。
小説自体はまだ007のキャラが確立していない部分があるんだけども、スノッブなヨーロッパの上流のお楽しみ描写、ボンドのギャンブル哲学もちゃんと「らしく」あって、また文体はホントに完成している。額を撃たれて...

つかのま三つの目すべてが部屋の反対側を見つめているようだった。つづいて顔全体が、一気に片膝のほうへ滑り落ちていくように見えた。最初からある左右の目がぐるりとまわって天井のほうをむく。重い頭部が横へ倒れていき、さらに右肩が、最後には上半身全体が椅子の肘掛けから外側に倒れこんだ。まるで椅子の横に反吐をぶちまけようとしているようだった。

スローモーション、とはこのことだね。凄いな。ここは直訳な新訳がいいあたり。フレミングはスノッブで洒落ているだけじゃなくて、この尖った映像的なセンスの良さがあるから、昔からチャンドラーも褒めれば、タダのスリラー作家じゃない「インテリ御用達」娯楽作家だったわけである。
あとね、実のところこのル・シッフルをバカラでハメる作戦はフィージビリティがある。有名な話だが、純粋なギャンブルであるバカラならではの「必勝法」があるのだ。この007の作戦はいわゆる「倍プッシュ必勝法(マーチンゲール法)」で、資金が無限に続き、勝っているところで一方的に勝負を終わらせられるなら、確実に勝てるんである。国家がバックに付いたスパイ小説だから、アリなのである。これが小説のキモのアイデアなのだ。
そうしてみると2006年の映画で、運頼みのバカラじゃなくて、競技性が強いポーカーに変更になったのは、作品の軸を崩す改悪だと思うんだ。バカラは純粋なギャンブルで競技性がないからこそ、カジノで他のゲームと違う大金が動くんだと思うんだよ。腕がモノ言うポーカーだったら、「名人」のガチ勝負に対抗しようとするカモなんているもんか。まあ2006年の映画はキマジメで、原作と昔の映画が持っていたスノッブでキッチュな遊び心が全然なくなっているんだね。イマドキはこういうの、ハヤらないのかねえ。007ってマジメじゃあなくて、遊びに魅力があるものなんだけども、この「アソび」の余裕が今はなくなってるのかしらん。
逆に1967年の映画は「アソび」がすべてである。素晴らしい!!遊びのセンスとキッチュな想像力、細部のおシャレさ加減、スター出まくりの無意味なゴージャス感など、ホントに見どころの連続の名作である。映画って話のツジツマがどうこう、なもんであるもんか。確かにパロディだが、原作のスノッブさ・キッチュさ・遊び心はちゃんと再現している。お金かかりまくりでB級どころか豪奢な大作だし、昔は地上波TVでフツーに日曜夕方にでも流れてた作品で誰でも知ってて「カルト」じゃないし...と、かつての日常には浮世離れの「ちょっとした贅沢」が溢れてたんだけど、今はこういうの許されないんだろうかね。
スノッブでゴージャスな007は、21世紀は暮らしにくいとは残念なことだ。

No.565 7点 一人だけの軍隊- デイヴィッド・マレル 2019/08/23 21:42
原作は初読だが、映画は何か懐かしい。1982/3年の年末・お正月番組で大本命「E.T.」のライバルに配給の東宝東和が祭り上げたんだった。もちろん興収は「E.T.」に敵うわけなくても善戦し、そこらも単身で軍隊に挑むランボーらしさみたいなものがあったなあ。
で原作は映画とは結構別物。ランボーはベトナム従軍で「壊れた」男で、ケンタッキーの田舎町で不当な扱いを受けたことで「スイッチ」が入ってしまい、田舎町の警察と州兵を敵に回すことになる。最初から破滅上等で、殺る気マンマン。このランボーの殺気にアテられて、朝鮮戦争に従軍した警察署長ティーズルも「スイッチ」が入ってしまって、本気の殺し合いになる...結果、田舎町がほぼ壊滅。闘争本能ムキ出しで地獄に落ちる、それこそ「Hellsing」があたりに近い話だ。
だから映画でのスタローンの本意じゃなくて、身に降りかかる火の粉を払うために闘争に巻き込まれていくみたいな、甘ったるいことはない。ベトナム後遺症で自ら望んで地獄に飛び込む話で、巻き添えを喰らう周囲は大迷惑にも程がある。まあもともと、映画だって「ディア・ハンター」とか「帰郷」とか「地獄の黙示録」みたいな70年代の「悪夢なベトナム」の一連のテーマに沿ったベトナム後遺症ネタ娯楽作品、というかたちで元々は紹介されていたわけで、映画でも「投降しない」バージョンが撮影されたそうだしね(映像特典に付いてくるらしい)。
映画シリーズはタダのウヨクなヒーロー物にどんどんなっていくが、理屈のつかない原作の理不尽さはまさに地獄絵図。ランボーもティーズルも馬鹿馬鹿しいくらいに悲惨な戦いを止めない(止めようともしない)のが、いい。原作の方がずっと優れている。

