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クリスティ再読さん
平均点: 6.41点 書評数: 1327件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.827 4点 ガーデン殺人事件- S・S・ヴァン・ダイン 2021/03/16 06:21
「別名S.S.ヴァン・ダイン」によると、「カシノ」の売れ行き不振から、ヴァン・ダインは軌道修正を図ることになる。次の「誘拐」でヴァンスが銃撃戦するとか映画向きにスリラー風味が加わるけど、本作でもラストは活劇、しかもヴァンス恋愛す(あっさり、かつミスディレクション?だが)。というわけで、ヴァン・ダインの従来型の書法と新しい要素をつぎはぎしたような印象....でこれが成功してなくて、かなり小説として安っぽく退屈。
というかさ、男勝りでモダンなザリア、悪い意味で「女優」的なマッジ、冷徹な看護婦ビートン、とこの三人の女性のキャラ設定とか悪くないんだ。しかし、ヴァン・ダインの筆力が追い付いていないので、キャラを生かし切れていない...困った。いや本作全体的にアイデアは悪くないんだが、アイデアが全然活用されていないので、中途半端にネタをぶちまけたような印象が強い。
そりゃあさあ、電話による中継でサロンで競馬を楽しむとかね、風俗として面白いわけだよ。けどこの競馬がミステリに何かかかわったか?というと全然だし、放射性ナトリウムでなければいけない理由もないし....困ったものだ。そういえば本作の競馬は非合法のノミ行為だ(苦笑、第1章でマーカムに弁解してる)。
「ファイロ・ヴァンスにゃ/お尻ひと蹴りが必要ざんす」この有名なオグデン・ナッシュの戯詩の話題が本作の登場人物の口の端に上るとか、ちょっとメタなくすぐりもあるんだけど、ヴァンスらしいウンチクも本作はなし。試行錯誤は悪い方向にしか向かっていないように感じる。

後記:扶桑社のミステリー通信「ユーモア小説としてのヴァン・ダイン」が正鵠を得てる。

ヴァン・ダインは、そんなヴァンスをじつは心底かっこいいと思っている。
でも、それをかっこいいと思っている自分が恥ずかしいという思いもある。
著者のアンビバレントな感情が、ファイロ・ヴァンスのシリアスだがどこかコミカルな扱いには刻印されています。

わざわざいわでもがななナッシュの戯詩の扱いとか、なるほど、と思う。

No.826 8点 灯籠爛死行- 赤江瀑 2021/03/11 16:52
思い出したように創元から3巻でアンソロが出ている最中だったりする。すでに出ている1巻は名作「上空の城」に晩年の「星踊る綺羅の鳴く川」に加えエッセイといえばエッセイ、創作といえば創作で赤江瀑の頂点みたいに思う「海峡」を収録している。こっちも買ってやらなきゃね。光文社3巻アンソロとはカブらないのが、いい。

で光文社3巻アンソロ「恐怖編」。のっけから「花帰りマックラ村」でブルブル。

夜は闇夜、なまじ、星などないほうがいいよ

いやこの作品別に大した怪異も起きない。グロもないし、捻じれに捻じれた邪悪もない。前途有望な好青年の大学生が自ら死を選んだその真相、に過ぎない話なんだけど、「異界」が見えてしまい、その「異界」の誘惑に「潔く」その身を放擲する、「放我」とでもいうべき死のありさまが、実に「怖い」。いや、オハナシなんだけども、そういう異界からの魅惑に捉われたら、この自分だって「いさぎよく」しかねないような、そういう想像を自らにたくましくして「自分が怖い」のである。逆説的なホラーとして際立っている。

で代表作級としてアンソロ収録も多い「海贄考」。海で心中を図った夫婦の夫だけが漁師に拾われて息を吹き返し、その後、その漁師の元で世捨て人として暮らすのだが、何度も海に引きずり込まれるような危うい体験を繰り返す...いや、ミステリとして読んだときに、これほど「凄い」動機もないと思うんだ。京極夏彦に結構トンデモ動機があったりするのだが、そういう「頭で考えたような」動機とは一線を画す「野性の動機」なのである。短い作品なのだが、作者あとがきとして、民俗学者の研究を引いて結末としている。主人公の結末を記述するよりも、ずっと効果的である。すばらしい。(今回読んでて島尾敏雄の病妻ものに近いテイストを感じてた...幻想性も、近い?)

で実は完璧に「ミステリ」な「砂の眠り」を収録。いやこれ、本当にトリックがあるといえば、ある赤江瀑にしては珍しい話。北陸の海岸でスナビキソウ群落を訪ね歩く在野の植物学者の目的は....評者が言うのはなんだけど、ちゃんとしたミステリですよ(苦笑)こんなのも書けるわけだ。

あとは「原生花の森の司」かな。いや本作トリに持ってくるのが本当はいいようにも思うんだ。民話の語り部として有名な老婆が、椿の花に埋もれて自殺した、その理由の話。いや自殺の話だから、後味が悪い、かというと本作はそういうわけではないのが面白いところ。「あの花ざかりの森で、生きるために。陽のあたる花枝のかげに、一枚の茣蓙を敷いて」と椿の花ざかりの森の中に人生がフェードアウトしていくような、幸福感みたいなものが立ち上るのが「怖い」といえば「怖い」し「幸せ」といえば「幸せ」な、複雑な感慨をもよおさせる。

としてみると、この光文社3巻アンソロで未収録の名作短編、というと評者が思い浮かぶのは「鬼恋童」「野ざらし百鬼行」「花曝れ首」「ホタル闇歌」「夜の藤十郎」「阿修羅花伝」「卯月恋殺し」「殺し蜜狂い蜜」「ニジンスキーの手」あたりになるようだ。ここらを創元で収録してくれるとうれしいな。

