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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1313件 |
No.833 | 6点 | 死者はよみがえる- ジョン・ディクスン・カー | 2021/03/28 11:08 |
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アンフェアと言えばその通り。犯人分かるわけないじゃんと言えばその通り。けどね、本作はミスディレクションの妙味みたいなものが、強く感じられる作品だから、いろいろ目をつぶって、こういう評価にした。まあ、相当に無理のある真相なんだけど、ミスディレクションという面では、なかなか放胆なアイデアがあって、何か「憎めない」。
で、本作怪奇趣味も薄くて、「上機嫌なカー」といった雰囲気が何か妙に素敵。今回読んだのは昔からの旧訳なんだけど、新訳が出てるね。たぶん新訳で読んだら印象が随分違うのでは...なんて感じる。まあでも創元の邦題は意図しない妙な怪奇色がついちゃうので、「死人を起こす(ような大きな音)」とか、そういう原題のニュアンスと逆方向だから、考慮した方が良かったのかな。 あと本作17章の「なぜに」講義は、「三つの棺」の「密室講義」、「緑のカプセル」の「毒殺講義」と併せて、フェル博士三大講義、なのかも(苦笑)。いや意外にミステリの本質、突いてると思う。 |
No.832 | 5点 | 春喪祭- 赤江瀑 | 2021/03/26 07:44 |
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赤江瀑でもアンソロではない短編集で表題作の他「夜の藤十郎」「宦官の首飾り」「文久三年五月の手紙」「百幻船」「七夜の火」を収録。
...で、思うんだが、意外に赤江瀑って打率が悪い。十年ほど前に約半分の作品を読んで打ち止めにして、コンプを狙わなかったのは、アンソロを読んで「面白い!」とはなっても、アンソロ未収録で本来の短編集でしか読めない作品だと、イマイチ作が多い、というのが分かったからだった。確かに赤江瀑、ジャンルからはみ出た作家だし、話のオチをきっちり決めてみせるタイプの作家でもないし...で、作品の表面的な辻褄が合ってないんだけど、実は深いところでの辻褄が合っていて、それで「凄い!」となるのが、この人の勝ちパターンだ。としてみると、この「深いところでの辻褄」がうまく起動しない作品もあるわけで、そういう場合には、ホントに表面的な「ヘンテコさ」が目立つことになって、読んでも「何がどうした??」となることもある。いやだから、この「深いところでの辻褄」を、とりあえずの「妖美」とか「怪異」とかそういった貧弱な語彙でしか語れないあたりに、評者自身も情けない想いをするんだが.... でこの短編集だとお得意の歌舞伎ネタの「夜の藤十郎」が和風ドッペルゲンガーみたいな話で面白い。あと光文社アンソロ収録の「七夜の火」と、プレ「海贄考」な「百幻船」がまあまあ。あとはつまらない。 |
No.831 | 7点 | Z- バシリス・バシリコス | 2021/03/24 22:09 |
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コスタ=ガヴラスの映画が有名な、ギリシャの左翼政治家グレゴリオス・ランバラキス暗殺事件を基にした小説である。殺された政治家の名前を「Z」として出版されたが、軍事政権によってギリシャでは発禁。映画はギリシャ人監督のコスタ=ガヴラスがフランスで撮影して、主人公の政治家Zを演じたのがイヴ・モンタン。
まあだから、事件の枠組みから見ると一種の政治スリラー、海外だと「社会派」がないのでなんなのだが。この小説は、多視点を切り替えながら進む群像劇みたいなもので、しかも独特の叙事詩的で詩的な描写が続く。でも客観性があるために、スタイルは独自だが読みづらくはない。時折はっとするような詩的イメージがある。 空気のどの部分に君のまなざしは残っているのか? どこの洞窟に君の声は下りていったのか? わたしの耳は遠くのオートバイの音で裂けそうだ。機関銃かロード・ドリルのように、単純で果てないひびきだ。 この暗殺事件の黒幕は憲兵司令官で、憲兵隊と警察がグルになっての背景。サロニカを訪問した左翼系政治家Zの演説会を、雇ったゴロツキたちで妨害する中で、混乱に乗じてZをオート三輪で急襲して撲殺する、という犯行。実行犯は三輪トラックの所有者の運送業者ヤンゴと、ゲイのバンゴ。このトラックに、Zを崇拝するあまり護衛を買って出たハジスが、暗殺現場から飛び乗ってバンゴとヤンゴの足取りを掴んだことから、暗殺事件の真相が明るみに出てくる。政権は憲兵隊や地方警察がこの暗殺の黒幕になっていたことから転覆し、熱心に事件を追及する予審判事によって、黒幕たちも訴追されるのだが... で、この警察が手先に使ったのが、ギリシャを占領したナチスが育てたファシスト団体だったり、内戦で左派のパルチザンに殺された恨みのある下層民だったり、というあたりが活写されている。八百屋の「スーパー男爵」、ナチが育てたファシスト団体の流れを汲む「独裁主義者」、ボクサーのジミーといったなかなか個性的な面々である。ギリシャも第二次大戦からその後の冷戦と国際政治に翻弄されて、紆余曲折の末に70年代に軍事政権が倒れてパパンドレウ政権でやっと民政移管することになるわけだ。 そんなギリシャのややこしい国内対立を叙事詩的に描いてみせたこの小説、同じ背景を扱った映画「旅芸人の記録」の叙事詩的な語り口を連想させて、なかなか興味深く読める。 |
No.830 | 8点 | ジョセフ・フーシェ- シュテファン・ツヴァイク | 2021/03/21 21:51 |
