皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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[ ホラー ] ドリアン・グレイの肖像 別邦題『ドリアン・グレイの画像』 |
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オスカー・ワイルド | 出版月: 1922年01月 | 平均: 8.00点 | 書評数: 2件 |
天佑社 1922年01月 |
家城書房 1950年01月 |
河出書房 1956年01月 |
新潮社 1962年05月 |
岩波書店 1967年09月 |
光文社 2006年12月 |
KADOKAWA 2024年08月 |
No.2 | 9点 | 弾十六 | 2024/09/06 15:10 |
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初出1890年7月米リピンコット・マガジン、発表後すぐに不道徳な作品だと非難されたが、増補改訂し、1891年4月に英ワード・ロックから出版。
1889年8月のストダート夕食会で、ドイルとワイルドが米リピンコット誌のために約束した作品、としてシャーロッキアンには有名。 ドイルの方はシャーロック再登場の『四つの署名』となった。ストダートは良い仕事をしたわけだ。なおこの会食の席上でワイルドはドイルの出版されて間もない自信作『マイカ・クラーク』(1889)を褒めている。 今回は河合祥一郎さんの新訳で読了。当時の英国社会の常識が訳注に反映されてて、今までモヤモヤしてたことがスッキリすることが多かった。解説も充実。もちろん翻訳も素晴らしい出来。 実はこの有名作は読むのが初めて。ワイルドとくれば男色ネタは外せない。その点は訳者の解説で詳しく触れられており、解毒していただいた。もっと詳しい書籍も買っているので、それを読む意欲もわいてきました… さて肝心の本作だ。 冒頭が素晴らしい。無垢なものが汚されるかも?というスリル。次に女性が登場してちょっと「うーん」となるがそれも無事にクリア。実は女性には非常に優しい眼差しのワイルド。口では辛辣っぽいセリフでも結構穏やか。だからサロンで人気者だったのだろう。 物語は美学的自己弁護と豊富な軽口にややウンザリだけど、素晴らしく起伏に富んでいる。解説にある、ワイルドが登場人物のモデルを明かしたセリフにすごく納得した。 あらすじではもっと寓話的ファンタジーな設定に思えるかも、だが、なかなか上手な取り扱い。締めも良い。 トリビアは詳しい訳注で充分だろうが、二三特記したいのがある。(二三のつもりが沢山になりました) p56/416 オールバニ館◆ ラッフルズもオールバニに住んでいた。やはりラッフルズは当時の英国人が読めばワイルドをネタにしていたのが明白なのだろう。 p60/416 最近では、アメリカ人と結婚するのが流行っている◆ 英国貴族と米国婦人の組み合わせ p68/416 逆説というのは、真実を言い当てる方法です p90/416 ミート・ティー◆ ハイ・ティーとの違いの解説あり p96/416 五十ポンドは大金◆ 2024年現在で約150万円、との訳注。実に素晴らしい。英国消費者物価指数基準1890/2024(161.04倍)で£1=30348円。 p144/416 社交シーズン◆ 行き届いた訳注あり p157/416 宗教の神秘には、恋愛遊戯の魅力があると、ある女性が教えてくれた◆ ああ、なるほどね、と思ってしまった p188/416 地区検視官(District Coroner) p190/416 モーニング・ルーム◆ 訳注参照。こういう部屋の名称も用語集が欲しい p224/416 メントーネ◆ マントンのイタリア読み。結核療養の地だったのか。なのでマクロイ『死の舞踏』では「マントンは死ぬところ」と書かれてたんだ… p263/416 英国民の伝統的愚かしさ◆ 逆説的に称揚されている。ヴァンダインも安心だ。 p269/416 通話用開口部(トラップドア)◆ 二輪馬車(ハンサム)の。詳しい訳注が嬉しい。Hansom馬車の模型が欲しいけど、プラモが売っていない。 p303/416 六連発銃(a six-shooter)◆ 型式は不明。 p324/416 掛け金(their bolts)◆ 「掛け金」は万能翻訳語なので避ける方が無難だろうか p403/416 電報配達の少年たちが夜クリーヴランド街十九番地(ロンドン)で男娼していたのが検挙された◆ 1899年のこと。関係していた貴族が数人国外逃亡した大事件だったようだ |
No.1 | 7点 | クリスティ再読 | 2022/01/31 16:51 |
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本作だと1890年出版だから、まさにホームズのデビューと同時代。やや先立つスティーブンスンの「ジキル博士とハイド氏」や少し後の「ドラキュラ」とイギリス世紀末の豊饒さを象徴する作だから、やらないとね。ここらと同様にオハナシの中身自体はきわめて有名。
いやね、そういう読み方をすると、ドリアン・グレイという人物は作中で殺人も犯すしね、稀代の名犯人だ。それに対して、ヘンリー卿の迷探偵っぷりが本作を「探偵小説」にできなかった理由だ(苦笑)。ワイルドが自身を投影したとみられるヘンリー卿は、口を開けば逆説を垂れて、うっとおしいにもほどがある。逆説大好きはそれこそチェスタートンで例を見ているわけだけども、やはり「ここぞ!」で使うから逆説というものも生きるのだ。ご挨拶のように逆説を捏ねていると....こと志に反してバカみたいに見えるのが相場。ドリアンはヘンリー卿に影響を受けて背徳の生活に足を踏み入れたのだけど、寡黙なダンディーとしての生きざまは、口先だけのヘンリー卿を軽く凌駕しているわけである。だからこそ、ドリアンの犯罪にヘンリー卿は露ほども気が付かない! まさに迷探偵、である。 実のところラストは至極あっさりしている。このラストは「出来心」だと評者は解釈したいのだ。因果応報ではなくて、あくまでもケダモノのように軽率であったために、道徳に回収されることなくドリアンは背徳の人生を全うできた....そういう読みによってこそ、ドリアンも以て瞑すべきではなかろうか。 いやいや、評者も逆説が大好きだからね。ヘンリー卿の浅薄さは他山の石としたい。 |