No.825 5点 心憑かれて- マーガレット・ミラー 2021/03/08 22:43
そりゃ評者にだって、苦手作家はいるものだ。ミラーって苦手、というかなぜかあまり関心がない。この一週間忙しかったのもあるんだけど、本書を少し読んでは中断し...で妙に時間がかかってしまった。別に難しい小説じゃないんだけどね。
本作の邦題は「心憑かれて」だけど、原題はシンプル「The Fiend」。Friend じゃないのがミソで、Fiend は「悪魔」とか「魔神」とか「悪霊」とか、そういう意味。特に主人公はなくて、三人称で内面も等価に描くスタイルなんだが、軸の一人になるチャーリーに「少女の敵」な前科がある。チャーリーはそれを克服したようでも、いまだにその欲望(魔神)に振り回されて右往左往するさまが、気の毒というか情けないというか....でも、そのチャーリーに人生を振り回されて困惑する兄のベン、婚約者になったルイーズの方が評者は印象的だ。
だから、本作「異常心理物」という感覚は希薄で、郊外ニュータウンの狭っ苦しい人間関係の中で、微妙にコワれてくる気の毒な人たちの話。事件らしい事件も3/4くらいにならないと起きないし、その結末もあっさり。サスペンスらしくもなくて、社会派、というジャンル分けをしても評者はそう意外には感じない。

No.824 6点 倫敦魔魍街- JET 2021/03/03 00:57
久々に漫画したい。去年ホームズをやったから、〆に何かパロディを、と思っていたわけだけど、そういえば JET って、ある意味「ミステリ漫画の女王」なんだよね、と思って急遽本作をやってみようと。
横溝なら「獄門島」「本陣」「八つ墓村」に「手毬唄」「犬神家」「笛を吹く」に「悪霊島」、乱歩で「黒蜥蜴」、ホームズなら「バスカヴィル」はおろか「青い紅玉」「まだらの紐」も「白銀号」だって「黄色い顔」やら短編は全部で11本、ルパンなら「八点鐘」全部に、「エラリー・クイーンの冒険」からだって4作品。これだけミステリのコミカライズやった漫画家もいないでしょうよ。まあホームズもだけど原作に忠実なものが多いから、マンガで楽しむにはミステリマニアが作家買いしてもいい漫画家だと思います。
で、なんだが、ここでコミカライズを扱うのは何なので、オリジナル作「倫敦魔魍街」から。

ホームズの死後、トランシルヴァニアから魔都倫敦を訪れた二人組はホームズ探偵譚に憧れる狼男と吸血鬼だった。狼男は「ホームズ」を名乗って不死身の体を生かした体力勝負、吸血鬼は「ワトソン」を名乗って、生き物の強い感情を感知する能力を生かして、探偵業を開業した。幽霊のハドソン夫人が世話をする事務所に訪れる客は....

とまあこんな話。なので、本当に勝手に名乗っているだけ、という設定。推理というよりもアクション・ホラー。でもね、このところスプラッター規制が強くなっていることもあって、スプラッター大好きなJETは、雑誌から最近は敬遠されている噂も....でも本作連載は伝説のホラー誌「ハロウィン」。ゾンビもバラバラ死体も満載で、BL風味も忘れずに。
まあ、正典で互いに名字を呼び捨てで呼び合うホームズとワトソンなんだけど、これ名前で呼び合うとBLになっちゃうから、それをドイルは避けた、という話があるくらいのもので、この漫画もそこらへんはしっかり踏襲。萌え成分大量。

だから、正典のホームズ&ワトソンを期待しちゃいけないんだが、実のところ、こうやってホームズ実は狼男、とか「演じてる」姿が、すごく日本的で面白い、と思うのだ。これを一番端的に示したのが、単行本書下ろしの「大江戸魔魍街捕物帖」で、本作のホームズ(狼男)とワトソン(吸血鬼)、それに敵役のモリアティー(ホームズの弟)が、時代劇の世界に転生し、それぞれが黒門町の伝七、桃太郎侍、鼠小僧、他のJETの主役キャラが中村主水と遠山の金さんに扮し...でこの5人勢ぞろいで白波五人男の見得を切る。狼男でホームズで伝七で五人男、とキャラを猛スピードで着替えしているように目まぐるしい。野田秀樹の芝居のような面白味である。いや助六実は曾我五郎とか、鮨屋弥助実は平維盛とか、こんな「キャラクター遊び」というものが、実は日本のエンタメの伝統にしっかりと根付いている姿のようにも思われる。

No.823 7点 砂の城- 鮎川哲也 2021/02/28 22:43
いやね、評者関西在住なんだ。そんなわけで、本作の鉄道トリックというのは、生活感覚的にすぐに見当がつく(本命もそうだし、別解に当たる霧による延着の方もそう。今はない電車だが、似たような路線はある)。だから、本作の鉄道トリックに価値がない...と即断する方がいる、というのは分かるんだけど、そういう判断基準だと「鮎川哲也の面白さ」をどこまで味わえるのだろう...と危惧する部分も大きいんだ。
評者が今回読んだのは角川文庫版なんだけど、この本の解説が栗本薫でね、実は評者この解説が鮎哲の本質論として、実に当たってる、と思うし、共感するところ大なんだ。

第二の時刻表、そして行動のスケジュール表。見出される第三の乗替駅。鈍行が急行においつき、準急が特急を追いこすこのひそやかで心やさしい奇蹟。そうだ―奇蹟はこの世にまだ存在していた。空間はゆがめられ、時間はメビウスの輪となって振出しにもどってゆく。この贅沢な永劫回帰、証明された、時間旅行の秘密。

この鮎哲讃歌を、評者はぜひ紹介したくて仕方がなかったのである....いやこういう奇跡とかロマンの瞬間が、きっちり決まるか決まらないか、で鮎哲の作品を判断してもいいんじゃないか。本作では、そういう奇蹟がちゃんと、起きている。それだけではなくて、鬼貫がそれを発見していくさまも、本作だとちょっと皮肉に作者が誘導しているのが、実にナイスな成り行き。この誘導の筋が評者は早々と見えたこともあって、頬が緩みっぱなし。いやいや、「すぐに、わかる、だからダメ」とかミステリの楽しみって、そういうものじゃないと思うんだ。

鮎川哲也の本を手にして、ぼくが最初に思うこと。―それは、奇妙なことだが、いつも同じある深い<安心感>とでも呼ぶほかないものだ。

とこの栗本解説だと、冒頭で鮎哲の「安心感」を掲げている。ワンパと言うなかれ。鮎哲は日常の中に埋もれた「奇蹟」を起こして見せるが、その「奇蹟」はそれを「奇蹟」と見る目のある読者にしか、「奇蹟」として見えないのかもしれない。それでもね、それは実に心休まるなつかしい「奇蹟」なのである。

(いや本作だと、フェアさ、という意味だと、本線の手がかりになる時刻表をどこに入れておくか、というので工夫しどころがあると思う。この時刻表がどういう目的で入っているか、に注意して読むと作者の意図が見えて面白いと思うよ)

