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クリスティ再読さん
平均点: 6.41点 書評数: 1327件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.487 7点 007/007は二度死ぬ- イアン・フレミング 2019/03/16 09:19
その昔は本作は「国辱映画(小説)」なんて呼ばれたこともあったけども、今ネットで検索してみると、映画・小説ともに「裏ベスト」という声も高い。日本人にシャレが判る人間が増えたせいもあろうが、本作で描かれた「日本の像」が、今ではずいぶん過去のものとなってしまい、適切な「距離」をもって、(かつての)肖像を見ることをできるようになった...というのもあるだろう。昭和は遠くなりにけり、だ。
本作はフレミングが二度日本を訪れたその印象を、007に仮託して書いた旅行記みたいなものだ。本作の面白い部分は、そのガイジンの目から見た日本の像なのだが、通常の旅行記が対象となる国のイメージを、何かまとまったものとして描きたがるのに対して、本作は極めて詳細で鮮烈なデテールと、混沌とした不可思議の国としての全体像を、統合しまとめようという意図がほとんど見受けられないことだ。デテールへの固執・偏愛が際立って、あたかも悪夢の中にいるような印象を受ける。「悪夢のようなニッポン」ではなくて、「悪夢としてのニッポン」を本書は実現してしまっている。これは稀有な旅行記だ。
この時期、フレミングは超ベストセラー作家であり、何を書こうとも絶対にベストセラーになってしまう、という空恐ろしい状況にあったわけだが、それに対して自身でも皮肉な想いがあったのだろうか、見事にそんな読者の期待を肩透かししたようにも思える。
そりゃさあ、冒頭からボンドとタイガー田中とのお座敷遊びで始まるんだよ。ボンドが吐く悪態を咎めて、日本の罵倒語のウンチクをタイガーは教えるし、サントリーのウィスキーはお気に入りのようだ。伊勢神宮に参拝すると修学旅行の高校生の団体もいるし、牛にビールを飲ませて焼酎でマッサージをするのを見学する...テレビで「七人の刑事」を見てから寝る。
と本当に主人公はフレミングであり、自らのキャラクターである007に仮託して、フレミングは日本を旅する。芭蕉の俳句に触発されて

人生は二度しかない/生まれたときと、死に直面したときと

というHAIKUを作る。俳句というよりもエピグラムっぽいのがご愛嬌。ヘンな比較をしちゃうが、「○○七号土佐日記」かもね。だから最後50ページの「死のディズニーランド」でのブロフェルドとの最終対決は、口実というか言い訳というか、海外視察に赴いた市会議員の報告書みたいなものだ。真に受けちゃ、だめだよ(苦笑)。

No.486 6点 ゼルダ- カーター・ブラウン 2019/03/11 00:06
人並由真さんが「キー・クラブ」の評のなかで、本作についてミョーに気になる書き方をされていたので、面白がって読んでみることにしよう。評者カーター・ブラウンはまったくのお初である。
私立探偵ホルマンは、ハリウッド女優ゼルダが招いたパーティのトラブル処理係として雇われた。パーティの客は元夫たち3人と、情交のあった南米独裁者の黒幕、ゼルダが踏み台にした先輩女優...パーティの目的はゼルダの自伝映画を作ることの発表で、その出資を出席者に強要しようとするものだった!
はい、もちろんこれ、体のいい恐喝です。ロクでもないな。ヒロインからしてお下劣なわけで、訳者は田中小実昌、訳文もノリノリでお下劣。そんな具合だから、当然殺人が起きて、元夫の一人が殺される。でも何となく言いくるめられて、ホルマンは翌日正午までに犯人を見つけないと、自分が犯人にされてしまうハメに陥った(おいおい!)ホルマンは犯人を見つけられるか?
なんだけどね、このホルマン、主人公のクセに私怨が優先するような男で、しかも内職もあるし...と「真相なんて下らん!」と言わんばかりに豪快に真相が二転三転して、あっけにとられる。
本作の真犯人って、明文では言ってないけどさ、作品の最後で自殺する人じゃない、別な人物なんだよね....だから本当は、山田風太郎のアレと同じような小説なんだよ。多分人並さんが「<ある理由>ゆえに稀少なトンデモナイ一冊」と書かれた<理由>とは違うかもしれないが、この豪快さゆえに「トンデモナイ一冊」だと評者も思う。
キャラはペラペラ、話を進めるだけでデテールなんてロクになし、おっぱい揺れまくり、主人公を含め全員ロクでなしの悪党揃い...とイイトコなんてなさそうなんだけど、突き抜けた豪快さに一読の価値がある。いや本当に人並さん面白い作品を教えて頂きました。

後記:この<理由>いろいろ考えたのだが、もちろん単純ミスの可能性もあるけども、評者のヨミが正しいならば、意図的なミスの可能性も否定できないと思うんだよ....どうだろうか?

No.485 5点 - ボアロー&ナルスジャック 2019/03/10 23:32
ボア&ナルって傑作・名作は多いのだけど、今ひとつ「巨匠」感が薄いのは、何でかなあ?なんて思うのだが、本作でもそうなのだが、初期に確立したスタイルの自己模倣が多いせいかも。中編2つを収録した本書、「譫妄」は「悪魔のような女」+「犠牲者たち」みたいだし、記憶と現実の齟齬に苦しむ「島」は「影の顔」の焼き直しみたいなものだし..と過去作品の既視感が強いんだよね。ううん、困った。まあ手慣れた筆なので、そう退屈というわけではないんだけど、驚きや意外性はまったくない。仕掛けも斬新というほどでもないし....強いて言えば「譫妄」の、主人公の追い詰められっぷりが、本人はともかく実はどうでもイイ話だったりして、虚しいあたり、かなあ?
積極的に褒める材料には乏しい。仕方ないか。

