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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1384件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.624 5点 製材所の秘密- F・W・クロフツ 2020/01/05 14:47
評者クロフツ苦手だ...黄金期作家なんだけどね、アリバイ崩し嫌いじゃないんだけどね、地味作品好きなんだけどね...
でサンデー・タイムズ紙ベスト99でクロフツで唯一選に入っているのが本作、しかも長いこと未訳(大昔に抄訳があるんだ!創元での完訳初版は1979年)というわけで、「ピット・プロップ・シンジケート」の原題そのままで「幻の名作」みたいな印象を持ってたから、訳がでたら期待して即刻購入した覚えがあるよ。でも本作パズラーじゃないし...
今回再読して思うのは、「ガーヴってクロフツの後継者だったんだね」ということである。ガーヴって一見奇想天外に見えるけど、実のところ健全なリアリズムに則った「小市民のスリラー」が大得意。本作の作品内容なんて、本当にガーヴっぽいんだな。実際の事件にヒントを得たんじゃないか、と思うようなデテールのエッジが効いた犯罪ビジネスが事件の背後にあって、それを恋愛感情に突き動かされた主人公が、ちょっとした違和感から出発して猪突猛進(少なくとも前半はね)。とシリーズ主人公なんて絶対立てないガーヴそのものな話なんだが....
うん、言いたいのはさ、本作の犯罪ビジネスは大変見事なもの(加点1)なんだけど、クロフツの小説技術が下手すぎる、ということになっちゃうんだ。語り口に工夫のあとなんてまったく見受けられないような、ただ叙述をダラダラ時系列で続けているだけ...デテール描写が重要な作品なんだから、細かく描写するのは必要なんだけど、本当にタダの描写で人物のアクションとかとうまく絡めて説明すればいいのに..とか思い続けで歯がゆいったらありゃしない。キャラ描写に生彩があればまだいいんだが、これがクロフツの大苦手で「類型的」という言葉しか当てはまらないキャラだらけ。メリマンの一人称で語らせるとか工夫するだけでも、ずっと印象の違う作品になると思うんだよ。
というわけで本作の最大の感想は「ガーヴ、偉い!」ということ。いかにガーヴが、クロフツやクリスティのイギリス伝統的なスリラーというものを、モダンに裁ち直したのかに、改めて感じ入ることになった。

No.623 7点 メグレと奇妙な女中の謎- ジョルジュ・シムノン 2020/01/04 17:53
「謎のピクピュス」同様「EQ」に掲載されたまま未刊行の第二期の長編である。いやこれ、別に名作でも何でもないが、実に小洒落た話。大好き! メグレの父性っぽい魅力がキラキラする作品である。
事件はパリ郊外の新興住宅地で起きた引退した勤め人「義足のラピィー」老人殺しを巡る話なんだが、実質この老人の女中のフェリシイとメグレとの奇妙な関係がすべて。フェリシイはちょいと天然さんの「夢見る乙女」。ファッションもヘンにズレているし、行動も思い込みが強くて頓狂。老人の生活について一番よく知る女なのだが、メグレに妙な敵意を抱いちゃったから、話がコジれるばかり。メグレはフェリシイが事件に何も関わってないことは最初からお見通しなのだが、フェリシイは気が付かないうちに事件の大きなカギを握っていたのだ...

伊勢えびを背中に隠しながら、
「ねえフェリシイ....重要な問題がある....」
彼女はすでに警戒しはじめている。
「マヨネーズ・ソースを作れるかね?」
傲慢な笑み。
「それじゃ、すぐに作って、このムッシュウをゆでてほしい」

とメグレも反抗期の娘に対する父親みたいに、フェリシイに伊勢エビを御馳走するのだ。御馳走を食べて、フェリシイが目覚めたとき、事件はすべて解決し、メグレはフェリシイにカフェ・オ・レを作って持って行って、そして去っていく。
何という洒落た話だろう!こんなのも書けるシムノン素敵。今一つ目立たない第二期メグレもなかなか隅におけない。

No.622 6点 ミステリアーナ- 評論・エッセイ 2020/01/03 22:21
長沼弘毅というと、創元のクリスティの翻訳とか、シャーロキアンの草分けとか、このギョーカイのオールドネームの一人なんだけど、大蔵官僚としても実のところ相当の大物だったわけで、ミステリ関連がまったくの余技だったのを見るとスゴイものがある。で本作はとくにシャーロキアンなものではなくて、広くミステリ全般を一種の「ミステリアーナ=ミステリ学」として捉えた短い雑学的エッセイ集である。古い人だから、パズラー中心か、というとそうでもなくて、作品としてはハメットやらチャンドラーやらガードナーも触れていれば、Dr.No を「短い題名」の例に挙げるくらい、1964年の本書で広くミステリ全般に目配りした内容になっている。
「作家の名前」はペンネーム・別名などの話、「探偵の名前」だったら偶然探偵の名前がかぶったマイナー作品の例、「動物犯人」ならそのいろいろな例、「連続題名」なら作家ごとの国名シリーズやら悲劇やら殺人事件やらオベリストやらで揃える例の一覧、「短い題名」「数字入り題名」「色の題名」「動物題名」などなど、どうでもいい話が満載である。このどうでも良さに遊び心を見なきゃね。
ただ、今読んで感心するのは、この長沼氏などの世代が「海外翻訳ミステリ」を読んでた世代じゃない、ということなのだ。海外ミステリは、丸善とかで取り寄せて、原書を読んでるのがアタリマエ、な世代なんだね。戦後の読者が戦前からの翻訳紹介の流れの中で、翻訳紹介された作品ベースにミステリの「流れ」を把握しているのとは全くの別枠で、そんな制限に縛られない海外リアルタイムな視野の広さがあるのである。それこそ最近までなかなかちゃんと紹介されなかったジョン・ロードだってフィリップ・マクドナルドだってセイヤーズだって、この人リアルタイムでちゃんと読んでいるわけである。昔のマニアの「凄さ」と教養の深み、というものだ。
あと、本人が役人というのもあってか、現実の事件や法律の話などを、フィクションと並んで紹介しているのも見逃せないあたりだ。フィクションと現実の微妙な関係性について、さまざまな切り口で考察しているのも、一種の創作論として読むべきなんだろう。
大昔古本で買った本だけど、amazonとか見ると古本出品が多少あるみたいだね。とりあえずご紹介まで。ただし昔のことでネタバレ多数。初心者は避けた方がいいだろう。