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本サイトで言えばカーの「喉切り隊長」の探偵役だし、HM卿が執務室に飾る肖像画の主である。ナポレオンの警察大臣であり、世界最初のスパイマスターの伝記に基づく小説なんだが、実のところフランス革命からナポレオン、王政復古までの政治の荒波を乗り越えて生き抜いた、「政治のトリックスター」として比類のないキャラクターの話である。
ロベスピエールに憎まれて自らを救うためにテルミドール反動の黒幕となり、あるいはブリュメール18日クーデターでナポレオンの執権に一役買い、ナポレオン百日天下ではワーテルローの敗戦処理の中で、フーシェ本人が一瞬だがフランスのトップに立って、政権をルイ18世に売り渡す...こんな、波乱万丈の話。つまらないわけ、ないでしょう? 著者のツヴァイクはこのフーシェの「完全無欠な裏切者」という強烈な「無性格」性、「政治的カメレオン」性と、ある種凡庸な小市民的な個人生活と僧院的な克己心、孜々として職務に精励する能吏としての性格、を一人の個人に共存させて、この一筋縄ではいかないキャラを描いている。陰謀耽溺者であるが、国中にスパイ網を構築してそれを名人芸で運営し、あらゆる裏取引も不正もすべて知る「全知」であり、あらゆる政府・政権に真の忠誠を誓ったことがない男。ほぼこんな人間が存在しえたことが奇観としかいいようのない、シャーロック・ホームズというよりマイクロフト・ホームズをスケールアップしたような存在である。 いや実に評者このフーシェに憧れたね。この無味乾燥・冷血冷静にして、冷たく燃え上がるような精神的賭博者的性格を、逆説的な(反)ロマン派みたいに見たら、評者みたいなヒネクレ者は本当に萌えるわけだよ。単純なロマンではなくて、より隠微で強烈な快楽的性格、というあたりの、マイナーな興味に訴えかけるところ大なアンチ・ヒーローとして偶像化していたわけである。いやこういうキャラは、実のところ「名探偵」の暗黒面みたいなものなのかもしれないと思うんだ。たとえばポーのデュパンなら、このフーシェの役はキッチリ勤まった、と思ったりもする。 高校の図書館のボロボロの岩波新書で読んだのが最初だけど、それ以来の愛読書である。以上に今回読み直して、この本から「文章の書き方」を評者は学んだように感じている。評者にとっての重要な文章規範の、大切な本の一つ。 |
No.829 | 9点 | ミステリ・オペラ- 山田正紀 | 2021/03/21 20:39 |
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いや本作、「昭和への挽歌」だから、若い方が読んでも全然ピンとこないだろうね。犯人だってトリックだって、ただの装飾、ただのオマケな作品なんだよ。「メタ・ミステリ」がただの多重解釈モノの別名に堕しているのを、「ミステリって何のためにあるのか?」を追求した、「ミステリという文学自体が『ミステリ(謎)』である」本当の意味の「メタ・ミステリ」を書いてやろうとした野心的な作品が、本作というわけだ。
この世の中には異常なもの、奇形的なものに仮託することでしか、その真実を語ることができない、そんなものがあるのではないか。君などは探偵小説を取るに足りぬ絵空事だと非難するが、まあ、確かに子供っぽいところがあるのは認めざるをえないが、それにしても、この世には探偵小説でしか語れない真実というものがあるのも、また事実なんだぜ この本が証明しようとするのは、まさにこのテーゼ。いやミステリ読みならば、この心意気に打たれない、かな? 「探偵小説」だからこそ可能な「救済」めいたものが、本作の最後にほのかに現れる。これが感動的である。「(この人たちの)ミステリが好きだった」とすべての死者を記憶する検閲図書館・黙忌一郎が愛を告げる、この瞬間のために文庫1100ページを超えるのを読んできた甲斐もあろうというものだ(ハヤカワ文庫の2005年の初版なんだけど、今回再読していて本が崩壊してきた....厚い本は弱いなあ) 「グリーン家」「僧正」「Yの悲劇」「シャム双生児」「三つの棺」が幾度となく参照されるどころか、小栗虫太郎のアルターエゴである小城魚太郎が作中人物として登場、黒死館での謎の一つ「グブラー麻痺」もネタに、さらに「ズウゥーン」という砲撃音が「ドグラ・マグラ」の固執モチーフのように何度も聞かれ、果ては「虚無への供物」という発言も。さらに「乱歩でもこんな」とか参照されれば、鬼貫みたいな警部も登場...と、この作品では野放図なまでに「探偵小説」が参照され、このような「探偵小説」のテキストの網の目の中で「宿命城殺人事件」が相対化されていく....「ミステリ・オペラ」の作中作でありかつ別題でもある二重の「宿命城殺人事件」の著者は小城魚太郎でもあり、善知鳥良一であり、実のところ昭和を生きた人間ならば誰でも「宿命城殺人事件」というテキストの「著者」たりうる、というあたりにこの作品の「テキスト論」的な仕掛けがあったりする。「宿命城」とは「昭和」という時代そのものの姿なのだ。いや本当に、本作は平成生まれの若い方に、読ませちゃいけないよ。 (ちなみに最後の「おれはただの人殺しだ。安っぽい探偵小説の人殺しなんだ」は「博奕打ち総長賭博」のパラフレーズだよ) |
No.828 | 7点 | 私という名の変奏曲- 連城三紀彦 | 2021/03/18 12:17 |
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長編で内容的には「幻の女」+「シンデレラの罠」。アイリッシュ同様に、この人の良さも、短編の良さみたいな部分を感じるな。だから、7人の男女を巡るそれぞれの話が、それぞれに興味深くて、「7人すべてがまったく同じ状況下で、同じ女を殺す」というイリュージョンを手を変え品を変え見せてくれる。この「魅力的な謎」を作ることに注力しているあたりを評価すべきであって、解決なんてオマケみたいなものだ。