No.822 6点 シャーロック・ホームズの記号論- 評論・エッセイ 2021/02/26 22:49
80年代に流行った本である。懐かしい。記号学が大流行の頃で、みんな知ってるホームズと、日本人はよくわからないC.S.パースをひっかけて、記号論に入門できちゃうお買い得な本(しかも薄くてすぐ読める)だから、流行ったわけさ。評者ドイルはとりあえず大体済ませたから、そういえば、で取り上げよう。
ミステリの名探偵の「推理」というと、演繹的推理と帰納的推理が...とかね、そういう説明が「ミステリ入門」とかでされるわけだけど、この本の面白いところは、発見的な推理・推測というものは、この著者のシービオクによると、実は演繹的でも帰納的でもない、パースの用語で言うところの「推測 abduction」というものであり、ホームズの推理法の中に、そのエッセンスが詰まっている、ということだ。
いや「推測」という訳語は、坐りが悪い。「あて推量」とか「仮説的推論」いうくらいの方がどうもいいようだ。つまり、帰納推理だって、現象を観察して何らかの仮説的な推量を形成し、その仮説に対してさまざまなデータがうまく収まるかどうかを判定して、「帰納」するわけで、この「仮説を立てる」という能力を根底的な「能力」として捉えよう、というあたりに、著者がパースを援用する所以があるようだ。
とはいえ、この本の面白さ、というのはどちらかいうとこういう理論風のあたりよりも、モデルのベル博士と、パース、それにドイルに共通する「医師の視線」と、「演劇的な身振り」の合体した、パフォーマンス的とでもいうべきアプローチを見せているあたりのような気もするのだ。要するに、このエッセイは、推理というものを一方的な解釈プロセスではなくて、推理する側とされる側の、無意識的な相互作用の中にとらえよう、としているあたりの面白さなのではないかと思う。

まあ、軽いエッセイなので、すぐ読めるんだけど、ややこしいことがサラっと書かれていることもあって、注意深くないと読んでも意味がないかもしれない。著者は 1920年生まれだから、フーコーとかバルトとかと同世代で、巻末付録の山口昌男との対談だと、「レヴィ=ストロースが構造主義の父だとすると、シービオクはその助産師だ」なんてヨイショしている。守備範囲の広い学者だったようだ。

No.821 6点 三十九階段- ジョン・バカン 2021/02/26 14:55
大古典スパイ小説。なぜ今までお二方しか書いてないんだろう...って評者びっくり。
皆さんご指摘の通り、本作は緩めで乾いたユーモア感あふれる、ハードなくせにのほほのんとした良さが溢れる冒険小説。イギリスの北部の田園地帯を駆け回る、何か「人口密度が低い」面白さ、というものを評者は感じたりするのだ。人と戦うよりも、スパイという野獣か自然現象と戦っているような面白さ、なんだろうか。
いや日本って人口密度が高いからか、どうもせせこましくて、世知辛い。本作ってそういう国民性から見ると対極にあるのでは...なんて思う。シビアな国際政治と陰謀を扱っても、どこか大らか。しかも、主人公のハネーくん、南アフリカの国外植民地出身で、イギリス人とはいえ、島国根性はカケラもなし。だからかね。

昔話だけどスパイ小説がもてはやされていた時期に、誰だったか左翼的な見地でスパイ小説を愛国小説みたいに捉えて批判した人がいたんだが、まあそんなの大人気ない、はその通り。でもグリーンとかアンブラーはガチに左翼なんだけどね....で、逆にそういう見方をするときに、本作みたいなのは「実に健全なスパイ・スリラーの代表」という気もするんだよ。
神経症的に周囲の人を外国のスパイ、と見るようなのが、各務三郎が「現代版恐怖小説」と化したとする「病的なスパイ小説」だとすると、本作が追及するのはあくまで「イデオロギーのクサ味も、政治的主張も、まったく関係なしに万人受けする、コモンセンスな面白さ」だ。エンタメで読み捨てても悪影響なんて、まるでなし(苦笑) イギリス人の国民性のいい部分だけが出たような小説である。いいじゃないか。

No.820 7点 クリストファー男娼窟- 草間彌生 2021/02/25 19:14
日本を代表する前衛アートの女王である。しかし、この人小説も書いていたりするのだ。この本は表題作の他に「離人カーテンの囚人」「死臭アカシア」の3編を収録した短編集である。いや草間彌生、作品タイトルが実に独特で、カッコいい。「マンハッタン自殺未遂常習犯」とか「聖マルクス教会炎上」とか「ウッドストック陰茎斬り」とか、見るからに業が深くて「暗黒!」な世界の期待が深まる、というものだ。
アートの方でも、この人特有の幻視から来るイメージが、病的なんだけど実は一般性がある、というあたりに、実に絶妙なバランスがあるわけだが、小説も同様。ヘンリー・ミラーを連想するシュルリアリスムもあれば、耽美小説とも読めるし、この人固有の病的な幻視・幻覚描写と、性への反撥と固着のアンビバレンツ...と、中井英夫や赤江瀑の系譜の暗黒文学の資格十分の小説である。

「クリストファー男娼窟」は「野性時代新人文学賞」を獲った、小説としては一番有名なもの。コロンビア大に留学中の香港出身の女子学生ヤンニーは、貧乏な学生たちの男娼のアルバイトを斡旋する売春地下組織「パラノイアック・クラブ」を作り上げていた。その一人でヤク中で身を持ち崩した黒人の美青年ヘンリーは、ヤンニーに紹介されたユダヤ人の小金持ちに一週間600ドルで売られる。ヘンリーはそのユダヤ人と閉じこもった山荘で、どんでもない事件を起こす...ヤンニーとヘンリーは逃亡の果てに、幻想のエンパイアステートビルを登っていく

夜目にも光る銀色のコーヒーは、ヘンリーの男の中身まで、銀色に染めてしまった。ヘンリーの内臓が、蛾の羽からこぼれた粉によって変色してしまうと、ボッブは再びすりよってきた。開かずのドアの内側も多分銀粉で染まっているにちがいない。

いや文章の禍々しさが期待通り、というものである。もちろん草間の単身ニューヨークに渡って「前衛の女王」の名をはせた70年代の体験から作り上げられた血みどろの幻想譚である。
その次の「離人カーテンの囚人」は草間の生い立ちに取材した作品で、鉄道自殺に終わる大変悲惨な話なんだけども、自伝の「無限の網」とか読むと、悲惨さはかなり誇張して盛っていて、これほど悲惨ではない。小説だもんね、「暗黒のシンデレラストーリー」くらいに読んでいいと思う。放蕩の果てにヤクザに食い物にされる父と、その人間の屑のような夫に執着し続ける母との間に、望まれもしないのに生まれた子供たちの一人として生を受けた少女キーコ。親からのネグレクトと折檻から身を守るのは絵を描くことと「離人カーテン」で心を殺すことだった。キーコはこの両親の諍いの板挟みの只中で初潮を迎えた...