No.621 4点 殺人をもう一度- アガサ・クリスティー 2020/01/03 17:39
「EQ」掲載の翻訳が実家にあったので「しなくてもいいか」と放置していたのだが、やることにしよう。言うまでもなく「五匹の子豚」のクリスティ自身の戯曲化である。数藤康雄氏のカラムで少し解説しているのだが、クリスティは「アクロイド」を戯曲化した「アリバイ」が気に入らなくて、その理由は原作に忠実に演劇にしたことで「必要なのは単純化だ」と反省した(「自伝」)。だからクリスティ自身による自作戯曲化は、すべて原作を「単純化」して芝居にしているわけだ。原作がパズラーでも、戯曲はパズラーであるとはまったく言えなくなり、芝居としての分かりやすさ・面白さの方を優先することになる。ポアロ登場作でもポアロを出さないケースも結構あるし、自作戯曲化であっても、原作とは別物と思った方がいいだろう。
本作も原作はポアロ登場なのだが、戯曲では若い弁護士にしてヒロインと結ばれるようにアレンジしてある。当初母の有罪を確信していた弁護士も、ヒロインの婚約者の無神経さに義憤を感じて、ヒロインに協力するようになる...というアレンジがナイス。本人ペースで調査が進む前半は原作よりも自然といっていい。
ただし、後半のオールダーベリーでの過去最現は、どうかなあ。舞台で演じられることはある意味「客観そのもの」だから、それをある個人の主観イメージ、とされたとしても、見る側は客観描写と区別がつかないや。「起きたかもしれないこと」「起きたと信じられていること」「本当に起きたこと」は小説の中では語り手を工夫するなど、叙述に気を付ければ区別ができるけども、舞台で実演しちゃったらどう区別すればいいのだろう?
本作だとある人が述べたことをそのまま舞台で演じて、あとでそれをひっくり返している。これは舞台のミステリとしては評者はアンフェアだと思うんだ。本作は「単純化」したのだけども、単純化が悪い結果を生んでいるように思う。ミステリとしても演劇としても、評者はあまり評価できないなあ。
あと、原作は幾何学的な構成の美があるのだが、この戯曲では構成美は切り捨てられている。これも残念なところ。クリスティの自作戯曲化では駄作の方だと思う。余計な心配だが、本作演じるとなると、俳優さん結構大変だ...早変わりとか回想と今との演じ分けとか、演じ甲斐はあるんだろうけど、負担は大きいよ。

No.620 7点 メグレと謎のピクピュス- ジョルジュ・シムノン 2020/01/03 11:55
年末年始で帰省して大掃除とかしてたら、大昔の「EQ」が出てきたよ。で見たらねえ、おいしい作品が実に山盛りになっていた。シムノンでも本作、「奇妙な女中の謎」、クリスティの戯曲「殺人をもう一度」、スタウトでも「ネロ・ウルフ対FBI」「シーザーの埋葬」など、ちょっとここらで寄り道したくなる作品多数発掘。「メグレ激怒する」の文庫も買うことなかったな...で一番手は本作。メグレ第二期の長編で、単行本としては未刊行。
殺人予告を見つけて通報した男は自殺を図る、その殺人予告通りに女占い師が殺される。その現場には耄碌した老人が閉じ込められていた...この老人は資産家の妻と娘に虐待されているようだった。事件を見つけたのは「三文酒場」みたいなパリ郊外の船宿のおかみ。その船宿にメグレは赴くが、そこで何かが?
と、話が実に多岐に広がっていって、「話、畳めるの?」と読んでて不安になるくらい。
けど、シムノン、これをちゃんと畳んでみせる。犯行予告も老人の謎も船宿の役割もちゃんとつながっていて、メグレはとりとめのない出来ごとの裏にある犯罪組織とけち臭い詐欺行為を暴き出す。お手際お見事の秀作。大名作とまでは思わないが、単行本にしないのは損失の部類。

No.619 6点 匣の中の失楽- 竹本健治 2020/01/02 18:03
ゲーデルによれば「自己言及可能な言語であれば、矛盾する言明が同時に成立する」ことになる。これを小説で言い換えると、「メタな記述を許してしまえば、小説の中の矛盾をあげつらうことに意味がなくなる」なのではないか..と意地悪な評者は思ったりもするのだが、本作の抱えた問題点ってそういうことだと思うんだ。
今回再読してみて、本作、相当に「虚無への供物」のパスティーシュ味が強いなあ、と思う。だからいくつか、本作と「虚無への供物」を比較して、本作が採用できなかったところ、を指摘するのもいいのではないか。まず、1)美少年を出しながら同性愛色は希薄である(苦笑)。エロスは欠いている。ゲイ小説だったアドニス版から滲み出るような「虚無」のエロスと逸脱ここにはないな。それでも5章の謎解きで煙草を吸うシーンは、いい。2)大量死のテーマ。まあこれは荷が重すぎるし、中井の本旨としては戦争による無意味な死とその鎮魂という三島的テーマを共有しているわけで、こんなの担えるわけがない。3)「友情」。「虚無」は謎解きの中で告発はするけども、抱きしめあうような「優しい告発」の良さがある。卑俗なキャラが多い本作は何かギスギスしてるなあ...
と上記の要素が評者に言わせれば、「奇書としては微妙」な「虚無」を奇書たらしてめている根源なんだと思ってるよ。というわけで、本作はアンチ・ミステリではあっても「奇書」とは呼べない。同じ「虚無」のパスティーシュであっても「十二神将変」の方が中井の真意を汲んでいるように思う。
しかしね、本作は「奇書」たりえないことによって、「革命」というか「ぶちこわし」を行ったのだ、とも思う。「三大奇書」なのか「三大アンチ・ミステリ」なのが、今一つよく区別がつかない現状なんだが、本作が示したことは、「アンチ・ミステリは、(いろいろ)書ける」ということなのだ。これを呪縛からの「解放」と取るのか、「堕落」と取るのか、は受け取りようなんだろうけども、「メタ記述」と「推理合戦」によって、「奇書みたいな作品」ってのを、いくらでも書けてしまう、というのを示してしまったのだ。本作が日本のミステリの「ポスト・モダン(あまりイイ印象のない言葉だが)」を開いてしまったのは、間違いない。そういう意味で「メタに画期的」である。