一瞬静止したレイ子の顔は、たとえようもなく美しかった。結局レイ子は何も言わなかった。私は二秒で寝室を出、五秒でその部屋を出、一分後にはマンションの裏手に駐めておいた車に乗りこみ、走り出していた。 文章だけど、狙った美文調のあたりよりも、こういう抑制的な描写の方に良さを感じる。まあ、最後に被害者ヨイショするのはお約束かしら。 |
No.827 | 4点 | ガーデン殺人事件- S・S・ヴァン・ダイン | 2021/03/16 06:21 |
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「別名S.S.ヴァン・ダイン」によると、「カシノ」の売れ行き不振から、ヴァン・ダインは軌道修正を図ることになる。次の「誘拐」でヴァンスが銃撃戦するとか映画向きにスリラー風味が加わるけど、本作でもラストは活劇、しかもヴァンス恋愛す(あっさり、かつミスディレクション?だが)。というわけで、ヴァン・ダインの従来型の書法と新しい要素をつぎはぎしたような印象....でこれが成功してなくて、かなり小説として安っぽく退屈。
というかさ、男勝りでモダンなザリア、悪い意味で「女優」的なマッジ、冷徹な看護婦ビートン、とこの三人の女性のキャラ設定とか悪くないんだ。しかし、ヴァン・ダインの筆力が追い付いていないので、キャラを生かし切れていない...困った。いや本作全体的にアイデアは悪くないんだが、アイデアが全然活用されていないので、中途半端にネタをぶちまけたような印象が強い。 そりゃあさあ、電話による中継でサロンで競馬を楽しむとかね、風俗として面白いわけだよ。けどこの競馬がミステリに何かかかわったか?というと全然だし、放射性ナトリウムでなければいけない理由もないし....困ったものだ。そういえば本作の競馬は非合法のノミ行為だ(苦笑、第1章でマーカムに弁解してる)。 「ファイロ・ヴァンスにゃ/お尻ひと蹴りが必要ざんす」この有名なオグデン・ナッシュの戯詩の話題が本作の登場人物の口の端に上るとか、ちょっとメタなくすぐりもあるんだけど、ヴァンスらしいウンチクも本作はなし。試行錯誤は悪い方向にしか向かっていないように感じる。 後記:扶桑社のミステリー通信「ユーモア小説としてのヴァン・ダイン」が正鵠を得てる。 ヴァン・ダインは、そんなヴァンスをじつは心底かっこいいと思っている。 でも、それをかっこいいと思っている自分が恥ずかしいという思いもある。 著者のアンビバレントな感情が、ファイロ・ヴァンスのシリアスだがどこかコミカルな扱いには刻印されています。 わざわざいわでもがななナッシュの戯詩の扱いとか、なるほど、と思う。 |
No.826 | 8点 | 灯籠爛死行- 赤江瀑 | 2021/03/11 16:52 |
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思い出したように創元から3巻でアンソロが出ている最中だったりする。すでに出ている1巻は名作「上空の城」に晩年の「星踊る綺羅の鳴く川」に加えエッセイといえばエッセイ、創作といえば創作で赤江瀑の頂点みたいに思う「海峡」を収録している。こっちも買ってやらなきゃね。光文社3巻アンソロとはカブらないのが、いい。
で光文社3巻アンソロ「恐怖編」。のっけから「花帰りマックラ村」でブルブル。 夜は闇夜、なまじ、星などないほうがいいよ いやこの作品別に大した怪異も起きない。グロもないし、捻じれに捻じれた邪悪もない。前途有望な好青年の大学生が自ら死を選んだその真相、に過ぎない話なんだけど、「異界」が見えてしまい、その「異界」の誘惑に「潔く」その身を放擲する、「放我」とでもいうべき死のありさまが、実に「怖い」。いや、オハナシなんだけども、そういう異界からの魅惑に捉われたら、この自分だって「いさぎよく」しかねないような、そういう想像を自らにたくましくして「自分が怖い」のである。逆説的なホラーとして際立っている。 で代表作級としてアンソロ収録も多い「海贄考」。海で心中を図った夫婦の夫だけが漁師に拾われて息を吹き返し、その後、その漁師の元で世捨て人として暮らすのだが、何度も海に引きずり込まれるような危うい体験を繰り返す...いや、ミステリとして読んだときに、これほど「凄い」動機もないと思うんだ。京極夏彦に結構トンデモ動機があったりするのだが、そういう「頭で考えたような」動機とは一線を画す「野性の動機」なのである。短い作品なのだが、作者あとがきとして、民俗学者の研究を引いて結末としている。主人公の結末を記述するよりも、ずっと効果的である。すばらしい。(今回読んでて島尾敏雄の病妻ものに近いテイストを感じてた...幻想性も、近い?) で実は完璧に「ミステリ」な「砂の眠り」を収録。いやこれ、本当にトリックがあるといえば、ある赤江瀑にしては珍しい話。北陸の海岸でスナビキソウ群落を訪ね歩く在野の植物学者の目的は....評者が言うのはなんだけど、ちゃんとしたミステリですよ(苦笑)こんなのも書けるわけだ。 あとは「原生花の森の司」かな。いや本作トリに持ってくるのが本当はいいようにも思うんだ。民話の語り部として有名な老婆が、椿の花に埋もれて自殺した、その理由の話。いや自殺の話だから、後味が悪い、かというと本作はそういうわけではないのが面白いところ。「あの花ざかりの森で、生きるために。陽のあたる花枝のかげに、一枚の茣蓙を敷いて」と椿の花ざかりの森の中に人生がフェードアウトしていくような、幸福感みたいなものが立ち上るのが「怖い」といえば「怖い」し「幸せ」といえば「幸せ」な、複雑な感慨をもよおさせる。 としてみると、この光文社3巻アンソロで未収録の名作短編、というと評者が思い浮かぶのは「鬼恋童」「野ざらし百鬼行」「花曝れ首」「ホタル闇歌」「夜の藤十郎」「阿修羅花伝」「卯月恋殺し」「殺し蜜狂い蜜」「ニジンスキーの手」あたりになるようだ。ここらを創元で収録してくれるとうれしいな。 |