白茶色の海のような壁紙の中から、キーコの眼球の奥に、チューリップの花が無数に連なって湧き出てきた。見ればいくらでも出てくる。やがて、チカチカと点滅を繰り返しながら、窓の曇りガラスまでこびりついてきた。彼女は驚いて窓に近よってみた。ガラスの上に湧き上がる花を手でなぞった。すると手の上でもチューリップは無数に増殖していき、手の形さえ、その影の内側に埋没して消えていく。

いや草間彌生のアートの方に親しんでいると、本当にこの描写がアートを連想させて、「この人、ホントに『選ばれて』いるね」と感じさせる。とはいえ、精神病的な描写の理解不能性と、小説としての理解可能性のバランスが、アート同様にきっちり取れていて、意外なくらいに破綻していない。これが不思議なくらいの話でもある。まあだから、エンタメとして読んでも、そうそう不当、ということにもならないと思う。暗黒文学の一つとして、楽しんでいいと評者は考えている。

No.819 5点 カシノ殺人事件- S・S・ヴァン・ダイン 2021/02/24 23:18
前作の「ドラゴン」だと長々と龍に関するウンチクしてくれて楽しかったのだが、本作だと蘊蓄が足りないよ~そこらが不満。評者ヴァンスのウンチクを楽しみにしているんだ。
で今回は毒殺で、何件も毒を飲まされる事件が連続する。短い長編で、ヴァン・ダインの気取ったスタイルで書かれるわけだから、「人がどんどん斃れる」ホラーの味が出るかな?というあたり。でも作者が徹底できていないようにも思う。取り調べられていた関係者が続々急に倒れて、どんな毒か不明、というのはうまく恐怖を煽って書けば「怖い」アイデアだと思うんだけどね。で最後はバタバタとスリラー風に展開して終わる。毒殺トリックもまあ常識範囲だが、そう悪いアイデアじゃない。語源を知ってるとね...

(ネタばれ?)
実は本作のネタの一つの例の水、事故で飲んだ人が実際にいるらしいけど、別に病気とかならなかったらしい....そりゃ、大量に飲めば別のようだが、コップ一杯くらいなら平気みたいだよ。いやいや本当は、DHMOといって、例の水に近いもので、これを飲んだ人の死亡率が100%の液体があってね、こっちの方が怖い?かもよ。

No.818 8点 事件- 大岡昇平 2021/02/23 12:47
この作品の意義は、実は作品内で力説されていて、それに触れずにあくまで「フィクション」のエンタメで読むのは、どうか、と評者とかは思うんだ。あえて言うけども、本作はミステリに見えて実はミステリではない。

(死体の具体的な状況などの)それらは現場について、おそるべき詳細な客観性を持って書かれているものである。一般人はそんなものを読む必要は全然ない。犯罪とか戦争とかは、経験しないですまさられれば、それに越したことはないのである。
それら警察の記録を、現代人の病的な好奇心に沿うようにアレンジしたものが、小説やドキュメンタリーとして放出されている。しかしそれらは犯罪の実際について、正しい印象を与えるものではない。

本作は結果として協会賞も獲れば、映画ドラマに映像化された有名作になる。大岡氏というと実はミステリ・ファンの文学者としても有名なんだが、この作品でやろうとしたこと、は「裁判」という「営為」自体を「文学者の目」で再構築しよう、という試みだ。裁判を扱ったフィクションが「裁判を舞台にして、明らかになる人間のドラマ」を描こうとするのと、完全に一線を画しているのが、本作の面目になる。TVドラマも映画も、ありきたりな「裁判物フィクション」としてしか映像化できなかったのだけども、小説の狙いは全然別なところにある。
この小説の中では、具体的な裁判手続きの詳細が事細かに記述される。裁判を主宰する裁判官、告発を担当する検察官、そして被告とそれを弁護する弁護士の3つの陣営による、この「裁判」というゲームの具体的な手続きと、その手続きの中にある「理念」といったもの、そしてその「理念」を手続きにそって運用する判事・検事・弁護士の具体的な運用。これらを事細かに叙述することで立ち上がってくるのは、戦後に大きく改定された刑事訴訟法が具現化する理念「公正」である。この3つの陣営の模擬的な闘争が、判決として具体化される「公正」に結実するプロセスを丁寧に追った小説、と言えばいいのだろうか。人間ドラマ以上に、観念の運動を追求したフランス文学的な味わいが、やはり大岡昇平らしさでもあろう。

ミステリ、がジャンル小説であるのは今更言うまでもない。もちろん「法廷ミステリ」にいろいろな妙味と面白味があって、一大ジャンルになっていることを否定するのではないが、大岡昇平のアプローチはそれとはまったく異なったフリーハンドのものだ。たしかに「事件」には隠れた人間関係が潜んでいて、真相もある意味意外なものであるかもしれない。しかし、この小説を通じて浮かび上がるのは「事件」を媒介とした、刑事訴訟という具体的な制度とその運用手続きの姿なのである。

私はこの場合、持ち出した公正は抽象概念としてではない。公正は言葉としては概念だが、それを運用する裁判官の判断は一つの行為だ、と思っている。

刑事裁判はその手続きのただ中で選択される「行為」の集積であるがゆえに、「人間」の小説としてのテーマになりうるのだ。この大岡の視点の鋭さに敬服。

No.817 6点 ソラリスの陽のもとに- スタニスワフ・レム 2021/02/18 08:37
評者もSFはプロパーではないので、ハードSF・ファーストコンタクト物の名作として知られる本作だって、タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」を見てから原作を読む、という流れになるのは、これ80年代の青春、というものだよ。
「お前はバカだ!」と原作者レムがタルコフスキーを罵った、という有名エピソードがあるくらいに、原作と映画、というのは同じものであるわけはなくて、微妙な緊張関係がいつだって、あるものだ。「原作の中にある、【映画的な瞬間】というものを、映画作家はそっと取り出して、その【映画的な瞬間】を軸として再構築する」というのが「理想の映画化」というものだと評者は思ってる。そういう意味で、原作の「最後まで人間の願望を理解できない、ソラリスの海」という「人間以外の超知性体」、人類というものをカフカの流儀で表現すれば「神の不機嫌な一日の産物」であるような、そういう「理解することが本質的に不可能かもしれない【知性】」として描き切った原作のSFらしい狙いと、映画の狙いは、絶対に合致しない。