No.564 7点 ミニ・ミステリ傑作選- アンソロジー(海外編集者) 2019/08/22 09:13
大昔に読んだなりだったクイーン編のショートショート集。いや、結構オチを覚えているものだね。アイデア・ストーリーが鋭く純粋化されたようなものだから、頭のどこかにきっと死ぬまで突き刺さっているんだろう。
だから、展開で読ませるタイプは意外に忘れるものだし、決め台詞があるものはよく覚えていたりする。そうしてみると評者だと、前半の型にはまらない「ミニ犯罪小説」の方がよく憶えていて、ミステリ専業作家がレギュラー探偵を起用したものが多い「ミニ探偵」の方が忘れやすい傾向があるように思う...でベストは落語みたいなオチの「馬をのみこんだ男」(クレイグ・ライス)ばかばかしさが本当に、いい。
評者好みは「カードの対決」(コステイン)これは決め台詞タイプ。「演説」(ダンセイニ)皮肉なアイデアストーリー。「月の光」(ハイデンフェルト)手がかりになる言葉が忘れられない。「子守歌」(チェホフ)これは描写のコッテリ感。「ある老人の死」(ミラー)人情。「殺人のメニュー」(ドンネルJr)小粋。というあたりかな。
本としてはナイス編集。収録作が多い分、多彩な面白さを味わえるし、切れ味の良い作品が多いので、個々が埋没しない。おすすめ。

No.563 8点 二十世紀鉄仮面- 小栗虫太郎 2019/08/17 11:42
昔の作家の場合、短編集が何種類も出てて表題作が同じでも収録作はバラバラ、なんてことがよくあるんだけど、評者の感覚だと虫太郎の基準となるのは桃源社の全作品9巻である。桃源社だと「二十世紀鉄仮面」は黒死館と「国なき人々」以外の全法水物を収録した巻として親しまれていたのだが...河出文庫で「法水麟太郎全短篇」でまとまって、これは「国なき人々」も含んでる(鉄仮面はない)。どっちでやるか?とは悩ましいんだけど、評者が読んだのは桃源社の廉価版なので「二十世紀鉄仮面」でさせてもらうことにする。ただし評者は長編「二十世紀鉄仮面」の評は「青い鷺」でやっているので、そちらを参照されたい。全短編個別に書きたいから、最初からそういうつもりだった。お許しください。
「後光殺人事件」は「招かれた精霊の去る日に、新しい精霊が何故去ったか―」と七月十六日朝に、寺院の住職が技芸天女を祀る堂宇で恍惚とした表情を浮かべた他殺体として見つかった...変態心理が中心だけど、それでも一応普通の本格探偵小説風に読める作品。まだ小手調べ、といったところが相応。新暦のお盆の話なので、タイムリー、でしょ。
「聖アレキセイ寺院の惨劇」白系ロシア人亡命者の老人が、ギリシャ正教様式の寺院で殺害されているのが見つかった...虫太郎に限らず戦前の日本のミステリだと機械仕掛けに凝りすぎてリアリティのない作品が結構見受けられるけど、実のところこれは、二十世紀前半らしい「機械を巡るファンタジー」と見たいと思うんだ。本作とか「夢殿」はそういう「殺人機械」の空想(暗黒面のSF)とそれにまとわりつく宗教が頽落した妄念(裏返しの進歩主義か?)の一大絵巻くらいで捉えると、その美質を過たずに捉えられると思う。そういう意味で虫太郎の完成形の一つ。
「夢殿殺人事件」これも「アレキセイ」同様に、豪華絢爛の殺人機械の話だが、密教の儀軌を小道具にして、活人画ならぬ「殺人画」を徹底的に描いて成功している。「吸血菩薩」というイメージを作り上げたことが超絶である。法水短編のベストである。
「失楽園殺人事件」前二作の応用編みたいなものだけど、明らかに「軽く」書いている。ただしグロはそれ以上。黒死館の目途が立って安心したのか、やや手の内を見せているのが興味深い。「以毒制毒の法則が使えるからです。謎を以って謎を制す」とか、「...の命を絶ったものは、実に、この一つの比喩にすぎなかったのですよ」という真相など、作家の舞台裏を窺わせることを言っている。虫太郎の魔力とは「比喩の魔力」だからね。比喩によって、稲妻に撃たれたかのように新しい関連が生まれてくること、たかが比喩に人生が懸ってしまうこと、観念のために生を棒に振って悔いないこと、虫太郎の毒気に当てられるのこういう瞬間だ。
「オフェリア殺し」からは推理機械法水にキャラを盛ってくるようになる。法水がシェイクスピア俳優になって、ハムレットのパロディを演じる。同様に「人魚謎お岩殺し」はグラン・ギニョルの日本版みたいな殺人芝居の一座で起きた四谷怪談ネタの殺人。両作ともモチーフがかなり共通する(舞台上の水路で死体が見つかるとかね)し、たぶん出来が気に入らなかったんじゃないかなあ。
「潜航艇「鷹の城」」は中編規模で、短編では一番長い。長編「二十世紀鉄仮面」のプロトタイプみたいなもの。オーストリア海軍の原始的な潜水艦(なので潜航艇)から消失した艦長の謎から始まり、新たに遊覧船に改装された潜航艇のお披露目の中で、この艦と事件に因縁のある四人の盲人たちの只中で起きた殺人を法水が解決する。本作のモチーフはヴァーグナー(「指輪」と「オランダ人」)とその元ネタのニーベルンゲン譚詩で、ペダントリはそう難しくない...けど本作だと素材がそのまま投げ出された様相で、狙いはわかるけどとっちらかったまま。推測だけど「ゼンタの殺人」にしたかったんでは。