No.618 8点 薔薇の名前- ウンベルト・エーコ 2019/12/31 21:46
今年の〆には貫目のある作品を....と記号学の大家エーコの、中世の秋に舞台を取った「黙示録殺人事件」である。80年に書かれて評者とか「すごい!」という噂ばっかり聞かされ続けて、86年の映画も行ったけどフツーのアクションミステリで(アノーって変な大作が多いなあ)...でようやく90年に日本語訳。もちろん出たらすぐに購入。じらし続けられて、との思いでも懐かしい。
今回の再読では、筋立て以上に、本作が「中世にもし推理小説があったら?」という一種の思考実験なことが面白かった。実際、本作の文体は極めて読みづらいものなんだけど、この読みづらさが実のところ、本当の中世とか近世初頭の文章「らしさ」をかなり忠実に出していて、中世人の皮をかぶった現代人のコスプレ、といったものじゃないのが、いい。バスカヴィルのウィリアムはもちろんしていることはホームズなのだが、その理屈付けは極めてスコラ的で堅苦しい。行動が同じでも、その「思考」は時代によってもまとう姿が千変万化。これは実のところ、本作の背景になる庶民の反抗と、そのイデオロギーである神学的思考の関係とも、同じなのだ。「虚偽の意識」みたいなものをテーマに評者は感じていた...
思うことは行うことを正確に反映したものではなくて、その「行い」を歴史的に主観的に歪めた形(異端審問での告白と同様に)でしか認知しないのである。この歪みはニーチェ的なテーマでもある。そうしてみると、本作で明らかになるユダヤ的僧侶思考とか、「笑うキリスト」といったテーマには、ニーチェという隠し題が潜んでいるのでは...なんて勘繰りたくもなる。まあ「哄笑するキリスト」というのは、ニーチェのディオニュソスなんだけどね。
まあ評者だから、こんな「読み」もしちゃうのだけど、実際本作の「読み」は本作が「書物の書物」なことからも窺われるように、多様でいいはずだが...キリスト教伝統の薄い日本だと、本作のデテールや綾は、どうしても読み飛ばされがちなんだろう。それこそただのアクション・ミステリになっちゃった映画みたいにね。奇書とまでは思わないが、それでも本作の魅力はそのデテールにある。ウィリアムの政治的な企図は挫折するし、推理は外れまくる。直線的に事件を追っていくと、「何だ」ということになりかねない。

一場の夢は一巻の書物なのだ。そして書物の多くは夢にほかならない

...夢に見たまえ。夢こそまこと。

No.617 5点 煙に消えた男- マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 2019/12/28 22:25
マルティン・ベック第二作だが、今回ベックはハンガリー出張。いきなりの番外編みたいなもの。冷戦たけなわな時期でもあって「鉄のカーテンの向こう側」なんて言い回しがポピュラーだった時代だよ。まだから、ハンガリーに到着したベックが何者かの監視を受けている?となると、「秘密警察??」と疑心暗鬼するのをうまく補完して読まないと、「らしさ」が出ないだろう。東欧ネタはアンブラーもライオネル・デヴィッドスンもお得意なのだが、ここらの本格エスピオナージュと比較しちゃうとライトな味わい。ハンガリー警察のスルカ少佐も何かイイ奴だしね。どっちかいうと、国も体制も超えた「サツカン」同士の連帯感みたいなものが香るから、「警察小説」なのは間違いないか。
まあ一応トリックめいたものがあったりもするが、事件はリアルな手口と背景。意外性とか期待するわけじゃないが、全体に軽めの仕上がり。それにしても外務省の緊急の要請でバカンス中断→ハンガリー出張で、妻と気まずくなるベックが気の毒。バカンス台無し。

No.616 5点 メグレと火曜の朝の訪問者- ジョルジュ・シムノン 2019/12/28 00:59
本作は結構変化球だ。初メグレで本作を読んだら??になるに違いない。
メグレの元を別々に踵を接して訪れた夫婦の話である。だから何がどうして...がはっきりしないこともあり、メグレも読者もどうもすっきりしない。メグレは気になりながらも、民事不介入というか、事件が起きているわけでもないので正面切っての介入もできず、不安な気持ちで事態を見守るばかりである。そして悲劇が起きる。メグレも犯人を推理するというよりも、なりゆきの結末をつけるために真相を引き出すだけのことだ。

責任と無責任の間には、あえて踏み込んでいくことが危険な領域、不分明で暗い領域があるものだ

とこの夫婦の「戦い」にメグレは踏み込むことができなかったのだ。ある意味、「メグレの失敗」を描いた、珍しい作品になるように思う。
なので事件の顛末以上にメグレの描写にウェイトがある。メグレ物というよりも同時期の一般小説側に近いテイストを感じる。
(ううん、評者どっちかいうと、男の方に問題が多いように感じるなあ...こういう男、結婚しちゃいけないような気がする。何となく、の思い出だけど、評者河出の50巻のメグレシリーズが出たときに、確か本作を真っ先に読んじゃって??になったような気がするんだ。そのせいか、実は手持ちにはビニールのかかった版が一冊もない。当時ハマらなかった責任は本作にあるのかも)