No.484 6点 ダシール・ハメット伝- 伝記・評伝 2019/03/10 23:18
ハメットのアメリカ共産党歴については現在結論が出てる状態なんだけど、本作はそれ以前というか、ハメットの基礎的な伝記情報を整理してまとめた雰囲気の伝記である。実際、本作のベースは1969年に書かれた著者ノーランの先駆的なハメット研究(MWA特別賞を獲っている)わけだから、それ以降のハメット論のベースを作った伝記である。どちらかいうと、著者の立場がオーソドックスで保守的なこともあって、ある意味「ハメット伝説」的な印象も強い。ハメットを左翼にしたがらないとか、ヘミングウェイとの影響関係に否定的とか、いかにもアメリカ人らしい思い入れが見え隠れする。
なので、評伝、という場合の「伝」はしっかりしているのだが、「評」の方はやや食い足りない。勿論ハメットが作り上げたハードボイルド文体のオリジナリティは高いのだが、それでも評者はアメリカン・リアリズムの伝統やシンクレアとかドス・パソスなどとの同時代性を考慮するべきだと思っているわけでね...まあ、本作はそういうことを論じる上でのベースみたいなものだ、と思ったほうがいいのかもしれない。
それでも、リリアン・ヘルマンとの関係、アリューシャン列島での兵役、映画業界・ラジオ業界との関係など、語られにくい情報もいろいろと手に入る。とくに、「影なき男」以降、何度も新作を書きかけては挫折を繰り返す様子が痛々しい。ラフリーの「別名S・S・ヴァン・ダイン」に描かれた、宿敵ヴァン・ダインの像を思い起こさせる。そのうちやろうと思っているのだが、「影なき男」もサブカル影響が絶大な作品なんだよね....

No.483 6点 封印の島- ピーター・ディキンスン 2019/03/09 22:27
ポケミスでは紹介が本作をすっ飛ばしたために、「眠りと死は兄弟」でいきなりピブルが失職していて「えっ」となるのだが、本作で失職理由がちゃんと描かれるか、というとそうでもない(苦笑)。それでも人を二人死なせて詰め腹、ということなのだろう。
本作はスコットランドの西の海に浮かぶ島にある、証印神授教団という終末論的キリスト教系新興宗教団体のコミューンが舞台。この教団の客分として滞在するノーベル賞科学者に呼ばれて、ピブルはこの島を訪れる。この科学者はピブルの父の元雇い主で、若くして父を亡くしたピブルは、父とこの学者との間にあった確執の真相に、個人的に強いこだわりがあった....教団とこの科学者との関係も今ひとつうまくいっていないようで、科学者の回想録出版を巡ってピブルに一役買わせたい狙いがあるようでもある。ピブルは信者の中に、元犯罪者が混じっているのに気がつく。
こういう話なので、ある程度キリスト教の知識があったほうが楽しめよう。聖書の言い回しをパロったりパラフレーズしたり、とイギリス教養派っぽい饒舌さを面白がるべきだ。この老科学者というのが、何とも身勝手だが妙に憎めないキャラで、一方的にまくしたてる思い出話の中に隠された、科学者の自己弁護と何食わぬ隠蔽とを、ピブルは探りながら父に思いを寄せる、という屈折が何ともディッキンスンらしい。
一応ピブルシリーズは「本格」枠と捉えられているようだけど、実のところ「英雄の誇り」でも「盃の中のトカゲ」でもスリラー要素はかなり多い。本作はパズラー要素がほとんどなくて、最後は海洋冒険小説みたいになる。ホーンブロワーに言及するのがご愛嬌。それでもピブルが幽閉された石造りの独房から抜け出すプロセスや、007ばりにヘリを撃墜する策略とか描くのに、ハードボイルドな客観描写ではなくて主観的で内面的な描写が丁寧なあたりが、極めてイギリス的な冒険小説テイストがある。まあ日本のマニアがパズラーとスリラーを分けたがるだけのことで、イギリスはここらがごっちゃな事自体が「イギリス流儀」と思うべきなんだろう。

No.482 6点 ブルー・ハンマー- ロス・マクドナルド 2019/03/09 21:52
「別れの顔」以降のロスマクって、精神分析カウンセラー小説みたいなもので、小説としての結構がなおざり気味で作家としていかがなものか?と評者は思っているのだけど、最後の本作はこの陰鬱路線にも飽きてきたのか、雰囲気が明るめでプロットの二転三転もあって復調を見せてきている。それでも、父親探し部分は少々ムリ筋っぽい気もするし、毒親にトラウマを植え付けられた若いカップルは途中で登場しなくなるし...と陰鬱路線の定番要素がストーリーの妨げにしかなっていないので、完全復調とまでは言えない。次の作品こそ勝負だったろうから、見たかったな。
で絵を追って...ってネタ、短編になかったかな(「ひげのある女」)。本作実は真相が二重底で、一段目の真相だと動機とか経緯が今ひとつ納得がいかないのが、二番底で納得がいく。まあ読んでてこの二重底は見当がつくんだけど、謎の解明感がしっかり出るので、これがいいあたり。ただしこの二番底の解決は、細部をくだくだしく説明してないので、読者がうまく頭の中で補完する必要がある。ここらの見切りは読者によっては不親切と取るか、粋な省筆とみるか、はあるかもね。
ロスマクをパズラーとして読む、というのが流行ったんだけども、それだったら本作が一番パズラー寄りかもしれないよ。ロスマクって本当に試行錯誤の作家だったような思いが評者はある....