なので、映画の結末を知っていると、原作のクールでそっけない結末は何か不完全燃焼な印象を受ける。タルコフスキーという人は結局ソ連から亡命することになるのだけど、いや映画「惑星ソラリス」だって、実のところ「亡命者」が「祖国」に恋々する映画だ。タルコフスキーの資質の根底のところで「亡命者」風の疎外感が強くあって、「亡命」という事件は政治的な事件でも何でもなくて、タルコフスキーの内面のドラマの結末だった、という風にも、評者は解釈しているんだ。
そう捉えると、実はタルコフスキーの映画の方に、SFというよりもグリーンやアンブラーに近いエスピオナージュな味わいを感じても不思議じゃないのかもしれない。ソラリスの海によってソラリス・ステーションに送り込まれた「お客」たちは、ステーションの研究者たちの心の奥底に深く刻み付けられた「過去のトラウマ」を、具体的な人間を「コピー」して「ソラリスの海」から送り込まれたものである。だから、主人公たちはその「お客」にまつわる自分自身の「過去のトラウマ」と改めて直面せざるを得なくなる....「お客」はソラリスからの使者であるとともに、自分自身からのスパイでもある。お客を憎むも、あるいは自分の過去を受け入れるのも、自分自身という面で言えば「ダブル・スパイ」に転落するようなものでしかない。

われわれはいまその接触を実現しているというわけだ。まるで顕微鏡でものぞいているように、われわれ自身の醜悪さを何百倍にも拡大したかたちでね。それこそお笑い草だよ。この上ない恥さらしだと言ってもいい!

つまりグリーンやアンブラーが書いた最良のスパイ小説が明らかにしたこと、というのは、読者である平穏無事の市民でさえ、なにがしかの部分が醜悪なスパイであり、さらに自身をも信用しないダブルスパイだ、というまさにそのことだったのかもしれない。そういう「自己のモラル」への懐疑は、タルコフスキー固有であって、レムのものではない。

No.816 6点 亜愛一郎の転倒- 泡坂妻夫 2021/02/14 20:49
評者「狼狽」も最初4作凄い、という感覚なんだけど、第二弾のこれ、ホントにいい、と思うのは「病人に刃物」くらい。なんでかな?と思うんだけども、「趣向」という言葉で大体説明がつくようにも思う。
要するに、この短編集、作者が狙った「趣向」の色が強いんだよね。それを特に感じるのが「意外な遺骸」で、こういう見立て、作者が面白がり過ぎると、読者は逆にシラケる部分がでてしまうんだよ。いや「趣向」と狙いはわかるんだが、着地点の常識と狂気のバランス感覚でもう一つ面白さが出てない、のでは。「藁の猫」は「DL2号機事件」の縮小再生産みたいなもので、「DL2号機事件」は「ンなアホな」と「...それも、アリ?」が「そこまで、やるか!」に転じるバランスの中で成立してたのが、「藁の猫」だと妙に理に落ちた感じでまとまってしまう。「砂蛾家の消失」はこりゃ「神の灯」の消失次元の入れ替えの「趣向」を「狙い」すぎ。
常識のようで狂気、狂気のようで常識、というあたりの往還の面白さ、というのがやはりこういう逆説系作品の味わいになるようにも思うんだ。逆にあくまで誰も「狂って」いない「病人に刃物」に、アイロニカルな面白さが出てしまうのが、「趣向」を外れた「趣向」の面白さ、なんだと思う。

No.815 7点 メグレと宝石泥棒- ジョルジュ・シムノン 2021/02/14 11:47
どうせならで「メグレたてつく」から連続して読む。話が続いているようなもので、「たてつく」で登場した引退したギャングとその愛人の話。このギャングは表向きの正業が繁盛して有名レストランのオーナーにまでなっているが、宝石泥棒の組織者の疑惑をメグレはずっと持ち続けていていた。でも一切しっぽをつかませないまま、襲撃を受けて半身不随。車椅子の生活で愛人のアリーヌの介護を受ける一見平穏な日々。しかし、今も起きる宝石泥棒を陰で操るのはこの男、とメグレは目星をつけていた....「たてつく」でこの元ギャングとアリーヌが意図しない鍵を握ることになったのだが、「たてつく」の解決後すぐに、この元ギャングが射殺された!

こんな話。いきなり元ギャングの射殺から始まるので、「宝石泥棒」では生きた姿は登場しない。というわけで、皆さんの低評価っぷりを見ると、やはり「たてつく」「宝石泥棒」は連続して読まないと、この元ギャングのマニュエルの、メグレとの腐れ縁に近いキャラを理解しづらくて、面白く感じにくいようだ。マニュエルは「影のボス」と言った感じの悪党なんだけど、適当にメグレとも付き合いがあるので、チンピラの情報を教えてくれたりして、メグレとも持ちつ持たれつの関係にある。で、「たてつく」ではこういう「犯罪者との癒着」とも捉えかねられないメグレの「古いデカ体質」が、官僚的な若い警視総監には嫌われていて...という背景があったのが隠し味で効いている。
シリーズで繰り返し描かれることだけど、メグレって新聞報道を介して、社会的な有名人なんだよね。だからメグレの「古いデカ体質」を嫌う人もいれば、「伝説のメグレ!」と崇拝する向きもあるわけだ。今回事件を担当する若い予審判事アンスランは「崇拝」側で、メグレと一緒にビストロに入ってランチすると妙に感動していたりするのが苦笑。メグレは河岸の自室で部下を指揮するより、こんなビストロで事件を指揮するのが、似合ってる。この「古い」メグレにふさわしく、以前からのマニュエルとの因縁を含めて「メグレのもっとも長い捜査」なんだそうである。