No.615 7点 鋼鉄都市- アイザック・アシモフ 2019/12/22 23:39
本サイト海外SFのトップスリーの一角になる。SFとミステリの融合としてはお手本的作品で、仮説を立てては崩れてで、手法的には完璧にミステリしてるから、皆さんのお気に召すのは確かだ。
よく時の流れで「SFは腐る」という言い方をすることがあるけども、未来社会を描いたつもりでも、実はその作品が書かれた時代を無邪気に投影しまくってしまってて、時代が移るとそういう「昔みたいな未来」に強烈な違和感を感じて...ということもあるわけだ。評者本作を読んでて、何かGHQ占領下の日本(とかアメリカ統治下の沖縄)でこんな事件とバディ捜査があったら?なんて妄想を膨らましちゃったよ。相互コミュニケーションが最初から本質的な問題になるような「相棒」との疑心暗鬼も含めた関係性、というあたり、なかなかいい着眼点だとも思うんだ。
さらにねえ、今のニッポンってこの作品の地球人の姿にも似ているようにも感じるんだよ。忖度が幅を利かせる閉鎖的な世界になりつつあるんじゃあ....「ガイアツと居心地のいい監獄」の話と本作を読んだら、とってもイマの警世の書になるのかもしれない、がたぶんこれはアシモフの意図とは違うんじゃないか(苦笑)。改めての海外雄飛(処女地植民)が文明論的処方箋、というのはやはりアシモフの時代の限界なんだろう。
まあそれでも、SFと言いながら文明的な摩擦と理解、というあたりの大テーマを、アシモフならではのポリティカルなセンスで裏打ちして地球人・宇宙人・ロボットの三者の相互理解の問題として「ミステリ」の謎に落とし込んでいるあたりが、技法面での面白さになっているようにも思う。テクニカルな手法の面では大古典、といっていい。ミステリとしての「解」がさほど面白くはないのはご愛敬。

No.614 6点 彼方- ジョリス=カルル・ユイスマンス 2019/12/21 21:54
十九世紀の美的生活者、要するに「オタク」の姿を描いて妙な人気のある「さかしま」の作者ユイスマンスが悪魔主義をテーマに描いた小説である。とはいえね、ヘンな期待をしちゃいけない。
主人公はジル・ド・レーの評伝を書こうとしている作家デュルタル。もちろん作者自身を投影していて、美的な懐疑主義者ではあるけども、現代に対する深い厭世主義に捉われている。

ともかく、研究する興味があるのは、聖者と極悪人と狂人だけだ

と、聖女ジャンヌ・ダルクの戦友だった元帥ド・レー、幼児虐殺者であるジル、そして狂ったように悔悛するその最後の姿...とこのテーゼそのままに、ジル・ド・レーの生涯を調べるのだが、その実、このデュルタルの生活は平凡極まりない「退屈」の人生である。そんな自分に対する自己嫌悪から、平凡なプチブルジョアの日常生活から逃れれるのならば何でも、とかなりヘタレた男なのである。

文学にはただひとつの存在理由しかない。それは文学にたずさわるものを生活の嫌悪から救うことだ

と言い放つあたりからも、この男の血の気の薄さみたいなものがうかがわれるだろう。まあだから、大した出来事も事件も何も起こらない。

わが物としなかった女ほどよいものはない

と書くくらいだからそもそもお里が知れるのだが、ヤンデレな人妻イアサントがデュルタルにまとわりつき、デュルタルも魅惑と嫌悪をないまぜにしながら間男をする...で、この人妻イアサントは呪詛の特技で社交界の裏に生息する破戒僧ドークルと関係があり、その手引きでドークルが主催する黒ミサの儀式を覗き見る。この状況は結構詳細に記述されるのだが、邪悪というよりもカトリック儀式のパロディみたいな乱交パーティに過ぎなくて、軽薄な馬鹿馬鹿しさを感じる方が普通じゃないかな。
というわけで、奇書と呼ぶにはあまりに血の気がなさすぎる。「さかしま」同様にヘンな小説ではあるけど、幻滅と自己嫌悪に彩られたインポテンツな作者の自画像といったところのもの。本書は創元の「怪奇と冒険」にジャンル分けされているのだが、本書くらい怪奇も冒険もない本というのも珍しい...と思わず皮肉を飛ばしたくなる。けどまあこのダメダメさ加減が、評者は何が変に「面白い」。

No.613 8点 けものみち- 松本清張 2019/12/20 17:57
日本になぜハードボイルドが根付かなかったのか?という問いに対して、「松本清張がいたから」が一番まっとうな答えになると評者は思ってる。もちろん私立探偵小説、という意味ではなくて、リアルな社会を扱い、抽象的な正義感ではなくてエゴイズムを備えた「個我」としての主人公を立てた犯罪小説、という意味であるが、このハードボイルド定義なら、本作あたりは松本清張ならではの最上のハードボイルド小説になるのではと思う。
主人公は女性、脳軟化症で寝付いた夫を事故に見せかけて殺し、それをきっかけに日本の裏社会の闇に関わるようになる....もちろん善人ではない。黒幕・フィクサーと呼ばれる鬼頭の性的なおもちゃになりながら、殺人のきっかけになったホテル支配人小滝に恋着したり、鬼頭邸の若い衆の黒谷の色目に反発したり..となかなか、お盛ん。一見平穏な色ボケ老人の介護の日々だが、背後には道路公団総裁人事をめぐる暗闘と殺人、暴力団組長の暗殺など、きな臭い事件も見え隠れする。一見温厚な老人たちだが、殺人も辞さない残忍さをその奥に隠し持っているのだ。
もちろん日本の黒幕鬼頭老人のモデルは児玉誉士夫である。しかも本作は児玉がロッキード事件(1976)でクローズアップされる15年近く前(1962)に書かれている。松本清張のジャーナリスティックな能力の高さ・嗅覚の確かさが窺われる。しかも