No.481 8点 ペキン・ダック- ロジャー・L・サイモン 2019/03/07 21:03
モウゼズ・ワインって実は探偵像として画期的だったのでは?と思うのだ。確かに、70年代のネオ・ハードボイルド探偵たちって、スペードやマーロウやアーチャーと違って、「トモダチにできる」探偵なのだが、それは古典ハードボイルド探偵が担っていた「ヒーロー性」が、トモダチにするには重すぎるからなんだけど、ワインの場合には、さらにもう一捻りも二捻りもあるのだ。
ブランドステッターでも名無しでもフォーチュンでも、地に足の着いたキャラなのだが、その扱う事件が「この年でないと起き得ない」ような事件ではなくて、普遍的なキャラと普遍的な事件として、時代に縛られていない。しかしね、ワインは違う。ワインだけは、時代の中で生きており、その事件も明白にその時代の刻印が押されている。歴史の中を生きている探偵なのだ。
本書の舞台は四人組追放に揺れる時代の中国である。古参コミュニストの叔母ソニアの主催する第五次米中友好調査旅行団に、叔母に強制されてワインが紛れ込む。旅行団は香港、広州、上海、北京と移動していくが、トラブル続きである....広州では死体を目撃するし、上海ではチンピラの襲撃を受けるし、果てはメンバーが新聞社に潜入を図ったという難癖をつけられて、北京に着いた日には翌日には国外退去処分になる...というその日に訪れた紫禁城の秘宝館から「漢朝の鴨」と呼ばれる秘宝を盗んだ廉で、逆に秘宝が見つかるまでホテルに軟禁されるハメに陥った! 叔母に尻を叩かれてワインは重い腰を上げるが...
という話。昔懐かしの共産中国である。で特に毛沢東というと今で言うポピュリズム傾向が強いから「専門家を疑え」というアマチュアリズムの体質があるんだよね。だから「探偵」なんて仕事は、

「ブルジョワ個人主義の純粋な形だ....おれはひとりで働き、ひとりで暮らす..."こんな卑しい街を一人の男が歩かなくてはならない(チャンドラーですよ!中略)彼こそは英雄なのであり、彼こそはすべてなのだ"」
「かわいそうな人ね!」「どうして?」「どうやって、一人の男がすべてでありえるのよ?」

と完膚なきまでにやっつけられる(苦笑)。「どうやって、一人の男がすべてありえるのよ?」こそ、まさしく正論だから手に負えないや。まさにワインの立場は本人もよく承知しているとおりに「おれは、左翼の傍観者みたいなものだ。いつもそうだ。それに、アメリカ人消費者で、革命を買いに中国に来たんだ」と正直に告白せざるを得ない。ハードボイルドの美意識を消費するだけの嘘くささを、そのまま「嘘くささ」として、ワインは半ば顔を背けながらも、認めることになる。
しかし勿論本作での中国はユートピアでもなんでもなくて、ヒロインのリューは「わたしたちは、狂信的超愛国主義の世界に住んでいるのよ」と言いはなつ。それでもワインにとっては、小説の世界で都合よく馴れ合わない「他者」としてこの「中国」が顕現しているのである。だからこそ、探偵小説は相対化されるのだ。本書はメタ小説なのだ。

あなたはきっと、探偵小説が好きなんでしょうね
―いや、好きじゃないよ。プロットのためならば、何でも犠牲にするからね。

No.480 5点 影の護衛- ギャビン・ライアル 2019/03/03 22:14
本というのは値段が高いから面白い、なんてことは絶対にないのが良いところなのだが、そう考えてみたら、古本屋の百均棚に並ぶ本で面白いのを掘るのは、ちょいとしたレア・グルーヴ掘りみたいなもので、当サイト的にみてホントは意義があるのでは....なんてことも考えるのだ。そうしてみたときに、70年台~80年台ポケミスって、いいものだ。訳文もそう古臭くないし、洒落たものも多く、翻訳だから最低レベルの確保はあるし....で、しかも当時よく売れた本が多くて、タマ数が豊富なせいで古本屋価格は値崩れしている。いいじゃないか。ミステリのレア・グルーヴだと思って掘っていこうか。
で、ライアルの本書。マクシム少佐シリーズの第1作。妻をなくしたばかりの現役の軍人だが、ホワイトホールの保安職員として出向したマクシム少佐が主人公。出世街道からは外れぎみだが、特殊空挺部隊のSASにいた経歴の肉体派である。男臭さがムンムンする。お目付け役の首相補佐官ハービンガーと、MI5との連絡係のアグネスと連携して動く、首相直属の私立探偵みたいなポジションである。まあだから、あまり表立っての派手な事件で動くわけじゃなくて、差し障りが多く微妙な案件を内密に....というあたりの担当になる。
今回の中心人物は核戦略の大家である軍事学者タイラー教授。この教授が提唱する方針をNATO諸国の核戦略会議での、英国の切り札にしようとしている大事な時期に、教授の周辺で奇妙な爆弾騒ぎがあり、教授の秘密を巡る駆け引きがあるらしい...マクシム少佐は教授の護衛を申し付けられる。
というあたりが発端。チェコの女スパイの亡命騒ぎにもこの教授の名前が出るし、自殺した国防次官補の妻が教授の秘密を暴露した手紙をもっているらしい...となると、KGBも絡んで途端にキナ臭い話になってくる。マクシム少佐が体を張る場面はあるが、あっさりしていてそう引きずらない。それよりも雰囲気が陰鬱で、どうもすっきりしない。
でしかも、この教授の戦争中の行動にはばかられることがあるんだけども、