No.825 | 5点 | 心憑かれて- マーガレット・ミラー | 2021/03/08 22:43 |
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そりゃ評者にだって、苦手作家はいるものだ。ミラーって苦手、というかなぜかあまり関心がない。この一週間忙しかったのもあるんだけど、本書を少し読んでは中断し...で妙に時間がかかってしまった。別に難しい小説じゃないんだけどね。
本作の邦題は「心憑かれて」だけど、原題はシンプル「The Fiend」。Friend じゃないのがミソで、Fiend は「悪魔」とか「魔神」とか「悪霊」とか、そういう意味。特に主人公はなくて、三人称で内面も等価に描くスタイルなんだが、軸の一人になるチャーリーに「少女の敵」な前科がある。チャーリーはそれを克服したようでも、いまだにその欲望(魔神)に振り回されて右往左往するさまが、気の毒というか情けないというか....でも、そのチャーリーに人生を振り回されて困惑する兄のベン、婚約者になったルイーズの方が評者は印象的だ。 だから、本作「異常心理物」という感覚は希薄で、郊外ニュータウンの狭っ苦しい人間関係の中で、微妙にコワれてくる気の毒な人たちの話。事件らしい事件も3/4くらいにならないと起きないし、その結末もあっさり。サスペンスらしくもなくて、社会派、というジャンル分けをしても評者はそう意外には感じない。 |
No.824 | 6点 | 倫敦魔魍街- JET | 2021/03/03 00:57 |
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久々に漫画したい。去年ホームズをやったから、〆に何かパロディを、と思っていたわけだけど、そういえば JET って、ある意味「ミステリ漫画の女王」なんだよね、と思って急遽本作をやってみようと。
横溝なら「獄門島」「本陣」「八つ墓村」に「手毬唄」「犬神家」「笛を吹く」に「悪霊島」、乱歩で「黒蜥蜴」、ホームズなら「バスカヴィル」はおろか「青い紅玉」「まだらの紐」も「白銀号」だって「黄色い顔」やら短編は全部で11本、ルパンなら「八点鐘」全部に、「エラリー・クイーンの冒険」からだって4作品。これだけミステリのコミカライズやった漫画家もいないでしょうよ。まあホームズもだけど原作に忠実なものが多いから、マンガで楽しむにはミステリマニアが作家買いしてもいい漫画家だと思います。 で、なんだが、ここでコミカライズを扱うのは何なので、オリジナル作「倫敦魔魍街」から。 ホームズの死後、トランシルヴァニアから魔都倫敦を訪れた二人組はホームズ探偵譚に憧れる狼男と吸血鬼だった。狼男は「ホームズ」を名乗って不死身の体を生かした体力勝負、吸血鬼は「ワトソン」を名乗って、生き物の強い感情を感知する能力を生かして、探偵業を開業した。幽霊のハドソン夫人が世話をする事務所に訪れる客は.... とまあこんな話。なので、本当に勝手に名乗っているだけ、という設定。推理というよりもアクション・ホラー。でもね、このところスプラッター規制が強くなっていることもあって、スプラッター大好きなJETは、雑誌から最近は敬遠されている噂も....でも本作連載は伝説のホラー誌「ハロウィン」。ゾンビもバラバラ死体も満載で、BL風味も忘れずに。 まあ、正典で互いに名字を呼び捨てで呼び合うホームズとワトソンなんだけど、これ名前で呼び合うとBLになっちゃうから、それをドイルは避けた、という話があるくらいのもので、この漫画もそこらへんはしっかり踏襲。萌え成分大量。 だから、正典のホームズ&ワトソンを期待しちゃいけないんだが、実のところ、こうやってホームズ実は狼男、とか「演じてる」姿が、すごく日本的で面白い、と思うのだ。これを一番端的に示したのが、単行本書下ろしの「大江戸魔魍街捕物帖」で、本作のホームズ(狼男)とワトソン(吸血鬼)、それに敵役のモリアティー(ホームズの弟)が、時代劇の世界に転生し、それぞれが黒門町の伝七、桃太郎侍、鼠小僧、他のJETの主役キャラが中村主水と遠山の金さんに扮し...でこの5人勢ぞろいで白波五人男の見得を切る。狼男でホームズで伝七で五人男、とキャラを猛スピードで着替えしているように目まぐるしい。野田秀樹の芝居のような面白味である。いや助六実は曾我五郎とか、鮨屋弥助実は平維盛とか、こんな「キャラクター遊び」というものが、実は日本のエンタメの伝統にしっかりと根付いている姿のようにも思われる。 |
No.823 | 7点 | 砂の城- 鮎川哲也 | 2021/02/28 22:43 |
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いやね、評者関西在住なんだ。そんなわけで、本作の鉄道トリックというのは、生活感覚的にすぐに見当がつく(本命もそうだし、別解に当たる霧による延着の方もそう。今はない電車だが、似たような路線はある)。だから、本作の鉄道トリックに価値がない...と即断する方がいる、というのは分かるんだけど、そういう判断基準だと「鮎川哲也の面白さ」をどこまで味わえるのだろう...と危惧する部分も大きいんだ。