というわけで法水短編は「アレキセイ」「夢殿」が頂点。活人画ならぬ「殺人画」の凄惨美と「殺人機械の夢」、オカルティズムを一つの比喩として運命として捉える自己投企、と虫太郎以外誰も描き得ない極彩色の世界である。評者に言わせれば、笠井潔も京極夏彦も「アレキセイ」「夢殿」の短編にさえ全然及ばない。

No.562 8点 男の首- ジョルジュ・シムノン 2019/08/15 14:50
評者もシムノン手持ち札がさすがにそろそろ尽きてきた。なので大定番のこれを投入。言うまでもなくメグレ物としては特殊作品である。もともと戦前に本作の映画化「モンパルナスの夜」が日本でもヒットして、シメノン人気が燃え上がったことから、何となく代表作化しているだけのことである。しかしね、本作はメグレ以上にジャン・ラデックのキャラクターが極めて印象的なことで、特殊作品だけどシムノンの傑作の1つにはちがいない。

(ネタばれ... けど推理に重点が全くない作品だからお許しを)
考えてみればウルタン犯人に納得しなかったメグレが、わざわざ職を賭けて脱獄させたことで、一旦は完全犯罪を達成したラデックに「もう一度、世の中をひっかきまわしてみたい」という自己顕示欲を刺激しちゃったわけだから、何とまあ罪作りなことなんだろうね。しかも「罪と罰」みたいな良心とか道徳とか愛じゃなくて、自己顕示欲の延長線での「捕まりたい」欲望を抑えれなくなったラデックが、自分の「カッコいい破滅」を求めてメグレをわざわざ挑発する....生き急ぎ死に急ぐ、神に挑むようなロマン派的なキャラクターに、評者とか学生の頃は結構イカれたもんだったんだがね。今思うとさすがに青臭いなあとも顧みるんだが、シムノンもこれを書いたのは28の歳。やはりシムノンの青春の決算という色調が強いんだろう。
ただし本作の持っている「青春の毒」は後の作品でも、繰り返し現れるので、そのバリエーションを愉しむのもいいだろう。同じネタでもシムノンの成熟によって、多彩な切り口が現れてくる。「雪は汚れていた」とか「第一号水門」を併読すると味わい深いと思う。
(中盤の「キャビアを好む男」あたりのカフェ・クーポールのシーンは、本当に凄い。映画で演出してみたいくらいだ...)