われわれがもっている中で、あなたが最高の武器だということだ、教授。あなたを守ることがわたしの仕事だ。わたしがやるのはそれだけだ

とマクシム少佐は軍人らしく割り切るのだが....けどこの割り切りもどうもすっきりしないし、結末もすっきりしない。ううん、困った。どうもモヤモヤとし過ぎる作品だ。

No.479 5点 この荒々しい魔術- メアリー・スチュアート 2019/03/01 00:23
ジブリ系アニメの「メアリと魔女の花」の原作、ということもあって、時ならぬ紹介がされたメアリー・スチュアートなんだけども、この人CWAでもシルバーダガー獲ってるミステリ作家である。けども日本の紹介はあまりちゃんとされているとは言い難い。筑摩書房「世界ロマン文庫」で読んだのだが、このシリーズ、クラシックなスパイ小説がメイン?という狙い所がよくわからないシリーズで、アンブラーの「墓碑銘」とかバカンの「緑のマント」とかグリーンの「恐怖省」は珍しいわけではないが、イネスの「海から来た男」とかチルダースの「砂州の謎」とかがレアである。その中に本作みたいな女性向けロマンス小説withスリラー、という作品も含まれるわけだ。
本作はタイトルからそうなのだが、シェイクスピアの「テンペスト」が下敷きになっている。クリスティでも晩年の「ハロウィーン・パーティ」が「テンペスト」下敷きの作品だしシェイクスピアでも大名作の一つだから、イギリス・ミステリを楽しむ上での必須科目くらいに思って読んでも損じゃないと思うよ。まあ本作、テンペストの島のモデル?とされるギリシャのコルフ島が舞台。宮崎駿のネタ元であるオデッセイアのナウシカアの話もこの島らしいや。この島に結婚して住む姉を頼って、バカンスに来たイギリス人女優の主人公が、引退したシェイクスピア俳優とその息子などの、島のイギリス人たちの間で、犯罪と恋に翻弄される、というような話である。まあおよそのんびりした話なので、イルカと戯れるバカンス気分で読むくらいが適切。後半は結構スリラーで、悪人のボートに犯罪の証拠を掴むために忍び込んで、殺されかけるとかあるのだが、あまりベタにヒーローに救われるとか、そういうものではない。ハーレクインなベタなロマンス・スリラーというよりも、各章の冒頭に「テンペスト」の一節が引用される、おっとりした古風で文芸風味のスリラー、といったくらいかな。丸谷才一訳、というのが何かそれっぽい選択な気がする。
読んでるうちはそう退屈するものでもないのだが、特に押し切れる内容があるほどでもない。ヒロインが主体的に冒険しちゃうのがまあ、いいところなのだが、自意識過剰すぎるのが読んでいてうるさくも感じる。タイトルがイイから昔から読みたく思ってた作品だが、それほどのものじゃなかった。残念。

No.478 6点 大統領の遺産- ライオネル・デヴィッドスン 2019/02/24 11:27
本サイトでも今のところ評者くらいしか、デヴィッドスンを好きで取り上げる書評家はいないようだが、CWAゴードダガー3回+生涯功労賞のダイヤモンドダガー受賞、と英国趣味なヒネリが合うんだったらこれほどナイスなスリラー作家はいない。あと「極北が呼ぶ」はやろうと思うんだが、さすがに「スミスのかもしか」は誰か本を持ってる奇特な方にお任せしたいとおもう...探してはみるけどねえ。
受賞が証明するハイクォリティが、なぜ日本でウケないのか、というと、ヒネリ具合が一風変わっているのと、イギリス流のユーモアとウィットがありすぎる会話(行間を読まないと理解できないことがある...)、事件の背景がほぼ日本人に馴染みのなさすぎる世界だ、というのがあるだろう。今回は、イスラエル建国の父で初代大統領のハイム・ワイツマンが「石油の農産物からの合成」を若い日に研究し成果を挙げていた?という根拠を掴んだワイツマン書簡編纂に携わる歴史学者が、この発見を巡ってスパイもどきの陰謀に巻き込まれる話。「シロへの長い道」同様に、半分以上舞台はイスラエル。最後は十字軍が築いた海沿いの城塞を舞台の逃亡劇で、少しだけアクションがある...主人公を監視しているような謎のインド人研究者、敵に内通しているのは誰か? アラブ諸国or石油会社がウラで手を引く襲撃をかいくぐり、合成法の手がかりを追って主人公はイギリスとイスラエルを往復する。
というと、凄くエンタメした話に見えるんだけど、デヴィッドスンなのでリアルで地味。ただしキャラ造形などに工夫があって、エンタメらしくないエンタメである。ワイツマンの石油研究の手がかりだって、死の床のワイツマンの口述筆記が、筆記者がちゃんと聞き取れず理解できなかったコトバから、その辻褄をいろいろと解釈して「暗号解読」するようなものだから、パズル的な面白さだってあるんだけどねえ。
・主人公の父は元ソビエトの高官だが、モロトフ失脚でイギリスに亡命し、主人公は少年時代にピオネールに入ってたプロフィール
・ワイツマンの私室だった部屋で、嵐の番に主人公が「ワルキューレの騎行」をハミング(イスラエルではヴァーグナーは御法度)
・カイザリアのローマ式円形劇場遺跡での戦没者追悼記念日があって、オケの指揮はズービン・メータ、ゲストのソリストがバレンボイム、メニューイン、スターンと超豪華(ゾロアスター教徒の指揮者のメータを除外して、豪華ユダヤ人演奏家なのが面白い)
こういうデテールの面白みでついついページを繰ってしまう小説なんだが、読み手への要求もかなり大きい。変な比較だと思うが、デテールを愛でる小説というと、小栗虫太郎とか中井英夫みたいな小説なのかもしれないや。まあそれでもこの人、独特のヒューマンな味もあって、そういうあたりも面白い。石油合成法に一番肉薄した重要書類を保存していたオールドミスから、亡き婚約者の遺品である書類を主人公が譲り受ける。

その時、彼女が紅を引き、ハンドクリームを塗ったのは、わたしのためだけではないと、気づいた。それはいわば、聖なる儀式のようなもので、この場にいるジャック・ボトムリーの亡霊に別れを告げている証だった。

このオールドミス、ほんのチョイ役なんだけど、ここまでナイスなデテールが用意されている。贅沢といえばこれ以上のものはなく、小説技巧の冴えではトップクラスの大作家なんだとは思うんだけどね....それを玩味できる読者を選びまくるのが、なんとも残念なあたりでもある。