そういう意味で、実は「たてつく」とうまく対比もついていて、「たてつく」で積み残した話が「宝石泥棒」で決着する。この「古いメグレ」の今風の科学的・組織的な捜査とは違う、経験的で即興的な捜査がテーマになる本作、実のところ「即興の名手のシムノン」が、「たてつく」でマニュエルとアリーヌを描いたところで、方針転換して「たてつく」の話に変わった、なんて想像もしたくなるのだ。

ぜひ「たてつく」と連続して読むことを、お勧めする。

No.814 7点 メグレたてつく- ジョルジュ・シムノン 2021/02/13 22:33
メグレ、ハニートラップにかかる?
そんな冒頭である。出勤したメグレは若僧の警視総監に呼び出される。政治家筋からメグレに苦情が来ているのだそうだ。政界有力者の姪をホテルに連れ込んだ、というのがその内容。確かに昨晩メグレは電話でおびき出されて、酔っ払った娘をホテルに送って行ったのだが...誰がメグレをハメようとしているのか?
というわけでメグレは直接この件の調査をするのを禁止される。定年も近いから、メグレは地位に恋々とするようなことはないが、それでも自分をハメた狙いが分からないことには、どうにもおさまりが付かない。ごく親しい部下や、後期に登場する仲良しの医者パルドンの協力を得て、メグレは「自衛」する。その結果、意外な犯罪をメグレは掘り当てることになる....と、メグレ自身が当事者となるサスペンス、意外な真相、それにメグレが行き当たるプロセス、と後期の作品ではなかなかの秀作になると思う。
ちなみに本作の次に書かれた「メグレと宝石泥棒」は本作と前後編みたいな恰好になっているが、評者は一緒に手に入れて抜かりは、ない。「宝石泥棒」と本作で登場人物が重複して、「宝石泥棒」の冒頭で本作のネタバレを喰らうことにもなるので、ここは評者も連続して読んで楽しむことにしよう。

No.813 6点 西欧の眼の下に- ジョゼフ・コンラッド 2021/02/13 15:33
コンラッドというと、スパイ小説の源流にされる作家でもあるので、本サイトの対象に一応、なると思う。名前はいかにものイギリス人の名前なんだけども、実はこの作家、帝政ロシアの統治下のポーランドで生まれ、両親の反露運動のために北ロシアに一緒に流刑になって、成人したら船乗りになり世界を回って、最終的にイギリスに帰化してイギリスで小説家として活動する...となかなか数奇な前半生をひっさげて作家になった人物である。

というわけで、この小説、「英語で書かれたロシア文学」というカラーがあるのが面白いところ。主人公はペテルブルグの大学生だが、革命派のテロ華やかりし時代、ある日下宿に帰ってみると、顔見知りの学生ハルディンが部屋にいる。今学生運動を弾圧する大臣を爆弾テロで殺してきたところだった...主人公ラズーモフは実は出世主義者で学生運動とは一線を画していたのだが、寡黙なキャラから過激派学生の間では「自分たちの同情者で頼りになる人物」と誤解されていたのだった。逃亡の手助けを頼まれたラズーモフは、警察にこの件を届け出てハルディン逮捕に協力してしまう...しかし、この件でラズーモフの運命は狂わされる。ジュネーブの亡命者たちの間でたくらまれる陰謀を調べるためのスパイとして、当局から派遣されることになったのだ。「英雄ハルディンの同志」という虚偽の肩書の威光だけでなく、このラズーモフの斜に構えた冷笑的なキャラが、ジュネーブでの亡命活動家たちの間でも、誤解されてもてはやされる。ハルディンの妹ナターリアとも知り合い、「兄の同志」とナターリアはラズーモフに好意を寄せる...

まあこんな話。筋立てだけだと、とってもエンタメなんだけど、実際の読み心地はこの冷笑的なラズーモフのヘンなキャラ、ジュネーブの亡命者の中心にいるピーター・イヴァーノヴィチのイカサマさ加減、ピーターが寄生する大金持ちのパトロン、ド・S―夫人の奇矯さ、「殺し屋」と異名をとるテロリストでグロテスクなニキタ、などなど、奇人変人オンパレード、というアイロニカルな話である。しかも、この話がハルディンの妹ナターリアの老英語教師の「わたし」によって、ロシアとイギリスの国民性の差を強調しつつ、相対化・客観化して語られる、という仕掛け十分の小説になっている。

なので、この小説、「罪と罰」のパロディみたいな印象を受けるのだ。ウソみたいな話だがラズーモフはナターリアへの愛に打たれてしまって、自罰的な結末を迎えるし、ポルフィーリー判事に相当しラズーモフをスパイに起用する印象的なミクーリン顧問官、さらにあからさまな超人思想は古臭い、と思うのか冷笑的な出世主義のラズーモフのキャラ。何といっても、ラズーモフは素直じゃなくて、その冷笑主義を表に出して、革命家たちを馬鹿にするのだけど、それが逆に「大物」風のポーズと周囲に取られて、一目置かれるさまが、大変馬鹿馬鹿しい。「罪と罰」というよりも「罰と罰」とでもいうみたいなばかげた不条理さを醸し出している。

でもね、ちょっとだけ「意外な真相」も最後には待っている。微妙に、ミステリ?

No.812 8点 半七捕物帳 巻の六- 岡本綺堂 2021/02/11 20:46
さてこれで半七も評者は全作完了になる最終巻である。半七最後の「二人女房」(S12)が綺堂の死の2年前の最後の小説(戯曲は死の前年まで書いていたようだ)になるので、作家生活の最終盤まで半七を書き続けたといっていい。ホームズでもブラウン神父でも、その最後の短編集というと、惰性で書いているようなテンションの低さを感じるのだけど....いや綺堂の死に近い最後の半七の作品でも、実に充実している。それが本当に、凄い。よく「出来不出来か少ない」と言われるけども、大正年間のすっきりした語り口の半七もいいし、昭和の半七のこってりした内容も、両方ともそれぞれに良さがあって選び難い。この巻の作品は奇想天外なものがあって、覇気さえも感じるほどである。