それほどでもないが、わしもこうなるとは思っていなかった。そこがそれ、いま言ったようなことで、わしの立場くらい、運と、ちょっとした才能があれば、だれでもなれる

と自らの生涯を顧みて鬼頭がこういうのである。絶大な裏の権力を誇りながらも、孤独な老人としての鬼頭の哀歓みたいなものさえ伝わってくる。もちろん鬼頭=児玉の前半生には満州国やら軍部やらと結びついた利権などの、日本史の底知れない闇も介在しているわけだ。だから、その名の通りに、この裏社会の「鬼」に対して、ヒロインの名前は「民子」である。この小説を「民と鬼」の寓話として読むのもまた一興。「鬼」さえも実のところ「民」の成れの果てなのである。
狭義のミステリ、と限定しないのなら、スケール感と内実を併せ持つ松本清張の代表作である。

No.612 7点 犬神家の一族- 横溝正史 2019/12/15 21:25
日本で一番「ミステリな女優」って誰か?と考えると、評者は断然京マチ子である。そりゃさ、大映「黒蜥蜴」だし、犬神松子である。そうじゃなくても人外の「雨月物語」にほぼ人外みたいな「羅生門」...と代表作に人外が来るような、レアな女優である。なので追悼で今年中に「犬神家」やりたかったんだ。御年50過ぎての犬神松子の凄艶な美貌と迫力は、高峰三枝子の及ぶとこじゃないよ...あとTV版でプロデューサーまで買って出た大映京都の美術の大立物西岡善信も今年の追悼である。というわけで、小説も76年の映画も77年のTVドラマもやっちゃおう。
まずは小説。今回読み直して、実のところこの作品、名作というよりも「ミステリ論的重要作」だ、と思いきることにした。というのはね、本作の筋立てを取り出すと、莫大な遺産付きヒロインが、候補者に襲われて乙女のピンチ!、あわやで助かるが死体がゴロゴロ、という話になるわけ。家モノはタダの外枠、実情は「三つ首塔」に近い話なんだ。だから本作は、猟奇スリラーの骨組みで書かれたものなんだけど、結果的に「本格」枠に取り込まれることになったときに、その「猟奇」の合理的解決の趣向を、たとえば角川の昔の解説(大坪直行)だと、本作のこの趣向を「作者が読者に仕掛けるトリック」として読んでいる。これに評者は何か凄い違和感を感じたんだよね。言うまでもなく、本作は都筑流の「今日の本格」モデル作品であるわけだけど、この都筑のモダンな読みも大坪のもう一つ?な読みも、両方とも本作を強引に「本格」に回収しようとする「本格至上主義」の心性というか予断に基づいたものだ、というのが今となると見えてきたように思うんだ。だから逆に、本作を「三つ首塔」に関連付けるのが実は可能だ、と気が付いちゃうと、本作で「トリック」と呼ばれるものが、「猟奇スリラーの合理的解釈」という軸に沿っているものであり、実のところ作者の執筆時の意図はそっちに近いのでは..とも思われるのだ。
まあだから、本作の映像での成功は、佐智殺しのアリバイを両者が無視していることから分かるように、「猟奇スリラー」としてのインパクトにあることは、言うまでもない。でしかも一世を風靡した角川映画第一作、巨匠市川崑監督作品...となると、評者に言わせると妙な尾鰭が付いてきたことになる。市川崑って監督は会社を転々としながらも、最終的に東宝のエースを勤めたから「大監督」には違いないのだが、「絶対認めない」扱いを評論家から受けることも多い、ある種「取扱注意巨匠」というイメージを評者なんかは持っている。スタイリッシュな構図感覚やデザインセンスに優れたものがあるのだが、「犬神家」でもイキって使ったオプチカル処理が何かカッコ悪いし、シリアス場面で妙なギャグで脱力するシーンがある。「ドラマが嫌い」みたいな居心地の悪さを感じたりする...本作を「日本映画の金字塔」とか呼ぶ人の気が知れない。完全に誇大宣伝の部類である。
それに比べると、工藤栄一のTVドラマの方は、こっちこそ、京都の、関西の底力を見せつけるような力作である。こっちだって「光と影の魔術師」工藤栄一である。両者とも、窓や扉を使ってスタイリッシュな構図をキメるのは大得意。しかもこっちは、女盛り京マチ子、である。特に第四話あたりを、オリジナルシーンで決めていて、合わせ鏡の部屋・佐兵衛の写真の前で写真を掲げて焼くシーンなど、ファンタジーと京マチ子の凄艶な美がほとばしるかのようだ。評者に言わせれば、映画なんぞ、このドラマの足元にも及ばない出来である。ポイントを押さえてアピールできる小山明子、嫌味なく金田一と小芝居できる西村晃の助演もナイス。古舘弁護士はきわめておいしい役で、映画の小沢栄太郎もいい。仮面の佐清が琴糸をいじるのは「必殺」だ(笑)。横溝正史本人もTVドラマの方がお気に入りだったようだよ
まあそれでも、映画は音楽はいいし、自然描写はきれい。セットのお金はかかってる。でもあおい輝彦が小太りで絶対に復員兵に見えん、島田陽子はきれいだが...ドラマの四季乃花恵はネットを見てると「宝塚退団後出演」みたいなことを書いてるとこがあるけど、これ在団中の外部出演だからね、ヅカもたまにはこういうとがあるけど、外部出演ポリシーが全然一貫してない。まあ、何かおとなしくし過ぎてて、受動的すぎるようだ。ミステリのヒロインはあまり頭が悪そうでもいけないんだよね...けど、この人、ベルばらで悪女のジャンヌ演じてるから、そういう柄でもなさそうなんだがなあ。あとTVドラマ、現行DVDがくたびれたようなポジフィルムからのテレシネで、クォリティが悪いにもほどがある。ぜひぜひネガからちゃんと起こしたきれいな映像で見たい。