No.477 6点 闇に消える- ジョゼフ・ハンセン 2019/02/20 21:04
紹介は3番めになったために、裏表紙では「第三弾!」となっているが、これがシリーズ最初の作品。このシリーズばっかりは、デイブの恋愛遍歴の興味が大きいので、最初から読んでいった方がいいようだ。
デイブ・ブランドステッター初登場の本作ですでに、恋人のインテリアデザイナー、ロッドを癌で失って、その喪失感からようやく立ち直ろうと...というあたりで始まる。まだ父親も生きているがアマンダは出ないし、「砂漠の天使」で活躍する黒人の恋人のセシル君も本作では出ない。それでもマックス・ロマノの店とその常連たちは出る...という配置。事件はというと、田舎町のカントリー・シンガーとして突如人気が出て、市長選にも担ぎ出された男が、嵐の夜に車が川に流されて失踪した。死体が上がらないので、本当に川で死んだのか?を疑う保険会社がデイブを派遣する。

(少しだけバレかも..犯人当ては全然バレませんがねえ)
でまあこのシリーズ、ご期待通りに事件の背景に同性愛があるわけだね。舞台は田舎町なので、同性愛差別もてんこ盛りな連中多数。市長選の対立候補はこの秘密を掴んで、市長選を降りるように脅迫する...なんてことも、ある。ここらへんの描写が心に痛いな。アメリカの方が宗教が絡むから、「個人の趣味」じゃ効かなくて差別がキッツイんだよ。世間的な成功もこれはただただ妻を喜ばせるためだけに本心を押し殺した演技だった..というあたりも悲しい話だよね。カントリーってマッチョで保守的な白人が大好きな音楽ジャンルになるからね、表現者としても矛盾してツラいものがあるなあ。
ただ、こういうあたりの話だったら、本人を殺さないほうがずっと小説としての興趣に満ちたものになるようにも思うのだよ。本サイトでこういうことを言うのは何だが、ミステリにしちゃったためにもう少し突っ込めるあたりが突っ込めなくなった、ようにも感じる。ミステリっていろいろな意味でとっても「便利」なフォーマットなんだけど、その便利さにも評者は少しは慎重になりたいな。
それでも丁寧に書かれた小説的な陰影の強いミステリである。ラストもなかなか、いい。パートナーを失った男同士の交歓、とやや明るめで終わる。

No.476 3点 雷鳴の中でも- ジョン・ディクスン・カー 2019/02/17 22:01
初期の「絞首台の謎」とか「髑髏城」は、パズラーとしては駄作でも、ビザールなロマンとしては雰囲気があって中々いいものなのだが、一口に「駄作」と言っても、本作みたい後期の駄作はその「駄作さ」に大きな違いがあるように思うよ...本当にメリハリがなくて、読んでいてすぐ眠くなる。評者でも読むのにやたらと難渋した。
まあ何というかね、ヒロインのオードリーがやたらと自分勝手に動きたがって迷惑なくらいだし、ハサウェイは妙に傲慢な態度で他人をバカ扱いするし、デズモンドはええカッコシイだし...と、嫌なやつばっかりというのも困ったものだ。でしかもフェル博士の推理だって、こういう腹にイチモツな人々の行動の意味や狙いを、深読みして話を組み立てているものなので、「そうとも見えるけど、それが正しいかどうかは、実のところ疑問」というくらいの説得力しかないように感じるよ。まあトリックというかミスディレクションというか、そういうものはあるけど、全然魅力的じゃない。ふう、単に疲れた。
カバーに大っきくハーケンクロイツ出してるんだから、ヒトラーくらいちゃんと出してよ....と思うのだが、カーって社会や時事に全然関心がないんだな。クリスティですらテディボーイや若者風俗を出してる作品があるのに、人間観が戦前で固定しちゃってるのかね。
(作中に登場するナイトクラブのデザインソースになった悪魔派の画家ジャン・ジャンビエ(Jan Janvierか?)を検索してみたけど、それらしい画家は見つからないや。カーの創作かねえ)

No.475 7点 海鰻荘奇談 香山滋傑作選- 香山滋 2019/02/12 20:43
第一回探偵作家クラブ賞(新人賞)受賞の名作を含む、現在新本で手に入る河出文庫の傑作選である。香山滋だと代名詞的作品である「オラン・ペンデク」も「海鰻荘」も、連作した後日譚にあたる兄弟作を一緒に収録しているあたりがウリである。
本来「ロスト・ワールド」とかハガードの秘境冒険小説が最初のネタなんだけども、国枝史郎や小栗虫太郎らの手で戦前の日本で独特の進化を遂げた、日本版の「秘境ロマン」の最後の後継者になったのが、この香山滋である。
そもそも日本では、秘境は征服「する」ものではなくて、秘境に征服「される」ものなのだ。その謎に挑むものは、秘境の怪異な美に囚われて恍惚のうちに秘境に飲み込まれていく...その美と法悦を描く方向に、日本の秘境冒険小説は逸走していった。言ってみれば、ラヴクラフトと同質の「怪異への恐怖×愛」が、日常の外側・日本の外側への脱出への夢として、昏く紡がれていったわけなんだね。戦前のミステリはというと、乱歩自身もこういう志向がかなりあったから。探偵作家クラブ賞でもそう違和感もなく香山作品がすんなり受け入れられたわけだ。
しかし、このような昏い夢は戦後の復興とともに、雲散霧消してしまったようだ。この傑作選でも1940年代の作品は、実にいい。が50年代の作が2作収録しているが、何か手慣れてしまって熱がない。小説としては明らかに言葉足らずな処女作「オラン・ペンデクの復讐」が、妙な熱気で読ませるのとは対照的である。
で代名詞的名作「海鰻荘奇談」である。
―にくい?―
―にくい!―
―ころす?―
―ころす!―
―いつ?―
―こんや!―
ささやき声で交わされる老博士と、不義の子の美少女との会話(ひらがながエロい)、新婚の愛を象った大プールも、裏切られた愛によって醜いウツボが群がる地獄の池に...そして骨だけがはいった皮袋のような奇怪な死体。と香山ロマンの頂点の大名作である。愛の法悦がそのまま地獄と化す怪奇美の世界をご堪能あれ。

香山滋の後で、この世界を継承できたのは諸星大二郎だけだと思うんだよ。「海鰻荘」モロ☆先生漫画化しないかなあ!