評者が今回読んだのは角川文庫版なんだけど、この本の解説が栗本薫でね、実は評者この解説が鮎哲の本質論として、実に当たってる、と思うし、共感するところ大なんだ。 第二の時刻表、そして行動のスケジュール表。見出される第三の乗替駅。鈍行が急行においつき、準急が特急を追いこすこのひそやかで心やさしい奇蹟。そうだ―奇蹟はこの世にまだ存在していた。空間はゆがめられ、時間はメビウスの輪となって振出しにもどってゆく。この贅沢な永劫回帰、証明された、時間旅行の秘密。 この鮎哲讃歌を、評者はぜひ紹介したくて仕方がなかったのである....いやこういう奇跡とかロマンの瞬間が、きっちり決まるか決まらないか、で鮎哲の作品を判断してもいいんじゃないか。本作では、そういう奇蹟がちゃんと、起きている。それだけではなくて、鬼貫がそれを発見していくさまも、本作だとちょっと皮肉に作者が誘導しているのが、実にナイスな成り行き。この誘導の筋が評者は早々と見えたこともあって、頬が緩みっぱなし。いやいや、「すぐに、わかる、だからダメ」とかミステリの楽しみって、そういうものじゃないと思うんだ。 鮎川哲也の本を手にして、ぼくが最初に思うこと。―それは、奇妙なことだが、いつも同じある深い<安心感>とでも呼ぶほかないものだ。 とこの栗本解説だと、冒頭で鮎哲の「安心感」を掲げている。ワンパと言うなかれ。鮎哲は日常の中に埋もれた「奇蹟」を起こして見せるが、その「奇蹟」はそれを「奇蹟」と見る目のある読者にしか、「奇蹟」として見えないのかもしれない。それでもね、それは実に心休まるなつかしい「奇蹟」なのである。 (いや本作だと、フェアさ、という意味だと、本線の手がかりになる時刻表をどこに入れておくか、というので工夫しどころがあると思う。この時刻表がどういう目的で入っているか、に注意して読むと作者の意図が見えて面白いと思うよ) |
No.822 | 6点 | シャーロック・ホームズの記号論- 評論・エッセイ | 2021/02/26 22:49 |
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80年代に流行った本である。懐かしい。記号学が大流行の頃で、みんな知ってるホームズと、日本人はよくわからないC.S.パースをひっかけて、記号論に入門できちゃうお買い得な本(しかも薄くてすぐ読める)だから、流行ったわけさ。評者ドイルはとりあえず大体済ませたから、そういえば、で取り上げよう。
ミステリの名探偵の「推理」というと、演繹的推理と帰納的推理が...とかね、そういう説明が「ミステリ入門」とかでされるわけだけど、この本の面白いところは、発見的な推理・推測というものは、この著者のシービオクによると、実は演繹的でも帰納的でもない、パースの用語で言うところの「推測 abduction」というものであり、ホームズの推理法の中に、そのエッセンスが詰まっている、ということだ。 いや「推測」という訳語は、坐りが悪い。「あて推量」とか「仮説的推論」いうくらいの方がどうもいいようだ。つまり、帰納推理だって、現象を観察して何らかの仮説的な推量を形成し、その仮説に対してさまざまなデータがうまく収まるかどうかを判定して、「帰納」するわけで、この「仮説を立てる」という能力を根底的な「能力」として捉えよう、というあたりに、著者がパースを援用する所以があるようだ。 とはいえ、この本の面白さ、というのはどちらかいうとこういう理論風のあたりよりも、モデルのベル博士と、パース、それにドイルに共通する「医師の視線」と、「演劇的な身振り」の合体した、パフォーマンス的とでもいうべきアプローチを見せているあたりのような気もするのだ。要するに、このエッセイは、推理というものを一方的な解釈プロセスではなくて、推理する側とされる側の、無意識的な相互作用の中にとらえよう、としているあたりの面白さなのではないかと思う。 まあ、軽いエッセイなので、すぐ読めるんだけど、ややこしいことがサラっと書かれていることもあって、注意深くないと読んでも意味がないかもしれない。著者は 1920年生まれだから、フーコーとかバルトとかと同世代で、巻末付録の山口昌男との対談だと、「レヴィ=ストロースが構造主義の父だとすると、シービオクはその助産師だ」なんてヨイショしている。守備範囲の広い学者だったようだ。 |
No.821 | 6点 | 三十九階段- ジョン・バカン | 2021/02/26 14:55 |
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大古典スパイ小説。なぜ今までお二方しか書いてないんだろう...って評者びっくり。
皆さんご指摘の通り、本作は緩めで乾いたユーモア感あふれる、ハードなくせにのほほのんとした良さが溢れる冒険小説。イギリスの北部の田園地帯を駆け回る、何か「人口密度が低い」面白さ、というものを評者は感じたりするのだ。人と戦うよりも、スパイという野獣か自然現象と戦っているような面白さ、なんだろうか。 いや日本って人口密度が高いからか、どうもせせこましくて、世知辛い。本作ってそういう国民性から見ると対極にあるのでは...なんて思う。シビアな国際政治と陰謀を扱っても、どこか大らか。しかも、主人公のハネーくん、南アフリカの国外植民地出身で、イギリス人とはいえ、島国根性はカケラもなし。だからかね。 昔話だけどスパイ小説がもてはやされていた時期に、誰だったか左翼的な見地でスパイ小説を愛国小説みたいに捉えて批判した人がいたんだが、まあそんなの大人気ない、はその通り。でもグリーンとかアンブラーはガチに左翼なんだけどね....で、逆にそういう見方をするときに、本作みたいなのは「実に健全なスパイ・スリラーの代表」という気もするんだよ。 神経症的に周囲の人を外国のスパイ、と見るようなのが、各務三郎が「現代版恐怖小説」と化したとする「病的なスパイ小説」だとすると、本作が追及するのはあくまで「イデオロギーのクサ味も、政治的主張も、まったく関係なしに万人受けする、コモンセンスな面白さ」だ。エンタメで読み捨てても悪影響なんて、まるでなし(苦笑) イギリス人の国民性のいい部分だけが出たような小説である。いいじゃないか。 |