No.611 7点 白昼艶夢- 朝山蜻一 2019/12/09 13:31
さてみなさん、変態さんの時間ですよ!
「新青年」の昔から、「探偵小説」の中にいわゆる「変態心理モノ」が含まれてきて、乱歩もそういう要素を強く持っていたのは、常識だと思うんだがねえ。朝山蜻一といえば、「宝石」デビューで1950年代に「宝石」を舞台に活躍した作家である。懸賞応募で評判を取ったデビュー作「くびられた隠者」、新人作家コンクール第一席獲得の「巫女」、探偵作家クラブ賞候補になった「ひつじや物語」「僕はちんころ」などなど、いわゆる探偵文壇でのプレゼンスもきっちりあった。下って70年代には、「幻影城」での「蜻斎志異」の連載もあれば、各種アンソロによく収録されてもいたし...と、異端だけどマイナーとも言えない、非常に面白い立ち位置の作家だったわけである。
評者昔アンソロで読んでたけど、やはりインパクト抜群だった。今回の再読したものなんか、詳細覚えてるもんだなあ。で、一口に「変態」といってもいろいろあるわけで、蜻斎老人の場合は「サドマゾ」「ボンテージ」「ゴム」「小人趣味」がメイン。だから「オトナの趣味」の部類に入って「合意があるなら、いいんちゃう?」のものだ。SMでも「家畜人ヤプー」みたいなスカトロはないし、マゾヒズムでも荒廃したような自己破壊の側面は薄くて、一途な可憐さみたいなものが伝わるから、状況は「悲惨」でも悲惨じゃない。一言で言えば、「SMの水木しげる」みたいな芸風。特殊化して極端化した愛欲の果てに、ふっとファンタジーに入り込むような明朗さとユーモア感がある。蜻斎老人が描く女性像は、みな自己の快楽に忠実で、その忠実さの果てに斃れようとも、その顔には「戦士の微笑み」を浮かべているような...そんな印象。
この出版芸術社の「ふしぎ文学館」で出た傑作集だと、「宝石」をにぎわした有名作をほぼ収録。昭和ミステリ秘宝の「真夜中に唄う島」で「幻影城」連載の「蜻斎志異」が読めるから、併せれば大体内容を把握できる作家だと思う。狭義のミステリ色は薄いが、まさに「風俗奇譚」といった色合いの短編小説としての味わい深い作品多数。どんでん返しも決まるし、テクニカルには結構上手な作家だと思う。終戦直後の風俗がベースだが、ファンタジックな味付けからあまり古臭い印象もない。今読んでも十分楽しめる作品集である。
個人的には「僕はちんころ」「巫女」「ひつじや物語」あたりの有名作に、「有名なだけあるよね」と思わせる特異性と切れ味があってお気に入り。あとそうだね「人形はなぜつくられる」。ナイスタイトルでしょ。オトナの童話と思って楽しんでいってね。

No.610 7点 結晶世界- J・G・バラード 2019/12/07 16:29
SFのモダンを象徴する超有名作である。本作面白いが、より面白いのは本作が与えた影響と同時代性みたいなもののようにも思うんだ。1966年の作品で、世界の没落を詩的に描いた小説である。ある意味、「秘境を征服するのではなくて、秘境に魅惑され征服される」日本の独特の秘境小説(国枝史郎・小栗虫太郎・香山滋)が海外SFとして書かれたようなテイストである。この頽廃感が何というか、外人離れしている(苦笑)。それでも、

バロック芸術の複雑に入り組んだ紋章や巻軸装飾は、それ自体の空間量以上の空間を占めていて、そのため、より大きな、包みこむ時間を内に擁し、聖ピーターズ寺院やニンプフェブルクのバロック式古城などのうちに感じられるあのまぎれもない不死性の予感を与えてくれるように思われる(中略)旧ヨーロッパの人々の心にとりついていた不死性へのうずくような憧れ...

とバロックの惑乱するような過剰な複雑性に「不死」を見るあたり、ヨーロッパ人的なセンスといえるだろう。「鉱物愛」という萌えジャンルもあってね、たとえば水晶の結晶の塊が作り出す繰り返しであって繰り返し出ない複雑な形象に、永遠を視る感受性というのは、確かにある。しかも鉱物は生命なく永遠の時間をかけて成長する不思議な「生命」を持つ。ここに生の曖昧さを超えたものを、どうしても視てしまうのだ。非人間の美を謗られても、いいじゃない。

ついに水晶狂いだ/死と愛をともにつらぬいて/どんな透明な狂気が/来たりつつある水晶を生きようとしているのか

と渋沢孝輔が歌ったのは1971年。バラード読んでたかどうかは評者は知らない。この水晶の幻視を通じて、人間を超克しようとするイメージは、1974年の諸星大二郎の伝説的な出世作「生物都市」に結実している。諸星の場合すべてが軟体的に融合するイメージにはなるが、この静止であると同時に救済であるイメージは、おそらく本作の直接の影響だろう。そして、1979年にはタルコフスキーの「ストーカー」が、別なSF原作があるとはいえ、理解不能な危険が潜む結晶世界めいたゾーンで神と出会う(しかし何にもならない)し、1983年の「ノスタルジア」で主人公が世界の救済を賭けて蝋燭の火を掲げてプールを往復する...と、本作のイメージが紡ぎだした乱反射は、眼にも彩なものになるだろう。

日中は、奇怪な形になった鳥が石化した森の中を飛びかい、結晶化した河のほとりには、宝石をちりばめたような鰐が山椒魚の紋章のようにきらめいた。夜になると、光り輝く人間が木立のあいだを走りまわり、その腕は金色の車のよう、頭は妖怪めいた冠のようだった。