No.474 8点 ダブル・スパイ- ジョン・ビンガム 2019/02/10 22:30
これぞハードコア・スパイ小説、というオモムキの作品である。英国諜報部の幹部デュケインは、スパイを志願した男ザグデンを、敵への餌「小魚」として東側に潜入させる。ザグデンは自らの任務が、ソ連の諜報部に逮捕されることだと承知していた。はたしてザグデンは、ソ連諜報部に逮捕されて、果てしない尋問を受ける。ソ連にはザグデンが諜報部との繋がりがあることがすでに露見していた....デュケインの狙いは何か?囚われのザグデンの運命は?
というような話。なので獄中のザグデンの内省と、延々と続く尋問、デュケイン率いる諜報部での対応といった、アクションなんてカケラもない地味な小説なんだが....いや、これ面白い。著者のビンガムというとル・カレのジョージ・スマイリーのモデルと言われるMI5幹部のわけで、デュケインの人物像はジョージ・スマイリー以上にスマイリーである。モンテーニュかラ・ロシェフーコーか、と犀利なモラリストばりの人間観察を随所に見せて、半端じゃない知性を感じさせる。

大きな悪と戦うために、詭弁や策略などの小さな悪を利用することは、どの程度まで許されるのだろうか?

虚偽と非情のただなかにいるときには、何かの支えとしての誠実さを固守しなければならない。さもないと魂が地獄に落ちてしまう

納税者は何か前からわかっていた情報を期待するものだ

だから、というか、職業的な人間観察者であるがゆえに、デュケインは「人間はしゃべりだしたら何もかもしゃべるものだ」と一般理論を引き出して、小説中でその理論に足を掬われることになる....

われわれはみんな、他人の不幸を平気で見ていられるほどに強い(ラ・ロシェフーコー)

デュケインの躓きの石はまさにそういうこと。そういうアイロニーから小説は最終盤に大きく動き、ザグデンを見捨てるのも致し方なし? からさらにアイロニカルな状況がラストの急転直下になだれ込む。激シブな洞察の効いた小説なんだけども、最低限かもしれないがちゃんとしたエンタメになっていて、ここらへんのさじ加減も素晴らしい。
まあル・カレってね、リアルスパイとは言うけども、実のところベタにエンタメな部分がウケたわけなんだが、本作はそういうベタが一切ない、スパイ純度100%な小説である。評者の評価ははっきり「ル・カレに優る」である。

(そういえば評者昔「第三の皮膚」も読んだことあって、結構好きだったな。フレミングにせよモールにせよビンガムにせよ、英国諜報部出身者が書くのは実にひねった小説なのに、何でル・カレはそうじゃないんだろうね。本作みたいな佳作が埋もれているのは実に惜しい)

No.473 5点 ダイヤモンド密輸作戦- イアン・フレミング 2019/02/10 14:27
本作は「ダイヤモンドは永遠に」じゃないが、007の活躍する「永遠に」と同様に、ダイヤモンド密輸を取り締まる「国際ダイヤモンド保安機構(IDSO)」の捜査員からフレミングが聞いた話をまとめたルポである。というと、「永遠に」の元ネタ?という疑問はもっともだが、実は「密輸作戦」は「永遠に」が出版された後に、興味があるだろうと紹介した人がいて、フレミングが捜査員ジョン・ブレイズ(仮名)の話を聞く機会をもったわけだ(苦笑)。
ダイヤモンドの採掘・流通が大英帝国の版図の中で発展した経緯もあり、イギリスの帝国経営とも密接な関係があって、盗掘・密輸を取り締まるこの「国際ダイヤモンド保安機構」は、MI5の長官が辞職した後に設立したものだったりする。名目上は「民営」の秘密警察みたいなものだが、海軍情報部に居たこともあるフレミングとしてはまんざらご縁がないわけじゃない....というのが本当は「永遠に」のネタ選択にも影響があるらしい。
けどもね、本作の「ダイヤモンド密輸」は泥臭いものである。アフリカの原住民たちが採掘会社に雇われて、ごまかして原石を持ち出すとか、無権利での盗掘とか、選別工程でのちょろまかし、といった小さな不正でダイヤが手に入ってしまう。実際、原住民たちから見たら、刑罰は利益と比べたら微々たるものなくらいだ。だから裏で流通するダイヤは表の何倍にも、とは量的にはそうなのだが、実際はグレードの低い工業用ダイヤばっかりみたいだ。それでも東側諸国は工業用途でこれを買い漁るので、なんとかしなきゃ...という冷戦事情もないわけじゃない。
まあそんな地に足のつき過ぎの泥臭い話。だから密輸を減らす一番の特効薬は、会社が事情に目をつぶって、裏のダイヤを買い取る窓口を、おおっぴらに作ることだったりする...アホらしいといえば全くそのとおりで、これによって密輸がガタンと減ったらしい。取締も実際にはダイヤ価格をコントロールするための手段として使われているだけのことである。
「永遠に」のウラには何とも泥臭い話があるんだ、というのをフレミング自身がレポートしているのが何とも皮肉なところではある。まあ世の中こんなものさ。