No.561 7点 フランチャイズ事件- ジョセフィン・テイ 2019/08/15 09:32
欧米のオールタイムベストによく入る作品なんだけど、日本での人気は「時の娘」と比較しても今一つ。たぶん本作、流し読みしただけだと掴みどころがないじゃないかな。「時の娘」もそうだけど、実にキャラ描写が的確で、ユーモアも十分、「いい小説読んだな」と思わせる小説読みに愛されるタイプの作品なのは、間違いない。
イギリスの郊外の田舎町で開業する弁護士ロバートは、町はずれの古びた邸に住むシャープ母娘から、事件に巻き込まれたので相談に乗ってほしいという依頼を受ける。この母娘は人づきあいの悪い変人と周囲から思われていた....この家に15歳の少女が1か月の間監禁されていたと告発されたのだ。少女の証言は詳細で、警察も取り上げないわけにはいかない。赤新聞がこの事件を嗅ぎつけて報道したことから、「魔女」のように思われていたシャープ母娘は、町の人々からの嫌がらせを受けるようになる。しかし、ロバートはシャープ母娘との付き合いが深くなるにつれ、どうしても少女の告発が信じられないものになってくる。ロバートは少女の告発の事実を崩すべく、調査に真剣に乗り出す。
はい、これ解説の乱歩は気がつかなかったみたいだが、有名な歴史上の事件の「消えたエリザベス」の設定を現在に持ってきたものだからね。なので本作も「時の娘」同様に「歴史ミステリ」である。まあ本作はフィクションなので、調査は難航しても最後には証人もちゃんと見つかって大団円、なんだが、ミステリとしては謎解きというよりも、やや偏屈で人づきあいが苦手なシャープ母娘、極端な体裁屋で「あまり善良すぎて却て信用出来ない。十五の娘なんてあんなに善良な筈はない」と評される被害者の少女、シャープ母娘のメイドだったけども盗みでクビになって、仕返しに「屋根裏での少女の叫び声を聞いた」と証言する少女、などとくに女性キャラの描写が深くて、これが読みどころ。ここらへんクリスティに近い味わいがある。主人公のロバートも田舎の事務弁護士の日常の繰り返しから、目覚めて立ち上がるさまなど、ロマンス小説風に読んでもいいんじゃないかな。「魔女狩り」風の嫌がらせに対して、ロバートの周囲の人々(これもキャラがしっかり)がロバートとシャープ母娘をがっちり支えるのが、なかなか感動的。
事件も監禁傷害と地味、手がかりや証人も徐々に見つかっていくだけ、といわゆる「本格」を期待したら全然ダメな作品だけど、リアルで小説的充実感バッチリなエンタメを読みたいなら、どうぞ。
(けどねえ、翻訳はサイテーの部類。こんなんでも改訳せずにポケミスを再版するんだなあ、とちょっと呆れる)

No.560 8点 夏への扉- ロバート・A・ハインライン 2019/08/14 19:05
本サイトで大人気のSF、というと「星を継ぐもの」はまあ例外、そもそもSFミステリな「鋼鉄都市」、で本作はというと... 何というのかな、とっても日本人好みなほっこりした語り口で安定の人気を誇っている。評者とかは他人事ながらほっとする。
「ドアというドアを試せば、必ずそのひとつは夏に通じるという確信を捨てない」と、クラシックSFらしい甘やかなポジティブさが漂う。こんな情緒性が日本人に、ウケるんだよなあ。プロットにスケール感はないけども、タイムトラベルものなので、入れ子になったかたちで込み入っているのが、ややミステリっぽいと思ってもいいだろう。で猫と少女とハッピーエンド(苦笑)。あまり評者が茶々入れるのも何である。最初の強制コールドスリープのときに猫を置いてきぼりな件が、うまく解決されるのが情緒的にもナイスなあたりだしね。
作中現在(1970年)も作中未来(2000年)も軽く超えちゃった今読んで、50年代の作中に予見されたガジェットが、今現在結構それらしく実現しているのもちょいとした読みどころだ。文化女中器はルンバっぽいし、製図機ダンはCADソフトみたいなものだし、トーゼン記憶チューブは半導体メモリみたいだし...けどコールドスリープが実現している反面、音声認識がやたらと難しいものとして扱われているあたりに、技術の進歩に対する認識のムラみたいなものが期せずして現れてくるあたりも、妙に面白い。ここらは作者の意図しない読み方になるんだろけどね...

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1419件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(105)
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