本作の中に隠喩を読むだけでなく「本作の運命を隠喩として」読むのが面白い。

No.609 7点 ハリウッド・バビロン Ⅱ- ケネス・アンガー 2019/12/03 22:21
映画を映写する時には、コマとコマの切り替わりの間に、暗黒の時間が流れている。そうしてみると、映画を見るというのは、映画の映像のある時間と同じくらいに、暗黒を眺めて過ごしているのである...なんてセリフを昔聞いたことがある。まさに本作、その通りの作品である。映画のスターの輝きは、そのまま暗黒なのである。
Ⅰに引き続き、ハリウッドのスキャンダルを総まくり。Ⅱは80年代までカバー。労組を基盤に暴力支配したウィリー・バイコフとその末路、ダンス振付で一時代を築いたバスビー・バークレーの栄光と没落、執拗に列挙される自殺者列伝、デブデブ太ったリズ・テイラー、死んでいるマリリン・モンロー、最後はハリウッドを売って大統領に上り詰めた二流俳優ロナルド・レーガン。やはりⅡでショッキングなのは、例の「ブラック・ダリア事件」の見事にちょん切れた現場写真が二枚入っていること。そして、マゾヒストでシラミ持ちのジェームズ・ディーンの性癖。「人間灰皿」だそうだ。
総じてⅠに比べると、繰り返しもあるし全体にパワーダウン。でもニッコリ微笑むスターの写真の裏に、血みどろの地獄絵図を反射的に想像させるような悪意はたっぷり。古き良き呪いの書である。そうはいってもね、ゲイ丸出しの元スター、ウィリアム・ヘインズの映画スターとしての挫折と室内装飾デザイナーとしての再出発と成功の話「白い軍団と紫のプードル」が、ハリウッドの魔物に「一杯食わせた」ような爽快感がある。たぶんアンガーは自身の挫折をこのヘインズに重ねていたんだろうね。
映画とミステリ、双方の関心で必読級の奇書である評価に変わりなし。

No.608 8点 ハリウッド・バビロン Ⅰ- ケネス・アンガー 2019/11/30 15:57
「ブラック・ダリア」記念に、たぶんエルロイの記述のネタであろう本作をやろう。まあ知ってる人は知ってる、ハリウッド黄金時代のありとあらゆるスキャンダルを蒐集した奇書である。作者はアングラ映画の「魔王」ケネス・アンガー。自身のオナニーをネタにした「花火」やら、秘教的バイカー集団のヘルス・エンジェルスを撮影した「スコルピオ・ライジング」やら、ネオハードボイルドでよくネタになった70年代のサタニズムの教祖アレイスター・クロウリーの教義に即して作られた「ルシファー・ライジング」やら...評者もここら昔見たよ(「快楽殿の創造」がお気に入り!)。
で、このアンガー、ハリウッド育ちの土地っ子である。ガキの頃からスターたちのご乱行の噂を子守歌代わりに聞いて育った筋金入りの映画オタクである...アンガー自体映画を熱愛しながらも、アングラ作家としての名声(悪名)はメインストリームからは排斥されるものでしかなかった。だからアンガーは映画とハリウッドに対する愛憎を抱え込んで、聖像破壊であるとともにフェティッシュの極みであるようなかたちでしか、映画にしか向き合えない。「映画は悪である」というユニークな視点で、アンガー自身の愛と憎悪を込めて語る、ハリウッドの暗黒史が本作である。
ロスコ―・アーバックルの強姦致死事件、デズモンド・テイラー殺人事件、チャップリンの離婚騒動、トマス・H・インスの死を巡るハーストの疑惑、完璧主義者シュトロハイムの蕩尽、クララ・ボウやキートン、フランシス・ファーマーの発狂、セルマ・トッド殺し、エロール・フリンの強姦裁判、二枚目ギャングのバグジー・シーゲルの闊歩、などなどなど、汚れたスターたちのゴシップをはちきれんばかりに満載している。しかも写真も大量に掲載で、中には死体が写っているものもある。
しかしね、本書の内容は、あまり信じてはいけない...というのも有名な話である。たとえばアーバックルの強姦致死事件は、スターからの転落という結果にこそなれ、アーバックルの無罪は法廷で証明されている(この証拠集めに宮仕え時代のハメットがかかわったことがノーランのハメット伝に出ている)。インスの死とハーストはどうやら関係ないようだし...と、実のところアンガー自身「テレパシーで書いた」と公言するくらいに、信憑性のないものも多いようだ。としてみると、本作はドキュメンタリでも研究書でもなくて、アンガーの血まみれの幻想による「創作」と見るのが正しいだろう。だったら、本サイトでは実にストライク!な本となる。ミステリと映画と、どちらにも関心があるのならば、必読の部類の奇書である。
(戦前の事件を中心に扱ったⅠに続き、戦後の事件中心のⅡも続いてやります。「ブラック・ダリア事件」はⅡでのお楽しみ。思うに、ハリウッドと関りをもった第二期エラリー・クイーンの、1937年のあの作品のネタが、本書が教えるところによると、1935年のルー・テルジェンの事件にヒントを得たのでは...と評者は思うんだ。誰か調べた人いないのかなあ)