No.472 7点 007/ダイヤモンドは永遠に- イアン・フレミング 2019/02/08 00:08
007というといくつか伝説があって「JFK御愛読!」は有名なんだが本サイト的にはどうでもいい。しかし「レイモンド・チャンドラー絶賛!」の方はやはりひっかかりがあろうというものだ。
で本作、もともと「チャンドラー風スパイ小説」と呼ばれていたシリーズ中でも、一番チャンドラー風味が強いように感じた。舞台はアメリカで、ギャングたちの中にボンドが潜入する話で、結構警句も飛ばしてくれる。ボンドガールのティファニーも悪女系で元々敵方なのが裏切るタイプだし..とハードボイルド・タッチがシリーズ中でも一番高い話だろう。
とはいえ、それだけじゃ、ない。読んでいて一番「チャンドラーっぽい!」って感じるのは、会話は直接事件に関わらないムダ話をしているのに、いざアクションが始まる..となると、サクッと章を変え視点を変えて結果にすっ飛ばす。こういった省筆の妙味みたいなものが、チャンドラーっぽさの原因のようだ。いいな、粋だな。
話はチンピラにすり替わって、ボンドがダイヤ密輸の運び屋をやって、その報酬を受け取る段に、競馬のイカサマやカジノのイカサマに遭遇しつつ、次第にダイヤ密輸の黒幕に近づいていく、という大変地味な話。なので競馬場のデテールとイカサマの攻防、買収された騎手へのリンチと、ここらへんが一番面白く感じた。地に足が付いたリアルな話なんだよ。チャンドラーが褒めるのも、むべなるかな。
で、カジノのブラックジャック勝負に見せかけたイカサマで、ボンドは密輸の報酬を得て、指令に背いてさらにルーレット勝負で4倍に増やす。合計2万ドル。うち1万5千ドルを、5千ドル紙幣に替えて、Mに郵送で送る....ね、5千ドル紙幣といえば例のマディソンの肖像画。チャンドラーへのご挨拶なんだろ。
ついでだから映画も見たが、コネリー復帰なんだが老けて太って、カッコ悪い。原作の地に足の着いた面白みが全然ない、大味なSF陰謀モノでドッチラケ。思うんだが、ダイヤモンドにこだわってこだわって、その美と魔性で映画にしたら、良かったんだろうとも思うんだよ。宇宙兵器のレーザー増幅器に使うじゃ、ダイヤモンドも泣いてるぜ。

No.471 9点 吸血鬼ドラキュラ- ブラム・ストーカー 2019/02/05 21:06
世紀末ロンドンの闇を闊歩する二大巨頭は...というと一人は言うまでもなくホームズだが、もう一人はドラキュラ伯爵に決っているでしょう。代名詞になるような強烈な影響を、その後のエンタメに刻印したという面で、ここが「ミステリの祭典」だろうとも、見逃すわけにはいかない。
しかもね、本作は実際の内容も、かなりミステリに近いものがある...というか、後半はヘルシング教授率いるハンターたちが、ドラキュラを追跡し追い詰める「マンハント」のお手本みたいな作品である。ドラキュラはモンスターの帝王だが、周知のような弱点も多いわけで、その弱点をヘルシング教授たちは「合理的」に突き、「時代遅れの怪異」を理性によって鎮めるわけである。構図はミステリそのものじゃないのかしら?
で本作は登場人物たちの日記、手記、記録文書、新聞記事などの集合体で成り立っているのだが、この形式もコリンズの「月長石」にヒントを得て...だそうだ。本作の場合、この形式が一種の「メディア小説」みたいな格好になっているのが非常に面白い。セワード医師なんて蝋管レコードに口述で日記をつけるし、ミナの特技はタイプ打ちだったりする。だからドラキュラに記録を破壊されても、ちゃんとコピーがあるわけだ。でこのような「メディア」性が、最終盤でドラキュラの影響下にあるミナを巡って、探知と逆探知が交錯するような「メディア戦」をヘルシング一行とドラキュラが戦うことになる。19世紀とはとても思えない、実にモダンな発想をしているのだ!
なので、本作はニアミス、というよりも「ほぼミス」と見ていいと評者は思うんだよ。必読の名作であり、少しも古びない大古典である。

No.470 7点 新青年読本全一巻- 伝記・評伝 2019/02/01 23:30
戦前の作品を読んでいるのなら「新青年」を知らないのはモグリというものだ。評者の知ってる70年代ならまだ関係者も生きていて、作家たちも昔愛読していて....とそれなりのプレゼンスがリアルにあったようにも思うよ。だからこそ、桃源社あたりが先鞭をつけた異端作家たちから新青年作家たちへ...という流れを何か自然なもののようにして捉えていたね。
まあそういうルートだと、どうしても「探偵小説の牙城」として新青年という雑誌を捉えてしまうのだけども、実はそうでもない。もっと総合的な都会派娯楽雑誌だったのである。それこそ飛田穂州ありの徳川夢声ありの柳屋金語楼ありの、と有名人の自伝風エッセイもあれば、科学記事、ファッション記事、スポーツ記事も盛りだくさん。読み物として翻訳探偵小説が採用されたのは言うまでもないが、当時の「探偵小説」はずいぶん広くて、SF・ホラー・ファンタジー・ユーモアまでカバーしていたし、国内の創作が盛んになったらなったで、いわゆる新青年探偵小説作家にはあまり入れてもらえない獅子文六だって代表的な新青年作家だし、大佛次郎、山手樹一郎・吉川英治・山岡荘八だって書いている。と新青年の実像を気鋭の文芸評論家集団が複眼で紹介するムック本である。
執筆者は鈴木貞美、川崎賢子、谷口基などなど、モダニズムの研究者が主体だが、上野昂志や笠井潔も少しだけ書いている。それに中島河太郎、日影丈吉、中井英夫、横田順彌などによる思い出話、そして水谷準へのインタビュー、巻末は全巻の目次。なかなか豪華な本である。

<犯罪科学>なる<科学>には、ある種のいかがわしさ、またそれゆえの魅力がある。<科学>という概念のもとにありとあらゆるものを投げ込んでしまう心性、それは<科学>の通俗化あるいは<科学>崇拝とかたづけるにはあまりに過剰だ。