江戸城本丸に忽然と現れた男が「東照宮の夢告により、天下を自分に引き渡せ」と要求した男が捕まるが、天狗に攫われて消え失せた「川越次郎兵衛」。とんだ茶番劇なのだが、この事件の設定は安政2年。もはや幕府瓦解は12年後で何か予言のような薄気味悪さもある。幕末に突入した時代がアナーキーさを強めていくなかで、脱獄囚が岡っ引きを追いかける「廻り燈籠」は逆さまの面白さ。岡っ引きでも不肖の若旦那じゃ海千山千の悪党には手も足もでない...半七親分の援助は? 世の中おかしい、となると石の地蔵も踊りだして...の「地蔵は踊る」。そして旗本の家の前には碁盤に載った女の生首が!「薄雲の碁盤」の猟奇、とこの巻の作品のアナーキーさが老年の作家のものとは思えない。
いややはり、幕末の激動の時代と、戦争に向かう昭和10年代とを、やはり重ね合わせる意図が綺堂に意識的にか無意識的にか、あったのでは...と思わせる。なのでこの6巻の作品の「異様さ」は、時代が強いたテンションの反映なのかもしれない。
で半七は府中のくらやみ祭で起きた商家の内儀の失踪を追う「二人女房」で幕を下ろす。これがまた実に力作。この神社の森には鵜や鷺が住んでいて、海で獲物を取った鳥たちが府中の山の中の神社で、その魚を落とす不思議、そしてその鵜を捕えて売る異様な男。そして神輿が通る時には真っ暗闇にする習わしの祭りで失踪した女。いや評者、半七から1作品だけ選ぶ、としたら「二人女房」を推したいくらいの名作だ。

一応この本には昭和6年に書かれた半七の養父の吉五郎を主人公にした中編「白蝶怪」を収録しているのだけど、半七の最終盤の名作たちと比較すると、かなり落ちる。ただ長いだけ、という印象。なのでこの巻に収録するの、どうなんだろうか(「白蝶怪」がつまらないから書籍としては減点。最終盤半七だけなら10点)

半七の小説としてのレベルの高さは信じられないほど。世界に誇ることのできる、日本の大名作ミステリ・シリーズである。
それでも、評者の個人的セレクトはしてみようか。

「津の国屋」「二人女房」「正雪の絵馬」「廻り灯籠」「朝顔屋敷」「鷹のゆくえ」「河豚太鼓」....いやいやまだまだ、たくさんある。困った。ベスト10とか選ぶのは無理なほどだ。そんなシリーズ、他にはたぶんないと思う。

No.811 7点 無間人形 新宿鮫IV- 大沢在昌 2021/02/07 15:11
鮫の旦那のシリーズは評者好きなんだけど、評者の萌えどころがこのサイトだとややズレぎみなのは、よく分かっているさ(苦笑、評者は目が腐ってるから)。と前振るのは、要するに本作でコレ外しちゃダメだろ、という萌えのポイントが、香川兄弟だ、というあたりなんだ。
この香川兄弟の関係性に、本作では実に萌えるんだ。とくに進の死の直後、弟の死にざまを電話越しに聞いていた兄に気が付いた鮫島が、その電話で兄に語り掛ける....ここが圧巻のシーンになっていると思う。「屍蘭」でも連続殺人犯がその原因となった病人の枕元で立ちすくむシーンとか、このシリーズ、その作品を象徴するような「心理的な陰影が強く出た」名場面が必ずといいくらいあるのが、なかなか素晴らしいあたり。

本作だとママフォースも一度しか出ないし、ゲイミスの味があるこのシリーズとしては、その側面はないけども、王道なBLの味わいがシリーズ中でも一番強く出た作品なんだと思っている。強がっていても実は甘えがあるお坊ちゃんな弟と、冷静沈着な兄。いやいや本当に鉄板のパターンというものです。
ここまで巧妙に仕掛けたシリーズなんだから、絶対作者分かって、やってると思っている。うん、この件については、評者少数意見でも全然気にしないや。

No.810 8点 禽獣の門- 赤江瀑 2021/02/06 10:58
光文社文庫の三冊のアンソロの2冊目。情念編だけど、赤江瀑、どの短編も「幻想」で「情念」で「恐怖」だから、このアンソロ三冊のそれぞれの個性がある、というほどでもない。それでもこのアンソロというと、表題作の「禽獣の門」が本自体の「重し」になっているようにも感じられる。

短編「禽獣の門」って、本当にヘンな作品なのである。梗概をまとめてみて、評者も正気には思えない。
能の家元の家に生まれて後継を期待されながら「能がつまらない」と家を出た春睦は、デザイナーを職業としつつ妻の綪(あかね)と山口県の漁師町に取材を兼ねた新婚旅行の中で、離島に取り残された...その島で、春睦は妻ともども、若くたくましい漁師に凌辱される。その漁師の背に遺された傷跡は「丹頂鶴」によるものだ、と知った春睦は、妻を振り捨てて丹頂鶴に憑りつかれ、兄弟のように育った後見の雪政とともに、中国山地の寒村に怪物のような丹頂鶴を追い求める。その丹頂鶴を目撃した春睦は、能の家に復帰して新作能「鶴」を初演するが....そこである事件が起きる。
いやこの内容で文庫70ページほど。長めの短編、というか中編には短いか、くらい。テーマはダジャレじゃなくて真面目に「官能と能」。

六月の街を洗いあげる光線はつよく、全身にその鮮烈な刷毛目を浴びてここへ逃げこんできた時の彼女の様子には、どこか昂奮しきった小動物を想い起こさせるところがあった。皮膚の奥深いところで、まだ燦然たる六月の街並みはキラキラと喧騒を伝え交わし、肉の内側で、硝子粉をまきちらしたような無数のきらめきがが余燼をくぶらせていて、彼女は完全に落ち着きを失っていた。

こんな華麗な文章で書かれてしまうと、つい魔法にかかってしまう。いや、読んでいるうちはこの辻褄が合ってて合ってない話が、納得して読めるのである。これが赤江瀑の凄みである。これほどヘンな話でも、イメージの鮮烈なつながりに説得力があるために、ヘンが変に見えないのである。

「蜥蜴殺しのヴィナス」は「兄の失踪と家の謎」で話を釣っていくわけだから、手法としては完全にミステリなんだが....昭和39年に来日したミロのヴィナスの乳房に這う青蜥蜴と、見知らぬ男の脇腹にナイフを突き立ててそのまま失踪した兄。同時に起きたこの2つの「映像」が少年だった主人公に深い傷を与えた。主人公は成人して、ミロのヴィナスの「失われた腕」に囚われたこの一家の因縁を解明する...それでも真相は「ミステリの解決」からは遠いものだ。「アンチ・ミステリ」でもなくて、言ってみればこういう淫蕩な「傷のイメージ」に「ミステリ」を逆用したようなものなのだ。しいて表現を探して「逆ミステリ」とか赤江瀑を思うと、評者は腑に落ちる。