No.820 | 7点 | クリストファー男娼窟- 草間彌生 | 2021/02/25 19:14 |
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日本を代表する前衛アートの女王である。しかし、この人小説も書いていたりするのだ。この本は表題作の他に「離人カーテンの囚人」「死臭アカシア」の3編を収録した短編集である。いや草間彌生、作品タイトルが実に独特で、カッコいい。「マンハッタン自殺未遂常習犯」とか「聖マルクス教会炎上」とか「ウッドストック陰茎斬り」とか、見るからに業が深くて「暗黒!」な世界の期待が深まる、というものだ。
アートの方でも、この人特有の幻視から来るイメージが、病的なんだけど実は一般性がある、というあたりに、実に絶妙なバランスがあるわけだが、小説も同様。ヘンリー・ミラーを連想するシュルリアリスムもあれば、耽美小説とも読めるし、この人固有の病的な幻視・幻覚描写と、性への反撥と固着のアンビバレンツ...と、中井英夫や赤江瀑の系譜の暗黒文学の資格十分の小説である。 「クリストファー男娼窟」は「野性時代新人文学賞」を獲った、小説としては一番有名なもの。コロンビア大に留学中の香港出身の女子学生ヤンニーは、貧乏な学生たちの男娼のアルバイトを斡旋する売春地下組織「パラノイアック・クラブ」を作り上げていた。その一人でヤク中で身を持ち崩した黒人の美青年ヘンリーは、ヤンニーに紹介されたユダヤ人の小金持ちに一週間600ドルで売られる。ヘンリーはそのユダヤ人と閉じこもった山荘で、どんでもない事件を起こす...ヤンニーとヘンリーは逃亡の果てに、幻想のエンパイアステートビルを登っていく 夜目にも光る銀色のコーヒーは、ヘンリーの男の中身まで、銀色に染めてしまった。ヘンリーの内臓が、蛾の羽からこぼれた粉によって変色してしまうと、ボッブは再びすりよってきた。開かずのドアの内側も多分銀粉で染まっているにちがいない。 いや文章の禍々しさが期待通り、というものである。もちろん草間の単身ニューヨークに渡って「前衛の女王」の名をはせた70年代の体験から作り上げられた血みどろの幻想譚である。 その次の「離人カーテンの囚人」は草間の生い立ちに取材した作品で、鉄道自殺に終わる大変悲惨な話なんだけども、自伝の「無限の網」とか読むと、悲惨さはかなり誇張して盛っていて、これほど悲惨ではない。小説だもんね、「暗黒のシンデレラストーリー」くらいに読んでいいと思う。放蕩の果てにヤクザに食い物にされる父と、その人間の屑のような夫に執着し続ける母との間に、望まれもしないのに生まれた子供たちの一人として生を受けた少女キーコ。親からのネグレクトと折檻から身を守るのは絵を描くことと「離人カーテン」で心を殺すことだった。キーコはこの両親の諍いの板挟みの只中で初潮を迎えた... 白茶色の海のような壁紙の中から、キーコの眼球の奥に、チューリップの花が無数に連なって湧き出てきた。見ればいくらでも出てくる。やがて、チカチカと点滅を繰り返しながら、窓の曇りガラスまでこびりついてきた。彼女は驚いて窓に近よってみた。ガラスの上に湧き上がる花を手でなぞった。すると手の上でもチューリップは無数に増殖していき、手の形さえ、その影の内側に埋没して消えていく。 いや草間彌生のアートの方に親しんでいると、本当にこの描写がアートを連想させて、「この人、ホントに『選ばれて』いるね」と感じさせる。とはいえ、精神病的な描写の理解不能性と、小説としての理解可能性のバランスが、アート同様にきっちり取れていて、意外なくらいに破綻していない。これが不思議なくらいの話でもある。まあだから、エンタメとして読んでも、そうそう不当、ということにもならないと思う。暗黒文学の一つとして、楽しんでいいと評者は考えている。 |
No.819 | 5点 | カシノ殺人事件- S・S・ヴァン・ダイン | 2021/02/24 23:18 |
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前作の「ドラゴン」だと長々と龍に関するウンチクしてくれて楽しかったのだが、本作だと蘊蓄が足りないよ~そこらが不満。評者ヴァンスのウンチクを楽しみにしているんだ。
で今回は毒殺で、何件も毒を飲まされる事件が連続する。短い長編で、ヴァン・ダインの気取ったスタイルで書かれるわけだから、「人がどんどん斃れる」ホラーの味が出るかな?というあたり。でも作者が徹底できていないようにも思う。取り調べられていた関係者が続々急に倒れて、どんな毒か不明、というのはうまく恐怖を煽って書けば「怖い」アイデアだと思うんだけどね。で最後はバタバタとスリラー風に展開して終わる。毒殺トリックもまあ常識範囲だが、そう悪いアイデアじゃない。語源を知ってるとね... (ネタばれ?) 実は本作のネタの一つの例の水、事故で飲んだ人が実際にいるらしいけど、別に病気とかならなかったらしい....そりゃ、大量に飲めば別のようだが、コップ一杯くらいなら平気みたいだよ。いやいや本当は、DHMOといって、例の水に近いもので、これを飲んだ人の死亡率が100%の液体があってね、こっちの方が怖い?かもよ。 |
No.818 | 8点 | 事件- 大岡昇平 | 2021/02/23 12:47 |
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この作品の意義は、実は作品内で力説されていて、それに触れずにあくまで「フィクション」のエンタメで読むのは、どうか、と評者とかは思うんだ。あえて言うけども、本作はミステリに見えて実はミステリではない。