とこれが川崎賢子による小酒井不木の評みたいなものになる。まあこういう本である。多面的だがそれぞれなかなかツッコミが厳しくて面白い。新青年は昭和25年には廃刊になるのだが、たとえば昭和55年に創刊された「BRUTUS」が「新青年の精神を継承する」と謳っていた、というのが面白い。今にして評者は思うのだが、この新青年という雑誌の一番の面白さはエディトリアルな部分なんだろう。バブルを迎える80年代に、ようやく表舞台に立とうとするエディトリアルな感性が、「新青年」という「エディトリアル精神の先駆」と触れ合った、そういう瞬間を記録しているのが一番の本書の醍醐味ではなかろうか。

(最近結構乱歩と正史の不仲が...という話題をよく眼にするけど、正史って人はそもそもモボの教祖みたいな人だったわけだからね。これを落として横溝正史を論じるのはどうかと評者は思うんだ)

No.469 8点 大坂圭吉研究 昭和51年8月 第3号- 伝記・評伝 2019/01/31 22:01
大昔の話だけど、評者杉浦俊彦先生に可愛がられてね、お宅に遊びにいったときに、この冊子を頂いたんだよ。まあ評者が「とむらい機関車」「銀座幽霊」で「大坂圭吉」って書いたのは、杉浦先生に対する評者の感傷みたいなものだから、他意はない。
杉浦先生という人は別にミステリマニアじゃなくて、学校の先生らしく「郷土作家研究」みたいな格好で、大坂圭吉のご実家にある一次資料を整理して、実証的に執筆の経緯を追っているものである。この第3号は「中編探偵小説『坑鬼』 雑誌『改造』への掲載をめぐって」という特集だ。評者的にはまさにタイムリー。
「坑鬼」を読んでいて一番?なのは、この海底炭鉱のリアリティをどうやって取材したのか?ということなんだけど、この「大坂圭吉研究」では結婚した妻の父が、小樽近辺の炭坑の技師だったことを教えてくれる。執筆前年の新婚旅行でほぼ1ヶ月北海道に滞在していたらしい。取材とか炭坑の裏話とか、いろいろ仕入れたんだろうなあ。
であとこの小説の初出である戦前を代表する硬派雑誌の「改造」からの執筆依頼の経緯が綴られる。実際戦前の「改造」だからね、ステータスがあるわけで、新進作家だった大坂圭吉起用が名誉でもあり意外とも捉えられたようだ。これには担当編集者の佐藤績がミステリファンで、これまでも「改造」に探偵小説を読み物で掲載はしたのだけど、

それで、この度も、私の方の本当の腹を申上げますと、新青年に御書きになってゐられる短編位、いやそれ以上に複雑した探偵小説的構成を持ったものを頂戴し度かったのです。編輯部一同の気持ちを率直に申上げますと、「これが本格探偵小説だ」といふことを一度読者に示してみたいと希望してゐるので御座います。
乱歩氏、大下氏、などにはさういふことを言っても、作品から考へても一寸難しさうですし、結局それを貴方に御願い申上げ度いのです。

と「本格」の代名詞みたいな評価を受けていたことが、わかる。なので周囲の注目もかなりあったようで、原稿受領から掲載時期が少し遅れたことから、井上良夫や小栗虫太郎も成り行きを気にして手紙を送っているのが載っている。

と、こういう地道な一次資料まとめがこの「大坂圭吉研究」である。これは自費出版なのだが、古本屋でも引き合いがあるところもあるようだ。評者は「大坂圭吉研究」はこれだけしか頂かなかったが、高校の紀要の抜刷の「大坂圭吉と『辻小説集』」は手元にある。こっちは戦争末期の文学報国会の企画で「原稿用紙1枚」の小説・文章を文学報国会の会員作家から集めて出版した、戦意高揚の掌編の紹介なので、ミステリとは無関係。残念。

No.468 9点 とむらい機関車- 大阪圭吉 2019/01/31 21:24
「銀座幽霊」はB面だったね。こっちがA面。粒ぞろいなのに、「坑鬼」みたいな「戦前を代表する名作短編」と言って過言じゃないのまで、ある。
大坂圭吉は「モダン」の小説としての「探偵小説」を意識的に書いているように思う。風俗だけではなくて、「カンカン虫殺人事件」「気違い機関車」そして「坑鬼」といったあたりは、プロレタリア文学風と言ってもいいくらいに、労働のデテールが登場人物以上に詳細に描かれて、それがミステリとしての「核」の部分にも密接に関連しあっている。だから本当は、大坂圭吉って戦前の探偵文壇で、「非文学派」と「文学派」を一番総合できた部類の作家だったのかもしれないよ。
だから「社会主義探偵小説」を清張流の「社会派」と捉えるのは大いに不足で、「モダン」の振幅の中にプロレタリア文学的な部分も併せて捉えるような視点が必要なのでは、なんて思うのである。実際ミステリの牙城となった「新青年」でも顧問格でプロレタリア文学の批評家の平林初之輔がいたわけだしね...そもそもね、戦前の日本を舞台に、欧米ブルジョア家庭内の殺人事件の小説を持ってくるのは、相当のムリがあるわけでね。浜尾四郎とかやってるけどリアリティなんて出るわけがないんだよ。そうしてみると「日本でリアルなミステリ」の一番誠実な例だったようにも感じるんだよ...
でまあ「坑鬼」。本当にコレに尽きる。ロジックよし、動機も社会派な動機、しかも最後には「海がやって来る」。無主人公でヒーロー性は皆無、文体も映画的な客観性があって、よい意味で「文学的」じゃない。別文脈のハードボイルド、という触覚。それでもモノによる象徴詩みたいにも読めるあたりが素晴らしい。戦前でも屈指の大名作だと思う。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
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