この他「雪華葬い刺し」「シーボルトの洋燈」「熱帯雨林の客」「ライオンの中庭」「ジュラ紀の波」「象の夜」「卯月恋殺し」「空華の森」を収録。やや長めの短編が多い。
ミステリをミステリでなく「使って」鮮烈なイメージを紡ぎだす、というあたり、意外に小栗虫太郎あたりに近いんじゃないか...なんて思う。いやミステリマニアこそ、赤江瀑を読むと「ミステリという文芸」を相対化するような視点が持てるのではないか、なんて秘かに推薦したく思う。

No.809 8点 フランケンシュタイン- メアリ・シェリー 2021/01/31 17:55
最近では4種類も翻訳が出ているようだが、読んだのは昔からある創元の森下弓子訳。新藤純子による解説が力作で、解説のためにこれを選んでもいいんじゃない?と思うくらい。
映画などで作られたパブリック・イメージと比較すると、原作小説は本当にマイナー。読んでる人には当然の知識なんだけども、原作での設定は次の通り。

・「フランケンシュタイン」は怪物を創造した人物の苗字。名前はヴィクター。
・ヴィクター・フランケンシュタインは博士でも教授でもなくて、ただの学生。
・怪物には名前はない。
・怪物のヴィジュアルについて詳細な説明はないが、人間誰もがその醜さに恐れおののき、爪はじきにする。純真な少女だけは恐れずに...とかそういう描写はない。
・人間社会からは孤立しつつも、怪物は自力で言葉や人間生活の常識を学習し、最終的には「若きウェルテルの悩み」「プルターク英雄伝」「失楽園(ミルトン)」を読んで人間を理解する....めちゃくちゃ、優秀。

ふとした出来心で怪物を作り上げちゃったヴィクターは、無責任にも生まれたばかりの怪物を見捨てて逃亡し、怪物は自力で生き延びて知識を得て創造主のヴィクターを詰問しようと追いかけるが、偶然会ったその弟をもののはずみで殺してしまい、ヴィクターと怪物の関係がコジレにコジレる話。怪物側に感情移入してしまう方がふつーだと思うんだが....創造主vs見捨てられた被造物、身近な人を殺す怨敵、「自分の伴侶を作れ!」と怪物は強制するが、ヴィクターは拒む....とこのヴィクターと怪物との関係に実にいろいろな切り口が現れるために、この関係性の面白さに惹かれてまったく、飽きない。

人はみなみじめな者を嫌う、だったらどんな生き物よりはるなに不幸なこのおれが、嫌われぬわけがない! だが、わが創り主よ、おまえが被造物のおれを憎み、はねつけるのか。どちらかが滅びぬかぎり、切っても切れない縁で結ばれているわれわれなのに。それを殺そうというのだな。どうしてそんなふうに命をもてあそぶことができるのだ?

いやこの怪物の告発が雄弁で本当に心に痛い。本質的に孤独な者、世界から疎外された者の叫び以外の何物でもない。だからこの関係性はドッペルゲンガー風の色彩を帯びてさえ、くる。フランケンシュタインと怪物は、深すぎる縁で結ばれていて、どちらがどちかなのか、区別がつかないくらいに、互いの妄執が束縛しあい続ける....この面白味、ロマン味を楽しむ小説なんだと思う。

人がおれを蔑むとき、そいつを敬わなきゃならんのか? ともに暮らして優しさを交わしあえるなら、おれは害をなすどころか、ありとあらゆる善行をほどこして、受け入れてもらえたことに感謝の涙を流すだろう。だがそれはだめだ。人間の五感がおれたちの結びつきには越えられぬ障壁なのだ。

この不条理が小説として素晴らしいポイントになっている。人間が怪物を嫌うのは「理屈」じゃないのである。だから怪物は絶望し、唯一責任を逃れ得ないヴィクターに、「怨敵として憎まれる」という反対方向の愛を捧げ続けるのである....いやこれが、本当に、泣ける話なのである。感動的な大名作。

No.808 8点 あるフィルムの背景- 結城昌治 2021/01/26 20:48
今回ちくま文庫版で。だから「葬式紳士」やら「温情判事」のオマケ付き。
でもね、この短編集だったら「孤独なカラス」である。

死んだ父がアフリカでヘビになったのが本当なら、聞こえる声は父とちがうのか。ちがうみたいだ。みんな、むかしからヘビで、女のお腹にいっぱいに詰まっていて、生まれるときに一匹ずつ人間の姿になって、死ぬとまたヘビになって、それからアフリカに行ったりインドに行ったりして、それから母ちゃんみたいな女のお腹にいっぱいにつまって、そして生まれるときにまた一匹ずつ人間になって....

と児童の統合失調症と思われる「カラス」と仇名される少年の事件を、その妄想に寄り添って語ったのが「孤独なカラス」である。極めて悲惨な話なのだが、この少年の妄想ベースで語っているために、独特のファンタジックな味わいが出ている。このサラサラした語り口に、結城昌治の練達の「芸」を観るべきだと評者は思うのだ。語り過ぎず、読者に想像の余地を十分に与える、やや古風かもしれないが、透徹した美意識の産物のように評者には感じられる。

(追記:この蛇の幻想から連想して、異端のシナリオライター深尾道典の「蛇海」とか「蛇の棲む家」とか探して読んだ...深尾の方が後なのだが、人と蛇の幻想の中での合一、というテーマは神話的で奥深いものを感じる)

実際、この短編集のそれぞれの話は、なかなかエゲツないものが多いのだ。しかし、この結城の「語り口」によって、奇妙に冷静に相対化がなされて、不思議なオブジェを見ているような気持になる。とある不美人のプライドを扱った「みにくいアヒル」なぞ、その典型例だろう。
このように、突き放した、というよりも「感情を排した」語り口はハードボイルドに通じることになる。表題作の「あるフィルムの背景」は、突然自殺した妻の死に関わるブルーフィルムの謎を追う夫の検事の話。妻を喪った夫の、激しい悲しみに加えその原因を作ってしまった自責が底流にある。それでも筆は感傷に溺れることなく、あくまでも描写はクールな客観性のもとにある。

これが最良のハードボイルド、なのだと思う。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.41点   採点数: 1327件
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