(死体の具体的な状況などの)それらは現場について、おそるべき詳細な客観性を持って書かれているものである。一般人はそんなものを読む必要は全然ない。犯罪とか戦争とかは、経験しないですまさられれば、それに越したことはないのである。 それら警察の記録を、現代人の病的な好奇心に沿うようにアレンジしたものが、小説やドキュメンタリーとして放出されている。しかしそれらは犯罪の実際について、正しい印象を与えるものではない。 本作は結果として協会賞も獲れば、映画ドラマに映像化された有名作になる。大岡氏というと実はミステリ・ファンの文学者としても有名なんだが、この作品でやろうとしたこと、は「裁判」という「営為」自体を「文学者の目」で再構築しよう、という試みだ。裁判を扱ったフィクションが「裁判を舞台にして、明らかになる人間のドラマ」を描こうとするのと、完全に一線を画しているのが、本作の面目になる。TVドラマも映画も、ありきたりな「裁判物フィクション」としてしか映像化できなかったのだけども、小説の狙いは全然別なところにある。 この小説の中では、具体的な裁判手続きの詳細が事細かに記述される。裁判を主宰する裁判官、告発を担当する検察官、そして被告とそれを弁護する弁護士の3つの陣営による、この「裁判」というゲームの具体的な手続きと、その手続きの中にある「理念」といったもの、そしてその「理念」を手続きにそって運用する判事・検事・弁護士の具体的な運用。これらを事細かに叙述することで立ち上がってくるのは、戦後に大きく改定された刑事訴訟法が具現化する理念「公正」である。この3つの陣営の模擬的な闘争が、判決として具体化される「公正」に結実するプロセスを丁寧に追った小説、と言えばいいのだろうか。人間ドラマ以上に、観念の運動を追求したフランス文学的な味わいが、やはり大岡昇平らしさでもあろう。 ミステリ、がジャンル小説であるのは今更言うまでもない。もちろん「法廷ミステリ」にいろいろな妙味と面白味があって、一大ジャンルになっていることを否定するのではないが、大岡昇平のアプローチはそれとはまったく異なったフリーハンドのものだ。たしかに「事件」には隠れた人間関係が潜んでいて、真相もある意味意外なものであるかもしれない。しかし、この小説を通じて浮かび上がるのは「事件」を媒介とした、刑事訴訟という具体的な制度とその運用手続きの姿なのである。 私はこの場合、持ち出した公正は抽象概念としてではない。公正は言葉としては概念だが、それを運用する裁判官の判断は一つの行為だ、と思っている。 刑事裁判はその手続きのただ中で選択される「行為」の集積であるがゆえに、「人間」の小説としてのテーマになりうるのだ。この大岡の視点の鋭さに敬服。 |
No.817 | 6点 | ソラリスの陽のもとに- スタニスワフ・レム | 2021/02/18 08:37 |
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評者もSFはプロパーではないので、ハードSF・ファーストコンタクト物の名作として知られる本作だって、タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」を見てから原作を読む、という流れになるのは、これ80年代の青春、というものだよ。
「お前はバカだ!」と原作者レムがタルコフスキーを罵った、という有名エピソードがあるくらいに、原作と映画、というのは同じものであるわけはなくて、微妙な緊張関係がいつだって、あるものだ。「原作の中にある、【映画的な瞬間】というものを、映画作家はそっと取り出して、その【映画的な瞬間】を軸として再構築する」というのが「理想の映画化」というものだと評者は思ってる。そういう意味で、原作の「最後まで人間の願望を理解できない、ソラリスの海」という「人間以外の超知性体」、人類というものをカフカの流儀で表現すれば「神の不機嫌な一日の産物」であるような、そういう「理解することが本質的に不可能かもしれない【知性】」として描き切った原作のSFらしい狙いと、映画の狙いは、絶対に合致しない。 なので、映画の結末を知っていると、原作のクールでそっけない結末は何か不完全燃焼な印象を受ける。タルコフスキーという人は結局ソ連から亡命することになるのだけど、いや映画「惑星ソラリス」だって、実のところ「亡命者」が「祖国」に恋々する映画だ。タルコフスキーの資質の根底のところで「亡命者」風の疎外感が強くあって、「亡命」という事件は政治的な事件でも何でもなくて、タルコフスキーの内面のドラマの結末だった、という風にも、評者は解釈しているんだ。 そう捉えると、実はタルコフスキーの映画の方に、SFというよりもグリーンやアンブラーに近いエスピオナージュな味わいを感じても不思議じゃないのかもしれない。ソラリスの海によってソラリス・ステーションに送り込まれた「お客」たちは、ステーションの研究者たちの心の奥底に深く刻み付けられた「過去のトラウマ」を、具体的な人間を「コピー」して「ソラリスの海」から送り込まれたものである。だから、主人公たちはその「お客」にまつわる自分自身の「過去のトラウマ」と改めて直面せざるを得なくなる....「お客」はソラリスからの使者であるとともに、自分自身からのスパイでもある。お客を憎むも、あるいは自分の過去を受け入れるのも、自分自身という面で言えば「ダブル・スパイ」に転落するようなものでしかない。 われわれはいまその接触を実現しているというわけだ。まるで顕微鏡でものぞいているように、われわれ自身の醜悪さを何百倍にも拡大したかたちでね。それこそお笑い草だよ。この上ない恥さらしだと言ってもいい! つまりグリーンやアンブラーが書いた最良のスパイ小説が明らかにしたこと、というのは、読者である平穏無事の市民でさえ、なにがしかの部分が醜悪なスパイであり、さらに自身をも信用しないダブルスパイだ、というまさにそのことだったのかもしれない。そういう「自己のモラル」への懐疑は、タルコフスキー固有であって、レムのものではない。 |
