皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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[ SF/ファンタジー ] 火星年代記 旧訳題『火星人記録』 |
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レイ・ブラッドベリ | 出版月: 1956年01月 | 平均: 6.50点 | 書評数: 2件 |
元々社 1956年01月 |
早川書房 1963年01月 |
早川書房 1976年03月 |
ハヤカワ文庫 1978年01月 |
講談社インターナショナル 2000年07月 |
早川書房 2010年07月 |
No.2 | 6点 | 人並由真 | 2024/07/05 02:46 |
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(ネタバレなし)
早川SF文庫版の旧版で読了。本短編集を携帯して外で少しずつ読んだり、寝床に持ち込んで就寝前にちょっと読み進めたりで、三週間ほどで読み終えた。 本来の連作短編としてなら十三本。さらにその十三の挿話がエピソードによってはもっと分割される仕様なので、総計30編ほどの小中の物語が多様な主人公を軸に紡がれていき、その集積が大きなひとつの物語を語るクロニクル形式。こんな作りだから、ちびちび読むにはとても都合がいい。逆に言えば、どんどん次の話を読み進めたいというベクトル感はあまり生じず、一編一編を噛み締めていったが。 すでに文明と生物の種の衰退が目前である火星人が、地球から良くも悪くもイノセントな心根でやってくる地球人に応対。招かれざる来訪者である地球人に対し、火力的な武器などをほとんど持たない火星人はテレパシーと幻覚能力で応じて相手の心を操作、その結果、いろいろな挿話が地球人側にも火星人側にも築かれていく……というのが基軸の作劇。そういった形質を外れた、もう少し自由度の高い物語もいくつかある。 火星と地球の種と文明、そのふたつの遭遇と絡みあいには種々の寓意が含まれるし、ルーティーンな作劇とはちょっと変化球的な手法でズバリ人種差別問題が語られたり、かなりダイレクトにミステリやホラー、幻想文学、SFを弾圧する未来図を通してブラッドベリの主張が響いたり、積み重なっていく話のバラエティ感は大きい。 (後半の話のひとつは、手塚治虫の中期の青年漫画の名作『地球を呑む』のある番外編的なエピソードを思い出したりもした~まあ、こう書いても、絶対にネタバレにはならないだろ。ストーリーそのものは別だから。) 実のところ作中の時間経過としては、わずか30年弱の物語ではあるが(これは目次を見れば一目瞭然なので)、古代からの文明を背負った火星人たちの末裔の影が全編に覗くため、物語の奥行きはかなり深い。その辺の二層的な世界観の多重構造は、おそらく作者の自覚していたことだろう。 終盤の火星と地球の迎える去就~そして未来には万感の念を抱く(どういう方向に決着するかはもちろんここでは言わないが)が、二つの天体の文明と種の対比は、読み手にある種のメッセージを響かせて終わる。 とはいえ1946年の新古典作品。中盤の話のなかには正直、かったるいのもないでもなかった(汗)。いい話はすごくいいんだけど。この数字の上の方で、という意味合いでこの評点で。 |
No.1 | 7点 | クリスティ再読 | 2020/03/28 16:55 |
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まだ書評がないんだ....意外。まあSF作家だから、手が回らないか。
たぶん本作大好きな人多数だと思う。甘く詩的な文章に、センチメンタルな懐旧の味をまぶした上等な砂糖菓子のような小説。ミステリ色はないけども、抒情SFとしては大名作としての定評ある作品だ。文章というと、 夜の明け方、水晶の柱のあいだからさしこんできた日の光が、睡眠中のイラを支えていた霧を溶かした。イラが身を横たえると壁から霧が湧き出て、やわらかい敷物になり、その敷物にもちあげられて、イラは一晩中床の上に浮いていたのだった。音を立てぬ湖の上のボートのように、一晩中、イラはこの静かな河の上で眠ったのである。今、霧は溶け始め、やがてイラの体は目ざめの岸に下りた。 と、火星人の睡眠を描いたSF的な奇想が、そのまま詩的比喩に直結し、しかもギリシャ神話のレーテー(忘却・死・眠り)を響かせるという見事なもの。精神優位の文明を築き、テレパシーに長けた火星人が、地球からの侵略をテレパシーを使った策略で退けたのもつかのま、水ぼうそうによって火星人はほとんど斃れ、野蛮な地球人たちが火星を蹂躙することになる....アメリカの黒人たちも差別を逃れて大挙として火星に飛び立つありさまが、黒人霊歌そのままの宗教的な叙事詩のようだ。しかし、地球で最終戦争が起きると、火星に植民した地球人たちはこぞって地球に戻ろうとする.... こんな火星の年代記が明かすのは、地球人の独善と気まぐれな身勝手さである。まあここらへんの描写に、ブラッドベリの二面性みたいなものを評者は感じる。詩的で精神的なポオの血をブラッドベリは受けついているのはもちろんなのだが、同時にアメリカ人的な性格としてのトム・ソーヤー的なものと、ほぼ相いれない相克があるわけだ。アメリカ人独特の粗野で田舎者を自慢する傾向は、もちろんヨーロッパの洗練に対する対抗アイデンティティなのだけど、ブラッドベリ自身もこういうアメリカ人的な粗野さを悲しみつつも、自身の一面として捉えざるをえない...といういう矛盾を抱えたあたりが、面白いといえば面白いのだが、なんかうっとおしい部分でもある。 すまん、評者そこらへんにどうもノリきれないのを感じがちだ。なのでブラッドベリは苦手、の印象は変わらないなあ...けど、名作だと思います。ハマる人はかなり多いでしょうね。 |