No.607 6点 蒼ざめた馬- ロープシン 2019/11/29 21:17
このところ、赤・黒・緑とカラー題名が続いたので、少し反則めの作品だが本作で「蒼」。晩年のクリスティで同題のものがあるが、ヨハネ黙示録が出典なのでカブるのは仕方ない。たぶんクリスティのものより、世間的にはこっちが有名作品じゃないかな。初期の矢吹駆のテーマが政治テロの倫理を扱ったある種の「転向小説」なこともあるし、そういう意味じゃ「死霊」だって近いものだし...というので、政治テロを扱った小説の大古典といえば、これ。
1905年。モスクワに到着したイギリス人旅行者、ジョージ・オブライエンとは社会革命党のテロ組織のキャップの「わたし」の仮の姿だった。「わたし」は4人の同志たちとともに、モスクワ大公の暗殺の機会を狙っていた。思い切りのいい労働者のフィヨードル、独特の信仰心を持つワーニャ、学生気分が抜けないハインリヒ、主人公に恋心を持つエルナ...「わたし」は、人妻のエレーナとの恋に陥る。暗殺は何度も失敗し、警察の追及に同志たちにも損失が出る。がついに?
で、これは小説なのだけど、作者のロープシンことボリス・ザヴィンコフは現実の要人テロ(内務大臣プレーヴェ・モスクワ総督セルゲイ大公の暗殺指揮)を行った当事者であり、本人が行ったテロを淡々と描いた小説、ということでは類のないものである。

わたしは非合法生活にも、孤独にもなれてしまった。わたしは未来を知ろうとは思わない。過去のことは忘れるようにしている。

わたしは赤い血の職工長だ。わたしはふたたびこの仕事にとりかかるだろう。くる日もくる日も、四六時中、わたしは殺人を準備するだろう。わたしはひそかに尾行し、死によって生き、そしてあるとき歓喜の陶酔がきらめくだろう。

...とまあ、ハードボイルドを体現したかのような、「煮え切った」透明感が素晴らしい。「わたし」=ザヴィンコフは純粋に行動の人であり、その生活も意志もすべて「行動」のために捧げられているのである。そこには躊躇も内面も、まったくあり得ない。これがヤタラとカッコイイ。

秋の夜が落ちて、星が光りはじめたら、わたしは最後の言葉を言おう。わたしの拳銃はわたしとともにある、と。

本作はこの言葉で結ばれる。作者のザヴィンコフはロシア革命でケレンスキー内閣の陸軍次官になるが、ボリシェヴィキ革命で国を追われ反ソ活動を繰り返すが逮捕されて自殺している。まさに剣に生き剣に斃れた生涯である。

No.606 6点 緑は危険- クリスチアナ・ブランド 2019/11/27 21:47
戦時下の軍用病院でのこと、空襲で被災した救護団員の老人が手術台の上で死んだ。続いて手術室付シスターが他殺体で見つかるなど、この病院に姿なき殺人者が跳梁する。応集された医師たちと篤志看護婦たちに容疑が絞られるが、コックリル警部の推理は?
という話。そういえばクリスティでも戦時色の強い「満潮に乗って」とか自身の篤志看護婦歴が反映した「愛の旋律」とかあるから、まさに「クリスティの後継者」風の作品...かもしれないがね、クリスティだとロマン溢れる「読ませる小説」になる部分が、ブランドだとガチの地味パズラーになるあたり、クリスティっぽいというよりクイーンっぽい。これ実際には推理してアテるのは、飛躍した連想が必要だから、大変な部類だと思うよ。
そうしてみると、クリスティって結構パズルを捨てて「キャラの謎」みたいなあたりに絞ってミステリを組み立ててるようにも思うな。軽いユーモア感(男前なウッズ看護婦がいい)はあっても、ああいキャラ造形は本作ではない。まあそれでも、中盤の手術でのあわや!がなかなかサスペンシフル。凶器はまあ見当つくけど、コックリルが立ち会いながらも危機一髪なんだから、警察官としてはミステーク。でも盛り上がるなら、いいじゃないか。

No.605 6点 ブラック・ダリア- ジェイムズ・エルロイ 2019/11/25 15:29
評者は名前の通りに再読中心なので、エルロイあたりの80年代デビュー作家は昔読んでない人が多いんだ。だからまったくの初エルロイである。評判は聞いていて、期待してたよ~~評者マンシェットを崇拝するノワール好きでもあるしね。
けどね、ハードボイルドから贅肉を極限までそぎ落としたマンシェットの方向性とは真逆だね。(異常)心理てんこ盛りだから、ノワールとはいえ、ココロよりもモノで語らせるハードボイルドとは絶対に言えないだろう。これでもか!っとぐちゃぐちゃドロドロの愛憎劇を主人公含む登場人物たちが繰り広げるわけだ。警官主人公で残虐な事件を扱う小説なのだが、意外に読後感はミステリ読んだ、というより一般小説に近い。描かれるタイムスパンがそうそう長いわけではない(実質1946~49年の話)のに、大河ドラマを見終わったようなヘヴィな生涯に付き添った感慨を感じるのは、物語の中で登場人物たちが皆々「変貌」を遂げるからだね。
主人公とパートナーのリーがボクサー上がりのマッチョ警官というのもあるし、なにせ事件が事件である。アメリカ猟奇犯罪史上に漆黒の華を咲かせた「ブラック・ダリア」だ。ヴァイオレンスでお腹いっぱい。けどねえ、エルロイの場合、心理主義なこともあって、暴力に理由が付きすぎる気がする。ホントは理由に首をひねらなければいけないような、唐突で不条理な暴力の方が、よりハードなようにも思う....だからか百万長者になった記念で愛犬を射殺する話とか、終盤の主人公による美術品大破壊の方が、死体損壊なんかよりも「ハード」に感じられる。
というわけで、本作力作だとはもちろん、思う。けど評者の好みとは一致しないところも多い。やや持て余している、というのが正直な感想。少し調べたが、現実の「ブラック・ダリア事件」からは、グロい方向に細部を盛ってあるようだ。まあ別に事実に忠実じゃないと...とか言う気はない。だったらさ、「テレパシー」で書いたアンガーの「ハリウッド・バビロン」を本サイトで扱ってもいいだろう。「ブラック・ダリア事件」は「ハリウッド・バビロンⅡ」の現場写真入り大ネタだよ。
(ひょっとして、評者とかだったら通例に反して「ホワイト・ジャズ」の方がヘンな小説で面白い!となったのかも?教えて tider-tiger さん!!)

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1384件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(102)
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