No.816 | 6点 | 亜愛一郎の転倒- 泡坂妻夫 | 2021/02/14 20:49 |
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評者「狼狽」も最初4作凄い、という感覚なんだけど、第二弾のこれ、ホントにいい、と思うのは「病人に刃物」くらい。なんでかな?と思うんだけども、「趣向」という言葉で大体説明がつくようにも思う。
要するに、この短編集、作者が狙った「趣向」の色が強いんだよね。それを特に感じるのが「意外な遺骸」で、こういう見立て、作者が面白がり過ぎると、読者は逆にシラケる部分がでてしまうんだよ。いや「趣向」と狙いはわかるんだが、着地点の常識と狂気のバランス感覚でもう一つ面白さが出てない、のでは。「藁の猫」は「DL2号機事件」の縮小再生産みたいなもので、「DL2号機事件」は「ンなアホな」と「...それも、アリ?」が「そこまで、やるか!」に転じるバランスの中で成立してたのが、「藁の猫」だと妙に理に落ちた感じでまとまってしまう。「砂蛾家の消失」はこりゃ「神の灯」の消失次元の入れ替えの「趣向」を「狙い」すぎ。 常識のようで狂気、狂気のようで常識、というあたりの往還の面白さ、というのがやはりこういう逆説系作品の味わいになるようにも思うんだ。逆にあくまで誰も「狂って」いない「病人に刃物」に、アイロニカルな面白さが出てしまうのが、「趣向」を外れた「趣向」の面白さ、なんだと思う。 |
No.815 | 7点 | メグレと宝石泥棒- ジョルジュ・シムノン | 2021/02/14 11:47 |
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どうせならで「メグレたてつく」から連続して読む。話が続いているようなもので、「たてつく」で登場した引退したギャングとその愛人の話。このギャングは表向きの正業が繁盛して有名レストランのオーナーにまでなっているが、宝石泥棒の組織者の疑惑をメグレはずっと持ち続けていていた。でも一切しっぽをつかませないまま、襲撃を受けて半身不随。車椅子の生活で愛人のアリーヌの介護を受ける一見平穏な日々。しかし、今も起きる宝石泥棒を陰で操るのはこの男、とメグレは目星をつけていた....「たてつく」でこの元ギャングとアリーヌが意図しない鍵を握ることになったのだが、「たてつく」の解決後すぐに、この元ギャングが射殺された!
こんな話。いきなり元ギャングの射殺から始まるので、「宝石泥棒」では生きた姿は登場しない。というわけで、皆さんの低評価っぷりを見ると、やはり「たてつく」「宝石泥棒」は連続して読まないと、この元ギャングのマニュエルの、メグレとの腐れ縁に近いキャラを理解しづらくて、面白く感じにくいようだ。マニュエルは「影のボス」と言った感じの悪党なんだけど、適当にメグレとも付き合いがあるので、チンピラの情報を教えてくれたりして、メグレとも持ちつ持たれつの関係にある。で、「たてつく」ではこういう「犯罪者との癒着」とも捉えかねられないメグレの「古いデカ体質」が、官僚的な若い警視総監には嫌われていて...という背景があったのが隠し味で効いている。 シリーズで繰り返し描かれることだけど、メグレって新聞報道を介して、社会的な有名人なんだよね。だからメグレの「古いデカ体質」を嫌う人もいれば、「伝説のメグレ!」と崇拝する向きもあるわけだ。今回事件を担当する若い予審判事アンスランは「崇拝」側で、メグレと一緒にビストロに入ってランチすると妙に感動していたりするのが苦笑。メグレは河岸の自室で部下を指揮するより、こんなビストロで事件を指揮するのが、似合ってる。この「古い」メグレにふさわしく、以前からのマニュエルとの因縁を含めて「メグレのもっとも長い捜査」なんだそうである。 そういう意味で、実は「たてつく」とうまく対比もついていて、「たてつく」で積み残した話が「宝石泥棒」で決着する。この「古いメグレ」の今風の科学的・組織的な捜査とは違う、経験的で即興的な捜査がテーマになる本作、実のところ「即興の名手のシムノン」が、「たてつく」でマニュエルとアリーヌを描いたところで、方針転換して「たてつく」の話に変わった、なんて想像もしたくなるのだ。 ぜひ「たてつく」と連続して読むことを、お勧めする。 |
No.814 | 7点 | メグレたてつく- ジョルジュ・シムノン | 2021/02/13 22:33 |
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メグレ、ハニートラップにかかる?
そんな冒頭である。出勤したメグレは若僧の警視総監に呼び出される。政治家筋からメグレに苦情が来ているのだそうだ。政界有力者の姪をホテルに連れ込んだ、というのがその内容。確かに昨晩メグレは電話でおびき出されて、酔っ払った娘をホテルに送って行ったのだが...誰がメグレをハメようとしているのか? というわけでメグレは直接この件の調査をするのを禁止される。定年も近いから、メグレは地位に恋々とするようなことはないが、それでも自分をハメた狙いが分からないことには、どうにもおさまりが付かない。ごく親しい部下や、後期に登場する仲良しの医者パルドンの協力を得て、メグレは「自衛」する。その結果、意外な犯罪をメグレは掘り当てることになる....と、メグレ自身が当事者となるサスペンス、意外な真相、それにメグレが行き当たるプロセス、と後期の作品ではなかなかの秀作になると思う。 ちなみに本作の次に書かれた「メグレと宝石泥棒」は本作と前後編みたいな恰好になっているが、評者は一緒に手に入れて抜かりは、ない。「宝石泥棒」と本作で登場人物が重複して、「宝石泥棒」の冒頭で本作のネタバレを喰らうことにもなるので、ここは評者も連続して読んで楽しむことにしよう。 |